ねずさん。
歴史を失った民族は滅びるといわれます。
では、歴史とは何かといえば、過去の事実です。
ところが過去の事実といっても、見方や見る立場によって、異なる側面を持ちます。
早い話が、隣にいるBさんに、あなたがとても親切にしてあげたとします。
それは事実です。
ところが親切を受けた側のBさんが、とてもひがみ根性の強い人だったらどうでしょう。
親切を受けたときには、ありがとうとニコニコしていても、後になってから、あなたのことを「上から目線」だとか、「親切ごかして嫌味だった」とか言い出しかねません。
そういうことを、わたしたちはお隣の国で、実際に味わっています。
つまり、ひとくちに事実といっても、立場によって、その認識が異なるということです。
それは事実です。
ところが親切を受けた側のBさんが、とてもひがみ根性の強い人だったらどうでしょう。
親切を受けたときには、ありがとうとニコニコしていても、後になってから、あなたのことを「上から目線」だとか、「親切ごかして嫌味だった」とか言い出しかねません。
そういうことを、わたしたちはお隣の国で、実際に味わっています。
つまり、ひとくちに事実といっても、立場によって、その認識が異なるということです。
では、私たちにとって失ってはならない歴史とはなんでしょうか。
それは、私たちが私たち日本人の「普遍的な価値観のもとに失ってはならないもの」のことです。
それは、私たちが私たち日本人の「普遍的な価値観のもとに失ってはならないもの」のことです。
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わたしたちは、未来の日本や、その未来の日本に住み、そして未来の日本を担う子や孫たちに、どこぞの国のようなひがみ根性で進歩のない歴史をのこしたくありません。
むしろ、そのようなものを我が子や我が孫たちに残そうとする人がいたら、よほどの異常かバカ者です。
わたしたち日本人には、わたしたち日本人が失ってはならない価値観がある、のです。
それがどこにあるかといえば、歴史の中にある。
それがどこにあるかといえば、歴史の中にある。
歴史を失った民族が滅びるというのは、その国家国民が、その国の「歴史伝統文化によってつちかわれた価値観」を失うことを意味します。
つまりそれは、国家国民としてのアイデンティティの喪失です。
つまりそれは、国家国民としてのアイデンティティの喪失です。
アイデンティティを喪失するとどうなるかについては、アイデンティティの概念を提唱した米国の心理学者のエリック・エリクソン(Erik H.Erikson 1902-1994)が明確に説いてます。
それは、
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アイデンティティが正常に獲得されないと、自分のやるべき事が分からないまま日々を過ごしたり、時に熱狂的なイデオロギー(カルト宗教や非行など)に傾いてしまう。
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です。
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アイデンティティが正常に獲得されないと、自分のやるべき事が分からないまま日々を過ごしたり、時に熱狂的なイデオロギー(カルト宗教や非行など)に傾いてしまう。
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です。
これは簡単にいえば「おかしな思想」に染まってしまうことです。
典型的のが「九条神話」です。
「日本は憲法九条があるから平和なのだ。」
けれど、戦争は、相手があって行われるものです。
こちらが暴力を用いたくなくても、相手がそれを用いてくれば、妻子までが残酷な目にあわなきゃならない。
だから身を守るためには戦うしかない。
それをハナから「私は身を守りません、家族も一切守りません」などと宣言したら、ただのバカです。
蹂躙され、収奪され、挙げ句、殺されるだけです。
それが嫌なら、ちゃんとした自衛力(武力)を持たなきゃならない。
あたりまえのことです。
典型的のが「九条神話」です。
「日本は憲法九条があるから平和なのだ。」
けれど、戦争は、相手があって行われるものです。
こちらが暴力を用いたくなくても、相手がそれを用いてくれば、妻子までが残酷な目にあわなきゃならない。
だから身を守るためには戦うしかない。
それをハナから「私は身を守りません、家族も一切守りません」などと宣言したら、ただのバカです。
蹂躙され、収奪され、挙げ句、殺されるだけです。
それが嫌なら、ちゃんとした自衛力(武力)を持たなきゃならない。
あたりまえのことです。
日本が戦後68年もなんとか無事にやってこれたのは、九条があるからではありません。
ひとつには、先の大戦で世界史に類例のない勇敢さを日本がまざまざと見せつけたからであり、
ひとつは、日本の経済復興がいちじるしかったために、攻め滅ぼすより、食い物にしたほうが得だと周辺の悪意ある国の指導者たちに思われていただけのことです。
ひとつには、先の大戦で世界史に類例のない勇敢さを日本がまざまざと見せつけたからであり、
ひとつは、日本の経済復興がいちじるしかったために、攻め滅ぼすより、食い物にしたほうが得だと周辺の悪意ある国の指導者たちに思われていただけのことです。
ですからここへきて、尖閣や沖縄、竹島など、急激に危機管理が必要となって来たのは、ひとつには、日本の経済成長が頭打ちになり、日本からカネをしゃぶれなくなってきたこと。
そして、戦時中の日本軍の勇敢さ恐ろしさを知る世代が、鬼籍にはいるようになってきたことによります。
そして、戦時中の日本軍の勇敢さ恐ろしさを知る世代が、鬼籍にはいるようになってきたことによります。
では、「アイデンティティ」とは何でしょうか。
心理学用語としては、「自己同一性」とか、「自我同一性」などと訳されているようです。
「自己同一性」とは何かというと、「これこそが本当の自分だという実感」などと説明しています。
心理学用語としては、「自己同一性」とか、「自我同一性」などと訳されているようです。
「自己同一性」とは何かというと、「これこそが本当の自分だという実感」などと説明しています。
けれどそう聞いて、意味が分かる人なんていないと思います。
私も「自己同一性」と説明されても意味がさっぱりわかりません。
私も「自己同一性」と説明されても意味がさっぱりわかりません。
ではアイデンティティとは何かといえば、それは「共同体意識」です。
自らを優れた共同体の一員とすることで、自己をその中に同調させ、成長する意欲に結びつけて行く。
それがアイデンティティです。
つまり「共同体意識」です。
これなら理解しやすくなります。
自らを優れた共同体の一員とすることで、自己をその中に同調させ、成長する意欲に結びつけて行く。
それがアイデンティティです。
つまり「共同体意識」です。
これなら理解しやすくなります。
かつての日本社会では、この「共同体意識」をひじょうに大切にしました。
小さな子供のうちから、その意識を育成していました。
最初は、家族という共同体の一員として。ですから父母は、父、母と呼んだし、兄はおにいちゃん、姉はおねえちゃんと、親もそのように呼びました。
家庭内で、個人がバラバラに生きているのではなく、家庭という共同体の一員として、ひとりひとりの位置づけを明確にし、共同体意識を高めていました。
小さな子供のうちから、その意識を育成していました。
最初は、家族という共同体の一員として。ですから父母は、父、母と呼んだし、兄はおにいちゃん、姉はおねえちゃんと、親もそのように呼びました。
家庭内で、個人がバラバラに生きているのではなく、家庭という共同体の一員として、ひとりひとりの位置づけを明確にし、共同体意識を高めていました。
そしてある程度の年齢になると、寺子屋や学問塾や道場などに通うようになり、そこでの共同体の一員としての意識を芽生えさせていました。
さらに長じれば、武家ならお家、商人なら商家のため、農家なら近隣共同体の一員として、周囲のみんなとともに力を合わせてきたし、社会全体も、そのための工夫が随所に施されていました。
さらに長じれば、武家ならお家、商人なら商家のため、農家なら近隣共同体の一員として、周囲のみんなとともに力を合わせてきたし、社会全体も、そのための工夫が随所に施されていました。
そして大きな共同体は、藩という国を超えた天下であり、天下の頂点には万世一系の天子様がおいでになり、ひとりひとりは、その天子様の民であり、天子様も、天子様に選ばれた殿様も、領民も、みなが家族のように一体となって、日本という共同体をしっかりと支えて行こうという大きな共同体意識が日本にはありました。
それが「君民一体」です。
それが「君民一体」です。
こうした「君民一体」という共同体意識が、日本に完全に定着したのが7世紀です。
この頃、わたしたちの国は、日本国を名乗り、元号もわが国独自の元号を定めるようになりました。
元号というのは、他国の領土ではない、独立国であることの証です。
その最初の元号が、大化元(645)年です。
この頃、わたしたちの国は、日本国を名乗り、元号もわが国独自の元号を定めるようになりました。
元号というのは、他国の領土ではない、独立国であることの証です。
その最初の元号が、大化元(645)年です。
西欧では、国民国家という概念は、実はフランス革命以後に発達しました。
それまでの西欧諸国は、国民国家ではありません。
王と呼ばれる領主がいて、その王が支配する範囲が領土であり国でした。
ですから、領民も、領土も、王個人の私有物です。
それまでの西欧諸国は、国民国家ではありません。
王と呼ばれる領主がいて、その王が支配する範囲が領土であり国でした。
ですから、領民も、領土も、王個人の私有物です。
その王が死ぬと、王の財産(領土、領民、私財)を巡って争いが起きました。
そして王の力が弱まると、隣の国がその王の領土、領民を奪いに来ました。
そして王と王の戦争が始まる。
王が持つ兵は、王の私物兵でした。
ですから兵が全滅したら、王様は丸裸になってしまいますから、ちょっとだけ戦って、負けたら、消耗戦に入る前にさっさと戦いを止めて、降参し、今回は、この領地はあんたにあげるよ、といって、話をつけていました。
その繰り返しが、西欧の中世だったわけです。
そして王の力が弱まると、隣の国がその王の領土、領民を奪いに来ました。
そして王と王の戦争が始まる。
王が持つ兵は、王の私物兵でした。
ですから兵が全滅したら、王様は丸裸になってしまいますから、ちょっとだけ戦って、負けたら、消耗戦に入る前にさっさと戦いを止めて、降参し、今回は、この領地はあんたにあげるよ、といって、話をつけていました。
その繰り返しが、西欧の中世だったわけです。
ところが、そうした王がすべての支配者であるうという王政に対して、市民たちが反発して起こしたのがフランス革命です。
ところがフランス革命でパリ市民が王の財産を奪って、これを自分たちで分けようとしたら、地方にいるフランス人たちが怒って蜂起しました。
俺たちにも分け前をよこせ、というわけです。
ところがフランス革命でパリ市民が王の財産を奪って、これを自分たちで分けようとしたら、地方にいるフランス人たちが怒って蜂起しました。
俺たちにも分け前をよこせ、というわけです。
そして、フランスは一体だと唱えて、フランスのために戦おうと手をあげたナポレオンが皇帝になりました。
ナポレオンの兵は、かつての王様たちの兵のような私有兵ではありません。
フランスを守ろうと立ち上がった、つまり国家国民のためにと主体的に立ち上がった兵たちです。
これが強かった。
ナポレオンの兵は、かつての王様たちの兵のような私有兵ではありません。
フランスを守ろうと立ち上がった、つまり国家国民のためにと主体的に立ち上がった兵たちです。
これが強かった。
王様の私有兵は、ただ王様から給料をもらっているだけの兵です。
これに対しナポレオンの兵は、ひとりひとりがフランスという共同体を背負った兵です。
覚悟が違う。
これに対しナポレオンの兵は、ひとりひとりがフランスという共同体を背負った兵です。
覚悟が違う。
だからナポレオンの軍は、ヨーロッパを席巻しました。
そして「国家国民を背負うと兵が強くなる」とを学んだヨーロッパの王たちが編み出した新方式が、立憲君主制です。
王も領民も、等しく憲法の下にいる。王の国は、俺たちの国でもある、という概念が登場したのです。
そして「国家国民を背負うと兵が強くなる」とを学んだヨーロッパの王たちが編み出した新方式が、立憲君主制です。
王も領民も、等しく憲法の下にいる。王の国は、俺たちの国でもある、という概念が登場したのです。
これによって、何が変わったかと言えば、「王の領民」が、「国の民」に変わったのです。
そして国という形而上学的な存在そのものは、政治権力を持ちません。
国の頂点に立つ者が、政治権力者となるという仕組みができあがりました。
これが近代国家の登場です。
そして国という形而上学的な存在そのものは、政治権力を持ちません。
国の頂点に立つ者が、政治権力者となるという仕組みができあがりました。
これが近代国家の登場です。
この概念の登場によって、ヨーロッパは強力な軍事力を手に入れました。
そしてそのエネルギーは、またたく間に有色人種社会を席巻し、1800年頃には地球の陸地の約35%を、1914年の時点では、地表のなんと84%を支配下に治めるようになったわけです。
そしてそのエネルギーは、またたく間に有色人種社会を席巻し、1800年頃には地球の陸地の約35%を、1914年の時点では、地表のなんと84%を支配下に治めるようになったわけです。
つまり、近代国家が国民国家を意味する理由がここにあります。
そして直接には政治権力を持たない何かが、政治権力者を選任し、民衆は、その政治権力を持たない何か(これを国といいますが)の民であるという概念は、よくよく考えてみれば、日本では7世紀に誕生した律令制と、実は似ています。
そして直接には政治権力を持たない何かが、政治権力者を選任し、民衆は、その政治権力を持たない何か(これを国といいますが)の民であるという概念は、よくよく考えてみれば、日本では7世紀に誕生した律令制と、実は似ています。
日本では、天皇は政治権力を持ちません。政治権力者を親任するお立場です。
そして日本のすべての民は、天皇の民(皇民)とされたのです。
このことはこれまでにも繰り返し述べてきましたので、ここでは詳しく書きませんが、なんと日本は、ヨーロッパ諸国が国民国家を生み出すよりも1100年も前に、国民国家を生み出し、究極の民主化を実現し、国民国家を形成していたというのです。すごいことです。
そして日本のすべての民は、天皇の民(皇民)とされたのです。
このことはこれまでにも繰り返し述べてきましたので、ここでは詳しく書きませんが、なんと日本は、ヨーロッパ諸国が国民国家を生み出すよりも1100年も前に、国民国家を生み出し、究極の民主化を実現し、国民国家を形成していたというのです。すごいことです。
そして西欧諸国が、国民国家としての強さを身に付けたとき、その有り余るエネルギーを他国の征服に向けたのに対し、日本は、自国内での技術力や芸術や精神文化の向上にそのエネルギーを使いました。
そうすることで、日本は、世界に類例のない高度な精神性を持つ文化を発展させたのです。
そうすることで、日本は、世界に類例のない高度な精神性を持つ文化を発展させたのです。
そういうことを、歴史を学ぶとよくわかる。
そして、日本という共同体に所属していることが、とても大切なことと、普通に認識できるようになる。
それこそが、教育というものなのではないかと、思います。
そして、日本という共同体に所属していることが、とても大切なことと、普通に認識できるようになる。
それこそが、教育というものなのではないかと、思います。
最近、アメリカの最先端の医学会では、医療について科学技術だけでなくArt、つまりメンタルな部分のケアや補助の重要性がとても強く認識されるようになってきたのだそうです。
ですから、ただの医療技術屋としての医師では、もう最先端の医学会では通用しない。
医療技術+アルファがなければならないし、そのためには、医師自らが心を鍛えて行くことが必要という認識なのだそうです。
ですから、ただの医療技術屋としての医師では、もう最先端の医学会では通用しない。
医療技術+アルファがなければならないし、そのためには、医師自らが心を鍛えて行くことが必要という認識なのだそうです。
以前、幕末から明治の医師、佐藤泰然のことをこのブログでご紹介したことがありますが、佐藤泰然は、まだ麻酔がなかった時代に、卵巣摘出手術や、乳がん摘出手術など、当時としては世界に類例のない最先端手術を実現した人です。
後に順天堂大学病院の創立者となりますが、なぜ麻酔もなしに佐藤泰然がそんな手術ができたかといえば、患者さんとの間に、この医者なら絶対に大丈夫という完璧な信頼関係を築いたからだといわれています。
それは、単に医療技術だけではなく、それプラスアルファが、かつての日本には、間違いなくあった、ということです。
後に順天堂大学病院の創立者となりますが、なぜ麻酔もなしに佐藤泰然がそんな手術ができたかといえば、患者さんとの間に、この医者なら絶対に大丈夫という完璧な信頼関係を築いたからだといわれています。
それは、単に医療技術だけではなく、それプラスアルファが、かつての日本には、間違いなくあった、ということです。
そういう日本を、取り戻していくために、毎日、ほんのちょっと何かをする。
そういうことが大切ではないかと思っています。
そういうことが大切ではないかと思っています。