草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN■本当は恐ろしいアメリカの民主主義
(大谷和正)
世界の独裁者は誰かというと、ちょっと古くはヒトラー、スターリン、毛沢東、最近ではイラクのフセイン大統領、現在は北朝鮮の金総書記だという人が多い。しかし本当に恐ろしい世界の独裁者は実は「アメリカの世論」であると言うと驚く人は多いであろう。
大東亜戦争を思い返してみよう。
当時、アメリカの世論は圧倒的に戦争反対であった。
時の大統領、ルーズベルトは「私は戦争をしない」という公約を掲げて当選したので、自ら日本と戦争をしようとは口が裂けても言えなかったのである。
しかし、そのようなアメリカの国内事情を正確に理解していた有力な日本のリーダーは不在で、ルーズベルトの謀略にのせられた結果、実に愚かな真珠湾攻撃をしてしまったのである。
この真珠湾攻撃により、圧倒的な力を持つ独裁者「アメリカの世論」を敵にまわしてしまったのである。
当時、日本の一般の大学生の中には何とか徴兵を逃れようとし、自ら志願して軍に入ったものは(陸海軍関係の学校は別として)極めて少なかったといわれているのに対して、当時のアメリカの大学生の多くが軍に志願し戦いに加わったというのは、開戦時のアメリカ世論がどのようなものであったかを如実に示しているであろう。
当事のアメリカの世論は、それまで流布されたマスコミの反日報道の影響もあり、「日本は独裁国で卑怯・卑劣な国、アメリカは自由と正義のために断固日本を打つべし」 と燃え上がり、アメリカ国民を一つの目標に向かって結束させたのである。
アメリカの世論が結束すると向かうところ敵なしの圧倒的な力を持つ独裁者になるのである。
このような強大な力を持つ独裁者「アメリカの世論」を敵にまわす愚を繰り返すことのないよう、日本人は肝に銘じるべきである。
この大東亜戦争と反対のケースがベトナム戦争であろう。
アメリカはベトナム戦争で敗れたというが、実際の戦闘では敗れていないと考えられる。
ただアメリカの世論が戦争の目的に懐疑的で厭戦気分となり、本国の世論の動向により兵士達も戦闘意欲が低下し士気が上がらず、結果として戦争を継続することが困難となったのである。
当時、彼らが日本に向けたような激しい敵意を持っていたならば、ベトナムはひとたまりもなく敗れていた筈である。
ベトナムの勝利はアメリカの世論を味方につけた結果と言えよう。
このように強大な力を持つ「アメリカの世論」はいかにして形成されるのであろうか。
一番影響の大きなものはマスコミであろう。
巧妙な誘導で気がついた時には、世論は結束し特定の方向へ向かい、誰も手をつけられない独裁者になるのである。
これまで機会あるごとに民主主義の恐ろしさを論じてきたつもりである。
民主主義が健全であるためには、一人ひとりの国民が良識を持って自分の頭でものを考え、マスコミや社会全体の風潮に左右されないことである。
その際必要なことは自ら判断するための最低の正確な知識であり、マスコミの言うことを鵜呑みにしない常識・良識であろう。
アメリカの場合もこの点に関しては、かなり問題があるようだ。
大東亜戦争開戦前に日本を弁護したアメリカ人にラルフ・タウンゼントがいる。
彼は『憎悪の高い代償』という本の中で次のように述べている。
「アメリカに攻撃を仕掛ける国は世界中どこにもない。
世界の主要国はアメリカと友好関係を望んでいる。
なのになぜ、新聞は諸外国を憎むのか。
(中略)
『ドイツ、イタリア、日本と戦争を』という新聞は『この三国が独裁国家だからだ』としている。
その主張が正しいか検証しよう。
新聞が憎悪を煽る三ヶ国の中で、独裁国はドイツとイタリアだけである。
日本は君主の下に議員がいて、実質的にイギリスと同様の立憲君主国である。
『独裁反対』が本気なら、新聞は真っ先に中国にその矛先を向けていた筈である。
蒋介石が率いる中国は現代世界第二の独裁国家である。
(中略)
対日戦争の機運を盛り上げるためのウソの典型が、日中の報道姿勢である。
国民投票というものが存在しないにもかかわらず、中国を『民主主義国家』とし、日本を『独裁国家』としている。
近年の日本は、普通選挙によって選ばれた議員によって、アメリカ以上に国会の力が強い国である」
新聞の多くが、平和主義を標榜しながら、特定の国への誹謗中傷を繰り返し、国民に嫌悪感を抱かせ「戦争も已む無し」の世論を醸成していることにタウンゼントは鋭い警鐘を鳴らしている。
確かに真珠湾攻撃がアメリカの世論に決定的なきっかけを与えたことは間違いないが、その陰にアメリカの新聞を始めとするマスコミの長年の偏向報道がボディーブローのように効いているという見方も否定することの出来ないのである。
近年、シナやコリヤから靖国神社参拝に強烈なクレームがなされている。
これに関して石原都知事を始め一部の有識者が靖国神社問題は「外国からとやかく言われる問題ではないが、日本人が自ら大東亜戦争の総括をしてこなかったことに原因がある」といった意見を述べている。
確かにはっきりした形で総括されてはいないが、サンフランシスコ平和条約締結後、4千万人の署名と、それを受けた国会決議により「極東軍事裁判で戦争犯罪人とされたか方々は国内法としては犯罪者ではない」と明確にされている。
これは当時の日本人がこの戦争は日本の一方的な侵略戦争だとは思っていなかった、その良識の表れであり、当時の日本国民のこの戦争に対する一種の総括であったと考えられる。
しかし、それだけで済ませてはならないと最近思うようになった。
特定の人間の責任追及でなく、アメリカ民主主義の本質を見抜けなかった当時の日本のリーダーたちの責任、さらにそのようなリーダーしか選べなかった日本社会のシステム(憲法、教育、宗教、価値観等総てにわたり)の問題点の解明こそ真の大東亜戦争の総括ではないかと思う。
その作業を通して得られる貴重な教訓を我々日本人は真剣に再吟味し、これを将来に向けて生かしていかなければ、先の大東亜戦争で失った多くの犠牲は意味がないことになる。
アメリカの民主主義が最善のものだと思っている日本人は多い。
しかし、アメリカの世論という独裁者はいたって気まぐれで、ある特定の勢力に影響され、時には恐るべき方向へ向かうことがあり得るのである。
我々はこの独裁者が日本に友好的であるよう常に配慮するとともに、さらに積極的に働きかけをすることが肝要である
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アメリカン・スタンダードへの処方箋
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