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ヘンリー・S・ストークス/『連合国戦勝史観の虚妄』出版余波

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■『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』ヘンリー・S・ストークス著/祥伝社


評・井口優子(評論家)

産経新聞 2014.2.23

◆日本の主張を見事に代弁
この本は13年12月に発売され、はや5万部が売れた。
日本が世界に発信したい主張が、英国人著者により見事に代弁されているからか。

著者は、東京オリンピック開催の1964年に来日。
当初はイギリスのフィナンシャル・タイムズ、その後、ザ・タイムズ、ニューヨーク・タイムズの東京支局長を歴任。
「ジャーナリストとは、疑う能力だけが特技で、またそのように訓練された。事実を目にするまでは信じない」姿勢で、日本にアジア各国に真摯に向き合った。
その結果、三島由紀夫と信頼関係を築き、氏の行動の真意を最も理解した外国特派員となった。
今年で在日50年。
特派員最古参である。

しかし、子供時代は、戦後のイギリスで圧倒的量で報道された「日本悪玉論」に洗脳された。
「南京大虐殺」も長く信じていた。疑問を持つきっかけは、『「南京事件」の探求』(文春新書、2001年刊)の著者、北村稔立命館大学教授の講演だった。
事実に目を開かされ、独自に調査した著者の結論は「情報戦争における謀略宣伝」だった。

日本の保守派と呼ばれる人たちの
「アジアを侵略したのは、イギリスでありアメリカ。
日本はアジアを解放した」との主張に対しても
「イギリスから見れば、大英帝国の植民地を侵略した日本だが、日本側には日本の主張があってしかるべき。
日本の立場を敵国だったイギリスやアメリカは主張しない」
と公平だ。
いや、“敵国” という言葉は彼らの感情を表すには不十分だ。
日本軍が大英帝国を崩壊させたことは
「人間-西洋人-の真似(まね)をしていた猿が、人間の上にたつかのごとき衝撃を西洋文明そのものに与えた」
と言うのだから。

この衝撃を根底に、東京裁判があった。
当時の関係者は、著者の取材に「法廷には恐ろしい気配が充満していた」と語る。

東京裁判の全てが不法だったと論じる著者は、“感情” という事実にも向き合って真実を求める。
それでもなお、「真実を報道するのは実に難しい」。
ジャーナリストに、メディアが持つ巨大な力の自覚を促し、横暴さを戒める。





■『連合国戦勝史観の虚妄』より抜粋


ヘンリー・S・ストークス:

私が『フィナンシャル・タイムズ』東京支局の初代支局長としで、初めて日本の土を踏んだのは、1964(S39)年、ちょうど東京オリンピックが開催された年だった。
以来、日本にとどまること50年、いまでは外国特派員協会でも、最古参だ。

イギリスで生まれ育った私は、幼少のころから日本人は野蛮で残酷な民族であると、さんざん聞かされていた。
ちょうど当時の日本人が 「鬼畜米英」と聞かされていたのと同じことだ。
戦後になっても、日本のおかげでアジアの植民地をすべて失ったイギリスの、日本に対する憎悪の感情は消えるばかりか、強まるばかりだった。
そんな環境の中で、私の中にも、日本を憎む気持ちが、ごく自然に醸成されていた。

したがって、来日当初は東京裁判が裁いた「日本=戦争犯罪国家論」「南京大虐殺」についても事実であると単純に信じていて、何ら疑っていなかった。
しかし、二十世紀の日本とアジアの歴史を僻撤したとき、そうした見方が大きな誤りであることに気付いた。
三島由紀夫氏と親交を得たことも大きかった。

大東亜戦争は、日本の自衛のための戦いだった。
それは戦後マッカーサーがアメリカに戻って議会で証言した「マッカーサー証言」によっても明らかだ。
東京裁判は裁判の名にも値しない、無法の復讐劇だった。
「南京大虐殺」にしても、借用できる証言は何一つとしてなく、そればかりか中国が外国人記者や企業人を使って世界に発信した謀略宣伝であることが明らかになっている。
「慰安婦問題」については、論ずるにも値しない。

だが、これまで日本人が日本の立場から、これらに抗議し糺していく動きはほとんど見られないか、
見られてもごくわずかだった。
いま国際社会で「南京大虐殺はなかった」と言えば、もうその人は相手にされない。
ナチスのガス室を否定する人と同列に扱われることになる。
残念ながら、これは厳粛なる事実だ。
だから慎重であらねばならない。
だが、
日本が日本の立場で、世界に向けて訴え続けていかなければ、これは歴史的事実として確定してしまう。
日本はこれまでこうした努力が、異常に少なかった。
日本は相手の都合を慮ったり、追従する必要はない。
アメリカはアメリカの立場で、
中国は中国の立場で、
日本は日本の立場でものを言う。
当然それらは食い違う。
だが、それでいいのだ。
世界とはそういうものである。
日本だけが物わかりのいい顔をしていたら、たちまち付け込まれてしまう。

もう一つ私が声を大にして言いたいのは、「南京」にせよ、「靖国参拝問題」にせよ、「慰安婦問題」にせよ、現在懸案になっている問題のほとんどは、日本人の側から中国や韓国にけしかけて、問題にしてもらったのが事実だということだ。
この問題をどうするか、それは日本人が自分で考えなければならない。
日本人は、いまだに連合国がでっち上げた「戦勝国」史観の呪いから脱け出していない。
本書が、その束縛から逃れる一助となれば幸いである。…

戦争では誰もが敵に対して怒りを抱いて、感情的になる。
しかし、チャーチルの言葉遣いは、その範噂を逸脱していた。
チャーチルがそこまで口汚く日本を罵った背景には、植民地支配の体験がある。
数百年にわたって栄華を極めた大英帝国日が沈むことはないと形容されたその版図が、あろうことか東洋の黄色い小人たちによっで、一瞬にして崩壊させられてしまったという悔しさと、怒りがあったのだ。
イギリス人にとって、有色人種に領土を奪われ、有色人種が次々と独立したことは、想像を絶する悔しさだった。
第二次大戦を戦った世代には、そうした根深い怨念が、日本人に対してあった。

しかし、加瀬氏の話を問いて、私は違った視点を持ち、認識を改めるようになった。
日本は大英帝国の植民地を侵略しただけでなく、欧米の植民地支配を受けたアジア諸民族が、独立するのにあたって、大きな役割を果たしたのだった。
日本は欧米のアジアの植民地を占領し、日本の将兵が宣教師のような使命感に駆られて、アジア諸民族を独立へ導いた。
日本はアジア諸民族に、民族平等というまったく新しい概念を示して、あっという間に、その目標を実現させた。
植民地支配という動機とは、まったく異なっていた。
日本はアジア諸民族が独立することを、切望していた。
これは、まぎれもない事実だ。
アジアの諸民族にも、独立への期待が強くあった。

西洋人はこうしたまったく新しい観点から、世界史を見直す必要があるのだが、西洋人はこうした史観を持っていないし、受け入れていない。
それは侵略戦争が悪いからではなく、
「有色人種が、白人様の領地を侵略した」からだった。
白人が有色人種を侵略するのは『文明化』で、劣っでいる有色人種が白人を侵略するのは『犯罪』であり、神の意向に逆らう『罪』であると、正当化した。

日本には「喧嘩両成敗」という便利な考え方もあって柔軟だが、欧米人はディベート思考で、白か黒か判定をつける。
もし日本が正しいなら、間遠っているのは欧米側となる。
だから、あらゆる手を使って、正義は自分の側にあると、正当化しようとした。

東京裁判は復讐劇であり、日本の正当性を認めることなど、最初からありえないことだった。
認めれば、自分たちの誤りを認めることになってしまう。
広島、長崎に原爆を投下し、東京大空襲をはじめ全国の主要都市を空爆して、民間人を大量虐殺した「罪」だけでなく、もっといえば、世界で侵略を繰り返してきたその正義の「誤謬」が、明らかにされることがあっては、けっして、ならなかった。
それが、連合国の立場だった。

・・・

この五〇〇年の世界史は、白人の欧米キリスト教諸国が、有色民族の国を植民地支配した壮大なドラマでした。
そのなかにあって、日本は前例のない国でした。
第一次世界大戦の彼のパリ講和会議で、日本は人種差別撤廃を提案したのです。

会議では各国首脳が、国際連盟の創設を含めた大戦後の国際体制づくりについて協議しました。
人種差別撤廃提案が提出されると、自家主義のオーストラリアのヒューズ首相は、署名を拒否して帰国すると言って退室しました。

議長であるアメリカのウィルソン大統領は、本件は平静に取り扱うべき問題だと言って日本に提案の撤回を求めました。

山本権兵衛内閣で外務大臣も務めた日本代表団の牧野伸顕男爵は、ウィルソン議長に従わず採決を求めたのです。

イギリス、アメリカ、ポーランド、ブラジル、ルーマニアなどが反対しましたが、出席16カ国中11カ国の小国が賛成し、圧倒的多数で可決されました。
しかしウィルソン大統領は「全会一致でない」として、この採決を無効としました。
牧野は多数決での採択を求めましたが、議長のウィルソン大統領は
「本件のごとき重大な案件は、従来から全会一致、少なくとも反対者なきによって議事を進める」
としました。

人種差別撤廃提案が11対5の圧倒的多数で可決されたにもかかわらず、ウィルソン大統領はこの議決を葬りました。
今日の文明世界では、ありえないことです。
いま、アメリカの大統領は黒人ですが、当時ではそのようなことは、まったく考えられないことでした。
日本人も白人ではなく有色民族です。
同じ有色民族として誇りある日本人は、白人の有色民族への暴虐を看過することができなかったのです。

インドネシアにも、触れておきましょう。
インドネシアの植民地支配は、一五九六年にオランダが艦隊をインドネシアに派遣したことに始まります。

オランダの三五〇年以上に及ぶ植民地支配に終止符が打たれたのは、一九四二年の日本軍の進攻によるものでした。

インドネシアには白馬に跨る英雄が率いる神兵がやっできて、インドネシアの独立を授けてくれるという伝説がありました。
日本軍の進攻は、伝説の神兵の到来を思わせました。
日本兵は、神話の軍隊であったのです。

ジョージ・カナヘレは『日本軍政とインドネシア独立』という著書で、日本の功績として次の四点を掲げでいます。

1.オランダ語、英語の使用を禁止。
これにより公用語としてインドネシア語が普及した。

2.インドネシア青年に軍事訓練を施した。
これにより青年が厳しい規律や忍耐、勇猛心を植え付けられた。

3.オランダ人を一掃し、インドネシア人に高い地位を与え、能力と責任感を身につけさせた。

4.ジャワにブートラ(民族結集組織)や奉公会の本部を置き、全国に支部を作り、組織運営の方法を教えた。

日本は第二次大戦でアジアの国々を侵略したとされますが、どうして侵略する国が、侵略された国の青年に軍事教練を施すのでしょう。
彼らの精神力を鍛え、高い地位を与え、民族が結集する組織を全国につくり、近代組織の経営方法を教えることがあるでしょうか。

この事実は、侵略したのが日本でなかったことを証明しています。
日本はアジアの国々を独立させるあらゆる努力を惜しまなかった。
では一体、どこからの独立でしょうか。
もちろん、アジアの国々を侵略していた白人諸国の支配からの独立です。

ジャカルタの中心にムルデカ広場があります。
ムルデカはインドネシア語で「独立」を意味します。
独立の英雄ハッタとスカルノの像とともに、高さ三七メートルの独立記念塔が立っています。
地下一階には、独立宣言の実物が納められています。
ハッタとスカルノが直筆でサインをしています。
そこに独立の日が『一七・八・〇五』とハッキリ書かれています。
一七・八は八月十七日の独立の日を示しています。
インドネシア人はイスラム教徒ですが、この『〇五』は、日本の「皇紀」です。

一九四五年は日本の「皇紀」では二六〇五年にあたるのです。
初代の天皇である神武天皇が即位して建国をした時から数えた年です。
ハッタとスカルノは日本に感謝して皇紀を採用したのです。
インドネシア独立の生みの親は日本だったのです。
だから二人はインドネシアの独立宣言の独立の日を、日本の「天皇の暦」によって祝福したのでした。

皆さん、こうした西欧の五〇〇年に及ぶ植民地支配は世界中で広く認知されたことであります。
われわれは今日、植民地支配の禍の終焉をこうしでここに集い祝福しています。

●『連合国戦勝史観の虚妄/あとがき』
今日、靖国神社の境内に、インドのパル判事を顕彰して、銅板の胸像が設置されている。
パル判事は東京裁判において、ひとりだけ「日本無罪論」の判決書を提出したことで、日本において有名だ。
ところが、海外ではパル判事とその判決書について、ほとんど知られていない。
だが、もし、パル判事が存在しなかったとすれば、日本において東京裁判が不法きわまるものだったという見方が、広まることはなかったはずである。
パル判事がいなかったとしても、東京裁判が邪な報復劇でしかなかったことは、明白であるはずなのだが……

この裁判で、日本は侵略国として裁かれたが、裁判が進行しているあいだに、イギリス、フランス、オランダの諸国軍が、日本が解放した旧植民地を、再び植民地として領有しようと企てて、侵略戦争を戦っていた。
アジア人は日本によって覚醒されていたから、独立を守るために立ち上がって勇敢に戦った。
この事実一つだけとっても、東京裁判が不正きわまるものだったことが、わかる。

先の大戦の「戦勝国史観」は、歴史をあざむいており、日本は侵略国家ではなかった。
日本は数百年にわたった西洋による支配から、アジアを解放した「アジアの光」だった。

いわゆる「南京大虐殺」や「慰安婦」問題はいわれのない非難こうむを蒙っている。
南京事件、慰安婦問題について、日本から正しい情報が発信されることが、ほとんどないのに加えで、今日でも日本の一部の学校教科書に載っているために、外国人を説得することが難しい。

「戦勝国史観」は、有色人種を蔑視した白人優位主義から、発している。
それなのに、日本国民の多くの者が、なぜ、そのような史観を信じでいるのか。
白人は日本が先の大戦で、西洋の覇権を覆すことによって、アジア・アフリカが解放汚れるまで、有色人種を人間以下の下等な存在として見下し、さげすんでいた。
それは、酷いものだった。
トルーマン大統領は、広島、長崎に原爆を投下した直後に、笑みを浮かべながら、ホワイトハウスで閣僚に対して、
「獣を相手にする時には、獣として扱わなければならない」
と発言したことが、記録されている。
このような態度は、トルーマン大統領だけに限らず、欧米諸国民の圧倒的多数によって、共有されていたものだった。

日本がアジアを解放し、その高波がアフリカ大陸も洗って、今日の人種平等の世界が招き寄せられたが、日本が大戦を戦った結果として、人類史にまったく新しい時代がひらかれたのだ。




この『英国人記者が見た連合国戦勝史観』には出版後、
スッタモンダがあった・・・



■『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』に関する各社報道について


◆南京虐殺否定を翻訳者が無断加筆 ベストセラーの著者が修正要求
産経新聞 2014.5.9

米ニューヨーク・タイムズ紙の元東京支局長が、ベストセラーの自著「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)で、日本軍による「『南京大虐殺』はなかった」と主張した部分は、無断で翻訳者が書き加えていたことが8日明らかになった。

英国人の著者ヘンリー・ストークス氏は共同通信に
「後から付け加えられた。
修正する必要がある」
と述べた。
翻訳者の藤田裕行氏は加筆を認め
「2人の間で解釈に違いがあると思う。
誤解が生じたとすれば私に責任がある」
と語った。

同書は
「歴史の事実として『南京大虐殺』は、なかった。
それは、中華民国政府が捏造したプロパガンダだった」
と記述している。

だがストークス氏は
「そうは言えない。
(文章は)私のものでない」と言明。
「非常に恐ろしい事件が起きたかと問われればイエスだ」
と述べた。


◆南京虐殺否定を翻訳者が無断加筆  「私に責任がある」と藤田氏
藤田裕行氏の話
「この本は私がストークス氏を約170時間インタビューし、最終的に彼がこう言っていると思った部分をまとめた。
(行き過ぎがあったと)今はそう思う。
2人の間で解釈に違いがあると思う。
誤解が生じたとすれば私に責任がある。
ただ「南京大虐殺」とかぎ括弧付きで表記したのは、6週間で30万人が虐殺され2万人がレイプされたという、いわゆる「大虐殺」はなかったという趣旨だ。
より詳しい英語版を出版し、その内容を踏まえて日本語の改訂版を検討する」
(共同)

◆南京虐殺否定を無断加筆 ベストセラーの翻訳者 
共同通信 2014/05/08 

米ニューヨーク・タイムズ紙の元東京支局長が、ベストセラーの自著「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)で、日本軍による「『南京大虐殺』はなかった」と主張した部分は、著者に無断で翻訳者が書き加えていたことが8日明らかになった。

英国人の著者ヘンリー・ストークス氏は共同通信に「後から付け加えられた。修正する必要がある」と述べた。
翻訳者の藤田裕行氏は加筆を認め「2人の間で解釈に違いがあると思う。誤解が生じたとすれば私に責任がある」と語った。

同書はストークス氏が、第2次大戦はアジア諸国を欧米の植民地支配から解放する戦争だったと主張する内容。

「歴史の事実として『南京大虐殺』は、なかった。
それは、中華民国政府が捏造したプロパガンダだった」
と記述している。

だがストークス氏は
「そうは言えない。(この文章は)私のものでない」
と言明。

「大虐殺」より「事件」という表現が的確とした上で「非常に恐ろしい事件が起きたかと問われればイエスだ」と述べた。

藤田氏は
「『南京大虐殺』とかぎ括弧付きで表記したのは、30万人が殺害され2万人がレイプされたという、いわゆる『大虐殺』はなかったという趣旨だ」
と説明した。

だが同書中にその説明はなく、ストークス氏は「わけの分からない釈明だ」と批判した。

同書は昨年12月に発売、約10万部が売れた。
ストークス氏単独の著書という体裁だが、大部分は同氏とのインタビューを基に藤田氏が日本語で書き下ろしたという。

藤田氏は、日本の戦争責任を否定する立場。
ストークス氏に同書の詳細な内容を説明しておらず、日本語を十分に読めないストークス氏は、取材を受けるまで問題の部分を承知していなかった。

関係者によると、インタビューの録音テープを文書化したスタッフの1人は、南京大虐殺や従軍慰安婦に関するストークス氏の発言が「文脈と異なる形で引用され故意に無視された」として辞職した。



◆著者の見解を版元が発表! 〈南京〉無断加筆問題で新展開…
2014.5.10
米ニューヨーク・タイムズ紙 元東京支局長が、
日本軍による「『南京大虐殺』はなかった」と自著で主張した部分は、
翻訳者による無断加筆だったとして、修正を求めていると伝えた共同通信の報道について、
出版元の祥伝社は9日、これを否定する「著者の見解」を発表した。

元東京支局長は共同通信の取材に対し
「(翻訳者に)後から付け加えられた。
修正する必要がある」
と明言していたが、

「著者の見解」では
「記事は著者の意見を反映しておらず誤り」
と指摘している。

共同通信社総務局は
「翻訳者同席の上で元東京支局長に取材した結果を記事化したものです。
録音もとっており、記事の正確さには自信を持っています」
としている。


◆『著者の見解』
『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』に関する各社報道について
株式会社 祥伝社 平成26年5月9日

当該書の各社報道について、問い合わせをいただいておりますが、
あらためて著者の見解を確認したところ、以下のようなものでした。
著者からのメッセージを、ここに掲載します。

1. 共同通信の取材に基づく一連の記事は、著者の意見を反映しておらず、誤りです。

2. 「(南京)虐殺否定を無断加筆 ベストセラー翻訳者」との見出しも、事実ではありません。

3 著者と翻訳者の藤田裕行氏との間で、本の内容をめぐって意思の疎通を欠いていたとの報道がありますが、事実と著しく異なります。

4. 共同通信は、1937年12月に南京で起きた事に関する第5章の最後の2行の日本語訳が著者の見解を反映していないと報じてます。
共同通信は、問題を針小棒大にしています。
著者の見解は、
「いわゆる『南京大虐殺』はなかった。
大虐殺という言葉は、起きた事を正しく表現していない。
元々、それは中華民国政府のプロパガンダだった」
というものです。

5. 本書に記載されたことは、すべて著者の見解です。
祥伝社と著者は、問題となっている二行の記述についても訂正する必要を認めません。


★版元が発表した「著者の見解」全文
http://www.shodensha.co.jp/kokuchi/kokuchi.pdf





■「南京虐殺はなかった」 書籍めぐる議論が混迷/英国人著者が弁明


ウォール・ストリート・ジャーナル
2014/05/23


日本軍が1937年に南京で中国人を虐殺した事実はないと論じた「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」の著書ヘンリー・ストークス氏(75)は、その内容は正しいとあらためて強調した。
この著書をめぐっては、翻訳・編集したチームがストークス氏の許可なく内容に加筆したのではないかとの疑問が報道がされている。

ストークス氏はニューヨーク・タイムズやフィナンシャル・タイムズの東京支局長を務めた在日50年のベテラン英国人記者。
同氏は今週ユーチューブに投稿された動画のインタビューで、日本でベストセラーとなったこの著書の内容を「全面的に把握」していると述べた。

この著書(英語のタイトルは「Falsehoods of the Allied Nations’ Victorious View of History as Seen by a British Journalist」と訳されている)は2013年末に出版されて以来10万部を売り上げており、中国や韓国との緊張が高まるなか、日本におけるナショナリズム的な色彩の強い書籍のミニブームに乗って人気を集めている。

ストークス氏は日本語での執筆能力に限界があるため、1人の翻訳者と協力して執筆した。
共同通信によると、この翻訳者がストークス氏が自称「中道右派」の政治的見解を語った170時間のインタビューをもとに編集されている。

ストークス氏は動画で「私は、日本軍によるいわゆる南京虐殺は起こらなかったと言っているのだ」とし、
「これについて私は強い主張を持っている。
この件について誰からも嘘つき呼ばわりされたくない。
この内容については自分の存在をかけている」
と述べた。

南京で1937年に起きた出来事についてストークス氏は「あちこちで散発的に起きた暴力行為」であり、「虐殺」というより「事件」と呼ばれるべきだと指摘した。

パーキンソン病を患うストークス氏は6分のインタビューの間、椅子に前屈みに座り、カメラを直視せず、下を向いていた。
言葉はゆっくりだが明快だった。

この本をめぐる議論は、共同通信が今月、日本語に不自由なストークス氏が自分の本に書かれていることを認識していなかったと報じたことで注目を浴びた。
共同との一連の取材で、ストークス氏は、中国政府が南京虐殺をでっち上げたというこの本の結論に「ショックを受け震え上がった」と述べ、そうした主張は「紛れもなく右翼のプロパガンダだ」と語った。
共同通信はストークス氏がこの翻訳者に内容の訂正を要求したと報じた。
しかし、ストークス氏はその直後、著書の出版社である祥伝社を通じて声明を発表し、共同の報道を否定。
「いわゆる南京虐殺は起こらなかった」という一節を含め、本の内容を支持すると明言した。

本の編集にあたった祥伝社の角田勉氏は、ストークス氏とは何年もの知己で、ストークス氏の戦争問題に対する見方は「一貫している」と述べた。
角田氏によると、そうした見解が本に記され、共同の記事が出た後に、著者自身によってコメントや動画を通じて表明されていると指摘した。

動画のインタビューは、産経新聞の元記者が運営している日本報道検証機構によって行われた。
ストークス氏の否定に対して、共同通信は声明で「当社の記事が正確であると確信」しているとし、ストークス氏と著書の翻訳者である藤田裕行氏のインタビューの録音記録を持っていると述べた。

あるフリーランスの女性記者が書いた記事も、この本をめぐる疑問を高めている。
ストークス氏の著書の英語版に向け、インタービューの会話録を作成する仕事をしていたこの記者は、藤田氏が自分の見解に合わせるためインタビューを操作していると感じたため、その仕事から身を退いたという。

このフリーランス記者であるアンジェラ久保氏は藤田氏に書簡を送り、
「インタビューの収録内容の一部についてますます不快になった。ストークス氏は言ってもいないことを言ったと言われているようで、このインタビューは彼の本当の意見や考えを反映していない」
と述べた。

翻訳者がインタビューを操作したとの久保氏の主張について、角田氏は久保氏が自分が辞める前に、ストークス氏のインタビュー記録の「わずか一部」を聞いただけだと指摘。
それだけではストークス氏の発言の意図を完全に反映しているか判断をするのに十分でないと述べた。

共同に記事の訂正を求めるかの問いに、ストークス氏は「私と同じチームでない人に訂正を求めるのには、かなり気が乗らない」と答えた。
ストークス氏は、WSJとの個別の取材の要請には応じなかった。

原文(英語):Veteran Japan Scribe Defends Denial of Nanjing Massacre
http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2014/05/23/veteran-japan-scribe-defends-denial-of-nanjing-massacre/



「南京大虐殺なかった」と無断加筆?  翻訳者が反論


日刊SPA!2014.5.14

◆著書に『南京大虐殺なかった』と無断加筆……
そんな扇情的な見出しがネット上で拡散したのは、先週5月8日のことだった。
記事配信のソースは共同通信。
米フィナンシャル・タイムズ紙やニューヨーク・タイムズ紙の東京支局長を歴任したヘンリー・S・ストークス氏が上梓し、現在ベストセラーとなっている『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)の中にある一部記述を巡って、著者である同氏の許諾なく、翻訳者が「『南京大虐殺』などなかった」と無断で加筆したとする糾弾記事だった。

槍玉に挙げられた「翻訳者」、藤田裕行氏は、外国特派員協会所属の国際ジャーナリストでもある。
共同通信の取材に対し藤田氏は、
「『南京大虐殺』とかぎ括弧付きで表記したのは、30万人が殺害され2万人がレイプされたという、いわゆる『大虐殺』はなかったという趣旨だ」
と説明しているものの、著者であるヘンリー・S・ストークス氏は
「『わけの分からない釈明だ』と批判した」
と書かれている。

額面通りに受け取れば、著者の意向を無視した翻訳スタッフの暴挙と取られても仕方のない話だが、不思議なことに記事の出た翌日9日には、今度は出版元から著者であるストークス氏の名で
「(無断で加筆したとする)一連の記事は誤り」であり、
問題とされた記述についても
「訂正する必要を認めません」
と、今回の報道を全面否定する見解が出されたのだ。

なぜこのような事態になっているのか。
今回の改ざん疑惑の当事者である藤田裕行氏が話す。

「共同が配信したのは、明らかに意図的なねつ造記事です。
今回の記事では、当該書籍の第5章の最後の、特にラスト2行に問題があるといった書かれ方をしましたが、全編を読んでもらえれば誰にでも納得してもらえる書き方をしており、悪意のある虚報としか言いようがありません」

実際に問題とされている
「第五章 蒋介石、毛沢東も否定した『南京大虐殺』」
の最後の一文を以下に引用してみよう。

<国際委員会の報告によれば、南京に残っていた人口は、南京戦の時点で20万人だった。
しかし、南京が陥落してから人口が増え始め、翌一月には、25万人に膨れ上がった。
戦闘が終わって治安が回復されて、人々が南京へと戻ってきたのだ。

このことからも、「南京大虐殺」などなかったことは、明白だ。歴史の事実として「南京大虐殺」は、なかった。
それは、中華民国政府が捏造した、プロパガンダだった。>

繰り返しになるが、今回の記事には、
「30万人が殺害され2万人がレイプされたという、いわゆる『大虐殺』はなかった」
とする藤田氏の弁明が掲載されているのだが、このコメントの直後、
「(そうは言っているものの ※編集部註)同書中に説明がない」
と斬り捨てている。

だが、本書を丹念に読み返してみても、記者が「説明がない」と主張する根拠は、膨大な資料の引用とともに随所で触れられており、よほど偏った読み方をしなければ、ヘンリー・S・ストークス氏が、そもそも南京で起こった歴史的真実を論じる際、「大虐殺」という表現を使うべきではないと考えていることは容易に窺い知れるのだ。
藤田氏が続ける。

「インタビューがはじまったときから、ストークス氏は日本語の意味を誤解して質問に答えていました。
取材後に彼の誤解を解き、すぐ担当記者にメールでストークス氏の英文の見解も送っています。
見解は、9日に出版社が出したものと同様の内容ですが、8日の共同通信の記事配信がされる前に出しているのです。
取材をした日本人記者は、
『まだニュースは配信していません。
藤田さんの意向は了解しました』
と電話で言明した。
それにもかかわらず、それらをすべて無視して記事を配信させた罪は重い。
これは、著者のストークス氏を陥れたも同然の捏造報道だ」

問題となっている本書のまえがきには、こんな一文がある。

<いま国際社会で「南京大虐殺がなかった」と言えば、もうその人は相手にされない。
ナチスのガス室を否定する人と同列に扱われることになる。
これは厳粛なる事実だ。
だから慎重であらねばならない。>
※同4頁から

著者であるヘンリー・S・ストークス氏は、繰り返しこの自らのスタンスを繊細に、かつ旗幟鮮明に述べており、それでも、
「日本が日本の立場で、世界に向けて訴え続けていかなければ、これは歴史的事実として確定してしまう。
日本はこれまで、こうした努力が異常に少なかった」
と警鐘を鳴らしている。

今回の共同通信の第一報を受け、中国系メディアは、ここぞとばかりに
「日本の翻訳者が『右翼宣伝』」(Record China)、
「誰かの発言のように装って主張するのは卑怯だ」(環球時報)
などと報じている。

ここ数年、日々 “ジャパン・ディスカウント運動” に精を出すかの国に対し、一矢報いる問題提起としてはうってつけの本であったため、このような騒動になってしまったことが残念でならない。



「ほら、ごらん。
あなた方は朝日新聞ばかりを責めるけど、よそもやってるでしょ。
新聞なんか、ある程度のプロットありきで書かないと記事にならないんだよ。
わかるでしょ。
だから、読む側が、どう判断するか、
こう読みたいと思えば、こう読めるし、そう読みたいと思えば、そう読める。

朝日新聞を読んでくれる読者は、こういう記事を読みたいと思って読んでくれてるんだから、その期待に応えるのも、記者の務めなんですよ。」

という、朝日新聞記者の声が聞こえてきそうな、
問題となった去年の、
かの『吉田調書』記事がまだ出る前、左翼記者にとっては平和だった頃の、
捏造記事。

右翼は左翼のいうことをデタラメといい、
左翼は右翼のいうことをデタラメという不毛な論争。

ただ、このように、
左翼は〝捏造で右翼の主張を潰そうとする〟傾向が顕著なようだ。


共同通信社総務局
「翻訳者同席の上で元東京支局長に取材した結果を記事化したものです。
録音もとっており、記事の正確さには自信を持っています」

藤田裕行氏
「インタビューがはじまったときから、ストークス氏は日本語の意味を誤解して質問に答えていました。
取材後に彼の誤解を解き、すぐ担当記者にメールでストークス氏の英文の見解も送っています。
見解は、9日に出版社が出したものと同様の内容ですが、8日の共同通信の記事配信がされる前に出しているのです。
取材をした日本人記者は、
『まだニュースは配信していません。
藤田さんの意向は了解しました』
と電話で言明した。
それにもかかわらず、それらをすべて無視して記事を配信させた罪は重い。
これは、著者のストークス氏を陥れたも同然の捏造報道だ」

ストークスが執筆し、伝えたかったその思いとは裏腹な、
「ストークス氏も『南京大虐殺』があったことを認めている」的な話が伝播することに、またも成功した一例。

捏造記者は、その効果が浸透するまで、おいそれと捏造とは認めない。
真実の賞味期限の切れるそのときまで、
そんなことを求めてもムダ。
ただ、
受けとる側が、二度とココにはダマされまいぞ、としっかり腹に思えばいいだけのことだ。


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