維新の会:分党へ
「両代表の食い違い」棚上げのツケ回り毎日新聞 2014年05月28日日本維新の会の分党は、橋下徹共同代表に近い大阪系と石原慎太郎共同代表の旧太陽の党系が当初から抱えていた憲法観や原発政策など根本的な部分での溝が限界を超えたためだ。自民党の1強状態が続き、野党の存在感が薄れるなかで野党再編という課題に直面し、矛盾を乗り越えられなかった。橋下氏と石原氏の発信力の相乗作用を優先して食い違いを棚上げしてきたツケが最終的に回ってきた。「石原氏はもう気を使ってまでグループを作っていくことにお疲れになったのかと思う」。維新の松井一郎幹事長は記者団にこう語り、石原氏ら旧太陽の党系との調整に明け暮れた党運営を振り返った。太陽系の一人も「すっきりしてすがすがしい気持ちだ」と漏らす。大阪系も旧太陽系も合流から絶え間なく続くゴタゴタに疲れていた。今回の分裂の原因となっった憲法観の違いも以前からだ。2013年3月に承認された党綱領では、石原氏の要求で「絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正」するとの復古調の表現が記載されていた。橋下氏が「修飾語だ。(選挙の際に)惑わされなくてもいい」と説明すると、石原氏は「大阪の本家は寝ぼけている」と批判した。それでも、これまでは橋下、石原両氏の個人的な信頼関係で決定的な亀裂を回避してきた。トルコなどへの原発輸出を可能とする原子力協定で、石原氏が党の反対方針に従わない姿勢を示した際は橋下氏と石原氏がたびたび協議。石原氏が譲歩し、採決を欠席するにとどめた。今回の会談でも石原氏は橋下氏に「橋下さんのことは好きだ」と語りかけた。橋下氏は会談前に松野頼久・国会議員団幹事長に「会談はうまくいく」と伝えていた。しかし、石原氏がこだわる「自主憲法制定」が、橋下氏の目指す野党再編の第一歩である結いの党との合流の障害となったことが、決定的な要因となった。橋下氏は24日夜に京都市内で結いの江田憲司代表と会談。江田氏が「自主憲法」に反対する姿勢を変えないことを確認していた。橋下氏は大阪都構想実現のカギとなる大阪府議選、大阪市議選が行われる来年の統一地方選に向けて、野党再編を維新の求心力回復の起爆剤とする必要があった。石原氏か、野党再編かという選択を迫られた橋下氏は「野党再編」を選んだ。【葛西大博、阿部亮介】
維新分党、石原氏ら新党
橋下氏了承、結い合流で決裂産経新聞 5月29日(木)
日本維新の会の石原慎太郎共同代表は28日、名古屋市内で橋下徹共同代表(大阪市長)と会談し、橋下氏が主導する結いの党との合流に反対だとして分党を申し出た。橋下氏も了承した。石原氏は離党し、新党を結成する。自民党などに対抗する「第三極」を目指した維新は憲法観の違いなどを克服できないまま、約1年半で分裂することになった。◇会談は石原、橋下両氏だけで約20分間行われた。石原氏は、橋下氏らが目指す今夏までの結いとの合流について「自主憲法制定を認めない政党と一緒になることはできない」と党を割ることを提案し、橋下氏も受け入れた。石原氏は会談後、東京に戻り、平沼赳夫国会議員団代表らと対応を協議。新党を結成することを確認した。29日に記者会見を開き、経緯を説明する。維新所属の国会議員は衆参あわせ計62人。このうち石原氏とは、平沼氏ら旧太陽の党系を中心に少なくとも15人以上が行動をともにするとみられる。一方、橋下氏は今後、結いをはじめ民主党なども巻き込んだ野党再編を加速する考えだ。維新は橋下氏が代表を務める地域政党「大阪維新の会」を母体に平成24年9月に発足。同年11月、石原氏率いる太陽の党(当時)と合流。同年12月の衆院選では54議席を獲得し、自民、民主両党に次ぐ勢力となったが、その後、憲法や原発政策などをめぐる党内の政策の対立が表面化していた。
37歳の年齢差があり、「親子のような関係」とみられていた橋下徹、石原慎太郎両共同代表。だが、野党再編を急ぐ橋下氏と、「自主憲法制定」にこだわった石原氏の溝は埋まらず、ついにたもとを分かつことになった。「寂しい。僕は橋下君が好きだったからね。彼と会えたのは人生の快事だったよ」橋下氏との名古屋市での会談を終えて帰京した石原氏は28日夜、周囲にこう語った。石原、橋下両氏の関係について、維新幹部は「他人にはうかがいしれない感情のつながりがある」と感じてきたという。石原氏らの太陽の党が平成24年11月に維新に合流したのも、「橋下君にほれた」という石原氏の思いが大きかった。それでも乗り越えられなかった壁は何か。「大阪都構想」が進展しない中、来年春の統一地方選を控えた橋下氏には焦りがあった。選挙戦に向けてすでに走り出している地方議員は、野党再編の実現を見越し、他党との具体的な選挙区調整に入る段階にさしかかっていた。
橋下氏は「憲法改正も自主憲法制定も変わりない」と再三にわたり石原氏を説得した。だが、石原氏は28日の会談でも「国政に戻ったのは自主憲法制定を実現するためだ」と重ねて強調。結いの党との合流を理由に旗を降ろすことはできなかった。実は分裂の気配は28日の会談前からあった。石原氏は橋下氏との会談に園田博之国会議員団幹事長代理を同席させる予定だった。だが、橋下氏は石原氏1人だけで来るよう要請。橋下氏の説得に石原氏が折れる可能性を察知した石原氏に近い桜内文城衆院議員ら若手8人は28日、石原氏と行動をともにすることを誓約した「寄せ書き」を託した。その中心には「日の丸」があしらわれていた。「別々の道を歩んでいこう」
2人の道が再び交差する余地はなく、石原氏はこう言って固い握手で橋下氏と別れた。(酒井充)維新、分裂!
橋下氏、石原氏合流から1年半、ついに「別れの時」スポーツ報知 5月29日(木)
日本維新の会の分裂が事実上、決定した。橋下徹共同代表(44)は28日、石原慎太郎共同代表(81)と名古屋市内のホテルで会談し、分党する方針で合意した。維新は4月26日の執行役員会で、結いの党と夏までに新党結成を目指す方針を確認。石原氏は憲法観の違いなどから結いとの合流に反対しており、溝が埋まらなかった。2012年11月に石原氏の「太陽の党」が維新に合流してから1年半。ついに「別れ」の時が訪れた。「たもとを分かっていこう。別々の道を歩んでいこう」―。この日行われた約20分の会談でそう話しかけた石原氏に、橋下氏は「分かりました」と応じた。2012年11月の、両者の合流から1年半。意見の対立を続けながらも、つかず離れずを続けた“夫婦”が、ついに“離婚”を決断した瞬間だった。終了後、橋下氏は報道陣の問いかけに厳しい表情で無言を貫いた。維新幹事長の松井一郎大阪府知事はこの日、府庁で「『慎太郎節』で行きたいなら、無理やり引き留めない」と橋下氏の気持ちを代弁。分党後の対応については「橋下氏と相談しながら決める」と述べるにとどめた。別れの原因は、今夏の合流が確実な「維新」と「結いの党」の合流構想だった。1月中旬には橋下氏と、結いの党の江田憲司代表(58)が会談。両党の合流を事実上決め、協議をスタートした。関係者によると、この時点で政策面で大きな隔たりがある石原氏の排除も視野に入れていたという。両党は今月21日、政調会長レベルで7項目の共通政策案で合意。憲法については「憲法改正による統治機構改革」と表現した。これに対し、石原氏は「自主憲法制定」を明記するよう要求。結いの党が「現行憲法の破棄を意味し、野党再編の障害になる」と拒否した。そもそも石原氏は当初から結いの党を「護憲政党」と決めつけ、関係者に「自主憲法の制定を認めない政党と一緒になることはない」と漏らしていた。合流へのアレルギーを隠そうとせず、我が道を行く石原氏の態度に、維新内でも公然と反発する議員も目立ち始めた。3月、維新の会合で「脱原発」である党の方針と違う持論を述べた石原氏に向けて、ある議員が「出て行けよ」とヤジを飛ばした。党内でも孤立しつつあった石原氏。分党を決断するのは時間の問題だった。今回の分裂劇で、野党の政界再編が加速することは確実だ。維新所属の国会議員は衆参合わせて62人。関係者によると、そのうち“石原派”は20人ほど存在し、そのうち実際に石原氏と行動を共にするのは10~20人程度という。また“合流派”は民主党やみんなの党の一部を取り込むことも視野に入れており、政策の違う石原氏という存在がいなくなったことで「合流したい議員」によりアピールしやすくなった。石原氏はこの日の会談後、側近議員らと都内で会談。新党を結成する方針で一致した。29日に記者会見し、一連の経緯を説明する予定だ。東国原英夫氏(昨年12月に維新を離党)「もっと早く分党すべきだった。『だから言ったでしょ』というのが本音だ。私が“1人分党”したのも、旧太陽の党との価値観の違いを最後まで埋められなかったから。橋下さんと石原さんは蜜月関係にあったが、やはり結いの党との合流を前に、憲法観の違いが大きなネックになったのだろう。石原さんらは憲法改正どころか、現行憲法の廃棄、自主憲法の制定を主張している。そのままでは民主、みんなの議員も合流できない。橋下さんは野党再編を目指す上で苦渋の決断を下したと思う」
維新分裂へ
「牛若丸」と「弁慶」の関係一変…憲法観の違い埋まらず産経新聞 5月29日(木)
「この人は源義経、牛若丸で、私は彼にほれた弁慶」。旧太陽の党と日本維新の会が合併した平成24年11月17日、日本維新の会代表に就任した石原慎太郎氏は大阪市内の記者会見場で橋下徹氏に笑顔をむけていた。石原氏を日頃から「御大」と慕っていた橋下氏も照れた様子をみせ、「石原氏は最強のリーダー」と称えた。橋下氏はこの年の夏、政策と理念で一致していたみんなの党との合流を模索したが、双方が相手方の吸収をもくろみ破談。選挙の準備が十分に整わないまま11月の電撃的な衆院解散を迎え、企業・団体献金の扱いや原発政策などで路線が違っていた旧太陽を合併のパートナーに選んだ。他党から「政策はちゃんぽん」など野合批判にさらされながらも、橋下氏は「決められる政治集団」を強調。当初は代表の座を石原氏に譲り、自らは代表代行に就くなど党内の結束維持に腐心してきた。だが、旧太陽系と大阪系の摩擦は絶えなかった。石原氏は大阪系の“信条”ともいえる多数決による決定に「高校の生徒会」などと苦言。今年3月の党会合では、トルコなどに原発輸出を可能とする原子力協定に「反対」とする党方針に異議を唱えていた石原氏に対し、大阪系の国会議員が「党から出て行ったらいい」とかみついた。そして今回の結いの党との合流協議。4月26日の執行役員会で夏までの新党結成を目指す方針を確認したにもかからず、石原氏は自主憲法制定にこだわり、結いとの合流に反発した。「結いと石原さんはうまくいかない。別れるしかない」。大阪の地方議員は橋下氏の胸の内をそう見ていたが、橋下氏は今月21日夜に石原氏と名古屋市内で会談するなどギリギリまで説得を試みていた。「石原さんを含めた維新も悪い。文言にこだわって野党再編がおじゃんになったら国会議員の責任だ」。今月23日には市役所での囲み取材で強いメッセージを送ったが、石原氏には届かなかった。2人を破局へと導いた憲法観の違い。昨年6月26日の党代議士会で、自主憲法制定を掲げる石原氏が憲法改正論者の橋下氏を批判した言葉は約1年後の決裂を暗示していたかのようだ。「大阪の本家は憲法について寝ぼけたことを言っている。これでは話しにならない」
維新分裂へ 「2頭制は失敗する」「原点に戻るべき」
…関西経済界は冷静反応産経新聞 5月29日(木)
日本維新の会の分裂に対し、関西経済界は「予想通り」(財界幹部)と冷静な反応を示している。「当初から、橋下徹氏と石原慎太郎氏はすれ違いが続いていた」(関西経済同友会の関係者)との見方が強かったからだ。財界からは橋下氏に対し「もう一度原点に戻り、大阪の再生に全力投球すべきだ」との声もあがる。「石原氏との合流は、うまくいかないと思っていた」。経済界の応援団「経済人・大阪維新の会」に名を連ねる大阪市内の機械メーカー首脳は話す。「同じ方向を向いているようで、スタンスが違う。会社経営に『共同社長』なんてない。2頭制は必ず失敗する」と話す。大阪商工会議所の首脳も「原発政策などで意見が違っており、無理があった」と分析する。橋下氏が政界に打って出たときは、関西経済界でも支援する動きはあった。ただ、その後の政策の進捗や、3月の出直し市長選など橋下氏の手法に対する疑問も強く、橋下氏への熱気は冷めつつあるなかでの分裂騒動。維新勢力の求心力が低下すれば「市営地下鉄民営化や府市の水道事業統合などの改革は頓挫するのではないか」(大商関係者)との懸念もあがる。経済界の“橋下離れ”を加速させる可能性もある。経済人・大阪維新の会の発起人も務めた環境関連メーカー首脳は「共同代表になったころから政界での小細工が多すぎたのでは。大阪を立て直すという、当初の意気込みをもってほしい」と注文する。
維新分裂へ 大阪維新議員は歓迎も
「結婚は簡単やけど、離婚は難しい」との声も産経新聞 5月29日(木)
「これで原点に戻った」。日本維新の会が分党する方向となったことを受け、傘下の地域政党「大阪維新の会」所属の地方議員らは、おおむね歓迎ムードをみせた。「(旧太陽の党と維新の)合流時に有権者が感じた違和感が解消される」。維新大阪府議団の青野剛暁代表は「原点回帰で、統一地方選も府民にとって分かりやすくなる」と期待感すらにじませた。来年4月の統一地方選で行われる大阪府議選、大阪市議選は、維新が実現を目指す大阪都構想にとって「ラストチャンス」ととらえられる。維新は本丸の大阪で、1年半前の衆院選で選挙協力した公明ともたもとを分かち、府市議会で四面楚歌の状態が続く。大阪維新代表の橋下徹大阪市長や幹事長の松井一郎大阪府知事は、両選挙で過半数を握り、停滞する現状を一気に打開する考えだ。だが、草創期の勢いを失った維新にとり、両選挙での勝利は容易ではない。それだけに、所属議員には有権者に旧太陽系との分裂を“維新の純化”だとアピールできるとの思いがある。ある府議は「『離れてよかった』という府民からの反応が期待できる」と話す。「あのとき太陽と合流していなければ…」。昨秋敗れた堺市長選など、大阪で維新が苦境に立たされるたびに、所属議員はため息を漏らした。国政進出のために合流した石原慎太郎氏ら旧太陽系こそが“亜流”であり、支持率低下の一因だととらえていた。しかし、有権者にとって分党はイコール「内部分裂」ととらえられ、負のイメージも与える。別の府議は「結婚は簡単やけど、離婚は難しい」と語った。
橋下氏と慎太郎氏「仮面夫婦」ついに分裂
日刊スポーツ日本維新の会が、2012年11月の「結党」から約1年半で、分裂する。共同代表を務める石原慎太郎、橋下徹両氏は28日、名古屋市で会談し、結いの党との合流話や憲法問題に対する路線の違いから、石原組と橋下組に「分党」する方針を決めた。衆院選直前、路線の違いより2人の「相思相愛」を優先して合体したが、最後は皮肉にも、ツートップの溝が埋まらなくなった。「仮面夫婦」は近く協議離婚のときを迎える。
石原氏は、橋下氏に別れを切り出す覚悟で名古屋に向かった。当初、会談は結いとの合流の前提となる共通政策に、石原氏肝いりの自主憲法制定を盛り込むか、協議する予定だった。しかし、2人が向き合ったのは20分。石原氏は「橋下さんが結いの党と組むならそれでいい。俺が(都知事から)国会にも戻ったのは、安全保障や憲法のためだ」と切り出した。「結いの党とは理念が違う。賛同できる人と党をつくる。けんか別れでなく、ここからスタートしよう。別々の道を歩こう」。こうも伝えた。「俺は君のことが好きだ」。37歳年上の石原氏を「御大」と慕う橋下氏は、「非常に尊敬しています」と応じ、会談は終わった。石原氏にとって、自主憲法制定は悲願のテーマ。しかし、橋下氏は、自主憲法制定を共通政策に盛り込むことに反発する江田憲司氏率いる結いの党と、合流を急いだ。野党再編をにらむ橋下氏にも、譲れないカードだった。石原氏は「護憲政党」と指摘する結いとの合流に、一貫して反対。維新関係者は「石原氏が持論を曲げる選択肢はなかった」と指摘する。2枚看板に生じた溝は、最後まで埋まらなかった。「私は、源義経にほれた武蔵坊弁慶。橋下さんを義経で終わらせてはいけない。頼朝にしなければ」。ともに大都市の行政を担った立場から、橋下氏の手腕を高く評価してきた石原氏。政策に路線の違いはあっても、強い「橋下愛」から、衆院選直前に維新への合流を決意。選挙後、党内で生まれた東西のきしみも2人の強い絆で繕ったが、結局路線の対立が最後まで2枚看板の足を引っ張った。同党の中田宏国対委員長代理は、BSフジの番組で「夫婦が皿を投げ合って別れるのではない。協議離婚」と表現。橋下氏に近い松井一郎大阪府知事は「石原さんもいろいろ疲れたんでしょう」と話した。維新は衆参62人の議員がいる。石原氏は今日29日、会見し、新党結成を発表する。平沼赳夫代表代行ら旧太陽の党メンバー4人のほか、一部若手ら10~15人が同調するとみられる。橋下氏には「大阪組」議員を中心に同調するとみられるが、維新を離れる議員も予想され、維新は「3分裂」の可能性も指摘されている。◆橋下、石原両氏の経過2012年衆院選で、石原氏率いる旧太陽の党が維新と合流。合流前の11月15日、石原氏は橋下氏を源義経に例え、「僕は義経にほれた武蔵坊弁慶」と述べた。
しかし、合流当初からすれ違いがあり、原発推進派の石原氏は「2030年代までにフェードアウト」の衆院選党公約に納得しないまま選挙を戦った。衆院選では54議席を獲得するも第3党止まりで、首相指名選挙をめぐり2人の意見が一時対立。
13年5月13日、橋下氏が従軍慰安婦に関して発言すると、同19日に名古屋市で緊急会談し石原氏は橋下氏に「何か言う時は事前に言って」「ツイッターはやめた方がいい」と注文。今年1月10日には、橋下氏が結いの党との政策協議に慎重な姿勢を示す石原氏に「石原さんの個人的な認識」と述べた。
3月26日には、石原氏が原発政策をめぐり見解が異なる橋下氏について「キャリアが違うのだから考え方も違う。仕方がない」と冷めた見方を示した。同時に大阪都構想について「大阪都構想ってよく分からない」と、疑問を投げかけていた。◆分党橋下、石原両共同代表が合意した「分党」は法律に明記された用語ではなく、政党助成法に基づく政党助成制度は「分割」と「分派」に分類。党が分かれた際、議員数に応じて政党交付金を分配するのが「分割」。一部議員が脱退したと位置付け分配しないのが「分派」。いずれになるかは党の届け出に基づく。
キャスト(朝日放送)
橋下:野党再編は日本のためにやらなきゃいけない事。その思いは、石原さんと同じだけれど、ちょっと、たどり方が違ってしまった。僕は石原さんが好きだし、失礼な言い方かもしれないけれど、人間的に面白い人だと。得るもの、学んだこと、まあ、そちらの方がはるかに大きくて、僕は非常に石原さんには感謝しています。石原:橋下という人物を私は非常に評価してますし、期待もしてますしね、私が彼にね、知事の時代に出会ったのが、僕の人生において、ひとつの快事だったと思ってます。ですから、彼と袂を分かつのは非常に辛いですが、仕方がない。国のために私はそういう選択をしました。彼はね、ハッキリと、「私たちが必要としてるのは、石原さん一人で、平沼さんたちは必要ないと…」まあ、随分と思い切ったことを言うなと、私もその時はハラハラしたんですが、、まあ、その時の心理的亀裂がずっと陰に陽に尾を引いてて…それが今日のこの状況になったのは否めないと思います。橋下:それは僕が先に喧嘩売られたんでね、「橋下なんかとそんなやったって…」みたいな話がワンワン出たんで、石原さん周辺から。そんなこと言われてまでやりたくないですよ、と、それはしっかり言っとかないといけないんでね。そのしこりが、ずーっと残ったって言うんであれば、僕の認識が甘かったっていうのはあるかもしれないですね。僕はすべてキレイにさっぱり、水に流れていたものだと思ってましたが、まあ、これが、尾を引いていたのであれば…しょうがないですね。平沼:(記者に)うるさい!向こう行け!ナレーション:昨日の名古屋での会談、分党を切り出したのは石原代表だった。石原:表現を譲るのにも、もう疲れたよ。キレイに党を分けよう。自主憲法制定を削るのは認められない。ナレーション:あれは一昨年のこと…まさに相思相愛だった。石原:彼に惚れたんだよ。俺は武蔵坊弁慶みたいなもんだよ。(そして今日…)石原:彼と袂を分かつのは辛いですけどね、千昌夫の歌じゃないけどね、「別れることは辛いけど、仕方がないんだ、君のため」でね…(笑)。
中央政治で後ろ盾のない橋下には、嘘でもコネが必要で、それが石原だった。
あくまで自分からでなく、ずっと我慢してたが最後は石原の方が折れて、分党を言い出した。
そういうストリーになるのを、ずっと待ってた。
橋下はイミテーションだが、本物の政治家よりよほど政治を知ってると感じる。
東国原が言ってた通りになった。
橋下をそっちに動かしたのは、江田で…
これ『サンデー・ジャポン』つながり。
来るべきして、ついに来た「分党」のけじめ。
それは「サンデー・ジャポン」シナリオから…としたら、
軽っ!(笑)