■中韓の外交を狂わせる「愚民政治」の伝統
2014.06.17 池田 信夫
日本は儒教国家とは分かり合えない
中国政府が、旧日本軍の「南京大虐殺」と「従軍慰安婦」に関する資料を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産として登録するよう申請した。
これは近く韓国を訪問する習近平国家主席の、朴槿恵大統領に対する手土産らしい。
今年初めには、中国のハルビン駅に伊藤博文を暗殺した安重根の記念館が建てられたが、これも習主席の指示だという。
政治体制も違い、かつては朝鮮戦争をした国が日本を仮想敵にして「共闘」するのは奇妙だが、同じアジア人同士でなぜ分かり合えないのだろうか。◆中韓の国民には反日感情はない
中韓の政府がいつまでもこういう嘘を繰り返すのは、国民が歴史問題に怒っているからではない。
むしろ国民に反日感情がないから、政府が焚きつけないといけないのだ。
ソウルに住む黒田勝弘氏(産経新聞特別記者)は、こう書いている。
《今や街には反日はない。
ないどころか、若者街などではカタカナやひらがなの看板が格好いいと堂々と目につくところに出ている。
[・・・]
日本とのひんぱんな往来や、その結果としての口コミ、ネットをはじめとしたメディアなどでもたらされた現実の日本情報が広範に流通している。》
(『韓国 反日感情の正体』、角川学芸出版)
中国では、もともと反日感情は強くない。
尖閣諸島をめぐって紛争が起きたときは反日デモが起こったが、あれは反日の形を取った反政府デモだった。
南京事件については、知っている人も少ない。
それでも中韓が日本を共通の敵に仕立てようとするのは、彼らが歴史的・文化的に共通点が多く、日本との距離はそれよりずっと遠いからだ。◆日本と中韓の間には深い溝がある
日本人は、白人とは文化が違うので相互理解できないと思うが、中韓は顔も似ていて同じ漢字文化圏なので分かり合えると思いがちだ。
しかし日本と彼らの文化的な違いは、白人より大きい。
アジアの中心部には広大な乾燥地帯があり、それを支配するのは遊牧民族で、古代文明の多くはこの地帯とその周辺に成立した。
彼らは常に移動しながら、暴力によって他民族を支配する。
これに対して農耕文明を守るために中国、インド、ロシア、イスラムでは軍事的な専制国家が発達した。
中国では紀元前500年ごろには秦が全国を統一し、その後は王朝が交代したが、中央集権的な専制国家という特徴は変わらなかった。
広大な版図と人口を統治するため、中国の王朝は戦争を抑止する機能に特化した。
国家を転覆しようとする勢力は弾圧するが、政治的な脅威にならない経済活動はあまり規制しない。
首都の周辺は厳重に統治するが、地方政治にはほとんど介入しない。
土地も人口も多すぎるので、西洋の国家のように他国を侵略することはほとんどなく、恭順の意を表した国は「冊封」して支配し、朝貢するだけでよかった。
中国を中心として敵(夷狄)を周辺に遠ざける華夷秩序で、長く平和を保ってきたのだ。
朝鮮はその冊封を受けた属国である。
これに対してユーラシア大陸の東西の周縁に位置する日本や西欧などの農耕地域に住む民族は、専制国家の直接支配をまぬがれ、生態系の自発的な遷移によって農業文明から工業文明に進化した。
日本は華夷秩序の周縁にいたので、中国の冊封も受けなかった。
天皇制は極めて弱い君主で、その実態はイギリスの立憲君主制に近かった。
その権力は摂政・関白や将軍に委任され、それはさらに執権や管領に……というように権力が分散され、支配者の中では民主的な政治が1000年以上続いてきた。
だから日本は、専制国家の伝統を持つ中韓より民主国家として成長した西欧圏に似ている。
非西欧圏で、日本だけが自力で近代化=西欧化を遂げることができたのは偶然ではない。◆愚民国家を相手にしないで「脱亜」を目指せ
中国の皇帝は絶対権力者と思われがちだが、それほど大きな権力を持っていたわけではない。
何しろ国が大きすぎるので、目が行き届かないのだ。
科挙で選ばれた高級官僚は3000人ぐらいで、人口10万人に1人程度だった。
税率も地方によって違ったが、5~10%程度だった。
その代わり国家は経済活動に介入せず、財産権も保証しなかった。
民衆は「宗族」と呼ばれる数万人規模の親族集団の中で商取引を行い、財産の安全も宗族の監視機能で保たれた。
紛争は宗族の中で解決され、私的な司法機関もあった。
いわば経済活動を宗族に丸投げすることで、中国は「小さな政府」を実現したのだ。
ここで秩序を維持する上で重要なのは、民衆を無知な状態に置く愚民政治である。
国の規模に対して軍事力は小さいので、民衆が団結して反乱を起こすと権力を倒すことができる。
そこで公文書は官僚が独占し、それを読み書きする能力が統治者の条件とされた。
科挙は法律ではなく、文書能力の試験だった。
民衆に読めないように漢字の種類は多く、複雑になった。
「よらしむべし知らしむべからず」という『論語』の言葉は(元は「知らせることができない」という意味だが)官僚が情報を独占する儒教の支配原理を示している。
李氏朝鮮はこうした中国の制度をまねたが、国が小さいため「大きな政府」になってしまった。
科挙で選ばれた官僚の身分は世襲されるようになり、両班と呼ばれる特権階級が国家を支配した。
19世紀には人口の48%が両班になり、今の北朝鮮のような統制経済になって自滅した。
無知な民衆の不満をごまかすために、外敵をつくるのも愚民政治の常套手段である。
中国はもちろん、韓国も民主国家ではない。
1993年まで、韓国は軍事政権だったのだ。
2000年以上も継承されてきた愚民政治の伝統が、20年ぐらいで変わるものではない。
福沢諭吉は李氏朝鮮の民主化運動を支援したが、それが清につぶされたあと「脱亜論」を唱えた。
これは国権主義として批判されたが、彼は中韓との「国のかたち」の違いを理解していたのだ。
それを知らないで「五族協和」とか「大東亜共栄圏」などというスローガンを振り回した人々がどういう結果をもたらしかたかは、言うまでもない。
日本が中韓の愚民政治を理解することはできないし、する必要もない。
彼らが民主国家になるまで、無意味な「歴史問題」は蒸し返されるだろう。
中韓が儒教を卒業するのが10年先か20年先かは分からないが、それまで日本は彼らの嘘を相手にしないで「脱亜」を目指すしかない。
転載元 石見太郎のブログ 『私の読書記録』■韓国反日感情の正体
著者は韓国を非難していますが、韓国に対する愛情も感じられる著作でした。
(黒田勝弘著 角川oneテーマ21)
私自身は、韓国を好きではありませんが、著者の所見には勉強させられる部分も多々あります。
『端的に言って、韓国について日本ではこれまで知識人は親韓だったのに対し、大衆は反韓だったと言っていい。
・・
ところが逆に韓国では、日本について知識人は反日で大衆は親日だった。
だから知識人(メディア)は大衆に対し、
「過去を忘れてはならない、日本は警戒すべき」
とお説教を続けてきた。
多くの大衆が本当に反日であれば、あらためてそんなことを繰返し言う必要はないではないか。
韓国の反日にはそういう実態がある。
・・
韓国社会では日常的には反日を感じさせられることは実はほとんどないということだ。
メディアにあふれる不愉快な反日さえ知らなければ、日常的には反日はない(?)に等しいのだ。
・・
知識人やメディアは、韓国社会(大衆)が日本に対する拒否感を後退させ、あるべき反日を風化させていることにイラ立ちをつのらせているのだ。
だから、いわば意地になって反日をやっているというべきかもしれない。
韓国社会を支配してきたのは李朝時代以来、
伝統的には「知的エリート」たちである。
李朝時代内ら科挙に合格した本読みで書斎型の知的エリート「士大夫」だが、韓国の伝統では支配rエリートの「士」とは文人(知識人)であった、日本のような武人(武士)ではなかった。
韓国ではメディアは言論界といわれ、そこに従事する記者(知識人!)たちは言論人といわれる。
だからメディアは単に情報を伝達する報道機関ではなく、それ以上に物事を「論」じる媒体なのだ。
論とは「こうあるべき」ということを主張することである。
この海上支配ライン(李承晩ライン)によって日本漁船二百三十三隻が拿捕され、漁船員二千七百九十一人が抑留され五人が韓国で死亡した。
これは戦後の日本人の対韓感情悪化の大きな背景になった。
反日問題ではなくても、日常生活をはじめ、あらゆる局面で、家族-血縁を中心にした人脈がモノをいう「人脈社会」というのもそうである。
なぜそうなのかここでは触れないが、韓国との付き合いでは必ず頭に入れておかなければならない。
警備の警察官は大使館(外国公館)を守っているはずなのに、実は無許可不法施設の慰安婦記念像の方を守っているのである。
筆者の見立てによると、韓国人の歴史観というのは歴史を「あった歴史」より「あるべき歴史」で考えるということだ。
元慰安婦たち日本統治時代の協力者・被害者は抵抗者として復権、変身し今、反日運動の先頭に立たされている。
彼女たちのいわば「独立有功者」へのドラマチック(?)ともいうべき変身は、韓国人の「あった歴史」より「あるべき歴史」が重要という特異な歴史観の典型的な産物である。
元慰安婦の老女たちを押し立てた日本大使館へのデモをはじめ、あの執拗な反日運動は、過去やれなかった「見果てぬ夢」である対日独立戦争を今、仮の姿でやっているということなのだ。
一九七〇年代までの日韓関係には、端的にいって「独島」も「慰安婦」も「靖国神社」も「教科書」も存在しなかった。
これらはすべて八〇年代以降の産物と言っていい。
・・
戦後の日本では南朝鮮つまり「韓国」の影は薄く、その存在は北朝鮮に比べ、はるかに小さく弱かった。
韓国という名前自体、日本人の間で一般化するのは七〇年代以降である。
理由は明らかだ。戦後日本はジャーナリズムや知識人世界を中心に長く「社会主義」幻想に侵されていた。
戦後日本社会では北朝鮮の政治工作と韓国の反政府勢力によって、韓国については否定的情報ばかりが流通していたのだ。
したがって一九五九年に始まった「在日朝鮮人祖国帰還運動」にも疑問や批判はほとんどなく歓迎された。
・・
しかし解禁は段階的に進められ、二〇一三年の現段階でもテレビ(地上波)での日本歌謡や日本の映画、ドラマはまだ解禁されていない。
韓国における日本大衆文化輸入禁止の理由は「国民感情が許さない」だった。
韓国政府はいつもそう説明し、世論(メディア)も納得し支持してきた。
反日感情があるからダメだというのだ。
しかし”真相”はこれではない。
表向きの話に過ぎない。
よく考えてみればすぐわかる。
そんなに反日感情があるなら、政府が禁止するまでもなく国民が拒否するはずではないか。
禁止しなくても誰も見ないし、聞かないのならやらなくなる。
嫌いならわざわざ禁止などしなくてもいいのだ。
・・
端的にいえば、韓国では禁止しないと国民が日本のモノをつい好んでしまうから禁止したと言った方がいい。
解放は突然やってきたため、日本人化していた韓国人にとってまず必要だったのは、新生・韓国にふさわしい「本当の韓国人」になることだった。
そこで行われたのが反日教育だった。
「われわれはもう日本人ではない、韓国人だ」という「本当の韓国人」になるためにはまず日本統治時代の過酷を否定しなければならなかった。
・・
誤解を恐れずにいえば、韓国の反日は解放後、国家、民族としての必要性のゆえに教育によって過剰に作られ、広がったのである。
李承晩政権は反日で知られるが新生・韓国における「北の脅威」に対抗する反共体制つくりでは、日本統治時代の行政組織や人材を多く活用せざるを得なかった。
その結果、親北・左派勢力からは「親日派温存」で反民族的と非難され続けた。
・・
「日帝が我々の民族精気を抹殺するために打ち込んだ鉄の杭が見つかりました」
というのだ。
・・
韓国で過去の日本支配の歴史に関連し昔からよく登場する「日本謀略説」のひとつである。
・・
結論を先にいえば、そうした山の岩場の鉄杭は三角点や測量、登山など何らかの施設のためのもので、それが「民族精気の抹殺のため」に日本人によって意図的に打ち込まれたなどという証拠など全くない。
ところが「歴史の正しい立て直し」を政権のスローガンにした金泳三政権(一九九三-九八)は、その鉄杭を抜く運動を政府予算を使い軍まで動員し全国的に展開した。
・・
しかも韓国は日本と戦った戦勝国ではなく、連合国の一員でもなかった。
つまり韓国はこの裁判には直接関係はなく、処刑されたいわゆるA級戦犯とも韓国とは関係ないのである。
なのになぜ靖国問題で日本を非難し騒ぐのか。韓国は日本の軍国主義の被害を受けたからという。
たしかに日韓併合で日本に組み込まれ、戦時中には日本人と同じく徴兵や軍需動員の対象となった。
しかし東京裁判ではそういうものは戦争犯罪にはなっていない。
韓国は結局、戦前の日本による支配・当地の被害者ということで、民族感情として裁判の結果に身を寄せたにすぎないのだ。
そして実態とは別に、心情として自らを対日戦勝国である連合国と同列に置いたということに過ぎないのだ。
技術サイドの支援・協力にあたった日本の「鉄道建設公団(鉄建公団)」の担当者から聞いた話がある。
彼らは現地に長期滞在し韓国初の地下鉄建設に情熱を傾けた。
したがって待ちに待ったその完成は技術者集団である彼らにとっても、韓国側に劣らず大きな喜びだった。
八月一五日の開通式には当然、招かれ共に完成を祝えると思っていた。
ところが彼等には招待がなく、開通式には参加できなかったというのだ。
いかに残念だったかそのときの心情を語ってくれた。
日本と韓国との関係において、韓国にとってあれだけ批判、非難し続けている日本に、手助けされたりお世話になったということは実に我慢ならないことだ。
これは誰でもそうだろう。
その心情はよく理解できる。
そこで日本に対する、あるいは自らに対する我慢ならない感情をなだめるために二つの心理操作が行われてきた。
一つは日本の協力や支援を「当然」「あたり前のこと」として心理的負担にならないようにすること。
もう一つは支援、協力の事実をできるだけ隠し広く知られないようにすることだ。
この問題は本来は簡単なことだ。
過去にかかわる「補償」は韓国政府が代表し日本から一括して受け取ったわけだから、個人には韓国政府が対応すれば済む話である。
したがって要求は韓国政府に行えば解決する。
「・・・私はこれまで異なった見解を認める韓国のメディアの記事を見たことがない。そのいつものやり方は『異論は無視しろ』『韓国の主張を繰り返せ』である・・」
これは筆者が書いたものではない。
韓国空財の米国人記者(アンドルー・サーモン)が韓国の英字紙「コリア・タイムズ」(二〇一二年四月三〇日付)に寄稿したものである。
それまでソ連圏という大きな敵を前に日韓の対立やケンカはタブーだったが、冷戦構造のタガが緩むことで安心(?)してケンカを始めたのだ。
自らの主張とそれに同調する人々を「良心的」として普遍性を装うのが韓国人の歴史観である。
・・
韓国ではマスコミの影響はことのほか大きい。理由は言論、言論界、言論人というようにメディアが”論”の媒体だからだ。
つまり論じ、主張することを目的としているためきわめて主観的なのだ。
その結果、よくいえば教育的、啓蒙的だが、
悪く云えば情緒的、煽動的になる。
・・
鄭大均・首都大学東京教授は、
・・
次のように説明している(『韓国が「反日」をやめる日は来るのか』二〇一二年、新人物往来社刊)
「韓国社会の同質性という条件は格好の環境にある。
(略)
韓国は文字通りの民族国家(エスニック・ステート)に近い国であり、一体感の誇示にはほぼ理想的な条件を備えている。
『漢民族の優秀性』の神話であれ、『日帝強占期』の神話であれ、なぜかくも急速に韓国人の心や身体に刷り込まれたかの根本的理由はここにある・・」
・・中国の場合、暴動ということで明らかなように、あれは不特定多数の群衆による暴力を伴った無秩序な反日だった。
しかし韓国の場合は、風景としては限定された場所での特定少数による秩序ある反日パフォーマンスにすぎないということだ
韓国での暴動的な反日は一回だけあった。
もう四十年も前のことだが、
・・
一九七四年の大統領夫人が銃弾で倒れた文世光事件の時である。
最大の反日事件に発展し、抗議デモが日本大使館に乱入し、日本の国旗を引き下ろすという事態になった。
この事件がなぜ反日事件になったかというと、テロの班員が在日韓国青年で日本人名の日本のパスポートで入国していたからだ。
事件の第一報は「日本人の犯行」だった。
犯行に使われた拳銃は日本の派出所から盗んだもので、犯行の背後に北朝鮮系の在日朝鮮総連の存在が明らかになったからだ。
韓国世論はこの事件について日本の政府当局者(外務省)が「日本に責任はない」と発言したため激高した。
中国で激発している反日風景を見た韓国人の感想が面白かった。
・・
多くは「あれはひどい」と批判的だった。
そして「われわれはあれとは違う」「われわれだったらあんなことはしない」というのだ。
つまり中国の暴徒化した激しい反日風景を批判し、中国を「遅れている国」として一段下に見るという優越感を語るのだった。
韓国には「ヌンチ(目先、目ざとさ)」という言葉があるが、周囲の様子をうかがいながら態度を決めるという時によく使う。
韓国は「ヌンチが早い」、
つまり「目先が利き、臨機応変、機転を利かせるのが早くて、うまい」のだ。
歴史的にも国際関係においてこの才能を発揮し生き延びてきた。
中国に対し彼等は決して親近感は持っていないように見える。
端的に言って好きではない、場合によっては嫌いなように見える。
・・
筆者には日韓にとって「中国は富士山」という持論がある。
中国は日本からは遠いので、日本がはるかにながめる中国は時に富士山のように美しいが、中国をすぐそばに見てきた韓国にとっては、中国は近くで見る富士山の山肌のように決して美しくはないというわけだ。
近年の韓国では政治・外交、メディア、識者の反日と、必ずしもそうではない一般大衆の対日観(感)の間に乖離現象が目立つ。
ところが、中国については、一般大衆はきわめて冷めているが政治・外交、メディア、識者たちは中国傾斜になっている。
これもある種の乖離現象である。
創価学会にもどれば、当初は在日韓国人によって日本から韓国に持ち込まれたという。
そして日本と近い南部の釜山あたりから広がった。
もちろん一九六五年の日韓国交正常化以降のことである。
しかし長い間、韓国社会の反日感情のため「倭色宗教」といわれ排斥された。
反日のタテマエも、親日のホンネも、両方が韓国であり、韓国人なのだ。
一方だけを見て怒ったり安心したりは意味がない。
いいことがあってもイヤなことがあっても、いつも一歩引いた姿勢で距離を置いて冷静に対応することだ。
良きにつけ悪しきにつけ執着して引く込まれ、動きが取れなくなるのが最もまずい。■韓国反日感情の正体/黒田勝弘
転載元 本を聴く日々 by don
産経新聞の看板記者。
名物コラム「ソウルからヨボセヨ」は日韓両国に影響力があります。
30年近くも新聞社のソウル支局長をやってると、何度も殺害予告を受けたり、国外追放されかかったり、国を挙げての非難の対象になったり大変なようです。
新しい歴史教科書問題の時は、産経ソウル支局が閉鎖されそうになったり、近年ではビビンバ問題が大騒ぎだったようです。
日本のスシに対抗して、韓国がビビンバを世界化しようとキャンペーンをしたとき、あれは具とご飯がぐちゃぐちゃになった正体不明なもので、羊頭狗肉だとコラムに書いちゃった。
「韓国の食文化をパカにしている」
「日本の極右言論人クロダがまた妄言」
「妄言製造機クロダ」。
中央日報の論評によると、
「ほとんどすべての大韓民国国民が怒った。
ネット世界や文化人たちまでが立ち上がり彼の無知を叱咤した」
全韓国を敵にした黒田さん。
日本でもニュー速でスレッドが伸びてたので、黒田さん大丈夫かな、とか思ってたのですが、ご本人は余裕で楽しまれてたと。
ビビンバ騒動のお陰でインタビューが殺到したり、セミナーへのお招きや、食文化の討論もやらされたそうです。
ビビンバの世界化は、日本のスシがうらやましくて、ビビンバでもできるんじゃないかと始めたようですが、意見を聞かれたクロダさんはこう答えたようです。
「日本にはスシ職人というのが存在する。
何万人いやもっといるだろう。
専門の店が無数に存在する。
専門の料理学校もある。
職人は店や親子代々を含め、何年いや何十年とその道一筋でスシを握り売っている。
志願者も多い。
客はそれを高く評価し、日常的にスシを好み、馴染みの店に通う。
日本文化として日本社会で確たる地位を築いているのだ。
スシは、日本国内での食文化ビジネスとしての圧倒的存在感や人気、評価があった上で海外に広がった。
世界化キャンペーンの結果ではないし、政府をはじめ国家支援があったわけでもない。
スシに哲学や宇宙観を語るものなど誰もいない。
普通の人々のスシに対する日常的な愛情と熱意が、結果的に海外進出につながったにすぎない。
スシに比べビビンバはどうか。
スシ文化のようなビビンバ文化が存在するのか。
親子代々、ビビンバ一筋何十年がありうるのか。
回転寿司のように回転ビビンバのような発想は可能か。」
黒田さんの略歴を。
1941年大阪生まれ。京都大学経済学部を卒業後、共同通信社に入社。
1978年韓国延世大学留学後、共同通信ソウル支局長に。
1989年~2011年産経新聞ソウル支局長兼論説委員、
現在は産経新聞ソウル駐在特別記者兼論説委員。
なかなかこの人を超えるコリアンウォッチャーは出てこないですねぇ。
以下に読書メモを。
<日本大使館前の慰安婦像>
誰が見ても日本への嫌がらせ。
外国公館に対する侮辱などの不快感施設は国際法(ウィーン条約)で禁じられているから、国際法無視、違反の疑いが濃厚。
外国公館周辺100m以内での集会やデモは法的に禁止されてるのに、韓国当局は記者会見という名目で黙認し続けている。
なぜ放置されているのか?
当局はメディアや野党勢力の反発を受けたくないからだ。
違法でも愛国無罪、反日無罪。
韓国では反日情緒は法律や規則より優先されている。
反米はしっかり取り締まっているが。
<慰安婦問題はいつからか>
1991年~1992年の韓国MBCテレビが放映した大河ドラマ「黎明の瞳」が絶大な影響をもたらした。
ドラマを通じ慰安婦の存在が公然化され大衆的関心の対象になった。
日本は国際化した慰安婦問題神話を甘受し、今後とも日本非難に耐えていくのか。
それとも原点に返って神話を打破し、内外での厳しい「歴史戦争」を果敢に戦うのか。
腹をくくらなければならない。
⇒三橋貴明が言うには、従軍慰安婦(海外ではコンフォート・ウーマン、セックス・スレイブ)と言うからいけない。
朝鮮人戦地売春婦問題(海外ではコリアン・プロスティテュート・プロブレム)と正しい言い方にすべきと。
賛同します。
※プロスティテュート=売春婦
<大木金太郎>
韓国のプロレスビジネスは日本によってもたらされた。
韓国のリングではキムイル(大木金太郎)が、日本から連れてきた日本人レスラーを叩きのめし国民を湧かせた。
キムイルは民族的英雄になった。
戦後の日本で力道山がシャープ兄弟を叩きのめし人気を博したように、キムイルは韓国の力道山になった。
<日本の大衆文化はいまだに非解禁>
2013年の現段階でもテレビ(地上波)での日本歌謡や日本の映画、ドラマはまだ解禁されていない。
日本では韓流ドラマやKポップがガンガン登場しているのに。
韓国では北朝鮮モノは解禁されて久しいが、日本はダメなのだ。
ネットの時代で禁止の意味は実態的にはほとんどなくなっているが。
<個人補償問題>
日韓国交正常化交渉は妥結まで14年かかった。
「補償」つまり請求権問題は難題だった。
日本側には個人補償的な資金提供案もあったが、韓国側は国が代表して一括して受け取ることを主張した。
韓国政府はそのカネをインフラ整備に使い、その後の経済発展の基礎となり現在の繁栄につながった。
現在における韓国人の請求問題は本来は簡単なことだ。
過去にかかわる「補償」は韓国政府が代表し日本から一括して受け取ったわけだから、個人には韓国政府が対応すれば済む話である。
したがって要求は韓国政府に行なえば解決する。
にもかかわらず日本への要求が執拗に続いているのは、反日運動というしかない。
<在韓日本人>
日本大使館によると在韓日本人は約3万人。
統一教会の合同結婚式で韓国人男性と結婚し、韓国に居住する日本人女性は約7千人。
子どもの数を加えると関連の日本人がその倍はいるかもしれない。■米中板挟みに反日感情 一筋縄ではいかない韓国の戦略
転載元 『世界潮流を読む』岡崎研究所論評集
ヘーゲル国防長官が日本を訪れた際に日米同盟を再確認したことにより、韓国で戦略をめぐる論争が起きている、と釜山大学校国際関係准教授ロバート・ケリーが、Diplomat誌ウェブサイト12月11日付掲載の論説で述べている。
すなわち、韓国国民は、
(1)韓国は米国と中国との間で板挟みになっている
(2)日本は中国との対立を隠さなくなっている
(3)米国のアジア回帰は、米国が太平洋国家となろうとしているというよりは、中国がアジアで権勢を振るうのを阻止するための軍事的、外交的政策によるものである
との認識を次第に強くしている。
一般に、とりわけ米国では、韓国が、米国、日本、オーストラリアや他の民主主義国家と足並みを揃えると考えがちである。
しかし、韓国国民は、必ずしもそうではない。米国は、アジアにおける中国の台頭を懸念しているが、韓国は、米国のこの認識を共有しない。
韓国国民にとっては、中国よりも日本に対する敵対心の方が強い。
韓国が中国に好意的な立場をとる理由は4つある。
第一の、そして最大の理由は、中国が北朝鮮を支援していることである。
韓国が中国と敵対すれば、戦後の朝鮮半島分断を更に長引かせることになる。
第二に、中国は韓国にとって最大の輸出市場である。
第三に、李氏朝鮮の時代から、韓国と中国とは文化的結びつきが強い。
第四に、1590年代の壬辰戦争(豊臣秀吉による朝鮮出兵)の際に、明朝は、韓国からの日本軍撤退を助けた。
他方、韓国が日本に好意的でない理由は以下の点である。
まずは、靖国参拝問題である。
第二に、独島(竹島)の問題がある。
この問題は、島そのものの価値に比べて大げさに騒がれているが、韓国ナショナリズムにとって1つのシンボルとなっている。
第三は、慰安婦問題である。
1965年の日韓条約で法的な補償請求の問題は解決している筈であるが、韓国は、補償金の受け取りだけではなく、日本が罪を認めることを望んでいる。
第四に、韓国にとっては、日本における歴史教育の在り方が問題となっている。
韓国は、日本の歴史教育において、日本の植民地支配を強引な帝国主義として否定することを望んでいる
これらのことが、日韓関係の改善の妨げとなっている。
韓国にとって、米国の同盟国としての韓国と日本は、ゼロサム的に捉えられており、米国は、韓国ではなく日本を選んだという認識の下に、米国との距離をめぐる、現在の戦略論争が起きているのである。
中国に対峙する形の日米同盟に加わるということは、中国を敵に回すことになるだけではなく、韓国が「嘗ての敵」と協力することを意味する。
これを解決する唯一の方法は、米国がアジアから撤退すると脅すことであるが、このような極端なことを言う政治家は米国にはいない、と述べています。
* * *
論説で示されている、韓国の反日感情の理由の分析は、常識的であり、かつ、正確と言えるでしょう。
ただ、発端はヘーゲル長官の日米同盟再確認であると言っていますが、韓国の反日感情はその前から存在しています。
唯一の政策提言は、「米国はアジアから撤退するぞ」という脅しをかける以外にない」という結論です。
それは、日米、日韓同盟がある限り日韓双方が安心して勝手なことが言えるのだから、という意味で、またヘーゲル訪日の直後であるだけに、日韓双方に呼びかけている形を取ってはいますが、実質は韓国に対して言っているという意味の方が強いと言えます。
そして、その上で、米国の責任者はそんなことはしないだろうと言っているのですから、つまり、問題の解決方法は無い、と匙を投げていることになります。
裏から言えば、米韓同盟とその後ろ盾となっている日米同盟が無くなったら韓国はどうなるのだ? と言って、韓国の反日を警めている論説であると言えます。
筆者は現在韓国で教鞭をとっている学者であるから、このあたりが、発言のギリギリの限界でしょうが、今のところ手の打ちようがないという筆者の現状認識は、その通りと思います。
日本としては、事態が変わるまで「静観」するのが正解でしょう。
↧
中韓の「愚民政治」につき合う必要はない
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