■官邸が望みをつなぐ「ハシロス」現象
文藝春秋 6月10日
◆大阪の公明支持層の反乱が生んだ橋下引退 永田町のシナリオが狂った
政界引退を宣言した大阪市長、橋下徹の存在の大きさを浮き彫りにする出来事だった。
「できうれば年内、年末までにと思っている。
いろんな再編の形があるが、民主党だけではなく、その他の野党まで含めた幅広い結集ができればと思っている」
都構想否決の共同責任を取って辞任した江田憲司の後を継いだ維新の党代表の松野頼久が5月24日、熊本市内での記者会見で、年内に民主党と合流して100人規模の新党を結成すると明言した。
しかし、翌日の主要紙はこの発言をベタ記事扱いし、中には掲載しない社さえあった。
その理由は明確だ。
橋下がいなくなった維新に野党再編を主導する力はないと見切っているからだ。
永田町の大方の見方も同じだ。
一方で、松野の足元である維新や、維新と連携したい民主の一部、そして何より首相安倍晋三、官房長官の菅義偉には「橋下再登場」というシナリオが早くも浮上しつつある。
特に堺市議出身で、橋下、松井一郎大阪府知事に近い維新の馬場伸幸国対委員長は、松野の新党宣言を「橋下さんが再び登場してこないことを前提にした発言だ」と冷ややかに見ていた。
馬場は橋下の影響が強い維新の「大阪グループ」の中心人物。
馬場の描く野党再編は、民主党も巻き込んだ新党結成という結論は松野と同じだが、将来復帰してきた橋下が主導するという点で決定的に違っている。
馬場らが口にする「橋下再登板説」の根拠となっているのは都構想否決によって橋下に「ノー」を突きつけた大阪市民の中に広がる強い喪失感である。
大阪市民には、“橋下劇場”のプロデューサー兼監督、そして主役である橋下を失った喪失感を意味する「ハシロス」現象が広がっている。
その喪失感は渇望に変わる。
大阪で「今、住民投票をし直したら6対4、へたをしたら7対3で可決」と語られるのはそのためだ。
◆結果を分けた公明票
今回の住民投票の結果は、
「賛成49.62%、反対50.38%」。
差はわずか0.8ポイントだった。
メディア各社の出口調査で特徴的だったのは公明党支持層の賛否だ。
「自主投票」だったにもかかわらず、共産党と並んで支持層の「反対」比率が高く9割に近かった。
大阪市では公明支持層の比率は10%を大きく上回っている。
公明が賛成に回っていれば、可決された可能性が高いのだ。
公明支持層、特に母体である創価学会のほとんどが反対に回った理由はこの7年半めまぐるしく変化、ねじれてしまった維新と公明の関係にあった。
特に決定的だったのは、2012年の総選挙で維新が選挙協力までしたにもかかわらず、都構想反対に舵を切った公明に怒った橋下が14年2月の党大会で放った「宗教の前に人の道がある」という言葉だった。
さらに住民投票をめぐる学会と首相官邸との「密約説」や、4月の統一地方選への学会本部のドタバタの対応が、公明票の行方に大きく影響した。
まず、公明党大阪府本部の混乱の原因となった首相官邸との「密約」とは何か。
その動きは安倍が衆院を解散した昨年末にさかのぼる。
衆院選前、都構想反対に回った公明党と維新の対立は先鋭化した。
昨年11月には、維新が大阪3区で橋下を支部長とする選挙区支部の設立届け出を行うなど、公明が候補者を擁立する関西の6選挙区で、対立候補擁立の準備を進めた。
宣戦布告である。
しかし橋下は公示日直前になって突如、6選挙区での候補者擁立を一方的に見送ることを表明した。
この不可解な行動は、創価学会で選挙対策を一手に担う佐藤浩副会長(広宣局長)が、首相官邸に水面下で泣きついた結果だった。
住民投票が実施できるよう大阪の公明を説き伏せるので、見返りに6選挙区で維新の擁立を止めるよう説得を依頼したのだ。
首相官邸がいわば「保証人」になる形でこの密約は成立し、公明は6選挙区を含む全国9選挙区で全勝した。
ところが、佐藤は公明の大阪府本部どころか、党本部の幹部たちにも相談せず、頭越しに首相官邸と交渉していた。
選挙後、密約の存在が明らかになると佐藤への反発は想像以上に激しかった。
12月14日、総選挙での勝利が確定すると、佐藤は直ちに大阪に飛び、大阪16区の北側一雄党副代表らに対し、初めて密約の内容を伝えた上で、「住民投票が実施できるよう協力して欲しい」と要請した。
北側らは衝撃を受けたという。
一部の幹部からは
「支持者は橋下憎しで固まっており、受け入れられない」
「維新と戦うつもりで準備をしていたのに……」
と反発が出た。
支持者、特に学会員は「宗教の前に……」発言を忘れていなかったのだ。
関係者によると、佐藤は
「これは安倍首相も含めた重い約束で、原田稔 創価学会会長も了解している。
連立を維持するためにはどうしても守ってもらわなければならない」
として押し切った。
公明大阪府本部は12月28日、総会を開いて都構想には反対するものの、最終判断は住民の意思に委ねるとして住民投票実施には賛成することを決めた。
反対意見が相次ぎ2時間に及んだ会合は、執行部が一方的に押し切る形となった。
佐藤は、今年1月下旬にも大阪入りし、地元の創価学会幹部に対し
「聞かれれば仕方がないが、積極的に反対を言うのは止めて欲しい。
連立政権を維持するためだ」
と自主投票を求めた。
大阪の学会は市内での幹部会合で、
「中立」「自主投票」で臨むことを決め、党側にも反対姿勢を強調しすぎないよう要請した。
だが、学会組織の末端に近い「地区」の部長や婦人部長ら現場幹部からは、
「我々がなぜ、首相官邸の意向に従わなければならないのか」
との強い反発が相次いだ。
◆候補者に一斉送信されたメール
これが統一地方選の迷走につながることになる。
全国3000人の地方議員の半数以上が一度に改選となる公明党と学会にとって統一地方選は、他党とは比較にならないほどの重要性を持つ。
何より、地方議員こそが、福祉や公共事業などに関する地域の学会員の様々な要望にきめ細かに応えて政策実現を果たす要の役割を担って党を支えている。
その中でも大阪府は、「常勝関西」と呼ばれる強固な基盤を誇る、学会にとって極めて重要な地域で、地方議員も格段に多く、大阪府議会では定数の約5分の1を占めている。
その大阪の統一地方選の苦戦が伝えられると、創価学会会長の原田は3月上旬から4月初めの府議選の告示直前にかけて4回も大阪に入り、幹部を激励した。
大阪の幹部は「全国規模の選挙で会長がこれだけ大阪に来たことはない」と話す。
本部で指揮を執る佐藤は、府議選では6人程度が落選する可能性が強いと分析、投票日4日前には、前半戦には選挙が行われない東京を中心に関東地方の学会員に対し、大阪入りするよう指示を出し、数万人が大挙して大阪に押しかけた。
本部がハッパを掛ける中、投票日1週間前、大阪府議選や市議選を戦っている候補者たちの携帯電話へ突然、一通のメールが届いた。
公明党大阪府本部で幹事長を務める大阪市議の小笹正博からの一斉メールだった。
そこには、大阪都構想自体には反対しながら住民投票の実施に賛成するという中途半端な対応によって、自民党のみならず、共産党にも票が逃げており、都構想反対を正面から訴えようとの内容が書かれていた。
表立った反対表明を我慢してきた大阪の公明党だったが、厳しい選挙情勢を前についに堪忍袋の緒が切れたのだ。
小笹は、事前に佐藤茂樹大阪府本部代表や北側党副代表にも連絡した上でこのメールを送ったのだが、もはや国会議員たちもこれを容認するしかなかった。
結果としてこの方針転換は、橋下嫌いの学会員たちに大歓迎され、現場の婦人部の運動員らの動きは一気に良くなったという。
それでも公明党は、統一地方選前半戦の大阪市議選で都構想に真っ向から反対した共産党候補に競り負ける形で1議席を落とした。
その選挙区では、候補を立てなかった自民の支持者の票の多くが、自民推薦の公明候補ではなく、共産候補に流れていたという。
公明関係者は
「都構想に当初から強く反対してきた共産党が裏で自民党候補の後援会と選挙協力していた。我々が中途半端な対応を取ったことが敗因だ」
と漏らす。
この流れが、都構想の住民投票における「公明支持層の9割が反対」という結果を促したのだ。
維新や後見役的な首相官邸の最後の期待は、学会員の多くが棄権することだったが、すでに統一地方選の時点で趨勢は決していた。
公明党議員に投票する以外は選挙に行かないことも多いと言われる学会員に、あえて反対票を投じさせた原因が、橋下の「宗教の前に……」発言、
そして、住民投票を促すことになった、橋下に対する公明幹部の妥協だった。
◆そして「橋下リターン」
安倍と菅ら首相官邸は、住民投票で都構想が可決されることを望んでいた。
可決されれば、求心力を低下させていた橋下が息を吹き返し、維新が民主党と野党第一党の座を争い、来年の参院選も安倍政権の勝利の方程式である「野党分立」で迎えることができる。
さらに都構想を実現する法改正と現在審議中の安全保障関連法案や将来的な憲法改正での協力とのバーターが期待できる。
橋下は「憲法改正のためには何でも協力しますよ」と安倍に呼びかけていたのだ。
住民投票の当日も可決にいちるの望みを持っていた安倍は、翌日官邸に姿を現すと、「反橋下は強いんだな」と落胆の色を見せたという。
しかし、数日が過ぎるうち、馬場らの「橋下再担ぎ出し」シナリオに気を取られつつある。
住民投票の数日後、安倍は橋下の政治生活について「世の中で言われているように終わりじゃないですね」と周囲に漏らしたという。
松井の心境の変化も大きい。
橋下と一蓮托生と言ってもいい松井は、住民投票否決を受けた記者会見の直前までは周囲に政界引退を明らかにしていたが、会見ではそれに触れなかった。
数日後には、国政転出について「二度とやらないとは言えない」と語ったのだ。
背景には、馬場ら維新の大阪グループの必死の訴えがあった。
その松井が冒頭の松野の新党宣言を
「何でもかんでもの数合わせでは国民から信頼されない。
第2の民主党みたいな形になるだけだ」
と強く牽制し、馬場と足並みをそろえているのは偶然ではない。
11月に予想される大阪府知事、市長のダブル選挙に維新からの候補者擁立が本格化しつつある。
ここで勝利するにも将来的な橋下再登板が必須となる。
橋下再担ぎ出しの動きと同時並行の選挙となるということだ。
松井をめぐってはすでに来年夏の参院選への出馬が取りざたされている。
7年半にわたる橋下劇場に幕は下りた。
しかし、まだ観客は去っておらず、次の興行の予定もない。
いずれ「ハシロス」が「橋下リターン」を求めるアンコールとなる。
そうなれば「橋下の永久不在」を前提とする松野と民主の再編派が孤立するという状況が生まれる。
政界はなお引退を表明した橋下に振り回されている。
(文藝春秋2015年7月号「赤坂太郎」より)
■橋下徹氏の「伝え方」の凄みとは?
日経ウーマン 6月10日
◆『伝え方が9割』の著書でコピーライターの佐々木圭一さんの視点とは?
――最近話題になった出来事で、佐々木さんが「これはすごい」と感じた「コトバ」はありましたか?
大阪都構想の是非を問う住民投票が反対多数で否決された日、橋下徹大阪市長が会見で口にしたコトバが印象的でした。
7年半の歳月をかけて大阪都構想を目指してきた橋下市長の口から出たのは、意外にも「悔しさ」でも「謝罪」でもなく、「感謝」の気持ちでした。
『伝え方が9割』の中にも書きましたが、人は感謝の気持ちを伝えられると、相手との距離が縮まって受け入れやすくなるんです。
会見に集まった報道陣からも、好意的な質問が多かったですよね。
「意思表示をしていただきまして、ありがとうございます」という言葉は、賛成してくれた人はもちろん、反対意見だった人たちにも届く感謝の言葉でした。
「あ、悪い人じゃないな」と瞬時に印象付け、その後に続くコトバを好意的に受け取ってもらうための空気を見事に作り上げました。
もしこれが、「応援していただいた方々、申し訳ありませんでした」という渋い顔での反省の弁から始まっていたとしたら、報道陣の質問は責任追及モードで穏やかではない会見になっていたと思います。
「人がついその人のことを応援したくなる伝え方」のモデルのような例だったかと思います。
――一方、その橋下氏を激怒させた上西小百合衆議院議員の“国会病欠お泊まり疑惑”も記憶に新しいところです。
橋下氏とは正反対に世間から厳しい声が相次いだ上西議員の言動はどこに問題があったのでしょうか。
まず「謝り方」には、はずしてはいけない3つのポイントがあります。
ここをクリアしていれば、怒っている相手に対しても、好印象を与えることすらできるのです。
ところが上西議員の場合、まず最初に取材陣に説明を求められても、謝罪会見のタイミングが遅かった。
さらに会見冒頭で謝罪の言葉はあったものの、その後は“私は悪くない”という態度が目立って見え、「体調が悪かったから仕方がない」と自分の正当性を主張してばかりと受け取られました。
この会見で特徴的だったのは、その太いアイランやマスカラがしっかりとついたまつ毛など本筋とは外れる、上西議員の「メイク」に多くの人の注目が集まったことです。
人々の求めていた「コトバ」が上西議員の口からは出てこなかったことから起こった現象ではないでしょうか。
本人は無所属で議員を継続する意向を示していますが、向けられる厳しい目は和らいでいません。
一方、橋下市長は大阪都構想が破れるという「失敗」に際し、以前からの宣言通り、任期満了での政界引退を表明しました。
「相手が想像する以上に謝る」ことをしたことで、国民からは「何も辞めなくてもいい」「惜しい人材の喪失になる」という声が相次ぎ、中には「ぜひ国政へ!」という応援まで出てきました。
「謝る」という姿勢においても橋下氏の対応から学べることがたくさんあります。
橋下氏の場合はもちろんベースの頭の良さもありますが、恐らく「伝え方」の研究も熱心にされていると感じました。
橋下氏以外にも、自分のコトバで語れる政治家がもっと増えることを願っています。
◇
佐々木圭一
コピーライター/作詞家
上智大学大学院卒業後、1997年博報堂に入社。
伝えることは不得意だったのにコピーライターとして配属され、ストレスから1年間で体重が15%増えた。
あるとき伝え方に法則があることを発見し、人生ががらりと変わる。
伝説のクリエーター、リー・クロウのもと米国で2年間インターナショナルな仕事に従事。
国内外で51以上のアワードを獲得。
郷ひろみ・Chemistryの作詞家としてアルバム・オリコン1位を2度獲得。
博報堂を退職後、2014年1月に株式会社ウゴカスを設立
サルメラ:
何で『大阪都』を妄想せねばならなかったのか、
それがホントの意味で浸透する、その痛恨のときまで、
橋下待望論の眉唾に安々と乗るのは剣呑だ。
東国原の二の舞になりかねない。
文藝春秋 6月10日
◆大阪の公明支持層の反乱が生んだ橋下引退 永田町のシナリオが狂った
政界引退を宣言した大阪市長、橋下徹の存在の大きさを浮き彫りにする出来事だった。
「できうれば年内、年末までにと思っている。
いろんな再編の形があるが、民主党だけではなく、その他の野党まで含めた幅広い結集ができればと思っている」
都構想否決の共同責任を取って辞任した江田憲司の後を継いだ維新の党代表の松野頼久が5月24日、熊本市内での記者会見で、年内に民主党と合流して100人規模の新党を結成すると明言した。
しかし、翌日の主要紙はこの発言をベタ記事扱いし、中には掲載しない社さえあった。
その理由は明確だ。
橋下がいなくなった維新に野党再編を主導する力はないと見切っているからだ。
永田町の大方の見方も同じだ。
一方で、松野の足元である維新や、維新と連携したい民主の一部、そして何より首相安倍晋三、官房長官の菅義偉には「橋下再登場」というシナリオが早くも浮上しつつある。
特に堺市議出身で、橋下、松井一郎大阪府知事に近い維新の馬場伸幸国対委員長は、松野の新党宣言を「橋下さんが再び登場してこないことを前提にした発言だ」と冷ややかに見ていた。
馬場は橋下の影響が強い維新の「大阪グループ」の中心人物。
馬場の描く野党再編は、民主党も巻き込んだ新党結成という結論は松野と同じだが、将来復帰してきた橋下が主導するという点で決定的に違っている。
馬場らが口にする「橋下再登板説」の根拠となっているのは都構想否決によって橋下に「ノー」を突きつけた大阪市民の中に広がる強い喪失感である。
大阪市民には、“橋下劇場”のプロデューサー兼監督、そして主役である橋下を失った喪失感を意味する「ハシロス」現象が広がっている。
その喪失感は渇望に変わる。
大阪で「今、住民投票をし直したら6対4、へたをしたら7対3で可決」と語られるのはそのためだ。
◆結果を分けた公明票
今回の住民投票の結果は、
「賛成49.62%、反対50.38%」。
差はわずか0.8ポイントだった。
メディア各社の出口調査で特徴的だったのは公明党支持層の賛否だ。
「自主投票」だったにもかかわらず、共産党と並んで支持層の「反対」比率が高く9割に近かった。
大阪市では公明支持層の比率は10%を大きく上回っている。
公明が賛成に回っていれば、可決された可能性が高いのだ。
公明支持層、特に母体である創価学会のほとんどが反対に回った理由はこの7年半めまぐるしく変化、ねじれてしまった維新と公明の関係にあった。
特に決定的だったのは、2012年の総選挙で維新が選挙協力までしたにもかかわらず、都構想反対に舵を切った公明に怒った橋下が14年2月の党大会で放った「宗教の前に人の道がある」という言葉だった。
さらに住民投票をめぐる学会と首相官邸との「密約説」や、4月の統一地方選への学会本部のドタバタの対応が、公明票の行方に大きく影響した。
まず、公明党大阪府本部の混乱の原因となった首相官邸との「密約」とは何か。
その動きは安倍が衆院を解散した昨年末にさかのぼる。
衆院選前、都構想反対に回った公明党と維新の対立は先鋭化した。
昨年11月には、維新が大阪3区で橋下を支部長とする選挙区支部の設立届け出を行うなど、公明が候補者を擁立する関西の6選挙区で、対立候補擁立の準備を進めた。
宣戦布告である。
しかし橋下は公示日直前になって突如、6選挙区での候補者擁立を一方的に見送ることを表明した。
この不可解な行動は、創価学会で選挙対策を一手に担う佐藤浩副会長(広宣局長)が、首相官邸に水面下で泣きついた結果だった。
住民投票が実施できるよう大阪の公明を説き伏せるので、見返りに6選挙区で維新の擁立を止めるよう説得を依頼したのだ。
首相官邸がいわば「保証人」になる形でこの密約は成立し、公明は6選挙区を含む全国9選挙区で全勝した。
ところが、佐藤は公明の大阪府本部どころか、党本部の幹部たちにも相談せず、頭越しに首相官邸と交渉していた。
選挙後、密約の存在が明らかになると佐藤への反発は想像以上に激しかった。
12月14日、総選挙での勝利が確定すると、佐藤は直ちに大阪に飛び、大阪16区の北側一雄党副代表らに対し、初めて密約の内容を伝えた上で、「住民投票が実施できるよう協力して欲しい」と要請した。
北側らは衝撃を受けたという。
一部の幹部からは
「支持者は橋下憎しで固まっており、受け入れられない」
「維新と戦うつもりで準備をしていたのに……」
と反発が出た。
支持者、特に学会員は「宗教の前に……」発言を忘れていなかったのだ。
関係者によると、佐藤は
「これは安倍首相も含めた重い約束で、原田稔 創価学会会長も了解している。
連立を維持するためにはどうしても守ってもらわなければならない」
として押し切った。
公明大阪府本部は12月28日、総会を開いて都構想には反対するものの、最終判断は住民の意思に委ねるとして住民投票実施には賛成することを決めた。
反対意見が相次ぎ2時間に及んだ会合は、執行部が一方的に押し切る形となった。
佐藤は、今年1月下旬にも大阪入りし、地元の創価学会幹部に対し
「聞かれれば仕方がないが、積極的に反対を言うのは止めて欲しい。
連立政権を維持するためだ」
と自主投票を求めた。
大阪の学会は市内での幹部会合で、
「中立」「自主投票」で臨むことを決め、党側にも反対姿勢を強調しすぎないよう要請した。
だが、学会組織の末端に近い「地区」の部長や婦人部長ら現場幹部からは、
「我々がなぜ、首相官邸の意向に従わなければならないのか」
との強い反発が相次いだ。
◆候補者に一斉送信されたメール
これが統一地方選の迷走につながることになる。
全国3000人の地方議員の半数以上が一度に改選となる公明党と学会にとって統一地方選は、他党とは比較にならないほどの重要性を持つ。
何より、地方議員こそが、福祉や公共事業などに関する地域の学会員の様々な要望にきめ細かに応えて政策実現を果たす要の役割を担って党を支えている。
その中でも大阪府は、「常勝関西」と呼ばれる強固な基盤を誇る、学会にとって極めて重要な地域で、地方議員も格段に多く、大阪府議会では定数の約5分の1を占めている。
その大阪の統一地方選の苦戦が伝えられると、創価学会会長の原田は3月上旬から4月初めの府議選の告示直前にかけて4回も大阪に入り、幹部を激励した。
大阪の幹部は「全国規模の選挙で会長がこれだけ大阪に来たことはない」と話す。
本部で指揮を執る佐藤は、府議選では6人程度が落選する可能性が強いと分析、投票日4日前には、前半戦には選挙が行われない東京を中心に関東地方の学会員に対し、大阪入りするよう指示を出し、数万人が大挙して大阪に押しかけた。
本部がハッパを掛ける中、投票日1週間前、大阪府議選や市議選を戦っている候補者たちの携帯電話へ突然、一通のメールが届いた。
公明党大阪府本部で幹事長を務める大阪市議の小笹正博からの一斉メールだった。
そこには、大阪都構想自体には反対しながら住民投票の実施に賛成するという中途半端な対応によって、自民党のみならず、共産党にも票が逃げており、都構想反対を正面から訴えようとの内容が書かれていた。
表立った反対表明を我慢してきた大阪の公明党だったが、厳しい選挙情勢を前についに堪忍袋の緒が切れたのだ。
小笹は、事前に佐藤茂樹大阪府本部代表や北側党副代表にも連絡した上でこのメールを送ったのだが、もはや国会議員たちもこれを容認するしかなかった。
結果としてこの方針転換は、橋下嫌いの学会員たちに大歓迎され、現場の婦人部の運動員らの動きは一気に良くなったという。
それでも公明党は、統一地方選前半戦の大阪市議選で都構想に真っ向から反対した共産党候補に競り負ける形で1議席を落とした。
その選挙区では、候補を立てなかった自民の支持者の票の多くが、自民推薦の公明候補ではなく、共産候補に流れていたという。
公明関係者は
「都構想に当初から強く反対してきた共産党が裏で自民党候補の後援会と選挙協力していた。我々が中途半端な対応を取ったことが敗因だ」
と漏らす。
この流れが、都構想の住民投票における「公明支持層の9割が反対」という結果を促したのだ。
維新や後見役的な首相官邸の最後の期待は、学会員の多くが棄権することだったが、すでに統一地方選の時点で趨勢は決していた。
公明党議員に投票する以外は選挙に行かないことも多いと言われる学会員に、あえて反対票を投じさせた原因が、橋下の「宗教の前に……」発言、
そして、住民投票を促すことになった、橋下に対する公明幹部の妥協だった。
◆そして「橋下リターン」
安倍と菅ら首相官邸は、住民投票で都構想が可決されることを望んでいた。
可決されれば、求心力を低下させていた橋下が息を吹き返し、維新が民主党と野党第一党の座を争い、来年の参院選も安倍政権の勝利の方程式である「野党分立」で迎えることができる。
さらに都構想を実現する法改正と現在審議中の安全保障関連法案や将来的な憲法改正での協力とのバーターが期待できる。
橋下は「憲法改正のためには何でも協力しますよ」と安倍に呼びかけていたのだ。
住民投票の当日も可決にいちるの望みを持っていた安倍は、翌日官邸に姿を現すと、「反橋下は強いんだな」と落胆の色を見せたという。
しかし、数日が過ぎるうち、馬場らの「橋下再担ぎ出し」シナリオに気を取られつつある。
住民投票の数日後、安倍は橋下の政治生活について「世の中で言われているように終わりじゃないですね」と周囲に漏らしたという。
松井の心境の変化も大きい。
橋下と一蓮托生と言ってもいい松井は、住民投票否決を受けた記者会見の直前までは周囲に政界引退を明らかにしていたが、会見ではそれに触れなかった。
数日後には、国政転出について「二度とやらないとは言えない」と語ったのだ。
背景には、馬場ら維新の大阪グループの必死の訴えがあった。
その松井が冒頭の松野の新党宣言を
「何でもかんでもの数合わせでは国民から信頼されない。
第2の民主党みたいな形になるだけだ」
と強く牽制し、馬場と足並みをそろえているのは偶然ではない。
11月に予想される大阪府知事、市長のダブル選挙に維新からの候補者擁立が本格化しつつある。
ここで勝利するにも将来的な橋下再登板が必須となる。
橋下再担ぎ出しの動きと同時並行の選挙となるということだ。
松井をめぐってはすでに来年夏の参院選への出馬が取りざたされている。
7年半にわたる橋下劇場に幕は下りた。
しかし、まだ観客は去っておらず、次の興行の予定もない。
いずれ「ハシロス」が「橋下リターン」を求めるアンコールとなる。
そうなれば「橋下の永久不在」を前提とする松野と民主の再編派が孤立するという状況が生まれる。
政界はなお引退を表明した橋下に振り回されている。
(文藝春秋2015年7月号「赤坂太郎」より)
■橋下徹氏の「伝え方」の凄みとは?
日経ウーマン 6月10日
◆『伝え方が9割』の著書でコピーライターの佐々木圭一さんの視点とは?
――最近話題になった出来事で、佐々木さんが「これはすごい」と感じた「コトバ」はありましたか?
大阪都構想の是非を問う住民投票が反対多数で否決された日、橋下徹大阪市長が会見で口にしたコトバが印象的でした。
7年半の歳月をかけて大阪都構想を目指してきた橋下市長の口から出たのは、意外にも「悔しさ」でも「謝罪」でもなく、「感謝」の気持ちでした。
『伝え方が9割』の中にも書きましたが、人は感謝の気持ちを伝えられると、相手との距離が縮まって受け入れやすくなるんです。
会見に集まった報道陣からも、好意的な質問が多かったですよね。
「意思表示をしていただきまして、ありがとうございます」という言葉は、賛成してくれた人はもちろん、反対意見だった人たちにも届く感謝の言葉でした。
「あ、悪い人じゃないな」と瞬時に印象付け、その後に続くコトバを好意的に受け取ってもらうための空気を見事に作り上げました。
もしこれが、「応援していただいた方々、申し訳ありませんでした」という渋い顔での反省の弁から始まっていたとしたら、報道陣の質問は責任追及モードで穏やかではない会見になっていたと思います。
「人がついその人のことを応援したくなる伝え方」のモデルのような例だったかと思います。
――一方、その橋下氏を激怒させた上西小百合衆議院議員の“国会病欠お泊まり疑惑”も記憶に新しいところです。
橋下氏とは正反対に世間から厳しい声が相次いだ上西議員の言動はどこに問題があったのでしょうか。
まず「謝り方」には、はずしてはいけない3つのポイントがあります。
ここをクリアしていれば、怒っている相手に対しても、好印象を与えることすらできるのです。
ところが上西議員の場合、まず最初に取材陣に説明を求められても、謝罪会見のタイミングが遅かった。
さらに会見冒頭で謝罪の言葉はあったものの、その後は“私は悪くない”という態度が目立って見え、「体調が悪かったから仕方がない」と自分の正当性を主張してばかりと受け取られました。
この会見で特徴的だったのは、その太いアイランやマスカラがしっかりとついたまつ毛など本筋とは外れる、上西議員の「メイク」に多くの人の注目が集まったことです。
人々の求めていた「コトバ」が上西議員の口からは出てこなかったことから起こった現象ではないでしょうか。
本人は無所属で議員を継続する意向を示していますが、向けられる厳しい目は和らいでいません。
一方、橋下市長は大阪都構想が破れるという「失敗」に際し、以前からの宣言通り、任期満了での政界引退を表明しました。
「相手が想像する以上に謝る」ことをしたことで、国民からは「何も辞めなくてもいい」「惜しい人材の喪失になる」という声が相次ぎ、中には「ぜひ国政へ!」という応援まで出てきました。
「謝る」という姿勢においても橋下氏の対応から学べることがたくさんあります。
橋下氏の場合はもちろんベースの頭の良さもありますが、恐らく「伝え方」の研究も熱心にされていると感じました。
橋下氏以外にも、自分のコトバで語れる政治家がもっと増えることを願っています。
◇
佐々木圭一
コピーライター/作詞家
上智大学大学院卒業後、1997年博報堂に入社。
伝えることは不得意だったのにコピーライターとして配属され、ストレスから1年間で体重が15%増えた。
あるとき伝え方に法則があることを発見し、人生ががらりと変わる。
伝説のクリエーター、リー・クロウのもと米国で2年間インターナショナルな仕事に従事。
国内外で51以上のアワードを獲得。
郷ひろみ・Chemistryの作詞家としてアルバム・オリコン1位を2度獲得。
博報堂を退職後、2014年1月に株式会社ウゴカスを設立
サルメラ:
何で『大阪都』を妄想せねばならなかったのか、
それがホントの意味で浸透する、その痛恨のときまで、
橋下待望論の眉唾に安々と乗るのは剣呑だ。
東国原の二の舞になりかねない。