「法的には解決済み」一本槍はリスキー
日本政府は、慰安婦だけでなく徴用工についても、日韓請求権協定で「法的には解決済み」という従前の立場を改めて表明している
もちろん、いくら一方の当事国で司法の「完全かつ最終的」な判断が下り、国内事情が変更されたとしても、ただちに対外関係に反映されるわけではないし、まして相手国もそのまま尊重しなければならないわけでは決してない。
「条約は国内法に優先する」というのは、国際法の大原則である。
しかし、同時に、原則論を繰り返すだけでは、物事を動かし、結果を出すという政治の本質にもとる。
そもそも、相互に、相手が置かれている環境やとりうる手を先読みした上で、自らの一手を打つのが戦略的コミュニケーションであり、政治的リーダーシップが求められる所以である。
こうした日韓のコミュニケーションのあり方は第三者からも注目されている。
こうした観点からすると、日韓請求権協定で「法的には解決済み」と主張するときも、あくまでも「合意は拘束する(pacta sunt servanda)」という近代法の大原則における一つの事例として位置付け、相手以外にも幅広く訴求する戦略をとるのが望ましい。
合意の遵守が法的安定性を担保するというのは、甲と乙の当事者が誰であれ妥当する一般論として示すことではじめて、第三者からも理解や支持が得られるのである。
この意味で、「韓国は法を遡及適用する後進国である」といたずらに強調するのは、オーディエンス・コストを無視した論法である。
そもそも、法に関する議論では特に、一本槍の議論はリスクが高い。
優れた弁護士であればあるほど、法廷に臨む前に、クライアントの意向はどうであれ、核となる主位的主張だけでなく、ときにそれと矛盾する予備的主張を複数立てておくものである。
クライアントにとって最悪のシナリオも含めて、ありうるすべてのシナリオに対してシミュレーションをして万全の準備を尽くすのが、弁護士、より一般的には「悪魔の代弁人(devil’s advocate)」の使命である。
そのためには、日韓国交正常化50周年となる2015年を2年後に控えた今、40周年の経験から教訓を学ぶ必要がある。
日韓国交正常化50周年を前に40周年の教訓を学べ
2005年、韓国政府は、慰安婦、被爆者、サハリン在留韓国人については個人請求権が消滅していないとして、日韓請求権協定に関する法的立場を変更した。
その際、今回の一連の判決を支援している民間ネットワークが関わっていた。
弁護士や人権活動家などで構成されるこのネットワークは、日本の司法で敗訴が確定(新日鉄住金については最高裁が2003年10月に棄却し確定)すると韓国でも訴訟を始めると同時に、日韓国交正常化交渉に関連する外交文書を公開するように韓国政府に対して行政訴訟を起こした。
その結果、北朝鮮との国交正常化交渉への影響という日本政府の憂慮にもかかわらず、外交文書が公開されただけでなく、合意の根底をなしている事実についてこの時点ではじめて明らかになったとして、時効消滅の法理を事実上無効化させた。
さらに、「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」の発足に韓国政府に合意させ、この委員会に従前の法的立場を変更させた。
韓国政府はその後、2007年に「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者等の支援に関する法律」、2010年に「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援に関する特別法」を成立させ、徴用工に対して独自に支援を行ってきた。
こうした「成功」経験を有する運動の観点からすると、残された課題は、慰安婦や被爆者だけでなく、徴用工についても、韓国政府に法的立場を変更させることにあることは明らかである。
三菱重工業の件は、広島で被爆した徴用工の問題である。
大法院で高裁判決のまま確定すると、徴用工についても韓国政府が従前の法的立場を維持するのはまず不可能で、変更した上で、慰安婦や被爆者の問題とリンクさせてくる可能性がある。
憲法裁判所は、慰安婦問題について韓国政府に対して「不作為」違憲判決を下した同じ日に、被爆者問題についてもまったく同じ判断を示している。
さらには、日韓国交正常化50周年に向けて、日韓請求権協定そのものの見直しを要求する民間の運動が強まっていくことが今から十分予想される。
その前年、2014年6月4日に第6回統一地方選挙、その翌年、2016年4月13日に第20代総選挙が予定される中で、政治的に敏感かつ脆弱になり、韓国政府がこれに呼応する可能性も否定しきれない。
奇しくも、昨年末の時点にすでに、韓国政府傘下の研究・宣伝機関である東北アジア財団が検討を始めている。
相手の言葉と論理で相手を突け
韓国司法の「反日」判決でさらに大きく揺いでいる日韓関係をただちに安定させる妙案は存在しない。
明らかなことは、「これが『正解』だ」としてすでに示されている案は、提案者の個人的心情を満足させるかもしれないが、日韓それぞれの社会において、そして、外交関係において、「均衡解」にはなりえないということだけである。
倫理感や道徳意識の高い一部の勢力だけが先走っても社会関係は安定せず、長続きしない。
政治・外交の落とし所は、ステイク・ホルダーの幅広い参加と同意があってこそ成り立つ。
例えば、日韓の政府や企業が共同で財団を設置し和解を図るという案が大韓弁護士協会から示されている。
しかし、慰安婦問題に対して、「解決済み」という法的立場とは別に、日本は官民を挙げてアジア女性基金という「人道面での努力」をしてきたにもかかわらず、韓国では評価されるどころか、一般には知られてもいない以上、同じような試みに、日本としては到底応じることができない。
さらに進んで、慰安婦や徴用工の問題は「戦後」/「帝国後」をめぐる歴史認識の問題で、日本は「帝国後」、つまり植民地支配について世界で初めて謝罪と賠償をする道義的なリーダーシップを示せ、という案も出ている。
この案はあまりにラディカルであるだけでなく、慰安婦問題がここまで「普遍」化したのは、あくまでも「戦時下における女性の人権問題」として、「帝国後」や「軍隊と性」といった他の問題と切り離して提示されたからであるという韓国側の運動の戦略にも異議を唱えるものである。
あるいは、逆に、「韓国なんて相手にせず、場合によっては諸々の取極を破棄して、断交してしまえ」という勢いのよい声も聞こえてくる。
気に入らない相手とは一切の関係を断つという潔癖主義も、ある種の倫理観や道徳意識の極みであり、清濁併せ呑む政治ではない。
両方の極論を排した上で、現時点で考えられる日本政府がとりうる最善策は、対外的に韓国を代表する朴槿恵大統領の言葉と論理でそのまま韓国政府を追及することである。
つまり、相手の最も強い「矛」で、相手の最も弱い「盾」を突くのである。
2012年の貿易依存度が92.7パーセントを占める韓国にとって、契約履行に対する信頼性を確保することには死活的な国益がかかっている。
そうした中、一連の判決とその後の対応が第三者の貿易パートナーや投資家にどのように映っているのかについて、韓国政府にしっかりと認識させるのである。
その意味で、日韓請求権協定の解釈をめぐる紛争に関する「仲裁委員会」(同協定第3条第2項)よりもむしろ、日韓両国が加入しているWTO(世界貿易機構)政府調達協定や日韓投資協定という貿易や投資の国際レジームの活用も十分検討しておきたい。
いみじくも、朴槿恵大統領が強調する「約束と信頼」は、対北朝鮮政策の原則や対日外交政策の基調という以前に、法の支配が定着し韓国社会が先進化する上で欠かせないし、何より、ビジネスの根幹である。
直面する問題にすべてを圧倒されていると感じるときほど、「より大きな絵(bigger picture)」の中に位置付けることで、それぞれ適度な比重(proportionality)を回復させることが重要である。
その意味で、今ほど、日韓関係を広く見渡し、先まで見通す「視座」が問われている秋(トキ)はない。
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浅羽祐樹 反日判決の根拠2
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