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バレンティン55!

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史上最速55号!燕・バレ、母の前で新記録狙う!

サンスポ:
ヤクルト2-6広島、21回戦、広島11勝10敗、11日、神宮
 
神宮で歴史を作った! ヤクルトのウラディミール・バレンティン外野手(29)が11日、広島21回戦(神宮)の六回に今季55号本塁打を放ち、1964年の王貞治(巨人)、2001年のタフィー・ローズ(近鉄)、02年のアレックス・カブレラ(西武)が持つシーズン最多本塁打のプロ野球記録に並んだ。
チーム122試合目での到達は、ローズとカブレラの135試合を上回る最速記録。残り22試合で49年ぶりの記録更新に挑戦する。
 
神宮のヤクルトファンが待つ右翼席へ、歴史の放物線が描かれた。
沸き立つ歓声に、一塁ベースを回ったバレンティンは大きな右こぶしを突き上げて応えた。
 
「最高の気持ちだよ。ここまで来るのは長かった。世界一の記録を持つ王さんと肩を並べられたことは最高の喜び、本当に光栄に思います」
 
六回二死。カウント1-1から大竹の147キロの直球を振り抜いた。
プロ野球記録に並ぶ55号。
史上最速のチーム122試合目で決めた。
広島ファンも含めた満場のスタンディングオベーションに、バレ砲の笑顔はくしゃくしゃだ。
 
コバルトブルーの空。パステルカラーに彩られたキュラソー島の街を“パレード”したあの日を、バレンティンは今も覚えている。
12歳。リトルリーグで放った生まれて初めての本塁打は、家族が見守る前での満塁弾だった。
「お母さんは大喜びで、球場から家までの車中、ずっと興奮してクラクションを鳴らしながら帰ったんだ」
母・アストリッドさん(65)の誇らしげな笑顔に、1本のアーチがこんなにも愛する人を幸せにすることを知った。
 
驚異的なペースでアーチを積み重ねた今季。
50本の大台に乗ってからは厳しい攻めに焦り、大振りする場面もあったが、根幹は揺るがなかった。
 
「ホームランを打つことは自分のスタイル」。喜ぶファンの笑顔を糧に記録に挑んだ。
 
来日した3年前から、投手の球種のみならず捕手のリードを研究。
今季から打撃フォームもコンパクトにし、足を上げるタイミングも相手投手によって柔軟に対応してきた。
小川監督が「タタミ一畳」と表現する本塁打ゾーンの広さは、顔の高さの悪球までスタンドにたたき込むほどだ。
 
その道をいつも照らす言葉がある。
14歳のときアストリッドさんが、仕事でアムステルダムに移り住むことになった。オランダは“サッカーの国”。バレンティンは意を決して母に告げた。
「僕は野球がやりたい。だからここに残る」。
母は言った。
「やるなら必ず1番を目指しなさい。それが約束できるなら好きなことを続けなさい」
最愛の母と離れて暮らす決断をして選んだ道。米国での挑戦を経てたどりついた日本でも、その言葉は胸の中にあった。
 
22試合を残し、歴史の扉に手をかけた。
誰も超えられなかった55本の向こうへ。
「大きな意味を持つ1本だ。自信はもちろんある。できれば母の前で記録を超えられたらいい」。
 
12日、アストリッドさんが初めて来日する。プレゼントは決めている。特大の「56号」。約束通り「1番」になった息子の誇らしい姿を見せるつもりだ。 
 
【データBOX】
〔1〕チーム122試合目での55号到達は、01年のローズ、02年のカブレラの135試合目を抜き最速。
ここまで1・98試合に1本ペースで量産しており、残り22試合すべてに出場した場合、最終的に66本までいく計算。
 
〔2〕本塁打を放った投手の人数は45人で、投手別の最多は55号を打たれた広島・大竹寛の4本。
 
〔3〕メジャーリーグでシーズン55本以上は12人(18度)が記録し、最多は01年ジャイアンツのバリー・ボンズの73本。
 
誇らしかったのは、新記録のかかる第4打席、バレンティンが歩かされたとき、
広島ファンもブーイングしてたことだ。
日本人はこうだ。
 
どっかの国みたいに、祝福より妬む気持ちを表に出す恥知らずな性癖はない…
どころか、
心から国籍を超えて喜べる国民性。
 
イチローの4000本安打達成のとき、先の達成者、ピート・ローズは「日本の記録を含めたものだからオレの記録とは別」って言ってた。
小さいやつだと思った。
日本とメジャーの差がそんなにあるとは思えない、なんてアヤフヤな比較論じゃなく、
メジャーと日本では、試合数が毎年20~30試合以上違うじゃないか。
日本は130試合から140試合になってからでさえ、10試合増えただけでも200本安打達成者続出だぞ。
だが、マートンが達成した時も、それを言うファンは少なかった。
ピート・ローズの言葉に反応して、それを言うスポーツメディアもあまりなかったように思う。
そんな子供じみた言い合いで、偉大な記録にケチをつけたくないからだ。
(少なくとも達成した熱が醒めないうちは)
 
バースも、ローズも、カブレラも、
王の記録を抜かせまいとする、横並び先例主義の日本人の間違ったリスペクトに犠牲を強いられた。
だた、球界内はそうであっても、
ファンは当時も、バースの、ローズやカブレラの、新記録を見たかった。
 
当時、ローズはこう言ってた。
「僕は日本人が好きだ。
日本ではホントに差別がなかった。
みんなで一緒に食事したり、別け隔てなくどこにも行けた。
メジャーにいるときも、表立った差別はなかったけど、そう感じることは普通にあった。
でも、日本ではそういう人種差別は全然感じなかった。
嫌な思いをしたことは一度もない。
でも、王さんの記録を抜かせてもらえなかったのは残念だった。
『僕が外国人だから』。
それがさみしかった。
今ももちろん日本は大好きだけど、
あの時味わったさみしい思いも、忘れられない」
 
 
[以下、『ウィキべディア』より]
タフィ・ローズのシーズン本塁打記録を巡って
ローズが55号本塁打を記録したのは135試合目、2001年9月24日大阪ドームでの西武ライオンズ戦松坂大輔投手からで、残り5試合。
 
138試合目の9月30日、福岡ドームでの福岡ダイエーホークス戦でローズは1番打者に起用されシーズン最多本塁打記録の更新に挑んだが、完投勝利を収めた田之上慶三郎がローズに投じた18球のうちストライクはわずか2球(球審:前田亨)、この試合2打数0安打2四球で達成出来なかった。
 
この日ホークスのバッテリーコーチだった若菜嘉晴は試合前の監督不在の作戦会議でも、報道陣に対しても、「王・長嶋は野球の象徴。いずれ彼(ローズ)はアメリカに帰るんだから、オレたちが配慮して、監督(王貞治)の記録を守らないといけない。うちが打たれるわけにはいかない」と発言し、投手陣全員にローズに対して敬遠を指示していたことが判明。
 
この件は日本以上にアメリカで反響を呼び、「王の記録を守ろうとする日本プロ野球の閉鎖的な姿勢」「人種差別と戦ったハンク・アーロンの記録を抜いた王自身が、人種差別をして自らの記録を貶めた」などと地元誌やニュースで非難された。
 
王は試合前の練習時に直接、ローズに対して本塁打新記録達成を望む声を掛けていた。
それにも関わらず、試合では敬遠を止めなかったため、若菜だけではなく現場の最高責任者である王にも責任があるという声もあった。
 
 「ローズが1打席でも多く立てるように」
「相手の敬遠を避けるため(1回の先頭打者から敬遠することは有り得ない)」
として、ローズを1番打者として出場したが、1打席目から明らかなボール球ばかりで、業を煮やしたローズはボール球に手を出して凡退、
2打席目:同様、3打席:四球、4打席目:敬遠で、この日のローズの打席には2球しかストライクボールが来なかった。
ローズは試合前に王から記録達成を望む声をかけられたにも関わらず敬遠を受けたため、試合後に「日本プロ野球に失望した」というコメントを残した(試合も4-12で敗戦)。
 
事態はこれだけに留まらず、10月1日に川島廣守がフェアプレーを訴える異例のコミッショナー宣言を出し、個人記録への妨害を意図する行為の排除を強く求めた。
10月2日、パシフィック・リーグの小池唯夫はダイエーに対し、「ローズとの勝負を記録阻止のために意図的に避けたともとれる言動をした」として厳重注意を行った。
張本勲はこの敬遠に対して「投手だって打たれたくないのだからしょうがない。(中略)そんなに打ちたいなら2球ストライクが入っているのだからこれを打てばいい(サンデーモーニングより)と発言している。
 
また、徳光和夫が生放送中に「血液型もよくわからないような奴に王さんの記録を抜いてほしくない(THE・サンデーより)と発言し、翌週の放送で釈明した。
 
 
 
 
 
一部の不心得者の発言が今は全世界に瞬時で配信される世の中だ。
今後、とくにプロ野球関係者は、よく考えて発言しないと(笑)。
 
もう、みんな、
あと1本の王の記録を抜くか抜かないかなんて小さいこと言わず、
ボンズの記録越えを期待しよう。
 
それにしても、
これでも「飛ぶボールに変えてない」ってコミッショナーは言うのかね(笑)?
年末の特番では、是非、
バレンティンと加藤コミッショナーの対談を実現させてもらいたい。
 

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