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対決! 「河野談話」

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the page 2013.5.14
 
 

河野談話のポイント

いわゆる慰安婦問題のニュースでよく話題になるのが「河野談話」です。
河野談話とは、文字通り河野さんによる談話のこと。
1993年8月、宮沢内閣の河野洋平官房長官が発表しました。
戦時中に朝鮮半島などの女性らが旧日本軍人の性の相手をさせられたという慰安婦問題について、日本政府が調査した結果をまとめたものです。
ざっくりいうと、日本政府は慰安婦問題に旧日本軍が関わっていたことを認めておわびします、という内容です。
 
河野談話は日本政府の公式見解として海外でも知られるようになりましたが、内容が正確ではないとして批判する人も少なくありません。
河野談話のポイントを詳しく見てみましょう。
談話によると、慰安所は「当時の軍当局の要請により設営された」もので、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」ということです。
 
また慰安婦の募集については、「軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり」「官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」と述べています。
 
さらに談話は、慰安所における生活は「強制的な状況の下での痛ましいものであった」としたうえで、慰安婦に対して「心からおわびと反省の気持ちを申し上げる」と述べています。
 
河野談話に批判的な人たちが指摘するのは、軍や官憲が女性たちを強制連行したと読める点です。
第1次安倍内閣は2007年3月、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」との答弁書を閣議決定しました。
 
一方で、広い意味での強制はあったなどとして河野談話を支持する意見も根強く、論争が繰り返されています。
 
河野談話の全文
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
 
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。
慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。
慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。
また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。
政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。
 
また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
(1993年8月4日、外務省ウェブサイトより)
 
 
 

村山談話のポイント

政治家の歴史認識が話題になるとき、よく取り上げられるのが「村山談話」です。
 
村山談話とは、文字通り村山さんによる談話のこと。
戦後50年にあたる1995年の終戦記念日(8月15日)に、当時の村山富市首相(社会党)が日本の植民地支配と侵略を謝罪した声明文で、閣議決定されました。
以来、日本政府の公式見解として歴代内閣が引き継いできました。
 
村山談話のポイントは、過去に「国策を誤り」、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たとして、「痛切な反省の意」と「心からのおわびの気持ち」を表明したことです。
 
政治家の中には、村山談話の内容に納得していない人が少なからずいて、村山談話を批判する発言が報じられることがあります。
 
安倍首相は4月22日の参院予算委員会で、村山談話を「安倍内閣として、そのまま継承しているわけではない」と述べ、翌日には「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と述べるなど、村山談話に納得していない様子です。
首相の発言は海外で波紋を呼びましたが、菅義偉官房長官は5月10日の記者会見で、村山談話について「全体を歴代内閣と同じように引き継ぐ」と述べ、首相発言を修正した形になりました。
(発言引用はすべて朝日新聞デジタルで、それぞれ4月23日、24日、5月11日)
 
村山談話の全文
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話) 
 
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。
今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。
このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。
ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。
また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。
私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。
とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。
政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。
また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。
私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。
また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。
同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。
これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
(1995年8月15日、外務省ウェブサイトより)
 

「慰安婦」で朝日と産経がスクープ合戦、
ネット論争に油注ぐ

旧日本軍の慰安婦問題をめぐって、朝日新聞と産経新聞が正反対の立場からスクープ合戦を繰り広げています。
いずれも約20年前の話で、朝日はインドネシアで慰安婦問題の本が出版されないように日本大使館が圧力をかけたと書き、産経は日本政府が慰安婦問題で謝罪した「河野談話」の根拠が崩れたと報じました。
長年にわたって慰安婦報道で対立してきた両紙が改めて激突した形で、ネット上の論争を加熱させています。
 
朝日の記事
朝日はまず10月13日、「慰安婦問題の拡大阻止 92~93年、東南アで調査せず」という記事を1面トップに載せました。
慰安婦問題が日韓で政治問題化した1992~93年、日本政府が韓国では実施した聞き取り調査を、東南アジアでは実施しなかったという内容です。
韓国以外への問題の拡大を防ぐためで、「韓国以外でも調査を進めるという当時の公式見解と矛盾する」と記事は指摘しています。
 
さらに朝日は14日の続報で、駐インドネシア公使が1993年8月、慰安婦の苦難を記録するインドネシア人作家の本が発行されれば、両国関係に影響が出るとの懸念をインドネシア側に伝えていたと報じました。
記事は「当時のスハルト独裁政権の言論弾圧に加担したと受け取られかねない」と指摘しています。
この本はスハルト政権崩壊後の2001年になって出版されたそうです。
 
これら2つの記事は、情報公開で入手した外交文書や政府関係者への取材を基にしたといいます。
 
産経の記事
一方の産経は16日、「元慰安婦報告書 ずさん調査 氏名含め証言曖昧 河野談話 根拠崩れる」との記事を1面トップに載せました。
産経は、慰安婦募集の強制性を認めた1993年8月の「河野洋平官房長官談話」の根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手。
「証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか、氏名や生年すら不正確な例も」あったと報じています。
 
記事の基になった報告書はA4判13枚で、政府はこの調査内容を「個人情報保護」などを理由に開示してこなかったそうです。
 
産経は17日の社説で、河野氏や談話作成に関わった当時の内閣外政審議室長らを国会に呼んでこの問題を検証すべきだと主張。
「(90年代前半)当時、日本の一部マスコミも慰安婦問題追及キャンペーンを展開した」と、名指しは避けつつも朝日などを批判しています。
 
河野談話をめぐる動き
河野談話は、日本政府は慰安婦問題に旧日本軍が関わっていたことを認めておわびします、という内容で、政府の公式見解として歴代内閣に引き継がれてきました。
第1次安倍内閣は2007年、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」との答弁書を閣議決定しましたが、河野談話の見直しには踏み込んでいません。
今回の産経の報道後も、安倍政権は静観の構えです。
 
河野談話を擁護する朝日・毎日と、談話の見直しを求める産経・読売の主張はしばしば対立してきました。
今回の朝日と産経のスクープ合戦は、ツイッターやブログなどネット上の反響が大きいようです。

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