転載元 国を憂い、われとわが身を甘やかすの記小沢一郎氏の初当選からの言動を振り返る・その一
阿比留留衣調査資料部で民主党の小沢一郎代表のスクラップを借り出してきました。で、初当選からの軌跡を、小沢氏自身の言葉を振り返りながら復習してみることにしたのでした。スクラップは何十冊とあるのですが、とりあえず時間の関係で、小沢氏が恩師、金丸氏の5億円献金疑惑を引き金に竹下派の跡目争いで小渕恵三元首相に敗北した5冊目までの中から、目についたセリフを適当にピックアップしてみました。・昭和44年12月28日サンケイ、27歳、日大大学院生、初当選時に
「老齢化で動脈硬化の状態にある国会に若い世代の代表として新風を吹き込みたい。父(故小沢佐重喜氏)に負けない立派な政治家となり、支持者の期待に応えたい。70年代の日本はわれわれヤングパワーの時代。それだけに責任の重大さを痛感します。若さと駆け引きのない清潔さを売りものに、ばりばりとやっていきたい」・昭和58年1月20日産経夕刊、自民党総務局長、愛読書に関連して
「(前略)最も人間的に好きなのが西郷隆盛である。(中略)西南の役では前途有為な人材を多く失い、政治家としての見通しが悪かったのも確かだ。だが、逆に情に流される西郷に人情政治家の捨てきれない魅力がある。『子孫のために美田を残さず』との言葉も味わい深い。私の亡父(佐重喜元建設相)も票田こそ残してくれたが、遺産はなかった」=小沢氏名義のたくさんの不動産は誰が受け継ぐのでしょうね。・昭和61年2月1日読売、自治相、資産公開のコメント
「閣僚のうちで不動産が二番目に多いとは知らなかった。世田谷の土地は、最近、湯島の家を売って買い換えたもので、両親が残してくれた土地の資産価値が出ただけだ。普通預金はあるにはあるが、公開しなくてもいいというので出さなかった。政治家には資産を持っている人もそうでない人もいるが、肝心なのは、どのように行動していくかであって、資産があるかどうかは、政治家の在り方に、直接かかわりはないと思う」・昭和61年8月17日日経、自治相、政界昭和世代インタビュー
「西独の憲法が『他国の占領が終わった時点で新しい憲法をつくる』と明文化しているように、日本の憲法も法律・手続き論としてひとつ問題がある。他方、実態論からすれば定着しているのは間違いない。ただ、英文和訳した憲法だけに『理想宣言』みたいなところがあり、個々の実態と合わなくなっている面も多くある。憲法9条では文字通り戦力を持ってはいけないのに戦力を持っているとかね。運用・解釈論は必要だが、すべてをそれでやると非常に危険です。ある程度のものをきちんと合意してつくっていくことが必要で、その意味では私は改憲論者かもしれないな」=このころは保守派の政治家だと思われていたのでしたね。・昭和63年10月1日朝日、リクルートが小沢氏の政治団体に200万円の献金していたことが発覚した際のコメント
(※リクルート問題では、小沢氏の親類が非公開株1万株を譲渡されていたほか、当時の筆頭秘書がリクルート関連の不動産金融会社の役員を務めていた)「リクルート社は、岩手でリゾート開発をしている企業で、去年12月に、ほかの地元のみなさまのご好意と同様、政治活動の資金の一部として受け取ったようだ」・平成2年2月24日朝日、幹事長、自民党三役に聞く
「私は個人的には、政治献金をすべてやめるという考えだ。個人からの献金なら良いという話があるが、献金する規模が小さくなればなるほど利害が絡む。ただ、政治家個人ではなく、政党への献金ならいい。との議論はあるかも知れない」=国民の税金である政党助成金を不動産購入にあてるのはどうかと思いますが。・平成2年12月31日朝日、幹事長、党三役インタビュー
「政治にカネがかからないのがいいことで、かかるのは悪いとマスコミ的な仕分けをするのは非常におかしい。僕はカネのかからない政治を目指す、とは一度も言ったことがない。国民が求めているのは、きちんとしてカネが集まり、きちんとして使われ、それがオープンになることだ。オープンでないところに問題がある」=うーん、正直に本音を述べているのかどうか解釈に困るような。・平成4年7月24日産経、政治改革を聞く
「(献金は)『小口でたくさん』と言うが、とても集まらないのが実態で、それは幼稚園の作文みたいな話です。そういうのはいけない。カネを出す単位はできるだけ大きい方がいい。単位として一番大きいのは税金です。(中略)だから僕は、『政治活動にかかる金は税金で出しなさい。こんなに安上がりなものはない。いろんなスキャンダルが起きたり、疑われたりするこのロスとコストを考えてみなさい』と言っている」=この人の生活感覚に共感を覚えている有権者が分かりません。・平成4年11月3日朝日、インタビュー
「(派内構想は)簡単な言葉で言えば、改革派か守旧派かの対立。日本が変わる必要があるという考え方と、いや、このままでいい、という時代認識、現状認識の違いによる対立がある。もちろん、人間関係から生じている面も現象としてあるが、底流は現状認識の違いだ(中略)金丸さんの事件の扱いについては、事実と違ったことが先行している。私は政治の世界に出たときから改革派だった」・平成5年1月10日日経、キヤノンの賀来竜三郎会長との対談で
「日本はコンセンサス社会、村社会だから、体制内のある程度の力と支持をもってしないと革命も改革もできませんね。(中略)単にピョンと体制の中から出ていって、大衆に呼びかければ永続した力になるかというと、ならない。野党も国民もそういう人にはついていかないのです」・平成5年3月10日毎日、インタビュー
「政治資金についての僕の考えは、ディスクロージャー(全面公開)だ。収支を全部公開し、1億2000万人の目で確かめる」=小沢氏が昨年2月に資金管理団体「陸山会」の領収書を公開した際には、領収書など文書の撮影やコピーは禁じ、公開時間も1社あたり30分間だけと制限するなど、とてもきちんと閲覧することはできませんでしたが。・平成5年3月13日産経夕刊、記者会見、金丸信氏の脱税事件について
「心情的には真実でないことを願う気持ちでいっぱいだが、事実とすれば誠に残念、遺憾なことで、政治家として許されないことと認識している」・平成5年10月26日読売、新生党代表幹事、記者会見で
「(自分に取材がないまま記事を書いたとして、産経と日経を記者会見から締め出したことに関連し)記者会見は義務でやっているのではなく、サービスだ。批判はかまわない。しかし、いいかげんなことはやめてくれと言っている」・平成5年11月9日産経、新生党代表幹事、記者会見で、大手ゼネコン鹿島から、500万円の献金を受けていた問題で
「いくつかの団体で資金協力をいただいたのは事実だ。資金は領収書も発行され、使途も明らかだったと報告を受けている。すべて法にのっとって適当に処理されたと認識している。(資金を処理した政治団体は)法的に中身を要求されているわけではないので(言わない)。相手方の心理は分からないが、職責に対して、見返りが欲しいという資金提供は受けるつもりはない」=当時、政治資金規正法では、政治家個人、またはその政治団体が一個人または一法人から年間百五十万円を超える政治献金を受けることを禁じていました。鹿島からの献金が適法に処理されたのなら、複数の政治団体が受け皿となっていたはずですが、小沢氏は明らかにしませんでしたね。ディスクロージャーはどこにいったのか。・平成5年12月27日朝日、新生党代表幹事、東京都世田谷区の土地・建物を購入から7カ月後に売却し、3000万円の差額を得ていた件について
「あくまで居住用に購入した。実際、家族と現地を見て、自宅を新築する段取りまで話し合った。だがその後、自宅としては、やや手狭なものしか新築できないことが分かったため売却した」=自宅を買うときに広いか狭いかぐらい考えてから買うものでしょうに。記事によると、購入から売却までの間、小沢氏は一度もここに住まず、「小沢氏側の了解を得ていた」という以前の所有者がそのまま住んでいたほか、この土地はその後、小沢氏と親しい会社社長など3者の間で転売され、短期間で1億円以上の差益を生んでいたそうです。昔から不動産に対して慧眼ぶりを発揮していたようで。・平成6年2月14日読売、新生党代表幹事、佐々木毅東大教授のインタビューで、献金の「適法処理」のわかりにくさを指摘され
「今の法秩序にのっとって処理している。これは僕だけでなく、他の人もだ。『その法がザル法だからけしからん』とか、『そんな脱法行為的なことをしてけしからん』とか、そういうたぐいの批判だ。今の税法の仕組みで許容されているいろんな特例や、税務署の裁量の余地がたくさんある。そこがけしからんということになったら、それに準じて処理している人は、みんなけしからんことになる」=どうやら、自身のやり方が「脱法的」だということは理解した上で、開き直っているということのようです。・平成6年5月11日東京、新生党代表幹事、細川首相が佐川急便グループからの借金問題で辞任したことについて
「細川総理の場合は、僕が聞いている範囲では何も非難されるような金銭の授受はなかったと思っている。(中略)あなた方がすぐカネの問題うんぬんと言って、それで辞めることがいいとは決して思わない。単なるマスコミの報道の中で悪みたいなイメージを与えてそういうことになるのは、日本の政治にとって悲劇だと思います」=まあ、私も、何かスキャンダルが発覚するたびに、ことの軽重も問わずに辞任を迫るのはおかしいと思います。でも、あなたが言うと説得力が…。・平成6年5月17日朝日、新生党代表幹事、朝日が小沢氏の「どの女と一緒に寝ようがいいじゃないか」発言を報じたことに関連して
「この間も朝日新聞にまさに誹謗、中傷の記事が載った。この記事を見て、本当に私は、朝日新聞は『アカ新聞』か『ブラックジャーナリズム』かと思った。私はこうしたペンの暴力を断じて許してはならない、こういう信念で戦っている」=この朝日・小沢対決は、6年10月15日に朝日の秋山政治部長(後に社長)が聞き手となって小沢氏の長文のインタビューを載せ、事実上の「謝罪」に代え、和解しました。・平成6年6月5日産経、新生党代表幹事、大阪市での講演で
「政権をとるための数合わせは野合だ。自民党では最近、流行にあやかって護憲リベラルを言う人が増えた。自民党綱領には自主憲法制定があり、護憲リベラルを言う政治家の見識を疑う」=このころの小沢氏は護憲リベラルを盛んに批判していますが、今ではすっかり小沢氏自身が護憲リベラルと化し、政権をとるためなら何でもありになっているようです。・平成6年11月16日夕刊フジ、新生党代表幹事、記者会見
「政治は所詮、権力闘争です。もちろん、権力の源泉は国民ですよ、国民主権なんだから。最高の権力者たる国民の信頼をどちらがより多く得られるかで、政権を行使することになる。(中略)権力そのものは、あなた方は間違えて反権力といっていきがっているが、反権力は反国民ということなんだよ。憲法では主権者は国民なんだ。権力の所在は国民にあるんだよ」=この発言は、珍しく納得がいきます。・平成8年2月1日産経夕刊、新進党党首、住宅金融専門会社への6850億円の公的資金投入について街頭演説で
「金融関係の会社とはいえ、私企業であり、国民のみなさんの税金を使うことは許されるべきものではない」=当時、そういう議論がありましたね。直接、小沢氏とは関係ありませんが、このときはマスコミは大騒ぎしたのに、後に朝鮮総連系の朝銀信組にこのときの倍近い計1兆3千数百億円が投入されたときは、実に小さな扱いでした。今でこそ平気で話せることも、つい最近までは強固なタブーに守られていたものだと思います。・平成8年5月17日産経、新進党党首、鉄鋼労連幹部との会合で
「いい政策を打ち出したからといって選挙に勝てるわけではない」=これは、正直な実感なのでしょうね。選挙では、「いい政策」よりも「選挙向けの政策」を掲げた方がいいのだという。・平成8年6月28日東京、新進党党首、「最近発売された週刊誌」の対談記事からの引用
「もう私も、この世界26年。老兵は退いた方がいい」・平成8年七月5日産経、前日の続き
「日本人の不安定な国民性は戦前も戦後も変わっていない。江沢民中国国家主席と金泳三韓国大統領が(昨年11月)会談して、日本は今に軍事大国になって、大陸に軍隊を進めると言っている。その根底は何かというと、日本人は信用できないとまじめに思っていることがある」=この発言は重要だと思います。私は常々、小沢氏や故宮沢元首相、故後藤田元副総理らに共通するのは「日本人に対する不信感」だと考えてきましたが、ここでも小沢氏は中韓サイドに立った物言いをしていますね。それは政治家としては致命的な大問題だと思うのですが…。・平成8年7月31日産経、新進党党首、橋本首相の靖国神社参拝について
「首相が判断することだ。信念に基づいて行動したことだろう。私個人は政治家として靖国の問題に形式にこだわるのはあまり賛成しない。素直に、戦争で亡くなった方に対してそれなりの慰労と追悼の意を表することは、政治家であれ何であれ、そのこと自体は一向に差し支えない」=こう言っていた人が今は、首相の靖国参拝に反対しているのですからねえ。歳月の中で多少言うことが変わっていってもいいと思いますが、こういう大事な問題でころっと態度を変えるのはいかがなものかと。・平成8年10月21日産経、新進党党首、第41回衆院選で自民党に大敗して
「われわれの率直な姿勢がもう一つ理解が行きわたらなかった。(選挙戦で十分政策論争が行われず)残念だ。論議をするような社会にしていかなければならない。私の責任問題は党員や支持してくれた人に対するものなので、その方々と話したい」=確かこのとき小沢氏は感情が激して、「新進党の政策を理解しない国民がよくない」という趣旨の発言も行っていたはずです。私はそれを聞いて、野村サッチーなどを候補に立てて有権者をバカにしておきながら、政策が理解されないもないだろうと、この人に初めて反感を覚えたのを記憶しています。なめているなと。
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小沢語録の変遷
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