転載元: ねずさんの ひとりごと謹賀新年
皇紀2674年。新春を寿ぎ、みなさまのご健康とご多幸、そして皇国の発展をお祈り申し上げます。さて、毎年元旦は干支(かんし)のことを書いています。
これが実によく当たる(笑)
もっともご紹介しているのは、占いや古くから伝わるとされる暦学などとはほど遠い、単に言葉の字源のお話です。干支(かんし)というのは、紀元前10世紀に滅んだ殷代にの昔に支那で考案された年の数え方で、「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」の十干(じゅっかん)と、「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」の十二支(じゅうにし)の二つの組み合わせでできているものです。このふたつを順番にひとつずつ選んで60通りの組み合わせをつくり、それによって年周りをあらわすもので、60年で一回りして最初に戻るから、これが「還暦(かんれき)」です。干支を使った歴史用語ですと、壬申の乱、戊辰戦争、壬午事変、甲申事変などがあります。
────────1 平成24(2012)年 壬辰の年
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たとえば一昨年、衆院選の大勝利があり、安倍内閣が誕生した平成24(2012)年は「壬申(じんしん)」の年でした。
「壬(じん)」は、糸巻きの棒に、糸がどんどん巻き付いて行って膨らむという意味の字です。どんどん膨らむので、「壬」に女偏をつけると妊娠の「妊」の字になります。
よいことが膨らむ年というわけです。そして、「辰(しん、たつ)」は、古代において農機具として用いられた大きな二枚貝の貝殻で、農機具である「辰」の上に、「曲」が乗ると「農」になります。つまり、壬辰の年(平成24年)は、稔りのために新しいことが始まり、それが膨らんで行く年であったわけです。
なるほどこの年は、民主党野田内閣の失政から一転して年末には衆院選で保守派が大勝利し、安倍内閣が誕生しました。
私などはこれを天の岩戸が開かれた、などと当時書かせていただいたものでした。────────2 平成25(2013)年 癸巳の年
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昨年(平成25年)は、癸巳(みずのとみ、きし)の年でした。
「癸(き)」は、「癶」が、両足を左右に張った姿の象形文字で、その中に「天」があります。いささか下品に思われるかもしれませんが、要するに両足を開いた間からしずくが滴っている姿の字で、これは天から降り注ぐ雨や霧をあらわします。そして「已(い)」は「止む」という字です。
つまり、「癸巳(きし)」の年というのは、それまで長く降り続いた雨が止み、霧が晴れる年というわけです。実際、昨年を振り返ってみますと、国会で保守派の質問としてはじめて、慰安婦問題や南京問題が議題にあがり、こうした海外からの非道な中傷宣伝工作に対して、対抗するための予算が、日本の憲政史上初めて、500億円という少額ながら、つけられました。
そして、参院選においても、保守派が大勝利となり、国家として秘密にしなければならない情報を保護する法律が成立の運びとなりました。そして歳末には、念願の安倍総理靖国参拝が行われましたが、これに対する支那や韓国、あるいはメディアの反発も、もはや世界中、誰の目から見ても、ただの異常な言いがかりであることが、天下に晒されたわけです。まさに昨年は「癸巳」、雨が止んで、キリが晴れる年となりました。────────3 平成26(2014)年は「甲午の年」
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さて、では今年はどのような年なのでしょうか。「甲(こう)」は、「呻(うめく)」という字で、果実が成熟して固まって行く状態と述べました。
「午(うま)」という字は、「正午」という字に明らかなように、午前と午後などの境目を意味します。樹木に成っている果物が、成熟したら、あたりまえのことですが、これを食べるために収穫します。
つまり、お天道様の光を浴びて、みずみずしく実った果物が、完熟状態になり、その果物が木に成っている状態から、こんどは収穫して人々のもとに届けられる、つまり状態が大きく変化するのが「甲午(こうご)の年」というわけです。ということは、流れを簡単に図式化すしてみると、壬辰の年(2012)に、妊娠してお腹が膨らみ、癸巳の年(2013)には、雨が上がって霧も晴れ、今年、甲午の年(2014)には、赤ちゃんが産まれる(?!)となります。つまり、これは「新しい日本の誕生」もしくは、「新しい日本の出発」を意味するといえるのではないでしょうか。────────4 第三の建国
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実は以上述べました干支は、私には、ある大きな流れを象徴しているように思えるのです。と申しますのは、日本は7世紀に支那文明から独立し、日本独自の立国を図りました。
これが大化の改新で、このとき日本は、国号を「日本」とあらため、日本の最高位におわす天子様のことを、はじめて国際的に「天皇」と名乗りました。
そして、いまは平成となっている元号を、日本独自の元号として大化を設けています(第一の建国)。日本は支那文明から独立を果たすことによって、「和、絆、結い」に象徴される日本的な独自の文化を開いて行ったわけです。
そしてこれが完成の域に達したのが江戸時代で、ですから江戸時代の日本は、道徳心が高く、牢屋に収監される人さえいないほど犯罪のない、徳義の高い国家を建設したわけです。ところがこの太平を打ち破ったのが、嘉永6(1853)年のペリー来航で、日本はこれを境に欧米列強の脅威の前に、国のカタチをあらため、19世紀の明治の建国(第二の建国)を行っています。
つまり日本は、これまでの歴史の中で、7世紀と19世紀に、たいへん大きな国づくりを行ってきているわけです。このことをもう少しくだいて言うと、7世紀までの日本は、支那との交流を盛んに行う、つまり開国政策の国だったわけですが、これが7世紀の大化の改新後は、国としては海外との交流を原則行っていません。
なるほど、その後も御朱印船貿易とか、各藩ごとの密貿易、あるいは長崎出島での交易等はありましたが、これらはすべて、将軍家や諸藩が独自に行っていたもので、国としては鎖国をしていたわけです。それが崩れたのが19世紀で、日本は欧米列強の圧力の前に国を開き、欧米に追いつき独立自尊を保つために、必死の努力をして不平等条約を解消し、世界に冠たる国家の建設を図りました。
その努力が、ついに欧米と正面衝突することになったのが、先の大戦であったわけです。この大戦で日本は焼け野原になりましたが、欧米の受けたダメージは、実は日本の比ではありません。
なにせ地球上の陸地の85%を支配し、収奪し、贅沢三昧の限りをつくしていたその巨大な経済圏を、ことごとく失ってしまったのです。
もっというなら、戦争による死者の数も、日本の比ではありません。さて、戦後の日本は、実はいまだ19世紀の開国路線上にいます。
そしておそらくは、これからも日本は、再び鎖国路線に戻ることは、もはやできないであろうと思います。けれども、よくよく考えてみると、7世紀の鎖国路線と、19世紀の開国路線には、明確な対象の違いがあります。
それは、7世紀に日本が国を閉ざしたのは、「支那、朝鮮に対して」であり、19世紀に国を開いたのは「欧米に対して」であった、という違いです。民族性というものは、千年や二千年でそうそう変わるものではありません。
ということは、支那人、朝鮮人の民度の低さは、この先千年経っても、二千年経っても、おそらくは変わることはない、ということでもあります。
(もちろん個体差はあります。本気でまっとうな日本人になろうとする人たちもいることは、忘れてはならないことです)そういう視点で考えてみると、わたしたち日本はこれから、19世紀以降の日本のように、いわば野方図に国を開くのではなく、まっとうな国々と、そうでない国々とを、しっかりと識別し、国の安全を図りながら、同時に付き合うべき相手と、付き合う必要のない相手を明確に区別していく、そういう凛々しさを持った国として、第三の建国をすべきときにきたのではないかと思えるのです。このことは、学生時代を振り返ってみれば、わかりやすいです。
同級生の中には、真面目な子もいれば、不良もいる。
誰とでも仲良くすることはとても大切なことですが、ゆすり、たかりしかできない性格の歪んだ者とは、やはり一線を画していかないと、よい未来を迎えることはできません。もちろん、そういう子が、心を入れ替えてまっとうな子になるのなら、いつでも友情は復活させることができると思う。
けれど、歪んでいる間は、誘われても一切付き合わない。
それが、わが身を護るということだし、なにより、おかしな連中と付き合っていたら、真面目な良い友達は、みんな逃げてしまいます。
世界の圧倒的多数は、真面目な良い友達となれる国々なのですから。そういう意味で、わたしたちはこれから、国の安全を図りながら、同時に付き合うべき相手と、付き合う必要のない相手を明確に区別していく、そういう凛々しさを持った国として「第三の建国」をする。
その出発となるのが、甲午の年、平成26年、皇紀2674年の今年です。まとめます。
干支からいくと、次のようになります。まず一昨年の壬辰の年に、新しい息吹が生まれ、膨らみました。農作業の開始、安部内閣の誕生です。昨年の癸巳の年には、霧が晴れ、いままで見えなかったもの(魑魅魍魎)がはっきりと見えるようになりました。
いままで曖昧だった周辺国の非道が、はっきりと浮き彫りになり、多くの日本人が覚醒し、年末には堂々と総理の靖国参拝が実現しました。そして今年は甲午の年は、「甲」は呻(うめ)く、つまり声に出し、「午」は、午前午後というように境目ですから、日本はいよいよ声をあげて戦後68年4ヶ月の戦後レジウムウと決別し、新たな第三の建国のためにその一歩を記す年になるということです。「午」は、潮目が変わることを意味します。
戦後69年、サンフランシスコ講話から62年、まさに還暦をすぎて、日本が再生の第一歩を明確に声をあげてスタートする年になるわけです。いよいよ大勝負です。日本を取り戻す。わたしたちも、八百万の神々の国の一員です。
ひとりひとりができることは小さいかもしれませんが、できることから少しずつ。
一歩を踏み出していきましょう!!新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
日本を取り戻す、って…
一体、何を取り戻す気なのか。
何を取り戻すつもりなのか。
何を取り戻すつもりなのか。
明治維新以降の頃のように、中央集権で軍隊を持つ…富国強兵を目指す、ということか、
それとも、
「和、絆、結い」に象徴される日本的な独自の民度高い文化を、
「美しい国」を目指すということ。
情報開示どころか、幅の曖昧な秘密保護法を強行した安倍政権の、
何から何まで、すべてを信頼するというワケにはいかない。
平成26年(2014年)
干支(えと)の「甲午」(きのえうま)から読み解く伊勢神宮と出雲大社の遷宮の年が過ぎ、日本は混乱から鎮まりへと落ち着きを取り戻し、改革により躍進を始める年である。甲はかぶとやよろいを意味して、殻を脱ぎ新たな芽が出始める年である。午は杵の形をした呪器の象形文字で抵抗・対抗を意味するしかるに平成26年は、古いからを破り新しい芽が吹き出そうとするが、内外からの妨害が多く、なかなか日本は苦しむこととなる。最も抵抗するのが中国と韓国であり、日本国内の反日マスコミも抵抗勢力である。60年前(明治27年)は「日清戦争」が起きていることから、「日中戦争」の起きないとも限らない。まさか想定外と唖然としてシナに侵略されて多くの日本人が殺されかねない危険性もはらんでいます。平成26年の干支は、「甲午(きのえ・うま)」であり、いわゆる「うま年」です。「安岡師父」の「干支学」に基づき読み解きます。「 甲 ( きのえ ) 」は、木の陽にあたり、季節は春、方角は東を表します。春というと、これから明るくなるイメージですが、甲午は六十干支という60年周期で巡るサイクルの中で31番目にあたり、30年間成長してきたエネルギーが、今後30年かけて収束し形作られていくきっかけの年になるので注意が必要です。安岡正篤先生の『干支の活学』には、甲は『ちょうど春になって、新芽が古い殻から頭を出すのであるが、まだ余寒が厳しくて、勢いよくその芽を伸ばすことができないと同じように、旧体制の殻を破って、革新の歩を進めなければならないのであるが、そこにはいろいろな抵抗や妨害があるために、その困難と闘う努力をしながら、慎重に伸びていかねばならぬ』とあります。今年はどっしりとした木をイメージして、周囲に流されず、真っ直ぐな気持ちで30年後を見据えて、目標を持って行動することが大切です。午について
「午」は象形文字で、もちをつく時に使う「きね」の象形からきています。両人が代わる代わる手にしてもちをつく、交互になる事から陰陽の交差する十二支の第7位の「うま」を意味し、「陽極まって陰となる」季節でいうなら夏至の時期、だんだん闇が長くなる境目を表しています。陰陽五行説では、午は火の五行で光り輝く炎が元となり、灼熱の性質を表すことから、今年は太陽光、石油、原子力などのエネルギー問題やエネルギー革命が話題になりそうです。自然災害については、火の気が強くなることから山火事や噴火に注意が必要です。また、火は燃え上がり煙が空へと登る性質があることから、放射能やPM2・5などの大気汚染や、羽をもった鳥がキーワードになるので、鳥や飛ぶものがクローズアップされます。良いニュースなら「はやぶさ」に代表される宇宙開発の進歩などになりますが、悪いニュースになると大気汚染や鳥インフルエンザ、飛行機事故なども関連してくるので、平成26年は空から目が離せません。また、前出の『干支の活学』の昭和41年(1966年)の午年に書かれた文章には、『そもそもなぜ馬をこの午に当てはめたかと言うと、馬というものは実に相手を知っておる。騎手がよいときわめておとなしい馬も、一度人間を馬鹿にしたり、反感を持ったりすると、たちまち蹴ったり、振り落としたりしたりして、いっこう言う事を聞かない。そういうところから馬を当てはめたのでありましょうが、日本もこれらの荒馬を乗り損ねたら本当にたいへんです』と当時の日本を取り巻く国際情勢、特に中国・北朝鮮の共産勢力が強力に対日工作を進めていることを荒馬にみたてて警告を発しています。近年の国際情勢をみると、この安岡先生の47年前の言葉が予言のように思えてきてなりません。荒馬を乗りこなす名騎手が現れることを熱望するばかりです。甲午のまとめ
そこで、「甲」と「午」が重なった「甲午」という年は、どんな年になるかというと、一番気になるのは戦争です。時代は繰り返すといわれますが、120年前の甲午年には、甲午農民戦争が朝鮮で起こり日清戦争につながっていきました。60年前の1954年は、7月に自衛隊が発足し日本が再軍備された年で、原子力研究開発予算が国会に提出された年でもあります。このように、ここ2~3年特にクローズアップされている尖閣諸島や竹島問題、原子力にまつわる問題が、過去の甲午の年の事例に現れていることから、問題が表面化することが予想されます。‘甲’の原義
‘甲’は種を覆っている固い殻の象形文字である。つまり種の外皮だ。だから漢字語源では、明らかに種とは別の意としている。種を卵に置き換えてみよう。非常に固い殻で護っている卵の中身は、蛇なのか鶴なのか分からない。つまり、‘甲’の原義は実体を封じ込める意。即ち外見からは、中身を絶対に識別させない意である。
機が熟した種 若しくは卵が、生命体の姿を現すまでの過程を、漢字‘甲’を用いて後世に遺したと想う。新たな命が生まれたのは確かだが、未だ、海のものか山のものか判別できなかったからだろう。漢字語源では、「干支」が“十干”の第一位として‘甲’を当てたのは、漢字発生から相当遅れた時代と解析している。古人の優れた知恵の結晶だろう。
十年を一単位として、時代の趣は変わる。その始まりの年が‘甲’。それが、「甲ははじめとも訓(よ)む」になったと想う。前の時代(十年)とは全く異なる時代に入ったと、‘甲’の漢字を使い、区切りと云うか節目を付けたのだろう。ここで‘甲’の原義を感覚で捉えて想像した、御時世の動きを簡述する。
世の中、新たな十年が始まる年である。当然、前の十年(一時代)とはガラリと様相が変わり、前の時代には通用していたものが通用しなくなると、‘甲’の漢字から読み取れる。
なにしろ、中身が封じ込まれているのだから、始まった新たな時代(十年)が、どのような動きになるかは分からない。必然的に世の中の動きは、手探りになるだろう。それぞれの国、そして人々は利己を図る思惑で動き、御時世は千差万別の行動を受け入れる。行動が正なのか邪なのかを問わずに受け入れるので、御時世は糸が絡み合った状態に陥るだろう。これが‘甲’の年の特徴だろう。‘午’の原義
‘午’は杵の象形文字。両人がキネを交互に上下させ米をつく象形で杵を表している。‘午’に立心偏を付けた「忤」は、さからう そむく の意から‘午’は さからう とも解されている。
古人が“十二支”の七番目に‘午’を用いたのも後世である点から、この さからうの解義は些か本筋より外れていると想う。
漢字‘午’を漢字語源では、「つらぬく つきとおすなり」と極めて強い意としている。これが‘午’の原義である。
おそらく古人は“十二支”の折り返し点の七番目に、激しい動きが起きている経験則から、極めて強い意を秘めた‘午’の漢字を当てたのだろう。そして分かり易いように、象形文字として強い力が働く有様を、「杵」の漢字に託したのではなかろうか。
漢字語源に、「杵を上下してつくことによって、堅い米がやわらくつきならされる。」と、その有様を丁寧に書いてある。
では、何故やわらくすると云う表現をするのか?それは‘午’の基本義が「かみ合う」であるからだ。同義語に「牙」 「互」の漢字がある。
「かみ合う」は、かみ合った姿を示すのであって、争いの嚙みあうではない。この‘午’の基本義「かみ合う」をキーにして、‘午’=(うまの年)の世の中が、どのように動くかを想像する。同義語の「牙」の原義は、二本の柱を完全に繋ぐには、柱に切りこみを入れ接合さす。かみ合わせる為に、疵のない柱を切る意を現す漢字。かみ合わせる為の強引な作業だ。
杵で堅い米をやわらかくして、如何様にも使えるようにする作業と酷似している。‘午’は“十二支”の後半に入る年。この‘午’を使った慣用語の午前と午後の状態は全く異なるように、後半の六年は前半と違った状況下に置かれる。これを「‘子’から生長した動きが‘巳’にて已(や)む」と古人は伝えている。しかし、‘子’から始まった“十二支”は、目的を抱いた一本の流れである。それを貫くには、後半に適した状況を作り出せねばならぬ。
それが「かみ合う」・・・世の中を適合さす動きである。この為の行動は非常に激しく、極めて強い力を要する。それを現した漢字が‘午’である。なにしろ、世の中の流れを変える動きだ。‘午’の年は与えられた使命を果たす為に、行程の後半入りを機にギヤ・チェンジをして、持てる力を全て出しきるだろう。
そうなれば、今までの慣習 既成観念は大きく揺さぶられ、世の中は騒然となる。
この動きを、前半の流れに胡座をかいていた層にとっては、そむく さからう と受け取るだろう。‘甲’と‘午’の組み合わせ ~ “甲午”(コウゴ)の黙示録
六十年を周期に変化する御時世。その変遷ぶりを具象化した「干支」が後半に入る年を、“甲午”の漢字二字で黙示している。
“癸巳”で現す六十年周期の前半を通過した前年と、全く違う顔に御時世はなるだろう。極めて重要な動きをする年と想像する。新しい時代(十年)の幕開けだが、始まりの年‘甲’は、どのような動きになるかを明らかにしていない。謂わば来る者は拒まずの年である。千差万別の願望と云うか欲望が相乱れる一年間になる訳だ。
これに輪をかけるのが、“十二支”の‘午’と云う動きである。‘午’は‘甲’と違って明快な目標を持っている。その達成の為に猛進する一年である。
全てを受け入れる幹(干)、ギヤを入れ替えてスピードを増す枝(支)。六十年に一度の“甲午”の年は、好き放題にしなさいと云っているのだから、否が応でも世の中は激しく動く。・1834年の天保“甲午”の年は、「天保の改革」を老中が施行。これが幕末の始まりであった。・1894年の明治“甲午”の年は云うまでもなく、日清戦争開戦であった。以降、急速にこの国は軍事国家の道を駆け上る。・1954年の昭和“甲午”の年は民主党の結党で、民主国家の礎が確立される。東通工(今のソニー)の、トランジスター開発が以降の経済大国に繋がる。これらは、主だった出来事の一つに過ぎないが“甲午”の年は、人間の行動が目立つ。そう、“甲午”の年は人間の本性があからさまに、発揮される年である。従来の踏襲を望む者、新しい枠作りを企てる者、その他様々な人間の行動を受け入れる年と云っても、過言では無いだろう。好き放題の動きが起きる“甲午”の年。当然、人々の通念 目標はバラバラになる。共通するのは、国 企業 個人全ての目標が利益である事。
したがって、あちらこちらで衝突が頻発し世の中は騒然となる。そして従来の協定 約束などは、反古同然となる。
所謂、乱世だ。周期六十年の御時世が、円熟の後半三十年に足を踏み入れる最初の年は、このような情景になっているだろう。以上が“甲午”の二字を用いて古人が黙示してくれた御時世が、繰り広げる具象の一端である。2014年 平成“甲午”の、御時世を想う。《2013年は、「六十年の波」の中間点。表現を代えると、後半の三十年に向かうスタート台が作られる年となり、新しい目標を早く定めなければならぬ。
「六十年の波」の体質は、資源枯渇への対応である。従って、新しいテーマーは「成長から生存へ」になるだろう。目標は、生存に置くべきと、“癸巳”(みずのと・み)が囁いている。》上記は前年(2013年)平成癸巳を解義したペーパーの、最終文である。この一文の検証に基づき平成“甲午”の年に想像を馳せる。スタート台の構築は間に合ったようだ。然し、目標は成長経済に据え置かれているままである。成長経済を目指す為に、世界は異次元の金融緩和と云うスタート台の構築であった。
生存を図る為の生命維持装置と云うスタート台は、再生可能エネルギーとシェールガス革命で用が足るとして、バラック骨組みであった。
些か、自然の動きを舐めた粗雑なスタート台と申し上げておく。1984年“甲子”からの六十年間、御時世を動かす原動力は、資源の限界が透へだした事と、第三の波と云われる情報革命 即ちIT技術の進歩である。1980年にトフラーが予言した情報革命は、素晴らしいITの技術革新で人類に飛躍的繁栄をもらした。繁栄は必ず自信過剰に結びつき、自然の仕組みが無視されだす。三十年 即ち一単位十年の時代が三回も経過すると、御時世の状況は大きく変わり、仕組みは機能しなくなる。その時期が2013年の‘癸’であった。仕組みの中核 資本主義は、三回目の十年では息絶え絶えだったのだ。この情態で2014年に、四回目の十年に入る。新しい時代にだ。どのような時代なのか全く分からないと、“十干”は‘甲’で知らせている。
先に“甲午”は後半の始まりだから、御時世の情勢がガラリと変わる重要な年と述べている。その大切な年のスタート台が、誤った方向を目指して据えられているのだ。
これでは、目標の達成は無理と云うか、新しい時代(十年)の終末は、目標と正反対の御時世になっているだろう。今、掲げている目的は大失敗すると云う事。まあ、それは先の事。視線を2014年“甲午”の一年に置いてみよう。“十二支”は世の中の動きを現すものだが、2014年は‘午’である。想えば今の“十二支”は、2008年から始まっている。
その冒頭にリーマンショックが起き、シンボル経済(金融経済)を破損させた“十二支”である。この後遺症が、各国の財政危機だ。
自然変遷が働かせる今の“十二支”は、旧来の仕組み一新と云う、使命を帯びているのではなかろうか。そうなると次は、実物経済の破損に向かう事になる。
六十年周期の後半に入った最初の年の‘午’は、それを全うする為に、激しい動きをするのは間違いない。その徴候は既に出ている。利益志向主義の経済界が、雇用面で身分格差を強化させている。介護産業は成長産業と謳い、屈強の若者に老人の世話をさせる。
云いだしたら際限が無いので要約すると、今の社会には矛盾が満ち溢れている。この矛盾を正当化させた経営者を、有能と呼んでいる。正常なら続く筈はないのだが、“甲午”と云う年は何でも有りだから、矛盾社会は更に拡大していくだろう。
矛盾とは不均衡の代名詞だ。と云う事は、不均衡の拡大が平成“甲午”の特色として、記されるやも知れぬ。不均衡は万病の源・・・自然法則ではそうなっている。