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二宮金次郎の幸福論

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転載元: 
Japan on the Globe 国際派日本人養成講座 
http://blog.jog-net.jp/ 
 
 

二宮金次郎の示した復興と幸福への道

              
あらゆる荒廃は心の荒蕪(こうぶ)から起こる。
心田の開発こそ繁栄への道。



■1たらいの水は引き寄せると逃げていく

二宮金次郎が説いた教えで有名な「たらいの水」の話をご存じだろうか? 

たらいの水を自分の方に引き寄せようとすると、水は向こうに逃げてしまう。
相手にあげようと押すと、こちらに帰ってくる。
幸福を独り占めしようとすると逃げてしまうが、相手のために尽くしていると幸福は勝手にやってくる、という教えである。

我々の日常生活でも、自分の事ばかり考えているエゴイストは周囲から嫌われる。
仕事でも、周囲が助けてくれないから、うまくいかない事が多い。
逆に人のことを第一に考えて助けている人は、周囲からも感謝されて助けられて楽しくやれるし、仕事自体もうまくいく場合も多い。

江戸時代に荒廃した6百余村を立て直した金次郎の一生はまさに、たらいの水を押し続けた一生であった。
亡くなった時にはまったく私有財産を持っていなかったというが、6百余村の農民から感謝され、さらにその教えをもとに農村復興を広めようと報徳社という組織がピーク時には千社も作られたのであるから、実に有意義な、幸福な一生であった。

しかし、私の長年の愛読誌『致知』の本年9月号で、この話には前段がある、という二宮尊徳(金次郎)7代目の子孫、中桐万里子さんのお話には、あっと驚かされるとともに、深い感銘を受けた。


■たらいの水は頂いたもの

中桐さんは、その前段をこう説明する。

__________
人間は皆空っぽのたらいのような状態で生まれてくる、つまり最初は財産も能力も何も持たずに生まれてくるというのが前段にあるのです。

そしてそのたらいに自然やたくさんの人たちが水を満たしてくれる。その水のありがたさに気づいた人だけが他人にもあげたくなり、誰かに幸せになってほしいと感じて水を相手のほうに押しやろうとするんです。

そして幸せというのは、自分はもう要りませんと他人に譲ってもまた戻ってくるし、絶対に自分から離れないものだけれど、その水を自分のものだと考えたり、水を満たしてもらうことを当たり前と錯覚して、足りない足りない、もっともっととかき集めようとすると、幸せが逃げていくんだというたとえ話だと教わったんです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

この自分は空っぽの「たらい」として生まれてきたのであって、今入っている水は、両親やすべての先人、先輩たちに頂いたものだという「有り難さ」に気がつくことが出発点だという。


■金次郎のたらい

金次郎は貧農の家に生まれたが、寛政3(1791)年に南関東を襲った台風で近くの川の堤が決壊し、父親の田畑も流されてしまった。
近所の人たちが堤防の補修工事を始めて、金次郎も父の代わりに手伝いに出るが、幼くて十分な働きができない。
そこで金次郎は夜なべして草鞋(わらじ)を作って配ったのである。

その後、14歳で父を亡くし、その2年後に母も逝き、叔父の家に引き取られたが、わずかな荒れ地を開墾して田畑を得るなどして、経済的に独立を果たす。
その間に寝る間も惜しんで読書をした。 金次郎はそんな体験をもとに自らの学問を深め、やがてその力量から人々に引き立てられ、農村復興のリーダーとして大成していく。

金次郎の「たらい」には、当初、経済的にはごくわずかの水しか入っていなかった。
しかし、その経済的ハンディを嘆くことなく恨むこともなく、子供ながらに草鞋を作って隣人たちを助けようとした。
水を押し出していると、こちらに帰ってくるだけでなく、周囲の人から水を注がれて、そのかさが増していくのである。

金次郎が貧しい農家に生まれたことでたらいの水の少ないことを嘆き、そのわずかの水を自分のものとして抱えこもうとしたら、不平家として不幸な、無名の一生で終わっていただろう。


■一本の松の樹はいかに育ったか

中桐さんは金次郎の7代目子孫という血筋だけでなく、幼い頃からお祖母さんなどから金次郎の話を聴きながら育ったようだ。
だから、文章を通じて学んだというよりも、肉親の口ぶりを思い浮かべながら語っているという印象を持つ。
前述の引用で「教わったんです」と言われているのも、本から教わったというより、お祖母さんなどから聞いて教わったということだろう。

その中桐さんが、同じく致知出版社から『二宮金次郎の幸福論』という著書を出しているのを知って、早速読んでみた。
予想通り、金次郎の言葉が、まるで自分の肉親はこう言った、というような語り口で説かれている。

前述の「たらいの水」に関連して、こんな一節がある。
いま目の前に大空にそびえる一本の松の樹があるとして:

__________
この松が、あるとき突然このカタチでここに置かれたものでないことは誰でもが知っています。
どんな大きな松でも、かならずはじまりは小さな小さな苗です。
この苗にたくさんの人々びとの思いが注がれ、手間ひまが加えられることで、ゆっくりとこの姿になってきたのです。

たくさんの自然たちもまた、この苗にエネルギーをかけてきました。
長い年月の間、絶え間なく陽光や雨が降り注ぎ、大地や風が味方となって静かに育むことで、ゆっくりとこの姿になってきた。
・・・
金次郎は、立派な松のような特殊なものだけではなく、茶碗だって、鋤や鎌だって、一枚の着物だって、かならずプロセスを持ち、思いを注がれ、初めてこの世界に生み出されてると言います。
ましてや人間一人ひとりにいたっては、途方もない物語の結晶だと言えるわけです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


■自分という「たらい」に注がれた水

「人間一人にいたっては」という事から、自分自身にひきかえて考えてみると良い。中桐さんは友人に子供が生まれると、病院や家に行って、父母となった幸せそうな表情を観る。

__________
わたしはそんなシーンに立ち会いながら、たびたび不思議な心持ちを味わっていました。
もしかしたらわたしもまた第一子として、こんな風に両親、祖父母(さらに少し大袈裟に言うならそのときにはすでに亡くなっている先祖たちも!)、
そして他人である両親の友人さえも...
と、想像もできないくらい多くの人の喜びとともにこの世界に迎えてもらった身なのかもしれないなぁと。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

誕生の瞬間ばかりでなく、自分自身が両親や祖父母、恩師、先輩たちから、どれだけの思いを注がれて、ここまで育てられてきたのか、振り返ってみよう。
一本の杉の木よりも、もっと多くの人々がもっと多くの思いを注いで、あなたは育てられてきたはずだ。

__________
何も持たず空っぽのたらいとして生まれた自分に、いまや豊かになみなみと水が注がれている。
親や先祖が、先生が友人が、同時代を生きる同志が・・・たらいを満タンにしてくれた。
ワクワクするようなその感激こそが「この水を他者にも受け取ってほしいという欲求を生み、この欲求が人を「水を押す」行動へと駆り立てるのです。

もちろん、水を推すのは決して義務感による行為ではありませんしなければならないことではなく、せずにはいられないこと、といったイメージでしょう。
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■相手のために水を押すことの面白さ

金次郎の考えは「報徳思想」と呼ばれるが、「たらいの水」のたとえを使えば、自分に注がれた「たらいの水」を徳として、それを有り難いものとして感謝して世のため人のために使う、そのように「与えられた徳に報いる」ことを報徳と言って良さそうだ。中桐さんは、『致知』での対談でこう語っている。

__________
私は金次郎はどうやって自分の命を使うかということを考え続けた人だと思うんです。
先ほどたらいの水のお話をしましたが、自分に注がれた水をどう使うか、どうやって使うと一番有効に豊かさを増やせるのかということに非常にこだわった人だと思うんですね。

そして使うことで消耗するのでははなく、増やすこと、生み出すことに繋がる使い方を追求した。
そういう命の使い方、仕事のやり方が金次郎の言う報徳なんだと思うんです。

ですから彼の人生を貫いた報徳を、コツコツ頑張れば報われると解釈するのは誤りです。
やはり相手に報いていくことにエネルギーが注がれていたと思うし、そうやって命を使うことは面白いということが彼の人生で貫かれているんじゃないかと思うんです。
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相手のために自分の水を押しだしている人は感謝され、たとえうまくいかなくとも、新たな学び、すなわち水を得られる。
そういう感謝と喜びに満ちた人生は限りなく面白い。

ここまで来ると、『二宮金次郎の幸福論』というタイトルに込められた意味が見えてくる。
自分に注がれた「たらいの水」に感謝し、その徳に報いようと水を使っていく面白さを味わう。
それこそが人生の幸福であろう。


■企業を立て直すには会社のはじまりに戻って考える

「たらい」を人間ばかりでなく、企業としてとらえても、同じことが言える。
中桐さんは『二宮金次郎の幸福論』の中で、こんな話を紹介している。

__________
ある方からこんなことをうかがったことがあります。
会社が倒産に追い込まれそうなほど赤字が続いたとき、未来の安定経営のためにどれだけ経費が削れ、無駄が省け、リストラができるか・・・を考える方法があります。
一見、正当なようですが、これは実際にはかなり現場を抑圧し、敵対感情を生み、社員の士気を下げ、衰退への道をすすむ可能性と隣り合わせだそうです。

他方、会社のはじまり(過去)に戻って考える方法もあると言われるのです。
きっと多くの人が「お客さんに喜んでほしい!」という熱い思いとともに設立に携わったことでしょう。
その想いのおかげでこの会社が生まれ、そして少なくとも社員はみなその恩恵を受けてきた。

ならば、その思いに立ち返り、そのうえで現状をみて、自らの行動の仕方を考えよう。
各自がもっとアイデアを出し、知恵を絞り、できる工夫をしようじゃないか・ジャーナリストと呼びかけるのだそうです。
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会社設立当初の志を想い、その後も多くの人々が思いを注いできたことを考えれば、先人たちに感謝し、その恩に報いようという気持ちが出てくる。
そんな姿勢のほうが、経費節減に汲々とするより、はるかに良い結果をもたらすであろうことは理の当然と思える。

わが国には数百年も繁盛してきた老舗企業が数多くあるが、それらは顧客や社会のために「たらいの水」を押し続けてきた企業である。その先祖代々の志を受け継いできた企業が、それによって幾たびかの危機を乗り越えて、長寿を保ってきたのである。


■心田を耕す

企業と同様、国家の盛衰についても同じ事が言えるのではないか。
日本経済は、昭和60年代のバブル以降、その崩壊、デフレと迷走を続けてきた。

昭和60年といえば戦後40年。
戦前の教育を受けた終戦時20歳まで青年たちが高度成長を果たした後で定年で退き、戦後教育を受けた年代が社会の中心を占め始めた頃である。
この頃から、戦前の日本は暗黒だったという自虐史観が広まり、国家を悪として個人の権利のみを訴える思潮が本格的に浸透していった。

言わば、先人を悪し様に罵り、自己の権利ばかり主張して、国民全体が「たらいの水」を自分のものとして引きよせようとした頃から、水が逃げ始めたのである。
中桐さんはこう言う。

__________
金次郎は「あらゆる荒廃は心の荒蕪(こうぶ、土地が荒れて、雑草の茂るがままになっていること。)から起こる」と言って、心の荒蕪さえ耕したらあらゆるものが豊かになると説いてます。
彼が6百余村もの再建を成し遂げたのは、結局、そこにいる人たちの心の荒蕪、心田を耕したと言えると思うんです。
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最近はアベノミクスにより、ようやく再興への道が見え始めたが、国民が今まで通り、「たらいの水」を自分のものとして引き寄せようとしていたのでは、結局、通貨安による一時の棚ぼた利益を一部の国民が懐にした、ということだけで終わってしまうだろう。

日本経済の荒廃は日本国民の心の荒蕪から起きているのであるから、まずは荒れ果てた国民の心田をもう一度、開拓する所から始めなければならない。

そのためには、企業再建の後者の方法に従って、代々の先人たちがどのような苦労をしながら、国を創り、支えてきたのかを顧みることから始めなければならない。
そこから、自分のたらいにいただいている水に感謝し、それを国家の再興に役立てよう、という気概が広く国民の間に沸き上がってくるだろう。

日本再興が求められるまさにこの時期に、荒廃した6百余村を再建した二宮金次郎の肉声を伝える7代目子孫が現れたことは、日本国民の覚醒を待つ天の配剤かも知れない。

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