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日下公人/日本の 『お金文化』変遷

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転載元: 
書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」


大前研一さんは、「日本人は相場をするとき買いから入るからダメだ、売りから入れない」と言っていた。
子供のときからまじめに暮らしているから、ないものを売るなんてできないのが日本人で、そういう人が相場の世界に入ると、外資に儲けられて、日本人はハダカにされる、そういう世界である。
 
「日本人が買いにきたら相場は終わりで、下降が始まる」といわれている。
当然のことながら、お役所は買いから入るしかない。
そういう人が民間の商売に口出しするから日本は大損をした。

お金を使うのが下手なのは学者と官僚と昔からきまっているのだから、両者の集まりにあまり大金を持たせてはいけない。

ホントの価格は何かと考えると、それは鑑定や評価ではなく、現に今ポケットに金をもっていて “いくらなら買う” とか “いくらなら売る” と言っている売買の当事者が考えた価格である。
その人がアドバイザーに意見を聞くことはあるが、アドバイザーが答えた価格は実行力がついていないから現実の価格ではない。
それは ”言い値” とか ”世間相場” と呼ばれているものである。
この区別は重要だと思うが、それがわかるのは実業家や商売人であって学者・官僚・評論家・マスコミの人ではない。

(ところで、「何でも鑑定団」のような番組がイギリスにもあるという。)

(鑑定団が)マーケット価格を本人に伝える。
そして最後に「よいものですから大事に使ってあげてください」と言う。
所有者も「わたしは気にいって満足していますから、(値段は大してつかなかったけれど、)これでいいんです」と言う。
 
これは主観価値と客観価値の相違なのだが、こういう話で主観価値が登場する日本は文化的な国だな、と思う。
 
同じようなイギリスの番組をみると、イギリス人は市場での金額を聞いたら、それで終わり。

お金のまわりにくっついているものが日本には多く、そういうのが少ないのがユダヤ人である。
そして、それがあまりにも少ないと嫌われる。

(だから、金貸しユダヤ人は嫌われてきた)

ある社会の中で疎外した人をつくると、彼らはお金しか頼るものがない状態になる。
キリスト教徒がユダヤ人を疎外した。
だからユダヤ人は金、金、金になったわけで、ユダヤ人が悪いとばかりは言えない。

(最近の日本人は、国際経済と共にやって来たキリスト教系ないし、ユダヤ教系文化に疎外され、お金のまわりに付いていたものを削ぎ落してしまい、日本の価値を忘却気味である。)


日本の常識では「貸した金を返せ」と言う方が強いのだが、外国の常識では、「返せないからどうぞ担保を処分してください」と言える債権者のほうが強い。 
借りた金はなるべく返さないのが世界の常識である。

日本にもっと貸したり、投資したりする余力があるうちは裏切られない。
そろそろ底が見えてきたら、全部とられる。
これは国際金融の常識である。
こういうことは欧米の本には書いてない。なぜか。
常識だから、である。

かつての日本では、家族のため、が働く動機の第一で、お金のありがたさは、子どもが育つことにあったのだが、そういう日本がなくなってきて、お金はいったい何をするためのものですか、ということになってしまった。

(未婚の人は、お気楽であるけれど、さして働く動機がない。
結婚していても子供がいないなら、そのうち働く意欲が低下し、失業を機に、人生の意味が見えなくなってくるのではないだろうか。
“働く” とは “傍を楽にさせる” こと、という日本人の労働観であり、人生の美学が成り立たなくなっているのである。
日本人を称賛する “勤勉” という用語であってすら、ここに現実的な根拠を置いていたはずである。)

原始日本は当然、女系社会だった。
母系社会だった。
男は稼ぐ人、女性は使う人という時代が一万年ぐらい続いた。
ということを、リアルに書いた『一万年の天皇』(文春新書)という本がある。
著者の上田篤さんは、天才だと思うが、普通の人が見ると変人かもしれない。

そう思ってみると、日本には女性文化に根ざした女性向けの高額商品や高級サービスが山ほどある。
そう考えると、日本の男性文化は女性が喜ぶ方向へ発達している。
女性は男によい服を着せるのが好きだから、男は着てあげないといけないのである。

(ところが、日本のオジさんたちがダサイから、日本のオバさんたちは、男尊女卑の国の美系の韓流スターにあこがれ、
男尊女卑の国で虐げられた忌まわしい過去世の記憶とルーツをもつ日本籍の女性国会議員たちが、自己防衛のために日本を夫婦別姓だの男女共同参画だのと言って、女性を働かせる方向へさし向け、
古来からの日本文化に合わない社会を作ろうとしている。
日本人女性は、それによってますます不幸になることを全然自覚していない。

日本人女性に家計を任せると、誠心誠意で管理してくれると外国人の男には評判がいいが、やがては資産運用や不動産管理も奥様がするようになるかもしれない。
これは欧米人には驚天動地の大革命である。
欧米ではせいぜいが夫婦別々のダブル・インカムを、別々の独立会計で処理している段階だから、奥さまが一括で管理するとなれば、それは男性としては全面降伏の武装解除に等しいのである。
アメリカの奥様方に日本ではそれが普通で、わたしの家もそうだと話すと、全員が絶句して、しばし珍獣を見るような目でわたしを見た。

もともと男は女に喜んでもらうために働いていたのである。
ところがその女性が男性用の高等教育を受けて、やたらと賢くなり、貯金、貯金、貯金と言ったから、こんなに不景気になったのである。
名称は高等教育というが、中身は職業教育が90%だから、決して高等とはいえない。
人間の値打ちや幸せはそれを超えたところにある。
社会にはそれを探求し、開発してくれる人が必要だが、それは一万年も前から主として女性の仕事だった。
したがって、女性はそれをやめると男が働きがいを失う。
 
お金の正体は、つきつめていくと、その人が求める幸せはなんですか、ということになる。
幸せは人によって違う。
 
(息子が)小学校の5年か6年の頃に、
おまえは金が欲しいか、名誉がほしいか、それとも自分自身の安心が欲しいか。
そろそろ考えたほうがいいぞ、と言った。
3つとも欲しいだろうが、その場合は配分比率を自分で決めるんだよ、と話した。
それでもって、アパート経営とかガーデニング農業とかの例をあげて話したあと、
そういう生き方を低級だと見るのは、おまえにまだノーブルさが足りないのだ。ノーブルさが十分にある人は、何を見ても低級だとは思わないで、面白いと思うんだよ。
何でも上下をつけて、下を軽蔑するというのは中流の悪いこところだ。
もっと上にいってしまえば、そういうことは気にしないものだ。

要するに、日本人のお金にたいする感覚や考え方は、学問が普及してからおかしくなったと思っている。
お金の価値より人生の価値のほうが尊いに決まっているわけで、
人生の価値の置き方によって、お金の価値は上がりも下がりもするものである。

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