Quantcast
Channel: SALUMERA
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2520

日本人でさえ気付いていない素晴らしさが、日本の文化にはあるのかもしれない

$
0
0
竹田恒泰

平成22年(2010)に中国の新聞社が行った調査によると、
(中国では依然として反日教育が続いているけれど、15歳から20歳という世代の)
中国人の若者にとっては「最も好きな国」が日本であることが分かった。

筆者が学生のときにアジアを旅していると、不良の異邦人から「日本人は、いざとなったらパスポートを売ればいい金になるからうらやましい」と聞かされたことがあった。
その不良によると、世界中の旅券のなかで、日本旅券が最も高い値段で売れるというのだ。
その理由は、経済的に強いからということではない。
(世界中の多くの国々と)友好的な関係を持つ国は、世界を見渡しても日本だけである。
日本が世界中の国と友好関係を保っているからこそ、国際社会のなかで日本が担える特別な役割があるのではないか。
これは他者との協調を大切にしてきた日本の和の精神があってはじめて可能なことである。

世界選手権をはじめ、北京オリンピックでも活躍した、イタリアのエースであるピッチニーニは『アタックNo1』を観てバレーボールにあこがれ、主人公の鮎原こずえと戦うのが夢だったという。
また『キャプテン翼』の影響でサッカーを始めたというプロのサッカー選手が世界中に数多くいる。
かつて「世界最高のサッカー選手」と称えられたフランスのジダンをはじめ、
ガットゥーゾ、デルピエロ、トッティ、ザンブロッタなど、2006FIFAワールドカップの優勝国イタリアの代表選手の多くは『キャプテン翼』のファンである。
ジラルディーノは「翼が歩んでいた道こそ僕らの夢そのものだったんだ」と語った事がある。
集英社によると、『キャプテン翼』の世界での正規累計販売部数は約1000万部、国内販売部数は約7000万部に上るという。

集英社のマンガ誌編集者から聞いた話だが、雑誌に連載するマンガに絶対に必要な条件は「正義」だという。
日本マンガ・アニメは一見ふざけているように見えても、その根底に「正義」があり、正直で真面目で勤勉な日本人の価値観が、マンガ・アニメを通じて世界に伝播されていることになる。
子供のときから日本のマンガ・アニメに慣れ親しんで育ってきた異邦人たちは、マンガ・アニメを通じて、日本に親近感を持つようになり、これが日本文化や日本的価値観に興味を持つきっかけとなる。
異国に日本の良き理解者をえることは、日本の将来にとってどれだけ大きな財産になるだろう。
 
オリジナル・コンテンツ不足に泣くハリウッドでは、この数年、日本を始めとするアジア映画のリメイクを盛んにしてきた。だが、それだけでは足りないと感じたのだろう。大事なのは日本の映画をリメイクすることではなく、日本的な感性を学び、持ち込むことだとハリウッド業界人は気付き始めたのだ。
現在のハリウッドでは「日本人に学べ」が合言葉になっているほど。

アメリカ式ベースボールの典型は「俺がヒーローになってチームを勝利に導く」というもの。
だが日本野球の真骨頂は「仲間がヒーローになれるお膳立てをすることで勝利へ近づく」というもの、いわゆる「つなぎ野球」だ。
この「つなぎ野球」が理解されるにつれ、日本人インターンの素晴らしさも、これまで以上に高く評価されるようになった。
『ミシュランガイド東京』の発売で最も衝撃を受けたのは、あるいはパリの美食家たちだったかもしれない。
なぜなら、世界屈指の美食家と評されるパリジャンにとって、美食天国のパリの地位が東京に奪われたというのは、聞き逃すことができないニュースに違いないからだ。
評価基準の厳格なミシュランガイド2010年版で、東京の三ツ星レストランの数はパリのそれを上回ったという。
2010年版の東京では、星が付いた197軒のうち実に132軒が日本料理店だったことから見ると、ミシュランが東京を世界一の美食都市としたのは、日本食が高く評価された結果だと思われる。
日本人が思っている以上に、日本文化そして日本食は、世界から注目されている。
 
  


マックス桐島
オリジナル・コンテンツ不足に泣くハリウッドでは、この数年、日本を始めとするアジア映画のリメイクを盛んにしてきた。
だが、それだけでは足りないと感じたのだろう。大事なのは日本の映画をリメイクすることではなく、日本的な感性を学び、持ち込むことだとハリウッド業界人は気付き始めたのだ。

著者が、日本語のオリジナル脚本を「翻案」する作業をしていた時のこと、
思案中のヒーロー、返す言葉がないほど困惑する女性、あるいは無言で敵を見つめる悪役。
「・・・・・」を使うことで、より複雑なニュアンスを表現することができる。
ただ、そのニュアンスをアメリカ人に伝えるのが難しい。
なにしろ彼らは、「主張してナンボ」の人たち。
アメリカの脚本では、沈黙や間も、「下を向いたまま黙りこくる」といったように具体的に記述するのが当たり前なのだ。
「・・・・・」の記述方法で悩んでいたら、アメリカ人の脚本家ジムが助け舟を出してくれた。
「大丈夫。『・・・・・』のままで全く問題ないと思うよ」
そういわれた時の僕は、いかにも意外そうな表情をしていたのだろう。
ジムがさらに続けた。
「タケシ・キタノの映画には、よくそんなシーンがあるじゃないか。それと一緒だろう?だったらハリウッドの人間にだって理解できないはずがないよ」
「ぼくらはそれをどういう形で表現していいか知らなかっただけさ。
それに気づかせてくれたのは、キタノ映画や、言葉ではなくプレーでチームに献身する日本人ベースボール・プレイヤーたちだよ」


著者が仕事仲間のアメリカ人のブルースさんと中国人の徐さんを案内したとき、
すべての日程を終えたスタッフたちを成田空港へ見送りに行った時のこと。
ブルースと徐さんに日本の感想を聞いてみた。
最も印象に残ったのは「デパチカ!」と二人とも声を揃える。
徐さんいわく、
「実際に日本を訪れたことで、印象がだいぶ変わりました。
私が神経質だと思っていた小奇麗さは、日本の最大の美点なんですね。
それを強く感じたのがデパチカ。
まるでお花畑にいるみたいだったし、店員の細やかな心遣いも素晴らしかった」
ブルースはといえば、来日前の期待を超える楽しさに、すっかり親日派の度合いを増した様子だった。

有名なアメリカン・ブランドの「バドワイザー」は大衆的人気こそあるものの、美食家ぞろいのハリウッドでは「まるで馬の小便だ」とコキおろされる存在。
オランダ、ベルギーなどの欧州産ビールは人気があるが、いまや日本のビールはそれらをしのぐほどの人気だ。
「キリン」「アサヒ」「サッポロ」といったブランド名は、日常的な言葉にさえなっている。

アメリカ文化の特徴は、「クオリティ(質)よりクオンティティ(量)」。
とにかく物量作戦なのである。
アメリカに旅行した際、ハンバーガーやホットドック、サンドイッチのサイズに腰を抜かしそうになった方も多いのではないだろうか。

日本料理の特徴はその逆で、「量より質」、
あるいは「質と量を兼ね備えた」ものが多い。

これまでピーナッツかポテトチップスが主流だった皿に、柿の種のようなスナックが盛られていたのだ。これは何? とバーテンダーに聞くと、
「Soy Snack だよ」
つまり大豆を原料に作った「おかき」の一種だったのである。
トーフが人気メニューとなり、ショーユやミソが調味料の定番となったように、いま、大豆がアメリカの食生活を変えている。
メタボ大国のアメリカでは、大豆が「救世主」なのだ。
そして「ドリンコミュニケーション」は、仕事に悩んでいるカウンセラーのお世話になる者も多いアメリカ人の心も救っている。
日本文化は、アメリカ人を心身ともに健康に導いているのだ。
いまアメリカ人が最もほしがる日本製品の「三種の神器」をご存知だろうか?
それは、
ウォシュレットに指圧マッサージソファー、そして魚焼き器だ。
 
アメリカには「Might is Right(マイト・イズ・ライト。強いものが正しい)」という語呂合わせ表現もあるほど。
そんなアメリカ人気質、他の文化を無視した横暴ぶりから、ヨーロッパでは「Ugly American(醜いアメリカン人)」と揶揄されることもしばしばだ。

僕にいわせれば、アメリカ人の気質を象徴しているのは「土足で人に家に踏み込む」ことだ。
これは比喩としての表現だけではなく、現実の生活レベルでの話でもある。
ご存知のように、欧米では靴を履いたまま家に入るのが当然のこと。
それは「外」の世界を「内」に持ち込む行為であり、どこへ行こうと自分のやり方を押し通す生き方にも通じているのではないかと思える。
逆に日本では、玄関で靴を脱ぐことで「外」と「内」の切り替えが自然にできる
また、靴を脱いだ際にきちんと並べ直す習慣は、生活態度そのものを美しく整えることの第一歩といえるはずだ。
使ったものは元の場所へ戻す。
借りたものは大事に使い、元の状態のまま返す。
そういった日本人の美徳、その根拠に、靴を脱いで家に入るという習慣があるような気がしてならない。
こういう日本の習慣が、「ジョン・ウエイン志向」に嫌気がさしたハリウッド業界人の間で秘かなブームになっている。

作り笑いと整形手術で埋め尽くされた、ハリウッドという人生のファスト・レーン(高速車線)。
そこに嫌気がさした都会人は、人間味あふれたスロー・レーンを選択する。
彼の伸び伸びとした表情に、僕は田舎暮らしを好んだという高杉晋作の言葉を思い出したのだった。
「人は人 吾は吾なり 山の奥に 棲みてこそ知れ 世の浮沈」
この心情は、日本人にもアメリカ人にも共通するものなのだろう。
だからこそ、いま、アメリカの様々な分野で日本文化が真似されているのだ。

自国が震源地となって巻き起こした世界的な経済危機や、奴隷や劣等市民として蔑視していた黒人を大統領に迎えたことで、いまアメリカ、そしてアメリカ人は、Bold(大胆)より、Modest(質素)な生き様に、建国以来はじめて目覚めている。

「Me,me(私が、俺が)」と絶叫する個人文化主義から、人に譲る、人を案じる、人を思うという和やかな文化への移行は一朝一夕ではなしえないが、ハリウッドのシビアな会議の場でも、両サイドがプラスになる「Win-Win situation」(両方とも勝者になれるシチュエーション)という究極の和を求める人が増えていることは確かだ。
 
 
ボーイ・デ・メンテ
アメリカにおける日本の自動車メーカーのインパクトは、かれらが直接間接に雇用するアメリカ人労働者の数よりもはるかに重要だ。
そのはるかに重要なインパクトとは何かといえば、アメリカ自動車メーカーの考え方や行動および組合に及ぼす影響力である。

「ほとんどのアメリカ人は、自分ということを抜きにして自分自身を表現することができず、しかも 「結びつき」 とか 「一体感」 といった語彙をまったく持っていないため、アンビバレンツに陥っているのだ、ということである。
われわれアメリカ人に必要なのは、「分かち合いの価値を表現する言葉と、共同の努力があらゆる企画を大きく広げ、それによって孤独感が消えてなくなるようなあり方だ」 とは、グッドマン女史の結論である。
アメリカの文化には、最善を尽くしたり、できるだけ最高なものを作り出すということは、時と金の無駄だとするところがあるのだ。
その結果、アメリカでは従来から標準というものを認めてきた。
そして、この標準は、ついには品質許容レベル (Acceptable Quality Level ) と呼ばれるようになったのである。
 
 
 
杉山知之
フランスでは、1980年代に日本のアニメからマンガへと広がっていくブームが起こった。
きっかけは 『めぞん一刻』。多少カットされた部分はあったようだが、基本的にアニメがそのまま放送されて、たいへんな人気を博した。
注目すべきは、本質的にこの作品が日本人同士の心の機微を背景にした壮大なすれ違いの物語である点だ。
つまり 『めぞん一刻』 の世界には、日本文化そのものが凝縮されていた。

宗教的な規範の強いアメリカでも、今の若い人は少しずつ宗教から離れてきている。
このこともあって 「クール・ジャパン」 を受け入れやすくなっているのではないかと思う。
世界的に見ても、20世紀の後半から21世紀にかけて、三大宗教のうち信者を増やしているのはイスラム教だけだと言われる。
ともあれ、今までキリスト教的倫理観の強かった欧米を中心に、宗教離れが進んでいるのは事実である。
海外でも子どもたちに人気が高く、親の眉をひそめさせた『クレヨンしんちゃん』には、何の宗教的葛藤もない。
「しんちゃん」の価値観を代弁するなら、「こっちのほうが楽しいぞぉ」 「気持ちいいぞぉ」ということになる。
スペインでも大人気だ。
大風呂敷を広げると、日本のアニメを知ったことで、外国人に何らかの変化が確実に進行しているように思える。
『クレヨンしんちゃん』は一例だが、日本のアニメに描かれた世界を違和感なく受け入れている子どもが大勢いる。
 
また、異質なことに驚きながらも、拒否したり排斥するのではなく、新しい面白さとして目を見開いている人たちもいる。
大半の人は、細かくそのような分析をしているわけではない。だが、やはりこれは一種の 「魂の解放」 なのである。
奥深いストーリーを、独特の絵で表して人に伝えるという手法は、どこにもない。
それをこの市場規模の中で発展させている国はどこにもない。
その決定的な要因が、日本社会のタブーのなさだったのではないかと、私はにらんでいる。
「エロティシズム」も「かわいらしさ」も、日本がセーラー服に与えた「意味」であり、
海外からすると 「その手があったか」 と気づくのだ。

英語にもなった「カイゼン」だが、海外で導入しようと思っても、直ちには成果が上がらない。
オタク的にこだわるメンタリティがないと、カイゼンすべきポイントが見えないのである。
 
 
 
 
白幡洋三郎
世界中で抵抗なく受け入れられた理由の一つは、日本生まれながら、そこに日本らしさがかけらもない点にあるのではないか。
 
主人公の名はマリオ、イタリア風だ。
敵役になるクッパ大王の名は韓国料理から来ているらしい。
彼らが活躍する舞台はサボテンの生えるメキシコであったり、ピラミッドのなるエジプトだったり。
とにかく画面に、日本らしさを感じさせるキャラクターも舞台装置も見られない。
非日本的で、きわめて多国籍なのである。

日本製アニメは安いわりには画面づくりがていねいで、色も美しい。
この点でも外国製アニメに勝る。
ディズニー・アニメは 「白雪姫」「バンビ」「ダンボ」 など、いずれも悲しみ、苦しみ、楽しさをさまざまにえがいているとはいえ、概して平板な心の動きを追っている。
どこかに、子どもが見るものだとの思いこみが匂う。
子供の世界の精神の揺れはこの程度であると決めつけが背後に控えているような気がする。
それに比べて日本のアニメは、嫉妬や妬みの感情、不幸や不条理に出会う子供の苦悩など複雑な心理を大人と同じ視線で扱っている。
そこにはたとえ子供向けアニメであっても、見る者を子供扱いしない姿勢がある。
インドネシアの例でいえば、日本製テレビアニメの人気は大変なものらしい。
これを日本民族の持つ世界観に影響された固有の文化であると考え、
 
「そうした(異文化の)精神が、われわれ民族の子供たちに植え付けられる可能性がある」
 
といった発言が見られるようだ。

日本がつくりだしたインスタントめんは、めんに対してスープの割合が多いヌードル文化として、各国独自の解釈を通じて人々に受容され、広まっていると見える。
これを日本のラーメンを誤解しているだの、本来のラーメンを逸脱しているといったところで、それはただ自らの味覚の好みを表明したにすぎない。
むしろ文化は、変形可能であってこそ広まるという典型的な例ではないだろうか。

「ハシからフォークへ」 と 「どんぶりからカップへ」
は、その柔軟な対応の表れだ。
 
  
 
日下公人
日本精神は、人間にとっての現実をそのまま素直に受け入れすべての人々を 「共生する人間 」 として認め合うことを特徴としている。
日本のマンガ・アニメはそういう日本精神の特徴をよく表わしていて、世界の人々に刺激を与え、世界の人々を惹きつけている。欧米人にとってそれは 「日本マンガ・リテラシー」 という能力の発達だと私は思っている。
絵とストーリーとキャラクターの3拍子がそろうことによって、はじめて日本人の思想やセンスや常識が先方に伝わっている。
これは文章や字引ではできないことである。

欧米人に宗教を聞かれて “無宗教” と答えると、理性に欠陥がある人と思われる可能性がある。
にもかかわらずそれを公言するとは、なるほど理性が不足の野蛮人か、と先方は考えて、あなたの顔を見るのである。
信心は迷信の一種ではなく理性の働きだ、というスコラ哲学がヨーロッパではまだ残っているから、それを心得ておかねばならない。

 「日本のマンガには暴力とセックスが多い。深い日本精神がその奥にあるというなら、それは何か教えろ 」
 という質問が出た。
この質問は良くでる。
アニメーションは、日本では1年間に4000本も作られている。その中にはほのぼのとした愛情物語から、人間の内面を深く描いた哲学的なもの、そして暴力やセックスまで全部ある。
ところがアメリカは、その暴力とセックスだけを買っていく。
真ん中は買ってゆかない。
 
  
ルース・ジャーマン・白石
JRの方針なのかもしれませんが、この2つの駅(保土ヶ谷駅と洋光台駅)には、素敵な、ちょっとした共通点があります。
その共通点の写真をフェイスブックにアップした途端、海外にいるたくさんの友人から、驚嘆の声が続々と届きました。
「毎日ですか?」
「おそらく、アメリカにはこういうことはめったにないでしょう」
「日本って本当に素敵な国なんですね!」
などというコメントでした。

「花の交流会」など、さまざまな団体が提供している生け花コーナーのことです。
日本にいると、「空気のような親切」を感じることがあります。
それはわたしたち外国人にとって、日本人が持つ別格な「おもてなし」の心の表現のような気がします。

アメリカにとって、非常に危険なシグナルだと思います。
そうしたことを示す言葉が、「sense of entitlement」(権利意識)なのです。
何不自由ない生活ができる権利意識、
仕事がもらえて当たり前、という権利意識・・・。
しかし、そうした権利を要求するに足る自分かどうかは考えていません。
一方、日本人を見ていると、権利意識があまりないように感じます。
むしろ、日本人の口からよく聞くのは、
「わたしなんかまだまだです」
「こんな至らない自分を働かせてもらえるだけで十分」
「勉強させてもらいながら給料をもらえるなんてありがたい」
といった、非常に謙虚な言葉です。

世界の距離がこれほどまでに近づき、中国やインドなど新しい国の成長がめざましい現在だからこそ、皆が過剰な権利意識を捨てて、日本人の「まだまだ感」に学び、謙虚になるべきだと思います。

日本の組織には、「1人で抱え込まないほうがいい」とか「そういうときは先輩に頼ってもいい」など、「たった一人でものごとを進めなくても大丈夫」という雰囲気があります。
正直、この組織風土には驚きました。
アメリカでは、1人で抱え込んで、1人で解決するのがいちばん評価されるからです。
それも当然で、アメリカ人は小さい時からそのような教育を受けています。

現在、多くのアメリカ人が定期的に精神科医に通っています。
普段から相談したり、甘えたりする相手を周囲にうまくつくれていないのがその理由だと思います。
この点、「甘えを活かす組織の構造」ができている日本人は、平均的に精神が安定していて、仕事に集中できているように見えます。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2520

Trending Articles