転載元 感謝の心を育む子育てとは?
昨今、「感謝の心」の高まりとは相反して、全く逆の非道な事件も見聞きします。
「感謝の心を育む子育てとは?」シリーズでは、そういった二極化する子育ての現状を自覚し、今後の教育が向かうべき方向性について追究していきます。■イヌイット(エスキモー)の子育て
「教えない」「叱らない」「導く」
キーワードは、
「教えない」「叱らない」「導く」。
また、厳しい環境の中で集団を維持するために、
社会全体が、
「所有」に価値をおかず「共有」に価値をおきます。
個人主義は集団の知恵を無くすものと考えられており、
そのような中で、
子ども達も小さな頃から、自然とそれを真似て学んでいるのが伺えます。
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(以下、『イヌイットの世界と文化~世界一周子育ての旅』より引用)
子どもたちは、過去に亡くなった祖父母や親戚の名前を引き継ぐ。
子供たちがぶたれたり怒られたりしないのは、そうすることが彼らが引き継いだ守り霊に対する大いなる侮辱だと信じられているからでもある。
子供たちは何が良い行いなのかを教えなくても知っている。
生まれたときには彼らは知っているのだから、ただ大人は彼らが忘れてしまったときにだけそれを思い出させてあげるのである。
イヌイットは、白人の大人とは違って、いたずらっ子に対してぶったり叱ったりすることはない。より控えめに効果的な方法をとる。
穏やかに辛抱強く、子供たちが道理をわきまえた行動をとるように導く。
愛と賞賛と少しの褒美によって、望ましい振る舞いをより強固なものにする。
望ましくない振る舞いは、おだてたり、からかったり、恥ずかしがったり、あるいは単純に不満を示すために沈黙することで、修正される。
子供たちのわんぱくやいたずらは決して罰せられることはないが、しかし悪い霊が報復にくると脅かすことは、行いを正す方法の一つとして用いられる。
子供たちは幼児の頃から共有することを教えられ、いつも大人たちが共有しているのを見ている。
また彼らの住む社会全体が、所有に価値をおかず、共有に大きな価値をおく。
競争や自己主張や支配衝動に繋がるような遊びは存在しない。
個人主義は集団の知恵を無くすものだと考えられている。
両親や社会やその文化が、子供たちが喜んで働きたくなるような感情的雰囲気を作り出している。
カリブーの皮で作ったオムツを除いては、赤ちゃんは普段から裸で過ごす。
生まれてから数ヶ月は、ずっと母親のコートの中で母親と裸の肌を重ねて安全に暖かく過ごす。
子ども同士が時には叩いたり取っ組み合いの喧嘩をしたりすることは当たり前なので、大人たちは誰も注意を払わない。
大人たちは、子どもの荒っぽいおふざけにも落ち着いていて、寛大に無視をする。
(引用終わり)
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大人「たち」、子供「たち」という言葉から、
「集団」の存在が強くイメージできます。
子供は集団の中で育つもの。
集団が受ける「外圧」、
その外圧に集団が適応するための「戦略」、
そんな「空気感(=共認圧力、期待)」の中で子供は育つ。■インディアンの子育て
「子育て」は最大の充足源
前回の記事で紹介したイヌイット(イヌイットの子育て「教えない」「叱らない」「導く」)と同様に、冬が長く、氷点下50度になることもまれではない、凍死と飢えの恐れに晒された凄まじい自然外圧状況下で生活しているヘヤーインディアンに着目しました。
彼らにも、「教える」という考えは存在しないようです。
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(引用部分)
ヘヤーインディアンの社会では、「教える」「教えられる」と言う意識が全くない。
それどころか、「だれだれから教えてもらう、習う」と言う言葉がヘヤー語=観念体系として存在していない。
よって、「師弟関係」も存在しない。
ヘヤーの社会において、物事は人の行動を注意深く観察し、同化することで自然と身につくことであると考えられている。
例えば、自分のまわりにいる友人や従兄弟や兄弟達の猟の仕方、皮のなめし方、火のつけ方、まきの割り方などをじっくり観察することで、男の子は猟の仕方を、女の子は皮のなめし方などを身につける。
その同化能力は非常に高く、「子どもの文化人類学」の著者、原ひろ子女史によれば、自身が作った料理を、次の日にはヘヤーインディアンの女性が全く同じように配膳してあり、大変驚いたと言う。
更に着目すべきは、同化に対する不可能視の無さにある。
ヘヤー社会では、「誰かが出来ていることは、自らにも必ず出来る」と言う意識が存在している。
その為、(誰かを真似て)初めての行動を行う際にも「不可能視」が介在し得ない。
考えてみれば、ヘヤー社会で無くても、子どもは「万能観」の固まりで、「不可能視」と言うものがない。
自身の子どもを見ていても、(無謀にも)いろんなことを「(自分も)やってみる」と、大人のやることを真似てどんんどんチャレンジしていく。
本来的に「同化」には「不可能視」など介在しえず、「同化するだけ」「やってみるだけ」と言うのが本質なのかもしれない。
(当然同化過程における試行錯誤はあるが、それは「不可能視」ではなく、必ず出来ると思っているからこその試行錯誤と言えるだろう)
「教える」「教えてもらう」という意識の根っこには、本質的に「不可能視」が存在しているのではないかと感じる。
相手が”出来ない”ことを前提としているからこそ、「教える」必要があり、
同時に自分は”出来ない”ことを前提としているからこそ「教えてもらう」必要がある。
「教える」「教えてもらう」という教育観を前提とした時点で、「不可能視」が介在し、あらゆる可能性に蓋をすると言っても過言ではないかもしれない。
(『ヘヤーインディアンの社会に学ぶ「同化教育」』 より)
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先人を真似て、学ぶ。
たったこれだけのことで、一人前の責任の取れる大人に成長していくインディアン達。
そんな社会では、「教えてもらってないからできない」とか「才能がないから」とか、できない言い訳が出てくることはなく、「同化するだけ」「やってみるだけ」と、出来ると思って試行錯誤してゆくだけなのですね
また、過酷な自然外圧状況下では、一人では生きていけないことは明らかです。
厳しい外圧に対峙する上では、解脱充足も不可欠なのでしょう。
そして、子どもは部族みんなの中で育っていくと認識されているようです。
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(引用部分)
このような状況下で、ヘヤーインディアンは集団の活力源となる解脱を非常に重要視しているが、着目すべきは「子育て」を最大の解脱充足源と捉えている点にある。
ヘヤーインディアンは「はたらく」ことと「あそぶ」こと「やすむ」ことをそれぞれ区別している。
「はたらく」とは文字通り闘争課題・生産課題そのものであり、「あそぶ」「やすむ」は解脱であると位置付けられるが、「育児」はヘヤーインディアンにとって、「あそぶ」ことに位置付けられているのである。その意識は、子どもを「育てる」と言うよりも、「自分達が子どもに楽しませてもらっている」、厳しい外圧に対峙する上での「活力をもらっている」と言う方が的確である。
(日本人が子育てに対して抱くような)しつけ意識は全くと言っていいほど見られない。
そのため、子どもに対して忠告したり、命令することは皆無のようである。
子どもは大人が「育てる」「しつける」ものではなく、厳しい自然外圧に対峙し、大人達を真似る中で自然と育っていくと認識している。
このような意識でいるからこそ、「子育て」に対して妙な責任意識を抱く必要もなく、充足源として捉えられていると考えられる。
ヘヤーインディアンの社会で興味深いのは、「親子のつながり」に対する意識が極めて薄く、容易に養子に出したり、また養子をもらったりする点にある。
「自分で生んだ子どもは、自分で育てるのが当然だ」と言う考えは無く、子どもは部族みんなの中で育っていくと認識している。
一応「生みの親」と言う観念は存在し、「生みの親」とは性関係を結んではならないと言う集団規範が存在するが、生んだ方も、生まれた方も、その関係性に執着することは全くない。
むしろ、先述したように子育ては最大の「充足源」であるから、子どもが成長して自立したり、子どもを亡くしたりした小集団(家族単位よりも若干広く流動性のある血縁集団)では、養子を積極的に迎える。
一方で、子どもの多い小集団や子ども分の食料がまかないきれない集団では、子どもを積極的に養子に出す。
このようにして、部族全体(概ね350人程度)の中で子どもは親子関係に因われることなく移動し、皆が子育ての充足を得られるような社会構造となっている。
(『ヘヤーインディアンの社会に見る子育て観』より)
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子どもは集団に充足をもたらし、生きてゆく活力を与えてくれる
独り占めするものではなく、皆と共有し、共に成長してゆくものなのですね
そして、子供たちが最初に教えられることは、とってもシンプル!
あれこれ状況に応じてコト細かに、手取り足取り、なんてこととは対極です。
じっと聴いてごらん、
そしてそれを楽しんでごらん。
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(引用部分)
「子供の訓練は、じっと座っていなさい、そしてそれを楽しんでごらん、という教えから、はじめられるものである。子供たちは、嗅覚を敏感にして、なにも見るものがないところになにかを見たり、まったくの静寂のなかに、じっとなにかを聞き取ったりするように、と教えられた。じっと座っていることのできない子供は、ちゃんと成長していない子供だ」
ルーサー・スタンディング・ベア
(アメリカ・インディアンの首長)
君たちの耳にはいろいろな音が入ってきている。
それは自動車やテレビの音、電話など実に沢山の雑音が君たちの周りを取り囲んでいるよね。
でもそんな音から離れて、風の音くらいしか聞こえない所に投げ出されたとしたら、君たちはどう感じるだろうか。
まるで自分がたった一人でポツンと誰もいない所に置かれた時のような孤独感を味わうかもしれない。
「沈黙」という得体の知れないものに脅えている自分自身に震え上がるかも知れない。
でも先住民と呼ばれる人たちは自分たちの子供たちをまずこの「沈黙」の中に放り込んだんだ。
そして「じっと聴いてごらん、そしてそれを楽しんでごらん」という言葉だけしか言わない。
たとえそこに森や泉や動物がいなくてもじっと聴くことを学ばせた。
インディアンの社会では「じっと聴く」ことが出来ないものは成熟した大人として認めなかったんだよ。
そのようにして先住民族の子供たちは自分たちが立っている世界のさまざまな声を心で聴いたんだね。
君たちがこの沈黙の中でじっと生命の声を聴き取ることが出来たら、君たちの根っこは大地につながり支えてくれると思う。
大地に根をはった人、つまりこの「聴くこと」を真に知っているものは、他の人の喜びや悲しみにも耳を傾けることができると僕は思うんだ。
苦しい時にも「あるがまま」の自分を認め、じっとたたずむことが出来る人は倒れないだろうね。
それは沈黙を通して大地としっかりつながっているからだと思うんだ。
だから君たちもインディアンの「じっと聴いてごらん、そしてそれを楽しんでごらん」という言葉を忘れないでほしい。
(『未来をまもる子どもたちへ』より)
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常に周りから真似び、充足源として感謝され、沈黙を楽しむ。
それらを通じて、インディアンの子どもたちは、
あるがままを受け入れる肯定感や感謝観を育み、そしてコトの本質を掴む力を培っていくのではないでしょうか。■儒教文化圏での伝統的な子育ての状況と意識
今回は、清朝末までの子育てと韓国の李朝時代(1393-1894)の子育てを紹介します。
言うまでもなく、中国、韓国は、エスキモーやインディアンと違って、何千年にわたり戦争を繰り返してきました。
そのたび王朝が変わり、最も激しい私権闘争を繰り広げてきた国々です。
子育てもその影響を強く受けている思われますが、これらの国々での子育てが、どうのように行なわれていたのか見ていきます。
中国の場合は、礼教主義(礼儀作法、道徳を身につけさせること)による教育が清朝末に至るまで続き、李朝時代の場合は,子どもの教育において、長幼の序(年長者と年少者との間にある秩序。
子供は大人を敬い、大人は子供を慈しむというあり方)が極めて厳格に守られていました。
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(以下、「子ども観に関する比較教育文化的考察」より引用)
儒教文化が,とりわけ近世の東アジアの教育文化に及ぼした影響はたいへん大きいと言える。
その例として,
「男女七歳にして席を同じくせず」
といった成長段階における一連の教育内容をはじめ,
「弱冠」といった年齢の区切りによる人生の儀礼などの共通的な面があげられよう。
しかし文化の類型から見れば儒教文化という共通の土壌を持ちながらも,そこで培われた子ども観とそれに関わる子ども文化の特性は,必ずしも一致しているものではない。
日本の場合は,江戸時代(1603-1867)の儒学者らによって子どもを大人と区別した存在として認めようとする動きが見られており,また貝原益軒の『和俗童子訓』(1710)に代表されるような比較的緩やかで自然的な子どもの発達を援助しようとした子ども観が芽生え始める。
これに比べ,中国の場合は「礼教主義」による教育や教科書,教育内容がほとんどかわることなく清末に至るのであり,子どもの教育において「長幼の序」が極めて厳格に守られてきた李朝時代(1393-1894)の場合は, 1920年代に入って,始めて児童の人格をめぐる問題がとりあげられるようになるのである。
このように,近代以前の中国と韓国の子ども観に比べ,日本の子ども観は大きく言って東アジア世界の子ども観の類型に属しょうが,児童期を大人になるための準備期としてとらえ,その独立性を認めなかった清末までの中国とは区別されるのであり,そして伝統社会を解放以前までとする韓国の子ども観とも異なると言えよう。◆中国の儒教の礼教主義に見る子ども観と遊び
清朝末までの中国では、子どもをどのように扱い,理解していたのだろうか。
教育目標は、五倫(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)で示されているように,現世の秩序を保ち,人間関係の調和に重点を置いた儒教道徳が目指す人間関係のあり方を身につけることであった。
したがって子どもはあくまでも大人になる準備段階にあるものとして大人らしく振舞うこと,すなわち,大人の行動規範の体得に務めることこそが子どもの本務でもあった。
儒教の礼教主義は,最も朱子学が威勢を振っていた東アジアの近世において児童少年向きの儒教入門書として広く読まれた『小学』(1187)によく表れている。
この『小学』は儒教倫理を集約したもので,教えの根本は日常生活で実践すべき五倫にあることを強調していることから,結局理想とされる人間像も「立志」を通して,聖人の教えを学び聖人君子たる徳を備える道徳的人間にあったのである。
こうした儒教の礼教主義は, 子どもに大人としての振舞いを身につけさせることが大事であって,子どもの自由な活動は制限されたものはもちろん, 子どものもつ独自性をみとめようとしなかったことを意味する。
当然ながらそこには,子どもとは常に教育されるものであるから,戯れ遊ぶことを好む子どもへの理解がなかったことを表しているのである。
王陽明の『伝習録』(16世紀)に至って,児童教育に対し括目に値する変化が見える。
すなわち,彼は,
「昔の教育者は人の行うべき倫理を教えた。
後世になると(古典を暗唱する)記誦や、
(文章の功拙を争う)章詞の風俗が起こって,
(人論を教える)先王の教育は亡びてしまった。
今児童を教育するには〈古の教育にたち帰って〉孝弟・忠臣・礼儀・廉恥(の人論)を教えることに専念しなければならない。
……大体,児童の心情は(自由な)遊びを楽しんで,拘束をきらう。
(それはちょうど)草木が芽生えはじめた時には,のびるにまかせれば,四万に枝を張るが,ねじまげれば衰えしぼむようなものである。
今児童を教育するのに,かならずその行こうとする方へはげましてやり,その心を喜ばすようにすれば,その進歩は自然おし止めることができない」
と,遊びを楽しむ子どもの心情を理解しそして生まれつきの本能を導き出すような,自然な教え方を勧めている。
そして,
「近ごろの児童教育に従う者たちは,毎日ただ句読点のつけ方や課業をやらせるばかりで, (児童に)課業をきちんとおさめることは求めるのだが,礼法で導くことを知らないし, (知的に)聡明であることを求めながらも,善導で心を修養させることを知らないのである。
鞭で打ったり縄で縛ったりして,囚人を扱うようにするから,彼らは学舎を牛獄のように思って入ろうとしない。
……これは児童を悪に駆り立てながら善を行えと求めるようなもので」あると,
当時の児童教育の矛盾を鋭く指摘している。◆李朝時代における子ども観と遊び
では,李朝の儒学者は子どもの遊びをどのように見ていたのか。
李朝社会は、教育の目的は、倫理道徳に重点を置いて善人を養成することとし,その最終目的は聖賢の境地に達することであった。
当時の教育を担っていた儒学者たちは,子どもヘの理解と配慮に基づいた教育論は提示せず、あくまでも子どもを大人の延長としてとらえようとしたのである。こうした教育思潮は,子ども期不在といった子ども文化の特徴を露呈したものと言える。
そして「長幼の序」における上下関係の礼儀がきわめて重視されるなかで子どもは男女の分別を教える七歳より大人として扱われ,大人社会に組み込まれていったと言える。
李徳懲は,学問に励むべき子どもにとって戯れ遊ぶことは百悪をもたらすものとして厳しく戒めている。
彼は「子どもの習癖はみんなが読書を厭い働くことを恥じらいながらも,戯れ遊ぶことは勧めなくてもよくでき,教えなくても夢中になる」と厳しく戒めている。
このように李朝の子ども観は,前に述べたように朱子学による崇礼主義によって教育も子どもは大人と想定され,「大人の小型」としてそれにふさわしい厳しい教育がおこなわれたのであり,したがって子どもは常に大人の規制によって正しく導かれるものとされ子どもの自由な活動を認めようとしなかったのである。
しかし,以上で見られるような李朝時代の子どもの様子が礼教主義のなかでただ抑圧されるばかりの暗い面だけで、あったとは思わない。
また,厳しい教育はあったにせよ,そのなかでも子どもたちは明るく戯れ遊んでいたことが,上記の『士小節』のなかからも十分察せられるのであり,
また,正しい行いを持ち,好奇心に満ちたいたずらや,楽しくあそんでいる李朝時代の子どもの様子が,外国人の記録にも鮮明に描かれていることを付け加えておきたい。
(引用終わり)
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エスキモーやインディアンの子育てには、教育するという意識は、あまり見られませでしたが、中国、韓国では、庶民にまで浸透した儒教という教えがあり、この教えに沿って厳しく子どもを教育してしていたようですね。■自然外圧への適応力を培う北欧の子育て
国際的な学力テストでフィンランドが好成績をたたき出したことから、北欧の教育が注目を浴びていますが、
フィンランドだけでなく、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランドなど北欧諸国は人口は少ないながら、学力テストでは世界トップクラスに位置しています。高い学力を生み出す源泉はどこにあるのでしょう。北欧といえば、厳しい自然環境の地域ですが、それ故に子育てを通じて厳しい外圧を生き抜く智恵が継承されているように感じます。◆北欧の新生児は「肺を鍛える」
フィンランドでは、生後2週間ぐらいから「外でお昼寝」させるのが一般的です。
「外でお昼寝なんて、ぽかぽかとして気持ちよさそう」と日本人は思ってしまいますが、春や夏だけではなく冬もです。しかも場所は北欧、気温は軽く氷点下に達しますが、なんと、マイナス10度までは、外で昼寝をさせるのだそうです。
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(以下、「ちょっと変わったフィンランドの冬の子育て」より引用)
私が冬のフィンランドに滞在していた時に、フィンランド人の友達に夕食へ招かれたことがありました。
その時、玄関の前にベビーカーが一台ぽつんと置かれていました。そのベビーカーの中を見てみると、
赤ちゃんが寝ているではないですか。
その時の外気温は、-8℃。
現地では通常の温度ですが、完全防寒をさせているとはいえ、そんな寒さの中でベビーカーの中で赤ちゃんだけで寝かしているというのは日本人の感覚からしたらとてもびっくりしました。
あわてて中に入り、友達にそのことを尋ねると、フィンランドでは当たり前のことだと・・・。
いろいろ話を聞いた結果、完全防寒をさせてベビーカーに入れて眠らせると、睡眠には丁度良い温度になり、熟睡できるというのです。
さらには、現地の気温での呼吸に慣らす意味もあるというのです。
寝かせる時間も、そんなに長時間ではなく1~2時間程度の様です。
安全な北欧ならではの子育ての仕方ですね!
(引用終わり)
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日本でも、子どもに冬でも半そで半ズボンで過ごさせたり、乾布摩擦を行ったりと、体を鍛える習慣がありましたが、最近はすっかり見かけなくなりましたね◆自然の中で1日を過ごす「森の幼稚園」
自然の外圧を教育にも生かそうという試みが、「森の幼稚園」です。
「森の幼稚園」とは、文字通り、森の中で活動を行う幼稚園です。
通常は幼稚園独自の建物をもたず、天候が悪くても、自然の中に出かけて1日を過ごします。
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(以下、「教育と社会を考える」より引用)
何故「森の幼稚園」が北欧の教育の特質をよく示しているのか。
まずこうした幼稚園が成立するために必要な条件を考えてみよう。
大人にとっても「自然」は豊かなものを与えてくれるが、他方で危険にも満ちている。
普段、子どもを規制し、「こんなことしちゃ危ないからだめよ」と禁止することが多い日本の親は、森の幼稚園など考えられないかも知れない。
森の幼稚園が成立するためには、まず、子どもたちを信頼しなければならない。子どもを信頼し、必要な注意や説明を丁寧に、小さな子どもにわかるように話し、納得させなければならない。
また、子どもたちが、大人を信頼し、また必要なときには大人に相談するような姿勢を形成しておく必要がある。
そして、大人にいわれたことは、しっかりと守るような態度を養う必要がある。つまり、森の幼稚園を成立させるためには、子どもが自立的で、自由でありながら、自然をしっかりと観察したり、また、用心深く対処できることが必要なのである。
北欧の子育ては、まさしくそうした子どもを目指している。
分かりやすい例は「体罰」への対応だろう。
体罰を肯定する人は、必ず「言葉で説明してもわからない子どもがいる」という。
しかし、実際には、「子どもにわかるように説明できない教師がいる」のが実態である。
北欧の子育ては、全くの例外がないわけではないだろうが、手記の中で語られる事例では、必ず、子どものやりたいことは、まず本人の意思であることを確認して、やらせるが、危険のないように大人はそばで見守る。
また、子どもの意思で始めたことを、途中で放棄する子どもに対しては、それを始めたのは誰の意思であるかを確認しながら、子ども自身が自分の意思で始めた責任を自覚するように促す。
どんなに小さな子どもでも、大人が自分の都合で何かを押しつけたり、禁止したりせず、必ず子どもの意思を尊重して、子どもの選択を保障するという。
そういう中でこそ、自分が責任をもたねばならないことを、しっかりと理解していくと考えられているという。
「森の幼稚園」はそうした子育てを前提にしてこそ、成立するものであり、また、そうした子育てを価値あるものと認めるからこそ、考え出された幼児教育組織である。
では、実際に森の幼稚園の教育効果はどうなのか。
ドイツには300の森の幼稚園があるとされるが、一般の幼稚園と森の幼稚園の子どもの身体能力や精神的能力の比較研究が盛んである。
そうした研究のほとんどは、体力や敏捷性等の運動能力、注意力やイメージ力、表現力等の精神的な能力のほとんどすべてで森の幼稚園の出身者が上であることを示している。
そして、森の幼稚園では、自然のことを学びつつ、環境問題の意識形成を中心の目標のひとつとしているから、子どもたち自身ができる環境問題への取り組みにも熱心であることが示されている。
北欧の教育で目指されている人間像が、森の幼稚園で象徴的に現れていると考えるのである。
(引用終わり)
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北欧では教育を通じて「知的な好奇心を高め、勉強を喜びとする」ことを重視しています。
スローガンとしてあげるだけならどの国でも言っていそうですが、北欧ではそれを実現する方法論や教育の場があります。
厳しい外圧に晒されている国だからこそ、「外圧をありのまま受け入れて適応していく」という生物として当たり前のスタンス=自然の摂理に基づいた子育ての文化が根付いています。
「外圧に適応できる力を身に付ける」というのは教育の根本であり、外圧に適応しようとするからこそ「好奇心」や「学ぶ楽しさ」も沸いてくるのだと思います。
日本とは環境が違うものの、北欧の子育てから学ぶところは多いですね■子どもに寛大なユダヤ人の子育て
ユダヤ人の子育ての特色は以下の3つ。
・服従・協調を美徳とは教えない
・自分自身の独自性を築くことを奨励する
・体罰を控える、懲罰的手法は採らない幕末に日本に来た外国人が、日本人の子育てを見て、
「子供を罰せず、子供に夢中な日本人」
と評したと言われますが、日本人の子育てとユダヤ人の子育てには共通点がありそうです。
そして、これらの子育ては、感情の抑制を幼いころから求め、
時に体罰をも辞さないアングロ・サクソン的な子育てと対照的な位置にあるようです。
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◆再評価されるユダヤの母親より引用します。
(世界日報 2008/6/23)獨協大学教授 佐藤 唯行アングロ・サクソンと対照的
英語には「ジューイッシュ・マザー」(ユダヤの母親)という言葉がある。
「過保護で子供に甘い母親」という意味である。
その子育てはベタついた母子関係を築きあげてきたと考えられ、従来、否定的に評価されてきた。
ところが近年になり、「ジューイッシュ・マザー」たちの保護的かつ寛大な子育ては、キリスト教徒の母親の子育てとくらべ、子供の個性・創造性の成長を促してきたと再評価されるようになった。
その特色は、
「服従・協調を美徳とは教えない」
「自分自身の独自性を築くことを奨励する」
「体罰を控える・懲罰的手法は採らない」
というものだ。
これらはアングロ・サクソンの伝統的子育てとは極めて対照的なものである。
自分の子供に規律や団体精神を身につけさせるため、フットボールやボート競技に参加させたり、感情の抑制を幼いころから求め、時に体罰をも辞さないのがアングロ・サクソン的な子育てである。
これに対してはるかに寛大で子供に甘いのが「ジューイッシュ・マザー」の子育てである。
その起源はユダヤ教の聖典タルムードにまでさかのぼることができる。
「スマホート篇」には「子供を決して脅し罰してはならない」という規定もある。
ユダヤの母親たちは発育期にあるわが子が、みずからの才能を発見し、個性的な生き方を発達させてゆくために必要な、のびのびとした環境を与えようと、昔から努力を惜しまなかったのである。
この点について、ウォール街の長者番付にも名を連ねた大物ヘッジファンド・マネージャーのマイケル・スタインハート(1941―)は女手ひとつで自分を育てあげてくれた母についてこう回想している。
「母は学校のことで私にプレッシャーをかけることなく、私の過ちを裁くことなく、無条件の愛を私に捧げてくれた。
……母が私にどれだけ私心なく、尽くしてくれたかをいくら誇張しても誇張しすぎることはない」■子の才能を見つけ伸ばす執念
また、マイクロソフト社のCEO、スチーブン・バルマー(1956―)も少年時代を振り返り、
「私がおこなおうとするすべてのことについて、母は常に私を支えてくれたのであった。母は偉大なパートナーであり、親友でもあった」
と語っている。
さらにハリウッドの鬼才、世界的映画監督のスチーブン・スピルバーグ(1947―)は、子供のころは「問題児」で近所の家の窓にピーナツバターを塗りたくったり、八ミリカメラでおもちゃの機関車が衝突するシーンをフィルムにおさめることに熱中し、学校の勉強はろくにしなかったという。
しかし、スピルバーグの母親は、このような彼をあえて型にはめようとせず、
「あなたの悪いところは独創的すぎるところね」
と苦笑しながらその生き方を認め、終始温かく見守り続けたそうである。
もし母親が規律と服従を重んじる権威主義的な子育てで臨んでいたならば、少年スピルバーグは懲罰に萎縮してしまい、彼の天分は育たなかったであろう。
ユダヤの笑い話のなかにも、
「自分の息子がはじめてヴァイオリンの練習を始めたとき、ユダヤの母親はすでに息子が第二のハイフェッツ(ロシア生まれの天才ヴァイオリニスト、1908―87)になることを夢みているのだ」
という話があるくらいだ。
これはいまだ幼いわが子のなかに、何が何でも才能の片鱗を見出そうとするユダヤの母親たちの執念ともいえる思い込みを表現したジョークといえよう。
けれど、ひとたびその片鱗を見出したあかつきには、それを育てるために万難を排していくユダヤの母親たちの寛大かつ過保護な子育ては、子供たちの才能開花にひと役買っていることは間違いないであろう。■日本人とも共通点ある子育て
さて、ユダヤ人と日本人との間には勤勉さ、倹約精神、教育の重視など、少なからぬ共通点があることがすでに知られているが、先に述べた「寛大な子育て」も実は知られざる共通点ではなかったのかという気がしてならない。
そして、その起源も「平成のニューファミリー」などではなく、ゆうに江戸の昔までさかのぼれるのではないかと筆者は考えるのである。
その根拠のひとつが、幕末、長崎に徳川幕府が設立した海軍伝習所で勝海舟、榎本武揚ら多くの俊英を育てたオランダ人海軍士官、ウィレム・カッテンディーケ(1816―66)がしるした日本滞在記である。
その中で彼はすぐに子供を笞打つヨーロッパ人の子育てに対し、
「子供を罰せず、子供に夢中な日本人」
の子育てに注目しているのである。
「裕福な暮らしの人だけでなく、貧しい庶民も自分の子供を心底いつくしみ、大切に育てている」
と彼は指摘しているのである。
カッテンディーケが指摘した「寛大な子育て」はユダヤ人の場合と同じように、日本の子供たちの才能開花にプラスの影響を及ぼしてきたのではないだろうか。
教育学の専門家に尋ねてみたい疑問である。■たっぷりの愛情を注がれて心身ともにたくましく育つ
本源的なアフリカの子育て
アフリカと日本は、物理的にも文化的にも距離があるにもかかわらず、アフリカの子育てにはなんだか懐かしさを感じます。
赤ちゃんをおんぶ紐で背負って洗濯をする母親の姿
子守りを任されて、小さな兄弟をおんぶして遊ぶ子どもの姿
家の子としてでなく、村の子として育てる村落共同体の姿
日本ではすっかり見られなくなってしまいましたが、人類発祥の地アフリカでは、今も共同体の子育てが残っているようです。
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(以下、【世界の子育て】アフリカ vol.1より引用)
寿司詰め以上の状態の中、両手に抱えきれない荷物を抱えた、若いお母さんが乗り込んでくる。
背中にはまさに「ちょこん」という感じで赤ちゃんが。
おぶい紐等ではなく、カンガやキテンゲと呼ばれる布で「くるん。」と赤ちゃんが巻かれ、両足だけ「ぴこんっ!」という感じで飛び出している。
このシルエットが、それはそれはとても可愛い。
「布で巻いただけで良く落ちないなぁ。」
と思うけれども、おそらく、アフリカ人女性の体形だからできるんではないかと推測。
お尻が大きい。
背中に背負われた赤ちゃんは背中に張り付きつつ、お尻をお母ちゃんのお尻に乗せている、のではないか。と、思う。
バス内、赤ちゃんをおぶったお母ちゃんが入ってくると、皆、譲る。かと思いきや、大抵譲らないんだけれども、赤ちゃんだけ近くに座っている人が預かり、面倒を見ている。
そんな助け合いは見ていて微笑ましく、我々の所にも何度か赤ちゃんが周ってくる。
乗り合いバスの中で良く観た光景。
赤ちゃんが起点になり、話の輪ができあがる。
「ヘイ!ブラザ―!」的ブラザーノリ文化&ポレポレ精神の中で、子供たちはとても可愛がられていた。
そして、すぐ酔う。
子供も、大人も。
移動がかなりきつい事もあったけれども、そんな、アフリカ人の助け合い精神に触れられた乗り合いバス。
(引用終わり)
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「赤ちゃんだけを預かる」というのには驚きです 親戚ならまだしも、見ず知らずの赤ちゃんを預かるとは・・・きっと、「みんな親戚」って意識に近いのでしょうね。
そのような文化が土壌にあってのことだと思いますが、アフリカでは女の子たちがベビーシッターとして若いうちから子育てを経験しています。
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(以下、アフリカとの出会い14「働くケニア人ママの育児事情」竹田悦子より引用)
働くお母さんを持つ家庭にはほとんど「お手伝いさん」がいる。
日本でお手伝いさんというと、資産家や政治家のお宅でしか見かけられない存在かもしれないが、ケニアでは、働くお母さんがいる家庭ではどんな職業であろうとも、ナニーがいることが珍しくない。
どういう人がナニーとして働いているのだろうか?
一般的に十代半ばから後半くらいまでの女の子で、小学校や高校を中退・卒業した後、結婚するまでの仕事としているケースが多い。
また親に高校や大学を負担する経済的余裕がないと学費を貯めるためにする仕事としていることもある。
特徴的なのがケニアには53の部族がいるが、同じ部族出身で血縁関係のある家庭で働くことが多い。
やはり、住み込んでいるケースが多いので、親戚や知り合いの紹介のほうが安心できるし、スワヒリ語や英語よりも部族語のほうがお互い生活しやすいということもあるのだろう。
彼女たちは確かに若い女の子が多いが、その働きぶりはプロフェショナルである。
幼いころから家事・育児を家庭で当たり前のようにするケニアの子供たちは、小学生も高学年くらいになると、お母さんと同じように家庭の仕事を一人でこなせる。
ナニーとして一日中、家にいてお母さんがやっていることのすべてを一人でやることができるのである。
買い物、掃除、洗濯、料理、育児、また来客がある場合にはその食事の面倒まで制限なく仕事が出来るのである。
(引用終わり)
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核家族化が進んだ日本では、自分の子ども以外の子育てを経験する機会がほとんどなく、最初の子に対してはついつい神経質になってしまうのですが、こうして充分経験を積んでから自分の子どもを産めるアフリカ女性は恵まれていますね。
子どもの扱いに慣れているから、赤ちゃんの扱いもなかなか大胆なようです。
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(以下、「アフリカンママ式子育て」より引用)
率直にいうと、扱いが雑!
新生児だからってようしゃないから(笑)
日本ではやめましょうといわれることばっかりやっちゃうってかんじ(汗)
まず沐浴(お風呂)の入れ方がすごい。
いかに水を使わないようにいれるかってこと徹底してる
まぁギニアでは本当にお水は貴重ですからね~
大人もバケツ一杯で全身あらわなきゃいけないからね
・・・にしても相手は新生児ですよ~
平らなバケツにソリバを入れて
ほんのちょっとのお湯で
からだを濡らし
ちょっと私が目を離した瞬間には
その汚れた湯を手ですくって飲ませようとし
(ほんと危ない!信じられないでもギニアではそうするらしい・・・)
石鹸であたまから足まで全身シャボンだらけになったとおもったら
片手をもちあげ宙づりにして
お湯を頭から1、2杯、ばしゃ~ってかける
その時点でソリはぎゃん泣き
そのあとは
その宙づりの状態からぶるぶるぶるって赤子をゆさぶり
からだについてる水を飛ばす(汗)
仕上げは
息をおもいっきり左右の耳に吹きかけ
耳のなかの水をとってくれている様子
で、おしまい。
ほんと、衝撃的だった。
母たるもの、なにもできずあわあわしてましたわ・・・
沐浴の度、最初は毎回ぎゃん泣きのソリバだったけど
慣れってすごいね
最後のほうはケロッとして
なされるがまま耐え抜くわが息子
たくましく思えた瞬間だったな。
そんなこんなで
アフリカンベビ・キッズたちは
強くたくましく
アフリカの大地で生き抜いていくんだろうね。
(引用終わり)
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北欧の子育てでも扱いましたが、
子どもが健全に育つには外圧が必要。
どんな外圧に対しても立ち向かえるようにしてあげるのが子育ての究極の目標であって、そのためには外圧に晒してあげる。
(体を洗った水を飲ませるのも、免疫力を鍛えるためだと思われます。)
外圧に立ち向かえる”心”を育てるためには、子どもの気持ちをしっかりと掴んであげることが大切で、赤ちゃんが泣いたらすぐに抱き上げるだけでなく、赤ちゃんがおしっこやウンチをしそうだと察知でき、おむつなしで子育てができるくらい赤ちゃんの気持ちがわかるそうです。
子どもに対して最大限の愛情を持って接するのは、江戸時代の日本の子育てとも似ています。
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(以下、E・S・モースの「日本その日その日」より引用)
世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。
ニコニコしているところから判断すると、子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい。
日本人の子供ほど,行儀がよくて親切な子供はいない。
また、日本人の母親ほど、辛抱強く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。
(引用終わり)
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人類発祥の地アフリカと、極東の僻地日本の子育てが似ているのは偶然ではなく、個人主義という西洋文明の影響を比較的受けずに、人類古来の本源的な習慣が残存しているからなのでしょう。■子供時代という概念も、幼児教育という概念もなかった中世ヨーロッパ
家康が徳川幕府を開いた頃、長崎に住んでいたスペイン人の商人、アビラ・ヒロンは、以下のような感想を書いています。
「日本の子供は非常に可愛く、6,7歳で道理をわきまえるなど優れた理解力を持っている。
しかし、その良い子供でも、それを父や母に感謝する必要はない。
なぜなら父母は子供を罰したり、教育したりしないからである」。
と述べている。
このヒロンの感想に対して、日本人には、理解しがたいところがあり、少々違和感があると思います。
日本人が父母に感謝するのは、自分を生んでくれてこの世で生を授かったこと、幼児の時にお乳を飲ませてくれたこと、だから「親の恩」があるというのが日本感覚だと思います。
ところが、西洋人が父母に感謝するのは、自分を罰してくれるから自分が成長できる、だから感謝するということである。
親が罰してくれないなら成長できないから感謝しなくてもよいというのが西洋の感覚である。
また戦国時代に日本にやって来たポルトガル出身のカトリック宣教師のフロイスも同じように描写している。
「我々の間では普通、鞭で打って息子を懲罰する。
日本ではそう言うことは滅多に行われない。」
フロイトの描写からも、西洋では、日本やエスキモー、インディアンとは、ずいぶん違った子育てをしていたようですね。
それでは、西洋の子ども観がどのようなもので、どのような幼児教育が行われていたのかを見ていくことにしましょう。
----------◆西洋の子ども観
驚くことに子供という概念はなく、子供はあえて言うなら「小さな大人」と考えられていました
西洋の中世社会では「子供」期という概念は存在していなかった。
これは子供が無視され、見捨てられ、あるいは軽蔑されていたのではなく、子供と大人を分けて考えるということがなされていなかったということを意味している。
現代であれば、子供はその特殊性に注目して、大人とは異なる子供特有の服や遊びがある。
しかし中世の社会では「子供」という概念が存在していなかったために、子供特有の何かというものも存在しなかったのである。
その理由を考える上で重要なことの一つは、中世において乳幼児死亡率が非常に高かったことである。
小さな子供は死去する可能性があるゆえに、数のうちには入っていなかったのである。
「私はまだ乳呑み児であった子供を二、三人亡くした。
痛恨の思いがなかったわけではないが、不満は感じなかった」
と、モンテーニュは述懐している。
子供はその生存の可能性が不確実な、この死亡率の高い時期を通過するとすぐに、大人と一緒にされていたのだった。
中世では子供はどんどん生まれ、どんどん死んでいた。
したがって、死んで当たり前とまではいかなくとも、子供が死んで親が悲しむということはむしろ異例であるとされていた。
このように小さな子供は死ぬ可能性が高いために、人間の範疇には入っていなかったのである。
それゆえ家族の一員とも考えられない。
そして、子供は生存可能性の不確実な時期(七歳くらい)を越えると大人の一員とされ、「小さな大人」となる。
「小さな大人」となった「子供」は徒弟や家庭奉公として他人の家に送り出されることになる。
子供と大人が未分離であったことを理解するために、ここでいくつか例をあげたい。
一つ目は服装についてである。
私たちの子供の頃を思い出してみても分かるように、いわゆる「子供らしい」服装というものが存在する。
男子なら半ズボン、女子ならスカートといったところだろうか。
しかし、中世の社会では子供と大人の服装は一緒であり、分化していない。
幼児は産衣を外されると、自分の属する身分の他の男性や女性と同じ服を着せられていた。
この慣習はおよそ十七世紀まで続くことになる。
次は遊びについてである。
現代であったら境界がそれほど明確になっているわけではないにしても、確かに「子供らしい」遊びは存在する。
ママゴトや人形遊び、鬼ごっこ等は「子供らしい」遊びの範疇に入るが、麻雀はまずそちらに分類されることはない。
また家族以外の大人と子供が一緒に遊ぶことはあまり多く見られない。
ところが中世の社会では、ある程度年長になると(五歳くらいから)時には子供たち同士で、時には大人と一緒に、大人と同じ遊びをするのである。
このように、遊びにおいても子供と大人は分離していなかったのである。
具体例の最後は「性」についてである。
現在では大人が子供に対して淫らな猥談をもちかけることは、一般的には倫理的および道徳的に悪とされる。
しかしながら中世の社会では、そのような道徳的気風は存在していなかった。
当時は子供を大人の猥談に引きずり込むことはむしろ普通であった。
子供を前にしても性的な冗談は頻繁になされ、周りもそれを自然であるとみなしていた。
以上の三点を具体例として紹介したが、これらは大人と子供は未分離であったということを理解する上で有効であろう。◆幼児教育
教育機能を持っていたのは家庭ではなく、徒弟修業や家庭奉公であった。
このような習慣を持つ社会では子供と大人の分離がなされていなかった
はじめに中世および近代における教育の担い手の比較をしてみたい。
まず中世の社会では、教育機能を持っていたのは家庭や学校ではなく、徒弟修業や家庭奉公であった。
十五世紀までの中世ヨーロッパでは、子供が七歳になると徒弟や家庭奉公として他人の家に送り込まれ、一方であかの他人の子供たちを自分のところで受け入れるのが一般的な習慣だった。
上で述べたように、子供たちはここで「小さな大人」になって大人たちの世界に入っていくことになる。
そして「小さな大人」たちはそこで見習修行生活を通して知識と実務経験を積むことになる。
教育はすべて見習修行によってなされていた。
こうした見習によって、ある世代から次の世代へ直接に伝授がなされていた時代には、学校の占める余地は存在し得なかった。
実際、聖職の見習者やラテン語の学習者のみを対象としていた学校、すなわちラテン語学校は、ごく特殊な人びとを対象とする孤立的な例に過ぎない。
大部分に共通する慣例は見習修行だったのである。
このように、ある世代から次の世代への伝授は、子供たちが大人の生活に参加することで保証されていたのである。
上述の子供と大人が混じって生活していることが、ここで理解できるだろう。
つまり、このような習慣を持つ社会では子供と大人の分離がなされていないのである。
ただし、ここで注意しなければならないことは、中世の慣習では自分の子供を他人の家に送り出してしまうということである。
自分の子供たちを自分の手元には置かないのである。
実際、徒弟や家庭奉公にだされた子供は、大人になって生まれた家に戻ることがあったとしても、必ずしも全員が全員そうだったわけではない。
したがって、この時代の家族は、親子の間で深い愛情を培うことができなかったとアリエスは述べている。◆子供と大人の分離
西洋では、子供という意識が生まれてくるのは、十八世紀以降になってからです
しかし、上で説明したような中世の社会状況は、近代になると一変する。
それは「子供」という枠組みが出来上がるからに他ならない。
しだいに人びとの心の中に「子供」という意識が生まれてくるのである。
ここで大人と子供を分離させる新たな意識が発生する。
今まで未分離だった子供と大人が分離してしまうことで、大人とは異なる子供の特殊性が注目されることになるのである。
この特殊性への注目は、子供への新たなまなざしを生むことになる。
それは次の二つである。
一点目は子供に対する愛らしさからくる可愛がりのまなざしである。
これは現在私たちが子供を見て愛らしいと思う感覚と同じであると考えて差し支えない。
この感情は当然のこと、家族環境の中や、幼児たちを相手にする際に現れてくる。
もう一方のまなざしは、家庭内部から源を発するものではない。
文明的で理性的な装束を待ち望む聖職者やモラリストより発せられるものである。
モラリストたちは「自分たちの気晴らしのため」だけに子供を可愛がるだけの大人たちを非難する。
彼らは、大人と違って子供は未熟な存在であると考え、理性的である人間に、よきキリスト教徒に育て上げるべきだと主張した。
要するに、
子供というのは理性的でないから、理性を持った人間に育て上げることが必要だとモラリストたちは論じているわけである。
一八世紀になると、以上の二つのまなざしは結びついて家庭の中でみとめられることになる。
こうして、保護され、愛され、教育される対象としての「子供」が誕生する。
子供を神聖なものとしてとらえていて、それゆえ子供を大切にし、子供を中心に据えて生活をしていた日本社会、
子供という意識すら希薄で、子供は生産を担う小さな大人と考えていた西洋社会。
この日本と西洋の子供に対する意識の違いは、非常に大きなものがあります。
また子供は未熟な存在であり、理性的で、よきキリスト教徒に育てるため、鞭で打って子供を懲罰するという子育ても日本とは大きな隔たりがあると思います。
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感謝の心を育む子育てとは?
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