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「美味しんぼ」的シリアスの斜断面 (9)/「嫌韓・嫌中」について

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転載元 雁屋哲の今日もまた

2008-08-19
■「嫌韓・嫌中」について その1
数日前に書いた「竹島(独島)問題」が、かなり、「嫌韓派」の人達を刺激したようである。

その人たちの反応を見ていて、私は、「嫌韓派」の人達を、「外国人嫌い」「歴史に無知」「自分自身も知らない」などと、批判するだけでは、意味がないと悟った。

人でも、物でも、ある対象を嫌うということは、極めて感情的なことであり、理性の通じないところがある。

「嫌韓」「嫌中」というのも、感情の問題だから、その間違っているところを、いくら理性的に、論理的に説いたところで、「嫌韓派」「嫌中派」の人達には受け入れられる訳がない。

そう考えてみると、「嫌韓派」「嫌中派」を嫌う私の態度も、感情に支配されているのではないかと、思う。

「嫌韓派」「嫌中派」の人達を、「外国人嫌い」「歴史を知らない」「自分自身を知らない」などと言う言葉は、かなり感情的な響きを持っている。

これでは、いけない、と反省した。
感情と感情がぶつかり合ったら、解決することも解決しなくなる。
私は「嫌韓派」「嫌中派」の人達の言っていることは、根本から間違っていると思うが、その人たちがどうしてそのような「嫌悪感」「反感」を抱くようになったのか、その理由は分かる。

私は、日本国内でこうして堂々と自らを「親韓派」「親中派」と言っているが、韓国や中国で、自分のことを「親日派」と言ったらどうなるか。
それこそ、民族の裏切り者として、袋だたきにあう。

2005年に、韓国の人気歌手、趙英男(チョ・ヨンナム)氏が、「殴り殺される覚悟で書いた親日宣言」という本を書いたところ、韓国国民の激しい反発を買い、凄まじい非難を浴びて、テレビで13年間続けていた番組の司会を下ろされてしまった。

趙英男(チョ・ヨンナム)氏はその本についての朝鮮日報とのインタビューで、
「親日宣言という言葉で韓国社会が持つ何らかの固定観念を壊したいと思ったのか。」
という問いに対し、

「そうだ。韓国で親日という単語はひどい意味が盛り込まれている。
親日という単語には“売国”の意味が含まれている。
しかし、60年経った今も過去と同じような意味で使うべきかというのが私が提起したい質問だ。
勇気を振り絞ってその単語を使い、本当の意味、親しいという意味としての親日の言葉が広く使われることを希望した」
と答え、さらに、
「本を通じて伝えたかったメッセージは何か。」
という問いに対して、

「米国を行けば日本という国が違って見える。
私が大げさに言っているのかも知れないが、米国で見た日本は一等国民だ。
しかし、韓国だけは唯一、日本を最下位に評価している。
この部分を誰かは指摘すべきだと考えた。
過度に日本を低評価するのは大きな問題だ。
われわれは商売をし、利益を得なければならない国なのに、このような姿勢ではあまりにも損が大きい。
誰かがこれを指摘しなければならないが、政治家や知識人はこのようなことを恐れている。
しかし、私は道化師なのだから、こんなことを言っても別に・・・」
と答えている。
(朝鮮日報)

この程度のことを言った趙英男(チョ・ヨンナム)氏に対して、インターネット上では、

「国民の税金で運営する公営放送で親日派が司会を務めるのは国民の感情に反する。
どんな弁解も許されない」

「国の自尊心を踏みにじった」

「趙氏はこうした言葉を口にしながら、果たして日本大使館の前で沈黙デモを行っている元慰安婦女性を考えたことがあるのか。
情けない」

「趙氏の発言は韓国国民の感情に火をつけるかのようなとんでもない話だ。
大韓民国の国籍を捨て日本へ出て行け」

などと言う激しい非難が溢れ、氏はテレビの司会を下ろされ、歌手としての仕事も干された。

私は「美味しんぼ」の中で、随分、「親韓」的な話を書いているが、一部の「嫌韓派」を除いて、大部分の読者は冷静に読んでくれている。

小学館が「美味しんぼ」を連載中止にすることもなかった。

韓国で「親日」的な内容の漫画を描いたら、それで、漫画家としての生命は終わるだろう。

このような、韓国人の姿を見れば、「嫌韓」感情が起こるのも、無理はないと思う。
さらに、「嫌韓派」の人達の神経を逆なでするようなことも、韓国では起こっている。


2008-08-20
■「嫌韓・嫌中」について その2

韓国では、「日帝 強占下 反民族行為 真相糾明に関する特別法」という法律が、2004年に成立して、それに基づいて「親日 反民族行為 真相糾明委員会‎」が設立され、
日本の韓国統治時代に、日本に協力した人間を「親日派」と規定し、同じく2005年に成立した、「親日 反民族行為者 財産の国家帰属に関する特別法」によって、設立した「親日反民族行為者財産調査委員会」が、「親日派」とされた人間の財産を調べあげ、それを没収することにした。

「親日派」に指定されるのは、日本統治時代に爵位を貰ったりした政治家にとどまらず、大学の教授、画家、などにまで広がる。

2005年に、高麗大学は、
「親日教授」10人の名簿を発表した。
 
この名簿にはこの大学の設立者である
金性洙(キム・ソンス)氏をはじめ、
兪鎭午(ユ・ジノ)氏、
申?鎬(シン・ソクホ)氏、
高元勲(コ・ウォンフン)氏、
張徳秀(チャン・ドクス)氏、
趙容萬(チョ・ヨンマン)氏、
崔載瑞(チェ・ジェソ)氏など、
同大学の総長や教授をしていた7人と、
李丙(イ・ビョンド)氏、イ・カクジョン氏、ソン・ウスン氏など、同大学の卒業生3人が含まれていた。
(朝鮮日報)

また、韓国の次期 高額紙幣には、朝鮮王朝時代の女流画家で、李栗谷(イ・ユルゴク)の母として知られる
申師任堂(シンサイムダン、1504~1551)の肖像が有力視されていたが、
申師任堂の故郷である江原道江陵市が、
これまで標準として使用されてきた申師任堂の肖像画を変更する方向で検討している、
と報道された。

烏竹軒(オジュクホン)市立博物館にある申師任堂の肖像画は以堂・金殷鎬(イダン・キム・ウンホ、1892~1979)の作品で、
1986年に政府が申師任堂の標準の肖像画として指定した。
しかし、最近、親日人名辞典の編纂過程で、以堂・金殷鎬が親日派として記載されたのを受けて、肖像画を描き換えると言うのである。

「親日派」とされると、画家の作品まで否定されるのである。
芸術的な価値より、「親日派」という政治的な判断が優先する。

さらに、大田(テジョン)国立墓地に埋葬されながら、親日行為が判明した徐椿(ソ・チュン、1894~1944)の墓の移転を市民団体が要求し、徐椿の息子(74)ら遺族が
「父の墓が国立墓地にとどまることで国に迷惑がかかるのはわかっている」
とし、
「秋夕(旧盆)前に必ず移転するので、移転先を見つけるまで待ってほしい」
と要請した。

徐椿と言う人間について、我々日本人は良く知らないが、徐椿は1919年2月8日の東京留学生の独立宣言当時、実行委員11人の一人として参加した功労が認められ、大統領表彰および愛国志士敍勲を受け、1989年に大田国立墓地に埋葬されたが、朝鮮総督府の機関紙「毎日新報」社の主筆を歴任するなど親日行為が判明し、1996年に敍勲を取り消された、
のだそうである。
(朝鮮日報)

個人の墓を、破壊するとは、すさまじい。
私は、韓国の内政に干渉する気はない。
韓国人の、日本の統治時代に対する恨みと怒りも良く分かる。
それに対してどの様な行動を取ろうと、韓国の問題だ。
しかし、現在、決めた法律で、過去の人間を裁くというのはどういうものだろうか。

通常の法治国家でこのような法律が存在するものなのだろうか。

これでは、政権を握った者が、過去の政敵を葬り去るのに利用できるのではないか。

それに、「親日派」と指定された人間は既に亡くなっている。
その「親日派」の財産没収というのは、
「親日派」と指定された子孫から、財産を没収することである。

特に、親の墓の移転を迫られた人は可哀想だ。
日本人もそうだが、韓国人にとって先祖の墓というのは大事なものではないのか。
その墓を壊し、移転しろと迫るとは、肝が冷える思いだ。

親の罪を子が引き受けて、その償いをする、と言うのは、普通の法治国家ではあり得ないことだ。

しかし、それもあくまでも韓国の内政問題だ。
私にとやかく言う権利はない。

しかし、看過できないのは、この「親日派」というレッテル張りが現在にも及んでいることだ。

昨日取り上げた、歌手の趙英男(チョ・ヨンナム)氏も「親日派」とされて、テレビの司会を下ろされた。
芸能人としては、死活問題だ。

これでは、韓国で、芸能人に限らず全ての人間が、日本と親密であることは悪とされる。

高麗大学で「親日派大学教授を指定」した問題を取り上げた「朝鮮日報」はその記事を

「学生たちに“親日派教授”という烙印を押されれば、それを乗り越えることができる教授はいないだろう。
特に、日本植民地時代について研究する教授らは、研究と教育でも学生たちの監視の視線を意識せざるを得ないだろう。
そんな大学は結局、文化大革命時代の中国の大学に似ていくだろう。」

と締めくくっている。

この「親日派」にたいする処断は全韓国民に対する大いなる見せしめだ。

「親日派」というだけで、韓国では、人間としての尊厳も何かも奪われてしまう。
こうなれば、韓国人で日本人と親しくしようと思う人間はいなくなる。
少なくとも、日本人と親しいところを見せては、まずい、と思うのは自然の成り行きだろう。

韓国では「親日」は絶対的な悪、とされている。
それも昔の問題ではない。
現在の問題なのだ。
現在も、「親日」は悪なのだ。
日本と親密にすることは、現在の韓国では、「悪」なのだ。
こういう状況を知れば、「嫌韓派」の人達の韓国に対する嫌悪感は、増すばかりだろう。

私個人にしても、私がいくら「親韓派」と言って、日韓友好に力を尽くしたいと思っても、相手の韓国がこれでは、どうにもならないのではないか、と疑問を抱くこともある。
韓国の、反日に利用される恐れがある。
実際に、その例もある。



2008-08-21
■「嫌韓・嫌中」について その3

2008年7月24日の朝日新聞に、
君島和彦東京学芸大学教授の
「教育の現場におしつけるな」
という意見が掲載された。

この文章の中で、君島和彦氏の述べている要点は、次の通りにまとめられるだろう。

《中学の学習指導要領解説書の中で、竹島(独島)について記述したことは、事実上「竹島は日本の固有の領土」と教えることになる。

政府は、外交関係で韓国政府に「大人の関係」を求めると言うが、これでは日本側の主張を認めなさいと言う一方的な押し付けでしかなく、これでは「未来志向の関係」は築けない。

今度の措置で見過ごせないのは政治的・外交的に解決出来ない問題を教育の場に押し付けたことである。

政府は、解説書を改訂し、以前のように「竹島・独島」について記述のない段階に戻してから話し合いを求めるべきだ。

日本政府が記述を撤回したなら、韓国政府も話し合いの席に着くべきである。》

この記事に対して、韓国の「中央日報」紙は、
「日本内部から出る良心の声」
という題の社説を書いた。
その要旨は次の通りである。

「大勢に対立してひとりで声を上げるということはたやすいことではない。
真実を追い求める良心と勇気なしにはできないことだ。
学生たちに独島(トクト、日本名・竹島)は日本領土だと教えることにした日本政府の方針に正面から反旗を掲げた日本の教授の例から、我々は日本人に知性が生きているということを確認できた。」

「独島が韓国領土であることを裏付ける歴史的・国際法的資料は多い。
学者的良心を持ってアプローチすれば異なる主張ができない。
徹底的な史跡検証のあげく内藤正中島根大学名誉教授が1905年2月、日本閣議の決議による『無主地先行獲得論』を日本政府が独島に対する領有権主張の根拠として提示してきたのは過ちだと結論づけたのはよく知られた事実だ。
君島教授も内藤教授の主張に同調している。」

「真実を追い求める良心的な学者がいて、良心の声に紙面を割く勇気あるメディアがあることは日本の底力だ。
問題は政治家と高位官僚など国家運営の主体がどれだけその声に耳を傾けるかという点だ。
少し早ければ周辺国家に言えない苦痛と被害を与えた軍国主義的侵略戦争の過ちも避けることができたのではなかっただろうか。
日本政府は周辺国との未来指向的関係を言う前に中から聞こえる良心の声から聞かなければならない。」


私が不快に感じたのは、この社説の「日本内部から出る良心の声」と言う題名であり、
そのなかに、「良心的な学者」「良心の声」という言葉を使っていることだ。

それでは、君島和彦教授以外の日本人は、良心のない人間だというのか。

竹島・独島問題は、以前にも書いたが、純然たる領土問題である。
領土問題は、日本と韓国の間だけでなく、世界中で起こっている。
それぞれの国にそれぞれの主張がある。
その主張を述べ合い、話し合って解決をする。
それが、一番理性的な領土問題の解決法である。

領土の主張をするのに、良心などを持ち出すのは、奇怪なことだ。
韓国の言うことは何でも正しく、日本の言う事は何でも間違っていて、韓国の望むようなことを言う人間は、日本人の中でも「良心のある人間」というのか。

君島和彦教授が良心的な学者であるのは当然である。
しかし、その「良心的」という意味が、この「中央日報」の社説を読むと、韓国を満足させることを言う、という意味にされている。

こんなことを、書かれては、私だったら我慢が出来ない。
それこそ、君島教授は学者としての良心から物事を言っているのであって、韓国を満足させるために言っているのではない。

現に、君島和彦教授は、最後に、「韓国も話し合いの席に着くべきだ」と書いているではないか。

このようなことをされると、私だったら非常に不快を感じる。
私の言う事を、このように、韓国の都合の良いように歪曲して、韓国の宣伝として使われたら、まことに迷惑だ。

一方、「朝鮮日報」は、
《「独島は韓国領」 日本のある大学教授の勇気》
と題した記事で、君島和彦教授にインタビューをして、次のような談話を掲載した。

《ー歴史学者の立場で独島の領有権をどう判断するか。

「竹島専門家ではなく、一次資料を研究したことはない。
しかし、(独島は歴史的に韓国領だと主張する)内藤正中・島根大名誉教授の意見に同意する。
竹島は韓国領だという主張が正しいと思う。
それに反対する主張は説得力がない」》

これに対して、同じ「朝鮮日報」の鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員が、
「記事に掲載されなかった君島教授の話」という題のコラムで、

《25日付の本紙総合1面インタビュー記事で、東京学芸大学の君島和彦教授(東アジア近代史)には失礼申し上げた。

第一に、約40分間の長いインタビューで十以上の回答をいただいたのにもかかわらず、たった二つの短い回答しか掲載されなかった点、
第二に、インタビューの終わりに、ご自身が「竹島専門家ではない」ことを前提として述べた「独島(日本名:竹島)は韓国領土だという研究を支持する」という見解が大見出しになったという点だ。
その日、わたしたちが聞きたかった内容だけが掲載され、ほかの内容はすべて消えてしまったのだ。
聞きたかった内容というのは、
「日本人も“独島は韓国領土”と話している」
という言葉だったと思う。
もちろん、君島教授もそのように考えていたが、同教授は独島の研究者ではない。
知韓派学者として君島教授が言いたかったのは
「韓日の未来のために中学校の新学習指導要領解説書にある独島領有権の記述は白紙化すべきだ」
ということだった。
このように、趣旨が一方的に変わったとき、好意的だった人々ですら韓国に対し戸惑う様子を、わたしは日本で何度も見てきた。》

と言う書き出しで、君島和彦教授とのインタビューを更に詳しく再現した。

この鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員、の態度は公正で、好感が持てる。

しかし、最初に書かれた
《「独島は韓国領」 日本のある大学教授の勇気》
と言う記事が世間に伝えた印象は消えない。

君島和彦教授は
「韓国も話し合いの席に着くべきだ」
と言っていることが、どこにも反映されていない。

君島和彦教授が、
「竹島(独島)は韓国領」
であると、考えているのは確かなのだろう。

しかし、君島和彦教授の趣旨は
「政治的・外交的に解決出来ない問題を教育に持込むな」
と言うことであり
「韓国政府は話し合い席に着くべきだ」
と言うことで有ることは明らかだ。

「朝鮮日報」は、自分たちの聞きたかった言葉だけを大見出しにし、君島和彦教授の言わんとした趣旨を変えてしまった。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員も書いているように、こう言うことをされると、
「好意的だった人々ですら韓国に対し戸惑う」
のは、当然である。

この、君島和彦教授の文章を自分たちの都合の良いように利用する韓国のやり方を見ていると、私も、私の意に反して自分の書いた物を歪曲して利用されることを非常に恐れるのである。

それでも、私は、「親韓」を貫く。

(注)サルメラ:
いやいや、鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員の書いてる記事にもおかしい個所がある。

《わたしたちが聞きたかった内容だけが掲載され、ほかの内容はすべて消えてしまったのだ。
聞きたかった内容というのは、
「日本人も“独島は韓国領土”と話している」
という言葉だったと思う。》

これ、読み方によったら、
一般レベルでは普通に、
(実は、本音のところでは)
「日本人も“独島は韓国領土”と話している」
と聞こえる、
いかにも公正で良識ぶったフリでの情報操作ではないのか。



2008-12-08
■「嫌韓・嫌中」について その4

何故私が「親韓・親中」を貫くか。
それは人間としての誇りを持って生きたいからだ。
今の日本で「嫌韓・嫌中」を選択することは、人間としての誇りを失うことだと、私は信じている。

少し前に、このページの「お問い合わせ」に次のような投書が来た。
典型的な「嫌韓症状」を呈していて、「嫌韓」の本質を見るのに役に立つので、ここに掲載する。
この方の個人的な内容は含まれていないので、プライバシーの損害にはならないと考える。
その方の投書は次の通りである。

《> 雁屋先生初めまして。

> 歴史を専攻した者です。

> さっそくですが、先生のおっしゃる「親韓」とは何ですか?

> 日本人は永遠に韓国人には頭が上がらないのでしょうか?

> 韓国は日本と違い永遠に人を許さないという文化を有し、政府主導で反日教育を行っています。

> 竹島に関しても、幼い子が独島の歌を歌う。

> 歴史に関しても韓国が有利になるような数々の捏造があります。

> ご存知でしたか?

> 先生は韓国の新聞を見て驚いてるようですが、最近知ったのでしょうか?

> 失礼ですが、先生はちょっと韓国に対して無識です。

> 朝鮮人強制連行も分かっているのは200人程でほとんどが朝鮮からの出稼ぎです。

> 慰安婦強制説も信憑性がありません。

> 私は初め韓国を好きでしたが、韓国を知るにつれ嫌いになりました。

> 彼らが変わらなければ。

> しかし韓国政府、メディアが反日を煽って政治利用しているので当分無理です。

> 彼らは反日が生きがいなのです。

> 日本人がアメリカを恨んでいないのはなぜか分かりますか?

> 日本は親米教育だからです。

> 生まれつき植え付けられた韓国人の反日感情は簡単にはなくなりません。

> 先生はもっと勉強されて下さい。

> にわか仕込みの素人韓国論をマンガで展開しないでいただきたいです。

> 何も知らない子供に有害です。

> いくつかURLを貼っておきます。

> 今後の参考にされて下さい。》

この人はのっけに、「歴史を専攻した者です」と書いている。

「専攻」という言葉は通常、高校以上の教育課程でその学問を専門に学んだ事を意味する。
しかし、この人のそれに続く文章のあまりの幼稚さ、程度の低さから見て、到底「歴史を専攻した人間」とは思えず、これはいわゆる「煽り」と称される投書であって、まともに相手にしてはいけないと考えるべきものだろう。
(中学生あたりの書いた文章に見える)

だが、日本で出されている本や雑誌の中に、有名作家や、大学教授を名乗る人で、この人と同じような程度のことを書いている例が多いので、敢えて、この投書を取り上げることにした。

私は、今の日本で「嫌韓・嫌中」を選択することは人間としての誇りを失うことだ、書いたが、この人の書いた文章を読むとその感をますます強くする。

この人は、
「失礼ですが、先生はちょっと韓国に対して無識です。
朝鮮人強制連行も分かっているのは200人程でほとんどが朝鮮からの出稼ぎです」
と書いている。

この「無識」という言葉は夏目漱石あたりが使っている言葉で、最近使われることはあまりない。
私は、この人を中学生くらいかと思ったが、もしかしたら、老人なのかも知れない。

今、私の手元に「神戸学生青年センター出版部」刊行の、
「1991朝鮮人・中国人・強制連行・強制労働 資料集」がある。

これは、主に1990年3月6日から、
1991年6月11日までに、殆どが日本で発行された新聞記事を複写して集めた物である。

複写機で複写しただけで、編集した人の意見などは一切書かれていない。
正に新聞の切り抜きを集めたような物で、その分、客観性がある。

わずか一年ちょっとの間に、日本各地で、朝鮮人と中国人の強制労働に関する記事が、様々な新聞に掲載されていることに、私はまず驚いた。

北海道から九州まで、全国で朝鮮人と中国人の強制連行と強制労働が記録されているのである。

炭砿で働かせ、地下工場で働かせ、松代の大本営の地下壕で働かせ、と手当たり次第、朝鮮人・中国人を連行して強制労働をさせている。

《第二次大戦末期、軍は大本営と皇居を長野県松代に移す工事を実行した。
それに使われたのは多くの朝鮮人と・中国人たちだった。
松代大本営は完成前に日本が降伏し、今では歴史資料として公開されている。》

ちょっと調べてみると、まさかと思うような県にも、強制連行と・強制労働の記録が残っている。

私は十数年前に、日本軍に捕らえられたオーストラリア兵の日本における待遇を調べるために、オーストラリアのキャンベラの、オーストラリア戦争博物館を訪ね、そこの資料室で様々な捕虜たちの残した記録を読んだ。

その中で一番多かったのは、自分たちが日本軍から、残虐な待遇を受けた記録だったが、同時に、九州の炭砿で強制労働させられたオーストラリア兵は、自分たちと一緒に、強制連行されてきた朝鮮人と中国人がそれこそ奴隷に劣る状況で無惨な強制労働をさせられていたことが記されていて、そんなことを予想もしてなかった私は、激しくたじろいだ。

日本政府による、朝鮮人・中国人の強制連行、強制労働を否定する人達は今でも少なくないが、まさかオーストラリア兵がその証言をするとはその人たちには思いも寄らぬ事ではなかったか。
正に思わぬ所に伏兵あり、である。

日本でも、官僚の上層、政界の上層部、大会社の上層部あたりの地位に足が掛かると人々は突然、舌がねじれてしまい、まともなことを言えなくなるようだが、新聞に登場する普通の人達は率直に事実を物語る正しい心を失っていない。

多くの日本人が、朝鮮人・中国人を強制連行して強制労働させたことに対して、申し訳のないことをしたと、罪の意識を持っておられる。

さてこの資料集に、幾つかの記事がある。

☆その1「神戸新聞1991年3月6日」
「労働省は、約9万人分の強制連行者の名簿の写しを外務省を通じて韓国大使館に手渡した。
これは、米戦略爆撃調査団がまとめた連行数66万7千6百84人の13パーセントにとどまり、韓国政府や韓国世論は満足していない。」

☆その2「神戸新聞1991年9月11日」
「国立国会図書館に保存してあった特高作成資料で、強制連行朝鮮人は24万人に上ることが、日本辯護士連合会と、朝鮮総連で組織する『朝鮮人強制連行真相調査団』の調べで分かった。」

☆その3「毎日新聞1991年5月23日」
「昭和十八年に当時の厚生省健民局が作成した文書が発見された。
中には『強制連行した朝鮮人の契約期間終了後も、戦時下で生産能力増強のため日本国内で働かせる必要がある』とも記された文章が付け加えられている。」

書き出すときりがない、日本各地にこのような例が無数にある。

これらの例はすでに歴史的に確定した事実である。
この人の書いてきた「200人程度で、ほとんどが朝鮮からのでかせぎです」と言うのは、一体何なのだろう。

もう20年も前に明らかになった事実なのに、この人はいまさらなにを200人程度などというのだろう。

好意的に見て、無知(その人風に言えば「無識」)と言うことになるが、「歴史を専攻した者」がこの程度の基本知識を持っていないことは、信じられないことだ。
この程度の基本的な知識も持たずに、歴史について、他人に語ること自体、無知を通り越して犯罪的である。
真実を損なうからだ。

知っていて、こんな事を言うとしたら、それは嘘つきか、デマを飛ばして人を扇動しようとする人である。

無知も、嘘つきも、デマを飛ばして人を扇動する人間も、恥ずべき存在である。
人間としての誇りを失っている。

この人は
「日本人は永遠に韓国人には頭が上がらないのでしょうか?」
と書いている。
どうしてこの人は
「日本人は韓国人に頭が上がらない」
と考えているんだろう。

人の深層心理というもは、思わぬ片言隻句に表れる物で、この人はこんな事を言う事で、自分自身、気がつかないうちに心の底で「韓国人に頭が上がらない思いをしている」心理状態を示してしまっている。

この人が、心の深いところで「韓国人に頭が上がらない思いをしている」理由は、韓国人に対する罪の意識を深く持っているからだろう。
この人の文章の特徴は、「韓国人が反日的である」事を強調するだけであって、どうして韓国人が「反日的」になったのか、その原因を少しも書かないところである。

本当に「歴史を専攻した者」であれば、十九世紀から、日本が朝鮮に対してどの様なことをしてきたか、知らないはずがない。
日本が朝鮮・韓国、そして中国どんなことをしてきたか、そんなことを今更ながら復習するのは馬鹿らしい話だが、この投書を送ってきたような人が日本には少なからずいるようなので、馬鹿らしいと、高みの見物にとどまらず、馬鹿馬鹿しいことは一つ一つしらみつぶしにいていかないとならないと思う。

ああ、こんなに、辛いことはないのだが、乗りかかった船だ。
愚者を愚者とを罵るだけではだめで、悪質な愚者に誘われかねない、無垢な人のために、きちんとしたことを書いていかなければならないと思う。
ここから先は、日を改めて書くことにする。

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