沖縄基地を災害避難所にしろ
普天間基地問題に関しては、僕は言うなれば過激派である。つまり基地の地元の皆さんに「もっと怒れ」「もっと叫べ」とけしかけている。なぜなら今の状況では、地元が激しく怒ること以外には問題の道筋はつけられないと考えるからである。僕は米国が好きである。「日米が対等に向かい合う」という条件付きで、日米安保条約にも賛成である。また米軍が自衛隊とともに、東日本大震災の被災地を助けた事実には深く感謝したい。そのことと、日米地位協定をたてに米軍が取る横暴の数々はまったく別の話だ。人々は今よりももっと激しく怒るべきである。また小さな島の面積に照らしてみて、明らかに過重負担である米軍基地の割合は減らされるべきだと思うが、民主党現政権を含む歴代政権は、どうやって減らすかを考える代わりに、基地の沖縄県内でのたらい回しだけを考え、そう行動してきた。そこには鳩山元首相が政権を投げ出したあとに白状した「普天間基地の移設は、これまでの積み重ねの中での防衛、外務両省の発想があり、国外は言うまでもなく県外も無理だという思いが政府内にまん延していたし、今でもしている」
「“普天間基地を国外、最低でも県外へ”という私のようなアイデアは一笑に付されていたようだ。本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった」
「防衛省も外務省も沖縄の米軍基地に対する“存在の当然視”があり、数十年の彼らの発想の中で、かなり凝り固まっている。動かそうとしたが、元に舞い戻ってしまう・・」
などの発言に見られる、歴代政権と官僚機構の「沖縄差別」と言われても仕方のない、不公平そのものの政策や発想がある。また北海道から鹿児島県までの地方自治体の誰もが、自らの土地に基地を受け入れようとは言わない。それは理解できることだ。誰だって面倒で危険な基地など受け入れたくはない。また沖縄県民も、国内のどこそこに基地を持って行け、とは口が裂けても言えないだろう。それは彼らと同じ苦しみをその「どこかの地」に持って行けということだから。地元の人々はただ基地の重圧を軽減してくれ、と言っているだけだが、他の日本国民が見て見ぬ振りをしている。見て見ぬ振りをしているように見える。そして政府はそれを敏感に察して、県内でのたらい回しを画策する。つまり、それは、普天間基地問題では日本国内のどこからも援助の手はやってこない、ということである。それならば仕方がない。怒って怒って、憤死するまで怒って怒りまくれ、というのが僕の主張である。これは政治の話であり国を相手の話であり米国と米軍を相手の話である。誰かが助け船を出すだろう、みたいな甘い考えでは何も解決しない。そこで、物騒なことを言うようだが、必要なら暴動を起こせとさえ僕は言う。米兵が問題を起こすような時には、街にある米軍人の車をひっくり返して火をつけてしまうぐらいの怒りを示せばいい。たとえば今から40年前に沖縄市で起こったコザ騒動、米軍車両焼き討ち事件のように。何も恐れることはない。そういう動きは国際社会が見ているから、米軍は丸腰の住民を銃剣で圧することなどできない。必要ならばツイッターやフェイスブックなどを駆使して国際世論に訴えればいい。日本と同じ敗戦国の、ここイタリアにも米軍基地はある。が、米軍が住民を無視して騒音をまき散らしたり、犯罪者の兵をかくまうような横暴が許されることは断じてない。沖縄で、また別の基地の地元で、米軍が平然とそんな行動に出るのは、不公平な日米地位協定があり人種差別意識があるからだ。日米両国が対等な立場で手を組み、沖縄に限らずすべての基地を抱える地元の理解を得て、不公平感をなくして行くべきである。だが、もっといいのはむろん基地そのものをなくしてしまうことだ。例えば基地を災害避難所に造り変えるのはどうだろうか。今回の東日本大震災も16年前の阪神淡路大震災も寒い時期に起きている。またそうではない例えば新潟中越地震の場合でも、災害後に厳しい寒さが訪れて、被災者の皆さんの苦労をさらに大きくした。そこで、冬でも暖かい沖縄の米軍基地の全てを、国営の災害避難所に作り変えて、残念ながら今後も全国で発生し続けることが宿命の、あらゆる種類の天災への備えにしたらいい。沖縄以外の日本国土は、どこも真冬には雪も降る寒い土地柄だ。冬でも花が咲き乱れ小鳥がさえずっている沖縄県に、苦しんでいる被災者の皆さんを迎えてあげるのは意義のあることであろう。まず手はじめに普天間基地の米軍に退散を願って避難所となし、再び冬を迎えた東日本大震災の被災地の皆さんを受け入れる。とにもかくにも厳しい寒さをしのげる、というだけでも大きな負担減になるのではないか。そうすれば、沖縄県民の基地への怒りも嘆きもきれいさっぱりとなくなり、本来の明るい性格ともてなしの心だけが最大限に発揮されて、被災者の皆さんを暖かく迎え、援助の手を差し伸べるだろう。基地擁護論者が言いたがる抑止力が、国難を排するための力であるなら、大震災で甚大な被害を受けて苦しむ国民の存在、という大きな国難を排する避難所こそ、真の抑止力だと言うこともできる。普天間基地を開放して作る避難所には、被災者の皆さんが家族ごとに入れる、アパート群を始めとする設備を作り、災害避難所として使われない期間は、国民保養所や国民宿舎のような形にして低料金で貸し出せばいい。言うまでもなく、災害が発生した場合は無条件に明け渡す、という契約で。荒唐無稽な話、と一笑に付す人もいるだろう。だが民主主義国家のわが国において、沖縄県民の民意を完全に無視して、政府首脳や閣僚が島を訪れては、バカの一つ覚えのように辺野古への基地移設を唱えることこそ荒唐無稽だ。同じ荒唐無稽なら、被災者の負担と沖縄の基地負担を一気に解決できる避難所の方がよっぽどましである。
沖縄の基地問題を、もっと過激に問題化する―― という前段は大賛成だが、
この記事の提案するところの、「米軍基地を災害避難所に」というのは、
思いつきも甚だしい荒唐無稽さで、「反対」と言う以前の〝お話〟だ。
まず最初に、ワタシは〝沖縄に基地は必要〟と思う派だ。
沖縄に基地がなければ、たとえば米軍基地をなくしたフィリピンの今のように、
中国の好き勝手に領海侵犯されるに違いない。
問題は、この記事にもあるように、
/地元の人々はただ基地の重圧を軽減してくれ、と言っているだけだが、他の日本国民が見て見ぬ振りをしている。/政府はそれを敏感に察して、県内でのたらい回しを画策する。/日米両国が対等な立場で手を組み、沖縄に限らずすべての基地を抱える地元の理解を得て、不公平感をなくして行くべき――/沖縄で、また別の基地の地元で、米軍が平然とそんな行動に出るのは、不公平な日米地位協定があり人種差別意識があるからだ。
ということだと思う。
ワタシが考える、基地問題を冷静に話するためにまず政府がやらなければいけないこと、というのは三つ。
一つは、沖縄の景気を良くするため、直接、住民が利益を被る方法で助成する方法を採るということ。
たとえば、消費税を沖縄では取らないとか、沖縄だけがTPPの恩恵を受けれるようにするとか…これも思いつきと言われればそうかもしれないが(笑)、
ともかく、
沖縄優遇策は、〝住民が直接、まんべんなく〟その恩恵を受けられる方法で――
ということが大前提。
じゃないと、沖縄利権に群がる連中がいる限り、これまでのやり方でいくら税金を沖縄に投入しても、それは中間で詐取されるだけのことだ。
参考
もう一つは、日米地位協定の見直しに関してだが、何よりもまず、
「沖縄で犯罪を犯した米国人は米兵であれ、観光客であれ、沖縄(日本)の法で裁かせろ」―― ということ。
この二つをまず国は無条件で実行し、
そして沖縄県人がその「恩恵」と「人権回復」をホントに享受できたと感じれたとき、
改めて、基地問題をどうするかという話をテーブルの上に乗せるべき。
それが、これまで無遠慮に負担を強いてきた沖縄への礼慈でもあろう。
もっとも、その頃には、もう米軍は計画通り、基地をヨソに移してるだろう。
グアムとか、オーストラリアのあたりに。
そうなったら、沖縄に米軍基地がなくなって万々歳、ということになるのかもしれないが、ひょっとしたらその時には、沖縄県人はこの恩恵を受け続けたいがため、
むしろ、基地の存続を求める声が大きくなるかもしれない。
そうなってもらわないと、沖縄の海が全くの無防備状態となるから困る。
そして最後、三つ目は、
上記の『基地を災害避難所へ』の転載記事を見て感じたこと、
「災害避難所をつくれば、もっと私たちのやさしさとか、知ってもらえるのに」
みたいなアイデアにもみられる、いじらしくも切ない、沖縄県人の被差別意識だ。
そんなふうに相手に思わすくらいに、無関心に基地問題を放置してきてることを、
普通、恥に思わなきゃいけない道徳が、この国には欠けている。
その原因は、やはり教育。
「オレも日本人。沖縄も日本だ」
って思えるふうに育ってこなかったってことだと思う。
そういう教育が必要、ってことに行き着く。
それは、愛国心を―― ってことだけでなく…
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
――自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。(中略)
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと、言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。
(引用:司馬遼太郎『二十一世紀に生きる君たちへ』世界文化社 P17~22)
この本は、司馬遼太郎が小学校の教科書のために書いたもの。
文部科学省が蹴ってボツになった。
理由は『世界文化社』が、既得権トライアングルに入ってない出版社だったからだろう…たぶん。
橋下のいる大阪なら、
こういう教科書をきっと取り上げてくれるのではないか、って思う。