『河野談話を守る会のブログ』という記事を偶然拝見しました。
自分自身の勉強もかねて、記事内容の転載とそれに対して、多少疑問に感じるところを記しておきたいと思います。
転載元 河野談話を守る会のブログ
当ブログにはネトウヨのコメントお断り。
何の知識もなく、行き当たりばったりで知ったかぶり、対話も成り立たないのでは、時間の無駄。
■はじめまして
2012/10/15
自民党の総裁選で、安倍元総理は、
「河野談話を取り消し、新しい談話を出す」と主張した。
この主張は彼自身が会長、または幹事を務めた「神道政治連盟懇親会」「自民党若手議員の会」の主張である。
河野談話は、日韓の政治家によって様々に誤解されて来た。
しかし、河野談話自体には、何の問題も存在しない。
日本軍慰安婦に「強制性があった」のは、当たり前である。
むしろ、近年まれに見る名文であった。
のみならず、河野談話を取り消し「強制性」の文言を排除した談話を出すとすれば、近隣アジア諸国との摩擦は避けられない。
とりわけ、極東アジアにおいて同じ民主主義政治体制を持つ韓国との関係は回復しがたいほどの打撃を受けるであろう。
韓流ブームにおいて心情的に近くなり、経済関係においては、すでに抜き差し難い関係にありながら、日韓の一部の人間達のエゴによって、その友好関係が破壊されるとしたら、日本と韓国の双方が国家として受ける損失は測り知れないほどである。
日本の近年の右翼に関しては「日本人としてのほこり」を彼らは主張するが、むしろ「河野談話を否定」し、「慰安婦はただの売春婦である」とする事によって、人としての良心の誇りを失ってしまうだろう。
また、日本人ー「天皇の赤子」である事を誇ることが、先の15年間の侵略戦争の大きな要因となった事を知らない訳でもないだろう。
天皇がいる国ー「神国日本」がアジアの支配者であると妄想し、アジアを日本を中心として一つにするというその「大東亜共栄圏」の過信が、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と拡大されて行ったのであった。同じ轍を踏んではならない。
ゆえに、ここに河野談話を守る会を造ることになった。
■河野談話全文
2012/10/16
慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話
1993(平成5)年8月4日
内閣官房長官 河野 洋平
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。
慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。
慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。
また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島はわが国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。
政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。
また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。
われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
サルメラ
河野談話で問題なのは、この名文(笑)ではない。
河野がこの時した記者とのやり取りが、問題なのである。
官僚が用意したペーパー以上のことを言った河野の言葉尻が、河野談話の意図を世界に曲解される元となったのだから。
すなわち、この部分、
《官邸記者:
今回の調査結果は、強制連行の事実があったという認識でよろしいわけでしょうか。
河野洋平:
そういう事実があったと。結構です。》
つまり、河野は記者会見でこのように、より明確に〝強制連行〟を認めているのである。
〝強制性〟なら、どこの国でもあるだろう。
だが、〝強制連行〟を認めた国など日本以外にない。
それが同じすねに傷を持つ〝目くそ鼻くそ〟の性奴隷経験国のなかで、日本だけが特別に責められるハメに陥った最大の要因なのだと、ワタシは思う。
■各国は特に「強制連行」を非難しているのではない
2012/10/16
《みなさん、考えてみてください
被害国のみならず、世界の人々が日本の従軍慰安婦について激しい非難をしているのは
慰安婦の集め方(=募集の仕方)が悪かった(酷かった)から…なのですか?
そんなことありませんよね
世界の人々は、「侵略した国の多くの女性をその意に反して軍人の相手をさせたこと」について
非難しているのですよね
だから、安倍や橋下が口にする「慰安婦の集め方」の議論には乗る必要さえないんです
さらに言えば、騙されて慰安所に連れてこられた女性たちがなぜそこから逃げられず
慰安婦にされてしまったのか…と言えば、
それは、暴行や脅迫など「(狭義の)強制」があったから…と考えるのが自然ではありませんか
有形無形の力を行使し、被侵略国の女性をその意に反して慰安婦となるよう「強制」したのに
女性を集めるときに暴行、脅迫などの(物理的な)強制がなければ
慰安婦になるように強制したこともなかったのだ…という彼らの言い分は
単なる詭弁、話のすり替えに過ぎません》
(以上、
http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki2594/6887034.html
の記事より抜粋)
正しい意見である
アメリカ下院決議及びオランダ、カナダなど各国の決議は「強制連行」を非難しているのではなく、
その扱いの酷さを「性奴隷」と呼んで非難したのである。
すなわち
「1930年代から第二次世界大戦終了までのアジアと太平洋諸島の植民地及び戦時占領地において、日本政府はianfuないしは『慰安婦』として世界に知られることとなる若い女性たちを皇軍の性的隷属下におくためだけに公式に徴用の命令を下し、
『慰安婦』システムは輪姦、強制堕胎、侮辱及び性暴力を含み、障害、死や自殺を結果した20世紀の人身売買の最も大きなケースのひとつであった」事が非難されているのである。
「強制連行は、なかった」といくら唱えても意味がない。
また、慰安婦達の証言自体が一つの証拠能力を持つ歴史証言なのである。
もちろん、我々には資料批評が必要だが、慰安婦の証言の中に不明な点やあいまいな点が残されていたとしても、それだけで、元慰安婦達の証言の全てが否定できる訳ではない。
ゆえに、河野談話から「強制性」の文言を削る事は、100害あって1利なし。
サルメラ
橋下が言ってるのは、この問題は、戦争の狂気と、踏みにじられた女性の人権の話であるから、単なる日本叩きの材料として矮小化するのでなく、本気で議論、検証しようと言うのであれば、世界各国が抱える同じ問題として話し合おう、ということ。
別に日本は悪くないとか、日本がやったことをごまかす、ということでなく、人権問題として、互いに意見をぶつけ合おうということだ。
それをせずして、自分の国は何もなかった、という態度で一方的に相手を責めるのはフェアじゃないだろ?という、ごく当たり前の言い分を述べているに過ぎない。
■「動員には強制性あり」
米政府機密文書
2012/10/18
◆河野談話
中央日報 オピニオン『噴水台』
1993年8月に発表された‘河野談話’は、従軍慰安婦の存在を認めて謝罪を表明した日本政府の公式文書だ。
当時の官房長官である河野洋平(現衆院議長)の名義で発表された談話は、1年8カ月間の調査の末に結論を下した。
「慰安所の設置は軍当局の要請によるものであり(中略)募集は軍の要請を受けた業者が主として行ったが、甘言・強圧による事例が数多くあり、官憲が直接加担したこともあった」
河野談話が出てくるにあたっては、慰安婦強制募集事実を暴露した吉田清治の証言が起爆剤になった。
吉田は
「太平洋戦争当時に‘国民総動員令’を執行する労務報国会の山口県動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦女性も多かった」
と明らかにした。
彼の証言は、91年に朝日新聞に集中報道されて慰安婦問題への関心を触発させ、韓国では元慰安婦の公開証言が相次いで出てきた。
しかし吉田はその後、多くの批判に直面することになる。
著名な歴史学者である秦郁彦は済州道(チェジュド)現地調査を行い、
「吉田の言葉を裏付ける証拠や証言は何も出てこなかった」とし、
吉田を‘職業的作話師’だとして攻撃した。
窮地に追い込まれた吉田は「一部の事例の時間・場所には創作が加味された」と告白した。
これをきっかけに河野談話に対する批判的認識が日本で相当広まった。
政界では安倍晋三首相がその代表だ。
彼は首相就任前である2005年4月の講演会で
「慰安婦は吉田の作り話で、朝日新聞がこれを報道し独走した。
日本メディアが作り出した話が外国に広まったのだ」
と述べた。
しかし吉田が強制動員事実自体を否認したわけではない。
彼は自費を投じて韓国天安(チョンアン)に「謝罪の碑」を建てたりもした。
河野談話廃棄・修正論が‘伝家の宝刀’のように主張する論理がある。
慰安婦動員の強制性を立証する政府公式文書は1件も見つかっていないということだ。
しかし事案の性格上、強制動員事例を公文書に記録できたかどうかについては根本的に疑問の余地がある。
これよりもまず、生きている被害者の証言に証拠能力を認めない理由は何かが納得しがたい。
強制連行を証言する慰安婦女性は韓国・フィリピン・台湾・中国などアジアはもちろん、オランダにいたるまで数百人にのぼるというのに。
(引用終わり)
◆慰安婦:「動員には強制性あり」
米政府機密文書
日本の安倍首相の
「従軍慰安婦を強制的に連行したということを裏付ける証拠がなかった」
という発言が、大きな波紋を呼んでいる中、これに真っ向から反対する米国政府の機密文書が4日確認された。
1945年4月当時、中国雲南省昆明で韓国人と日本人の捕虜の取り調べを行っていた米陸軍の調査報告書によると、調査対象となった韓国人23人の中には日本軍の慰安所で妊娠したパク・ヨンシムさんも含まれていたという。
また、
「1943年7月に韓国を後にした15人は、シンガポールにある日本の工場で女性職員を募集しているという朝鮮新聞の広告を見て集まった」とされており、
「これら女性職員とともに南に向け移送された人々の中には、同じような手口でだまされ、連れて来られた少女が少なくとも300人余含まれていた」という。
これは、巧妙な手口で強制的に連行していったということを物語っている証拠にほかならない。
これまで米国立文書保管所で機密文書として保管されてきた報告書が公開されたことにより、慰安婦の動員には強制性はなかったという日本政府の主張からは、根拠が薄らいでいく見通しだ。
また、米議会で審議が進められている
「慰安婦に対し謝罪を要求する決議案」
の採択にも、拍車が掛かることが予想される。
韓国人慰安婦の半分以上が、騙されて集められたのである。
以下、日本人元軍人の証言である
◆『関東軍軍隊日記』
長尾和郎著 1968
東満の東寧の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。
その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も
・・・
これらの朝鮮女性は「従軍慰安婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で〝営業〟するとは思ってもいなかったと言う。
それが満州各地に送りこまれて、言わば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。
◆『兵隊達の陸軍史』
伊藤桂一著 1969
・・・慰安婦の多くは騙されて連れてこられたのである。
北支那の著者のいた駐屯地には、兵員600に対して朝鮮人慰安婦が4人いた。
◆『戦旅の手帳』
伊藤桂一著 1986
敗戦によって軍票が無価値になったため、只奉公をした事になる。
戦争の最大の被害者は戦場慰安婦であり、かつ彼女達の功績も黙殺できない、従って慰安婦の忠魂碑も建てるべきだ、と書いたことがある。
騙すのは、看護婦にする、と言うのと、食堂の給仕する、というのと、つまり肉体供与を条件とせず連れて行って、現場についたら因果を含めたものである。
逃げる方法はない。
・・・
20人ほどいる女の中で気質の悪いのはいなかった。
◆『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著 1981
(1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う)
私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。
生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて
「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」
という。
御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。
この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。
村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。
5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。
文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。
■朝鮮半島に横行し始めた女衒(=人買い)たち
2012/10/22
政治家達の中には、「当時、公娼制度があったのだから、売春は認められており、たいした問題ではない」と言う者もいる。
しかし、その公娼制度を朝鮮半島に持ち込み、女衒が暗躍するようになったのは、まさに大日本帝国のやった事だったのである。
以下、『天皇と朝鮮人と総督府』金一勉著からの引用である。
↓
朝鮮では古くから歌舞を専業とする妖生(キーセン)という存在があったとは言え、淫売が本業ではない。
また日本の遊郭のような大規模な人肉市場も存在しない。
朝鮮で「遊郭」「青桜」「花柳界」とかいう名称はすべて伊藤博文以後、日本人が持ち込んだものである。
伊藤統監時代から急速に増えたのは、日本人の遊郭(女郎屋)経営と花柳病の蔓延だろう。
多くの朝鮮青年が”亡国の恨”から、希望を失って退廃気分になり、酒色に溺れかかる傾向にあったのは確かで、結局各地に青桜が繁盛するようになった。
ちなみに統監府の統計年表によると、朝鮮に渡った日本人娼婦・酌婦の数は次ぎのようになっている。
1906年 2947人
1907年 2675人
1908年 4253人
1909年 3953人
1910年 4417人
「合併」を機に、日本各地から女郎屋が多数乗り込んで来た。
遊郭業者が多く進出したので、1911年5月、各道の警察部令として「芸妓・娼婦・酌婦取締規則」なるものが出された。
5年後の1916年3月には、警務総監令第4号で「貸座敷(遊郭)娼婦取締規則」を発布した。
・・・
とにかく朝鮮の都市に公然と遊郭が登場したのは日本人の登場以来の事で、朝鮮各地に娘の人身売買が公然と横行した。
日本人の居住地で知られる京城の新町、釜山の緑町、平壌の柳町、太田の春日町などには数十軒から数百軒を数える遊郭が設けられ、地方の小都市にも十数件の青桜が軒を連ねた。
( 『天皇と朝鮮人と総督府』金一勉著、P37~38)より
サルメラ
『暗躍した女衒』
とは、日本人のことなのか、とか、
『朝鮮では古くから歌舞を専業とする妖生(キーセン)という存在があったとは言え、淫売が本業ではない』
の説にどこまでの信憑性があるのか、とか、
そういう枝葉末節な揚げ足をとる議論は不毛だからしたくない。
結局これは需要と供給の話に過ぎない。
女を買ってたのは誰か、それは
『多くの朝鮮青年が”亡国の恨”から、希望を失って退廃気分になり、酒色に溺れかかる傾向にあったのは確かで』あると、この記事の中でも認めている通りである。
「売春は日本が広めたから」などという、
「タマゴが先か、ニワトリが先か」みたいなレトリックで、
まるで「阿片」を韓国に広めたというような物語にするのはいかがなものか。
要は韓国人も、『性奴隷』を利用していた、という、
〝語るに落ちる〟話ではないのか、これは?
■「公娼制度」は名前の違う「奴隷制度」であった
2012/10/23
1、廃娼運動の歴史
明治から昭和初期にかけて、廃娼運動を続けて来たのは、日本キリスト教矯風会、救世軍、廊清会などであった。
1926年に当時の警保局長であった松村義一が警察本部会議に
公娼制度の改廃に関する諮問案を提出し、廃娼論がさかんになった。
この廃娼運動は一年間に6万人の請願署名が集まった長野県の他、多くの県で行われ、1930年ころには廃娼決議をおこなう県、実施する県が続出した。
決議は
28年には、埼玉、福井、福島、秋田
29年、新潟
30年以降、神奈川、長野、沖縄、茨城、山梨、宮崎、岩手、高知、愛媛、三重、宮城、鹿児島・・・
など、全てでおよそ23県でなされた。
「公娼制度は、人身を売買し、拘束する事実上の奴隷制度である」
という認識が多数の人にあったのである。
残念ながら、その後満州事変が起こり、軍部による支配が始まり、廃娼も軍慰安婦の影に隠れてしまうようになるが。
2、『吉原花魁日記』
人身を売買し、拘束する事実上の奴隷制度
さて、では実際に「人身を売買し、拘束する事実上の奴隷制度」の中にいた女性達はどのような生活をしていたのだろう?
それが書いてあるのが、
『吉原花魁日記』である。
↓
http://www.fben.jp/bookcolumn/2010/07/post_2593.html
(2010年3月刊)
売春街、吉原で春をひさいでいた女性は自由恋愛を楽しんでいたのではないかという声が今も一部にありますが、決してそんなものではなかったことが、当事者の日記によって明らかにされています。
うしろの解説にはつぎのように書かれています。
「怖いことなんか、ちっともありませんよ。お客は何人も相手にするけれど、騒いで酒のお酌でもしていれば、それでよいのだから・・・」
そんな周旋屋の甘言を真に受けて、どんな仕事をさせられるかも知らぬまま、借金と引き換えに吉原に赴き、遊女の「春駒」となった光子。
彼女の身分こそ、まさに公娼制度の中にある娼妓であった。
(中略)
花魁なんて、出られないのは牢屋とちっとも変わりはない。
鎖がついていないだけ。
本も隠れて読む。
親兄弟の命日でも休むことも出来ない。
立派な着物を着たって、ちっともうれしくなんかない・・・。
みな同じ人間に生まれながら、こんな生活を続けるよりは、死んだほうがどれくらい幸福だか。
ほんとに世の中の敗残者。死ぬよりほかに道はないのか・・・。
いったい私は、どうなっていくのか、どうすればよいのだ。
花魁13人のうち、両親ある者4人、両親ない者7人、片親のみ2人。
両親あっても、1人は大酒飲み、1人は盲目。
原因は、家のため10人、男のため2人、前身は料理店奉公6人、女工3人、・・・。
吉原にいた女性の当事者の体験記が、こうやって活字になるというのも珍しいことだと思いました。貴重な本です。
10円あれば、7割5分が楼主の収入になり、2割5分が娼妓のものとなる。
その2割5分のうち、1割5分が借金返済に充てられ、あとの1割が娼妓の日常の暮らし金・・・
なるほど、奴隷制度だな、これは。
3、188年、働き続けなければ、借金が返せない!
次も証言である。
↓
http://bungaku.cocolog-nifty.com/barazoku/2010/01/post-cf18.html
【参考文献】
『共同研究日本軍慰安婦』
吉見義明、林博史
『ほんとはHな日本の歴史』
『廃娼唱歌 一名自由廃業娼妓の燈』
朝倉幾太郎著
『芸娼妓廃業手続独案内』
『社会廓清論』
山室軍平著
『鬼灯火の実は赤いよ』
竹内智恵子著
『公娼制度撤廃の是非 諸方面よりの総合的研究』
川崎正子著
『婦女禁売論』
徳富蘇峰著 廓清会婦人矯風会連合
『女給と売笑婦』『娼妓解放話』
横浜毎日新聞 〔マイクロ資料〕新聞会社〔編〕 国立国会図書館(製作)
1973-1981 1号(明治3年12月8日)~20647号(昭和7年11月30日)
『群馬県公娼廃止沿革史』
狩野平六著 群馬県警察部 1930(昭和5)
『石つぶての中で モルフィの廃娼運動』
ユリシーズ・グランド・モルフィ著 1984.7
『社会廓清論』
山室軍平著 東京 警醒社書店 1914
『廓清会婦人矯風会廃娼連盟報告 昭和4年度』
『福井市史』資料編
『大阪朝日新聞』昭3・12・18)
【参考サイト】
http://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E7%9F%AF%E9%A2%A8%E4%BC%9A/m3u/
http://www.ne.jp/asahi/kiwameru/kyo/yuujyo2.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/kurodakango/4884618.html
http://www12.ocn.ne.jp/~shiroku/nannpa.htm
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T5/T5-4a5-01-02-05-05.htm
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_081.htm
一橋大学大学院博士論文
http://www.soc.hit-u.ac.jp/research/archives/doctor/?choice=exam&thesisID=268
以上を参考とする。
サルメラ
《「公娼制度」は名前の違う「奴隷制度」であった》
ふむ。
まったく、そのことに異論はない。
ひどい話だ。
だから、これを機に、これまで人類がしてきた女を性奴隷として扱ってきた恥ずべき歴史、長く伏せられてきた男社会の陰部に、今こそメスを入れればいいと思う。
国も宗教をも超えて、互いに真摯にキレイごと抜きで、同じテーブルにつこうではないか。
それができるのなら、だが・・・(笑)。
■知らない人々
2012/10/26
右翼たちとネットでやりとりしていると、彼らが何も知らない事に気づく。
彼らの多くが、ネットだけで、先輩ネット右翼たちの記事を読んで、
慰安婦についての知識を蓄え、
染まって行く。
たまに読んでいても、黄文雄の本だとか、
ゴーマニズムとか嫌韓流とか、
せいぜい秦郁彦の本ぐらいしか読んでいない。
これでは、間違った知識しか知らないのも、無理はない。
まず、元慰安婦たちが、どんな体験談を語っているか?
ちゃんと知るべきだ。
別にそれをそのまま信用する必要はない。
彼女達の体験談を集めた本はたくさんある。
ネットでお手軽に調べて、分かったような気になるのは、単純すぎる。
そして次に元日本軍人たちがどんなものを書き残しているか?
知るべきである。
元軍人の中のかなり多くの人たちが、
「慰安婦が騙されて、その苦界に落とされた事」を語っている。
それから、政府の資料や防衛図書館の資料に目を通せばいいだろう。
アメリカやオランダが公開した資料もある。
そうしてから、例えば小林よしのりの主張を読んでみると、明らかにそれが”ウソ”だと分かるのである。
多くの人が探求してもいないくせに、
「慰安婦はただの商行為だった」とか、非真実なことを書き込んだりするのは、ムカつく話だ!!
サルメラ
どっちもどっち、という気がする。
相手の無知を罵りあい、自分が正しいと確信して疑わない。
ともに検証し合おう、という謙虚さがないから、いつまでも堂々巡りの不毛な論争が続く。
何故そうなるかといえば、一つの事実を全てと捉え、色んなケースがあるにもかかわらず自分が信じる論に都合のいい証拠だけをつなげようとするからだ。
真実は多面体、見る角度で変わる。
長い年月、多くの人々が絡んでいればなおさらのはずだ。
■「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の妄言録
さて、安倍氏が幹事をしていた『日本の前途と歴史教育を考える議員の会』がどんなグループだったのか?
彼らの語録を拾って、その考え方を探ってみよう。
小林興起議員
「この程度のことは違う立場から見れば、戦争だったわけですから当然のことなんですね。
これが強制連行と言ったらひどすぎますが、連れていくのに全然自由意思で『さあ、どうぞ』という話などないわけですね。
しかし、この程度のことを外国に向けて本当にそんなに謝らなきゃいかんのか。
誰がひどいと言ったって、戦争には悲惨なことがあるのであって、当時、娼婦というものがない時代ならば別ですけれども、町にあふれているのに、戦争に行く軍人にそういうものをつけるというのは常識だったわけです。
兵隊も命をかけるわけですから」
安倍晋三の石原信雄前内閣官房副長官への質問)
「もしそれが儒教的な中で50年間黙っていざるを得なかったという、本当にそういう社会なのかどうかと。
実態は韓国にはキーセン・ハウスがあって、そういうことをたくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。
ですから、それはとんでもない行為ではなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんですけれども、そのへんについて、石原さんは疑問に感じられなかったかどうかということをお伺いしたいと思います」
つまり、軍慰安婦問題の前に朝鮮半島には娼婦(キーセン)がたくさんいたのだから、慰安婦問題は大した問題ではないのではないか?と言いたい訳だ。
サルメラ
確かに下品な物言いではあるが、
見解の相違があるにせよ、
「慰安婦問題は大した問題ではない」
と言ってるようには、ワタシには聞こえない。
■安倍元総理の妄言
2012/10/28
◆安倍氏の「河野談話見直し」で波紋
ネットは快哉、韓国メディアは反発
J-CASTニュース 9月15日
自民党総裁選が2012年9月14日に告示され、安倍晋三元首相(57)、石破茂前政調会長(55)、町村信孝元官房長官(67)、石原伸晃幹事長(55)、林芳正政調会長代理(51)が立候補した。
各候補者の主張には大きな差がないともいわれている今回の総裁選だが、旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐる「河野談話」については濃淡が分かれた。
石原氏は
「河野談話はある意味すごくよくできていたと思う。
国が狭義の意味で行ったという証拠は見つからなかったけれども、あの談話を読む限りでは広義においては、そういうこともあったのではないかとも伺えるような文面になっている。
そこに知恵があったと思う」
と肯定的に評価した。
ただし、
「大統領が変わるごとに持ち出されてしまえばきりがない。
そこに成熟した日韓関係ができてない」
との言葉も加えている。
町村氏は
「河野官房長官のひとつの知恵として出されたものだと思う。
全面否定するつもりはない」
と回答。
大統領が変わるごとに問題が蒸し返されることにも触れ、
「これではエンドレス。
彼らにさらに外交的自制を強く求めていくことなくして、いくら談話をだし続けても問題は解決しない」
と述べている。
そんな中、踏み込んだ回答をしたのが安倍氏だ。
「河野談話の核心をなすところは強制連行。
朝鮮半島において家に乗り込んで強制的に女性を人さらいのように連れて行く、そんなことは事実上証明する資料はなかった。
子孫の代に不名誉を背負わせるわけにはいかない。
新たな談話を出すべきではないか」
と談話の見直しを明確に主張した。
安倍氏は首相当事の2006年10月、国会答弁で河野談話を踏襲する考えを示していた。
しかし、2007年3月に「強制性について証明する証言や裏付けるものはなかった」と発言し、
「狭義」の強制性を否定したはずが「広義」の強制性まで否定していると解釈され、韓国や中国、アメリカなどから非難を浴びた。
その後は元慰安婦に「おわび」を表明して、河野談話の踏襲を繰り返し強調していた。
今回の発言も「狭義」の強制性を証明するものはないという趣旨の発言だが、
「新たな談話」というところまで踏み込んでいる。
(引用終わり)
「河野談話の核心をなすところは強制連行。
朝鮮半島において家に乗り込んで強制的に女性を人さらいのように連れて行く、そんなことは事実上証明する資料はなかった。
子孫の代に不名誉を背負わせるわけにはいかない。
新たな談話を出すべきではないか」
と述べる安倍元総理だが、「強制連行」などと一体どこに書いてあるのだろう?
河野談話の中には「強制連行」などという言葉は存在していない。
さらには
「朝鮮半島において家に乗り込んで強制的に女性を人さらいのように連れて行く」・・・
などと言う事はどこにも書かれておらず、談話の資料として使われた形跡もない。
河野談話においては、全て政府関係の資料が調べられ、これと面会した元慰安婦16人の話を根拠においており(未公開)、一般の元軍人たちが書いた戦記などはほとんど調査されたにしてもほとんど参考にした様子がないからである。
公開された資料にも吉田清治の『私の戦争犯罪』は、参考にはされていないのである。
河野談話では「強制性があった」と書いてあり、これは当たり前である。
例えば、慰安婦が住む慰安所に夜間、兵隊が歩哨に立っていたとしよう。
夜間に逃げ出そうとした慰安婦を捕まえて連れ戻した。
すると、それはもう「強制性があった」という事であり、しかも「軍の関与を明白」にしているのである。
サルメラ
河野談話 読み上げ後の記者とのやり取りで・・・
官邸記者:
今回の調査結果は、強制連行の事実があったという認識でよろしいわけでしょうか。
河野洋平:
そういう事実があったと。結構です。
・・・こう、言っちゃってる。
これが、問題なんだ。
■アメリカ下院慰安婦決議の際のワシントンポストの社説
2012/11/3
日本の右翼達は、アメリカ下院慰安婦決議の時、
「アメリカがあんな決議をしたのは、韓国が激しいロビー活動したからだ」
などと考えるらしい。
だがそれは事実に反している。
むしろ激しいロビー活動をしたのは日本側であった。
当時、日本政府は月額5万ドルの巨費を投じてロビー活動をし、右派人脈は新聞に意見広告まで出したが、それらは全てアメリカ議員の反感を呼び起こしただけだった。
安倍総理(当時)のこうした行動に対して、ワシントンポストなどが「安倍の詭弁」などと厳しい事を書いている事を理解すべきである。
(中略)
こうして厳しい批判がなされているのは、決して韓国のロビー活動の結果などでは有り得ないのである。
ロビー活動で負けたのではない。
真実に非真実が負けたのである。
サルメラ
今では、
チャイナロビーの巨大な存在を認めぬ人は僅かもいないだろう。
【ウィキペディア】
◆世界抗日戦争史実維護連合会
抗日・反日ロビー活動を主眼とする中国系アメリカ人による団体。
本部はアメリカ合衆国カリフォルニア州。
対日集団訴訟などへのよびかけでも強い影響力を持っており、
アイリス・チャンの著書『ザ・レイプ・オブ・南京』の宣伝販売や、
日本企業に強制労働を強いられたとする賠償請求運動、
日本軍の慰安婦問題についての支援活動やロビー活動、
2007年の日本軍慰安婦を性奴隷であり「20世紀最大の人身売買」と断定して日本に謝罪を要求したアメリカ合衆国下院121号決議が可決された際、中心的な役割を果たしたことでも知られる。
■西岡力氏の言い分の問題点
2012/11/9
以下は西岡力 東京基督教大学教授が雑誌SAPIOに書いた文章です。
問題点を指摘しておきましょう。
●は私の反論です。
◆慰安婦性奴隷説”を言い出したのは
職業的反日日本人の男
SAPIO2012年8月22・29日号
西岡:
慰安婦問題が広く知られるようになって20年以上が過ぎた。
第2次世界大戦時、日本軍が慰安婦を強制連行したとの「説」はその後の調査研究によって、事実ではないと結論が出た。
しかし、残念なことに、勉強不足から慰安婦問題については韓国側の主張が「正しい」と信じている日本人も少なくない。
●「慰安婦を強制連行したとの「説」はその後の調査研究によって、事実ではないと結論が出た」
まずこれがすでに間違った認識である。
「強制連行したとの『説』が事実ではないと結論が出た」のではなく、吉田清治の証言が信用できないという結論が出ただけである。
歴史修正論者はこのような、細かい言い換えをしながら、間違った論理を展開するので注意が必要である。
サルメラ
強制連行は『河野談話』の文書内でも認めておらず、それを示す証拠も無論なく、自称慰安婦の証言、吉見教授の検証結果、何をとっても関与を示すにせよ、強制性を示すにせよ、強制連行の根拠足り得ない。
それで唯一あった『吉田証言』さえ、信用ならずとなったのに、それでも、
《吉田清治の証言が信用できないという結論が出ただけである。
歴史修正論者はこのような、細かい言い換えをしながら、間違った論理を展開するので注意が必要である。》
というのか。
一体、どっちが
『細かい言い換えをしながら、間違った論理を展開』
をしようとしてるのか(笑)。
西岡:
慰安婦性奴隷説を最初に言い出したのは誰かという点から確認したい。
それは吉田清治という職業的反日日本人だった。
韓国から出た話ではないのだ。
●
1,従軍慰安婦に限らず、日本の「公娼制度」自身が人身売買を伴う「性奴隷制度」であった。
2,吉田清治は、「性奴隷制度」という言葉をいつ使ったのだろうか?
サルメラ
《慰安婦性奴隷説を最初に言い出したのは》
これは通常の読解力ならば、
『慰安婦性奴隷説が広くまことしやかにに知られるようになった元凶は』
と理解できるだろう。
西岡
1948年に就任した韓国の初代大統領は独立運動家出身の李承晩博士だった。
李政権は日本と国交正常化交渉を持った。
その際、出来るだけ多額の戦後補償金を日本から取ろうとさまざまな名目で請求した。
そのリストが8項目の「対日請求要綱」(1951年)だった。
そこには「戦争による被徴用者への補償金」は挙げられていたが、慰安婦に対する補償は入っていなかった。
大多数の韓国人が植民地時代の実態を知っているその時期には、いくら反日政策を掲げる李承晩政権でも、慰安婦に関して外交交渉でカネを取るなどということは考えなかったのだ。
●バカを言うな。
性に対する考えが日本よりはるかに厳しい韓国社会において、「自分は何百、何千人もお客をとった慰安婦でした」などと言って名乗り出るには、相当な勇気が必要だっただろう。
彼女達の多くは、心の傷を抱えながらひっそりと暮らしていたのである。
従って軍を経験した一部の人々は、知っていたとしても、被害者が名乗り出なければ、賠償も何もありえないのは当然である。
サルメラ
そう、世界中で、
《性に対する考えが日本よりはるかに厳しい韓国》(笑)? だけが、
名乗り出ているのだ。
西岡:
性奴隷説は1965年の日韓国交正常化のときも出てこなかった。
1983年に吉田清治が『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)という本を出して初めて性奴隷説が誕生する。
吉田は1943年に軍から朝鮮人女子挺身隊動員を命令され、済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を駆り立ててあたりかまわずトラックで連行し、レイプしたという「体験」を語ったのだ。
吉田の著書は1989年に韓国語で翻訳出版された。
実は現地の『済州新聞』の女性記者が現場を取材したところ、住民らが口をそろえてそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語っていると1989年8月14日同紙に書いている。
しかし、済州新聞の記事はほとんど注目を集めず、日韓の歴史学者や反日運動家らの中で性奴隷説が静かに拡散していった。これが前史だ。
●吉田清治の名前を今日まで持ち出して来るのは、右翼だけである。
この分野で第一人者である吉見義明氏の著作にも、吉田清治の証言を殊更に重視したものは一つもない。
様々な証言、体験談、資料が存在しており、吉田清治の証言はその中のごく一部に他ならないのである。
そして歴史学はたえず資料批評を行いながら真相に近づいて行く。
また、アメリカ下院決議などは、アメリカ側の資料を元にしており、吉田清治の証言の影響を見ることはできない。
吉田証言は確かに信用のできない証言だが、それが「捏造である」と述べると同時に拡大解釈し、「軍慰安婦全体に存在していた強制性」を「捏造だ」と述べるのは、まさに「歴史修正論」のやり方であると言える。ただのイチャモン論法である。
全体として西岡氏の論説は、歴史学の基本事項さえ踏まえておらず、
慰安婦論争の経過を極めて恣意的に書いている。
そもそも彼は、慰安婦達の証言など読んでおらず、読んでいるのは秦郁彦氏の著作ぐらいではないかと思われる。
サルメラ
・・・・・・
『慰安婦達の証言』か・・・
たしかに、被害者が現に名乗り出てきてるワケだ、恥知らず・・・もとい、恥を忍んで。
その人たちには、「ウソか、マコトか」などという無粋な詮索はせず、誠心誠意、対処すべきだと思う。
だって、日本人なら、
いや、普通どこの国の人であっても、言わんだろう、こんなウソ、いくら誰かにそそのかされても・・・いやいや、それでは言い方が悪い。
どんなに証言がコロコロ変わっても、どんなに整合性がいかがわしくとも、黙って気の毒な おばあちゃんたちに頭は下げとくことだ。
その上で、『性奴隷』の話、
しっかり話し合おう。
韓国がベトナムでしたこと、米英が日本やノルマンディでしたこと。
人のこと言っときながら、自分のことは頬ッ被りなんて、卑怯はなしで、
一つのテーブルにつこうじゃないか。
せっかく寝た子(女性人権団体)を起こしたんだから。
で、最後に論評はあえてせず、
『性奴隷』に憤るブログ主のこの記事を転載して締めくくろうと思います。
■かなりウソっぽい「ライダイハン」の話
ブログやツイッターで「慰安婦」情報を発信されている方々は、ネットウヨク達がしばしば、「ライダイハン」をコメント蘭に書きこんでくるのを体験をされていると思います。
ライダイハンというのは韓越混血児の事です。
彼らのコメントを総合すると要するに
「韓国軍は、自分達がベトナムでした事を忘れたのか?」
「ライダイハンをどうするんだ?」
「(韓国軍は)強姦しまくったくせに」
「まずベトナムに補償しろ、それからだろ」
「(韓国は)慰安婦の事をいう資格はあるのか?」
・・・という理屈ですね。
この手のコメントはネットではしばしば目にします。
ベトナム戦争で韓国軍が強姦しまくり、そのためたくさんの混血児が生まれたという右翼の説は、今月号の『正論』7に特集が組まれているだけでなく『will』や文春、『週刊ポスト』などに頻繁に書かれており、特に『週刊ポスト』は3週間に渡って特集を組むと同時に、「韓国には慰安婦の事をアレコレ言う資格があるのか?」と主張しています。
週刊ポスト3,24日号『韓国軍はベトナムで何をした』では、ベトナム政府の主張のままに「韓国はベトナムでのレイプしたから、歴史を問う資格が無い」と主張。
週刊ポスト4,18号『第3弾 韓国軍はベトナムで何をしたのか 「真実」を書いた記者は退役軍人に襲撃された』
慰安婦問題にからめながら
「史実を語る資格があるのか」と書いている。
また、この動画では『WILL』の花田編集長が直接露出して「この話(韓国軍の強姦)を広める」という話をしています。http://www.nicovideo.jp/watch/1395995291
しかし、この「韓国軍が強姦してライダイハンが生まれた」という話はかなり怪しい話です。
まず、私が「ベトナム戦争」についてもっとも信用している三野正洋は
「当時、1970年の撤退まで韓国軍は、整然と行動したことでも知られていました」
(三野正洋『分かりやすいベトナム戦争全史』P91)
と書いています。
それから、ライダイハンをテーマに直接書いているレポートとして、野村進の『コリアン世界の旅』があります。
この著作は大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞しています。
この中で野村は、「ライダイハン」を取材して以下のようにレポートしています。
①「完全に誤解していた。韓越混血児のほとんどは、韓国軍兵士とベトナム人女性の間に生まれたものだと思い込んでいたのである。
そうではなく、ベトナム戦争中に技術者や労働者として来た韓国人男性との子供であった・・・」(p171)
つまり、野村は「ライダイハン」の事を、てっきり韓国軍人の子供だと思っていたが、実際には「技術者や労働者として来た韓国人男性」との子供で・・・
だから
②「日本人男性とフィリピン人女性のあいだに生れたジャピーノ約1万人・・・」(p171)
と大差無いという事です。
③「韓国から南ベトナムに向かったのは将兵だけではなかった。
国内よりも数倍から十数倍も高い賃金を目当てに、同じ分断国家の南に向かった韓国人労働者の数は65年から5年間だけでのべ五万人を越え軍事物資の輸送や荷役、ビルや道路の建設工事などに従事した」(P171)
・・・とも伝えています。
④また混血児専用の職業訓練学校の金永寛牧師の話として
「この子たちの父親の90パーセントは韓国人ビジネスマンなんです・・・
兵隊として来ていた人の子供はそんなにいないんですよ」
と言う人数についても
⑤「韓国人とベトナム人女性の間に生まれた混血児の数 およそ2千人」(P172)
・・・と書いています。
以上が野村レポートです。
このレポートの通りなら、「韓国軍がベトナム人を強姦しまくったためたくさんの混血児がうまれた」という主張は壊れてしまう。
ところが、
1999年5月6日の『ハンギョレ21』256号や2004年9月18日の「釜山日報」は、
まずライダイハンを「韓国軍による強姦被害」として伝えており、また人数を「最大3万人」と伝えたりしています。
内容がまるで違うので、どちらかが間違っているのですが、
私は野村説がだいたい正しいだろうと考えます。
なぜなら報告が詳細である上に、野村氏には、事実を捻じ曲げて嘘を書く動機がないからです。
一方、韓国の新聞のこの手の情報が「ベトナム政治局から出された資料」を元にしている事が「ハンギョレ21」(99年5月256号)から分かります。
http://www.altasia.org/hangyore/hangyore99256.htm
そしてベトナムは「国境なき記者団による報道の自由度ランク」では、報道の自由度が非常に低い国です。
つまり言論の自由が乏しく、ベトナムから出てくる情報の多くが、操作されている情報である可能性が高いのです。
ゆえに、これを情報源とする『ハンギョレ』や『釜山日報』は、ガセネタを掴まされているのではないでしょうか?
またこれらの新聞には元々、
「朝鮮戦争は、韓国軍からの侵略であった」
「ベトナム戦争は仏や米国の帝国主義のベトナム侵略である」
という事実とは異なる視点があるのかも知れません。
これらの韓国の左翼は、反米、反韓国政府の強い姿勢を持っており、そういう記事を書いてきたからです。
ゆえに”反韓国軍”を目的に持っているその情報を私は鵜呑みにはできません。
私達が知るべきなのは、事実であって、ある種の先入観に染まって捏造された情報ではない。
相手が右翼であろうと左翼であろうとどちらの嘘も私は信用するつもりがありません。
この問題は「韓国軍慰安婦」の問題でもあるのです。
韓国の左翼勢力は日本の歴史修正論者に餌を与えないで欲しいものです。
自分自身の勉強もかねて、記事内容の転載とそれに対して、多少疑問に感じるところを記しておきたいと思います。
転載元 河野談話を守る会のブログ
当ブログにはネトウヨのコメントお断り。
何の知識もなく、行き当たりばったりで知ったかぶり、対話も成り立たないのでは、時間の無駄。
■はじめまして
2012/10/15
自民党の総裁選で、安倍元総理は、
「河野談話を取り消し、新しい談話を出す」と主張した。
この主張は彼自身が会長、または幹事を務めた「神道政治連盟懇親会」「自民党若手議員の会」の主張である。
河野談話は、日韓の政治家によって様々に誤解されて来た。
しかし、河野談話自体には、何の問題も存在しない。
日本軍慰安婦に「強制性があった」のは、当たり前である。
むしろ、近年まれに見る名文であった。
のみならず、河野談話を取り消し「強制性」の文言を排除した談話を出すとすれば、近隣アジア諸国との摩擦は避けられない。
とりわけ、極東アジアにおいて同じ民主主義政治体制を持つ韓国との関係は回復しがたいほどの打撃を受けるであろう。
韓流ブームにおいて心情的に近くなり、経済関係においては、すでに抜き差し難い関係にありながら、日韓の一部の人間達のエゴによって、その友好関係が破壊されるとしたら、日本と韓国の双方が国家として受ける損失は測り知れないほどである。
日本の近年の右翼に関しては「日本人としてのほこり」を彼らは主張するが、むしろ「河野談話を否定」し、「慰安婦はただの売春婦である」とする事によって、人としての良心の誇りを失ってしまうだろう。
また、日本人ー「天皇の赤子」である事を誇ることが、先の15年間の侵略戦争の大きな要因となった事を知らない訳でもないだろう。
天皇がいる国ー「神国日本」がアジアの支配者であると妄想し、アジアを日本を中心として一つにするというその「大東亜共栄圏」の過信が、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と拡大されて行ったのであった。同じ轍を踏んではならない。
ゆえに、ここに河野談話を守る会を造ることになった。
■河野談話全文
2012/10/16
慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話
1993(平成5)年8月4日
内閣官房長官 河野 洋平
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。
慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。
慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。
また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島はわが国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。
政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。
また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。
われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
サルメラ
河野談話で問題なのは、この名文(笑)ではない。
河野がこの時した記者とのやり取りが、問題なのである。
官僚が用意したペーパー以上のことを言った河野の言葉尻が、河野談話の意図を世界に曲解される元となったのだから。
すなわち、この部分、
《官邸記者:
今回の調査結果は、強制連行の事実があったという認識でよろしいわけでしょうか。
河野洋平:
そういう事実があったと。結構です。》
つまり、河野は記者会見でこのように、より明確に〝強制連行〟を認めているのである。
〝強制性〟なら、どこの国でもあるだろう。
だが、〝強制連行〟を認めた国など日本以外にない。
それが同じすねに傷を持つ〝目くそ鼻くそ〟の性奴隷経験国のなかで、日本だけが特別に責められるハメに陥った最大の要因なのだと、ワタシは思う。
■各国は特に「強制連行」を非難しているのではない
2012/10/16
《みなさん、考えてみてください
被害国のみならず、世界の人々が日本の従軍慰安婦について激しい非難をしているのは
慰安婦の集め方(=募集の仕方)が悪かった(酷かった)から…なのですか?
そんなことありませんよね
世界の人々は、「侵略した国の多くの女性をその意に反して軍人の相手をさせたこと」について
非難しているのですよね
だから、安倍や橋下が口にする「慰安婦の集め方」の議論には乗る必要さえないんです
さらに言えば、騙されて慰安所に連れてこられた女性たちがなぜそこから逃げられず
慰安婦にされてしまったのか…と言えば、
それは、暴行や脅迫など「(狭義の)強制」があったから…と考えるのが自然ではありませんか
有形無形の力を行使し、被侵略国の女性をその意に反して慰安婦となるよう「強制」したのに
女性を集めるときに暴行、脅迫などの(物理的な)強制がなければ
慰安婦になるように強制したこともなかったのだ…という彼らの言い分は
単なる詭弁、話のすり替えに過ぎません》
(以上、
http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki2594/6887034.html
の記事より抜粋)
正しい意見である
アメリカ下院決議及びオランダ、カナダなど各国の決議は「強制連行」を非難しているのではなく、
その扱いの酷さを「性奴隷」と呼んで非難したのである。
すなわち
「1930年代から第二次世界大戦終了までのアジアと太平洋諸島の植民地及び戦時占領地において、日本政府はianfuないしは『慰安婦』として世界に知られることとなる若い女性たちを皇軍の性的隷属下におくためだけに公式に徴用の命令を下し、
『慰安婦』システムは輪姦、強制堕胎、侮辱及び性暴力を含み、障害、死や自殺を結果した20世紀の人身売買の最も大きなケースのひとつであった」事が非難されているのである。
「強制連行は、なかった」といくら唱えても意味がない。
また、慰安婦達の証言自体が一つの証拠能力を持つ歴史証言なのである。
もちろん、我々には資料批評が必要だが、慰安婦の証言の中に不明な点やあいまいな点が残されていたとしても、それだけで、元慰安婦達の証言の全てが否定できる訳ではない。
ゆえに、河野談話から「強制性」の文言を削る事は、100害あって1利なし。
サルメラ
橋下が言ってるのは、この問題は、戦争の狂気と、踏みにじられた女性の人権の話であるから、単なる日本叩きの材料として矮小化するのでなく、本気で議論、検証しようと言うのであれば、世界各国が抱える同じ問題として話し合おう、ということ。
別に日本は悪くないとか、日本がやったことをごまかす、ということでなく、人権問題として、互いに意見をぶつけ合おうということだ。
それをせずして、自分の国は何もなかった、という態度で一方的に相手を責めるのはフェアじゃないだろ?という、ごく当たり前の言い分を述べているに過ぎない。
■「動員には強制性あり」
米政府機密文書
2012/10/18
◆河野談話
中央日報 オピニオン『噴水台』
1993年8月に発表された‘河野談話’は、従軍慰安婦の存在を認めて謝罪を表明した日本政府の公式文書だ。
当時の官房長官である河野洋平(現衆院議長)の名義で発表された談話は、1年8カ月間の調査の末に結論を下した。
「慰安所の設置は軍当局の要請によるものであり(中略)募集は軍の要請を受けた業者が主として行ったが、甘言・強圧による事例が数多くあり、官憲が直接加担したこともあった」
河野談話が出てくるにあたっては、慰安婦強制募集事実を暴露した吉田清治の証言が起爆剤になった。
吉田は
「太平洋戦争当時に‘国民総動員令’を執行する労務報国会の山口県動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦女性も多かった」
と明らかにした。
彼の証言は、91年に朝日新聞に集中報道されて慰安婦問題への関心を触発させ、韓国では元慰安婦の公開証言が相次いで出てきた。
しかし吉田はその後、多くの批判に直面することになる。
著名な歴史学者である秦郁彦は済州道(チェジュド)現地調査を行い、
「吉田の言葉を裏付ける証拠や証言は何も出てこなかった」とし、
吉田を‘職業的作話師’だとして攻撃した。
窮地に追い込まれた吉田は「一部の事例の時間・場所には創作が加味された」と告白した。
これをきっかけに河野談話に対する批判的認識が日本で相当広まった。
政界では安倍晋三首相がその代表だ。
彼は首相就任前である2005年4月の講演会で
「慰安婦は吉田の作り話で、朝日新聞がこれを報道し独走した。
日本メディアが作り出した話が外国に広まったのだ」
と述べた。
しかし吉田が強制動員事実自体を否認したわけではない。
彼は自費を投じて韓国天安(チョンアン)に「謝罪の碑」を建てたりもした。
河野談話廃棄・修正論が‘伝家の宝刀’のように主張する論理がある。
慰安婦動員の強制性を立証する政府公式文書は1件も見つかっていないということだ。
しかし事案の性格上、強制動員事例を公文書に記録できたかどうかについては根本的に疑問の余地がある。
これよりもまず、生きている被害者の証言に証拠能力を認めない理由は何かが納得しがたい。
強制連行を証言する慰安婦女性は韓国・フィリピン・台湾・中国などアジアはもちろん、オランダにいたるまで数百人にのぼるというのに。
(引用終わり)
◆慰安婦:「動員には強制性あり」
米政府機密文書
日本の安倍首相の
「従軍慰安婦を強制的に連行したということを裏付ける証拠がなかった」
という発言が、大きな波紋を呼んでいる中、これに真っ向から反対する米国政府の機密文書が4日確認された。
1945年4月当時、中国雲南省昆明で韓国人と日本人の捕虜の取り調べを行っていた米陸軍の調査報告書によると、調査対象となった韓国人23人の中には日本軍の慰安所で妊娠したパク・ヨンシムさんも含まれていたという。
また、
「1943年7月に韓国を後にした15人は、シンガポールにある日本の工場で女性職員を募集しているという朝鮮新聞の広告を見て集まった」とされており、
「これら女性職員とともに南に向け移送された人々の中には、同じような手口でだまされ、連れて来られた少女が少なくとも300人余含まれていた」という。
これは、巧妙な手口で強制的に連行していったということを物語っている証拠にほかならない。
これまで米国立文書保管所で機密文書として保管されてきた報告書が公開されたことにより、慰安婦の動員には強制性はなかったという日本政府の主張からは、根拠が薄らいでいく見通しだ。
また、米議会で審議が進められている
「慰安婦に対し謝罪を要求する決議案」
の採択にも、拍車が掛かることが予想される。
韓国人慰安婦の半分以上が、騙されて集められたのである。
以下、日本人元軍人の証言である
◆『関東軍軍隊日記』
長尾和郎著 1968
東満の東寧の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。
その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も
・・・
これらの朝鮮女性は「従軍慰安婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で〝営業〟するとは思ってもいなかったと言う。
それが満州各地に送りこまれて、言わば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。
◆『兵隊達の陸軍史』
伊藤桂一著 1969
・・・慰安婦の多くは騙されて連れてこられたのである。
北支那の著者のいた駐屯地には、兵員600に対して朝鮮人慰安婦が4人いた。
◆『戦旅の手帳』
伊藤桂一著 1986
敗戦によって軍票が無価値になったため、只奉公をした事になる。
戦争の最大の被害者は戦場慰安婦であり、かつ彼女達の功績も黙殺できない、従って慰安婦の忠魂碑も建てるべきだ、と書いたことがある。
騙すのは、看護婦にする、と言うのと、食堂の給仕する、というのと、つまり肉体供与を条件とせず連れて行って、現場についたら因果を含めたものである。
逃げる方法はない。
・・・
20人ほどいる女の中で気質の悪いのはいなかった。
◆『ある日赤紙が来て』 真鍋元之著 1981
(1942年頃、平陽鎮の軍専用慰安所
つねに満員だったと言う)
私の馴染んだ慰安婦は、職業用の日本名をミサオと呼んでいた。
生家は江原道のもっとも貧しい農家だったが、ある日突然村長がやってきて
「軍の命令だ。お国への御奉公に、娘を差し出せ」
という。
御奉公の意味がすぐに分かったので、父母は手を合わせ声の限りに哀号を繰り返したが、村長は耳を貸さない。
この面(村)へ8名の割り当てが来たが、面には娘は5人しかいないから、ひとりも容赦はならぬ、とニベもなく言い放つ。
村長の背後では、刀を吊った日本人の巡査(警官)が、肩をそびやかせている。
5名の村娘が、石ころのようにトラックに乗せられ、村境の土橋を渡ったのが、故郷との別れであった。
文字が書けないので、家族の安否を、手紙で問い合わせる事もできない。
■朝鮮半島に横行し始めた女衒(=人買い)たち
2012/10/22
政治家達の中には、「当時、公娼制度があったのだから、売春は認められており、たいした問題ではない」と言う者もいる。
しかし、その公娼制度を朝鮮半島に持ち込み、女衒が暗躍するようになったのは、まさに大日本帝国のやった事だったのである。
以下、『天皇と朝鮮人と総督府』金一勉著からの引用である。
↓
朝鮮では古くから歌舞を専業とする妖生(キーセン)という存在があったとは言え、淫売が本業ではない。
また日本の遊郭のような大規模な人肉市場も存在しない。
朝鮮で「遊郭」「青桜」「花柳界」とかいう名称はすべて伊藤博文以後、日本人が持ち込んだものである。
伊藤統監時代から急速に増えたのは、日本人の遊郭(女郎屋)経営と花柳病の蔓延だろう。
多くの朝鮮青年が”亡国の恨”から、希望を失って退廃気分になり、酒色に溺れかかる傾向にあったのは確かで、結局各地に青桜が繁盛するようになった。
ちなみに統監府の統計年表によると、朝鮮に渡った日本人娼婦・酌婦の数は次ぎのようになっている。
1906年 2947人
1907年 2675人
1908年 4253人
1909年 3953人
1910年 4417人
「合併」を機に、日本各地から女郎屋が多数乗り込んで来た。
遊郭業者が多く進出したので、1911年5月、各道の警察部令として「芸妓・娼婦・酌婦取締規則」なるものが出された。
5年後の1916年3月には、警務総監令第4号で「貸座敷(遊郭)娼婦取締規則」を発布した。
・・・
とにかく朝鮮の都市に公然と遊郭が登場したのは日本人の登場以来の事で、朝鮮各地に娘の人身売買が公然と横行した。
日本人の居住地で知られる京城の新町、釜山の緑町、平壌の柳町、太田の春日町などには数十軒から数百軒を数える遊郭が設けられ、地方の小都市にも十数件の青桜が軒を連ねた。
( 『天皇と朝鮮人と総督府』金一勉著、P37~38)より
サルメラ
『暗躍した女衒』
とは、日本人のことなのか、とか、
『朝鮮では古くから歌舞を専業とする妖生(キーセン)という存在があったとは言え、淫売が本業ではない』
の説にどこまでの信憑性があるのか、とか、
そういう枝葉末節な揚げ足をとる議論は不毛だからしたくない。
結局これは需要と供給の話に過ぎない。
女を買ってたのは誰か、それは
『多くの朝鮮青年が”亡国の恨”から、希望を失って退廃気分になり、酒色に溺れかかる傾向にあったのは確かで』あると、この記事の中でも認めている通りである。
「売春は日本が広めたから」などという、
「タマゴが先か、ニワトリが先か」みたいなレトリックで、
まるで「阿片」を韓国に広めたというような物語にするのはいかがなものか。
要は韓国人も、『性奴隷』を利用していた、という、
〝語るに落ちる〟話ではないのか、これは?
■「公娼制度」は名前の違う「奴隷制度」であった
2012/10/23
1、廃娼運動の歴史
明治から昭和初期にかけて、廃娼運動を続けて来たのは、日本キリスト教矯風会、救世軍、廊清会などであった。
1926年に当時の警保局長であった松村義一が警察本部会議に
公娼制度の改廃に関する諮問案を提出し、廃娼論がさかんになった。
この廃娼運動は一年間に6万人の請願署名が集まった長野県の他、多くの県で行われ、1930年ころには廃娼決議をおこなう県、実施する県が続出した。
決議は
28年には、埼玉、福井、福島、秋田
29年、新潟
30年以降、神奈川、長野、沖縄、茨城、山梨、宮崎、岩手、高知、愛媛、三重、宮城、鹿児島・・・
など、全てでおよそ23県でなされた。
「公娼制度は、人身を売買し、拘束する事実上の奴隷制度である」
という認識が多数の人にあったのである。
残念ながら、その後満州事変が起こり、軍部による支配が始まり、廃娼も軍慰安婦の影に隠れてしまうようになるが。
2、『吉原花魁日記』
人身を売買し、拘束する事実上の奴隷制度
さて、では実際に「人身を売買し、拘束する事実上の奴隷制度」の中にいた女性達はどのような生活をしていたのだろう?
それが書いてあるのが、
『吉原花魁日記』である。
↓
http://www.fben.jp/bookcolumn/2010/07/post_2593.html
(2010年3月刊)
売春街、吉原で春をひさいでいた女性は自由恋愛を楽しんでいたのではないかという声が今も一部にありますが、決してそんなものではなかったことが、当事者の日記によって明らかにされています。
うしろの解説にはつぎのように書かれています。
「怖いことなんか、ちっともありませんよ。お客は何人も相手にするけれど、騒いで酒のお酌でもしていれば、それでよいのだから・・・」
そんな周旋屋の甘言を真に受けて、どんな仕事をさせられるかも知らぬまま、借金と引き換えに吉原に赴き、遊女の「春駒」となった光子。
彼女の身分こそ、まさに公娼制度の中にある娼妓であった。
(中略)
花魁なんて、出られないのは牢屋とちっとも変わりはない。
鎖がついていないだけ。
本も隠れて読む。
親兄弟の命日でも休むことも出来ない。
立派な着物を着たって、ちっともうれしくなんかない・・・。
みな同じ人間に生まれながら、こんな生活を続けるよりは、死んだほうがどれくらい幸福だか。
ほんとに世の中の敗残者。死ぬよりほかに道はないのか・・・。
いったい私は、どうなっていくのか、どうすればよいのだ。
花魁13人のうち、両親ある者4人、両親ない者7人、片親のみ2人。
両親あっても、1人は大酒飲み、1人は盲目。
原因は、家のため10人、男のため2人、前身は料理店奉公6人、女工3人、・・・。
吉原にいた女性の当事者の体験記が、こうやって活字になるというのも珍しいことだと思いました。貴重な本です。
10円あれば、7割5分が楼主の収入になり、2割5分が娼妓のものとなる。
その2割5分のうち、1割5分が借金返済に充てられ、あとの1割が娼妓の日常の暮らし金・・・
なるほど、奴隷制度だな、これは。
3、188年、働き続けなければ、借金が返せない!
次も証言である。
↓
http://bungaku.cocolog-nifty.com/barazoku/2010/01/post-cf18.html
【参考文献】
『共同研究日本軍慰安婦』
吉見義明、林博史
『ほんとはHな日本の歴史』
『廃娼唱歌 一名自由廃業娼妓の燈』
朝倉幾太郎著
『芸娼妓廃業手続独案内』
『社会廓清論』
山室軍平著
『鬼灯火の実は赤いよ』
竹内智恵子著
『公娼制度撤廃の是非 諸方面よりの総合的研究』
川崎正子著
『婦女禁売論』
徳富蘇峰著 廓清会婦人矯風会連合
『女給と売笑婦』『娼妓解放話』
横浜毎日新聞 〔マイクロ資料〕新聞会社〔編〕 国立国会図書館(製作)
1973-1981 1号(明治3年12月8日)~20647号(昭和7年11月30日)
『群馬県公娼廃止沿革史』
狩野平六著 群馬県警察部 1930(昭和5)
『石つぶての中で モルフィの廃娼運動』
ユリシーズ・グランド・モルフィ著 1984.7
『社会廓清論』
山室軍平著 東京 警醒社書店 1914
『廓清会婦人矯風会廃娼連盟報告 昭和4年度』
『福井市史』資料編
『大阪朝日新聞』昭3・12・18)
【参考サイト】
http://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E7%9F%AF%E9%A2%A8%E4%BC%9A/m3u/
http://www.ne.jp/asahi/kiwameru/kyo/yuujyo2.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/kurodakango/4884618.html
http://www12.ocn.ne.jp/~shiroku/nannpa.htm
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T5/T5-4a5-01-02-05-05.htm
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_081.htm
一橋大学大学院博士論文
http://www.soc.hit-u.ac.jp/research/archives/doctor/?choice=exam&thesisID=268
以上を参考とする。
サルメラ
《「公娼制度」は名前の違う「奴隷制度」であった》
ふむ。
まったく、そのことに異論はない。
ひどい話だ。
だから、これを機に、これまで人類がしてきた女を性奴隷として扱ってきた恥ずべき歴史、長く伏せられてきた男社会の陰部に、今こそメスを入れればいいと思う。
国も宗教をも超えて、互いに真摯にキレイごと抜きで、同じテーブルにつこうではないか。
それができるのなら、だが・・・(笑)。
■知らない人々
2012/10/26
右翼たちとネットでやりとりしていると、彼らが何も知らない事に気づく。
彼らの多くが、ネットだけで、先輩ネット右翼たちの記事を読んで、
慰安婦についての知識を蓄え、
染まって行く。
たまに読んでいても、黄文雄の本だとか、
ゴーマニズムとか嫌韓流とか、
せいぜい秦郁彦の本ぐらいしか読んでいない。
これでは、間違った知識しか知らないのも、無理はない。
まず、元慰安婦たちが、どんな体験談を語っているか?
ちゃんと知るべきだ。
別にそれをそのまま信用する必要はない。
彼女達の体験談を集めた本はたくさんある。
ネットでお手軽に調べて、分かったような気になるのは、単純すぎる。
そして次に元日本軍人たちがどんなものを書き残しているか?
知るべきである。
元軍人の中のかなり多くの人たちが、
「慰安婦が騙されて、その苦界に落とされた事」を語っている。
それから、政府の資料や防衛図書館の資料に目を通せばいいだろう。
アメリカやオランダが公開した資料もある。
そうしてから、例えば小林よしのりの主張を読んでみると、明らかにそれが”ウソ”だと分かるのである。
多くの人が探求してもいないくせに、
「慰安婦はただの商行為だった」とか、非真実なことを書き込んだりするのは、ムカつく話だ!!
サルメラ
どっちもどっち、という気がする。
相手の無知を罵りあい、自分が正しいと確信して疑わない。
ともに検証し合おう、という謙虚さがないから、いつまでも堂々巡りの不毛な論争が続く。
何故そうなるかといえば、一つの事実を全てと捉え、色んなケースがあるにもかかわらず自分が信じる論に都合のいい証拠だけをつなげようとするからだ。
真実は多面体、見る角度で変わる。
長い年月、多くの人々が絡んでいればなおさらのはずだ。
■「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の妄言録
さて、安倍氏が幹事をしていた『日本の前途と歴史教育を考える議員の会』がどんなグループだったのか?
彼らの語録を拾って、その考え方を探ってみよう。
小林興起議員
「この程度のことは違う立場から見れば、戦争だったわけですから当然のことなんですね。
これが強制連行と言ったらひどすぎますが、連れていくのに全然自由意思で『さあ、どうぞ』という話などないわけですね。
しかし、この程度のことを外国に向けて本当にそんなに謝らなきゃいかんのか。
誰がひどいと言ったって、戦争には悲惨なことがあるのであって、当時、娼婦というものがない時代ならば別ですけれども、町にあふれているのに、戦争に行く軍人にそういうものをつけるというのは常識だったわけです。
兵隊も命をかけるわけですから」
安倍晋三の石原信雄前内閣官房副長官への質問)
「もしそれが儒教的な中で50年間黙っていざるを得なかったという、本当にそういう社会なのかどうかと。
実態は韓国にはキーセン・ハウスがあって、そういうことをたくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。
ですから、それはとんでもない行為ではなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんですけれども、そのへんについて、石原さんは疑問に感じられなかったかどうかということをお伺いしたいと思います」
つまり、軍慰安婦問題の前に朝鮮半島には娼婦(キーセン)がたくさんいたのだから、慰安婦問題は大した問題ではないのではないか?と言いたい訳だ。
サルメラ
確かに下品な物言いではあるが、
見解の相違があるにせよ、
「慰安婦問題は大した問題ではない」
と言ってるようには、ワタシには聞こえない。
■安倍元総理の妄言
2012/10/28
◆安倍氏の「河野談話見直し」で波紋
ネットは快哉、韓国メディアは反発
J-CASTニュース 9月15日
自民党総裁選が2012年9月14日に告示され、安倍晋三元首相(57)、石破茂前政調会長(55)、町村信孝元官房長官(67)、石原伸晃幹事長(55)、林芳正政調会長代理(51)が立候補した。
各候補者の主張には大きな差がないともいわれている今回の総裁選だが、旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐる「河野談話」については濃淡が分かれた。
石原氏は
「河野談話はある意味すごくよくできていたと思う。
国が狭義の意味で行ったという証拠は見つからなかったけれども、あの談話を読む限りでは広義においては、そういうこともあったのではないかとも伺えるような文面になっている。
そこに知恵があったと思う」
と肯定的に評価した。
ただし、
「大統領が変わるごとに持ち出されてしまえばきりがない。
そこに成熟した日韓関係ができてない」
との言葉も加えている。
町村氏は
「河野官房長官のひとつの知恵として出されたものだと思う。
全面否定するつもりはない」
と回答。
大統領が変わるごとに問題が蒸し返されることにも触れ、
「これではエンドレス。
彼らにさらに外交的自制を強く求めていくことなくして、いくら談話をだし続けても問題は解決しない」
と述べている。
そんな中、踏み込んだ回答をしたのが安倍氏だ。
「河野談話の核心をなすところは強制連行。
朝鮮半島において家に乗り込んで強制的に女性を人さらいのように連れて行く、そんなことは事実上証明する資料はなかった。
子孫の代に不名誉を背負わせるわけにはいかない。
新たな談話を出すべきではないか」
と談話の見直しを明確に主張した。
安倍氏は首相当事の2006年10月、国会答弁で河野談話を踏襲する考えを示していた。
しかし、2007年3月に「強制性について証明する証言や裏付けるものはなかった」と発言し、
「狭義」の強制性を否定したはずが「広義」の強制性まで否定していると解釈され、韓国や中国、アメリカなどから非難を浴びた。
その後は元慰安婦に「おわび」を表明して、河野談話の踏襲を繰り返し強調していた。
今回の発言も「狭義」の強制性を証明するものはないという趣旨の発言だが、
「新たな談話」というところまで踏み込んでいる。
(引用終わり)
「河野談話の核心をなすところは強制連行。
朝鮮半島において家に乗り込んで強制的に女性を人さらいのように連れて行く、そんなことは事実上証明する資料はなかった。
子孫の代に不名誉を背負わせるわけにはいかない。
新たな談話を出すべきではないか」
と述べる安倍元総理だが、「強制連行」などと一体どこに書いてあるのだろう?
河野談話の中には「強制連行」などという言葉は存在していない。
さらには
「朝鮮半島において家に乗り込んで強制的に女性を人さらいのように連れて行く」・・・
などと言う事はどこにも書かれておらず、談話の資料として使われた形跡もない。
河野談話においては、全て政府関係の資料が調べられ、これと面会した元慰安婦16人の話を根拠においており(未公開)、一般の元軍人たちが書いた戦記などはほとんど調査されたにしてもほとんど参考にした様子がないからである。
公開された資料にも吉田清治の『私の戦争犯罪』は、参考にはされていないのである。
河野談話では「強制性があった」と書いてあり、これは当たり前である。
例えば、慰安婦が住む慰安所に夜間、兵隊が歩哨に立っていたとしよう。
夜間に逃げ出そうとした慰安婦を捕まえて連れ戻した。
すると、それはもう「強制性があった」という事であり、しかも「軍の関与を明白」にしているのである。
サルメラ
河野談話 読み上げ後の記者とのやり取りで・・・
官邸記者:
今回の調査結果は、強制連行の事実があったという認識でよろしいわけでしょうか。
河野洋平:
そういう事実があったと。結構です。
・・・こう、言っちゃってる。
これが、問題なんだ。
■アメリカ下院慰安婦決議の際のワシントンポストの社説
2012/11/3
日本の右翼達は、アメリカ下院慰安婦決議の時、
「アメリカがあんな決議をしたのは、韓国が激しいロビー活動したからだ」
などと考えるらしい。
だがそれは事実に反している。
むしろ激しいロビー活動をしたのは日本側であった。
当時、日本政府は月額5万ドルの巨費を投じてロビー活動をし、右派人脈は新聞に意見広告まで出したが、それらは全てアメリカ議員の反感を呼び起こしただけだった。
安倍総理(当時)のこうした行動に対して、ワシントンポストなどが「安倍の詭弁」などと厳しい事を書いている事を理解すべきである。
(中略)
こうして厳しい批判がなされているのは、決して韓国のロビー活動の結果などでは有り得ないのである。
ロビー活動で負けたのではない。
真実に非真実が負けたのである。
サルメラ
今では、
チャイナロビーの巨大な存在を認めぬ人は僅かもいないだろう。
【ウィキペディア】
◆世界抗日戦争史実維護連合会
抗日・反日ロビー活動を主眼とする中国系アメリカ人による団体。
本部はアメリカ合衆国カリフォルニア州。
対日集団訴訟などへのよびかけでも強い影響力を持っており、
アイリス・チャンの著書『ザ・レイプ・オブ・南京』の宣伝販売や、
日本企業に強制労働を強いられたとする賠償請求運動、
日本軍の慰安婦問題についての支援活動やロビー活動、
2007年の日本軍慰安婦を性奴隷であり「20世紀最大の人身売買」と断定して日本に謝罪を要求したアメリカ合衆国下院121号決議が可決された際、中心的な役割を果たしたことでも知られる。
■西岡力氏の言い分の問題点
2012/11/9
以下は西岡力 東京基督教大学教授が雑誌SAPIOに書いた文章です。
問題点を指摘しておきましょう。
●は私の反論です。
◆慰安婦性奴隷説”を言い出したのは
職業的反日日本人の男
SAPIO2012年8月22・29日号
西岡:
慰安婦問題が広く知られるようになって20年以上が過ぎた。
第2次世界大戦時、日本軍が慰安婦を強制連行したとの「説」はその後の調査研究によって、事実ではないと結論が出た。
しかし、残念なことに、勉強不足から慰安婦問題については韓国側の主張が「正しい」と信じている日本人も少なくない。
●「慰安婦を強制連行したとの「説」はその後の調査研究によって、事実ではないと結論が出た」
まずこれがすでに間違った認識である。
「強制連行したとの『説』が事実ではないと結論が出た」のではなく、吉田清治の証言が信用できないという結論が出ただけである。
歴史修正論者はこのような、細かい言い換えをしながら、間違った論理を展開するので注意が必要である。
サルメラ
強制連行は『河野談話』の文書内でも認めておらず、それを示す証拠も無論なく、自称慰安婦の証言、吉見教授の検証結果、何をとっても関与を示すにせよ、強制性を示すにせよ、強制連行の根拠足り得ない。
それで唯一あった『吉田証言』さえ、信用ならずとなったのに、それでも、
《吉田清治の証言が信用できないという結論が出ただけである。
歴史修正論者はこのような、細かい言い換えをしながら、間違った論理を展開するので注意が必要である。》
というのか。
一体、どっちが
『細かい言い換えをしながら、間違った論理を展開』
をしようとしてるのか(笑)。
西岡:
慰安婦性奴隷説を最初に言い出したのは誰かという点から確認したい。
それは吉田清治という職業的反日日本人だった。
韓国から出た話ではないのだ。
●
1,従軍慰安婦に限らず、日本の「公娼制度」自身が人身売買を伴う「性奴隷制度」であった。
2,吉田清治は、「性奴隷制度」という言葉をいつ使ったのだろうか?
サルメラ
《慰安婦性奴隷説を最初に言い出したのは》
これは通常の読解力ならば、
『慰安婦性奴隷説が広くまことしやかにに知られるようになった元凶は』
と理解できるだろう。
西岡
1948年に就任した韓国の初代大統領は独立運動家出身の李承晩博士だった。
李政権は日本と国交正常化交渉を持った。
その際、出来るだけ多額の戦後補償金を日本から取ろうとさまざまな名目で請求した。
そのリストが8項目の「対日請求要綱」(1951年)だった。
そこには「戦争による被徴用者への補償金」は挙げられていたが、慰安婦に対する補償は入っていなかった。
大多数の韓国人が植民地時代の実態を知っているその時期には、いくら反日政策を掲げる李承晩政権でも、慰安婦に関して外交交渉でカネを取るなどということは考えなかったのだ。
●バカを言うな。
性に対する考えが日本よりはるかに厳しい韓国社会において、「自分は何百、何千人もお客をとった慰安婦でした」などと言って名乗り出るには、相当な勇気が必要だっただろう。
彼女達の多くは、心の傷を抱えながらひっそりと暮らしていたのである。
従って軍を経験した一部の人々は、知っていたとしても、被害者が名乗り出なければ、賠償も何もありえないのは当然である。
サルメラ
そう、世界中で、
《性に対する考えが日本よりはるかに厳しい韓国》(笑)? だけが、
名乗り出ているのだ。
西岡:
性奴隷説は1965年の日韓国交正常化のときも出てこなかった。
1983年に吉田清治が『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)という本を出して初めて性奴隷説が誕生する。
吉田は1943年に軍から朝鮮人女子挺身隊動員を命令され、済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を駆り立ててあたりかまわずトラックで連行し、レイプしたという「体験」を語ったのだ。
吉田の著書は1989年に韓国語で翻訳出版された。
実は現地の『済州新聞』の女性記者が現場を取材したところ、住民らが口をそろえてそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語っていると1989年8月14日同紙に書いている。
しかし、済州新聞の記事はほとんど注目を集めず、日韓の歴史学者や反日運動家らの中で性奴隷説が静かに拡散していった。これが前史だ。
●吉田清治の名前を今日まで持ち出して来るのは、右翼だけである。
この分野で第一人者である吉見義明氏の著作にも、吉田清治の証言を殊更に重視したものは一つもない。
様々な証言、体験談、資料が存在しており、吉田清治の証言はその中のごく一部に他ならないのである。
そして歴史学はたえず資料批評を行いながら真相に近づいて行く。
また、アメリカ下院決議などは、アメリカ側の資料を元にしており、吉田清治の証言の影響を見ることはできない。
吉田証言は確かに信用のできない証言だが、それが「捏造である」と述べると同時に拡大解釈し、「軍慰安婦全体に存在していた強制性」を「捏造だ」と述べるのは、まさに「歴史修正論」のやり方であると言える。ただのイチャモン論法である。
全体として西岡氏の論説は、歴史学の基本事項さえ踏まえておらず、
慰安婦論争の経過を極めて恣意的に書いている。
そもそも彼は、慰安婦達の証言など読んでおらず、読んでいるのは秦郁彦氏の著作ぐらいではないかと思われる。
サルメラ
・・・・・・
『慰安婦達の証言』か・・・
たしかに、被害者が現に名乗り出てきてるワケだ、恥知らず・・・もとい、恥を忍んで。
その人たちには、「ウソか、マコトか」などという無粋な詮索はせず、誠心誠意、対処すべきだと思う。
だって、日本人なら、
いや、普通どこの国の人であっても、言わんだろう、こんなウソ、いくら誰かにそそのかされても・・・いやいや、それでは言い方が悪い。
どんなに証言がコロコロ変わっても、どんなに整合性がいかがわしくとも、黙って気の毒な おばあちゃんたちに頭は下げとくことだ。
その上で、『性奴隷』の話、
しっかり話し合おう。
韓国がベトナムでしたこと、米英が日本やノルマンディでしたこと。
人のこと言っときながら、自分のことは頬ッ被りなんて、卑怯はなしで、
一つのテーブルにつこうじゃないか。
せっかく寝た子(女性人権団体)を起こしたんだから。
で、最後に論評はあえてせず、
『性奴隷』に憤るブログ主のこの記事を転載して締めくくろうと思います。
■かなりウソっぽい「ライダイハン」の話
ブログやツイッターで「慰安婦」情報を発信されている方々は、ネットウヨク達がしばしば、「ライダイハン」をコメント蘭に書きこんでくるのを体験をされていると思います。
ライダイハンというのは韓越混血児の事です。
彼らのコメントを総合すると要するに
「韓国軍は、自分達がベトナムでした事を忘れたのか?」
「ライダイハンをどうするんだ?」
「(韓国軍は)強姦しまくったくせに」
「まずベトナムに補償しろ、それからだろ」
「(韓国は)慰安婦の事をいう資格はあるのか?」
・・・という理屈ですね。
この手のコメントはネットではしばしば目にします。
ベトナム戦争で韓国軍が強姦しまくり、そのためたくさんの混血児が生まれたという右翼の説は、今月号の『正論』7に特集が組まれているだけでなく『will』や文春、『週刊ポスト』などに頻繁に書かれており、特に『週刊ポスト』は3週間に渡って特集を組むと同時に、「韓国には慰安婦の事をアレコレ言う資格があるのか?」と主張しています。
週刊ポスト3,24日号『韓国軍はベトナムで何をした』では、ベトナム政府の主張のままに「韓国はベトナムでのレイプしたから、歴史を問う資格が無い」と主張。
週刊ポスト4,18号『第3弾 韓国軍はベトナムで何をしたのか 「真実」を書いた記者は退役軍人に襲撃された』
慰安婦問題にからめながら
「史実を語る資格があるのか」と書いている。
また、この動画では『WILL』の花田編集長が直接露出して「この話(韓国軍の強姦)を広める」という話をしています。http://www.nicovideo.jp/watch/1395995291
しかし、この「韓国軍が強姦してライダイハンが生まれた」という話はかなり怪しい話です。
まず、私が「ベトナム戦争」についてもっとも信用している三野正洋は
「当時、1970年の撤退まで韓国軍は、整然と行動したことでも知られていました」
(三野正洋『分かりやすいベトナム戦争全史』P91)
と書いています。
それから、ライダイハンをテーマに直接書いているレポートとして、野村進の『コリアン世界の旅』があります。
この著作は大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞しています。
この中で野村は、「ライダイハン」を取材して以下のようにレポートしています。
①「完全に誤解していた。韓越混血児のほとんどは、韓国軍兵士とベトナム人女性の間に生まれたものだと思い込んでいたのである。
そうではなく、ベトナム戦争中に技術者や労働者として来た韓国人男性との子供であった・・・」(p171)
つまり、野村は「ライダイハン」の事を、てっきり韓国軍人の子供だと思っていたが、実際には「技術者や労働者として来た韓国人男性」との子供で・・・
だから
②「日本人男性とフィリピン人女性のあいだに生れたジャピーノ約1万人・・・」(p171)
と大差無いという事です。
③「韓国から南ベトナムに向かったのは将兵だけではなかった。
国内よりも数倍から十数倍も高い賃金を目当てに、同じ分断国家の南に向かった韓国人労働者の数は65年から5年間だけでのべ五万人を越え軍事物資の輸送や荷役、ビルや道路の建設工事などに従事した」(P171)
・・・とも伝えています。
④また混血児専用の職業訓練学校の金永寛牧師の話として
「この子たちの父親の90パーセントは韓国人ビジネスマンなんです・・・
兵隊として来ていた人の子供はそんなにいないんですよ」
と言う人数についても
⑤「韓国人とベトナム人女性の間に生まれた混血児の数 およそ2千人」(P172)
・・・と書いています。
以上が野村レポートです。
このレポートの通りなら、「韓国軍がベトナム人を強姦しまくったためたくさんの混血児がうまれた」という主張は壊れてしまう。
ところが、
1999年5月6日の『ハンギョレ21』256号や2004年9月18日の「釜山日報」は、
まずライダイハンを「韓国軍による強姦被害」として伝えており、また人数を「最大3万人」と伝えたりしています。
内容がまるで違うので、どちらかが間違っているのですが、
私は野村説がだいたい正しいだろうと考えます。
なぜなら報告が詳細である上に、野村氏には、事実を捻じ曲げて嘘を書く動機がないからです。
一方、韓国の新聞のこの手の情報が「ベトナム政治局から出された資料」を元にしている事が「ハンギョレ21」(99年5月256号)から分かります。
http://www.altasia.org/hangyore/hangyore99256.htm
そしてベトナムは「国境なき記者団による報道の自由度ランク」では、報道の自由度が非常に低い国です。
つまり言論の自由が乏しく、ベトナムから出てくる情報の多くが、操作されている情報である可能性が高いのです。
ゆえに、これを情報源とする『ハンギョレ』や『釜山日報』は、ガセネタを掴まされているのではないでしょうか?
またこれらの新聞には元々、
「朝鮮戦争は、韓国軍からの侵略であった」
「ベトナム戦争は仏や米国の帝国主義のベトナム侵略である」
という事実とは異なる視点があるのかも知れません。
これらの韓国の左翼は、反米、反韓国政府の強い姿勢を持っており、そういう記事を書いてきたからです。
ゆえに”反韓国軍”を目的に持っているその情報を私は鵜呑みにはできません。
私達が知るべきなのは、事実であって、ある種の先入観に染まって捏造された情報ではない。
相手が右翼であろうと左翼であろうとどちらの嘘も私は信用するつもりがありません。
この問題は「韓国軍慰安婦」の問題でもあるのです。
韓国の左翼勢力は日本の歴史修正論者に餌を与えないで欲しいものです。