転載元 be with gods
『人類創成から始まる善と悪の闘いを検証する』
■日本国家の真髄とは
◆何故天皇制を残したのか
天皇制を残したのは、統治するのに天皇の利用価値があったというのが定説ですが、モルデカイ氏はそうではないと断言する。
ユダヤ人ルソーは、民主主義を超える政治システムは無いとして、国民を意思の無いロボット化してしまう社会契約論を構築した。
そのルソーでさえ、もし天皇制を知っていれば、社会契約論を書くのを止めたことだろうとまで、モルデカイ氏は述べている。
つまり、狂気のルソーでさえ君臣共治のシステムを思いつかなかった。
だから、彼は不満でしようがないけど、他にないので民主主義を選ぶしか無かったのです。
天皇とマッカーサーとの会見において、天皇制こそは、彼らユダヤ人の求める理想的な政治形態だと気がついた。
だから、ニューディール派の中でもこのことに気がついた者との間で論争となり、やっと残せたと、モルデカイ氏は述べている。
本書『日本国家の神髄』は日本の敗戦後、GHQにより禁書とされた『国体の本義』を解釈したものです。
『国体の本義』は、経済と道徳が一致する理想の社会の実現を目指しており、個人主義的な西洋社会ではなく、君民共治の日本の国体の中にこれを追求したものでした。
ですから、日本の国体が理想的に描き出されているとしても、多くの学ぶものが有りました。
今回、日本の国体を微力ながら再検討しました。
日本神話では、神が国と人を作り、神の子孫が民と共に日本を統治した。
皇室はその正当な末裔であり、民を父のように愛し、民は天皇に徳を感じ忠誠を尽くし、自然と和し、ひいては神の国の実現を願ってきた。
この上下関係ではない、君民共治の精神は、仁徳天皇の勅語に良く現われている。
「百姓貧しきは、即ち朕が貧しきなり。
百姓富めるは、即ち朕が富めるなり」
西洋での正義は、国法に従うことである。
しかし、日本国体では「まこと」を最重要とする。
「まこと」とは、即ち私心を離れた純粋の心、純粋な行いの事で、
「まこと」とは芸術に現われては美と成り、徳としては善と成り、知識においては真と成る。
真善美を生み出す根源だと解釈されている。
また、「まこと」は理性と感情の根源で在るが故に、智仁勇として現われ、相手を滅ぼす為の戦争ではなく、戦争の目的を和とするに至る。
従って、憲法は二次的なものであり、仕事や学問を通じて、国家に奉仕することは当然だった。
この大和魂を基本とする国家が、日本の国体だった。
西洋では正義とは何かという命題が、ギリシャ時代から問われてきました。
自然権もその一つです。
その過程で、国家社会の目的が正義です。
この正義の目的を問い、その一つの答えとして、最大多数の最大幸福とした。
これを追求すると、幸福が人によって異なる。
金銭的な幸福であれば、数値化できるが、君民共治、大和魂、「まこと」は、数値化できない。
こうして、最大多数の最大幸福という空論が、弊害ばかりを残し捨て去られた。
国民平等、福祉向上など、共産党宣言同様に、空理空論で、人類に害悪を及ぼすのみならず、自己の為に如何なる手段も正当化してしまうサイコパスを大量生産してしまう。
ところが、自由民主的な憲法と君民共統の政治体制が、最大多数の最大幸福を齎すのです。
◆神道はユダヤ教を超えていた
考えてみると、江戸時代から、複数の密教宗派、神道、儒教などの多くの宗教が、互いに争うことなく共存しながら、天皇制・武家社会を維持存続させてきました。
宗教に関しては、江戸時代の日本には信仰の自由が有り、互いに批判し合ったり、また良いところを活用したりもしています。
しかし、全知全能の神=唯一神のキリスト教だけは、他の宗教を絶対に認めず、しかも政治的に国家の基本をも揺るがしてしまう為、キリスト教を禁じ、諸外国との通商窓口を一部に留めました。
それ故、国内が安定し、税金が安くなり、江戸は世界で最大の都市であり、最も治安が良かった。
これを支えた武家社会は貧乏だったが、武士は食わねど高楊枝として、政務に尽くした。
西洋諸国、シナ王朝においては、庶民は重税にあえぎ、キリスト教支配、官僚支配により自由が奪われていたが、華麗な貴族文化が花開いていた。
一方、減税により余裕が出来た江戸市民達は、公家や武家を見習い、私塾としての寺子屋が有志により村々に開設された。
しかも、士農工商の区別無く平等に教育を受ける事ができた。
それ故、江戸文化は、能狂言、北斎、他多くの町民が自由を謳歌し、その才能を開花させた庶民の文化である。将に、驚異的な事実であった。
何ゆえ、江戸時代はこれほどまでに繁栄したのだろうか。
それは天皇制が元になり、宗教紛争が存在せず、日本式儒教精神が武家による政治を清廉なものに保っていたが故に、人心が安定していたからです。
西洋式の全知全能の神は日本には存在しない。
天照大神でさえ祖先の神から生まれており、神話に登場する神々には個性が有り、生死が有り、子育てや家族生活及び社会生活の基本となる物語が多く残されている。
これは、アブラハム以来受け継がれてきた伝統でも有る。
更に、聖徳太子の「和を持って尊としとする」の合議精神が、天皇制から一神教的な排他精神を失わせた。
つまり、新しい宗教として、神道が与えられた。
これは、ギリシャ文明の復活でもある。
イエスを救世主とするキリスト教の渡来以来、日本はダビデの一神教と戦ってきた。
江戸を引き継いだ明治・大正・昭和人は、キリスト教の邪悪さと、共産主義の脅威を直観的に察知していた。
それ故、ロシア革命を食い止めるべく、満州国を拠点とし、かつシナの共産化を食い止めていた。
日本人には軽挙妄動も有るが、当時の日本は純粋に反共に徹していたのです。
この点、皇軍は聖戦を戦った。
残念な事に、当時の世界は共産主義の脅威に、気付いてなかった。
キリスト教を原点とすれば、人間は悪であり、子供は悪の存在に近く、子を産み育てる事さえ罪悪に繋がる。
しかも、子育てについても、母性についても、夫婦愛についても、社会と個人について何も語られていない。
只々、神を殺した罪悪と、神への妄信のみが語られている。
マッカーサが日本人を贖罪の民とした手法とそっくりである。
◆イブは良妻、神罰は不当
ヘビはイブにリンゴを食べると賢くなると真実を教える。
まずは自分がリンゴを食べてみると、美味しくまた、賢くなった。
そこで、彼女は低脳な夫のアダムを馬鹿にせず、リンゴを食べさせる。
日本的には良妻である。
ところが聖書の神は神罰を与えるのだ。
神罰として、食べ物を得るのに耕し、産みの苦しみを与える。
だから、キリスト教圏では、勤労と出産を嫌悪し、奴隷を好むのだ。
日本では、農耕を通じて豊穣を神に感謝し奉納する。
出産の苦しみを喜びとし、神に感謝する。
日本では勤労を貴び、女性を尊いとする。
だから日本神話からすれば、この聖書の神がアダム夫妻に与えた神罰は不当なのだ。
◆日本神話とウーマンリブ
イブはアダムから作られ、ヘビに騙されアダムを道連れに楽園を追い出される。
女性憎しから男尊女卑となり、ウーマンリブが生まれた。
が、性差を無視したため、女性の家庭での役割を蔑視し、家庭と社会の荒廃をもたらした。
これを補うように、洋画では恋愛劇が過剰なのである。
日本では人権やウーマンリブやジェンダーフリーという言葉は、不要だった。
それだけ、正常な家庭と社会だった。
理由は、イザナギとイザナミは足りない所を補い合い、家庭と国造りをした。
日本では、男尊女卑でも、平等でも無い、互いに睦まじく助け合うものだ。
科学的なのです。
◆「三種の神器」と日本精神 天照大は孫のニニギ尊に「三種の神器」を与える。
「鏡」は “善悪を判断できる正直な心” 、
「草薙剣」は “勇気と決断” 、
「曲玉」は “思いやり” とされる。
そして、天照大は
「この中つ国(大和国)は、私の子孫である皇室が治める国です。
永遠に栄えていくでしょう」
と仰せられた。
神武天皇は「三種の神器」の精神を武人として、また歌人として引き継がれた。
そして、家族のように仲良く暮らせる道義国家を目ざし(八紘一宇)、建国を宣言されました。
日本神話の中で、
「鏡」の “善悪を判断する正直な心” は天照大の大司祭としての歴代天皇が、
「草薙剣」の “勇気と決断” は日本武尊をはじめとする英雄が、
「曲玉」の “思いやり” は神武以来の和歌として、
今も日本神話の中に、日本人の心の奥底に生きている。
神武天皇は、祖先に学び、軍事による統一ではなく、道義国家をめざし、信頼と献身にによる国にしたいと宣言された。
この精神は、大化改新、十七条憲法、五箇条の御誓文、明治憲法にも生きていました。
明治憲法では他の国に比べ天皇の権限は驚くほど小さく、またそれを明治天皇も良しとされたとのことです。
そして、教育勅語に結実したのです。
その後、敗戦で苦しむ国民に希望と誇りを取り戻して貰おうと、昭和天皇は「新日本建設に関する詔書」を公表されました。
当時は占領軍により、国旗国歌・教育勅語が禁止されていた時代でした。
まず初めに神武天皇の精神を受け継ぐ「五箇条の御誓文」を掲げられました。
また、外国の勢いに圧倒されていた当時、明治天皇が民主主義を採用されたのであり、決して輸入ものではなかった。
◆戦後レジュームからの脱却
この精神こそが、安倍総裁の掲げる戦後レジュームからの脱却そのものなのだと思います。
つまり、日本は約7年もの占領下において、内政と外交の主権を奪われ、憲法と東京裁判史観までも押しつけられ、自らが判断し決定する習慣が失われてしまった。
ここから脱却するには、不法で人種差別の東京裁判に対しては人類全体に対して法治(道義国家)をめざすこと、
GHQ憲法に対しては独自憲法を制定し国軍を持つことである。
即ち、神武精神の復活そのものなのです。
皇統の断絶を恐れたのは、私たち現代人だけではありませんでした。
新井白石は皇統断絶を防ぐため、徳川御三家のように、宮家を作った方が良いと考えました。
そこで
「朝廷では後を継ぐ天皇はいいが、ほかの皇子・皇女はみな寺に入る。
これは人間として実にかわいそうではないか」
と将軍に説き、新たに現皇室に繋がる閑院宮家が創設されました。
現代であれば、GHQにより皇籍離脱させられた旧宮家の皇籍復帰を認めるべき、という話になります。
。
『人類創成から始まる善と悪の闘いを検証する』
■日本国家の真髄とは
◆何故天皇制を残したのか
天皇制を残したのは、統治するのに天皇の利用価値があったというのが定説ですが、モルデカイ氏はそうではないと断言する。
ユダヤ人ルソーは、民主主義を超える政治システムは無いとして、国民を意思の無いロボット化してしまう社会契約論を構築した。
そのルソーでさえ、もし天皇制を知っていれば、社会契約論を書くのを止めたことだろうとまで、モルデカイ氏は述べている。
つまり、狂気のルソーでさえ君臣共治のシステムを思いつかなかった。
だから、彼は不満でしようがないけど、他にないので民主主義を選ぶしか無かったのです。
天皇とマッカーサーとの会見において、天皇制こそは、彼らユダヤ人の求める理想的な政治形態だと気がついた。
だから、ニューディール派の中でもこのことに気がついた者との間で論争となり、やっと残せたと、モルデカイ氏は述べている。
本書『日本国家の神髄』は日本の敗戦後、GHQにより禁書とされた『国体の本義』を解釈したものです。
『国体の本義』は、経済と道徳が一致する理想の社会の実現を目指しており、個人主義的な西洋社会ではなく、君民共治の日本の国体の中にこれを追求したものでした。
ですから、日本の国体が理想的に描き出されているとしても、多くの学ぶものが有りました。
今回、日本の国体を微力ながら再検討しました。
日本神話では、神が国と人を作り、神の子孫が民と共に日本を統治した。
皇室はその正当な末裔であり、民を父のように愛し、民は天皇に徳を感じ忠誠を尽くし、自然と和し、ひいては神の国の実現を願ってきた。
この上下関係ではない、君民共治の精神は、仁徳天皇の勅語に良く現われている。
「百姓貧しきは、即ち朕が貧しきなり。
百姓富めるは、即ち朕が富めるなり」
西洋での正義は、国法に従うことである。
しかし、日本国体では「まこと」を最重要とする。
「まこと」とは、即ち私心を離れた純粋の心、純粋な行いの事で、
「まこと」とは芸術に現われては美と成り、徳としては善と成り、知識においては真と成る。
真善美を生み出す根源だと解釈されている。
また、「まこと」は理性と感情の根源で在るが故に、智仁勇として現われ、相手を滅ぼす為の戦争ではなく、戦争の目的を和とするに至る。
従って、憲法は二次的なものであり、仕事や学問を通じて、国家に奉仕することは当然だった。
この大和魂を基本とする国家が、日本の国体だった。
西洋では正義とは何かという命題が、ギリシャ時代から問われてきました。
自然権もその一つです。
その過程で、国家社会の目的が正義です。
この正義の目的を問い、その一つの答えとして、最大多数の最大幸福とした。
これを追求すると、幸福が人によって異なる。
金銭的な幸福であれば、数値化できるが、君民共治、大和魂、「まこと」は、数値化できない。
こうして、最大多数の最大幸福という空論が、弊害ばかりを残し捨て去られた。
国民平等、福祉向上など、共産党宣言同様に、空理空論で、人類に害悪を及ぼすのみならず、自己の為に如何なる手段も正当化してしまうサイコパスを大量生産してしまう。
ところが、自由民主的な憲法と君民共統の政治体制が、最大多数の最大幸福を齎すのです。
◆神道はユダヤ教を超えていた
考えてみると、江戸時代から、複数の密教宗派、神道、儒教などの多くの宗教が、互いに争うことなく共存しながら、天皇制・武家社会を維持存続させてきました。
宗教に関しては、江戸時代の日本には信仰の自由が有り、互いに批判し合ったり、また良いところを活用したりもしています。
しかし、全知全能の神=唯一神のキリスト教だけは、他の宗教を絶対に認めず、しかも政治的に国家の基本をも揺るがしてしまう為、キリスト教を禁じ、諸外国との通商窓口を一部に留めました。
それ故、国内が安定し、税金が安くなり、江戸は世界で最大の都市であり、最も治安が良かった。
これを支えた武家社会は貧乏だったが、武士は食わねど高楊枝として、政務に尽くした。
西洋諸国、シナ王朝においては、庶民は重税にあえぎ、キリスト教支配、官僚支配により自由が奪われていたが、華麗な貴族文化が花開いていた。
一方、減税により余裕が出来た江戸市民達は、公家や武家を見習い、私塾としての寺子屋が有志により村々に開設された。
しかも、士農工商の区別無く平等に教育を受ける事ができた。
それ故、江戸文化は、能狂言、北斎、他多くの町民が自由を謳歌し、その才能を開花させた庶民の文化である。将に、驚異的な事実であった。
何ゆえ、江戸時代はこれほどまでに繁栄したのだろうか。
それは天皇制が元になり、宗教紛争が存在せず、日本式儒教精神が武家による政治を清廉なものに保っていたが故に、人心が安定していたからです。
西洋式の全知全能の神は日本には存在しない。
天照大神でさえ祖先の神から生まれており、神話に登場する神々には個性が有り、生死が有り、子育てや家族生活及び社会生活の基本となる物語が多く残されている。
これは、アブラハム以来受け継がれてきた伝統でも有る。
更に、聖徳太子の「和を持って尊としとする」の合議精神が、天皇制から一神教的な排他精神を失わせた。
つまり、新しい宗教として、神道が与えられた。
これは、ギリシャ文明の復活でもある。
イエスを救世主とするキリスト教の渡来以来、日本はダビデの一神教と戦ってきた。
江戸を引き継いだ明治・大正・昭和人は、キリスト教の邪悪さと、共産主義の脅威を直観的に察知していた。
それ故、ロシア革命を食い止めるべく、満州国を拠点とし、かつシナの共産化を食い止めていた。
日本人には軽挙妄動も有るが、当時の日本は純粋に反共に徹していたのです。
この点、皇軍は聖戦を戦った。
残念な事に、当時の世界は共産主義の脅威に、気付いてなかった。
キリスト教を原点とすれば、人間は悪であり、子供は悪の存在に近く、子を産み育てる事さえ罪悪に繋がる。
しかも、子育てについても、母性についても、夫婦愛についても、社会と個人について何も語られていない。
只々、神を殺した罪悪と、神への妄信のみが語られている。
マッカーサが日本人を贖罪の民とした手法とそっくりである。
◆イブは良妻、神罰は不当
ヘビはイブにリンゴを食べると賢くなると真実を教える。
まずは自分がリンゴを食べてみると、美味しくまた、賢くなった。
そこで、彼女は低脳な夫のアダムを馬鹿にせず、リンゴを食べさせる。
日本的には良妻である。
ところが聖書の神は神罰を与えるのだ。
神罰として、食べ物を得るのに耕し、産みの苦しみを与える。
だから、キリスト教圏では、勤労と出産を嫌悪し、奴隷を好むのだ。
日本では、農耕を通じて豊穣を神に感謝し奉納する。
出産の苦しみを喜びとし、神に感謝する。
日本では勤労を貴び、女性を尊いとする。
だから日本神話からすれば、この聖書の神がアダム夫妻に与えた神罰は不当なのだ。
◆日本神話とウーマンリブ
イブはアダムから作られ、ヘビに騙されアダムを道連れに楽園を追い出される。
女性憎しから男尊女卑となり、ウーマンリブが生まれた。
が、性差を無視したため、女性の家庭での役割を蔑視し、家庭と社会の荒廃をもたらした。
これを補うように、洋画では恋愛劇が過剰なのである。
日本では人権やウーマンリブやジェンダーフリーという言葉は、不要だった。
それだけ、正常な家庭と社会だった。
理由は、イザナギとイザナミは足りない所を補い合い、家庭と国造りをした。
日本では、男尊女卑でも、平等でも無い、互いに睦まじく助け合うものだ。
科学的なのです。
◆「三種の神器」と日本精神 天照大は孫のニニギ尊に「三種の神器」を与える。
「鏡」は “善悪を判断できる正直な心” 、
「草薙剣」は “勇気と決断” 、
「曲玉」は “思いやり” とされる。
そして、天照大は
「この中つ国(大和国)は、私の子孫である皇室が治める国です。
永遠に栄えていくでしょう」
と仰せられた。
神武天皇は「三種の神器」の精神を武人として、また歌人として引き継がれた。
そして、家族のように仲良く暮らせる道義国家を目ざし(八紘一宇)、建国を宣言されました。
日本神話の中で、
「鏡」の “善悪を判断する正直な心” は天照大の大司祭としての歴代天皇が、
「草薙剣」の “勇気と決断” は日本武尊をはじめとする英雄が、
「曲玉」の “思いやり” は神武以来の和歌として、
今も日本神話の中に、日本人の心の奥底に生きている。
神武天皇は、祖先に学び、軍事による統一ではなく、道義国家をめざし、信頼と献身にによる国にしたいと宣言された。
この精神は、大化改新、十七条憲法、五箇条の御誓文、明治憲法にも生きていました。
明治憲法では他の国に比べ天皇の権限は驚くほど小さく、またそれを明治天皇も良しとされたとのことです。
そして、教育勅語に結実したのです。
その後、敗戦で苦しむ国民に希望と誇りを取り戻して貰おうと、昭和天皇は「新日本建設に関する詔書」を公表されました。
当時は占領軍により、国旗国歌・教育勅語が禁止されていた時代でした。
まず初めに神武天皇の精神を受け継ぐ「五箇条の御誓文」を掲げられました。
また、外国の勢いに圧倒されていた当時、明治天皇が民主主義を採用されたのであり、決して輸入ものではなかった。
◆戦後レジュームからの脱却
この精神こそが、安倍総裁の掲げる戦後レジュームからの脱却そのものなのだと思います。
つまり、日本は約7年もの占領下において、内政と外交の主権を奪われ、憲法と東京裁判史観までも押しつけられ、自らが判断し決定する習慣が失われてしまった。
ここから脱却するには、不法で人種差別の東京裁判に対しては人類全体に対して法治(道義国家)をめざすこと、
GHQ憲法に対しては独自憲法を制定し国軍を持つことである。
即ち、神武精神の復活そのものなのです。
皇統の断絶を恐れたのは、私たち現代人だけではありませんでした。
新井白石は皇統断絶を防ぐため、徳川御三家のように、宮家を作った方が良いと考えました。
そこで
「朝廷では後を継ぐ天皇はいいが、ほかの皇子・皇女はみな寺に入る。
これは人間として実にかわいそうではないか」
と将軍に説き、新たに現皇室に繋がる閑院宮家が創設されました。
現代であれば、GHQにより皇籍離脱させられた旧宮家の皇籍復帰を認めるべき、という話になります。
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