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厄介な隣国/司馬の見た韓国観に異論あり 2

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転載元 
BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。

■司馬遼太郎という名の「国賊」
まずお断りしたいのは・・
司馬遼太郎さんへ向けて個人的指弾の意図はありません。

どころか作家としては尊敬しています。文章が男性的でしかも、男性特有の
抑えた色気がある、というふうで。

敢えて取り上げたのは作家という立場で(おそらくは)「無意識に」日本毀損を行った、
というその「事実」に対してであります。

同様のことは、おそらく他作家にも例があるのではないでしょうか。
その日本毀損が無意識であれ意識的であれ、フィクションという形で
提示されるので、受け取るほうが逆に抵抗感なく、
いつしか、事実、真実という印象を抱いてしまう。
司馬さんの場合はしかも「歴史に通暁している」
という思い込みが読者にあるから、なおさら。

そして、それが半ば「エッセー」の体裁を取っているとしたら、中身が創作であっても真実だと思い込んでしまう。

先の稿で文禄・慶長の役を取り上げましたが、その補足的意味合いもあります。

司馬作品で問題としたいのは、『故郷忘じがたく候』です。

概略は以下です。


《十六世紀末、朝鮮の役で、薩摩軍に日本へ拉致された、数十人の朝鮮の民があった。
以来四百年、やみがたい望郷の念を抱きながら異国薩摩の地に生き続けた、その子孫たちの痛哭の詩》
『故郷忘じがたく候』

400年余前、全羅(チョンラ)南道・南原(ナムウォン)で陶磁器を作っていた祖先の沈当吉は朝鮮の先進の陶芸技術を狙った倭軍に捕まり、今の鹿児島である薩摩に強制連行されたが、
沈氏一家は日本の地で、朝鮮の名字の「沈」を使って、「薩摩焼」という華やかな陶芸文化を築き上げた。

結論から言うと嘘八百なんです。

朝鮮の先進陶芸技術など秀吉は狙っていません。
当時、茶道は隆盛の極み。
朝鮮の陶芸技術などさして欲しいわけでもなく、朝鮮出兵の目的は先の項で述べたとおり、
各地を植民地化しようとしていた明を倒すことにありました。

朝鮮は単に地政学上の理由でそこが「場」として使われたに過ぎません。

で、何らかの理由で朝鮮人の陶芸家たちが鹿児島に連れてこられ、あるいは自ら
望んで鹿児島に住み着いたのは事実です。

当時の朝鮮、両班の施政下では、陶芸家というのは卑しき仕事の従事者です。
それが日本では一転アーチストとしての処遇を受け、大名の庇護下に置かれ厚遇されるのですね。
誰が奴隷扱いされる朝鮮に戻りたいものですか。

ところが司馬遼太郎の創作上の作為は
「日本に無理やり連れてこられ、故郷を忘れられずに慟哭する朝鮮人工芸家とその子孫」
というふうに仕立て上げてしまったのですね。

それも、その子孫から話を聴く、という体裁で。
(実際に話は聞きに行っています)

よけい、読者は事実として信じます。
ところが、当の取材を受けたご本人が司馬氏の作品は
「創作です」事実ではありません、と困惑しているのです。

以下、
「『故郷忘じがたく候』の虚構性」
(大阪青山短期大学 福井雄三)
より転載
――――


◆史実か?創作か?
司馬遼太郎という著名な歴史作家について、次のエピソードを紹介しよう。

『故郷忘じがたく候』という作品をご存じであろうか。
これは、豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、捕虜となって日本にやってきた李氏朝鮮の陶工たちの運命を描いた珠玉の傑作である。
彼らは、秀吉軍に薩摩藩に連れてこられた後、代々彼の地に住み続け、名陶を生み出してきた。
本書は、司馬氏が、現在14代目の当主にあたる沈寿官氏に直接インタビューした結果をもとに、エッセイ風の短編にまとめたものである。
日本と朝鮮半島の歴史の狭間で翻弄されながらに生きてきた、名もなき人々の運命に司馬氏が思いを寄せ、心の中にかき立てられた煮えたぎるような情念を、彼らの姿に投影させていて、エッセイとしては最高傑作である。
まさに、作家としての司馬遼太郎の面目躍如たるものがある。
ところが、
この作品こそ、司馬遼太郎の独断の最たるものなのだ。

◆ 「もらった!」

この作品を書く前、司馬氏が鹿児島の沈寿官氏の家を訪問して話を聞いている最中に、突然大声で「もらった!」と叫んだという。
司馬氏は興奮してくると額に汗をびっしょりとかく癖があり、このときも額に大粒の汗をかきながら叫んだので、沈氏は、最初何のことか分からず、さては床の間に飾ってある沈家先祖伝来の家宝である陶器をもらった、という意味かと訝った。
だが、実際は「今、あなたが語った話の内容を、自分がこれから書こうとしている小説のテーマとしてもらった」という意味だったのだという。

私の友人に、ソウル大学名誉教授の李杜玄という人物がいる。
東アジアの民俗学が専門の学者だが、この人も『故郷忘じがたく候』を読んで、あまりにも感動され、ソウルから飛行機に乗って鹿児島の沈寿官氏の家までわざわざ会いに行かれた。
そのときのことを、彼は私に次のように語っている。
「いやぁ、福井さん、あの『故郷忘じがたく候』は大変素晴らしい名作だけれども、内容的には大部分が司馬遼太郎の創作ですよ。
一応は、沈寿官から聞いた史実をふまえてのエッセイということになってますけれどね。まぁ、地名だとか、人名だとか年代などは、基本的に事実だとしても、あれはまさしく司馬さんが自分の空想を膨らませて書いた作品で、彼自身の思いこみが投影されたものですよ」

◆名誉毀損で訴えたい

拙著『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』(主婦の友社)のなかで、私は以前『故郷忘じがたく候』をとりあげて論じたことがある。
すると、その後、読者の方からこれに関して次のような内容のお手紙を頂いた。

あの『故郷忘じがたく候』に出てくる沈寿官のエピソードは大嘘ですよ。
司馬遼太郎の作り話です。
私は沈寿官と同じ旧制鹿児島二中(現在の甲南高校)の卒業生ですが、彼が語ったとされる次のような差別問題など、我が母校にはまったく無縁です。

《沈寿官が入学した初日、上級生が集団で教室に押しかけてきて「このなかに朝鮮人がおるだろう。手を挙げて名乗れ」と叫んだ。
沈寿官が黙っていると激昂した彼らは
「名乗らないなら俺たちが暴いてやる。
おい、そこのお前だ」
と沈寿官を取り囲んで引きずり出し、集団で殴る蹴るの暴行を加えた。
沈寿官は失神寸前になりながらも歯を食いしばって耐えた。
服は破れ、大怪我をした彼が帰宅すると、両親が門のところに立ち、息子が帰ってくるのをいまや遅しと待ちかまえていた。
彼らはまるで、今日起こる出来事を神のように予見していたかのごとくであった。
同じ、鹿児島二中の卒業生である彼の父は、やはり彼と同様に、かつての入学式に上級生から集団暴行を受けており、そのことを涙ながらに息子に語った……。》

我が母校の鹿児島二中は、九州でも屈指の文武両道の進学名門校であり、嘘をつくな、けんかに負けるな、弱い者をいじめるな、という尚武の気風をモットーにしています。
卒業生たちも社会で名を成した立派な人たちが多く出ています。
そのわれらが母校の入学式で、上級生による朝鮮人新入生への集団暴行が、毎年恒例の伝統的な行事として行われるなど、前代未聞です。
そんなことが実際に起こっていれば、教師や父兄をも巻き込んだ大問題に発展し、校長の首は飛んでいるでしょう。
少なくとも、私の周辺や見聞した限り、そのようなことは皆無です。
司馬遼太郎がなぜこのようなでたらめを書くのか分かりません。
甲南高校も含めた鹿児島二中の同窓会では、司馬を名誉毀損で訴えてやりたい、という怒りの声が沸き起こっています。

福井先生、いつか機会があれば、是非、このことを世間に訴えて下さい。

◆民族差別はあったのか?

沈寿官氏は、中学生の頃、喧嘩に明け暮れていて番長クラスのボスだったという。
不良学生同士の喧嘩や学校同士の集団の喧嘩で、頭に血がのぼって取っ組み合っている最中に、心ない罵詈雑言を浴びせられたことはあったかもしれない。
だが、そのようなことは、子供の喧嘩の世界では日常茶飯事、珍しくもない話だ。
それをあたかも、名門中学の伝統的な恒例行事であったかのように話を創り上げ、ひいては日本と韓国の民族差別をめぐる、歴史的問題にまでテーマを膨らませてしまっている。

私自身の経験に照らしても、このようなあからさまな朝鮮人差別があったとは考えにくい。
たしかに、私の周辺にも在日の子供はごくわずかながらいたし、心の中で彼らに対する違和感がまったくなかったわけではない。
だが、これはむしろあって当然なのだ。
民族が違えば、当然、生活文化も違うわけで、子供ほどそのような文化ギャップを敏感に感じ取るものなのだから。
そうした多少の違和感を抱きながらも、むしろ腫れ物に触るように彼らに遠慮して気を遣っていた。
彼らを刺激しないよう遠くからそっと見守っていた、というのが本当のところだったのではないだろうか。
ましてや、あの『故郷忘じがたく候』のような芝居がかったテレビドラマのような差別など、私の周辺では皆無だった。

◆心地よい懺悔~自虐史観の病

純真無垢で素直な日本人の読者が、この作品を読めばどう思うだろうか。
とりわけ戦後の自虐教育を受けてきた世代は「日本は朝鮮を侵略して彼らに地獄の苦しみを味わわせた」という罪の意識を刷り込まれているがゆえに、この本を読めば、あたかも犯罪者が神父に自分の犯した罪を懺悔するときの感情にも似た、法悦の涙を流すであろう。
いかにも、ある種の人々にとっては、随喜の涙を流して喜びそうな話である。

かつて吉田清治というペテン師のでっち上げた『私の戦争犯罪~朝鮮人強制連行』が一世を風靡して、いともやすやすと日本国民の心に入り込んでしまったことがあった。
同書は、日本人が朝鮮人女性を拉致して「慰安婦」にしたかのような作り話だったが、今でも一部では信じられてしまっている。
これはおそらく今述べたような心理的背景が、日本の社会を覆っているからであろう。
司馬遼太郎という作家は、こういう話を書けば、世間が喜ぶだろうというツボを心得ていて、読者の心を自由自在に操る能力の持ち主だといえる。

そういえば、私が子供の頃、テレビで見て熱狂した力道山のプロレスも、それによく似た興奮と感動を、見る者の心にかきたててくれたものだった。

村松友視という作家が書いた『私、プロレスの味方です』という本の中で彼は次のように述べている。

《力道山のプロレスは、観客の心の中にまるで微粒破片のように入り込み、見る者によって千差万別、ありとあらゆる千変万化の物語と情念をかきたててくれた。
彼のプロレスは観客の心を自由自在に操る、芸術と言ってよいほどの境地に達していた。》

講釈師の筆さばきというものは、状況に応じて、如何に都合良く使い分けられるかということを思い知った。
司馬遼太郎氏ほどの文章のベテラン、達人になると、白を黒、黒を白として読者を煙に巻くくらいは朝飯前であろう。
近現代史に関する専門的知識を多少なりとも備えている者であれば、そのような作家の歴史認識の背後に潜む、誤謬と落とし穴にすぐ気づくことが出来る。
だが、一般の読者はそこまで注意しながら歴史小説を読むことはないので、まるで講談を聞いているような心地よい語り口に、いとも簡単に誘導されてしまうのである。

民主党政権は、鳩山前総理が言い出した「東アジア共同体」という構想をスローガンに掲げ、民主党の党是である在日外国人参政権付与を推し進めようとしている。
このような愚かな政策が実行に移されるのを私たちは断固として阻止しなければならない。
私が危惧するのは、『故郷忘じがたく候』のような虚構性が、この国を他国に売り渡すに等しい政策の推進に一役買うのではないかということである。

覚醒せよ、日本国民。
――――
(まで、転載終わり)


中には司馬氏を名誉毀損で訴えようかという動きもありました。
ある学校を舞台に、陶芸家の子孫が日本人学生たちによって大変な差別を受けて苦しんだ、
司馬氏はあたかも、それが事実であったごとき筆致で述べています。

《沈寿官が入学した初日、上級生が集団で教室に押しかけてきて
「このなかに朝鮮人がおるだろう。
手を挙げて名乗れ」
と叫んだ。
沈寿官が黙っていると激昂した彼らは
「名乗らないなら俺たちが暴いてやる。
おい、そこのお前だ」
と沈寿官を取り囲んで引きずり出し、集団で殴る蹴るの暴行を加えた。

沈寿官は失神寸前になりながらも歯を食いしばって耐えた。
服は破れ、大怪我をした彼が帰宅すると、両親が門のところに立ち、息子が帰ってくるのをいまや遅しと待ちかまえていた。
彼らはまるで、今日起こる出来事を神のように予見していたかのごとくであった。
同じ、鹿児島二中の卒業生である彼の父は、やはり彼と同様に、かつての入学式に上級生から集団暴行を受けており、そのことを涙ながらに息子に語った……。》

これが、大嘘だと当時の在校生たちが憤っているのですね。
こんな卑しげで卑怯なことはまったく、なかった、あるわけもない、と。

本当に、困ったものです。

朝鮮人が自分たちの被害を捏造して、日本からお金を引き出したり特権を得ているのみならず、当の、とりわけアンチ日本とも思えぬ、左翼とも思えぬ作家が思い込みでこういうことを「創作」してしまう。
司馬さんが、故意にありもしない差別を書いて日本人を毀損しようとしたとは思いません。
おそらく、
「無理やり朝鮮から連れて来られた陶芸家とその子孫が差別と苦難とに耐えながら祖国朝鮮をしのぶ」
というふうにまとめるほうが作品として盛り上がるから、それが動機であったと想像します。
そして司馬さんの愛読者である人たちはそれが創作という名の「嘘」とは思いも寄らない。

これに類することが、他にもありはしないでしょうか。

論旨からはやや逸れますが、大江健三郎の酷さはもう有名ですが
(この作家も才能ある人ですが、政治的には大嘘つきです。
本来の日本人なのかな?)

案外、村上春樹の反日言動は知られていないのではないでしょうか。
(この人も本来の日本人かな?
書籍の売られ方の部分にかなり組織の存在を感じます。
いつか記事にしたことがあったかもしれませんし、機会があればもっと具体的に検証してみるかもしれませんが)

何か微妙に日本人ではない人が書いたごとき「借り物」文章で べべこ はまったく受け付けませんが、
そこがかえって魅力になっているのかどうか、解りません・・・
端的に言えば、
あ、これ日本語じゃない・・・というごとき微妙~な違和感。
(ごく主観です)

が、人気のある作家ですね。
作品を嫌いになれとは言いません。
作家の人間性とは別に作品はあるという考え方もありますから。

しかしながら、日本の多大なる愛読者に支えられながら、本人は外国で日本毀損の言語を吐き散らしている、という事実だけは心得ておいたほうがよさそうです。
(村上氏の言説は自虐史観であり、
あるいは無邪気にそれを信じている“良心派”のかもしれません。
そうだとしても作家としては稚拙な思考力だと言わせていただきます。
作品評価とは別次元ですので、ファンの方はお気を悪くなさらないよう)

韓タレの、あるいは在日タレントの誰それが反日言動で、というごときことは比較的話題に賑やかに上りますが、司馬遼太郎にせよ、村上春樹にせよ、作家という立場で、そういう意味ではひっそりとした存在です。

だが一過性の反日韓タレより作家の影響は深く長い。
心していただきたいと思うのです。


◆備考:司馬遼太郎の発言

以下、
司馬遼太郎「『昭和』という国家」
(NHK出版1998年)より抜粋


P52
《われわれはいまだに朝鮮半島の友人たちと話をしていて、常に引け目を感じますね。
これは堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国をですね、平然と併合してしまった。
併合という形で、相手の国家を奪ってしまった。
こういう愚劣なことが日露戦争の後で起こるわけであります。

むろん朝鮮半島を手に入れることによって、ロシアの南下を防ぐという防衛的な意味はありました。
しかし、日露戦争で勝った以上、もうロシアはいったんは引っ込んだのですから、それ以上の防衛は過剰意識だと思うのです。
おそらく朝鮮半島のひとびとは、あと何千年続いてもこのことは忘れないでしょう。

倫理的な問題ではなく、利害の問題として考えてみましょう。
朝鮮を併合することが、国家として儲かることだったのでしょうか。
私は決して儲かることではないと思うのです。
そういうことを平気でやって、しかもそれは帝国主義であると言われています。
帝国主義という言葉は上等ですね。
泥棒主義と言ってもいいのです。

(中略)
明治三十年代にどれだけの産業がありますか。
生糸をアメリカなどに売って、やっと外貨を得ている程度です。
他の国に売れるようなものは、マッチとタオルぐらいです。

産業能力があって十九世紀的な帝国主義というものが成立します。
ところが何も売るべき産業もなくてですね、朝鮮半島を取ってしまったわけです。
何もないから、結局、東洋拓殖という一種の国策会社ができました。
朝鮮半島のひとびとが一所懸命、先祖代々耕してきた水田を取り上げたりした。

実際のソロバン勘定からいったら、持ち出しだったでしょう。
鉄道をつくったり、総督府をつくったり、学校をつくったり、郵便ポストをつくったり、それはそれでいいのですが、我を持ち出し、恨みを買った。

イギリス人やフランス人は国家運営を考えます。
外に出ていくときに、儲かるか儲からないか。
あるいは目先の儲けではなく、百年先に儲かるか。
常にそういう計算があるはずです。
それが戦略、政略というものだと私は思うのです。

強欲な百姓が隣の畑を略奪するように、ただ朝鮮半島を取っただけです。》



■司馬遼太郎という無知と自虐史観

過去記事「司馬遼太郎という名の”国賊”」という過去記事に対して、コメント欄で粘着、絡んできたネットでは有名なストーカー氏の出現があり、それを機にもう一度、司馬遼太郎という作家の思想について検証してみましたが、意見は変わりません。

「国民的歴史作家」という印象のみで司馬遼太郎という作家を捉え、素で語った言葉を案外知らない人が多いようです。

作家としては有能ですが、思想家としては驚くべく幼稚な歴史認識の方のようです、少なくとも朝鮮半島に関しては。


数千年の文化と数千年の独立、
という文言に腰を抜かした人もいるのではないでしょうか?
いったい、司馬さんはいかなる文献と資料を持ってこれを主張なさるのでしょう。
清という李氏朝鮮の宗主国の存在をよもやご存知ないのでしょうか。

水田を奪ったとおっしゃるが、農作物の飛躍的収穫の増大を何と説明するのでしょう。
進んだ農耕法を伝えたのは日本です。
あたかも日本が植民地にしたかのような司馬さんの言い分ですが、詳細を見れば、違うことは一目瞭然でしょうに。

そもそも植民地の定義とは何か。
少なくとも持ち出しで相手を豊かにすることに一生懸命になった植民地化など世界のどこに例がありますか。
損得とおっしゃるが、損は承知の投資でしたでしょうに?
相手を日本、日本人として扱ったからこその国費と人材の投入でした。

東洋拓殖(東拓)を何か朝鮮を一方的に虐げたニュアンスで捉えているようですが、東拓に絡んで移民した日本人たちの艱難辛苦はご存知ないのでしょうか。
開けていない極貧朝鮮農家の中に入って、言語を絶する貧しさに耐え、中には1尾の塩鮭を吊るして置いて、1ヶ月間もかかって細かく切り分けながら食用として命をほそぼそとつないだ、というエピソードも残っています。
そのような日本人たちの辛苦の果てに・・・
併合のたった30年間で、1千万人足らずだった人口が2500万人に激増、
平均寿命は24才から45才へと驚異的伸び、未開の農業社会だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌、
日本からは優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し、日本政府からは莫大な資金が流入し、各種インフラが建設された事実すら、司馬氏には損得のソロバン勘定にしか見えないらしい。

日本の江戸時代、その後の近代国家の礎を日本が着々と築き続けていた頃、李氏朝鮮は暴虐の限りを尽くしていました。
民衆は単なる搾取の対象でした。
この簡単な事実に、反駁出来るか司馬遼太郎よ。

搾取と奴隷制から開放したのが日本であったというのも事実。
民は圧政に喘ぎながら、飢えに苦しむ日々。
平均寿命が24才というデータすら知らぬのだろうか。
それが日本の併合で圧倒的に長生きするようになった事実を見よ。
「日帝の帝国主義」とやらに虐げられていた民が、倍近くまで寿命を伸ばすというのか、愚かしい。

暴虐は朝鮮に対する清であり、民に対する李王朝であります。
李朝の容赦無い暴虐下で民の心は病み、ねじくれ現在の異常な韓国人の精神性のベースを作り上げました。
北朝鮮がその原型のままです。
民が飢えても我関せず、体制批判は地獄送り。

このような李氏朝鮮下での地獄絵図が、韓国の国定教科書では「この世の理想郷」であるかのように、言いなされています。
なぜなら、そうしないと日本が乗り込んできて暴虐の限りを尽くしたというフィクションが成立しないからです。
地獄から民を救い出したのが日本でした。
司馬氏は、併合前の朝鮮が世界の最貧国であったという単純な事実すら無視しています。
併合前の朝鮮にいったい、いかなる「文化」が存在したか、司馬氏は具体的に検証した上で、持論を述べるべきです。

台湾には古代から由来の文化がありました。
しかるに、日本によって台湾の文化が壊されたり、奪われた形跡は皆無です。
なぜ朝鮮ばかりがそれをわめき立てるのか、
司馬氏の耳には台湾の人々の声は受け付けぬようです。
そもそも、日本がなにゆえ朝鮮の文化を壊さねばならぬのか、
その理由を明示していただきたい。
文化というものがもし存在するならば。

あるのは因習、淫習、蛮習ばかり。
それらを開放させたが、日本の罪なのか。
併合解消後も、鉄鋼所、造船、地下鉄・オリンピック施設などの建設資金を援助したのはどこか、
日本です。

アジア通貨危機の時、IMF資金以外に、韓国を救けたのはどこか。
日本です。
しかもそのIMFすら、日本は世界で2位の拠出国なのですから、韓国は二重に日本に救われています。

戦後の日本からの借金80兆円は、ほとんど返さぬまま、罵り続け、日本は催促もせず黙っている。
5兆円に及ぶスワップにも感謝とてされない。
このような状況下で、日本がとにかく悪いと日本を打ち据え続ける司馬氏。
日本が永遠に韓国の奴隷になって貢ぎ続ければ、満足なのか。

思想家としては「脱亜論」を説いた福沢諭吉の足元にも及びません。
いえ、それどころか思想未満でしょう、
事実認識すら欠落しているのですから。

日本の精神論を司馬さんは儲かる、儲からないという次元に引きずり下ろして卑しい史観です。

「強欲な百姓」とは、いったい何を根拠にしての喩えでしょうか?
日本の歴史の中で農民が強欲であった時代はあったでしょうか?
せいぜい食糧の無い戦争中、物品と引き換えに行った人たちに対して示した傲慢さとか、思い当たるのはその程度の些事ですが。

「恨みを買った」は戦後の外交カードとしてにわかに形成された「恨」であって、当時の朝鮮の大勢は真逆です。
日本の軍隊の募集に応募者が殺到、
採用されずそれを悲観した自殺者まで出た事実を司馬氏はどう説明なさるのか。
日本の軍隊に朝鮮名のままで、高位高官に付き日本兵を指揮していた朝鮮人が一人ならずいたことも、司馬氏は知らぬほど無知なのか。

靖國には朝鮮人の兵士たちも朝鮮名のまま手厚く祀られていることをご存知か。
同じ統治を受けた台湾は「恨」どころか賛美賛嘆である事実をどう説明なさる気か。

本来「恨」は李氏朝鮮に向かうべきところ、それでは民族の歴史的無力と欠陥に行き着いてしまう。
近代化は「日本のおかげ」になってしまう。
だから「恨」の矛先を日本へ向けた。
恨みの中身を、日韓併合に国家レベルで置き換えてしまった。
それが真実です。

李氏朝鮮下における奴隷制度、因習の数々が司馬氏の目には、何千年も続いた朝鮮文化と映じるのだろうか。
日本に併合されるまでは、李氏朝鮮の社会は豊かで自由で素晴らしい楽園だった、というのが現在の韓国の主張で、学校でもそのように教えこまれますが、
司馬遼太郎氏よ、
あなたは韓国の国定教科書レベルの大嘘つきだ。
しかも論旨に一貫性が無く、

「韓国自身、どうにもならない。
李王朝はすでに五百年もつづいており、その秩序は老化しきっているため、韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無といってよかった」 (第二分冊、50ページ)

なんだか、支離滅裂で・・・そのつど気分と思いつきで口走っているのではないかとさえ疑われるほど。

「面白い物語の作り手」としては端倪すべからざる才能の持ち主ですが、その歴史認識はおそるべき幼さで「司馬史観」とか司馬の「世界観」などというごとき大仰な批評の対象にするのは滑稽です。
当時の「世界常識」すら心得ていません。
日本がロシアに勝った。
勝ったほうが統治する。
そこに何の問題もない。
そもそも「日露戦争に勝ったから、朝鮮統治は過剰防衛」だと言い放つ司馬氏はお花畑としかいいようがありません。
外交も侵略も50年100年先を見越してなされねばならず、あの時点で日本が併合していなければ、ロシアは再び朝鮮を狙ったでしょうよ。
今度こそは日本に負けないように強兵に励みつつ・・・
こういう単純な流れさえつかめぬという事実にむしろ驚愕します。
特有の史観と知識に基づき傑作を書いた作家という思い込みが世間に流布されているだけに。

「国家として儲かることだったのか」
という商人的発想に至っては絶句です。
地勢的に押さえておくべきエリアとして、日本は損を承知、持ち出しを覚悟で相手を同じ日本、日本人としてインフラ整備や学校、病院の建設に勤しんだ。
何を無知なことを口走っているのでしょう。

その作家的手腕は置いておくとして、大江健三郎、村上春樹と並ぶ自虐史観者ではありましょう。
上記3名よりは格落ちしますが、文芸作家に擬態した、その実、エロ作家 渡辺淳一もそう。
この三流作家は南京大虐殺を推定だけで肯定(週刊新潮のエッセーで)。
森村誠一というのもいます。
林真理子は単に愚かなだけで、定見というものはなく、そのつど鳩山由紀夫夫妻を褒めちぎったりという程度ですが。

事実に基づいての自省であるならば無問題、
しかし朝鮮が数千年の文化を有し、
数千年の独立国であったというごとき基礎知識すら欠落させた思考で朝鮮を持ち上げ日本を貶めることは、愚かさも度が過ぎましょう。

別記事で取り上げた『故郷忘じがたく候』という作品では、日本が強制的に拉致して来た朝鮮人陶工の子孫が日本で差別され虐められたなどという事実無根のことを書き散らし、現地の人たちから名誉毀損として訴えられる寸前にありました。

司馬遼太郎の、このような驚くべく稚拙な史観の依って来たる要因の一つに次のような思考形態があろうかと、愚考します。

同じく、
司馬遼太郎「『昭和』という国家」
(NHK出版1998年)より抜粋

《私は、青少年期にさしかかるころから自分を訓練してきたことがひとつあります。
中国のことを考えるときは、自分が中国人だったらと、心からそういうようなつもりになることです。
そのためには中国のことを少し勉強しなければいけませんが、とにかく中国に生まれたつもりになる。

朝鮮のことを考えるときには、自分が朝鮮人だったらと、あるいは自分が在日朝鮮人だったらと思う。
沖縄問題がありますと、自分が那覇に生まれたらとか、宮古島に生まれたらというように考える。そういう具合に自分に対して訓練をしてきました。》
(167ページ)

《これから世界の人間としてわれわれがつき合ってもらえるようになっていくには、まず真心ですね。
真心は日本人が大好きな言葉ですが、その真心を世界の人間に対して持たなければいけない。
そして自分自身に対して持たなければいけない。

相手の国の文化なり、歴史なりをよく知って、相手の痛みをその国で生まれたかのごとくに感じることが大事ですね。》(182ページ)

「中国のことを考える時」という言い方にある種の失笑を禁じえません。
なぜなら、彼の筆名の由来は「「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ているからです。
最初から日本を中国の下に置くごとき発想です。
その作家人生が、中国に尻尾を振るところに端を発している。
そもそも現在の中国と孟子たちが文化の華を咲き誇らせていた時代の中国と同一視するのが間違いです。

「史記」の著者司馬遷(しばせん)は中国前漢時代の歴史家ですが、現代の中国人や中国人たちとはなんの関係も有しません。
彼らは後漢の時代に、ほぼ滅び去っているのですから。

司馬さんも多くの日本人と同じく、誤解に基づく中国への思い入れがあるようです。
すなわち未だ孔子、孟子、老子、など偉大な思想家たちに連なる民族が住む文化的に偉大な国である、と。
いいえ、実態は文化後進国です。
2000年前、中国を形成していた民族とは似ても似つかぬのが現在の中国民族です。

日本は遣隋使、遣唐使が持ち帰った無数の漢籍を虚心に学び血肉にしましたが、その恩義を現在の中国や中国人に負っているわけではありません。
日本が恩恵を受けたのは異なる民族からです。
そもそも中国は異民族の集合体国家であり、孟子たちを綺羅星のごとく送り出したのは現在の文化貧しく、精神の格低い中国人たちではありません。
そして、日本が文化を頂いた中国を、司馬さんのように批判もなく崇め奉っていたかというと、そんなことはありません。
吸収すべきは吸収して、しかし唐の朝鮮半島侵略に危機感を抱いた日本は、即縁切りをして、外交再開は日清修好条規(1871年)からです。

日本が大切に保存、日本流に消化して血肉と化したのに比して、中国は文化とは隔絶した異民族が支配、中国文化の粋を身に着けているのはむしろ日本人であり、中国人はとっくに漢文の素養を喪失していました。
しかし彼らはそれは認めず、孔子や孟子の血脈にあるごとき嘘を並べ立てます。
孔子や孟子が彼らの精神性に生きているならば、チベット弾圧はあるはずもありません。嘘つき民族です。

そもそも異民族の集合体国家に、単一の言語など存在したことはありません。
異民族集合体で地方により言語が異なる中国で、漢文が統一文化として中国に影響を及ぼしたこともありません。

むしろ、日本が中国に影響を与えました。

魯迅がその中の一人ですが、日本に留学した彼は日本人が四書五経をスラスラ読みこなすばかりか暗唱さえしていることに、息を呑みます。
日本の漢文を模写しながら彼らは会話体の言葉(白話運動)を編み出しました。

かつての日本インテリ層の多くが手にした「阿Q正伝」(魯迅)を読んだことのある中国の学生が皆無という調査(北京大学)、
日本では中国教養の定番である「三国志」「紅楼夢」「水滸伝」すらが ほとんど読まれず放置されているというのが中国の現在の文化レベルであり、古来の中国文化を忠実に引き継ぎ尊重しているのは、むしろ日本人なのです。
レ点など編み出しながら、平仮名、片仮名と融通無碍の日本人の感性が中国の文字を守り抜いて来ました。

その結果、魯迅や胡適が推進した中国の文学革命が起こるのですから、日本が中国の言葉に影響を与えたと言っても言い過ぎではありません。
日本人は恩着せがましく言い立てませんので、知る人は少ないのですが、これが韓国だった大騒動でしょうね。
ウリたちが現代中国語を作ってやったニダ、と。

(余談に逸れました)

さて司馬遼太郎の中国信仰ともいうべき心情に立った、中国への敬慕と決意を、
「自己意識の相対化により、他者、他国の痛みを感知しようとする良心と誠実さ」
とでも褒め称える層がいるであろうことは容易に予見出来ますが、稚拙です。

司馬の思考形態じたいは、思春期の(言葉を変えれば未熟期の)純粋さに満ちてはいますが、いかにも稚拙。
この思考の前にひとたび「他者」を置くとき、もろく崩壊してしまうものだからです。
世界は思春期の思考を受け入れるほど、清くも良心的でもありはしない。
常に腹黒く奸計に満ちていて、そこでは反省や自省など食い荒らされる獲物でしかなく、悪いと思うなら謝罪と金よこせと、「誠意」を見せな、とヤクザ的外交カードに即すり替えられるのがオチ。
そして、この手の幼い自省家、反省家の特質は、相手の非は見ない、見えない。
必然的に、しなくてもいい謝罪をさせられ、そして世界は、いったん謝罪などしたら、それに対してペイし続けていかねばならぬほどにも邪悪です。
こちらが誠意を見せたら、相手も腹を割って誠意で接してくれる、というのが司馬遼太郎という永遠の思春期少年の姿勢ですが、幻想でしかありません。
それは大人なら、対特ア3カ国のみならず、ロシア、アメリカを見れば、したたか思い知ってすぐ悟る事柄であり、それが成長するということです。
対個人ならまだしも、韓国や北朝鮮、中国という特殊国家を前にしての良心や誠意など、寄ってたかって食いつくされる臓物の如きものでしかありません。
司馬氏の過失は、ひたすら自省的で誠実で相手本意に考える思考を外交の場に敷衍した愚かさにあります。
大人なら瞬時に理解出来ることですが、しかし大人になりきれない永遠の精神的未熟児ともいうべきハンパ大人はいるものです。
日教組の自虐史観が最も効率良く植え付けられていた団塊の世代をピークに、日の丸、君が代を拒否する精神的未熟児たちがそうです。
「良心」や「誠実」「反省」を日の丸の代わりに掲げ、侵略の象徴ゆえに国旗を忌避する。
そう言いながら、片や相手国の侵略や残虐行為には言及せず、相手の国旗も国歌も否定せず、ひたすら自国を貶め相手国からの謝罪に応じ、払う謂われもないお金を払い続ける。
しかも、貶めてやまない自国からお金を頂きながら、退職後の暮らしの保障を受けながら・・・
胸の悪くなるような卑怯な連中です。
外交は汚く熾烈な駆け引きです。
それを良心や誠実とごっちゃにする。
相手も同じ良心と誠実さを持つであろうという思い込み。
自省を表に、それに中韓から付け入れられ、奪われ、叩かれ、それをよしとし、自分たちの「誠実」ゆえに他の日本人や子供たちまで巻き込んで被害者にしているという自覚もない。
中韓の悪辣さが暮らしを痛打するのは生活不安定な一般層なのに、公務員という安定した国家保障の繭の中で国家に依存しつつ毀損し続け、その矛盾にも、誠意の欠如にも気づかない。
頭が悪いのです。
受験脳ではない、本質的な頭の出来。

司馬遼太郎は物語の紡ぎ手としては最大限に優秀ですが、頭の悪い作家です。
素で奇妙な発言をしなければ価値はもっと高かったのに。


↑右からも、↓左からも、
司馬遼太郎、ボロクソや(笑)


転載元
雁屋哲の今日もまた
「美味しんぼ」原作者、雁屋哲の公式ブログ

■共和国の友人たち7(完)
前回まで、明治以降日本が共和国( 北朝鮮のこと )・韓国に対してどんなことをしてきたか大雑把にまとめて見た。

全く荒っぽいまとめで、抜けが沢山あるし、ざっとかい撫でしただけなので、極めて底は浅い。
この日記では、この程度書くのが精一杯だ。

私が前に挙げた本を読んで頂ければ、ちゃんと深い理解が行く。
是非お読み下さるようお願いしたい。

共和国・韓国の人々と友人になりたいと思ったら、日本人は最低限私が挙げた事柄を知識として持っていてもらいたい。

共和国・韓国の人々は学校でしっかり学んでいるから、江華島事件以降、韓国併合を経て1945年の日本の敗戦による解放の時期まで日本が朝鮮・韓国に何をしたかよく知っている。

ところが、日本人の大半、特に若い人達は何も知らない。
初めて聞いて驚く。
驚くのはまだ良い方で、そんなことは嘘だという。
こんなことを言う私は、共和国・韓国、中国に洗脳されているんだろう、とまでいう。

それも無理はない。
日本の学校では明治以降の日本のアジア侵略の歴史はまともに教えられないからだ。

1945年の第二次大戦敗戦後に生まれた日本人の大半は、明治以降日本が朝鮮・韓国、中国に何をしたか良く知らない。

日本人は知らなくても、外国人はみんな良く知っている。

他の国の人間が良く知っていることを、我々日本人は知らない。
これでは、国際的に勝負にならない。
眞の友好関係も結べない。

「閔妃暗殺」を書いた角田房子氏は、次のように書いている、

「(前略)両国関係の歴史を学ぶ間に私は何度か『日本はこんなひどいことをしていたのか』と言う驚きに打たれた」

私もその通りだった。

角田房子氏がこの「閔妃暗殺」を書かれたのは1987年、その時氏は73歳。

その年代であっても、日本がしてきたことを御存知無かったのだ。

また、それより前の部分でこうも書いている、

「(前略)及ばずながら日韓関係の事実を知ったことで、私は実感の伴う”遺憾の念”を持つようになった。
私の使い慣れた言葉で言えば、
”申しわけなさ” がその基礎となった感情である。」

(中略)

「『閔妃暗殺』をお読み下さる方々の一人でも多くが、どうぞ隣国への ”遺憾の念“ を持ち、それを基とした友好関係、相互理解を深めて下さるようにと、私は切に願っている」

日本人は自分たちがしてきたことを、きちんと認識し、その結果、朝鮮・韓国の人々に対して与えてきた被害の大きさをはっきりと認識しないと、共和国・韓国の人々が心の底に持っているわだかまりに気がつかない。

わだかまりなどではなく、もっと強く言うなら「反日感情」である。

相手がそのような物を心の底に持っているのに、何も知らない日本人がのこのこ出かけて行って友好だ、相互協力だ、などと言っても上手く行くはずがない。

まず、共和国・韓国の人々が胸に深く抱いている日本に対するわだかまり・反感をしっかりと認識して、そのうえで、いかにして友好関係を樹立できるのか考えなくてはいけないだろう。

自分の国が過去に犯した間違いを認めるのは辛いことだが、自虐的だ、などと言って逃げたりしてはいけない。

過ちを過ちときっちり認めることは辛いが、それを避けていたらいつまで経っても卑怯な弱虫のままだ。
真実から逃げ続けているその姿こそ自虐的ではないか。

最近NHKの大河ドラマで司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」が放映されている。

このNHKのドラマのおかげで、また
「明治時代は明るかった」
「日本の明治時代は、溌剌とした青年のようだった」
などと喧伝されことになるだろう。

前掲 中塚明氏著「歴史の偽造を正す」の162頁に引用されているが、1996年3月2日の毎日新聞に、
《歴史万華鏡》岡本健一
「『司馬史観』再考―『近代化の原罪』からの解放」
と言う文章が転載されている。

その中で、岡本健一氏は次のように言っている。

《明治維新によって近代化の扉を開いた若き群像、彼我の実力を知って日露戦争を戦った指導者。
いずれも、ドグマで裁断されず、共感を込めて活写された。

誰もがさわやかな快男児で、抑制の効いた美しい「侍の倫理」と「合理精神」の持ち主として描かれた。

つまり、司馬さんは「太平洋戦争の否定」から出発して「明治の肯定」に至った。

暗黒史観とは対象的だ。

おかげで、私たちは、明治の近代化と共に背負わされた『原罪』――生まれつきの侵略国家感――から解放された。》

このような文章を読むとめまいがする。

この人は、日本の歴史に全く無智なのか、それとも、意図的に事実を曲げているのか。

これまで私の挙げた点だけで、明治政府がどれだけの権謀術数と暴力を用いて朝鮮・韓国を侵略して行き日本に韓国を併合してしまったか、まともな知能を持つ人間なら、間違える事なく理解できるだろう。

江華島事件以降、韓国併合に至るまで、関わり合った日本の軍人、政治家、官僚、その誰が「さわやかな快男児」で抑制の効いた美しい「侍の倫理」と「合理精神」の持ち主だったか。

そんな言葉は聞いただけで気恥ずかしくなる。

「坂の上の雲」は日露戦争を舞台にするようだが、日露戦争は、日清戦争の続きであり、日清戦争と日露戦争は切り離して考えられない。

日本は朝鮮に対して攻撃を重ね、朝鮮の権利を奪って行き、朝鮮王宮を占拠して日清戦争に韓国を巻込んだ。

そこの所を司馬遼太郎氏は書いていない。

その朝鮮を支配して日露戦争に導くまでの日本のやり方は、権謀術数と暴力にまみれた陰険極まりないものであって、「さわやかな快男児」で、抑制の効いた美しい「侍の倫理」と「合理精神」の持ち主のすることではない。

正に日露戦争までの日本の近代化の歴史は生まれつきの侵略国家と言う原罪から逃れる訳にはいかない。

司馬遼太郎氏は小説家である。

歴史家ではない。

小説家としてどんなに事実を脚色して面白く一般受けのする物語を書いても構わないが、読む方は、それを実際の歴史と混同してはいけない。

歴史物語は、あくまでも、歴史を題材に取った小説であって、歴史書ではない。

そこを間違えてはいけない。

司馬氏は日本人が喜びそうな部分にだけ光を当て、大いに美化して描く。
日本人とっては辛いところは伏せる。
結果的に、明治の日本を賛美して、実際の明治の姿と異なった明治像が描かれている。

小説だったら何を書いても良いというものではない。

歴史小説であるからには歴史の本質を曲げた物を書くべきではない。

司馬遼太郎氏のおかげでどれだけ多くの日本人が、史実に反する物語を史実と思い込まされてしまったことだろう。

司馬氏の本を読む際には、実際の歴史の本を横に置いて、事実と対応させながら読むことをお勧めする。

だが、一般読者は普通歴史の本を対照しながら司馬遼太郎氏の小説を読んだりしない。

すでに、司馬遼太郎という名声のある小説家が書くものなら、その通りに鵜呑みにするだろう。

司馬遼太郎氏の書くものは真実を認める勇気のない人間には心地よい。

しかし、その偽りの心地よさは、過酷な歴史の真実を隠す物であり、それを真に受けて良い気持ちになっていると、現実から必ず手ひどいしっぺ返しを食うことになることを肝に銘じて欲しい。

日本は世界中の国と友好関係を結ばないといけないが、すぐ隣の中国、共和国・韓国とは、特にしっかりした友情をもって手を結び互いに協力し合っていかないと21世紀以降の世界の中で日本は生き延びることが出来ないと思う。

そのためには、まず、ごまかしのない正直な過去の歴史の認識が第一に必要だ。

日本が、朝鮮・中国を侵略したことは間違いのない事実なので、
「今世紀の一時期において、不幸な過去が存在したことは、まことに遺憾」とか、
「迷惑をかけた」とか、
言われた方が返って腹が立つようなことを言って謝罪したつもりになっていないで、きちんと侵略の事実に対して謝罪をし、それに応じた補償を行うべきである。

日本は毎年アメリカの駐留軍の家族相手に思い遣り予算とか言って途方もなく巨額の金を支払っている。

そんなことを出来るなら、どうして、中国・朝鮮で日本の被害にあった人達に補償をしないのか。

アメリカは今非常な危機に立っているが、アメリカが崩壊しようとしまいと、そんなことには関係なく、日本、中国・共和国・韓国との関係は日本にとって決定的に重要なのだ。

今私たちが使っているこの日本語も、中国と朝鮮の文化がなかったら存在し得なかった物だ。

文化の根底である言語を、我々は、中国と朝鮮に深く負っていることを忘れてはならない。

その、中国、共和国・韓国と友好関係を結べずに、どうするか。

そう言う訳で、私はできるだけ多くの共和国の人びとと友人になりたい。

そう言うと、こんなことを言ってきた人がいる。

「金正日氏はノドンを日本に打ち込むと脅しているし、拉致被害者は返さないし、国内で強烈な反日教育を行っている。
そのような共和国の人間が、日本人と友人になりたいと思う訳がない」

また、

「中国では言論の自由が制限されていて、一般の中国人は天安門事件のことさえ知らされていない。
教科書は強烈な反日的な内容で埋まっている。
その中国人が日本人と友人になりたいと思うか」

確かにその通りで、今の金正日氏の支配する共和国の政治体制下では難しいところがあるだろう。

私としては、共和国や中国がロシアの轍を踏まず、開かれた国になることを願うしかない。

政治体制がもっと開かれた状態になったとき、それまでに築いて置いた友人関係が役に立つだろう。

お互いに腹蔵なく話し合い、どうすれば、国同士が和解し合い協力していけるのか、その道を見いだすことが出来るだろう。

中国と、共和国の政治体制が今のままでも、一般の市民同士の間で交友関係を広げて深めて行くことは、次の世代の日本、中国、共和国・韓国の人びとにとって重要なことである。

今は確かに、国として、日本、共和国、中国とは上手く行っているとは言いがたい。

しかし、国同士の関係を改善するのは、国民どうしが友情を築くこと以外にない。

私は、私の子供達、孫達、孫の子供達の世代のために、未来のために、共和国・韓国、中国の人びとと友人になりたいと思うのだ。

私が、出来るだけ多くの共和国の人びとと友人になりたいと言うのは、その意図による物だ。

共和国・韓国、中国は近代以降日本の侵略の被害者だったのだから、日本を憎み恨む根拠がある。

しかし、加害者である日本が、共和国・韓国、中国を嫌悪したり憎んだりするのは、逆恨みというもので、その根拠がない。

問われているのは日本人の腹である。

如何にして、共和国・韓国、中国の人びとの過去の歴史に基いた怒りと批判に正面から対応するか。

その腹の大きさが問われているのだ。

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