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東京書籍の教科書にあるサブリミナル 7/世界最強の日本語表記システム

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かな文字と平安朝文学の独創性

2014/11/30

渡部昇一氏は『源氏物語』について、次のように書いている。
__________
言うまでもないことだが、『源氏物語』は1001年ごろに書かれた世界最古の小説、しかも女性の手によるものである。
イタリアのボッカチオが書いた『デカメロン』(1348)、フランスのラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』(1532)、スペインのセルバンテス『ドン・キホーテ』(1605)などと比較しても、3百年から6百年早いのである。
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単に最古というだけではない。
__________
アメリカの代表的な日本学者であるドナルド・キーン氏は平安朝を「世界史上最高の文明」と言い、当時は20世紀の傑作であるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』と並ぶ世界の二大小説という評価もあった。
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『源氏物語』だけではない。
__________
清少納言の『枕草子』は女性の書いたエッセイとしてはやはり世界最古のものであろうし、
(中略)
そのほか、『伊勢物語』をはじめ、物語の類は数多くあるし、紫式部も和泉式部も日記を残している。
女性の日記文学というのも、やはり日本の平安朝が最初であろう。
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今から千年ほども昔に、世界でも最古の小説や、物語、日記文学が続々と、しかも女性の手によって生み出された。
世界文明史上の一大事件である。
これを東京書籍版の中学歴史教科書は「国風文化」と題した節で、こう説明している。
__________
平安時代半ばの貴族たちは、唐風の文化をふまえながらも、日本の風土や生活、日本人の感情に合った文化を生み出していきました。
これを国風文化といい、摂関政治のころに最も栄えました。

漢字を変形して、日本語の発音を表せるようにくふうしたかな文字ができ、これを用いて人々の感情を書きあらわせるようになりました。
このため、紀貫之らが編集した「古今和歌集」や紫式部の「源氏物語」、清少納言の随筆「枕草子」など、優れた文学作品が生まれました。
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「優れた文学作品」は、どこにでも転がっている。
『源氏物語』がどのように優れているのか、その特徴を語らなければ意味はない。
渡部昇一氏の鮮やかな一文と比べれば、その無内容ぶりが良く分かる。

この節の横には源氏物語絵巻の絵が掲載されており、少しは『源氏物語』の素晴らしさを紹介するのかと思うと、「この絵のように、日本の自然や風俗をえがいた絵は大和絵と呼ばれ、日本画のもとになりました」という、これまた無味乾燥な解説しかない。

そのくせ「唐風の文化をふまえながらも」などと、いつもながら中国文明の先進ぶりを引き合いに出す。
しかも具体的な意味内容は不明のままだ。

ことさらに中国・朝鮮文明を持ち上げ、日本文明の優れた点については頬被りする。
そうした偏向ぶりが、この短い一節にも窺われる。


これに対して、自由社版はどうか。
同じく「国風文化」と題した一節で、遣唐使廃止後に「優美で繊細な貴族文化が発達するようになった」と述べ、建築では寝殿造り、衣服では十二単(じゅうにひとえ)、絵画では大和絵に言及した後、次のように語る。
__________
とりわけ重要なのは、かな文字の発達である。特に平がなは貴族の女性の間に広まり、かなを用いた文学が生まれた。
清少納言はするどい観察力で宮廷生活をつづった随筆『枕草子』を、紫式部は世界最古の長編小説『源氏物語』を書いた。
これほど古い時代に、女性が文学のにない手として登場するのは世界でも例がない。
和歌では醍醐天皇の命を受けた紀貫之らによって『古今和歌集』がまとめられた。
かぐや姫の物語である『竹取物語』が書かれたのもこのころである。
また、物語に大和絵をそえた絵物語もつくられた。
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「優れた文学作品」と言うのみの東書版の記述に比べれば、「どう優れていたか」を解説している。
特に「これほど古い時代に、女性が文学のにない手として登場するのは世界でも例がない」という指摘は、天照大神以来、女性を貴んできた我が日本文明の特質を表している。

個々の作品の記述も、簡潔ながらポイントをついており、これなら中学生たちもこれらの作品を読んでみようか、という気になるだろう。古典の授業で原文に触れる際に、相乗効果が期待できる。


宮内庁書陵部の橋本義彦氏は『源氏物語』をこう評している。
__________
その登場人物は、少なく数えても2百人以上にのぼり、とりあつかわれる時代も70年間にわたる。
世界最大の長編小説の一つであるが、同時に54の巻々(まきまき)が、それぞれまとまりのある短編小説のおもむきを持っている。
宮廷生活を背景に、さまざまな人の心の動きをこまやかにえがいたこの物語は、絵巻物を見るように美しく、かつ正確な背景描写と、人の心を見とおす、行き届いたするどい筆づかいによって、それまで世に出た数多くの物語をはるかにしのぎ、またわたしたち現代の読者にも深い感動を呼び起こす。

今『源氏物語』が諸外国で訳され、日本の代表的な文学作品として名声をほしいままにしているのも当然といえよう。
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試みに『源氏物語』の一節を見てみよう。
第十二帖「須磨」の冒頭で、二十代の光源氏がある事件から京にいられなくなって、須磨に逃れた時の情景である。
__________
須磨には、いとど心尽くしの秋風に、海はすこし遠けれど、 行平中納言の「関吹き越ゆる」と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。

秋風が須磨の里を吹くころになった。海は少し遠いのであるが、須磨の関も越えるほどの秋の波が立つと行平が歌った波の音が、夜はことに高く響いてきて、堪えがたく寂しいものは謫居(たっきょ、とがめを受けての引きこもり)の秋であった。
(与謝野晶子訳)
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波の音が「夜々はげにいと近く聞こえて」などという所に、「人の心の動きをこまやかにえがいた」点が感じられる。


こうしたこまやかな感情を表現するには、かな文字の発達が必要だった。
たとえば、前章の引用部分で、秋風を「あきかぜ」と読んでこそ、もの悲しさが伝わる。
これを漢文で「シュウフウ」などと読んでいたのでは日本人の情緒は伝わってこない。

しかし、東書版で驚かされるのは、かな文字の説明から「文字の工夫」と題して、わざわざ契丹文字、西夏文字とかな文字を写真で並べ、「このころ中国周辺の民族は、独自の文字を作りました」と説明している点だ。

その横にはご丁寧にも「11世紀のアジア」として、宋を中心に西夏(現在のウイグル)、遼(契丹、モンゴル・満洲)、高麗、日本を地図で描いている。
いかにも周辺蛮族が中国文明を真似て、いろいろ勝手に文字を作りました、とでも言いたげである。
幸か不幸か、朝鮮のハングルは4百年も後に作られたためか、この例には登場しないが。

しかし、すでに死滅した、読み方すら完全には解明されていない契丹や西夏の文字と、現代でも読み継がれている傑作長編小説を生み出したかな文字を同列に扱うのは、なんとも異様な発想だ。

言語学の専門書ならともかく、これは日本人中学生が学ぶ日本史の教科書で、しかも「国風文化」の節なのだ。
契丹や西夏の文字など、何の関係があるだろう。
なんとしても日本文明を貶めようという底意を感じてしまう。


今日、我々は当たり前のようにかな文字を使っているが、それを生み出すために、我が先人たちがどのような苦労をしたのかを想像してみるのも、歴史の授業としては有益だろう。

たとえば、「秋風」の「あき」には日本語としての独特の語感、いわば言霊が宿っており、それを「秋」と書いては、もともとの漢字音「しゅう」が邪魔をする。
無理に万葉仮名で「安畿」と書いても、「安」も「畿」もそれぞれの意味を持っており、「あき」の語感を台無しにしてしまう。

漢字がそれぞれ意味と音を持っている点からくるこの矛盾を避けるために、音のみを伝えるかな文字を発明して、「あき」と書いた。
しかし表音文字だけでは効率が悪い。
たとえば、「すまには、いとどこころづくしのあきかぜに」などと書いたのでは、意味をとるのも難しい。

そこで「秋風」と書いて、「しゅうふう」ではなく、「あきかぜ」と読ませるという訓読みの離れ業を我が祖先は発明した。
これによって、「須磨には、いとど心尽くしの秋風に」という漢字仮名交じり文を使えるようになった。
漢字表記の簡潔さと日本語の語感を両立させたのである。

漢字には知的な造語能力が備わっている。
この造語能力が明治以降も西洋文明導入に際しても役だった。
「中華人民共和国憲法」では「中華」以外の「人民」「共和国」「憲法」は、すべて日本人が生み出し、中国人が借用した近代概念である。

漢字仮名交じり文を外国語の片仮名表記に拡張すると、「イタリアのボッカチオが書いた『デカメロン』」などと、外国語も自在に取り入れられるようになって、日本語は世界の諸言語の中でもトップレベルの知的表現力を得るに至った。

日本人が古来からの日本語の心を失わずに、漢字・漢語の導入、明治以降の近代西洋文明の吸収ができたのも、かな文字の発明から始まった知的格闘のお陰なのである。

日本の歴史としては、こうした我が先人たちの労苦を学ぶべきであって、それに比べれば、契丹文字、西夏文字などとの比較など、いかに無意味な記述かが分かろうというものである。


かな文字は表音文字の一種で、世界にはアルファベットからアラビア文字まで様々な表音文字がある。
しかし、表意文字と表音文字を両方使うというのは、世界に例を見ない日本人の独創である。
__________
しかし、この珍奇さをなくすために漢字だけにしたら、朝鮮のように漢字文化に支配されていたであろう。
逆に漢字を入れなかったら、日本文化はひどく味気ないものになっていただろう。
理屈では両立しないものを両立させるというのが、日本文化そのものなのだ。
それはちょうど、神を仏とを両立させた日本人の宗教生活のごとくに。
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漢字仮名交じり文の素晴らしさについて、渡部昇一氏は次のような見事な表現を紹介している。
__________
シナ文学者の吉川幸次郎博士は、漢文をピアノの音に、日本文をヴァイオリンの音にたとえている。
適切な比喩であって、まことに同感である。
漢文は知的に整理されている感じで客観的であるようだし、日本文のほうは感情のままに絶えることなく流れ出て、より主観性が高いと思う。

ピアノの演奏は知に勝ち、ヴァイオリンの演奏は情に勝つ。
しかし、何と言ってもいちばんよいのはピアノとヴァイオリンの二重奏、あるいはそれにチェロの加わった三重奏である。
知的に切り込んでくるピアノの音と、纏綿(てんめん)と、また嫋々(じょうじょう)として絶えない弦楽器のハーモニーは絶妙である。

われわれの祖先は、漢語をすっかり吸収しつつも、「やまとことば」を失うことなく、「漢字仮名交じり書き」、つまり言語二重奏を完成させたのである。
それに欧米語などと片仮名書きを加えるならば、言語三重奏と言ってもよいであろう。
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この歴史教科書読み比べシリーズの前号では、平安時代の仏教学が大陸以上に進んでいた側面を紹介した。
我が国の仏教書が中国でもてはやされたり、唐に渡った僧がかの地で仏教の講義をし、皇帝からも深く敬愛されている。

大陸や半島が戦乱に覆われていた時代に、我が国では藤原氏が築き上げた皇室を中心とする平和と安定が続いており、それがこうした文化の急速な発展を可能にしたのだった。

そして男性が知的活動にいそしんでいる間に、女性は日本人の情緒を表現しうるかな文字を発展させ、現代の外国人をも感動させる文学を花開かせていたのだった。


漢字と格闘した古代日本人

H13.12.23

中国の外来語辞典には、「日本語」とされているものが非常に多い。
そのごく一部を分野別に拾ってみると:

思想哲学:
本質、表象、理論、理念、理想、理性、弁証法、倫理学、倫理学…

政治軍事:
国家、国民、覇権、表決、領土、編制、保障、白旗…

科学技術:
比重、飽和、半径、標本、波長、力学、博士、流体、博物、列車、変圧器、冷蔵、

医学:
流行病、流行性感冒、百日咳、

経済経営:
不動産、労動(労働)、舶来品、理事、保険、標語、例会、

博士などは、昔から中国にあった言葉だが、近代西洋の "doctor" の訳語として新しい意味が与えられ、それが中国に輸入されたのである。

日本が明治維新後、西洋の科学技術、思想哲学を導入する際に、各分野の概念、用語を表す数千数万の和製漢語が作られ、それらを活用して、欧米文献の邦訳や、日本語による解説書、紹介文献が大量に作成された。
中国人はこれらの日本語文献を通じて、近代西洋を学んだのである。

軍事や政治の用語は、日露戦争後に陸軍士官学校に留学する中国人が急増し、彼らから大陸に伝わった。
後に国民党政府を樹立した蒋介石もその一人である。
当時はまだ標準的な中国語は確立されていなかったので、各地の将校達は日本語で連絡しあって革命運動を展開し、清朝打倒を果たした。

さらに中共政府が建前としている共産主義にしても、中国人は日本語に訳されたマルクス主義文献から学んだ。
日本語の助けがなかったら、西洋の近代的な軍事技術や政治思想の導入は大きく遅れ、近代中国の歴史はまったく異なっていただろう。


日本人が文明開化のかけ声と共に、数千数万の和製漢語を作りだして西洋文明の消化吸収に邁進したのは、そのたくましい知的活力の現れであるが、同様の現象が戦後にも起きている。

現在でもグローバル・スタンダード、ニュー・エコノミー、ボーダーレスなどのカタカナ新語、さらにはGNP、NGO、ISOなどの略語が次々とマスコミに登場している。

漢語を作るか、カタカナ表記にするか、さらにはアルファベット略語をそのまま使うか、手段は異なるが、その根底にあるのは、外国語を自由自在に取り込む日本語の柔軟さである。

漢字という表意文字と、ひらがな、カタカナという2種類の表音文字を持つ日本語の表記法は世界でも最も複雑なものだが、それらを駆使して外国語を自在に取り込んでしまう能力において、日本語は世界の言語の中でもユニークな存在であると言える。
この日本語の特徴は、自然に生まれたものではない。
我々の祖先が漢字との格闘を通じて生みだしたものである。


漢字が日本に入ってきたのは、紀元後2世紀から3世紀にかけてというのが通説である。
その当時、土器や銅鐸に刻まれて「人」「家」「鹿」などを表す日本独自の絵文字が生まれかけていたが、厳密には文字体系とは言えない段階であった。

しかし、言語は本来が話し言葉であり、文字がなければ原始的な言語だと考えるのは間違いである。
今日でも地球上で4千ほどの言語が話されているが、文字を伴わない言語の方が多い。

文字を伴う言語にしても、そのほとんどは借り物である。
アルファベットは紀元前2千年頃から東地中海地方で活躍したフェニキア人によって作り出されたと言われているが、ギリシア語もラテン語もこのアルファベットを借用して書けるようになった。
現代の英語やロシア語も同様である。
逆に言えば、これらの言語も すべて文字は借り物なのである。

わが国においても文字はなかったが、神話や物語、歌を言葉によって表現し、記憶によって伝えるという技術が高度に発達していた。
今日、古事記として残されている神話は、古代日本人独自の思想と情操を豊かにとどめているが、これも口承によって代々受け継がれていたのである。


アルファベットは表音文字であるから、どんな言語を書くにも、それほどの苦労はいらない。
現代ではベトナム語も、マレー語もアルファベットを使って表記されている。

古代日本人にとっても、最初に入ってきた文字がアルファベットだったら、どんなに楽だったであろう。
たとえばローマ字で「あいうえお」を書いてみれば、

 a  i  u  e  o
ka ki ku ke ko
sa si su se so

などと、「a i u e o」の5つの母音と、「k s …」などの子音が単純明快な規則性をもって、日本語のすべての音を表現できる。
漢字が入ってきた頃の古代の発音は現代とはやや異なるが、この規則性は変わらない。
日本語は発音が世界でも最も単純な言語の一つであり、アルファベットとはまことに相性が良いのである。

ところが幸か不幸か、日本列島に最初に入ってきた文字は、アルファベットではなく、漢字であった。
「漢字」は黄河下流地方に住んでいた「漢族」の話す「漢語」を表記するために発明された文字である。
そしてあいにく漢語は日本語とは縁もゆかりもない全く異質な言語である。

語順で見れば、日本語は「あいつを殺す」と「目的語+動詞」の順であるが、漢語では「殺他」と、英語と同様の「動詞+目的語」の順となる。

また日本語は「行く、行った」と動詞が変化し、この点は英語も「go, went gone」と同様であるが、漢語の「去」はまったく変化しない。
発音にしても、日本語の単純さは、漢語や英語の複雑さとは比較にならない。似た順に並べるとすれば、英語をはさんで漢語と日本語はその対極に位置する。

さらにその表記法たる「漢字」がまた一風変わったものだ。

一つの語に、一つの文字を与えられている。英語のbigという語「ダー」を「大」の一字で表す。
bigという「語」と、ダーという「音」と、大という「文字」が完全に一致する、一語一音一字方式である。
さらに、英語では、big, bigger, bigness、日本語では「おおきい」「おおきさ」「おおいに」などと語が変化するのに、漢語はすべて「ダー」と不変で、「大」の一字ときちんと対応している。
漢字は漢語の特徴をまことに見事に利用した最適な表記法なのである。

たまたま最初に接した文字が、日本語とはまったく異質な漢語に密着した漢字であった所から、古代日本人の苦闘が始まる。


漢字に接した古代日本人の苦労を偲ぶには、イギリス人が最初に接した文字がアルファベットではなく、漢字であったと想定すると面白いかもしれない。
英語の語順の方が、漢語に近いので、まだ日本人の苦労よりは楽であるが。

イギリス人が今まで口承で伝えられていた英語の詩を漢字で書きとどめたいと思った時、たとえば、 "Mountain" という語をどう書き表すのか?
意味から「山」という文字を使えば、それには「サン」という漢語の音が付随している。
「マウンテン」という英語の荘重な響きにこそ、イギリス人の心が宿っているのに、「山」と書いたがために「サン」と読まれてしまっては詩が台無しである。

逆に「マウンテン」という「音」を大切にしようとすれば、「魔運天」などと漢字の音だけ使って表記できようが、それぞれの漢字が独自の意味を主張して、これまた読む人にとっては興ざめである。

英詩には英語の意味と音が一体になった所に民族の心が宿る。
それが英語の言霊である。
古代日本人にも同じ事だ。
漢字は一語一音一字という性質から、それ自体に漢人の言霊が宿っており、まことに他の言語にとっては厄介な文字であった。


こういう場合に、もっとも簡単な、よくあるやり方は、自分の言語を捨てて、漢語にそのまま乗り換えてしまうことだ。
歴史上、そういう例は少なくない。
たとえば、古代ローマ帝国の支配下にあったフランスでは、4世紀末からのゲルマン民族の大移動にさらされ、西ゲルマン系フランク人が定住する所となった。
フランク人は現代のドイツ語と同じ語族に属するフランク語を話していたが、文化的に優勢なローマ帝国の残した俗ラテン語に乗り換えてしまった。

これがフランス語の始まりである。

英語も1066年フランスの対岸からやってきたノルマン王朝に約300年間支配され、その間、フランス語の一方言であるノルマン・フランス語が支配階級で使われた。
英語はその間、民衆の使う土俗的な言語のままだった。
今日の英語の語彙の55%はフランス語から取り入れられたものである。
そのノルマン人ももとはと言えば、900年頃にデンマークからフランス北西岸に植民したバイキングの一派であり、彼らは北ゲルマン語からフランス語に乗り換えたのである。

こうして見ると、民族と言語とのつながりは決して固定的なものではなく、ある民族が別の言語に乗り換えることによって、その民族精神を失ってしまう、という事がよくあることが分かる。
前節の例でイギリス人が漢語に変わってしまったら、「やま」を見ても、 "mountain" という語と音に込められた先祖伝来の言霊を全く失い、「山」「サン」という漢人の心になってしまっていたであろう。


漢字という初めて見る文字体系を前に、古代日本人が直面していた危機は、文字に書けない日本語とともに自分たちの「言霊」を失うかも知れない、という恐れだった。
しかし、古代日本人は安易に漢語に乗り換えるような事をせずに漢字に頑強に抵抗し、なんとか日本語の言霊を生かしたまま、漢字で書き表そうと苦闘を続けた。

そのための最初の工夫が、漢字の音のみをとって、意味を無視してしまうという知恵だった。英語の例で言えば、mountain を「末宇无天无」と表記する。「末」の意味は無視してしまい、「マ」という日本語の一音を表すためにのみ使う。
万葉集の歌は、このような万葉がなによって音を中心に表記された。

さらにどうせ表音文字として使うなら、綴りは少ない方が効率的だし、漢字の形を崩してしまえばその意味は抹殺できる。
そこで「末」の漢字の上の方をとって「マ」というカタカナが作られ、また「末」全体を略して、「ま」というひらがなが作られた。
漢人の「末」にこめた言霊は、こうして抹殺されたのである。

日本人が最初に接した文字は不幸にもアルファベットのような表音文字ではなく、漢字という表語文字だったが、それを表音文字に改造することによって、古代日本人はその困難を乗り越えていったのである。

しかし、同時に漢字の表語文字としての表現の簡潔さ、視覚性という利点も捨てきれない。
mountain をいちいち、「末宇无天无」と書いていては、いかにも非効率であり、読みにくい。

そこで、今度は漢字で「山」と書いて、その音を無視して、moutainと読んでしまう「訓読み」という離れ業を発明した。
こうして「やま の うえ」という表現が、「山の上」と簡潔で、読みやすく表現でき、さらに「やま」「うえ」という日本語の言霊も継承できるようになったのである。


こうして漢字との格闘の末に成立した日本語の表記法は、表音文字と表語文字を巧みに使い分ける、世界でももっとも複雑な、しかし効率的で、かつ外に開かれたシステムとして発展した。

それは第一に、「やま」とか、「はな」、「こころ」などの神話時代からの大和言葉をその音とともに脈々と伝えている。

日本人の民族文化、精神の独自性はこの大和言葉によって護られる。
第二に「出家」などの仏教用語だろうが、「天命」というような漢語だろうが、さらには、「グローバリゼーション」や「NGO」のような西洋語も、自由自在に取り入れられる。

多様な外国文化は「大和言葉」の独自性のもとに、どしどし導入され生かされる。

外国語は漢字やカタカナで表現されるので、ひらがなで表記された大和言葉から浮き出て見える。したがって、外国語をいくら導入しても、日本語そのものの独自性が失われる心配はない。
その心配がなければこそ、積極果敢に多様な外国の優れた文明を吸収できる。
これこそが古代では漢文明を積極的に導入し、明治以降は西洋文明にキャッチアップできた日本人の知的活力の源泉である。

多様な民族がそれぞれの独自性を維持しつつ、相互に学びあっていく姿が国際社会の理想だとすれば、日本語のこの独自性と多様性を両立させる特性は、まさにその理想に適した開かれた「国際派言語」と言える。この優れた日本語の特性は、我が祖先たちが漢字との「国際的格闘」を通じて築き上げてきた知的財産なのである。


「反日」で漢字まで追放した韓国

2013/12/01

ハングルで書かれると日本人にはチンプンカンプンなのだが、もともと朝鮮半島は漢字圏だったので、漢字で書いてくれれば、理解できる用語は多い。

窓口(チャング)
改札口(ケーチョング)
入口(イブク)
出口(チュルグ)
乗換(ノリカエ)
踏切(フミキリ)
横断歩道(ヒンタンポド)
手荷物(ソハムル)
大型(テーヒョン)
小型(ソヒョン)
受取(スチュイ)
取扱(チュイグプ)
取消(チュイソ)
割引(ハルイン)
行方不明(ヘンバンプルミヨン)
弁当(ベントー)

何の事はない。
漢字で書いてくれれば、旅行者も大抵の用は済みそうだ。
しかし、なぜ、こんなに日本語と似た単語が使われているのか。

豊田有恒氏は著書『韓国が漢字を復活できない理由』で、こう述べている。

__________
韓国の漢字熟語は、中国起源でなく、日本統治時代に日本語からもたらされたものである。
明治以来、欧米の文物の摂取に熱心に取り組んだ日本は、論理、科学、新聞など多くの訳語を案出した、これらの訳語が、韓国ばかりでなく、漢字の本家の中国でも採用されていることは、よく知られている。
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たとえば鉄道関連用語は、日本人が欧米の鉄道を導入する際に案出し、日本統治時代に朝鮮において鉄道が敷かれるのと同時に移入された。
だから、同じ用語が使われるのは、当然なのである。

多くの用語は、日本語から漢字のまま移入され、韓国語の漢字の読み方で読まれた。
だから、日本語の音読みに近い。
窓口(チャング)は日本語の音読みなら「ソウコウ」、
受取(スチュイ)は「ジュシュ」、
行方不明(ヘンバンプルミヨン)は「コウホウフメイ」と、似通っている。
ただ乗換(ノリカエ)、踏切(フミキリ)などは、どういうわけか、日本語の訓読みがそのまま残っている。

豊田氏は、現在、韓国で使われている漢字語の8割以上が日本製だと指摘している。
特に、日本統治時代に政治、科学技術、企業経営、スポーツなどの近代化が進んだので、それらの分野の専門用語はほとんどが日本語起源である。

たとえば、

科学、数学の分野では:
科学(カハク)
化学(ファハク)
物理(ムルリ)
引力(イルリョク)
重力(チュンニヨク)
密度(ミルド)
組成(チョソン)
体積(チェジヨク)
加速度(カソクト)
電位(チョヌイ)
電導(チョンドウ)
元素(ウォンソ)
原子(ウォンジャ)
分子(プンジャ)
塩酸(ヨムサン)
算数(サンスウ)
代数(テースウ)
幾何(キハ)
微分(ミブン)
積分(チョクブン)
函数(ハムスウ)

経営関係では:
社長(サジャン)
専務(チョンム)
常務(サンム)
部長(ブジャン)
課長(カジャン)
係長(ケジャン)
打合(ターハブ)
手続(スソク)
組合(チョハブ)
株式(チョシク)
売上(メーサン)
支払(チブル)
赤字(チョクチャ)

韓国は、これらのすべての用語を日本語から借用し、それで近代科学技術を学び、近代的な企業経営を始めたのである。

科学技術から企業経営、交通や法律・政治まで、近代的用語がほとんど和製漢字語で取り入れられているのに、漢字を廃止して、ハングル表記するとどうなるか。
日本語以上に韓国語は複数の漢字が同じ読みを持つから、同音異義語のオンパレードとなってしまう。

たとえば、長、葬、場はすべて「ジャング」なので、
会長、会葬、会場はすべて「フェジャング」と同じ発音になる。

「会長が会葬に会場に来た」は、「フェジャングがフェジャングにフェジャングにきた」となってしまって、これでは文脈から判断するのも難しい。

話し言葉ならまだしも、書き言葉でこれでは、物事を正確に伝えるには大きな障害となる。

神社も紳士も「シンサ」なので、「ヤスクニ・シンサ(靖国神社)聞いたことある?」と聞かれた若い女性が「偉人かな」と答えたそうな。
「ヤスクニ紳士」と間違えたのだ。



それにしても、なぜ韓国はこんな便利な漢字利用をやめてしまったのか。
漢字使用を制限したのは、戦後すぐの1948年、李承晩大統領による「ハングル専用法」である。
米軍占領下で日本が抵抗できないのを見透かして、勝手に李承晩ラインを引いて竹島を奪った大統領である。
徹底的な反日教育を実施して、「電信柱が高いのも、ポストが赤いのも、みんな日本が悪いとされる」と揶揄されるほどであった。

「ハングル専用法」は、
「大韓民国の公文書はハングルで書くものとする。
ただし、当分のあいだ必要な時には漢字を使用することができる」
とした。
政府の公文書のみを対象にしたものであったが、それでも、「当分のあいだ必要な時には」という留保をつけているのは、漢字抜きは無理があると分かっていたからだろう。

日本統治時代は漢字・ハングル混じり文が推奨されていた。
したがって漢字は「日本帝国主義」の残滓のように誤解され、排斥の対象となった。逆に、ハングルは民族のシンボルとして祭り上げられたのである。

実際に歴史を良く調べれば、それまで教養のない女子供の使う「牝文字」「わらべ文字」などと軽蔑されていたハングルを普及させたのは日本統治時代の教育だったのだから、ついでにハングルも「日帝の残滓」として追放すべきだった。
そうなると韓民族は文字を持たない民族になってしまうのだが。


漢字排斥をさらに推し進めたのが、韓国中興の祖とされる朴正煕大統領だった。
朴大統領は国民の大反対を押し切って、日韓基本条約を締結したが、日本寄りと見られることを避けるために、反日姿勢として、1970年前後に教育カリキュラムから漢字を追放した。

しかし、これは朴大統領の反日ポーズだったようで、片腕だった総参謀長の李在田が会長となって、「韓国漢字教育推進総連合」が作られ、まずお膝元の軍隊で漢字教育を復活させた。
また、学界、言論界からの訴えを入れるという形で、中等教育で漢字教育を復活させた。

しかし、その後、ハングル派の巻き返しもあって、漢字教育をやったり、やらなかったり、と朝令暮改が続き、漢字教育を受けた世代と受けていない世代が斑(まだら)のようになっている。

いずれにせよ、漢字・ハングル交じり文は「日帝の残滓」という反日イデオロギーだけで、漢字追放までしてしまうのだから、その激情ぶりは凄まじい。


「反日」政策としての漢字追放は、さらに日本語起源の漢字語追放にまで進む。
韓国の「国語審議会」の「国語純化文化委員会」が「日本語風生活用語純化集」を作って、700語ほどの「日本語っぽい」単語を韓国語風に「純化」しようとした。
日本語は「不純」だというわけである。

たとえば「売切(メージョル)」は、「みな売れること(ターバルリム)」、
「改札口(ケーチャルグ」は「票を見せるところ(ピョ・ポイヌン・ゴッ)」、
「踏切(フミキリ)」は「越えるあたり(コンノルモク)」という具合だ。

日本語で言えば、漢語を大和言葉で置き換えよう、という事である。

したがって、「改札口を通って踏切を渡った」を「純化」すると、「票を見せるところを通って、越えるあたりを渡った」となる。

いくら「反日」を信条とする愛国的韓国人でも、毎日、こんなまだるっこしい会話はしていられないだろう。
折りに触れて、こういう「純化」が試みられているが、不毛の努力に終わっているようである。


韓国での「反日」を動機とした漢字廃止、和製漢語廃止を見ていると、「漢字・仮名交じり文が、日本人の教養と民度を高めた」という豊田氏の主張もよく理解できる。

たとえば、英語で"Cetorogy"という単語があるが、その専門の学者でもなければ、アメリカやイギリスの一般人は知らない単語である。
しかし、これを日本語で「鯨類学」というと、中高生以上なら、「鯨に関する学問」だろう、と想像がつく。
”Apiculture” も同様だ。
普通の米英人にはチンプンカンプンの単語だが、日本語で「養蜂業」と言えば「蜂を飼う仕事」だと推測できる。

このように、漢字の造語能力をフルに活用して、一般大衆にも近づきやすい形で、近代的な学問、政治、科学技術の体系を構築してきたのが、幕末以降の我が先人たちの努力であった。

中国や朝鮮は、その日本語を通じて、近代的な学問を学んだ。
たとえば、「中華人民共和国憲法」の中で、中国語のオリジナルな単語は「中華」しかない。
それ以外の「人民」「共和国」「憲法」は、みな日本語からの借用である。
どうりで人民主権も、共和政治も、立憲政治も、いまだに身についていないはずだ。

朝鮮では、日本統治時代に漢字・ハングル交じり文が普及して、せっかく近代化のステップを踏み出したのに、「日帝の残滓」というイデオロギー的激情で、それを自ら拒否してしまった。

 

子どもを伸ばす漢字教育

H15.11.23

きっかけは偶然だった。
小学校教師の石井勲氏が炬燵(こたつ)に入って「国語教育論」という本を読んでいた。
そこに2歳の長男がよちよち歩いてきて、石井氏の膝の上に上がり込んできたので、氏は炬燵の上に本を伏せて置いた。

その時、この2歳の幼児が「国語教育論」の「教」という漢字を指して「きょう」と言ったのである。
びっくりして、どうしてこんな難しい字が読めたんだろう、と考えていると、今度は隣の「育」の漢字を指して「いく」と言った。

石井氏が驚いて、奥さんに「この字を教えたのか?」と尋ねると、教えた覚えはないという。
教えてもいないものが読めるわけはない、と思っていると、奥さんが「アッ! そう言えば一度だけ読んでやったことがある」と思い出した。
奥さんは音楽の教師をしており、「教育音楽」という雑誌を定期購読していた。
ある時、息子が雑誌のタイトルを指で押さえて、「これなあに?」と聞くので、一度だけ読んでやったような記憶がある、というのである。

そんなこともあるのか、と半信半疑ながら、ひょっとしたら、幼児にとって漢字はやさしいのかもしれない、と石井氏は思いついた。
ひらがなは易しく漢字は難しい、幼児に教えるものではない、と思いこんでいたが、実はそうではないのかもしれない。
これが石井式漢字教育の始まりだった。


それから石井氏は昭和28年から15年にもわたって、小学校で漢字教育を実践して
みた。
当初は学年が上がるにつれて、子どもの学習能力が高まると信じ込んでいたが、実際に漢字を教えてみると、学年が下がるほど漢字を覚える能力が高いことが分かった。

そこで今度は1年生に教える漢字を増やしてみようと思った。

当時の1年生の漢字の習得目標は30字ほどだったが、これを300字ほどに増やしてみると、子供たちは喜んでいくらでも吸収してしまう。
それが500字になり、とうとう700字と、小学校6年間で覚える漢字の8割かたを覚えてしまった。

ひっとしたら就学前の幼児は、もっと漢字を覚える力があるのかもしれない。
そう思って昭和43年からは3年間かけて、幼稚園児に漢字を教えてみた。
すると幼児の漢字学習能力はさらに高いということが分かってきた。
同時に漢字学習を始めてからは幼児の知能指数が100から110になり、120になり、ついには130までになった。
漢字には幼児の能力や知能を大きく伸ばす秘密の力があるのではないか、と石井氏は考えるようになった。


どんな子どもでも3歳ぐらいで急速に母国語を身につけ、幼稚園では先生の話を理解し、自分の考えを伝えることができる。

この時期に言葉と同時に漢字を学べば、海綿が水を吸収するように漢字を習得していく、というのが石井氏の発見だった。
漢字は難しいから上級生にならなければ覚えられない、というのは、何の根拠もない迷信だったわけである。

同時に簡単なものほど覚えやすい、というのも、誤った思いこみであることが判明した。
複雑でも覚える手がかりがある方が覚えやすい。
たとえば「耳」は実際の耳の形を表したもので、そうと知れば、簡単に覚えられる。「みみ」とひらがなで書くと画数は少ないが、何のてがかりもないのでかえって覚えにくい。

石井氏はカルタ大の漢字カードで教える方法を考案した。
「机」「椅子」「冷蔵庫」「花瓶」などと漢字でカードに書いて、実物に貼っておく。
すると幼児は必ず「これ、なあに?」と聞いてくる。
そこではじめて読み方を教える。
ポイントは、遊び感覚で幼児の興味を引き出す形で行うこと、そして読み方のみを教え、書かせないことである。
漢字をまず意味と音を持つ記号として一緒に覚えさせるのである。



動物や自然など、漢字カードを貼れないものは、絵本を使う。
幼児絵本のかな書きの上に、漢字を書いた紙を貼ってしまう。
そして「鳩」「鴉」「鶏」など、なるべく具体的なものから教えていく。
すると、これらの字には「鳥」という共通部分があることに気づく。
幼児は「羽があって、嘴(くちばし)があって、足が2本ある」のが、「鳥」なのだな、と理解する。
ここで始めて「鳥」という「概念」が理解できる。

これが分かると「鶯」や「鷲」など、知らない漢字を見ても、「鳥」の仲間だな、と推理できるようになる。
こうして物事を概念化・抽象化する能力が養われる。

またたとえば「右」、「左」など、抽象的な漢字は「ナ」が「手」、「口」は「くち」、「工」は「物差し」と教えてやれば、食べ物を口に入れる方の手が「右」、物差しを持つ方の手が「左」とすぐ覚えられる。
そう言えば、筆者は小学校低学年の時、右と左の字がそっくりなので、どっちがどっちだか、なかなか覚えられなかった記憶があるが、こう教わっていたら瞬時に習得できていただろう。
   

また一方的に教え込むのではなく、遊び感覚で漢字の意味を類推させると良い。
石井式を実践している幼稚園でこんな事があった。
先生が黒板に「悪魔」と書いて、「誰かこれ読めるかな」と聞いた。
当然、誰も読めないので、「じゃあ、教えてあげようね」と言ったら、子供たちは「先生、待って。自分たちで考えるから」。

子供たちは相談を始めて、「魔」の字の下の方には「鬼」があるから、これは鬼の仲間だ…こうしてだんだん詰めていって、とうとうこれは「あくま」じゃないか、と当ててしまった。

この逸話から窺われるのは、第一に、幼児にも立派な推理力がある、という事だ。
こういう形で漢字の読みや意味を推理させるゲームで、子どもの論理的な思考能力はどんどん伸びていく。
第二は、子どもには自分で考えたい、解決したい、という気持ちがあるということである。
そういう気持ちを引き出すことで、子どもの主体的な学習意欲が高まる。
そして自ら考えて理解できたことこそ、本当に自分自身のものになるのである。


石井式の漢字教育と比較してみると、従来のひらがなから教えていく方法がいかに非合理的か、よく見えてくる。
たとえば、「しょうがっこう」などという表記は世の中に存在しない。
校門には「○○小学校」などと漢字で書かれているのである。
「小学校」という漢字熟語をそのまま覚えてしまえば、近くの「中学校」の側を通っても、おなじ「学校」の仲間であることがすぐに分かる。
「小」と「中」の区別が分かれば、自分たちよりやや大きいお兄さん、お姉さんたちが行く学校だな、と分かる。

こうして子どもは、漢字をたくさん覚えることで、実際の社会の中で自分たちにも理解できる部分がどんどん広がっていくことを実感するだろう。
石井氏の2歳の長男も、お父さんが読んでいる本の2つの文字だけでも自分が読みとれたのがとても嬉しかったはずだ。
だから、僕も読めるよ、とお父さんに読んであげたのである。

このように漢字を学ぶことで外の世界に関する知識と興味とが増していく。
本を読んだり、辞書を引けるようになれば、その世界はさらに大きく広がっていく。
幼児の時から漢字を学ぶことで、抽象化・概念化する能力、推理力、主体性、読書力が一気に伸びていく。幼児の知能指数が漢字学習で100から130にも伸びたというのも当然であろう。

漢字学習を通じて、多くの言葉を知り、自己表現がスムーズに出来るようになると、情緒が安定し、感性や情操も豊かに育っていく。
石井式を取り入れた幼稚園では、
「漢字教育を始めて一ヶ月くらいしたら、園児たちの噛みつき癖がなくなりました。」
という報告がしばしばもたらされるという。
子供たちのうちに湧き上がった思いが表現できないと、フラストレーションが溜まって噛みつきという行為に出るが、それを言葉で表現できると、心が安定し、落ち着いてくるようだ。
最近の「学級崩壊」、「切れやすさ」というのも、子どもの国語力が落ちて、自己表現ができなくなっている事が一因かもしれない。


NTTと電気通信大学の共同研究では、「かな」を読むときには我々は左脳しか使わないが、漢字を読むときには左右の両方を使っているということを発見した。
左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つ。
右脳は音楽脳とも呼ばれ、パターン認識が得意である。
漢字は複雑な形状をしているので、右脳がパターンとして認識し、それを左脳が意味として解釈するらしい。

石井氏は自閉症や知的障害を持った子供にも漢字教育を施して、成果をあげている。
これらの子どもは言語脳である左脳の働きが弱っているため、言葉が遅れがちであるが、漢字は右脳も使うので、受け入れられやすいのである。



漢字が優れた表記法であることは、いろいろな科学的実験で検証されている。
日本道路公団が、かつてどういう地名の標識を使ったら、ドライバーが早く正確に認識できるか、という実験を行った。
「TOKYO」「とうきょう」「東京」の3種類の標識を作って、読み取るのにどれだけの時間がかかるかを測定したところ、
「TOKYO」は1.5秒だったのに対し、「とうきょう」は約半分の0.7秒、
そして「東京」はさらにその十分の一以下の0.06秒だった。

考えてみれば当然だ。ローマ字やひらがなは表音文字である。
読んだ文字を音に変換し、さらに音から意味に変換する作業を脳の中でしなければならない。
それに対し漢字は表意文字でそれ自体で意味を持つから、変換作業が少ないのである。

日本人はこの優れた、しかしまったく言語系統の異なる漢字を導入して、さらにそこから、ひらがな、カタカナという表音文字を発明した。
その結果、数千の表意文字と2種類の表音文字を使うという、世界でも最も複雑な表記システムを発明した。

たとえば、以下の3つの文章を比べてみよう。

朝聞道夕死可矣

あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり

朝に道を聞かば夕に死すとも可なり

漢字だけ、あるいは、ひらがなだけでは、いかにも平板で読みにくいが、漢字かな交じり文では名詞や動詞など重要な部分が漢字でくっきりと浮かび上がるので、文章の骨格が一目で分かる。
漢字かな交じり文は書くのは大変だが、読むにはまことに効率的なシステムである。

情報化時代になって、書く方の苦労は、かな漢字変換などの技術的発達により、急速に軽減されつつあるが、読む方の効率化はそれほど進まないし、また情報の洪水で読み手の負担はますます増大しつつある。
読む方では最高の効率を持つ漢字かな交じり文は情報化時代に適した表記システムであると言える。
   

英国ケンブリッジ大学のリチャードソン博士が中心となって、日米英仏独の5カ国の学者が協力して、一つの共通知能テストを作り上げた。
そのテストで5カ国の子ども知能を測定したところ、日本以外の4カ国の子どもは平均知能指数が100だったのに、日本の子どもは111だった。
知能指数で11も差が出るのは大変なことだというので、イギリスの科学専門誌「ネイチャー」に発表された。

博士らがどうして日本の子どもは知能がずば抜けて高いのか、と考えた所、この5カ国のうち、日本だけが使っている漢字に行き着いたのである。
この仮説は、石井式で知能指数が130にも伸びる、という結果と符合している。

戦後、占領軍の圧力や盲目的な欧米崇拝から漢字をやめてカタナカ書きやローマ字書きにしよう、あるいはせめて漢字の数を減らそうという「国語改革」が唱えられ、一部推進された。
こうした科学的根拠のない「迷信」は事実に基づいた石井式漢字学習によって一掃されつつある。

国語力こそ子どもの心を大きく伸ばす基盤である。
国語力の土壌の上に、思考力、表現力、知的興味、主体性などが花開いていく。
そして国語を急速に習得する幼児期に、たくさんの漢字を覚えることで、子どもの国語力は豊かに造成されるのである。

石井式漢字学習によって、全国津々浦々の子供たちが楽しく漢字を学びつつ、明日を担う日本人としての逞しい知力と精神を育んでいくことを期待したい。

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