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大阪都抗争/藤井曰くの『詭弁vs言論の闘争の構図』という詭弁

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<大阪都構想>市議会の野党4会派、住民説明会に出席せず


毎日新聞 3月4日
橋下市長は「議論すべきだ」と批判
大阪市議会の公明、自民、民主系、共産の野党4会派は4日、大阪都構想の是非を問う住民投票実施の場合、市が計画している橋下徹市長との討論方式の住民説明会に出席しない方針を固めた。
「主張の違いを見せるより、市が協定書の中身を説明すべきだ」などの理由だが、橋下市長は「議論すべきだ」と批判している。

野党は
▽市長と冷静な議論ができない
▽市長は大阪維新の会代表であり、説明会は市幹部が出るべきだ、
などと主張している。

橋下市長はこの日、記者団に
「一方的にならないように機会を設定した。
野党が出ないなら市長として説明する」
と話し、説明会を各区の公共施設で開く考えを示した。



「都構想の対案と言えない」橋下市長、公明の総合区案を批判

産経新聞 3月2日

大阪都構想に反対する公明党が代替案として大阪市の行政区を権限の強い「総合区」に再編する案を策定したことをめぐり、橋下徹市長(大阪維新の会代表)は2日、「総合区の権限財源がどういうものになるのかや、(総合区の)区割りを示してもらわないと対案とはいえない」と述べた。

政令市の行政区を総合区に格上げし、区長の権限を拡大できる改正地方自治法が昨年成立。
公明府本部関係者によると、代替案では現在24ある市内の行政区を人口20万人程度の総合区に再編。
市議会の定数は現在の86から65に削減する。

橋下氏は、公明の案には具体性がなく、議会情勢などから公明単独では実現性も乏しいとして「案にもなっていない」と批判。
議員定数の削減を掲げるなら、すぐにでも削減に必要な条例成立に向けて動き出すべきだとの認識も示した。

橋下氏の指摘に、公明府本部関係者は
「区割りなどの具体的な中身はすでに試案を作っている。
都構想の住民投票で反対多数になってから明らかにする」
と反論。
定数削減については「総合区の区割りを確定できた段階で、削減していく」と述べた。


橋下徹市長vs.藤井聡・京大大学院教授で盛り上がる「大阪都構想」

現代ビジネス 2015/3/2 高橋 洋一
◆メリットは「シロアリ駆除」ができることではないか
2月9日の本コラムで
「橋下徹・大阪市長vs.内閣官房参与の大阪都構想めぐるバトルが、案外面白い」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42011
を取り上げたら、当事者の一人の藤井教授から丁寧なコメントがあった。
(2月11日)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42056

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42289

今回は、藤井教授と橋下市長の両者の意見がどうして異なるのかを明らかにしよう。

筆者は東京生まれ、東京育ちで部外者だ。
藤井教授も大阪市民でないが、関西の人なので、筆者としては、やはり聡明な両者による議論を期待したい。
それが、5月17日に予定されている住民投票のために、重要な情報提供になるはずだ。

2月27日の藤井教授の論考は「大阪都構想のデメリット」とある。
そこで、ここでは「大阪都構想のメリットとデメリット」を明らかにしよう。
もちろん、メリットといっても見る立場によってはデメリットに見えることもあるので、読者はよく留意していただきたい。
この意味では、今回のコラムは、藤井教授の見解と大阪都構想の論点整理でしかない。
なお、引用する資料は、上にでている論考の中で引用されているものだけばかりであるので、あえて繰り返さない。

藤井教授は、次の興味深い喩えを出している。

『一つ屋根の下で暮らしている五人家族がいたとしましょう。
この五人が、今度からバラバラに暮らし、それぞれアパートに住むようになったとしましょう。
そうなると、トイレ、台所、風呂、テレビや洗濯機等、全てを共同利用していたのですが、これからは、それぞれのアパートに、トイレ、台所、風呂などを作らなければならなくなります。
それが、「独立」というものですから当たり前です(大阪市解体、5つの特別区の設置、とは、こういう風に解釈することもできるのです)。』

『つまり「都構想」というものは、行政の仕組みから考えれば、「五人家族で一つの家に暮らしていた」(現状の大阪市)のに、これからは「5つのアパート」(特別区)と「1つの共同利用のための家の一部」(一部事務組合)との6つを利用して暮らすようにする、という話なわけです。』

この喩えを使って、大阪都構想をみよう。
ただし、この喩えには、
(1)五人家族で暮らしていて独立するところにやや正確性を欠いていることと
(2)大阪府が出てこないことの二つの留意点がある。

「役人区長」が「公選区長」になる

まず、(1)の独立であるが、

藤井教授は
『トイレ、台所、風呂、テレビや洗濯機等、全てを共同利用していたのですが、これからは、それぞれのアパートに、トイレ、台所、風呂などを作らなければならなくなります』
という。

既に大阪市には、行政区があるので、日常生活に必要なトイレなどは各人が備えていたといえる。
五人が『独立』するのはそのとおりだが、それまで、一家の長の顔色をうかがいながら、同じ行動をとっていた五人は、立派な成人となって、『独立』する。
それぞれの「アパート」もはじめは同じだろうが、将来はそれぞれ特色を持っていくだろう。

大阪では、小・中・高校と市立が普通だろう(私立は別)。
東京人の筆者からみると、小・中学校は区立で、高校は都立というのが当たり前だ。
小・中学校に関することはあまりに細かすぎる。
これをすべて都知事なんて扱えるはずない。
では、23区を一つの東京市にしたらどうだろうか。
戦前は東京市だったので、家で整理していると古いモノで「東京市」というがたまにでてくることもある。

しかし、今は23区も大きくなりすぎて、小・中学校の細々とした案件を一人の「東京市長」に任せることなんてできるはずない。
そこで、23区に分けている。
今では、人口5万人の千代田区から人口90万人の世田谷区まで大きな格差がでているが、それでも人口910万人で一人の東京市長にすべきとは思えない。

市を分けて特別区(基礎的自治体)にするのは、意味がある。
公選区長になるからだ。
東京なら投票に行っていれば区長の名前くらいは知っている。
大阪は行政区なので、役人区長で名前なんて知らない。公選区長のほうが役人区長よりマシだろう。

ただし、
この点は立場によって異なる。
選挙より官僚機構のほうがいいという人は、公選区長はデメリットと思うだろう。
藤井教授はこの立場だろう。
橋下市長はそうでない立場なので、公選区長をメリットと思っている。

この点を少し具体的な問題で整理しておこう。

「幼稚園の民営化」は市長選ではなく区長選の争点に
大阪では、幼稚園民営化が、市のベースで行われている。
東京では、区のベースで行われきたので、区立幼稚園が多い少ないは区地域によって異なっている。
私立比率の平均は74%だが、すべて区立で比率0%の中央区からすべて私立で100%の大田区までバラバラである。

これまでは全体としては幼稚園の民営化の流れであったが、それも区によって異なっており、一応結果が上のとおりで、幼稚園の民営化の議論はほとんどない。
今では、幼稚園ではなく、保育園の民営化の議論がそれぞれの区において行われている。
身近な問題なので、区長選でもしばしば争点になっている。

大阪市では、ようやく幼稚園の民営化が活発に議論されているようだが、市立という枠内での議論なので、区立をどうするかという議論になれてきた東京人にとっては画一的に見える。
そのようなものは、地域ごとに事情が異なるので、区のレベルで責任を持って議論すればいいのではないか。
市長選挙の時に争点としたくても大阪市全域で画一的な対応しかできないのではないか。

いずれにしても、幼稚園などの身近な問題については、一人の市長より身近な五人の区長を選挙で選んだ方が、住民はより大きな満足が得られるはずだ。

大阪府立大学と大阪市立大学の統合
次に、(2)の大阪府が出てこない話を考えてみよう。

藤井教授の喩えをそのまま使えば、五人家族が暮らす一つ屋根の家(大阪市)には、隣家(大阪府)がある。
この隣家(大阪府)は、五人家族が暮らす家(大阪市)とそっくりだ。
この隣家(大阪府)は、その周りに住んでいる家族の面倒もみている。
例えば、本などを収納する勉強部屋(高校・大学)、急病の時のために安息部屋(病院)がある。

ところが、五人家族が暮らす家(大阪市)にも、勉強部屋(高校・大学)や安息部屋(病院)があった。
勉強部屋(高校、大学)や安息部屋(病院)はそれぞれの家が持っていることでムダがあった(二重行政)。
例えば、安息部屋のベッドは二つが必要であったとしても、一括で2台発注すれば割引があるのにそれぞれの家が別に発注するので高くついていた。

東京であれば、高校・大学、病院は区立ではなく都立であるのは当然なので、区と都の二重行政はない。
ところが、大阪では市と府が同じ運営をして争っている。
東京人からみれば、二重行政であるが、大阪の人はそれを当然のように感じている。

ある関西人にいわせると、大学は二重でもいいという。
それだけ知識が増えているからだという。
筆者からみると、市立大学と府立大学が統合されても、当面、先生の数は二つの大学の合計のままでもいいと思う。
ただし、間接部門の教務課職員は合理化できるだろう。
それと調達部門も合理化でき、調達コストは軽減されるはずだ。
そうすれば、少ないコストで知識量は減らさないで、大学経営は可能だ。

「都構想」是認なら市営地下鉄民営化へ弾み
ムダはそれだけでなかった。
本来であれば、周りの家族の面倒を見るべき隣家(大阪府)にあるべき輸送自動車(地下鉄)も五人家族が持っていた。
輸送自動車は、周りの家族が使ってこそ意味がある。
しかし、五人家族の家だけで使うので非効率だった。

大阪市の地域は地下鉄運営では狭すぎる。
おまけに、東京では当たり前の私鉄間との相互乗り入れがない(一部区間では相互乗り入れ)。
新幹線で新大阪に行くと市営地下鉄の駅は、橋下市長になってから格段によくなったが、これを民営化して、さらによくしたいという。

市営地下鉄の民営化そのものは、大阪都構想のコアではないが、大阪市が大阪府ではなく、それを飛び越えて民間に移管するという意味で、大阪都構想の考えかたをさらに進めたものといえる。
東京では、都営地下鉄と民間のメトロがあるが、大阪では民間のみにしようとするものだ。

大阪都構想が住民投票で是認されれば、市営地下鉄の民営化に弾みがつくだろうし、否認されれば民営化はあり得ないだろう。

二重行政解消にメリットはあるか
いずれにしても、ここでのポイントは、二重行政についてだ。
藤井教授は、二重行政はないとか、それでもムダではないという立場であろう。
藤井教授は大阪市からカネが2200億円出て行くのが問題としているが、ここは大阪市と大阪府の二重行政をやめて大阪府に移管する部分だ。
それには当然カネが伴うが、これを問題というのは、二重行政でもいいと言うことだろう。

橋下市長は二重行政をいかに少なくするか、個別に二重行政を直すより、大阪都構想で一気に行う方が望ましいという立場であろう。

二重行政の解消について、藤井教授のようにメリットがないと思っている人は、大阪都構想を実現するために諸コスト(これは移行の初期コストがほとんど)ばかりが目につく。
それに、移行当初の「1つの共同利用のための家の一部」(一部事務組合)は気になる存在だろう。

一方、橋下市長のように、二重行政の解消のメリットがあると思う人は、当初はコストばかりだが、例えば間接部門を統合すると、徐々に人件費や経費が節約できるので、将来コストが継続的にカットできること重視する。

2200億円もはじめこそ、その金額であるが、二重行政に関わる部分なので、将来的には減っていくはずだ。
そこで浮いたカネは府や特別区で新たな事務に回せる。
この観点から見れば、当面は一部事務組合がっても、長期的には東京のようにそれもスリム化するはずなので、たいした問題にならない。

要するに、大阪都構想への移行について、藤井教授は区長公選や二重行政排除のメリットは乏しく初期コストを重視するが、橋下市長は区長公選や二重行政排除の長期メリットを考えれば初期コストは些細なモノと考えるので、両者の意見が異なるのだ。

「シロアリ駆除」という都構想のメリット
なお、大阪都構想について、筆者の見立ては、地域における大規模な行政改革である。
市の業務を府へ移管するので、同時に市の既存業務の見直しが行われるからだ。
実は、この影響力が意外に大きいと筆者は考えている。

実は行革一般が嫌われるのは、筆者の経験によれば、業務に見直しの結果を受ける公務員より、その周りにいる人たちのほうだ。
例えば、業務の見直しで補助金の流れもまったく変わる。

大阪市の業務を5つの特別区と大阪府に移管する場合、大阪市にコバンザメのようにくっついていた人たち(シロアリ)は、5つの特別区と大阪府にくっつかなければいけない。
その人たちにとって、そこは死活問題なので、既得権を守ろうとして、必死に抵抗するのだ。

藤井教授の喩えをまた使えば、五人家族がばらばらにアパートに引っ越すとき、家は住む人がいなくなり、いずれ解体される。
そのとき、住処がなくなったシロアリ(市に群がっていた既得権者)が大量にあぶり出される。
これは大変な出来事だ。




 【関連記事 ↓】


大阪都構想のデメリット:「市の五分割」によって行政コストが上がるというリスク

藤井聡(京都大学大学院教授)
2015年02月27日(金)

都構想のデメリットについての議論
大阪都構想を巡っては様々な「議論」の様なものがなされていますが、その中の少なからずの部分が冷静かつ理性的ものとは言い難く、詭弁による印象操作にまみれたものも多数あり、誠に残念な状況です。

(たとえば、
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/24/fujii-133/

http://satoshi-fujii.com/150217-3/

http://satoshi-fujii.com/150208-2/

等を参照ください)


ですがそんな中でも、大阪市特別顧問の高橋洋一教授との本誌面上での誌面討論は、大変に理性的で実りあるものとなりました。

そこでは、『大阪市の税金2200億円が、別目的に流用されてしまう』という問題が論じられましたが、おかげさまでその論争を経て、当方がなぜそのような見解を持っているかを、より明確に公表することができました。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42056

そして今は、その論点についての(詭弁による印象操作が使いにくい)「書面」での反論を公募しているところですが、少なくとも本稿執筆時点では、未だ、当方の手元には「冷静な理性的反論」は届いていない状況です。

いずれにしても、その「2200億円の流用問題」は、大阪市民にとっては大変に大きな「デメリットのリスク」を意味しています。

しかし、「都構想のデメリット」のリスクは、その一点にとどまるものではありません。

本稿では、そんな「都構想のデメリット」の中でも、特に重要なものの一つを、取り上げたいと思います。
それは、「市の五分割」によって行政コストが上がるというリスクです。

大阪市の「解体分割デメリット」の存在
そもそも、「都構想」が実現すれば,大阪府と大阪市の二重行政が解消されて,行政が効率化され,コストが縮減できる──としばしば指摘されています.

しかし残念ながら、都構想が実現すると、二重行政の解消というような「メリット」が生まれる可能性だけでなく、新たな「非効率」が産み出されるという新たな「デメリット」が生ずるリスクも強く懸念されます。

つまり、協定書の記述を詳しくみてみると、「都構想による効率化」というイメージとは「真逆」のことが起こってしまうリスクがあるのです。
そしてそのリスクをつぶさに考えた時、その非効率化リスクは、(議会では年間1億円程度しか無いのではないかとすら言われている)二重行政解消というメリットを遙かに上回るものなのではないか、という懸念が生じてくるのです。

その理由は複数挙げられますが、ここではそのなかでも特に重要な「行政の五分割に伴うデメリット」について、詳しく解説したいと思います。

そもそも、都構想が実現すれば「市と府」の二重行政は幾分解消するかもしれませんが、その一方で大阪市という「1つの役所」が解体され,特別五区の「5つの役所」ができあがり、それを通して行政コストがかえって高くなってしまう、ということが懸念されます。

なぜなら第一に、この5つの区役所には、似たような窓口や総務部を作らざるを得ないからです。

もしも、一つに統合できているのなら、1人でできる仕事も、5つものバラバラの区役所があるなら、それぞれについて1人ずつ各役所が雇わないといけなくなる、というケースが生じてしまいます。
結果、項目によっては純粋に「五倍」ものコストがかかってしまうケースも生ずることになります。

ですがこれは考えてみれば当たり前の事です。

しばしば、民間ビジネスの世界では「別々の会社を合併することで、効率化を図る」ということが行われていますが、今回の大阪市の五分割案は、そうした効率化の取り組みの「真逆」の取り組となっているわけです。
ですから今回の都構想は、「非効率化」「効率悪化」を引き起こす側面を、明確に持っているのです。

「付け焼き刃」的な「プチ大阪市役所」(一部事務組合)
ただし、「水道」「下水道」などは、既に大阪市内に、一つの一体的なネットワークができあがっています。
これを、各区ごとのバラバラに運営するのは、あまりにも非効率です。

そこで、こういった「各区ごとにバラバラに運営するのがあまりにも非効率な行政」については、5つの特別区に行政を分割するのではなく、今までの大阪市役所と同じように、大阪市全体で行政を行う組織を作ることが議論されています。

つまり、5つの特別区とは別にもう一つ、特定の行政を行う「プチ大阪市役所」の様な存在を(いわば、付け焼き刃的に)作ろう、というわけです。

その「プチ大阪市役所」の組織名は、一般に「一部事務組合」と呼ばれています。
何とも聞き慣れない組織名だと思いますが、「行政が行っているいろんな事務の内、一部だけを担当する、組合組織」というわけです。
つまり、今大阪では、

1)大阪市役所を潰すということに決めたとしても、

2)やっぱり一部の行政については大阪市役所の様な存在が必要になるので、

3)わざわざ大阪市役所を潰すのだけれどもその一部行政を行うプチ大阪市役所を作ろう、

という何ともややこしい議論がなされている訳です。

「組合」と言えば、なんだか実態が無いようにも聞こえますが、法律的には、これもれっきとした一つの「公共団体」です。

つまり、「都構想」というのは正確に言えば、「大阪市という公共団体を一つ解体して、五つの『特別区』と一つの『一部事務組合』という、複数の公共団体を作ること」を意味しているのです。

「大阪市の解体・分割」がもたらす新たな「多重構造」
このことはかなり深刻な問題を意味しています。

そもそも、今は「大阪府・大阪市」の二重行政が問題だと言われ、その解消のために都構想だ、と言われているのですが、その都構想が実現してしまえば、驚くべき事に「大阪府・プチ大阪市役所(一部事務組合)・特別区」という三重構造が現れてしまうのです。

これは、解釈の問題ではなく、れっきとした事実です。
少なくとも、現在の協定書の中身を読む限り、そうとしか言いようがありません。

そもそも、このプチ大阪市役所である一部事務組合は、特別区がおカネを出し合って事務をやってもらうという仕組みです。
つまり、5つの特別区が、それぞれの思いでそれぞれおカネを出して、共同で一つの事業をやろうとするものです。
ところが、そこでの議論がうまくいく保証はどこにもありません。

異なる特別区同士がモメてしまえば、そこには瞬く間に、「特別区とプチ大阪市役所(一部事務組合)」との間に、相容れない「二重構造」が生じてしまうことになるのです。

かつてならこういうモメ事は起きません。
なぜなら、大阪市内の行政には、たった一人の「大阪市長」というリーダーがいたからです。
ところが、「都構想」が実現し、大阪市が解体されて5つの特別区に分割されれば、そんなリーダーが不在となり、互いに利益の異なる五人の特別区長というバラバラのリーダーが存在することになるのです。

それぞれの区長は、それぞれの区民の選挙で選ばれた人達ですから、選挙民の付託がある以上、選挙民の利益を最大化するために、他の区民の利益が損なわれようとも、自分の区民の利益を強く主張する局面は、必ず訪れます。
つまり、異なる区同士の間に「利害対立」が生まれるのです。

そうなると一部事務組合の各種調整では、恐るべき混乱に陥るであろうことは必至なのです──。

無論、その話し合いの場には大阪府の関係者(知事等)も同席しますから、大阪府が、その調停において重要な役割を担うことになるとも考えられます──
が、それもまたおかしな話です。

そもそも、五特別区の間の調整は、かつては、大阪市長の下、一体的に図っていたのですから、そこに大阪府が介入してくるとなると、話はさらにややこしくなっていくでしょう。

──ということで、この「一部事務組合」なるプチ大阪市役所では、様々な局面でモメにモメることが決定的なのです。

いずれにしても、以上の話は、次のような「重大な事実」を示唆しています。

すなわち、今までは「大阪市」という一つの組織しか無く、全ての調整を全て役所内で行う「一重構造」だったところ、5つの特別区を作った途端に、プチ大阪市役所(一部事務組合)が必要になってしまい、その結果として「二重構造」が新たに現れ出てしまうのです。
そしてここに大阪府の存在も考慮に入れれば、あっというまに何ともややこしい「三重構造」が生まれることになる、という次第です。


「三重構造は、何も問題でない」という説明は、至って不条理
ところで、この点について、大阪維新の会の「都構想」のHPには、次のようなQ&Aが掲載されていますが、その内容は、全くもって、市民を安心させるようなものではありません。
まずは是非、下記、ご一読ください。

以下引用 ↓

Q.大阪都構想の実現で、実際には、都、特別区、一部事務組合の三重行政にならないの?

A.「大阪都と特別区で明確に役割分担することが、都構想の基本的な考え方です。

“一部事務組合”という組織で、ごく限られた事務のみを共同実施しようとしていますが、三重という言葉は当てはまりません。
都道府県が担う方向で議論が進んでいる「国民健康保険」や民営化を予定している「水道事業」が含まれているため、財政規模が大きく見えてしまいがちですが、保険料のバラツキ見直しや保険財政安定の観点から、国民健康保険や介護保険の運営を共同で行うことはむしろ当然のことです。
http://oneosaka.jp 参照)


是非、この文章を繰り返しお読みになってみてください。

確かにこの文章では「三重という言葉は当てはまりません。」という言葉が書かれています。
しかし、その「理由」が一切書かれていないのです。
これでは、理性的な利民ならば、安心するわけにいかず、余計に不安になることもあるでしょう。

しかもここには、市民を安心させるかの様に、「ごく限られた事務のみ」が一部事務組合で担当するかの様に書かれているのですが──この記述には、重大な疑義があります。
協定書に書かれている事業のリストは、「ごく限られた事業」とは決して言いがたい量なのです。

以下の表をご覧下さい。
これが、今の協定書に書かれている、一部事務組合をつくって、特別区が共同で遂行しなければならないもののリストです。


一部事務組合(いわゆる「プチ大阪市役所」)で共同で行うと言われている事業
①事業:
国民健康保険事業、介護保健事業、水道事業及び 工業用水道事業

②システム管理:
住民情報系7システム
〔 住民基本台帳等システム、
戸籍情報税務事務システム、
総合福祉国民健康保険等、介護統合基盤・ネットワークシステム 〕等

③施設管理<福祉施設>
児童自立支援施設、
情緒障がい 児短期治療施設、
児童養護施設、
母子生活支援施設、母子福祉施設、
保護施設、
大阪市立心身障がい者リハビテーションセンター、
福祉型障がい児入所施設、
福祉型児童発達支援センター、
ホームレス自立支援センター、
障がい者就労支援施設、
特別養護老人ホーム、
医療保護施設・養老人ホーム、
特別擁護老人ホーム

<市民利用施設>
青少年野外活動施設、
ユースホテル、
青少年文化創造ステーション、
児童文化会館、
青少年文化創造ステーション、
児童文化会館、
障がい者スポーツセンター、
市民学習センター、
大阪市中央体育館、大阪市立プール、
靱庭球場、
女性いきいきセンター

<その他>
中央急病診療所、都島休日急病診療所、
十三休日急病診療所、今里休日急病診、
中野休日急病診療所、
沢之町休日急病診療所、
中野休日急病診療所、
大阪市動物管理センター、
キッズプラザ大阪、大阪市立北斎場、
大阪市立小林斎場、大阪市立佃斎場、
大阪市立鶴見斎場、大阪市立瓜破斎場、
大阪市立葬祭場、
泉南メモリアルパーク、
瓜破霊園、服部霊園 、北霊園、南霊園

④財産管理
「大阪市未利用地活方針」に基づき処分検討とされた土等の管理及び処分、
オーク事業の終了に伴い大阪市が引渡しを受けた財産管理及び処分、
大阪市の土地先行取得事業会計に属していた財産管理及び処分

これが「ごく限られた事業」に見えますでしょうか───?

そもそも、上記の解説文書の中に明記されているとおり、保健や水道が入っているため、「財政規模が大」きいのは事実です。
ただ、それぞれの運営の詳細は未定な状況であり、実際の事業規模がどれくらいになるのかは、今のところ分からない状況です。
ただし、その事業規模は、場合によっては6400億円程度(これは、堺市の全予算規模に匹敵する額です)になる可能性があるのではないか、とも指摘されているくらいですから、維新の会のHPに記載されているような「ごく限られた事業」では、断じてないと言うことができるでしょう。


特別区」は、「風呂・トイレ共同の安アパート」とも言いうる存在
ちなみにここまで巨大な一部事務組合は、我が国には存在した試しがありません。
なぜなら、この表に記載された事業の多く(福祉、市民施設、システム管理、等)は、通常の自治体なら、安価なアパートで風呂を共用するように他の自治体と共用するのではく、全て「自前」でそろえるのが当たり前だからです。
だから、一部事務組合がそこまで肥大化するような自治体運営は、これまで存在してはいなかったのです。
(例えば、東京で一部事務組合等が関係するのは、清掃等の文字通り限られた事業だけです)

そもそもマンションで一人暮らしするなら、台所やトイレのみならず、風呂もテレビもポットも自前のものを買うのは当たり前だ、という事と同じなのです。
基礎自治体なら、基礎的な施設やサービスは完備しておくものなのです。

にも関わらず、「都構想」実現後の大阪の特別区は「中核市並み」などと説明されていますが、そうした最低限のものも持たせてもらえず、共同利用する巨大な一部事務組合をつくり、さながら共同でトイレや風呂を使うアパート暮らしのような住まいに押し込められようとしている、と言って差し支えないでしょう。

この様に考えれば、
一体何のために分割するのか──
という風に感ずる方も決して少なくないのではないかと思います。

いずれにしても、こうした背景を踏まえれば、今までは「大阪市役所」という組織の中で,いろんな行政を一体的に進めてきたところ,それを解体することで余分にコストがかかってしまう事はほとんど決定的なのです。

つまり大阪市民はこれまで,一つの大阪市役所だけおカネを払えば,水道や下水やゴミ収集などの仕事を「一括」してやってもらえた訳ですが,これから五つの特別区と,一つのプチ大阪市役所(一部事務組合)におカネを払わないと行けなくなるのですからそうなることも決定的です.

あるいは、次のように考えると分かりやすいかと思います。

一つ屋根の下で暮らしている五人家族がいたとしましょう。
この五人が、今度からバラバラに暮らし、それぞれアパートに住むようになったとしましょう。
そうなると、トイレ、台所、風呂、テレビや洗濯機等、全てを共同利用していたのですが、これからは、それぞれのアパートに、トイレ、台所、風呂などを作らなければならなくなります。
それが、「独立」というものですから当たり前です。
(大阪市解体、5つの特別区の設置、とは、こういう風に解釈することもできるのです)

そうなると、ものすごく初期投資も、ランニングコストもかかってしまいます。
しかし、それでは、今の収入ではまかなえないので、仕方なく、アパートの方には、トイレと台所と寝床くらいの必要最小限のものだけ置いておいて、それ以外の風呂やテレビや洗濯機は全て、昔の家の中においておき、それを5人で共同利用する──ということをせざるを得なくなります。

──お分かりいただけましたでしょうか?

一部事務組合というプチ大阪市役所とは、この「独立後も、経費節減のために、共同利用するためにおいておく、昔の家の一部」というものなのです。

つまり「都構想」というものは、行政の仕組みから考えれば、
「五人家族で一つの家に暮らしていた」(現状の大阪市)のに、
これからは
「5つのアパート」(特別区)と
「1つの共同利用のための家の一部」(一部事務組合)
との6つを利用して暮らすようにする、という話なわけです。

もうこうなれば常識的に考えてサービスレベルが下がってしまうのは必至です。

仮に近くにアパートができて便利になったという側面もあるとしても(特別区になって住民サービスがきめ細かにできる、と言われるメリット)、そのアパートの施設は前の共同で暮らしていた家よりも圧倒的にサービスレベルは低いし、元々住んでいた家(一部事務組合)にもやはりわざわざ、ことあるごとに通わないと行けなくなるからです。

無論どうせなら、そのアパートを、立派なワンルームマンションとして(例えばそれこそ「中核市レベル」として)作るのなら良いのですが、それではおカネがかかりすぎます。
そんなおカネはどこからも出てきません。だから結局、元々住んでいた家の一部を活用して、皆で「共同利用」するほか無くなるのです。
(例えば、アパートで共同風呂を使うようなものです)

「大阪市廃止・分割」で、行政サービスレベルは下がるのは決定的
しかも、これからは5人は対等の立場なので、その「元々住んでいた家」をどのように管理するのかでモメにモメることもまた、必至です。
言うまでもありませんが、モメるということは、行政コストが増えるということなのです。
(そもそも、時間がかかってしまえば、それだけで、行政コストがかかってしまいます)

つまり、収入(税収)が抜本的に上がるわけでも無いままに、一つの組織でやっていたものを6つの組織でやるようになるので、様々な行政サービスの手続きが「複雑化」してしまうことは必定なのです。

そして、こうして行政サービスが複雑化し、行政コストが上がると、結果的にサービス水準が低下することが懸念されるわけですが、それと同時に、その行政コストをまかなうために、様々な料金が値上がりしていく可能性も当然でてきます。

もちろん一寸先は闇、未来を断定的に論ずることはできませんが、以上の議論を踏まえれば、いろんな行政の手続きが「三重化」して複雑化すること、そしてその結果として、行政サービスが低下し、様々な公共料金が高まる深刻なリスクが生まれることは決定的なのです。

ましてや、これまで何度も指摘してきました通り、特別区民のために使われるべき2200億円のおカネが、大阪府によって別の項目(大阪府の借金返済や、他の自治体のインフラ整備、まちづくり等)に「流用」されてしまう訳ですから、行政サービス低下と、各種公共料金の値上げという最悪の事態が生ずる可能性は、ますます決定的なものだと言うことができるでしょう。

「都構想」の是非を考える場合、こうした「デメリットのリスク」についても、しっかりと吟味し、考慮し、総合的に判断していくことが不可欠ではないかと、筆者は考えます。

万一、「そんなデメリットなんてない」という意見をお持ちの方がいるとするなら、是非とも、「なぜ、当方が指摘したデメリットがないのか?」について、(不条理な印象操作や詭弁でのごまかしが困難な)「書面での理性的説明」をお願いしたいと思います。
ついてはここでも再び、そうしたご説明を「公募」申し上げたいと思います。
(本誌刊行から2週間以内に、本誌事務局までお送りください)。

本稿が、「大阪市の消滅か存続か」を決める「都構想」の住民投票の適切なご判断に、貢献することを祈念しつつ、本稿を終えたいと思います。
ありがとうございました。

(なお、以上の見解は、筆者個人の見解であり、筆者が関わるあらゆる組織の見解との関連はありません)


橋下市長「大阪都構想」問題について

『権力による言論封殺には屈しません』
藤井 聡
平成27年2月8日

なぜ私、藤井聡は『橋下徹』という一政治家に対して、ヘドロチックという徹底批判を『2年以上昔』に展開したのか
公権力者である政治家は、「風刺」画がその典型であるように、その資質までが批判の対象になります。
政治家は、民の命運を分ける超絶に重要な存在だからです。

この認識の下、私、藤井聡は、前政権下の2年2ヶ月前の2012年11月、インターネット動画にて橋下大阪市長の政治家としての資質を、風刺として、わたしの青春時代、入り浸るように通い続けた夜のミナミの道頓堀のヘドロの比喩を用いながら描写しました。

そこで示さんとした「ヘドロチックな資質」とは、橋下氏がかつて、
「政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ」
(『まっとう勝負』2006)
という言葉で表現した、「自分の権力欲・名誉欲」という「私利私欲」です。

例えば、若い頃の私の様にミナミの夜を過ごす一般の人々の私利私欲は半ば愛すべきものと許されることがあったとしても、政治家の私利私欲は徹底的に批判されねばなりません。
その批判の形式として、比喩、隠喩に基づく諷刺は極めて有効であることは、民主国家全ての、共有認識のはずです。
にも関わらず、大阪市長かつ公党代表という公権力にある者が、今から2年以上も昔の一学者の諷刺的批判を、その学者が都構想についての自由な議論(大阪都構想:知って欲しい7つの事実)をまさにやり始めた矢先に、独立大学法人や国会という公権力装置を活用しつつ突然抗議し始めるというのは、公権力による卑劣な言論封殺に他なりません。

私 藤井聡は、こうした言論封殺には、決して屈せず、「都構想」の投票のまさにその日まで、日本の、そして我が愛する青春の街、大阪のために、「都構想」について、冷静かつ客観的な発言を繰り返す所存です。 何卒ご支援の程、お願いいたします。

●【2012年11月 週間西田「維新を斬る」 関連部分動画文字起こし】

西田
「日本維新の会というのは、いろんな問題点があるんですが、先生は一体何が問題だと思われますか?」

藤井
「いろんな問題を列挙することができるわけですが、その全ての問題の根幹にあるのは、何かというとですね、橋下徹という男がですね、一言で言うならば、名誉欲権力欲のためだけに全てのアクティビティ活動を行っていてて、国民のため国家のためのという意識が全く無いままに、いわば私利私欲というんでしょうか、そのために政治活動的な振る舞いを、プリテンド、見せかけでやっている。
これが全ての問題だと私は思っています。
わたくしがこういう風な事を申し上げると藤井さんどこに証拠があるんだと言われることが当然ながらあるわけですけど、これは、私が邪推で申し上げているわけではなくて、ご本人が、2006年の『まっとう勝負』という本の中で、そのままおっしゃってるんですね。

僕は、橋下徹という男の議論をするときには、いつもあの台詞を頭の中においています。
彼はどういう事をその本の中で言ったのか、これは、インターネットの世界ではそれなりに有名かもしれませんが、多くの国民は、多分テレビを見てられる方、大阪の方なんかも含めて、ほとんど知らない方の方がが多いんじゃないかなと思うんですけども、彼はこういうことを言っているんです。

政治家とは、名誉欲、権力欲の最高峰だよ。
名誉欲、権力欲のために政治をやって何が悪いんだ。
国民のため、国家のために政治をやるというような事を、そういう様な、尻の穴がかゆくなるような事を政治家の皆さんはすぐに言うけれど、なぜそんなウソをつくんだと、言うことを言っている訳ですね。

当然その時には、まだ自分は政治にうって出るという事は考えていなかったのかもしれないですけれども、少なくとも彼の精神の中には、そういう思いがある。
・・・
今、橋下さんご本人のことを申し上げてたのは、何となく安倍(注:当時議員)がええかなーって思ってはる大衆の皆さんに、『あれ(注:橋下市長)おかしいんですよ』と、わかってもらおうと思って、言ってるだけの話で。
・・・
僕(が住んでいた)生駒って、結構山越えたらすぐ大阪なんですよ。
僕なんかあったらすぐ大阪行ってたんです。
特にミナミという、最もヘドロちっくな、こんなこと言ったらミナミの人に怒られますけど、ヘドロはほんまにあるんですよ、道頓堀ね、すごいヘドロがあって、結構汚臭芳しき地域が。
そこでいっつも飲んどったんですよ、僕ら。
それで僕高校も大阪に、山越えて、トンネルですけど行って、結構大阪という土地がどういうものか僕の中に「パート」(自分の胸に指を指す)としてあるんです。
ここ(注:その「パート」を指さしながら)のフィルターを通して見た時の橋下氏、これは絶対連れなったらあかんわと、こんなん連れなったらめちゃめちゃされんでうちもう、これは絶対付き合ったらあかんとわかるんですよ。こっちは。

それはやっぱり山口の方とか、東京の方とか、ひょっとすると京都の方はそこまで悪い人っていないので、なんかみんなそれわかってはらへんのちゃうかと。

だから僕ね、とりわけ大阪の事結構知ってるので、教えてあげなと、一生懸命ね、もうみんなに向かってこの人どんなにヘドロチックか、もうすごいのよこの人と、教えたいってすっごい思ってるんですよ。」
(引用終わり)


詭弁vs言論の闘争の構図
2015.02.17

先に紹介したメルマガ記事には、以下のような付録が付いています。
詭弁vs言論の闘争の構図を、最新の記者会見の発話データ

https://www.youtube.com/watch?v=zRlcJzJ3_HY

を活用しながら、改めて描写いたしました。是非、ご一読ください。

●【付録:公権力者による「詭弁」という言論封殺】
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/17/fujii-132/

ところで、ここで論じた「事実4」に関連して、公権力者である大阪市長が、大阪市長としての記者会見の現場で、「実際に大阪市で市域外にお金いっぱい使っている」という(当方も含めた、少しでも行政を知っている者ならば誰もが知っている当たり前の)「事実」を指摘し、「事実4」を取り上げている藤井に、「おかしさ」があると論じ、「(藤井は)現実の政治行政を知らない」と、発言しておいでです。

https://www.youtube.com/watch?v=zRlcJzJ3_HY

つまり「事実4」は、いちいち藤井に指摘されずとも既に成立している当然のことだ、という
「事実4を『肯定』する」
趣旨の主張を行い、「これを『問題』にしている者(=藤井)が、行政について意見を言う資格などない」という旨を示唆しておいでです。
しかし、その直後に、「千早赤坂に道路作るって…あれは完全にごまかし」と指摘し、かつ、「大阪市内から税金が流れる。どっかに流れていくなんてそんなバカな議論なんてありえません。」と、今度は驚くべき事に、先の主張とは真逆の、
「事実4を『否定』する」
趣旨を主張し、「事実4を『指摘』している者(=藤井)は、バカ(引用)な事言うような資質しか持っていない」という趣旨の発言をしておられます。

すなわち、その短い発言の中に、この「事実4」について全く異なる、相矛盾する2つの見解(事実4を肯定する見解と、否定する見解)の双方を表明し、しかも、それぞれの表明を通して、
「藤井=現実を知らない、バカ(引用)なことを言う学者」
というイメージを、公権力とマスメディアを巧妙に活用しながら印象づけておられるわけです。

しかも、後者の「事実4」の否定については、その根拠を一切示さず、ただ単に「あり得ない」と論じている、という始末です。言うまでも無く、藤井がこれまで「事実4」について詳しく論じた内容の全てを無視しています。

そして、これだけ「不当な論理」を重ねた挙げ句、「藤井=現実の政治行政知らない」という「印象操作」だけは強力に遂行しているという次第です。

むしろ、論理そのものが「矛盾」したものであるが故に、理性的に理解しずらく、かえって、「印象操作」だけが鮮烈に残るという効果まで見い出すことができそうです。

そしてその「印象操作」が、
1)公権力者の記者会見という場でおりなされ、
2)新聞記事で、「藤井氏を「現実を知らない」とばっさり切り捨てる」と報道され、
「橋下徹が藤井聡を完全論破」なるインターネット動画が放映される。

https://www.youtube.com/watch?v=9yrQQqT2Yk8

…という格好で強化され、これらの「記者会見」「新聞」「ネット動画」を通して、
「藤井=現実を知らない、バカ(引用)なことを言う学者」
「藤井が指摘した事実4は下らない指摘」
というイメージが、既成事実化していったわけです。

ここまで「既成事実化」が進行すれば、後は、ほとんど何のコメントも付与せずに、ただただ、百万人以上のフォロアーがみているツイッターで、引用するだけで、ますます、その既成事実化は進行します。

https://twitter.com/t_ishin/status/566640412698218496

そして今やその既成事実化したイメージは、当方の言論についての超絶な「言論封殺」を導く大きな「詭弁パワー」を発揮するにいたっている、という次第です。
これがさらにTVメディアを通せば、さらにその規制事実化は進行し、「藤井=現実を知らない、バカ(引用)なことを言う学者」というイメージは固定化し、ますます、「言論封殺」が強化していくことになるでしょう。

さて、こうした公権力者とメディア、インターネットの共同作業で進行する既成事実化こそ、先週論じた、「詭弁による印象操作」に他なりません。

すなわち、以上の「既成事実化」は、詭弁の重要な特徴として上げた以下の2つの点をそのまま、強力に踏襲しているのです。

1)とにかく論理的な正当性はない、

2)しかし、「相手がバカだ」「間違っている」等の印象を与える(印象操作)、

いずれにしても、ここまでくれば、「言論封殺」の圧力をもたらしているのは、一個人だけなのではなく、中心に位置する人物と、その周りにいるインターネットとメディアに関わる夥しい数の人々なのだ、という社会学的構造が透けて見えて参ります。

ただし、そのパワーの中心にあるのは、
やはり、印象操作のための不当な論理である「詭弁」であることは間違いありません。

だからこそ、「言論封殺に屈しない」上で、何よりも重要となるのは、まずは、そのパワーの源泉である
「詭弁」
の構図を、明確に見て取ることに他ならないのです。

そして、その最強の舞台として彼らが準備するのが、あらゆるフォーマットでの「ショー」です。
その「ショー」にて徹底的に詭弁を弄し、印象操作を繰り返せば、「言論」の真実性を吹き飛ばすことをより効果的、かつ強力に遂行することが可能となるのです。

当方二年以上前から公言しているように、詭弁が約束された「ショー」に協力するつもりはありません。

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」

──こうした「詭弁の構造」についての的確な状況認識こそが、「言論」VS「詭弁」の闘争を戦い抜くにあたって、何よりもまず大切なのです。



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