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『日本精神』を学ぶ/『国家の品格』と武士道

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転載元 
『細川一彦』のオピニオン・サイト

日本の心 /武士道(2)

■『国家の品格』と武士道精神 藤原正彦
2006.6.5
 
藤原正彦氏の『国家の品格』(新潮新書)は、平成17年11月から、半年ほどで200万部を超えた。
これは新書で最も速い記録である。
続いて出た『この国のけじめ』(文芸春秋)もよく読まれている。

国際的数学者として知られる藤原氏は、これらの本で、いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことだと説いている。

藤原氏が武士道に関して述べた意見に焦点を合わせて、21世紀に求められる武士道精神についてまとめてみたい。

◆日本は「国家の品格」を失っている
藤原氏が書名にした「国家の品格」とは何か。
「品格」とは、「しながら」であり、「品位、気品」をいう。
「品位」とは、「人に自然にそなわっている人格的価値」、
「気品」とは「どことなく感じられる上品さ。けだかい品位」をいう。
(「広辞苑」)

これらはいずれも人間についていう言葉であって、国家には普通は使わない。
それゆえ、「国家の品格」とは、その国の人間つまり国民の品格をいうものである。
国民の品格とは、国民一人一人の品格である。
国民一人一人に品格があってこそ、国民全体に品格が備わり、それがその国家に品格をもたらす。

藤原氏の著書『国家の品格』を読んだ多くの人は、これはわが国の品格を説いた本だと理解しただろう。
しかし、本書で、国家といい、日本というのは、日本人のことなのであり、その一員としての一人一人の品格が問われているのである。

このように品格を問われているのは、国家としての日本であり、その一員としての自分自身であると押さえた上で、本稿の主題である藤原氏の武士道論に移りたいと思う。

『国家の品格』の「はじめに」において、藤原氏は、「論理」に対比して「情緒と形」を置く。
「情緒」とは、単なる喜怒哀楽ではない。
「懐かしさとかもののあわれといった、教育によって培われるもの」だという。

また「形」とは、
「主に、武士道精神からくる行動基準」
だという。

そして、藤原氏は、これらをともに
「日本人を特徴づけるもので、国柄とも言うべきもの」
だとする。

藤原氏は、主な用語の定義がゆるやかで、その用語の使い方が、個性的である。
「懐かしさとかもののあわれといった、教育によって培われるもの」
をいうのであれば、多くの人は「情緒」ではなく、情操とか感性というだろう。

「主に、武士道精神からくる行動基準」
なら、「形」ではなく、規範とか道徳というだろう。
これらは、最も「形」に表しにくいものである。

また、「国柄」であれば、「情緒と形」ではなく、国家の体質とか国体というだろう。
「お国柄」なら国民性や民族文化をいうが、国家の統治機構や、政治社会の基本構造を抜きに「国柄」を説くことはできない。

こうした独特の用語の定義や使い方が、藤原氏の特徴でもあり、また弱点でもある。
それはそれとして、氏のいわんとするところに耳を傾けてみよう。

藤原氏は、さきほどと同じ「はじめに」において、氏の言うところの「情緒と形」は「昭和の初めごろから少しづつ失われてきました」という歴史認識を示す。

それらは
「終戦で手酷く傷つけられ、バブルの崩壊後は、崖から突き落とされるように捨てられてしまいました」
という。

「戦後、祖国への誇りや自信を失うように教育され、すっかり足腰の弱っていた日本人は、世界に誇るべき我が国古来の『情緒と形』をあっさり忘れ、市場経済に代表される、欧米の『論理と合理』に身を売ってしまったのです」
とも書いている。

その理由を
「なかなか克服できない不況に狼狽した日本人は、正気を失い、改革イコール改善と勘違いしたまま、それまでの美風をかなぐり捨て、闇雲に改革へ走ったためです」
とする。

そして、氏は
「日本はこうして国柄を失いました。
『国家の品格』をなくしてしまったのです」
と述べる。

ここで氏は「国家の品格」という用語を、「国柄」という用語と、ほぼ重なり合う意味で使っている。
その内包は、「情緒と形」である。
すなわち
「懐かしさとかもののあわれといった、教育によって培われるもの」や
「主に、武士道精神からくる行動基準」が、
昭和の初めから少しづつ失われていた。
終戦後、日本人は、それらをあっさり忘れ、バブルの崩壊後、不況克服のための改革に走ったことによって、さらに失ってきているというわけだろう。

◆武士道精神を復活すべき
藤原正彦氏が武士道精神を持つようになったのは、氏の受けた家庭教育による。

「私にとって幸運だったのは、ことあるごとにこの「武士道精神」をたたき込んでくれた父がいたことでした」
と氏は『国家の品格』(新潮新書、以下『品格』)に書いている。
父とは、小説家の新田次郎氏である。

「私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。
父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった」

「幼少の父は祖父の命で裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした」
という。
(『この国のけじめ』文芸春秋、以下『けじめ』) 

こうした教育を受けた父親が、藤原氏に武士道の精神を教え込んだのである。

「父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、
『弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ』
『暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。
大きい者が小さい者を、
大勢で一人を、
そして男が女をやっつけること、
また武器を手にすることなどは卑怯だ』
と繰り返し言った。
問答無用に私に押し付けた。
義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう」
(『けじめ』)

氏は、特に卑怯を憎むことを、心に深く刻まれたようだ。

「父は『弱い者がいじめられているのを見てみぬふりをするのは卑怯だ』と言うのです。
私にとって『卑怯だ』と言われることは『お前は生きている価値がない』というのと同じです。
だから、弱い者いじめを見たら、当然身を躍らせて助けに行きました」
と書いている。
(『品格』)

こうして家庭において父親から武士道の精神を植え付けられた藤原氏は、その後、今日にいたるまで、武士道精神を自分の心の背骨としている。
その氏の武士道に対する理解は、その多くを新渡戸稲造の名著『武士道』に負っている。

「武士道には、慈愛、誠実、正義や勇気、名誉や卑怯を憎む心などが盛り込まれているが、中核をなすのは『惻隠の情』だ。
つまり、弱者、敗者、虐げられた者への思いやりであり、共感と涙である」
(『国家の品格とは何か?』朝日新聞平成18年4月5日号、以下『何か?』)

「惻隠こそ武士道精神の中軸」
であり、
これを「他人の不幸への敏感さ」とも言っている。
(『品格』)
  
「惻隠の情」は、シナの儒教の賢者・孟子による。
他人のことをいたましく思って同情する心である。
孟子は「惻隠の心は仁の端なり」と言う。
孟子は、性善説に立ち、人間の心のなかには、もともと人に同情するような気持ちが自然に備わっていると考えた。
そして、その自然に従うことによって、やがては人の最高の徳である「仁」に近づくことができると考えた。
「仁」とは、慈しみであり、思いやりである。

藤原氏は、このように、武士道は「惻隠の情」がその中核をなす、ととらえている。
しかも、その同情や共感は、身を挺してでも他者を助ける行動に表すべきものと理解されよう。
単なる惻隠にとどまれば、卑怯というそしりを受けるだろうからである。

さて、藤原氏は、論理だけでは世の中はうまくいかない、論理よりもむしろ「情緒」を育むことが必要だという。
また、それとともに、人間には、一定の「精神の形」が必要だという。

氏は、次のように書く。
「論理というのは、数学でいうと大きさと方向だけ決まるベクトルのようなものですから、座標軸がないと、どこにいるのか分からなくなります。
人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる精神の形、すなわち道徳です。
私は、こうした情緒を含む精神の形として『武士道精神』を復活すべき、と20年以上前から考えています」と。
(『品格』)

国際的な数学者である藤原氏が、このように言うところに、驚きと同時に強い説得力を覚え、多くの読者が啓発されているに違いない。

藤原氏は、武士道精神は、わが国に「国家の品格」を与えてきた重要な要素であり、主に武士道精神が失われてきた結果、わが国は「国家の品格」を失ってきたと考えている。
だから、日本人は、武士道精神を復活すべきと説くのである。

それだけではない。
この「惻隠の情」を中核とする武士道精神について、
「このような日本人の深い知恵を世界に向けて発信することこそ、荒廃した世界が最も望んでいるのではないか」
(『何か?』)
と言う。

「私は『武士道精神こそ世界を救う』と考えています」
(『品格』)
とさえ言う。

このように、藤原氏は、現代の日本そして世界にとって、武士道精神がきわめて重要な意味を持つものと説いている。

◆武士道の歴史と変遷を、どうとらえるか
武士道精神の復活を唱える藤原正彦氏は、武士道の歴史と変遷をどのようにとらえているのだろうか。
もとより氏は、歴史家や思想家ではないのだが、そのとらえ方には傾聴すべきものがある。

「武士道はもともと、鎌倉武士の『戦いの掟』でした。
いわば、戦闘の現場におけるフェアプレイ精神をうたったものと言えます。
しかし、260年の平和な江戸時代に、武士道は武士道精神へと洗練され、物語、浄瑠璃、歌舞伎、講談などを通して、町人や農民にまで行き渡ります。
武士階級の行動規範だった武士道は、日本人全体の行動規範となっていきました」
(『品格』)

「明治維新のころ海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた」
「武士道精神が品格を与えていたのである」
(『けじめ』)

明治維新によって、身分としての武士は消滅した。
その後の武士道精神の変遷を、武士道精神の中核を「惻隠の情」と理解する視点から、藤原氏は次のように述べている。

「かつて我が国は惻隠の国であった。
武士道精神の衰退とともにこれは低下していったが、日露戦争のころまではそのまま残っていた」
(『けじめ』)。

その実例として、氏は、水師営での会見で、乃木将軍が敗将ステッセルに帯剣を許したこと。
日本軍は各地にロシア将校の慰霊碑や墓を立てたこと。
松山収容所では、ロシア人捕虜を暖かく厚遇したことなどを挙げている。

「日本人の惻隠は大正末期にはまだ残っていたようである」
(『けじめ』)。

その実例として、氏は、第1次大戦後、ポーランド人の援助要請に応え、日本人が極東に残されたポーランド人孤児765名を救済したことを挙げる。

確かに、私たちの先祖であり先輩である明治・大正の日本人は、異国の人々の身の上を、わがことのように思いやり、親切このうえなく心を尽くした。
まだほとんど外国人と接する機会のなかった時代であるのに、国際親善・国際交流の鑑のような行動を、人情の自然な発露として行っている。

こうした日本人の精神を、藤原氏は、武士道に重点を置いて、武士道精神と呼ぶわけである。

大東亜戦争の敗戦後、武士道精神は大きく低下した。
しかし、氏は、これは戦後、突然起こった現象ではないと見ている。

「武士道精神は戦後、急激に廃れてしまいましたが、実はすでに昭和の初期の頃から少しづつ失われつつありました。
それも要因となり、日本は盧溝橋以降の中国侵略という卑怯な行為に走るようになってしまったのです。
『わが闘争』を著したヒトラーと同盟を結ぶという愚行を犯したのも、武士道精神の衰退によるものです」
(『品格』)

「当時の中国に侵略していくというのは、まったく無意味な『弱い者いじめ』でした。
武士道精神に照らし合わせれば、これはもっとも恥ずかしい、卑怯なことです」
(『品格』)

「日露戦争に比べ、日中戦争や大東亜戦争での捕虜の扱いはかなり違う。
日本軍は捕虜を労働力と見るようになり、酷使、虐待を平気でするようになった。
昭和の初めごろより惻隠が少しずつだが衰えていったのである。
明治が遠くなったこともある。野卑な外国を見習ってしまったこともある」
(『けじめ』)

ヒトラーと同盟を結んだのは、武士道精神の衰退によるという見方は、私も同感である。
私は、三国同盟締結は日本精神に外れた行いだったことを、別に書いてもいる。
ただし、藤原氏が、日本の大陸進出を
「まったく無意味な『弱い者いじめ』」
「もっとも恥ずかしい、卑怯なこと」
とのみ書いているのは、歴史認識の視野の狭さ、底の浅さを露呈したものと思う。

20世紀前半の日中関係には、国際市場のブロック化、共産主義の策謀、シナの排日運動・協定違反・日本人虐殺等、複雑な要素が重なり合っていた。
氏は「盧溝橋事件以降の中国侵略」と安易に筆を走らせているのではないか。
盧溝橋事件は日本側の攻撃によるものではない。
また、事件後、第2次上海事件によって本格的な戦争になってしまうまで、わが国は戦争回避のため慎重な対応に努力した。

ところが、日本を大陸深く誘い込み、戦争を勃発・拡大させて、共産革命を実現しようとするコミンテルンや中国共産党の工作が行われていた。
わが国は、まんまと大陸での泥沼の戦争に引き釣り込まれたという面があったのである。

次に、捕虜の扱いについて、氏がどういう事例を思い浮かべているのか分からないが、国家総力戦段階に突入した世界における戦争の悲惨さを抜きにして、日本人の精神面の変化だけでは論じられないものがあると思う。

こうした藤原氏の現代史に関する認識は、よく注意して読む必要があるだろう。

日露戦争について水師営の会見、
大正時代についてポーランド人孤児の救援などを挙げるのであれば、
大東亜戦争についてもインドやインドネシアの独立への支援などを挙げるのでなければ、昭和戦前期の日本人に対して否定的すぎると思う。

いずれにしても藤原氏は、武士道は
「昭和のはじめごろから少しづつ衰退し始め、戦後はさらに衰退が加速された」
(『けじめ』)
というとらえ方をしている。
武士道精神が悪いから「侵略」「虐待」をしたのではなく、
反対に武士道精神が衰退・喪失し始めたから、そういう行動が出てきたのだという理解である。

私はおおむねこれに同意する。
日本精神が悪いから戦争を起こしたのではなく、日本の指導層が日本精神から外れたために、三国同盟を結び、米英戦争に突入し、大敗を喫したのである。

◆武士道精神喪失の根本理由
藤原正彦氏は、武士道は「昭和のはじめごろから少しづつ衰退し始め」、
大東亜戦争の戦後は「さらに衰退が加速された」という。

アメリカは占領期間、日本弱体化のためにさまざまな政策を行なった。
「たった数年間の洗脳期間だったが、秘匿でなされたこともあり、有能で適応力の高い日本人には有効だった。
歴史を否定され愛国心を否定された日本人は魂を失い、現在に至るも祖国への誇りや自信をもてないでいる」
(『けじめ』)

「戦後は崖から転げ落ちるように、武士道精神はなくなってしまいました。
しかし、まだ多少は息づいています。
いまのうちに武士道精神を、日本人の形として取り戻さなければなりません」
(『品格』)

基本的には、私は同感である。
ただし、藤原氏の所論には重要なことを補う必要がある。
戦後、武士道精神が失われてきた根本的な理由である。

日本は、GHQから押し付けられた憲法により、独立主権国家として不可欠な国防を大きく制限された。
憲法上、国民には、国防の義務がない。
「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ」
という文言のある教育勅語は、教科書から取り除かれた。
国家が物理的に武装解除されただけでなく、日本人は精神的にも武装解除された。
その結果、日本人は自ら国を守るという国防の意識さえ失った。

武士道とは、本来、武士の生き方や道徳・美意識をいうものである。
武士とは、武を担う人間である。
武を抜きにして、武士道は存立しない。
自衛のための武さえ制限され、自己の存立を他国に依存する状態を続けている日本人が、急速に武士道精神を失ってきたのは当然である。

根本的な原因は、憲法にある。
日本国憲法が、日本人から武士道精神を奪っているのである。
この問題を抜きにして、武士道精神の衰退は論じられない。

藤原氏は、武士道精神の中核は「惻隠の情」だとし、
「弱い者いじめ」に見て見ぬふりをせず、卑怯を憎む心を強調する。
氏のいうような武士道精神に照らすなら、例えば北朝鮮による同胞の拉致に対し、日本人及び日本国は、どのように行動すべきか。
中国のチベット侵攻や台湾への強圧に対し、どのように考えるべきか。

これらの問題は、単なる道徳論では論じられない。
日本という国の現状、自分たち日本人のあり様を、国際社会の現実を踏まえて論じる必要があるだろう。
やはり、「この国の形」を決める憲法に帰結する事柄である。

さて、藤原氏は、戦後、衰退してきた武士道精神が、バブルの崩壊によって、一層、顕著に衰退してきたという見解を表している。

「歴史を否定され愛国心を否定された日本人は魂を失い、現在に至るも祖国への誇りや自信をもてないでいる。
だから、たかがバブルがはじけたくらいで狼狽し、世界でもっとも優れた日本型資本主義を捨て、市場原理を軸とするアメリカ型を安直に取り入れてしまった。
その結果、日本経済は通常の不況とは根本的に異なる、抜き差しならない状況に追い込まれている」
(『けじめ』)

「バブル崩壊にともなう市場原理主義は、武士道精神を崖からまっさかさまに突き落としつつある。
日本人の道徳基準であっただけに今後が心配である。
とりわけ新渡戸稲造が武士道の中核とした惻隠の情が急激に失われつつあることは、我が国の将来に払拭できない暗雲としてたれこめている」
(『けじめ』)

市場原理主義について、次のように藤原氏は述べている。
「市場原理に発生する『勝ち馬に乗れ』や金銭至上主義は、信念を貫くことの尊さを粉砕し卑怯を憎む精神や惻隠の情などを吹き飛ばしつつある。
人間の価値基準や行動基準までも変えつつある。
人類の築いてきた、文化、伝統、道徳、倫理なども毀損しつつある。
人々が穏やかな気持ちで生活することを困難にしている。
市場原理主義は経済的誤りというのをはるかに越え、人類を不幸にするという点で歴史的誤りでもある。
苦難の歴史を経て曲がりなりにも成長してきた人類への挑戦でもある。
これに制動をかけることは焦眉の急である」
(『けじめ』)
 

市場原理主義は、資本主義発生期の経済的自由主義の現代版である。
この古典的自由主義は、修正的自由主義が「リベラリズム」を標榜するのに対し、
「リバータリアニズム(徹底的自由主義)」ともいう。

英米ではこの国権抑制・自由競争の思想が、伝統的な「保守」である。
一般的にはアダム=スミスに始まるとされ、ハイエク、フリードマンらがこの系統である。
ブッシュ政権に集合した「ネオコン」と呼ばれる新保守主義者は、その新種である。

国防に致命的な欠陥を持つわが国は、
1980年代にアメリカを主人とする金融奴隷になったような構造に組み込まれた。
バブルの崩壊後は、その構造のもとで、アメリカ主導の市場原理主義に押し捲られている。
そして、米国政府に成り代わって、市場原理主義を積極的にわが国で推進しているのが、小泉=竹中政権である。

現在の自民党は、私が「経済優先的保守」や「リベラル」と呼ぶ人たちが主流派となり、「伝統尊重的保守」は駆逐されてきた。
日本政府が行なっている改革は、アメリカの「年次改革要望書」に応える改革にすぎない。
ここ5年ほどの間に、自由競争と個人主義が徹底的に推進されてきたことにより、「格差社会」が生まれ、若者を中心に「下流」が増大している。
経済中心、金銭中心、個人中心の国策によって、日本人の精神性は劣化している。

『国家の品格』が大ベストセラーになったのは、こうしたわが国のあり方を批判する藤原氏の言説が、多くの国民に共感を呼ぶからだろう。

既に引いた文章と多少重複するが、藤原氏の主張を再度、引用したい。

《バブル崩壊後、日本では政府ばかりか国民までもが『経済を回復させるためなら何をしてもいい』と考えるようになった。
アメリカからの要求に従うような改革が次々断行され、貧しい者や弱者、地方が泣かされるという、非情な格差社会が生まれた。
(略)
この勢いは経済の領域を超え、社会全体が拝金主義や「勝ち馬に乗れ」といった風潮を蔓延させつつある。
(略)
さらに、日本人の繊細な感性を育んでいた日本の美しい自然や田園も、開発という名の破壊を受けて見るかげなく、子供達の教育も混乱を極めている。
(略)

私は、こうした様々な現象の元凶は、アメリカ流の経済至上主義や市場原理主義だと思っている。
市場原理とは、できるだけ規制をなくし競争原理を働かせるものだが、結果は勝者と敗者ばかりの世界になる。
規制とは弱者を守るためのものだからだ。
世の中は、勝者でも敗者でもないふつうの人々が大半を占めなければ安定しない。
市場原理で代表されるアングロサクソンの『論理と合理』を許し続けたら、日本だけでなく世界全体もめちゃくちゃになってしまう。

こんな世界の中で、日本はどうすべきか。
私は、経済的豊かさをある程度犠牲にしてでも『品格ある国家』を目指すべきだと考えている。
そのためにも新渡戸稲造の『武士道』の精神を復活させることが大切だ。》
(『何か?』 )


私は、氏の所論に強い共感を覚える。
ただし、これを単なる道徳論に終わらせないためには、先に書いたように、日本人は憲法を論じなければならない。
今日の日本で武士道精神の復活を実現するには、「精神の形」だけでなく、「この国の形」を論じる必要があるのだ。
「国としての形」をなしていない国に、「国家の品性」は備わりえない。
それが道理である。
そのことを『国家の品性』を読んだ人々に、ともに考えていただきたいと思う。


◆日本及び世界のために武士道精神を
藤原正彦氏は、
「私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う」
(『けじめ』)
という。

それゆえ、武士道精神の復活は、日本のためだけではなく、世界のために必要だというのである。

まず日本について。
「21世紀は、武士道が発生した平安時代の混乱と似ていないでもない。
日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。
切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活すべきである。
これなくして日本の真の復活はありえない」
(『けじめ』)

次に世界について。
「世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。
人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。
義勇や名誉は顧みられず、損得勘定の巷となり果てた。
ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。
ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地より早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。
論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。
それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。

一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。
これは小手先の国際貢献と異なる。
普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。
この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる」
(『けじめ』)

上の引用のように、藤原氏は、武士道精神の復活の意義を力説する。
日本人は自己自身のために武士道精神を復活するとともに、それを通じて真の国際貢献をすべきである。
この行いは、日本人が個々に努力するにとどまらず、国家としての日本が国の方針として行なうべきだ、と氏は訴えたいのだろう。

氏は、次のようにも書いている。
「日本は正々堂々と、経済成長を犠牲にしてでも品格ある国家を目指すべきです。
そうなること自体が最大の国際貢献と言えるのです。
品格ある国家、というすべての国家の目指すものを先んじて実現することは、人類の夢への水先案内人となることだからです」
(『品格』)

「世界に示すには、世界に向かって口角泡を飛ばすのではなく、まず日本人それぞれが情緒と形を身につけることです。
それが国家の品格となります。
品格の高い国に対して、世界は敬意を払い、必ずや真似をしようとします。
それは、文明国が等しく苦悩している荒廃に対する、ほとんど唯一の解決策と私には思えるのです」
(『品格』)

実際は藤原氏の説とは違い、すべての国家が「品格ある国家」を目指してきたとは、言えない。
「品格の高い国」に他国が敬意を払い、真似しようとするとも限らない。
世界史が示しているのは、国家及び文明の間に顕著なのは、道徳的な感化よりも、力による支配―服従や、富による伝播―模倣である。

氏のいう「品格ある国家」とは、従来、道義国家といわれてきたものに近い。
道義国家とは、人類普遍的な道徳を理念とする国家である。
力や富の追求ではなく、精神的な価値の実現を目標とする国家である。
藤原氏は、この道義にあたるものとして、武士道精神を提示しているわけである。

かつて武士道精神は、日本人に品格を与えていた。
日本人が精神的に向上することは、わが国に「国家の品格」を生み出す。
「品格ある国家」は、周囲に道徳的な感化を与える。
こうした発想は、武士道に融合した儒教が理想とした王道や徳治に通じるものである。

氏の主張を掘り下げるならば、東洋の政治思想や、それを最もよく体現したわが国の皇室の伝統に思いをいたすことになるだろう。
武士道は、平安時代の発生期から尊皇を本質的要素とする。
またわが国の国柄は、皇室の存在を抜きにとらえることが出来ないことを指摘しておきたい。

さて、藤原氏は、次のようにも述べている。
「日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うのです。
ここ4世紀間ほど世界を支配した欧米の教義は、ようやく破綻を見せ始めました。
世界は途方に暮れています。
時間はかかりますが、この世界を本格的に救えるのは、日本人しかいないと私は思うのです」
(『品格』)

ここでは単なる国際貢献ではなく、「世界を救う」という、崇高な目標が述べられている。
それでは、日本人がこの役割を担うには、どうすればよいか。

 
◆日本精神の復興こそが急務
 藤原正彦氏は、
「日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務」だと言い、
「この世界を本格的に救えるのは、日本人しかいない」
(『品格』)
と言う。

日本人がこの役割を担うには、どうすればよいか。
藤原氏は、教育によるしかないと言う。

「政治や経済をどう改革しようと、そしてそれが改善につながったとしてもたかだか生活が豊かになるくらいで、魂を失った日本の再生は不可能である。
いまできることは、時間はかかるが立派な教育を子供たちにほどこし、立派な日本人をつくり、彼らに再生を託すことだけである。

教育とは、政治や経済の諸事情から超越すべきものである。
人々がボロをまとい、ひもじい思いをしようと、子供たちだけには素晴らしい教育を与える、というのが誇り高い国家の覚悟と思う」
(『けじめ』)

氏がここにいう教育とは、武士道精神を養成する教育のことのようであるが、明示的ではない。
また、学校教育や社会教育のことだけではないようである。

「武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない」
(『けじめ』)
とも、藤原氏は書いているからである。

氏自身が、父親から武士道精神を教え込まれたのだった。
家庭における父から子へ、親から子へという武士道精神の継承があってこそ、学校教育、社会教育はその効果を発揮するだろう。


なお、氏は、国語教育の重要性を強調するが、これと武士道精神を養成するような教育との関係も具体的には述べられていないようだ。
今後、より具体的な提言を氏に期待したい。

私は、武士道を含む日本人固有の精神的伝統を取り戻すことのできる教育を行うことが、急務だと考えている。

まず各家庭において、親が子供になにを伝え、教えるか、よく考えて、努力したいものである。
特に父親は、自らの役割の大きさをよく自覚したいと思う。

国全体では、公教育の目的は、次代を担う立派な日本人を育てることにある。
そのような教育を実現するには、教育基本法を改正し、愛国心、公共の精神、家族尊重、祖先への敬愛、宗教的情操の涵養等を盛り込むことが欠かせない。
また、教育勅語を復権し、その理念を継承して、家庭・社会・国家・人類を貫く道徳を教えることが望ましい。

こうした教育の中に、武士道精神の養成を一つの要素として組み入れるとよいと思う。
知育・体育・徳育の全般に、要素として生かすことができる。

しかし、なお足りない。
それは、憲法の問題である。先に書いたように、日本人が戦後、武士道精神を喪失してきたのは、憲法に問題があるからである。
憲法が日本人の精神を失わせ、国家の品格を損ねているのである。

日本人自身の手で新しい憲法を作り上げてこそ、真に実りある教育を実現でき、日本の再建が成し遂げられる。
教育基本法の改正も、現行憲法の下では、限界がある。 本来は、新憲法の制定が先である。

結びに、話を日本精神のことに進めたい。
私は、武士道精神は、日本人の精神を形成した重要な要素であるが、武士道精神イコール日本精神ではないと思う。
部分であって全体ではない。

藤原氏も、武士道精神は
「鎌倉時代に『弓矢とる身の習い』、
すなわち戦(いくさ)における掟として成立したが、平和の長く続いた江戸時代には精神にまで洗練され、小説、芝居、講談などを通して町人にまで広まったから、日本精神と呼んでよい。
誠実、慈愛、惻隠、忍耐、名誉、孝行、公の精神などを重んじ、卑怯を憎む精神である」
(『けじめ』)
としている。

氏はまた
「世界はいま、混迷の中にある。
この世界を救う手立てとして、日本精神がきわめて有望と思う。
(略)
日本精神を規範とした江戸の社会は当時、世界でもっとも優れていた、と最近になって英国の学者たちが注目している。

現代日本人が、この精神をしっかり取り戻し立派な社会を作れば、いまなお論理合理を金科玉条としている世界の多くの人々も、必ずや覚醒するだろう」
(『けじめ』)
とも述べている。

日本精神をこれほど深く感得し、その日本及び世界に対する意義を大きくとらえている人は、他に李登輝氏や中條高徳氏など、まだまだ少ないと思う。

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