■米軍は「京都の文化遺産を守るため空襲しなかった」 これを信じるのは「マヌケ」 百田氏が原爆投下で持論
J-CASTニュース 2014/8/ 7
広島原爆の日にあたる2014年8月6日、
作家の百田尚樹氏がツイッターで
「これを大虐殺と言わずしてなんと言う!
日本人は決して忘れてはならない」
と大勢の非戦闘員が犠牲になったことを改めて非難した。
その中で、「京都・奈良は文化遺産を守るために爆撃しなかった」といった説についても反論。
この説を信じる人を「マヌケな日本人」と罵倒。
この説を信じていた人は意外に多いようで、「信じてました」といったツイートをする人も相次いでいる。
「これを大虐殺と言わずしてなんと言う!
日本人は決して忘れてはならない」
日本のどこに原爆を投下するかについて、米国は、1945年の5月に開かれた目標選定委員会で、
(1)直径3マイル(4.8キロ)以上の広さで、大きな都市地域にある重要目標であること
(2)爆風が効率的にダメージを与えること
(3)1945年8月まで爆撃を受けなさそうなもの
といった候補地選定の基準を設定。
その結果、小倉、広島、横浜、新潟、京都の5都市が選ばれた。
京都は軍需産業もあることから有力な候補地だとされていた。
これらの都市については、原爆投下の効果を正確に測定するため、米軍の空爆は禁止されたという。
奈良は3条件を満たさなかったため、候補から外れた形だ。
百田氏のツイートでは、原爆投下を
「女性や子供を含む一般市民を一瞬にして10万人以上も殺した。
10万人以上である!
これを大虐殺と言わずしてなんと言う!
日本人は決して忘れてはならない」
と非難。その上で、
「アメリカは第二次世界大戦の時にも、
文化遺産を大切にし、京都や奈良を爆撃しなかったと思っているマヌケな日本人が沢山いる。
アメリカが京都を空襲しなかったのは原爆投下目標都市だったからだ。
京都が最終的に候補から外れたのは7月だ。
奈良を空襲しなかったのは、人口が少なかったからだ」
と主張した。
◇京都を候補地から外そうとする駆け引きは存在した
京都への原爆投下をめぐっては、新婚旅行で京都を訪れたことがあるスチムソン陸軍長官が反対し続けたことが広く知られている。
1945年5月の時点でスチムソン氏は、マンハッタン計画を指揮したグローヴス准将に対して京都を候補から外すように求めたが、グローヴス氏は京都の軍事的、産業的重要性から難色を示した。
その後スチムソン氏はトルーマン大統領にアプローチし、一度は京都が候補から外れた。
7月になってグローヴス氏は京都を再び候補に戻そうと試みたが、失敗に終わった。
つまり、百田氏がツイートしているように、
「京都が最終的に候補から外れたのは7月」
で、そのまま8月の終戦を迎えたために結果として大規模な空襲を逃れたというわけだ。
原爆投下については、米国内でも一部の科学者が反対したり、どこに投下するかなどをめぐり、様々な動きがあったりしたことが知られている。
長崎の原爆も、直前まで小倉に投下されるはずだった。
スチムソン氏らは、もし京都を原爆で破壊した場合、戦後の日本の復興に大きなマイナスとなり、日本をソ連寄りにする可能性があるということも心配していたようだ。
最終的にスチムソン氏が押し切ったことで、戦後、米国側から「京都については文化遺産に配慮した」という宣伝が積極的にされることになり、そうした「俗説」が定着することになったとみる向きもある。
なお、京都は45年1月から6月にわたって5回の空襲を受けており、奈良への空襲は数十回も行われている。
■原爆目標は京都、広島
転載元 芋太郎の広場
www.chukai.ne.jp/~masago/genbaku.html
ここでは、次の2つの問題について考えてみよう。
使用する文献は『資料 マンハッタン計画』(大月書店)。米国の原爆計画を網羅的に取り上げた第一級の資料集である。
問題
(1)「京都は、昔からの文化財がたくさんあるので、米軍の爆撃の対象にならなかった」
こんなせりふ、どこかで聞いたことはないだろうか。
私も以前に聞いた記憶があるのだが、誰が言っていたのか思い出せない。
何か根拠はあるのだろうか。
(2)「広島が被爆した原因は、広島が軍都だったせいだ」
全国の中学校では最もシェアの大きい、東京書籍の『新しい社会 歴史』では、181ページに次のように書いている。
《最後に、クラス全体の研究問題である「なぜ広島市が被爆都市となってしまったのか」を、みんなで考えました。
その原因の一つは、戦前の広島市が軍都として発展してきたことにあるということでした。》
「原因の一つ」という言葉とは裏腹に、
これ以外の原因はまったく示されていないから、生徒は、広島が軍都だったから、つまり軍事基地があったから原爆を落とされたんだと理解するだろう。
将来は、「非武装中立」「自衛隊反対」などと唱える左翼日本人が増えるような仕組みになっている。
歴史教科書は、そのための教則本なのだ。
まず、ウソはいけない。
京都は爆撃されたのだ。
昭和20年の1月16日、東山区などが被害を受けている。
その後も爆撃は続き、合計で20回を超える空襲により、死者302人、負傷者561人が記録されている。
無論、文化財も被害を受けた。
それでも、東京や大阪に比べれば被害は少なかったと言える。そこで生まれたのが、
怪しげな「米国は文明国であり、京都には日本の文化財がたくさん残っているので、それを惜しんだ」というような解説である。
そういえば、東京裁判の原告も「文明」であった。
連合国は、よほど文明という言葉がお好きなようだ。
しかし、この分厚い『資料 マンハッタン計画』に目を通しても、文化財の保護などというレベルの話題は出てこない。
第一、普通の米国人は、日本の文化財に興味など示さない。
「日本人は米国の文化に興味を持っているから、米国人も日本の文化に興味を持っているはずだ」
というのは、人のいい日本人の思い込みに過ぎない。
彼らの関心は、主に自国と欧州(ロシア含む)なのだ。
日本に関心を寄せる米国人は、ごく少数派にすぎない。
まず、日本が原爆投下の対象になるのは、昭和18年5月5日。
つまり、ガダルカナルを撤退し、山本五十六長官が戦死し、アッツ島で日本軍が全滅したころである。
『資料 マンハッタン計画』にある同日付けの資料135「軍事政策委員会政策会議」には、
「最初の爆弾の投下地点について意見が交わされたが、最適の投下地点はトラック港に集結している日本艦隊であろうというのが大方の意見のようであった。
スタイアー将軍が東京を挙げた。
(中略)
日本人が選ばれたのは、彼らが、ドイツ人と比較して、この爆弾から知識を得る公算は少ないと見られるからである」
と記録されている。
原爆実験の日が近づき、具体的に原爆投下目標を決めることになった昭和20年4月27日付けの資料146「目標検討委員会初回会議覚書」では、次のように現実的な対象が検討されてくる。
「広島は、第21爆撃司令部の順位リストには載っていないが、これまで爆撃を受けていない最大の目標である。
この都市について検討を行うべきである」
「前掲の17地域のうち、すでに破壊された地域を除外すべきである」
このあたりから京都と広島がクローズアップされてくる。
東京などは、すでに瓦礫の山だったから、かえって、原爆投下の目標にはならなかった。
昭和20年5月12日付けの資料151「目標検討委員会第2回会議の要約」では、次のように京都と広島がAAクラス(最優先)の目標とされる。
「京都、この目標は、人口100万を有する都市工業地域である。
それは、日本のかつての首都であり、他の地域が破壊されていくにつれて、現在では、多くの人々や産業がそこへ移転しつつある。
心理的観点から言えば、京都は日本にとって知的中心地であり、そこの住民は、この特殊装置のような兵器の意義を正しく認識する可能性が比較的に大きいという利点がある」
要するに、原爆を投下されても、それが、たとえば“天変地異”とか“小惑星の衝突”などと思われてはいけないのである。
ちゃんと米軍による新型爆弾であると認識するだけの知的レベルがなくては困るというのだ。
広島については、次のように分析している。
「広島、ここは、陸軍の重要補給基地であり、また、都市工業地域の中心に位置する物資積み出し港である。
広島はレーダーの格好の目標であり、広い範囲にわたって損害を与えることのできる程度の広さの都市である。
隣接して丘陵地があり、それが、爆風被害をかなり大きくする集束作用を生むであろう。
川があるので、焼夷弾の目標としては適当ではない」
たしかに、東京書籍の言う“軍都”に関係しそうな表現もあるが、それよりも、原爆の効果を見るのにちょうどいいというのが選定理由になっている。
さらに駄目押しが続く。
「京都は、住民の知的レベルが高く、したがって、この兵器の意義を正しく認識する能力が比較的に高いという利点がある。
広島は、広域にわたって破壊しうる規模の広さをもち、付近に丘陵地があるため、[爆風の]集束作用が得られる可能性があるという利点をもっている」。
“軍都”は利点とされていない。
ところで、京都は、それまで空襲が少なかったことが、かえってあだとなり、原爆の第一目標にされてしまった。
京都の原爆計画については、立命館国際平和ミュージアムの常設展示案内「京都原爆投下計画」に投下予定の地図が掲載されている。
そもそも、どういう基準で投下目標が決定されたのか。
昭和20年5月31日付けの資料171「暫定委員会会議覚書」には、次のような記録がある。
「さまざまな目標およびもたらされる効果について大いに議論したあと、長官が次のような結論を下し、これに全員が同意した。
日本側に事前の警告を与えることはできない。
民間地域を集中攻撃目標にすることはできない。
ただし、可能なかぎり多数の住民に深刻な心理的効果を与えるようにすべきである。
長官は、コナント博士の提案を受けて、最も望ましい目標は、多数の労働者を雇用し、かつ、労働者住宅にぎっしりと囲まれている基幹軍需工場であろうという点で同意した」
前半の「民間地域を集中攻撃目標にすることはできない」は建て前で、
後半の「最も望ましい目標は、多数の労働者を雇用し、かつ、労働者住宅にぎっしりと囲まれている基幹軍需工場」が本音ということだろう。
本音と建て前が、ちゃんと使い分けられている。
京都を救ったのは、スチムソン陸軍長官であった。
スチムソンは、日本に対して、それなりの認識をもっている軍人であった。
昭和20年7月2日付けの資料198「スチムソンからトルーマン大統領にあてた覚書」には、次のような記述がある。
「私の考えでは、日本は、そのような危機にさいしては、米国の現今の新聞、その他の論評が指摘しているよりもはるかに理性に従う国である。
われわれとまったく異なった心理をもつ狂信者だけが集まってできている国ではない。
それどころか、日本は、きわめて知的な国民をもっていることを過去一世紀足らずで実証したのであり…」
マスコミの論評に劣悪なものが多いことは、日本も米国も同じである。
しかし、スチムソンは、マスコミに影響されることなく、前述のように自分なりの考え方を持っている軍人であった。
昭和20年6月30日付けの資料209「グローヴズからマーシャル陸軍参謀総長にあてた覚書」には、
「京都も選ばれましたが、同市は、陸軍長官の指令により、原子核分裂爆弾のみならず、すべての爆撃の目標候補地から除外されました」
と記述されている。
6月末の時点で、ようやく京都は投下目標からはずされたのだ。
ただし、グローヴズらは京都への原爆投下を諦めたわけではなく、別の本で次のように書いている。
「私はとくに目標としての京都に執着を覚えたのだが、それは既述のように、われわれが原爆諸効果の完全な知識を入手するためにはまたとない広さを持っていたからである。
この点、広島のほうはそれほど理想的とはいえなかった。
目標委員会の全員が、京都こそは日本のもっとも重要な軍事目標の一つだときめていたように、私もまたそれをきわめて強く感じていた。
したがって、その後も機会あるごとに私は京都を目標に包含するよう力説してやまなかった」
米国の恐ろしい本音が語られている。
彼らにとって、京都はまさに“理想的”な投下目標だったのだ。
こんな状況だから、スチムソンはトルーマン大統領の心変わりが心配だったらしく、その後もトルーマンの説得を続けている。
資料204「スチムソン日記(抄)」には、昭和20年7月24日付けで次の記述がある。
「S-1計画について、さらにひと言ふた言話し合ったが、私は大統領に対し、提案されている目標のなかの一つを除外すべきであると私が考える理由を再び述べた。
大統領は、この問題について大統領自身の賛成の考えを、この上なく力をこめて繰り返し述べた。
私が、もし除外しない場合には、そのようなむちゃな行為は反感を招き、
戦後、長期にわたってその地域で日本人に、ロシア人に対してではなく、むしろわれわれに対して友好的な感情をもたせることが不可能になるのではないか、と提言したところ、大統領は、とくに力をこめてこれに賛同した」
スチムソンのきわめて政治的な配慮によって、京都は救われたのである。
彼の言うように、天皇に関係の深い、古くからの都を原爆で破壊すれば、日本人の怒りは広島以上に根強く残り、その後の占領政策や日米関係に少なからぬ影響を与えたかもしれない。
7月24日の時点で、残された原爆投下目標は、広島、小倉、新潟、長崎であった。
同日付けの資料221「一般参謀部J.N.ストーン大佐からH.H.アーノルド陸軍航空隊総司令官にあてた覚書」には、次のように記されている。
《b 広島、小倉、新潟および長崎が目標として選ばれている。
(1)広島(人口35万)は、「陸軍」の都市で、主要船積み港である。
大規模な兵站・補給施設や、かなりの規模の工業といくつかの小規模な造船所がある。
(2)長崎(人口21万)は、九州の海運・工業の中心地である。
(3)小倉(人口17万8000)には、最大の陸軍兵器廠・軍需品工場の一つがあり、九州で最大の鉄道工場がある。また、南方に大規模な軍需物資保管施設がある。
(4)新潟(人口15万)は、工作機械、ディーゼルエンジン等を製造する重要工業都市であり、本州にとっての主要海運港である。
c 四市いずれにも、破壊された大都市から避難してきた日本の重要な実業家や政治家が多数いると考えられる。 》
この4つの都市の中でも、広島が最優先の投下目標に選ばれた理由は、もう一つある。7月31日付けの資料225「米国陸軍戦略航空隊司令部(グアム)から陸軍参謀総長あて(第1027号)」には、次のように記されている。
「捕虜の報告によれば、広島は、センターボード作戦の四目標都市のなかで、連合軍捕虜収容所がない唯一の都市である。指図を求める」
それに対する返答が、同日付けの資料226「一般参謀部H.M.パスコ中佐からスパーツ陸軍戦略航空隊(グアム)総指揮官あて(第3542号)」であり、次のように記されている。
「しかし、貴官が貴官の情報を信頼しうるものと考えるならば、広島を目標のなかで第一に優先すべきである。
当地で入手できる情報によれば、日本のほとんどすべての大都市には捕虜収容所がある模様。
挙げられた諸地域における的確な目標の選定にあたっては、捕虜収容所の位置を真剣に検討すること」
ということで、広島が選ばれた。捕虜収容所の有無こそ、直接的な理由だったのだ。
原爆が投下された8月6日付けの資料227「L.R.グローヴズ陸軍少将からマーシャル陸軍参謀総長にあてた覚書」には、次の記載がある。
「選ばれた目標は、捕虜収容所の存在を示す証拠がまったくない都市としてだた一つ指定された広島であった。
(中略)
戦闘機、対空砲火による攻撃ともに認められず、雲量10パーセント、目標の真上には雲のない部分が広く空いていた。高速度撮影によりすばらしい記録が得られた。
フィルムはまだ現像されていないが、他の観測機も良好な記録を得たと期待される」
米軍の関心事は、原爆投下前後の詳細な記録であった。
この覚書には
「作戦計画では、写真記録機三機を出して、爆弾投下から4時間後の目標を撮影することになっている」
と記載されている。
こうして、民間人を無差別大量に殺戮する悪魔の兵器、原子爆弾が投下されたのだが、民主主義の国、米国の国民にはどう説明されただろうか。
8月9日付けの資料235「トルーマン大統領のポツダム会談報告」によれば、トルーマンは米国民に対して次のように説明している。
「世界の人々は、最初の原爆が軍事基地の広島に投下されたことに注目するでしょう。
それは、この最初の攻撃において、可能なかぎり民間人の殺戮を避けたいと思ったからであります。
しかし、その攻撃は、このあとに起こる事態を警告するものにすぎません。
もし日本が降伏しなければ、軍需産業施設に爆弾を投下せざるをえず、不幸なことながら、何千もの民間人の生命が失われることになるでしょう。
私は、日本の民間人に、ただちに工業都市から脱出し、破壊から身を守るよう強く勧めます」
偽善者、鉄面皮とは、まさにトルーマンのような人間を指して言うのだろう。
自国民であろうと、平気で欺いている。
「可能なかぎり民間人の殺戮を避けたい」
などと思う人間が、原爆の投下を命じるものか。
トルーマンの言い訳はまだ続く。
「われわれは、予告なしにパールハーバーでわれわれを攻撃した者たちに対して、また、米国人捕虜を餓死させ、殴打し、処刑した者たちや、戦争に関する国際法規に従うふりをする態度すらもかなぐり捨てた者たちに対して原爆を使用したのであります。
われわれは、戦争の苦悶を早く終わらせるために、何千何万もの米国青年の生命を救うためにそれを使用したのであります」
当然ながら、トルーマンは心ある米国人からは非難された。
その一つが、米国キリスト教会全国評議会事務局長のサミュエル・マクリア・カヴァート氏からの非難の手紙である。
8月11日付けの資料239「トルーマン大統領からS.M.カヴァート米国キリスト教会全国評議会事務局長にあてた書簡」では、トルーマンは次のように弁明した。
「私は、原子爆弾の使用のことで、だれにもまして心乱れる思いをしていますが、しかし、日本人による許しがたいパールハーバー攻撃と米国人捕虜の殺害のことで痛く心を傷つけられました。
彼らが理解していると思われる唯一のことばは、われわれが、彼らを攻撃するために用いてきたことばです。
畜生を相手にしなければならないときには、相手を畜生として扱わなければなりません。
それはまことに悲しむべきことではありますが、にもかかわらず、真実なのです」
予定では、真珠湾攻撃の30分前に手渡すことになっていた宣戦布告の通知。
その通知は、日本の外務省と大使館員の怠慢によって、真珠湾攻撃に間に合わなかった。
そのことをいつまでも利用される。
思うに、日本の役人というのは、つくづく“善人”である。
その“善人”が、トルーマンやルーズベルトのような“悪人”に手玉に取られる。
そんな情景を思い浮かべてしまう。
トルーマンが「軍事基地の広島」と呼んだ一方で、昭和21年に公刊された英国調査団報告書『広島および長崎に投下された原子爆弾の効果』では、広島は次のように紹介されている。
「1945年8月6日午前8時少し過ぎ、高度3万フィートで飛行する米国のスーパーフォレスト[B-29]一機が日本の商業都市広島の上空で原子爆弾を一発投下した」
英国は広島を「商業都市」と表現している。
東京書籍とトルーマンは「軍都」「軍事基地」と表現した。
要は、表現上のことだから、その立場に応じて、なんとでも言えるのだ。
◇悲運の長崎
いくら東京書籍やトルーマンでも、長崎までは“軍都”と呼ばないだろう。
原爆投下目標に長崎が浮上してきた理由は定かではない。
『資料 マンハッタン計画』には、次のようなファレル将軍の回想を掲載している。
「私はグローヴズに代わって長崎は大きな爆弾のための大きさがないからまずいと反対した。
その都市は細長くて二つの山の間にあり、爆弾の爆発効果が発揮されないと言った。
またここはこれまでに数回にわたってひどく爆撃が行われており、原爆の効果測定のためにもまずいと言った」
実際の原爆投下でも、本来の目標は小倉であった。
ただ、現地が曇り空であったため、爆撃機は投下を諦めて長崎に向かった。
長崎上空も曇り空であったが、たまたま雲の切れ目があったので投下されてしまった。
その爆撃機は、もう少しで燃料切れを心配して引き返すところだったという。
痛恨の「雲の切れ目」であった。
■もし京都に原爆が落とされていた……
転載元 chakuwiki
wiki.chakuriki.net/index
◇もし京都に原爆が落とされていたら
京都市は当初原爆投下の第一目標でした。
しかし、スチムソンらの反対によって投下目標からはずされました。仮に投下目標からはずされずに京都に原爆が落とされていたら…
1.京都市民は広島&長崎を上回るトラウマを背負う(文化財が全滅したため) 市民は広島の数十倍位アメリカを恨んでいるだろうな…。
京都にアメリカゆかりの人物立ち入り禁止とか…。
多分反米国家になるんだろうな…。
2.日本の観光に大打撃。
代わって奈良が「心のふるさと」のトップに。
京都市ではなく、奈良市が政令指定都市になっていた。
3.周囲を山に囲まれているため、衝撃波の反射で京都市内が壊滅。
市民の大半が死亡することに(70万人くらいかな?)
大規模な火災によって京都盆地が焼け野原に。
4.高御座など皇室関係のものが壊滅するため、天皇制は維持できなくなって廃止。
適当に復元すると思う、でも平成の天皇即位はどうなった!?
御所なんか何度も焼けてるし、三種の神器も何度か熔けてる。
毎度、復元しておしまい。
その頃の宮内庁にその様な寛容さがあったかどうか……
高御座などは皇居に復元されていた。
5.鴨川には死者の山が… 死体が下流に流れ(以下自粛)
6.戦後、御所の跡地は平和記念公園に。
7.京町家を活かしたカフェやお店は当然ない。
創業数百年以上という老舗も壊滅している。
8.現在は整然とした近代都市になっている。
ただし平和記念公園以外には目立った観光地はない。
人口がもっと多かったかも。
イメージとしては、名古屋みたいになるのか?
いや、人口は奈良市より下になっている可能性がある。
9.東京裁判で、ブチ切れた戦犯たちがアメリカを「文明の破壊者」と糾弾。
以後アメリカへの禁句となる。
で、現代に入りユネスコが「京都の原爆攻撃はアメリカによる文明破壊」と発表、
京都市民の支持を得る。
東京裁判以前に8月15日の終戦自体なかったのでは?
「日本とアメリカ、どちらかの国民が一人残らず死ぬまで続く民族絶滅戦争」
を叫んで本土決戦に突入
→日本の全国民による自爆突撃
→日本全土に原爆による徹底した絨毯爆撃
→国土もろとも日本完全破壊
→破壊されつくした日本列島の米軍演習場&実験場化、
という経過をたどっていたことでしょう。
↑の段階で台湾と朝鮮に放射能被害が及び、この影響でこれら地域での反米感情が高まり、史実で共産化しなかった台湾と朝鮮南部も共産化する。
また、香港に日本亡命政府ができる。
アジアのほとんどが反米共産化しそうだな。
アメリカは多くの国を敵に回し、冷戦に負けていたかも知れない
10.京都・広島・長崎の反核兵器連合が結成される。
京都のあまりの反米ぶりに広島と長崎がドン引き。
とりあえず親米的な書籍・文庫・新聞は焚書される、産経新聞も例外ではない。
右翼だろうが左翼だろうが中道だろうが親米な識者は迫害&弾圧される。
原爆投下を容認また肯定するような立場をとろうものなら、命の保障は無い。
核武装にも真っ向から反対する。
核保有国の都市とは姉妹都市提携を結ばない。
いや、本気でぶち切れて核武装への機運が高まるかも。
11.大津や宇治の文化財が重要視される。
12.なんだかんだで、いくつかの建物は復元される。
金閣寺、清水寺、龍安寺、桂離宮など、山沿いの寺が優先的に復元される。
13.梅小路蒸気機関車館は存在しない。
実際に競合となった小山市に「小山蒸気機関車館」が出来ていた。
14.照準点は二条城か京都御所かな?
ほかに目印になりそうな施設は無いし。
実際には梅小路機関区の転車台が照準点になっていた。
上京区全滅ですな。
梅小路なら下京区でしょ…
米軍の想定では四条烏丸、二条駅、桂川、伏見稲荷、東山七条といったところ(爆心から半径約2キロ)まで壊滅することになっていた。
落とされた場所によっては、大阪にもその核の炎は影響していた。
15.皇族の方々や公家の中にも死者が……
いや、皇族華族はほとんどが東京移住しているから、可能性は薄いと思う。
可能性があるのは冷泉伯爵家と同子爵家くらい。
16.京都に来たアメリカ人観光客が現地人にどこから来たと聞かれた場合。
素直にアメリカから来たと言う
→リンチ。
とりあえずカナダから来たとウソをつく
→スルー。
17.京都地獄変
18.そして広島の影が薄くなる
19.京都人にとっての「先の戦争」が「応仁の乱」じゃなくなる。
20.テレビゲームの認知度、普及率は一部の機械オタクに留まる。
もちろんあの配管工兄弟や緑のバンダナ剣士、ピンクボールは存在しない。
21.同時多発テロの後、某漫画家のお株がますます上がる。
上がらないでしょう、核武装を肯定してたから。
22.何かと戦乱で焼失する事が多い京都だから、案外「また焼け野原か」で済まされたり・・・。
23.景観条例は作られず、高層ビルが林立する。
24.「はだしのゲン」が物凄く反米的な内容になっている。
「アメ公は×××じゃけん!!」
「じゃけん」とは言わないのでは?
作中で元が母親を連れて旅行に行く場所は京都ではなくなる。
25.京都皇国は平和国と化していた。
26.京都議定書は沖縄議定書になっていた。
27.いくつもの仏教系の宗派が途絶えていたかも知れない。
28.さすがのアメリカ人も自己批判する傾向が強くなるかも。
29.京都原爆の予行演習で愛媛県新居浜市に爆弾が落とされた。
30.2016年の五輪開催都市に京都が立候補していた。
31.新快速は大阪から各駅停車になってたかも・・・
新快速は大阪どまり。
京都ではN40すらされていない113系や115系、挙句の果てにクモハ84(もちろん未更新)が走っている。
JR東西線が現実よりも早く開業し、片町線や関西本線も全線複線電化される。
新快速は尼崎からJR東西線に入り亀山方面に向けて運行されていた。
大阪から環状線に入って、関西本線から、草津線経由で湖西線だったかも。
さすがに京都までは快速運転では?
32.東海道新幹線は亀山・奈良経由で建設された。
大阪側のターミナルは天王寺になり、同駅が新大阪駅を名乗っていた。
新大阪駅からは四国新幹線が和歌山・徳島・高松・松山経由で熊本・長崎・佐世保へと延びていた。
京都へは名古屋で分岐する山陽新幹線が経由する。
33.京都の文化財が殆どなくなったため京都はご当地PRに困っていた(平和公園以外で)。
仕方なく地元のアニメ製作会社をプッシュする。
左京区はここに便乗してけいおん!の聖地である事をPRしていた。
京都でも敵派が増えるため任天堂は本社を大阪に移していた。
34.恐らく、やがて京都府と福知山県(県庁・福知山)に分裂している。
よって京都府は山城のみ。
一方福知山県は丹波・丹後・但馬で構成。
あれ、広島県や長崎県って戦後に分裂したんだっけ…。
35.京都市は大津市や奈良市の衛星都市となっていた
36.いくらなんでも京都に原爆が落こったくらいで衰退はしないと思うのは僕だけだろうか。
上記の通りにいくなら広島市より呉市か岡山市あたりが大都会になっていないとおかしいと思うんだけど。
長崎市より佐世保市のほうが発展しているはず。
J-CASTニュース 2014/8/ 7
広島原爆の日にあたる2014年8月6日、
作家の百田尚樹氏がツイッターで
「これを大虐殺と言わずしてなんと言う!
日本人は決して忘れてはならない」
と大勢の非戦闘員が犠牲になったことを改めて非難した。
その中で、「京都・奈良は文化遺産を守るために爆撃しなかった」といった説についても反論。
この説を信じる人を「マヌケな日本人」と罵倒。
この説を信じていた人は意外に多いようで、「信じてました」といったツイートをする人も相次いでいる。
「これを大虐殺と言わずしてなんと言う!
日本人は決して忘れてはならない」
日本のどこに原爆を投下するかについて、米国は、1945年の5月に開かれた目標選定委員会で、
(1)直径3マイル(4.8キロ)以上の広さで、大きな都市地域にある重要目標であること
(2)爆風が効率的にダメージを与えること
(3)1945年8月まで爆撃を受けなさそうなもの
といった候補地選定の基準を設定。
その結果、小倉、広島、横浜、新潟、京都の5都市が選ばれた。
京都は軍需産業もあることから有力な候補地だとされていた。
これらの都市については、原爆投下の効果を正確に測定するため、米軍の空爆は禁止されたという。
奈良は3条件を満たさなかったため、候補から外れた形だ。
百田氏のツイートでは、原爆投下を
「女性や子供を含む一般市民を一瞬にして10万人以上も殺した。
10万人以上である!
これを大虐殺と言わずしてなんと言う!
日本人は決して忘れてはならない」
と非難。その上で、
「アメリカは第二次世界大戦の時にも、
文化遺産を大切にし、京都や奈良を爆撃しなかったと思っているマヌケな日本人が沢山いる。
アメリカが京都を空襲しなかったのは原爆投下目標都市だったからだ。
京都が最終的に候補から外れたのは7月だ。
奈良を空襲しなかったのは、人口が少なかったからだ」
と主張した。
◇京都を候補地から外そうとする駆け引きは存在した
京都への原爆投下をめぐっては、新婚旅行で京都を訪れたことがあるスチムソン陸軍長官が反対し続けたことが広く知られている。
1945年5月の時点でスチムソン氏は、マンハッタン計画を指揮したグローヴス准将に対して京都を候補から外すように求めたが、グローヴス氏は京都の軍事的、産業的重要性から難色を示した。
その後スチムソン氏はトルーマン大統領にアプローチし、一度は京都が候補から外れた。
7月になってグローヴス氏は京都を再び候補に戻そうと試みたが、失敗に終わった。
つまり、百田氏がツイートしているように、
「京都が最終的に候補から外れたのは7月」
で、そのまま8月の終戦を迎えたために結果として大規模な空襲を逃れたというわけだ。
原爆投下については、米国内でも一部の科学者が反対したり、どこに投下するかなどをめぐり、様々な動きがあったりしたことが知られている。
長崎の原爆も、直前まで小倉に投下されるはずだった。
スチムソン氏らは、もし京都を原爆で破壊した場合、戦後の日本の復興に大きなマイナスとなり、日本をソ連寄りにする可能性があるということも心配していたようだ。
最終的にスチムソン氏が押し切ったことで、戦後、米国側から「京都については文化遺産に配慮した」という宣伝が積極的にされることになり、そうした「俗説」が定着することになったとみる向きもある。
なお、京都は45年1月から6月にわたって5回の空襲を受けており、奈良への空襲は数十回も行われている。
■原爆目標は京都、広島
転載元 芋太郎の広場
www.chukai.ne.jp/~masago/genbaku.html
ここでは、次の2つの問題について考えてみよう。
使用する文献は『資料 マンハッタン計画』(大月書店)。米国の原爆計画を網羅的に取り上げた第一級の資料集である。
問題
(1)「京都は、昔からの文化財がたくさんあるので、米軍の爆撃の対象にならなかった」
こんなせりふ、どこかで聞いたことはないだろうか。
私も以前に聞いた記憶があるのだが、誰が言っていたのか思い出せない。
何か根拠はあるのだろうか。
(2)「広島が被爆した原因は、広島が軍都だったせいだ」
全国の中学校では最もシェアの大きい、東京書籍の『新しい社会 歴史』では、181ページに次のように書いている。
《最後に、クラス全体の研究問題である「なぜ広島市が被爆都市となってしまったのか」を、みんなで考えました。
その原因の一つは、戦前の広島市が軍都として発展してきたことにあるということでした。》
「原因の一つ」という言葉とは裏腹に、
これ以外の原因はまったく示されていないから、生徒は、広島が軍都だったから、つまり軍事基地があったから原爆を落とされたんだと理解するだろう。
将来は、「非武装中立」「自衛隊反対」などと唱える左翼日本人が増えるような仕組みになっている。
歴史教科書は、そのための教則本なのだ。
まず、ウソはいけない。
京都は爆撃されたのだ。
昭和20年の1月16日、東山区などが被害を受けている。
その後も爆撃は続き、合計で20回を超える空襲により、死者302人、負傷者561人が記録されている。
無論、文化財も被害を受けた。
それでも、東京や大阪に比べれば被害は少なかったと言える。そこで生まれたのが、
怪しげな「米国は文明国であり、京都には日本の文化財がたくさん残っているので、それを惜しんだ」というような解説である。
そういえば、東京裁判の原告も「文明」であった。
連合国は、よほど文明という言葉がお好きなようだ。
しかし、この分厚い『資料 マンハッタン計画』に目を通しても、文化財の保護などというレベルの話題は出てこない。
第一、普通の米国人は、日本の文化財に興味など示さない。
「日本人は米国の文化に興味を持っているから、米国人も日本の文化に興味を持っているはずだ」
というのは、人のいい日本人の思い込みに過ぎない。
彼らの関心は、主に自国と欧州(ロシア含む)なのだ。
日本に関心を寄せる米国人は、ごく少数派にすぎない。
まず、日本が原爆投下の対象になるのは、昭和18年5月5日。
つまり、ガダルカナルを撤退し、山本五十六長官が戦死し、アッツ島で日本軍が全滅したころである。
『資料 マンハッタン計画』にある同日付けの資料135「軍事政策委員会政策会議」には、
「最初の爆弾の投下地点について意見が交わされたが、最適の投下地点はトラック港に集結している日本艦隊であろうというのが大方の意見のようであった。
スタイアー将軍が東京を挙げた。
(中略)
日本人が選ばれたのは、彼らが、ドイツ人と比較して、この爆弾から知識を得る公算は少ないと見られるからである」
と記録されている。
原爆実験の日が近づき、具体的に原爆投下目標を決めることになった昭和20年4月27日付けの資料146「目標検討委員会初回会議覚書」では、次のように現実的な対象が検討されてくる。
「広島は、第21爆撃司令部の順位リストには載っていないが、これまで爆撃を受けていない最大の目標である。
この都市について検討を行うべきである」
「前掲の17地域のうち、すでに破壊された地域を除外すべきである」
このあたりから京都と広島がクローズアップされてくる。
東京などは、すでに瓦礫の山だったから、かえって、原爆投下の目標にはならなかった。
昭和20年5月12日付けの資料151「目標検討委員会第2回会議の要約」では、次のように京都と広島がAAクラス(最優先)の目標とされる。
「京都、この目標は、人口100万を有する都市工業地域である。
それは、日本のかつての首都であり、他の地域が破壊されていくにつれて、現在では、多くの人々や産業がそこへ移転しつつある。
心理的観点から言えば、京都は日本にとって知的中心地であり、そこの住民は、この特殊装置のような兵器の意義を正しく認識する可能性が比較的に大きいという利点がある」
要するに、原爆を投下されても、それが、たとえば“天変地異”とか“小惑星の衝突”などと思われてはいけないのである。
ちゃんと米軍による新型爆弾であると認識するだけの知的レベルがなくては困るというのだ。
広島については、次のように分析している。
「広島、ここは、陸軍の重要補給基地であり、また、都市工業地域の中心に位置する物資積み出し港である。
広島はレーダーの格好の目標であり、広い範囲にわたって損害を与えることのできる程度の広さの都市である。
隣接して丘陵地があり、それが、爆風被害をかなり大きくする集束作用を生むであろう。
川があるので、焼夷弾の目標としては適当ではない」
たしかに、東京書籍の言う“軍都”に関係しそうな表現もあるが、それよりも、原爆の効果を見るのにちょうどいいというのが選定理由になっている。
さらに駄目押しが続く。
「京都は、住民の知的レベルが高く、したがって、この兵器の意義を正しく認識する能力が比較的に高いという利点がある。
広島は、広域にわたって破壊しうる規模の広さをもち、付近に丘陵地があるため、[爆風の]集束作用が得られる可能性があるという利点をもっている」。
“軍都”は利点とされていない。
ところで、京都は、それまで空襲が少なかったことが、かえってあだとなり、原爆の第一目標にされてしまった。
京都の原爆計画については、立命館国際平和ミュージアムの常設展示案内「京都原爆投下計画」に投下予定の地図が掲載されている。
そもそも、どういう基準で投下目標が決定されたのか。
昭和20年5月31日付けの資料171「暫定委員会会議覚書」には、次のような記録がある。
「さまざまな目標およびもたらされる効果について大いに議論したあと、長官が次のような結論を下し、これに全員が同意した。
日本側に事前の警告を与えることはできない。
民間地域を集中攻撃目標にすることはできない。
ただし、可能なかぎり多数の住民に深刻な心理的効果を与えるようにすべきである。
長官は、コナント博士の提案を受けて、最も望ましい目標は、多数の労働者を雇用し、かつ、労働者住宅にぎっしりと囲まれている基幹軍需工場であろうという点で同意した」
前半の「民間地域を集中攻撃目標にすることはできない」は建て前で、
後半の「最も望ましい目標は、多数の労働者を雇用し、かつ、労働者住宅にぎっしりと囲まれている基幹軍需工場」が本音ということだろう。
本音と建て前が、ちゃんと使い分けられている。
京都を救ったのは、スチムソン陸軍長官であった。
スチムソンは、日本に対して、それなりの認識をもっている軍人であった。
昭和20年7月2日付けの資料198「スチムソンからトルーマン大統領にあてた覚書」には、次のような記述がある。
「私の考えでは、日本は、そのような危機にさいしては、米国の現今の新聞、その他の論評が指摘しているよりもはるかに理性に従う国である。
われわれとまったく異なった心理をもつ狂信者だけが集まってできている国ではない。
それどころか、日本は、きわめて知的な国民をもっていることを過去一世紀足らずで実証したのであり…」
マスコミの論評に劣悪なものが多いことは、日本も米国も同じである。
しかし、スチムソンは、マスコミに影響されることなく、前述のように自分なりの考え方を持っている軍人であった。
昭和20年6月30日付けの資料209「グローヴズからマーシャル陸軍参謀総長にあてた覚書」には、
「京都も選ばれましたが、同市は、陸軍長官の指令により、原子核分裂爆弾のみならず、すべての爆撃の目標候補地から除外されました」
と記述されている。
6月末の時点で、ようやく京都は投下目標からはずされたのだ。
ただし、グローヴズらは京都への原爆投下を諦めたわけではなく、別の本で次のように書いている。
「私はとくに目標としての京都に執着を覚えたのだが、それは既述のように、われわれが原爆諸効果の完全な知識を入手するためにはまたとない広さを持っていたからである。
この点、広島のほうはそれほど理想的とはいえなかった。
目標委員会の全員が、京都こそは日本のもっとも重要な軍事目標の一つだときめていたように、私もまたそれをきわめて強く感じていた。
したがって、その後も機会あるごとに私は京都を目標に包含するよう力説してやまなかった」
米国の恐ろしい本音が語られている。
彼らにとって、京都はまさに“理想的”な投下目標だったのだ。
こんな状況だから、スチムソンはトルーマン大統領の心変わりが心配だったらしく、その後もトルーマンの説得を続けている。
資料204「スチムソン日記(抄)」には、昭和20年7月24日付けで次の記述がある。
「S-1計画について、さらにひと言ふた言話し合ったが、私は大統領に対し、提案されている目標のなかの一つを除外すべきであると私が考える理由を再び述べた。
大統領は、この問題について大統領自身の賛成の考えを、この上なく力をこめて繰り返し述べた。
私が、もし除外しない場合には、そのようなむちゃな行為は反感を招き、
戦後、長期にわたってその地域で日本人に、ロシア人に対してではなく、むしろわれわれに対して友好的な感情をもたせることが不可能になるのではないか、と提言したところ、大統領は、とくに力をこめてこれに賛同した」
スチムソンのきわめて政治的な配慮によって、京都は救われたのである。
彼の言うように、天皇に関係の深い、古くからの都を原爆で破壊すれば、日本人の怒りは広島以上に根強く残り、その後の占領政策や日米関係に少なからぬ影響を与えたかもしれない。
7月24日の時点で、残された原爆投下目標は、広島、小倉、新潟、長崎であった。
同日付けの資料221「一般参謀部J.N.ストーン大佐からH.H.アーノルド陸軍航空隊総司令官にあてた覚書」には、次のように記されている。
《b 広島、小倉、新潟および長崎が目標として選ばれている。
(1)広島(人口35万)は、「陸軍」の都市で、主要船積み港である。
大規模な兵站・補給施設や、かなりの規模の工業といくつかの小規模な造船所がある。
(2)長崎(人口21万)は、九州の海運・工業の中心地である。
(3)小倉(人口17万8000)には、最大の陸軍兵器廠・軍需品工場の一つがあり、九州で最大の鉄道工場がある。また、南方に大規模な軍需物資保管施設がある。
(4)新潟(人口15万)は、工作機械、ディーゼルエンジン等を製造する重要工業都市であり、本州にとっての主要海運港である。
c 四市いずれにも、破壊された大都市から避難してきた日本の重要な実業家や政治家が多数いると考えられる。 》
この4つの都市の中でも、広島が最優先の投下目標に選ばれた理由は、もう一つある。7月31日付けの資料225「米国陸軍戦略航空隊司令部(グアム)から陸軍参謀総長あて(第1027号)」には、次のように記されている。
「捕虜の報告によれば、広島は、センターボード作戦の四目標都市のなかで、連合軍捕虜収容所がない唯一の都市である。指図を求める」
それに対する返答が、同日付けの資料226「一般参謀部H.M.パスコ中佐からスパーツ陸軍戦略航空隊(グアム)総指揮官あて(第3542号)」であり、次のように記されている。
「しかし、貴官が貴官の情報を信頼しうるものと考えるならば、広島を目標のなかで第一に優先すべきである。
当地で入手できる情報によれば、日本のほとんどすべての大都市には捕虜収容所がある模様。
挙げられた諸地域における的確な目標の選定にあたっては、捕虜収容所の位置を真剣に検討すること」
ということで、広島が選ばれた。捕虜収容所の有無こそ、直接的な理由だったのだ。
原爆が投下された8月6日付けの資料227「L.R.グローヴズ陸軍少将からマーシャル陸軍参謀総長にあてた覚書」には、次の記載がある。
「選ばれた目標は、捕虜収容所の存在を示す証拠がまったくない都市としてだた一つ指定された広島であった。
(中略)
戦闘機、対空砲火による攻撃ともに認められず、雲量10パーセント、目標の真上には雲のない部分が広く空いていた。高速度撮影によりすばらしい記録が得られた。
フィルムはまだ現像されていないが、他の観測機も良好な記録を得たと期待される」
米軍の関心事は、原爆投下前後の詳細な記録であった。
この覚書には
「作戦計画では、写真記録機三機を出して、爆弾投下から4時間後の目標を撮影することになっている」
と記載されている。
こうして、民間人を無差別大量に殺戮する悪魔の兵器、原子爆弾が投下されたのだが、民主主義の国、米国の国民にはどう説明されただろうか。
8月9日付けの資料235「トルーマン大統領のポツダム会談報告」によれば、トルーマンは米国民に対して次のように説明している。
「世界の人々は、最初の原爆が軍事基地の広島に投下されたことに注目するでしょう。
それは、この最初の攻撃において、可能なかぎり民間人の殺戮を避けたいと思ったからであります。
しかし、その攻撃は、このあとに起こる事態を警告するものにすぎません。
もし日本が降伏しなければ、軍需産業施設に爆弾を投下せざるをえず、不幸なことながら、何千もの民間人の生命が失われることになるでしょう。
私は、日本の民間人に、ただちに工業都市から脱出し、破壊から身を守るよう強く勧めます」
偽善者、鉄面皮とは、まさにトルーマンのような人間を指して言うのだろう。
自国民であろうと、平気で欺いている。
「可能なかぎり民間人の殺戮を避けたい」
などと思う人間が、原爆の投下を命じるものか。
トルーマンの言い訳はまだ続く。
「われわれは、予告なしにパールハーバーでわれわれを攻撃した者たちに対して、また、米国人捕虜を餓死させ、殴打し、処刑した者たちや、戦争に関する国際法規に従うふりをする態度すらもかなぐり捨てた者たちに対して原爆を使用したのであります。
われわれは、戦争の苦悶を早く終わらせるために、何千何万もの米国青年の生命を救うためにそれを使用したのであります」
当然ながら、トルーマンは心ある米国人からは非難された。
その一つが、米国キリスト教会全国評議会事務局長のサミュエル・マクリア・カヴァート氏からの非難の手紙である。
8月11日付けの資料239「トルーマン大統領からS.M.カヴァート米国キリスト教会全国評議会事務局長にあてた書簡」では、トルーマンは次のように弁明した。
「私は、原子爆弾の使用のことで、だれにもまして心乱れる思いをしていますが、しかし、日本人による許しがたいパールハーバー攻撃と米国人捕虜の殺害のことで痛く心を傷つけられました。
彼らが理解していると思われる唯一のことばは、われわれが、彼らを攻撃するために用いてきたことばです。
畜生を相手にしなければならないときには、相手を畜生として扱わなければなりません。
それはまことに悲しむべきことではありますが、にもかかわらず、真実なのです」
予定では、真珠湾攻撃の30分前に手渡すことになっていた宣戦布告の通知。
その通知は、日本の外務省と大使館員の怠慢によって、真珠湾攻撃に間に合わなかった。
そのことをいつまでも利用される。
思うに、日本の役人というのは、つくづく“善人”である。
その“善人”が、トルーマンやルーズベルトのような“悪人”に手玉に取られる。
そんな情景を思い浮かべてしまう。
トルーマンが「軍事基地の広島」と呼んだ一方で、昭和21年に公刊された英国調査団報告書『広島および長崎に投下された原子爆弾の効果』では、広島は次のように紹介されている。
「1945年8月6日午前8時少し過ぎ、高度3万フィートで飛行する米国のスーパーフォレスト[B-29]一機が日本の商業都市広島の上空で原子爆弾を一発投下した」
英国は広島を「商業都市」と表現している。
東京書籍とトルーマンは「軍都」「軍事基地」と表現した。
要は、表現上のことだから、その立場に応じて、なんとでも言えるのだ。
◇悲運の長崎
いくら東京書籍やトルーマンでも、長崎までは“軍都”と呼ばないだろう。
原爆投下目標に長崎が浮上してきた理由は定かではない。
『資料 マンハッタン計画』には、次のようなファレル将軍の回想を掲載している。
「私はグローヴズに代わって長崎は大きな爆弾のための大きさがないからまずいと反対した。
その都市は細長くて二つの山の間にあり、爆弾の爆発効果が発揮されないと言った。
またここはこれまでに数回にわたってひどく爆撃が行われており、原爆の効果測定のためにもまずいと言った」
実際の原爆投下でも、本来の目標は小倉であった。
ただ、現地が曇り空であったため、爆撃機は投下を諦めて長崎に向かった。
長崎上空も曇り空であったが、たまたま雲の切れ目があったので投下されてしまった。
その爆撃機は、もう少しで燃料切れを心配して引き返すところだったという。
痛恨の「雲の切れ目」であった。
■もし京都に原爆が落とされていた……
転載元 chakuwiki
wiki.chakuriki.net/index
◇もし京都に原爆が落とされていたら
京都市は当初原爆投下の第一目標でした。
しかし、スチムソンらの反対によって投下目標からはずされました。仮に投下目標からはずされずに京都に原爆が落とされていたら…
1.京都市民は広島&長崎を上回るトラウマを背負う(文化財が全滅したため) 市民は広島の数十倍位アメリカを恨んでいるだろうな…。
京都にアメリカゆかりの人物立ち入り禁止とか…。
多分反米国家になるんだろうな…。
2.日本の観光に大打撃。
代わって奈良が「心のふるさと」のトップに。
京都市ではなく、奈良市が政令指定都市になっていた。
3.周囲を山に囲まれているため、衝撃波の反射で京都市内が壊滅。
市民の大半が死亡することに(70万人くらいかな?)
大規模な火災によって京都盆地が焼け野原に。
4.高御座など皇室関係のものが壊滅するため、天皇制は維持できなくなって廃止。
適当に復元すると思う、でも平成の天皇即位はどうなった!?
御所なんか何度も焼けてるし、三種の神器も何度か熔けてる。
毎度、復元しておしまい。
その頃の宮内庁にその様な寛容さがあったかどうか……
高御座などは皇居に復元されていた。
5.鴨川には死者の山が… 死体が下流に流れ(以下自粛)
6.戦後、御所の跡地は平和記念公園に。
7.京町家を活かしたカフェやお店は当然ない。
創業数百年以上という老舗も壊滅している。
8.現在は整然とした近代都市になっている。
ただし平和記念公園以外には目立った観光地はない。
人口がもっと多かったかも。
イメージとしては、名古屋みたいになるのか?
いや、人口は奈良市より下になっている可能性がある。
9.東京裁判で、ブチ切れた戦犯たちがアメリカを「文明の破壊者」と糾弾。
以後アメリカへの禁句となる。
で、現代に入りユネスコが「京都の原爆攻撃はアメリカによる文明破壊」と発表、
京都市民の支持を得る。
東京裁判以前に8月15日の終戦自体なかったのでは?
「日本とアメリカ、どちらかの国民が一人残らず死ぬまで続く民族絶滅戦争」
を叫んで本土決戦に突入
→日本の全国民による自爆突撃
→日本全土に原爆による徹底した絨毯爆撃
→国土もろとも日本完全破壊
→破壊されつくした日本列島の米軍演習場&実験場化、
という経過をたどっていたことでしょう。
↑の段階で台湾と朝鮮に放射能被害が及び、この影響でこれら地域での反米感情が高まり、史実で共産化しなかった台湾と朝鮮南部も共産化する。
また、香港に日本亡命政府ができる。
アジアのほとんどが反米共産化しそうだな。
アメリカは多くの国を敵に回し、冷戦に負けていたかも知れない
10.京都・広島・長崎の反核兵器連合が結成される。
京都のあまりの反米ぶりに広島と長崎がドン引き。
とりあえず親米的な書籍・文庫・新聞は焚書される、産経新聞も例外ではない。
右翼だろうが左翼だろうが中道だろうが親米な識者は迫害&弾圧される。
原爆投下を容認また肯定するような立場をとろうものなら、命の保障は無い。
核武装にも真っ向から反対する。
核保有国の都市とは姉妹都市提携を結ばない。
いや、本気でぶち切れて核武装への機運が高まるかも。
11.大津や宇治の文化財が重要視される。
12.なんだかんだで、いくつかの建物は復元される。
金閣寺、清水寺、龍安寺、桂離宮など、山沿いの寺が優先的に復元される。
13.梅小路蒸気機関車館は存在しない。
実際に競合となった小山市に「小山蒸気機関車館」が出来ていた。
14.照準点は二条城か京都御所かな?
ほかに目印になりそうな施設は無いし。
実際には梅小路機関区の転車台が照準点になっていた。
上京区全滅ですな。
梅小路なら下京区でしょ…
米軍の想定では四条烏丸、二条駅、桂川、伏見稲荷、東山七条といったところ(爆心から半径約2キロ)まで壊滅することになっていた。
落とされた場所によっては、大阪にもその核の炎は影響していた。
15.皇族の方々や公家の中にも死者が……
いや、皇族華族はほとんどが東京移住しているから、可能性は薄いと思う。
可能性があるのは冷泉伯爵家と同子爵家くらい。
16.京都に来たアメリカ人観光客が現地人にどこから来たと聞かれた場合。
素直にアメリカから来たと言う
→リンチ。
とりあえずカナダから来たとウソをつく
→スルー。
17.京都地獄変
18.そして広島の影が薄くなる
19.京都人にとっての「先の戦争」が「応仁の乱」じゃなくなる。
20.テレビゲームの認知度、普及率は一部の機械オタクに留まる。
もちろんあの配管工兄弟や緑のバンダナ剣士、ピンクボールは存在しない。
21.同時多発テロの後、某漫画家のお株がますます上がる。
上がらないでしょう、核武装を肯定してたから。
22.何かと戦乱で焼失する事が多い京都だから、案外「また焼け野原か」で済まされたり・・・。
23.景観条例は作られず、高層ビルが林立する。
24.「はだしのゲン」が物凄く反米的な内容になっている。
「アメ公は×××じゃけん!!」
「じゃけん」とは言わないのでは?
作中で元が母親を連れて旅行に行く場所は京都ではなくなる。
25.京都皇国は平和国と化していた。
26.京都議定書は沖縄議定書になっていた。
27.いくつもの仏教系の宗派が途絶えていたかも知れない。
28.さすがのアメリカ人も自己批判する傾向が強くなるかも。
29.京都原爆の予行演習で愛媛県新居浜市に爆弾が落とされた。
30.2016年の五輪開催都市に京都が立候補していた。
31.新快速は大阪から各駅停車になってたかも・・・
新快速は大阪どまり。
京都ではN40すらされていない113系や115系、挙句の果てにクモハ84(もちろん未更新)が走っている。
JR東西線が現実よりも早く開業し、片町線や関西本線も全線複線電化される。
新快速は尼崎からJR東西線に入り亀山方面に向けて運行されていた。
大阪から環状線に入って、関西本線から、草津線経由で湖西線だったかも。
さすがに京都までは快速運転では?
32.東海道新幹線は亀山・奈良経由で建設された。
大阪側のターミナルは天王寺になり、同駅が新大阪駅を名乗っていた。
新大阪駅からは四国新幹線が和歌山・徳島・高松・松山経由で熊本・長崎・佐世保へと延びていた。
京都へは名古屋で分岐する山陽新幹線が経由する。
33.京都の文化財が殆どなくなったため京都はご当地PRに困っていた(平和公園以外で)。
仕方なく地元のアニメ製作会社をプッシュする。
左京区はここに便乗してけいおん!の聖地である事をPRしていた。
京都でも敵派が増えるため任天堂は本社を大阪に移していた。
34.恐らく、やがて京都府と福知山県(県庁・福知山)に分裂している。
よって京都府は山城のみ。
一方福知山県は丹波・丹後・但馬で構成。
あれ、広島県や長崎県って戦後に分裂したんだっけ…。
35.京都市は大津市や奈良市の衛星都市となっていた
36.いくらなんでも京都に原爆が落こったくらいで衰退はしないと思うのは僕だけだろうか。
上記の通りにいくなら広島市より呉市か岡山市あたりが大都会になっていないとおかしいと思うんだけど。
長崎市より佐世保市のほうが発展しているはず。