塩ジイの告別式、
かつての『小泉劇場』に熱狂した者の一人として、小泉の弔辞に思わず貰い泣きした。
だが、今にして思えば……
転載元 細川一彦のオピニオンサイト
■「第二の敗戦」からの復興
2001.1.24
平成10年ごろ、「第二の敗戦」という言葉が頻繁に使われた。
日本はアメリカとの「日米経済戦争」に負けた。
これは、大東亜戦争の敗戦に続く第二の敗戦だという意味である。
●「第二の敗戦」とは
平成5年(1993)、大統領に就任したクリントンは、日本を「敵国」と名指しで表現した。
以来、クリントン政権は、米国資本の意志を受けて、我が国への激しい経済的・外交的攻撃をかけてきました。
そして、グローバル・スタンダードという名の下に、アメリカ主軸の世界を築くための戦略をもって、「経済戦争」を展開してきた。
その約5年後、平成10年(1998)、日本はもろくも、この戦いに敗れた。
当時のわが国の状態を
「経済敗戦の焼け跡に再び呆然と立ちつくすしかないかのようです」
と中西輝政京大教授は述べた。
(『諸君!』平成10年9月号)
そこへ、欧米の金融機関が押し寄せてきた。
廃業した山一証券をほぼそっくり買い取ったのは、米国の大手証券会社メリルリンチだった。
このほか、
シティ・トラベラーズ、J・P・モルガン、GEキャピタル等といった世界指折りの実力金融会社が続々と日本上陸を果たし、日本の銀行、証券会社などを掌中に収めつつある。
この状態は、半世紀前、大東亜戦争に敗れ、焦土と化した日本に、占領軍が進駐して各所を接収した時の再現のようである。
米国資本は、経済的に「焼け跡」と化した日本に乗り込み、日本人が戦後営々と築き上げてきた資産を、奪い取ってきたのである。
しかも、これはただ奪うだけではない。
米国は、日本の富を吸い上げ続ける構造をつくりあげたからである。
この構造を、石原慎太郎氏は「米国は日本を金融奴隷として使役しようとしている」と述べている。
(『宣戦布告 NOと言える日本経済』光文社)。
まさに日本人は、自らの富をアメリカに吸い上げられる「金融奴隷」のような状態になっているのである。
●プラザ合意と超低金利政策
一体、こうなった原因は何か?
冷戦下の1980年代、ソ連の増大する軍事力が西側諸国に大きな脅威となっていた。
これに対抗するため、アメリカのレーガン大統領は、強力な軍事力をつくりあげる政策を打ち立て、その経済的分担を、日本に要求した。
そして、アメリカの軍事力と日本の経済力が合体することにより、ソ連の経済を行き詰まらせ、遂に共産主義体制の崩壊を引き起こすことに成功した。
共産主義の克服と世界平和の実現に向けて、日米はこうした役割を果たしたのである。
しかし、これは日本にとって、日本経済が、アメリカ経済に構造的に組み込まれる過程だった。
その組み込みをもたらしたものが、昭和60年(1985)9月のプラザ合意である。
プラザ合意とは、軍拡競争でソ連を破ろうというアメリカの世界戦略に、先進国が経済面で協力する約束である。
ドル安取られ、1ドル240円台から140円台へと円高になった。
これによって、日本はアメリカの財政赤字を支え、アメリカは日本に支えさせることによって、繁栄し続けるという構造ができた。
その後、日本の公定歩合は常にアメリカより3%低い所に設定されてきた。
国際経済研究家の吉川元忠氏は、次のように述べている。
「この金利差によって、日本の生命保険会社などの機関投資家がアメリカの国債を買い、アメリカの貿易赤字と財政赤字が埋められ、ドルも買い支えられる、という構図である。
この構図にしたがって、87年10月から、89年5月まで、2年3ヶ月にわたって、日本は2.5%という超低金利政策をとった。
当時、GDP成長率は5%に達していた。
国内経済を考えれば、金利を上げて、景気の過熱を防ぐべき所だ。
しかし超低金利は放置され、過剰な資金が株や土地に向かって、空前のバブルを引き起こしたのである」
(『マネー敗戦』文春新書)
●内需拡大と市場開放
経済学者の飯田経夫氏は、次のように分析している。
「レーガノミックス以降のアメリカは、『供給力』を上回る国内需要を放置し、そのギャップを貿易赤字で埋めるという、まったく『規律』もしくは『節度』を欠くマクロ経済運営に終始していた。
そしてアメリカは、みずからの経済運営を反省する代わりに、不当にも批判の矛先を日本へ向けた。
そのひとつが、日本への『内需拡大』要求であり、もうひとつが『市場開放』(のち『規制緩和』)要求にほかならない」
(『日本の反省』PHP新書)
こうしたアメリカの要求に応じて、内需拡大・市場開放の大合唱が国内に沸き上がった。
その中で昭和61年(1986)4月に「前川レポート」が出された。
対米貿易黒字を反省し、内需拡大・市場開放に努力して、黒字減らしを行おうという趣旨である。
日本の経済力を脅威と感じていたアメリカは、日本の経済力を利用して、自国の国益を実現する仕組みを考えた。
それが生み出したものが、仕掛けられたバブル経済だった。
そして、バブルとその崩壊こそは、戦後日本の最大のつまづきとなった。
吉川元忠氏は次のように述べている。
「あるシンク・タンクの推定によれば、89年から92年にかけて、株式の時価総額420兆円、
土地等の評価額380兆円が減少したという。
この金融資産のロス、計800兆円は、国富の11.3%に相当し、第二次大戦での物的被害の対国富率、約14%にせまる数字である」
(「マネー敗戦」文春新書)
「第二の敗戦」とは、単なるたとえではないのである。
国富の損失という点では、まさに敗戦に匹敵する出来事なのである。
●仕掛けられた経済戦争
平成元年(1989)11月、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が取り払われ、続いて平成3年(1991)までに、ソ連・東欧で共産主義政権が軒並み崩壊した。
これにより、ソ連の脅威はなくなった。
その後、アメリカにとっての最大の脅威は、日本の経済力だった。
日本の高い技術力と、強い輸出力が、アメリカ経済を圧迫していたからである。
ここに、日米の経済摩擦は、新たな段階に入った。
「日米経済戦争」が仕掛けられたのである。
しかし、それは既に、昭和60年(1985)のプラザ合意の時に始まっていたと見ることができる。
そして、アメリカの主張する「内需拡大のよる貿易黒字削減」に従い、国内経済の安定よりも、アメリカの貿易赤字と財政赤字を埋め、ドルを支える事を優先した結果がバブルだったのである。
バブルの崩壊は、日本経済に甚大な影響をもたらした。
その後、日本は「平成大不況」あるいは「平成恐慌」といわれる経済危機に陥っている。
そして、そこから容易に抜け出せないでいる。
「第二の敗戦」は、アメリカの戦略に乗せられ、敗れるべくして敗れた、第二の大東亜戦争だったのである。
●追い討ち
バブルの崩壊後、容赦なく追い討ちをかけたのは、米国のヘッジファンド等の計略だった。
彼等によって、韓国やASEAN諸国は、壊滅的な打撃を受けた。
深刻な政情不安に陥った国もあった。
これは、アジアに膨大な資本輸出をしてきた日本にとっても大打撃となった。
1990年代から急速に進展してきた情報技術革命のなかで、日本から吸い上げる冨によって、財政を支えるアメリカは、大規模な予算を投じて、IT革命を推進している。
一方、日本は欧米に大きく遅れをとっている。
アメリカに対し、日本は10~20年の遅れがあるとも言われる。
かつて、日本の経済力に反発して、アメリカでは Japan bashing が行われた。
しかし、今では、Japan nothing といわれる。
つまり、日本はもはや競争相手として、眼中にないような存在に成り下がっているのである。
このまま、なすすべなく過ごせば、わが国は、一層、国際社会での地位を失っていくだろう。
大東亜戦争の敗北によって、日本は、軍事・食糧・エネルギーにおいて、アメリカへの従属構造に置かれた。
さらに今日においては、経済・金融においても、対米従属構造に、ほぼ完全に組み込まれつつある。
●日本精神の復興を
アメリカ人で日本で事業を行っているビル・トッテン氏は、次のように述べている。
「究極の疑問は、日本経済が自国の企業や国民のためにあるのか、それとも外国の、特に米国の経営者や政府のためにあるのかということである。
日本はこれまで自国の国粋主義の再燃を慎重に避けてきたが、現実は米国主導の国粋的な世界金融秩序の波に飲み込まれることになったのではないだろうか」
国際社会において、自国の主張を述べ、自国の国益を追求できない、戦後日本人の意識のあり方が、日本の「第二の敗戦」をもたらしたのである。
その背景には、戦後日本の制度・機構の問題がある。
戦後体制を支える二つの柱は、日本国憲法と東京裁判史観である。
つまり、大東亜戦争の敗戦によって、占領期にかせられた憲法と歴史観が、「第二の敗戦」をもたらしたのである。
これら二つこそ、私たちが克服すべきターゲットである。
そして、一個の独立国として、国家と国民の意識を回復することが必要である。
それなくしては、アメリカをはじめ、他のまっとうな国々に伍していくことはできない。
まして、かつては「後進国」と呼ばれていた国々が、急速な勢いで経済発展をしてきている。
いまや世界は大競争時代といわれているのである。
日本再生のためには、精神面からの改革が求められる。
そのためには、戦後失われている日本精神を取り戻すことが必要である。
国民が日本精神を取り戻すことなくして、制度・機構の改革は推進できない。
日本人が日本精神を取り戻すこと、それが最も重要な課題である。
■アメリカによる日本改造と小泉構造改革
2005.6.16
●国民に隠されてきた「年次改革要望書」
現在、わが国は、日米経済戦争において「第二の敗戦」の最終局面に入りつつある。
平成10年(1998)頃にいわれた「第二の敗戦」は、まだ負け始めの過程にすぎなかった。
しかし、政府は、その事実や原因、経過を国民に知らせようとしていない。
大東亜戦争の時、わが国はミッドウェー海戦で惨敗して以降、戦局は悪化していく一方だった。
ガダルカナル、マリアナ、レイテと負け続け、サイパン、硫黄島、沖縄までが落ちた。
B29による本土空襲は、首都東京を始め60余りの都市に及んだ。
それなのに、政府は虚偽の大本営発表を繰り返し、事実を国民に伝えなかった。
国民は実態を知らないまま、かつてない敗戦を迎えた。
今日のわが国は、大東亜戦争中と違い、言論の自由が保障されており、メディアも発達している。
だが、マスコミは積極的に、国民に危機の実態を報道しようとしない。
マスコミに登場するほとんどの政治家やエコノミストは、表面的なことしか語らない。
日本の指導層は、アメリカの中長期的な日本乗っ取り戦略の前に、なすすべなく対米従属の外交を続けている。
わが国の為政者は、大東亜戦争の敗戦における「失敗の本質」を把握せず、また同じ失敗を繰り返しつつある。
このままでは国民は、大東亜戦争の敗戦時に通じる塗炭の苦しみを味わうことになりかねない。
昭和60年(1985)9月プラザ合意が結ばれると、日本は経常収支の黒字是正を目的とした内需拡大策により、積極的な金融緩和措置を取った。
余剰資金が土地、株式等へと向かった。
日本人は、好景気に浮かれた。
土地や株でもうけようと、血眼に成った。
しかし、それはバブルに過ぎなかった。
バブル経済の膨脹過程の平成元年(1989)7月、日米構造協議が始まった。
アメリカのイニシアティブ(主導権)による日本の構造改造の開始である。
どういうわけか、その直後の12月に、バブルがはじけた。
アメリカにとっては、二大ライバルであるソ連と日本を一挙に叩き潰すチャンスを得たわけだ。
平成3年(1991)12月、ソ連は崩壊した。
日本は、バブル後の不良債権処理、長期不況、失業率の上昇に苦しんだ。
そうしたなか、アメリカは、日本に対する圧力を強め、わが国は従米的な外交に終始してきた。
日米関係において、長くわが国の政府・官僚が国民に隠してきたものに、「年次改革要望書」がある。
この文書が日米経済関係における決定的文書であることを発見したのが、ジャーナリストの関岡英之氏である。
●アメリカによる日本改造とは
アメリカは平成5年(1993)の宮沢―クリントン会談を経て、平成6年(1994)から毎年10月に「年次改革要望書」を提出してきている。
関岡氏は、名著『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』(文春新書)で、ここ10年以上の間、日本で「改革」と称して実行されてきた政策は、ほとんどアメリカの国益のためのものであったという衝撃的な事実を明らかにした。
関岡氏は、これを「アメリカによる日本改造」と呼んでいる。
この改造の「指針書」となっているのが、「年次改革要望書」である。
この要望書を通じて、アメリカによる「制度化された内政干渉」が行われていると関岡氏は、指摘する。
「年次改革要望書」、
わが国の政府はその存在に触れず、マスメディアも報道しない。
しかし、これは秘密文書ではない。
アメリカ大使館のサイトに公開されている。
関岡氏はそのことを明らかにし、「年次改革要望書」を読めば、日本の構造改革は米国政府の指示によるものであり、
「米国政府の、米国政府による、米国政府のための大改造」
であることが理解できると主張する。
例えば、半世紀ぶりの商法の大改正は、アメリカ企業が乗っ取りをしやすいものとなっている。
会計基準は、アングロ・サクソン諸国のルールを国際統一基準にする動きが進んでいる。
時価主義会計の導入は、多くの日本の企業を破綻に追い込む。
株価が安く、不良債権をかかえているからである。
公正取引委員会の規制強化のため、アメリカは委員の人数まで要望し、郵政民営化に先だって所轄庁を総務省から内閣府に移させまでした。
司法制度の改革も、アメリカ企業が日本の政府や企業を相手に訴訟しやすくするためのものとなっている。
他にも、枚挙に暇がない。
関岡英之氏は本書の「あとがき」でこう書いている。
「いまの日本はどこかが異常である。
自分たちの国をどうするか、自分の頭で自律的に考えようとする意欲を衰えさせる病がどこかで深く潜行している。
私が偶然、アメリカ政府の日本政府に対する『年次改革要望書』なるものの存在を知ったとき、それが病巣のひとつだということはすぐにはわからなかった。
だがこの病は、定例的な外交交渉や、日常的なビジネス折衝という一見正常な容態をとりながら、わたしたちの祖国を徐々に衰退に向かって蝕んでいるということに、私はほどなくして気づかされた。
まるで癌細胞があちこちに転移しながら、自覚症状の無いまま秘かに進行していくように、私たちの病はすでに膏肓に入りつつある」と。
関岡氏が明らかにした日米関係の構造を知らずして、日本は語れない。
●日本改造の一環としての構造改革
わが国は、バブルの崩壊後、深刻な平成大不況が続いている。
そのうえ、平成10年(1998)からデフレに陥った。
自民党の橋本龍太郎首相が、緊縮財政政策を取り、またアメリカの圧力に屈して金融改革を行った。
その結果、わが国の経済はひどい打撃を受けた。
大東亜戦争後、初めてのデフレになってしまった。
橋本首相は、大蔵省(当時)が発表する財政状況をうのみにして、緊縮財政政策を断行したのだった。
橋本氏を後継した小渕恵三首相は、積極財政政策に転じ、わが国の経済はいったん持ち直した。
しかし、平成13年(2002)4月、自民党の小泉純一郎氏が首相になると、再び緊縮財政政策を取った。
そのため、日本経済はまたもや不景気に転じた。
小泉氏は、経済学者の竹中平蔵氏を政権に迎え、強力に構造改革を進めている。
構造改革の基本思想は、新自由主義であり、市場原理主義である。
アメリカで作られた経済理論をわが国に持ち込み、その理論に基づいて、わが国を改革しようとしているのが、構造改革である。
この流れは、1980年代から進められてきたアメリカの日本改造を、わが国の政府が自ら強力に進めようとするものである。
現在、わが国では立法・行政・司法のあらゆる分野で、アメリカに都合のよいように改革が進められている。
来年(2006)には、株式交換によるM&A(三角合併)が解禁となる。
日本の企業は超優良企業であっても株価は低い。
アメリカ企業は自社株を使って、易々と買収できる。
中国や韓国の企業も買いあさりに来るだろう。
この売国的な政策の最大のポイントこそ、郵政改革である。
郵政民営化は、小泉首相の持論だが、同時にアメリカが要望しているものでもある。
「年次改革要望書」は、郵政民営化を日本に求めている。
特にアメリカの保険業界が、強く要望している。
わが国の国民は、身近に利用できる郵便貯金、簡易保険に資産を蓄財している。
郵貯・簡保を合わせると、総資産は345兆円もある。
小泉=竹中政権が描いている民営化が強行されると、郵貯・簡保に蓄えられてきた国民の個人資産が、外資に獲物として差し出されることになる。
そうなった時、日本を金融的に従属させようとしてきたアメリカの日本改造は、完成することになるだろう。
逆に言うと、郵政民営化を阻止し、日本国民の資産を守ることが、日本を守ることになる。
そして、アメリカへの経済的従属から脱し、いびつな日米関係を正していく必要がある。
●わが国は本当に財政危機なのか
日米関係を経済という点から見るとき、わが国の財政状況が問題になる。
マスメディアや多くのエコノミストは、わが国の財政危機を強調する。
財務省が発表したわが国の貸借対照表(バランスシート)では、連結ベースで253兆円(平成15年、2003年3月末)の債務がある。
これ以外に年金債務が、財務省試算で843兆円ある。
合計で、1096兆円の債務超過である。
これは、本年度(平成17年度、2005年度)の国家予算が82兆円であるから、国家予算の13年分以上になる。
予算といっても、税収は44兆円しかない。
残りの多くは国債で調達している。
言い換えれば、新たな借金や借金の借り直し(借換債)で組んでいる。
国債は本年(17年)3月末で、682兆円。
名目GDPの511兆円を超えるほどの額である。
日銀は資産劣化により、32年ぶりに赤字に転落した。
これ以上、国債を買う余力はほとんどないと報じられる。
今後、平成25年(2013)には、借金の利子の支払い額が、税収を上回る。
そこまでいくと、国家予算が立てられなくなるおそれがある。
27年(2015)には、借金の金額が個人資産の1400兆円を超える1500兆円に達すると試算されている。
このままでは、日本は国家破産に至るという観測が出されている。
ただし、わが国の政府の債務は、ほとんどが円建てであり、国債は国内でほとんど消化されている。
この点、アメリカのように、国債の半分以上を海外で売っている国とは、大きく異なる。
また、日本は世界最大の債権国でもある。
アメリカ国債を約1兆ドル(1ドル=100円として約100兆円)保有している。
民間も含めると2~3兆ドルになっているとも見られる。
総額430兆円になるという推算もある。
ということは、わが国は単に巨額の債務を抱えているだけではなく、巨額の債権を持ってもいるわけである。
財務省によって債務ばかりが強調されるが、債権の保有も打ち出さないと、見方が偏る。
わが国の政府は、負債を抱えているだけでなく、金融資産も多く持っている。
年金の積立金などである。
だから、差し引きどうなのかという見方が必要である。
政府の負債を粗債務という。
粗債務だけで見ると、確かにわが国は世界一の借金大国ということになるが、粗債務から金融資産を引いたネットの債務、純債務で見れば、わが国の財政は、先進国の多くより良好である。
財務省のように、粗債務の額ばかり強調すると、わが国の財政状況を見誤る。
経済アナリストの山家(やんべ)悠紀夫氏は、著書『偽りの危機 本物の危機』(東洋経済新社、1997年)で、大蔵省(現・財務省)が財政の累積赤字を過度に国民に印象づけ、そのことで景気浮揚策がとれなくなっていると批判する。
財政の累積赤字は、国際比較の場合には、国民から徴収した社会保険基金も政府の資産として繰り入れて、ネットで比較する。
ところが、大蔵省は財政危機を煽るために社会保障基金を繰り入れない数値で比較している。
大蔵省の数値によると、日本は世界一の財政赤字大国になる。
平成7年(1995)年度末でわが国の政府の負債残高は435兆円である。
対GDP比は80%であり、
フランスとイギリスは60%、ドイツは61%、アメリカは64%ゆえ、確かにわが国の状況は悪い。
ところが、社会保障基金を繰り込み、外貨準備、貸出金、出資金などの金融資産残高も含めて計算すると、同年度の日本政府財政赤字は、なんと10%に下落する。
同じ基準であれば、フランス35%、イギリス42%、ドイツ44%、アメリカ50%となる。
それゆえ、日本は財政赤字大国どころか財政優良国になる。
財政に関する話は、このように大蔵省の発表をうのみにできない。
ややこしいことの一つは、財政が一般会計と特別会計に分かれていることである。
それ自体は、単年度の事業と複数年度にまたがる事業とで分ける等、必要があるのだろうが、それが隠れ蓑になって、国民に財政の全体像が示されない。
国民には一般会計の予算がいわゆる国家予算として提示されるのみである。
一体、特別会計と合わせた全体像はどうなのか。
財政の実態を把握するには、一般会計と特別会計を連結して、全体像が明確に分かるようにする必要がある。
なお、わが国の対外債権の多くは、アメリカ国債の保有である。
世界で最も評価の高い米国債を世界で一番多く持っているのが、日本である。
債権ゆえ、金利によって運用益が得られる。
これは大きな財産である。
ただし、アメリカ国債は、実際には一挙に売ることのできないものである。
売却すれば莫大な為替差損を計上しなければならない。
またドルを売ることゆえ、円高を促進してしまう。
それゆえ米国債は、事実上、売ることのできない永久債のようなものである。
だから、あまり米国債を買わされ過ぎると、わが国の財政がそれで圧迫されるおそれがある。
●財政危機の強調は、アメリカの思う壺
先に書いたように、わが国の財政状況は、粗債務だけで危機だとは言えない。
財政の実態を明らかにし、正確に現状を把握する必要がある。
ところが、多くのエコノミストは、それをせず、財政危機を強調する。
その典型が、経済評論家・森木亮氏の国家破産論である。
森木氏の著書『2008年 IMF占領』(光文社、平成17年2月刊)によると、日本は財政悪化が高じ、早晩、国家破産に立ち至る。
その時には、世界の金融を管理しているIMFが乗り込んでくる。
IMFによる管理は、日本の再占領である。
かつてのGHQがIMFに代わったようなものだと予想する。
そして、これを避けるために森木氏が説くのが、緊縮財政である。
しかし、橋本政権、小泉政権が行った緊縮財政は、わが国をデフレに陥れただけである。
かえって経済政策のミスが、わが国の財政を悪化させている。
森木氏は、アメリカが数年前から日本に財政改革を迫り、既に何度も処方箋を出していることを指摘する。
「ハーバード・レポート」(1998年)
「アッシャー・レポート」(1999年)
「アーミテージ・レポート」(2000年)
等である。
中でも平成14年(2002)2月、
衆議院予算委員会で取り上げられた「ネバダ・レポート」は、事実上の日本破産処理案といえる。
要点は、次の8つである。
1 公務員の総数の30%カット及び給料の30%カット。
ボーナスは全てカット。
2 公務員の退職金は100%全てカット。
3 年金は一律30%カット。
4 国債の利払いは5~10年間停止。
5 消費税を15%引き上げて20%へ。
6 課税最低限を年収100万円まで引き下げ。
7 資産税を導入し、不動産は公示価格の5%を課税。
債券・社債は5~15%を課税。
株式は取得金額の1%を課税。
8 預金は一律、ペイオフを実施。
第2段階では、預金額を30~40%カット。
こうしたアメリカが日本に突きつけてくるレポートに対し、国際政治学者の藤井厳喜氏は、平成16年(2004)12月刊の『国家破産以後の世界』(光文社)で、次のように述べた。
「すべての項目はまだ実行されているわけではない。
なぜなら、まだ日本が破産していないからである。
しかし、事実上破産しているのだから、日本政府は、とくに 1 2 から始めていなければおかしいのである。
それが構造改革というものだろう。
そうしてはじめて国民への負担増も訴えられる」と。
もし本当にわが国の財政が、国家破産寸前なのであれば、こういう論が成り立つだろうが、わが国の債務はほとんどが円建てであり、しかも国債のほとんどが国内で消化されている。
またわが国は世界最大の債権国でもある。
藤井氏の主張は、わが国の経済の実態を明らかにしようというのではなく、わが国は国家破産寸前、だから構造改革だ、と小泉=竹中政権の構造改革を支持するものとなっている。
これでは、アメリカの思う壺ではないか。
すなわち、財政危機の強調、構造改革、アメリカによる日本改造の強行というシナリオに乗せられているも同然である。
●日本再興を可能とする経済政策は提唱されている
藤井厳喜氏は、その後、自らの国家破産論の誤りに気づき、平成17年(2005)6月刊の新著『「破産国家」 希望の戦略』(ビジネス社)では、考えを変えた。
藤井氏は
「冷静に考えれば、日本政府を破産させず、大恐慌を防ぐ方法は十分考えることができるのだ」
「日本は供給力が多すぎて需要が少なすぎたわけだから、需要をアップさせ、そのギャップを埋めるよう、総需要の喚起策をとるべきだった」
と言う。
そして、小泉政権による不良債権処理優先で景気を悪化させた政策を批判する。
総需要喚起策をとは言っても、
「日本国政府の借金(債務)は厖大である」
「日本の国債政策」は「いよいよ苦しい局面」にさしかかっている。
そこで藤井氏は言う。
「国債に依存しない日本再生の秘策はあるのか。
答えは簡単である。
国債の乱発をやめて、政府発行通貨を発行すればよい」と。
政府貨幣の発行は、ポール・サミュエルソンが小泉首相にこのアイデアを提唱した。
ジョセフ・スティグリッツも平成15年(2003)年4月財務省に招かれた際の講演で政府発行通貨の有効性を述べている。
なかでも藤井氏は、丹羽春喜大阪学院大学教授の政策を最善の方法として紹介する。
丹羽氏は、著書『日本経済再興の経済学』(原書房、平成11年1月刊)で、「救国の秘策」を提唱している。
この秘策は、政府が「政府の通貨発行権」を日銀に「無形金融資産」として売り、日銀は代価として100兆円程度の通貨を政府に譲渡するというもの。
その財政収入で借金返済も景気対策もできる。
現在のわが国には、毎年400兆円ものデフレギャップ(生産能力の余裕)があるから、インフレになる心配はない。
政府貨幣の発行は、コインや記念通貨同様、現行法で可能。
国債と違って利払いがなく、償還する必要もない。
市中に出回る紙幣は、日銀券のみとできる。
わが国では、「政府発行通貨の大成功例」があると藤井氏は指摘する。
明治維新の開始期に発行された太政官札である。
「太政官札の発行なくして明治維新は成功することはなかっただろう」
と藤井氏は言う。
藤井氏は、政府貨幣発行が不可であれば、次善策として日銀による国債の買い取り枠の拡大を挙げる。
ただし、国債の累増による利払い等は避けられない。
丹羽氏は、小渕首相・小泉首相に宛てて、「救国の秘策」を提言する建白書を送っている。
しかし、採用されるには至っていない。
多くの学者、評論家は、依然として財政危機論、構造改革論を脱しておらず、そのため、国民の大多数は、小泉構造改革を支持し続けている。
●日本人自身の手による日本の改革を
私は、現在、わが国の政府が行っている改革は、真に日本のためになる改革ではなく、アメリカによる日本改造としか思えない。
日本の改革は本来、日本人が自らの意思で行わなければならないものである。
幕末の日本も危機だった。
迫り来る欧米列強を前に、わが国は植民地化される恐れがあった。
しかし、日本人は、この危機に発奮し、自らの伝統に基づいた維新を成し遂げ、新しい国家を築き上げた。
そのことを思い起こそう。
私は、経済の問題を含めて、現在の日本のもろもろの危機は、突き詰めると日本人の精神の問題に帰着すると思う。
そして、憲法と教育基本法の改正を最優先課題と考えている。
憲法と教育基本法に、日本の国柄や伝統に関することを盛り込み、国民の愛国心・公徳心の回復を進めることが、極めて重要だと思う。
そういう精神的な基盤から強化しないと、日米関係、及びその関係に深く根ざしたわが国の現在の経済事情は改善できない。
自らに潜在する自律能力を発揮するならば、日本人は、自国の伝統・文化を保守しながら、日本の改革を進めることが可能である。
21世紀の日本が直面している国難を乗り超えるには、指導層も国民も、自己本来の日本精神を取り戻し、ともに団結することが必要なのである。
かつての『小泉劇場』に熱狂した者の一人として、小泉の弔辞に思わず貰い泣きした。
だが、今にして思えば……
転載元 細川一彦のオピニオンサイト
■「第二の敗戦」からの復興
2001.1.24
平成10年ごろ、「第二の敗戦」という言葉が頻繁に使われた。
日本はアメリカとの「日米経済戦争」に負けた。
これは、大東亜戦争の敗戦に続く第二の敗戦だという意味である。
●「第二の敗戦」とは
平成5年(1993)、大統領に就任したクリントンは、日本を「敵国」と名指しで表現した。
以来、クリントン政権は、米国資本の意志を受けて、我が国への激しい経済的・外交的攻撃をかけてきました。
そして、グローバル・スタンダードという名の下に、アメリカ主軸の世界を築くための戦略をもって、「経済戦争」を展開してきた。
その約5年後、平成10年(1998)、日本はもろくも、この戦いに敗れた。
当時のわが国の状態を
「経済敗戦の焼け跡に再び呆然と立ちつくすしかないかのようです」
と中西輝政京大教授は述べた。
(『諸君!』平成10年9月号)
そこへ、欧米の金融機関が押し寄せてきた。
廃業した山一証券をほぼそっくり買い取ったのは、米国の大手証券会社メリルリンチだった。
このほか、
シティ・トラベラーズ、J・P・モルガン、GEキャピタル等といった世界指折りの実力金融会社が続々と日本上陸を果たし、日本の銀行、証券会社などを掌中に収めつつある。
この状態は、半世紀前、大東亜戦争に敗れ、焦土と化した日本に、占領軍が進駐して各所を接収した時の再現のようである。
米国資本は、経済的に「焼け跡」と化した日本に乗り込み、日本人が戦後営々と築き上げてきた資産を、奪い取ってきたのである。
しかも、これはただ奪うだけではない。
米国は、日本の富を吸い上げ続ける構造をつくりあげたからである。
この構造を、石原慎太郎氏は「米国は日本を金融奴隷として使役しようとしている」と述べている。
(『宣戦布告 NOと言える日本経済』光文社)。
まさに日本人は、自らの富をアメリカに吸い上げられる「金融奴隷」のような状態になっているのである。
●プラザ合意と超低金利政策
一体、こうなった原因は何か?
冷戦下の1980年代、ソ連の増大する軍事力が西側諸国に大きな脅威となっていた。
これに対抗するため、アメリカのレーガン大統領は、強力な軍事力をつくりあげる政策を打ち立て、その経済的分担を、日本に要求した。
そして、アメリカの軍事力と日本の経済力が合体することにより、ソ連の経済を行き詰まらせ、遂に共産主義体制の崩壊を引き起こすことに成功した。
共産主義の克服と世界平和の実現に向けて、日米はこうした役割を果たしたのである。
しかし、これは日本にとって、日本経済が、アメリカ経済に構造的に組み込まれる過程だった。
その組み込みをもたらしたものが、昭和60年(1985)9月のプラザ合意である。
プラザ合意とは、軍拡競争でソ連を破ろうというアメリカの世界戦略に、先進国が経済面で協力する約束である。
ドル安取られ、1ドル240円台から140円台へと円高になった。
これによって、日本はアメリカの財政赤字を支え、アメリカは日本に支えさせることによって、繁栄し続けるという構造ができた。
その後、日本の公定歩合は常にアメリカより3%低い所に設定されてきた。
国際経済研究家の吉川元忠氏は、次のように述べている。
「この金利差によって、日本の生命保険会社などの機関投資家がアメリカの国債を買い、アメリカの貿易赤字と財政赤字が埋められ、ドルも買い支えられる、という構図である。
この構図にしたがって、87年10月から、89年5月まで、2年3ヶ月にわたって、日本は2.5%という超低金利政策をとった。
当時、GDP成長率は5%に達していた。
国内経済を考えれば、金利を上げて、景気の過熱を防ぐべき所だ。
しかし超低金利は放置され、過剰な資金が株や土地に向かって、空前のバブルを引き起こしたのである」
(『マネー敗戦』文春新書)
●内需拡大と市場開放
経済学者の飯田経夫氏は、次のように分析している。
「レーガノミックス以降のアメリカは、『供給力』を上回る国内需要を放置し、そのギャップを貿易赤字で埋めるという、まったく『規律』もしくは『節度』を欠くマクロ経済運営に終始していた。
そしてアメリカは、みずからの経済運営を反省する代わりに、不当にも批判の矛先を日本へ向けた。
そのひとつが、日本への『内需拡大』要求であり、もうひとつが『市場開放』(のち『規制緩和』)要求にほかならない」
(『日本の反省』PHP新書)
こうしたアメリカの要求に応じて、内需拡大・市場開放の大合唱が国内に沸き上がった。
その中で昭和61年(1986)4月に「前川レポート」が出された。
対米貿易黒字を反省し、内需拡大・市場開放に努力して、黒字減らしを行おうという趣旨である。
日本の経済力を脅威と感じていたアメリカは、日本の経済力を利用して、自国の国益を実現する仕組みを考えた。
それが生み出したものが、仕掛けられたバブル経済だった。
そして、バブルとその崩壊こそは、戦後日本の最大のつまづきとなった。
吉川元忠氏は次のように述べている。
「あるシンク・タンクの推定によれば、89年から92年にかけて、株式の時価総額420兆円、
土地等の評価額380兆円が減少したという。
この金融資産のロス、計800兆円は、国富の11.3%に相当し、第二次大戦での物的被害の対国富率、約14%にせまる数字である」
(「マネー敗戦」文春新書)
「第二の敗戦」とは、単なるたとえではないのである。
国富の損失という点では、まさに敗戦に匹敵する出来事なのである。
●仕掛けられた経済戦争
平成元年(1989)11月、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が取り払われ、続いて平成3年(1991)までに、ソ連・東欧で共産主義政権が軒並み崩壊した。
これにより、ソ連の脅威はなくなった。
その後、アメリカにとっての最大の脅威は、日本の経済力だった。
日本の高い技術力と、強い輸出力が、アメリカ経済を圧迫していたからである。
ここに、日米の経済摩擦は、新たな段階に入った。
「日米経済戦争」が仕掛けられたのである。
しかし、それは既に、昭和60年(1985)のプラザ合意の時に始まっていたと見ることができる。
そして、アメリカの主張する「内需拡大のよる貿易黒字削減」に従い、国内経済の安定よりも、アメリカの貿易赤字と財政赤字を埋め、ドルを支える事を優先した結果がバブルだったのである。
バブルの崩壊は、日本経済に甚大な影響をもたらした。
その後、日本は「平成大不況」あるいは「平成恐慌」といわれる経済危機に陥っている。
そして、そこから容易に抜け出せないでいる。
「第二の敗戦」は、アメリカの戦略に乗せられ、敗れるべくして敗れた、第二の大東亜戦争だったのである。
●追い討ち
バブルの崩壊後、容赦なく追い討ちをかけたのは、米国のヘッジファンド等の計略だった。
彼等によって、韓国やASEAN諸国は、壊滅的な打撃を受けた。
深刻な政情不安に陥った国もあった。
これは、アジアに膨大な資本輸出をしてきた日本にとっても大打撃となった。
1990年代から急速に進展してきた情報技術革命のなかで、日本から吸い上げる冨によって、財政を支えるアメリカは、大規模な予算を投じて、IT革命を推進している。
一方、日本は欧米に大きく遅れをとっている。
アメリカに対し、日本は10~20年の遅れがあるとも言われる。
かつて、日本の経済力に反発して、アメリカでは Japan bashing が行われた。
しかし、今では、Japan nothing といわれる。
つまり、日本はもはや競争相手として、眼中にないような存在に成り下がっているのである。
このまま、なすすべなく過ごせば、わが国は、一層、国際社会での地位を失っていくだろう。
大東亜戦争の敗北によって、日本は、軍事・食糧・エネルギーにおいて、アメリカへの従属構造に置かれた。
さらに今日においては、経済・金融においても、対米従属構造に、ほぼ完全に組み込まれつつある。
●日本精神の復興を
アメリカ人で日本で事業を行っているビル・トッテン氏は、次のように述べている。
「究極の疑問は、日本経済が自国の企業や国民のためにあるのか、それとも外国の、特に米国の経営者や政府のためにあるのかということである。
日本はこれまで自国の国粋主義の再燃を慎重に避けてきたが、現実は米国主導の国粋的な世界金融秩序の波に飲み込まれることになったのではないだろうか」
国際社会において、自国の主張を述べ、自国の国益を追求できない、戦後日本人の意識のあり方が、日本の「第二の敗戦」をもたらしたのである。
その背景には、戦後日本の制度・機構の問題がある。
戦後体制を支える二つの柱は、日本国憲法と東京裁判史観である。
つまり、大東亜戦争の敗戦によって、占領期にかせられた憲法と歴史観が、「第二の敗戦」をもたらしたのである。
これら二つこそ、私たちが克服すべきターゲットである。
そして、一個の独立国として、国家と国民の意識を回復することが必要である。
それなくしては、アメリカをはじめ、他のまっとうな国々に伍していくことはできない。
まして、かつては「後進国」と呼ばれていた国々が、急速な勢いで経済発展をしてきている。
いまや世界は大競争時代といわれているのである。
日本再生のためには、精神面からの改革が求められる。
そのためには、戦後失われている日本精神を取り戻すことが必要である。
国民が日本精神を取り戻すことなくして、制度・機構の改革は推進できない。
日本人が日本精神を取り戻すこと、それが最も重要な課題である。
■アメリカによる日本改造と小泉構造改革
2005.6.16
●国民に隠されてきた「年次改革要望書」
現在、わが国は、日米経済戦争において「第二の敗戦」の最終局面に入りつつある。
平成10年(1998)頃にいわれた「第二の敗戦」は、まだ負け始めの過程にすぎなかった。
しかし、政府は、その事実や原因、経過を国民に知らせようとしていない。
大東亜戦争の時、わが国はミッドウェー海戦で惨敗して以降、戦局は悪化していく一方だった。
ガダルカナル、マリアナ、レイテと負け続け、サイパン、硫黄島、沖縄までが落ちた。
B29による本土空襲は、首都東京を始め60余りの都市に及んだ。
それなのに、政府は虚偽の大本営発表を繰り返し、事実を国民に伝えなかった。
国民は実態を知らないまま、かつてない敗戦を迎えた。
今日のわが国は、大東亜戦争中と違い、言論の自由が保障されており、メディアも発達している。
だが、マスコミは積極的に、国民に危機の実態を報道しようとしない。
マスコミに登場するほとんどの政治家やエコノミストは、表面的なことしか語らない。
日本の指導層は、アメリカの中長期的な日本乗っ取り戦略の前に、なすすべなく対米従属の外交を続けている。
わが国の為政者は、大東亜戦争の敗戦における「失敗の本質」を把握せず、また同じ失敗を繰り返しつつある。
このままでは国民は、大東亜戦争の敗戦時に通じる塗炭の苦しみを味わうことになりかねない。
昭和60年(1985)9月プラザ合意が結ばれると、日本は経常収支の黒字是正を目的とした内需拡大策により、積極的な金融緩和措置を取った。
余剰資金が土地、株式等へと向かった。
日本人は、好景気に浮かれた。
土地や株でもうけようと、血眼に成った。
しかし、それはバブルに過ぎなかった。
バブル経済の膨脹過程の平成元年(1989)7月、日米構造協議が始まった。
アメリカのイニシアティブ(主導権)による日本の構造改造の開始である。
どういうわけか、その直後の12月に、バブルがはじけた。
アメリカにとっては、二大ライバルであるソ連と日本を一挙に叩き潰すチャンスを得たわけだ。
平成3年(1991)12月、ソ連は崩壊した。
日本は、バブル後の不良債権処理、長期不況、失業率の上昇に苦しんだ。
そうしたなか、アメリカは、日本に対する圧力を強め、わが国は従米的な外交に終始してきた。
日米関係において、長くわが国の政府・官僚が国民に隠してきたものに、「年次改革要望書」がある。
この文書が日米経済関係における決定的文書であることを発見したのが、ジャーナリストの関岡英之氏である。
●アメリカによる日本改造とは
アメリカは平成5年(1993)の宮沢―クリントン会談を経て、平成6年(1994)から毎年10月に「年次改革要望書」を提出してきている。
関岡氏は、名著『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』(文春新書)で、ここ10年以上の間、日本で「改革」と称して実行されてきた政策は、ほとんどアメリカの国益のためのものであったという衝撃的な事実を明らかにした。
関岡氏は、これを「アメリカによる日本改造」と呼んでいる。
この改造の「指針書」となっているのが、「年次改革要望書」である。
この要望書を通じて、アメリカによる「制度化された内政干渉」が行われていると関岡氏は、指摘する。
「年次改革要望書」、
わが国の政府はその存在に触れず、マスメディアも報道しない。
しかし、これは秘密文書ではない。
アメリカ大使館のサイトに公開されている。
関岡氏はそのことを明らかにし、「年次改革要望書」を読めば、日本の構造改革は米国政府の指示によるものであり、
「米国政府の、米国政府による、米国政府のための大改造」
であることが理解できると主張する。
例えば、半世紀ぶりの商法の大改正は、アメリカ企業が乗っ取りをしやすいものとなっている。
会計基準は、アングロ・サクソン諸国のルールを国際統一基準にする動きが進んでいる。
時価主義会計の導入は、多くの日本の企業を破綻に追い込む。
株価が安く、不良債権をかかえているからである。
公正取引委員会の規制強化のため、アメリカは委員の人数まで要望し、郵政民営化に先だって所轄庁を総務省から内閣府に移させまでした。
司法制度の改革も、アメリカ企業が日本の政府や企業を相手に訴訟しやすくするためのものとなっている。
他にも、枚挙に暇がない。
関岡英之氏は本書の「あとがき」でこう書いている。
「いまの日本はどこかが異常である。
自分たちの国をどうするか、自分の頭で自律的に考えようとする意欲を衰えさせる病がどこかで深く潜行している。
私が偶然、アメリカ政府の日本政府に対する『年次改革要望書』なるものの存在を知ったとき、それが病巣のひとつだということはすぐにはわからなかった。
だがこの病は、定例的な外交交渉や、日常的なビジネス折衝という一見正常な容態をとりながら、わたしたちの祖国を徐々に衰退に向かって蝕んでいるということに、私はほどなくして気づかされた。
まるで癌細胞があちこちに転移しながら、自覚症状の無いまま秘かに進行していくように、私たちの病はすでに膏肓に入りつつある」と。
関岡氏が明らかにした日米関係の構造を知らずして、日本は語れない。
●日本改造の一環としての構造改革
わが国は、バブルの崩壊後、深刻な平成大不況が続いている。
そのうえ、平成10年(1998)からデフレに陥った。
自民党の橋本龍太郎首相が、緊縮財政政策を取り、またアメリカの圧力に屈して金融改革を行った。
その結果、わが国の経済はひどい打撃を受けた。
大東亜戦争後、初めてのデフレになってしまった。
橋本首相は、大蔵省(当時)が発表する財政状況をうのみにして、緊縮財政政策を断行したのだった。
橋本氏を後継した小渕恵三首相は、積極財政政策に転じ、わが国の経済はいったん持ち直した。
しかし、平成13年(2002)4月、自民党の小泉純一郎氏が首相になると、再び緊縮財政政策を取った。
そのため、日本経済はまたもや不景気に転じた。
小泉氏は、経済学者の竹中平蔵氏を政権に迎え、強力に構造改革を進めている。
構造改革の基本思想は、新自由主義であり、市場原理主義である。
アメリカで作られた経済理論をわが国に持ち込み、その理論に基づいて、わが国を改革しようとしているのが、構造改革である。
この流れは、1980年代から進められてきたアメリカの日本改造を、わが国の政府が自ら強力に進めようとするものである。
現在、わが国では立法・行政・司法のあらゆる分野で、アメリカに都合のよいように改革が進められている。
来年(2006)には、株式交換によるM&A(三角合併)が解禁となる。
日本の企業は超優良企業であっても株価は低い。
アメリカ企業は自社株を使って、易々と買収できる。
中国や韓国の企業も買いあさりに来るだろう。
この売国的な政策の最大のポイントこそ、郵政改革である。
郵政民営化は、小泉首相の持論だが、同時にアメリカが要望しているものでもある。
「年次改革要望書」は、郵政民営化を日本に求めている。
特にアメリカの保険業界が、強く要望している。
わが国の国民は、身近に利用できる郵便貯金、簡易保険に資産を蓄財している。
郵貯・簡保を合わせると、総資産は345兆円もある。
小泉=竹中政権が描いている民営化が強行されると、郵貯・簡保に蓄えられてきた国民の個人資産が、外資に獲物として差し出されることになる。
そうなった時、日本を金融的に従属させようとしてきたアメリカの日本改造は、完成することになるだろう。
逆に言うと、郵政民営化を阻止し、日本国民の資産を守ることが、日本を守ることになる。
そして、アメリカへの経済的従属から脱し、いびつな日米関係を正していく必要がある。
●わが国は本当に財政危機なのか
日米関係を経済という点から見るとき、わが国の財政状況が問題になる。
マスメディアや多くのエコノミストは、わが国の財政危機を強調する。
財務省が発表したわが国の貸借対照表(バランスシート)では、連結ベースで253兆円(平成15年、2003年3月末)の債務がある。
これ以外に年金債務が、財務省試算で843兆円ある。
合計で、1096兆円の債務超過である。
これは、本年度(平成17年度、2005年度)の国家予算が82兆円であるから、国家予算の13年分以上になる。
予算といっても、税収は44兆円しかない。
残りの多くは国債で調達している。
言い換えれば、新たな借金や借金の借り直し(借換債)で組んでいる。
国債は本年(17年)3月末で、682兆円。
名目GDPの511兆円を超えるほどの額である。
日銀は資産劣化により、32年ぶりに赤字に転落した。
これ以上、国債を買う余力はほとんどないと報じられる。
今後、平成25年(2013)には、借金の利子の支払い額が、税収を上回る。
そこまでいくと、国家予算が立てられなくなるおそれがある。
27年(2015)には、借金の金額が個人資産の1400兆円を超える1500兆円に達すると試算されている。
このままでは、日本は国家破産に至るという観測が出されている。
ただし、わが国の政府の債務は、ほとんどが円建てであり、国債は国内でほとんど消化されている。
この点、アメリカのように、国債の半分以上を海外で売っている国とは、大きく異なる。
また、日本は世界最大の債権国でもある。
アメリカ国債を約1兆ドル(1ドル=100円として約100兆円)保有している。
民間も含めると2~3兆ドルになっているとも見られる。
総額430兆円になるという推算もある。
ということは、わが国は単に巨額の債務を抱えているだけではなく、巨額の債権を持ってもいるわけである。
財務省によって債務ばかりが強調されるが、債権の保有も打ち出さないと、見方が偏る。
わが国の政府は、負債を抱えているだけでなく、金融資産も多く持っている。
年金の積立金などである。
だから、差し引きどうなのかという見方が必要である。
政府の負債を粗債務という。
粗債務だけで見ると、確かにわが国は世界一の借金大国ということになるが、粗債務から金融資産を引いたネットの債務、純債務で見れば、わが国の財政は、先進国の多くより良好である。
財務省のように、粗債務の額ばかり強調すると、わが国の財政状況を見誤る。
経済アナリストの山家(やんべ)悠紀夫氏は、著書『偽りの危機 本物の危機』(東洋経済新社、1997年)で、大蔵省(現・財務省)が財政の累積赤字を過度に国民に印象づけ、そのことで景気浮揚策がとれなくなっていると批判する。
財政の累積赤字は、国際比較の場合には、国民から徴収した社会保険基金も政府の資産として繰り入れて、ネットで比較する。
ところが、大蔵省は財政危機を煽るために社会保障基金を繰り入れない数値で比較している。
大蔵省の数値によると、日本は世界一の財政赤字大国になる。
平成7年(1995)年度末でわが国の政府の負債残高は435兆円である。
対GDP比は80%であり、
フランスとイギリスは60%、ドイツは61%、アメリカは64%ゆえ、確かにわが国の状況は悪い。
ところが、社会保障基金を繰り込み、外貨準備、貸出金、出資金などの金融資産残高も含めて計算すると、同年度の日本政府財政赤字は、なんと10%に下落する。
同じ基準であれば、フランス35%、イギリス42%、ドイツ44%、アメリカ50%となる。
それゆえ、日本は財政赤字大国どころか財政優良国になる。
財政に関する話は、このように大蔵省の発表をうのみにできない。
ややこしいことの一つは、財政が一般会計と特別会計に分かれていることである。
それ自体は、単年度の事業と複数年度にまたがる事業とで分ける等、必要があるのだろうが、それが隠れ蓑になって、国民に財政の全体像が示されない。
国民には一般会計の予算がいわゆる国家予算として提示されるのみである。
一体、特別会計と合わせた全体像はどうなのか。
財政の実態を把握するには、一般会計と特別会計を連結して、全体像が明確に分かるようにする必要がある。
なお、わが国の対外債権の多くは、アメリカ国債の保有である。
世界で最も評価の高い米国債を世界で一番多く持っているのが、日本である。
債権ゆえ、金利によって運用益が得られる。
これは大きな財産である。
ただし、アメリカ国債は、実際には一挙に売ることのできないものである。
売却すれば莫大な為替差損を計上しなければならない。
またドルを売ることゆえ、円高を促進してしまう。
それゆえ米国債は、事実上、売ることのできない永久債のようなものである。
だから、あまり米国債を買わされ過ぎると、わが国の財政がそれで圧迫されるおそれがある。
●財政危機の強調は、アメリカの思う壺
先に書いたように、わが国の財政状況は、粗債務だけで危機だとは言えない。
財政の実態を明らかにし、正確に現状を把握する必要がある。
ところが、多くのエコノミストは、それをせず、財政危機を強調する。
その典型が、経済評論家・森木亮氏の国家破産論である。
森木氏の著書『2008年 IMF占領』(光文社、平成17年2月刊)によると、日本は財政悪化が高じ、早晩、国家破産に立ち至る。
その時には、世界の金融を管理しているIMFが乗り込んでくる。
IMFによる管理は、日本の再占領である。
かつてのGHQがIMFに代わったようなものだと予想する。
そして、これを避けるために森木氏が説くのが、緊縮財政である。
しかし、橋本政権、小泉政権が行った緊縮財政は、わが国をデフレに陥れただけである。
かえって経済政策のミスが、わが国の財政を悪化させている。
森木氏は、アメリカが数年前から日本に財政改革を迫り、既に何度も処方箋を出していることを指摘する。
「ハーバード・レポート」(1998年)
「アッシャー・レポート」(1999年)
「アーミテージ・レポート」(2000年)
等である。
中でも平成14年(2002)2月、
衆議院予算委員会で取り上げられた「ネバダ・レポート」は、事実上の日本破産処理案といえる。
要点は、次の8つである。
1 公務員の総数の30%カット及び給料の30%カット。
ボーナスは全てカット。
2 公務員の退職金は100%全てカット。
3 年金は一律30%カット。
4 国債の利払いは5~10年間停止。
5 消費税を15%引き上げて20%へ。
6 課税最低限を年収100万円まで引き下げ。
7 資産税を導入し、不動産は公示価格の5%を課税。
債券・社債は5~15%を課税。
株式は取得金額の1%を課税。
8 預金は一律、ペイオフを実施。
第2段階では、預金額を30~40%カット。
こうしたアメリカが日本に突きつけてくるレポートに対し、国際政治学者の藤井厳喜氏は、平成16年(2004)12月刊の『国家破産以後の世界』(光文社)で、次のように述べた。
「すべての項目はまだ実行されているわけではない。
なぜなら、まだ日本が破産していないからである。
しかし、事実上破産しているのだから、日本政府は、とくに 1 2 から始めていなければおかしいのである。
それが構造改革というものだろう。
そうしてはじめて国民への負担増も訴えられる」と。
もし本当にわが国の財政が、国家破産寸前なのであれば、こういう論が成り立つだろうが、わが国の債務はほとんどが円建てであり、しかも国債のほとんどが国内で消化されている。
またわが国は世界最大の債権国でもある。
藤井氏の主張は、わが国の経済の実態を明らかにしようというのではなく、わが国は国家破産寸前、だから構造改革だ、と小泉=竹中政権の構造改革を支持するものとなっている。
これでは、アメリカの思う壺ではないか。
すなわち、財政危機の強調、構造改革、アメリカによる日本改造の強行というシナリオに乗せられているも同然である。
●日本再興を可能とする経済政策は提唱されている
藤井厳喜氏は、その後、自らの国家破産論の誤りに気づき、平成17年(2005)6月刊の新著『「破産国家」 希望の戦略』(ビジネス社)では、考えを変えた。
藤井氏は
「冷静に考えれば、日本政府を破産させず、大恐慌を防ぐ方法は十分考えることができるのだ」
「日本は供給力が多すぎて需要が少なすぎたわけだから、需要をアップさせ、そのギャップを埋めるよう、総需要の喚起策をとるべきだった」
と言う。
そして、小泉政権による不良債権処理優先で景気を悪化させた政策を批判する。
総需要喚起策をとは言っても、
「日本国政府の借金(債務)は厖大である」
「日本の国債政策」は「いよいよ苦しい局面」にさしかかっている。
そこで藤井氏は言う。
「国債に依存しない日本再生の秘策はあるのか。
答えは簡単である。
国債の乱発をやめて、政府発行通貨を発行すればよい」と。
政府貨幣の発行は、ポール・サミュエルソンが小泉首相にこのアイデアを提唱した。
ジョセフ・スティグリッツも平成15年(2003)年4月財務省に招かれた際の講演で政府発行通貨の有効性を述べている。
なかでも藤井氏は、丹羽春喜大阪学院大学教授の政策を最善の方法として紹介する。
丹羽氏は、著書『日本経済再興の経済学』(原書房、平成11年1月刊)で、「救国の秘策」を提唱している。
この秘策は、政府が「政府の通貨発行権」を日銀に「無形金融資産」として売り、日銀は代価として100兆円程度の通貨を政府に譲渡するというもの。
その財政収入で借金返済も景気対策もできる。
現在のわが国には、毎年400兆円ものデフレギャップ(生産能力の余裕)があるから、インフレになる心配はない。
政府貨幣の発行は、コインや記念通貨同様、現行法で可能。
国債と違って利払いがなく、償還する必要もない。
市中に出回る紙幣は、日銀券のみとできる。
わが国では、「政府発行通貨の大成功例」があると藤井氏は指摘する。
明治維新の開始期に発行された太政官札である。
「太政官札の発行なくして明治維新は成功することはなかっただろう」
と藤井氏は言う。
藤井氏は、政府貨幣発行が不可であれば、次善策として日銀による国債の買い取り枠の拡大を挙げる。
ただし、国債の累増による利払い等は避けられない。
丹羽氏は、小渕首相・小泉首相に宛てて、「救国の秘策」を提言する建白書を送っている。
しかし、採用されるには至っていない。
多くの学者、評論家は、依然として財政危機論、構造改革論を脱しておらず、そのため、国民の大多数は、小泉構造改革を支持し続けている。
●日本人自身の手による日本の改革を
私は、現在、わが国の政府が行っている改革は、真に日本のためになる改革ではなく、アメリカによる日本改造としか思えない。
日本の改革は本来、日本人が自らの意思で行わなければならないものである。
幕末の日本も危機だった。
迫り来る欧米列強を前に、わが国は植民地化される恐れがあった。
しかし、日本人は、この危機に発奮し、自らの伝統に基づいた維新を成し遂げ、新しい国家を築き上げた。
そのことを思い起こそう。
私は、経済の問題を含めて、現在の日本のもろもろの危機は、突き詰めると日本人の精神の問題に帰着すると思う。
そして、憲法と教育基本法の改正を最優先課題と考えている。
憲法と教育基本法に、日本の国柄や伝統に関することを盛り込み、国民の愛国心・公徳心の回復を進めることが、極めて重要だと思う。
そういう精神的な基盤から強化しないと、日米関係、及びその関係に深く根ざしたわが国の現在の経済事情は改善できない。
自らに潜在する自律能力を発揮するならば、日本人は、自国の伝統・文化を保守しながら、日本の改革を進めることが可能である。
21世紀の日本が直面している国難を乗り超えるには、指導層も国民も、自己本来の日本精神を取り戻し、ともに団結することが必要なのである。