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大阪都抗争(黎明編)/みんなの党ならば、

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実現できる集団を

地域政党・大阪維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事は22日の記者会見で、次期衆院選に向けたみんなの党との合流の可能性について「(同党の政策は国会で)広がっていない状況があり、実現できない集団になってしまう。政治は結果責任。決定できる態勢を作れるチームが必要」と述べ、否定的な見方を示した。(読売新聞8月23日)

 

「みんな」解党求める声

みんなの党(衆院5人、参院11人)は5日、緊急の両院議員総会を開き、地域政党・大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)との連携のあり方を協議した。
総会では、みんなの党を解党し、維新の会が結成する新党への合流を求める声が上がったが、結論は出ず、渡辺代表に当面の対応を一任した。
渡辺氏の任期満了に伴う代表選を今月中に行う方針も確認した。
みんなの党では、小熊慎司、上野宏史、桜内文城の参院議員3人が新党参加を希望している。
(読売新聞9月6日)
 
 
「みんなの党」結党の志は、既成政党への挑戦であったはずだ。
そのためには、孤立も辞さぬという渡辺喜美がいた。
みんなの党を解党して維新の会に合流することには、
「自分こそが改革の先駆けだ」という気持ちもあろうが、
維新黎明のこの大事な時期、そんなものはごく小さなこだわりに過ぎない。
 
高杉晋作は奇兵隊を結成した後、党首の座をサッサと他に譲ったぞ。
奇兵隊隊長として実際に幕府と戦ったのは山縣有朋だった。
だが未だ、奇兵隊は高杉のものだ。
坂本竜馬の海援隊が三菱の前身なのは有名な話だが、
竜馬が暗殺されて岩崎弥太郎が後を継いだからこそ、三菱は成功したと言えるかもしれない。
(もちろん竜馬の志は他にあったろうが…)
 
身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もある。
渡辺が決断して、みんなの党を解党、維新の会と合流したとき、
維新の会が推す次期首相指名候補は渡辺喜美以外にない。
…もちろん、新党・維新が自民より大きく議席を増やした場合ではあるが。
 
小沢は93年、細川連立政権を誕生させ、その功労者として実権を握った。
09年の政権交代のときにも、小沢は「選挙の鬼」としての面目躍如だった。
だが93年当時、国民がその改革の志に期待したのは、細川の所属する「さきがけ・日本新党」にであり、自民党そのものの小沢の「新生党」にではなかった。
09年の政権交代での国民の思いはバラマキに釣られたからではなく、
自民党を一度、政権の座から引きずり降ろさねば改革は遂げられないとの判断からだと思う。
それを小沢は勝手に民主党の〝存在意義〟を、「国民の生活第一」の美名のもと、変えてしまった。
小沢は一度ならずに二度までも、政権交代で変わらねばならないはずのこの国の政治体質の温存に成功した。
 
小沢のような毒薬がなければ、政権交代はできないのか?
結局は、各々の党利党略を満たす甘言がなければ、各党は志だけでは結びつけないのか?
渡辺喜美がホントにこの国を憂い、これまで行動してきたのか、
それとも結局、政治家としての野心を満たしたいだけの二世議員だったのか。
ワタシが期待してたみんなの党ならば、きっと…
 

「みんなの党」旗揚げ、13人を公認へ

渡辺喜美・元行政改革相、江田憲司・前衆院議員らは8日、都内のホテルで記者会見し、新党「みんなの党」の結党を正式に発表した。
 
参加した国会議員(前議員を含む)は渡辺、広津素子、山内康一の前衆院議員3氏(いずれも自民党離党)と、無所属の江田氏、民主党を除名された浅尾慶一郎参院議員。
衆院選ではこの5人を含む13人を公認候補とし、ほか2人を推薦する。
 
渡辺氏は記者会見で「自民は官僚依存。民主は労組依存。真に改革できるのが我々だ。来年の参院選前に必ず政界再編の動きが起こる。政界再編のための起爆剤だ」と訴えた。
「国家公務員10万人削減」などを盛り込んだ政権公約(マニフェスト)も発表した。
 
(2009年8月8日  読売新聞)

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