しかし公職選挙法もダメだね。ネットでの政策の主張を認めない一方、バカみたいなルールで、前近代的な作業ばかりやらせる。広報様式も都道府県でバラバラ。今は役人が全部張り付いて、一から指導している。何とかしてくれ。配布ビラにも、証紙を貼らなければならない。これ昔の著作権者の検印みたいなもの。事務効率も著しく悪いのでもうなくなった遺物。しかし選挙の世界ではそれがまだ残っている。選挙管理委員会で何万枚という証紙の発行を受け、これをビラに全部手貼りしていく。これだけ公職選挙法はバカみたいなルールを定めているにもかかわらず、昨年の大阪府知事、市長のダブル選挙では、大阪市選挙管理委員会のシステムが投票当日にダウン。多くの有権者が投票所に何時間も並ばされる事態が生じ、投票所から去った。選挙管理委員会は何をやっているんだ?くだらないルールばかりを決めて、ネットでの選挙運動を禁じ、役人の仕事ばかりを増やす。そして肝心のシステムは投票日にダウン。今回はシステムダウンに備えてまた人を張り付けると言う。役人は放っておいたら、どんどん人を増やす。どんどん仕事を増やす。仕事をできる限り効率化しようと言う思考にはならない。政治家も、こんな無駄なバカみたいな選挙事務に疑問を持たないのかね。今までの政治が、いかに無力か。このバカげた前近代的な選挙事務すら変えられないような政治家が、国の行政事務を根本から変えられるわけがない。選挙のネット解禁も、いったいいつまで議論をしているんだ?とにかく、今までの政治は、何から何まで力がない。何も変えられない。こんな政治を変えなきゃ。公示後の僕のツイッターが、公選法違反かどうか議論されている。結構なことだ。官僚組織がいかに硬直的か、社会的妥当性(常識)より、一度作ったルールを死に物狂いで守る習性がよく現れる論点だ。まず公選法で文書配布に制限があるのは、無制限だと金のある者が無制限に文書をばらまくだろうと。公選法の趣旨は、金のあるなしで選挙運動に不公平があってはならないということ。ちょっと待ってくれ。ツイッターやSNSは、無料だ。誰でもできる。金のあるなしには関係ない。どれだけ広がるかは、個人次第だ。それと既存の政党は莫大な政党交付金を受けている。既存の政党合わせて350億円にも上るらしい。先日の新聞報道によると、前回の政権交代選挙あたりは、既存の政党の広告宣伝費は350億円にもなったとのこと。これ、すでに金のあるなしで不公平になっているじゃない。圧倒的に既存の政党が有利。そして日本維新の会は、僕のこのせこいツイッターが唯一のツール。もちろん、ダイレクトに投票呼びかけ行為はしないけどね。公選法が文書の配布に制限をかけたのは、金のある者がバンバン文書を出して、金のあるなしで選挙が不公平にならないようにとの趣旨。ところが官僚組織は面白い。こういう趣旨はそっちのけで、ネットが文書にあたるかどうかだけを吟味する。そしてネットは文書だから公選法の制限がかかると。やれやれ…もともと金のあるなしで不公平にならないように、という法の趣旨なのに、法の趣旨はどうでも良くなっちゃう。ネットは文書かどうかだけに焦点を当てる。担当者になるとそうなるんだろうね。そしてネットは文書→金のない者の唯一のツールを奪う→政党交付金を莫大に受けている既存の政党だけが有利。結局、ネットでの選挙運動を制限することによって、公選法のもともとの趣旨である、金のあるなしで選挙運動が不公平にならないようにということが完全に反故にされる。面白いでしょ?これが官僚制度の特徴の一つ。担当者がルールをその領域で完璧に守ろうとするから、結局法の趣旨を害することになる。なんて言うのかな。木を見て森を見ずかな。今の硬直した日本社会は、この公選法適用に見られるような官僚制度による法の適用の硬直化が原因。本当に金のあるなしで選挙運動が不公平にならないようにするためには、ネットでの選挙運動を解禁することが一番。ネットが、公選法の文書にあたるかどうかなんていうどうでも良い解釈にまた役人があてられる。とにかく仕事を増やす。選挙運動をより公平にするためにはネットでの選挙運動は当然だと言い切れるのは政治家しかいない。ところが今までの政治は、自分の責任になるのが嫌なので専門家会議を開く。専門家の審議会は、政治家が方針を示して、中身を詰めてもらうもの。審議会に方針を決めてもらうなんて、政治家の責任放棄。ネットでの選挙運動も、専門家に任せてたから、延々議論しているだけ。専門家も責任を取りたくないから決断できない。ネットでの選挙運動には、誹謗中傷の危険もあげられている。でも、ネットでの誹謗中傷なんて、選挙運動に限らず、すでにごまんとあるでしょ?なんで急にネットでの選挙運動のときだけ、誹謗中傷が横行するからダメだなんて言うの?これは反対するための反対理由。誹謗中傷がだめなら、それは選挙運動のときだけでなく一般的に誹謗中傷を防ぐ手立てを考えれば良いネットでの選挙運動の最大の利点、カネがなくても選挙運動ができる。この点を一番重要視してルールを考えるべきだ。ネットでの選挙運動は全面的に解禁すべきだ。誹謗中傷の点は、選挙運動に限らず防がなければならないので、この点は別途考えれば良い。ネットでの選挙運動を制限すると、既存の政党ばかり利する。これから既存の政党は、バンバンテレビ広告、新聞広告をやるだろう。政党交付金という国民の税金で。政党の収入の公金依存率は80%を超えたとの報道があった。となるとこの既存の政党の莫大な広告宣伝費の80%は公金だ。。前回の選挙の際には、350億円が既存の政党の広告宣伝費に使われたと言う。こういう現実があるにもかかわらず、僕のこのせこいツイッターでの選挙運動が禁止??どうなってんだこの日本は?こういうのを正すのが政治でしょ。しかしこれまでの政治は、ネットでの選挙運動の解禁すらできない。ネットでの選挙運動の解禁すらできないこれまでの政治に、いったいどんな規制緩和を期待するの?このバカげた公選法によって、どれだけ選管事務局が肥大化しているか。どこの政党も規制緩和を掲げるが、その実行力はネットでの選挙運動の解禁すらできない実行力だ。口だけの政治はもう要らない。政治は実行力。口だけなら誰でも言える。実行力はこれまでの実績で評価すれば良い。日本の国際競争力を上げるために規制緩和が必要だと、どの国会議員も言う。じゃあ、公選法ぐらいなぜ変えられなかったのですか?選挙運動のネット解禁ぐらいの規制緩和がなぜできなかったのですか?と問いたい。これまでの政治が、硬直した日本の制度を変えられなかったのは、実行力がないから。制度をどーんと変える方向性を出せるのは政治家しかいない。官僚組織に聞けば、いろんな意見が出てくる。だから政治家が方針を決めて、官僚組織にその方針で制度設計させたら良い。これまでの政治は無力だった。とは言いつつ、現行法上、公選法での文書制限があり、ネットも文書にあたるという総務省の見解もあるので、バカらしいがそれを踏まえる。嫌ならそのルールを変えればいいわけだから。こんなこと審議会で延々議論しても埒が明かない。政治家が決めれば良いことだ。今までの政治は何をやっていたんだ?それと政治資金収支報告書もバカみたいな形式的ルールのオンパレード。これでまた役所組織は肥大化。世間では考えられないルールばかり。こんなしょうもないことのために、いったいどれだけの役人が動いているか。もっと本質的なこと、政治家の資金を透明化する、という点に力を入れろと言うんだ。とにかく日本の行政体質は、書面主義、形式主義。これさえやっていれば、自分たちの責任は免れるという発想で官僚組織はルールを適用する。法の趣旨が何なのかを追求しない。政治資金収支報告書のバカみたいな形式主義はあきれるばかり。選挙の収支報告書も、こういのも政治家が変えないと。今までの政治家は、選挙運動の収支報告書、政治資金の収支報告書の、バカみたいな形式主義、書面主義をバカだと感じない。それくらい世間の感覚がない。日本の社会は、一事が万事これ。そして閉塞感漂う社会になっている。これくらいのルールを正せない政治が、世の何を正せると言うのだ。そもそも選挙運動収支報告書、政治資金収支報告書のバカらしい形式主義のおかしさすら感じていないのだろう。断っておくが、政治家の金の流れは徹底して明らかにすべき。ところが今のルールは、そうなっていない。肝心のところはザル法。そしてどうでも良いところだけバカみたいに形式的に厳格。そしてこの形式主義、書面主義は、どんどん役人の仕事を増やす。どんどん役人を必要とする。そしてその仕事は、ほとんど責任の伴わない形式的な作業。日本の行政組織は一事が万事こうなっている。だから肝心の国民の利益を守れない。典型的だったのは原発行政。膨大な書面を事業者に求める。そして形式的チェック主体。それで、原発事故を防げなかった。このような日本の行政体質である以上、原発を抱えることはできない。裁判所も書面主義を改めようとして苦心している。日本の行政も、その思想、哲学、体質から変えていくべきではないか。書面主義、形式主義は、行政にとって一番楽。無責任。このような行政哲学を変えていくのも、政治しかない。これまでの政治は、変えられなかった。一気に変えられるわけがない。戦略は細部に宿る。公選法、政治資金・選挙運動収支報告書のバカみたいな形式主義を変えるところから一歩踏み出すべきだ。閉塞感漂う日本を打ち破る!まあどの政治家も言いますよね。今回のこれだけ重要な衆議院総選挙。この選挙自体が閉塞感がプンプン漂っている。公選法についてのネットも文書にあたるという総務省解釈。たったこれだけで、1500人を超える立候補者は、ピタッとネットの活用を止めた。朝日新聞だって、いつものデモを最大限尊重し、間接民主制より直接民主制、何でもかんでも熟議絶対主義なんだから、ネットでの国民全体での政策論議は大賛成だろう。これを全部止めているのが、公選法についての総務省解釈。日本社会は一事が万事これ。総務省解釈なんて数人の役人の解釈だよ。リアルな討論会が時間を問わず行われる。有権者もその中にどんどん入る。これが本来の選挙運動、民主主義だろう。それがネットは文書にあたるからネットでの選挙運動は禁止。こんなバカな総務省解釈で、全てのネット民主主義が禁止。バカだね~日本社会は。形式的ルールによる儀式的な運動。名前の連呼。何枚枚と言う証紙をビラに貼る無意味な途方もない前近代的な作業。何から何までばかげている選挙運動。弊害のことを考えるより、なぜメリットの方を想像しないのか。これが官僚的思考。官僚組織の弊害は、担当者が皆問題を起こさず2、3年の任期を無難に過ごそうとすること。そしてそれが積みあがって、とにかく現状維持となる。ネットの選挙運動を解禁にすれば選挙が劇的に変わる。こんなことくらい政治家が想像できなくてどうする?変えなくてどうする?ネットでの選挙運動ができれば、どれだけ政策論議が盛り上がるか。直接、候補者と有権者、そして専門家が、時間を気にせず議論できる。名前の連呼の選挙運動はもう止めよう。既存のメディアが設定した論点だけで流されるのはもう止めよう。選挙運動のネット解禁となれば、メディアも切磋琢磨となる。今のテレビのような、事なかれ主義、とりあえず公平性を保ちましたの番組では誰も観なくなるだろう。全く国民の知る権利に奉仕していない。公示後からやっと一部新聞が幅広に論点整理に取り掛かってきたが、メディアはこれまでワンイシューはダメだと言いながら、ほとんどワンイシュー。原発をいつにゼロにするか。そんなの政治家の言い値だ。具体的工程表を吟味することなく、政治家の言い値だけを取り上げる。ネットで政策論争ができればな~
↧
橋下市長のつぶやき/ネットで選挙を
↧