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ハシズム・スプラッシュ/昔の理屈では体罰はなくならない1

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昔のような理屈で体罰を擁護することはできない

橋下市長の対応が妥当な理由 BLOGOS編集部

 
【出演】
司会:大谷広太(BLOGOS編集長)
アナウンサー:佐々野宏美
 
須田慎一郎(ジャーナリスト)
宮台真司(首都大学東京教授 社会学者)
藤井誠二(ノンフィクションライター)


佐々野:
大阪市立桜宮高校の問題で取り上げられているのが、教育現場における体罰の必要性。
体罰は愛のムチなのか?ただの暴力なのか?どう受け止めるかで問題の重要性も大きく変わってくると思います。
桜宮高校のケースでは、問題の教師はスパルタ指導が有名で、バスケ部の生徒はそれを知った上で入部してくると言い、部のOBからはこの教師を「熱心な先生だ」と擁護する声があがっているとか。
このような報道だけを聞くと、「体罰=暴力教師」と考えるのはあまりにも安直すぎる気もします。
 
須田:
大前提として舞台が企業でも学校でも、こういった問題を解決する上で必要な3ステップがあると思うんです。
1つ目は“何が起こったのか、実態の全貌を解明する”。
2つ目は、“解明したことに関して責任の所在を明確にし、責任を負わせる”。
3つ目は、“それを踏まえて再発防止策を講じる”。
今回の件では体育科の入試中止が“再発防止策”になるわけですが、ステップ1と2を飛ばして、実態解明のないまま再発防止策を行い、決着が着いたかのように見せるのは非常に違和感がありますね。
 
藤井:
1995年に近畿大附属女子高校で起きた事件について僕が以前書いた『暴力の学校倒錯の街(朝日文庫)』という本があります。
女子生徒が先生に殴られて、頭を打って死んでしまったという事件です。
その10年前の85年には、岐阜県のある高校で、生徒が修学旅行中に禁止されていたドライヤーを使っていたために先生から殴られ、即死状態となった事件がありました。
恐らく85年以前からこういう問題はあって、暴力に依存したスポーツエリート教師や生活指導の先生が学校の中で非常に力を持っていて、それが問題視されていたという構造は変わりません。
なので、今回の事件が起きた時、「また起きてしまったか」という残念な気持ちが拭えませんでした。
こういう事件の取材を続けていますが、昔から全然変わっていません。
子供が殴られて死ぬ、体罰による自殺、そういう犠牲者が日本の学校教育の歴史の中で積み上がってきている。
そういう意味で教育委員会の隠蔽体質も同じで、「そういうことがあったから、もうやめよう」という学校の中の自浄能力には期待できないと思います。
20年間、取材者として現場の様子を見てきた率直な気持ちですね。
だから、橋下さんが今回行った暴力を振るう教員は追放するというのは、須田さんがおっしゃったように何が起きたのか実態解明をした上で動いたほうがよかったとは思いますし、荒療治だとは思いますが、ありなのかなと思います。
 
宮台:
橋下さんの対応は妥当です。それは須田さんがおっしゃったように、実態が解明されていないからです。
しかも、生徒や親を含めて現場の教員達を擁護する声が非常に強いから、自浄能力は全く期待できない。
こういう場合は、外からの力が必要です。
また事故が起こるかわからない、事故の原因が究明されていない。
だから、桜宮高校の入試中止は当然というのが僕の考えです。
それと、体罰に無条件で反対なのかというと、そもそも“体罰は無条件で反対”という議論には意味がありません。
というのは、僕たちは現に体罰を受けて育ってきているからです。
僕の考えでは、かつては体罰が容認できるような条件があったのではないかと。
しかし、その条件が満たされなくなってきて、現在の条件を前提にした場合、体罰は容認できないというロジックになる。
では、かつて体罰を容認していた条件はなんだったのかというと、一口でいえば、学校が特別な場所、聖域だった。
その時代には、学校で問題があって警察を呼ぶことは、右側からも左側からも嫌われていた。
ですから、体罰があった時「これは暴力事件だ!」と言うのは、後ろ指をさされてしまうような反応だった。

 
須田:
宮台さんに伺いたいんですが、今回の桜宮高校の件を含めて体罰に対して一定程度の理解を示す空気が濃厚ですが、どう思いますか?
 
宮台:
濃密に感じますよね。こういう問題はリサーチをうまくすることができないので、本当の分布はよくわからないんですが、問題は空気感。
例えば、「容認している人もいっぱいいるじゃないか」と思うような空気だと、実際に体罰をやってきた人達は「ほら、俺のやってきたことが正しい!みんなも支持してるし!」と思いがちなんですよ。
橋下市長が外から行政的に介入をするのがどうして妥当なのかというと、まさに桜宮高校のOB、親、生徒たちに、そういう空気を感じさせる人間が大勢いるからです。
彼らがこれほど体罰を容認しなければ、逆に行政的な介入の必要はない。
そこに1つ逆説がある。
体罰が他の学校で起きてそれが事件化した時に、それを容認する空気感が学校周辺から出てくれば、行政が訴訟のような一方的なプロセスで介入するのは不可避不可欠だと容認派にもわかっていただきたい。
 
須田:
結論から言えば、橋下さんのやったことは正しかったと?
 
宮台:
それ以外にはないと思います。
 
藤井:
橋下さんが今回やったことは、前代未聞です。
かつてこういう形で先生を強制的に動かしたり、学校に調査を入れたことは無かった。
大津市のいじめ自殺事件の場合は、越市長が第三者委員会を作りましたが、越市長は弁護士で特に子供の権利に非常に強く、とりわけそういう問題に意識の高い人。
ああいう形で首長が引っ張ることをどのぐらい普遍化できるかだと思います。
手法や事後対策を、他の自治体もちゃんと倣えるかどうかですよね。
橋下さんほど強権を振るわなくても、せめて第三者委員会をすぐ立ち上げて対応できるかが問われてくると思います。
こういった問題は絶対起きてほしくないけれど、大なり小なり今後も続くと思うんですよね。
 
須田:
そうなると大事なのは、自治体トップの問題に対する認識や、問題が起こった際の対応の仕方ということになってきませんか?
 
藤井:
結局は、上からやるしかないという情けない話なんですよ。
本当は学校現場なり、市町村の教育委員会のレベルで解決しなくてはいけない。
それができないなら、市町村のトップが予算を執行しないことを盾にして脅かしていく方法も、1つのケースとして見習ってほしいと思いますね。
 
宮台:
実はいじめた人や体罰をしてしまった人は、社会的制裁を受けないんですよ。
自浄能力の中には、その学校の自浄作用も含まれますけど、マスメディアも含めた社会的な自浄もあるわけですよね。
今回の桜宮高校の件で目立つのは、「また橋下かよ!」みたいなことです。
僕は橋下さんの政治手法についていい部分も悪い部分もあると思いますし、マスメディアがその一部を非常に悪いと言っているのも考え方の一部だと頷ける。
しかし、その問題とこの問題は別です。
そういう意味で「橋下やりすぎ!子供たちも親たちもこんなに学校を愛していて、橋下さんのやり方こそがいじめの本質、体罰の本質なんだ」と、クソみたいなデタラメをいう奴がでてくるようなマスメディアは呆れた状態です
誠二さんも僕も色んなリサーチの現場で見ていますが、そういう方の多くは現場を知らず、自分と意見を同じくする“同じ穴のムジナ”みたいな連中とだけしゃべっている。
あるフィクションのパイの中にいます。
「子供たちは、親たちが抱いている思いを無視して……」なんて言いますが「何いってんの?」と。
この流れの中で何が起こってきたのか、よく目を見開いてみろよということです。
 
藤井:
先ほどの須田さんの話の続きで、「体罰」が起こるとちゃんと把握して、学校長が事故報告書として教育委員会に上げ、最終的に文部科学省にあげます。
毎年1回、処分された教師がズラっと載る教育委員会原本があるんですが、実はあれ全部実名じゃないんです。
学校名も実名じゃない。
どこで誰がなにをしたのかさっぱり分からない上に、事故報告書もちゃんと書かない。
だから、処分された教師の数は毎年300~400ぐらいで、メディアが「今年も横ばいだな」と報道する程度。
例えば、ひどい体罰事件を起こした先生がいても、その先生がどこに異動して、その後どうなったのか追跡調査もないし、事後的な追いかけも全くない。
そういう文部科学省の体質からしても、先生たちに対して“甘い”と昔から指摘され続けてきています。
だけど、神奈川県は、まあこれは完全な犯罪ですけど、子供へのわいせつ事件を起こしたといった場合、即刻懲戒免職をすると自治体の条例で決めています。
1つ1つの事例に対して調査をしないといけないけれど、それが常習化している先生、例えば今回の桜宮高校の先生も過去に起こした問題が出てきていますが、そういう先生に対してはもう一度チャンスを与えるよりも、違う現場に変わっていただくほうがいい。
言い方は悪いですが“追放”ですね。
こういったことを文部科学省含めてきちっとやらないと、なかなか改革にはつながらないと思います。
 
大谷:
今回の件に限って言えば、現場の先生あるいは校長や教育委員会など、学校のシステムの中で調整するよりも、強制的に排除したほうが解決しやすいということですよね。
 
藤井:
本当なら教育委員会は独立性が高く、学校で起きた問題を校長から事後報告書として受け取り、それを対処して人事権や任命権を行使しなくちゃいけない。
しかし、そういう対応をしてこなかった。
そもそも、裁定機関としての能力も機能もないわけです。
例えば、被害者や生徒から話を聞く部署が無い。
それから学校は基本的に「ごめんなさい」で済むことは、みんな一生懸命がんばるんですよ。
つまり、子供と子供がケンカして「◯◯ちゃんが◯◯ちゃんをケガさせた」とか。
学校は、個人や生徒や親のプライバシーを共有しあって成立している空間なので、それをみんな出し合って「ここはこういう事情だからごめんなさい」という話なら一生懸命がんばるわけです。
それが、今回の桜宮高校みたいに子供の命が失われたり、マスコミで大きな騒ぎになってしまうと、学校や教育委員会もお手上げになる。
自分たちの責任問題として跳ね返ってくるから、誰もそういう裁定ができないし、そもそもそういうところじゃないから、誰も公平なジャッジができなくなってしまうんですね。
橋下さんのように、強権を振りかざして行うというのも1つの方法だったと思います。
 
 
 
to be continues.

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