さ、憲法論議が盛り上がってきた。どこもかしこも憲法、憲法。僕が記憶する中では、ここまで憲法論議が盛り上がったことは以前にはない。非常に良いことだ。産経などもぶっ飛んだ憲法案を出して中曽根さんは賛成を表明。僕は反対。いやー、本当に良いことだ。憲法こそが国を形作っている根本なんだから。しかしね、憲法学者の質も悪くなったものだ。小難しいことを並べるけども、小難しいことを並べすぎて、自分の論理の自己矛盾に気付いていない。これは憲法論ではなくて、単純な論理学、いや論理学とも言えない話なんだけどもね。まず96条改正は、改正手続きを「緩和」するのではない。憲法改正について、国民投票で決着を付けましょうよということ。だってここまで憲法の議論が盛り上がって、色んな意見が出てくる。今のままだと、結局国会議員による発議すらできずに、国民投票まで行かない。何のための議論だかさっぱり分からない。なぜ今回、ここまで憲法の議論が盛り上がっているのか。それは改正される可能性が高まったから、皆必死になり始めた。朝日、毎日、護憲派と呼ばれる人たちが必死になっている。これはこれで良いこと。ただ最後は国民投票で決着させてもらわないと。日本国憲法の憲法改正手続きの特徴は国民投票だ。衆参3分の2による発議を2分の1にしたところで、軟性憲法(法律と同じ手続きで変えられる)になるわけではない。国民投票が必要なので、ここが法律と決定的に異なる。衆参3分の2の発議要件を2分の1にしても、硬性憲法憲法であることに間違いない。護憲派と呼ばれる人達は国民投票を軽視している。朝日新聞の石川健治さん(憲法学者)のオピニオンは凄かった。小難しいことを言い過ぎて、肝心要の論理が破たんしてしまっている典型。今の憲法学者って皆こんなのかな。朝日が統治の最重要モデルとする5人や10人の人間の単位では、対話や直接民主制が成り立つのだろう。こんなの夢物語。そういえば、内田樹氏も、自らが主宰する合気道道場こそが、これからの公のモデルになると公言していたな。日本は1億2000万人の国。ありとあらゆる課題について国民全員で対話して結論を出すなんて、そんなの無理。だから選挙で代表者を選らんで代表者で議論してもらうことにした(間接民主制)。こんなのは憲法前文を引くまでもなく当たり前のこと。ただ、あえて日本国憲法は憲法改正については国民投票に付すことにした。これは重すぎるほど重い。世界各国の中でも、国民投票まで付す国は少ない。そしてフランスやイタリアは、国民投票を回避できるのは、議員による特別多数決があった場合。96条改正反対派の主張の根幹は、国民投票は信じられないと言うこと。ところが、フランスもイタリアも、国民投票は議員による特別多数決に匹敵するもの。すなわち国民投票で決定すれば、議員による特別多数決は要らない。それほど国民投票で決めると言うのは重いことだし、それこそ国民主権そのもの。石川さんは、なんと国民投票を軽く扱っていることか。わざわざ日本国憲法は憲法改正について国民投票を求めているのに、それでもまだ国会議員による議論が重要だと言っている。憲法改正においては、国会は国民投票に出す発議の役割。案を作る役割。普段、政治家は官僚の作った案について決定する役割。石川さんは、政治家の政治討論の実際をご存知ないようだ。政治家が行政的な議論までできるわけがない。政治行政の議論には2つある。制度の中身の議論と、選択肢の中から決定する議論。日本の政治の場では、まだきっちりと整理されていないが、本来は政治的討論は決定のための議論だ。ところが憲法改正になると、政治家は国民に対して案を作る役割になる。そして決定は国民が行う。ゆえに、政治家は国民に対して案を出さなければならない。今の96条では、政治家が国民に対して、憲法改正案を出せない。だから変える必要がある。国民投票がきちんとできるようにしなければならないのだ。そして朝日や毎日は論理破綻。原発政策をはじめ、様々な政治課題で朝日や毎日は市民運動を重視。市民運動によるデモによって政治をしろと言う。議員よりも、市民の声を聞けと。その場合には、その市民の声はいっときの熱狂的な声だとは言わない。信用できない声だとは言わない。ところが憲法改正のときには、国民投票は危険だと言う。完全に結論先にありきのご都合主義。原発政策は、市民運動の声の結論を採用したい。憲法改正においては、国民投票の声を採用したくない。朝日や毎日は、自分の採りたい結論に合わせて、市民運動を重視したり、国民投票を軽視したりする。これは違う。日本の国の統治の建前は、原則間接民主制。議員による討議によって決定する。市民運動に流されてはならない。しかし憲法で定めるような場合には例外的に、直接民主制を発動する。憲法改正の場面においては、まさに直接民主制で国民によって決しようというのが日本国憲法の考え方だ。日本国憲法はその憲法を信じるかどうかも国民の自由とした。憲法尊重擁護義務は国民に課されてない(99条)。そして他の国の人を信じていれば、自らの安全と生存を保持できるとした(前文)。極限まで人間を信頼しているのが日本国憲法だ。ところが石川さんをはじめとする護憲派はどうだ?朝日や毎日、石川さんをはじめとする護憲派と言われる人たちは、国民投票を信じていない。これは極限まで人間を信頼する日本国憲法の価値に反する。すなわち護憲派と言われる人たちこそ、日本国憲法の価値を守っていない。3日の毎日新聞で僕の記事と並んだ憲法学者樋口さんの意見にもがっかりした。極限まで人間を信頼しているのが日本国憲法なのに、樋口さんも国民投票を信じていない。そして彼らの決定的な論理矛盾は、これから行う国民投票は信用していないのに、日本国憲法を作った当時の国民は徹底的に信じている。樋口さんも石川さんも96条改正の憲法学者は皆口を揃えて言う。「後の国民は間違う判断をするかもしれない。ゆえに先の国民が後の国民の力を縛るのが知恵だ」と。しかし先の国民がなぜ絶対的に正しい判断をしたと断言できるのか。日本国憲法を制定した当時の国民が間違っている可能性もあるではないか。そして憲法学者は政治の現実を知らない。樋口さんは、「先の民主党への政権交代は間違っていたではないか。国民の判断なんかあてにならない」と。しかし民主党への政権交代が絶対的に間違いなのかどうかはわからない。ただ国民は自民党への政権交代を選択した。これこそが国民の判断だ。絶対的に正しいかどうかは分からない。それが問題なのではない。国民の選択に委ねるということが重要なのだ。民主党がダメだったから国民は自民党に政権交代させた。しかし民主党への政権交代があったからこそ、今の自民党がある。これが国民の判断に委ねる最大のメリットだ。憲法も同じだ。今議論が盛り上がっている。しかし何が正しいかは分からない。だから国民の判断に委ねる。仮に行き過ぎた改正があるかもしれない。しかし、その場合には次の改正でまた正されるはずだ。樋口さんも、石川さんも一回の改正しか考えていないのではないだろうか?何が正しいか分からないが、国民投票に委ねることで、正しいものに近づいていくだろう。これが国民投票を重視する僕の立場。ところが国民投票を軽視する人たちは、自分の価値観が絶対的に正しいと確信している。他の価値観を全否定。これこそ、日本国憲法の価値相対主義に反する。護憲派と呼ばれる人たちは、自分の考えが絶対的に正しいと確信している。まさに価値絶対主義。僕は、自分の考えが正しいとは思うが、絶対的かどうかは分からない。他人の考えも尊重する。しかし決しなければならないので、国民投票で決しましょう、という考え。これが日本国憲法の価値相対主義だろう。石川さんは、「勝つためのルール変更」選手はできぬと、よく分からない喩えを用いている。議員が選手なのだろう。しかし憲法改正においては、国民がFIFAだ。国民はルールを変えることができる。96条改正は、国民が自ら憲法を変えることができるようにする改正だ。議員による憲法改正ではない。そして石川さんの究極の論理のドツボは憲法改正権について。妄想的論理で96条は変えられないと結論付けている。ここでの前提は国会議員が憲法改正権者であるということ。国民が憲法改正権者とするだけで、石川さんの論理は崩れていく。そんなうすっぺらい論理。憲法制定権は国民主権においては、国民にある。そして一度憲法を制定すると、憲法制定権は憲法改正権として憲法の中に溶け込む。憲法改正権者はあくまでも国民。そうであれば憲法96条も国民が変えることができる。それを端的に表したのが96条の国民投票。石川さん、そんなに小難しく考えないで。石川さんの論理で言ったら、そもそも日本国憲法の存在根拠もなくなりますよ。日本国憲法は大日本帝国憲法の改正手続きで行われたもの。貴族院での審議も行われた。大日本帝国憲法が日本国憲法の産みの親にはなれないはず。大日本帝国憲法を廃棄し、憲法起草会議によって日本国憲法を作るべきだった。96条を改正することが立憲国家に対する反逆だとか革命だとか、ここまで妄想が広がると凄すぎる。政治家と国民を分断する朝日、毎日のロジックの真骨頂。僕は国政政党の代表だけど、普通の国民だと思っている。今もリビングでツイッターを打って、後ろの食卓で妻と子供がテレビを見ながら喋ってる。それでも僕は権力者ならば、普通の国民と区別されても良い。しかし、憲法改正の主役は権力者ではない。憲法改正の主役は権力者でない国民そのものだ。国民が憲法を変えるというのに、何が立憲国家への反逆なのか、何が革命なのか。日本国民はそんなバカじゃない。朝日や、毎日、そして石川さんや、樋口さんのような人たちが恐ろしい。それは自分の考えこそが絶対的に正しく、国民は正しい判断ができないと言う、衆愚政治論を持ち出す面々。日本国憲法は朝日や毎日、憲法学者だけを信じているのではない。国民全てを信じている。だから憲法改正は国民投票に付す。朝日、毎日、石川さん、樋口さん、その他護憲派と呼ばれる人たちへ。もっと国民を信用しなさい。日本国憲法の価値を守って下さい。あなた方よりも、国民の方が信頼できますよ。民主党への政権交代から自民党への政権交代。確実に政治は良くなった。これも国民がやったんだ。朝日や、毎日がどれだけのことを書いても、石川さんや樋口さんがどれだけの憲法論を唱えても、この国民の力にはかなわない。96条改正は、改正の要件を「緩和」するのではない。もっと国民を信じて、国民の力で憲法を良くしていくために、国民投票を活用するための改正だ。96条改正反対派からは、衆参2分の1の発議要件になれば、むちゃな改正案がどんどん出てくると批判する。これも現実の政治を分かっていない。2分の1を獲得した勢力が無茶な改正案をどんどん出したら、次の選挙で入れ替えられますよ。それが選挙。選挙が機能する以上、国会議員も無茶な改正案を出せない。国民も仮に間違ったなと思ったら、次にまた改めれば良い。敗戦直後に作られた憲法を絶対的な存在として崇め奉るより、国民の判断に委ねならが、より良いものにしていくことの方がベターだ。国民投票は物凄く重い。
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橋下市長のつぶやき/憲法論議を始めようⅣ(衆愚政治論を持ち出す面々)
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