産経新聞の憲法案は怖い。このような憲法観だと、30日の夕刊3面、「目覚めよ、沖縄の世論」となってしまうだろう。産経は国家を前面に出し過ぎ。この国家は、たやすく永田町と霞が関の公権力に結びつく。だいたい国を守るのは国民ではなく政治家、官僚と自衛隊だ。僕は4月30日から2日まで沖縄に行ってきたけど、あの悲惨な沖縄地上戦を招き、沖縄を本土の捨て石としたのは、まさに日本政府だったじゃないか。国家なんてそんな神的なものではない。普通のおっさん、おばさんが運営しているんだ。だから間違いも犯す。国家を神格化してはならない。日本の伝統や文化、隣人、地域コミュニティーは大切にしなければならないし、これは守らなければならない。しかしそれを単純に国家と言うのは違う。産経の言うところの国家は主体性を持った国家であり、これは公権力とたやすく結びつく。沖縄の米軍基地は必要不可欠だ。普天間基地も辺野古移設しかない。日本のために、沖縄県民の皆さんにお願いせざるを得ない。しかしその際、国家を前面に出すと、産経的主張になる。違う。抽象的な国家を出さず、個別具体的の私、僕、子ども、孫を出せば良い。私、僕、子ども、孫、隣人の安全のために、沖縄県民の皆さんにお願いする。国家を前面に出すと、国民一人一人の沖縄への感謝の念が薄れる。それで産経のような主張になる。国民一人一人が、自分の安全のために、沖縄が負担を被ってくるているということを意識する。それがひいては日本の安全保障になる。だから僕は産経の憲法案には反対だ。産経の憲法案では、沖縄への感謝の念すら薄れる。
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橋下市長のつぶやき/憲法論議を始めようⅤ(ヤバいのはこういう考え方)
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