Quantcast
Channel: SALUMERA
Viewing all 2520 articles
Browse latest View live

「命乞いの女性をメッタ刺し裁判」 判決は死刑

$
0
0

命乞いの女性をメッタ刺し「1人殺害」で死刑、残虐殺人の真相


産経新聞 2013.2.23

裁判員らは迷うことなく「初犯で1人殺害」の被告に極刑を選択した。
岡山市内で平成23年9月、派遣社員の女性=当時(27)=を殺害したとして強盗殺人や強盗強姦、死体損壊・遺棄などの罪に問われた元同僚の大阪市住吉区、無職、住田紘一被告(30)の裁判員裁判。岡山地裁は14日、求刑通り死刑判決を言い渡した。

性欲を満たすため犯行に及んだという被告。
その身勝手さに加え、命ごいする被害者を躊躇なく殺害し、遺体をバラバラにして遺棄した残虐性、「殺人は是認される」といった公判での非常識な発言もあり、「被害者複数で死刑」という過去の判例にとらわれることなく判決は下された。

「好みの女性を選んだ」
今月5日から集中審理された公判では、犯行の残虐ぶりが改めてクローズアップされた。

検察側によると、住田被告は岡山市の元勤務先の倉庫に女性を誘い込み、現金2万4000円入りのバッグなどを奪い、性的暴行を加えた上、ナイフで胸などを10回以上刺して殺害。
遺体は大阪市内のガレージで5つに切断し、一部はゴミ袋に詰めてゴミステーションに捨て、残りは大和大橋の上から大和川に捨てた。
交際していた女性とうまくいかず性的欲求を募らせたことが犯行の動機だった。

住田被告は起訴事実を認め、被告人質問では「同僚からこの女性を含む好みの女性を選んだ」などと、強姦して口封じのため殺害する計画的犯行だったことも認めた。
また殺害の際、女性が「誰にも言わないから助けて」と懇願したにもかかわらず、「殺害を止めようとは思わなかった。心が揺らがなかった」と供述。
「被害者や遺族がかわいそうだと思わないない」
「殺人は是認される」
とも語った。

なんとしても死刑を…
結審直前に住田被告が「謝らせてください」と涙を流しながら遺族に頭を下げる場面もあったが、遺族らは真摯に反省しているとは受け取れなかった。

被害者参加制度で検察側に座っていた女性の父(60)は被告の突然の謝罪について
「あれは作戦だ。裁判員の心情に訴えるため、最初から発言を覆すつもりでいたのだろう。
どこが一番効果的なのかを考えていた」
と逆に態度を硬化、
「被告は人間の皮をかぶった悪魔。最高の刑を下してほしい」
と述べた。

女性の弟も証人尋問で
「もし無期懲役なら、いずれ元犯罪者として社会に戻ってくるかもしれない。
でも私たちは一生遺族として生きてゆく。元遺族になることなどできないのに…」と死刑を強く訴えた。

永山基準に照らして
裁判では事実関係は争われず、「情状」の有無、死刑か否かという点のみが焦点になった。

ここで参考にされたのは、最高裁が昭和58年の判決で示した「永山基準」。
死刑適用にあたり、
(1)犯罪の罪質
(2)動機
(3)態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性
(4)結果の重大性、ことに殺害された被害者の数
(5)遺族の被害感情
(6)社会的影響
(7)犯人の年齢
(8)前科
(9)犯行後の情状-
の9項目を検討対象としたもの。

その後の死刑判決はこれを踏まえて下され、「1人殺害」では死刑を回避する流れができた。

今回の公判でも永山基準に言及する場面が見られた。
死刑を求刑した検察側は「被害者が1人であり、被告に前科がなく、犯行を自白しているとはいえ、酌量すべき事情ではない」「無期懲役受刑者は平均35年で仮釈放になっている。

35年後に被告は65歳。
まだ犯罪は十分に可能である」と求刑理由を説明。

一方、弁護側はこの基準に照らし「計画性があったとしても内容は稚拙で前科もない。被害者の数という点でも死刑はふさわしくない」とした。

残虐で自己中心的
注目の判決は求刑通り死刑だった。
裁判員裁判の死刑判決は16人目で、1人殺害のケースでは3人目。
被告に前科がなく、1人殺害で初犯のケースは初とみられる。

「被害者が一人であっても結果は重大。性的欲求不満を解消するためという動機は極めて自己中心的で、犯行は残虐。公判途中での謝罪は被害者心情を思ってのものと認められない」

異例の判決となったが、森岡孝介裁判長は判決理由をこう語った。
前科がない点にも「(被告は)凶悪かつ非常の犯行を計画し、次々と実行しえたことから犯罪的傾向を有する。更正可能性は高いといえない」との判断を示した。

市民感覚を反映
裁判員も閉廷後の記者会見で
「残虐以外の何ものでもなく、酌量の余地はなかった」
「本当に反省しているなら、初公判から素直に謝罪すべきだった」
などと口々に被告を批判し、量刑理由を語った。

会見に応じたのは裁判員6人、補充裁判員2人のうち5人。
会社員の男性は住田被告は永山基準を参考にしたと述べる一方、
「私たち一般市民が今の時代の流れに沿った意見を判決に入れてもいいのではないかと思った」
と、市民感覚を生かした判決であったと振り返った。

住田被告は即日控訴した。
女性の父は「死刑を受け入れて本当の意味の反省をしてほしい」と語ったが、事件はプロの裁判官による2審の判断にゆだねられることになった。



これで二審、最高裁でひっくり返るなら、
有無を言わさず仕事を休まされ、心的外傷(PTSD)を負わされるリスクを背負い、
一体何のために裁判員させられるのか、
ってなる。



【関連記事】↓


裁判員の死刑判決、破棄確定へ…最高裁が初判断

読売新聞 2015年02月04日

1審の裁判員裁判の死刑判決を破棄して無期懲役に改めた2審の量刑判断の是非が争われた二つの強盗殺人事件の上告審で、最高裁第2小法廷は3日付の決定で、2審の判断を支持し、被告、検察側の双方の上告を棄却した。

被告2人の無期懲役が確定する。千葉勝美裁判長は「究極の刑罰である死刑の適用には慎重さと公平性が求められる。
裁判員裁判でも、過去の裁判例で示された量刑判断を出発点に評議を行うべきだ」との初判断を示した。

死刑の量刑判断を巡っては、最高裁が1983年に被害者数や殺害方法、前科などの9項目の基準(永山基準)を示しているが、裁判員裁判で死刑をどう判断すべきかの判例はなかった。2事件はいずれも殺害された被害者が1人で犯行の計画性もなく、決定は、前科や更生可能性の低さを過度に重視して死刑を選択することを戒めた。今後、裁判員らが死刑判決に慎重になる可能性がある。

最高裁:裁判員「死刑」を破棄…2件の無期確定へ

毎日新聞 2015年02月04日

裁判員裁判の死刑判決を2審が無期懲役に減刑したことの妥当性が争われた2件の強盗殺人事件の上告審で、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は3日付で、いずれも死刑を求めた検察側の上告を棄却する決定を出した。
2審・東京高裁判決が確定する。
小法廷は、2事件はいずれも被害者が1人で計画性も低いと指摘し、「先例の傾向から見ても、2審を覆さなければ著しく正義に反するとはいえない」と述べた。
裁判員裁判の死刑判断の破棄が確定するのは初めて。死刑判断に当たり、過去の先例を重視する傾向が強まりそうだ。

2件は、千葉県松戸市で2009年、女子大学4年生(当時21歳)を殺害して放火し、強盗殺人や現住建造物等放火罪などに問われた竪山(たてやま)辰美被告(53)と、妻子の殺人罪で20年服役した後の09年に東京・南青山で男性(当時74歳)を殺害したとして強盗殺人罪などに問われた伊能和夫被告(64)。

竪山被告について1審・千葉地裁は、出所後3カ月で殺人の他に強盗強姦(ごうかん)も繰り返した点を重視し、「短期間で重大事件を複数起こし、被害者の対応によっては生命に危険が及んだ」と死刑を選択。
しかし2審は「殺人以外の事件はいかに危険性を重視しても死刑の選択はあり得ず、生命を奪おうとしていない」と減刑した。

伊能被告については1審・東京地裁が「過去に妻子の命を奪い、懲役に服しながら強盗目的で命を奪ったのは冷酷」としたが、2審は「2件の関連は薄く、前科を過度に重視するのは相当ではない」とした。

小法廷は「死刑は究極の刑罰で、過去の裁判例の検討が不可欠。
死刑の選択がやむを得ないという具体的で説得的な根拠を示す必要がある」と指摘。
2件についていずれも「1審判決は、死刑選択はやむを得ないとする根拠を示しておらず、死刑を破棄した2審判決が不当とはいえない」と述べた。

裁判官3人全員一致の意見。検察官出身の小貫芳信裁判官は審理を回避し、寺田逸郎長官は慣例で加わらなかった。

三浦守・最高検公判部長の話 主張が認められなかったことは残念だが、最高裁の判断なので真摯(しんし)に受け止めたい。

◇裁判員裁判◇
殺人や傷害致死、現住建造物等放火などの重大事件を対象に、原則6人の裁判員が3人の裁判官と有罪か無罪か判断し、有罪の場合は量刑を決める。意見がまとまらない場合は多数決となるが、少なくとも裁判官1人が賛成しなければ死刑判決は言い渡せない。


裁判員裁判 初の死刑破棄確定へ…「市民参加」何のため

毎日新聞 2月4日

死刑という究極の刑罰を前に、市民感覚と公平性のバランスをどう保つのか。
死刑と無期懲役で1、2審の判断が分かれた2件の強盗殺人事件の裁判は、最高裁決定により死刑回避で決着した。
死刑を選択した裁判員裁判の判決が否定されたことに、遺族は「何のための市民裁判か」と憤り、審理に当たった裁判員経験者は複雑な胸の内を明かした。

やはり先例重視 遺族、強い憤り
「泣き叫ぶというよりも、涙が出ないくらい怒りを覚える」。2009年に千葉県松戸市で殺害された千葉大4年、荻野友花里さん(当時21歳)の母、美奈子さん(62)は声を震わせた。

友花里さんは、自宅マンションに侵入してきた竪山辰美被告(53)に包丁で胸を刺され、亡くなった。
裁判員裁判の千葉地裁は死刑。出所直後から強姦(ごうかん)事件などを繰り返したことが重視されたが、東京高裁で減刑され、最高裁も支持した。
荻野さんは「娘は殺されて、裸にされて燃やされた。遺族には『公平』の言葉に意味はない」と怒気を込めて語り、「加害者は一人一人違い、被害者もいろいろなのに、結局、プロの裁判官に都合の良い言葉のまやかしではないか」と訴えた。

一方、伊能和夫被告(64)の裁判の補充裁判員だった女性は「先例重視を理由に結論を変えられたことには納得がいかないが、死刑が確定してもショックを受けていたと思う。どこにも落としどころがない」と心情を吐露した。
一方で「経験が無駄だったとは思わない。裁判員になったからこそ死刑制度を考えるようになったし、国民が裁判に関わる意義はある」とも語った。

裁判員裁判の死刑判決は全国で22件。
うち今回の2件を含む計3件が控訴審で無期懲役に減刑された。
残り1件は長野市一家3人殺害事件の被告で、2審は共犯者に比べて「関与が限定的」と指摘。
検察が上告を見送ったため死刑には覆らない。
3件は東京高裁の同じ裁判長が担当した。
解説…公平性重視、鮮明に
殺害された被害者が1人の事件で市民が加わった死刑判断の破棄を認めた最高裁決定は「先例の検討は裁判員裁判でも変わらない」と述べ、特に死刑判断の局面では過去の裁判例との公平性を重視すべきだとの姿勢を鮮明にした。

司法研修所は2012年の研究報告で、被害者1人で死刑が確定したケースは、仮釈放中の無期懲役囚による例や、身代金目的の計画的事件などに限られており、「裁判員にも先例の理解が求められる」と指摘した。

さらに最高裁は14年、裁判員裁判の判決が求刑を大きく超えたケースで「他の裁判との公平性が保たれなければならない」とし、先例と異なる量刑判断には
「従来の傾向を前提とすべきでない事情が具体的に示されるべきだ」
との判断を示した。
今回の決定もこれを踏襲して「死刑とする根拠が見いだしがたい」とした。

死刑選択という極めて重い市民の判断が覆される例が相次げば、制度の存在意義が揺らぐ懸念もあるが、裁判官出身の千葉勝美裁判長は「過去の例を共通認識として死刑か否かを判断すれば、健全な市民感覚が生かされる」と補足意見を述べた。

先例を酌みつつ市民感覚を生かす努力が、プロの裁判官に一層求められる。

裁判員の死刑判決破棄2件、無期確定へ 最高裁が支持

朝日新聞 2015年2月4日

裁判員裁判による死刑判決を破棄し、無期懲役とした2件の高裁判決について、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は、高裁の判断を支持する結論を出した。
「市民感覚」を反映するために導入された裁判員制度で導かれた量刑判断を、プロの裁判官だけの高裁が覆すことに議論があったが、最高裁は「死刑は究極の刑罰で、裁判結果は何人にも公平であるべきだ」と指摘。
死刑については、先例から逸脱した判決は裁判員裁判の結論でも認められないとした。

3日付の決定で、検察と被告双方の上告を退けた。裁判員裁判の死刑判決を覆した高裁判決が確定するのは初めて。2件とも無期懲役判決が確定する。

2件は、東京都内のマンションで2009年、男性(当時74)を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われた伊能和夫被告(64)と、千葉県松戸市で同年、女子大生(当時21)を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われた竪山辰美被告(53)の裁判。いずれも東京高裁が一審の死刑判決を破棄した。

最高裁はまず、死刑を適用する前提として「過去の裁判例を検討して得られた共通認識を、議論の出発点とすべきだ」と指摘。
「これは裁判官のみで構成する裁判でも、裁判員裁判でも変わらない」と強調した。

さらに、死刑を選択する際に考慮すべき要素として、動機や計画性、殺害方法、被害者数や前科などの項目を挙げ、「死刑が真にやむを得ないと認められるかどうかについて議論を深める必要がある」とした。

そのうえで2件を検討。伊能被告については、一審は妻と子の2人を殺害した前科を重視して死刑判決を導いたが、
「前科と起訴事件は関連が薄く、前科を過度に重視した一審判決は量刑が甚だ不当だ」
とした。

竪山被告については、殺害事件に計画性がないと指摘。
さらに、事件の前後に複数の強盗強姦(ごうかん)事件などを起こしていたことを一審が死刑判断の根拠の一つにしたが、「これらの事件は人の命を奪おうとした犯行ではない」とし、死刑選択の理由にならないとした。

裁判員裁判での死刑判決は昨年末までに22件。
今回の決定の2件のほか、もう1件について、二審が死刑判決を破棄し、最高裁で審理が続いている。

最高裁決定の骨子
・死刑の適用は慎重さと公平さが求められる。過去の裁判例をもとに検討した結果を共通認識として議論を始めなければならない。
これは裁判官のみの裁判でも、裁判員裁判でも変わらない。

・死刑が是認されるためには、死刑を選択した判断の具体的・説得的な根拠を示すことが必要だ。

・控訴審は、一審の死刑判断が合理的なものかどうか審査すべきだ。

・2事件は、死刑に処すべき具体的な根拠が見いだせず、死刑は認められない。


サルメラ:
今後、この判決を受け、死刑判決が少なくなるという声があるが、逆だと思う。
人ひとりに、死を言い渡すプレッシャー、
どうせ、三審制でひっくり返してくれるなら感じずに済む。
ひっくり返らなくけも、それがプロの判断だと思うなら、負い目にならずに済むことだろう。

今回の判例は、
「素人裁判員よ、世間的に見て死刑が妥当と思うならどんどん、死刑を宣告せよ。
間違ってたら、こっちで正す」

感情優先に判決に逆の意味でお墨付きを与えた。
これまで世間一般が抱いてた裁判員としての責任感を麻痺させる、まことに有意義な(笑)、判決だった。
これ、皮肉ね(念のため)。

コリアン・フールズメイト/日韓通貨スワップ協定終了

$
0
0

日韓通貨スワップ協定終了 23日に期限、延長しない方針

zakzak 2015.02.14
政府が金融危機に備えて緊急時に外貨を融通し合う日韓の通貨交換(スワップ)協定で、23日に期限を迎える100億ドル(約1兆1800億円)分を延長しない方向で調整していることが14日、分かった。
融通枠は一時、700億ドルまで拡大したが、次第に縮小して今回の終了でなくなることになる。

通貨交換協定は外貨不足に陥った場合、自国通貨と引き換えに締結相手国が持つ米ドルを融通してもらえる仕組み。
麻生太郎財務相は昨年10月、韓国側から要請がなければ延長しない姿勢を示していた。
来週にも発表する方針だ。

日韓両政府は2001年に協定を結び、11年には欧州債務危機の影響で韓国の通貨ウォンが急落したため融通枠を700億ドルにまで拡大したが、12年に130億ドルに縮小した。
同年に韓国・李明博前大統領が島根県・竹島に上陸したことなどが影響した可能性が指摘されていた。


【関連記事】↓


アジア通貨価値下落 「韓国ウォン最悪の見通し」

2014年12月24日 中央日報 
来年、アジア通貨は全体的にドルに対してその価値を下げ、中でも韓国ウォンの価値下落幅が最も大きくなる見通しだ。
最近、オーストラリア・ニュージーランド銀行(ANZ)が投資家リポートを通じて明らかにした。

23日(現地時間)、米国経済専門放送CNBCによると、ANZは「米連邦準備制度は来年利下げに踏み切ると予想されるが、アジアの中央銀行は反対方向に動くだろう」と展望し、「米国の景気回復は堅調である半面、アジアでは全体的に景気鈍化が見え始めている」と説明した。

CNBCが最近、専門家を対象に実施したアンケート調査によると、連邦準備制度委員会(FRB)は来年7月ごろに利上げに踏み切る見通しだ。
これに対し、アジア主要国の中央銀行は通貨緩和政策に固守している。
中国人民銀行は先月、2年ぶりに利下げを断行し、韓国銀行も8月と10月の2回にわけて政策金利を0.5%ポイント下げた。
その間、日本銀行(BOJ)は量的緩和規模を増やしている一方、タイやオーストラリアなどでは利下げに踏み切るべきだとの声が出ている。

ANZは、アジア主要通貨のうち来年ドルに対して価値を上がるのは中国人民元とマレーシアのリンギットのみだとした。
中国当局は緩やかな通貨切上げ基調を持続すると予想されているところに経常収支黒字と中国資産に対する投資需要が人民元高を牽引するとの展望だ。

半面、来年韓国ウォンはアジア主要通貨のうち最悪の成績になるという予想だ。
ANZは報告書で「韓国の輸出競争力が円安と中国との競争激化で大きく弱まった」とし、実質実効為替レートで史上最高水準の円安ウォン高であるためウォン安政策が切実だと強調した。


韓国経済、10-12月期0.4%成長…9期ぶり最低水準

2015年01月24日 中央日報
輸出と内需景気がともに減少し、韓国経済が5期連続で0%台の成長率となった。
これを受け昨年の経済成長率は3.3%にとどまった。
今年も3%台が予想され、韓国経済は2011年以降5年連続で3%台以下の低成長となる可能性が高まった。

韓国銀行(韓銀)は昨年10-12月期の実質国内総生産(GDP)が前期比0.4%成長(速報値)したと23日、明らかにした。
これは2012年7-9月期(0.4%)以来の最低水準。
小数点第2位まで見ると0.38%で、金融危機の影響を受けた2009年10-12月期(0.36%)以来20期ぶりの最低値となる。

景気低迷で税収に10兆ウォン(約1兆1000億円)以上の不足が生じ、政府が支出を減らした影響も大きかった。

チュ・ウォン現代経済研究院研究委員は「民間消費の増加率が下落を続けるなど、内需沈滞が固着化している。
中国景気も悪化していて、輸出も回復要因を探すのが難しい」と指摘した。

韓国で家族間凶行が多発 背景に“経済苦”

韓国で年明けから、民家に立てこもった男が人質を殺すなど凄惨な事件が多発している。
注目を集めているのは、こうした事件が家族の間で起きている点だ。
韓国メディアによると、殺人や暴行、脅迫などにかかわる家族間事件の件数は2010年から3年間で約2割も増えていることが分かった。
事件の背景について、韓国経済の閉塞感を挙げるメディアが目立ち、家族のあり方も改めて問われている。

人質の娘を殺害…それでも「私も被害者」の言い分
ソウル郊外の京畿道安山市の民家で1月13日に起きた人質事件。
40代の男が、別居中の妻の連れ子、元夫ら4人を人質にとり、妻を呼び出すように要求して、立てこもった。
聯合ニュースによると、警察が強行突入して男を取り押さえたが、元夫はすでに凶器で刺殺された状態で見つかった。
妻と元夫との間で生まれた次女も刺され、血を流し倒れた状態で見つかり、病院に運ばれたが間もなく死亡。
妻も1月8日に、男による暴力でけがをして、警察に相談していたことが明らかになった。

殺人容疑などで逮捕された男は報道陣に対して、「私も被害者だ」と主張。
娘の死亡は「警察のミス」「母親の陰謀」などと訴えたという。

1月以降に起きた痛ましい事件は、これだけではない。

儒教の国どこ…尊属事件2割増「経済的理由」
中央日報によると、妻の離婚要求を受けて、自分の11カ月の娘を監禁して「殺す」と脅迫して男が捕まったほか、自分の妻と2人の娘を絞殺して逃走した男が逮捕された。

毎日経済新聞では、70代の男が脳梗塞で寝たきりになっていた妻の首を絞めて殺し、自殺をはかろうとした事件を伝えた。
男は妻を手厚く世話をしていたという。

尊属での殺人や傷害、暴行、脅迫などの事案は2010年は958件だったが、
13年に1142件と3年間で19%増加した。

中央日報は、過去6年間で起きた殺人事件のうち、5%程度が家族間で起きており、米国(2%)、英国(1・5%)よりも大きいと報じた。

同紙が専門家の意見として指摘したのは「経済的な理由」だ。
経済の低成長が続く中、「最近は経済問題によって、家族犯罪を起こすケースが増えた」との見方だ。

毎日経済新聞も「成長だけを繰り返してきた経済がピークに達したあと、人々は未来に挫折するようだ」との専門家の意見を紹介。

そのうえで、相互扶助を担う集落の共同体が崩壊しているのに、社会福祉サービスが定着していない問題を指摘。
鬱病などの疾患を誘発しているとの見方を伝えた。

「怒りが抑えられない」腹いせ犯行
(↑ここがこの国の怖いところ:サルメラ)

また韓国では、「カッとなった」ことによる偶発的事件も問題化している。

中央日報が報じた1月末の殺人未遂事件では、別れ話のもつれから、男が乗用車を運転して、交際相手の女性が乗る車に体当たり。
女性は逃げて、近くの文具店前の別の車の後ろに隠れたが、男はさらに乗用車をぶつけ続けた。
だが怒りはそれでもおさまらず、車から降りた男は女性の首を絞めた。

スーパーの経営者と契約金をめぐり口論となり女性が焼身自殺をはかったり、
賃金トラブルによる放火、駐車の仕方を注意した通行人が車の所有者らからバットで暴行を受けるなど、衝動的犯罪が問題化している。

昨年全国で検挙された暴力犯約36万6500人のうち、4割が偶発的な発生だったという。10人のうち4人が腹立ちまぎれの犯行ということだ。

怒りが抑えられないような衝動調節障害の症状で、病院を訪れた患者は、2013年で5000人近くにのぼり、09年に比べて約3割増えたという。

専門家は「経済成長が止まって敗者復活戦が難しくなる中、殺伐として危険な社会に向かっている」と指摘。事件の背景に挙げた。

韓国の2014年10~12月期の実質国内総生産(GDP)は前期比0.4%増(速報値)と9期ぶりの低水準を記録し、成長力の弱まりは否めない。
日本と同様に「失われた20年」と呼ばれる低成長時代に突入することへの危機感は強いが、今後の世界経済と政策が命運を握る。
景気の行方は、犯罪の動向にも影響を与えるのだろうか。


サムスン日本法人、移転のナゼ

zakzak 2015.02.14
韓国のサムスン電子が、日本国内の拠点である東京・六本木の高層ビルから3月にも移転するとの報道が波紋を広げている。
サムスン本体の業績悪化を受けたコスト削減策の一環というのだが、シェア低下が止まらない日本のスマートフォン市場からの撤退観測を伝える韓国メディアも出始めた。

サムスン日本法人の本社がある六本木三丁目の27階建てビルは、首都高速道路の谷町ジャンクション近くにあり、ビルの上部には「SAMSUNG」の青いロゴが描かれている。
サムスンの日本市場進出50周年を記念して、2003年に同社と三井不動産の共同事業として手掛けられたもので、サムスンの信託受益権の持ち分は57%にのぼる。
名実ともに日本におけるサムスンを象徴する建物だ。

米経済紙ウォールストリート・ジャーナルは、サムスンがコスト削減のため、このビルの持ち分を売却する可能性があるとしたうえで、同社の日本部門は3月に退去し、賃貸料が比較的安い飯田橋付近のオフィスビルにすでに入居を予約したと報道。
聯合ニュースなど韓国メディアも相次いで同様に報じた。

サムスン電子ジャパンの広報担当者は、
「東京都内に3つある拠点を1つに集約する方向で検討しているが、移転するかどうかも含めて今の時点では確定していない」と説明。
ビルの持ち分売却については「説明する立場にない」とコメントした。

サムスンの主力のスマートフォンは、日本市場で苦戦が続いている。
かつては米アップルに続く2位の座に位置していたこともあったが、IT専門調査会社IDCジャパンのデータによると、昨年7~9月期の国内スマホ市場の出荷台数シェアでは、トップが米アップルで63・5%、2位がシャープで10・7%、3位がソニーで9・1%、4位が京セラで6・3%。そしてサムスンは4・2%で5位にとどまっている。

また、調査会社BCNが公表している今年1月のスマホ売れ筋ランキングでも、アップルのiPhone(アイフォーン)6やソニーのエクスペリアが上位を占め、サムスンのギャラクシーS5は23位だった。

韓国の経済誌、ビジネスコリア電子版は、「サムスンが日本のスマホビジネス撤退を検討」と題した記事で、
「日本でスマホビジネスを継続しても損失が出るだけだ」
との声がサムスン関係者から出ていると報じた。

日本市場で存在感を失いつつあるサムスンは、どこに向かうのか。

11.9%…急騰する韓国の体感失業率


2015年02月12日 中央日報
先月の雇用事情が悪化したことがわかった。
就業者数増加幅がこの20カ月で最も低く、体感失業率は急上昇した。

11日に統計庁が発表した「1月の雇用動向」によると、就業者は2510万6000人で1年前より34万7000人増加した。
増加幅は2013年5月の26万5000万人以降で最も低かった。
働きたいのに仕事を見つけられなかった人まで含めた広い意味の体感失業率(雇用補助指標3)は前月比0.7ポイント上昇の11.9%を記録した。
指標を作成し始めた昨年5月以降で最も高い水準だ。
1月の雇用率は1年前と前月に比べそれぞれ0.2ポイント上昇した58.7%、失業率は1年前より0.3ポイント、前月より0.1ポイント下落した3.8%を記録した。

韓国政府は1月基準で就業者が初めて2500万人が突破したとし、雇用事情が改善しているという立場だ。
企画財政部のイ・チャンウ経済政策局長は、
「昨年1月は旧正月があり気象条件まで良く就職事情が良かったために今年の数値が相対的に低く見えるもの。景気が良くなる直前には求職活動が増え失業率が大きくなる」
と説明した。

しかし就業者数の増加で景気を解釈するのは無理という主張もある。
ソウル大学経済学部のイ・チョルヒ教授は、
「賃金が安い雇用で20代や50代の就業者数が増えたとすれば景気回復には特に役立たない」
と指摘した。
実際に1月の50代女性の雇用率は前年同月比1.3ポイント上昇し、すべての年齢層で最も高かった。
職業別でも単純労務従事者増加率が3.8ポイントで最も高かった。


「日本車キラー」面影なし 韓国「現代自動車」八方塞がり

サムスン電子と並んで韓国経済成長の原動力だった現代自動車グループがもがいている。
ウォン高が直撃し、業績が悪化。米国やアジアでの販売が伸び悩んでいるが、強すぎる労働組合がネックになって海外生産を増やすこともできず、八方ふさがりの状況だ。
日本円で約8兆円という巨額投資をぶち上げ、販売台数が1000万台を超えたトヨタ自動車など「新ビッグ3」に追いすがる構えを見せるが、もはや「日本車キラー」と呼ばれたかつての勢いは消えうせている。

無駄遣い!?1兆円100階建ての本社建設
「2018年までに販売900万台時代を開く」
中央日報(電子版)によると、現代自グループの鄭夢九会長は2日、ソウル本社での仕事始め式でこう宣言。
ハイブリッド車などの技術で差別化し、トヨタやゼネラルモーターズ(GM)に対抗していく考えを示した。

5日には、18年までに設備投資や研究開発費用として総額約81兆ウォン(約8兆円)の巨費を国内中心に投じる計画を発表。
環境対応車や自動運転など次世代技術の開発を加速する方針だ。

昨年初めて世界販売が800万台の大台を突破し、年初から攻めの姿勢を鮮明にした現代自。
ただ、業界には懐疑的な受け止めも根強く、国内向けアピールではないかとの指摘もある。
現代自は昨年、約100階建ての本社建設のため、10兆ウォン(約1兆円)をかけ、ソウルの一等地を購入することを決めた。
市場の想定を上回る提示額だったことで、株価は下落、「無駄遣い」と批判を浴びた。

環境技術にしても、米国では燃費の誇大表示問題で、当局と1億ドル(約120億円)の制裁金支払いで合意したばかり。

今月12日から開幕したデトロイトモーターショーで主力車「ソナタ」の新型HVをお披露目したが、信頼回復は道半ばだ。

14年の米国の新車販売では“ライバル”と位置付けるトヨタやGMが前年比で5%以上の伸びを記録する中、現代自(起亜自動車除く)は0.7%増の72万5718台にとどまった。

ウォン高直撃、業績低空飛行
業績は低空飛行を続けている。昨年7~9月期の営業利益は前年同期比18.0%減の大幅減益で、2四半期連続のマイナスになった。
国内生産の割合が大きく、輸出比率が高いため、ウォン高が進んだことで採算が悪化。
さらに、韓国国内で労働組合がストライキを行ったことも業績の押し下げ要因になった。

「注意したいのは、近年米国での販売が鈍化していること」。
日本総研の向山英彦上席主任研究員は昨年11月のリポートで現代自の課題をこう指摘した。

現代自のシェアは11年の5.1%から14年(1~10月)に4.4%に低下。
かつては「日本車キラー」と呼ばれたが、ウォン高・円安で日本車との価格差が縮小、厳しい競争環境に直面している。

日本車メーカーを苦しめていた超円高やトヨタの大量リコール(回収・無償修理)問題、東日本大震災によるサプライチェーンの寸断など、現代自にとっての追い風がどれも消えてしまったことも大きい。

現代自としては、為替変動による影響を避けるために、米国での生産拡大が急務。

だが、国民から“労働貴族”とも揶揄(やゆ)される強すぎる労働組合の存在がネックになっている。
「設備投資や人員配置に労働組合の同意が事実上必要となっているほか、雇用安定のための国内生産量の維持」(向山氏)が求められているからだ。

強すぎる労働組合もネック
さらに、市場としての潜在力の高いタイやインドネシアなど東南アジア地域でシェアが低いことも懸念材料だ。
古くから進出し、現地工場も抱える日本の自動車メーカーの後塵を拝しており、業界関係者は「ブランド力も含め、日本勢の優位は当分かわらない」と断言する。

代わりに現代自はこれまで中国に積極的に進出。
生産能力を増強し、好調な販売を維持してきた。
だが、市場の成長がスローダウンしているうえ、GMや独フォルクスワーゲン(VW)などとの競争は熾烈になっている。

金城湯池だった韓国国内でも、欧州との自由貿易協定(FTA)締結などによって、輸入車の攻勢にさらされている状況だ。

大韓航空前副社長による「ナッツ事件」で財閥企業に向ける国民の目も厳しくなる中、足元もぐらつき始めている。


IOC、平昌冬季五輪の単独開催を決定

2015年1月16日
韓国ネットは「いっそ返上しよう」「韓日W杯は共催だから問題なかったのか…」

韓国・聯合ニュースなどによると、国際オリンピック委員会(IOC)のリンドバーグ調整委員長は16日、2018年の平昌冬季五輪について、「分散開催」はないと発表した。
報道によると、リンドバーグ委員長はこの日、韓国・江陵市で開かれた平昌五輪の懸案についての会議に出席。
冒頭のあいさつで「IOCの決定に基づいて、いくつかのゲーム、いくつかの種目を開催都市以外で開くことができる機会があった」としつつ、
「しかし、議論の結果、平昌冬季五輪は、計画された通りに開催することを決定した」と述べたという。

このニュースに対し、韓国ネットユーザーからは以下のようなコメントが寄せられている。

「合理的に考えれば分散開催が当然で正しい決定だろうが、分散開催の相手が日本となると感情的に行動するようになる」

「ここまでの顛末見ると、平昌五輪は歴史に残るダメダメ五輪になるかも」

「しっかりしろ。でないと今までのことが水の泡だ」

「仁川アジア大会のようになるなら、いっそ返上しよう…」

「国際大会を是が非でも誘致する理由がわからない…山の中に施設建てて、毎年数百億ウォンの維持費…どうするつもり?」

「ナッツ航空のオーナー…チョ・ヒョンアの父親、そっくり」

「分散開催が云々される自体、話にならない。環境や状況が誘致するどころでは無いってこと…カネになるなら石鹸水以外何でも呑み込む人間どもよ」

「いまだに国際大会の誘致に幻想を抱くおかしな国粋主義者が多いんだな」

「仁川の二の舞さらす前に、しっかり備えろ…」

「潔く返上するのが利口かと」

「国際大会開催すると、ほとんど運営が滅茶苦茶。韓日W杯は共催だから問題無かったのか…」

「支援も無いのに、さっさと放棄すべきでは??」



3年後の平昌冬季五輪、赤字最小化の対策を

中央日報 2月11日 社説

2018年平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックが今月9日でちょうど3年先に迫った。

だが大会まで3年となった今、国民的呼応や冬季スポーツに対する熱い関心を見出すことは容易ではない。
開催国の雰囲気がこのように冷え込んでいるが、どうやって成功的な大会を期待できるのか心配が先んじる。

もはやオリンピックは興行保証の小切手ではない。
誘致し、財源を注いで施設を建設し、進行が立派だといって自然にお客さんが集まったりスポンサーがついたりする時代は過ぎた。
平昌オリンピックが興行成果を上げるには周密で積極的なスポーツマーケティングが必要だ。
このためには組織委と江原道・文化観光体育部をはじめとする行事主体間の有機的な協力が必須だ。
コントロールタワーを明確にしながら一糸乱れず有機的な協力体系を維持しなければならない。

興行と共に憂慮されるのが赤字の可能性だ。
オリンピック成功を判断するものさしは、赤字を最小化する効率的な運営だろう。赤字や負債を最小限に減らそうとする努力は、準備の全過程にかけて絶えず行われなければならない。
一生懸命にやっても組織委や江原道がばく大な借金を抱えることになれば、国家的な不幸であるためだ。

競技場の建設や交通網の拡充など平昌オリンピックのためにかかる予算が11兆4300億ウォン(約1兆2460億円)に達する。
開催地である江原道は財政自立度が20%台に過ぎないのにオリンピックの準備だけで2000億ウォンの金を借りている。
仁川市(インチョンシ)はアジア競技大会後、財政難が加重されながら各種の福祉を減らさなければいけないかもしれない残念な状況にある。
江原道は仁川市を積極的にベンチマーキングしなければならない。
国民は興行に成功して赤字も減らす賢い平昌オリンピックを期待している。

池田信夫×青木理/植村の言い分

$
0
0
転載元 池田信夫のブログ

植村隆氏への回答

2015年02月13日
元朝日新聞の植村隆氏が、あちこちに訴訟を起こしている。
今週は櫻井よしこ氏とWiLLを相手に起こし、他にも多くの内容証明を送っているようだ。
私には来ていないが、彼が『世界』2月号で私の『朝日新聞 世紀の大誤報』に反論しているので、お答えしておく。
彼が事実誤認だと指摘しているのは、1992年1月の「慰安所 軍関与示す資料」の記事を植村氏のものと私が書いた点だが、これは昨年12月22日に発表された朝日新聞の第三者委員会の報告書で次のように事実関係が明らかにされた。

《吉見氏は1991年の年末に資料の存在について東京社会部の記者であった辰濃哲郎に連絡をしたと言い、上記朝刊1面記事を中心となって執筆した辰濃は、1991年の年末に吉見氏から連絡を受けて過去の政府答弁などを調べ、当該資料の存在にはニュース性があると判断して記事化を考えた。》

これは辰濃氏自身も『朝日新聞 日本型組織の崩壊』(a)で認めており、事実だと考えられる。
私の本が出た段階(昨年10月31日)では判明していなかった事実だが、結果として私の記述は誤りだった。
私は朝日新聞と一緒にされたくないので、ここで訂正し、植村氏に謝罪する。
ただし大筋の事実関係は、その後の記事『 「強制連行」をでっち上げたのは植村隆ではない』(b)で書いたことと変わらない。
すなわちこの問題の主人公は植村氏ではなく、彼はデスクに命じられて2本の署名記事を書いたに過ぎない。
このキャンペーンの責任者は、当時の大阪本社論説委員、北畠清泰と、大阪社会部デスクの鈴木規雄である(ともに故人)。
この点は、植村氏も現代ビジネス『「売国奴」と呼ばれた記者 元朝日新聞記者 植村隆』(d)で、青木理氏のインタビューにこう答えている。

──ところで、韓国への出張取材は、どうして植村さんが行くことになったんですか。

植村
僕は慰安婦問題の取材はしたことがなくて、在日韓国人政治犯の問題をずっとやっていたんですけど、韓国語もできるし、規さん(鈴木規雄)は広い目で(部下を)いろいろ見ててくれたから、そういうのがあって派遣されることになったんだと思います

これは意外に重要である。
というのは、第三者委員会の報告書にも鈴木が登場するからだ。


《辰濃は上記朝刊1面記事を中心となって執筆したものの、従軍慰安婦の用語説明メモの部分については自分が書いたものではなく、記事の前文もデスクなど上司による手が入ったことにより、宮沢首相訪韓を念頭に置いた記載となったと言う。
用語説明メモは、デスクの鈴木規雄の指示のもと、社内の過去の記事のスクラップ等からの情報をそのまま利用したと考えられる。》


なんと1991年8月に植村に韓国出張を命じた大阪社会部の鈴木デスクが、翌年1月には東京社会部に転勤して、宮沢訪韓の直前の記事の執筆を指揮したのだ。


これは書いた記者も別であり、偶然とは考えられない。大阪から東京に拠点を移し、社を挙げて慰安婦キャンペーンを張った責任者は、明らかに鈴木である。


それだけではない。
鈴木は1997年の慰安婦特集のときは、大阪社会部長としてその原稿をチェックする立場にあった。
若宮政治部長(当時)は「吉田清治の証言は虚偽だ」という訂正を出すべきだと主張したが、清田外報部長と鈴木部長が握りつぶして「真偽は確認できない」という曖昧な記事になった。
その後、鈴木は東京社会部長になり、大阪本社の編集局長までなっている。


つまり慰安婦問題は、植村氏個人の誤報ではなく、朝日新聞の幹部が企画し、社を挙げて実行したキャンペーンなのだ。
それがこの問題が嘘とわかってから、20年以上も隠蔽された原因である。
第三者委員会も、こうした構造的な問題を解明できていない。
現在の渡辺雅隆社長は元大阪社会部長であり、解明は不可能だ。


朝日新聞が隠蔽を続けるかぎり、この問題はどこまでも続く。
植村氏がまだジャーナリストなら、裁判ではなく取材によって事実関係を明らかにすべきだ。



【関連記事】↓


(a)

だめな会社の崩壊の記録 - 『朝日新聞 日本型組織の崩壊』

朝日新聞 日本型組織の崩壊 (文春新書)

朝日新聞記者有志
文藝春秋

池田 信夫



朝日新聞の大誤報問題で、経営陣は撤回も謝罪もしないで「重く受け止める」の繰り返しで幕引きを図っているが、植村隆元記者が訴訟を起こしたりして、騒ぎは収まらない。
本書はこうした朝日の実態を「有志」が暴露したものだ。

朝日は右派メディアがいうような「反日」や「売国奴」ではない。
もう現場にはそういうイデオロギーは希薄で、昔から受け継がれている「リベラルな空気」に適応して、記事に「角度をつけて」出世しようとするサラリーマンの集団なのだ。

意外なのは「社論」がはっきりしていないという話だ。
読売の場合は、よくも悪くも渡辺恒雄主筆が社論を決めているので、記事につける「角度」が最初から決まっているが、朝日は「リベラル」なので、決める人がいない。
本多勝一や松井やよりのような極左がスターになると、幹部でも止められない。

他方で組織は官僚的で前例主義が強く、いったん決めた路線を変えられない。
政治部vs社会部とか東京本社vs大阪本社などのタコツボ構造が強く、派閥抗争がひどい。気に入らない人物には人事で報復するので、ポストへの執着が強い。
敵を蹴落とすために、役員会の情報を週刊誌などに漏洩する。
その出世競争の道具に「社論」が利用される。90年代以降は現場には左翼はいなくなったが、幹部に左翼が残っているので、左寄りの記事を書かないと出世できない。
慰安婦スキャンダルを隠蔽しようとする社会部(左派)と、彼らを切ろうとする政治部(右派)が、これを派閥抗争に利用して大失敗をもたらしたのだ。

本書の実質的な著者は、朝日を懲戒解雇された辰濃哲郎元記者(とその後輩の現役記者)である。
なぜか途中から「私は…」と主語が変わり、記述が混乱しているが、1992年1月の大誤報の責任者は自分だと認め、謝罪している。

彼は「朝日のように情報漏洩がひどいのは、だめになった会社の症状だ」と指摘しているが、本書もその一例だ。記者がその内情を匿名で暴露する本書は、「日本型組織」の崩壊の記録である。



(b)

「強制連行」をでっち上げたのは植村隆ではない

池田信夫のブログ 2014年12月11日

きのう発売の『文藝春秋』に、「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」という朝日新聞の植村隆元記者の手記が掲載されている。
28ページにわたる記事のほとんどが「他社もやっていた」という言い訳と、彼が迫害されて職を失った話で、反省も謝罪もない。

特に大きな問題は「女子挺身隊」という日本政府による徴用を意味する言葉を、私的な慰安婦に使ったことだ。
問題の1991年8月11日の記事はこうなっている。

《日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が聞き取り作業を始めた。》

これについて植村は「意図的な捏造ではない」と主張し、「他社も挺身隊と書いていた」とか「朝日の記事でも過去にそうなっていた」などという。
この情報は当時のソウル支局長(小田川興)から教えてもらったと主張し、義母がその「挺身隊」を指弾する遺族会の幹部だったことは偶然だという。
慰安婦問題を取材しているうちに、同じ問題を調べている妻と出会って結婚し、あとから義母が遺族会の幹部であることを知ったという。都合のいい偶然だ。

最大の疑惑は、金学順が「戦場に連行された」と言ったのかという点だ。
これについて1991年12月6日に提出された慰安婦訴訟の訴状では
「14歳からキーセン学校に3年間通ったが、1939年、17歳の春、『そこへ行けば金儲けができる』と説得され、養父に連れられて中国へ渡った」
と書いている。

ところが12月25日の植村の記事では、こうなっている。

《その後は子守をしたりして暮らしていました。
「そこへ行けば金もうけができる」。
こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました。
仕事の中身はいいませんでした。
近くの友人と2人、誘いに乗りました。
17歳(数え)の春(1939年)でした。》

訴状には「14歳からキーセン学校に通った」と書かれているのに、17歳でいきなり「連行」されたように書いている。
しかも訴状ではキーセンに仲介したのは養父(おそらく朝鮮人の女衒)だが、植村の記事では「地区の仕事をしている人」に連れて行かれたことになっている。

訴訟が起こされたのは記事が出る前であり、彼は訴状を読んだことを認めている。
それなのに14歳から17歳の部分を落としたのはなぜか。
彼は「弁護団の聞き取り要旨にはキーセンのくだりがなかった」などと言い訳をしているが、そのすぐ後で「キーセンだから慰安婦にされても仕方がないというわけではない」と書いている。

つまり植村は、キーセンに売られた経歴を知りながら落として「連行」の話にしたのだ。これは単なる誤報ではなく、芸者になる訓練をしてから慰安所に売られたという金学順の話を「女子挺身隊の名で連行」されたという(本人が言っていない)話に仕立てた捏造である。

植村は「だまされて慰安婦にされた」と書いているが、だました主語は誰なのか。
「挺身隊の名で連行」したなら朝鮮総督府か日本軍だが、人身売買なら女衒である。
これはまったく違う話だが、肝心の点をぼかしている。
しかし彼は一つ重要な告白をしている。

《私は[8月11日の記事の]本文では、この女性が「だまされて慰安婦にされた」と書いた。
暴力的に拉致する類の強制連行ではないと認識していた。
[…]

私自身は<女子挺身隊の名で>は、決して<女子挺身勤労令によっての連行>ということを意味したものではなかった。
植村は記事では<だまされて慰安婦にされた>とはっきり書いており、強制連行とは書いていない。》

なぜか最後の文だけ主語が「植村は」となっており、第三者が介入した形跡があるが、それはともかく、彼が金学順について書いた署名記事は2本だけで「旧日本軍の慰安所設置などを示す資料が発見されたという92年1月の有名な記事は私が書いたものではない」という。
つまり強制連行をでっち上げて政治問題にしたのは、植村ではないのだ。
それが誰であるのかを彼は書いていないが、当時の彼の上司で慰安婦問題に熱心だった北畠清泰(故人)(c)ではないか。
つまり慰安婦デマは植村の個人的な犯罪ではなく、大阪社会部の組織ぐるみの犯罪なのだ。
その部長だった渡辺雅隆社長が、問題を解明できるとは思えない。

植村は自分を言論弾圧や脅迫の被害者として描きたいようだが、その問題を解決するのは簡単だ。
逃げ回らないで記者会見を開いて、以上の疑問に答えることである。
それをしないで一方的に手記を載せても、誰も説得できない。

《追記:1992年1月の「軍関与示す資料」の記事を書いたのは、辰濃哲郎記者(東京社会部)だと思われる。
本人がそう証言している。
ただし「挺身隊として強制連行」という囲み記事を書いたのは別人だろう。 》



(c)

慰安婦捏造は朝日新聞大阪本社の構造問題

2014年09月10日

きのうの言論アリーナでも説明したように、慰安婦大誤報は植村隆記者個人の失敗ではなく、朝日新聞の構造問題である。
その元祖は清田治史記者だが、彼のあとを受けて慰安婦キャンペーンを張った大阪本社論説委員が、北畠清泰(故人)だった。

彼は1992年1月11日の大誤報の翌日に「挺身隊の名で勧誘または強制連行され、中国からアジア、太平洋の各地で兵士などの相手をさせられたといわれる朝鮮人慰安婦」を指弾する社説を書いたと思われる。
さらにすごいのは、彼の書いた1月23日のコラム「窓」だ。

女性たちは陸軍の営庭で軍属の手に渡り、前線へ送られて行った。
吉田さんらが連行した女性は少なく見ても950人はいた。

「 国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。
私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」

彼は当時の大阪本社で、慰安婦キャンペーンの中心人物で、「女たちの太平洋戦争」というシリーズで、多くの慰安婦の「証言」を紹介し、
「知りたくない、信じたくないことがある。
だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」
という名言を残している。

元同僚の長谷川煕氏によると、北畠は1988年ごろから吉田清治と電話で連絡していたという(今週の週刊文春)。
吉田は自分の嘘がばれることを恐れて慰安婦の話をしなくなったのだが、北畠が電話で説得していたというのだ。
さらに1996年の社説では「国費を支出するという枠組みを、解決への一歩とすることが、現実的な道だと思う」と主張している。

つまり、

清田記者が吉田証言を報じる→
北畠記者がコラムなどで吉田をヒーローに仕立てる→
植村記者が「強制連行」と混ぜる→
朝日新聞が「国費支出」を主張する

という会社ぐるみの「強制連行・国費支出」キャンペーンが行なわれていたことがわかる。
問題の大誤報は植村記者個人の創作ではなく、大阪本社首脳との「合作」ではないか。
残念ながら北畠氏の証言を聞くことはできないが、自社の恥をさらしたくないという思いと格闘しないことには、歴史は残せない。

【別アングル記事】↓


「売国奴」と呼ばれた記者 植村隆インタビュー

2014年12月18日
現代ビジネス 青木理

今回の事態をめぐっては、一方の当事者たちの声がほとんど外部に伝えられていない。

猛烈な朝日バッシングばかりが横行する中、朝日を叩く者たちの声や主張は過剰なほど喧伝され、あふれかえり、その論調に沿った形で朝日側の人びとの「言い訳じみた声」や「みじめな姿」はいくどとなく紹介されたものの、当の朝日幹部や現役記者、有力OBたちの声や反論は、まったくといっていいほど伝えられていないのである。

これは、朝日を叩く側の責だけに帰せない問題も背後に横たわっていると私は思っている。

そもそも日本は、所属する組織や団体への忠誠と帰属意識を求める風潮がきつく、メディア企業もけっしてその例外ではない。
いつごろからのことかは判然としないものの、社の外でさまざまな活動をしたり、社の垣根を越えて幅広いメディアで発言するような記者は、どちらかといえば組織の秩序を乱す者として煙たがられてしまうケースの方が多くなってしまった。

これもまた、言論の自由をなによりも尊ぶべきメディア組織として大いなる問題をはらんでいるのだが、そうした風潮の中、朝日の社内でそれなりの議論が巻き起こっているのではあると思うが、外部に向けて朝日の幹部や現役記者、有力OBなどが堂々と論陣を張るシーンにはとんとお目にかからなかった。
これは断じて好ましくない、と私は思う。

世の大勢がひとつの方向に雪崩を打って流れた時、それに疑義をつきつけたり別の視点からの考察材料を提供したりするのもメディアとジャーナリズムの役割であると考えれば、ひたすら叩かれている側の言い分もきちんと記録され、広く伝えておかなければならない。

だから私は、今回の朝日バッシングの中、誰もそうした作業をしない中、叩かれた者たちの声を伝えることは、なんだか私の責務のような気分になっていた。
そう思い立つと、話を聞きたい人物は幾人も思い浮かんだ。
しかし、真っ先に会わねばならない人物は明らかだった。
まずはその人に会うため、私は空路、札幌に向かった。

◆植村隆氏との7時間の対話
2014年10月23日、私は、憂鬱だった。
これから会う人物が置かれている悲惨な状況を考えれば、ねほりはほり話を聞き出すのは決して楽しい仕事ではない。
たとえばネットで彼の名を検索すると、すさまじい罵詈雑言が次々に目に飛び込んでくる。

「国賊」「売国奴」「反日工作員」「捏造記者」「土下座しろ」「腹を切れ」「アカ」・・・。

彼への攻撃はこの程度にとどまらず、ネット上の罵詈雑言は彼の家族や高校生の愛娘にまで及んでいる。

制服姿の写真や実名がさらされ、こんな書き込みがいくつも画面に浮かびあがる。
「国賊のガキ」「反日サラブレッド」「自殺するまで追い込む」・・・。

溜息しか出ない。
どのような連中が、どのような気持ちで、どのような表情をしながら、キーボードを叩いているのか。

だが、ネットというヴァーチャルな空間だけの出来事なら、まだマシだといえるのかもしれない。
詳しくはあらためて後述することになるが、リアルな世界でも彼への攻撃はすさまじい勢いで拡散し、彼が教員として再就職が内定していた大学には嫌がらせの電話や抗議などが相次ぎ、内定が取り消されてしまうという被害を受けた。
いまは札幌の大学で非常勤講師の仕事を細々とつづけているが、この大学にも嫌がらせや抗議が寄せられ、ついには脅迫状まで送りつけられ、大学当局も頭を抱えている。

それでも私は、彼を攻撃する者たちが聞きたがっているだろうことも聞かねばならなかった。
どうしようもなく低劣な罵声をネットに書き込むような連中の言い草はともかく、それなりの論理にもとづく批判や非難については、彼がきちんとした反論をできるかどうかを含め、問うべきことは徹底的に問わねばならないと思いさだめていた。
憂鬱になるな、というほうが無理というものだろう。

だが、札幌市郊外にあるホテルのロビーで待ち合わせた彼──元朝日新聞記者の植村隆氏は、こちらが拍子抜けしてしまうほど明るい様子で私を出迎えてくれた。

「青木さんさ、僕、性格が明るいんだよ(笑)。
前向きで、あまり落ち込まない。
いまでもね、みんなは『大変だ、大変だ』って言ってくれるし、客観的に見たら大変なんだけど、あまり落ち込まない。
まあ、たまには落ち込むけど、何とかなるんじゃないかなっていう気がしてる」

そんな植村氏へのインタビューは、苦境の植村氏を支援してくれているという老夫婦の居宅で行われた。

植村氏が凄惨なバッシングにさらされる原因となったのは、いまから四半世紀近くも前、大阪本社の社会部に所属していたころに書いた2本の記事であった。
このうち、特に問題視されているのは1991年8月11日、大阪本社発行版の朝刊社会面トップに掲載された次のような記事である。


◆ 思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀、重い口開く
【ソウル10日=植村隆】
日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。

同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。
テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。

体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた 。
(引用終わり)

見出しとリード部分のみの引用だが、この記事は、韓国の元慰安婦がみずから口を開いたことを伝えるはじめての報道となった。

批判者たちはこれを「元慰安婦の存在と証言を特ダネとしてスクープした重要記事」と位置づけ、

《植村記者はある意図を持って、事実の一部を隠蔽しようとした》

と主張し、

記事には《事実のねじ曲げ》や《事実の捏造》があると徹底した罵声を浴びせかけてきた。
(たとえば東京基督教大学教授の西岡力氏ら)

さて、細かい批判の論点についてはおいおい紹介していくこととし、そろそろインタビュー本編に入っていこう。
まずは植村氏の社歴をさかのぼり、なぜ元慰安婦の記事を書くに至ったのかについて訊く。

◆なぜ慰安婦報道に関わることになったのか
──植村さんは1982年の入社ですか。

 「82年の4月です」

──朝日に入社後の配属は?

「まずは仙台支局と千葉支局。
県警と司法の担当が長かった。
千葉支局でも県警担当のキャップだったし、特に裁判の取材が好きでね。
仙台では死刑再審の松山事件の取材に熱中してました。
だから僕は当然、社会部に上がるもんだと思ってたんです。
ところが87年に韓国への留学が決まってね。
外報部に上がることになりました」

──韓国への留学は希望したんですよね?

「いや、当時はそんなに希望した気もなかったんです。
でも、もちろん大学時代から韓国には関心があった。
住んでいた寮には在日コリアンの先輩もいたし、大学時代には朴正熙元大統領の暗殺(79年)や光州事件(80年)が起きて、その背後の首謀者とされた金大中氏への死刑判決(81年)もあった。
アルバイトしたカネを貯めてはじめて外国旅行したのも韓国だったし、自分でもコツコツと韓国語を勉強したり、金大中氏を救えっていう運動が世界中であって、そのデモなんかにも行っていた。
ただ、別にソウル特派員になりたいとか、漠然とした希望はあっても、それは現実的なものじゃなくて・・・。
ぜひ行かせてくれっていう感じでもなかったんだけど、選ばれちゃいましてね。
それで(韓国留学に)行ったのが87年の8月」

──そして1年間留学してから国際ニュースを扱う東京本社の外報部に?

「88年の8月に(留学から)帰ってきて、その後は外報部で内勤を1年ちょっとやってました。
(新聞社内で)"原籍"みたいなのってあるでしょう。
僕は最初に支局をふたつやって、あがったのが外報部だから"外報部籍"みたいな感じだったんだけど、海外特派員をやるためには社会部とか政治部とか(本社の)出稿部門を経験した方がいいっていう当時の伝統があって、僕の場合は大阪の社会部に出された。
まあ、"修業"みたいな感じですね」

──大阪本社の社会部には何年くらいいたんですか。

「89年11月からの2年5ヵ月。
それから外報部に戻って1年半くらい内勤をして、93年8月にテヘラン特派員になった」

──大阪社会部にいた2年半は、警察や官庁などの記者クラブ担当はしなかったんですか。

「いや、遊軍(特定の記者クラブなどに所属せず、社会部で比較的自由な取材をする記者たちを指す新聞業界用語)で、主に在日韓国・朝鮮人の担当。
僕らは『民族担当』って呼んでたんだけど、民族問題や被差別部落の問題」

──大阪には在日コリアンや被差別部落が多いから、主要メディアは大阪社会部に各社、必ず1人はそういう人権問題を担当する記者を置いていましたよね。

「そう。僕は韓国に留学して、言葉も生かして取材できるっていうことでね。
それに当時は在日韓国人の政治犯問題があったんです。
70年代から80年代にかけて、在日韓国人の若者たちが母国語の勉強などのために韓国に留学して、北のスパイだとか政治犯として捕まっちゃうことがあった。
そんな取材もしていたから、ソウルにも出張していました」

──そこで問題の核心に入っていきますが、大阪社会部に"修業"でやってきた若手記者の植村さんが、どうして慰安婦問題の取材にかかわることになったんですか。

「当時、鈴木規雄さんっていうデスクが(大阪社会部に)いましてね。
人権問題とか戦後補償の問題とか、そういう問題にも深い理解があった。
非常にヒューマンな人で、朝日新聞の中でも多くの人に慕われ、尊敬されていた人だった。
その規さんが地方支局のデスクだった時代、日本人の元慰安婦のおばあさんの連載を地方版でやったことがありましてね。
僕は当時、詳しくなかったんだけど、韓国にも元慰安婦がいるんじゃないかって言い出した。
いま考えれば鋭いんだけど、証言が取れないだろうかっていう話になった」

──それはいつの話ですか。

「90年の夏。
大阪の新聞って、夏の平和企画が一大仕事なわけですよ。
青木さんはご存じだろうし、新聞各社はどこもそうだと思うんだけど、大阪って政治部とかがなくて、社会部しかないから、広島の原爆とか終戦記念日前後の平和問題は力を入れた独自の取材で大きく扱う。
毎年の"伝統行事"みたいなものです。
その平和企画取材で、規さんのサジェスチョンで90年の夏に2週間、元慰安婦を探すために韓国へ出張することになった」

◆元慰安婦を探して韓国へ
鈴木規雄氏に、私は会ったことがないのだが、その勇名は大阪でも東京でもいくどとなく耳にした。
1987年5月、兵庫県西宮市の朝日阪神支局が何者かに襲撃され、散弾銃で記者が殺傷された事件をきっかけにはじまった朝日の長期連載企画「『みる・きく・はなす』はいま」を記者、デスク、部長として一貫して手がけた。

戦後補償や平和問題の取材にかかわり続け、同じような仕事を志す多くの後輩記者に慕われ、東京本社の社会部長や大阪本社の編集局長などを歴任した。

後の節であらためて述べるように、実をいうと朝日の慰安婦問題報道も鈴木氏がキーパーソンともいえる存在だったようなのだが、残念ながら直接話を訊くことはもはやかなわない。
2006年1月7日、急性骨髄性白血病のため、この世を去ってしまっているからである。
まだ59歳という若さだった。

その鈴木氏が大阪社会部のデスクだった90年の夏、若手記者だった植村氏は、「元慰安婦探し」の命を受けて韓国に飛んだ。

──ところで、韓国への出張取材は、どうして植村さんが行くことになったんですか。

「僕は慰安婦問題の取材はしたことがなくて、在日韓国人政治犯の問題をずっとやっていたんですけど、韓国語もできるし、規さんは広い目で(部下を)いろいろ見ててくれたから、そういうのがあって派遣されることになったんだと思います」

──それで2週間、出張した結果は?

「空振り。釜山なんかにも行ったり、いろいろ動いてみたけどダメでした。
それからしばらくして、規さんも書いてました『窓』っていう夕刊のコラムで『記者を2週間も韓国に派遣して探したが、見つけ出せなかった』って」

調べてみると、鈴木氏のコラムは92年9月2日付の朝日夕刊にたしかに掲載されていた。

植村氏を攻撃する人びとは、さまざまな角度から植村氏の取材経緯に疑心を唱え、朝日側も14年8月5日付朝刊の検証記事で反論を掲載、取材経緯などに瑕疵はなかったと主張しているのだが、こうした経過があったとするならば、問題となった91年8月11日付の記事を植村氏が、しかもわざわざ大阪から出張して書くことになった理由が、納得のいくものとして胸に落ちてくる。

《サルメラ:
なんでそうなる?
それに疑問なのは
〝何故、出張に行ったか〟じゃなくて、
 〝いつ、裏取りの現地取材したのか〟でしょ。》

植村氏へのインタビューを続けよう。

──では、91年8月11日の記事を書くことになったのは。
 「当時のソウル支局長から、挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)共同代表の尹貞玉さんが元慰安婦のおばあさんの聞き取り調査をしているらしいよ、っていう話を聞かされたんです。
尹貞玉さんは韓国の慰安婦問題の第一人者なんですが、前年(90年)の夏にもお世話になってたし、支局長も僕が元慰安婦探しをしていたのは知っていましたから。
だから『植村君、取材しに来たらどうかね』と声をかけられたんです」

──前年夏のことがあったのを知れば、そういう話になるのは納得できます。
ただ、それでも疑問は残る。
朝日のソウル支局には、当時でも支局長以外に特派員がいたでしょう。
なぜ支局で取材しなかったんでしょう。

「当時の支局長は外報部の先輩だからよく知っていたし、いつも連絡を取り合っていた。
当時のソウル支局は特派員2人体制だったけど、南北朝鮮の国連同時加盟問題など冷戦後の朝鮮半島問題の取材で非常に忙しかったんです。
それで僕に声をかけてくれたようです。
当時の支局長のメモ帳にも、尹さんから聞いた元慰安婦女性の情報が残っています」

──それで?

「それじゃあ是非行きたいっていうことで、大阪社会部はすぐに許可が出るから。
ちょうど夏だし、夏の大型平和企画なんかでもできるんじゃないかということでね」

──まだ疑問は残ります。
これは一種の特ダネになりうるわけでしょう。
なのに、どうしてわざわざ大阪の植村さんに?

「いまになってそういうことを言われてて、僕を批判する人たちはあの記事(91年8月11日朝刊の記事)が『慰安婦問題に火をつける超重要な大スクープだった』なんて言うんだけど、当時はスクープだとか特ダネなんていう意識、ぜんぜんありませんでした。
実際、ほとんど関心を呼ばなかったから」

──どういうことですか。

「朝日でも大阪本社版は社会面トップの記事になったけど、東京本社版は翌日(8月12日)の朝刊に4段の記事が掲載されただけ。
僕の記事の3日後(8月14日)には北海道新聞が(当該の元慰安婦への)単独インタビューに成功して、同じ日に共同記者会見をして、韓国紙にはいろんな記事が掲載されたんだけど、この会見を毎日や読売の特派員もフォローしてないんです。
最近あらためて調べてみたんですが、全国紙だと、読売が最初に報じたのは8月の下旬。
これもソウルの特派員じゃなくて、大阪の記者が書いてる。
毎日が報じたのは9月に入ってから。
大きなニュースだっていうなら、8月14日に記者会見をしてるんだから、その時にフォローするでしょう。
もし会見に行けなくても、次の日の韓国紙に記事が出てるんだから、転電(外国メディアの報道を引用して記事にすることを指す新聞業界用語)したっていい。
でも、やってない。
はっきりいって、その程度のものだったんです。
どの社も大した関心を持たなかった」

サルメラ:
それは朝日以外の新聞社が信憑性に疑問をもってたからじゃないのか。》

◆スクープという意識はまったくなかった
このあたりは少し補足説明が必要だろう。
韓国人の元慰安婦としてはじめてみずから名乗りをあげた女性の名を金学順(当時は67歳、1997年に死去)という。
91年の8月11日、植村氏はたしかに彼女の証言を他メディアに先駆けて世に伝えた。

ただし、あくまでも韓国の運動団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」から証言記録の提供を受け、それを記事化しただけであり、金学順には会ってもおらず、記事中に実名すら出てこない。

そして植村氏の記事が出てから3日後の8月14日、金学順は北海道新聞の直接取材に突如応じ、直後にはソウル市内で共同記者会見を開いた。

翌8月15日付の北海道新聞朝刊はインタビュー内容を伝えたが、植村氏が指摘したように、その他の日本の新聞各社はこれらをまったく報じていない。

実際に各紙の縮刷版やデータベースを調べてみると、読売が金学順のことをはじめて報じたのは91年の8月24日。
先の植村氏の話に「韓国の元慰安婦探しの第一人者」として登場した尹貞玉氏が来日したことを伝える記事中でのことだった。

毎日の初報はそれからさらに遅れること1ヵ月以上あとの9月28日。
東京社会部所属の女性記者が金学順に直接取材し、「記者の目」というコラムコーナーで執筆したのが初出である。

こうしてみると、植村氏の記事が「慰安婦問題に火をつけた」「重要な大スクープだった」などと評するのは、いかにも大げさにすぎることがよく分かる。

私もソウルで特派員生活を送ったことがあるのだが、重大なスクープだったというのなら現地ソウルの特派員たちが直ちに取材し、「追っかけ記事」を書く。
ソウル特派員のニュース感覚が鈍くて反応しなくても、東京本社のデスクから「すぐに取材して記事を書け」と発破をかけられる。
つまり、当時はそれほど重大なスクープだと認識されていなかった。
しかも、最初に伝えたとはいっても、運動団体から提供された証言記録を書き写すのと、直接インタビューして書くのとでは迫力がまったく違う。
また、一連の経過を眺めると、日韓関係に棘のように刺さった慰安婦問題は、別に植村氏の記事がなくともいずれ火を噴いたのは間違いないことが分かる。
すでに金学順は挺対協に名乗り出て証言を寄せていたのだから、何らかの形で報じられるのは時間の問題だったし、実際に実名を明かして直接インタビューに成功したのも朝日ではなかった。
まして、当時の植村氏に「なんとしても慰安婦問題に火をつけたい」という思惑があったなら、北海道新聞と争ってでも直接インタビューを行い、わずか3日後に開かれた金学順の共同記者会見なども徹底フォローし、連続して記事を送ろうと躍起になったはずではないか。
ところが植村氏は、そうした記事を一行たりとも書いていない。
いったいなぜだったのか。

サルメラ:
ねつ造の認識があったからじゃないのか?
スクープを意識してたかどうかなど論点のすり替え。
彼が書いた記事の〝オヒレ〟が、勇み足だったのか、意図的なねつ造だったのか、そこが〝疑惑〟。

〝オヒレ〟とはなにか。
挺身隊=従軍慰安婦=軍の組織的強制連行、
を臭わす植村が金学順のテープを元に書いた記事だ。》

──8月11日付の朝刊用にソウル発の記事を送ったあとはどうしたんですか。

 「12日に大阪へ戻りました」

──どうしてですか。14日の共同記者会見に出ようと思わなかった?

「会見があるのを知ってたら、ソウルに残ったに決まってますよ」

──じゃあ、知らなかったんですか?

「知らなかった。
前日(13日)くらいには(会見をすると)決まってたのかもしれないけど、少なくとも僕は12日に大阪へ戻ってしまっていたから、知らなかった」

──それほど急に会見が行われると決まったんですか。

「詳細は分からないけど、僕は大阪に戻ってから尹貞玉さんに電話してるんです。
どうやら北海道新聞はソウル特派員が以前から取材を申し入れていたようで、金学順さんが突然実名で取材に応じた。
直後に韓国の新聞とテレビの記者を呼んで会見をやったらしい。
もしそんな記者会見するのを知ってたら、僕は間違いなくソウルに残りました。
わずか3~4日の話なんですから」

──なんだか北海道新聞にやられたような感じもありますね。

「そう。僕としてはスクープしたなんて思ってない。
慰安婦問題に火をつけたとか、歴史を変えたとか、そんなことだって思ってない。
もしそうなら、当時のソウル特派員がもっとバタバタして記事を書いてるはずでしょう」

──朝日の社内で何かの賞をもらったとかは?

「ない。あるわけない。
むしろ当時は、まさに北海道新聞にやられたっていう感じで、悔しくてしょうがなかったのを覚えてます」

◆当時、慰安婦問題とどう向き合ったか
以上のような植村氏の話を裏づける証拠として、ある雑誌の記事をあげることができる。

在日コリアンらに民族の文化、生活情報などを発信していた雑誌『MILE』。
雑誌名は韓国・朝鮮語で「未来」を意味し、1988年6月に隔月刊の雑誌として発行され、90年からは月刊誌となっていたが、96年末を最後に休刊してしまっている。
この『MILE』誌の91年11月号に、植村氏は長文の原稿を寄せていた。
90年の夏から91年の夏にかけ、慰安婦問題報道にどうたずさわったかをみずから率直に記した内容である。
いうまでもないことだが、当時の植村氏は、自身の記事がのちに猛批判にさらされるなどとは夢にも思っていない。
したがって、批判やバッシングへの反論や言い訳を想定した内容ではない。
そのことを念頭に置きつつ、記事の冒頭部分を読んでいただきたい。

《「ソウルにいる元朝鮮人従軍慰安婦が語りはじめたらしい。植村君、取材に来たらどうかね」。

ソウルのO支局長(筆者注・記事原文は実名)に用事があって電話したところ、こんな内容の話を聞いた。

女性団体でつくる「韓国挺身隊問題対策協議会」の共同代表をつとめる尹貞玉さん=ユン・ジョンオクさん(六五)らが、元慰安婦の女性を捜し出し、聞き書きを進めているという。

尹さんは元梨花女子大の英文学の教授で、定年後、この問題をライフワークにしている。
たくさんの元慰安婦が、祖国に帰ったにもかかわらず、昨年までは僕の知るかぎりでは韓国内でこの忌まわしい体験を公にする女性はいなかった。

驚きを感じるとともに、さっそく取材に行くことにした 》

そんな書き出しではじまる原稿は、まだ30歳そこそこの記者の若さというか、幼さというか、そうしたものがにじみ出ていて少し単調な感も拭えないが、私のインタビューに対する植村氏の証言に偽りがなく、まったく等身大の事実だったことが浮かび上がってくる。

少し長くなるが、続けて『MILE』誌から、一部を略しつつ引用する。

《 昨年の夏、二週間ほど、慰安婦たちの証言を求めて韓国各地を回ったことがある。
友人である韓国の女性ジャーナリストから
「ソウルに話をしてくれる人がいる。
以前、インタビューをしたことがある」
という話を聞いた。
行けば会えるだろうという軽い気持ちで訪韓した。
ところが、その女性は既に死亡していた。
まったく、手掛かりがなくなってしまった。
それからは、当時梨花女子大教授だった尹貞玉さんをはじめ、いろいろな団体の情報をもとに、各地を回った。

(中略)

しかし、「知らない」という答しか、返ってこなかった。

(中略)

「元慰安婦たちは絶対にしゃべらない。それは死ぬことよりつらいことなのだから」
と言われたこともあった。

異国に取り残されたものたちは、祖国と絶たれているが故に、身の上を話すことが出来るが、韓国に住む女性はしゃべらないというのだ。
ジャーナリストの友人たちに聞いても手掛かりがないという答が返ってきた。
結局、「幻の取材」となった。
それが、今年になって大きく変わったのである。

ソウルについて、すぐに梨花女子大近くにある尹先生の家に行った。
尹先生は、十年ほど前から、慰安婦問題を調べている。
昨年十一月には、十六の女性団体で「協議会」が出来、本格的な調査に入っている。

(中略)

沈黙を破った慰安婦のことを聞いた。
つい最近、友人に伴われて協議会の事務所に来た、という。

「日本政府が挺身隊があったことを認めないことに腹が立ってたまらない、と名乗りでたのです。
おそらく現在、韓国で自分が慰安婦だったということを証言しているのは彼女だけでしょう」
と尹先生。

次の日、協議会のメンバーが録音したこの女性の証言テープを聞かせてもらった。

個人のプライバシーを守るため、名前も公表せず直接会わないことも約束した。

この女性は中国で慰安婦をさせられた。六十七歳で独り暮らし。
中国の東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にさせられた。
二、三百人の部隊がいた中国の街で日本軍人相手に売春をさせられたという。
約三十分のテープでは淡々と身の上をしゃべっていたが、協議会の人によると、話す前に泣いていたという。

尹さんは「これからも聞き書きを続けていきます」と話していた。

取材を終えて、帰国した。
数日して、尹さんに電話すると、(筆者注・八月)十四日の二度目の聞き書きの際に、この女性は「日本政府は挺身隊の存在を認めない。怒りを感じる」と言って、名前を公表し、自分の体験を発表すると申し出た。
このため、それまでは非公開で調査を進めていたのが、急遽、韓国の報道陣に公開されることになった。

ソウル市鍾路区にすむ金学順=キム・ハクスン=さんという。
テレビでは、その夜のニュースに流れ、十五日(光復節)の新聞では「韓国日報」が社会面に写真入りで六段記事で伝えたのを始め、各紙とも大きく伝えた。
大きな反響を呼んだ。

尹さんたちは、さらにこの問題を調査するため九月からはソウルの事務所に、女性たちからの申告を受けつける電話を設置する予定だ。

韓国のマスコミはさまざまな形でこの問題を取り上げはじめており、情報はさらに膨らんでいく可能性がある 》
(以上、『MILE』91年11月号から)


──『MILE』誌の記事は、いつ書いたんですか。

「あれはたしか91年の9月上旬ぐらいが締め切りだったと思うから、ソウルから大阪に戻ってきて1ヵ月後ぐらいです」

──この記事を読むと、当時の植村さんの動きや気持ちがよくわかりますね。

「ええ。僕も書いたのは記憶していたんだけど、内容は忘れていたんです。
ところが今回、僕が猛烈に攻撃される事態になってから、朝日の慰安婦問題検証取材チームの記者が見つけてくれた。
そうしたらここに取材の経緯なんかも全部書いてある。
この時はバッシングを受けてたわけでもないし、別に何かのアリバイづくりのために書いてるわけでもなく、単に正直に当時のことを書いていただけですから。
これが一番正確だと思います」

──問題の記事が「挺身隊」と「慰安婦」を誤用したことに大きな批判があります。

「僕らのとき、韓国では『慰安婦』っていう言葉は使いませんでしたからね。
青木さんも韓国にいたなら分かると思うけど、慰安婦のことを『挺身隊』っていうでしょう」

──たしかにそうですね。

「だいたい元慰安婦のハルモニ(おばあさん)たちも『挺身隊』っていう。
『慰安婦』なんてあまりいわない。
あの当時でいえば、日本の他紙も同じように書いていたし、金学順さんの記者会見を受けて91年8月15日の韓国紙に掲載された記事をみると、本人も会見で『挺身隊』っていっている」


サルメラ:
百歩譲って、そういう勘違いから始まったんであって、意図的ねつ造はなかった、ということだとしても、
その間違いが引き起こした、今もって尾をひく大きな国益の損失をどう思ってるのか。
 自分が今おかれてる集中砲火のターゲットとなる状況は、同情すべきところ、なきにしもあらず、と言う人もいるかも知れないが、それにしたって自業自得であることには変わりないのに、大弁護団を結成、今なお、事実誤認を正当化し、謝罪より「売国奴」のミコシに乗ることを選んだ。
 多少、やり過ぎだと感じてても、
「そんな奴は、とことん糾弾すべし」という、
そっちの理屈につい感情移入してしまう、今日この頃だ。》




片山さつきの問題提起/無尽蔵な外国人への生活保護について

$
0
0

外国人への生活保護、日本人より高い支給率…片山さつき氏が問題提起

zakzak 2015.02.16
今年は戦後70年だが、生活保護については「戦後」がいまだに続いている。
局長通達で、一時的に認められたはずの「外国人の生活保護受給」が、何と60年以上も続き、日本人の支給率より高くなっているのだ。
日本の財政も厳しいなか、生活保護制度を見直すべきではないのか。
自民党の片山さつき参院議員が問題提起する。

片山氏はこう語る。
「高齢者はともかく、新しい世代の外国人にまで生活保護を適用すべきなのか。もう一度、考えるべきです」

昨年10月時点で、生活保護を受給している世帯は161万5240世帯と、過去最多となった(厚労省1月発表)。
2010年の調査による、国籍別の世帯数と生活保護受給世帯数、受給率を見てみると、
日本人の世帯に比べて、韓国・朝鮮籍、フィリピン籍世帯の受給率が高いことが分かる。

1950年に制定された生活保護法は、対象を「生活に困窮する国民」としている。
最高裁第二小法廷も昨年7月、「外国人は生活保護法に基づく生活保護の受給権を有しない」と判断した。

ところが、4万を超える外国籍世帯が生活保護を受給している。
片山氏は
「厚生省社会局長名で54年5月に出された『生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について』という通達が理由です。
51年のサンフランシスコ講和条約によって、日本国籍を失った韓国・朝鮮籍で生活に苦しい人々を、人道的かつ治安上の観点から“当分の間”保護したのです」
という。

65年に日韓基本条約が締結され、両国間の請求権問題は完全かつ最終的に解決された。
韓国籍の生活保護は韓国政府が支払うのが当然との考え方もあった。

片山氏はいう。
「同時に締結された日韓法的地位協定で、
『日本に永住する韓国人には教育、生活保護、国民健康保険について考慮しなければならない』
とされ、協定議事録で生活保護は “当分の間、従前通り” とされました」

「当分」の措置が50年間も続いていることは異常だ。
加えて、韓国・朝鮮籍以外の外国人を保護する必然性はまったく感じられない。

片山氏は
「すでに戦後70年、日韓国交正常化50年を迎えました。
韓国では『韓国国民と結婚し、かつ韓国国籍の未成年を養育している』場合だけ、外国人に基礎生活保障を認めています。
国際化という観点では相互主義を考えてもいい。
制度の抜本的見直しが必要です」
と語っている。
(ジャーナリスト・安積明子)

外国人扶養控除制度の見直し訴え 7割が所得税「ゼロ」

ZAKZAK 2014.11.21
日本の社会制度が食い物にされている疑惑が、また発覚した。
会計検査院が、外国人と結婚した日本人や、海外に家族を残して日本で働く外国人の扶養控除の状況について調べたところ、扶養する家族が多いため、控除額が高くなり、所得税がゼロの人が全体の7割近くに上っていることが分かったのだ。
自民党の片山さつき参院議員が問題点に迫った。

元財務省の片山氏はこう語る。
「現在の制度では緩すぎます。
真面目に税金を払っている人が不信感を持ちかねない。
控除対象をヨーロッパ並みに、直系尊属(=自身の父母、祖父母)と実子のみに限定するなど、早急に制度の見直しをすべきです」
いち早く、『月刊WILL』(2013年1月号)で問題を指摘していた。

扶養控除は、親族を扶養する場合に経済的負担を軽減するものだが、以前から
「税金を逃れるために悪用されている」
といわれていた。

会計検査院が7日に内閣に送付した「13年度決算検査報告」で、乱用が疑われる実態が明らかになった。

片山氏はまず、
「(冒頭の前提者のうち)12年の扶養控除額が300万円以上と高額で、扶養親族の居住地が確認できた1426人を調べたところ、扶養親族数は国内が1264人で、国外が1万2786人と、何と10倍以上もいたのです。
さらに、納税者1人が扶養する親族数は、国内だけの場合は平均5・9人ですが、国外を含むと平均10・2人に跳ね上がり、そのうち57・6%が2親等や3親等の姻族まで含んでいたのです」
と語る。

問題はまだある。
高額所得者ほど国外扶養親族の人数が多く、控除適用額と推計減税額が高額になっているのだ。

片山氏は
「所得金額が695万円未満の納税者が申告した国外扶養親族数は平均で8・9人、推計減税額は約20万円ですが、所得金額が1800万円以上の場合、それぞれ14・2人、約222万円でした。
結果、国外に扶養親族を抱える68・8%が所得税がゼロになっていた。
その中には、所得が900万円以上もあった人が17人もいたのです」
と語る。

税務署では、国外の扶養親族が要件を満たしているかを確認するのは、なかなか困難のようだ。
日本は今後、技能実習制度を通じて、外国人労働力を受け入れなければならないが、大丈夫なのか。

片山氏は
「控除制度の悪用が多発する可能性は否定できません。
米国では、子供の扶養控除を認めるには半年以上の同居が必要で、直系尊属以外の傍系尊属(=自分より上の世代に属する伯叔・父母など)は課税年度を通じた同居が要件です。
英国では、実子は国外にいても控除対象ですが、養子は居住要件が課せられます。
制度の見直しは不可欠です」
と語っている。
(ジャーナリスト・安積明子)

複雑に絡む外国人政策「性善説ではダメ」

ZAKZAK 2014.06.24
大阪市西成区の准看護師、岡田里香さん(29)の遺体が東京で見つかり、元同級生で日系ブラジル人の女(29)が中国当局に身柄を拘束された事件は、さまざまな問題が複雑に絡み合っている。
本筋である殺人・死体遺棄に加えて、旅券取得や国家間の犯罪人引き渡し、日系人の受け入れ問題などだ。
自民党の片山さつき参院議員が分析した。

まず、旅券取得について。
「日系ブラジル人らの広域窃盗団の構成員」との報道もある容疑者は、在留資格の期限が切れており、不法滞在の状態だった。
そこで幼なじみの岡田さんが狙われ、岡田さん名義の旅券を取得し、中国に出国した。

これは、外国人が、日本人の身分や戸籍を乗っ取る「背乗り(はいのり)」という犯罪で、北朝鮮による日本人拉致事件でもみられた。

片山氏は
「旅券申請には、本人確認の書類を提出しなければなりませんが、必ずしも写真を添付しなくていい『抜け道』がある。
しかも岡田さんは過去に旅券を取得していなかったため、本人確認が困難だったのです」
と指摘する。

日中間では犯罪者引き渡し条約が締結されていない。
このため、容疑者が母国であるブラジルに移送される可能性がある。

片山氏は
「そうなれば、自国民の引き渡しを禁ずるブラジルの憲法によって、容疑者を日本で罰することはできません。
同国は日本より刑罰が厳しくないため、微罪で済まされる可能性もあります」
と語る。

ブラジルには過去100年で日本から約13万人が移民し、約160万人の日系人が住むという。
戦後、日本は日系人を優遇して入国させてきたが、2008年のリーマン・ショックで彼らに失業者が続出した。

日本政府は帰国支援を開始し、
「3年間は再入国しないこと」
を条件に、本人に30万円、扶養家族に20万円を給付した。

ところが、昨年9月、1年以上の雇用期間のある雇用契約書の写しの提出など、一定条件の下で再入国が許可された。

片山氏はいう。
「外国人政策は性善説ではいけません。
きちんと働き納税するならともかく、犯罪者は日本の負担になるだけです。
今回のような『背乗り』を防止するには、旅券取得の際に本人の写真付きの証明書の提出を義務化したり、将来的には生体認証を導入するなど、厳格な確認方法が必要です」
(ジャーナリスト・安積明子)


【関連記事】↓


生活保護受給者は何故、大阪に多いのか

たかじんのそこまで言って委員会(1月25日)
 
 
辛坊治郎:
生活保護制度で『違和感』を覚えることはありますか?鹿沼さん。
 
 
鹿沼優妃:
そうですね…特に、私の周りで受けてる方がいないというのもありますし、いま、私が払ってる税金の範囲内だったら、別に、あえて改善する必要はないのかなと…思いますけど。
そんなおっきい問題じゃないと…
 
辛坊:
なるほど。
そんな大きい問題じゃない…いま、生活保護費にどれくらい税金が使われてると思います?国民全体で。
 
 
鹿沼:
いや…ちょっと…
 
辛坊:
いま、国家予算が大体90兆円です。
そのうち、防衛費が5兆円弱くらいです。
生活保護費は年間、どれくらいだと?
 
 
鹿沼:
1兆…2兆円くらいかな?
 
辛坊:
4兆弱ですね。
 
鹿沼:
……はぁー。
 
辛坊:
必要ならしょうがないんですけどね。
 
 
竹田恒泰:
そんなんですよ。
ほんとに必要としてる人が受ける分にはいいんですけども、働いたほうが収入が下がるから、だったら、働かないでおこう、という人とか…
もしくは、生活保護を受けることを目的として、日本にやってくる外国人とかがいるわけですよ。
そうやって、生活保護制度を乱用されてるという実態があってですね…
 
長谷川幸洋:
大阪っていうのは、生活保護率ダントツの1位なんですよ。
2番目が北海道、3番目が高知県で、一番保護率の低いのが、富山県なんですよ。
で、どうして、そんなにね、都道府県で違うのか、っていうのが疑問なところで、たしかに景気が悪いっていうのはあるんでしょうけども、だったら、大阪はね、他と比べてそんなにダントツに景気悪いのか、そんなこと多分ないですよ。
そうするとね、やっぱり、貰う人、そして、審査して渡す方、
両方に問題があるんじゃないかと。
ですから、橋下さんのこのプリペイドカードね、そういうのが背景にあるんだと思いますよ。
 
辛坊:
じゃあ、なんでそんなに大阪がズバ抜けて高いのかっていうと、いろんな議論があって、
一つには高度成長期に万博があって、ダーッと、地方からいらした建築関係の人たちがみんな高齢化して働けなくなったという、それで厚生年金じゃないから生活保護に…っていう話、これが公式見解なんですけども、非公式見解で言いますと、
やっぱり全国的に見ると、一時期、大阪の生活保護の審査は、橋下徹が出るまでは非常に緩かったので、大阪に集まってきたんじゃないのか、と。
以前によく影で言われてたのが、とその都道府県で、いかにも若くて元気に働けそうな兄ちゃんが生活保護受けに行くと、「働けや」と言われる。
そんなこと言って、
「音声ピー」(おにぎり食べれんと餓死したらどうしてくれる:サルメラ推測)
と言われると…今のカットね(笑)、窓口の人が、「勘弁してください」と。
で、「うちの自治体では出せませんけども、大阪なら出してくれますから、電車賃あげますから大阪に行ってください」と(笑)。
 
長谷川:
「いや、全くその通りで、私も以前、財務省で、「財政制度審議会」っていうのやってたんですけどね、そのとき、なんでこんなに都道府県格差があるんだと、いう話が出た時に、まさに今、辛坊さんが言われたように、実は昔、九州の方ね、すごく高かったらしいんですよ。
どころが、九州があるときから厳しくなった。
そしたら、怖い人たちも含めてね、すごく楽に出るのは大阪だぞ、と。
それでドーっと大阪になだれ込んできたという、こういう解説をする人もいましたね。
 
竹田:
問題なのは、生活保護っていうのは、どうしようもなくなった人が最後に頼るものでなければいけないと思うんですけども、ところがいま、最低賃金の方が生活保護より安いわけですよ。
そうすると、働くのがバカらしくなっちゃって、だって、週5日間しっかり8時間働いたほうが生活保護受けるより安いんだから。
で、そういう仕事はじめると、もう生活保護は受けれなくなるわけですよ。
働いたほうが収入低かったら、誰が働きます?
 
加藤清隆:
それに生活保護受けてたら、支給費の他にも医療費がタダだとかさ、付随するものがあるからね。
 
竹田:
利権になっちゃってるんですよね、実は。
 
辛坊:
で、さっきの話で言いますと、変な話、不正受給のGメンがいま、大阪にはたくさんいるわけですよ。
どういうケースが挙げられてるかというと、生活保護費をもらいながら、スナックでバイトしてます、っていうと、これ、不正受給で摘発されるんですよ。
ところが、パチンコ行って遊んでたら、これ、不正受給にならないんですよ。
他に収入があると捕まるけど、パチンコして遊んでたら大丈夫なんですよ。
 
竹田:
その、生活保護受給日になると、パチンコ店に列が出来るっていう…
 
辛坊:
それ、ほんとです。
 
津川雅彦:
これ、パチンコに使わなくなったら、パチンコ屋、相当困るんですかね?
 
 
辛坊:
…これ、ぼく、またいらんこと言ったら…(笑)。
 
でも、これ、鹿沼さんが最初に言ったように、みんな社会的に余裕があって、今の財政で制度が持つんならね、そら、いいと思いますよ。
そういう優しい社会でいいと思う。
でも、これやりすぎて、それで破綻して一番困るのは、ほんとにこの制度を必要としてる人たちですからね。
だから、このままで、ほんとに制度の持続が可能なのか、一番困ってる人を助けるための制度になってるのか、この発想をもう一度考えないとと、素朴に思いますけどもね。


で、こういう問題に、口先だけでなく本気で取り組もうとしてるのが・・・


生活保護のプリペイドカード支給 賛成派が80.1%

2015年01月16日 アメーバニュース
生活保護受給者が、生活保護費をギャンブルなどに使ってしまうことも時々取り沙汰されるが、大阪市が生活保護費の一部をプリペイドカードで支給するモデル事業を実施すると発表した。

これについて、ヤフーの意識調査で「生活保護費のプリペイドカード支給、どう思う?」という調査を実施中。

2月4日まで行われるこの調査、
「過度な飲酒やギャンブルを防げるので賛成」が43.6%でもっとも多い。
「家計の収支を把握して自立を助けるので賛成」
「生活保護費が適正に支給されてるので賛成」
と合わせた「賛成」派が80.1%となった。

反対派は「使える店が限定されて不便が生じる」がもっとも多く7.0%。
「金銭給付の原則に反して違法なので反対」の6.6%などと合わせて17.6%だ。


全国初! Visaプリペイドカードによる生活保護費の支給をモデル的に実施します

平成26年12月26日 大阪市長会見全文

司会
それでは、市長定例会見を開始します。
市長、お願いします。

橋下市長
はい、僕からは4点あります。
まず第1点なんですけど、Visaのプリペイドカードによる生活保護費の支給をモデル的に実施をします。
生活保護費の支給方法について、家計管理や金銭管理が必要な方への支援ツール、自立支援の一ツールとしましてプリペイドカードによる生活保護費の支給をモデル的に実施します。
こういうやり方は全国初ということになります。
近年ですね、金銭管理等の各種生活支援を必要とする被保護者、生活保護受給権者ですね、
とりわけ単身高齢者が増加しておりまして、今後も増加すると見込まれます。
平成25年12月に成立した改正生活保護法では、いろいろな生活保護制度の欠陥をちょっと改善しようという改正生活保護法では、収入、支出その他生計の状況を適切に把握することが受給者の責務として位置づけられました。
自立していくためにはですね、経済的に自立していくためには、まずはきちっと家計を把握するということが肝要なんでしょう。
さらに、ギャンブルや過度な飲酒等に生活費を費消し、自立に向けた生計、生活設計を立てることが困難な方等への支援も求められているということで、今回、三井住友カード株式会社さん、株式会社富士通総研さんの三者において協定を締結しまして、モデル事業を実施するに至りました。

最初に、このVisaのプリペイドカード、これをですね、被保護者に、利用の申し出のあった被保護者に貸与しまして生活保護費のうち生活扶助費の一部、モデル実施においては一律に月額30,000円、
このプリペイドカードの方にチャージをする。
で、この利用者、生活保護受給者の方は、被保護者の方は、Visaカードブランドの加盟店でこのチャージ額、入金額までの買い物、飲食などができると。
本当プリペイドカードですね。
で、これいろいろ確認すると、クレジットカードの場合にはこう、上限設定ができないとか、本人じゃない第三者が、市役所の場合には、これ第三者的な存在ですから、それが利用者に代わってチャージをするというのは、なかなか制度上いろいろ課題があったみたいですけれども、その課題がクリアになったので、こういう新しいモデルでですね、モデル事業として一回生活保護費のですね、こちらは適正支給、で、生活保護受給者、被保護者の方、利用者の方は自立に向けた家計収支の把握と。
これも自立支援の重要な、僕は自立支援の一形態だと思っております。
利用者、一応希望募ってこういう形をとります。

僕も弁護士時代に破産事件よく扱っていましたけども、家計がきちっと把握できないとですね、なかなかこう、生活の方がうまく成り立たないというような実態も見えてきました。
生活保護者の方はそういう方々ばかりではありませんし、いろんな事情で生活保護を受けなければいけない事情もあるんでしょうけれども、ただ、中にはですね、こういう形できちっと自らの家計収支について記録をとりながら、それを把握することが自立支援につながるという人も生活保護受給権者の中にはいますので、利用規模に応じてですね、一応こういう形で一度モデル事業実施して、実際にどういう形で自立支援につながるのか、しっかり検証もしていきたいと思ってます。

今回、半年から1年程度のモデル実施をやります。
その状況を検証しまして、そのあとですね、これはうまくいけそうだということになれば、今は三井住友カードさん、株式会社富士通総研さんなんですけども、ほかの事業者もいろいろ申し出があった場合には、またその事業については、いろんな事業主体については、いろんな事業主体の方に入っていただけるようなそういう制度設計にもしていきたいと思っております。
いずれにせよ、ちょっと全国初の取り組みでもありますので、一回チャレンジをしてみたいと思っています。

広島・黒田が復帰会見に、

$
0
0

広島・黒田が会見 ヤンキースよりメディア多く「戸惑ってます」

東スポ 2015年02月16日

米大リーグ・ヤンキースから8年ぶりに広島に復帰した黒田博樹投手(40)が16日、広島市内のホテルで入団会見を行った。

100人以上の報道陣に迎えられて登場した黒田は「カープ、ドジャース、ヤンキースでやってきたが、そのなかで一番多いメディアの人に囲まれて戸惑っています」と苦笑い。

メジャー球団からの巨額オファーを断り広島への恩返しをする“おとこ気決断”について
「2006年にFAを取ったときにファンの人たちに心を動かしてもらったので、今度はファンの人たちの心を動かせればいいなと思って決断した」
と説明した。
 

広島のテレビは黒田一色 民放4局中3局が入団会見生中継

広島中の注目が集まった黒田の会見。
会場にも多くの報道陣が詰め掛けた
広島のテレビが“黒田一色”に染まった。

米大リーグ・ヤンキースから8年ぶりに広島に復帰した黒田博樹投手(40)が16日、広島市内のホテルで入団会見を行った。この模様をNHKを除く、地元民放4局すべてが放送した。

会見の模様を生放送で伝えたのはテレビ新広島(以下TSS)、広島ホームテレビ(以下広島ホーム)、RCCテレビ(以下RCC)の3局だ。

TSSでは「緊急生放送!黒田博樹カープ入団会見~野球人生最後の決断~」、
広島ホームでは「カープ復帰会見 おかえり!黒田博樹『背番号15の決意』」
と、それぞれ1時間の特番を組む力の入れよう。
解説者にはTSSが山内泰幸氏、広島ホームは北別府学氏とそれぞれ元投手を起用。
RCCでも情報番組「イマなまっ!」を通常より開始を1時間早める特別編成で、黒田の会見の模様を伝えた。

民放で唯一会見の模様を報じなかったのは広島テレビ。
同局ではワイドショー「情報ライブ ミヤネ屋」を放送しており、会見模様を挟むことは難しかったようだ。
その悔しさ?を晴らすように、ミヤネ屋終了後に「8年ぶりにカープ復帰!黒田博樹 野球人生最後の決断」と題した特別番組を放送する。

早くも地元の期待が一身に集まる黒田。17日に2次キャンプ地の沖縄入りし、18日からチームの練習に合流する。



20億円を蹴って古巣に恩返し。
こんなオトコ気、滅私奉公の国、日本人以外、マネできようか。
今年の優勝、タイガースでないなら、カープだな。

15年タイガースの胎動/梅野隆太郎

$
0
0
2015.2.18 サンスポ

開幕スタメン決定的や!梅ちゃんバズーカで盗塁阻止率100%!

阪神春季キャンプ練習試合(17日、楽天1-1阪神、宜野座)梅ちゃんバズーカ、百発百中!!
阪神・梅野隆太郎捕手(23)が17日、楽天との練習試合に「8番・捕手」で出場し、2度の盗塁を阻止した。
15日の紅白戦も含め、実戦で盗塁阻止率1・000と鉄肩ぶりを披露し、打っても3試合連続安打。
狙うは3月27日の開幕・中日戦(京セラD)だが、猛アピールで田淵幸一以来、45年ぶりとなる2年目での開幕マスクは手に入れたも同然だ。

走者を追い抜く白球があっという間に二塁ベース上へ。
ストライクで届いたボールが悠々と走者を迎えた。これぞ捕手の見せ場。
梅野が抜群のスローイングで盗塁阻止を連発した。

「山田さん(バッテリーコーチ)からも、準備をしっかりと言われていたので。
楽天は機動力を使うカラーだし、いつ走られてもいいように準備していました」

まずは三回二死。
楽天の初走者・岩崎が狙った二盗をあっさり退けると、五回一死一塁も梅野の勝ちだ。
俊足・岡島のスタートに動じることなく反応した。
金田のフォークにも軽やかな身のこなし。
「走る野球」を掲げる新生・大久保楽天の足を完全に封じた。

「岡島さんでしたよね。足の速い走者なので、よかったです」

15日の紅白戦でも西岡と荒木の計3度の二盗をすべて刺した。
これで5分の5。
驚異の阻止率1・000に、周囲も成長を認める。

山田バッテリーコーチが「準備もできていた。捕球技術も伴って球筋もよかった」と称えると、敵も注目。
菊池、丸ら俊足をそろえ、機動力野球に定評ある広島の井生スコアラーは
「すばらしい。あの送球を見せられると盗塁は難しい。梅野が一番気になる」
と警戒した。

強肩の定評はあったが、1年目の昨季は阻止率・263だった。
進化の秘密はスローイングだけではない。
キャンプ中は送球練習も入念に行うが、土台は捕球にある。
安定した姿勢で確実に白球をミットに収める。
和田監督からもノックを受け、連日の特守で反復。
球が手につかず、握り替えのミスが目立った昨季の姿は消えた。

投手の球筋を覚え、けん制球を指示するタイミングも学んだ。
指揮官は
「スタートを切らせないようにすると、もう一つレベルアップする。『梅野のときは走りづらい』という感覚を相手に持たせるようにしてほしい」。
高い要求をもらう立場になった証明だ。

打っては、五回先頭で左前へクリーンヒットを放った。
練習試合は3試合連続安打。
昨季、捕手でチーム最多92試合に出場したが、チーム内で「このままいけば十分」との声もあり、開幕マスクも当確ラインだ。
2年目で勝ち取れば、阪神では1970年の田淵幸一以来。
特打も行って、最後に球場を後にした23歳に貫禄があふれた。

「足の速い走者がどんどん走ってくるのも楽しみです」
真っ黒に焼けた肌に自信が漂う。
2年目で安定感を増した。
矢野や城島の引退以降、くすぶっていた虎の正妻問題が一気に解決。
梅野が虎投をけん引する。

データBOX
◎…ドラフト制度以降、阪神捕手の最速開幕スタメンは入団2年目の田淵幸一。1969年に法大からドラフト1位で入団した田淵は1年目から117試合に出場しているが、開幕マスクは2年目の70年だった。
梅野が生え抜きで2年目から開幕マスクをかぶれば、45年ぶりとなる。

◎…ちなみに、法大から83年入団の木戸克彦は、3年目の85年に開幕マスク。住友金属から85年入団の嶋田宗彦は4年目の88年、東邦高から88年入団の山田勝彦は5年目の92年、駒大から91年入団の関川浩一は6年目の96年だった。

捕れ~ッ!飛べ~ッ!虎将、梅野に激振403本「執念が足りん」

阪神春季キャンプ(12日、宜野座)執念の403本!
阪神・和田豊監督(52)が梅野隆太郎捕手(23)の特守で、就任4年目で最多となる1時間の猛ノックを行った。
今季初戦だった前日11日の日本ハムとの練習試合(名護)は寂しい敗戦。
13日の韓国サムスンとの練習試合(宜野座)を前に、気合を再注入すべく、指揮官自ら動いた。

ノックバットを握る手に痛みさえ感じていた。それでも振り続けた。
「執念が足りんのや、執念が!!」
和田監督は、そう叫びながら、ひたすらゴロを転がした。
梅野が黒土まみれになるのを、楽しむかのようにも映った。
午後3時45分からサブグラウンドで始まった正妻筆頭の特守。
200球が過ぎても終わりを告げなかった。
「どっちかがヘバるまでだったけど…アイツ強いわ。痛み分けや」。
捕球できなければノーカウント。
のべ1時間、その数は実に403本にも及んだ。

言葉ではなく、熱い背中で、ナインに気合を入れた。
「(手のひらが)べろんべろんや。風呂で痛いんだよなぁ」。
メーン球場に帰り際、指揮官はうれしそうに“勲章”をみつめた。


侍ジャパン小久保監督、梅野には辛口…「少し小ぢんまりした」

阪神春季キャンプ(6日、宜野座)野球日本代表「侍ジャパン」を指揮する小久保裕紀監督(43)が阪神の宜野座キャンプを視察。

小久保監督が昨年のキャンプ視察で「新人で一番バットが振れている」と高く評価したのが梅野だ。
1年を経て印象を問われると、
「少し小ぢんまりしたかな。打てる捕手が打てなくなったら試合に出られない。
持ち味の長打力を持ち続けるように、やってほしい」
と辛口に話した。

同監督から1年間体重をキープするよう直接アドバイスをもらった梅野は、“小さくなった”打撃について
「今は両足のスタンスを3歩半、狭くして、軸を使って打つようにしています」
と説明していた。

全試合出場や!虎・梅ちゃん、掛布DCの教えで猛猛アピール5連発

阪神・梅野隆太郎捕手(23)が昨季限りで現役を引退したかつての守護神・久保田智之打撃投手(34)相手に72スイングで5連発を含む15本のサク越え。
正捕手争いへ、パンチ力でアピールした。
大和外野手(27)は135スイングで安打性の当たりは70本、驚異の打率・518だ。
視察に訪れた中日のスコアラーをびびらせた。

相手がマシンから、久保田打撃投手に代わると梅野のスイッチが入った。
豪快なスイングから飛び出した打球が、左翼芝生席に突き刺さる。
2005年、守護神としてリーグ制覇に貢献した右腕から72スイングで5連発を含む15本のサク越えだ。

「量を打つと、いいときも悪いときもありますから」

まだまだ…と言わんばかりの表情だったが、打撃改造への手応えは感じているはずだ。
マシン相手の打撃練習では90スイングでサク越えはゼロ。
このあと掛布DCから身ぶり手ぶりで打撃スイングのチェックを受けた直後だけに“御礼”のアーチショーだ。

圧巻は48打席目からの左翼への5連発。
現役時代はトルネード投法で、鉄腕ぶりを発揮した久保田打撃投手の投じるボールを、持ち前のパンチ力で次々にスタンド運んでみせた。

打撃ケージ裏で見守った掛布DCも大きくうなずいた。
打撃スイングの際のスタンスの幅を狭くした打法に改造中。
掛布DCは
「長打を意識するあまり、スタンスが広くなっていた。それで、やってみようか、ということになってね。
ステップの幅を4足半から3足半にしているんだよ」
と声を弾ませた。
15発は、まさに“掛布効果”だ。

ルーキーだった昨季は打率・197、7本塁打、21打点。捕手陣最多の92試合に出場するもシーズン終盤は、自慢の打撃力は影をひそめ、藤井、鶴岡のベテラン捕手にマスクを譲ることが多かった。
「今年は143試合出場が目標」と言い切る。

久保田打撃投手からの5連弾について
「打球は飛んだけど、まだまだステップは広いね」
と掛布DC。
梅野も
「これをシーズンに生かせればいいかなと思っています」。
かつての剛腕から放った5連発を、打撃開眼のキッカケにする。


梅野のスタンスを狭めさせた掛布が正しいか。
それを「こじんまりして魅力がなくなった」と評した小久保が正しいか。

『痛風列伝』

$
0
0
転載元 『痛風列伝』

尿酸値を下げる食べ物

尿酸値を下げる食べ物で良い食べ物とされているのは、尿をアルカリ性に傾ける食品を積極的に食べればいいと言われています。

尿酸は尿のバランスが中性~アルカリ性に傾けば溶けやすくなると言われていて、排泄も通常より促されるため、尿酸を体外に排出しやすくする効果がある為、尿酸値を下がる働きをします。

また尿酸は尿から排出されるので、尿の量が多い程、たくさんの尿酸が排出されます。
尿酸値の高い方によく言われるのがお茶や水分を多めによるようにし、尿の量を増やして尿酸を体外に排泄するよう心がけると良いです。

以下に尿をアルカリ性に傾ける効果のある食物をあげてみました。

■海藻類
・わかめ  ・ひじき  ・昆布

■野菜類
・ほうれん草  ・ごぼう  ・ニンジン  ・キャベツ  ・アスパラ  ・かぶ  ・なす

■イモ類
・里芋  ・さつまいも  ・じゃがいも

■果物類
・メロン  ・バナナ  ・グレープフルーツ

■その他
・干ししいたけ  ・大豆

以上のような食材を毎日の食生活でどこかに取り入れ、積極的に食べるよう心がけてみて下さい。


15年タイガース/闘将のお墨付き

$
0
0

仙さん、和田監督にエール「楽天より阪神の方がチャンスがある」

2月18日 スポニチ 
高血圧による体調不良のため15日から2日間、静養していた阪神・和田監督が17日から現場復帰した。午前9時40分頃に球場入りすると、笑顔でグラウンドへ。
この日、対戦した楽天・星野仙一シニアアドバイザー(SA=68)から飛ばされたゲキにも呼応し、高らかにセ界制覇と日本一を宣言した。 

「体調は全然、大丈夫! まあ…“全然”と言うこともないけど」
復帰初日から精力的に動いた。まずはメーングラウンドで、この日から屋外フリー打撃を開始したゴメス、マートンの状態を確認。
ノックを受ける新井にも目を配った。
それが終わると、即座にブルペンへ移動。藤浪の背後に立って声を掛け、1軍昇格初日の守屋の投球にも熱視線を送った。
その後はメーングラウンドへUターンし、練習試合を指揮。
その動きには、気力がみなぎっていた。

そして、この日の試合を観戦した楽天・星野SAは戦力が整った古巣に大きな期待を寄せた。

「阪神は(優勝の)チャンス。きょうは若いのばかり出ていたけど。
今年、来年を逃したら難しくなる。
とにかく一つになって、(優勝を)つかまえることだな。
楽天より、阪神の方がチャンスがある」

その言葉を報道陣から伝え聞いた虎将は力強く応じてみせた。
「(星野SAのゲキに)もちろん、我々もそういう気持ちでやるしね。
(星野SAの言葉を)肝に銘じて。今年、来年と言わず今年ですよ」
戦士の休日を終えた指揮官。開幕へ向け、アクセルを踏み込む。



今季のタイガースは補強なし。
それでも今季がチャンス。
平田の1軍ベンチ復帰といい(05年優勝)、
正捕手 ( 梅野 ) 固定元年であることといい(85年木戸、92年山田、02年矢野)、
助っ人外国人の頼り甲斐といい(85年バース、ゲイル、92年オマリー、パチョレック)、03年ムーア、ウィリアムス、アリアス)
あくまでジンクス的にも、縁起がいいシーズン。

それに今年の巨人はそんなに怖くない。
相対的に見た場合、むしろ、怖いのは巨人より黒田加入の化学反応で相乗効果を生む広島。
そんななか、
星野の言葉はやはり心強い。
いくら今季の広島の勢いが最高潮であれ、選手層で抜きん出たタイガースが足元をすくわれるようなことになるならば、
しばらくはもう、星野の言うとおり、優勝はないだろう。


15年タイガースの胎動/中谷将大

$
0
0
 サンスポ 2015.2.19 17:56

虎・中谷、土壇場で同点3ラン「ラストチャンスという気持ち」

阪神春季キャンプ練習試合(19日、阪神9-9ヤクルト、浦添)ヤクルトとの練習試合で、途中出場の中谷が6-9の九回に同点3ランを放った。
落ちる球を鋭く振り抜いて左中間へ運んだ一発に
「最近結果が出てなかったので、ラストチャンスという気持ちだった。
結果が出てよかった」
と胸をなで下ろした。

過去2年は1軍での出番がない5年目の外野手。
今キャンプでもここまでは目立っていなかった。
「後がないという気持ち。どれだけチャンスをもらえるか分からないけど、アピールしていけるようにしたい
」と必死の覚悟を示した。



ラストチャンス?
冗談じゃない。

捕手、梅野
1番、北條
4番 横田
5番 中谷

これは5年かかろうと、実現すべき、指導者の責任だ。
この逸材を、育てられなかったら、よほどボンクラ。
そら、また、カネ使うようになったから暗黒時代には戻らないにせよ、
きっと、しょーもないチームになるだろう。

暗黒時代エピソード1/中谷仁の数奇な野球人生

$
0
0

元阪神ドラ1中谷仁の数奇な野球人生

デイリースポーツ 2014年2月6日

プロ野球はキャンプたけなわ。
沖縄各地を中心に、12球団の選手たちが3月末から始まる2014年度の公式戦に向け、己の精神と腕を磨いている。
掛布雅之DCも指導する阪神2軍は今、高知・安芸で鍛錬中だが、16年前の1998年2月、この地に将来を嘱望されたドラフト1位捕手がいた。

中谷仁。
和歌山の強豪校・智弁和歌山で強肩強打の捕手として鳴らし、全国優勝に導いた司令塔だった。
「早いもんですよね。16年前ですか…。ほんといろいろありましたね」。
懐かしげに振り返る中谷氏は、阪神‐楽天‐巨人と渡り歩いた都合16年間のプロ野球人生に幕を閉じ、昨年12月、東京から地元の関西に戻ってきた。

中谷氏のプロ野球人生は波乱に満ちていた。
97年秋のドラフトは1位が中谷で、2位がのちにヤンキースに移籍する井川慶(現オリックス)。
当時は井川よりも中谷に球団は大きな期待をかけていた。
強肩強打の肩書きもさることながら、その“頭脳”に惚れ込んでいた。

「キャッチャーは監督がやっていることが分からないといけない。監督の特徴を早く知りたい」

ドラフト指名された直後のコメントには、中谷の非凡な素質が隠されていたのだが、悲劇はプロ2年目の99年に起こる。
中込投手の投げた携帯電話の先が左目を直撃。
これが原因で急激に視力が低下、一時は失明の危機にまで陥った。
右と左の視力が極端に違うのは捕手にとって致命傷。
中谷は考え得るすべての方法をとって視力回復を目指した。

今でこそ「あのアクシデントも僕の人生の一部ですよ」と笑えるが、当時はわらをもすがりたい一心だった。
苦労の甲斐あって徐々に回復、何とか試合に出られるまでになった。
プロ5年目の2002年、初めて1軍に昇格し、初安打初打点もマークしたものの、その後は出番がなく05年オフに金銭トレードで楽天へ移籍となった。

阪神在籍8年間で1軍出場は02年のたった17試合。
打撃成績は22打数1安打1打点、打率・045。
だが、数字以上のものを残し、また阪神から得ていた。
同じドラフト1位で、学年が1つ下の藤川球児(現カブス)の成長に大きく寄与し、また彼からプロとしてのエキスを吸収していた。

「球児はよく言ってましたね。『ねぇ、仁さん。コーチはフォームのことをとやかく言うけど、そんなん関係ないよ。どんなフォームでもキャッチャーが構えたところにきっちりと投げれたらいいんやから。それができんかったら投手の責任やし、それで打たれたら仁さん、キャッチャーの責任や』って」

藤川も中谷氏と同じく入団後、芽が出ず、星野監督時代(2002~03年)に先発で使われながら結果を出せなかった。
そんな苦境の時期を中谷は直に接して知っていたし、声もかけてきた。
人一倍負けず嫌いの藤川はその後“火の玉ストレート”を身に付け、岡田監督2年目の05年には不動のセットアッパーにまで成長した。

「真っすぐで抑えることに徹した球児の使いどころを、岡田監督はわかっていたんでしょうね。1イニング限定の起用が才能を開花させたと思います」。
藤川を適材適所で使った岡田監督もそうだが、藤川急成長の陰に何でもしゃべれる1歳年上の中谷の存在があったのは言うまでもない。

“球児の財産”を持って楽天に移ると、そこに待っていたのは自分が失明危機にあった当時の監督・野村克也氏だった。
野村氏もまた阪神退団後の2003年から社会人シダックスで監督を務め、この年に楽天に招かれたのだ。

中谷の素質を高く評価していた野村監督の下で再びチャンスが訪れた。
楽天移籍後3年目の09年6月21日の古巣・阪神戦(甲子園)。
この試合で代打で登場し、阪神先発の能見からプロ12年目で初の本塁打となる2ランを左翼席に放った。

「神様が僕にご褒美をくれたんですね。夢みたいだったけど『ああ、これで俺の野球人生は終わるんだな』って思いました」。
こんないいことが続くわけはない‐。

ところが、これを機に中谷は出場機会を増やし、シーズン2位で球団初のクライマックスシリーズ進出にも貢献する。
中谷の人生を再び変えたあの一発ほど、球団の隔てがなく喜ばれたものはない。
真っ先にお祝い電話をくれたのは阪神・藤川球児だったという。

その後の3年間は出番が減少したが、代わりにかけがいのない“2つ目の財産”を得た。
これがもうすぐヤンキースのキャンプに合流する田中将大との出会いだ。
「彼の球はレベルがちょっと違ってました。あの決め球のスプリッターも、最初はなかったんですがすぐに覚えてきましたから。それでいてあのキレでしょ。彼の球を受けられて本当によかったと思ってます」。

07年から11年までの5年間で異次元の成長を遂げる田中をそばで見た。
藤川球児とはまた違う超人と直で接したことで、中谷の器はさらに大きくなった。

11年オフに自由契約となり、トライアウトを経て巨人に入団するのだが、巨人は彼の持つ“引き出し”の多さがチームにとって有益になると考えた。
12年限りで現役を引退、翌13年はブルペン捕手に転じたが、巨人・原監督は中谷仁という男の存在価値を認めていた。

「原監督は僕らのような立場の人間でもじっくりと話をしてくれました。去年のWBCも監督から『行ってこいよ。勉強になるから』と推薦を受け、行かせてもらったんです」

侍JAPANのスタッフとして世界の野球を肌で感じたことも勉強ならば、巨人で内海や杉内、山口や西村ら最強投手陣の球を受けたこともまたいい勉強になった。
野村‐星野‐岡田‐野村‐星野、そして原…。
中谷が歴代仕えてきた監督のエキスもまた自身の血肉となっている。

昨年末、巨人を離れた中谷氏に古巣・阪神から裏方として声がかかったというが、あえてこれを断り、球界をいったん離れる決心をした。
今年1月から東北楽天ゴールデンイーグルスの「パフォーマンスコーディネーター」でもあった手塚一志氏が開設している『上達屋・大阪道場』のスタッフになり、将来のプロ野球選手を目指す子供たちに「質の高い上達メソッドを伝え、広めていくのが僕の使命」として、新たな夢に胸を躍らせている。

まさに数奇な野球人生。
あのアクシデントさえなければ、阪神不動の正捕手に育ったに違いない。
ただ、そうだとすれば、以降の貴重な出会いと経験もなかったかもしれない。

1997年秋のドラフト直後。
18歳の中谷がこう言ったのを覚えている。
「最後は監督になりたいんです。野村型のねちっこい監督になりたい」。
時は流れ、36歳でプロの世界から離れることになったが、まだまだ可能性はある。

中谷氏は「ここ3年くらいで自分がどういう道を歩んでいくかを定めたいと思っています」と話す。
アマチュアの指導者という選択肢もあるようだが、あれだけのエキスを吸収してきた男だけに、何としてもプロ球界に戻って当初の夢を叶えてほしい。
(デイリースポーツ・中村正直)




【関連】↓


OK WAVE↓

2009-06-23 23:47:10
質問No.5069606

Q 楽天の中谷仁選手について
閲覧数23055
ありがとう数16
気になる数0
回答数3

miya2004  
 
楽天の中谷仁選手は中込伸が投げた携帯電話が左目を直撃したと
聞いたのですが、何があってこんな事故になってしまったのですか?
あまり聞かないほうが良いと思ったのですが、
気になったので質問しました。
 


Aみんなの回答(全3件)
 
質問者が選んだベストアンサー
 
2009-06-24 22:57:42
回答No.1

 
isuke
 
阪神時代の話ですね。以下うろ覚えです。
確か10年くらい前だったように思います。バーベキューをしていた時に、中込投手がケータイを中谷選手に渡そうとしました。中谷選手はそれをキャッチできずに左目を直撃。
ということだったような記憶があります。当時、ドラフト1位で期待してましたし、キャッチャーのくせにケータイもキャッチできんのかとか、揶揄されてたように思います。


お礼コメント

miya2004
ありがとうございます。
何で携帯電話を投げて渡したのでしょうか?
視力が低下するくらいだから相当強く投げたと思うのですが、
なんでそんなに強く投げたのが不思議です。



Yahoo!知恵袋↓

元阪神の中込伸が山村宏樹をイジめ阪神を退団させたそうですが・・・
torne_kigouさん
2009/11/302:22:18
元阪神の中込伸が山村宏樹をイジめ阪神を退団させたそうですが・・・
.
台湾での八百長疑惑でニュースになっているので
 ネットで検索したところ、
====================================
1999年オフ、山村宏樹を虐め自律神経失調症にさせ阪神を退団させる等との極悪な一面もある。また、中谷仁に対して携帯を投げつけ、失明寸前にまで追い込んでいる。
====================================
との記述を見つけました。私は野球にはあまり詳しくないので
 この事件について知らなかったのですが、
これちょっとヒドくないですか???
これらが事実だとしたら、当時相当問題になったのでしょうか?
ファンから非難の声は上がらなかったのでしょうか?
 野球に詳しい当時の事をよく知る皆さま、
この事件当時の事を教えて下さい。
 
閲覧数:90,389 回答数:5 お礼:25枚

ベストアンサーに選ばれた回答

 rinba11さん
 .
編集あり2009/11/316:12:12
.
山村は退団に追い込まれ、近鉄に拾われています。
注目されるような活躍をしていた選手じゃなかったので、
自律神経失調症の話題すら出ませんでした。
もちろんその原因も。
中谷の時はニュースになりましたが、
相手の名前は報道されませんでした。
ネットで情報が交錯するようになったのと、
退団して球団が守る必要がなくなったので、
徐々に事実が明らかになってきたのが実際のところです。

 >executive11130000さん
あまりにも目に余るコメントなので追記させてもらいます。
何も知らずにコメントしてるか、知ってるなら頭がおかしいんじゃないでしょうか。
どちらも高卒でドラ1入団です。
入団してまもない若手に、結果を残せって方が無理でしょう。
中込がやってたのは明らかに若手潰しです。
山村は柄の悪い先輩に執拗なイジメを受け、
自律神経失調症に追い込まれたんですから、
相当なものだったんでしょう。
そもそも自律神経失調症を理解していますか?
中谷は有望な選手でしたが、その事故で選手生命の危機にさらされました。
失明は免れましたが、視力は低下しています。
それを彼は努力で克服しました。
2人ともそれがなければ選手生活は大きく変わっていたと思います。
 
ナイス!38



2ちゃんねる  『中込伸』

1 :神様仏様名無し様:2009/11/05(木) 22:55:55 ID:MUfvmOvv 返信 tw  中込について語りましょう
39 :神様仏様名無し様:2010/12/17(金) 11:53:23 ID:FQKVa3dr 返信 tw  台湾プロ野球:八百長事件 元阪神・中込被告、有罪判決が確定
ttp://mainichi.jp/select/jiken/news/20101217ddm041050086000c.html
・ 
50 :神様仏様名無し様:2011/03/24(木) 00:16:55.69 ID:4T01U34z 返信 tw  こいつは日本球界から永久追放すべきだろ
54 :神様仏様名無し様:2011/04/10(日) 02:59:42.88 ID:RRgwsuwl 返信 tw  伊東と大豊は球団職員囲い込みする価値があったけど何故阪神は…


58 :神様仏様名無し様:2011/08/21(日) 14:18:55.38 ID:DJjG5VFG 返信 tw  現楽天の山村って
こいつにいじめられて阪神やめたんだろ?

59 :神様仏様名無し様:2011/08/21(日) 19:42:13.69 ID:MFvH9yOj 返信 tw  >>54
当時は争奪戦必至の豪速球投手だったが
留年してたのでドラフトにかけられず
その間隙をついて阪神が無理矢理甲府から兵庫の定時制へ転校させ、昼間は球団職員の職を与えた
ただ思うに球団職員時代はろくに野球させてなかったんじゃなかろうか
ドラフト時にはすでに貫禄充分な体型だったからな…

60 :神様仏様名無し様:2011/08/21(日) 22:02:56.30 ID:yz6icyPi 返信 tw  携帯電話が目に直撃して失明しかかった人もいたね。


63 :神様仏様名無し様:2011/08/23(火) 18:58:03.78 ID:OncLT42A 返信 tw  >>62
携帯ぶつけられたのは中谷捕手
彼も楽天へ移籍したが
山村は首を踏んづけられて自律神経失調症になり近鉄へ 分配ドラフトで楽天へ


65 :神様仏様名無し様:2012/01/16(月) 03:17:48.56 ID:47TJDpX/ 返信 tw  中谷について情熱大陸やってたから中込について調べた。
こいつマジで終わってるな。
人間としてかなりクズやな。
しかも犯罪まで犯してるんやろ?
人の人生狂わせるなんて最悪。
こいつに不幸が訪れることを心から祈ってるわ。
こんな気持ちになったの生まれてはじめて。

66 :神様仏様名無し様:2012/01/16(月) 06:50:54.58 ID:tGN6uzAp 返信 tw  とくに、中谷に関しては
当時の野村監督を怒らせてしまったわな
前年、野村1年目でローテーション投手だったのに
事件発覚後は、故障でもないのに開幕二軍スタート
二軍で開幕投手を務めた


68 :神様仏様名無し様:2012/01/16(月) 10:38:22.80 ID:2PfGVDzK 返信 tw  山村…怪我で解雇されてもおかしくないのに贔屓なのか1000万以上もらい引退後の職も確保?

中谷…CS出場の立役者と言われ、去年解雇も巨人へ、引退後の職はブルペンキャッチャーも確保同然
ゴミ…引退後逮捕
神様っていますねw
山村は野球人として成功の部類だろうがゴミがいなきゃ金村暁みたいになってたかもしれんな
本当にゴミは死ぬべきだわ

69 :神様仏様名無し様:2012/03/08(木) 15:01:35.90 ID:E/soHuP/ 返信 tw  中込

 
72 :神様仏様名無し様:2012/09/21(金) 05:59:25.00 ID:HJokpiPJ 返信 tw  爆報!THEフライデー
9/21(金)19:00~19:56
スポーツ選手を支える妻SP
▼八百長を犯した元阪神・中込が衝撃の理由を初激白!犯罪者の妻となった壮絶な人生とは…

73 :神様仏様名無し様:2012/09/21(金) 19:53:54.03 ID:fibSM+KG 返信 tw  >>72
苦しい言い訳ばかりでつまらん番組だったな

74 :神様仏様名無し様:2012/10/30(火) 11:25:04.21 ID:QcUI6Yll 返信 tw  ローテの組み方とか細かく教えてたらしいけど。台湾ってとこは投高打低で守備がダメ
球速のある投手が三振を取りにいく試合展開になり、勝ち試合負け試合の予測なんて
投手さえわかれば容易いことだろ
仕組まれたものかもしれないが、浅はかとしかいいようがない

75 :神様仏様名無し様:2012/11/16(金) 13:03:07.70 ID:WEt6zIq1 返信 tw  中込が番組で自分をハメた後輩「S」って塩谷の事か?
ttp://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/11/16/kiji/K20121116004567880.html

76 :神様仏様名無し様:2012/11/18(日) 00:14:17.23 ID:CH3YxlbP 返信 tw  こいつの言い訳がましさは塩谷と同類なのにな。
まだ元中日の藤王康晴ですらマシに見える。


81 :神様仏様名無し様:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:IK+d7tWx 返信 tw  中込の自伝によると中学時代はカツ上げはやらなかったが他校へ殴りこみに行ったりもしたが
よくやったのがバイク窃盗。暴走族には入らなかったが、いつも盗んでいた。指紋でばれると思い
 しょんべんかけたが翌日、警察から出頭命令が来た。とにかく悪い事が起きると「また中込の仕業だろう」と言われてたらしい。
中谷の件は二軍落ちで落ち込んでる中谷を海辺のバーベキューに誘った。中谷の携帯が鳴ったので20メートル離れた中谷に砂場だから
大丈夫だろうと投げたが中谷は気がつかず。「中谷!」と叫んだら中谷が振り返って目に当たったとのこと。



中込伸、
92年、亀新フィーバーでヤクルトと優勝争いをしたシーズン、
仲田、湯舟、野田らともに、ローテの一角を担った。

別名、「ドラフト1位クラッシャー」
暗黒時代を象徴するエピソードの一つ、その裏の主役。



転載元 ナリナリ ドットコム

阪神、近鉄の山村宏樹投手を獲得へ。

2004/09/19 11:06 Written by コ○助

野球に詳しい人か、阪神&近鉄ファンでも無い限り、近鉄の山村投手といってもピンと来ないかもしれないなりね。
阪神ファン、というよりもコ○助にとっては山村投手は非常に思い入れの強い選手なりよ。
今季の山村投手は11試合に登板、0勝1敗0セーブ、防御率7.27という惨憺たる成績の、ひょっとしたら「平均以下」の投手かもしれないなりが、なぜこの選手に思い入れがあるのか。
それ説明するには阪神時代にまで話を遡る必要があるなり。

山村投手は1994年のドラフト1位として阪神に入団。甲府工業高校2年生の時に、エースとして夏の甲子園に出場した実績を買われ、また、山村投手も阪神入りを熱望。
相思相愛での阪神入りだったことから、「将来のエース候補」として多くのファンの期待を背負っていた投手だったなりね。
ただ、阪神には5年間在籍していたものの、1勝しか挙げられずに1999年オフに解雇。
これだけだと「重圧に潰された投手」「スカウトが実力を見誤った投手」という評価をされそうなりが、阪神ファンは「なぜ力を発揮できなかったのか」ということを知っているなりよ。それは、チーム内での「いじめ」。

事実として球団が発表したというようなことは無いなりが、当時、まことしやかに囁かれていたひとつの噂があるなり。
山村投手が入団した当時、阪神には甲府工業高校の先輩にあたる中込伸投手(すでに現役引退)がいたなりが、この中込投手というのは番長肌な男で、後輩いじめをしていた、と。具体的に何をされていたのかは今となっては分からないなりが、山村投手が阪神を去る直前には「自律神経失調症」にかかり、心の病で退団という異常事態だったことからも、このいじめの噂は確度の高い話として語り継がれているなりね。

ちなみに、中込投手は、1997年にドラフト1位で入団した中谷仁捕手(智辯学園和歌山高)もいじめていたと言われており、表向き「不慮の事故」として処理された「投げつけた携帯電話が中谷捕手の目に当たり、失明の危機に陥った」事件の当事者とされているなり。
中谷捕手がその後、野球選手として伸びずに苦しみ、もがいている姿を見るたびに、阪神ファンは心を痛めているなりよ。
ゆえに、中込投手は一部の阪神ファンからは「ドラフト1位クラッシャー」と呼ばれているなりね。

山村投手は阪神を解雇されたあと、野球を辞めようと思っていたようなりが、近鉄の梨田昌孝監督から「環境が変わったら、君はやれる。体は大丈夫なんだからウチに来い」と熱く説得され、近鉄に入団。
移籍1年目に6勝、2年目に7勝を挙げ優勝に貢献するなど、一時は近鉄のエース級の働きを見せていたなり。
その後、登板機会が激減して成績を残すことができずにいるなりが、使われれば結果を残せるタイプなので、もう一花咲かせてあげられないものかと思っていたなりよ。
昨年オフには出場機会を求めて移籍志願もしていたなりが、なんと古巣の阪神が再び山村投手の獲得に動くというなりね。中込投手もいなくなったことだし、最後の働き場として阪神に戻ってくるというのは、山村投手にとっても、ファンにとっても良い選択なのではないかと。



15年タイガースの胎動/岩本輝

$
0
0

「文句なし!」江夏氏、虎・岩本3回0封に先発太鼓判!!

2015.2.18 サンスポ

阪神・岩本輝投手(22)が17日、楽天との練習試合(宜野座)に先発し、3回1安打無失点の好投をみせた。
球威のある直球で打者をねじ伏せ、見守った臨時コーチを務めたOBの江夏豊氏(66)も絶賛。開幕ローテーションの5、6番手が不確定な中、高卒5年目の右腕が一歩前進だ。

1球1球奏でる、うなり声が、ファンの心を焦がす。三回二死。
楽天・岩崎に一、二塁間を破られた瞬間、至るところから、ため息も漏れた。
高卒5年目・岩本の魂は十分すぎるほど伝わった。

「良い感じでいけました。最後にヒットを打たれたのが悔しかったです。
真っすぐが走っていました。気持ちで投げることができました」

入団時には「剛球」にちなんで背番号「59」に決まったが、今はそのタイプではない。
140キロ序盤の直球と90キロ台のスローカーブなど、変化球を駆使する。
その直球はこの日、最速144キロをマーク。緩急の差が広がり、3回1安打無失点と完全に近いものだった。

元広島・故津田恒美氏(享年32)の母校である山口・南陽工高から2011年にドラフト4位で入団。
13年には3試合で2勝1敗、防御率0・00と頭角をみせたものの、昨季までの2年間は未勝利と、壁にぶつかった。

炎のストッパーに憧れた右腕は、今度は“石仏”に助けを求めた。
今年1月。呉昇桓とグアムでの合同自主トレを志願した。
自炊などストイックな生活を眺めながら、あの呉昇桓ですら、自分と戦い続けていることを痛感した。
ダッシュは1秒でも速く、1本でも多く、ウエートは1キロでも重く、1回でも多く。
体幹トレも6キロから8キロに変更。
宜野座でも志願してブルペン入りした。
体重は気がつけば86キロと3キロも増えていた。

開幕ローテへの椅子は、あと2つも残されている。
和田監督からは「もう少し長くみたいなという感じを受けた」と及第点をもらい、視察した江夏氏からも「文句のつけようがない。頑張ってもらいたい」と絶賛された。
うれしかった。

「今日のようなピッチングを続けて、開幕ローテを目指していきたい」
もう、迷わない。岩本の顔つきが変わった。

★虎の先発事情
開幕投手候補のメッセンジャー、藤浪と、能見、岩田の4投手は開幕ローテがほぼ確定している。
残る2枠を金田、岩貞、岩本、秋山らが競う形だが、11日の日本ハム戦(名護)で先発した金田が3回5安打2失点と精彩を欠いていた。
19日のヤクルト(浦添)では秋山が先発し、競争が激化していく

厄介な隣国/称賛の声を欲しがる厄介な裁判官

$
0
0

これぞOINK 異常な韓国司法 日本人に“暗黒”裁判を連発

zakzak 【新・悪韓論】 2015.02.12

韓国司法の異常性が注目されている。
旅客船「セウォル号」沈没事故や、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長をめぐる裁判が、国際常識から逸脱しているのだ。
まともな法治国家とは思えない韓国の現状について、ジャーナリストの室谷克実氏が連載「新悪韓論」で暴いた。

韓国で裁判をすると、外国人はまず勝てない。
OINK(オンリー・イン・コリア=『韓国でしかあり得ない』の意味)という、韓国に対する軽蔑語が世界に広まったのも、国際金融や海難事故をめぐる裁判のためだった。
外国人でも日本人となると、勝てないばかりか嫌がらせにあう。
産経の加藤前支局長への出国禁止措置は、典型だ。

「空白の7時間」疑惑を生んだセウォル号沈没事故は、昨年4月16日に起きた。事故から29日後の5月15日に、検察は船長らを起訴した。
起訴から26日後の6月10日に第1回公判が開かれた。
それから154日後の11月11日には、船長に懲役36年など、乗組員15人に対する1審判決が出てしまった。

1人、2人が負傷した自動車事故ではない。
300人以上が死亡した重大事故の裁判だ。
殺人罪に当たるかどうかという争点もあったのに、驚くべきスピード裁判だ。
いや、事故の大きさからしたら「スピード違反裁判」と言いたくなる。

加藤前支局長を被告とする裁判はどうか。
問題発生(昨年8月3日、ネットへの記事のアップ)から、すでに半年以上もたつのに、まだ3回しか公判が開かれていない。

しかも、取り調べ中から、ずっと出国禁止措置が延長されている。
前支局長は日本に戻り、証拠隠滅工作でもすると思っているのか。
日本に戻ったら、もう出廷しないとでも考えているのか。

ともかく、検察が延長を申請し、裁判所が認めている。
だから、それ自体は合法的な措置といえるが、韓国の裁判所と検察といえば、韓国人も揶揄の対象にする存在だ。
両者が手を携えて「嫌がらせのためのスローモーション裁判」をしていると見るほかあるまい。

前支局長は拘置所に入れられているわけではないが、アチコチで職業的反日活動家が目を光らせていようから、「出国禁止」という「幽閉措置」に等しい。
まさに人権問題だ。
日ごろ、「ジンケンガ…」と声を張り上げている日韓の人権屋グループは、なぜ口を噤(つぐ)んでいるのか。

《加藤前支局長は6日、韓国当局による出国禁止の延長措置は違法だとして、黄教安(ファン・ギョアン)法相に対し、同措置の取り消しを求める行政訴訟をソウル行政裁判所に起こした》

韓国ではいま、もう1つの“日本人裁判”も進められている。
アジア大会でカメラを盗んだとされる競泳の冨田尚弥選手に対する裁判だ。
こちらは1月12日に第1回公判があり、2月2日に第2回公判があった。

2回目の公判は、公式の通訳人が公判期日を錯覚し、来ないまま開廷した。
弁護人が通訳したそうだが、公式通訳がいないまま外国人の公判を進めるとは、まさに暗黒裁判であり、人権問題だ。
韓国の新聞はどこも、「公式通訳不在」について報じなかったと聞く。

300人以上の犠牲者が出た「殺人」事件の裁判が、初公判からわずか154日で終わっているのに、冨田裁判の第3回公判は4月9日。

費用をかさませようという悪意でもあるのだろうか。
日本人に対しては、まさに「奇無恥(キムチ)裁判」なのだ。



【関連記事↓】




ナッツ姫 懲役1年実刑でもバッシングされる韓国事情

週刊朝日記事  2015/2/18

常識はずれのワガママで世界を驚かせた“ナッツ姫”に厳罰が下された。
韓国・ソウル西部地裁は2月12日、大韓航空前副社長の趙顕娥(チョヒョナ)被告(40)に航空保安法違反などの罪で懲役1年(求刑懲役3年)の実刑判決を言い渡した。
趙被告は13日に控訴した。

“ナッツ・リターン”として有名になったこの事件は昨年12月、大韓航空機の客室乗務員がナッツを袋のまま出したことに趙被告が激高し、搭乗口を離れていた飛行機を引き返させたことが発端。その後、会社ぐるみの隠ぺい工作も発覚した。

裁判長は「きわめて危険で非常識」と趙被告を叱責。趙被告は、口に手を当て号泣したという。

それにしても、事故も起きていないのに実刑判決とは、いささか厳しくないか。
刑法に詳しい板倉宏・日大名誉教授はこう語る。

「懲役1年という判決にはそれほど違和感はありませんが、日本だったら4年程度の執行猶予がついていたと思います。
韓国では法の運用が世論に左右されやすいようですね」

趙被告は韓国の財閥「韓進グループ」会長の長女。
格差の拡大が深刻な韓国では、努力もせず大企業幹部に収まる財閥2世、3世への反感が高まっており、趙被告への世論の反応も厳しいという。

韓国在住ライターの原美和子氏がこう語る。
「判決へのネットの反応を見ても『韓国の恥』『海外にも驚きを与えたのだから当然の報い』と、擁護の声はほぼ皆無。
趙被告を叱責した裁判長は称賛されています。
趙被告は13年にハワイで出産した双子の母ですが、それも米国籍を取得させて兵役を逃れるためではないかと批判され、同情にはつながらなかった」

韓国は経済も不調で、朴槿恵大統領の支持率は20%台にまで低下。
韓国事情に詳しいジャーナリストの菅野朋子氏は、判決の背景をこう推測する。
「国民は事件に憤っており、判決が甘ければさらなる世論の反発は必至でした。
ただ、韓国の歴代政府が財閥幹部などの刑罰をクリスマス恩赦のような形で赦免してきたように、韓国では財閥の威光を無視できない雰囲気がある。
今回も控訴審で執行猶予がつく可能性は考えられるでしょう」

ナッツが格差解消のきっかけになるのなら、騒いだかいもあるのだろうが…

(本誌取材班=上田耕司、小泉耕平、西岡千史、福田雄一、牧野めぐみ/今西憲之)
※週刊朝日 2015年2月27日号

15年タイガースの胎動/一番・鳥谷

$
0
0

巨人007ビビった!“恐怖の1番”鳥谷 満点2二塁打

スポニチ 2月22日
オープン戦  阪神5-7DeNA (2月21日  宜野湾) 
 
1番打者としては申し分ない働きだった。
阪神・鳥谷が2本の二塁打でチャンスメークし2得点。
順調な仕上がりを見せると同時に和田監督が描く構想に早くも満点回答した形となった。 
 「ストライク、ボールをしっかり見るということを試合でもできている。実戦でも違和感なく動けていますね」

初回に右翼線二塁打し3回1死からは三塁線を突破する二塁打。
昨季、チームが苦手とした山口だが、鳥谷にとっては9打数4安打の相性の良さをそのまま生かした。

鳥谷の1番は味方にとっては頼もしい限りだが、他球団からすれば脅威のひと言。
この日、観戦した巨人の森中聖雄スコアラーは
「いきなり出塁率の高い鳥谷がいたら嫌。四球も選べるし長打も打てる。
得点パターンが増えることになる」
と頭を抱えた。

和田阪神の象徴となるであろう「1番・鳥谷」。
恐怖のリードオフマンとなるべく、背番号1は開幕へ向け確実に進んでいく。

阪神新打線◎1番鳥谷、2番上本で4安打

和田阪神の新打線が、15年オープン戦初戦から機能した。
DeNAとの“開幕戦”で1番鳥谷敬内野手(33)と、2番上本博紀内野手(28)が初めてコンビを組み、2人だけで2点をたたき出すなど計4安打の大暴れ。
試合には敗れたが、鳥谷の1番起用に伴う「超攻撃的1・2番コンビ」という新たなオプションの威力が証明された。

電光石火の先制劇だった。
プレーボールが響いた直後、1番鳥谷がDeNA先発山口の変化球をとらえた。
打球は右翼線を破る二塁打。
ここで2番打者として打席に入ったのが上本だった。
上本
「ランナーをかえそうと思っていきました。
もちろん、右打ちをしなければいけない時もありますし。あそこはサイン通りです」

カウント3-1から、内角球を思い切りたたくと、左翼線を襲う先制二塁打となった。送りバントも、進塁打もなし。
1つのアウトも進呈することなく、2人の攻撃的なバッティングで奪った1点だった。

和田監督 うちの打線から言うと(4番)ゴメスの前にいかにランナーを置くか。
そこが一番の課題というか、そうしていこうというところで、この1、2、3番を組んだ時、ベンチから見ても何かやってくれそうだなという雰囲気があるのは確かだよね。

和田監督が温めてきた「1番鳥谷構想」-。
昨季は西岡の故障で3試合しか実現しなかった。
ところが、今季は故障から復帰した西岡、福留という3番候補がいる。
それだけに指揮官はオープン戦開幕から早速、打線の新オプションを試したようだ。
3回にも1死から鳥谷が二塁打を放つと上本が中前に運び、初回と同様のパターンで2点目。
走者をためるどころか、2人で点を奪える破壊力を示した。
しかも相手は昨年6度対戦し、1試合も土をつけられなかった山口。
2勝を献上し、対戦防御率1・44に抑えられた右腕からだけに、脅威ぶりが際立つ。

和田監督 今日の試合は(上本2番の狙いが)そのまま出た。
(バントで)送らなくても何かやってくれる。
昨季出塁率が4割6厘とチームで1人だけ大台を超えていた鳥谷を1番にもってくることで、上本を2番に置くことができる。
右打ちはもちろん、力強く引っ張ることもでき、攻撃の幅は広がる。
試合には敗れたが、新打線の強みを証明した2得点だった。

巨人、広島、中日、ヤクルト…。
ネット裏にはセ・リーグ他球団のスコアラーが陣取っていた。
顔ぶれの変わらない阪神打線が取り組んでいる新たなオプションを本音の部分でどうとらえているのか。
3番をだれが打つのかという問題も、簡単に答えは出そうにない。
さらなる破壊力を求め、和田監督のチャレンジが続く。



 

プロ野球、眼のいい打者は誰だ? 選球眼を考える

THE PAGEについて 2015.02.22 11:00

一般に「選球眼」と呼ばれている能力がある。
単純にストライクとボールを正しく判断する力とすることもあれば、打つべきボール、見送るべきボールを判断する力とすることもある。
いずれにしても「選球眼」のよいと言われる打者は、近年重要性が広く認識されだした出塁率の高い打者であることが多い。
今回はこの「選球眼」を、「ボールカウントを有利にコントロールし、うまくいけばヒットやホームラン、うまくいかなくてもフォアボールで出塁する力」としてとらえ、各打者の打席ごとのボールカウントの傾向から、優秀な「選球眼」を持つ打者を探していきたい。
 
選球眼を考えるにあたって、まずはボールカウント別の打撃結果の傾向をみていきたい。
表1は昨シーズンの全打席での結果をカウント別にまとめたものである。
カウントによって明らかに打者有利、投手有利の傾向がでているのがお分かりいただけるだろう。
打者が有利なカウントはボール先行(1-0、2-0、2-1、3-0、3-1)のカウント、投手が有利なのは2ストライク後(0-2、1-2、2-2)である。
ボール先行時の打者の打率はおおむね3割5分を超えている一方、2ストライク後では2割にも満たない。
ボール先行のカウントを作れば出塁の可能性は飛躍的に高まるのである。

もう一つ特徴的なのはホームランの比率。
昨シーズンNPBの試合での総ホームラン数は1361本、そのうちの約20%にあたる260本は初球をとらえたものであり、2球目までだと558本とその割合は約40%まで上昇する。
全打席に対する2球目までのカウントの打席の割合は約28%なので初球、2球目を打った場合のホームランの出やすさは明らかである。
狙ったボールであれば早めの勝負をしていく姿勢も「よい選球眼」のためには必要だといえる。

そして2ストライク後で唯一打率が2割を超えるのが3-2のカウント。
このカウントでは打者の打率が.224まで回復するうえ、フォアボールを加えると約46%の打席で打者が出塁に成功している。
2ストライクをとられた後でも3-2まで持ち込めばアウトになる確率は格段に低下するのだ。
2-2での打率は.198しかないので、2-2からボールを選ぶと出塁の可能性は2倍以上になる。
3-2に持ち込む力は打者の成績向上に大きな要素といえるだろう。
この傾向からみえてくる理想の打者像は次のようなものだ。

・初球、2球目は狙ったボールだけを思い切りよくとらえにいく
・2球目までに仕留められなかった場合はボール球を見極め、ボールを先行させる
・2ストライクを取られてしまったら何とか3-2に持ち込んでいく

この条件に一致する打者はいるのか?
ここからはカウント別の打席割合(表2)で特徴的な数字を残している打者を紹介していきたい。

マートン(阪神)
昨年の成績:打率.338 14本塁打 46四球64三振 出塁率.394
初球の割合は50打席以上の選手で最も多い24%、これはプロ野球平均(12%)の2倍という際立った数値になっている。
2球目までを含めると41%と勝負の早さが目立つが結果も良好。
2球目(0-0、1-0、0-1)までを打った時の成績は打率.426でホームランは9本と圧倒的だ。
さらにマートンの本当のすごさはフルカウントの打席数だ。
これだけ早めの勝負で結果を残しながら、フルカウントの打席割合もプロ野球平均とほぼ同じ12%。
早めのカウントで狙いが外れた場合はフルカウントまで持ち込む、という粘りを持ち合わせており理想的な打者の1人だ。

吉村(ソフトバンク)
昨年の成績:打率.296 5本塁打 24四球28三振 出塁率.384
初球とフルカウントの割合がともに平均を大きく上回るという特異な傾向を持つ打者。
フルカウントの打席割合20%は昨年100打席以上の打者の中で9位と優秀で、フルカウントでの出塁率は.538と結果も出ている。
しかしもう一つの特徴である初球打ちでの打率は.276、ホームランはなしと物足りない。
念願のレギュラー奪取のためには初球打ちでよりよい結果を出すことが必要だろう。

谷繁(中日)
昨年の成績:打率.195 1本塁打 39四球36三振 出塁率.316
監督兼任となった昨シーズンは打率が2割にも届かず、ホームランも1本とさびしい数字が並んでしまった。
しかし打席でのアプローチではまだまだ優秀な傾向を残している。
3ボールでの打席割合は29%とNPB平均の19%を大きく上回っており、この結果として三振の数36を上回る、39個のフォアボールを選んだ。
セ・リーグで三振よりフォアボールが多かったのは200打席以上の打者では谷繁を含めて5人だけ。
出塁率の.319もキャッチャーとしては合格点だ。

鳥谷(阪神)
昨年の成績:打率.313 8本塁打 87四球80三振 出塁率.406
こちらも毎年多くのフォアボールを獲得するタイプの打者だが、昨シーズンは例年より若干早めの勝負している傾向が見られた。
2013年には深いカウント(3-1、3-2、2-2)での打席割合が42%に達していたが、昨シーズンは37%に下がった。
この変化がよい結果につながり3年ぶりに打率は3割超。

阪神はほかにもゴメス(3-2の割合が21%)上本(同19%)福留(16%)と深いカウントでの打撃を好む打者が多い。
投手としては非常にやりにくい打線だ。

丸(広島)
昨年の成績:打率.310 19本塁打 100四球95三振 出塁率.419
最も投手有利なカウントでの打席が少ない打者。0-2、1-2という圧倒的投手有利なカウントでの打席がわずか9%(平均21%)と非常に優秀。
一方で3-2の打席は21%もあることから、2ストライクを奪われたあとにフルカウントまで持っていく技術が相当高いことが推測される。残る課題は初球へのアプローチ。
昨シーズンは初球でのホームランが1本止まりだった。
初球でもうすこし結果を出すことができれば理想の打者になれる可能性を秘めている。

栗山(西武)
昨年の成績:打率.288 3本塁打 96四球100三振 出塁率.394
理想的な打席でのアプローチができている打者。
初球打ちの割合は14%と高めな上に、3ボールの状況に持ち込むことがうまく、3-0、3-1、2-3の3つのカウントでの打席が全打席の31%を占めている。
また、打者有利なカウント(3-0、3-1、2-0、2-1、1-0)での打席が平均より5%多く、投手有利なカウント(0-2、1-2、2-2)は平均より7%少ない。
さらにフルカウントの打席も19%と高い割合だ。
初球から打っていくが、その狙いが外れた場合でもボール球を見極めて有利なカウントを作ることができる。
ストライクを先行されてもフルカウントまでもっていって出塁につなげる。
という今回のテーマに最も適合する選手だ。

今シーズンはチーム方針から2番と打つことが予想されている。
出塁能力には疑いの余地がなくまさに適任。
後ろを打つホームラン王2人(中村、メヒア)や元打点王(浅村)が本来の力を発揮すれば相当強力な上位打線が形成されるだろう。


プロ野球、眼のいい打者は誰だ? 選球眼を考える 




プロ野球、眼のいい打者は誰だ? 選球眼を考える




【関連記事↓】



初コンビええやん!虎1番鳥谷&2番上本で速攻のワンツーパンチ!

2015.2.22 サンスポ

プロ野球のオープン戦が21日に開幕し、阪神はDeNA戦(宜野湾)に5-7で敗れた。
黒星スタートも、「1番・遊撃」で鳥谷敬内野手(33)、「2番・DH」で上本博紀内野手(28)を起用する攻撃型オーダーが機能。2人の連打で2度得点を奪い、和田豊監督(52)も新プランに手応えをにじませた。

あっという間の先制に虎党がわいた。
隣接する東シナ海からの強風を切り裂く速攻だ。
主将と選手会長がチームを引っ張るようにダイヤモンドを疾走した。
「ベンチで見ていても(鳥谷と上本は)何かやってくれそうだなというのがあるのは確かだね」

一回だ。先頭の鳥谷が右越え二塁打を放つと、続く上本がカウント3-1から左翼線へ適時二塁打。
DeNAのローテーション投手・山口に強烈な先制パンチをお見舞いした。

「右打ち(進塁打)しなければいけない場面もあるけど、サイン通り、決めにいきました」
先制打の談話が頼もしく響く。
2人がこの打順を任されることはあっても、同時に並ぶのは過去になかったこと。
初コンビが機能すると、三回にも一死から鳥谷の左翼線二塁打の後、上本が中前適時打。
流れるような攻撃はすぐに再現された。

「1番・鳥谷」は指揮官が就任以来、描いてきた理想の一つだ。
昨季はリーグ3位の出塁率・406。
「(4番の)ゴメスの前にいかに走者を置くか」という構想のもと、打点王につなぐ第1歩が、最も塁に出られる打者。
その鳥谷も「ストライク、ボールがしっかり見えている」と開幕モード。
合理的な戦略を、さらに生かすのが「2番・上本」だ。
和田監督は自信を口にした。

「(メリットが)きょうの試合はそのまま出た。(犠打で)送らなくても何かやってくれる」
つなぎ役もできれば、ポイントゲッターにもなれる好打者。
機動力も申し分なく、攻撃パターンを増やすためには、うってつけの存在だ。
西岡と二塁を争いながら、キャンプでさらなる成長も証明している。
この日も「3番」に座ったライバルの目の前で活躍した。

「結果というより、しっかり内容も出せた。きょうだけでなく、続けていきたいです」

上本がレギュラーに残れば、三塁を利用して西岡との併用もあり得る。
その西岡も元気なら、昨季3番に座ってきた鳥谷の配置転換も十分に可能だ。
ゴメス、マートン、福留が実戦不在で打線は固まっていないが、答えを導くのは、やはり二塁を争う男だ。

「そこ(ポジション争い)ばかり注目されますがチームが勝つために自分の役割をこなしたい」

向上心だけを持って、前進あるのみだ。猛アピールした背番号4を将が使いたいのは明らか。“新オーダー”完成のカギは上本が握る。
 

鳥谷1番についてDeNA・中畑監督
「もったいないような気がするけどね。出塁するというよりは決めにいく打者。チャンスメーカーじゃないと思うけどね」

データBOX
◎…鳥谷は1番で通算199試合に出場し、打率・261(835打数、218安打)。上本は2番で通算22試合に出場し、打率・292(72打数21安打)。
鳥谷と上本の1、2番コンビは公式戦では実現していない。


今成も良太もいる。
セカンド、サードが誰になるかは、まだわからないが、
一番・ショート・鳥谷が実現するということは、
『(中畑監督曰く)決める打者』が、後続にも充実していること。

選手層の厚みは、
中盤以降の失速の悪夢にピリオドを打てる、ということにもなる。
やはり、4番が固定できてる打線は、組みやすい。

15年タイガース胎動/石崎剛

$
0
0

ドラ2石崎一発快投!ローテ争い名乗り

2015年2月23日 デイリースポーツ

「オープン戦、中日1-6阪神」(22日、北谷)
ルーキー右腕が開幕ローテ入りに名乗りを上げた。
阪神のドラフト2位・石崎剛投手(24)=新日鉄住金鹿島=が先発テストとなった中日とのオープン戦で、3回を3安打3奪三振1失点。
上々の投球でチームに対外試合初勝利をもたらし、自身も白星をゲットした。
2番手の岩本輝投手(22)も負けじと3回無失点の好投。若虎の開幕ローテ争いがグッと熱を帯びてきた。

弱気の虫を振り払い、力強く前に踏み出す。
1点差に迫られての三回2死二、三塁。
ルナとの2度目の対戦を迎え、石崎の闘志に火が付いた。
「絶対に真っすぐで抑えてやる気持ちでした」。
強気の直球勝負は4球目で遊ゴロに。
初の先発テストでの一発回答で、新たな道を切り開いた。

「今日は、スピードは一番良かったのかなというのはありますし。
(直球は)一番気持ちが乗る球なんで」

和田監督が「石崎のいいところが出た」と評価したように、自慢の直球に効果的に変化球を交えた。
二回1死での森野には初球にスライダー、2球目が直球で、3球目にチェンジアップ、4球目にこの日最速の148キロを投じて最後はシュート。
持ち球全てを使って空振り三振を奪った。

17日の楽天戦は1回3安打1失点。そこから「変化球で打ち取ること」に取り組んだ。
共に汗を流すメッセンジャーが「練習態度が素晴らしい」と称えるほどの熱心な練習を結果につなげ、試合の中での成長も披露した。

「(ルナは)1打席目は怖さもあって、簡単に見送られて何を待ってんだろう、とか。
自分が一歩引くような場面もあって、もっと強気でいったらよかった。
でも2打席目は最初から全力で、気持ちの面で負けなかったのは大きな収穫です」

恐怖を断ち切った気持ち。
三回に荒木に許した右前適時打が「変化球で打たれた」ことの悔しさ。
感情を直球に乗せて勝ちきった。
オープン戦ながら、12球団の新人最速の先発白星を挙げたところにも何かを感じさせる。

中西投手コーチは「先発が大至急必要。(石崎と岩本の)2人を優先的に投げさせていく」と、次回もイニングを伸ばして先発させる考え。
開幕ローテは4本柱に加えて、2軍調整中の岩崎のメドも立った。
現時点では、残り一つと見られる枠を絞りきれないところに、救世主が現れた。

「もっとインコースを投げきればいい結果が出たと思う」。
飽くなき向上心と共に、石崎が開幕ローテ争いに力強く参戦だ。


ローテ入りはともかく、1軍戦力にはなってくれそう。
若手投手の駒は十分揃ってきてる。

秋山とか、
もう、さっさと打者に転向させろ。
彼の時間がもったいない。

与那国住民投票/陸自配備容認でひとまず落着

$
0
0
辛坊治郎(す・またん):
各紙一面トップで「大展開」となったはずなんですが、
「予想外」…予想外と捉える人が多いと思います。
というのは、かなり強引な住民投票が行われることになって、これは反対派が勝つように仕向けられた住民投票だと思われてたんですが、
で、これ事前にはたいへん大きなニュースになってたんです。
しかし、結果は賛成多数で、しかも200票も差が付いた。
読売と毎日はこの記事を一面に載せてません。

投票率が非常に高くて、85.74%。
当日有権者数は1276人中、賛成が半数を超える632票、
反対445票。
フタを開けてみればこういう結果になったんですが、与那国島っていうのは日本の最西端(尖閣よりさらに西)で、台湾とはかなり近い位置にある。

これ何が問題になってたかっていうと、沖縄には陸上自衛隊がいるんだけど、この与那国には、沖縄から500キロの距離なんですが、ここには全く自衛隊がいない。
となると、武装漁民なんかが上陸してきた時に、この島には警官が二人で、拳銃が2丁、日本最西端の島を守るのにそれはどうなんだ、っていう話でね。
150人くらいの自衛隊を駐屯させようという話で、もうすでに決まってですね、基地の整地のブルドーザーなんかも入ってるんですね。

これ、町長が推進派なんですが、町議会の中の反対派が「そういうのは住民投票で決めようよ」というんで、住民投票したんですね。
で、その住民投票も反対派が増えるように、居住してる外国人、永住外国人が5人いるんですが、その永住外国人にも投票権を与え、尚且つ、中学生以上の子供にも投票権を与える、と。
若い人には反対派も多いんじゃないの、っていうね、ある意味、親や、学校の先生の誘導で、っていうこともあるんで、反対派の人はできるだけ反対票が多く出るように考えたんだろうと、思うんですが、まあ、かなり無茶な住民投票ではあったんですが、
でも、まあ結果は、その住民投票で賛成派が大きく上回った。
この全体票1276で200票の差って、相当な差なんですけども。

それから昨日はですね、「竹島の日」ということで、政務官が記念式典に出席したというんで韓国側がかなり反発しておりますが、
これ、もしこの住民投票が、「反対票」多数となったら、そらもう今日は各紙、大騒ぎだったんでしょうが、毎日新聞はあれだけ投票前に「どうなる、どうなる」と騒いでたわりに、1面にすら載せてない。
まあ、読売も一面には載せてないけども…(笑)。

いずれにせよ、基地駐屯の話は国の安全保障の話であって、住民票の結果に左右されるものではないんですけどもね。



与那国住民投票 陸自配備を容認 賛成632、反対445

琉球新報 2月23日(月)
与那国島への陸上自衛隊沿岸監視部隊配備の賛否を問う住民投票は22日、投開票され、賛成632票(57・76%)、反対445票(40・67%)で、配備賛成が過半数を上回った。
無効は17票(1・57%)。
当日有権者数は1276人で投票率は85・74%だった。

住民投票で配備賛成が多数となったことを受けて、外間守吉町長は配備に向けた陸自沿岸監視部隊の駐屯地予定地を通る町道の廃止など環境整備を急ぐ構え。

ただ町議会は採決で外間町長を支持しない野党が多数を占め、昨年の議会で町道廃止の議案などを否決している。
住民投票の結果を受けて野党がどう対応するかが注目される。

住民投票で賛成が反対を上回ったものの、反対派の住民らは同部隊の監視レーダーによる電磁波が人体に与える健康被害の懸念が強いなどとして、工事差し止め訴訟を提起する考えだ。

防衛省は2016年3月末までに配備完了を目指している。
軍事力で台頭する中国の海洋進出を念頭に、国境地域の防衛体制強化を図る計画で、約150人規模の隊員を配置する予定。駐屯地予定地では現在、造成工事が進んでいる。

与那国町では08年に町議会が誘致賛成署名に基づく要請決議を可決して以来、自衛隊誘致をめぐって賛成か反対かで住民を二分してきた。
誘致派は2度の町長選で誘致を掲げた外間町長が当選したことから「民意は出た」と主張していたが、14年9月の町議会選挙(定数6)で野党が1議席伸ばし、与党3、野党3の同数となった。
議長に与党議員が選出され、採決で与党を上回った野党が攻勢を掛け、住民投票関連条例が制定された。

与那国陸自配備 住民投票「賛成」 来年3月完了へ弾み

産経新聞 2月23日(月)
日本最西端の与那国島(沖縄県与那国町)への陸上自衛隊「沿岸監視隊」配備の賛否を問う住民投票が22日行われ、即日開票の結果、賛成が632票で反対の445票を上回った。
陸自を誘致した外間守吉(ほかましゅきち)町長と防衛省にとって来年3月の部隊配備完了に向けて弾みがついた形だ。
ただ、駐屯地予定地を縦断する町道の廃止などで町議会の議決を得ることが課題で、なお楽観はできない。

「非常に安堵(あんど)した。行政運営がスムーズにできる」
外間氏は同日夜、そう記者団に述べた。
住民投票に法的拘束力はないが、反対票が上回れば配備反対派が勢いづき、配備完了の障害となりかねなかっただけに胸をなでおろした。

住民投票は僅差が予想されたが、187票の差がついた。
平成21年と25年の町長選で外間氏はそれぞれ103票差、47票差で反対派を破っており「103票以上の大差をつけ、決着をつける」(与党町議)との賛成派の訴えが浸透した。

すでに駐屯地予定地では工事が進んでいる。
今さら配備計画を中断させることは非現実的だとの認識が町民に広がっていることも大差につながった一因だ。

住民投票は1284人に投票資格があり、選挙権のない中学生41人や永住外国人5人にも資格が与えられた。
自治体が政府の専権事項である安全保障問題で住民投票を行い、外国人にも投票権を与えたことは「憲法違反」と指摘される。

ただ、85・74%という投票率と大差を踏まえれば、賛成派が積極的に投票所へ足を運んだことは明らかだ。
逆に、配備に反対する野党町議が中学生や外国人に投票資格を与えるよう主導したことは、町民の反発を買ったといえる。

沿岸監視隊配備は中国の脅威をにらんだ措置。同時に町の人口減と高齢化が進む中、「160人の陸自隊員と家族を迎えるしか活性化の方策はない」(自営業者)のも実情で、町民は合理的な判断を示した。

今後は駐屯地整備に伴う町道廃止と水道引き込みで町議会の議決を得られるかが焦点だ。
昨年9月の町議会でそれらの議案は否決されており、議決がないと駐屯地整備に支障が生じる。

町幹部は「住民投票で町民のお墨付きをもらい、来月の町議会で議案に賛成するよう野党を説得する切り札になる」と指摘する。

町議会は与野党が3対3の同数で、与党議員が議長に選ばれ、採決では野党が多数を占めるが、野党議員の1人は住民投票で賛成票が上回ったことで配備容認に転じる可能性があるという。
1人が転じれば議決を得られる見通しが立つ。

仮に議決が得られなければ、外間氏は首長の伝家の宝刀とされる「専決処分」も視野に入れざるを得ない。
専決処分は議決を経ないで首長が議案を処理するものだ。

廃止すべき町道は駐屯地予定地の中心を縦断しているため「廃止できなければ春には工事に影響が出る」(政府高官)とされ、政府内には早期の専決処分を求める声もある。

抑止力強化に追い風…陸自配備「賛成」過半数

読売新聞 2月23日(月)
政府が与那国島への陸上自衛隊配備計画を進めるのは、海洋進出の動きを活発化させる中国を念頭に、南西諸島の防衛態勢を強化するのが狙いだ。

住民投票で賛成票が過半数を得たことを追い風に、政府は日本全体の安全保障の観点からも、計画を着実に進める構えだ。中谷防衛相は22日夜、「部隊配備は国土、国民を守り、地域の平和と安全、災害対応などのためにも極めて重要だ。
地域のご協力をお願いしたい」とコメントした。

沖縄本島から与那国島までの約500キロ・メートルは、陸自部隊が配備されていない「空白域」になっており、防衛省幹部は「日本最西端に位置する島に、自衛隊が存在することが一番の抑止力になる」と強調する。
与那国島に配属される部隊の主な任務は、付近を通る艦船や航空機の監視だ。

南西諸島近海など日本周辺では近年、中国軍の活発な動きが目立っている。
2012年10月には、与那国島と、西表島に近い仲ノ神島の間の海域を、中国軍艦7隻が初めて北進したことが確認された。
14年版防衛白書は、「中国海軍の艦艇部隊による太平洋への進出回数は近年増加傾向にある」と指摘し、「進出の常態化」への懸念を示している。

与那国島には警察官2人が駐在しているが、住民からはかねて、「拳銃2丁で国境の島が守れるのか」と不安の声も上がっていた。
与那国島の北、約150キロに位置する尖閣諸島の周辺では、中国公船による領海侵入が断続的に続く。
政府関係者は「アジアの安全保障環境が変化する中、自衛隊の配備は緊急時への備えにもなる」と強調する。

与那国住民投票:賛成多数に防衛相「うれしい」

沖縄タイムス 2月23日(月)
与那国島への陸上自衛隊配備の賛否を問う住民投票で、賛成票が上回った結果を受けて、中谷元防衛相は22日、「自衛隊沿岸監視部隊の開設を支持、賛成して頂いたことをうれしく心強く思う」とするコメントを発表した。

コメントでは「我が国土国民を守るため、地域の平和と安全、災害対応等のためにも部隊配置は極めて意義深く重要」とし、2015年度末の配備完了に向けて「計画通り進めていくが、ご協力と地域と自衛隊の一層の連携をお願いする」としている。

一方、防衛省内には安堵(あんど)と同時に「反対する住民がいることには変わりなく、理解を求め続けなければならない」と、慎重な意見も聞かれた。
同省関係者は「賛成派が多かったとはいえ、強気にはなれない。賛成派を裏切らずに、反対派の理解を得て進めていくことが避けられない」と駐屯する隊員やその家族の生活と、安定的な部隊の維持を考え、できるだけ多くの地元理解が不可欠だと指摘した。

社説 [与那国賛成票多数] 対立克服し島の自立を
陸上自衛隊沿岸監視部隊配備の是非を問う与那国町の住民投票が22日行われた。
有効投票総数1077票のうち賛成は632票、反対445票で賛成票が過半数を占めた。

今回の住民投票で問われたのは、人口の減少に悩む「国境の島」を存続させていくための「まちおこし」の手法の違いだった。
2008年に与那国防衛協会が自衛隊配備を要請し、外間守吉町長が09年、防衛省に陸自配備を求めて以来、町が二分されてきた。

賛成派は、自衛隊の配備によって島の人口が増え、活性化につながると主張した。
反対派は、人口流出の根本的な解決につながらないとして自衛隊に頼らないまちづくりを訴えた。

賛成派は自衛隊配備による島の防衛力強化も主張したが、勝因はむしろ、自衛隊員と家族約200人の人口増が見込めることや、防衛関連予算によるごみ焼却施設整備など、活性化が期待できる材料が示されたことだった。

防衛省は、与那国島の近くを航行する艦船や飛行する航空機の動きを監視するレーダー施設を町内に設置し、15年度末までに沿岸監視部隊約150人を配備する計画だ。
配備予定地ではすでに土地の造成工事が進んでいる。
誘致に積極的な外間守吉町長は結果を受け、工事の推進を後押しすることになるだろうが、島を思う気持ちや、島を良くしたいという思いには賛成も反対もないはずだ。
町長は、反対票を投じた人びとが抱いている懸念に応える町政運営を進めてもらいたい。

与那国島への陸自沿岸監視部隊の配備は、政府が15年度から本格的に進める離島防衛強化の一環である。

政府が13年に閣議決定した防衛計画大綱と中期防衛力整備計画(中期防)では、「南西地域の防衛体制の強化」を明記した。
航空自衛隊那覇基地のF15戦闘機部隊を1個飛行隊から2個飛行隊に増強する。
また同基地に早期警戒機E2C部隊を新設した。

沖縄本島以西の「防衛の空白地域」を埋めるため奄美諸島や宮古島、石垣島にも自衛隊の拠点を整備する計画だ。

誘致賛成派の勝利で南西諸島の防衛力強化が加速する可能性があるが、中国外務省は与那国島への沿岸監視部隊配備について「日本は軍事力増強の真の狙いを説明するべきだ」とけん制している。

互いが軍備増強のみを優先すれば地域の緊張を高めるだけである。
日中対話を通して関係改善に努めることが不可欠だ。

もう一つ懸念されることは自衛隊とその家族の転入によって、保革が拮抗(きっこう)していた町の政治状況が大きく変わることだ。
13年の町長選ではわずか47票差で外間町長が3選を果たした。
自衛隊の配備後は、隊員・家族らの動向が町長選の行方を大きく左右することになるのは間違いない。

与那国町は05年に東アジアとの交流でまちおこしを図る「与那国・自立ビジョン」を策定している。
今後、島の自立や自治をどういう形で発展させていくのか。
引き続き論議を重ねてほしい。


与那国住民投票:陸自配備賛成が多数

毎日新聞 2015年02月22日

沖縄県与那国町で22日、陸上自衛隊配備の賛否を問う住民投票があった。
即日開票の結果、「賛成」が632票で「反対」の445票を上回った。
法的拘束力はないが、住民投票条例は町長と町議会に「投票結果を尊重」するよう求めている。
政府は計画通り配備を進める方針で、外間守吉町長も受け入れる意向だ。
順調にいけば、日本最西端の町に2016年3月、初めて自衛隊が配備される。

与那国町の人口は約1500人。
投票は外国人を含む中学生以上が対象で、当日有権者数は1276人だった。
うち中学生以上の未成年者が96人、外国人は5人。
投票率は85.74%だった。

与那国町への自衛隊配備は、外間町長が09年、誘致を求める町民の署名活動などを受け防衛省に要請。
その後、配備賛成、反対両派の一騎打ちとなった09年と13年の2回の町長選でいずれも外間町長が当選し、防衛省は昨年4月から駐屯地の造成工事を始めた。
しかし、同9月の町議選で反対派が優勢となり、町議会で住民投票条例が可決された。

住民投票で、配備賛成派は町の人口流出と経済衰退が著しいことから、自衛隊員と家族の移住による人口増加や経済効果を主にアピールした。
反対派は有事に駐屯地が攻撃目標にされる危険性や、監視レーダーの電磁波による健康被害の恐れなどを訴えていた。

政府の計画では、周辺を航行する艦船や航空機をレーダーなどで監視する陸自の沿岸監視部隊(約150人)を配備する。中国の軍備増強などをにらんで進めている南西地域の防衛力強化(南西シフト)の一環。与那国町は日中の緊張状態が続く尖閣諸島から約150キロと近く、中国の反発も予想される。


自衛隊配備「賛成」多数 沖縄・与那国の住民投票

朝日新聞デジタル 2月22日
日本最西端の沖縄県与那国町(与那国島)で22日、同町への陸上自衛隊の部隊配備について賛否を問う住民投票があり、賛成が約6割を占め、反対を上回った。
人口減少が続く島の活性化への期待に加え、政府が進める南西諸島の防衛強化に理解が示された形だ。
反対する住民は、工事差し止めを求める裁判を起こすことも検討している。

投票権は中学生以上の未成年と永住外国人にも与えられた。
町選挙管理委員会によると、当日有権者数は1276人(うち中学生以上の未成年96人)で、投票率は85・74%。
開票結果は賛成632票、反対445票、無効17票だった。
開票結果に法的拘束力はない。

島では「国境の島にこそ自衛隊が必要」などと主張する住民が自衛隊の誘致活動を展開。
人口減少が続く島の活性化の観点から配備に賛同してきた外間守吉町長は、結果について「安堵(あんど)している。防衛省と連携しながら行政運営していきたい。
反対の人たちの気持ちも察しながら、一緒に話し合っていければ」と語った。
町は、自衛隊施設に使われる町有地の賃料などを財源に、学校給食費を無償化し、ごみ焼却施設の建設も予定している。

15年タイガース/岡田元監督の開幕オーダー

$
0
0
転載元 sports navi+ 『虎番日記』

■岡田元監督の開幕オーダー
今日のスカイAキャンプ中継に岡田元監督が解説者で登場、注目の開幕オーダーを披瀝した。

とても興味深くサプライズもあるので早速、岡田氏の考えるオーダーを伝えたい。

1.(二)上本
2.(三)今成
3.(遊)鳥谷
4.(一)ゴメス
5.(左)マートン
6.(右)福留
7.(捕)梅野
8.(投)能見
9.(中)江越

放送を観ていなかった方にはびっくりのオーダーではないか。

少し補足説明が必要だろう。
岡田氏曰く。
「クリーンアップは昨シーズンはリーグ最強だった。これをいじる必要はない」。

1、2番について曰く。
「上本の打撃は成長している。守備範囲も広い。今成はずっとゲームに出続ければ3割打てる」。
岡田氏が監督だった05年の優勝の時も二番は鳥谷。「左の方が一、三塁を作りやすい」。

6番については「6番は2番とともにキーになる打順。5番の後は福留しかいない」。

そしてサプライズの下位打線については「6、7番が出て9番にチャンスが回ってくることが結構ある。投手が8番なら送ればいい」。

そして大和じゃなく、江越の抜擢については「大和は守備は文句なしだが、打撃が弱い」としたうえで、江越の打撃が本物なら、大和からレギュラーを奪う一番手になる、と話す。

確かに納得できる面もあれば、どうかな、と思う所もある。

まず、1~6番については文句なしに賛成だ。
特に2番の今成というのがいいと思う。

ただ、これでは西岡、新井良太がベンチとなってしまう。
あまりにももったいないだろう。
とはいえ、全員を使うことはできない。

痛し痒しではある。
ま、開幕のオーダーがシーズン通じてそのままということはまずあり得ないから、いろいろバリエーションがあるということだ。

異論という訳ではないが、8番投手というのは奇策だ。
以前、落合監督時代の中日がこのような奇策を組んだことがあったのを記憶しているが、数試合に留まった。

野球というのは面白いもので、奇策はなかなか続かない。やはりオーソドックスに9番投手というのが理にかなっていると思う。

江越起用にしても、これからの江越ま頑張り次第ではないとは言えないが、やはり大和のセンタースタメンは捨てがたい。
僅差のゲームでは大和の守備はより重要となる。
多少打撃には目をつぶっても大和の守備力を買いたいところだ。

岡田氏の胸のうちには大和への発奮材料となればいい、との思いと江越への期待があったのだろう。

何かを変えなければ、という点では実に面白いオーダーだと思う。

ちなみに岡田氏は今シーズンのセ・リーグの展望も話している。
それによると、巨人、阪神、広島、ヤクルトのダンゴレースで、1位もあれば4位もある大激戦となるだろうと予想している。

これについて小生も全く同意見で、中でもヤクルトが不気味。ヤクルトとの戦い如何でタイガースの成績が決まるのではないか、と思っている。

明日のDeNAとの練習試合では、メッセと能見が登板する予定。
開幕投手を争う2人の調整ぶりに注目したい。


サルメラ:
この記事にまったく同感。
補足部分を強調するなら、この時期でのこのオーダーの披露に、岡田の大和への奮起を求める気持ちの強さが表れていると思う。
現場を離れてもその点、生え抜き選手への愛情は相変わらずと感じる。

監督としてはその采配に当時、疑問を感じてはいたが、選手への愛情は変わってないな、という気がした。

たしか、一昨年、タイガースのレギュラーは、鳥谷、マートン、そして大和だけだった。
そこから、いかに大和に上積みがないか。
チーム戦力が優勝に向けてドンドン整っていくなか、
いかにも、それがもどかしいではないか。

万世一系が紡ぐもの/山鹿素行の「中朝事実」を読む

$
0
0
転載元 伊勢雅臣のブログ

■仁徳天皇の「民のかまど」
~『山鹿素行「中朝事実」を読む』より 

1.日本の万世一系に驚いた宋の太宗
 984年に宋に渡った東大寺の僧・然(ちょうねん)は第二代太宗に謁見し、筆談で日本の国情を語るうちに、話が皇統の歴史に及んで、初代・神武天皇から64代の円融天皇に至るまでの事績を記した「王年代記」を示した。
 
太宗は、日本で一系の天皇が続き、臣下も代々世襲であることに驚き、「これ蓋(けだ)し古の道なり」「これ朕の心なり」と嘆息した。

そもそも宋は907年の唐の滅亡後、五代十国の戦乱の中で960年に軍人だった趙匡胤(ちょうきょういん)が建てた国で、その子が第2代の太祖である。
この時点では建国後24年に過ぎない。そんな成り上がり皇帝は、64代も続いていた日本の皇室の足元にも及ばない存在だった。

それから千年以上経った。
太宗の嘆息も空しく、宋は143年後の1127年には北の金に圧迫されて南に逃れて南宋となり、その南宋も1276年、元に滅ぼされる。
元の後も明、清、中華民国、中華人民共和国とめまぐるしく王朝・政権交代が続く。
現在の共産党政府も建国わずか66年で、はや亡国の兆しが見える。
それに比べて、我が国は今上陛下で125代。
世界最古の王室である事は歴史的事実だ。

2.「万世一系」の史実
 この史実を踏まえて、支那を世界の中心とし周辺諸国はすべて野蛮であるとする「中華思想」から日本人を覚醒させたのが、山鹿素行の『中朝事実』である。
この書は吉田松陰など幕末の志士に影響を与え、明治維新の思想的原動力となった。

そこでは『日本書紀』などを引用しながら、その意味を論じているが、『日本書紀』も素行の論考も漢文のため、現代人には近寄りがたい。
しかし最近、出版された『山鹿素行「中朝事実」を読む』では読み下し文がついており、我々にも読めるようになった。

たとえば、「万世一系」について素行は次のように中国や朝鮮と比較している。

 __________
そもそも外朝支那は、易姓革命が30回近くおこり、そのうえ夷狄(周辺諸民族)の侵入王朝も数世に及んでいる。
春秋時代240余年の間、臣下が国の君主を弑(ころ)した例もまだ25回に及んでいる。ましてやその先後の乱臣賊子の数は、いちいち挙げて数えることもできないほど多い。

朝鮮も、箕子が王となった後、4王朝が交替した。
国が滅びて支那の郡県(直轄領)となったり、あるいは、高氏絶滅する事2世、あの李氏28年の間に王を弑すること4度であった。
ましてやその先後の乱逆のさまは、まるで禽獣が傷つけ合うようであった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

それに比べて我が国では、天皇が殺される「弑逆の乱」は指で数えるほどしかなく、また武士の世になっても、一部に心得違いの者はいたが、「王室を貴んで君臣の義は存続した」。

__________
 世界は大きく、諸外国が広くとも、中洲たるわが国の天皇統治の成果に匹敵する国は見当たらない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

3.「天皇統治の成果」
世界でも希な皇室の継続性は、わが国の長い歴史の中で国民が安定した平和な生活を送ってきたことの証左でもある。
中国のように、王朝が次々と倒れるのは、過酷な搾取で民の支持を失ったからであり、しかも王朝交代時には、しばしば大規模な内戦が起こって民が犠牲となる。

国家を家庭に喩えれば、国土が広大で人口が多く、経済や文明も発達してる国は、大きな屋敷を構えた豊かな家ということだろう。
しかし、そういう家の内では、財産をめぐって親子喧嘩・兄弟喧嘩が絶えず、親が追い出されたり、子どもが家出をするような状態が続いていたら、それは他家が目指すべき、理想の家庭と言えるだろうか?

逆に家は小さく、生活は慎ましくとも、祖父母は大切にされ、夫婦は相和し、子どもは厳しくとも愛情を持って育てられている家の方が、はるかに幸福であり、他家が見習うべき模範的な家庭と言えるだろう。

後者のような国柄を築いてきたのが「天皇統治の成果」であって、それは現在の日本国民が先人たちの誇るべき事績であり、子孫たちに継承すべき財産である。

しかし、その国柄は先人の努力の結果であり、それがどのように実現されてきたのかを知らなければ、その継承もできない。
この点を史実を通じて説いたのが素行の『中朝事実』である。

4.「民が富めば君が富んだことになる」
「天皇統治」の理想を現した逸話の一つとして、仁徳天皇の「民のかまど」を素行は引用している。
日本書紀の記事を弊誌なりに要約すると、次のようになる。

天皇が高台から遠くをご覧になられて
「民のかまどから煙がたちのぼっていない。
思うに、貧しくて炊事もままならないのではないか。
不作で民が窮乏しているのだろう」
と仰せられ、
「向こう三年、税を免じ、百姓の苦を安んじよ」
と詔(みことのり)された。

それからは、天皇は衣服や靴も破れるまで使い、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理されず、そのため風雨が衣を濡らし、星の光が破れた隙間から見えるという有様だった。

しかし、やがて天候も安定して、豊作となった。
三年が経って、天皇が高台から遠くを望むと、炊煙が盛んに立っていた。
そして皇后に「朕はすでに富んだ」と言われた。
皇后は「宮垣が崩れ、屋根が破れて、衣服も濡れるのに、どうして富んだと言われるのですか」と訊ねた。

「天が君を立てるのは、百姓(民)の為だ。
君は民を本とする。
だから古の聖の君は、一人でも餓え凍える時は、省みて自分を責めた。
民が貧しければ君も貧しい。
民が富めば君が富んだことになる。」

そのころ、諸国より
「三年も課税を許されて、宮殿は朽ち破れているのに、民は富んでいます。
もしこの時に、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」
との申し出が盛んに寄せられた。
それでも、天皇はさらに三年間、税を献ずることをお聞き届けにならなかった。

六年の歳月がすぎ、天皇はようやく宮殿の修理をお許しになった。
民は督促もされないのに、老人を助け幼児を連れて、材木を運び、土を入れた篭を背負い、日夜をいとわず力を尽くして作業をした。
これにより瞬く間に宮殿が完成した。
それ故に聖帝(ひじりのみかど)と褒め称えられてきた。

5.親の真心
この「民のかまど」の記事に関して、素行はこう解説する。

 __________
御自身は倹素にされて、民の家を豊かにし、民の貧富は天子の貧富にほかならないとされ、天が君を立てるのは、民、百姓の為であるともいう。
その上、君は百姓を以て本と為すという詔こそ、実に人君は民を養育せねばならないとする教えの至戒ということができる。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「人君は民を養育せねばならない」
というのが、我が皇室の伝統的な教えであった。

再び、家庭に喩えれば、親が自分のことなど差し置いて、ひたすらに子どもたちの養育を考えるのと同じである。
そこにあるのは、無私の真心である。

そんな親に育てられれば、当然、子どもは感謝し、親のために何かしなければならない、と考えるのが、子の真心である。

宮殿の造営に、人々がこぞって参加したのは、その真心からであった。

「天皇統治」の本質は、ひたすらに国民の幸福を念ずる天皇の無私の至誠から始まり、それに応えようと民が真心をもって国のために尽くす所にあった。

6.「人民は、親を助けようとする子のように進んで協力し」
仁徳天皇の事績は、課税を控えたことだけではない。
『日本書紀』巻11の記事から、素行はこう述べる。

 __________
仁徳天皇は、人民の生活生業を最重視したまい、河水の流れを良くし、堤防を築いて河水の横流を防いだので、その土木工事のために、人民は、親を助けようとする子のように進んで協力し、天佑神助も得られたのであった。
そのため、堤防の岸が崩れることもなく、水源が涸れることもなかった。
土砂がたまって流れをさまたげることもなく、田のあぜや境が流失することもなかったのである。仁徳天皇の人君としての徳の何と偉大であったことか。
その後も、水路の開発に尽力したまい、その恩恵によって人民百姓は、豊かで余裕が生じ、凶作の年の憂患がなかった。ましてその上に、橋や路を造成して人民に利便をもたらし、果ては、氷室を以て、陰陽寒暑を調整するなど、政の在り方を常に規制し改善して、天神が、この国を授けたまうた恩恵に応答したまうのである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

水利事業に尽くされたのは仁徳天皇に限らない。
5代前の第11代垂仁天皇が諸国に貯水池を作られ、第12代景行天皇も事業を継承して尽力された、との記事もある。

天皇が子どもを養う親のように努めたので、人民も「親を助けようとする子のように進んで協力」したのである。
親が真心を持って子どもに接すれば、子どももそれを感じとって、親に真心を尽くすようになる。
それが人間の本性である。

「天皇統治」とは、この至誠という人間の本性を目覚めさせる政治なのである。

7.鏡の神勅
前節の文中にある「天神が、この国を授けたまうた恩恵」とは、天照大神(あまてらすおおみかみ)が孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)に、葦原の中つ国(日本)に降りて統治を命じた際に、三種の神器を授けた事を指しているのだろう。

三種の神器は勾玉(心寛い思いやり)、鏡(知)、剣(勇気ある決断)である。

天照大神は特にこの鏡について、以下の神勅を与えた。

 __________
吾(あ)が児(みこ)この宝鏡(たからのかがみ)を視まさんこと、当に吾(あ)れを視るがごとくすべし、與(とも)に床(みゆか)を同じくし殿(みあらか)を共にして、以て齋鏡(いはひのかがみ)と為すべし

(天孫よ、この宝鏡を視るのは大神を視ることに他ならない。常に同じ住居に一緒に在ることで、そのように努めなさい)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

子が鏡を見れば、そこに映るのは子自身の顔である。
しかし、そこに親である自分の顔を見よ、とは、どういう事か。

天照大神は稲や麦、粟(あわ)、稗(ひえ)などを見つけたとき、
「是の物は、顕見(うつし)しき蒼生(あをひとくさ)の、食(くら)ひて活くべきものなり」
(これらのものは現実世界に生きている民が食べて生きていくべきものだ)
と喜んだ。
そして自ら、稲を天狭田(あまのさなだ)及び長田(ながた)に殖(う)えた。

すなわち、歴代の天皇は常に鏡を見て、天照大神の民への思いを思いだし、自分がそれを継承しているのかを自省しなければならないのである。

民の家から炊煙が見えないのを悲しみ、また順調に稲を得られるよう水利事業を行った仁徳天皇の統治は、まさしく天照大神の民への思いを継承したものであった。


8.「お米は大丈夫ですか」
この『中朝事実』を幼き裕仁親王(後の昭和天皇)に贈ったのが、乃木希典大将だった。
崩御された明治天皇の後を追って乃木大将は自刃したが、学習院院長として養育を任されていた皇孫殿下・裕仁親王に最後のお別れとして、この書を手渡したのだった。

「私の人格形成に最も影響のあったのは乃木希典学習院長であった」
と言われていた昭和天皇は、この『中朝事実』を丹念に読まれたのではないか。

昭和天皇は崩御の少し前、病床においても、長雨が続いているのに「お米は大丈夫ですか」と心配された。
ご自身の病状のことよりも、米の出来を心配されるお気持ちは、天照大神が稲などを見つけて「蒼生の食ひて活くべきもの」と喜び、仁徳天皇が民のかまどを心配したのと同じ無私の真心である。

万世一系とは血筋の一系のみではなく、民の幸せを祈る無私の精神が一筋に継承されてきた事も意味するのだろう。

そういう国柄である事を明らかにしたのが『中朝事実』であり、その国柄を継承・発展させようとした先人たちが、わが国の平和と安定を築いてきたのである。
 

戦後日本のバイブル/『北一輝』を反芻する

$
0
0
転載元
http://www7b.biglobe.ne.jp/~bokujin/


■『国体論及び純正社会主義』を読んで
~もう一つの社会主義~

私、このたび北一輝著『国体論及び純正社会主義』を読了しましたので、その感想を書いてみます。

いやぁ、久々に色んな意味で大感動の本でした。北一輝は間違いなく大天才です。

いやこの本については前から不思議だったのです。
戦後に書かれた北一輝関係の本を読んでも内容があまり紹介されていないし論評すらあまりない。
そのくせして当時リアルタイムで読んでいる人の評は賞賛の声も多いし、逆に酷評も多い。
有名な所でも、岸信介元首相が生前に「あれはいい本だね」と絶賛していたそうですし(彼は若い頃、北の自宅に会いに行くぐらいのファンだったそうです)、
手塚治虫もこの本を読んで感動し「一輝まんだら」を書いたみたい。
(ちなみに手塚にしては珍しく未完に終わった作品。2巻目の北一輝がこの本を書いた所で終わってます)

発表当時も、河上肇、片山潜、福田徳三(3人とも当時の社会主義者)が賛辞をよせていますし、特に福田徳三は「天才の著作」と賞賛しています。
そのくせあまりにも不謹慎として発売一週間で発禁処分と。
この温度差は一体なんなのだ?

それも実際に読んでみてようやく謎が解けました。
そうかこういう本だったのか。
この内容なら先の反応は全て理解出来ます。
まさに一筋縄では行かないとんでもない内容。
そこでとりあえず感想と紹介を書いてみたいと思います。
ただ北一輝は間違いなく大天才ですし、この本の内容を簡単に紹介しろと言うのは、アインシュタインの相対性理論を簡単に紹介するような物だと思うので、私レベルの者がやるのはかなりの無茶だとは思いますが。
まあとりあえずやってみます。


1.青い、青いぞ北一輝
 この本は日露戦争の翌年明治39年5月、北一輝23歳の時に自費出版されました。
そのためこの本では北一輝の若さが爆発していると言うか、暴走しまくっています。
いやぁ兎に角、青臭い。

第1編では金井延と田島錦治、
第2編では樋口勘次郎、
第3編では丘浅次郎、
第4編では穂積八束と有賀長雄、
第5編では山路愛山と阿部磯雄、

などなど、当時の著名な学者評論家達の名前を挙げてめった切り。
しかも「何たる白痴ぞ」とか「脱糞に値する」とか無茶苦茶な書き方。
特に穂積八束(明治期の天皇主権論を説いた憲法学者)に対する罵倒は凄いものです。

単なる罵倒ではなく、徹底的にその人の学説理論を分析して矛盾をついて、軽快な調子で論破した上での罵倒。
しかも矛盾の指摘に至るまでの論理展開に説得力がある。
これでは対照になった人達は怒り心頭に発します。
もともと理路整然とした文章を書く人なんですが、その為、罵倒もやたらと上手い。
いや、全く関係の関係の無い私としては大笑いしながら読めたんですけど。

今ではここまで酷い罵倒を繰り返すような本は、出版コードに引っかかって絶対に出版出来ません。
だいたい「白痴」なんて単語はIMEが変換してくれません。
これでは不謹慎と言われるわけだ。
現代語に訳した本がない理由もよく解る。
ただでさえ内容が難しいのに、出せないよ、こんな本じゃ。

ただ基本的にこの書き方は本としては反則です。
北一輝は自分の説を持っており、これらの人の学説を批判したいのは分かります。
しかし、いきなり批判から入ってしまうと、そもそも肝心の批判対照の学説を知っている人じゃないと、書いてあることを理解する事が出来ません。
しかも範囲が経済学、社会学、憲法学、生物学、歴史学とあらゆる分野に及んでいる。
これがこの本を読み下しにくい原因の一つです。

いや若い頃はこういう間違いを犯しやすいんです。
要するに自分の言いたいことだけに目がいって、読んでくれる読者に目がいっていない。
読者がこの人達の学説を知っているとは限らないのですから。
しかもこれだけの他分野。
知っている人の方が絶対に少ない。
その意味で実に青臭い本になっています。
ただ、逆にそれらの知識を知っている場合は非常に面白いのです。
これが当時の一部のインテリ層には受けた理由。
当然、批判されている人達は別ですが。

そう言うわけで、この本は読者をかなり選びます。
だいたい罵倒が嫌いな人は、それだけで引いてしまうでしょう。
彼は天才なので、既存の学者の説に文句が言いたいのは分かります。
ただ、まだ若すぎて必要以上に攻撃的になっています。
こりゃ完全に逆効果ですね。

さらにHTML化した物を読んでもらえば分かりますが、そこら中に文の切れ目を無視した小見出しが入っています。
これ実際に原本がこうなっているので、そのまま入れました。
どうやら北一輝は一度に長い段落を書いてしまい、後から目次用の小見出しを付けたと思われます。
たぶん誰かにこのままでは読みにくいと言われたのでしょう。
文章そのものは非常にテンポ良く書いてあるので、小見出しでテンポを乱され、はっきり言ってうっとうしいです。

要は本の為のまともな文章の書き方を知らなかったのでしょう。
ただこれだけ長い文章を一度に書けるのも、ものすごい才能ですが。おそらくプライドが高い上に天才なので、誰にも教えを請わなかったのじゃなかろうか?
何というか、天才ぶりが上滑りしまくっていますね。
これも23歳のプライドが高い天才青年ぶりが感じられて、兎に角青臭い。

内容的にも彼の犯罪理論などは、いかにも現実の経験が不足している、理想家肌の天才青年を感じさせますね。
この辺の考え方は、私程度でも「たぶん間違ってるだろうな」と言い切れます。

それとこの本を読んだ〝北一輝〟研究者が一様に確信していることは、この本は絶対に失恋の勢いで書いています。
途中で自由恋愛がどうこうと非常にしつこい。
底本の解説には「隣村の酒屋の娘との恋愛の失敗。」と書いてあるのですが、本当にこの人とだろうか?
どう読んでも金持ちのお嬢さんとの失恋だと思われるのですが、実際に誰となのかは不明です。

何というか、
「自信満々の天才青年、北輝次郎(本名)は富豪令嬢との恋愛に失敗。
こうして青年は貧富の差をなくすことを心に誓い、革命家を目指すのであった。」
とか言うフレーズがぴったり合いそうな部分が有ります。
いやぁ、青い。青春だなぁ~~。

そんなこんなで、見事なレベルの『若気の至り本』になっています。
いや困ったもんだ。
これを自費出版しましたか。
もっとも本人もすぐに『若気の至り』をやってしまったことには気付いていたようですが。


2.北一輝はやっぱ天才です
ただその『若気の至り』部分を上回る形で見えてくるのは、『北一輝は大天才だ』という点です。
前から彼は天才だとは思っていましたが、まさかこのレベルだとは予想を超えていた。

どのくらいのレベルだというと例えば、物理学の基礎を作ったアイザック・ニュートン、進化論を唱えたチャールズ・ダーウィン、資本論を書いたカール・マルクス、相対性理論を考え出したアルバート・アインシュタイン等々のレベル。
要するに多数の事象の中から、全く新しい論理的な理論大系を作り上げることが可能な天才。

この本の緒言(前書き)には
「全ての社会的諸科学、すなわち経済学、倫理学、社会学、歴史学、法理学、政治学、及び生物学、哲学等の統一的知識の上に社会民主主義を樹立せんとしたる事なり」
と書いてります。
まだ23歳でこれだけの知識があるというのも凄い。
おそらく北一輝はこれを書くに当たって図書館の本を全て読むような乱読をしたと思われます。
それもちゃんと内容が頭に入っている。

これだけ乱読すると、普通の人間なら単なる知識バカに陥る所ですが、北一輝の場合はこれらの知識を総動員して、『純正社会主義』と言う全く新しい理論体系を作ろうとしている。
まさにとんでもない天才です。

ただし、この理論体系はまだ未完成です。
まだ完全に整理されしきっていないし、論理的粗も多い。
この本を読みこなすのが難しい一番の原因はこれです。

これは23歳という年齢を考えるとまあしかたがない話なんですが。
先に挙げた天才達も、全て20代の時に基本的な部分を思いつき、その後20年ぐらい掛けて理論を完成させた人ばかりです。
ニュートンの有名な著作『プリンピキア』(『自然哲学の数学的原理』)は、今読むと微分積分で簡単に説明出来そうな事が、やたらと回りくどく難しく書いてあるそうです。
これは当然で、当時は微分積分が存在しなかった。
いやこの本によって微分積分が始まり、以後の進歩によって簡単に説明出来る要になっています。

北一輝がこの本で論じた『純正社会主義』とは、新しい論理体系の初期段階なので、この本に書かれた内容は理解しにくく難しい。
ただし、まだ粗が多いながら、このまま研究を進めていけば凄い物ができあがりそうな予感はビンビン感じます。
少なくとも私はこの全く新しい(?)理論体系を読んで感動した。
すばらしい。
この本を大絶賛している人がいるのはこういう理由です。

しかし残念ながら北一輝の場合、ご存じの通り2.26事件に連座して死んでしまったので完成させることが出来なかった。
いやそれ以前に「日本改造法案大綱」を書いた時点で行き詰まってしまい、後は法華経読みながら青年将校達に妙なこと吹き込んでいたんですけど。

北一輝の思想は太平洋戦争に深い影響を与えたにも拘わらず、未だまともに分析されていないので有名です。
どの本を読んでもいまいちピンとこない。
だからこそ私も自分で調べる必要が有ったのですが。
幸いなことにこの本、『国体論及び純正社会主義』には彼の考え方の基本が全て出ています。
若いので書き殴っていると言うのが実情ですが。

彼の思想は社会主義だったり民族主義だったりするので、初期は社会主義者と親交があったので社会主義の観点から読み解こうとか、2.26事件の青年将校達に影響を与えているので皇国史観の観点から読み解こうとか、試みられている訳ですが、彼の思想はもともと、どちらの大系の中に入っていません。
彼を基点とするオリジナル大系の思想です。

この本は発売後一週間を待たずして販売禁止。
さらに北一輝は国粋主義運動に走り、
2.26事件黒幕の罪人として死んでいます。
結果的に彼の考えは明らかに失敗しているので、読む前に否定的バイアスが掛かっている人も多い。

しかし彼と同じ時代を生きた人は、当然、私のような国語の壁、時代の壁が存在しないわけで、そして否定的バイアスも掛かっていないですから、当時の知識人には感動して読めたのでしょう。
実際にこの本は発禁を喰らった後、密かにまわし読みされていたようです。
岸元首相が読んだのもそのうちの一冊でしょう。

北一輝著作集 第1巻の後書きには、
「彼が社会主義思想においてもっとも多くの影響を受けたのは幸徳秋水という説もあるが、実は片山潜ではないか?」
と有るのですが間違いと言いきれます。
北一輝の思想にもっとも影響を与えたのは、カール・マルクスの『資本論』とチャールズ・ダーウィンの『種の起源』、そして膨大な歴史知識です。


3.『社会主義』とは?
(最初に書いておきますが、私はこの項内容は今ひとつ苦手です。
だいたい古本屋で『資本論』買ったは良いが、未だ積読状態。
なんだあの長い本は・・・
そう言うことで間違いが有るかもしれません。)

そう言うわけで北一輝の『純正社会主義』の説明をしたいと思うのだが、その前に『社会主義』の説明をしておかないと意味不明になってしまうので先にこちらを説明しておきます。

『社会主義』と言いますと、1991年のソ連崩壊後の現在では、だいぶ過去の思想となってきているのですが、北一輝がこの本を書いた日露戦争翌年、明治39年(1906年)と言う時代ではかなり違います。
だいたい、まだ最初の社会主義国、ソ連も誕生していません。
と言うより日露戦争がきっかけとなってロシア革命が始まったのですが・・・
社会主義思想がまだ目新しくピカピカに輝いていた時代です。

それでは、まずは社会主義に至るまでの歴史から行ってみましょう。

「全てを疑え」
「われ思う故にわれあり」。
これは有名な17世紀の数学者・哲学者、デカルトの言葉ですが、私は人類史における近代という時代はこの言葉から始まったと考えています。
後半が有名なのですけど、全て疑ったあげく、
「疑っている自分が存在している事だけは確実だ。」
まで言ったのは極端なので無視しまして、
重要なのは前半部分、
「全てを疑え」(そして考えよ。)です。

彼以前の時代の思想は全て「信仰」と「過去」の時代でした。権威主義の時代と言っても良いでしょう。
教会の権威有るある司祭が言っている事だから正しい。
過去の偉大な学者が書き残したことだから正しい。
偉大な祖先の指導者が行ったことだから正しい。
全ては権威に基づく考えを「信じる」ことが正しかった時代、そしてそれが「真理」だと思われていた時代です。

それに対してデカルトの言ったことは、「信じるな、疑え。そして考えよ。そうすれば真理が見えてくる。」です。
そしてその考える方法として用いたのが、合理主義的帰納法。

帰納法、つまり多数の事例を観測し、それを合理的(数学的)に分析し、その中から一般的な法則、つまり数学的(合理的)パターンを見つけ出す。
さらにその法則を使い、別の実験・観測で結果が予想出来れば完璧。
こうして世の中の真理に徐々に近づいて行く。
この考えが以後の学問を劇的に変えた。近代合理主義の時代の始まりです。

『プリンピキア』(『自然哲学の数学的原理』)を書いた17世紀後半の科学者、アイザック・ニュートンなどが有名ですね。
彼は今まで、誰もがただ当たり前のように見ていた自然の中から、この合理主義的帰納法を使い、次々にその物理法則を解き明かしていった。
リンゴが木から落ちるのを見て、万有引力の法則を発見した話は特に有名です。
これはニュートンの専門分野の物理学に限らず、化学、生物学、医学等のあらゆる科学分野に応用されます。
「信仰」と「過去」から解き放たれた科学は、以後次々と新しい発見が為されて行きます。

そして発見はそれを応用した発明につながる。
18世紀にはジェームス・ワットの蒸気機関が発明され、工場の動力に使われる要になり産業革命が起きる。
さらに船舶・汽車などの移動機械にも応用されるようになる。
その後も電気の応用、ガソリンエンジンの発明など、次の技術につながっていく。
そしてこの科学技術の進歩が世界を大きく変え始める。
現在まで続く近代科学技術文明が始まります。

この動きは科学だけに止まらない。
18世紀の哲学者ジャン・ジャック・ルソーは、それまで当たり前に存在していた「王制」に疑いを持ち、「国家とは何か?」「人とは何か?」を考え始め、結論として『社会契約論』を書きます。
ここで登場した「人権」という概念が、18世紀末のフランス革命でのイデオロギーとなる。
これが過去の身分制度の呪縛から人々を解き放ち、民主主義の時代が到来する。

ちょうど同じ頃、産業革命による世の中の劇的な変化を目にしたアダム・スミスは「経済とは何か?」を考え始め、『国富論』を書く。
経済学の誕生です。
それぐらい科学技術のもたらした社会の変化は大きかった。
そしてこの変化が資本主義をもたらし、資本家と労働者という新たな区別を作り出していった。

長々と書いてきましたが、こういう時代的背景があって、19世紀半ばに社会主義という思想が誕生しています。
フランス革命に続くナポレオン戦争がヨーロッパ各地にばらまいた民主主義思想。
産業革命による人口の増大と、工場を経営する資本家とそこで働く労働者との貧富の格差、労働者の失業問題。
折角、民主主義で人民の法の下での平等は確立したが、また別の問題が出来てきた。

そこでドイツの新聞記者だったカール・マルクスは考える。
この問題を解決するにはどうすれば良いか。
政府と対立し、パリに移った彼は哲学・歴史学・社会学の研究を続け、ある結論に達し、1848年、盟友フリードリッヒ・エンゲルスと共に『共産党宣言』を著す。

この本の中でマルクスは、人類が最終的に到達する理想的社会を、生産手段を共同所有する無階級社会とし、人類史を階級闘争の歴史と位置づけ、資本主義をその最終対立の形態と考える。
そして圧倒的多数の労働者階級が革命によって資本家階級を打ち倒し、階級闘争の歴史に終止符うち、やがて搾取や階級対立のない、自由で平等な社会に到達すると説いた。
この本は「万国の労働者よ団結せよ」と言う言葉で結ばれています。

しかし、このままでは夢想家の書いた夢物語にすぎないわけで、次にマルクスは革命のための具体的研究に取りかかる。
その成果が1867年に第一巻が刊行された『資本論』。
彼はここで科学的社会主義を唱える。

この科学的社会主義とは何かと言うと、簡単にいってしまえば、ニュートンの後継者達によって完成されつつあった、当時の最新科学「ニュートン力学」の、社会的諸科学、すなわち経済学・倫理学・社会学・歴史学・政治学、等々への応用です。

彼は、経済・社会・歴史を科学の要領で、まず分類し、分析し、数学的な法則を見つけ出そうとした。
それが出来れば次は技術面への応用。
この部分に資金投入すれば国民がより豊かになれるとか、こうすれば国家が強固になれるとか。
すでにニュートン力学の応用で新しい機械が次々に開発され運用されていた時代です。
同じように政治経済分野にこの社会の分析結果を応用して、新しいより平等で自由な社会を作ろうと。
そのためには、土地・資金などの財産を国家管理にする方が好ましいとされた。

ようやくここまでたどり着けましたが、結局、何が言いたかったかというと、北一輝が生きた19世紀後半から20世紀前半という時代は、社会主義という物は「社会とは何か?」を考える時代だったと言うことです。
すでにこの時代から100年すぎた現在では社会主義というとすっかり「信じる」物になっているのですが、まだロシア革命も起きていない当時は全然違う感覚だったのです。
この辺を理解していないと、北一輝の『純正社会主義』を理解することは難しい。

(どうでもいいことかもしれませんが、社会主義を調べていて思ったのは、マルクスが科学的社会主義の思想を考えるに当たって影響を受けたのは、古典経済学・空想的社会主義・ドイツ哲学とか書いてあるのだが、なんで一番に『科学的』の部分に皆さん注目しないのでしょう?

当人がわざわざ『科学的』と付けているぐらいですから、『科学的』な部分がこの考えの最重要部分だと私には見えるのですが。
実際、マルクスは経済・社会という物をかなり詳しく科学的に分析しようとした最初の人なので、その点では歴史に残ると思います。)

4.『純正社会主義』とは?
それでまあ、ようやく『純正社会主義』の話にいけるのですが、マルクスが『資本論』を発表したのと同時期に、もう一つの以後の人類史に大きな影響を与える理論が発表されています。
チャールズ・ダーウィンによる『種の起源』、いわゆる『進化論』の発表です。

前にも書きましたが、この本の緒言には
「全ての社会的諸科学、すなわち経済学、倫理学、社会学、歴史学、法理学、政治学、及び生物学、哲学等の統一的知識の上に社会民主主義を樹立せんとしたる事なり」
と書いてあります。
この中で一般的社会主義には含まれていない物は『生物学』。

『純正社会主義』を簡単に説明すると、前項でも書いたとおりマルクスの科学的社会主義とは、社会諸科学分野へのニュートン力学の応用なんですが、
『純正社会主義』はプラス『進化論』の応用です。

北一輝は書いています。
「人類は生物だから、その人の集合体たる社会を分析するには生物学(特に進化論)の応用が不可欠である」と。
(かなりの意訳です)

彼は「人類社会の進歩とは、生物進化延長線にある」と考え、
その上で「社会とは何か?」「国家とは何か?」の理論を構築しています。

この考え、私が見る限り、一理も二理も有るというか、はっきり言って発想は当たっていると思います。
彼はこう予言しています。
「現在の社会主義論で、国家を運営したならば、そのうち進歩が停止して国家が滅ぶだろう」と。
(やっぱりかなりの意訳)

重ねて言いますが、この本は最初の社会主義国ソ連が出来る前に書かれたものです。
21世紀の現在では、社会主義国は国内の進歩が止まってしまって経済的困難を来たし、滅ぶあるいは転向したことを知っているのですが、この時代にこれを書いていたのは凄い。

北一輝が単純に社会主義者として分類出来ない理由がこれです。
社会を科学的に分析しようとする点、マルクス主義の影響を受けている点では社会主義者には間違いないのですが、マルクス主義とは最初の段階で別の方向に向いている。
これは単にマルクスが『科学的社会主義』を考えた時には『進化論』が無くて、北一輝の時には有った、と言う事でもあるのですが。
この点から見ても北一輝という人物がいかにとてつもなくぶっ飛んでいたことが理解出来るでしょう。

北一輝著作集 第1巻の解説には
「社会主義者としての北一輝は、この著作の前後がピークであり、あとは思想的に簡素化の一途を辿るのみだったと私は見る」
と書いてあるのですが、私の見る限りでは、彼の場合は最初からマルクス主義とは別方向を向いており、
論理的に考えて、そこからやがて国粋主義というか右翼の方向に向かっていったとは必然と見ます。
これが彼を単純な右翼と分類出来ない理由です。

それでは、ようやく『純正社会主義』の説明に移りたいと思います。
上手く説明出来るかどうかは分かりませんが。
この思想のキーポイントは「人類社会の進歩は生物進化の延長線上にある」と言う考えです。

原始時代から現代までの日本史・中国史・ヨーロッパ史を詳しく研究した彼は、その中にある原始から古代、古代から中世、中世から近世、近世から近代と社会が進歩していく様を見る。
狩猟生活から農耕生活への進歩、そして産業革命。
技術が進歩し、政体が進歩し、倫理観が進歩し、社会システムそのものも進歩してゆく。
それも個別の物が全く同じように進歩している。
この社会進歩の原因は何か?
北一輝はその答えはダーウィンの『種の起源』に書かれた進化論だと考える。

ダーウィンの進化論とは自然選択説(自然淘汰説)。
あらゆる生物は、生存できる以上の子供を産む。
従ってその子供どうしの間で必然的に生存競争が生じる。
一方、子供の間には個体ごとに変異があるため、生存競争においては、より適応した性質をもつ個体が生き残る。
この過程の集積によって変種が生じ、変種が新しい種の発端になる。

北一輝は同様の生存競争が、人類社会にも起きていて最終的に社会が進歩して行く考えた。
ただ、そのままダーウィンの進化論を社会進歩に当てはめるには無理がある。
ダーウィンの進化論はあくまでも生物の個体の生存競争により進化が起きると言う説で、社会という集団に当てはめるにはかなり無理がある。

しかし、生物にも色んな種類があり社会生活を営む物もある。
蟻などがそうですね。
兵隊蟻・働き蟻・女王蟻などに分かれて社会生活を営む蟻を、一匹だけの個体進化で説明することに無理があるのは分かります。
これは社会全体を一進化単位ととらえるしかない。

そこでまず、進化を二種類に分けます。
彼の言う「大我と小我」。
ネコとネズミにたとえるなら、ネコにはネコ同士の個体競争があり、強くて獲物を捕るのが上手いネコが子孫を残しやすい。
ネズミにもネズミ同士の個体競争があり、食糧を見つけるのが上手くて捕食者から逃げるのが上手いネズミが子孫を残しやすい。
このような個別の進化と平行して、ネコとネズミという種族集団間にも種族の生存競争があり進化があると考えた。

そして人類もまた生物であり、人類社会の変化、つまり歴史は集団の生存競争による結果として進歩し続けている、と考えた。
文化と言う物は文字にした社会としての遺伝であり、技術もまた然り。
社会システムの変化もまた生存競争による進化であると。

この観点から日本という社会の変換の歴史を読み解こうとする。
神武天皇など古代の狩猟と農耕の時代。
聖徳太子以後の中国(隋)の制度を取り入れた法治の時代。
天智天皇が取り入れた公地公民制などの律令制の時代(中央集権時代)。
それが崩れた鎌倉から江戸時代までの封建制度の時代。
そして現在(明治時代)の天皇を中心とした近代国家の時代。
これらは各社会システムの生存競争の結果、強者が生き残ることにより変化して現在に至っている。

その意味で北一輝は、
穂積八束博士の「日本は天皇を中心とした万世一系の国体であり、日本人は皆、天照大神の子孫である」という国体論を批判し、
美濃部達吉博士の『天皇機関説』、
「天皇は近代国家としての国家の象徴であり、国家の一部の機関である」を支持しています。

日本史の国体進化を研究した彼にとっては、日本は昔から変化していないとする穂積説より、近代国家として進化した社会体系であるとする美濃部説を取るのは無理はない。
と言うか、この辺は美濃部学説の影響を受けたのでしょうけど、それをさらに歴史的根拠に基づいて説明しようとしています。

そして彼は現在(明治後半)の日本国内の状態を、資本家(経済的貴族)と労働者の階級社会であると考えた。
この辺はマルクスの影響でしょう。
実際、日清戦争以後、産業革命に成功した日本では、三井・三菱・大倉などの財閥の形成期であり、工場経営の資本家と労働者との賃金格差は相当開いていたし、農村でも大地主の元に農地集約が進んでおり、農地を持たない小作農と、もはや小作料だけで食っている寄生地主との年収の差は相当開いていました。
要するに資本主義の弊害がもろに現れていた時代です。

さらに世界に目を向けると、欧米列強の帝国主義による植民地争奪戦がもっとも激しかった時代。
彼はこれを国家という社会集団の弱肉強食の生存競争が行われている戦国時代ととらえる。

この弱肉強食の時代に日本を生き残らせるためにはどうすればよいか?
北一輝の答えは日本国内の民主化が必要と考える。
資本家は労働者の進化した姿であり、国民全体が資本家となれば国家はより強大になり、この弱肉強食の世界に日本を生き残させる事が可能であると。
そのためには国家主導でトラスト(独占企業)を作り、国民一人一人が株主としてこの企業に出資して資本家となる社会形態を提案しています。
この辺はマルクスの影響でしょうけど、一般的社会主義の考えからは相当変形していますね。

『純正社会主義』の説明はだいたいこんな感じでしょうか。
一般的な社会主義(マルクス主義)との違いは、現状を資本家と労働者の階級社会ととらえる点は同じですが、マルクスはやがて労働者階級が資本家階級を倒し労働者の社会になると考えたのに対し、
北一輝は労働者を資本家に進化させ国力を増大させねば、やがて日本は国家間の弱肉強食競争に飲み込まれて滅んでしまうと考えている点でしょう。
それとマルクスは社会の単位を、国を超えた『資本家』『労働者』と言う階級単位でとらえているのに対し、北一輝はあくまでも『国家』でとらえている点も違います。
この辺は当時植民地競争をしているヨーロッパ側の人間と、植民地にされそうな側にいる人間との違いかもしれません。

しかしまあ、なんというか、北一輝の『純正社会主義』があらゆる社会諸科学分野を含んだ、かなり壮大な思想であることは理解出来たと思います。
ただこの本はこの手の話が思いつくままに語られていて全然まとまっていません。
だからおもっきり読みにくい。


5.太平洋戦争への影響
この北一輝の思想が、この後の時代に与えた影響は極めて大きかったと私は考えています。
いや、前から不思議だったのです。
満州国の経済体制、石原莞爾の経済政策、近衛文麿の国家総動員体制などの経済政策を見ると、どうも裏に社会主義のようで全く違う、民族主義の様でそれとも違う思想が流れていると感じていたのです。
どう見ても社会主義の影響を受けていない人が、社会主義みたいな経済政策を採っている。
そこら辺がおそらく、この思想の影響でしょう。

『国体論及び純正社会主義』は一週間で発禁になったとはいえ、どうも裏で読みまわされていたらしいので、おそらく新体制運動に参加した革新官僚などは、みんな読んでいたのでは無かろうか?
読みまわすから蔵書として残っていないので、影響を受けたかどうかの判断がしにくいのですが・・・

おそらく石原莞爾や近衛文麿のように皇道派の意見に同情している人達が読んでいたのは間違いないと見ます。

ちなみにこの本は間違いなく、日本国を革命しようと言う革命の本です。
だいたい書いた当人はあくまでも革命家のつもりで書いています。
要するに
「日本を国家競争に生き残らせるためには、社会民主主義をもって資本家と労働者の格差を無くし、社会を改造して国力を高める必要がある。」
そう言う本です。

そのためには革命も辞さず。
ただあくまでも日本のための革命ですから、日本統合の象徴としての天皇制は残す。
この点がマルクス主義者とは大きく違う点です。

ただこの思想、少し考えると分かりますが、国家を一単位としてとらえている所から、簡単にファシズム(全体主義)に進むことが分かります。
同様に、簡単に民族主義にも進めます。
昭和初期に蔓延した日本的ファシズムの正体はおそらくこれでしょう。
これだと社会の為に個人を犠牲にする方向に簡単に進めます。
北一輝はこの後、大川周明らの民族主義と結びつく方向へ進むのですが、これも彼の思想からすれば正当な進歩だったのでしょう。

つまり北一輝の思想は、
「社会主義(左翼的)思想の延長にある民族主義(右翼的)思想」です。
ここが一般的な「日本は神国」とか「偉大なるドイツ民族」とか、
要するに過去の偉大なる祖先に寄りかかった右翼思想とは根本的に違う点。
彼の思想は未来を見つめた民族主義です。
これが北一輝を単なる右翼思想家と見ることが出来ない理由です。
なんというか、左右思想を超えた所にあるような思想家です。

昭和11年の2.26事件は北一輝の思想の影響を受けた、皇道派青年将校達によって引き起こされています。
それで結局、彼等があの反乱で何をやりたかったかというと、未だ上手く説明されていない。
いや彼等の考えを書き残した資料はあるのですが、私には今ひとつ内容がピンとこない。

それがこの本を読んで私にはようやく理解出来た。
要するに、天皇を中心とした、階級のない自由で平等な社会民主主義体制の世にすること目指していたのだと。

そしてこの思想はこれに止まらず、満州国の体制にも影響を与え、日中戦争・太平洋戦争中に進んでいた新体制運動の中心的思想となっていたとみます。
負の面である、ファシズム(全体主義)の部分も含めて。

そしてこの思想、実は戦後の日本にも極めて大きな影響を与えていたのではないかと個人的には考えています。
具体的に言うと、昭和30~40年代に架けての高度成長期に。

この時期の日本は、ある意味、官僚主導によるカルテル(企業連合)体制をとり経済を発展させ、瞬く間に世界貿易量第2位に至る経済発展を遂げています。
しかも「実は世界で一番成功した社会主義国」と皮肉られたくらいの階級格差のなさと低失業率。

これは北一輝が目指した政治経済体制そのものとも言える。
そして時期、首相を務めた岸信介は先にも書いたように『国体論、及び純正社会主義』を読んで強い影響を受けています。
要するに、かつて日本の政治改革を志し、北一輝の『純正社会主義』に感動してうちふるえた青年達が、政治の中心に来て日本を引っ張っていたのがこの時期なのです。

その後の北一輝のことも少し書いておきましょう。
この本が発禁になった少し後、中国革命同盟会に入党。
1911年に辛亥革命が勃発すると上海に渡り、革命に参加する。
しかし1913年に中国政府より国外退去命令が出て帰国。
このときの経験を元に『支那革命外史』を書きます。
1916年に再び上海に渡り、1919年に『国家改造案原理大綱』(後に『日本改造法案大綱』と改題)を書き日本に帰国します。

私が見る限り、思想家としての北一輝はここまでです。
彼の思想の集大成『日本改造法案大綱』を書いた時点で終わっています。
個人的には、この本を書いて自分の思想の問題点・限界点を見てしまった為、と考えています。

帰国後は右翼の大川周明等と合流し、右翼思想家として活動を始めます。
大川とケンカ別れした後は、日蓮宗にのめり込み法華経を読みながら、 自宅に訪ねてくる青年将校達に色々吹き込んで右翼の黒幕としておそれられ、『日本改造法案大綱』は右翼の教典となっていきます。
そして青年将校達を電話で激励しただけの2.26事件に連座して死刑となり一生を終えます。

最後には、北一輝は『考える』ことを止め、『信仰』の世界に浸っていたのですが、 個人的には、若い連中に下らないこと吹き込んでいないで、山にでもこもって思想の研究を続け、『純正社会主義』を完成させて欲しかったです。
しかし残念ながら北一輝は最後まで「学者」じゃなくて「革命家」なのです。
つまり思想を実行する側。
個人的には学者になって欲しかった。
いや、革命家として2.26事件に連座してほとんど関係ないのに黙って死んでゆく北一輝もまた好きなんですか・・・

『絶対正義仮説』についての研究 その1/矛盾する『○○史観』

$
0
0
転載元
http://www7b.biglobe.ne.jp/~bokujin/

■『絶対正義』についての研究 ~謎の仮説についての研究と考察~



◆『絶対正義』仮説とは何か?

まずこの『絶対正義』仮説とは何の事を指しているか、具体例として私の専門の太平洋戦争を例に説明してみます。

太平洋戦争開戦直前にアメリカは各国と連携して、日本に対して「ABCD包囲網」と呼ばれる経済制裁を掛けています。
日本はこれで経済的に追いつめられて真珠湾攻撃に打って出ます。
結果、経済力に劣る日本は、最終的にはアメリカに敗北します。

この部分の歴史を研究する場合、考える必要があるのは、日本側の視点と、アメリカ側の視点になります。
当時の日本は日本側から見た視点で判断して、あのような行動をとり、またアメリカも自分側から見た視点で、あのような行動をしているのですから当然です。

ところが私がこの歴史を研究する場合は、非常に困った問題が発生します。
それはどうしてもよけいな『自分の視点』と言う物が発生してしまうことです。私は当時の日本人ではないし、アメリカ人でもない。
そしてその後どうなったかも知っている、あくまでも後世の第3者です。

この視点は全体像が見渡しやすいメリットもありますが、問題なのは「当時の人が何故あのような行動を取ったのか?」を考える場合です。
当然ですが当事者達は私の視点で物を見て考えて行動しているわけではありません。
当事者達は自らの視点で物を見て考えて行動しています。

そこで私の場合はどうするかと言いますと、当時の資料を読み、当時の人達が何を知っていて何を知らなかったかを調べ、なるべく当事者と同じ状態、同じ視点に持って行って、自分ならどのような行動をしたかを考えてみる。
要するに『自分の視点』を『日本の視点』とか『アメリカの視点』になるべく近づけようと試みる。
これが一番良い方法です。

先の太平洋戦争の例なら、始めに日本は中国と戦争をしており、そのため経済的に苦しい状態に置かれていた。
そんなときに欧州では第2次世界大戦は始まる。
そこで日本は欧米列強がドイツとの戦いで手一杯なうちに、東南アジアの植民地を取って資源を確保しようと仏印に侵攻。
この行動で アメリカを中心とした各国が怒り、日本は経済制裁を受ける。
アメリカの視点から見れば、この行動は火事場泥棒ですから当然です。
そこでさらに追いつめられた日本は、真珠湾攻撃に打って出るしかなくなる。
そして経済力に劣る日本は最終的にアメリカに負けた。
こんな所でしょうか。
こうするとこの時の歴史展開がすっきりと理解出来ます。
要するに視点を日本とアメリカの二つだけに絞ることが重要です。

ただ、完全に当事者の視点になることは無理です。
当事者には当事者の大きな人生があり、全部を知る事は出来ない。
そこで資料を調べて、足りない部分は『自分の視点』で補完したりして想像して 見る。
このときに資料が少なかったり、まとまって無くて理解出来なかったりすると、『自分の視点』部分が多くなって歴史分析に失敗します。
歴史資料は数多くありますから、『自分の視点』が無ければまとめることは出来ませんが、一歩間違えると、ある意味よけいな物になり得ます。

ところが歴史を論じている人の中には、これとは全く違う第4の視点が存在している事を信じている人がいるようなのです。
しかも無意識に信じており、かなり数も多い。
いわゆる『神の視点』です。

『神の視点』を説明しますと、この場合の『神』とはキリスト教の様な一神教の絶対神のことです。
神道のような米粒の中に3人いるような神様ではありません。
全知全能の絶対神なので『神』は、あらゆる人も、あらゆる小さい事象も、過去も未来も、全てのことを知り、頭が非常に良いので全てを理解しています。
間違える事はありません。
従って『神』は全ての善悪を判断出来て、その正義は間違いなく正しい、神の視点から見た『絶対正義』となります。
これを『大義』と呼ぶこともあります。

しかし人間は『神』ではありません。
知っていることには限界があり、頭も利口ではありません。
ですから『絶対正義』を理解することは不可能です。
しかし世の中には、知識が多い人もいれば、少ない人もいます。
数学の問題がすぐに解ける人もいれば、なかなか解けない人もいます。
要するに『神』により近い人と、そうでない人がいるわけです。
そこで人間は努力して知識を深め、理解力を高めればより『神』に近づけます。
そうすればより正しい判断をすることが出来ます。
『絶対正義』にも近づけます。

先の太平洋戦争の例で言えば、彼等はこう考えます。
日本は天皇を神としてあがめ、日本の正義に基づいて戦った。
アメリカもアメリカの正義に基づいて戦った。
日本が真珠湾へ奇襲攻撃をしたのはアメリカが経済制裁をしたからだ。
日本は戦争中、悪いことをしているが、アメリカも原爆を落としたでは無いか?
日本もアメリカもどちらが正しいと言うことは言えない。
『神の視点』から見ればどちらも同じような物だ。日本も正しかった。

なんだこりゃ?

とにかくこれで同じ歴史の議論をしているつもりでも、全く話がかみ合わなくなる理由が理解出来ました。
私の場合は歴史の真実に近づこうとする場合、当時の日本やアメリカの視点に近づこうとする事であるのに対し、彼等は『神の視点』に近づこうとしているからです。
最初から方向が完全にずれている、と言うより違う方向を向いています。

歴史を論じるときの問題として、彼等は「時間を超越して考える」と言う特徴があります。
私なんぞは、歴史を考えるのですから「この時代の人は何を知っていて何を知らなかっただろう」とか「この時代はどういう概念があり、どういう思想があったか?」とか、時間の概念は重要視と言うより絶対視するのですが、彼等に取ってはあまり重要では無いようです。
平気で現在の、しかも自分の概念に照らし合わせて歴史上の人物の行動を批判したり論評したりします。

この考えは私は前から不思議でしかたが無かったのですが、彼等が『絶対正義』を信じ『神の視点』に近づこうとしていると考えると納得がいきます。
『神』は全知全能の時空を超えた存在なので、当然時間の概念は重要ではありません。
それに近づこうとする場合、時間の概念は重要では無くなるのでしょう。

とりあえずこの考え方には、私は『絶対正義仮説』という名前を付けることにします。
何故、仮説なのかと言いますと、そもそもこの説は「『神の視点』が存在する」と言う事が前提となって始めて成立するからです。
私は今のところ神の存在を信じたことはありませんし、神の存在が証明されたと言う話も聞いたことがありません。
従って『神の視点』は、存在したほうが物事を説明しやすくなる仮説であると考えた方が良いでしょう。
もっともその存在を信じている人に取っては違うでしょうが、その存在が証明されていない以上仮説です。

それに対して私の様な考え方を『相対視点論』とでも名付けておきましょう。
少なくとも私の考え方には、仮に存在していると考えている部分は無いので『論』でかまわないでしょう。


◆その分類

そこで早速、この『絶対正義仮説』について、詳しく分析してみることにします。

まず気がつくのは、これを信じている人は大別して以下の2種類に分けられます。

A:一神教信者(キリスト教・ユダヤ教・イスラム教)

B:思想系(左翼・右翼など)

Aの方は分かりやすいでしょう。
この場合、『神の視点』とはその宗教の神様の視点であり、その神様は全知全能の万能神です。
そしてその神様の考えは『絶対正義』です。
もともとキリスト教・イスラム教はユダヤ教から発生していますので、基本的に同系列ですし、『神』の考え方についても基本的には同じです。
そしてその『絶対正義』が書かれた教典を持っており、それを基準に全ての物事を考え、行動します。

問題はBの方です。
この人達は神様は信じていませんが『神の視点』の存在は信じている。
しかもその信じ方は完全に無意識な物であり、他人も当然同じように信じていると考えています。
彼等は自分が『絶対正義』の存在を信じていることに気がついていません。

Aのタイプは非常に分かりやすく特に論ずることも無い、と言うか宗教論については他の人もやっているのでそちらに任せたいと思います。

問題はBのタイプの方。
こちらは非常に分かりにくく、分析もされていないので、ここではこちらを中心に分析を試みたいと思います。

最初に断っておきますが、B:思想系というのはあくまでも『絶対正義』を信じている思想系の人という意味です。
思想系でも信じていない人もいます。
しかし政治とかを語ろうとする思想系の人には、どうやら『絶対正義』を信じている人が大多数を占めているようです。

基本的に『正義』を唱える人はこちらのタイプです。
唱えない人もいますが・・・

『絶対正義』を信じていない人にとっては、正義なんて暴力を振るう理由以外では使用されない物と認識していますから、めったなことで使用する言葉ではありません。
しかし彼等はかなり頻繁にこの言葉を使います。

簡単に言えば、一神教における正義の概念のみを取り出して、その部分のみを信じている感じです。

宗教の場合、生活全般が宗教教義に基づいて行動することになるのですが、『絶対正義』信者の場合は社会問題・国際問題・一部の歴史などの問題を考える時に、『絶対正義』に基づいてその解釈を考えます。
このことから明らかに一神教の進化型の概念だと考えられます。
まあ一神教は1000年も2000年も前に出来た物ですので、古くなった部分も大量にありますから、その部分をそぎ落として正義論だけにより純化した感じです。

このBタイプの『絶対正義』信者を観察していると、どうもさらに3つのタイプに分類出来るようです。

B1:狂信者
B2:理想主義者
B3:相対主義者

B1:狂信者とは『A:一神教信者』に極めて近いタイプです。
一神教の特徴として『教典』の存在があります。
ユダヤ教なら旧約聖書、キリスト教なら新約聖書、イスラム教ならコーランと言った具合。
B1タイプの人は必ず『絶対正義』が書かれた『教典』、若しくは『絶対正義』を語る『教祖』を持っています。
そしてその思想を基準にして考え、行動します。
共産主義者にとっての『資本論』がこれに当たります。
自らの考える『正義』の内容について全く疑っておらず、文字通り狂信しているのがその特徴です。

意外と『教典』を書いた人や『教祖』が、このタイプで無いのが面白いのですが・・・

B2:理想主義者とは『教典』は持っていませんが、『教典』に近い物を探している人達です。
人は『神』ではありませんので『神の視点』たる『絶対正義』を知ることは出来ません。
従って人の書いた『教典』にはどこかに必ず矛盾が生じます。
これが一神教の様に「教祖は神の代弁者である」とすれば問題ないのですが、彼等は神を騙る者を信用していません。
そこで自ら考え、神の視点に近づこうと日々努力します。
自らの考える『正義』について、絶えず疑っているのがその特徴です。
「人間の考えることは不完全である」が前提となっており、より神に近づいた理想的な『正義』を絶えず追い求めています。

B3:相対主義者とは「正義なんて所詮相対的な物」と考えている人達です。
ただこの場合の相対とは、あくまでも「神の視点から見て」の相対です。
太平洋戦争で言えば「日本の正義もアメリカの正義も、『神の視点』から見ればどちらも不完全な物であり、相対的に同等な存在である。どちらも正しい。」と考えています。
このタイプはさらに2種類に分類出来ます。

B31:ニヒリスト(虚無主義者)
B32:オポチュニスト(ご都合主義者)

B31:ニヒリスト(虚無主義者)とは
「人間は所詮神では無いのだから、『神の視点』など持ち得ない。
『絶対正義』など分からない。
『神の視点』から見ると全て同じだから、何をしても変わらない。」
と考えている人達。
ある意味、達観の域に達している人達です。
太平洋戦争の例で言えば、「日米双方とも正しく、そして間違っている」と考え、そこで考えることを放棄しています。
物知りで考える能力もあるが、他人のやっている事には文句ばかり言っている事が多いです。
基本的に「どうせ人間なんて」と考え、上に進むことを停止して虚無状態に陥っています。
B1・B2タイプの人が現実によって自分の理想が否定されると、このタイプに変化する事が多いようです。

B32:オポチュニスト(ご都合主義者)とは、
「『神の視点』から見れば、みな同じ正義なのに差があるのはおかしい」
と考え、
「正義は引き寄せるものだ」
と考えている人達です。
太平洋戦争の例では、『大東亜戦争肯定論』を唱えている人達がそうです。
やり方としては『ご都合主義』、
つまり「自己の正義に取って都合の悪い現実は無視して、都合の良い現実のみで正義論を組み立て、それで勝った正義が本当の正義になる。」
と考えています。
歴史の話をしていて一番疲れるのがこのタイプですね。
彼等は自分にとって都合の悪い現実は認めませんし、またそれが自分の正義を高める方法であると考えています。
彼等と話していると史実を認めるかどうかの話になります。
彼等にとっては現実ですらどうでも良いことのようです。
前項で挙げた『絶対正義』信者の例はこのタイプです。

分類としてはこんな所でしょう。
気付いたと思いますが基本的に上から順番に変化していった物のようです。
具体的に書くとこんな感じ。

A: 一神教信者 教義を無批判に信じている。

宗教に疑問を持つ。

B1: 狂信者 別の正義を見つける。

現実を見て、新しい正義にも問題があることに気付く。

B2: 理想主義者 真に正しい『絶対正義』を追い求める。

『絶対正義』には到達出来ない。

B31: ニヒリスト(虚無主義者)
『絶対正義』を追い求める事をあきらめる。

現実に何の役にも立たない。

B32: オポチュニスト(ご都合主義者)
正義を自分の方に強引に引き寄せようとする。

基本的にはこのように変化します。
変化のたびにその主義主張も変化します。

ただこれは基本的な変化パターンなので、人によって変化はそれぞれです。
特定のタイプに止まっていたり、
理想主義者から宗教信者になったり、
狂信者からオポチュニストになったり、
右翼(民族主義者)の様にいきなりオポチュニストから始まったり、
かなりのパターンがあります。
ただ『絶対正義』信仰だけは変わらず、これを中心とした変化になります。


◆その分析

ここで『絶対正義』信者各タイプを視点の面から分析してみます。

この考え方の特徴は他人を見る場合に、対照を直接見るのでは無く、神の視線を介在することによって間接的に他人を見る点です。

例えばアメリカの行動を見る場合、直接アメリカを見ることはありません。
見るのは『神の視点』から見た視線です。
アメリカの行動を神がどのように見ているかを考えて、それを判断基準にします。
何かやたらと複雑な感じがしますが、彼等に取ってはこれが普通です。
それではタイプ別に順に分析してみましょう。

A:一神教信者
『絶対正義』信者の原型とも言えるこのタイプの人にとって最も重要なのは、自分を見ている『神の視線』です。

「全知全能の神様が何時でも何処でも貴方を見ていますよ。
貴方が他人に見つからない悪事を働いても神様はお見通しです。
だから何時いかなる時も神様の命に背くことをしてはいけません。」

だいたいこのような感じです。
そして神様の命は、神の代弁者たるモーゼ・キリスト・マホメッド等の預言者、その後継者たる司祭が伝えます。

この思想は元来はこの神の視線を意識させる為のものでしょう。
神様が何時も見ているとすれば悪事は全てバレているものなので、悪事を行うことは出来ません。
この考えによって人は自分の行動を正すことが出来ます。
これで誰が見ても信用がおける立派な人物になれる。
元来は自分を高めるための思想です。

問題はこの考えで他人を見る場合。
相手を見ている『神の視線』を見て判断しようとしますから、ある意味全く相手を見ていません。
「自分の神の命に背いているから悪だ。」
と普通に見てしまいます。
宗教がらみの対立が泥沼化する原因はこれです。
互いに別の『神の視線』を見て相手を見てないから、歩み寄りようが無くなります。

B1:狂信者
Aタイプの特徴は、神と自分との間に預言者とか祭司とか別の人間が入ることです。
問題なのは、「果たして彼等が本当に神の代弁をしているか?」と言う点。
実は宗教というものは、預言者とか祭司が神の代弁者であることを信じることによって成り立っています。
ところが預言者が神の言葉を聞いたのは1000年以上も前なので、人類の科学技術が進歩してくると色んな物が見えてきて、預言者の言葉を伝えている祭司達の言っていることの矛盾点が見えてくる。

そこでB1タイプの人達は、司祭の言っていることを信じず、自分で考え新しい教義を見つけ出し、それを信じます。
自分の位置をより高い方向に持って行くわけです。
要するに自分自身をより神に近い、宗教の場合の司祭の位置につける。
(あくまでも自分で思っているだけですが・・・)

この影響として視点もの面から見ると、自分の位置が上がったので、それと相対して自分を見ている『神の視線』への意識は弱まります。
そして他人を見る視点もより厳しくなります。
自分と意見の違う人を無茶苦茶に言うのがこのタイプですね。
何せ自分の視点は神に近いものと考えていますから、自分の考えと違うものは全て間違い。
ほとんど他人を見なくなります。

実はこのタイプ、大概は過渡的なタイプです。
自分で考えて特定の教義を見つけ出し、このタイプになっていますので、何かで挫折したときに、現実を見て自分の教義にも矛盾があることに気付いて、さらに考えを進めて別のタイプになっていく場合がほとんどです。
人は神ではないので人間の考えた教義が完璧なわけありませんから当然です。
と言いますか、このタイプは若年の単なる世間知らずが多いです。

もっとも挫折を知らずに、あるいは気付かずに、この時点で完全に考えが止まったままの人も稀には存在しますが。

このタイプの人は視野が極めて狭いので、自分に都合の良い現実しか見えてなかったりしますので、実際に自分が挫折している事に気付かない人もいます。

B2:理想主義者
B1タイプの人が何かで挫折して、自分の考えが絶対では無いことを理解します。
世の中には色んな考えがあり、色んな見方があります。
ただ、どの考えもどこかに矛盾を抱えていることも理解出来ました。
人は神様でないので、絶対的な『神の視点』に立てないことも理解出来ました。
しかし世の中には問題が山積しています。
それを解決する完璧な答え、
『絶対正義』が存在するはずです。

このタイプの人はここまで理解した上で、現実を直視し、絶えず考え、行動し、理想を追い求めようとします。
自分自身を限りなく神の位置に上昇させようと努力しています。
それが人の進むべき道だと考えています。

ただ絶えず考えているので、新しい現実を目にしたとき、自分の行動の結果を目にしたとき、それを基に考えが進み、思想信条ががらりと変わる場合があります。
そこで他のタイプの自分の正義を固定化させている人から見ると、変節漢として批判を浴びることが多いです。
どうも難しい人物として見られる事が多いようです。

しかし変化があるのは大概、自分の正義に基づいての行動が失敗したときです。
彼等は失敗と言う現実から逃げずに考え、さらに前に進もうとして自分の考えを変えているのです。
個人的にはこういう人達は好きですね。
現実から決して逃げようとはしませんし。
世間的に成功するのはこのタイプが多いです。
大失敗をする人もいますが。

このような上昇志向はかなり努力がいる事なので、それだけに力が入っています。
自分を見ている『神の視線』は、「自分が上に昇ろうしている事を見てくれている」と気にしていますが、他人を見る視線はあまり気にしていない。
が、むしろ他人は別の方向性で神に近づこうとしていると思っているので、結構他人の意見は尊重しています。

B31:ニヒリスト(虚無主義者)
このタイプの現状認識はB1タイプと同じです。
人は神にはなれない事を理解している。

ただB2と違いこのタイプの場合は、
「人はどうせ神にはなれない。」
としてあきらめています。
そして「全ての人、全ての思想、全ての正義は『神の視点』から見ればどうせ相対的に等距離だ。」と考えて上昇志向を持ちません。
全てが相対的に等距離なら、上昇することは無意味な努力ですから。
このため自らは何もせずに他人のやっていることをひたすら愚痴っている場合が多いです。

B1タイプからB2タイプになるか、このタイプになるかは、その人のプライドで決まるようです。
B1タイプは「自分は神に近い視点を持っている」と思っているだけあって、非常にプライドが高い状態にあります。
それが現実にぶつかって挫折したときに、プライドを捨てて別の考えを認められる場合はB2タイプになり、
プライドが捨てられず前の考えにこだわる場合はこのタイプになります。

このタイプは自分の位置を上昇させようとする考えはありません。
代わりに他人を見る視線(他人を見ている『神の視線』を見る視線)が非常に強い。
ちょうどB2タイプとは全く逆になります。
要するに挫折して自分の位置が上の方に無いと気付いたとき、違う考えの人が上にいるように見えるます。
それを「他人の位置も自分の位置も『神の視点』から見れば相対的に同じ位置にある」としてプライドを保とうとしています。

よくいる他人の批判ばかりしている人がこのタイプです。
基本的に虚無に陥っているので、自分で何も行動せず、行動している人のことの批判だけをしています。
どうやらプライドだけが高いので、行動して失敗するのが怖いようです。
まあ、つきあうには話だけ聞き流していれば、人畜無害なんですけど。

B32:オポチュニスト(ご都合主義者)
これはB31タイプがさらに変化したタイプです。
まれにB1タイプから変化したような人も見受けられるのですが詳しくは不明。

どのような変化かというと、B31タイプの人はあまり世間的に、つまり他人の視点から見ると評判がよろしくない。
しかし当人達は、
「人間は『神の視点』から見れば相対的に平等である」
と考えています。
でも世間には成功した人が確実にいます。
これが彼等のプライドを刺激するわけです。
「何故自分は下に見られるのか?」と。
そこで彼等は考えます。
「何故成功してる人は成功しているのか?」と。

その結論は「彼等は力ずくで成功している」ということです。
人は神でありませんから完璧な人はいません。
それは成功している人も同じはずです。
違いは「彼等は成功しているように現実を見せかけているだけだ。」と勘違いします。
そこで自分達も同じようにして成功しているように見せかけようと考えます。

そこで採る方法が『ご都合主義』。
つまり現実において自分達にとって都合の良い部分だけを強調し、都合が悪い部分を意図的に無視して、他人に見せかける事によって成功している様に見せかける。
さらに成功している人に対しても、失敗している現実を強調することによって落とし込めようとします。

彼等の場合は成功とはこういうものだと勘違いしています。
実際は成功している人というのは、現実を全て見つめ、その対処方法を知っているから成功しているのですが。
まあB2タイプのように努力して自分を上昇させようとするより、このやり方の方が簡単に出来るので、プライドを落としたくない人はこちらをとるのでしょう。

このタイプはB1狂信者タイプとあまり見分けがつきません。
私も最初は同一なのではないかと思っていましたが、根本的に違うようです。
違いは現実の見方にあります。

B1タイプの場合は、経験不足と視野の狭さ故に現実が部分的に見えていません。
しかしこのタイプの場合は、現実は見えているが都合の悪い部分を意図的に無視しています。
ついでに言うとB2タイプは全ての現実を見ようとしていますし、B31タイプは現実を見ることをあきらめています。

ここまで来ると『神の視点』はどうでも良くなっているので、説明不能。
あえて言えば神の代わりに『他人の視点』をより多く気にするようになっています。
当然、神様とは違い、他人は常に彼等を見ているわけではありませんので、見られている部分だけよく見せて、見られていない部分は誤魔化そうとする。
要するに「自分は神に近い位置にいる」と見せかけようとします。

歴史研究をやっていて、一番たちが悪いと思われるのがこのタイプですね。
彼等の場合、意図的に史実(現実)を無視しますから。
最悪な場合、史実(現実)を後から付け足そうとします。
もはや彼等に取っては現実(史実)など、どうでも良いことの様なのです。

おおざっぱな分析としてはこんな所でしょうか。
まだかなり不十分ではありますが、私が端から観測して、分析した限りではこんな所です。
色々なタイプの人がいるように見えますが、基本的に『絶対正義』の存在を信じている点では同じです。

B2:理想主義者になってくれると社会的にも非常に有益な人達になりますが、その他のタイプの人はちょいとです。

歴史を研究していると、この『絶対正義』信者に関しては、一見同じ正義を信仰しているが、時代によって内部的に変化している場合が多く見受けられます。
具体的には共産主義者がそうです。

私が研究している20世紀前半の共産主義者は、明らかに『B2:理想主義者』が多い。
当時は最初の社会主義国ソ連が出来てないか出来たばかりでしたから、当然、その後にどうなるかを知らない。
しかし現在、21世紀の共産主義者は『B31:オポチュニスト』がほとんどです。
彼等は失敗したという現実を知っていて、なおかつそれを無視しています。


◆○○史観

それと歴史研究をしていて思うのですが、根本的にこの『絶対正義』信者は、歴史分析に向いていない事は確かです。
原因はさんざん言っていますが、
「他人を見るときの視点」。
その対象を直接見ず、対象を見ている『神の視点』から間接に見ることで判断しようとしますから、その対象の本質を見ることは出来ない。
それと全知全能の神には時間感覚が無いため、時間順に歴史を見ることが出来ない。

歴史の本を読んでいると、よく共産主義史観、皇国史観、自由主義史観などの○○史観と呼ばれるものによくぶつかります。
しかも私が研究している太平洋戦争前後の歴史本には特に多い。
私もこの手の○○史観で書かれた本を読んでみるのですが、私には内容がほとんど理解出来ない。
ようやく気がついたのですが、この史観というものが『神の視点』の事だったのです。
要するに『共産主義の神様』、『皇国の神様』、『自由主義の神様』から見た視点で書かれています。

共産主義史観で見れば、
「明治から戦前に掛けての日本は天皇制に支配された暗い時代だった」、
(調べている限りそんなことは全然無いのですが・・・)

皇国史観で見れば、
「開戦前のアメリカは日本を落とし込める陰謀をもって日本に経済封鎖を掛けた」、
(単純に日本軍の仏印侵攻が向こうから見れば泥棒なんで、それで怒って経済封鎖したとしか見れないのですが・・・)

自由主義史観から見れば、
「大正期の労働運動は共産主義者に騙されたもの」、
(当時としては目新しい新・理論だった社会主義を試しているようにしか見れないのですが・・・)

と、こんな調子です。

それと○○史観の場合、やたらと陰謀論が好きです。
これは『神の視点』で全体を説明するには、どうしてもカバー仕切れない部分が出てくる。
このため、この部分を『陰謀』で説明しようとするようです。
例えば先の例での、「アメリカの経済制裁陰謀論」がそうですね。
もともと皇国史観は日本中心の史観なので、アメリカを見る部分は非常に弱い。
そこで陰謀論で説明するわけです。

さらにもう一つ、時間感覚を気にしないと言う特徴もあります。
例えば自由主義者は当たり前のように、20世紀前半の共産主義に染まった人達を悪く言います。
当時の人はその後の結果を知らなかったわけで、私から見ると染まるのも無理は無いな、と思えるのですが、
自由主義史観の人は自分は結果を知っていて、結果を知らなかった当時の人を批判します。
私から見るとそれは「じゃんけんの後出し」、反則技なんで、絶対にしてはいけないことなのですが、○○史観の人は何の疑問も無くこの手の事を行います。

あと皇国史観の人が太平洋戦争の原因をペリー来航に求めたり、基本的に起きた順番を全く気にしていない。

そしてB1タイプの人の考えでは、
「自分が信じている史観だけが歴史」なのであり、
B2・B31・B32タイプの人の考えでは、
「幾つもの史観が戦い遭い、最終的に生き残った史観が正式な歴史になる」というのが歴史の概念です。

なんじゃこりゃ?

私にはとても出来ない発想です。
歴史を研究している者としては理解不能の考えです。
だからこそ、この考え方の分析をしてみる必要があったのですが。

私の考えでは、
「歴史なんて物は、過去に起きたことを研究する事なので、当時の人が何を知って、何を知らなくて、どう考え、どう行動したか、が重要であり、
史実はすでに起きたことなので確実に答えは一つである」
なので、史観というものがあること自体が疑問なんですけど。

だいたいにおいて、
歴史を考えるのに当時の人の視点に立って考えようとしていない、
歴史的順番を無視して考える、
この時点で歴史を見るには役に立たないものだとしか思えないのですが。

私は学生時代からの根っからの理工系人間なので、科学技術と言うものが大好きなのですが、
科学とは〝現にそこにあるもの〟が、
「どういう物か?」
「どういう法則でできているか?」
の分析であり、
技術とはそれで見つけた法則の応用です。

例えば、16世紀の科学者コペルニクスは、惑星の動きを観測をして、その結果を論理的に詳細に分析することで、「地球は太陽の周りを回っている」と言う地動説に達する。
「太陽が地球の周りを回っている」とした天動説より、「地球も惑星の一つであり、太陽の周りを回っている」と考えた方が、観測結果をすっきりと説明出来たから。

そして17世紀にはいると、ケプラーが「ケプラーの法則」を導きだし、惑星の動きを数学的に完璧に説明する。

ガリレオは望遠鏡を用いての天文観測でさらに検証する。

この時期に何故、天文学が盛んだったというと、正確な暦を作るためと、遠洋航海をするのに必要だったからです。
陸地が見えない海原の中にいても、北極星の角度を観測すれば現在位置の緯度が分かり、何時にこの星がこの位置にあるかを観測すれば経度が分かる。
天文学は地図のない時代に、未知の大海に繰り出すための必需品。
この発達と共に、コロンブスに始まる大航海時代があり、欧州各国が世界に進出する帝国主義の時代につながります。
これが科学を応用した技術。

別に科学者たちが地動説を唱えたから地球が太陽の周りを回り始めた訳ではない。
それ以前から地球は太陽の周りを回っていた。
科学者たちのやったことは、その以前からあった現象を正確に解き明かしただけです。

そこで理工系人間の私としては「歴史」も当然、同様の物であり、すでに存在していた過去の事実を解き明かす、と言うか、掘り起こすことだとの認識があります。
事実、普通の歴史研究者もこちらの認識です。
そもそも対象物(歴史)は見る側の都合に関係なく存在していることは説明する必要も無いこと。

ところが私が専門としている日本近代史、特に太平洋戦争前後に関してのみ言えば、この○○史観で考えようとする人が余りにも多い。
しかもごく自然に何の疑問も抱かずに。

根本的に史観という物は、対象物(歴史)を見る場合に、見る側の視点と考え方、というか、見る側の信じている『神の視点』を、もっとも重要視する考え方です。
それでは目的と手段が逆転している。

そりゃ科学技術の分野にも視点はありますよ。
世の中には無数の物があり、無数の現象がありますから、その全てが見られる様な物ではない。
だから視点を持って一部分を選択して見て、こうなっているのではないかと仮説を考え、実験・観測・観察で確証を得る。

しかし、あくまでも視点は正解を求めるための手段であって目的ではない。
いくら画期的な視点で、苦労を重ねて作り上げた仮説であろうとも、現実と一致しなければ無意味な物である。

それに対して、この○○史観で歴史を考えようとする人たちは、自分が信じている『神の視点』が、より『絶対正義』に近い事という評価を得ることが目的となっている。
基本的に「分析」と「応用」の区別をあまりつけない考え方で、
評価(応用)をあげるためには「史実がどうであったか?」の追求(分析)など、多少は無視してもかまわないと考える。
やっぱり私には理解不能な考え方です。
理工系の世界では実験・テストの結果を誤魔化すのは問題外の事なんですが。

そこで疑問に思ったのが、
「そもそもこの『絶対正義』と言う考えはどのように発生、発達していった物なのか?」
と言う歴史です。
いやAタイプの宗教はかなり古くからありましたし、各国の正義もそれぞれにありました。
ただBタイプ『絶対正義』の考えは、
どうも近代になってから出来たようです。
しかも近現代史において、かなりの影響を与えている。

個人的にその考え方は兎に角、
『絶対正義』の歴史の方には興味がある、と言うより、近代史に与えた影響があまりにも大きいため、これを研究せずして近代史は理解しにくい。
そう言うわけで次にこの考えがどのように発生したか分析して見ることにします。

中井貴一/歳をとるということ

$
0
0

switchインタビュー 達人たち 「中井貴一×糸井重里」

年を取ることはいいことだ
中井貴一:
歳をとるっていうことは『臨床』の連続でしょ。
臨床例をずっと、これまでとってきて・・・
だから、僕20歳代の時に、50代の人にエラそうなこと言ってきてたと思うんだけど、今思うと恥ずかしいもんね。
あの人たちは、もうしっかり臨床例をとって、新薬を出してた。
だけど、僕らは臨床例も取らないで新薬を出そうとしてたわけで・・・
僕は男っていうのは、女性に男にされてきたと思うわけです。
だって、母親から生まれて、母親が男の子を教育するわけじゃないですか。
それは母親の理想像の男を作りたいから、だから母親は「男の子はないちゃダメよ」って・・・
そして母の言われたことを守ろうとする男の子は泣かないように努める。
そこで男の子は見栄を張るわけですよね。
つまり、見栄を張ることを男の子は女性から教えられるということになる。
そうすると、そういう見栄を張り続けていかなきゃいけないってことを女性に言われてるわけだから、女性の前では見栄を張らないといけない、っていうのが僕らの時代にはまだギリギリあった。
でも今の女性は自分の子供、男の子にあまりそういう教育はしなくなってるんじゃないかな。
見栄がなくなっていってる。
僕らは女の子の前で、気張っちゃいますよね(笑)。
そういうのがどっかにあるじゃないですか。
でも今の子は、お金出すときもワリカンとかになるわけでしょ。
僕の場合は、オヤジがすぐに亡くなってたんで、おふくろに教育されてきたんですけども、夜中に戸がガタンと言ったら、見てきて、と。
まだ小さい子供の時ですよ。一番怖いじゃないですか。
でも、男の子なんだから見てらっしゃい。
男が女を守るのは当たり前なんだから、あなたが見てらっしゃいって、言われて、僕は靴べらを持って外に見に行ったんですよ。
もしホントになにか居たら、何もできないのにね。
だから、そういう見栄とか意地を張るのは、僕の場合、女性の目線に育てられた、っていう気がするんですよ。
最近、僕は日本の国を見ててね、政治家含め、企業含め・・・
いい親分がいなくなったんじゃなくて、いい子分がいなくなったと思うんですよね。
だから、社会っていうのが、ピラミッドみたいなものであるならば、
親分が親分になりたい、って言うんでなるもんじゃなくて、子分が親分にするもんなんだ、っていう気がするんですよ。
あんたに親分になってほしいんだ、僕らが支えますから、っていうね。
その支える人たちが今、みんな自分が親分になりたいって思ってるわけでしょ。
そういう人が増えすぎて・・・あわよくば自分が、みたいな(笑)。
うちの父が、最優秀主演男優賞を取った時に、ブルーリボン賞だったのかな・・・その時のあいさつで、
「非常に嬉しいです、ありがとうございました。
私は次は最優秀助演男優賞を取れるように頑張りたいと思います」
と言ったそうなんですよ。
で、帰ってきて ウチのお袋が、
「何、キザなことを言ってるのよ。みんな主演男優賞取りたいって思ってるのに、助演男優賞取りたいだなんて、やらしいわよ」
って言ったらね、
「お前は何もわかってない。主演男優賞なんて立ってるだけで取れるもんなんだ。それは周りが取らせてくれるもんなんだ」と。
「助演男優賞は自分が動いて初めて取れるもんなんだ」って言ったっていうんだけど、ホントにそういうもんだと思いますよ。
立ち回りもそうですよ。
あれ、斬り手がうまいんじゃなくて、斬られ手がうまいんですから。
だから、一番大事なのは、周りを歩いてるエキストラなんですよ。
真ん中にいる二人の主役が多少オーバーな演技をしても、周りのエキストラたちがホントに隠し撮りしてるんじゃないか、ってくらい普通に歩いててくれると、全部が真実に見えるんですよ。
だから、いかに主軸でない人が大事か。
ホント人間って、成長する過程でいろんなものを経験して、いるもの、いらないもの、前に自分と今の自分との比較、それがすごく楽しいなって最近・・・

歳とった人が、最近よく涙もろくなった、っていうけど、そうじゃないんだと。
それ言っちゃダメだと。
経験値が上がったんだ、と言うべきだと。
想像力が増えたんだと。
それで色んなものの気持ちがわかるようになってきたんだと。
それが涙もろくなった原因なんだよ、人間は。
・・・っていうのが大切な気がして、そこに僕らの映画みたいなものが、行き着けたら いいな、って気がしますね。






Viewing all 2520 articles
Browse latest View live