セックス離れ 若い男性、性の「絶食化」 3000人調査
毎日新聞 2月5日(木)1枚目/2枚中セックスに「関心がない」「嫌悪している」合わせた回答者の割合若い男性の「セックス離れ」が進んでいることが、一般社団法人日本家族計画協会がまとめた「男女の生活と意識に関する調査」で分かった。夫婦の約半数がセックスレスという実態も判明。専門家は「男性は『草食化』どころか『絶食』傾向。若年層の労働環境の悪化など、社会背景も関係しているのではないか」と分析している。◇10代後半の3割超
調査は昨年9月、全国の16~49歳の男女3000人を対象に実施し、1134人(男519人、女615人)から有効回答を得た。2002年から隔年の調査で、7回目になる。今回、特に目を引いたのが、29歳以下の男性の性行動を巡る事情だ。性交経験率が5割を超える年齢は「29歳」で、08年の「23歳」、10、12年の「26歳」と比べて一気に高年齢化した。一方、女性は「28歳」で、過去の調査結果(24~27歳)より高かったが、男性ほどの変化はなかった。また、セックスについて、「あまり、まったく関心がない」と「嫌悪している」を合わせた男性の割合が18.3%で過去最高に。特に若年層ほど関心が低く、16~19歳で34.0%▽20~24歳で21.1%▽25~29歳で21.6%--となり、45~49歳(10.2%)も上回った。若い男性のこうした傾向は10年の調査で初めて明らかになった。以降、「無関心」または「嫌悪している」割合が年々高くなり、今回は08年に比べほぼ倍増した。「草食男子」だった10代が20代半ばになっても草食のままで、かつこうしたケースが珍しくなくなってきたのかもしれない。なお、女性の場合、08年に比べすべての年齢層でセックスへの無関心・嫌悪の傾向が広がった。◇学歴・収入負い目?
なぜ若い男性の草食化が進んでいるのか。調査を分析した医師の北村邦夫・同協会理事長によると、異性との関わりを面倒と感じたり、結婚に利点がないと考えたりしている男性に、その傾向が強かったという。「相手との関係を築くには相応の時間とお金と労力がかかる。セックスに至るまでのコミュニケーションを難しいと感じる男性が増えているのではないか」。北村さんはこう話したうえで、「一般的に男性は相手より優位に立ちたいと考えがちだ。学歴や収入面で同年代の女性に負い目を感じれば、結果的に関わりを避けるのかもしれない」と分析している。非正規で余裕なく
一方、夫婦の間で1カ月以上セックスのない、いわゆる「セックスレス」の割合は44.6%(男性36.2%、女性50.3%)で、年々増え続けている。セックスに消極的な理由は、男性では「仕事で疲れている」(21.3%)、「出産後何となく」(15.7%)、女性では「面倒くさい」(23.8%)、「仕事で疲れている」(17.8%)の順に多かった。「趣味など他にセックスより楽しいことがある」といった前向きな理由を選んだのは、男性4.5%、女性5.9%で少数派だった。北村さんによると、前回の調査では、1週間の労働時間が計49時間を超えるとセックスレスになる傾向が顕著だったという。また、総務省などによると、若年者(学生除く15~24歳)の3分の1、30~34歳の既婚男性の4分の1が非正規雇用に就いているというデータもある。「若年層を中心に非正規雇用が増え、精神的な余裕のなさも関係しているのではないか。男女ともにワーク・ライフ・バランスに配慮するなど労働環境の見直しが必要だ」と指摘する。◇ピル避妊使用、少なく
調査は、出産や中絶、避妊などについても聞いた。医学的な出産適齢期は35歳ごろまでとされているが、「最後の子どもを出産する理想年齢」を尋ねたところ、最も多かったのが「30~34歳」で男性34%、女性41%だった。しかし、「35~39歳」も男性25%、女性18%に上り、理想の年齢と適齢期の間にずれがあった。中絶経験率は、2002年は17%だったが、今回(14年)は13%と減少傾向だ。中絶の理由は「経済的余裕がない」(24%)、「相手と結婚していない」(23%)、「相手が出産に同意しない」(10%)などが続いた。中絶時の女性の気持ちは、胎児に申し訳ない46%▽自分を責めた15%などで、半数以上が否定的な感情だった。避妊している女性は、「コンドーム」の使用が86%で最多だった。認可から16年たつ低用量経口避妊薬(ピル)は5%で、認知度は02年67%、14年65%と横ばいだ。「使いたくない」は71%に上り、副作用が心配51%▽毎日飲むのが面倒9%などが理由だった。避妊に失敗した時、性交後72時間以内に緊急避妊ピルを飲んで妊娠を防ぐ「緊急避妊法」の認知度は、04年の21%から年々増え、今回は39%だった。また、日本では未認可だが、世界57カ国で承認されている「経口中絶薬」は、22%が「あれば使いたかった」と答えた。北村さんは「中絶手術より女性の体にダメージが少ない経口中絶薬の認可へ向け努力したい。また産婦人科医はピルの効果をきちんと説明し、性感染症はコンドーム、避妊はピルという意識を定着させなければならない」と話す。「恋愛に無関心」って本音?
毎日新聞 2015年02月04日 東京夕刊時まさにバレンタイン商戦花盛り。だが、今や男女を問わず、恋愛に消極的どころか、人を好きになったり、恋愛したりすることに関心がない若者が現れているらしい。5人に1人が「片思いすらしたことがない」との調査も。人を好きにならないって、ホントにあり得るのか。◇コスパが悪い
断っておくが、記者(男、39歳、既婚)は今も昔もモテない。だから訳知り顔で恋愛論を語ることなどおこがましいと自覚している。それでも、だ。結婚情報サービス大手「オーネット」が1月に公表した新成人600人を対象にした調査にはのけぞった。やっと20歳になる若者だから、交際経験が「ゼロ」が47・8%(男50%、女45・7%)というのは分かる。理解できないのは「片思いを含む恋愛経験」がゼロ、つまり人を好きになったことがない人が、19%(男16・7%、女21・3%)もいるという結果だ。しかも、2009年は16・3%で、増加傾向にあるようなのだ。顧みれば初恋は小学生のころ。以来、常にだれかしら女の子を好きになっては、フラれていた。だからハタチまでだれも好きにならない、というのはどうにも解せない。東京都内の百貨店でバレンタイン特設コーナーをのぞけば、甘いチョコレートの香りと女性客の熱気が渦をまく。「恋愛に関心ない」なんてウソでは、と思いきや「ハート形などラブラブ感あふれる本命チョコより、自分や友達、家族で楽しむ味わい重視のものが人気」(販売店員)という。恋愛に消極的な「草食系男子」という言葉を世に広めたマーケティングライター、牛窪(うしくぼ)恵さんが振り返る。「『草食系男子』の取材を始めたのは06年ごろですが、当時から『恋愛に関心がない』との20代女性も多かった。恋愛離れは男女共通の現象と言えます」牛窪さんは「実際『ゆとり世代』と呼ばれる27歳ぐらいまでの男女を中心に、結婚に至らない恋愛は無駄だ、と考える人が多い」と見る。彼らの親はおおむね1960年代生まれ。入社数年後にバブル崩壊、その後の不況に遭遇した。「ゆとり世代は、親からの教育も周囲の空気も『無駄なことをせず、効率的に』だった。だからとにかく先の見えないことやリスクを避ける意識が強い」と分析する。その結果、不確定な恋愛に時間やお金をかけるのは「コストパフォーマンス」(コスパ)が悪い、だから結婚に至らない恋愛はしたがらないし、恋愛意欲も弱い、という流れのようだ。実際、記者の知人でゆとり世代の少し上、29歳の会社員男性は、顔立ちも服装もシュッとしていてモテそうだが「カノジョ? いや、いたことないです」。中学・高校と男子校で、大学も会社も男が圧倒的に多い。「だから周囲に交際歴がない人が多いし、焦りもない。正直、風俗店には行きますが、恋愛はいらないし、好きになる女性もいないなあ。だって2年、3年と付き合って別れたりしたらすごく『損』じゃないですか」。結婚願望はあるから、いずれ「婚活」をする、という。◇自分にウソ
「『恋愛に関心がない』というのは本心か疑問です。僕は自分をだますウソだと思う」と指摘するのは早稲田大の森川友義教授。専門は政治学で、少子化対策の一環として恋愛行動の研究を始め、今や「恋愛学」の授業を開く。心理学に「認知的不協和」という考え方がある。達成したい目標があるのにできない。ストレスになる。この矛盾を埋めるために自分を正当化する言い訳を考える、というものだ。「好きな人がいる、交際したいという欲求はあるが、実現できない。だから『恋愛に興味がない、めんどくさい』と自分を納得させる言い訳をする。なくなったのは恋愛への関心ではなく、口説いて恋愛する能力、男女間のコミュニケーション能力と、恋愛にかける時間、金、労力です」背景には、近年のスマートフォンなど「便利で面白い機器の普及」があると見る。国の「出生動向基本調査」では、性交渉未経験率(18〜34歳、未婚者)は90年代から低下傾向だったが、05年に男性31・9%、女性36・3%で底を打ち、10年に男性で4ポイント以上も上昇した。「そうした機器に1日何時間もかじりついていれば、口説きの能力なんて磨かれないし、恋愛に必要な時間もお金も投資しなくなるのは当然。恋愛やセックスに関心がない人が増えている、とは思いません」と言い切る。◇虐待の痛みも
結局、恋愛に興味がない人は増えているのか。心の専門家に聞こうと精神科医の高橋和巳さんを訪ねた。「昔の男は酒席で『僕、お酒飲めません』とは言えなかったが、今は言える。それと同じです」とあっさり。つまり、昔から恋愛や異性にがつがつしない男女はいた。でも結婚するのが当然の社会では「興味ありません」なんて言い出せなかった。それが今や、恋愛にも仕事にもがつがつしない生き方が許され、口にもできる。だから「恋愛に興味がない」人が増えたように見えるというわけだ。「ただし」と高橋さんが真面目な顔で付け加える。「例えば仲むつまじいカップルを見てもうらやましさを全く感じない、あるいは、なぜうらやましいのか分からない、という人は要注意です。本人に認識がなくても、幼少時の虐待が強く疑われるからです」普通の親子関係ならば、子供は自然に他者に愛情を持てるようになる。しかし虐待を受けると、他者への「恐れ」だけがある。大人になっても人を好きになることがないし、恋愛とはどういう気持ちか、「片思い」がどういうものかも分からず、性欲すら湧かないというのだ。高橋さんは、クリニックでの治療経験などから「こうした虐待経験者は人口の5〜10%はいると考えています。90%の人にとっては恋愛への関心の濃淡の問題ですが、虐待経験者は恋愛そのものができない」と話し、虐待問題に詳しいカウンセラーを訪ねることを勧める。半年から2年ぐらいで、問題を乗り越えることが可能という。「いのち短し恋せよ乙女」とはいうものの、「だれもが恋愛に関心があって当然」というのはどうやら古い考えのようだ。
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近頃の男と女の事情
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まことの裁判員制度は、この「死刑破棄」から始まるだろう
裁判員の死刑判決、破棄確定へ…最高裁が初判断
読売新聞 2015年02月04日1審の裁判員裁判の死刑判決を破棄して無期懲役に改めた2審の量刑判断の是非が争われた二つの強盗殺人事件の上告審で、最高裁第2小法廷は3日付の決定で、2審の判断を支持し、被告、検察側の双方の上告を棄却した。被告2人の無期懲役が確定する。千葉勝美裁判長は「究極の刑罰である死刑の適用には慎重さと公平性が求められる。裁判員裁判でも、過去の裁判例で示された量刑判断を出発点に評議を行うべきだ」との初判断を示した。死刑の量刑判断を巡っては、最高裁が1983年に被害者数や殺害方法、前科などの9項目の基準(永山基準)を示しているが、裁判員裁判で死刑をどう判断すべきかの判例はなかった。2事件はいずれも殺害された被害者が1人で犯行の計画性もなく、決定は、前科や更生可能性の低さを過度に重視して死刑を選択することを戒めた。今後、裁判員らが死刑判決に慎重になる可能性がある。最高裁:裁判員「死刑」を破棄…2件の無期確定へ
毎日新聞 2015年02月04日裁判員裁判の死刑判決を2審が無期懲役に減刑したことの妥当性が争われた2件の強盗殺人事件の上告審で、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は3日付で、いずれも死刑を求めた検察側の上告を棄却する決定を出した。2審・東京高裁判決が確定する。小法廷は、2事件はいずれも被害者が1人で計画性も低いと指摘し、「先例の傾向から見ても、2審を覆さなければ著しく正義に反するとはいえない」と述べた。裁判員裁判の死刑判断の破棄が確定するのは初めて。死刑判断に当たり、過去の先例を重視する傾向が強まりそうだ。2件は、千葉県松戸市で2009年、女子大学4年生(当時21歳)を殺害して放火し、強盗殺人や現住建造物等放火罪などに問われた竪山(たてやま)辰美被告(53)と、妻子の殺人罪で20年服役した後の09年に東京・南青山で男性(当時74歳)を殺害したとして強盗殺人罪などに問われた伊能和夫被告(64)。竪山被告について1審・千葉地裁は、出所後3カ月で殺人の他に強盗強姦(ごうかん)も繰り返した点を重視し、「短期間で重大事件を複数起こし、被害者の対応によっては生命に危険が及んだ」と死刑を選択。しかし2審は「殺人以外の事件はいかに危険性を重視しても死刑の選択はあり得ず、生命を奪おうとしていない」と減刑した。伊能被告については1審・東京地裁が「過去に妻子の命を奪い、懲役に服しながら強盗目的で命を奪ったのは冷酷」としたが、2審は「2件の関連は薄く、前科を過度に重視するのは相当ではない」とした。小法廷は「死刑は究極の刑罰で、過去の裁判例の検討が不可欠。死刑の選択がやむを得ないという具体的で説得的な根拠を示す必要がある」と指摘。2件についていずれも「1審判決は、死刑選択はやむを得ないとする根拠を示しておらず、死刑を破棄した2審判決が不当とはいえない」と述べた。裁判官3人全員一致の意見。検察官出身の小貫芳信裁判官は審理を回避し、寺田逸郎長官は慣例で加わらなかった。三浦守・最高検公判部長の話 主張が認められなかったことは残念だが、最高裁の判断なので真摯(しんし)に受け止めたい。◇裁判員裁判◇
殺人や傷害致死、現住建造物等放火などの重大事件を対象に、原則6人の裁判員が3人の裁判官と有罪か無罪か判断し、有罪の場合は量刑を決める。意見がまとまらない場合は多数決となるが、少なくとも裁判官1人が賛成しなければ死刑判決は言い渡せない。裁判員裁判 初の死刑破棄確定へ…「市民参加」何のため
毎日新聞 2月4日死刑という究極の刑罰を前に、市民感覚と公平性のバランスをどう保つのか。死刑と無期懲役で1、2審の判断が分かれた2件の強盗殺人事件の裁判は、最高裁決定により死刑回避で決着した。死刑を選択した裁判員裁判の判決が否定されたことに、遺族は「何のための市民裁判か」と憤り、審理に当たった裁判員経験者は複雑な胸の内を明かした。やはり先例重視 遺族、強い憤り
「泣き叫ぶというよりも、涙が出ないくらい怒りを覚える」。2009年に千葉県松戸市で殺害された千葉大4年、荻野友花里さん(当時21歳)の母、美奈子さん(62)は声を震わせた。友花里さんは、自宅マンションに侵入してきた竪山辰美被告(53)に包丁で胸を刺され、亡くなった。裁判員裁判の千葉地裁は死刑。出所直後から強姦(ごうかん)事件などを繰り返したことが重視されたが、東京高裁で減刑され、最高裁も支持した。荻野さんは「娘は殺されて、裸にされて燃やされた。遺族には『公平』の言葉に意味はない」と怒気を込めて語り、「加害者は一人一人違い、被害者もいろいろなのに、結局、プロの裁判官に都合の良い言葉のまやかしではないか」と訴えた。一方、伊能和夫被告(64)の裁判の補充裁判員だった女性は「先例重視を理由に結論を変えられたことには納得がいかないが、死刑が確定してもショックを受けていたと思う。どこにも落としどころがない」と心情を吐露した。一方で「経験が無駄だったとは思わない。裁判員になったからこそ死刑制度を考えるようになったし、国民が裁判に関わる意義はある」とも語った。裁判員裁判の死刑判決は全国で22件。うち今回の2件を含む計3件が控訴審で無期懲役に減刑された。残り1件は長野市一家3人殺害事件の被告で、2審は共犯者に比べて「関与が限定的」と指摘。検察が上告を見送ったため死刑には覆らない。3件は東京高裁の同じ裁判長が担当した。解説…公平性重視、鮮明に
殺害された被害者が1人の事件で市民が加わった死刑判断の破棄を認めた最高裁決定は「先例の検討は裁判員裁判でも変わらない」と述べ、特に死刑判断の局面では過去の裁判例との公平性を重視すべきだとの姿勢を鮮明にした。司法研修所は2012年の研究報告で、被害者1人で死刑が確定したケースは、仮釈放中の無期懲役囚による例や、身代金目的の計画的事件などに限られており、「裁判員にも先例の理解が求められる」と指摘した。さらに最高裁は14年、裁判員裁判の判決が求刑を大きく超えたケースで「他の裁判との公平性が保たれなければならない」とし、先例と異なる量刑判断には「従来の傾向を前提とすべきでない事情が具体的に示されるべきだ」との判断を示した。今回の決定もこれを踏襲して「死刑とする根拠が見いだしがたい」とした。死刑選択という極めて重い市民の判断が覆される例が相次げば、制度の存在意義が揺らぐ懸念もあるが、裁判官出身の千葉勝美裁判長は「過去の例を共通認識として死刑か否かを判断すれば、健全な市民感覚が生かされる」と補足意見を述べた。先例を酌みつつ市民感覚を生かす努力が、プロの裁判官に一層求められる。裁判員の死刑判決破棄2件、無期確定へ 最高裁が支持
朝日新聞 2015年2月4日裁判員裁判による死刑判決を破棄し、無期懲役とした2件の高裁判決について、最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)は、高裁の判断を支持する結論を出した。「市民感覚」を反映するために導入された裁判員制度で導かれた量刑判断を、プロの裁判官だけの高裁が覆すことに議論があったが、最高裁は「死刑は究極の刑罰で、裁判結果は何人にも公平であるべきだ」と指摘。死刑については、先例から逸脱した判決は裁判員裁判の結論でも認められないとした。3日付の決定で、検察と被告双方の上告を退けた。裁判員裁判の死刑判決を覆した高裁判決が確定するのは初めて。2件とも無期懲役判決が確定する。2件は、東京都内のマンションで2009年、男性(当時74)を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われた伊能和夫被告(64)と、千葉県松戸市で同年、女子大生(当時21)を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われた竪山辰美被告(53)の裁判。いずれも東京高裁が一審の死刑判決を破棄した。最高裁はまず、死刑を適用する前提として「過去の裁判例を検討して得られた共通認識を、議論の出発点とすべきだ」と指摘。「これは裁判官のみで構成する裁判でも、裁判員裁判でも変わらない」と強調した。さらに、死刑を選択する際に考慮すべき要素として、動機や計画性、殺害方法、被害者数や前科などの項目を挙げ、「死刑が真にやむを得ないと認められるかどうかについて議論を深める必要がある」とした。そのうえで2件を検討。伊能被告については、一審は妻と子の2人を殺害した前科を重視して死刑判決を導いたが、「前科と起訴事件は関連が薄く、前科を過度に重視した一審判決は量刑が甚だ不当だ」とした。竪山被告については、殺害事件に計画性がないと指摘。さらに、事件の前後に複数の強盗強姦(ごうかん)事件などを起こしていたことを一審が死刑判断の根拠の一つにしたが、「これらの事件は人の命を奪おうとした犯行ではない」とし、死刑選択の理由にならないとした。裁判員裁判での死刑判決は昨年末までに22件。今回の決定の2件のほか、もう1件について、二審が死刑判決を破棄し、最高裁で審理が続いている。最高裁決定の骨子
・死刑の適用は慎重さと公平さが求められる。過去の裁判例をもとに検討した結果を共通認識として議論を始めなければならない。これは裁判官のみの裁判でも、裁判員裁判でも変わらない。・死刑が是認されるためには、死刑を選択した判断の具体的・説得的な根拠を示すことが必要だ。・控訴審は、一審の死刑判断が合理的なものかどうか審査すべきだ。・2事件は、死刑に処すべき具体的な根拠が見いだせず、死刑は認められない。
今後、この判決を受け、死刑判決が少なくなるという声があるが、逆だと思う。
人ひとりに、死を言い渡すプレッシャー、
どうせ、三審制でひっくり返してくれるなら感じずに済む。
ひっくり返らなくけも、それがプロの判断だと思うなら、負い目にならずに済むことだろう。
今回の判例は、
「素人裁判員よ、世間的に見て死刑が妥当と思うならどんどん、死刑を宣告せよ。
間違ってたら、こっちで正す」
感情優先に判決に逆の意味でお墨付きを与えた。
これまで世間一般が抱いてた裁判員としての責任感を麻痺させる、まことに有意義な(笑)、判決だった。
↑
これ、皮肉ね(念のため)。
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日本人人質事件/韓国世論、日本人家族に感嘆す
韓国世論「イスラム国」事件の日本人家族の態度に感嘆「何でも他人のせいの韓国とは大違い」
2015.02.06イスラム教過激派「イスラム国」が日本人2人を人質にし、日本政府に殺害すると脅迫した事件は韓国でも関心を集めた。韓国人少年がイスラム国に志願したとされ、ひとごとでなくなったこともある。だが、韓国人が目を見張ったのは、人質の1人が殺害されたとみられる画像が出た後の父親の対応だ。極限のなか、「迷惑をかけた」と謝罪し、政府の尽力に感謝する言葉に「見習うべきだ」との書き込みがインターネット上にあふれた。何でも他人や政府のせいにする韓国の風潮に反省を促す声も上がった。被害者の父の「謝罪と感謝」に衝撃
1月24日深夜、人質となった後藤健二さん(47)が、もう一人の人質、湯川遙菜さん(42)が殺害されたとみられる写真を持ち、「ハルナは殺された」と語る映像がインターネット上に流れた。翌25日、湯川さんの父、正一さん(74)が千葉市の自宅で報道各社の代表取材に応じた。正一さんがまず口にしたのは次の言葉だ。「今回の事件について、皆さまに大変ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ございません」。そしてこう続けた。「同時に、政府をはじめ、関係者に尽力いただき、ありがたいと深く感謝しています」終始、硬い表情を崩さず、時折、声を震わせながら、「冷静さを保つだけで手いっぱい。一人になったら耐えられない」とも語り、「嘘であれば」と息子との再会に望みを託した。それでも、その後、息子同様に殺害されたとみられる映像が流れた後藤さんについて「遙菜を心配し、命を懸けて現地に入り、拘束された。非常に心苦しい。早く解放され、日本に帰り、活動してもらいたい」と気遣っていた。「親として息子に十分な教育ができたのかということに責任を感じている。息子も、もう少し人生を生きて、皆さんに恩返ししたんだろうと思う」と悔しさもにじませた。このインタビューは韓国でも大きく報じられたが、ネットユーザーらの反応は、他の日本に関するニュースと大きく違った。父親の言葉に深く感じ入り、「日本の市民意識は本当にすごい。韓国人も見習うべきだ」という書き込みがあふれたのだ。ネットユーザーの一人は、父親に対し、「偉い方だ。心はどれだけ張り裂けそうか。胸が痛む。事件の一刻も早い解決を、手を合わせて祈ります」と記した。韓国の通信社、聯合ニュースのスマートホン版の記事へのコメントだけで4000件を優に超え、「認めざるを得ない先進国の市民意識だ」「日本は本当にすごい」といった書き込みが相次いだ。
「憎いけど、うらやましい国」ニッポン
《いつも感じることだが、日本人たちから学ぶ点は、見習わなければ。大事件に遭ったときも、冷静に落ち着いて対応し、自分より他人に配慮する人たちの姿を見るとき-列に並んで秩序を守る姿など。わが国は、大事件が起きれば、大騒ぎし、補償を求め、日本人の姿とは正反対だ》《日本人のこんな姿を目にするたび、わが国も感情的に判断する誤りを正さなければと思う。どんなに悲しい出来事でも、公私は分けなければいけないのに。われわれは、何か悪いことが起きれば、すぐに誰かに責任をなすり付ける傾向が多いから》こういった韓国の風潮と比較した内容が多い。湯川さんの父親の対応に感銘したと書き込んだ人が、日本びいきというわけではなく、「日本による恥辱の歴史は忘れることができないが、日本人に学ぶ点は多いようだ」といったコメントも目につく。《わが国では、何か事故が起きれば、国家のせいにする。(日本は)戦犯国家だけど、こういう成熟した国民性は見習う必要がある》《日本、憎いがうらやましい国だ。冷淡といえるほど、卓越した市民意識は本当にすごい》《日本は嫌いだ。しかし、こんな状況で理性を失わず、国民に迷惑をかけてすまないなんて言う日本人たちの配慮の心は、見習わなければいけない。わが国だったらどうしたか?泣き叫んで「国民を捨てた政府だ」と非難し、騒ぎ、デモし…》こうした「日本は嫌いだ」と断った上で、「認めざるを得ない」といった書き込みは少なくない。記事に対するコメント欄には、フェイスブックの「いいね」に当たる共感を表すアイコンがあり、日本人の対応を評価する一連の書き込みには、多くの人が「共感」にクリックした。書き込みまではしなくとも、多くのサイレントマジョリティーが支持したわけだ。一方、「韓国にひどいことをしておいて1人や2人のことで騒ぐな」といった心ないコメントもあったが、すぐに反論や非難が書き込まれ、感銘や評価の渦の中にかき消された。震災でも「申し訳ない」…「迷惑かけない文化」
東日本大震災発生時にも韓国で、秩序だって行動する日本人や家族を失っても他人への配慮を忘れない被災者の姿が驚きを持って受けとめられた。湯川さんの父親の記事へのコメントでも「津波で家族をうしなったおじいさんも『国民に心配をかけ、申し訳ない』と言っていた…。これはわれわれと日本の国民性の違いのようだ」と指摘する人もいた。人質の父親の対応について、韓国最大手紙、朝鮮日報(電子版)は「日本人の『迷惑かけない』文化」と題した東京特派員を経験した論説委員のコラムを掲載した。コラムは、小学生のころから「他人に迷惑をかけてはいけない」ことを教えられる日本の状況を紹介。震災時の被災者だけでなく、2009年11月に日本人10人が犠牲になった釜山の射撃場火災でも、遺族が「申し訳ない」と口にしたことに触れ、「悲しみで泣き叫ぶことは、周囲に迷惑をかけることなので、彼ら(日本人)は、自らの悲しみを心のうちに押し込める」と解説した。その上で、「ことあるごとに他人を攻撃することに慣れているわれわれにとって、『迷惑うんぬん』と言いながら、頭を下げる日本人の姿には、相変わらず驚かされる」と記した。イスラム国をめぐっては、17歳の韓国人少年がシリアとの国境付近のトルコ南部で1月10日から行方不明になった。少年はネット上でイスラム国関係者とみられる人物と接触し、「新しい人生を送りたい」などとイスラム国入りを志願する書き込みをしていたことから、警察当局は、イスラム国の支配地域に入った可能性が高いとみている。こうした“事件”があっただけに、韓国でもイスラム国に関するニュースへの注目は高く、日本人殺害脅迫事件についても「韓国も無関係ではいられない」といったメディアの論調が目立つ。セウォル号での「疲弊」が引きつけた関心
だが、湯川さんの父親の態度が韓国人の心をとらえたのは、イスラム国への関心からだけではなさそうだ。《韓国では、大統領や首相、長官の責任だと悪口を言い、ビンタ(バッシング)し、特別法をつくり、ハンガーストライキし、大騒ぎするのに。迷惑を掛けて申し訳ないというあの国民性。あの精神のために日本はおそろしい国なんだ》この書き込みは、高校生ら300人以上が犠牲になった旅客船セウォル号沈没事故をめぐる国民の動きと、惨事における日本人の態度を比較したものだ。セウォル号事故では、遺族の支持者を名乗る政治団体が朴槿恵(パク・クネ)大統領や首相、関係省庁トップの責任を追及。ハンガーストライキによる抗議デモも起きた。事故を受けた特別法制定をめぐって国論を二分し、国会も空転した。《韓国では、よくないことは全て他人のせい、政府のせいのするのに…。セウォル号事故は、船長の責任なのに、青瓦台(大統領府)に行って狼藉(ろうぜき)を働いたり、大統領の弾劾をわめいたり、代行運転手に暴行したりし、遺族にも失望させられたが》こんな書き込みもあった。「代行運転手に暴行」は、酒に酔った遺族団体幹部や野党議員が「俺たちが誰か知っているのか」と「遺族」をかさに着た横柄な態度を取り、運転手を暴行したとされる事件を指す。こういった状況から、韓国社会を一種の「倦怠(けんたい)感」が覆っていただけに、事件や事故の渦中に置かれた日本人の態度のあまりの違いに衝撃を受けたのだろう。書き込みは「韓国が先進国になれない理由はそこだ。自分自身を顧みなければ」と続け、拘束された後藤さんに対し、「無事に祖国に戻れることを祈る」と結んだ。「息が詰まるほど誠実」な人々
湯川さんの父親の言葉は、歴史問題などで韓国で常に批判の的にされる安倍晋三政権に対する評価も引き出した。《韓国人がどう考えようと、国民から信頼される日本政府の姿と日本国民の成熟した市民意識が垣間見えた。どこぞの国では、水を掛け、「首相を辞めろ」とわめくだろう》自分の息子の生死がかかった事件でも、政府を信頼できる日本社会の「成熟」がうらやましいというのだ。父親の態度に加え、イスラム国による殺害脅迫事件に対する安倍政権の対応について、日本の世論調査で60%前後の人が「評価する」と答えたことを取り上げた書き込みもあった。《ああ、韓国とは全然、違う! 心が切り裂かれるはずなのに。日本国民の60%以上が安倍政権の対応が適切だとしたことをみると、韓国と違う!韓国なら政府をなじるはずなのに…。日本や日本人は嫌いだが、これは見習う点だろう》日本に暮らし日々、日本人と接しているという韓国人は、記事への書き込みで、日本人のこうした態度は決して“建前”からではなく、心の底から出た言葉だと強調した。「大部分の人たちは、こんな状況でも、心から申し訳なく感じ、たとえ、助け出せなくとも誰も恨まない。日本の大部分の人たちが、こんな事件が起きても、誰も恨まず、諦観し、受け入れ、周囲に申し訳ないと言う」そして、「一部の悪い人たちのせいで、日本全体を悪く言ったり、死んでよかった」としたりする一部の声を「そうじゃない」と制した上で、こう締めくくった。「ここ(日本)の平凡な市民たちは、本当に息が詰まるほど、誠実に暮らしている」
それだから、拉致された人々に対する思いが鈍感のかもしれない、ということも言えるし、
どの国よりも平和を愛す、お国柄であるとも言える。
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テロ非難決議棄権/あえてタロウに味方する
山本太郎氏「提案反映されなかった」採決退席の理由をブログで説明
スポーツ報知 2月6日(金)邦人人質事件のテロ非難決議を「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎共同代表(40)が退席した問題で、同代表は6日、ブログを更新し、退席理由を説明した。山本氏は、非難決議に3つの修正を提案したが、反映されなかったことが退席理由だったと説明。その上で、政府対応について「人質の存在を知りながら総選挙まで行った」と批判した。安倍晋三首相(60)の中東訪問を「人質の生命が危険な状態に置かれる事を鑑みることなく行われた」と断定し、検証が必要とした。また、2003年のイラク戦争についても「『(イラクに)大量破壊兵器がある』と決めつけ、『大量破壊兵器が見つからなかった』国を破壊し、放置した」とし、「生み出されたイスラム国や地域の混乱に関してイラク戦争から総括する必要があるのではないか」などと持論を展開した。修正内容については、〈1〉事件の検証(イラク戦争の総括を含む)〈2〉特定の国名の明記を避けた関係各国への謝辞〈3〉英訳文を同時に用意する―としている。生活の谷亮子議員、主濱了議員が賛成したため、党の内部分裂を問う声も挙がっているが「小沢一郎代表はじめ会派の方々とは十分協議して決めたこと」と問題なしを強調した
はじめこのニュース(『ロウ、テロ非難決議棄権』)を聞いたとき、
「また このパフォーマンスバカの勘違い野郎が、」
って思った。
天皇陛下に直に手紙を渡してからというもの、コイツのやることには何かとイラッとなることが多かった。
だが、元々は、
原発を国民の思いとカンケーなく、「ともかく再稼働」を目指す体制に対し、あがき、業界から干された太郎がドンキホーテに被り、応援してた、
というのを思い出した。
(政治家になってからの浮かれようを見て、その気持ちは失せてたが…)
太郎の出した3カ条、
問答無用に否定されるようなことか?
一年生議員が何を言う、タレント議員は黙ってろ!
そういう態度に、
大阪の橋下が政治家になった時の既存議員の反応と同じものを感じた。
太郎と橋下を同じにしてるんじゃない。
何も仕事をしてないくせに 先輩風吹かして、
自分になびかないなら排除する、という、
上からの、なんの生産にも繋がらない、
そういう既得権パラサイト政治屋どもの態度と同じに見えた。
だからこの一件、山本太郎もサイテーだが、
アンチ・マジョリティに、あえてタロウを味方したい。
以下、関連記事
山本太郎氏のテロ非難決議棄権 民主・榛葉氏「決議の意味、分かっているのか?」 連携見直しも…
産経新聞 2月6日(金)「生活の党と山本太郎となかまたち」代表の山本太郎参院議員が参院本会議でのテロ非難決議を棄権したことについて、民主党の榛葉賀津也参院国対委員長は6日の記者会見で「大変残念だ。決議の意味が分かっているのか」と激しく批判した。榛葉氏は本会議後に生活から決議案の発議者の一人に名を連ねた主濱了参院議員と面会。会見では「これからは生活と連携が取りづらくなる」と述べた。榛葉氏は「わが国が結束してテロを許さないという意思を示し、テロに強く抗議するのが趣旨だ」と決議の意義を強調。その上で、山本氏が採決直前に退席したことについて「わざわざ目立つ形で退席した。理解できない。間違ったメッセージが送られなければいいなと懸念している」と述べた。決議は、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が日本人2人を殺害したとみられる事件への抗議と、中東諸国への人道支援拡充やテロ対策の強化などを政府に求める内容。全会一致で採択されたが、参院に3議員が所属する生活は、代表の山本氏が棄権し、主濱氏と谷亮子参院議員は賛成した。「山本太郎」読みたくない? テロ非難決議で会派読み上げ省略
産経新聞 2月5日「山本太郎」とは呼びたくない?-。イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が日本人2人を殺害したとされる事件を受け、テロを非難する国会決議を全会一致で採択した5日の衆院本会議。提案者となった全会派を代表して登壇した林幹雄議院運営委員長が、慣例となっている提出会派の読み上げを省略し、「提出者を代表いたしまして」と名乗る一幕があった。実は直前の議運理事会で、提出会派に加わった「生活の党と山本太郎となかまたち」を念頭に、与野党が「個人名を読み上げるのは問題だ」との認識で一致していた。議員の間では「衆院なのに参院議員の山本氏の名前が出るのは違和感がある」(自民党中堅議員)などの声もある。議運理事会では今後の課題として、協議を続けることになった。
どっちもどっちに低レベルな争いであることは、間違いない。
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15年タイガースの胎動/金田和之
虎15年対外試合“開幕投手”は金田が濃厚
日刊スポーツ 2月7日さあ、開幕ローテ争い本格化だ! 阪神3年目の金田和之投手(24)がチーム15年初実戦となる11日の練習試合・日本ハム戦(名護)に先発することが6日、濃厚となった。フリ-打撃に登板した4日には江夏豊臨時コーチ(66=野球解説者)に強気の投球を絶賛され“開幕投手”をゲット。まずは先発5、6番手争いで1歩リードした。金田が力ずくで“開幕投手”の座を奪い取った。球団関係者の話を総合すれば、15年初実戦となる11日の練習試合・日本ハム戦に先発する方向だ。開幕ローテ入りに向け、絶好の位置取りからスタートを切る。“開幕投手”は例年、飛躍を期待される若虎の指名が多い。先発5、6番手を激しく争う秋山、岩貞らの中から納得の選出だ。《サルメラ:秋山はもうアテにしない、バッターになればいい(笑)。岩貞は、優勝するためには中継ぎのほうがいいと思う。》4日のフリー打撃初登板では西田相手に36球を投げ、安打性の当たりはわずかに4本。10球目までフェアゾーンに飛ばさない圧倒的な内容だった。江夏臨時コーチからも「投手の本能的に打たれたくないもの。今日見て、そういう気持ちで投げていたのは金田が典型的」と絶賛され、首脳陣も評価。11日の日本ハム戦は大谷が野手で出場すれば注目度もさらに高まる。そこでゼロ封を決めれば、開幕ローテ入りへの視界が一気に開けてくる。昨季は中継ぎ、谷間の先発要員として投手陣を支え、40試合登板で5勝1敗、防御率3・61。すでに今季の先発挑戦が決まっている。年明けからは呉昇桓とのグアム合同自主トレで体を鍛え抜き、オフだけで約3キロ増の体重86キロまで持っていった。先発として緩急をつけるため、カーブの本格習得にも着手。ここまでは順調に階段を上っている。今キャンプ第1クール中にはキャッチボールの際、江夏臨時コーチからアドバイスをもらった。「キャッチボールからスピンの利いた球を投げられるように」「フォームが速いから、ゆっくり体を大きく使ってやってみては」。金言を頭に入れながら、進化のスピードを速めている。この日はブルペンで丁寧に1球1球を投げ込んだ。今クール中のシート打撃登板でよほどの大崩れがない限りは、そのまま“開幕投手”に向かう流れ。3年目右腕に大チャンスが訪れる。江夏臨時C太鼓判!金田開幕ローテや
サンスポ 2015年2月5日「阪神春季キャンプ」(4日、宜野座)阪神・江夏豊臨時コーチ(66)が、打撃投手に登板した金田和之投手(24)の投手としての基本となる本能的な部分に太鼓判を押した。ケージ裏から投球を見つめ、打者に打たせたくないという気迫の部分を、かつての自身と重ね合わせて高く評価。今季は先発でスタートする「江夏2世」に大きな期待を寄せた。今の時期は、打たれた、打たれなかったという結果じゃない。キャンプ4日目、投手陣の初の打撃投手登板。江夏臨時コーチが求めたのは、打たれたくないという投手の本能的な部分だ。ケージ裏から見つめ、強く伝わってきた気迫の持ち主は金田のものだった。「今日を見て、そういう気持ちで投げてるのは金田なんか典型的だよね。本能むき出しで放ってたよね。他のピッチャーは結構優しくて、野手の練習台になっていた感じがあったけど。やっぱりピッチャーは野手のお手伝いをしたくないもん」この日は9人が登板した中、金田は8番目にマウンドに上がった。西田に対し、26球を投じて安打性の当たりが4本という結果に。登板後に、ケージ裏で掛けた言葉について「『どうでしたか?』と言うから、『別に悪くないよ』と」と振り返ったが、うれしかったのは金田が見せてくれた本能。何より自分自身がそうだった。「自分も現役時代にそういうことをやったけど、3本いい当たりをされるとカチーンとくるよ。この野郎と。だから意識して(ボールを)落としたり、バットを折らせにいって、折るたびにニコニコ笑ったりね。それがピッチャーの本能」この日の金田はバットを折ったわけではない。ただ、負けん気がボールに伝わるところに、自身の若かりしころを重ね合わせた。不思議な縁で、江夏臨時コーチは大阪学院大高校出身で、金田は大阪学院大の出身。高校と大学の違いはあっても、先輩と後輩の関係だ。「(起用は)首脳陣が決めることでとやかく言えることじゃない。ただ個人的には後輩ということで、頑張ってもらいたい気持ちは大いに持っている」今季の金田は昨年の中継ぎとは違って先発でスタート。ローテの5、6番手を狙う立場だが、江夏臨時コーチが「(金田の良さは)順応性だよ」と評するように先発転向も不安視していない。「江夏2世」への期待が膨らんだ、第1クール最終日となった。
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『平安神宮』を検索して、
個人的には、右翼にも左翼にも与しない、そういうスタンスでいたいとは思うけれど、どうしても日本人だから、日本びいきになる。
だから、理不尽な生国の悪口雑言を聞けば頭にも来る。
それは当然の話で健全なことだと思う。
日本人なんだから。
だけど、日本人なのに、意図的に日本を卑下し、場面によっては国益さえ損なう輩がいる。
なぜか?
きっと、カネ貰ってるとか、おいしいことがあったり、そうでないなら、洗脳されてるんだろう。
そう思ってた…
いや、そういう人間もいるんだろう、きっと。
だけど、皆が皆そうでもない、ということがなんとなくわかってきた。
例えば、ウィキペディア『平安神宮』を検索して、思うことがあった。
【平安神宮】1976年(昭和51年)1月6日、火災(平安神宮放火事件)が発生し本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失した。ただし、外拝殿である大極殿は延焼をまぬがれている。創建が比較的新しかったことから、当時はこれらの建物は文化財指定を受けていなかったため、再建のための国からの補助金が見込めなかった。しかし、全国からの募金により、本殿や内拝殿は3年後に再建された。この火災は、後に日本の新左翼活動家加藤三郎の犯行と判明した【加藤三郎 (新左翼)】加藤 三郎(かとう さぶろう、1948年7月25日 - )は、日本の新左翼の元活動家で、神社本庁爆破事件など数多くの反日武装闘争という名の爆弾テロを実行した。指名手配中にインドの神秘家のバグワン・シュリ・ラジニーシに弟子入りしたことから「スワミ・プレム・デパム」の宗教名もある。1948年7月25日、岐阜県武儀郡神渕村(現・加茂郡七宗町)で天理教の教会を営む両親の三男として生まれる。幼少時より天理教の陽気ぐらしの教義に親しみ、弱者のために生きていく価値観を育む一方、兄が成績優秀であったため、兄に対するある種の劣等感を持ちながら成長していった。1964年、岐阜県立加茂高等学校に入学すると、「生きることの意義」を見い出すために文学に傾倒していった。高校3年生の時、小田実のベ平連参加を呼びかける檄文に触れ、「名古屋ベ平連」に参加することになった。高校卒業後は、土工のアルバイトをする中で、多くの在日韓国・朝鮮人と知り合い、日本の民族問題に関心を持つきっかけとなった。1970年頃から、朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』や、太田龍の『辺境最深部に向かって退却せよ』を読んだことで、「日本帝国主義の悪行」を知り、「犯罪民族・日本人」の「罪深さ」を痛感し、過激な反日思想を培っていった。1974年8月30日、三菱重工爆破事件(連続企業爆破事件の最初の事件)が起きると、加藤は事件を起こした東アジア反日武装戦線の刊行物『腹腹時計』を読み、彼らの反日闘争に強い影響を受けた。やがて加藤は「武装闘争」という名のテロ行為に手を染めることになる。手始めに、坂上田村麻呂の墓や明治天皇関連施設にペンキで落書き(加藤の表現によれば「ペンキゲリラ闘争」)をすることにした。坂上田村麻呂は「桓武期の蝦夷侵略軍の総大将」、明治天皇は「アイヌモシリを侵略した天皇」というのが攻撃の理由であった。1975年5月に決行し、新聞社にも犯行声明の電話をかけたが、報道されることはなかった。続いて、1976年1月6日には平安神宮放火事件も起こしたが、この事件もほとんど報道されなかった。加藤は「反天皇制闘争」を黙殺して葬り去ろうとする「天皇制日本国家の陰謀」と思い込み、ますます敵対意識を強めることになった。そして爆弾テロを起こすに至った。加藤が起こした爆弾テロ事件は以下の通りである。様々な組織名があるが、全て加藤の単独犯行である。1976年1月6日 - 平安神宮放火事件
1977年1月1日 - 梨木神社爆破事件(組織名:「闇の土蜘蛛」「浮穴媛のこどもたち」)
1977年2月21日 - 東急観光爆破事件
1977年5月2日 - 東大法文1号館爆破事件(組織名:「世界革命戦線・大地の豚」)
1977年6月30日 - 三井アルミ社長宅爆破事件(組織名:「世界革命反日戦線・タスマニア1876」)
1977年10月27日 - 神社本庁爆破事件(組織名:「世界革命反日戦線・大地の豚」)
1977年11月2日 - 東本願寺爆破事件(組織名:「世界赤軍日本人部隊・闇の土蜘蛛」)1978年の正月三箇日に明治神宮で糞尿を飛び散らせる「黄金爆弾」の製造に取り掛かっていたが、1978年1月1日に潜伏先のアパートで誤爆してしまった。糞尿を飛び散らせることを目的とした爆弾であったため威力が小さく、軽傷ですんだが、自身は糞尿まみれとなってしまい、彼の心の方は深い傷を負った。この誤爆事件以降、爆弾闘争は止め、ひたすら各地を転々とする逃亡生活をおくった。逃亡生活中、以前愛読していたライヒの著書を再読していくうちに、「反日思想」からの離脱を自覚するに至った。そして、ある書店で『生命の歓喜―バグワン・シュリ・ラジネーシとの対話 ダルシャン日誌』という本が目に入った。この本はインドの神秘家ラジニーシが弟子や訪問者の質問に回答していく宗教書であった。加藤はラジニーシ思想に感化され、遂にラジニーシのサニヤシン(弟子)になることを決意し、「スワミ・プレム・デパム」の宗教名をもらうことになった。1983年5月、加藤は逮捕された。逮捕時はラジニーシのペンダントを身に付け合掌するなど、「修行僧」のような身振りをしていたことが話題となった。加藤は現住建造物等放火罪等の罪状で起訴された。加藤と弁護人は、平安神宮の放火箇所は「非現住建造物」であり、殺人罪並の量刑である現住建造物等放火罪の適用は不当と主張したが、裁判所はこれを認めず、一・二審とも懲役18年の判決が下った。1989年7月、最高裁は上告を棄却し刑が確定した。2002年12月に釈放され、現在は岐阜県内で自給自足の生活を送っている。
この加藤なんか、過激左翼だけど、典型的な日本人。
何が、というと、自分のことより、かわいそうな人に感情移入しすぎる癖。
悪いことをして、素直に悪かったと思う心を持ってる。
これ、白人至上主義では、絶対こういう左翼は現れない、って気がする。
厄介な隣国を利しようと意図する連中はともかく、
『美味しんぼ』の作者とか、『TVタックル』で名をあげた田島女史とか、
本気で日本が悪いことしたと思ってる。
いや、思ってるっていうか、実際そうだったんだろう。
そら、戦争だったんだから、どんなことだってある。
それでも、
こういうことを比較するのは卑しいとは思うが、
白人が有色人種にしてきたことに比べたとき、「どうなんだ?」 と、
つい言いたくなる。
実際、日本から被害を受けた中国や韓国が、(まあかの国たちも、チベットやベトナムで似たことしてるとは言え、)日本に噛み付くのはやむを得ないと思う。
それが、当時の常識だったと当事国に開き直るのは傲慢というものだ。
だが、原爆落としたりとか、黒人奴隷の代表国・アメリカに、慰安婦像が建つというのは、どういう了見だ(笑)。
ともかく、
右とか左とかで くくるのは、いまや虚しい。
この国の場合、左の人の主張にだって、どこまでも日本人を感じる。
「アイム・ソーリー・ルール」に過激に傾きすぎた、という話だ。
同じ日本人として、恥ずかしい過去をなんとか償いたいという気持ちが強いんだろう。
だが、その愚直な優しいさを持ち得れたのも、
結局、行き着くところ、天皇陛下の国で生まれたからこそ。
(他のどの国で生まれれば、そこまで自分の国を卑下できる?)
だが、
その優しさも度をこせば、
日本の常識など通じない、卑しく貪婪な隣国に蝕まれる元になることを、
一考してほしい。
勉強不足で、加藤某のこと、偶然見つけただけでそんなに知ってるわけでないし、誰かの命を奪ってるなら、論外だけど…
動機において、
個人的には、先述(ウィキペディア)の加藤の方が、ヘイトスピーチする連中より、よほど日本人だと感じる。
安直に言えば、
加藤某は止むにやまれぬ正義感、
ヘイトスピーチは、反吐が出るよな弱い者いじめ。
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「『和の心』は日本の伝統ではない」に一言
「和の心」は日本の伝統ではない
池田信夫のブログ 2015年02月02日今週のメルマガにも書いたが、「イスラム国も悪いが安倍首相も悪い」という人が多いのには驚いた。代表的なのは、朝日新聞社のウェブサイトに出た小林正弥氏の「人質事件、首相は『和』の心を取り戻して発信せよ」という記事だ。彼は《もともと日本は、聖徳太子が17条の憲法で『和を以て貴しとなす』と定めたとされているように、国号を『大和の国』としており、『和』の心を文化的に大事にしてきた。[…]戦後日本は再び『和』の心を取り戻し、平和憲法のもとで、平和主義を貫き、海外の戦争には軍事的に加わらない方針を貫いてきた》という。これがサンデルの訳者で、政治思想史の専門家を自称しているのだから、丸山眞男も嘆くだろう。彼はこうした「和の心」こそ儒教の残した負の遺産だと論じたからだ。彼や山本七平が高く評価したのは貞永式目のコモンローだったが、本書はその後の武家法の変遷を追い、喧嘩両成敗という日本独特の規範が成立する過程を描いている。貞永式目は鎌倉幕府の中だけのルールで、各地の大名はそれぞれの分国法をもっていた。そのルールは多様だが、初期に重視されたのは、古来からあった自力救済の慣行をやめさせることだった。これは世界中どこにもある「やられたらやり返す」という復讐で、これを放置すると際限なく「親の敵討ち」が続き、最悪の場合は戦争に発展する。そこでいろいろな紛争解決手段が試みられたが、その一つが本人切腹制である。これは殺人が家と家の紛争に発展しないように、加害者本人だけを切腹に処すことで収拾しようというものだった。これは被害者の応報感情に応じつつ、加害者一族の反発にも配慮して、本人だけが腹を切る刑罰だった。ここで重要なのは、切腹するのは本人だけで彼の家は責任を負わない個人主義である。しかしこのように個人レベルで紛争が終わることは少なく、家と家との争いになることが多かった。そのとき採用されたのが、故戦防戦法と呼ばれるルールで、戦争を仕掛けた「故戦」の側を重く罰し、防戦した側を軽い刑にするものだ。これに対して、どっちが仕掛けたかを問わないで、両方を罰するのが喧嘩両成敗法である。これはすべての紛争をなぁなぁですませるルールではなく、次の2つの原則である(今川家の例)。喧嘩した者は理非を論ぜず、両方とも死罪。攻撃されても応戦しなかった負傷者は勝訴。このルールのもとでは、被害者は裁判に訴えるインセンティブをもつ。攻撃されたら、応戦しないで裁判に持ち込むことが有利になるからだ。故戦防戦法では応戦することが合理的だが、喧嘩両成敗法では、反撃しないで裁判に持ち込めば100%勝てる。このように人々が複数のルールの中から喧嘩両成敗を選択した結果、これが紛争を最小化するルールとして定着した。ただ、これはかなり乱暴なルールなので、公式に制定した藩は少ない。裁判が社会的に定着すれば、それを選択させるインセンティブは必要ないので、江戸幕府も喧嘩両成敗を公式には制定しなかった。しかし暗黙のルールとしては、喧嘩両成敗は多くの訴訟に適用された。その代表が忠臣蔵である。そもそも浅野内匠頭に切腹を命じたのは幕府による裁判なのだから、敵討ちは成立しない。討ち入りするなら江戸城にすべきだが、なぜか赤穂浪士は吉良家に討ち入りし、吉良家もお家断絶になってしまう。これは単純な喧嘩両成敗ではなく、幕府の法秩序を守るために復讐を厳罰に処す法治主義である。このように日本の歴史の中でも、自力救済による復讐というホッブズ的な自然状態が圧倒的に長かったのであり、「和の心」などというものは、新憲法ができたあとの平和ボケの錯覚にすぎない。
個人的には「ゆえに、安倍首相が悪い」というロジックには与しない。
だが、だからといって「和の心が、新憲法ができたあとの平和ボケ」という意見にも与しない。
日本は天皇中心の「家社会」であり、和の心はそういうところからのものだと思う。
江戸時代に練り上げられたものであれ、明治維新以降に先鋭化したものであれ、新憲法以降にできた情緒的なものであれ、それを「平和ボケ」の産物と見る人とは一線を画したい。
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東京書籍の教科書にあるサブリミナル 7/世界最強の日本語表記システム
かな文字と平安朝文学の独創性
2014/11/30渡部昇一氏は『源氏物語』について、次のように書いている。__________
言うまでもないことだが、『源氏物語』は1001年ごろに書かれた世界最古の小説、しかも女性の手によるものである。イタリアのボッカチオが書いた『デカメロン』(1348)、フランスのラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』(1532)、スペインのセルバンテス『ドン・キホーテ』(1605)などと比較しても、3百年から6百年早いのである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄単に最古というだけではない。__________
アメリカの代表的な日本学者であるドナルド・キーン氏は平安朝を「世界史上最高の文明」と言い、当時は20世紀の傑作であるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』と並ぶ世界の二大小説という評価もあった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄『源氏物語』だけではない。__________
清少納言の『枕草子』は女性の書いたエッセイとしてはやはり世界最古のものであろうし、(中略)そのほか、『伊勢物語』をはじめ、物語の類は数多くあるし、紫式部も和泉式部も日記を残している。女性の日記文学というのも、やはり日本の平安朝が最初であろう。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄今から千年ほども昔に、世界でも最古の小説や、物語、日記文学が続々と、しかも女性の手によって生み出された。世界文明史上の一大事件である。これを東京書籍版の中学歴史教科書は「国風文化」と題した節で、こう説明している。__________
平安時代半ばの貴族たちは、唐風の文化をふまえながらも、日本の風土や生活、日本人の感情に合った文化を生み出していきました。これを国風文化といい、摂関政治のころに最も栄えました。漢字を変形して、日本語の発音を表せるようにくふうしたかな文字ができ、これを用いて人々の感情を書きあらわせるようになりました。このため、紀貫之らが編集した「古今和歌集」や紫式部の「源氏物語」、清少納言の随筆「枕草子」など、優れた文学作品が生まれました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「優れた文学作品」は、どこにでも転がっている。『源氏物語』がどのように優れているのか、その特徴を語らなければ意味はない。渡部昇一氏の鮮やかな一文と比べれば、その無内容ぶりが良く分かる。この節の横には源氏物語絵巻の絵が掲載されており、少しは『源氏物語』の素晴らしさを紹介するのかと思うと、「この絵のように、日本の自然や風俗をえがいた絵は大和絵と呼ばれ、日本画のもとになりました」という、これまた無味乾燥な解説しかない。そのくせ「唐風の文化をふまえながらも」などと、いつもながら中国文明の先進ぶりを引き合いに出す。しかも具体的な意味内容は不明のままだ。ことさらに中国・朝鮮文明を持ち上げ、日本文明の優れた点については頬被りする。そうした偏向ぶりが、この短い一節にも窺われる。
◆これに対して、自由社版はどうか。同じく「国風文化」と題した一節で、遣唐使廃止後に「優美で繊細な貴族文化が発達するようになった」と述べ、建築では寝殿造り、衣服では十二単(じゅうにひとえ)、絵画では大和絵に言及した後、次のように語る。__________
とりわけ重要なのは、かな文字の発達である。特に平がなは貴族の女性の間に広まり、かなを用いた文学が生まれた。清少納言はするどい観察力で宮廷生活をつづった随筆『枕草子』を、紫式部は世界最古の長編小説『源氏物語』を書いた。これほど古い時代に、女性が文学のにない手として登場するのは世界でも例がない。和歌では醍醐天皇の命を受けた紀貫之らによって『古今和歌集』がまとめられた。かぐや姫の物語である『竹取物語』が書かれたのもこのころである。また、物語に大和絵をそえた絵物語もつくられた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「優れた文学作品」と言うのみの東書版の記述に比べれば、「どう優れていたか」を解説している。特に「これほど古い時代に、女性が文学のにない手として登場するのは世界でも例がない」という指摘は、天照大神以来、女性を貴んできた我が日本文明の特質を表している。個々の作品の記述も、簡潔ながらポイントをついており、これなら中学生たちもこれらの作品を読んでみようか、という気になるだろう。古典の授業で原文に触れる際に、相乗効果が期待できる。
◆宮内庁書陵部の橋本義彦氏は『源氏物語』をこう評している。__________
その登場人物は、少なく数えても2百人以上にのぼり、とりあつかわれる時代も70年間にわたる。世界最大の長編小説の一つであるが、同時に54の巻々(まきまき)が、それぞれまとまりのある短編小説のおもむきを持っている。宮廷生活を背景に、さまざまな人の心の動きをこまやかにえがいたこの物語は、絵巻物を見るように美しく、かつ正確な背景描写と、人の心を見とおす、行き届いたするどい筆づかいによって、それまで世に出た数多くの物語をはるかにしのぎ、またわたしたち現代の読者にも深い感動を呼び起こす。今『源氏物語』が諸外国で訳され、日本の代表的な文学作品として名声をほしいままにしているのも当然といえよう。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄試みに『源氏物語』の一節を見てみよう。第十二帖「須磨」の冒頭で、二十代の光源氏がある事件から京にいられなくなって、須磨に逃れた時の情景である。__________
須磨には、いとど心尽くしの秋風に、海はすこし遠けれど、 行平中納言の「関吹き越ゆる」と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。秋風が須磨の里を吹くころになった。海は少し遠いのであるが、須磨の関も越えるほどの秋の波が立つと行平が歌った波の音が、夜はことに高く響いてきて、堪えがたく寂しいものは謫居(たっきょ、とがめを受けての引きこもり)の秋であった。(与謝野晶子訳)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄波の音が「夜々はげにいと近く聞こえて」などという所に、「人の心の動きをこまやかにえがいた」点が感じられる。
◆こうしたこまやかな感情を表現するには、かな文字の発達が必要だった。たとえば、前章の引用部分で、秋風を「あきかぜ」と読んでこそ、もの悲しさが伝わる。これを漢文で「シュウフウ」などと読んでいたのでは日本人の情緒は伝わってこない。しかし、東書版で驚かされるのは、かな文字の説明から「文字の工夫」と題して、わざわざ契丹文字、西夏文字とかな文字を写真で並べ、「このころ中国周辺の民族は、独自の文字を作りました」と説明している点だ。その横にはご丁寧にも「11世紀のアジア」として、宋を中心に西夏(現在のウイグル)、遼(契丹、モンゴル・満洲)、高麗、日本を地図で描いている。いかにも周辺蛮族が中国文明を真似て、いろいろ勝手に文字を作りました、とでも言いたげである。幸か不幸か、朝鮮のハングルは4百年も後に作られたためか、この例には登場しないが。しかし、すでに死滅した、読み方すら完全には解明されていない契丹や西夏の文字と、現代でも読み継がれている傑作長編小説を生み出したかな文字を同列に扱うのは、なんとも異様な発想だ。言語学の専門書ならともかく、これは日本人中学生が学ぶ日本史の教科書で、しかも「国風文化」の節なのだ。契丹や西夏の文字など、何の関係があるだろう。なんとしても日本文明を貶めようという底意を感じてしまう。◆今日、我々は当たり前のようにかな文字を使っているが、それを生み出すために、我が先人たちがどのような苦労をしたのかを想像してみるのも、歴史の授業としては有益だろう。たとえば、「秋風」の「あき」には日本語としての独特の語感、いわば言霊が宿っており、それを「秋」と書いては、もともとの漢字音「しゅう」が邪魔をする。無理に万葉仮名で「安畿」と書いても、「安」も「畿」もそれぞれの意味を持っており、「あき」の語感を台無しにしてしまう。漢字がそれぞれ意味と音を持っている点からくるこの矛盾を避けるために、音のみを伝えるかな文字を発明して、「あき」と書いた。しかし表音文字だけでは効率が悪い。たとえば、「すまには、いとどこころづくしのあきかぜに」などと書いたのでは、意味をとるのも難しい。そこで「秋風」と書いて、「しゅうふう」ではなく、「あきかぜ」と読ませるという訓読みの離れ業を我が祖先は発明した。これによって、「須磨には、いとど心尽くしの秋風に」という漢字仮名交じり文を使えるようになった。漢字表記の簡潔さと日本語の語感を両立させたのである。漢字には知的な造語能力が備わっている。この造語能力が明治以降も西洋文明導入に際しても役だった。「中華人民共和国憲法」では「中華」以外の「人民」「共和国」「憲法」は、すべて日本人が生み出し、中国人が借用した近代概念である。漢字仮名交じり文を外国語の片仮名表記に拡張すると、「イタリアのボッカチオが書いた『デカメロン』」などと、外国語も自在に取り入れられるようになって、日本語は世界の諸言語の中でもトップレベルの知的表現力を得るに至った。日本人が古来からの日本語の心を失わずに、漢字・漢語の導入、明治以降の近代西洋文明の吸収ができたのも、かな文字の発明から始まった知的格闘のお陰なのである。日本の歴史としては、こうした我が先人たちの労苦を学ぶべきであって、それに比べれば、契丹文字、西夏文字などとの比較など、いかに無意味な記述かが分かろうというものである。
◆かな文字は表音文字の一種で、世界にはアルファベットからアラビア文字まで様々な表音文字がある。しかし、表意文字と表音文字を両方使うというのは、世界に例を見ない日本人の独創である。__________
しかし、この珍奇さをなくすために漢字だけにしたら、朝鮮のように漢字文化に支配されていたであろう。逆に漢字を入れなかったら、日本文化はひどく味気ないものになっていただろう。理屈では両立しないものを両立させるというのが、日本文化そのものなのだ。それはちょうど、神を仏とを両立させた日本人の宗教生活のごとくに。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄漢字仮名交じり文の素晴らしさについて、渡部昇一氏は次のような見事な表現を紹介している。__________
シナ文学者の吉川幸次郎博士は、漢文をピアノの音に、日本文をヴァイオリンの音にたとえている。適切な比喩であって、まことに同感である。漢文は知的に整理されている感じで客観的であるようだし、日本文のほうは感情のままに絶えることなく流れ出て、より主観性が高いと思う。ピアノの演奏は知に勝ち、ヴァイオリンの演奏は情に勝つ。しかし、何と言ってもいちばんよいのはピアノとヴァイオリンの二重奏、あるいはそれにチェロの加わった三重奏である。知的に切り込んでくるピアノの音と、纏綿(てんめん)と、また嫋々(じょうじょう)として絶えない弦楽器のハーモニーは絶妙である。われわれの祖先は、漢語をすっかり吸収しつつも、「やまとことば」を失うことなく、「漢字仮名交じり書き」、つまり言語二重奏を完成させたのである。それに欧米語などと片仮名書きを加えるならば、言語三重奏と言ってもよいであろう。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄◆この歴史教科書読み比べシリーズの前号では、平安時代の仏教学が大陸以上に進んでいた側面を紹介した。我が国の仏教書が中国でもてはやされたり、唐に渡った僧がかの地で仏教の講義をし、皇帝からも深く敬愛されている。大陸や半島が戦乱に覆われていた時代に、我が国では藤原氏が築き上げた皇室を中心とする平和と安定が続いており、それがこうした文化の急速な発展を可能にしたのだった。そして男性が知的活動にいそしんでいる間に、女性は日本人の情緒を表現しうるかな文字を発展させ、現代の外国人をも感動させる文学を花開かせていたのだった。漢字と格闘した古代日本人
H13.12.23中国の外来語辞典には、「日本語」とされているものが非常に多い。そのごく一部を分野別に拾ってみると:思想哲学:本質、表象、理論、理念、理想、理性、弁証法、倫理学、倫理学…政治軍事:国家、国民、覇権、表決、領土、編制、保障、白旗…科学技術:比重、飽和、半径、標本、波長、力学、博士、流体、博物、列車、変圧器、冷蔵、医学:流行病、流行性感冒、百日咳、経済経営:不動産、労動(労働)、舶来品、理事、保険、標語、例会、博士などは、昔から中国にあった言葉だが、近代西洋の "doctor" の訳語として新しい意味が与えられ、それが中国に輸入されたのである。日本が明治維新後、西洋の科学技術、思想哲学を導入する際に、各分野の概念、用語を表す数千数万の和製漢語が作られ、それらを活用して、欧米文献の邦訳や、日本語による解説書、紹介文献が大量に作成された。中国人はこれらの日本語文献を通じて、近代西洋を学んだのである。軍事や政治の用語は、日露戦争後に陸軍士官学校に留学する中国人が急増し、彼らから大陸に伝わった。後に国民党政府を樹立した蒋介石もその一人である。当時はまだ標準的な中国語は確立されていなかったので、各地の将校達は日本語で連絡しあって革命運動を展開し、清朝打倒を果たした。さらに中共政府が建前としている共産主義にしても、中国人は日本語に訳されたマルクス主義文献から学んだ。日本語の助けがなかったら、西洋の近代的な軍事技術や政治思想の導入は大きく遅れ、近代中国の歴史はまったく異なっていただろう。◆日本人が文明開化のかけ声と共に、数千数万の和製漢語を作りだして西洋文明の消化吸収に邁進したのは、そのたくましい知的活力の現れであるが、同様の現象が戦後にも起きている。現在でもグローバル・スタンダード、ニュー・エコノミー、ボーダーレスなどのカタカナ新語、さらにはGNP、NGO、ISOなどの略語が次々とマスコミに登場している。漢語を作るか、カタカナ表記にするか、さらにはアルファベット略語をそのまま使うか、手段は異なるが、その根底にあるのは、外国語を自由自在に取り込む日本語の柔軟さである。漢字という表意文字と、ひらがな、カタカナという2種類の表音文字を持つ日本語の表記法は世界でも最も複雑なものだが、それらを駆使して外国語を自在に取り込んでしまう能力において、日本語は世界の言語の中でもユニークな存在であると言える。この日本語の特徴は、自然に生まれたものではない。我々の祖先が漢字との格闘を通じて生みだしたものである。◆漢字が日本に入ってきたのは、紀元後2世紀から3世紀にかけてというのが通説である。その当時、土器や銅鐸に刻まれて「人」「家」「鹿」などを表す日本独自の絵文字が生まれかけていたが、厳密には文字体系とは言えない段階であった。しかし、言語は本来が話し言葉であり、文字がなければ原始的な言語だと考えるのは間違いである。今日でも地球上で4千ほどの言語が話されているが、文字を伴わない言語の方が多い。文字を伴う言語にしても、そのほとんどは借り物である。アルファベットは紀元前2千年頃から東地中海地方で活躍したフェニキア人によって作り出されたと言われているが、ギリシア語もラテン語もこのアルファベットを借用して書けるようになった。現代の英語やロシア語も同様である。逆に言えば、これらの言語も すべて文字は借り物なのである。わが国においても文字はなかったが、神話や物語、歌を言葉によって表現し、記憶によって伝えるという技術が高度に発達していた。今日、古事記として残されている神話は、古代日本人独自の思想と情操を豊かにとどめているが、これも口承によって代々受け継がれていたのである。◆アルファベットは表音文字であるから、どんな言語を書くにも、それほどの苦労はいらない。現代ではベトナム語も、マレー語もアルファベットを使って表記されている。古代日本人にとっても、最初に入ってきた文字がアルファベットだったら、どんなに楽だったであろう。たとえばローマ字で「あいうえお」を書いてみれば、a i u e oka ki ku ke kosa si su se soなどと、「a i u e o」の5つの母音と、「k s …」などの子音が単純明快な規則性をもって、日本語のすべての音を表現できる。漢字が入ってきた頃の古代の発音は現代とはやや異なるが、この規則性は変わらない。日本語は発音が世界でも最も単純な言語の一つであり、アルファベットとはまことに相性が良いのである。ところが幸か不幸か、日本列島に最初に入ってきた文字は、アルファベットではなく、漢字であった。「漢字」は黄河下流地方に住んでいた「漢族」の話す「漢語」を表記するために発明された文字である。そしてあいにく漢語は日本語とは縁もゆかりもない全く異質な言語である。語順で見れば、日本語は「あいつを殺す」と「目的語+動詞」の順であるが、漢語では「殺他」と、英語と同様の「動詞+目的語」の順となる。また日本語は「行く、行った」と動詞が変化し、この点は英語も「go, went gone」と同様であるが、漢語の「去」はまったく変化しない。発音にしても、日本語の単純さは、漢語や英語の複雑さとは比較にならない。似た順に並べるとすれば、英語をはさんで漢語と日本語はその対極に位置する。さらにその表記法たる「漢字」がまた一風変わったものだ。一つの語に、一つの文字を与えられている。英語のbigという語「ダー」を「大」の一字で表す。bigという「語」と、ダーという「音」と、大という「文字」が完全に一致する、一語一音一字方式である。さらに、英語では、big, bigger, bigness、日本語では「おおきい」「おおきさ」「おおいに」などと語が変化するのに、漢語はすべて「ダー」と不変で、「大」の一字ときちんと対応している。漢字は漢語の特徴をまことに見事に利用した最適な表記法なのである。たまたま最初に接した文字が、日本語とはまったく異質な漢語に密着した漢字であった所から、古代日本人の苦闘が始まる。◆漢字に接した古代日本人の苦労を偲ぶには、イギリス人が最初に接した文字がアルファベットではなく、漢字であったと想定すると面白いかもしれない。英語の語順の方が、漢語に近いので、まだ日本人の苦労よりは楽であるが。イギリス人が今まで口承で伝えられていた英語の詩を漢字で書きとどめたいと思った時、たとえば、 "Mountain" という語をどう書き表すのか?意味から「山」という文字を使えば、それには「サン」という漢語の音が付随している。「マウンテン」という英語の荘重な響きにこそ、イギリス人の心が宿っているのに、「山」と書いたがために「サン」と読まれてしまっては詩が台無しである。逆に「マウンテン」という「音」を大切にしようとすれば、「魔運天」などと漢字の音だけ使って表記できようが、それぞれの漢字が独自の意味を主張して、これまた読む人にとっては興ざめである。英詩には英語の意味と音が一体になった所に民族の心が宿る。それが英語の言霊である。古代日本人にも同じ事だ。漢字は一語一音一字という性質から、それ自体に漢人の言霊が宿っており、まことに他の言語にとっては厄介な文字であった。◆こういう場合に、もっとも簡単な、よくあるやり方は、自分の言語を捨てて、漢語にそのまま乗り換えてしまうことだ。歴史上、そういう例は少なくない。たとえば、古代ローマ帝国の支配下にあったフランスでは、4世紀末からのゲルマン民族の大移動にさらされ、西ゲルマン系フランク人が定住する所となった。フランク人は現代のドイツ語と同じ語族に属するフランク語を話していたが、文化的に優勢なローマ帝国の残した俗ラテン語に乗り換えてしまった。これがフランス語の始まりである。英語も1066年フランスの対岸からやってきたノルマン王朝に約300年間支配され、その間、フランス語の一方言であるノルマン・フランス語が支配階級で使われた。英語はその間、民衆の使う土俗的な言語のままだった。今日の英語の語彙の55%はフランス語から取り入れられたものである。そのノルマン人ももとはと言えば、900年頃にデンマークからフランス北西岸に植民したバイキングの一派であり、彼らは北ゲルマン語からフランス語に乗り換えたのである。こうして見ると、民族と言語とのつながりは決して固定的なものではなく、ある民族が別の言語に乗り換えることによって、その民族精神を失ってしまう、という事がよくあることが分かる。前節の例でイギリス人が漢語に変わってしまったら、「やま」を見ても、 "mountain" という語と音に込められた先祖伝来の言霊を全く失い、「山」「サン」という漢人の心になってしまっていたであろう。◆漢字という初めて見る文字体系を前に、古代日本人が直面していた危機は、文字に書けない日本語とともに自分たちの「言霊」を失うかも知れない、という恐れだった。しかし、古代日本人は安易に漢語に乗り換えるような事をせずに漢字に頑強に抵抗し、なんとか日本語の言霊を生かしたまま、漢字で書き表そうと苦闘を続けた。そのための最初の工夫が、漢字の音のみをとって、意味を無視してしまうという知恵だった。英語の例で言えば、mountain を「末宇无天无」と表記する。「末」の意味は無視してしまい、「マ」という日本語の一音を表すためにのみ使う。万葉集の歌は、このような万葉がなによって音を中心に表記された。さらにどうせ表音文字として使うなら、綴りは少ない方が効率的だし、漢字の形を崩してしまえばその意味は抹殺できる。そこで「末」の漢字の上の方をとって「マ」というカタカナが作られ、また「末」全体を略して、「ま」というひらがなが作られた。漢人の「末」にこめた言霊は、こうして抹殺されたのである。日本人が最初に接した文字は不幸にもアルファベットのような表音文字ではなく、漢字という表語文字だったが、それを表音文字に改造することによって、古代日本人はその困難を乗り越えていったのである。しかし、同時に漢字の表語文字としての表現の簡潔さ、視覚性という利点も捨てきれない。mountain をいちいち、「末宇无天无」と書いていては、いかにも非効率であり、読みにくい。そこで、今度は漢字で「山」と書いて、その音を無視して、moutainと読んでしまう「訓読み」という離れ業を発明した。こうして「やま の うえ」という表現が、「山の上」と簡潔で、読みやすく表現でき、さらに「やま」「うえ」という日本語の言霊も継承できるようになったのである。◆こうして漢字との格闘の末に成立した日本語の表記法は、表音文字と表語文字を巧みに使い分ける、世界でももっとも複雑な、しかし効率的で、かつ外に開かれたシステムとして発展した。それは第一に、「やま」とか、「はな」、「こころ」などの神話時代からの大和言葉をその音とともに脈々と伝えている。日本人の民族文化、精神の独自性はこの大和言葉によって護られる。第二に「出家」などの仏教用語だろうが、「天命」というような漢語だろうが、さらには、「グローバリゼーション」や「NGO」のような西洋語も、自由自在に取り入れられる。多様な外国文化は「大和言葉」の独自性のもとに、どしどし導入され生かされる。外国語は漢字やカタカナで表現されるので、ひらがなで表記された大和言葉から浮き出て見える。したがって、外国語をいくら導入しても、日本語そのものの独自性が失われる心配はない。その心配がなければこそ、積極果敢に多様な外国の優れた文明を吸収できる。これこそが古代では漢文明を積極的に導入し、明治以降は西洋文明にキャッチアップできた日本人の知的活力の源泉である。多様な民族がそれぞれの独自性を維持しつつ、相互に学びあっていく姿が国際社会の理想だとすれば、日本語のこの独自性と多様性を両立させる特性は、まさにその理想に適した開かれた「国際派言語」と言える。この優れた日本語の特性は、我が祖先たちが漢字との「国際的格闘」を通じて築き上げてきた知的財産なのである。「反日」で漢字まで追放した韓国
2013/12/01ハングルで書かれると日本人にはチンプンカンプンなのだが、もともと朝鮮半島は漢字圏だったので、漢字で書いてくれれば、理解できる用語は多い。窓口(チャング)改札口(ケーチョング)入口(イブク)出口(チュルグ)乗換(ノリカエ)踏切(フミキリ)横断歩道(ヒンタンポド)手荷物(ソハムル)大型(テーヒョン)小型(ソヒョン)受取(スチュイ)取扱(チュイグプ)取消(チュイソ)割引(ハルイン)行方不明(ヘンバンプルミヨン)弁当(ベントー)何の事はない。漢字で書いてくれれば、旅行者も大抵の用は済みそうだ。しかし、なぜ、こんなに日本語と似た単語が使われているのか。豊田有恒氏は著書『韓国が漢字を復活できない理由』で、こう述べている。__________
韓国の漢字熟語は、中国起源でなく、日本統治時代に日本語からもたらされたものである。明治以来、欧米の文物の摂取に熱心に取り組んだ日本は、論理、科学、新聞など多くの訳語を案出した、これらの訳語が、韓国ばかりでなく、漢字の本家の中国でも採用されていることは、よく知られている。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄たとえば鉄道関連用語は、日本人が欧米の鉄道を導入する際に案出し、日本統治時代に朝鮮において鉄道が敷かれるのと同時に移入された。だから、同じ用語が使われるのは、当然なのである。多くの用語は、日本語から漢字のまま移入され、韓国語の漢字の読み方で読まれた。だから、日本語の音読みに近い。窓口(チャング)は日本語の音読みなら「ソウコウ」、受取(スチュイ)は「ジュシュ」、行方不明(ヘンバンプルミヨン)は「コウホウフメイ」と、似通っている。ただ乗換(ノリカエ)、踏切(フミキリ)などは、どういうわけか、日本語の訓読みがそのまま残っている。豊田氏は、現在、韓国で使われている漢字語の8割以上が日本製だと指摘している。特に、日本統治時代に政治、科学技術、企業経営、スポーツなどの近代化が進んだので、それらの分野の専門用語はほとんどが日本語起源である。たとえば、科学、数学の分野では:科学(カハク)化学(ファハク)物理(ムルリ)引力(イルリョク)重力(チュンニヨク)密度(ミルド)組成(チョソン)体積(チェジヨク)加速度(カソクト)電位(チョヌイ)電導(チョンドウ)元素(ウォンソ)原子(ウォンジャ)分子(プンジャ)塩酸(ヨムサン)算数(サンスウ)代数(テースウ)幾何(キハ)微分(ミブン)積分(チョクブン)函数(ハムスウ)経営関係では:社長(サジャン)専務(チョンム)常務(サンム)部長(ブジャン)課長(カジャン)係長(ケジャン)打合(ターハブ)手続(スソク)組合(チョハブ)株式(チョシク)売上(メーサン)支払(チブル)赤字(チョクチャ)韓国は、これらのすべての用語を日本語から借用し、それで近代科学技術を学び、近代的な企業経営を始めたのである。科学技術から企業経営、交通や法律・政治まで、近代的用語がほとんど和製漢字語で取り入れられているのに、漢字を廃止して、ハングル表記するとどうなるか。日本語以上に韓国語は複数の漢字が同じ読みを持つから、同音異義語のオンパレードとなってしまう。たとえば、長、葬、場はすべて「ジャング」なので、会長、会葬、会場はすべて「フェジャング」と同じ発音になる。「会長が会葬に会場に来た」は、「フェジャングがフェジャングにフェジャングにきた」となってしまって、これでは文脈から判断するのも難しい。話し言葉ならまだしも、書き言葉でこれでは、物事を正確に伝えるには大きな障害となる。神社も紳士も「シンサ」なので、「ヤスクニ・シンサ(靖国神社)聞いたことある?」と聞かれた若い女性が「偉人かな」と答えたそうな。「ヤスクニ紳士」と間違えたのだ。
◆それにしても、なぜ韓国はこんな便利な漢字利用をやめてしまったのか。漢字使用を制限したのは、戦後すぐの1948年、李承晩大統領による「ハングル専用法」である。米軍占領下で日本が抵抗できないのを見透かして、勝手に李承晩ラインを引いて竹島を奪った大統領である。徹底的な反日教育を実施して、「電信柱が高いのも、ポストが赤いのも、みんな日本が悪いとされる」と揶揄されるほどであった。「ハングル専用法」は、「大韓民国の公文書はハングルで書くものとする。ただし、当分のあいだ必要な時には漢字を使用することができる」とした。政府の公文書のみを対象にしたものであったが、それでも、「当分のあいだ必要な時には」という留保をつけているのは、漢字抜きは無理があると分かっていたからだろう。日本統治時代は漢字・ハングル混じり文が推奨されていた。したがって漢字は「日本帝国主義」の残滓のように誤解され、排斥の対象となった。逆に、ハングルは民族のシンボルとして祭り上げられたのである。実際に歴史を良く調べれば、それまで教養のない女子供の使う「牝文字」「わらべ文字」などと軽蔑されていたハングルを普及させたのは日本統治時代の教育だったのだから、ついでにハングルも「日帝の残滓」として追放すべきだった。そうなると韓民族は文字を持たない民族になってしまうのだが。◆漢字排斥をさらに推し進めたのが、韓国中興の祖とされる朴正煕大統領だった。朴大統領は国民の大反対を押し切って、日韓基本条約を締結したが、日本寄りと見られることを避けるために、反日姿勢として、1970年前後に教育カリキュラムから漢字を追放した。しかし、これは朴大統領の反日ポーズだったようで、片腕だった総参謀長の李在田が会長となって、「韓国漢字教育推進総連合」が作られ、まずお膝元の軍隊で漢字教育を復活させた。また、学界、言論界からの訴えを入れるという形で、中等教育で漢字教育を復活させた。しかし、その後、ハングル派の巻き返しもあって、漢字教育をやったり、やらなかったり、と朝令暮改が続き、漢字教育を受けた世代と受けていない世代が斑(まだら)のようになっている。いずれにせよ、漢字・ハングル交じり文は「日帝の残滓」という反日イデオロギーだけで、漢字追放までしてしまうのだから、その激情ぶりは凄まじい。
◆「反日」政策としての漢字追放は、さらに日本語起源の漢字語追放にまで進む。韓国の「国語審議会」の「国語純化文化委員会」が「日本語風生活用語純化集」を作って、700語ほどの「日本語っぽい」単語を韓国語風に「純化」しようとした。日本語は「不純」だというわけである。たとえば「売切(メージョル)」は、「みな売れること(ターバルリム)」、「改札口(ケーチャルグ」は「票を見せるところ(ピョ・ポイヌン・ゴッ)」、「踏切(フミキリ)」は「越えるあたり(コンノルモク)」という具合だ。日本語で言えば、漢語を大和言葉で置き換えよう、という事である。したがって、「改札口を通って踏切を渡った」を「純化」すると、「票を見せるところを通って、越えるあたりを渡った」となる。いくら「反日」を信条とする愛国的韓国人でも、毎日、こんなまだるっこしい会話はしていられないだろう。折りに触れて、こういう「純化」が試みられているが、不毛の努力に終わっているようである。◆韓国での「反日」を動機とした漢字廃止、和製漢語廃止を見ていると、「漢字・仮名交じり文が、日本人の教養と民度を高めた」という豊田氏の主張もよく理解できる。たとえば、英語で"Cetorogy"という単語があるが、その専門の学者でもなければ、アメリカやイギリスの一般人は知らない単語である。しかし、これを日本語で「鯨類学」というと、中高生以上なら、「鯨に関する学問」だろう、と想像がつく。”Apiculture” も同様だ。普通の米英人にはチンプンカンプンの単語だが、日本語で「養蜂業」と言えば「蜂を飼う仕事」だと推測できる。このように、漢字の造語能力をフルに活用して、一般大衆にも近づきやすい形で、近代的な学問、政治、科学技術の体系を構築してきたのが、幕末以降の我が先人たちの努力であった。中国や朝鮮は、その日本語を通じて、近代的な学問を学んだ。たとえば、「中華人民共和国憲法」の中で、中国語のオリジナルな単語は「中華」しかない。それ以外の「人民」「共和国」「憲法」は、みな日本語からの借用である。どうりで人民主権も、共和政治も、立憲政治も、いまだに身についていないはずだ。朝鮮では、日本統治時代に漢字・ハングル交じり文が普及して、せっかく近代化のステップを踏み出したのに、「日帝の残滓」というイデオロギー的激情で、それを自ら拒否してしまった。
子どもを伸ばす漢字教育
H15.11.23
きっかけは偶然だった。小学校教師の石井勲氏が炬燵(こたつ)に入って「国語教育論」という本を読んでいた。そこに2歳の長男がよちよち歩いてきて、石井氏の膝の上に上がり込んできたので、氏は炬燵の上に本を伏せて置いた。その時、この2歳の幼児が「国語教育論」の「教」という漢字を指して「きょう」と言ったのである。びっくりして、どうしてこんな難しい字が読めたんだろう、と考えていると、今度は隣の「育」の漢字を指して「いく」と言った。石井氏が驚いて、奥さんに「この字を教えたのか?」と尋ねると、教えた覚えはないという。教えてもいないものが読めるわけはない、と思っていると、奥さんが「アッ! そう言えば一度だけ読んでやったことがある」と思い出した。奥さんは音楽の教師をしており、「教育音楽」という雑誌を定期購読していた。ある時、息子が雑誌のタイトルを指で押さえて、「これなあに?」と聞くので、一度だけ読んでやったような記憶がある、というのである。そんなこともあるのか、と半信半疑ながら、ひょっとしたら、幼児にとって漢字はやさしいのかもしれない、と石井氏は思いついた。ひらがなは易しく漢字は難しい、幼児に教えるものではない、と思いこんでいたが、実はそうではないのかもしれない。これが石井式漢字教育の始まりだった。◆
それから石井氏は昭和28年から15年にもわたって、小学校で漢字教育を実践してみた。当初は学年が上がるにつれて、子どもの学習能力が高まると信じ込んでいたが、実際に漢字を教えてみると、学年が下がるほど漢字を覚える能力が高いことが分かった。そこで今度は1年生に教える漢字を増やしてみようと思った。当時の1年生の漢字の習得目標は30字ほどだったが、これを300字ほどに増やしてみると、子供たちは喜んでいくらでも吸収してしまう。それが500字になり、とうとう700字と、小学校6年間で覚える漢字の8割かたを覚えてしまった。ひっとしたら就学前の幼児は、もっと漢字を覚える力があるのかもしれない。そう思って昭和43年からは3年間かけて、幼稚園児に漢字を教えてみた。すると幼児の漢字学習能力はさらに高いということが分かってきた。同時に漢字学習を始めてからは幼児の知能指数が100から110になり、120になり、ついには130までになった。漢字には幼児の能力や知能を大きく伸ばす秘密の力があるのではないか、と石井氏は考えるようになった。
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どんな子どもでも3歳ぐらいで急速に母国語を身につけ、幼稚園では先生の話を理解し、自分の考えを伝えることができる。この時期に言葉と同時に漢字を学べば、海綿が水を吸収するように漢字を習得していく、というのが石井氏の発見だった。漢字は難しいから上級生にならなければ覚えられない、というのは、何の根拠もない迷信だったわけである。同時に簡単なものほど覚えやすい、というのも、誤った思いこみであることが判明した。複雑でも覚える手がかりがある方が覚えやすい。たとえば「耳」は実際の耳の形を表したもので、そうと知れば、簡単に覚えられる。「みみ」とひらがなで書くと画数は少ないが、何のてがかりもないのでかえって覚えにくい。石井氏はカルタ大の漢字カードで教える方法を考案した。「机」「椅子」「冷蔵庫」「花瓶」などと漢字でカードに書いて、実物に貼っておく。すると幼児は必ず「これ、なあに?」と聞いてくる。そこではじめて読み方を教える。ポイントは、遊び感覚で幼児の興味を引き出す形で行うこと、そして読み方のみを教え、書かせないことである。漢字をまず意味と音を持つ記号として一緒に覚えさせるのである。◆動物や自然など、漢字カードを貼れないものは、絵本を使う。幼児絵本のかな書きの上に、漢字を書いた紙を貼ってしまう。そして「鳩」「鴉」「鶏」など、なるべく具体的なものから教えていく。すると、これらの字には「鳥」という共通部分があることに気づく。幼児は「羽があって、嘴(くちばし)があって、足が2本ある」のが、「鳥」なのだな、と理解する。ここで始めて「鳥」という「概念」が理解できる。これが分かると「鶯」や「鷲」など、知らない漢字を見ても、「鳥」の仲間だな、と推理できるようになる。こうして物事を概念化・抽象化する能力が養われる。またたとえば「右」、「左」など、抽象的な漢字は「ナ」が「手」、「口」は「くち」、「工」は「物差し」と教えてやれば、食べ物を口に入れる方の手が「右」、物差しを持つ方の手が「左」とすぐ覚えられる。そう言えば、筆者は小学校低学年の時、右と左の字がそっくりなので、どっちがどっちだか、なかなか覚えられなかった記憶があるが、こう教わっていたら瞬時に習得できていただろう。
◆
また一方的に教え込むのではなく、遊び感覚で漢字の意味を類推させると良い。石井式を実践している幼稚園でこんな事があった。先生が黒板に「悪魔」と書いて、「誰かこれ読めるかな」と聞いた。当然、誰も読めないので、「じゃあ、教えてあげようね」と言ったら、子供たちは「先生、待って。自分たちで考えるから」。子供たちは相談を始めて、「魔」の字の下の方には「鬼」があるから、これは鬼の仲間だ…こうしてだんだん詰めていって、とうとうこれは「あくま」じゃないか、と当ててしまった。この逸話から窺われるのは、第一に、幼児にも立派な推理力がある、という事だ。こういう形で漢字の読みや意味を推理させるゲームで、子どもの論理的な思考能力はどんどん伸びていく。第二は、子どもには自分で考えたい、解決したい、という気持ちがあるということである。そういう気持ちを引き出すことで、子どもの主体的な学習意欲が高まる。そして自ら考えて理解できたことこそ、本当に自分自身のものになるのである。
◆石井式の漢字教育と比較してみると、従来のひらがなから教えていく方法がいかに非合理的か、よく見えてくる。たとえば、「しょうがっこう」などという表記は世の中に存在しない。校門には「○○小学校」などと漢字で書かれているのである。「小学校」という漢字熟語をそのまま覚えてしまえば、近くの「中学校」の側を通っても、おなじ「学校」の仲間であることがすぐに分かる。「小」と「中」の区別が分かれば、自分たちよりやや大きいお兄さん、お姉さんたちが行く学校だな、と分かる。こうして子どもは、漢字をたくさん覚えることで、実際の社会の中で自分たちにも理解できる部分がどんどん広がっていくことを実感するだろう。石井氏の2歳の長男も、お父さんが読んでいる本の2つの文字だけでも自分が読みとれたのがとても嬉しかったはずだ。だから、僕も読めるよ、とお父さんに読んであげたのである。このように漢字を学ぶことで外の世界に関する知識と興味とが増していく。本を読んだり、辞書を引けるようになれば、その世界はさらに大きく広がっていく。幼児の時から漢字を学ぶことで、抽象化・概念化する能力、推理力、主体性、読書力が一気に伸びていく。幼児の知能指数が漢字学習で100から130にも伸びたというのも当然であろう。漢字学習を通じて、多くの言葉を知り、自己表現がスムーズに出来るようになると、情緒が安定し、感性や情操も豊かに育っていく。石井式を取り入れた幼稚園では、「漢字教育を始めて一ヶ月くらいしたら、園児たちの噛みつき癖がなくなりました。」という報告がしばしばもたらされるという。子供たちのうちに湧き上がった思いが表現できないと、フラストレーションが溜まって噛みつきという行為に出るが、それを言葉で表現できると、心が安定し、落ち着いてくるようだ。最近の「学級崩壊」、「切れやすさ」というのも、子どもの国語力が落ちて、自己表現ができなくなっている事が一因かもしれない。
◆
NTTと電気通信大学の共同研究では、「かな」を読むときには我々は左脳しか使わないが、漢字を読むときには左右の両方を使っているということを発見した。左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つ。右脳は音楽脳とも呼ばれ、パターン認識が得意である。漢字は複雑な形状をしているので、右脳がパターンとして認識し、それを左脳が意味として解釈するらしい。石井氏は自閉症や知的障害を持った子供にも漢字教育を施して、成果をあげている。これらの子どもは言語脳である左脳の働きが弱っているため、言葉が遅れがちであるが、漢字は右脳も使うので、受け入れられやすいのである。◆漢字が優れた表記法であることは、いろいろな科学的実験で検証されている。日本道路公団が、かつてどういう地名の標識を使ったら、ドライバーが早く正確に認識できるか、という実験を行った。「TOKYO」「とうきょう」「東京」の3種類の標識を作って、読み取るのにどれだけの時間がかかるかを測定したところ、「TOKYO」は1.5秒だったのに対し、「とうきょう」は約半分の0.7秒、そして「東京」はさらにその十分の一以下の0.06秒だった。考えてみれば当然だ。ローマ字やひらがなは表音文字である。読んだ文字を音に変換し、さらに音から意味に変換する作業を脳の中でしなければならない。それに対し漢字は表意文字でそれ自体で意味を持つから、変換作業が少ないのである。日本人はこの優れた、しかしまったく言語系統の異なる漢字を導入して、さらにそこから、ひらがな、カタカナという表音文字を発明した。その結果、数千の表意文字と2種類の表音文字を使うという、世界でも最も複雑な表記システムを発明した。たとえば、以下の3つの文章を比べてみよう。朝聞道夕死可矣あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり朝に道を聞かば夕に死すとも可なり漢字だけ、あるいは、ひらがなだけでは、いかにも平板で読みにくいが、漢字かな交じり文では名詞や動詞など重要な部分が漢字でくっきりと浮かび上がるので、文章の骨格が一目で分かる。漢字かな交じり文は書くのは大変だが、読むにはまことに効率的なシステムである。情報化時代になって、書く方の苦労は、かな漢字変換などの技術的発達により、急速に軽減されつつあるが、読む方の効率化はそれほど進まないし、また情報の洪水で読み手の負担はますます増大しつつある。読む方では最高の効率を持つ漢字かな交じり文は情報化時代に適した表記システムであると言える。
◆英国ケンブリッジ大学のリチャードソン博士が中心となって、日米英仏独の5カ国の学者が協力して、一つの共通知能テストを作り上げた。そのテストで5カ国の子ども知能を測定したところ、日本以外の4カ国の子どもは平均知能指数が100だったのに、日本の子どもは111だった。知能指数で11も差が出るのは大変なことだというので、イギリスの科学専門誌「ネイチャー」に発表された。博士らがどうして日本の子どもは知能がずば抜けて高いのか、と考えた所、この5カ国のうち、日本だけが使っている漢字に行き着いたのである。この仮説は、石井式で知能指数が130にも伸びる、という結果と符合している。戦後、占領軍の圧力や盲目的な欧米崇拝から漢字をやめてカタナカ書きやローマ字書きにしよう、あるいはせめて漢字の数を減らそうという「国語改革」が唱えられ、一部推進された。こうした科学的根拠のない「迷信」は事実に基づいた石井式漢字学習によって一掃されつつある。国語力こそ子どもの心を大きく伸ばす基盤である。国語力の土壌の上に、思考力、表現力、知的興味、主体性などが花開いていく。そして国語を急速に習得する幼児期に、たくさんの漢字を覚えることで、子どもの国語力は豊かに造成されるのである。石井式漢字学習によって、全国津々浦々の子供たちが楽しく漢字を学びつつ、明日を担う日本人としての逞しい知力と精神を育んでいくことを期待したい。
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「 外務省、パスポートを取り上げ 」 の一件に、
シリア渡航を計画していた男性、外務省にパスポートを取り上げられる「返納しなければ逮捕する」
The Huffington Post
2015年02月08日
外務省は2月7日、シリアへの渡航を計画していたカメラマンの男性に、旅券(パスポート)を返納させた。
外務省はこの男性に「旅券を返納しなければ逮捕する」と告げたという。
朝日新聞デジタルによると、パスポートの返納を求められたのは、新潟市のフリーカメラマンの杉本祐一さん(58)。
2月27日からシリアへ入国を予定していたという。
外務省は杉本さんに対し、返納を命じた理由について、シリアへの入国を計画している
▽シリアでは日本人2人が拘束、殺害されたとみられ、過激派組織「イスラム国」は日本人に更なる危害を加えると宣言している、
などと説明したという。
同省職員が7日、杉本さんの自宅を訪れ、直接旅券を受け取ったという。
(シリア渡航を計画、カメラマンに旅券返納命令 外務省:朝日新聞デジタルより 2015/02/08 00:11)
旅券法19条は「名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合」、
パスポートの返納を命じることができると定めている。
この規定による返納は初めてのことだという。
杉本さんによると、この日の夜、自宅前で外務省職員や警察官に「旅券を返納しなければ逮捕する」と告げられたという。
パスポートを返納させられたことについて杉本さんは「表現、報道、取材の自由を奪う行為だ」などと話したという。
なお、フジテレビキャスターの須田哲夫氏は8日に放送された同局の番組で、ダーイシュ(イスラム国)に殺害された後藤健二さんのパスポートを外務省が取り上げなかった理由について「憲法には報道の自由がある。
これで訴えられたら負けるからできなかったと外務省の職員は話していた」と述べた。
一方で、外務省幹部はパスポートの返納について
「憲法上の問題があると言って裁判に訴える人がいるかもしれないが、国民も今回の人質事件を見ていたので、理解が得られるのではないか」
と話したと朝日新聞デジタルは報じた。
つーか、本気で行く気なら、トルコに行くとでも言えば済んでる話じゃないのか?
不謹慎に騒ぎに便乗したい、ただの目立ちたいだけの奴、って気がする。
あるいは、
根性なしの〝行けない〟イイワケか。
本気な奴は、
今ごろ、もう飛行機乗ってるよ。
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『口承による洗練』の偉大
ゲーテの「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」の解釈と原文
2012-09-16先程、Twitterで、
ゲーテの
「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」
という言葉を引用しました。これは有名な言葉で、ネット上でもよく見かけます。
私も好きな言葉です。これの意味を私は、
「ツライ思いをすることが、人間性をより深め、人生についての理解も深めることになる」
というような感じで理解していました。ところで、ネット上でこんな2つの解釈に出会いました。まずひとつ目。
「これは、人生はまずい(美味しくない)という意味です」
つまり、
「涙とともにパンを食べる」というのは、
涙が出るほどパンがまずいという意味だ、ということのようです。
人生は本当はツライものであり、
それが本当の味であり、
ツライ思いをしたときに、それに気づく、
ということなのでしょう。ふたつ目は、
「パンを手に入れるために苦労した者にしか、人生はわからないという意味です」
つまり、
「涙とともにパンを食べる」
というのは、そのパンを手に入れるために、
泣くほど苦労したということであり、
そういう苦労をした者にしか、人生はわからない、
自分で稼いだのではないお金で簡単にパンを手に入れられて、
パンを見て泣くなんて思いもよらない者には、
人生はわからない、
ということなのでしょう。どちらも、意外でしたが、
説明されてみると、
なるほどと納得できるところもあります。名言というのは、
それぞれの人が、
そのときどきの自分の状況に照らし合わせて、
味わえばいいもので、
どの解釈が正解ということはないと思います。
作者がどういうつもりで書いたにせよ、
解釈は読み手の自由だと思います。とはいえ、
やっぱり、こういろいろ解釈があると、
ゲーテの原文がどうなっているのか、
気になりますね。そこで、ちょっと原文を見てみました。この言葉は、
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の
第2巻の第13章に出てきます。
老人の歌う「悲痛な嘆きの歌」の詩句です。
ざっと訳すと、こんな感じになります。涙とともにパンを食べたことのない者は、
苦しみに満ちた幾夜を
ベッドに座って泣きあかしたことのない者は、
あなた方を知らない、天の力よあなた方は、私たちを人生へと引き入れ
あわれな者に罪を負わせ
そうして、苦しみの手に引き渡す
すべての罪は、この世で報いを受けるのだから原文には「人生の味はわからない」という文はないのです。
そうではなく、「天の力を知らない」ということになっています。つまり、
原文で言っているのは、
神の御業というか、
この世の宿命というか、
そんなようなことのようです。では、「人生の味はわからない」というのは、
どこから出てきたのでしょうか?これはどうやら英訳から来ているようです。If you’ve never eaten while crying you don’t know what life tastes like.と訳した人がいるようです。
それが誰なのかは知りません。「食べる」に合わせて、「味がわからない」としたのは、
なかなか見事なものです。ただ、原文とはちがうわけですが、
ではこれは、誤訳なのか、意訳なのか、超訳なのか?元の歌も、宗教歌というわけではありません。老人は、
あわれな者が、罪をおかして、
その報いを受けて、苦しんでしまう、
この世の哀しさを嘆いているのです。とすれば、
「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」
というのは、原意を大きく逸脱はしていないでしょう。
すごくゆるやかに言えば、意訳と言えるかもしれません。ただ、原文にまるでないことを言っているわけで、
超訳と言うべきかもしれません。いずれにしても、
「涙とともにパンを食べた者でなければ、天の力はわからない」
などとしたのでは、
宗教臭くて、とてもこれほど有名な名言にはならなかったでしょう。私は、原文からまったく逸脱して、
当人が絶対に言わないだろうことまで言わせてしまう超訳には反対なのですが、
このゲーテの名言のような超訳なら、
ぎりぎり許容範囲ではないかと思います。
ここは意見の分かれるところでしょうが。もし、
人々が口から口に伝えているうちに、
自然のこの形に変わっていったのだとしたら、
もっと素晴らしいことだなと思います。
口承による洗練ということに、私はとても興味があります。ところで、
「ベッドの上で泣きあかしたことのない者には、人生の本当の安らぎはわからない」
と続けるのはどうでしょう?
やりすぎですかね(^^ゞ
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東京書籍の教科書にあるサブリミナル 8/皇民主義にかえるとき
■歴史教科書読み比べ(19)
保元の乱と乱世の始まり
転載元 伊勢雅臣 2015/02/08
上皇と天皇が争った保元の乱が、乱世の始まりだった。
1.「武士の登場」
自由社版の中学歴史教科書は、「武士の登場」という節で次のように解説している。
__________
9~10世紀になると、私有地である荘園が広がって、国司の権限が及ばなくなった。
都でも地方でも、盗賊が出没し、治安が乱れた。
朝廷や中央の貴族たちは、武芸を職業とする者をやとい、宮中や貴族の護衛をさせた。
また、地方でも、国司として赴任しそのまま住み着いた一族や、地元の豪族の中に、土地を守るためにみずから集団で武装する者があらわれた。
こうして、武士が登場した。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
東京書籍版も、やや短いながら同様の記述をしており、それほどの違いはない。
ただ両書の共通点は、「武士の登場」という現象を説明しているだけで、それが国史と国柄の上で、どういう意味を持つのかについて、触れていない点だ。
たとえば、中国や朝鮮では戦さで戦う武人は存在したが、日本の武士のように国家の統治階級とはならなかった。
武士の登場は、日本が中国、朝鮮とは、決定的に違う道を歩み始めた事を示す。
逆に、日本の封建制はヨーロッパに近い。
封建制は、各領主に土地の支配権を認めることで、個人の権利や法の支配という近代国家の基礎を築いた、と言われている。
日本とヨーロッパで近代国家が成立し、中国や朝鮮では現代でも個人の権利や法の支配という近代国家の基礎が確立できていないのは、この歴史の違いによる、と考えられる。
「武士の登場」を語るなら、こういう処まで踏み込んで語る事で、我が国の国柄を明らかにして欲しい。
2.ヨーロッパの封建制はゲルマン民族への選手交代から
日本とヨーロッパの封建制は似ているが、違いもあり、そこにも我が国らしい国柄が見てとれる。
上横手雅敬・京都大学教授は、次のような興味深い指摘をしている。
__________
日本封建制成立の特色は、律令国家という集権国家が、おとろえながらも、その支配形態の修正によって、根強い勢力を持続していたことである。
鎌倉幕府の成立について見ても、源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命されたり、守護・地頭設置を承認されたりするなど、封建制の成立にあたって、律令国家の公権をゆだねられることが、必須の条件となっている。
一方、ヨーロッパでは、封建制はゲルマンの氏族制社会という未熟な社会体制を母体として成立した。
もちろん、ローマ帝国との接触は、封建制成立の重要な契機とはなっているが、わが律令国家ほどの決定的な影響力を持っていない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヨーロッパの封建制は、ゲルマン民族がローマ帝国を滅ぼし、各地に割拠して始めたものである。
封建制を担った騎士たちは、もとはと言えばローマ帝国を攻撃したゲルマン民族の戦士であったり、逆にローマ帝国に協力した部族や傭兵であった。
彼らはラテン語、キリスト教、ローマ法制などローマ帝国の先進文明には学んでいるが、あくまで異民族であった。
古代帝政から中世の封建制への過程で、ゲルマン民族への選手交代があったのである。
3.国家の中から成長した日本の封建制
それに比べて、日本の武士は国家の中から成長した。
武士の中で中心的な勢力となったのが平氏と源氏だが、両方とも皇室の子孫である、という点が権威の源泉だった。
平氏は第50代桓武天皇を祖としており、源氏は第52代嵯峨天皇の血を引いていた。
また武士の長たる「将軍」は、「征夷大将軍」という朝廷から与えられる官位の一つであり、たとえば、本シリーズで登場した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は桓武天皇より、東北地方の蝦夷を帰順させる為に征夷大将軍に任じられている。
このあたりを自由社版は「第2章のまとめ 中世とはどんな時代か」の中で、次のような姉妹の対話を通じて紹介している。
__________
妹 中世には、天皇は結局どういう立場にあったのかしら?
姉 源平が武士の棟梁となったのは、それぞれが天皇の末裔だったからよ。
天皇が政治の表舞台から退いても、なお影響力はつづいている。
将軍を任命するのは天皇だしね。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「天皇の影響力はつづいている」という点を、「国家統治の権力は公家から武士へと移ったが、その統治を正当化する権威は天皇が維持していた」と理解すれば、より深く日本の国柄が理解できるだろう。
権力と権威の分離という我が国の叡智に基づく政治構造は、封建時代にも健在だった。
しかし、貴族に替わって武士が新しい統治機構を作りあげるには、様々な動乱を経なければならなかった。
その動乱の幕開けが、保元の乱(1156)であった。
4.平安京の「平安」が失われた日
保元の乱は、わずか4、5時間で終わった。
保元元年(1156)年7月11日の午前4時に始まって、午前8時には決着がついていた。
しかし、その傷跡は次第に大きく広がって乱世をもたらしていく。
事の発端は、7月2日に鳥羽法皇が崩御されたことだった。
鳥羽法皇の第一皇子・崇徳上皇は5歳で帝位についたが、23歳の時に父法皇の仰せにより弟の後白河天皇に皇位を譲っていた。
その不満から後白河天皇に対して、兵を挙げたのである。
崇徳上皇方についたのが、これまた関白太政大臣・藤原忠実の次男で不遇を囲っていた頼長であった。
父はこの次男に実権を握らせようとしていたが、後白河天皇方についていた長男の忠通が邪魔になっていた。
いざ戦さとなると武家の力が必要だ。後白河天皇には源氏と平家の「氏の長者」である源義朝(よしとも)、平清盛がついていた。
崇徳上皇方には、義朝の父・源為義(ためよし)と弟・源為朝、清盛の叔父・平忠正(ただまさ)がついた。
こうして、皇室、藤原氏、源氏、平氏がそれぞれ、崇徳上皇方と後白河天皇方に分かれて、骨肉の争いとなったのである。
わずか4、5時間の戦闘とは言え、都が合戦の舞台となった事の衝撃は大きかった。
それまでは蝦夷との戦乱や平将門の反乱などはあったが、いずれも遠く離れた関東や東北の出来事であり、平安京は、その名の通り「平安」であった。
その京のど真ん中で、武士どうしの殺し合いが生じたのだ。
5.347年ぶりに死刑が復活
保元の乱で「平安」時代が終わったというのは、戦いに負けた上皇方の源平70人ほどの武士が斬られた事からも当時の人々が実感したことだろう。
皇族や貴族は従来どおり遠地に流された。
崇徳上皇は讃岐に、藤原頼長は流れ矢に当たって死んだが、その子の兼長は出雲に、という具合である。
これは良いとしても、武士の処分では非情な命令が出された。
平清盛は叔父の忠正親子を斬り、源義朝は父・為義、弟・頼賢(よりかた)、頼仲(よりかた)ばかりでなく、罪もない幼少の弟たちを斬らねばならなかった。
平安時代の347年間、東北や関東での戦乱を除いて、久しく死刑は行われなかった。
朝廷で死刑とされても、天皇に上奏すると思し召しによって罪一等を減じて流罪に処せられるのが常だった。
たとえば橘逸勢(たちばなのはやなり)は842年に謀反を企てたとして伊豆に流されている。
逸勢は伊豆への護送途中に病没したが、850年には罪を許され、正五位下の位階を追贈されている。
こうした平安の伝統を打ち破って、死刑を復活させ、さらに清盛と義朝に、自らの叔父や父、弟たちまで斬らせるという酷薄な処分を下したのは、僧・信西だった。
6.策謀でのし上がった者は策謀によって滅ぶ
信西は出家前は下級貴族だった。史学と法律を学んだ英才だったが、家柄が低いために出世できない。
そのため39歳で出家した。
その時の歌が残っている。
ぬぎかふる衣の色は名のみして心を染めぬことをしぞ思う
(出家して墨染めの衣を着たのは形だけであり、心はけっして出家などしていないのだ)
と、出家は野心のために世を欺く手段である事を詠っている。
偽りに満ちた性格を窺わせる。
たまたま彼の妻が後白河天皇の乳母だったつながりで出世をし、保元の乱に際しては、天皇方の参謀として勝利に貢献した。
乱の後、347年間も死刑がなかったという我が国の穏やかな伝統を無視して、武家に肉親殺しを命じた酷薄さからは、彼の学んだという歴史や法律は、中国の学問だったのではないか、と推察される。
信西が義朝に父親や幼い弟たちまで斬らせたのは、それまで権勢を誇っていた藤原氏と関係の深い源氏を弱体化させようという魂胆からだった。
これだけの犠牲を払って、義朝が得たのは正五位下に過ぎなかった。
信西は、逆に大した武功もない平清盛を正四位下につけた。
後白河天皇はわずか3年で皇位を二条天皇に譲り、院政を始めた。
信西はその院政の中心となる。
そして、今度は二条天皇の親政を目指す一派が決起し、義朝も荷担して、後白河上皇を内裏に押し込め、信西を殺害した。
これが平治元(1159)年の平治の乱である。
この乱で義朝は清盛に敗れ、源氏は13歳の頼朝だけが一命を許されて伊豆に流された。
源氏は雌伏し、平家全盛の時代が始まる。
しかし、その清盛も治承5(1181)年、頼朝率いる源氏の一族が各地で反旗を翻す中、高熱に苦しみながら悶え死んだ。
乱世をもたらした保元の乱の勝者3人は、信西は3年後、義朝は4年後、清盛は20数年後に、それぞれ非業の死を遂げた。
7.滅びぬる事は天の理(ことわり)なり
鎌倉時代後期から南北朝時代に生きた北畠親房(きたばたけちかふさ)は史書『神皇正統記』で、保元の乱での義朝の行いをこう批判している。
__________
義朝・・・父の首をきらせたりし 事、大なる科(とが)なり、古今にもきかず和漢にも例なし、勲功に申し替ふとも、みづから退くとも、などか父を申し助くる道なかるべき、名行欠け果てにければ、いか でか終(つひ)にその身を全くすべき、滅びぬる事は天の理(ことわり)なり
(義朝が父の首を斬らせたことは、大いなる罪科である。
古今にも聞かず、日本にも中国にも例のないことだ。
自分の勲功に替えても、自ら身を退くとしても、どうして父を助ける道がないという事があろうか。
人の道を外れていたので、どうしてその身を全うできよう。
滅びたのは天の理である。)
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義朝が父を斬るという科を犯したので、天に滅ぼされたというのは、前近代的な迷信のように聞こえるだろうが、次のように現代的に解釈すれば、一理ある事が感じられるだろう。
すなわち、信西も義朝も清盛も、己が栄達のために道義を踏み外す事を厭わなかった。
そういう行いは、他者の恨みを買ひ、また同様の人物の野望に火をつけ、徳なき戦いが繰り返される。
その過程で、3人とも身を滅ぼした。
これが乱世の理(ことわり)である。
北畠親房は
「是より乱れ染めぬるも、時運の下りぬる姿ぞと覚え侍(はべ)る」
と保元の乱を評している。
8.皇室の権威が揺らげば、我が国は乱れる
そもそも、保元の乱の発端は、鳥羽法皇崩御の後、その第一皇子ですでに退位していた崇徳上皇と、その弟にあたる後白河天皇の争いであった。
幼い皇子を皇位につけ、その陰で法皇や上皇が政治を握るという院政が、この争いの遠因だった。
自由社版は、「院政」の項で、こう述べる。
__________
11世紀のなかばすぎ、170年ぶりに、藤原氏を外戚に持たない後三条天皇が即位し、みずから政治を行った。これによって、藤原氏の勢力は抑えられた。
・・・
その流れを受けついだ白川天皇は、14年間在位したのち、幼少の天皇に皇位をゆずり、白川上皇として天皇の後ろ盾になって政治の実権を握った。
この政治を院政という。
摂関政治は、天皇の母方の一族が実権を握る政治だったが、院政では、天皇の父や祖父が、朝廷のしきたりにとらわれない政治を行った。
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藤原氏が皇室の外戚として実権を握っていた平安時代は、おおむね死刑もない安定した平和の時代で、国風文化も大いに栄えた。
権力は藤原氏が握っていたが、権威は皇室にあり、その皇室の中で分裂はなかった。
しかし、院政は皇室の権威を天皇と上皇に二分させてしまう危険性を内包していた。
鳥羽法皇が崩御されて、わずか9日後に崇徳上皇と後白河天皇が争った保元の乱は、その現れである。
国民統合の中核たる皇室の権威が揺らげば我が国は乱れるのである。
■日本の民主主義は輸入品か?
~衆議公論の伝統~
1.日本の民主主義は戦後から?
日本に民主主義がもたらされたのは、戦後、アメリカから、というように考えている人が多い。
しかしこれは事実だろうか?
たとえば、選挙制度の発展を見てみよう。
非納税者にも選挙権が与えられたのは、日本では1925(大正14)年だが、イギリスでは1918年とわずか7年の遅れである。
アメリカでは、黒人の政治参加を合法的に排除するために南部諸州は選挙人資格として人頭税を導入しており、これが完全に撤廃されたのは、なんと1960年である。
欧米諸国に比べて、日本の選挙制度がそれほど遅れていたとは言えない。
近隣のアジア諸国と比べてはどうか。
韓国では、79年にクーデターで実権を握った全斗煥将軍が、翌80年には非常戒厳令を発して、金大中、金鍾泌ら有力政治家を拘束している。
実質的に民主選挙が機能し始めたのは、87年の盧泰愚政権以降であろう。
台湾で史上初の大統領選挙が行われたのは、96年である。
漢民族
5千年の歴史で初めての民主選挙と話題になった。
このとき、これ見よがしにミサイルを発射して、自由選挙を脅かした中国は、野党を結成しようとした民主活動家を逮捕して、懲役10年以上の弾圧を加えており、今の共産党政権が続く限り、民主選挙が行われる気配はまったくない。
これらの国に比べれば、我が国は110年前、1889(明治22)年にアジアで最初の近代的憲法を制定し、翌年、帝国議会を開催した。
アジアの中では群を抜いて早い。
なぜ日本だけが、自由選挙、議会政治という民主主義制度をいち早く取り入れる事ができたのか?
欧米の民主主義と類似の土壌が、江戸時代以前からすでにあったのではないか?
2.神代の衆議
西洋における民主主義の源流は、古代ギリシア、ローマ、ゲルマン社会で行われていた民会である。
財産や身分などで参加制限はあったが、そこで市民の話し合いによって、共同体としての意思決定が行われていた。
面白いことに、民会と同様の集まりが、日本神話にも見られる。
速須佐の男の命(はやすさのおのみこと)が、高天の原を訪ね、乱暴狼藉を働いたので、姉の天照らす大御神は天の岩屋戸に籠もってしまわれ、それがために高天の原は真っ暗となってしまった。
ここで、八百万の神々は天の安の河原(あめのやすのかわら)に
「神集い集ひて(かむつどいつどいて)」
、相談をする。
その結果が、お祭り騒ぎをして、天照らす大御神が少し岩戸を開けて、外をのぞいた時に、その手をとって引き出すという妙案となり、見事成功する。
そして、再び
「八百万の神共に謀りて」、
速須佐の男の命を罰し、追放する。
ここで興味深いのは、天照らす大御神の態度である。
高天の原の統治者なのだから、号令一下、八百万の神々を動員して、いきなり
速須佐の男の命を追放してもよいのに、そうしていない。
しかし、もしそうしたのでは、天照らすと速須佐の男の武力による権力闘争となってしまう。
これでは毛沢東と劉少奇の争いと同じだ。
天照らすはそれを避け、岩屋戸に閉じこもって、八百万の神々に自ら考えさせる機会を与えたのである。
八百万の神々は、皆で相談して、天照らすを統治者として迎え、速須佐の男を追放した。
衆議によって、天照らすを正統な統治者とする事を公論として決定したと言える。
神話だけでなく、中国の史書、魏志倭人伝にも女王ヒミコが共立されたと記されている。
天照らすと同様、話し合いによって、推戴されていたのである。
3.「和」に基づいた衆議
聖徳太子が推古天皇12(602)年に作られたとされる憲法十七条は、この衆議公論の伝統を最初に明文化したものである。
第一条の有名な
「和をもって貴しとなす」
というのは、単に仲良くせよ、というのではない。
人間はみな党派心があるので、エゴのぶつかりあいが、争いを起こしがちである。
太子は「和」の必要な理由を次のように述べている。
然(しか)れども、上和らぎ、
下睦びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、
則(すなは)ち事理自ずから通ふ。
何事か成らざらむ。
地位や年齢の上下はあっても、和気藹々(あいあい)と議論を尽くせば、物事の道理が自ずから明らかになる。
そうなれば、出来ない事などあろうか、
と言われるのである。
クラブとか、職場などで、和やかなムードの中で自由な話し合いが行われれば、衆知を集め、皆の意思統一もできて、何事もきわめてスムーズに行く、という事を体験された読者も多いだろう。
「和をもって貴しとなす」
という第一条は、
「和」に基づいた衆議を国家統治の基本として定めたものである。
4.衆議は無私の態度で
武家の時代となって、長く法治の拠り所とされたのは、貞永元年(1232)に制定された御成敗式目(貞永式目)である。これは幕府の評定衆13人の多数決によって制定された。
その起請文には、彼らが、いかに厳粛な衆議を行ったかについて述べている。
《およそ評定の間、理非においては親疎あるべからず、好悪あるべからず。
ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚らず、権門を恐れず、詞(ことば)を出すべきなり》
法を決めれば、当然、不利な者、有利な者が出てくる。
法を考える場合、自分の親しい者、好む者の利益を考えてはならない。
ただ
ただ、道理を追求して、他のメンバーの思惑を憚ったり、権力者を恐れたりせず、発言するべきだ、
と言うのである。
現代の国会で、特定集団の利益代表となっている議員に聞かせたい言葉だ。
このような公平無私な態度で衆議をつくしてこそ、真の公論、すなわち、国民全体の意思を発見できるのであろう。
こうして制定された貞永式目は長く武士や庶民の法として定着し、民主政治に不可欠な法治社会の土壌となった。
5.万機公論ニ決スベシ
明治元(1868)年、明治新政府は基本方針として、五箇条のご誓文を発表した。
その第一条が
「広ク会議ヲ興(オコ)シ万機公論ニ決ス
ベシ」
である。
このような民主政治の根本原理が、いきなり成立直後の新政府の第一方針として打ち出された、という点が注目される。
第一に、民主政治が西洋諸国の国民全体のエネルギーを引き出し、経済的・軍事的発展の基盤となっていると、明治新政府は見ていた点である。
西洋諸国の攻勢から独立を守るためには、我が国も同じ基盤を持たねばならない。
そのような新政府の決意を、この冒頭第
一条に見る事ができる。
第二は、この方針を当時の国民全体が何の違和感もなく、自然に受けとめたという点である。
新興国で民主選挙をいきなり実施して
も、少数派がクーデターを起こしたりして、なかなか安定しない場合が多い。
それに比べれば、明治維新後、わずか20数年でアジアで最初の近代憲法を制定し、選挙に基づく議会開催にこぎつけたのは、やはりそれだけの下地があったからだと考えざるをえない。
6.民主主義的傾向ノ復活強化
昭和20年7月、敗色濃厚の日本に対して、連合国はポツダム宣言を発し、降伏条件を提示した。
その第10条には、
日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙(しょうがい)ヲ除去スヘシ
という一節がある。
「民主主義的傾向ノ復活強化」
という言葉に注目されたい。
連合国側も、民主主義的傾向が戦前から日本にあったと認識していたのである。
昭和21年年頭に「新日本建設の詔書」が発表された。
その冒頭
には、昭和天皇の意思により、五箇条のご誓文がそのまま引用された。
戦後の再出発にあたり、近代日本の出発点が「万機公論に決すべし」にあったことを思いおこさせるためである。
占領軍は「デモクラシー」という聞き慣れない用語を持ち込んだが、国民はそれを何の抵抗もなく、スムーズに受け入れた。
昔からの衆議公論の伝統から見れば、特に違和感はなかったのである。
7.君主制民主国家と共和制独裁国家
君主制と民主主義が対立すると考える人が多いが、これが大きな誤解である事は、イギリス、オランダ、ベルギー、スウェーデン、デンマークなど、安定した民主主義国は君主制国家に多い事を見ればすぐに分かる。
民主主義の本質は、「権力」が国民にある事であり、その反対は独裁制である。
君主制は、元首という国家統合の「権威」が世襲である事を意味し、その反対概念は共和制である。
したがってこれらの組み合わせで、以下の4通りのパターンがある。
君主制民主国家:
イギリス、日本など
共和制民主国家:
アメリカなど
君主制独裁国家:
帝政ロシア、清帝国など
共和制独裁国家:
旧ソ連、中国など
衆議公論の伝統のある所では、イギリスのような君主制にしろ、アメリカのような共和制にしろ、安定した民主主義を発展させている。
逆に帝政ロシアや清帝国などの君主制独裁国家を革命で倒しても、衆議公論の伝統のない所では、共和制独裁国家となるだけだ。
民主主義が安定的に機能するためには、衆議をつくした結果、定められた公論には、反対派も従う、という国民的コンセンサスが必要だ。
この衆議公論の伝統が、古代から、我が国の政治文化に脈々と受け継がれていたからこそ、アジアでは群を抜いて早く、また西洋にも比肩しうる民主政治の発展が可能であったのである。
■民主主義を支える皇室伝統
H19.02.11
1孤独で不幸な日本国憲法
日本国憲法は、まことに孤独で不幸な憲法なのである。
その意味は、それが真の護憲派を有していないという点に示されている。
先年惜しくも亡くなられた坂本多加雄・学習院大学教授の『象徴天皇制度と日本の来歴』の一節である。
「護憲派」がいるではないか、と思われるだろうが、たとえば護憲派の人々の多くは、
憲法第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
を、その条文のまま擁護しようとしているであろうか。
戦後の通説的解釈では、
「主権の存する日本国民」にのみ焦点が当てられ、
「天皇は象徴に過ぎない」と総じて消極的、否定的に解釈される。
そして、天皇の存在は国民主権の不徹底のためであり、
「国民の総意」によって将来、天皇制度を廃止する改憲も可能である、と考えている。
これは本来の意味の「護憲派」であろうか。
改憲による天皇制度廃止を狙う人々の「偽装」に過ぎないのではないか。
2.「8月15日革命説」
これらの「偽装護憲派」の人々は、国民主権と君主の存在が相容れないものと考える。
それは国民主権を最初に打ち出したフランス革命で王制が打倒されたからである。
戦後の正統的な学説として広く通用してきた宮沢俊義・東京大学法学部教授の「8月15日革命説」では、大日本帝国憲法の「天皇主権」が昭和20年8月15日のポツダム宣言受諾を機に、日本国憲法の「国民主権」に転換するという「革命」が起こったというのである。
しかし、その「革命」は不徹底なものであり、「天皇条項」が残ってしまった。
そこで彼らはなんとか「真の革命」に解釈上だけでも近づけようと、
「天皇は象徴に過ぎない」と主張するのである。
「天皇主権」と「国民主権」が対立するような構図が本当にあったのか、
以下、歴史的な実態を追っていくが、その前にフランス革命における「国民主権」の実態を見ておきべきだろう。
そこでは反対派の国民2百万人が虐殺されるという惨劇が起こった。
またナポレオンが徴兵制度により、国民全体を兵士に仕立て上げ、ヨーロッパ全土を戦火に巻き込んだ。
フランス国民の総意に基づく真の「国民主権」が実現していたら、フランス国民はこういう事態を本当に欲しただろうか?
こうした史実を素直に見れば、フランス革命とは「国民主権」というイデオロギーのもとに、一部の過激な勢力が権力を握り、反対派を弾圧・粛正・虐殺するという、後のソ連、中国、北朝鮮などの独裁国家に見られた全体主義の先駆的現象に過ぎないように見える。
3.幕末の「民主化」
偽装護憲派の賛美するフランス革命の「国民主権」がこのような「偽装」に過ぎないのであれば、それに対比される「天皇主権」はどうか。
「民主化」を「政治的決定の実質的主体が下降していく傾向」と捉えれば、幕府がペリーの来航に対して、従来の慣例を破って諸大名に意見具申を求めたことが、近代日本における「民主化」の始まりであった事は、戦前からの「憲政史」の研究などで広く認められていた。
その後の幕末の動乱の過程で、この「民主化」の動きが本格化し、実質的な政治決定の主体は、幕府から諸大名、諸大名から上級の武士へ、さらには下級武士へ、そして「草莽の志士」へと、下降していく。
同時に、幕府の権力低下の中で、国策の決定は「衆議」に基づくものでなければならない、とする「公議輿論」の考え方が広がっていく。
ここで興味深いのは、この権力の下降現象を後押しする形で、権威が幕府から天皇へと上昇する現象があったことだ。
もともと将軍とは、天皇から征夷大将軍として任命される官職の一つであるという史実を踏まえて、朝廷が幕府に「大政」を「委任」したのだ、という「大政委任論」が本居宣長などによって唱えられた。
また、明治天皇の3代前に当たる光格天皇が、窮民の救済を幕府に命じられたのだが、そうした事実を通じて人々は改めて天皇の権威を認識した。
「権力」の下降現象は、それだけでは正統性を得られず、人心の受け入れる所とならないために、政治の不安定を招きやすい。
しかし我が国においては、それが天皇の権威のもとで行われることで、正統性を与えられ、国民全体の受け入れる所となった。
すなわち、「尊皇」によって「公議輿論」という「民主化」プロセスを後押ししたのである。
4.「天朝の天下にして、乃(すなわ)ち天下の天下」
この思想を端的に表しているのが、吉田松陰の次の言葉であろう。
天下は天朝の天下にして、
乃(すなわ)ち天下の天下なり、
幕府の私有にあらず。
「天下」とは日本という国家全体を指す。
「天朝の天下」とは「偽装護憲派」流に言えば、「天皇主権」であろう。
そして「天下の天下」は「国家は国民全体のもの」、
言わば「国民主権」ということになる。「天皇主権」がすなわち「国民主権」であり、
それが「幕府の私有」、「幕府主権」を否定する原理とされている。
松陰はこれに続いて、幕末の対外的危機に際して、
「普天卒土の人、如何で力を尽くさざるべけんや」
(日本国中の国民が、力を尽くすべきである)
と主張している。
国民として一人一人が国家を守る義務を持ち、そのために「公議輿論」に参加する権利があるということであろう。
5.天皇の名の下に進められた立憲議会制度確立
こうした「公議輿論」の考えを、国家として公的に宣言したのが「五箇条の御誓文」における「広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ」であろう。
これはどう見ても、議会制民主主義の宣言である。
そして、この宣言が、明治天皇が神に誓われた「御誓文」という形式で発せられた、という点に留意する必要がある。
この宣言は、明治8年の「立憲政体の詔書」でより具体化し、明治14年の「国会開設の勅諭」で議会制度の創設が公約され、ついにはアジアで最初の近代的成文憲法である「大日本帝国憲法」へと結実していく。
このいずれのステップにおいても、
「御誓文」「詔書」「勅諭」と天皇の公的な意思表示という形式が採られた。
我が国の立憲議会制度は、天皇の「錦の御旗」のもとで建設されてきた、と言える。
一方、明治政府を批判する民権運動も、「五箇条の御誓文」を根拠に早期の議会制度設置の要求を行った。
そして政府を攻撃するのに、「君」と「民」との意思疎通を妨げていると批判を行った。
民権過激派による加波山事件(明治17年、16名の青年による栃木県令の暗殺未遂事件)の檄文には
「奸臣柄を弄して、上聖天子を蔑如し(奸臣が権勢をみだりにして、天皇をないがしろしにし)」
という一節がある。
政府も民権派も、具体的方法論やスケジュールにおいては対立があったが、ともに天皇を国民統合の象徴として、そのもとでの立憲議会制度を目指していた事に変わりはない。
西洋諸国に見られたような「君」と「民」が権力をめぐって争うという構図は、我が国には見られなかった。
6.武力クーデターを挫折させた昭和天皇のお怒り
明治22(1889)年2月11日、アジア最初の近代的成文憲法として大日本帝国憲法が発布された。
当時の欧米の著名な政治家や学者は、この憲法が日本古来の伝統に根ざしつつ、近代的憲法学を適用したものと、きわめて高い評価を与えた。
そこでの天皇は「統治権」の「総攬」者とされているが、立法においては議会の「協賛」すなわち承認が必要であるとし、また行政についても、大臣の「輔弼」によってなされるとした。
これが形ばかりのものでないことは、日露開戦という国運を賭した決定が、明治天皇の御心配を押し切った形で、内閣によってなされた、という一点だけでも窺えよう。
大東亜戦争開戦も同様である。
帝国憲法において、天皇を「統治権」の「総攬」者であると定めていた事から、この「天皇主権」が昭和期に軍部が台頭して、軍国主義を生み出したと考えるのはどうだろうか。
昭和11(1936)年2月26日に青年将校らが「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて、主要閣僚を襲い、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相などを殺害した。
昭和天皇はこの武力クーデターにお怒りになり、
「朕自ら近衛師団を率い、これが鎮定に当たらん、馬を引け」
とまで言われた。
そして戒厳司令官・香椎中将がラジオ放送で、
「天皇陛下に叛き奉り逆賊としても汚名を永久に受けるやうなことがあってはならない」
と兵に原隊復帰を呼びかけた。
武力クーデターを挫折させたのは、あくまで立憲君主制を守られようとされた昭和天皇のお怒りであった。
もし本当に「天皇主権」で昭和天皇が直接、権力を振るわれていたら、逆に軍部の専横の余地はなかったであろう。
7.斎藤隆夫の「粛軍演説」
事件の3ヶ月後、5月7日に開かれた第69特別議会において、斎藤隆夫・衆院議員は有名な「粛軍演説」を行った。
その中にこういう一節がある。
《我が日本の国家組織は建国以来三千年、牢固として動くものではない。
終始一貫して何ら変りはない。
また政治組織は明治大帝の偉業によって建設せられたるところの立憲君主制、これより他にわれわれ国民として進むべき道は絶対にないのであります。
故に軍首脳部がよくこの精神を体して、極めて穏健に部下を導いたならば、青年軍人の間において怪しむべき不穏の思想が起こるわけは断じてないのである。》
軍部の専横を批判し、立憲議会政治を守ろうとする人々にとって、「明治大帝の偉業によって建設せられたるところの立憲君主制」こそが、その寄って立つ根拠であった。
8.「治安維持法」はソ連との冷戦
戦前の「天皇主権」をあげつらう人々が、軍国主義による人権弾圧の典型として持ち出すのが、「治安維持法」である。
しかし、これはソ連による国際共産主義革命への防衛策として制定されたという面を忘れてはならない。
もともとソ連は、国内外を問わず、「階級敵」「人民の敵」を抑圧・殲滅せしめ、共産主義を世界に広めることを国是とした国家であった。
そして、その国是は国内においては大規模な虐殺粛正や、政治犯の収容所送りとして実行された。
国外にあっては、各国の共産党を手先として、その政治体制を内部から打倒する事を目指した。
日本共産党もその一派であった。
坂本多加雄氏は、治安維持法下の特別高等警察と日本共産党との闘争は、政府対人民の闘争ではなく、ソ連と大日本帝国との「冷戦」であった、と述べている。
これは戦後、日本の代わりにソ連との冷戦を始めた米国においても、「赤狩り」というマッカーシズムが吹き荒れたことと同様の現象である。
戦前の治安維持法による人権弾圧を批判する前に、当時のソ連における人権弾圧は、日本よりもはるかに大規模かつ徹底的なものであった事を知っておかねばならない。
さらに、もし日本がソ連との冷戦に負けて、日本共産党の支配下におかれたら、議会制民主主義は根絶やしとされ、東欧諸国や中国、北朝鮮と同様の徹底的な粛正・虐殺が行われていたであろう。
こうした背景を考えてみれば、治安維持法による人権弾圧が、「天皇主権」の独裁国家によって生み出された、という見方は、当時の国際環境を無視した一面的なものである事が判る。
9.日本の"Democracy化"と皇室伝
敗戦後、昭和21年年頭に「新日本建設の詔書」が発表された。
俗に「人間宣言」と言われているが、その冒頭には、昭和天皇の御意思により、「五箇条の御誓文」がそのまま引用されている。
戦後の再出発にあたり、近代日本の出発点が「万機公論に決すべし」にあったことを国民に思い起こさせるためである。
詔書渙発からほどない1月18日、昭和天皇は次のように言われたと、侍従次長・木下道雄は『側近日誌』に記している。
日本のDemocracy化とは、
日本皇室古来の伝統を徹底せしむるにあり
「和」を尊び、独断専横を嫌うのがわが国の文化的伝統であり、
その中で人民を「大御宝(おおみたから)」として、その安寧と幸福を祈り続けてきたのが有史以来の皇室伝統であった。
こうした文化的・政治的伝統を基盤として、近代においては、天皇の名の下に議会制民主主義という政治制度が着々と築かれてきた。
民主主義とはアメリカの専売物ではなく、広く近代国際社会の共有するものであって、わが国にはわが国なりの歩みがあった、と昭和天皇は主張されているのである。
現行の日本国憲法は占領軍総司令部がわずか1週間程度で急拵えしたもので、文章、内容ともに細部には問題が多いが、
天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とし、そのもとでの議会制民主主義を採用するという立憲君主制の構造は、帝国憲法と同じである。
そして日本国憲法は帝国憲法の改正として、昭和天皇の次の「上諭」とともに発布された。
《朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。》
わが国の議会制民主主義の歩みは、明治元(1868)年の「五箇条の御誓文」以来、140年近くにもなる。未だ民主化の芽吹かぬ近隣諸国との外交においても、この事をよく踏まえた上で対応すべきである。
■皇民主義を考える
転載元
ねずさんのひとりごと 2013年03月22日
皇民主義について考えてみたいと思います。
皇民主義という言葉は、一般的なものではありません。
けれど私は、日本の古来変わらぬカタチの本質は、まさにこの皇民主義にあったものと考えています。
昨今、民主主義こそが世界を救うとでもいいたいような論調が盛んです。
けれどその民主主義について、ルソーは
「民主主義もやがては老朽化し、疲弊し、冷酷な独裁者の手に落ち、世界はふたたび破滅的な戦争への道を歩むであろう」
と書いています。
なぜそうなるかというと、欧州における民主主義の誕生を見たらわかります。
民主主義は、絶対王朝の専制君主による専制主義の対義語として誕生しています。
専制主義は、王は神から授かった権力を行使している、という概念から出発しています。
つまり、王は神の代理人です。
ということは王は、まさに神そのものであり、だから民衆(=人)に対して、絶対的な生殺与奪の権力を持ちます。
歴代の支那の王朝も同じです。
専制君主が神の代理人として、絶対的な政治権力をふるい、民衆は私有物であり奴隷と看做される。
それが専制主義です。
そうではなく、民衆を代表するものが政治権力を握るのが民主主義とされるのですが、その政治権力者が民意を捏造したり私腹のために民衆を支配すれば、それはやはり実質的専制主義となってしまいます。
このブログでも度々取り上げさせていただいていますが、我が国における天皇は、政治権力に認証を与える、政治権力よりも上位の存在です。
ですから、江戸時代における将軍でも、その地位は天皇によって任命される官職の一つでしかなかったし、
明治憲法下における内閣総理大臣も、天皇によって任命される官職そのものです。
さらに古代律令国家体制においても、政治権力者であり、政治権力の執行者である太政官は、やはり天皇によって任命された存在です。
この体制において大切なことは、それら政治権力者が統治する民衆が、「皇民」であるということです。
すなわち天皇の民です。
この社会体制が何を意味するかといえば、政治権力者は常に「民のため」の政治をしなければならなくなる、ということです。
なぜなら政治権力者が統治する民衆は、政治権力者にとって、ただの私有民や奴隷ではなくて、天皇の民だからです。
民主主義が、いわゆる衆愚政治に陥ったり、混乱し、疲弊し結果としては再び独裁者の手に落ちてしまう危険を常に孕んでいるのに対し、
天皇を中心とした皇民主義には、その危険がありません。
なぜなら皇民主義をささえているのは、単に選挙によって選ばれた権力者というだけでなく、民衆が皇民であるということを、ちゃんと理解した権力者でなければならず、そうでなければ天皇の認証を受けることができないからです。
またこれを支える民衆も、皇民であることを理解するに足るだけの知性と教養が必要です。
つまり、政治権力者も民衆も、双方ともに天皇の権威によって守られているということを、双方ともに理解していることが、皇民主義の柱になります。
民主主義も、皇民主義も、「民が主役」という思想に違いはありません。
ただ、民主主義の場合、まさに「オレが主役」ですから、たとえば勉強ひとつするにしても、
「オレが必要と思えば勉強するし、不要ならしない」という「我」が通ってしまいます。
ですから多くの民は勉強をしなくなり、政治や社会体制そのものよりも、自分の身の安全や個人の幸せを追求するようになります。
こうして民が愚かに堕ちれば、そうした愚かな大衆を煽動し、利用し、自己の権力の肥大を図ろうとする悪人が出てきます。
ルソーは、このことを指して、
「民主主義もやがては老朽化し、疲弊し、冷酷な独裁者の手に落ち、世界はふたたび破滅的な戦争への道を歩むであろう」
と書いているわけです。
これに対して皇民主義の根底に流れているのは、皇あっての民、民あっての皇、という考え方です。
「皇」というのは、「公」でもありますから、公あっての民、民あっての公という考え方が一般化します。
つまり、より多くの人のために生きることが、良いことという価値観を内包しているわけです。
従って、皇(公)のために生きるのが民であり、民のためにあるのが皇(公)だということになります。
この場合、おもしろいのは、政治権力者で、政治権力者の行動も、こうした皇(公)と民との間においては、皇(公)と民、両方の発展と幸福のために働くことが自然と義務づけられるのです。
ですから、社会の根底が崩れない。
崩れないから、皇民主義であったかつての日本は、源家から足利家、足利家から織田家、豊臣家、徳川家、明治新政府と政権交替はあっても皇民体制そのものは崩れない。
だからこそ、2700年近くも我が国はこの体制が堅持され続けてきているわけです。
私は、新憲法を考える上においては、我が国がこの皇民主義の国家であることを高らかに謳い上げる憲法にするべきだと思っています。
保元の乱と乱世の始まり
転載元 伊勢雅臣 2015/02/08
上皇と天皇が争った保元の乱が、乱世の始まりだった。
1.「武士の登場」
自由社版の中学歴史教科書は、「武士の登場」という節で次のように解説している。
__________
9~10世紀になると、私有地である荘園が広がって、国司の権限が及ばなくなった。
都でも地方でも、盗賊が出没し、治安が乱れた。
朝廷や中央の貴族たちは、武芸を職業とする者をやとい、宮中や貴族の護衛をさせた。
また、地方でも、国司として赴任しそのまま住み着いた一族や、地元の豪族の中に、土地を守るためにみずから集団で武装する者があらわれた。
こうして、武士が登場した。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
東京書籍版も、やや短いながら同様の記述をしており、それほどの違いはない。
ただ両書の共通点は、「武士の登場」という現象を説明しているだけで、それが国史と国柄の上で、どういう意味を持つのかについて、触れていない点だ。
たとえば、中国や朝鮮では戦さで戦う武人は存在したが、日本の武士のように国家の統治階級とはならなかった。
武士の登場は、日本が中国、朝鮮とは、決定的に違う道を歩み始めた事を示す。
逆に、日本の封建制はヨーロッパに近い。
封建制は、各領主に土地の支配権を認めることで、個人の権利や法の支配という近代国家の基礎を築いた、と言われている。
日本とヨーロッパで近代国家が成立し、中国や朝鮮では現代でも個人の権利や法の支配という近代国家の基礎が確立できていないのは、この歴史の違いによる、と考えられる。
「武士の登場」を語るなら、こういう処まで踏み込んで語る事で、我が国の国柄を明らかにして欲しい。
2.ヨーロッパの封建制はゲルマン民族への選手交代から
日本とヨーロッパの封建制は似ているが、違いもあり、そこにも我が国らしい国柄が見てとれる。
上横手雅敬・京都大学教授は、次のような興味深い指摘をしている。
__________
日本封建制成立の特色は、律令国家という集権国家が、おとろえながらも、その支配形態の修正によって、根強い勢力を持続していたことである。
鎌倉幕府の成立について見ても、源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命されたり、守護・地頭設置を承認されたりするなど、封建制の成立にあたって、律令国家の公権をゆだねられることが、必須の条件となっている。
一方、ヨーロッパでは、封建制はゲルマンの氏族制社会という未熟な社会体制を母体として成立した。
もちろん、ローマ帝国との接触は、封建制成立の重要な契機とはなっているが、わが律令国家ほどの決定的な影響力を持っていない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヨーロッパの封建制は、ゲルマン民族がローマ帝国を滅ぼし、各地に割拠して始めたものである。
封建制を担った騎士たちは、もとはと言えばローマ帝国を攻撃したゲルマン民族の戦士であったり、逆にローマ帝国に協力した部族や傭兵であった。
彼らはラテン語、キリスト教、ローマ法制などローマ帝国の先進文明には学んでいるが、あくまで異民族であった。
古代帝政から中世の封建制への過程で、ゲルマン民族への選手交代があったのである。
3.国家の中から成長した日本の封建制
それに比べて、日本の武士は国家の中から成長した。
武士の中で中心的な勢力となったのが平氏と源氏だが、両方とも皇室の子孫である、という点が権威の源泉だった。
平氏は第50代桓武天皇を祖としており、源氏は第52代嵯峨天皇の血を引いていた。
また武士の長たる「将軍」は、「征夷大将軍」という朝廷から与えられる官位の一つであり、たとえば、本シリーズで登場した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は桓武天皇より、東北地方の蝦夷を帰順させる為に征夷大将軍に任じられている。
このあたりを自由社版は「第2章のまとめ 中世とはどんな時代か」の中で、次のような姉妹の対話を通じて紹介している。
__________
妹 中世には、天皇は結局どういう立場にあったのかしら?
姉 源平が武士の棟梁となったのは、それぞれが天皇の末裔だったからよ。
天皇が政治の表舞台から退いても、なお影響力はつづいている。
将軍を任命するのは天皇だしね。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「天皇の影響力はつづいている」という点を、「国家統治の権力は公家から武士へと移ったが、その統治を正当化する権威は天皇が維持していた」と理解すれば、より深く日本の国柄が理解できるだろう。
権力と権威の分離という我が国の叡智に基づく政治構造は、封建時代にも健在だった。
しかし、貴族に替わって武士が新しい統治機構を作りあげるには、様々な動乱を経なければならなかった。
その動乱の幕開けが、保元の乱(1156)であった。
4.平安京の「平安」が失われた日
保元の乱は、わずか4、5時間で終わった。
保元元年(1156)年7月11日の午前4時に始まって、午前8時には決着がついていた。
しかし、その傷跡は次第に大きく広がって乱世をもたらしていく。
事の発端は、7月2日に鳥羽法皇が崩御されたことだった。
鳥羽法皇の第一皇子・崇徳上皇は5歳で帝位についたが、23歳の時に父法皇の仰せにより弟の後白河天皇に皇位を譲っていた。
その不満から後白河天皇に対して、兵を挙げたのである。
崇徳上皇方についたのが、これまた関白太政大臣・藤原忠実の次男で不遇を囲っていた頼長であった。
父はこの次男に実権を握らせようとしていたが、後白河天皇方についていた長男の忠通が邪魔になっていた。
いざ戦さとなると武家の力が必要だ。後白河天皇には源氏と平家の「氏の長者」である源義朝(よしとも)、平清盛がついていた。
崇徳上皇方には、義朝の父・源為義(ためよし)と弟・源為朝、清盛の叔父・平忠正(ただまさ)がついた。
こうして、皇室、藤原氏、源氏、平氏がそれぞれ、崇徳上皇方と後白河天皇方に分かれて、骨肉の争いとなったのである。
わずか4、5時間の戦闘とは言え、都が合戦の舞台となった事の衝撃は大きかった。
それまでは蝦夷との戦乱や平将門の反乱などはあったが、いずれも遠く離れた関東や東北の出来事であり、平安京は、その名の通り「平安」であった。
その京のど真ん中で、武士どうしの殺し合いが生じたのだ。
5.347年ぶりに死刑が復活
保元の乱で「平安」時代が終わったというのは、戦いに負けた上皇方の源平70人ほどの武士が斬られた事からも当時の人々が実感したことだろう。
皇族や貴族は従来どおり遠地に流された。
崇徳上皇は讃岐に、藤原頼長は流れ矢に当たって死んだが、その子の兼長は出雲に、という具合である。
これは良いとしても、武士の処分では非情な命令が出された。
平清盛は叔父の忠正親子を斬り、源義朝は父・為義、弟・頼賢(よりかた)、頼仲(よりかた)ばかりでなく、罪もない幼少の弟たちを斬らねばならなかった。
平安時代の347年間、東北や関東での戦乱を除いて、久しく死刑は行われなかった。
朝廷で死刑とされても、天皇に上奏すると思し召しによって罪一等を減じて流罪に処せられるのが常だった。
たとえば橘逸勢(たちばなのはやなり)は842年に謀反を企てたとして伊豆に流されている。
逸勢は伊豆への護送途中に病没したが、850年には罪を許され、正五位下の位階を追贈されている。
こうした平安の伝統を打ち破って、死刑を復活させ、さらに清盛と義朝に、自らの叔父や父、弟たちまで斬らせるという酷薄な処分を下したのは、僧・信西だった。
6.策謀でのし上がった者は策謀によって滅ぶ
信西は出家前は下級貴族だった。史学と法律を学んだ英才だったが、家柄が低いために出世できない。
そのため39歳で出家した。
その時の歌が残っている。
ぬぎかふる衣の色は名のみして心を染めぬことをしぞ思う
(出家して墨染めの衣を着たのは形だけであり、心はけっして出家などしていないのだ)
と、出家は野心のために世を欺く手段である事を詠っている。
偽りに満ちた性格を窺わせる。
たまたま彼の妻が後白河天皇の乳母だったつながりで出世をし、保元の乱に際しては、天皇方の参謀として勝利に貢献した。
乱の後、347年間も死刑がなかったという我が国の穏やかな伝統を無視して、武家に肉親殺しを命じた酷薄さからは、彼の学んだという歴史や法律は、中国の学問だったのではないか、と推察される。
信西が義朝に父親や幼い弟たちまで斬らせたのは、それまで権勢を誇っていた藤原氏と関係の深い源氏を弱体化させようという魂胆からだった。
これだけの犠牲を払って、義朝が得たのは正五位下に過ぎなかった。
信西は、逆に大した武功もない平清盛を正四位下につけた。
後白河天皇はわずか3年で皇位を二条天皇に譲り、院政を始めた。
信西はその院政の中心となる。
そして、今度は二条天皇の親政を目指す一派が決起し、義朝も荷担して、後白河上皇を内裏に押し込め、信西を殺害した。
これが平治元(1159)年の平治の乱である。
この乱で義朝は清盛に敗れ、源氏は13歳の頼朝だけが一命を許されて伊豆に流された。
源氏は雌伏し、平家全盛の時代が始まる。
しかし、その清盛も治承5(1181)年、頼朝率いる源氏の一族が各地で反旗を翻す中、高熱に苦しみながら悶え死んだ。
乱世をもたらした保元の乱の勝者3人は、信西は3年後、義朝は4年後、清盛は20数年後に、それぞれ非業の死を遂げた。
7.滅びぬる事は天の理(ことわり)なり
鎌倉時代後期から南北朝時代に生きた北畠親房(きたばたけちかふさ)は史書『神皇正統記』で、保元の乱での義朝の行いをこう批判している。
__________
義朝・・・父の首をきらせたりし 事、大なる科(とが)なり、古今にもきかず和漢にも例なし、勲功に申し替ふとも、みづから退くとも、などか父を申し助くる道なかるべき、名行欠け果てにければ、いか でか終(つひ)にその身を全くすべき、滅びぬる事は天の理(ことわり)なり
(義朝が父の首を斬らせたことは、大いなる罪科である。
古今にも聞かず、日本にも中国にも例のないことだ。
自分の勲功に替えても、自ら身を退くとしても、どうして父を助ける道がないという事があろうか。
人の道を外れていたので、どうしてその身を全うできよう。
滅びたのは天の理である。)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
義朝が父を斬るという科を犯したので、天に滅ぼされたというのは、前近代的な迷信のように聞こえるだろうが、次のように現代的に解釈すれば、一理ある事が感じられるだろう。
すなわち、信西も義朝も清盛も、己が栄達のために道義を踏み外す事を厭わなかった。
そういう行いは、他者の恨みを買ひ、また同様の人物の野望に火をつけ、徳なき戦いが繰り返される。
その過程で、3人とも身を滅ぼした。
これが乱世の理(ことわり)である。
北畠親房は
「是より乱れ染めぬるも、時運の下りぬる姿ぞと覚え侍(はべ)る」
と保元の乱を評している。
8.皇室の権威が揺らげば、我が国は乱れる
そもそも、保元の乱の発端は、鳥羽法皇崩御の後、その第一皇子ですでに退位していた崇徳上皇と、その弟にあたる後白河天皇の争いであった。
幼い皇子を皇位につけ、その陰で法皇や上皇が政治を握るという院政が、この争いの遠因だった。
自由社版は、「院政」の項で、こう述べる。
__________
11世紀のなかばすぎ、170年ぶりに、藤原氏を外戚に持たない後三条天皇が即位し、みずから政治を行った。これによって、藤原氏の勢力は抑えられた。
・・・
その流れを受けついだ白川天皇は、14年間在位したのち、幼少の天皇に皇位をゆずり、白川上皇として天皇の後ろ盾になって政治の実権を握った。
この政治を院政という。
摂関政治は、天皇の母方の一族が実権を握る政治だったが、院政では、天皇の父や祖父が、朝廷のしきたりにとらわれない政治を行った。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
藤原氏が皇室の外戚として実権を握っていた平安時代は、おおむね死刑もない安定した平和の時代で、国風文化も大いに栄えた。
権力は藤原氏が握っていたが、権威は皇室にあり、その皇室の中で分裂はなかった。
しかし、院政は皇室の権威を天皇と上皇に二分させてしまう危険性を内包していた。
鳥羽法皇が崩御されて、わずか9日後に崇徳上皇と後白河天皇が争った保元の乱は、その現れである。
国民統合の中核たる皇室の権威が揺らげば我が国は乱れるのである。
■日本の民主主義は輸入品か?
~衆議公論の伝統~
1.日本の民主主義は戦後から?
日本に民主主義がもたらされたのは、戦後、アメリカから、というように考えている人が多い。
しかしこれは事実だろうか?
たとえば、選挙制度の発展を見てみよう。
非納税者にも選挙権が与えられたのは、日本では1925(大正14)年だが、イギリスでは1918年とわずか7年の遅れである。
アメリカでは、黒人の政治参加を合法的に排除するために南部諸州は選挙人資格として人頭税を導入しており、これが完全に撤廃されたのは、なんと1960年である。
欧米諸国に比べて、日本の選挙制度がそれほど遅れていたとは言えない。
近隣のアジア諸国と比べてはどうか。
韓国では、79年にクーデターで実権を握った全斗煥将軍が、翌80年には非常戒厳令を発して、金大中、金鍾泌ら有力政治家を拘束している。
実質的に民主選挙が機能し始めたのは、87年の盧泰愚政権以降であろう。
台湾で史上初の大統領選挙が行われたのは、96年である。
漢民族
5千年の歴史で初めての民主選挙と話題になった。
このとき、これ見よがしにミサイルを発射して、自由選挙を脅かした中国は、野党を結成しようとした民主活動家を逮捕して、懲役10年以上の弾圧を加えており、今の共産党政権が続く限り、民主選挙が行われる気配はまったくない。
これらの国に比べれば、我が国は110年前、1889(明治22)年にアジアで最初の近代的憲法を制定し、翌年、帝国議会を開催した。
アジアの中では群を抜いて早い。
なぜ日本だけが、自由選挙、議会政治という民主主義制度をいち早く取り入れる事ができたのか?
欧米の民主主義と類似の土壌が、江戸時代以前からすでにあったのではないか?
2.神代の衆議
西洋における民主主義の源流は、古代ギリシア、ローマ、ゲルマン社会で行われていた民会である。
財産や身分などで参加制限はあったが、そこで市民の話し合いによって、共同体としての意思決定が行われていた。
面白いことに、民会と同様の集まりが、日本神話にも見られる。
速須佐の男の命(はやすさのおのみこと)が、高天の原を訪ね、乱暴狼藉を働いたので、姉の天照らす大御神は天の岩屋戸に籠もってしまわれ、それがために高天の原は真っ暗となってしまった。
ここで、八百万の神々は天の安の河原(あめのやすのかわら)に
「神集い集ひて(かむつどいつどいて)」
、相談をする。
その結果が、お祭り騒ぎをして、天照らす大御神が少し岩戸を開けて、外をのぞいた時に、その手をとって引き出すという妙案となり、見事成功する。
そして、再び
「八百万の神共に謀りて」、
速須佐の男の命を罰し、追放する。
ここで興味深いのは、天照らす大御神の態度である。
高天の原の統治者なのだから、号令一下、八百万の神々を動員して、いきなり
速須佐の男の命を追放してもよいのに、そうしていない。
しかし、もしそうしたのでは、天照らすと速須佐の男の武力による権力闘争となってしまう。
これでは毛沢東と劉少奇の争いと同じだ。
天照らすはそれを避け、岩屋戸に閉じこもって、八百万の神々に自ら考えさせる機会を与えたのである。
八百万の神々は、皆で相談して、天照らすを統治者として迎え、速須佐の男を追放した。
衆議によって、天照らすを正統な統治者とする事を公論として決定したと言える。
神話だけでなく、中国の史書、魏志倭人伝にも女王ヒミコが共立されたと記されている。
天照らすと同様、話し合いによって、推戴されていたのである。
3.「和」に基づいた衆議
聖徳太子が推古天皇12(602)年に作られたとされる憲法十七条は、この衆議公論の伝統を最初に明文化したものである。
第一条の有名な
「和をもって貴しとなす」
というのは、単に仲良くせよ、というのではない。
人間はみな党派心があるので、エゴのぶつかりあいが、争いを起こしがちである。
太子は「和」の必要な理由を次のように述べている。
然(しか)れども、上和らぎ、
下睦びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、
則(すなは)ち事理自ずから通ふ。
何事か成らざらむ。
地位や年齢の上下はあっても、和気藹々(あいあい)と議論を尽くせば、物事の道理が自ずから明らかになる。
そうなれば、出来ない事などあろうか、
と言われるのである。
クラブとか、職場などで、和やかなムードの中で自由な話し合いが行われれば、衆知を集め、皆の意思統一もできて、何事もきわめてスムーズに行く、という事を体験された読者も多いだろう。
「和をもって貴しとなす」
という第一条は、
「和」に基づいた衆議を国家統治の基本として定めたものである。
4.衆議は無私の態度で
武家の時代となって、長く法治の拠り所とされたのは、貞永元年(1232)に制定された御成敗式目(貞永式目)である。これは幕府の評定衆13人の多数決によって制定された。
その起請文には、彼らが、いかに厳粛な衆議を行ったかについて述べている。
《およそ評定の間、理非においては親疎あるべからず、好悪あるべからず。
ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚らず、権門を恐れず、詞(ことば)を出すべきなり》
法を決めれば、当然、不利な者、有利な者が出てくる。
法を考える場合、自分の親しい者、好む者の利益を考えてはならない。
ただ
ただ、道理を追求して、他のメンバーの思惑を憚ったり、権力者を恐れたりせず、発言するべきだ、
と言うのである。
現代の国会で、特定集団の利益代表となっている議員に聞かせたい言葉だ。
このような公平無私な態度で衆議をつくしてこそ、真の公論、すなわち、国民全体の意思を発見できるのであろう。
こうして制定された貞永式目は長く武士や庶民の法として定着し、民主政治に不可欠な法治社会の土壌となった。
5.万機公論ニ決スベシ
明治元(1868)年、明治新政府は基本方針として、五箇条のご誓文を発表した。
その第一条が
「広ク会議ヲ興(オコ)シ万機公論ニ決ス
ベシ」
である。
このような民主政治の根本原理が、いきなり成立直後の新政府の第一方針として打ち出された、という点が注目される。
第一に、民主政治が西洋諸国の国民全体のエネルギーを引き出し、経済的・軍事的発展の基盤となっていると、明治新政府は見ていた点である。
西洋諸国の攻勢から独立を守るためには、我が国も同じ基盤を持たねばならない。
そのような新政府の決意を、この冒頭第
一条に見る事ができる。
第二は、この方針を当時の国民全体が何の違和感もなく、自然に受けとめたという点である。
新興国で民主選挙をいきなり実施して
も、少数派がクーデターを起こしたりして、なかなか安定しない場合が多い。
それに比べれば、明治維新後、わずか20数年でアジアで最初の近代憲法を制定し、選挙に基づく議会開催にこぎつけたのは、やはりそれだけの下地があったからだと考えざるをえない。
6.民主主義的傾向ノ復活強化
昭和20年7月、敗色濃厚の日本に対して、連合国はポツダム宣言を発し、降伏条件を提示した。
その第10条には、
日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙(しょうがい)ヲ除去スヘシ
という一節がある。
「民主主義的傾向ノ復活強化」
という言葉に注目されたい。
連合国側も、民主主義的傾向が戦前から日本にあったと認識していたのである。
昭和21年年頭に「新日本建設の詔書」が発表された。
その冒頭
には、昭和天皇の意思により、五箇条のご誓文がそのまま引用された。
戦後の再出発にあたり、近代日本の出発点が「万機公論に決すべし」にあったことを思いおこさせるためである。
占領軍は「デモクラシー」という聞き慣れない用語を持ち込んだが、国民はそれを何の抵抗もなく、スムーズに受け入れた。
昔からの衆議公論の伝統から見れば、特に違和感はなかったのである。
7.君主制民主国家と共和制独裁国家
君主制と民主主義が対立すると考える人が多いが、これが大きな誤解である事は、イギリス、オランダ、ベルギー、スウェーデン、デンマークなど、安定した民主主義国は君主制国家に多い事を見ればすぐに分かる。
民主主義の本質は、「権力」が国民にある事であり、その反対は独裁制である。
君主制は、元首という国家統合の「権威」が世襲である事を意味し、その反対概念は共和制である。
したがってこれらの組み合わせで、以下の4通りのパターンがある。
君主制民主国家:
イギリス、日本など
共和制民主国家:
アメリカなど
君主制独裁国家:
帝政ロシア、清帝国など
共和制独裁国家:
旧ソ連、中国など
衆議公論の伝統のある所では、イギリスのような君主制にしろ、アメリカのような共和制にしろ、安定した民主主義を発展させている。
逆に帝政ロシアや清帝国などの君主制独裁国家を革命で倒しても、衆議公論の伝統のない所では、共和制独裁国家となるだけだ。
民主主義が安定的に機能するためには、衆議をつくした結果、定められた公論には、反対派も従う、という国民的コンセンサスが必要だ。
この衆議公論の伝統が、古代から、我が国の政治文化に脈々と受け継がれていたからこそ、アジアでは群を抜いて早く、また西洋にも比肩しうる民主政治の発展が可能であったのである。
■民主主義を支える皇室伝統
H19.02.11
1孤独で不幸な日本国憲法
日本国憲法は、まことに孤独で不幸な憲法なのである。
その意味は、それが真の護憲派を有していないという点に示されている。
先年惜しくも亡くなられた坂本多加雄・学習院大学教授の『象徴天皇制度と日本の来歴』の一節である。
「護憲派」がいるではないか、と思われるだろうが、たとえば護憲派の人々の多くは、
憲法第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
を、その条文のまま擁護しようとしているであろうか。
戦後の通説的解釈では、
「主権の存する日本国民」にのみ焦点が当てられ、
「天皇は象徴に過ぎない」と総じて消極的、否定的に解釈される。
そして、天皇の存在は国民主権の不徹底のためであり、
「国民の総意」によって将来、天皇制度を廃止する改憲も可能である、と考えている。
これは本来の意味の「護憲派」であろうか。
改憲による天皇制度廃止を狙う人々の「偽装」に過ぎないのではないか。
2.「8月15日革命説」
これらの「偽装護憲派」の人々は、国民主権と君主の存在が相容れないものと考える。
それは国民主権を最初に打ち出したフランス革命で王制が打倒されたからである。
戦後の正統的な学説として広く通用してきた宮沢俊義・東京大学法学部教授の「8月15日革命説」では、大日本帝国憲法の「天皇主権」が昭和20年8月15日のポツダム宣言受諾を機に、日本国憲法の「国民主権」に転換するという「革命」が起こったというのである。
しかし、その「革命」は不徹底なものであり、「天皇条項」が残ってしまった。
そこで彼らはなんとか「真の革命」に解釈上だけでも近づけようと、
「天皇は象徴に過ぎない」と主張するのである。
「天皇主権」と「国民主権」が対立するような構図が本当にあったのか、
以下、歴史的な実態を追っていくが、その前にフランス革命における「国民主権」の実態を見ておきべきだろう。
そこでは反対派の国民2百万人が虐殺されるという惨劇が起こった。
またナポレオンが徴兵制度により、国民全体を兵士に仕立て上げ、ヨーロッパ全土を戦火に巻き込んだ。
フランス国民の総意に基づく真の「国民主権」が実現していたら、フランス国民はこういう事態を本当に欲しただろうか?
こうした史実を素直に見れば、フランス革命とは「国民主権」というイデオロギーのもとに、一部の過激な勢力が権力を握り、反対派を弾圧・粛正・虐殺するという、後のソ連、中国、北朝鮮などの独裁国家に見られた全体主義の先駆的現象に過ぎないように見える。
3.幕末の「民主化」
偽装護憲派の賛美するフランス革命の「国民主権」がこのような「偽装」に過ぎないのであれば、それに対比される「天皇主権」はどうか。
「民主化」を「政治的決定の実質的主体が下降していく傾向」と捉えれば、幕府がペリーの来航に対して、従来の慣例を破って諸大名に意見具申を求めたことが、近代日本における「民主化」の始まりであった事は、戦前からの「憲政史」の研究などで広く認められていた。
その後の幕末の動乱の過程で、この「民主化」の動きが本格化し、実質的な政治決定の主体は、幕府から諸大名、諸大名から上級の武士へ、さらには下級武士へ、そして「草莽の志士」へと、下降していく。
同時に、幕府の権力低下の中で、国策の決定は「衆議」に基づくものでなければならない、とする「公議輿論」の考え方が広がっていく。
ここで興味深いのは、この権力の下降現象を後押しする形で、権威が幕府から天皇へと上昇する現象があったことだ。
もともと将軍とは、天皇から征夷大将軍として任命される官職の一つであるという史実を踏まえて、朝廷が幕府に「大政」を「委任」したのだ、という「大政委任論」が本居宣長などによって唱えられた。
また、明治天皇の3代前に当たる光格天皇が、窮民の救済を幕府に命じられたのだが、そうした事実を通じて人々は改めて天皇の権威を認識した。
「権力」の下降現象は、それだけでは正統性を得られず、人心の受け入れる所とならないために、政治の不安定を招きやすい。
しかし我が国においては、それが天皇の権威のもとで行われることで、正統性を与えられ、国民全体の受け入れる所となった。
すなわち、「尊皇」によって「公議輿論」という「民主化」プロセスを後押ししたのである。
4.「天朝の天下にして、乃(すなわ)ち天下の天下」
この思想を端的に表しているのが、吉田松陰の次の言葉であろう。
天下は天朝の天下にして、
乃(すなわ)ち天下の天下なり、
幕府の私有にあらず。
「天下」とは日本という国家全体を指す。
「天朝の天下」とは「偽装護憲派」流に言えば、「天皇主権」であろう。
そして「天下の天下」は「国家は国民全体のもの」、
言わば「国民主権」ということになる。「天皇主権」がすなわち「国民主権」であり、
それが「幕府の私有」、「幕府主権」を否定する原理とされている。
松陰はこれに続いて、幕末の対外的危機に際して、
「普天卒土の人、如何で力を尽くさざるべけんや」
(日本国中の国民が、力を尽くすべきである)
と主張している。
国民として一人一人が国家を守る義務を持ち、そのために「公議輿論」に参加する権利があるということであろう。
5.天皇の名の下に進められた立憲議会制度確立
こうした「公議輿論」の考えを、国家として公的に宣言したのが「五箇条の御誓文」における「広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ」であろう。
これはどう見ても、議会制民主主義の宣言である。
そして、この宣言が、明治天皇が神に誓われた「御誓文」という形式で発せられた、という点に留意する必要がある。
この宣言は、明治8年の「立憲政体の詔書」でより具体化し、明治14年の「国会開設の勅諭」で議会制度の創設が公約され、ついにはアジアで最初の近代的成文憲法である「大日本帝国憲法」へと結実していく。
このいずれのステップにおいても、
「御誓文」「詔書」「勅諭」と天皇の公的な意思表示という形式が採られた。
我が国の立憲議会制度は、天皇の「錦の御旗」のもとで建設されてきた、と言える。
一方、明治政府を批判する民権運動も、「五箇条の御誓文」を根拠に早期の議会制度設置の要求を行った。
そして政府を攻撃するのに、「君」と「民」との意思疎通を妨げていると批判を行った。
民権過激派による加波山事件(明治17年、16名の青年による栃木県令の暗殺未遂事件)の檄文には
「奸臣柄を弄して、上聖天子を蔑如し(奸臣が権勢をみだりにして、天皇をないがしろしにし)」
という一節がある。
政府も民権派も、具体的方法論やスケジュールにおいては対立があったが、ともに天皇を国民統合の象徴として、そのもとでの立憲議会制度を目指していた事に変わりはない。
西洋諸国に見られたような「君」と「民」が権力をめぐって争うという構図は、我が国には見られなかった。
6.武力クーデターを挫折させた昭和天皇のお怒り
明治22(1889)年2月11日、アジア最初の近代的成文憲法として大日本帝国憲法が発布された。
当時の欧米の著名な政治家や学者は、この憲法が日本古来の伝統に根ざしつつ、近代的憲法学を適用したものと、きわめて高い評価を与えた。
そこでの天皇は「統治権」の「総攬」者とされているが、立法においては議会の「協賛」すなわち承認が必要であるとし、また行政についても、大臣の「輔弼」によってなされるとした。
これが形ばかりのものでないことは、日露開戦という国運を賭した決定が、明治天皇の御心配を押し切った形で、内閣によってなされた、という一点だけでも窺えよう。
大東亜戦争開戦も同様である。
帝国憲法において、天皇を「統治権」の「総攬」者であると定めていた事から、この「天皇主権」が昭和期に軍部が台頭して、軍国主義を生み出したと考えるのはどうだろうか。
昭和11(1936)年2月26日に青年将校らが「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて、主要閣僚を襲い、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相などを殺害した。
昭和天皇はこの武力クーデターにお怒りになり、
「朕自ら近衛師団を率い、これが鎮定に当たらん、馬を引け」
とまで言われた。
そして戒厳司令官・香椎中将がラジオ放送で、
「天皇陛下に叛き奉り逆賊としても汚名を永久に受けるやうなことがあってはならない」
と兵に原隊復帰を呼びかけた。
武力クーデターを挫折させたのは、あくまで立憲君主制を守られようとされた昭和天皇のお怒りであった。
もし本当に「天皇主権」で昭和天皇が直接、権力を振るわれていたら、逆に軍部の専横の余地はなかったであろう。
7.斎藤隆夫の「粛軍演説」
事件の3ヶ月後、5月7日に開かれた第69特別議会において、斎藤隆夫・衆院議員は有名な「粛軍演説」を行った。
その中にこういう一節がある。
《我が日本の国家組織は建国以来三千年、牢固として動くものではない。
終始一貫して何ら変りはない。
また政治組織は明治大帝の偉業によって建設せられたるところの立憲君主制、これより他にわれわれ国民として進むべき道は絶対にないのであります。
故に軍首脳部がよくこの精神を体して、極めて穏健に部下を導いたならば、青年軍人の間において怪しむべき不穏の思想が起こるわけは断じてないのである。》
軍部の専横を批判し、立憲議会政治を守ろうとする人々にとって、「明治大帝の偉業によって建設せられたるところの立憲君主制」こそが、その寄って立つ根拠であった。
8.「治安維持法」はソ連との冷戦
戦前の「天皇主権」をあげつらう人々が、軍国主義による人権弾圧の典型として持ち出すのが、「治安維持法」である。
しかし、これはソ連による国際共産主義革命への防衛策として制定されたという面を忘れてはならない。
もともとソ連は、国内外を問わず、「階級敵」「人民の敵」を抑圧・殲滅せしめ、共産主義を世界に広めることを国是とした国家であった。
そして、その国是は国内においては大規模な虐殺粛正や、政治犯の収容所送りとして実行された。
国外にあっては、各国の共産党を手先として、その政治体制を内部から打倒する事を目指した。
日本共産党もその一派であった。
坂本多加雄氏は、治安維持法下の特別高等警察と日本共産党との闘争は、政府対人民の闘争ではなく、ソ連と大日本帝国との「冷戦」であった、と述べている。
これは戦後、日本の代わりにソ連との冷戦を始めた米国においても、「赤狩り」というマッカーシズムが吹き荒れたことと同様の現象である。
戦前の治安維持法による人権弾圧を批判する前に、当時のソ連における人権弾圧は、日本よりもはるかに大規模かつ徹底的なものであった事を知っておかねばならない。
さらに、もし日本がソ連との冷戦に負けて、日本共産党の支配下におかれたら、議会制民主主義は根絶やしとされ、東欧諸国や中国、北朝鮮と同様の徹底的な粛正・虐殺が行われていたであろう。
こうした背景を考えてみれば、治安維持法による人権弾圧が、「天皇主権」の独裁国家によって生み出された、という見方は、当時の国際環境を無視した一面的なものである事が判る。
9.日本の"Democracy化"と皇室伝
敗戦後、昭和21年年頭に「新日本建設の詔書」が発表された。
俗に「人間宣言」と言われているが、その冒頭には、昭和天皇の御意思により、「五箇条の御誓文」がそのまま引用されている。
戦後の再出発にあたり、近代日本の出発点が「万機公論に決すべし」にあったことを国民に思い起こさせるためである。
詔書渙発からほどない1月18日、昭和天皇は次のように言われたと、侍従次長・木下道雄は『側近日誌』に記している。
日本のDemocracy化とは、
日本皇室古来の伝統を徹底せしむるにあり
「和」を尊び、独断専横を嫌うのがわが国の文化的伝統であり、
その中で人民を「大御宝(おおみたから)」として、その安寧と幸福を祈り続けてきたのが有史以来の皇室伝統であった。
こうした文化的・政治的伝統を基盤として、近代においては、天皇の名の下に議会制民主主義という政治制度が着々と築かれてきた。
民主主義とはアメリカの専売物ではなく、広く近代国際社会の共有するものであって、わが国にはわが国なりの歩みがあった、と昭和天皇は主張されているのである。
現行の日本国憲法は占領軍総司令部がわずか1週間程度で急拵えしたもので、文章、内容ともに細部には問題が多いが、
天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とし、そのもとでの議会制民主主義を採用するという立憲君主制の構造は、帝国憲法と同じである。
そして日本国憲法は帝国憲法の改正として、昭和天皇の次の「上諭」とともに発布された。
《朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。》
わが国の議会制民主主義の歩みは、明治元(1868)年の「五箇条の御誓文」以来、140年近くにもなる。未だ民主化の芽吹かぬ近隣諸国との外交においても、この事をよく踏まえた上で対応すべきである。
■皇民主義を考える
転載元
ねずさんのひとりごと 2013年03月22日
皇民主義について考えてみたいと思います。
皇民主義という言葉は、一般的なものではありません。
けれど私は、日本の古来変わらぬカタチの本質は、まさにこの皇民主義にあったものと考えています。
昨今、民主主義こそが世界を救うとでもいいたいような論調が盛んです。
けれどその民主主義について、ルソーは
「民主主義もやがては老朽化し、疲弊し、冷酷な独裁者の手に落ち、世界はふたたび破滅的な戦争への道を歩むであろう」
と書いています。
なぜそうなるかというと、欧州における民主主義の誕生を見たらわかります。
民主主義は、絶対王朝の専制君主による専制主義の対義語として誕生しています。
専制主義は、王は神から授かった権力を行使している、という概念から出発しています。
つまり、王は神の代理人です。
ということは王は、まさに神そのものであり、だから民衆(=人)に対して、絶対的な生殺与奪の権力を持ちます。
歴代の支那の王朝も同じです。
専制君主が神の代理人として、絶対的な政治権力をふるい、民衆は私有物であり奴隷と看做される。
それが専制主義です。
そうではなく、民衆を代表するものが政治権力を握るのが民主主義とされるのですが、その政治権力者が民意を捏造したり私腹のために民衆を支配すれば、それはやはり実質的専制主義となってしまいます。
このブログでも度々取り上げさせていただいていますが、我が国における天皇は、政治権力に認証を与える、政治権力よりも上位の存在です。
ですから、江戸時代における将軍でも、その地位は天皇によって任命される官職の一つでしかなかったし、
明治憲法下における内閣総理大臣も、天皇によって任命される官職そのものです。
さらに古代律令国家体制においても、政治権力者であり、政治権力の執行者である太政官は、やはり天皇によって任命された存在です。
この体制において大切なことは、それら政治権力者が統治する民衆が、「皇民」であるということです。
すなわち天皇の民です。
この社会体制が何を意味するかといえば、政治権力者は常に「民のため」の政治をしなければならなくなる、ということです。
なぜなら政治権力者が統治する民衆は、政治権力者にとって、ただの私有民や奴隷ではなくて、天皇の民だからです。
民主主義が、いわゆる衆愚政治に陥ったり、混乱し、疲弊し結果としては再び独裁者の手に落ちてしまう危険を常に孕んでいるのに対し、
天皇を中心とした皇民主義には、その危険がありません。
なぜなら皇民主義をささえているのは、単に選挙によって選ばれた権力者というだけでなく、民衆が皇民であるということを、ちゃんと理解した権力者でなければならず、そうでなければ天皇の認証を受けることができないからです。
またこれを支える民衆も、皇民であることを理解するに足るだけの知性と教養が必要です。
つまり、政治権力者も民衆も、双方ともに天皇の権威によって守られているということを、双方ともに理解していることが、皇民主義の柱になります。
民主主義も、皇民主義も、「民が主役」という思想に違いはありません。
ただ、民主主義の場合、まさに「オレが主役」ですから、たとえば勉強ひとつするにしても、
「オレが必要と思えば勉強するし、不要ならしない」という「我」が通ってしまいます。
ですから多くの民は勉強をしなくなり、政治や社会体制そのものよりも、自分の身の安全や個人の幸せを追求するようになります。
こうして民が愚かに堕ちれば、そうした愚かな大衆を煽動し、利用し、自己の権力の肥大を図ろうとする悪人が出てきます。
ルソーは、このことを指して、
「民主主義もやがては老朽化し、疲弊し、冷酷な独裁者の手に落ち、世界はふたたび破滅的な戦争への道を歩むであろう」
と書いているわけです。
これに対して皇民主義の根底に流れているのは、皇あっての民、民あっての皇、という考え方です。
「皇」というのは、「公」でもありますから、公あっての民、民あっての公という考え方が一般化します。
つまり、より多くの人のために生きることが、良いことという価値観を内包しているわけです。
従って、皇(公)のために生きるのが民であり、民のためにあるのが皇(公)だということになります。
この場合、おもしろいのは、政治権力者で、政治権力者の行動も、こうした皇(公)と民との間においては、皇(公)と民、両方の発展と幸福のために働くことが自然と義務づけられるのです。
ですから、社会の根底が崩れない。
崩れないから、皇民主義であったかつての日本は、源家から足利家、足利家から織田家、豊臣家、徳川家、明治新政府と政権交替はあっても皇民体制そのものは崩れない。
だからこそ、2700年近くも我が国はこの体制が堅持され続けてきているわけです。
私は、新憲法を考える上においては、我が国がこの皇民主義の国家であることを高らかに謳い上げる憲法にするべきだと思っています。
↧
暴力犯罪者の5人に1人がサイコパス
■和歌山小5殺害 近所の22歳男逮捕、容疑否認 「男児見たことない」
東京新聞 2015年2月7日
和歌山県紀の川市の住宅地で市立名手(なて)小五年、森田都史(とし)君(11)が刺殺された事件で、県警岩出署捜査本部は七日未明、殺人の疑いで現場近くに住む無職中村桜洲(おうしゅう)容疑者(22)=同市後田=を逮捕し、自宅から、なたやおののような大型で重いものを含む刃物数本を押収した。
「男の子を殺していない。見たこともなく知らない」と否認している。
逮捕容疑では、五日午後四時十五分ごろ、紀の川市後田の空き地で、刃物のようなもので頭部や右胸、両腕などを切りつけたり、突き刺したりして殺害したとされる。
捜査本部は、押収した刃物が事件に使われた形跡がないか確認を急ぐとともに、取り調べを本格化させて、動機など事件の全容解明を目指す。
二人の家は直線で約八十メートルの距離。捜査本部によると、中村容疑者は一月、傘を持って森田君の中学生の兄(12)を追い掛けるトラブルがあった。
森田君宅の前で立ち止まり、家をじっと見つめていたこともあったという。
森田君本人と面識があったかどうかは「把握していない」としている。
事件前後に現場付近で、カバーを掛けた刃物のようなものを持っていた男を近所の人が目撃。
中村容疑者と似ていたことや、以前から不審な行動を取っていたという聞き込み情報を踏まえ、同容疑者が捜査線上に浮かんだ。
事件後、髪を短く刈り込んだといい、捜査本部は関連を調べる。
中村容疑者は六日夕、母親らとともに近隣のかつらぎ署を訪れ、捜査本部の任意聴取に応じていた。
付近の住民によると、中村容疑者は工業高校を中退。
ゴーグルを着けて家の前で竹刀を振ったり、上半身裸で太い木の棒を持ったりする姿が目撃されていた。
森田都史君を刺殺したとして七日に殺人容疑で逮捕された中村桜洲容疑者は教育熱心な家庭に育ち、子どもの頃を知る人からはまじめでおとなしい性格とみられていた。
近所の住民らの話によると、中村容疑者には姉が二人おり、父は大学の教員。
母親は長く民生委員をしていた。
一家は二十年以上前に現在の自宅に移り住んだという。
息子が小学校の同級生だった女性(49)は「道で会うとしっかりあいさつしてくれた。両親はとても教育熱心で、しつけもきちんとしていた」。
一家を知る男性(78)も中村容疑者を「育ちがよく、まっすぐな性格」といい、事件と結びつかない様子だ。
志望した高校の受験に失敗し、工業高校に進学したが中退。「働かず何をしているのだろうか」といぶかる人もいた。
近所の住民によると、中村容疑者は地元の剣道クラブに入り、昔から家の前で素振りをしている姿が度々目撃されていた。
森田君も小学校低学年の時に剣道を習っており、同級生の母親は「負けず嫌いで練習に励んでいた」と話している。
◆住民 安堵と動揺「ほっとした」「うそであって」
現場周辺の住民や保護者らは七日午前、安堵(あんど)の一方で、逮捕されたのが近所の中村桜洲容疑者だったことに衝撃を隠せなかった。
中村容疑者の自宅は、森田君宅から約八十メートル。
どうして近所でこんな凶行が起きてしまったのか、不明な点も多く「(容疑者と)接点が分からない子が襲われて怖い」と全容解明に期待を寄せる。
複雑な胸中を明かすのは、森田君と中村容疑者の両方を知る四十代の男性。
「犯人が捕まってもらわないと困ると思っていたが…」。
幼少のころからにこにこしていた印象があるだけに、逮捕は強いショックだった。
容疑者を知る四十代の女性も「事件を起こしたとは思えない。うそであってほしい」と信じられない様子。
逮捕後、捜査車両に乗せられた中村容疑者は、丸刈りで眼鏡を掛け、格子模様のシャツ姿。
口を真一文字に結び、頬を膨らませるような表情をのぞかせた。
■「暴力犯罪者の5人に1人がサイコパス」
Jesse Ferreras
The Huffington Post Canada
投稿日: 2015年02月09日
◆再犯率が高いのは脳の構造に原因(研究結果)
「サイコパス」といわれる反社会的な人格、サイコパシー(精神病質)をもった人たち。
彼らが過去に犯した犯罪の結果から学ぶことができないのは、脳の構造に原因があるからだという研究結果が カナダのモントリオール大学のシャイラ・ホジンス教授と、キングス・カレッジ・ロンドンのナイジェル・ブラックウッド医学博士らによる研究チームによって発表された。
この研究のニュースリリースには、サイコパスの暴力犯罪者は、罰を受けた経験を普通の人と同じように処理できない。
そしてそれは罪の意識や、罰から学ぶことに関係した脳の部位に異常があるためだ、と書かれている。
ホジンス教授によると「暴力犯罪者の5人に1人はサイコパス」だという。
「サイコパスは再犯率が高く、矯正プログラムを受けてもあまり効果がありません」
サイコパスにはどんな特徴があるのだろうか。
「Psychology Today」誌によると、サイコパシーは精神障害の一種であり、この障害を持つ人は、感情が希薄で共感能力に乏しい。
また、サイコパスはやや自信過剰で魅力的な人物に見えることもあるが、同時に人を操ろうとする傾向や攻撃性があり、暴力的であることが多い。男女比についていえば、
「The International Journal of Women's Health」誌によると、サイコパスの特徴を示す女性の数は男性よりも大幅に少なく、そうした女性が暴力犯罪を犯す割合も低いとしている。
世間を騒がせた連続殺人事件の犯人、クリフォード・オルソンや、ポール・ベルナルド、テッド・バンディといった人物は、いずれもサイコパスの特徴を示していたと、カナダ公共放送の「CBC News」は報じている。
今回行われた研究では、そういったサイコパスの人たちの脳に何か違いがあるかどうかを調べるため、イギリスの保護観察所にいる暴力犯罪者たちの脳をMRIでスキャンし観察した。
被験者は全員が男性で、32人が反社会性パーソナリティ障害と診断された暴力犯罪者であり、そのうち12人はサイコパスでもあった。彼らは強姦、殺人、殺人未遂、傷害といった罪で有罪判決を受けていた。
また、18人の健康な非犯罪者も参加した。
脳をMRIでスキャンしている間、被験者たちには、ある絵合わせのゲームをしてもらった。
この絵合わせのゲームからは、参加者が「罰」にどのように反応するかを知る事ができる。
ニュースリリースの中で、ブラックウッド博士は研究の結果をこのように説明している。
「神経心理学に関係する課題で、暴力犯罪者たちは罰を示す手がかりがあっても、その手がかりから学ぶことができず、また変化に応じて行動を変えることもできなかった。またより長い時間をかけて考えたにもかかわらず、不適切な判断をすることが多かった」
◆脳の反応はどうだったのだろうか?
ホジンス教授によると、被験者のMRIスキャンから、「サイコパスの暴力犯罪者には、脳の灰白質および特定の白質の両方の線維束に構造的な異常」が見つかったという。
白質は脳の各部位の間の情報の伝達を調整し、灰白質は認知機能と情報に関連している部位だ。
具体的にいえば、サイコパスの脳では、灰白質のうち共感・困惑・罪に関連する部分に萎縮が見られた。
一方の白質は、罪や報償の経験から学ぶことに関係している部位だが、そこにも異常がみられたという。
加えて、サイコパスの犯罪者は罰に対する「異常な反応」を見せたのに対し、サイコパスではない暴力犯罪者は、「非犯罪者とよく似た脳の働き」とブラックウッド博士は説明している。
「こうした結果は、サイコパスの暴力犯罪者は、罰や報償から学ぶことに使われる脳のネットワークの組織に特徴的な違いがある、ということを示唆している」
これらの結果から研究は、サイコパスの犯罪者は自分の行為がもたらすであろう結果のうち、自分にとって都合の良いことだけを考え、都合が悪い面は考えていない可能性がある、と結論づけている。
「罰を受ける可能性を示すサインを読むことは、行動を変えるために必要なことです」と、ホジンス教授は言う。
「明らかに、ある状況で犯罪者たちは罰から学んで自分の行動を変えることが困難でした」
ニュースリリースにはまた、問題行動とサイコパスの兆候は小児期の時点ですでに現れていることがあり、この時期であれば「学習を中心した治療」で脳の働き方を変えることができる可能性があるとも書かれている。
ホジンス教授は、サイコパス的な行動を起こさせる脳の働きを中心に治療を行うことで、暴力犯罪を減らせるかもしれない、と述べている。
今回の研究結果では、サイコパスの脳は普通の人の脳と違う働き方をするということが示されたが、一方で2012年にクイーンズ大学が中心となって行った研究は、サイコパスは精神を患っているわけではなく、完全に責任能力があるとしており、研究の主著者ダニエル・クルップ氏は、サイコパスは「自分の行動がもたらす結果を十分に理解している」と述べたという。
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
[日本語版:水書健司、合原弘子/ガリレオ]
東京新聞 2015年2月7日
和歌山県紀の川市の住宅地で市立名手(なて)小五年、森田都史(とし)君(11)が刺殺された事件で、県警岩出署捜査本部は七日未明、殺人の疑いで現場近くに住む無職中村桜洲(おうしゅう)容疑者(22)=同市後田=を逮捕し、自宅から、なたやおののような大型で重いものを含む刃物数本を押収した。
「男の子を殺していない。見たこともなく知らない」と否認している。
逮捕容疑では、五日午後四時十五分ごろ、紀の川市後田の空き地で、刃物のようなもので頭部や右胸、両腕などを切りつけたり、突き刺したりして殺害したとされる。
捜査本部は、押収した刃物が事件に使われた形跡がないか確認を急ぐとともに、取り調べを本格化させて、動機など事件の全容解明を目指す。
二人の家は直線で約八十メートルの距離。捜査本部によると、中村容疑者は一月、傘を持って森田君の中学生の兄(12)を追い掛けるトラブルがあった。
森田君宅の前で立ち止まり、家をじっと見つめていたこともあったという。
森田君本人と面識があったかどうかは「把握していない」としている。
事件前後に現場付近で、カバーを掛けた刃物のようなものを持っていた男を近所の人が目撃。
中村容疑者と似ていたことや、以前から不審な行動を取っていたという聞き込み情報を踏まえ、同容疑者が捜査線上に浮かんだ。
事件後、髪を短く刈り込んだといい、捜査本部は関連を調べる。
中村容疑者は六日夕、母親らとともに近隣のかつらぎ署を訪れ、捜査本部の任意聴取に応じていた。
付近の住民によると、中村容疑者は工業高校を中退。
ゴーグルを着けて家の前で竹刀を振ったり、上半身裸で太い木の棒を持ったりする姿が目撃されていた。
森田都史君を刺殺したとして七日に殺人容疑で逮捕された中村桜洲容疑者は教育熱心な家庭に育ち、子どもの頃を知る人からはまじめでおとなしい性格とみられていた。
近所の住民らの話によると、中村容疑者には姉が二人おり、父は大学の教員。
母親は長く民生委員をしていた。
一家は二十年以上前に現在の自宅に移り住んだという。
息子が小学校の同級生だった女性(49)は「道で会うとしっかりあいさつしてくれた。両親はとても教育熱心で、しつけもきちんとしていた」。
一家を知る男性(78)も中村容疑者を「育ちがよく、まっすぐな性格」といい、事件と結びつかない様子だ。
志望した高校の受験に失敗し、工業高校に進学したが中退。「働かず何をしているのだろうか」といぶかる人もいた。
近所の住民によると、中村容疑者は地元の剣道クラブに入り、昔から家の前で素振りをしている姿が度々目撃されていた。
森田君も小学校低学年の時に剣道を習っており、同級生の母親は「負けず嫌いで練習に励んでいた」と話している。
◆住民 安堵と動揺「ほっとした」「うそであって」
現場周辺の住民や保護者らは七日午前、安堵(あんど)の一方で、逮捕されたのが近所の中村桜洲容疑者だったことに衝撃を隠せなかった。
中村容疑者の自宅は、森田君宅から約八十メートル。
どうして近所でこんな凶行が起きてしまったのか、不明な点も多く「(容疑者と)接点が分からない子が襲われて怖い」と全容解明に期待を寄せる。
複雑な胸中を明かすのは、森田君と中村容疑者の両方を知る四十代の男性。
「犯人が捕まってもらわないと困ると思っていたが…」。
幼少のころからにこにこしていた印象があるだけに、逮捕は強いショックだった。
容疑者を知る四十代の女性も「事件を起こしたとは思えない。うそであってほしい」と信じられない様子。
逮捕後、捜査車両に乗せられた中村容疑者は、丸刈りで眼鏡を掛け、格子模様のシャツ姿。
口を真一文字に結び、頬を膨らませるような表情をのぞかせた。
■「暴力犯罪者の5人に1人がサイコパス」
Jesse Ferreras
The Huffington Post Canada
投稿日: 2015年02月09日
◆再犯率が高いのは脳の構造に原因(研究結果)
「サイコパス」といわれる反社会的な人格、サイコパシー(精神病質)をもった人たち。
彼らが過去に犯した犯罪の結果から学ぶことができないのは、脳の構造に原因があるからだという研究結果が カナダのモントリオール大学のシャイラ・ホジンス教授と、キングス・カレッジ・ロンドンのナイジェル・ブラックウッド医学博士らによる研究チームによって発表された。
この研究のニュースリリースには、サイコパスの暴力犯罪者は、罰を受けた経験を普通の人と同じように処理できない。
そしてそれは罪の意識や、罰から学ぶことに関係した脳の部位に異常があるためだ、と書かれている。
ホジンス教授によると「暴力犯罪者の5人に1人はサイコパス」だという。
「サイコパスは再犯率が高く、矯正プログラムを受けてもあまり効果がありません」
サイコパスにはどんな特徴があるのだろうか。
「Psychology Today」誌によると、サイコパシーは精神障害の一種であり、この障害を持つ人は、感情が希薄で共感能力に乏しい。
また、サイコパスはやや自信過剰で魅力的な人物に見えることもあるが、同時に人を操ろうとする傾向や攻撃性があり、暴力的であることが多い。男女比についていえば、
「The International Journal of Women's Health」誌によると、サイコパスの特徴を示す女性の数は男性よりも大幅に少なく、そうした女性が暴力犯罪を犯す割合も低いとしている。
世間を騒がせた連続殺人事件の犯人、クリフォード・オルソンや、ポール・ベルナルド、テッド・バンディといった人物は、いずれもサイコパスの特徴を示していたと、カナダ公共放送の「CBC News」は報じている。
今回行われた研究では、そういったサイコパスの人たちの脳に何か違いがあるかどうかを調べるため、イギリスの保護観察所にいる暴力犯罪者たちの脳をMRIでスキャンし観察した。
被験者は全員が男性で、32人が反社会性パーソナリティ障害と診断された暴力犯罪者であり、そのうち12人はサイコパスでもあった。彼らは強姦、殺人、殺人未遂、傷害といった罪で有罪判決を受けていた。
また、18人の健康な非犯罪者も参加した。
脳をMRIでスキャンしている間、被験者たちには、ある絵合わせのゲームをしてもらった。
この絵合わせのゲームからは、参加者が「罰」にどのように反応するかを知る事ができる。
ニュースリリースの中で、ブラックウッド博士は研究の結果をこのように説明している。
「神経心理学に関係する課題で、暴力犯罪者たちは罰を示す手がかりがあっても、その手がかりから学ぶことができず、また変化に応じて行動を変えることもできなかった。またより長い時間をかけて考えたにもかかわらず、不適切な判断をすることが多かった」
◆脳の反応はどうだったのだろうか?
ホジンス教授によると、被験者のMRIスキャンから、「サイコパスの暴力犯罪者には、脳の灰白質および特定の白質の両方の線維束に構造的な異常」が見つかったという。
白質は脳の各部位の間の情報の伝達を調整し、灰白質は認知機能と情報に関連している部位だ。
具体的にいえば、サイコパスの脳では、灰白質のうち共感・困惑・罪に関連する部分に萎縮が見られた。
一方の白質は、罪や報償の経験から学ぶことに関係している部位だが、そこにも異常がみられたという。
加えて、サイコパスの犯罪者は罰に対する「異常な反応」を見せたのに対し、サイコパスではない暴力犯罪者は、「非犯罪者とよく似た脳の働き」とブラックウッド博士は説明している。
「こうした結果は、サイコパスの暴力犯罪者は、罰や報償から学ぶことに使われる脳のネットワークの組織に特徴的な違いがある、ということを示唆している」
これらの結果から研究は、サイコパスの犯罪者は自分の行為がもたらすであろう結果のうち、自分にとって都合の良いことだけを考え、都合が悪い面は考えていない可能性がある、と結論づけている。
「罰を受ける可能性を示すサインを読むことは、行動を変えるために必要なことです」と、ホジンス教授は言う。
「明らかに、ある状況で犯罪者たちは罰から学んで自分の行動を変えることが困難でした」
ニュースリリースにはまた、問題行動とサイコパスの兆候は小児期の時点ですでに現れていることがあり、この時期であれば「学習を中心した治療」で脳の働き方を変えることができる可能性があるとも書かれている。
ホジンス教授は、サイコパス的な行動を起こさせる脳の働きを中心に治療を行うことで、暴力犯罪を減らせるかもしれない、と述べている。
今回の研究結果では、サイコパスの脳は普通の人の脳と違う働き方をするということが示されたが、一方で2012年にクイーンズ大学が中心となって行った研究は、サイコパスは精神を患っているわけではなく、完全に責任能力があるとしており、研究の主著者ダニエル・クルップ氏は、サイコパスは「自分の行動がもたらす結果を十分に理解している」と述べたという。
この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。
[日本語版:水書健司、合原弘子/ガリレオ]
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15年タイガースの胎動/島本浩也
阪神・江夏臨時コーチ“はい上がった左腕”島本にサプライズ“一投賞”
デイリースポーツ 2月9日「阪神春季キャンプ」(8日、宜野座)阪神・江夏豊臨時コーチ(66)が指導最終日となった8日、“江夏賞”として島本浩也投手(21)に自らのグラブをプレゼント。「頑張ってもらいたい」と激励の言葉を贈った。育成から支配下を勝ち取った左腕に大きな期待を寄せていた。雨の影響で室内でのスタート。江夏臨時コーチの指導はこの日で終了とあって、アップを前に全体に向けて訓示を行った。さらに投手を集めてサプライズが待っていた。輪の中から指名したのは島本。キャンプ用に持ち込んだ自らのグラブをプレゼントし“江夏賞”を授与した。「彼の投げている姿を見て決して恵まれた体力じゃないのにいいボールを投げていた。昨年までの3桁の背番号(育成選手)から頑張って2桁をもらった。今の時代、恵まれた環境の中で注目されて入って来る人ばかり。そういう人も頑張っているんだなと思った」176センチ、65キロと投手の中でも小柄。それでも投げ込むキレのあるボールは目を見張るものがあった。おまけに同じ奈良県生まれ。自然と引きつけられた。島本だけではない。当初の7日までの予定を1日延ばし、飛行機の出発に間に合うギリギリの時間までブルペンで熱い視線を送った。サブグラウンドでは投手陣のキャッチボールを見て、榎田に身ぶり手ぶりでアドバイスを送り、福原から質問を投げかけられれば、親身になって経験を伝えた。「少しでも自分と接して会話したことを参考にしていただければこの1週間の成果だと思う。いち先輩として大変ありがたい。ただ、ひと言言ったくらいで1軍で勝てるような甘い世界じゃない。あとは彼らの工夫。決断力を持って、思い切ってチャレンジして意識も変えることが大事じゃないかな」自然と言葉が熱くなった。可能性のある選手がたくさんいる。教えたいこともたくさんあった。限られた時間の中で、選手たちを混乱させることなく、伝えられることを選んだ。「明日からはいちファン。いち評論家として見せてもらう」。その言葉にすがすがしい達成感をにじませていた。江夏臨時コーチが指導終了 育成出身の島本にグラブ贈る
スポーツ報知 2月9日
阪神の江夏豊臨時コーチ(66)が8日、今キャンプでの指導を終え、高卒5年目の島本浩也投手(21)を“江夏賞”に指名した。昨季まで育成選手だった左腕に対し「頑張ってもらいたいと、受け取ってもらった」と、自身が指導中に使用していたグラブを贈った。176センチ、67キロの小柄な21歳の姿が、強く頭に残った。「決して恵まれた体力ではないにもかかわらず、いいボールを放っていた」。自身と同じ奈良県生まれ。「去年までは(背番号)3ケタの選手だった。それを頑張って、2ケタになった」と、育成からはい上がった魂をたたえた。宝物を得た島本は「自分の名前が呼ばれるとは。(グラブは)飾ろうと思います」と、大興奮。「『強い球がいっている』と言っていただいた。結果を出すことが一番の恩返し」と、目を輝かせていた。5年目左腕・島本に“江夏賞”!特注グラブ手渡し、寮に飾る予定
スポニチアネックス 2月9日
指導最終日、阪神の江夏豊臨時投手コーチ(66)はウオーミングアップの前に投手陣を集めて、島本一人を呼びつけた。そして、「これを受け取ってくれ! 頑張るんだぞ」…。手渡したのは左投げ用の、江夏氏が命名した『誠』というメーカーのオーダーグラブだった。「島本くんに受け取ってもらいたくてね。ブルペンで投げる姿をずっと見ていて、決して恵まれた体格ではないのだけど、いい球を投げている。昨年までは三ケタの背番号(育成契約)だったけど、そこから頑張って…ね。これは偶然なんだけども、同じ奈良県人会なんだよな」キャンプインからの8日間、1軍参加の18選手全員と言葉を交わした。見るだけ…のスタンスでスタートしたが、気がつけば個別に話し、考えを聞き、アドバイスを送っていた。その中から能見や藤浪ら主戦級ではなく、まだ1軍登板のない、今年から支配下選手になった5年目左腕に“江夏賞”を贈った。突然に指名された島本は、何で自分が!?という表情だ。「名前が呼ばれたときはびっくりしましたが、本当にうれしいです」。さすがに実際には使いづらい様子で、鳴尾浜の選手寮の自室に大事に保管する予定だとという。キャンプを通してはキャッチボールの大事さを説かれ、「今は意識するようになりました」。第1クール中のブルペン投球の後には「強いボールが来ていたじゃないか」と声をかけられ、感激もした。「すごい励みになりますし、この期待に応えるのは結果を出して、1軍で頑張ることだと思うので、そうなれるように頑張りたいです」。江夏氏はこの日のうちに宮崎入りし、野球解説者としてのプロ野球キャンプ取材に切り替える。そして14日に、再び沖縄入りする。「ボクが一言言ったぐらいで変わるほど甘い世界じゃないよ。彼らがどう感じて、チャレンジしていくのか」。今シーズン、江夏氏の8日間が虎投にもたらす効果が楽しみだ。
【以下、関連記事】↓
阪神、育成・島本を支配下登録へ 左の中継ぎ候補として期待
<阪神キャンプ>3ケタ番号ともお別れ?ブルペンで投げ込む島本
Photo By スポニチ阪神が育成選手の島本浩也投手(21)を近日中にも支配下登録することが9日、分かった。球団関係者が「その方向で調整しているという話を聞いています」と明かした。島本は入団4年目の今季、ウエスタン・リーグで17試合に登板して防御率3・40。着実な成長を見せ、現在参加中の安芸秋季キャンプでは、大野豊臨時コーチからも「コントロールも投げっぷりも、腕の振りもいい」と素質を高く評価された。実戦でも存在感を発揮。7日の韓国・LGとの練習試合(安芸)では2回無安打無失点4奪三振の好投を披露していた。9日の安芸キャンプには新任の香田2軍投手コーチが合流。初指導を行った。同コーチは巨人の2軍コーチ時代に山口を指導。育成選手から、7年連続60試合登板、通算222ホールドという2つのプロ野球記録を保持するリリーフ投手へと成長した過程を知る。島本の境遇も山口と同じ育成スタートだ。香田コーチは個人名こそ出さなかったが、阪神の若手投手のレベルの高さを評価する。「すごい投手が多い。楽しみだ。(巨人には)内海だとか、山口だとか、打ち込む姿勢が素晴らしい選手がいた。聞かれたら、そういう話もしていきたい」。獲得調査を続けていた宮西の日本ハム残留を受けて左の中継ぎは不確定。背番号126を背負ってきた男が“第2の山口”となれるか、今後に注目だ。島本浩也 投手 経歴 [ウィキペディア]
奈良県大和高田市出身。市立大和高田小学校1年より「高田ヤマトイーグルス」で野球を始め、中学校在学時は「橿原コンドルボーイズ」に所属。当時バッテリーを組んでいた捕手が、柳ヶ浦高等学校野球部バス横転事故で死亡している。福知山成美高では、投手として2年春よりベンチ入りし、2年秋の京都大会で準優勝、近畿大会では1回戦のPL学園戦で10奪三振1失点で完投勝利をおさめて8強入りを果たす。しかし、他部員の不祥事により、3年になってからは対外試合ができなかった。甲子園出場なし。2010年のドラフト会議にて阪神タイガースから育成2位指名を受け、11月12日に支度金200万円・年俸300万円で仮契約。2011年シーズンは、ウエスタンリーグで僅か1試合の登板で、投球回数はわずか1回であった。2012年シーズンも、ウエスタンリーグで6試合の登板に終わった。2013年シーズンは、ウエスタンリーグで中継ぎ投手として25試合に登板した。しかし、投球回を上回る安打を浴び、防御率4.94と課題を残すシーズンであった。同年シーズンをもって3シーズン在籍したため、育成選手の規約に基づき、10月31日、自由契約公示されたが、11月12日、育成選手として再契約された。2014年シーズンより、先発での登板が増えた。育成選手の規約に則り、同年10月31日に自由契約公示された。11月21日に、支配下選手として契約を更改したことが発表された。
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追い詰められた「イスラム国」/タブー破りの焦燥
■「イスラム国」事件
イスラム世界で禁じられた火あぶり…
信用失墜しても瀬戸際戦術にうって出た
産経新聞 2015.2.4
臼杵陽・日本女子大教授(中東現代史)
ヨルダン軍パイロットのモアズ・カサスベ中尉とされる映像の公開は、有志連合の攻撃などにより追い詰められた「イスラム国」が瀬戸際戦術にうって出たことを意味している。
イスラム国はシャリーア(イスラム法)に基づく厳格な国家の実現を標榜し、一部のイスラム教徒の共感を誘って勢力を拡大していた。
中尉は米軍主導の空爆に参加し、アラブの同胞を殺害した裏切り者として扱われた。
しかし、「火あぶりの刑」はイスラムの世界では禁止されている。
宗教的にも逸脱した残虐な処刑で、多少なりともあったイスラム国に対する信者の「信用」は完全に失墜してしまったのではないか。
カサスベ中尉の一家は国内では有力部族であり、ヨルダン社会でも影響力を持っている。
一家は中尉を救出できない国王に責任を求める動きを強め、王政自体を揺さぶる状況になっていた。
ただこの映像公開後、ヨルダン社会は一致団結した様相となっており、一家としてはもう国王に責任を転嫁することは難しい。
イスラム国の内部でもアラブ諸国の反応を恐れて、映像を公表することに反発があったはずだ。
しかし、空爆などによってすでに危機的な状況にあったため、求心力を保つためには、手の込んだより残虐な手法を選ばざるを得なかったのではないか。
この映像は、イスラム国が追い詰められている証左でもある。
■山岳ベース事件【ウィキペディア】
1971年から1972年にかけて連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件。
当時の社会に強い衝撃を与え、同じく連合赤軍の起こしたあさま山荘事件とともに新左翼運動が退潮する契機となった。
・・・
1971年に入って共闘関係を結ぶようになっていた赤軍派と革命左派は、やがて「連合赤軍」の結成を宣言したが実態は無く、その一方で両派とも警察の厳しい追及によって活動に行き詰まっており、「殲滅戦」においても他党派に遅れをとるようになっていた。
両派は事態を打開するため共同の軍事訓練を行い、指導部会議を重ねていたが、その最中、「総括」と称するリンチで短期間に30名弱のメンバー中12名を殺害し、自ら組織を弱体化させたのが「山岳ベース事件」である。
その後、その残党である5名が長野県軽井沢町の別荘「あさま山荘」に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げ、警官2名と民間人1名を射殺する「あさま山荘事件」を起こすことになる。
・・・
◆総括開始
榛名ベースでの「新党」においては、「総括」と称する内部でのメンバーに対する批判や自己批判がエスカレートするようになった。
総括対象者は最初は作業から外されるだけだったが、間もなく長時間の正座、更には殴打、ついには死者を出すようになった。
総括による犠牲者の多くは榛名ベースで出たが、その後脱走したメンバーが出たため移動した迦葉ベースでも複数の犠牲者が出た。
メンバーのさらなる脱走で迦葉ベースを放棄して移った妙義ベースで最後の犠牲者が出た。
「総括」の対象者は連合赤軍リーダーの森恒夫が決定した。
■オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件【ウィキペディア】
オウム真理教による一連の凶悪犯罪の1つ。
1994年7月10日に発生した。
「冨田俊男さんリンチ殺害事件」とも呼ばれる。
上九一色村の教団施設の井戸水から毒物が検出され、土谷正実の分析でイペリットが検出したとされる。
そこで麻原彰晃の命令で、林郁夫らによるナルコチェックで、信者がスパイかどうか調べられた。
ナルコチェックは完璧なものではないが、チェックの結果、タンクローリーで教団施設に水を運搬していた現役信者が疑われ、麻原の命令を受けた新実智光・杉本繁郎・中村昇・山内信一ら信者に、パイプ椅子に縛り付けて竹刀で叩く、爪の間に針をさすといったリンチを受けた。
被害者は「ミラレパ正悟師(新実)は人の心がわかるはず・・・」と身の潔白を訴え続けたが、意識を失った。
麻原はマイクロウェーブ焼却装置での殺害を指示し、新実も杉本らに「自白をしようがしまいが、どちらにしろ、ポアだ。」と麻原の指示を伝えた。
しかし、マイクロウェーブ焼却装置による殺害には抵抗があったようで、杉本によって絞殺され、遺体は指示通りマイクロウェーブ焼却装置で焼却処分された。
そこの浅い組織は崩壊を予感しだすと、
自家中毒を起こし、勝手に滅びの道に進む。
後藤健二 殺しは、
その終わりへの一歩と、後に知るだろう。
イスラム世界で禁じられた火あぶり…
信用失墜しても瀬戸際戦術にうって出た
産経新聞 2015.2.4
臼杵陽・日本女子大教授(中東現代史)
ヨルダン軍パイロットのモアズ・カサスベ中尉とされる映像の公開は、有志連合の攻撃などにより追い詰められた「イスラム国」が瀬戸際戦術にうって出たことを意味している。
イスラム国はシャリーア(イスラム法)に基づく厳格な国家の実現を標榜し、一部のイスラム教徒の共感を誘って勢力を拡大していた。
中尉は米軍主導の空爆に参加し、アラブの同胞を殺害した裏切り者として扱われた。
しかし、「火あぶりの刑」はイスラムの世界では禁止されている。
宗教的にも逸脱した残虐な処刑で、多少なりともあったイスラム国に対する信者の「信用」は完全に失墜してしまったのではないか。
カサスベ中尉の一家は国内では有力部族であり、ヨルダン社会でも影響力を持っている。
一家は中尉を救出できない国王に責任を求める動きを強め、王政自体を揺さぶる状況になっていた。
ただこの映像公開後、ヨルダン社会は一致団結した様相となっており、一家としてはもう国王に責任を転嫁することは難しい。
イスラム国の内部でもアラブ諸国の反応を恐れて、映像を公表することに反発があったはずだ。
しかし、空爆などによってすでに危機的な状況にあったため、求心力を保つためには、手の込んだより残虐な手法を選ばざるを得なかったのではないか。
この映像は、イスラム国が追い詰められている証左でもある。
■山岳ベース事件【ウィキペディア】
1971年から1972年にかけて連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件。
当時の社会に強い衝撃を与え、同じく連合赤軍の起こしたあさま山荘事件とともに新左翼運動が退潮する契機となった。
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1971年に入って共闘関係を結ぶようになっていた赤軍派と革命左派は、やがて「連合赤軍」の結成を宣言したが実態は無く、その一方で両派とも警察の厳しい追及によって活動に行き詰まっており、「殲滅戦」においても他党派に遅れをとるようになっていた。
両派は事態を打開するため共同の軍事訓練を行い、指導部会議を重ねていたが、その最中、「総括」と称するリンチで短期間に30名弱のメンバー中12名を殺害し、自ら組織を弱体化させたのが「山岳ベース事件」である。
その後、その残党である5名が長野県軽井沢町の別荘「あさま山荘」に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げ、警官2名と民間人1名を射殺する「あさま山荘事件」を起こすことになる。
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◆総括開始
榛名ベースでの「新党」においては、「総括」と称する内部でのメンバーに対する批判や自己批判がエスカレートするようになった。
総括対象者は最初は作業から外されるだけだったが、間もなく長時間の正座、更には殴打、ついには死者を出すようになった。
総括による犠牲者の多くは榛名ベースで出たが、その後脱走したメンバーが出たため移動した迦葉ベースでも複数の犠牲者が出た。
メンバーのさらなる脱走で迦葉ベースを放棄して移った妙義ベースで最後の犠牲者が出た。
「総括」の対象者は連合赤軍リーダーの森恒夫が決定した。
■オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件【ウィキペディア】
オウム真理教による一連の凶悪犯罪の1つ。
1994年7月10日に発生した。
「冨田俊男さんリンチ殺害事件」とも呼ばれる。
上九一色村の教団施設の井戸水から毒物が検出され、土谷正実の分析でイペリットが検出したとされる。
そこで麻原彰晃の命令で、林郁夫らによるナルコチェックで、信者がスパイかどうか調べられた。
ナルコチェックは完璧なものではないが、チェックの結果、タンクローリーで教団施設に水を運搬していた現役信者が疑われ、麻原の命令を受けた新実智光・杉本繁郎・中村昇・山内信一ら信者に、パイプ椅子に縛り付けて竹刀で叩く、爪の間に針をさすといったリンチを受けた。
被害者は「ミラレパ正悟師(新実)は人の心がわかるはず・・・」と身の潔白を訴え続けたが、意識を失った。
麻原はマイクロウェーブ焼却装置での殺害を指示し、新実も杉本らに「自白をしようがしまいが、どちらにしろ、ポアだ。」と麻原の指示を伝えた。
しかし、マイクロウェーブ焼却装置による殺害には抵抗があったようで、杉本によって絞殺され、遺体は指示通りマイクロウェーブ焼却装置で焼却処分された。
そこの浅い組織は崩壊を予感しだすと、
自家中毒を起こし、勝手に滅びの道に進む。
後藤健二 殺しは、
その終わりへの一歩と、後に知るだろう。
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橋下市長のつぶやき/藤井!コノヤロー
2015年02月07日
『RT @ikedanob: どうでもいいけど、教官の言論について学長に文句をいうのは筋違いもいいところ。』
大学も組織であることの認識欠如。
通常の研究・言論内容でなく一般社会との接点にかかる問題は服務監督の組織責任が生じる。
どの表現を問題視しているかの事実確認をしてから批評すべき。
『RT @takaki0705: 橋下先生。私は見損ないました。
藤井聡が小チンピラなら正々堂々と小チンピラの指摘に真正面から答えて欲しかったです。
小チンピラの指摘に答えられない理由は何ですか?』
藤井氏の主張全部に時間無制限で答えますよ、公開討論で。
藤井氏が逃げまくっているだけです
『RT @nama2015: 藤井氏はテレビの生放送で「都構想に関して賛成でも反対でもない中立です」と嘘ついてましたよ。
昨年12月反維新の政治団体府民の力2015の顧問に就任していた。』
昨日もその団体の資金パーティーに参加しています。
この手の学者はあーだこーだ言って最後は逃げますね。
『RT @nama2015: 学者が政治家から言論弾圧されていると逃げているのは藤井氏です。
彼は反維新・反都構想を掲げる政治団体「府民の力2015」の顧問として政治活動をされ・・・』
一般の学者なら無視します。
彼は内閣官房参与。政府の一員です。
政治の現実を知らないのでしょう。
社会勉強不足。
『高橋洋一(嘉悦大)@YoichiTakahashi
大阪都構想。
これに反対する人は明示か暗黙は別として二重行政でもいいという前提がある。
反対する人の中には二重行政は「なくせる」という人もいるが、今の制度では無理。
それぞれが組織存続のためにやっているからで、これを簡単に「なくせる」という人は官僚組織のゾンビ度を知らなすぎて痛い。』
Retweeted by 橋下徹
『RT @gotchaness: 市長もそうだと思うんですけど、藤井氏を論破、言い負かすのが目的ではなく期待することでもなく、反対派との討論が重要なんですよね。
市民に正しく理解を広めるに。』
有権者に見てもらうこと。
それが全てです。
僕に間違いがあれば修正します。
しかし藤井氏は逃げますね。
『RT @nama2015:藤井氏はズルい、藤井氏の都構想に対する指摘は反都構想を掲げる政治団体の顧問としての政治活動なのか、それとも京大の教授としての・・・』
その通りです。
というか政治行政のルールを知らないのです。
慌ててブログから内閣官房参与の肩書を外したようです。
誰かに注意されたのでしょう。
藤井京大教授は思った通り、お勉強はできるのかもしれないが相当 地頭が悪そうだ。
僕が問題視した藤井氏の発言は2年前のもの。
案の定、藤井氏は2年前の発言を今頃持ち出してきて、と反論してきた。
では再反論。
藤井氏が、僕の人格を攻撃した根拠は僕の知事就任前の著書。
8年以上前のものだ。
僕はこの著書の中で、政治家は名誉欲、権力欲が一番だと書いた。
藤井氏は、この著書の一文だけを引用して、橋下は私利私欲で、ヘドロチックで、腐る最先端の政治家だと風刺したらしい。
この著書は、指示就任前、私人の立場でのコラム。
政治家にそんな綺麗なものを求めるのはダメですよという趣旨。
僕は自分を聖人君主と言うつもりはいが、それでも知事就任後のどの部分をもって私利私欲なのかの指摘は一切ない。
今の給与、生活、仕事の状況をきちんと論評されたのであれば納得するが、知事になる前の私人の立場でしかも一般の政治家について述べた著書の一文を根拠に藤井氏は僕の人格を決定付ける。
そして藤井氏は、自分の2年前の発言を批判されれば、2年前のことを持ち出すなと言う。
またこの藤井氏。
国際的なコードも知らないようだ。
人をヒトラーに例えて批判することは最大の侮辱。これはご法度。
日本ではよくやるけど。
一般の私人ならまだしも教授がやるんだからね。こりゃだめだ。
僕は言論弾圧の意図など全くない。
単に社会人としてのマナーを問うている。
そして大学教授と言えども組織の一員。
バカな従業員がいれば上司に監督を求めるのは当たり前。
藤井氏は自分は京都大学の一教授だと言う認識がないようだ。
バカな組織の一員がいればそれを正すのが組織のトップの責任。
藤井氏が僕の政策や都構想について、政治家の態度振る舞いとしてきちんと批判をしてくるのであればそれは歓迎だ。
反論があれば反論する。
ところが彼は、ヘドロだ、腐る最先端だ、私利私欲だと、およそ批判とは言えない人格攻撃に終始する。
そしてその根拠は8年以上前に僕が私人として書いた著書の一文。
何と言っても、この教授。
世の中の仕組みを全く知らない。
内閣官房参与の肩書で発言すると、それは一定政府としての責任になることを全く知らないようだ。
この手の学者は、最近ちょろちょろ出始めた自称保守、ファッション保守の類。TPP反対、積極的財政出動・・・
いつものパターン。
あれだけTPPに反対していたのだから内閣官房参与の立場で政権にTPP反対を進言するのかと思えば、何も言わない。
安倍政権に対してTPP反対の立場で批判の一つもしない。
根性が見えている。
今回の公開討論も逃げるだろうね。
まあ色んな言い訳をしてくるだろう。
藤井教授の都構想に反対する理由は、地方行財政学上、笑い話にもならない頓珍漢な主張。
だいたい僕は大阪市長という組織のトップだ。
大学なんかよりはるかに大きな組織を運営しなければならない。
組織を運営するのが僕の仕事。
政策の中身については本来僕の部下が担当する。
藤井氏は、自由な時間をたっぷりもらって好きなだけお勉強ができる。
そんな藤井氏が僕と公開討論をやれば、僕が納得する問題点の指摘をしなければ税金の無駄遣いというものだ。
僕は勉強するのが仕事ではない。
それでも藤井氏と公開討論をやる。
時間無制限でいい。
それにしてもこの学者のせこいこと。
反維新の政治団体に参加しておいて、テレビでは都構想については中立だと言う。
こりゃ、逃げるな。
藤井氏の主張に合理性があれば受け入れる。
有権者のためにも、そして内閣官房参与という立場からしても、藤井氏は僕との公開討論に応じるべきだ。
京大の藤井教授。
やっぱりでしたが、公開討論に応じないとのこと。
理由はいっぱい付けていますけど。
普段は国が!国民が!と言ってるいるのにね。
彼の主張は、地方行財政学上、でたらめです。
その証拠に、その専門家は、彼のような主張は一切しておりません。
彼は地方行財政には完全な素人。
藤井教授の主張はまとめると、
1、今度の住民投票では「都」にならない
2、大阪都構想になると大阪市民税が大阪市域外に流れるの2つ。
1、は名称の問題。
大都市に特別区を設置して府の広域行政機能を強化することを都制と言います。
名称は次の問題。
名称は、維新の党で法案を出します。
名称だけを「都」にしても、2重行政の解消にならないし、住民自治の充実にもなりません。
実力もないのに内閣官房参与という肩書だけを持っている学者のようなものです。
今回の争点は、大阪の2重行政を解消し、大阪市内の住民自治を充実させること。
名称は関係なく、特別区の設置こそが都制、都構想。
5月の住民投票が可決されれば、大阪は都制になるのは間違いありません。
名称は法律で変えます。
2、大阪市民の税金は大阪市域外に流れません。
これまで大阪市役所が担当していた、大学、消防、港、広域高速道路などの仕事を大阪都庁に担当させます。
その際に2200億円のお金を都に移します。
これまでの大阪市役所が発行した市債の償還財源もこの2200億円に含まれています。
このことをもって大阪市域外に流れると藤井氏は主張していますが、地方行政の現実を何も知らない反対のための反対論。
お金とともに仕事の負担も移るのです。
仕事の担当者替えです。
これまでは大阪市役所や大阪市議会が担当していた仕事を、大阪市議会ではちゃんと仕事ができないから、大阪都議会に移すだけです。
市民にとっては何の影響もありません。
そしてこのお金と仕事のチェックは、特別会計で管理します。
都区協議会がチェックします。
大阪市民の税金が市域外に流れるって、熱烈反橋下、反維新の非専門家が言うならまだしも、一応京大の教授ですからね。
地方行財政学の学者からは、藤井氏の主張のようなバカな主張は全く出ていません。
この人土木専門なんですから、その範囲で意見を言っていた方が良いですよ。
いずれにせよ、藤井教授は、僕との公開討論から逃げてしまいました。
コメンテーターも、ジャーナリストも、メディアの論説委員も、もっと言えば自民党、公明党、民主党、共産党の誰でも僕と公開討論をやってくれたらいいのに、反対派は誰も僕とは公開討論をしません。
民主主義のためにならないですね。
『高橋洋一(嘉悦大)@YoichiTakahashi
大阪都構想の算数。
BEFORE,AFTERでみて、府民税+市(区)民税は同じ、
府+市(区)の必要予算は二重行政排除で減少。
これから、府と区の役割分担をやれば、府民+区民の受益は必ず増加する。
府と区の役割分担は東京を参考にすれば東京よりうまくできる。
反対するのは二重行政の利権者だ。』
Retweeted by 橋下徹
『高橋洋一(嘉悦大)@YoichiTakahashi
大阪都構想の算数(2)。
必要予算が減少・税負担が同じなら浮いた分で新規事業が可能で府民+区民の受益は必ず増加する。
こういうのはパレート最適といい少なくとも今より損にならない。
細かい話はあっても方向性は間違いない。
二重行政排除で住民受益を増やすか、二重行政維持で既得権擁護かの問題。』
Retweeted by 橋下徹
『RT @MeOxJpEn22: 「特別会計」ついては、現在の協定書に記載されていないと主張されていますよ。』
当たり前です。
協定書は法律で求められた骨格事項です。
法定協議会で出されている資料にはきっちり明記されています。
協定書は骨格だけ。
特別区を作るには膨大な工程表が必要になります。
『RT @Mafty_RX_105: そういう風に、バカとか言ってすぐに他人を見下す人間性をまず改善した方が、トップの器に値すると思いますが。
幼少期からどういう躾を受けてきたのか?って疑います。』
僕はバカにされた場合にやり返すだけです。相手に合わせます。
藤井氏の発言はそりゃ酷いものでした。
2015年02月08日
『RT @pakodora: 橋下さんの定例会見とかTMとか動画でよく拝見させてもらってますけど、まともな相手にはしっかりと対応されていますもんね。
朝日新聞様への対応はいつも笑ってみてますw 』
相手に合せます。
反橋下の学者の共通項は自分が一番賢いと思って、見下した言をすること。
高橋教授と藤井教授の論を比較すれば一目瞭然。
藤井氏はこの分野の専門家は誰も主張していない反対のための反対論。
『RT @tinpei: 橋下氏をヘドロチックと罵倒したので橋下氏はその言葉に対して小チンピラと言い返した。
それと都構想の7つの問題等を書いて反都構想派集会の基調論説として公開したから橋下氏は公開討論を申し入れたのです。
喧嘩を売ったのは藤井氏、』
藤井氏はテレビでは中立だと逃げていました。
藤井教授の主張は地方行財政学上あまりにもバカバカしいが、念のため。
彼は政令市は税金を域内で確保できるので政令市を残すべきだと主張する。
僕の問題意識は、その範囲だ。
今の大阪市域では狭いということ。
だから大阪府域まで政令市の範囲を広げようというのが大阪都構想。
今の大阪市域から大阪府域まで政令市の範囲を広げると、府と市が重なってそれが大阪都になるというもの。
なぜ大阪府域まで広げないといけないのか。
これは大阪の人モノ金の動きを軸とする都市の構造に合わせて。
藤井氏には政令市の範囲をなぜ大阪市域にしなければならないのかの論証が全くない。
藤井氏は単に大阪都構想反対という結論が先にあるから、今の大阪市をそのまま残せという論になってしまっている。
藤井氏の論で行けば、大阪の北区の税収を確保するなら北区を政令市にしなければならなくなる。
24区を政令市にせずなぜ大阪市を政令市にすべきかの論証が全くない。
そもそも当該域内で上がった税収を当該地域が独占するという考え方が、藤井氏のこれまでの主張と全く矛盾する。
彼は道州制反対論者。
中央集権型の統治機構を支持する。
おかしな話だ。
国の立場では、各地域から上がった税金を国が奪ってどんどん土木工事をせよと主張する。
ところが大阪の話になると、大阪市は税金を独占すべきだと主張する。
大阪都構想反対の結論先にありきなので、ロジックがズタズタ。
ほんとにこの人、教授なの?
僕が直接名指しした教授の中では抜群に地頭が弱い。
僕はタウンミーティング等で藤井氏の主張がいかにでたらめか明らかにし、その映像は全て公開にしてきたので、彼はそれを観たのだろう。
公開討論をやれば、自分の主張が専門家から見ていかに恥ずかしい主張かが明らかになってしまうから、公開討論から逃げた。
陰でまた色々言うのだろう。やれやれ。
そもそもあれだけTPP反対だと叫んでいたのだから内閣官房参与になった今こそその主張を貫け。
学者と政治家の役割は違う。
もう少し現実の政治行政を勉強しろ。
組織運営というものを経験しろ。
学長になれば少しは市長の仕事が分かる。
批判や論評はいいが人をバカにした表現は止めろ。
藤井教授の言い訳も情けないくらい酷いな。
僕が怒ったのは、政治家に対する批判や論評を超えた侮辱発言。
このことは服務監督上の責任を負う学長にも見解を問うとした。
そして都構想については正々堂々と公開討論をやろうじゃないかと申し入れた。そしたら言論封殺だって。
侮辱発言は止めろ、というのは当たり前の抗議だ。
言論封殺でも何でもない。
そして都構想の中身の指摘はどんどんやって欲しい。
公開討論をやろうと。
こちらが間違っていたら改める。
公開討論の様子を全て見てもらって有権者に判断したもらえれば良い。
藤井教授は以前の在特会との公開討論を引き合いに出して、あーなるから公開討論はやらないと。
あれはあのようにわざとやったんだから、藤井氏が侮辱発言をしない限りは普通に議論するよ。
普通の相手にはいつも普通にしている。
市役所内で朝から晩まで議論しているけど、普通にやってるよ。
言論封鎖とは、取り締まったり収監したりすることでしょ。
そんなこと大阪市長ができるわけないし日本社会では絶対に無理。
そんな言い訳で逃げるんじゃなくて、あたがた常日頃言っているお国のために公開討論に応じるべきだ。
あなたが侮辱発言さえしなげれば、こちらは終始、丁寧語、敬語でしゃべるよ。
『RT @mr_gonbee: あなたが侮辱発言受けるのはあなたが侮辱発言したからでは?それがなければ相手も侮辱発言などしないのでは?』
僕は個人相手に自分からは侮辱発言をしません。
やられたら言い返しますが。
『RT“@KurataTetsuro: ブログ更新 →
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」をマジメに考える』
倉田市長、ありがとう。
藤井教授も、もう少し世間の中で揉まれた方が良いよ。
藤井教授の主張のでたらめさは大阪府箕面市の倉田市長がまとめてくれました。
↓
40歳の日誌 - 箕面市長 倉田哲郎blog
2015年02月08日
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」をマジメに考える
※ 最近、この手の話はツイッターにしてるのですが(特に理由はないです)、
7つもあって分離するとわかりにくくなるので、今回はブログに書くことにしました。
ニュージーランドから帰国してみたら、京都大学教授の藤井聡氏なる人が書いた「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」なるものが盛り上がっていました。
「ヘドロチック」発言ばかり話題になりますが、そもそも「7つの事実」とやらが(僕は“ヘドロチック”のことを知る前に読んだのですが)、正直、どれも「え?」という内容でしたので、以下、順番にコメントしておきます。
【事実1】今回の住民投票で決まっても,「大阪都」にはなりません.
“大阪府の名称は住民投票では変わりませんよ”って話。
・・・これを一番にもってくる時点で、正直、唖然(@_@)としました。
名称なんてどうでもいいのです。
それは5年前に「『大阪“都”構想』をどう思う?」で、僕自身が「自治体呼称としてのネーミングはやはり『大阪府』が好みですが」と書いたとおり。
中身が大事。
それを「事実1」とか言って最初に大々的に主張されてる時点で、学者さんが書く主張として、あまりにアホらしくてビックリしました。
【事実2】今の「都構想」は,要するに「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」ことです.
そのとおり。
問題の本質は、京都府全域(人口255万人)を上回る異常な規模の「大阪市」(267万人)が、狭いのに「大阪府」と縄張り争いするという構造的歪み。
府・市のどっちかが悪いとかじゃなくて、構造が悪い。
その構造問題の解消手法が特別区化。
今も昔も都構想はまったく同じ。
5年前に「『大阪“都”構想』をどう思う?」で書いたとおりです。
なお、府市・都区の仕事の分担(誰が仕事をするか)が変わるだけで、必ずどこかの部署がこれまでどおりの行政サービスをしますから、大阪市民が○○区民になっても不利益はありません。
むしろ○○区役所は(箕面市役所のように)コンパクトで身近なものになります。
【事実3】年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します.
この不見識には驚きました。
大阪市民も大阪府民でしょう?
住民は、大阪市(区)からでも、大阪府(都)からでも、ちゃんとサービスが充足されるなら、どちらからでもいいはずです。
そして、住民は、民主主義を通じて「市(区)」「府(都)」をコントロールします。
それなのに、今の大阪市の2200億円分のサービスが、どこか大阪市民の手の届かないところへ行って使われてしまうような「流出」という表現。
特別区に権限がないから、大阪市「外」に流出する”という飛躍したロジック。
「都」は大阪市(区)民にはサービスを一切提供しない(区民≠都民)という完全に誤った立場からの説明としか考えられません。
これは、不見識か、作為的か、どちらかとしか言いようがないです。
【事実4】流出した2200億円の多くが,大阪市「外」に使われます.
これは、何回読んでも意味がわかりません。
なにを根拠に言ってるのか、藤井聡氏の書く「都道府県の財政運営の『法的常識』」なるものがいったいなんなのか、誰か教えてほしいです。
・・・というか、京都大学の教授ともあろう人が「7つの“事実”」と称して書くことじゃないでしょう。
だって、文末が「・・・可能性も,十二分以上に考えられるわけです」ですよ。つまり、事実じゃないじゃないですか(笑)。
これはさすがに脇が甘すぎるんじゃないですか。
7つのなかで最もツッコミどころ満載の「事実」でした。
【事実5】特別区の人口比は東京は「7割」,でも大阪では「たった3割」
当たり前です。
密集する都市部では、人口は面積に比例します。
23区の面積は東京都全域の“28%”、大阪市の面積は大阪府全域の“たった12%”ですから、7:3の規模比率もキレイに一致します。
面積が“たった12%”で居住人口も「たった3割」の大阪市に、大阪全域から労働力が流入することで、大阪の経済は支えられています。
従って、藤井聡氏のいう「手厚い行政」は、面積「たった12%」の大阪市域だけでなく、より広域で行われるべきです。
そして、藤井聡氏は “面積12%に重点的に配慮することが大阪のためになる” という考えのようですが、それは違うでしょ。
大阪の場合、富を生み出すエリア(都心)を、いかに12%以上に広げて、関西全体の人たちを受け止めて発展できる都市インフラを構築できるか?を考えなければダメでしょう。
もう少し将来を考えてほしいところです。
【事実6】東京23区の人々は,「東京市」が無いせいで「損」をしています.
最後のほうになるにつれ、無理やり感が高くてイヤになってきます。
「もしも『東京市』だとしたら,東京都心はもっとさらに強烈な集中投資が進んでいる」とか書いてあるんですが、現実的に、これ以上なにを東京都心部に投資しろというんですかね。
要するに “大阪市内に住んでる人だけが得をすればいい” 、 “富が余っても絶対に周辺に投資はしないぞ!” という主張なわけですが、面積12%しかない狭い大阪市だけでどう発展しようというのか?と問いたいです。
【事実7】東京の繁栄は「都」という仕組みのせいでなく,「一極集中」の賜(たまもの)です.
これには驚きました。
・・・これは書くべきじゃなかったと思います。
言うに事欠いて、“大阪は努力せず諦めろ”ってことでしょう?
誰も、行政組織が「都」に再編されたからって、いきなりバラ色になるなんて思ってませんよ。
今までより少しでもマシな仕組みにして、ちょっとでも大阪の停滞を打破しようよって、ささやかな希望だけです。
それなのに藤井聡氏は、
「そもそもの経済規模が全く違うのからなのです」
「人口についても経済規模(GDP)についても,大阪市と東京23区との間には,実に4倍前後のもの巨大な格差があるのです」
「首都東京に,あらゆるモノが一極集中している」
「これが,東京23区の豊かさの秘密です」
などと、一生懸命に東京の凄さを説き、
“大阪には無理だから” 、 “努力しても無理だから” と教えてくださってるようです。
要するに、大阪はどんなに頑張っても無理なんだから、改善する努力すら無意味だから諦めろよ、と。
・・・これはいただけない。
以上、最後のほうは(大阪で政治に携わってる者として)ちょっと腹立たしくなるのが自然だと思います。
万が一、この「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」なる主張に賛同する大阪の政治家がいたら、それは辞めていただいたほうが大阪のためになります。
・・・特に「事実7」の記載はクリティカル。
さて、現在、藤井聡氏は、大阪維新の会からの公開討論の申し入れに対して、
「私の議論のどこが間違っているのか何の指摘もありません。
これでは討論を始めることすらできない。」
と書いています。
正直言って、橋下市長ほか大阪の政治家が、指摘する気すら失せているだろうことは、上記のとおりよくわかります。
・・・それでも誰か書いといたほうがいいかなと思ったので、(僕は大阪維新の会じゃありませんが)大阪都構想に賛同する身として、マジメにコメントしておきました。
是非の議論は大歓迎です。
反論いただけるならどうぞ。
(なお、僕は仕事柄、公開討論などもお受けできますので。)
いずれにせよ、5月17日に向けて、議論が熟す一助となれば幸いです。
posted by 倉田哲郎 at 01:29 | 活動日誌
(引用終わり)
僕が問題だとしたのは藤井氏のこの発言
【動画】「西田昌司×藤井聡の維新を斬る!vol.5-最終話 橋下徹氏について」(H24.11.27)
ここまで言うなら公開討論をやろうと申し込んだら言論封殺だって。
彼の大阪都構想に関する主張は呆れるほど でたらめ だが大いに語ってもらったらいい。
ほんとこの手のタイプは最後は逃げるんだよな~
藤井氏はこの体制維新も読まず、知事になる前の8年以上前の著書の一文だけを引用して侮辱発言。
討論しようと言っても逃げる。
学者失格でしょ。
僕が参加していない番組で、まあ僕を罵り侮辱しまくるコメンテーターの代表として大谷昭宏氏という人物がいる。
この人と番組で直接議論すると、この人の勉強不足、頓珍漢さがいつも明らかになるのだが、この大谷氏の事務所に所属している自称大阪の行政に詳しいという人物がいる。
この人物、大阪都構想についても呆れるくらい勉強不足の反対意見を公にしている。
僕の大阪府政についても でたらめ な事ばかり言っているので、僕はインチキジャーナリストと言っている。
僕の記者会見等に顔を出すのに、僕に質問はしない。
彼が大阪維新の会政調会長に取材申し込みをしてきた。
この大谷氏の事務所に所属する都構想反対派のインチキジャーナリストの取材は、僕が公の場で受けると回答した。
インチキジャーナリストとは吉富氏。
公開で取材を受けますよ。
でも藤井氏と同様、逃げるんだろうな。
反橋下、都構想反対派はこんなんばっかり。
僕も相手も人間だから好き嫌いはあるだろう。
ただ大阪都構想の住民投票が実施されるのも事実。
有権者のためにも、都構想反対派や有識者は僕と公開討論をやってもらって、都構想の問題点を具体的に指摘して欲しい。
僕も反論する。
その姿を有権者にみてもらいたい。
それが住民投票にとって必要不可欠だ。
保坂氏も完全に誤解。
では世田谷区をなくして23区をまとめて東京市にするかと言えば反対。
保坂氏は世田谷区を政令市にしたいだけ。
保坂氏が大阪市内の区長になったら、まずは東京都の特別区レベルまではやりましょう、と言うはずです。
↓
保坂展人のどこどこ日記
「大阪都構想」の欠陥 東京23区の現実
(「太陽のまちから」2014年2月5日)
東京都知事選挙も後半にさしかかった、2月3日。
日本維新の会の橋下徹・大阪市長は市長を辞職して、出直し市長選挙に立候補することを突然、表明しました。
橋下市長が掲げる「大阪都構想」が市議会で維新の会以外の賛同を得られずに進まないため民意を問いたいのだと伝えられています。
大阪都構想については、昨年9月の堺市長選で、「大阪都構想反対」を示した竹山修身市長が、維新の新人候補を退けたことで、住民はNOの意思表示をしています。
政令指定都市(以下、政令市)としての自治権限をすでに有する堺市を廃止し、大阪都の特別区になる道は選ばない、という選択をしたのです。
橋下市長率いる維新の会が総力で取り組んだ選挙だったにもかかわらず、結果は敗北でした。
さて、東京都は、1943年(昭和18年)に東京市と東京府を廃止して生まれました。
大阪都構想がベースにしているのは東京都の特別区(23区)のあり方です。
大阪府と政令指定都市である大阪市と堺市を廃止して大阪都とし、特別区を設置するとしていました。
この議論を聞くたびに思うのは、東京の特別区の抱える現実と矛盾に対しての理解の薄さです。
世田谷区は七つの県を上回る88万人という人口を抱えています。
そこから感じるのは、東京の都区制度は必ずしもうまくいっていないということです。
戦時中につくられた「特別区制度」は、人口規模も自治体実務をめぐる役割分担でも制度疲労が目立っているというのが今の実感です。
世田谷区のような特別区は、地方分権改革によって国や都道府県から基礎自治体へと移管される事務が多いため仕事量が増大し、事業と責任の範囲はふくらんでいます。
一方で、法人住民税、固定資産税(個人・法人)などは都税として徴収することになっており、その55%が各区に再配分されるにすぎません(都区財政調整制度)。
また、地方分権の流れで基礎自治体に移行した「都市計画決定権」は、なんと「特別区」のみ除外されており、まちづくりの戦略指針さえ自由につくることができません。
学校教育に責任を持つ立場でありながら、教員の人事権は都であって、区にありません。
つまり、一般の市町村以上に、特別区は財源と権限が制約されているのです。
大阪市(人口268万人)と堺市(人口84万人)は、現在は政令市という通常の市町村よりかなり権限をもった自治体ですが、大阪都構想とは、これを廃止して人口30万人程度のいくつかの特別区に再編し、広域行政を大阪都が担う代わりに、住民に身近な生活基盤に関する行政を特別区と市町村が担うというものでした。
そうなれば特別区に転じ、政令市として付与されている権限を失うだけでなく、周辺の市町村と比べても権限や財源が制約された基礎的自治体となってしまうのです。
ところで、東京の特別区は長い間、自治権拡充のたたかいを続けてきました。
戦後、行われていた区長公選は、「区は都の内部団体」とする都の意向を受けて、1952年(昭和27年)の自治法改正によって廃止されました。
その後、72年(昭和47年)に品川区議会が区長準公選条例を制定して住民投票を実施したことで、再び、区長公選への道が開かれました。
現在、区長は区議会議員と同様に選挙で選ばれていますが、実現したのは、75年(昭和50年)からなのです。
区長を選挙で選べるようになってから40年たらず、というのは意外という人もいるのではないでしょうか。
それまで、区の管理職ポストは「都の人事の受け皿」とされた時代が長く続き、区長には幹部を動かす人事権もありませんでした。
初の公選区長として選ばれた世田谷区の大場啓二・元区長(2011年没)は「世田谷独立宣言」というポスターを制作し、更なる自治権拡充を訴えました。
そして、特別区が「基礎的な自治体」として位置づけられるようになったのは2000年(平成12年)のことでした。
いま、東京都知事選であがっている論点の中で、「子育て支援」「若者支援」「高齢者福祉」「障害者福祉」の最前線はいずれも区が抱えている現場です。
押し寄せる大きな行政需要の波に日々さらされているのも区です。
だからこそ、財源と権限が必要です。
特別区のような制約された自治体の姿でいては、求められるニーズに対応できないと考えています。
警察・消防・上下水道等の広域行政を除けば、住民サービスの多くが区の仕事として行なわれています。東京の分権・自治改革が必要です。
東京では、制約された基礎的自治体である特別区から「世田谷市」「新宿市」のようになることもたびたび話題にのぼってきました。
それほど問題を抱えたシステムなのです。それだけに、大阪のように「政令市を廃止して特別区へ」という議論には肯きがたいものがあります。
(引用終わり)
『RT @NCC__74656:三橋氏→ @TK_Mitsuhashi: 問題は「藤井先生の大阪都構想に対する指摘」に、橋下市長や大阪維新の会が具体的に反論をしないことです。』
彼らはhttp://oneosaka.jp/tokosoを読んでいない
『池田信夫@ikedanob
彼(藤井)の話は昔から支離滅裂。
相手にするのは、時間の無駄だと思いますよ。
そもそも工学部なんだから、行政も経済も素人。 RT 藤井聡氏の矛盾したバラマキ政策 http://ow.ly/IFV06 @t_ishin』
Retweeted by 橋下徹
↓
藤井聡氏の矛盾したバラマキ政策
池田信夫 blog 2012/06/06
ネタとしておもしろがっていた藤井聡氏の話を真に受ける人が、このごろ増えているようだ。
「TVタックル」にも出たらしく(私は見てないが)、自民党も国会に「国土強靱化法案」を出した。
彼らが政権に復帰する可能性が高いことを考えると、まじめに批判する必要があるかも知れない。
池尾さんもいうように「200兆円の公共投資でGDPが400兆円増える」という藤井氏の主張が正しいとすれば、このプロジェクトはやるべきだ。
これは日本の成長率が平均8%になって高度成長期に戻るということで、そうなればプライマリーバランスも黒字になり、財政再建もできるだろう。
おまけに、それによって防災で数千万人の命が救えるとなれば、夢のような話だ。
ところが藤井氏の「日本復興計画」を初めとする提案のどこにも、成長率が8%になるメカニズムの説明がない。
公共事業の分だけGDPが増えることは自明だが、それ以上の社会的付加価値を生むという費用便益分析がないのだ。
書いてあるのは、今のデフレは「デフレギャップ」が原因だから、公共事業でギャップを埋めれば景気が回復するという話ばかり。
彼は国会に提出した資料で、
「デフレギャップのあるときは生産性を上げて供給を増やすとデフレが悪化する」
と規制改革を批判する一方で、
「無駄な公共事業はよくないが、生産的な公共投資はその2倍のGDPを生む」
と主張している。
この二つの主張は論理的に矛盾している。
ここから導かれる結論は、藤井氏の主張する生産的な公共事業は供給を増やすのでデフレギャップを拡大するということだ。
だから望ましいのは、ケインズがいったように紙幣を埋めて失業者に掘り出させる非生産的な公共事業である。
これによって需要は増えるが供給は増えないのでGDPギャップが縮小する。
つまり非生産的な公共事業ほど、ケインズ政策の効果は高いのだ。
これは実は、ケインズの同時代にも批判された点で、彼自身もこれは「短期に限った議論であり、長期的には生産性の改善が重要だ」と弁明している。
ところがマクロ経済学を知らない藤井氏は、短期の「どマクロ」政策を長期の政策と混同するから矛盾が起こるのだ。
現在の日本では、老朽化した公共設備を補修する必要があり、防災対策の余地があるという藤井氏の主張は正しい。
しかし実際の災害の犠牲者のほとんどは、家屋の倒壊や火災で起こるので、堤防や道路などに投資しても防災の効果は限られている。
どこの自治体でも防災投資の優先順位は高く、やるべきことはすでにやっているのだ。
防災対策は必要だが、それは補修がメインであり、景気刺激の効果はない。
200兆円もの公共投資は明らかに過大であり、日本政府が財政再建を放棄したという意思を世界に表明して、国債暴落の引き金を引くだろう。
それで日本を「焼け野原」にして出直そうというのが藤井氏の戦略なら、理解できなくもないが。
(引用終わり)
都構想反対派が逃げてばかりということを言いたかったものですから。
時間があれば池田さんが客観的に問題点を指摘して下さいよ。
『池田信夫@ikedanob
@t_ishin すいません。
私は地方行政は専門じゃないので、コメントできません。
藤井聡も専門じゃないことは同じなので、彼を「京大教授」というだけでありがたがるのはおかしい。
山中伸弥さんが橋下さんを批判するようなもので、本物の専門家はそんなことしない。』
Retweeted by 橋下徹
分かりました。
今後、何か気付かれたことがあれば指摘下さい。
侮辱発言ではなく。
地方行政学の専門家からは具体的な指摘はなくなりました。
あとはやるかやらないかの判断の時期になったようです。
藤井教授。僕からの申し入れは、討論の申し入れではなくケンカの申し入れだから受けられないと。この手の学者はほんと分からん。この藤井教授こそケンカの申し入れでしょ?
藤井教授、自分でケンカを吹っかけておいて、それに僕が応えたら、ケンカには応じられないって。
なんだこりゃ?この侮辱の連続と、討論すれば橋下なんかには絶対勝てるって言い切ってるのに。
これで教授か。はーーー。
自分でケンカを吹っかけておいていざとなれば逃げる。
それで国のために~!って。
こりゃ最高の新喜劇ですね。
久々に大笑いさせてもらいました。
『RT @Win32API:藤井氏が中立と言うウソは見過ごせません。中立と言うことであればテレビで都構想の説明に例の自説を使う事も可能になりますから。』
まさにここが問題です。
彼は今、中立宣言をしていますが、それはテレビに出続け、自説を述べるため。
どこが中立なの?
やることがほんとセコイ。
2015年02月09日
【動画】「西田昌司×藤井聡の維新を斬る!vol.5-最終話 橋下徹氏について」(H24.11.27)
↑
僕は公開討論ではこの件は不問にする。
あくまで都構想について討論する。
具体的反論の一部は ↓
『40歳の日誌 - 箕面市長 倉田哲郎blog
2015年02月08日
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」をマジメに考える』
『http://oneosaka.jp/tokoso』
これでも討論に応じないか?
住民投票のためにも応じるべきだ
どこまでファッション保守なんだ。
大阪市役所が大阪市民のためにやっていた仕事を大阪都庁に担当を替えるだけなので住民にとって何の問題もない。
今度は藤井教授の主張の番。
市民のためにも公開討論に応じるべき。
藤井さんの好きなように場を作ってくれたら良い。
仲間も応援団もどれだけ連れてきてもらっても良い。
僕は一人で行くから。
彼は、ノーレフリー、時間無制限、巌流島の討論なら橋下なんかには絶対に負けないと豪語していたのに。
討論やりましょうよ。
『RT @ikedanob: どうでもいいけど、教官の言論について学長に文句をいうのは筋違いもいいところ。』
大学も組織であることの認識欠如。
通常の研究・言論内容でなく一般社会との接点にかかる問題は服務監督の組織責任が生じる。
どの表現を問題視しているかの事実確認をしてから批評すべき。
『RT @takaki0705: 橋下先生。私は見損ないました。
藤井聡が小チンピラなら正々堂々と小チンピラの指摘に真正面から答えて欲しかったです。
小チンピラの指摘に答えられない理由は何ですか?』
藤井氏の主張全部に時間無制限で答えますよ、公開討論で。
藤井氏が逃げまくっているだけです
『RT @nama2015: 藤井氏はテレビの生放送で「都構想に関して賛成でも反対でもない中立です」と嘘ついてましたよ。
昨年12月反維新の政治団体府民の力2015の顧問に就任していた。』
昨日もその団体の資金パーティーに参加しています。
この手の学者はあーだこーだ言って最後は逃げますね。
『RT @nama2015: 学者が政治家から言論弾圧されていると逃げているのは藤井氏です。
彼は反維新・反都構想を掲げる政治団体「府民の力2015」の顧問として政治活動をされ・・・』
一般の学者なら無視します。
彼は内閣官房参与。政府の一員です。
政治の現実を知らないのでしょう。
社会勉強不足。
『高橋洋一(嘉悦大)@YoichiTakahashi
大阪都構想。
これに反対する人は明示か暗黙は別として二重行政でもいいという前提がある。
反対する人の中には二重行政は「なくせる」という人もいるが、今の制度では無理。
それぞれが組織存続のためにやっているからで、これを簡単に「なくせる」という人は官僚組織のゾンビ度を知らなすぎて痛い。』
Retweeted by 橋下徹
『RT @gotchaness: 市長もそうだと思うんですけど、藤井氏を論破、言い負かすのが目的ではなく期待することでもなく、反対派との討論が重要なんですよね。
市民に正しく理解を広めるに。』
有権者に見てもらうこと。
それが全てです。
僕に間違いがあれば修正します。
しかし藤井氏は逃げますね。
『RT @nama2015:藤井氏はズルい、藤井氏の都構想に対する指摘は反都構想を掲げる政治団体の顧問としての政治活動なのか、それとも京大の教授としての・・・』
その通りです。
というか政治行政のルールを知らないのです。
慌ててブログから内閣官房参与の肩書を外したようです。
誰かに注意されたのでしょう。
藤井京大教授は思った通り、お勉強はできるのかもしれないが相当 地頭が悪そうだ。
僕が問題視した藤井氏の発言は2年前のもの。
案の定、藤井氏は2年前の発言を今頃持ち出してきて、と反論してきた。
では再反論。
藤井氏が、僕の人格を攻撃した根拠は僕の知事就任前の著書。
8年以上前のものだ。
僕はこの著書の中で、政治家は名誉欲、権力欲が一番だと書いた。
藤井氏は、この著書の一文だけを引用して、橋下は私利私欲で、ヘドロチックで、腐る最先端の政治家だと風刺したらしい。
この著書は、指示就任前、私人の立場でのコラム。
政治家にそんな綺麗なものを求めるのはダメですよという趣旨。
僕は自分を聖人君主と言うつもりはいが、それでも知事就任後のどの部分をもって私利私欲なのかの指摘は一切ない。
今の給与、生活、仕事の状況をきちんと論評されたのであれば納得するが、知事になる前の私人の立場でしかも一般の政治家について述べた著書の一文を根拠に藤井氏は僕の人格を決定付ける。
そして藤井氏は、自分の2年前の発言を批判されれば、2年前のことを持ち出すなと言う。
またこの藤井氏。
国際的なコードも知らないようだ。
人をヒトラーに例えて批判することは最大の侮辱。これはご法度。
日本ではよくやるけど。
一般の私人ならまだしも教授がやるんだからね。こりゃだめだ。
僕は言論弾圧の意図など全くない。
単に社会人としてのマナーを問うている。
そして大学教授と言えども組織の一員。
バカな従業員がいれば上司に監督を求めるのは当たり前。
藤井氏は自分は京都大学の一教授だと言う認識がないようだ。
バカな組織の一員がいればそれを正すのが組織のトップの責任。
藤井氏が僕の政策や都構想について、政治家の態度振る舞いとしてきちんと批判をしてくるのであればそれは歓迎だ。
反論があれば反論する。
ところが彼は、ヘドロだ、腐る最先端だ、私利私欲だと、およそ批判とは言えない人格攻撃に終始する。
そしてその根拠は8年以上前に僕が私人として書いた著書の一文。
何と言っても、この教授。
世の中の仕組みを全く知らない。
内閣官房参与の肩書で発言すると、それは一定政府としての責任になることを全く知らないようだ。
この手の学者は、最近ちょろちょろ出始めた自称保守、ファッション保守の類。TPP反対、積極的財政出動・・・
いつものパターン。
あれだけTPPに反対していたのだから内閣官房参与の立場で政権にTPP反対を進言するのかと思えば、何も言わない。
安倍政権に対してTPP反対の立場で批判の一つもしない。
根性が見えている。
今回の公開討論も逃げるだろうね。
まあ色んな言い訳をしてくるだろう。
藤井教授の都構想に反対する理由は、地方行財政学上、笑い話にもならない頓珍漢な主張。
だいたい僕は大阪市長という組織のトップだ。
大学なんかよりはるかに大きな組織を運営しなければならない。
組織を運営するのが僕の仕事。
政策の中身については本来僕の部下が担当する。
藤井氏は、自由な時間をたっぷりもらって好きなだけお勉強ができる。
そんな藤井氏が僕と公開討論をやれば、僕が納得する問題点の指摘をしなければ税金の無駄遣いというものだ。
僕は勉強するのが仕事ではない。
それでも藤井氏と公開討論をやる。
時間無制限でいい。
それにしてもこの学者のせこいこと。
反維新の政治団体に参加しておいて、テレビでは都構想については中立だと言う。
こりゃ、逃げるな。
藤井氏の主張に合理性があれば受け入れる。
有権者のためにも、そして内閣官房参与という立場からしても、藤井氏は僕との公開討論に応じるべきだ。
京大の藤井教授。
やっぱりでしたが、公開討論に応じないとのこと。
理由はいっぱい付けていますけど。
普段は国が!国民が!と言ってるいるのにね。
彼の主張は、地方行財政学上、でたらめです。
その証拠に、その専門家は、彼のような主張は一切しておりません。
彼は地方行財政には完全な素人。
藤井教授の主張はまとめると、
1、今度の住民投票では「都」にならない
2、大阪都構想になると大阪市民税が大阪市域外に流れるの2つ。
1、は名称の問題。
大都市に特別区を設置して府の広域行政機能を強化することを都制と言います。
名称は次の問題。
名称は、維新の党で法案を出します。
名称だけを「都」にしても、2重行政の解消にならないし、住民自治の充実にもなりません。
実力もないのに内閣官房参与という肩書だけを持っている学者のようなものです。
今回の争点は、大阪の2重行政を解消し、大阪市内の住民自治を充実させること。
名称は関係なく、特別区の設置こそが都制、都構想。
5月の住民投票が可決されれば、大阪は都制になるのは間違いありません。
名称は法律で変えます。
2、大阪市民の税金は大阪市域外に流れません。
これまで大阪市役所が担当していた、大学、消防、港、広域高速道路などの仕事を大阪都庁に担当させます。
その際に2200億円のお金を都に移します。
これまでの大阪市役所が発行した市債の償還財源もこの2200億円に含まれています。
このことをもって大阪市域外に流れると藤井氏は主張していますが、地方行政の現実を何も知らない反対のための反対論。
お金とともに仕事の負担も移るのです。
仕事の担当者替えです。
これまでは大阪市役所や大阪市議会が担当していた仕事を、大阪市議会ではちゃんと仕事ができないから、大阪都議会に移すだけです。
市民にとっては何の影響もありません。
そしてこのお金と仕事のチェックは、特別会計で管理します。
都区協議会がチェックします。
大阪市民の税金が市域外に流れるって、熱烈反橋下、反維新の非専門家が言うならまだしも、一応京大の教授ですからね。
地方行財政学の学者からは、藤井氏の主張のようなバカな主張は全く出ていません。
この人土木専門なんですから、その範囲で意見を言っていた方が良いですよ。
いずれにせよ、藤井教授は、僕との公開討論から逃げてしまいました。
コメンテーターも、ジャーナリストも、メディアの論説委員も、もっと言えば自民党、公明党、民主党、共産党の誰でも僕と公開討論をやってくれたらいいのに、反対派は誰も僕とは公開討論をしません。
民主主義のためにならないですね。
『高橋洋一(嘉悦大)@YoichiTakahashi
大阪都構想の算数。
BEFORE,AFTERでみて、府民税+市(区)民税は同じ、
府+市(区)の必要予算は二重行政排除で減少。
これから、府と区の役割分担をやれば、府民+区民の受益は必ず増加する。
府と区の役割分担は東京を参考にすれば東京よりうまくできる。
反対するのは二重行政の利権者だ。』
Retweeted by 橋下徹
『高橋洋一(嘉悦大)@YoichiTakahashi
大阪都構想の算数(2)。
必要予算が減少・税負担が同じなら浮いた分で新規事業が可能で府民+区民の受益は必ず増加する。
こういうのはパレート最適といい少なくとも今より損にならない。
細かい話はあっても方向性は間違いない。
二重行政排除で住民受益を増やすか、二重行政維持で既得権擁護かの問題。』
Retweeted by 橋下徹
『RT @MeOxJpEn22: 「特別会計」ついては、現在の協定書に記載されていないと主張されていますよ。』
当たり前です。
協定書は法律で求められた骨格事項です。
法定協議会で出されている資料にはきっちり明記されています。
協定書は骨格だけ。
特別区を作るには膨大な工程表が必要になります。
『RT @Mafty_RX_105: そういう風に、バカとか言ってすぐに他人を見下す人間性をまず改善した方が、トップの器に値すると思いますが。
幼少期からどういう躾を受けてきたのか?って疑います。』
僕はバカにされた場合にやり返すだけです。相手に合わせます。
藤井氏の発言はそりゃ酷いものでした。
2015年02月08日
『RT @pakodora: 橋下さんの定例会見とかTMとか動画でよく拝見させてもらってますけど、まともな相手にはしっかりと対応されていますもんね。
朝日新聞様への対応はいつも笑ってみてますw 』
相手に合せます。
反橋下の学者の共通項は自分が一番賢いと思って、見下した言をすること。
高橋教授と藤井教授の論を比較すれば一目瞭然。
藤井氏はこの分野の専門家は誰も主張していない反対のための反対論。
『RT @tinpei: 橋下氏をヘドロチックと罵倒したので橋下氏はその言葉に対して小チンピラと言い返した。
それと都構想の7つの問題等を書いて反都構想派集会の基調論説として公開したから橋下氏は公開討論を申し入れたのです。
喧嘩を売ったのは藤井氏、』
藤井氏はテレビでは中立だと逃げていました。
藤井教授の主張は地方行財政学上あまりにもバカバカしいが、念のため。
彼は政令市は税金を域内で確保できるので政令市を残すべきだと主張する。
僕の問題意識は、その範囲だ。
今の大阪市域では狭いということ。
だから大阪府域まで政令市の範囲を広げようというのが大阪都構想。
今の大阪市域から大阪府域まで政令市の範囲を広げると、府と市が重なってそれが大阪都になるというもの。
なぜ大阪府域まで広げないといけないのか。
これは大阪の人モノ金の動きを軸とする都市の構造に合わせて。
藤井氏には政令市の範囲をなぜ大阪市域にしなければならないのかの論証が全くない。
藤井氏は単に大阪都構想反対という結論が先にあるから、今の大阪市をそのまま残せという論になってしまっている。
藤井氏の論で行けば、大阪の北区の税収を確保するなら北区を政令市にしなければならなくなる。
24区を政令市にせずなぜ大阪市を政令市にすべきかの論証が全くない。
そもそも当該域内で上がった税収を当該地域が独占するという考え方が、藤井氏のこれまでの主張と全く矛盾する。
彼は道州制反対論者。
中央集権型の統治機構を支持する。
おかしな話だ。
国の立場では、各地域から上がった税金を国が奪ってどんどん土木工事をせよと主張する。
ところが大阪の話になると、大阪市は税金を独占すべきだと主張する。
大阪都構想反対の結論先にありきなので、ロジックがズタズタ。
ほんとにこの人、教授なの?
僕が直接名指しした教授の中では抜群に地頭が弱い。
僕はタウンミーティング等で藤井氏の主張がいかにでたらめか明らかにし、その映像は全て公開にしてきたので、彼はそれを観たのだろう。
公開討論をやれば、自分の主張が専門家から見ていかに恥ずかしい主張かが明らかになってしまうから、公開討論から逃げた。
陰でまた色々言うのだろう。やれやれ。
そもそもあれだけTPP反対だと叫んでいたのだから内閣官房参与になった今こそその主張を貫け。
学者と政治家の役割は違う。
もう少し現実の政治行政を勉強しろ。
組織運営というものを経験しろ。
学長になれば少しは市長の仕事が分かる。
批判や論評はいいが人をバカにした表現は止めろ。
藤井教授の言い訳も情けないくらい酷いな。
僕が怒ったのは、政治家に対する批判や論評を超えた侮辱発言。
このことは服務監督上の責任を負う学長にも見解を問うとした。
そして都構想については正々堂々と公開討論をやろうじゃないかと申し入れた。そしたら言論封殺だって。
侮辱発言は止めろ、というのは当たり前の抗議だ。
言論封殺でも何でもない。
そして都構想の中身の指摘はどんどんやって欲しい。
公開討論をやろうと。
こちらが間違っていたら改める。
公開討論の様子を全て見てもらって有権者に判断したもらえれば良い。
藤井教授は以前の在特会との公開討論を引き合いに出して、あーなるから公開討論はやらないと。
あれはあのようにわざとやったんだから、藤井氏が侮辱発言をしない限りは普通に議論するよ。
普通の相手にはいつも普通にしている。
市役所内で朝から晩まで議論しているけど、普通にやってるよ。
言論封鎖とは、取り締まったり収監したりすることでしょ。
そんなこと大阪市長ができるわけないし日本社会では絶対に無理。
そんな言い訳で逃げるんじゃなくて、あたがた常日頃言っているお国のために公開討論に応じるべきだ。
あなたが侮辱発言さえしなげれば、こちらは終始、丁寧語、敬語でしゃべるよ。
『RT @mr_gonbee: あなたが侮辱発言受けるのはあなたが侮辱発言したからでは?それがなければ相手も侮辱発言などしないのでは?』
僕は個人相手に自分からは侮辱発言をしません。
やられたら言い返しますが。
『RT“@KurataTetsuro: ブログ更新 →
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」をマジメに考える』
倉田市長、ありがとう。
藤井教授も、もう少し世間の中で揉まれた方が良いよ。
藤井教授の主張のでたらめさは大阪府箕面市の倉田市長がまとめてくれました。
↓
40歳の日誌 - 箕面市長 倉田哲郎blog
2015年02月08日
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」をマジメに考える
※ 最近、この手の話はツイッターにしてるのですが(特に理由はないです)、
7つもあって分離するとわかりにくくなるので、今回はブログに書くことにしました。
ニュージーランドから帰国してみたら、京都大学教授の藤井聡氏なる人が書いた「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」なるものが盛り上がっていました。
「ヘドロチック」発言ばかり話題になりますが、そもそも「7つの事実」とやらが(僕は“ヘドロチック”のことを知る前に読んだのですが)、正直、どれも「え?」という内容でしたので、以下、順番にコメントしておきます。
【事実1】今回の住民投票で決まっても,「大阪都」にはなりません.
“大阪府の名称は住民投票では変わりませんよ”って話。
・・・これを一番にもってくる時点で、正直、唖然(@_@)としました。
名称なんてどうでもいいのです。
それは5年前に「『大阪“都”構想』をどう思う?」で、僕自身が「自治体呼称としてのネーミングはやはり『大阪府』が好みですが」と書いたとおり。
中身が大事。
それを「事実1」とか言って最初に大々的に主張されてる時点で、学者さんが書く主張として、あまりにアホらしくてビックリしました。
【事実2】今の「都構想」は,要するに「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」ことです.
そのとおり。
問題の本質は、京都府全域(人口255万人)を上回る異常な規模の「大阪市」(267万人)が、狭いのに「大阪府」と縄張り争いするという構造的歪み。
府・市のどっちかが悪いとかじゃなくて、構造が悪い。
その構造問題の解消手法が特別区化。
今も昔も都構想はまったく同じ。
5年前に「『大阪“都”構想』をどう思う?」で書いたとおりです。
なお、府市・都区の仕事の分担(誰が仕事をするか)が変わるだけで、必ずどこかの部署がこれまでどおりの行政サービスをしますから、大阪市民が○○区民になっても不利益はありません。
むしろ○○区役所は(箕面市役所のように)コンパクトで身近なものになります。
【事実3】年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します.
この不見識には驚きました。
大阪市民も大阪府民でしょう?
住民は、大阪市(区)からでも、大阪府(都)からでも、ちゃんとサービスが充足されるなら、どちらからでもいいはずです。
そして、住民は、民主主義を通じて「市(区)」「府(都)」をコントロールします。
それなのに、今の大阪市の2200億円分のサービスが、どこか大阪市民の手の届かないところへ行って使われてしまうような「流出」という表現。
特別区に権限がないから、大阪市「外」に流出する”という飛躍したロジック。
「都」は大阪市(区)民にはサービスを一切提供しない(区民≠都民)という完全に誤った立場からの説明としか考えられません。
これは、不見識か、作為的か、どちらかとしか言いようがないです。
【事実4】流出した2200億円の多くが,大阪市「外」に使われます.
これは、何回読んでも意味がわかりません。
なにを根拠に言ってるのか、藤井聡氏の書く「都道府県の財政運営の『法的常識』」なるものがいったいなんなのか、誰か教えてほしいです。
・・・というか、京都大学の教授ともあろう人が「7つの“事実”」と称して書くことじゃないでしょう。
だって、文末が「・・・可能性も,十二分以上に考えられるわけです」ですよ。つまり、事実じゃないじゃないですか(笑)。
これはさすがに脇が甘すぎるんじゃないですか。
7つのなかで最もツッコミどころ満載の「事実」でした。
【事実5】特別区の人口比は東京は「7割」,でも大阪では「たった3割」
当たり前です。
密集する都市部では、人口は面積に比例します。
23区の面積は東京都全域の“28%”、大阪市の面積は大阪府全域の“たった12%”ですから、7:3の規模比率もキレイに一致します。
面積が“たった12%”で居住人口も「たった3割」の大阪市に、大阪全域から労働力が流入することで、大阪の経済は支えられています。
従って、藤井聡氏のいう「手厚い行政」は、面積「たった12%」の大阪市域だけでなく、より広域で行われるべきです。
そして、藤井聡氏は “面積12%に重点的に配慮することが大阪のためになる” という考えのようですが、それは違うでしょ。
大阪の場合、富を生み出すエリア(都心)を、いかに12%以上に広げて、関西全体の人たちを受け止めて発展できる都市インフラを構築できるか?を考えなければダメでしょう。
もう少し将来を考えてほしいところです。
【事実6】東京23区の人々は,「東京市」が無いせいで「損」をしています.
最後のほうになるにつれ、無理やり感が高くてイヤになってきます。
「もしも『東京市』だとしたら,東京都心はもっとさらに強烈な集中投資が進んでいる」とか書いてあるんですが、現実的に、これ以上なにを東京都心部に投資しろというんですかね。
要するに “大阪市内に住んでる人だけが得をすればいい” 、 “富が余っても絶対に周辺に投資はしないぞ!” という主張なわけですが、面積12%しかない狭い大阪市だけでどう発展しようというのか?と問いたいです。
【事実7】東京の繁栄は「都」という仕組みのせいでなく,「一極集中」の賜(たまもの)です.
これには驚きました。
・・・これは書くべきじゃなかったと思います。
言うに事欠いて、“大阪は努力せず諦めろ”ってことでしょう?
誰も、行政組織が「都」に再編されたからって、いきなりバラ色になるなんて思ってませんよ。
今までより少しでもマシな仕組みにして、ちょっとでも大阪の停滞を打破しようよって、ささやかな希望だけです。
それなのに藤井聡氏は、
「そもそもの経済規模が全く違うのからなのです」
「人口についても経済規模(GDP)についても,大阪市と東京23区との間には,実に4倍前後のもの巨大な格差があるのです」
「首都東京に,あらゆるモノが一極集中している」
「これが,東京23区の豊かさの秘密です」
などと、一生懸命に東京の凄さを説き、
“大阪には無理だから” 、 “努力しても無理だから” と教えてくださってるようです。
要するに、大阪はどんなに頑張っても無理なんだから、改善する努力すら無意味だから諦めろよ、と。
・・・これはいただけない。
以上、最後のほうは(大阪で政治に携わってる者として)ちょっと腹立たしくなるのが自然だと思います。
万が一、この「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」なる主張に賛同する大阪の政治家がいたら、それは辞めていただいたほうが大阪のためになります。
・・・特に「事実7」の記載はクリティカル。
さて、現在、藤井聡氏は、大阪維新の会からの公開討論の申し入れに対して、
「私の議論のどこが間違っているのか何の指摘もありません。
これでは討論を始めることすらできない。」
と書いています。
正直言って、橋下市長ほか大阪の政治家が、指摘する気すら失せているだろうことは、上記のとおりよくわかります。
・・・それでも誰か書いといたほうがいいかなと思ったので、(僕は大阪維新の会じゃありませんが)大阪都構想に賛同する身として、マジメにコメントしておきました。
是非の議論は大歓迎です。
反論いただけるならどうぞ。
(なお、僕は仕事柄、公開討論などもお受けできますので。)
いずれにせよ、5月17日に向けて、議論が熟す一助となれば幸いです。
posted by 倉田哲郎 at 01:29 | 活動日誌
(引用終わり)
僕が問題だとしたのは藤井氏のこの発言
【動画】「西田昌司×藤井聡の維新を斬る!vol.5-最終話 橋下徹氏について」(H24.11.27)
ここまで言うなら公開討論をやろうと申し込んだら言論封殺だって。
彼の大阪都構想に関する主張は呆れるほど でたらめ だが大いに語ってもらったらいい。
ほんとこの手のタイプは最後は逃げるんだよな~
藤井氏はこの体制維新も読まず、知事になる前の8年以上前の著書の一文だけを引用して侮辱発言。
討論しようと言っても逃げる。
学者失格でしょ。
僕が参加していない番組で、まあ僕を罵り侮辱しまくるコメンテーターの代表として大谷昭宏氏という人物がいる。
この人と番組で直接議論すると、この人の勉強不足、頓珍漢さがいつも明らかになるのだが、この大谷氏の事務所に所属している自称大阪の行政に詳しいという人物がいる。
この人物、大阪都構想についても呆れるくらい勉強不足の反対意見を公にしている。
僕の大阪府政についても でたらめ な事ばかり言っているので、僕はインチキジャーナリストと言っている。
僕の記者会見等に顔を出すのに、僕に質問はしない。
彼が大阪維新の会政調会長に取材申し込みをしてきた。
この大谷氏の事務所に所属する都構想反対派のインチキジャーナリストの取材は、僕が公の場で受けると回答した。
インチキジャーナリストとは吉富氏。
公開で取材を受けますよ。
でも藤井氏と同様、逃げるんだろうな。
反橋下、都構想反対派はこんなんばっかり。
僕も相手も人間だから好き嫌いはあるだろう。
ただ大阪都構想の住民投票が実施されるのも事実。
有権者のためにも、都構想反対派や有識者は僕と公開討論をやってもらって、都構想の問題点を具体的に指摘して欲しい。
僕も反論する。
その姿を有権者にみてもらいたい。
それが住民投票にとって必要不可欠だ。
保坂氏も完全に誤解。
では世田谷区をなくして23区をまとめて東京市にするかと言えば反対。
保坂氏は世田谷区を政令市にしたいだけ。
保坂氏が大阪市内の区長になったら、まずは東京都の特別区レベルまではやりましょう、と言うはずです。
↓
保坂展人のどこどこ日記
「大阪都構想」の欠陥 東京23区の現実
(「太陽のまちから」2014年2月5日)
東京都知事選挙も後半にさしかかった、2月3日。
日本維新の会の橋下徹・大阪市長は市長を辞職して、出直し市長選挙に立候補することを突然、表明しました。
橋下市長が掲げる「大阪都構想」が市議会で維新の会以外の賛同を得られずに進まないため民意を問いたいのだと伝えられています。
大阪都構想については、昨年9月の堺市長選で、「大阪都構想反対」を示した竹山修身市長が、維新の新人候補を退けたことで、住民はNOの意思表示をしています。
政令指定都市(以下、政令市)としての自治権限をすでに有する堺市を廃止し、大阪都の特別区になる道は選ばない、という選択をしたのです。
橋下市長率いる維新の会が総力で取り組んだ選挙だったにもかかわらず、結果は敗北でした。
さて、東京都は、1943年(昭和18年)に東京市と東京府を廃止して生まれました。
大阪都構想がベースにしているのは東京都の特別区(23区)のあり方です。
大阪府と政令指定都市である大阪市と堺市を廃止して大阪都とし、特別区を設置するとしていました。
この議論を聞くたびに思うのは、東京の特別区の抱える現実と矛盾に対しての理解の薄さです。
世田谷区は七つの県を上回る88万人という人口を抱えています。
そこから感じるのは、東京の都区制度は必ずしもうまくいっていないということです。
戦時中につくられた「特別区制度」は、人口規模も自治体実務をめぐる役割分担でも制度疲労が目立っているというのが今の実感です。
世田谷区のような特別区は、地方分権改革によって国や都道府県から基礎自治体へと移管される事務が多いため仕事量が増大し、事業と責任の範囲はふくらんでいます。
一方で、法人住民税、固定資産税(個人・法人)などは都税として徴収することになっており、その55%が各区に再配分されるにすぎません(都区財政調整制度)。
また、地方分権の流れで基礎自治体に移行した「都市計画決定権」は、なんと「特別区」のみ除外されており、まちづくりの戦略指針さえ自由につくることができません。
学校教育に責任を持つ立場でありながら、教員の人事権は都であって、区にありません。
つまり、一般の市町村以上に、特別区は財源と権限が制約されているのです。
大阪市(人口268万人)と堺市(人口84万人)は、現在は政令市という通常の市町村よりかなり権限をもった自治体ですが、大阪都構想とは、これを廃止して人口30万人程度のいくつかの特別区に再編し、広域行政を大阪都が担う代わりに、住民に身近な生活基盤に関する行政を特別区と市町村が担うというものでした。
そうなれば特別区に転じ、政令市として付与されている権限を失うだけでなく、周辺の市町村と比べても権限や財源が制約された基礎的自治体となってしまうのです。
ところで、東京の特別区は長い間、自治権拡充のたたかいを続けてきました。
戦後、行われていた区長公選は、「区は都の内部団体」とする都の意向を受けて、1952年(昭和27年)の自治法改正によって廃止されました。
その後、72年(昭和47年)に品川区議会が区長準公選条例を制定して住民投票を実施したことで、再び、区長公選への道が開かれました。
現在、区長は区議会議員と同様に選挙で選ばれていますが、実現したのは、75年(昭和50年)からなのです。
区長を選挙で選べるようになってから40年たらず、というのは意外という人もいるのではないでしょうか。
それまで、区の管理職ポストは「都の人事の受け皿」とされた時代が長く続き、区長には幹部を動かす人事権もありませんでした。
初の公選区長として選ばれた世田谷区の大場啓二・元区長(2011年没)は「世田谷独立宣言」というポスターを制作し、更なる自治権拡充を訴えました。
そして、特別区が「基礎的な自治体」として位置づけられるようになったのは2000年(平成12年)のことでした。
いま、東京都知事選であがっている論点の中で、「子育て支援」「若者支援」「高齢者福祉」「障害者福祉」の最前線はいずれも区が抱えている現場です。
押し寄せる大きな行政需要の波に日々さらされているのも区です。
だからこそ、財源と権限が必要です。
特別区のような制約された自治体の姿でいては、求められるニーズに対応できないと考えています。
警察・消防・上下水道等の広域行政を除けば、住民サービスの多くが区の仕事として行なわれています。東京の分権・自治改革が必要です。
東京では、制約された基礎的自治体である特別区から「世田谷市」「新宿市」のようになることもたびたび話題にのぼってきました。
それほど問題を抱えたシステムなのです。それだけに、大阪のように「政令市を廃止して特別区へ」という議論には肯きがたいものがあります。
(引用終わり)
『RT @NCC__74656:三橋氏→ @TK_Mitsuhashi: 問題は「藤井先生の大阪都構想に対する指摘」に、橋下市長や大阪維新の会が具体的に反論をしないことです。』
彼らはhttp://oneosaka.jp/tokosoを読んでいない
『池田信夫@ikedanob
彼(藤井)の話は昔から支離滅裂。
相手にするのは、時間の無駄だと思いますよ。
そもそも工学部なんだから、行政も経済も素人。 RT 藤井聡氏の矛盾したバラマキ政策 http://ow.ly/IFV06 @t_ishin』
Retweeted by 橋下徹
↓
藤井聡氏の矛盾したバラマキ政策
池田信夫 blog 2012/06/06
ネタとしておもしろがっていた藤井聡氏の話を真に受ける人が、このごろ増えているようだ。
「TVタックル」にも出たらしく(私は見てないが)、自民党も国会に「国土強靱化法案」を出した。
彼らが政権に復帰する可能性が高いことを考えると、まじめに批判する必要があるかも知れない。
池尾さんもいうように「200兆円の公共投資でGDPが400兆円増える」という藤井氏の主張が正しいとすれば、このプロジェクトはやるべきだ。
これは日本の成長率が平均8%になって高度成長期に戻るということで、そうなればプライマリーバランスも黒字になり、財政再建もできるだろう。
おまけに、それによって防災で数千万人の命が救えるとなれば、夢のような話だ。
ところが藤井氏の「日本復興計画」を初めとする提案のどこにも、成長率が8%になるメカニズムの説明がない。
公共事業の分だけGDPが増えることは自明だが、それ以上の社会的付加価値を生むという費用便益分析がないのだ。
書いてあるのは、今のデフレは「デフレギャップ」が原因だから、公共事業でギャップを埋めれば景気が回復するという話ばかり。
彼は国会に提出した資料で、
「デフレギャップのあるときは生産性を上げて供給を増やすとデフレが悪化する」
と規制改革を批判する一方で、
「無駄な公共事業はよくないが、生産的な公共投資はその2倍のGDPを生む」
と主張している。
この二つの主張は論理的に矛盾している。
ここから導かれる結論は、藤井氏の主張する生産的な公共事業は供給を増やすのでデフレギャップを拡大するということだ。
だから望ましいのは、ケインズがいったように紙幣を埋めて失業者に掘り出させる非生産的な公共事業である。
これによって需要は増えるが供給は増えないのでGDPギャップが縮小する。
つまり非生産的な公共事業ほど、ケインズ政策の効果は高いのだ。
これは実は、ケインズの同時代にも批判された点で、彼自身もこれは「短期に限った議論であり、長期的には生産性の改善が重要だ」と弁明している。
ところがマクロ経済学を知らない藤井氏は、短期の「どマクロ」政策を長期の政策と混同するから矛盾が起こるのだ。
現在の日本では、老朽化した公共設備を補修する必要があり、防災対策の余地があるという藤井氏の主張は正しい。
しかし実際の災害の犠牲者のほとんどは、家屋の倒壊や火災で起こるので、堤防や道路などに投資しても防災の効果は限られている。
どこの自治体でも防災投資の優先順位は高く、やるべきことはすでにやっているのだ。
防災対策は必要だが、それは補修がメインであり、景気刺激の効果はない。
200兆円もの公共投資は明らかに過大であり、日本政府が財政再建を放棄したという意思を世界に表明して、国債暴落の引き金を引くだろう。
それで日本を「焼け野原」にして出直そうというのが藤井氏の戦略なら、理解できなくもないが。
(引用終わり)
都構想反対派が逃げてばかりということを言いたかったものですから。
時間があれば池田さんが客観的に問題点を指摘して下さいよ。
『池田信夫@ikedanob
@t_ishin すいません。
私は地方行政は専門じゃないので、コメントできません。
藤井聡も専門じゃないことは同じなので、彼を「京大教授」というだけでありがたがるのはおかしい。
山中伸弥さんが橋下さんを批判するようなもので、本物の専門家はそんなことしない。』
Retweeted by 橋下徹
分かりました。
今後、何か気付かれたことがあれば指摘下さい。
侮辱発言ではなく。
地方行政学の専門家からは具体的な指摘はなくなりました。
あとはやるかやらないかの判断の時期になったようです。
藤井教授。僕からの申し入れは、討論の申し入れではなくケンカの申し入れだから受けられないと。この手の学者はほんと分からん。この藤井教授こそケンカの申し入れでしょ?
藤井教授、自分でケンカを吹っかけておいて、それに僕が応えたら、ケンカには応じられないって。
なんだこりゃ?この侮辱の連続と、討論すれば橋下なんかには絶対勝てるって言い切ってるのに。
これで教授か。はーーー。
自分でケンカを吹っかけておいていざとなれば逃げる。
それで国のために~!って。
こりゃ最高の新喜劇ですね。
久々に大笑いさせてもらいました。
『RT @Win32API:藤井氏が中立と言うウソは見過ごせません。中立と言うことであればテレビで都構想の説明に例の自説を使う事も可能になりますから。』
まさにここが問題です。
彼は今、中立宣言をしていますが、それはテレビに出続け、自説を述べるため。
どこが中立なの?
やることがほんとセコイ。
2015年02月09日
【動画】「西田昌司×藤井聡の維新を斬る!vol.5-最終話 橋下徹氏について」(H24.11.27)
↑
僕は公開討論ではこの件は不問にする。
あくまで都構想について討論する。
具体的反論の一部は ↓
『40歳の日誌 - 箕面市長 倉田哲郎blog
2015年02月08日
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」をマジメに考える』
『http://oneosaka.jp/tokoso』
これでも討論に応じないか?
住民投票のためにも応じるべきだ
どこまでファッション保守なんだ。
大阪市役所が大阪市民のためにやっていた仕事を大阪都庁に担当を替えるだけなので住民にとって何の問題もない。
今度は藤井教授の主張の番。
市民のためにも公開討論に応じるべき。
藤井さんの好きなように場を作ってくれたら良い。
仲間も応援団もどれだけ連れてきてもらっても良い。
僕は一人で行くから。
彼は、ノーレフリー、時間無制限、巌流島の討論なら橋下なんかには絶対に負けないと豪語していたのに。
討論やりましょうよ。
↧
藤井 聡/大阪都構想:隠された真実を考える
現代ビジネス
大阪都構想:隠された真実を考える
~なぜ、大阪市民の税金は、市『外』に流用されるのか?~
文/京都大学大学院教授 藤井聡
2015年02月11日(水)
「現代ビジネス」2月9日公開、高橋洋一氏原稿に藤井聡氏から反論が寄せられた
住民投票で一番大切なのは、必要な事実を共有すること
現大阪市長と私藤井との間の、いわゆる大阪都構想(以下「都構想」と呼称)を巡るバトルが、俄にネット、メディア上で取り上げられた。事の発端は、当方が購読者3万人程度の小さなネットメディアにて、「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」(http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/01/27/fijii/)なる記事を本年1月27日に公表したことだった。
しばしば、藤井は「都構想」について刺激的な発言をしたと思われている様だが、上記記事をご覧いただければすぐにご了解いただける様に、その論調は至って淡々としたものだ。そもそもこの記事は、「賛否はさておき,(投票)判断に向けて大切な,いくつかの『事実』の情報を提供したい」と明記してある通り、「都構想」を頭ごなしに否定するようなものではない。
にも関わらず、大阪維新の会からは幹事長(つまり大阪府知事)名義で、当方に対して「激しい憤りの抗議」を表明すると同時に、党代表(つまり大阪市長)と「公開討論」を要請する文書が送られてきた。そしてその前後から、大阪市長のツイッターや記者会見等での当方に対する粘着質な罵倒が繰り返され、挙げ句に本学総長や国会にまで問いただすと宣言するまでに至った。
こうした状況に対する当方の対応は既に、HP『権力による言論封殺には屈しません』(サトシフジイ ドットコム:http://satoshi-fujii.com/)にて公表しているのでそちらをご参照願いたい。今、大阪で何が起こっているのかを、是非、知っていただきたいと思う。
それはさておき、こうした騒動がメディア上で「過激なバトル」として様々に取り上げられたが、今回の一連の「騒動」の発端となった『7つの事実』の原稿は、そうした騒動の過激さからはほど遠い程に穏やかな内容だ。それはただただ、「都構想」の住民投票に関連する次の様な7つの「事実」を淡々と指摘するものだった。
事実1:今回の住民投票で決まっても、「大阪都」にはなりません。
事実2:今の「都構想」は、要するに「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」ことです。
事実3:年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します。
事実4:流出した2200億円の多くが、大阪市「外」に使われます。
事実5:特別区の人口比は東京は「7割」、でも大阪では「たった3割」
事実6:東京23区の人々は、「東京市」が無いせいで「損」をしています。
事実7:東京の繁栄は「都」という仕組みのせいでなく、「一極集中」の賜です。
これらの事実は、それをメリットと見るかデメリットと見るか、どう解釈するかは人それぞれだが、知っているかどうかは「都構想」の投票判断に直接間接に影響を及ぼし得るものばかりである。
例えば、都構想の住民投票で都構想が認められても、大阪府の名称は大阪都に変わるわけではない(事実1)が、この事実を知らない大阪の方は実に多い。しかも、この事実を伝えた時の多くの方の反応が「えっ?そうだったの。なぁんだ。」という反応だ。しかしこれは事実なのだから、これを未周知のままでは当然フェアな投票はできない。
事実2は、区割りの問題だ。数年前には周辺自治体も含めて再編を行い広いエリアで「特別区」を設置する構想だったのだが、現時点は大阪市「だけ」を五分割するものとなっている。この点をして、しばしば今回の「都構想」は「大阪市五分割構想」と言った方がわかりよいのではないかという声もある程だ。言うまでも無くこの事実は、投票者全員に共有されねばならない。ただし最新のアンケートによれば、知っている大阪市民は実に53%しかいないという。この事実の周知は絶対必要だ(なお事実5,6,7については本稿では触れないが、またの機会に詳しくお話したいと思う)。
「大阪市民へのサービスは変わらない」という説明を鵜呑みにしてはならない
さて、これら7つの中でもしばしば論争となるのが、「事実3:年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します。」「事実4:流出した2200億円の多くが、大阪市「外」に使われます。」の二つである。この前者の方はその趣旨を否定する論調は聞こえてこないが、特に論争となるのは後者の事実4だ。
言うまでも無く筆者は、この事実4は、紛う事なき事実であると確信している。その根拠は既に、先に紹介したインターネット記事の翌週に公表した「大阪都構想(2)」の記事の第二部『なぜ,大阪市民の税金が,大阪市「外」に使われるのか?』の中で子細に論じている(http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/03/fujii-129/)。
ただし、この記事はまだ知られていないようで、この「事実4」の正当性は、未だ広く周知されていないようだ。
例えば、現在、大阪市特別顧問をお勤めで、大阪都構想の検討段階でもアドヴァイスをしてこられた(そして、筆者もよく存じ上げている)高橋洋一教授が、この「事実3」「事実4」について論じている。そして、それらは「問題無い」(厳密に言うと、「事実4」は起こりそうにない)と指摘している。なぜなら、「住民が受けるサービス自体には変化がない」からだという。そしてこの点を持ってして、「橋下市長より藤井教授のほうが分が悪い」と指摘している。(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42011)
しかしそれは残念ながら誤解であり、「大阪都構想(2)」で子細に論じた内容にお目通しになる「前」のご判断なのではないかと思う。詳しく理由を述べよう。
確かに、現在の行政が用意した「協定書」では、そのように書かれている(それは、当方の『7つの事実』の原稿でも「行政的にはもちろん,そのように説明されています」という文言で既に指摘している通りだ)。
しかし、そうした行政的説明はあくまでも「タテマエ」にしか過ぎないのであって、行政がどれだけ「大阪市民のサービス自体には変化がありません」と説明したとしても、実際にその制度を運用した時にそのタテマエが実現するかどうかは、全く別問題だ。つまり、そして高橋氏の議論は、あくまでも「タテマエ論」として正当であるに過ぎないのである。
例えば、2007年に郵政が民営化された際、郵便局を複数に分社化してもサービスレベルは悪くならない、むしろ良くなる、と言われていたのをご記憶だろうか? 当時の政府資料にはそういう趣旨のことがいつも明記されていた。しかし蓋を開ければ、ものの見事に、その「タテマエ」の約束は破られた。
事実、国会で「時間外窓口の廃止や遅配が相次ぎ、地域住民の利便性が著しく低下したという現状」(平成二十年十月二十三日衆議院)が問題となっている。なぜそうなったのかと言えば、その郵政改革案が「サービスレベルを下げない」という事を「保証」する程に十分に作り込まれたものではなかったからである。そしてそうなるであろうことは、実は民営化「前」から明白な事実として様々に指摘されていたのだが──当時は、そういう声は全て「無視」され、結果、郵政は民営化され、案の定サービスレベルは低下したのである。
つまり、制度改革の前の「政府のタテマエ」的説明は、鵜呑みにしてはならないのである。それを信ずるか否かを判断するには、その改革の「中身」を詳しく精査しておかねばならない。
そして筆者が協定書に書かれている都構想の仕組みを「精査」した結論こそが、「今、大阪市民に使われている税金の一定部分が、大阪市「外」に使われるようになる」という「事実4」だったのである。
なぜ,大阪市民の税金が,大阪市「外」に使われるのか?
ではなぜ、筆者がそう確信したのか。詳しくは、筆者の原稿(http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/03/fujii-129/)を精読いただきたいが、ここでは、その要点のみを簡潔に述べてみよう。
まず、都構想が実現すると、現時点では、2200億円の市民の税金が、それに対応する事業と共に大阪府に移される。「行政的説明」では「だから、大阪市民のサービスレベルは変わらない」ということになっている。が、政府の仕組みというのは、それほど単純なものではない。
まず理念的な視点から説明しよう。そもそも、都構想の理念は「ワン大阪」。つまり、「府と市」の境を無くすことである。一方で、「大阪市民の税金が,大阪市「外」に使われないようにする」ためには、当然ながら「府と市」の間に「壁」を作らなければならないが、これはワン大阪の理念に反しているため、「実質上」ワン大阪の理念のこだわる限り、その「壁」は完璧なものとはならない。一方で大阪市と市以外でどちらが豊富な税収があるのかと言えば、言うまでも無く大阪市だ。したがって、市と府の間の「壁」が無くなり、財政上のワン大阪となれば、水が高きから低きに流れるように市のカネが府で使われるようになるのは必定なのである。
──ただし、以上の説明はわかりやすいが、理念的過ぎ、厳密さにかける。ついては以下、制度の話をしよう。
第一に、「大阪市の税金が市外に使われる事を防ぐ」という現在の行政の説明を保証するには、大阪市から大阪府に吸い上げられた税金(2200億円)の使い道を、現大阪市民(特別区民)が「管理」しなければならない。しかし、その2200億円の使い道を管理するのは「大阪府」なのである(協定書に明記されているように大阪府の一般会計に繰り込まれるからだ)。
もうこの時点で、2200億円の市外への流用を食い止めることが難しいことが分かる。そもそも大阪府の議会も知事も、その3割が現大阪市民の付託を受けて選ばれているが、残りの7割は大阪市民以外の府民である。したがって、知事も議会も、現大阪市民の意向「だけ」に基づいて、予算執行をすることなど不可能だ。したがって、うまくロンダリング(転用)さえすれば、おカネに色が付いていない以上は、今、大阪市民のために使われている市民の税金が、他の自治体や、「府の借金返済」に回されていく蓋然性は、すこぶる高いと言わざるを得ない。
第二に、ただしこの2200億円については「特別会計」をつくり、その使い道をチェックするとも説明されている(市議会答弁)。このチェックが完璧で、かつ、違反があった場合に強制できる権限が特別会計側にあれば、流用は避けられる。しかし、肝心の「協定書」にはその特別会計は明記されておらず、もちろんその権限も保証されていない。
第三に、万一仮にそれが保証されたとしても、その特別会計が、大阪府の一般財源という「別の財布」からの使い道を、どこまで調整できるのかといえば、実務的には絶望的に難しい。特別会計にて2200億円を大阪府がどう使ったのかを逐一チェックしていく作業は膨大なものとなり、現有の行政マンパワーを考えれば、実務的にほとんど不可能といって差し支えない。
第四に、その特別会計を司るのは、5つの特別区(つまり大阪市)と大阪府と構成される「都区協議会」である。言うまでも無く、大阪府と各区では、実質上の政治的なパワーは対等でなく、したがって、仮に特別会計をこの協議会で厳密にコントロールすることになっても、そのコントロール主体に強力なパワーを持つ大阪府の意向が強く反映されてしまうことは避けられない。
現在、行政が今、明言しているように「大阪市民の税金の流用を回避する」ためには、中には絶望的に成立不可能なものを複数含めたこれらの条件の「全て」をクリアせねばならないのだが、それは当然、「絶望的」と言える。そもそもそれらの条件はいずれも、法的拘束力のある「協定書」には書かれていないからである。結果、「市民の税金は余所には使われません」という説明は、あくまでもタテマエであって、そう断定できるような制度は整備できそうにないのが実情なのである。
穴の開いたバケツに水を注げば、水が漏れる
──いかがであろうか?
無論、判断は全て読者に任せるが、以上の議論は筆者にとっては明白であるとしか思えない。それは「穴の開いたバケツに水を注げば、水が漏れる」ようなものにしか思えないのであるのだが、いかがであろうか。
いずれにしても筆者は、都構想の投票の開催にあたり、少なくとも筆者が学者として事実だと考えるこの7つの項目については大阪市民、広く日本国民の皆様にはしっかりと吟味いただきたい、と心の底から祈念している。
そしてそれを受けて、その他の要素も総合的に加味しながら賛否の判断を下すのは、誰あろう大阪市民だ。
ただし、学者も政治家も、適正な情報を発信し続けることが不可欠であることは論を待たない。さもなければ、かつての郵政改革のように、目をつむったまま道路を横断するようなマネをすれば大怪我する他ないからである。「後悔先に立たず」、我々は今一度、この言葉をしっかりとかみしめるべきなのだ。
そしてそのためにも、「抑圧の無い自由な議論」は不可欠なのである。
謝辞:「都構想」についての議論は今、小さなネット記事ですら「抗議」の対象に晒される様な抑圧的環境の中に置かれています。そんな中、筆者に「真面目な政策論」についての言論機会を提供いただいた「現代ビジネス」に心から深謝したいと思います。ならびにそのきっかけをいただいた高橋洋一教授にも深謝の意を表します。ありがとうございました。
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平成27年2月7日
権力による言論封殺には屈しません
藤井 聡
「大阪都構想」にいま一番必要なのは議論のための「自由な空気」です。
しかし今、その自由な空気が「大きな権力」によって封殺されようとしています。
詳しくお話いたします───私、藤井聡は1月27日、
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」
という原稿で7つの事実を指摘しました。
事実1:今回の住民投票で決まっても、「大阪都」にはなりません。
事実2:今の「都構想」は、要するに「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」ことです。
事実3:年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します。
事実4:流出した2200億円の多くが、大阪市「外」に使われます。
事実5:特別区の人口比は東京は「7割」、でも大阪では「たった3割」
事実6:東京23区の人々は、「東京市」が無いせいで「損」をしています。
事実7:東京の繁栄は「都」という仕組みのせいでなく、「一極集中」の賜(たまもの)です。
そうしますと2月2日、大阪維新の会からこの文書が送りつけられてきました。
要するに、私が大阪都構想について間違った情報を流し、市民に誤解を与えているというのですが──何度読み直しても、さっぱり意味が分かりません。
第一に、そもそも私の議論のどこが間違っているのか何の指摘もありません。これでは討論を始めることすらできない。
第二に、「憤りを感じ、強く抗議」と書かれているのですが、「憤りながら抗議」するならそもそも、「冷静な議論」は無理です。
第三に、当方の記事発表後から、今日までの橋下市長によるツイッターや記者会見での私に対する執拗な罵倒、例えば、「バカですから」や「チンピラ」等は異常としか言いようがありません。とても自治体の首長の振る舞いとは思えません。
つまりこれは「討論」でなく、「ケンカ」の申し入れなのです。
しかも私は、この申し入れを一種の脅迫と解釈しています。「公開討論という名の『ケンカ』を売られたり、ツイッターや記者会見などで罵倒されたりするのが嫌なら大阪都構想について発言するな!」と脅す、そんな手口なのです。
冷静な議論ならいざ知らず、橋下代表と在特会桜井氏との公開討論を見ましたが、あのようなやり合いが「市民の公正な判断の機会」になるとも、到底思えません。
したがって、大阪維新の会からの公開討論の申し入れには応じません。返答をするつもりもありません。
今回の「根拠を明示しないままの申し入れ」は、大阪府知事と大阪市長、そして、公党代表・幹事長という強大な公権力者による言論封殺と言わざるをえません。
おそらく橋下市長やそのシンパ(信奉者)達は、私が公開討論に応じなかったことをもって「藤井が逃げた!」と叫び、橋下市長の正当性を印象づけようとし、言論封殺を繰り返すでしょう。よろしい、叫び続ければよい。しかし私は、そんな「言論封殺」には屈しません。
私、藤井聡は今後とも、日本、そして何より我が愛する青春の街、大阪のために、大阪都構想に対して発言し続けます。私の言論はいかなる圧力、脅し、あるいは嫌がらせにも、絶対に、屈することはありません。
「都構想」の投票日100日前/平成27年2月7日 藤井 聡
【関連記事】↓
橋下市長(ツイッターより):
京大の藤井教授。
やっぱりでしたが、公開討論に応じないとのこと。
理由はいっぱい付けていますけど。
普段は国が!国民が!と言ってるいるのにね。
彼の主張は、地方行財政学上、でたらめです。
その証拠に、その専門家は、彼のような主張は一切しておりません。
彼は地方行財政には完全な素人。
藤井教授の主張はまとめると、
1、今度の住民投票では「都」にならない
2、大阪都構想になると大阪市民税が大阪市域外に流れるの2つ。
1、は名称の問題。
大都市に特別区を設置して府の広域行政機能を強化することを都制と言います。
名称は次の問題。
名称は、維新の党で法案を出します。
名称だけを「都」にしても、2重行政の解消にならないし、住民自治の充実にもなりません。
実力もないのに内閣官房参与という肩書だけを持っている学者のようなものです。
今回の争点は、大阪の2重行政を解消し、大阪市内の住民自治を充実させること。
名称は関係なく、特別区の設置こそが都制、都構想。
5月の住民投票が可決されれば、大阪は都制になるのは間違いありません。
名称は法律で変えます。
2、大阪市民の税金は大阪市域外に流れません。
これまで大阪市役所が担当していた、大学、消防、港、広域高速道路などの仕事を大阪都庁に担当させます。
その際に2200億円のお金を都に移します。
これまでの大阪市役所が発行した市債の償還財源もこの2200億円に含まれています。
このことをもって大阪市域外に流れると藤井氏は主張していますが、地方行政の現実を何も知らない反対のための反対論。
お金とともに仕事の負担も移るのです。
仕事の担当者替えです。
これまでは大阪市役所や大阪市議会が担当していた仕事を、大阪市議会ではちゃんと仕事ができないから、大阪都議会に移すだけです。
市民にとっては何の影響もありません。
そしてこのお金と仕事のチェックは、特別会計で管理します。
都区協議会がチェックします。
大阪市民の税金が市域外に流れるって、熱烈反橋下、反維新の非専門家が言うならまだしも、一応京大の教授ですからね。
地方行財政学の学者からは、藤井氏の主張のようなバカな主張は全く出ていません。
この人土木専門なんですから、その範囲で意見を言っていた方が良いですよ。
いずれにせよ、藤井教授は、僕との公開討論から逃げてしまいました。
コメンテーターも、ジャーナリストも、メディアの論説委員も、もっと言えば自民党、公明党、民主党、共産党の誰でも僕と公開討論をやってくれたらいいのに、反対派は誰も僕とは公開討論をしません。
民主主義のためにならないですね。
『高橋洋一(嘉悦大)@YoichiTakahashi
大阪都構想の算数。
BEFORE,AFTERでみて、府民税+市(区)民税は同じ、
府+市(区)の必要予算は二重行政排除で減少。
これから、府と区の役割分担をやれば、府民+区民の受益は必ず増加する。
府と区の役割分担は東京を参考にすれば東京よりうまくできる。
反対するのは二重行政の利権者だ。』
Retweeted by 橋下徹
『高橋洋一(嘉悦大)@YoichiTakahashi
大阪都構想の算数(2)。
必要予算が減少・税負担が同じなら浮いた分で新規事業が可能で府民+区民の受益は必ず増加する。
こういうのはパレート最適といい少なくとも今より損にならない。
細かい話はあっても方向性は間違いない。
二重行政排除で住民受益を増やすか、二重行政維持で既得権擁護かの問題。』
Retweeted by 橋下徹
高橋洋一「ニュースの深層」
橋下徹・大阪市長vs.内閣官房参与の
大阪都構想めぐるバトルが、案外面白い
2015年02月09日(月)
高橋 洋一
著者プロフィール&コラム概要
橋下徹・大阪市長の都構想をめぐるバトルが面白い photo Getty Images
ISIL(いわゆる「イスラム国」)のテロはみていられないが、国内での政策議論は非暴力であり、大いに結構である。大阪都構想について、5月17日に住民投票を行う方向となっており、それに向けて、関西で面白いバトルが展開されている。
橋下市長より藤井教授のほうが分が悪い
筆者は東京生まれ・育ちなので、大阪人の行動スタイルは、言い方が悪いかもしれないがとても興味深い。以前の大阪の地下鉄では、誰も並ばずに、ドアが開くと、アメフットボールでオフェンスとディフェンスがぶつかり合うように、電車から出る人と入る人がぶつかり合う光景に驚いたものだ。最近では、東京のように行儀よく列に並んでいるので、大阪らしさがなく、ちょっと残念だ。
大阪都構想について、これまで刺激的な発言をしてきた内閣官房参与を務める藤井聡・京都大大学院教授に対し、橋下徹・大阪市長は公開討論を申し入れていたが、藤井教授が拒否してしまった。
筆者は両人ともに個人的によく知っているだけに、おおいに公開討論を期待していたが、本当に残念である。藤井教授の言い分は、「権力による言論封殺には屈しません」ということで、自身のサイトに公表されている(http://satoshi-fujii.com/)。
藤井教授は、「討論ではなくケンカの申し入れで一種の脅迫」としているが、テロのように命が取られるわけでないのだから、関西のノリで橋下市長との公開討論がみたいと思っている人が多いだろう。
橋下市長と藤井教授のやりとりは、ネット上でわかるが、いささか両者ともに口が汚かったと思う(関西人なので、これもありかと思う)。ただし、内容について政策論の観点からいえば、正直いって藤井教授のほうの分が悪い。
特に、藤井教授がいう「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」(http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/01/27/fijii/)のうち、財政に関する「事実3:年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します。」と「事実4:流出した2200億円の多くが、大阪市「外」に使われます。」を取り上げてみよう。
「政府」と住民の関係は変わらない
大阪都構想については、大阪都構想特設サイト(http://oneosaka.jp/tokoso/)、大阪府・大阪市特別区設置協議会の開催概要(http://www.city.osaka.lg.jp/toshiseidokaikakushitsu/page/0000207789.html)などに詳細な資料があるので、それらを参照すれば、ほとんどわかる。
なお、筆者は、大阪府知事・大阪市長による府市再編に関する有識者ヒアリング(http://www.city.osaka.lg.jp/toshiseidokaikakushitsu/page/0000239980.html)の第3回(2014年1月28日)に出席して、東京都における都と区の役割分担の意見を述べている(2014年2月3日付け本コラム「橋下市長の辞職・出直し選を機にあらためて問う。「大阪都構想」の何が問題か?」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38258)。また、大阪都構想を実現させるための立法を政策提言したこともある。
まず、大阪都構想は、大阪市の代わりに5つの特別区を作ることだ。それまでは、一人の市長を選挙で選び、その市長が24人の行政区長を任命していたが、5人の特別区長を選挙で選ぶことになる。
行政区とはいえ、大阪市に24区もあるのは、特別区23区しかない東京人からみればちょっとした驚きだ。しかも、大阪に行くと、区長の名前も顔も知らないという。役人行政区長なので、仕方ないのだろうが、公選特別区長が当たり前の東京人からみれば、これも驚きであった。
いずれにしても、こうした市を複数の特別区に置き直すことは、広い意味での政府内組織再編である。広い意味での政府というのは、市を特別区に置き換えても、地方政府であることには変わりない。住民からみれば、市も特別区も地方政府である。しかも、行政区ではない特別区であれば、市と同じ「基礎的自治体」として、地域において重要な役割を果たすことができる。
政府内組織再編であるので、政府と住民との間の関係が変わることはない。これがまず基本である。市から特別区に変わっても、基本的には市民税が特別区民税にかわるだけだ。いずれにしても、府民税+市(区)民税は大阪都構想の直前・直後で同じだ。
藤井教授のいう「税金の流出」は、なさそうだ
行政サービスでは、大阪府と大阪市の枠割り分担が見直され、サービス主体が変わる。東京都の場合でも次のような役割分担が、都と特別区の間である。
拡大画像表示
しかし、住民が受けるサービス自体には変化がない。ここでも、府+市民が受ける行政サービスは大阪都構想の直前・直後で同じだ(地下鉄のように民営化があっても、住民が受けるサービスは変わらない)。この役割分担に応じて、府と特別区の間で税金の移転がある。
以上のことからいえば、藤井教授のいう「事実3:年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します。」と「事実4:流出した2200億円の多くが、大阪市「外」に使われます。」には何の意味もない。大阪市から税金が流出しても、その分大阪府が市に代わり行政サービスをするだけだ。このため、住民の税金も、受ける行政サービスも変化がないというのが基本である。
これは、大阪都構想が、広義の政府内組織再編だからだ。ある会社の製品を購入する場合、その会社内で組織再編があり、製造セクションが会社内で変わったとしても、消費者からみれば、同じ製品で同じ価格であるのと同じだ。
ここで、大阪府と大阪市に二重行政がまったくなければ、大阪都構想のメリットは、一人の公選市長から5人の公選特別区長を選び出すという点だけになる。ただし、そうであっても、人口270万に一人の市長より、5人の特別区長のほうが住民の意向は通りやすくなるだろう。その他の点は、政府内組織再編なので、住民には不利益はない。つまり、大阪都構想で住民は悪くならないというわけだ。
大阪府と大阪市に二重行政があれば、上の住民参加のメリットに加えて、財政上のメリットが住民は受けられるようになる。二重行政のムダを省くことによって、行政サービスの水準を落とさずに、必要な予算額を減少させることが出来る。そこで浮いた予算を他の分野に振り向けることによって、同じ税負担であるが、行政サービス水準を向上させることができるのだ。
この点を具体的に考えてみよう。
大阪市立大と大阪府立大
大阪市には大阪市立大学、大阪府には大阪府立大学がある。これは、大阪都構想からみれば、二重行政だ。市が特別区になれば、区立大学はありえない。よって、大阪市立大学と大阪府立大学は統合されて、「新」大阪府立大学になる。その際、直ちにではないだろうが、徐々に、二重部門は統合されていく。
大学の間接管理部門は、遠からず整理・統合されていくだろう。教員もゆっくりであろうが、長い期間をかけて科目統合などが行われるだろう。統合された部門では、外部調達も一本化される。
そうなると、大学の間接管理部門や外部調達の一本化等によって、いずれ不利益を被る人が両大学の内外で出てくる。もちろん、そうした人に個人的な落ち度はないのだが、二重行政によって、住民が余計な税負担をしているのも事実であり、そうした点を長期的に制度改革で直そうというのが、大阪都構想である。
制度が悪いと、知らず知らずのうちに二重行政の既得権者を作ってしまう。個人の段階では悪意がないだけに気の毒であるが、長い目で見てその是正を行うのは政治の責任である。
上で述べた特別区設置協議会サイトにある特別区設置協定書等をみると、府と特別区の役割分担が書かれている。この中で、大学事務の他にも、従来は市の事務が府の事務になるものもある。それは従来の市の事務の12%程度だ。
この分野では、二重行政でなくても、市の職員は仕事が引き続きあるのか不安になり、また外部の取引業者は相手が市から府に代わるので、大阪都構想には消極的になるかもしれない。ただし、二重行政さえなければ、単に看板の掛け替えなので、市の職員も外部の取引業者もそれほど心配することではない。
いずれにしても、大阪都構想は、複数の特別区長を公選する住民参加と二重行政のムダを排除して住民受益を向上させる方向性は間違いない。
これに反対する者は、大阪都構想ではなく現状のほうが住民参加と住民受益を向上させる点で優れているといえるのだろうか。橋下市長は公開討論を厭わないだろうから、どんどんオープンにしたらいい。
橋下市長のツイッター(@t_ishin)や藤井教授のサイト、それに両者のバトルは、これまでにない方法なので、興味深い。最後に繰り返すが、公開討論がないのは本当に残念である。
40歳の日誌 - 箕面市長 倉田哲郎blog
2015年02月08日
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」をマジメに考える
※ 最近、この手の話はツイッターにしてるのですが(特に理由はないです)、
7つもあって分離するとわかりにくくなるので、今回はブログに書くことにしました。
ニュージーランドから帰国してみたら、京都大学教授の藤井聡氏なる人が書いた「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」なるものが盛り上がっていました。
「ヘドロチック」発言ばかり話題になりますが、そもそも「7つの事実」とやらが(僕は“ヘドロチック”のことを知る前に読んだのですが)、正直、どれも「え?」という内容でしたので、以下、順番にコメントしておきます。
【事実1】今回の住民投票で決まっても,「大阪都」にはなりません.
“大阪府の名称は住民投票では変わりませんよ”って話。
・・・これを一番にもってくる時点で、正直、唖然(@_@)としました。
名称なんてどうでもいいのです。
それは5年前に「『大阪“都”構想』をどう思う?」で、僕自身が「自治体呼称としてのネーミングはやはり『大阪府』が好みですが」と書いたとおり。
中身が大事。
それを「事実1」とか言って最初に大々的に主張されてる時点で、学者さんが書く主張として、あまりにアホらしくてビックリしました。
【事実2】今の「都構想」は,要するに「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」ことです.
そのとおり。
問題の本質は、京都府全域(人口255万人)を上回る異常な規模の「大阪市」(267万人)が、狭いのに「大阪府」と縄張り争いするという構造的歪み。
府・市のどっちかが悪いとかじゃなくて、構造が悪い。
その構造問題の解消手法が特別区化。
今も昔も都構想はまったく同じ。
5年前に「『大阪“都”構想』をどう思う?」で書いたとおりです。
なお、府市・都区の仕事の分担(誰が仕事をするか)が変わるだけで、必ずどこかの部署がこれまでどおりの行政サービスをしますから、大阪市民が○○区民になっても不利益はありません。
むしろ○○区役所は(箕面市役所のように)コンパクトで身近なものになります。
【事実3】年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します.
この不見識には驚きました。
大阪市民も大阪府民でしょう?
住民は、大阪市(区)からでも、大阪府(都)からでも、ちゃんとサービスが充足されるなら、どちらからでもいいはずです。
そして、住民は、民主主義を通じて「市(区)」「府(都)」をコントロールします。
それなのに、今の大阪市の2200億円分のサービスが、どこか大阪市民の手の届かないところへ行って使われてしまうような「流出」という表現。
特別区に権限がないから、大阪市「外」に流出する”という飛躍したロジック。
「都」は大阪市(区)民にはサービスを一切提供しない(区民≠都民)という完全に誤った立場からの説明としか考えられません。
これは、不見識か、作為的か、どちらかとしか言いようがないです。
【事実4】流出した2200億円の多くが,大阪市「外」に使われます.
これは、何回読んでも意味がわかりません。
なにを根拠に言ってるのか、藤井聡氏の書く「都道府県の財政運営の『法的常識』」なるものがいったいなんなのか、誰か教えてほしいです。
・・・というか、京都大学の教授ともあろう人が「7つの“事実”」と称して書くことじゃないでしょう。
だって、文末が「・・・可能性も,十二分以上に考えられるわけです」ですよ。つまり、事実じゃないじゃないですか(笑)。
これはさすがに脇が甘すぎるんじゃないですか。
7つのなかで最もツッコミどころ満載の「事実」でした。
【事実5】特別区の人口比は東京は「7割」,でも大阪では「たった3割」
当たり前です。
密集する都市部では、人口は面積に比例します。
23区の面積は東京都全域の“28%”、大阪市の面積は大阪府全域の“たった12%”ですから、7:3の規模比率もキレイに一致します。
面積が“たった12%”で居住人口も「たった3割」の大阪市に、大阪全域から労働力が流入することで、大阪の経済は支えられています。
従って、藤井聡氏のいう「手厚い行政」は、面積「たった12%」の大阪市域だけでなく、より広域で行われるべきです。
そして、藤井聡氏は “面積12%に重点的に配慮することが大阪のためになる” という考えのようですが、それは違うでしょ。
大阪の場合、富を生み出すエリア(都心)を、いかに12%以上に広げて、関西全体の人たちを受け止めて発展できる都市インフラを構築できるか?を考えなければダメでしょう。
もう少し将来を考えてほしいところです。
【事実6】東京23区の人々は,「東京市」が無いせいで「損」をしています.
最後のほうになるにつれ、無理やり感が高くてイヤになってきます。
「もしも『東京市』だとしたら,東京都心はもっとさらに強烈な集中投資が進んでいる」とか書いてあるんですが、現実的に、これ以上なにを東京都心部に投資しろというんですかね。
要するに “大阪市内に住んでる人だけが得をすればいい” 、 “富が余っても絶対に周辺に投資はしないぞ!” という主張なわけですが、面積12%しかない狭い大阪市だけでどう発展しようというのか?と問いたいです。
【事実7】東京の繁栄は「都」という仕組みのせいでなく,「一極集中」の賜(たまもの)です.
これには驚きました。
・・・これは書くべきじゃなかったと思います。
言うに事欠いて、“大阪は努力せず諦めろ”ってことでしょう?
誰も、行政組織が「都」に再編されたからって、いきなりバラ色になるなんて思ってませんよ。
今までより少しでもマシな仕組みにして、ちょっとでも大阪の停滞を打破しようよって、ささやかな希望だけです。
それなのに藤井聡氏は、
「そもそもの経済規模が全く違うのからなのです」
「人口についても経済規模(GDP)についても,大阪市と東京23区との間には,実に4倍前後のもの巨大な格差があるのです」
「首都東京に,あらゆるモノが一極集中している」
「これが,東京23区の豊かさの秘密です」
などと、一生懸命に東京の凄さを説き、
“大阪には無理だから” 、 “努力しても無理だから” と教えてくださってるようです。
要するに、大阪はどんなに頑張っても無理なんだから、改善する努力すら無意味だから諦めろよ、と。
・・・これはいただけない。
以上、最後のほうは(大阪で政治に携わってる者として)ちょっと腹立たしくなるのが自然だと思います。
万が一、この「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」なる主張に賛同する大阪の政治家がいたら、それは辞めていただいたほうが大阪のためになります。
・・・特に「事実7」の記載はクリティカル。
さて、現在、藤井聡氏は、大阪維新の会からの公開討論の申し入れに対して、
「私の議論のどこが間違っているのか何の指摘もありません。
これでは討論を始めることすらできない。」
と書いています。
正直言って、橋下市長ほか大阪の政治家が、指摘する気すら失せているだろうことは、上記のとおりよくわかります。
・・・それでも誰か書いといたほうがいいかなと思ったので、(僕は大阪維新の会じゃありませんが)大阪都構想に賛同する身として、マジメにコメントしておきました。
是非の議論は大歓迎です。
反論いただけるならどうぞ。
(なお、僕は仕事柄、公開討論などもお受けできますので。)
いずれにせよ、5月17日に向けて、議論が熟す一助となれば幸いです。
posted by 倉田哲郎 at 01:29 | 活動日誌
サルメラ(ツイッターより)
2015年2月01日
@t_ishin 藤井教授のブログ見ました。
1から4は当たり前の話を悪意的に解説してるだけ。
名前なんか、都でもなんでもいいし、
後は否定も肯定もできない話ばかり。
@t_ishin 5については、大阪都構想は東京を反面教師としてマイナーチェンジも施されてる。
そして、それがダメなら、またさらに改善すればいい話。
@t_ishin 6は、認識自体が間違ってる
羽振りが良くなるなんてハナから言ってない
公選区長がワケのわからない金の使い方をしなくなる、と言ってるんだ。
フェスティバルゲートの責任は誰がとった?
UFJは民営化して、大繁盛してるぞ。
これが現実。
@t_ishin そして7は、現状維持派の後ろ向きな、座して死を待つ典型。
大阪都構想:隠された真実を考える
~なぜ、大阪市民の税金は、市『外』に流用されるのか?~
文/京都大学大学院教授 藤井聡
2015年02月11日(水)
「現代ビジネス」2月9日公開、高橋洋一氏原稿に藤井聡氏から反論が寄せられた
住民投票で一番大切なのは、必要な事実を共有すること
現大阪市長と私藤井との間の、いわゆる大阪都構想(以下「都構想」と呼称)を巡るバトルが、俄にネット、メディア上で取り上げられた。事の発端は、当方が購読者3万人程度の小さなネットメディアにて、「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」(http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/01/27/fijii/)なる記事を本年1月27日に公表したことだった。
しばしば、藤井は「都構想」について刺激的な発言をしたと思われている様だが、上記記事をご覧いただければすぐにご了解いただける様に、その論調は至って淡々としたものだ。そもそもこの記事は、「賛否はさておき,(投票)判断に向けて大切な,いくつかの『事実』の情報を提供したい」と明記してある通り、「都構想」を頭ごなしに否定するようなものではない。
にも関わらず、大阪維新の会からは幹事長(つまり大阪府知事)名義で、当方に対して「激しい憤りの抗議」を表明すると同時に、党代表(つまり大阪市長)と「公開討論」を要請する文書が送られてきた。そしてその前後から、大阪市長のツイッターや記者会見等での当方に対する粘着質な罵倒が繰り返され、挙げ句に本学総長や国会にまで問いただすと宣言するまでに至った。
こうした状況に対する当方の対応は既に、HP『権力による言論封殺には屈しません』(サトシフジイ ドットコム:http://satoshi-fujii.com/)にて公表しているのでそちらをご参照願いたい。今、大阪で何が起こっているのかを、是非、知っていただきたいと思う。
それはさておき、こうした騒動がメディア上で「過激なバトル」として様々に取り上げられたが、今回の一連の「騒動」の発端となった『7つの事実』の原稿は、そうした騒動の過激さからはほど遠い程に穏やかな内容だ。それはただただ、「都構想」の住民投票に関連する次の様な7つの「事実」を淡々と指摘するものだった。
事実1:今回の住民投票で決まっても、「大阪都」にはなりません。
事実2:今の「都構想」は、要するに「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」ことです。
事実3:年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します。
事実4:流出した2200億円の多くが、大阪市「外」に使われます。
事実5:特別区の人口比は東京は「7割」、でも大阪では「たった3割」
事実6:東京23区の人々は、「東京市」が無いせいで「損」をしています。
事実7:東京の繁栄は「都」という仕組みのせいでなく、「一極集中」の賜です。
これらの事実は、それをメリットと見るかデメリットと見るか、どう解釈するかは人それぞれだが、知っているかどうかは「都構想」の投票判断に直接間接に影響を及ぼし得るものばかりである。
例えば、都構想の住民投票で都構想が認められても、大阪府の名称は大阪都に変わるわけではない(事実1)が、この事実を知らない大阪の方は実に多い。しかも、この事実を伝えた時の多くの方の反応が「えっ?そうだったの。なぁんだ。」という反応だ。しかしこれは事実なのだから、これを未周知のままでは当然フェアな投票はできない。
事実2は、区割りの問題だ。数年前には周辺自治体も含めて再編を行い広いエリアで「特別区」を設置する構想だったのだが、現時点は大阪市「だけ」を五分割するものとなっている。この点をして、しばしば今回の「都構想」は「大阪市五分割構想」と言った方がわかりよいのではないかという声もある程だ。言うまでも無くこの事実は、投票者全員に共有されねばならない。ただし最新のアンケートによれば、知っている大阪市民は実に53%しかいないという。この事実の周知は絶対必要だ(なお事実5,6,7については本稿では触れないが、またの機会に詳しくお話したいと思う)。
「大阪市民へのサービスは変わらない」という説明を鵜呑みにしてはならない
さて、これら7つの中でもしばしば論争となるのが、「事実3:年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します。」「事実4:流出した2200億円の多くが、大阪市「外」に使われます。」の二つである。この前者の方はその趣旨を否定する論調は聞こえてこないが、特に論争となるのは後者の事実4だ。
言うまでも無く筆者は、この事実4は、紛う事なき事実であると確信している。その根拠は既に、先に紹介したインターネット記事の翌週に公表した「大阪都構想(2)」の記事の第二部『なぜ,大阪市民の税金が,大阪市「外」に使われるのか?』の中で子細に論じている(http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/03/fujii-129/)。
ただし、この記事はまだ知られていないようで、この「事実4」の正当性は、未だ広く周知されていないようだ。
例えば、現在、大阪市特別顧問をお勤めで、大阪都構想の検討段階でもアドヴァイスをしてこられた(そして、筆者もよく存じ上げている)高橋洋一教授が、この「事実3」「事実4」について論じている。そして、それらは「問題無い」(厳密に言うと、「事実4」は起こりそうにない)と指摘している。なぜなら、「住民が受けるサービス自体には変化がない」からだという。そしてこの点を持ってして、「橋下市長より藤井教授のほうが分が悪い」と指摘している。(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42011)
しかしそれは残念ながら誤解であり、「大阪都構想(2)」で子細に論じた内容にお目通しになる「前」のご判断なのではないかと思う。詳しく理由を述べよう。
確かに、現在の行政が用意した「協定書」では、そのように書かれている(それは、当方の『7つの事実』の原稿でも「行政的にはもちろん,そのように説明されています」という文言で既に指摘している通りだ)。
しかし、そうした行政的説明はあくまでも「タテマエ」にしか過ぎないのであって、行政がどれだけ「大阪市民のサービス自体には変化がありません」と説明したとしても、実際にその制度を運用した時にそのタテマエが実現するかどうかは、全く別問題だ。つまり、そして高橋氏の議論は、あくまでも「タテマエ論」として正当であるに過ぎないのである。
例えば、2007年に郵政が民営化された際、郵便局を複数に分社化してもサービスレベルは悪くならない、むしろ良くなる、と言われていたのをご記憶だろうか? 当時の政府資料にはそういう趣旨のことがいつも明記されていた。しかし蓋を開ければ、ものの見事に、その「タテマエ」の約束は破られた。
事実、国会で「時間外窓口の廃止や遅配が相次ぎ、地域住民の利便性が著しく低下したという現状」(平成二十年十月二十三日衆議院)が問題となっている。なぜそうなったのかと言えば、その郵政改革案が「サービスレベルを下げない」という事を「保証」する程に十分に作り込まれたものではなかったからである。そしてそうなるであろうことは、実は民営化「前」から明白な事実として様々に指摘されていたのだが──当時は、そういう声は全て「無視」され、結果、郵政は民営化され、案の定サービスレベルは低下したのである。
つまり、制度改革の前の「政府のタテマエ」的説明は、鵜呑みにしてはならないのである。それを信ずるか否かを判断するには、その改革の「中身」を詳しく精査しておかねばならない。
そして筆者が協定書に書かれている都構想の仕組みを「精査」した結論こそが、「今、大阪市民に使われている税金の一定部分が、大阪市「外」に使われるようになる」という「事実4」だったのである。
なぜ,大阪市民の税金が,大阪市「外」に使われるのか?
ではなぜ、筆者がそう確信したのか。詳しくは、筆者の原稿(http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/03/fujii-129/)を精読いただきたいが、ここでは、その要点のみを簡潔に述べてみよう。
まず、都構想が実現すると、現時点では、2200億円の市民の税金が、それに対応する事業と共に大阪府に移される。「行政的説明」では「だから、大阪市民のサービスレベルは変わらない」ということになっている。が、政府の仕組みというのは、それほど単純なものではない。
まず理念的な視点から説明しよう。そもそも、都構想の理念は「ワン大阪」。つまり、「府と市」の境を無くすことである。一方で、「大阪市民の税金が,大阪市「外」に使われないようにする」ためには、当然ながら「府と市」の間に「壁」を作らなければならないが、これはワン大阪の理念に反しているため、「実質上」ワン大阪の理念のこだわる限り、その「壁」は完璧なものとはならない。一方で大阪市と市以外でどちらが豊富な税収があるのかと言えば、言うまでも無く大阪市だ。したがって、市と府の間の「壁」が無くなり、財政上のワン大阪となれば、水が高きから低きに流れるように市のカネが府で使われるようになるのは必定なのである。
──ただし、以上の説明はわかりやすいが、理念的過ぎ、厳密さにかける。ついては以下、制度の話をしよう。
第一に、「大阪市の税金が市外に使われる事を防ぐ」という現在の行政の説明を保証するには、大阪市から大阪府に吸い上げられた税金(2200億円)の使い道を、現大阪市民(特別区民)が「管理」しなければならない。しかし、その2200億円の使い道を管理するのは「大阪府」なのである(協定書に明記されているように大阪府の一般会計に繰り込まれるからだ)。
もうこの時点で、2200億円の市外への流用を食い止めることが難しいことが分かる。そもそも大阪府の議会も知事も、その3割が現大阪市民の付託を受けて選ばれているが、残りの7割は大阪市民以外の府民である。したがって、知事も議会も、現大阪市民の意向「だけ」に基づいて、予算執行をすることなど不可能だ。したがって、うまくロンダリング(転用)さえすれば、おカネに色が付いていない以上は、今、大阪市民のために使われている市民の税金が、他の自治体や、「府の借金返済」に回されていく蓋然性は、すこぶる高いと言わざるを得ない。
第二に、ただしこの2200億円については「特別会計」をつくり、その使い道をチェックするとも説明されている(市議会答弁)。このチェックが完璧で、かつ、違反があった場合に強制できる権限が特別会計側にあれば、流用は避けられる。しかし、肝心の「協定書」にはその特別会計は明記されておらず、もちろんその権限も保証されていない。
第三に、万一仮にそれが保証されたとしても、その特別会計が、大阪府の一般財源という「別の財布」からの使い道を、どこまで調整できるのかといえば、実務的には絶望的に難しい。特別会計にて2200億円を大阪府がどう使ったのかを逐一チェックしていく作業は膨大なものとなり、現有の行政マンパワーを考えれば、実務的にほとんど不可能といって差し支えない。
第四に、その特別会計を司るのは、5つの特別区(つまり大阪市)と大阪府と構成される「都区協議会」である。言うまでも無く、大阪府と各区では、実質上の政治的なパワーは対等でなく、したがって、仮に特別会計をこの協議会で厳密にコントロールすることになっても、そのコントロール主体に強力なパワーを持つ大阪府の意向が強く反映されてしまうことは避けられない。
現在、行政が今、明言しているように「大阪市民の税金の流用を回避する」ためには、中には絶望的に成立不可能なものを複数含めたこれらの条件の「全て」をクリアせねばならないのだが、それは当然、「絶望的」と言える。そもそもそれらの条件はいずれも、法的拘束力のある「協定書」には書かれていないからである。結果、「市民の税金は余所には使われません」という説明は、あくまでもタテマエであって、そう断定できるような制度は整備できそうにないのが実情なのである。
穴の開いたバケツに水を注げば、水が漏れる
──いかがであろうか?
無論、判断は全て読者に任せるが、以上の議論は筆者にとっては明白であるとしか思えない。それは「穴の開いたバケツに水を注げば、水が漏れる」ようなものにしか思えないのであるのだが、いかがであろうか。
いずれにしても筆者は、都構想の投票の開催にあたり、少なくとも筆者が学者として事実だと考えるこの7つの項目については大阪市民、広く日本国民の皆様にはしっかりと吟味いただきたい、と心の底から祈念している。
そしてそれを受けて、その他の要素も総合的に加味しながら賛否の判断を下すのは、誰あろう大阪市民だ。
ただし、学者も政治家も、適正な情報を発信し続けることが不可欠であることは論を待たない。さもなければ、かつての郵政改革のように、目をつむったまま道路を横断するようなマネをすれば大怪我する他ないからである。「後悔先に立たず」、我々は今一度、この言葉をしっかりとかみしめるべきなのだ。
そしてそのためにも、「抑圧の無い自由な議論」は不可欠なのである。
謝辞:「都構想」についての議論は今、小さなネット記事ですら「抗議」の対象に晒される様な抑圧的環境の中に置かれています。そんな中、筆者に「真面目な政策論」についての言論機会を提供いただいた「現代ビジネス」に心から深謝したいと思います。ならびにそのきっかけをいただいた高橋洋一教授にも深謝の意を表します。ありがとうございました。
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平成27年2月7日
権力による言論封殺には屈しません
藤井 聡
「大阪都構想」にいま一番必要なのは議論のための「自由な空気」です。
しかし今、その自由な空気が「大きな権力」によって封殺されようとしています。
詳しくお話いたします───私、藤井聡は1月27日、
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」
という原稿で7つの事実を指摘しました。
事実1:今回の住民投票で決まっても、「大阪都」にはなりません。
事実2:今の「都構想」は、要するに「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」ことです。
事実3:年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します。
事実4:流出した2200億円の多くが、大阪市「外」に使われます。
事実5:特別区の人口比は東京は「7割」、でも大阪では「たった3割」
事実6:東京23区の人々は、「東京市」が無いせいで「損」をしています。
事実7:東京の繁栄は「都」という仕組みのせいでなく、「一極集中」の賜(たまもの)です。
そうしますと2月2日、大阪維新の会からこの文書が送りつけられてきました。
要するに、私が大阪都構想について間違った情報を流し、市民に誤解を与えているというのですが──何度読み直しても、さっぱり意味が分かりません。
第一に、そもそも私の議論のどこが間違っているのか何の指摘もありません。これでは討論を始めることすらできない。
第二に、「憤りを感じ、強く抗議」と書かれているのですが、「憤りながら抗議」するならそもそも、「冷静な議論」は無理です。
第三に、当方の記事発表後から、今日までの橋下市長によるツイッターや記者会見での私に対する執拗な罵倒、例えば、「バカですから」や「チンピラ」等は異常としか言いようがありません。とても自治体の首長の振る舞いとは思えません。
つまりこれは「討論」でなく、「ケンカ」の申し入れなのです。
しかも私は、この申し入れを一種の脅迫と解釈しています。「公開討論という名の『ケンカ』を売られたり、ツイッターや記者会見などで罵倒されたりするのが嫌なら大阪都構想について発言するな!」と脅す、そんな手口なのです。
冷静な議論ならいざ知らず、橋下代表と在特会桜井氏との公開討論を見ましたが、あのようなやり合いが「市民の公正な判断の機会」になるとも、到底思えません。
したがって、大阪維新の会からの公開討論の申し入れには応じません。返答をするつもりもありません。
今回の「根拠を明示しないままの申し入れ」は、大阪府知事と大阪市長、そして、公党代表・幹事長という強大な公権力者による言論封殺と言わざるをえません。
おそらく橋下市長やそのシンパ(信奉者)達は、私が公開討論に応じなかったことをもって「藤井が逃げた!」と叫び、橋下市長の正当性を印象づけようとし、言論封殺を繰り返すでしょう。よろしい、叫び続ければよい。しかし私は、そんな「言論封殺」には屈しません。
私、藤井聡は今後とも、日本、そして何より我が愛する青春の街、大阪のために、大阪都構想に対して発言し続けます。私の言論はいかなる圧力、脅し、あるいは嫌がらせにも、絶対に、屈することはありません。
「都構想」の投票日100日前/平成27年2月7日 藤井 聡
【関連記事】↓
橋下市長(ツイッターより):
京大の藤井教授。
やっぱりでしたが、公開討論に応じないとのこと。
理由はいっぱい付けていますけど。
普段は国が!国民が!と言ってるいるのにね。
彼の主張は、地方行財政学上、でたらめです。
その証拠に、その専門家は、彼のような主張は一切しておりません。
彼は地方行財政には完全な素人。
藤井教授の主張はまとめると、
1、今度の住民投票では「都」にならない
2、大阪都構想になると大阪市民税が大阪市域外に流れるの2つ。
1、は名称の問題。
大都市に特別区を設置して府の広域行政機能を強化することを都制と言います。
名称は次の問題。
名称は、維新の党で法案を出します。
名称だけを「都」にしても、2重行政の解消にならないし、住民自治の充実にもなりません。
実力もないのに内閣官房参与という肩書だけを持っている学者のようなものです。
今回の争点は、大阪の2重行政を解消し、大阪市内の住民自治を充実させること。
名称は関係なく、特別区の設置こそが都制、都構想。
5月の住民投票が可決されれば、大阪は都制になるのは間違いありません。
名称は法律で変えます。
2、大阪市民の税金は大阪市域外に流れません。
これまで大阪市役所が担当していた、大学、消防、港、広域高速道路などの仕事を大阪都庁に担当させます。
その際に2200億円のお金を都に移します。
これまでの大阪市役所が発行した市債の償還財源もこの2200億円に含まれています。
このことをもって大阪市域外に流れると藤井氏は主張していますが、地方行政の現実を何も知らない反対のための反対論。
お金とともに仕事の負担も移るのです。
仕事の担当者替えです。
これまでは大阪市役所や大阪市議会が担当していた仕事を、大阪市議会ではちゃんと仕事ができないから、大阪都議会に移すだけです。
市民にとっては何の影響もありません。
そしてこのお金と仕事のチェックは、特別会計で管理します。
都区協議会がチェックします。
大阪市民の税金が市域外に流れるって、熱烈反橋下、反維新の非専門家が言うならまだしも、一応京大の教授ですからね。
地方行財政学の学者からは、藤井氏の主張のようなバカな主張は全く出ていません。
この人土木専門なんですから、その範囲で意見を言っていた方が良いですよ。
いずれにせよ、藤井教授は、僕との公開討論から逃げてしまいました。
コメンテーターも、ジャーナリストも、メディアの論説委員も、もっと言えば自民党、公明党、民主党、共産党の誰でも僕と公開討論をやってくれたらいいのに、反対派は誰も僕とは公開討論をしません。
民主主義のためにならないですね。
『高橋洋一(嘉悦大)@YoichiTakahashi
大阪都構想の算数。
BEFORE,AFTERでみて、府民税+市(区)民税は同じ、
府+市(区)の必要予算は二重行政排除で減少。
これから、府と区の役割分担をやれば、府民+区民の受益は必ず増加する。
府と区の役割分担は東京を参考にすれば東京よりうまくできる。
反対するのは二重行政の利権者だ。』
Retweeted by 橋下徹
『高橋洋一(嘉悦大)@YoichiTakahashi
大阪都構想の算数(2)。
必要予算が減少・税負担が同じなら浮いた分で新規事業が可能で府民+区民の受益は必ず増加する。
こういうのはパレート最適といい少なくとも今より損にならない。
細かい話はあっても方向性は間違いない。
二重行政排除で住民受益を増やすか、二重行政維持で既得権擁護かの問題。』
Retweeted by 橋下徹
高橋洋一「ニュースの深層」
橋下徹・大阪市長vs.内閣官房参与の
大阪都構想めぐるバトルが、案外面白い
2015年02月09日(月)
高橋 洋一
著者プロフィール&コラム概要
橋下徹・大阪市長の都構想をめぐるバトルが面白い photo Getty Images
ISIL(いわゆる「イスラム国」)のテロはみていられないが、国内での政策議論は非暴力であり、大いに結構である。大阪都構想について、5月17日に住民投票を行う方向となっており、それに向けて、関西で面白いバトルが展開されている。
橋下市長より藤井教授のほうが分が悪い
筆者は東京生まれ・育ちなので、大阪人の行動スタイルは、言い方が悪いかもしれないがとても興味深い。以前の大阪の地下鉄では、誰も並ばずに、ドアが開くと、アメフットボールでオフェンスとディフェンスがぶつかり合うように、電車から出る人と入る人がぶつかり合う光景に驚いたものだ。最近では、東京のように行儀よく列に並んでいるので、大阪らしさがなく、ちょっと残念だ。
大阪都構想について、これまで刺激的な発言をしてきた内閣官房参与を務める藤井聡・京都大大学院教授に対し、橋下徹・大阪市長は公開討論を申し入れていたが、藤井教授が拒否してしまった。
筆者は両人ともに個人的によく知っているだけに、おおいに公開討論を期待していたが、本当に残念である。藤井教授の言い分は、「権力による言論封殺には屈しません」ということで、自身のサイトに公表されている(http://satoshi-fujii.com/)。
藤井教授は、「討論ではなくケンカの申し入れで一種の脅迫」としているが、テロのように命が取られるわけでないのだから、関西のノリで橋下市長との公開討論がみたいと思っている人が多いだろう。
橋下市長と藤井教授のやりとりは、ネット上でわかるが、いささか両者ともに口が汚かったと思う(関西人なので、これもありかと思う)。ただし、内容について政策論の観点からいえば、正直いって藤井教授のほうの分が悪い。
特に、藤井教授がいう「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」(http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/01/27/fijii/)のうち、財政に関する「事実3:年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します。」と「事実4:流出した2200億円の多くが、大阪市「外」に使われます。」を取り上げてみよう。
「政府」と住民の関係は変わらない
大阪都構想については、大阪都構想特設サイト(http://oneosaka.jp/tokoso/)、大阪府・大阪市特別区設置協議会の開催概要(http://www.city.osaka.lg.jp/toshiseidokaikakushitsu/page/0000207789.html)などに詳細な資料があるので、それらを参照すれば、ほとんどわかる。
なお、筆者は、大阪府知事・大阪市長による府市再編に関する有識者ヒアリング(http://www.city.osaka.lg.jp/toshiseidokaikakushitsu/page/0000239980.html)の第3回(2014年1月28日)に出席して、東京都における都と区の役割分担の意見を述べている(2014年2月3日付け本コラム「橋下市長の辞職・出直し選を機にあらためて問う。「大阪都構想」の何が問題か?」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38258)。また、大阪都構想を実現させるための立法を政策提言したこともある。
まず、大阪都構想は、大阪市の代わりに5つの特別区を作ることだ。それまでは、一人の市長を選挙で選び、その市長が24人の行政区長を任命していたが、5人の特別区長を選挙で選ぶことになる。
行政区とはいえ、大阪市に24区もあるのは、特別区23区しかない東京人からみればちょっとした驚きだ。しかも、大阪に行くと、区長の名前も顔も知らないという。役人行政区長なので、仕方ないのだろうが、公選特別区長が当たり前の東京人からみれば、これも驚きであった。
いずれにしても、こうした市を複数の特別区に置き直すことは、広い意味での政府内組織再編である。広い意味での政府というのは、市を特別区に置き換えても、地方政府であることには変わりない。住民からみれば、市も特別区も地方政府である。しかも、行政区ではない特別区であれば、市と同じ「基礎的自治体」として、地域において重要な役割を果たすことができる。
政府内組織再編であるので、政府と住民との間の関係が変わることはない。これがまず基本である。市から特別区に変わっても、基本的には市民税が特別区民税にかわるだけだ。いずれにしても、府民税+市(区)民税は大阪都構想の直前・直後で同じだ。
藤井教授のいう「税金の流出」は、なさそうだ
行政サービスでは、大阪府と大阪市の枠割り分担が見直され、サービス主体が変わる。東京都の場合でも次のような役割分担が、都と特別区の間である。
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しかし、住民が受けるサービス自体には変化がない。ここでも、府+市民が受ける行政サービスは大阪都構想の直前・直後で同じだ(地下鉄のように民営化があっても、住民が受けるサービスは変わらない)。この役割分担に応じて、府と特別区の間で税金の移転がある。
以上のことからいえば、藤井教授のいう「事実3:年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します。」と「事実4:流出した2200億円の多くが、大阪市「外」に使われます。」には何の意味もない。大阪市から税金が流出しても、その分大阪府が市に代わり行政サービスをするだけだ。このため、住民の税金も、受ける行政サービスも変化がないというのが基本である。
これは、大阪都構想が、広義の政府内組織再編だからだ。ある会社の製品を購入する場合、その会社内で組織再編があり、製造セクションが会社内で変わったとしても、消費者からみれば、同じ製品で同じ価格であるのと同じだ。
ここで、大阪府と大阪市に二重行政がまったくなければ、大阪都構想のメリットは、一人の公選市長から5人の公選特別区長を選び出すという点だけになる。ただし、そうであっても、人口270万に一人の市長より、5人の特別区長のほうが住民の意向は通りやすくなるだろう。その他の点は、政府内組織再編なので、住民には不利益はない。つまり、大阪都構想で住民は悪くならないというわけだ。
大阪府と大阪市に二重行政があれば、上の住民参加のメリットに加えて、財政上のメリットが住民は受けられるようになる。二重行政のムダを省くことによって、行政サービスの水準を落とさずに、必要な予算額を減少させることが出来る。そこで浮いた予算を他の分野に振り向けることによって、同じ税負担であるが、行政サービス水準を向上させることができるのだ。
この点を具体的に考えてみよう。
大阪市立大と大阪府立大
大阪市には大阪市立大学、大阪府には大阪府立大学がある。これは、大阪都構想からみれば、二重行政だ。市が特別区になれば、区立大学はありえない。よって、大阪市立大学と大阪府立大学は統合されて、「新」大阪府立大学になる。その際、直ちにではないだろうが、徐々に、二重部門は統合されていく。
大学の間接管理部門は、遠からず整理・統合されていくだろう。教員もゆっくりであろうが、長い期間をかけて科目統合などが行われるだろう。統合された部門では、外部調達も一本化される。
そうなると、大学の間接管理部門や外部調達の一本化等によって、いずれ不利益を被る人が両大学の内外で出てくる。もちろん、そうした人に個人的な落ち度はないのだが、二重行政によって、住民が余計な税負担をしているのも事実であり、そうした点を長期的に制度改革で直そうというのが、大阪都構想である。
制度が悪いと、知らず知らずのうちに二重行政の既得権者を作ってしまう。個人の段階では悪意がないだけに気の毒であるが、長い目で見てその是正を行うのは政治の責任である。
上で述べた特別区設置協議会サイトにある特別区設置協定書等をみると、府と特別区の役割分担が書かれている。この中で、大学事務の他にも、従来は市の事務が府の事務になるものもある。それは従来の市の事務の12%程度だ。
この分野では、二重行政でなくても、市の職員は仕事が引き続きあるのか不安になり、また外部の取引業者は相手が市から府に代わるので、大阪都構想には消極的になるかもしれない。ただし、二重行政さえなければ、単に看板の掛け替えなので、市の職員も外部の取引業者もそれほど心配することではない。
いずれにしても、大阪都構想は、複数の特別区長を公選する住民参加と二重行政のムダを排除して住民受益を向上させる方向性は間違いない。
これに反対する者は、大阪都構想ではなく現状のほうが住民参加と住民受益を向上させる点で優れているといえるのだろうか。橋下市長は公開討論を厭わないだろうから、どんどんオープンにしたらいい。
橋下市長のツイッター(@t_ishin)や藤井教授のサイト、それに両者のバトルは、これまでにない方法なので、興味深い。最後に繰り返すが、公開討論がないのは本当に残念である。
40歳の日誌 - 箕面市長 倉田哲郎blog
2015年02月08日
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」をマジメに考える
※ 最近、この手の話はツイッターにしてるのですが(特に理由はないです)、
7つもあって分離するとわかりにくくなるので、今回はブログに書くことにしました。
ニュージーランドから帰国してみたら、京都大学教授の藤井聡氏なる人が書いた「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」なるものが盛り上がっていました。
「ヘドロチック」発言ばかり話題になりますが、そもそも「7つの事実」とやらが(僕は“ヘドロチック”のことを知る前に読んだのですが)、正直、どれも「え?」という内容でしたので、以下、順番にコメントしておきます。
【事実1】今回の住民投票で決まっても,「大阪都」にはなりません.
“大阪府の名称は住民投票では変わりませんよ”って話。
・・・これを一番にもってくる時点で、正直、唖然(@_@)としました。
名称なんてどうでもいいのです。
それは5年前に「『大阪“都”構想』をどう思う?」で、僕自身が「自治体呼称としてのネーミングはやはり『大阪府』が好みですが」と書いたとおり。
中身が大事。
それを「事実1」とか言って最初に大々的に主張されてる時点で、学者さんが書く主張として、あまりにアホらしくてビックリしました。
【事実2】今の「都構想」は,要するに「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」ことです.
そのとおり。
問題の本質は、京都府全域(人口255万人)を上回る異常な規模の「大阪市」(267万人)が、狭いのに「大阪府」と縄張り争いするという構造的歪み。
府・市のどっちかが悪いとかじゃなくて、構造が悪い。
その構造問題の解消手法が特別区化。
今も昔も都構想はまったく同じ。
5年前に「『大阪“都”構想』をどう思う?」で書いたとおりです。
なお、府市・都区の仕事の分担(誰が仕事をするか)が変わるだけで、必ずどこかの部署がこれまでどおりの行政サービスをしますから、大阪市民が○○区民になっても不利益はありません。
むしろ○○区役所は(箕面市役所のように)コンパクトで身近なものになります。
【事実3】年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」します.
この不見識には驚きました。
大阪市民も大阪府民でしょう?
住民は、大阪市(区)からでも、大阪府(都)からでも、ちゃんとサービスが充足されるなら、どちらからでもいいはずです。
そして、住民は、民主主義を通じて「市(区)」「府(都)」をコントロールします。
それなのに、今の大阪市の2200億円分のサービスが、どこか大阪市民の手の届かないところへ行って使われてしまうような「流出」という表現。
特別区に権限がないから、大阪市「外」に流出する”という飛躍したロジック。
「都」は大阪市(区)民にはサービスを一切提供しない(区民≠都民)という完全に誤った立場からの説明としか考えられません。
これは、不見識か、作為的か、どちらかとしか言いようがないです。
【事実4】流出した2200億円の多くが,大阪市「外」に使われます.
これは、何回読んでも意味がわかりません。
なにを根拠に言ってるのか、藤井聡氏の書く「都道府県の財政運営の『法的常識』」なるものがいったいなんなのか、誰か教えてほしいです。
・・・というか、京都大学の教授ともあろう人が「7つの“事実”」と称して書くことじゃないでしょう。
だって、文末が「・・・可能性も,十二分以上に考えられるわけです」ですよ。つまり、事実じゃないじゃないですか(笑)。
これはさすがに脇が甘すぎるんじゃないですか。
7つのなかで最もツッコミどころ満載の「事実」でした。
【事実5】特別区の人口比は東京は「7割」,でも大阪では「たった3割」
当たり前です。
密集する都市部では、人口は面積に比例します。
23区の面積は東京都全域の“28%”、大阪市の面積は大阪府全域の“たった12%”ですから、7:3の規模比率もキレイに一致します。
面積が“たった12%”で居住人口も「たった3割」の大阪市に、大阪全域から労働力が流入することで、大阪の経済は支えられています。
従って、藤井聡氏のいう「手厚い行政」は、面積「たった12%」の大阪市域だけでなく、より広域で行われるべきです。
そして、藤井聡氏は “面積12%に重点的に配慮することが大阪のためになる” という考えのようですが、それは違うでしょ。
大阪の場合、富を生み出すエリア(都心)を、いかに12%以上に広げて、関西全体の人たちを受け止めて発展できる都市インフラを構築できるか?を考えなければダメでしょう。
もう少し将来を考えてほしいところです。
【事実6】東京23区の人々は,「東京市」が無いせいで「損」をしています.
最後のほうになるにつれ、無理やり感が高くてイヤになってきます。
「もしも『東京市』だとしたら,東京都心はもっとさらに強烈な集中投資が進んでいる」とか書いてあるんですが、現実的に、これ以上なにを東京都心部に投資しろというんですかね。
要するに “大阪市内に住んでる人だけが得をすればいい” 、 “富が余っても絶対に周辺に投資はしないぞ!” という主張なわけですが、面積12%しかない狭い大阪市だけでどう発展しようというのか?と問いたいです。
【事実7】東京の繁栄は「都」という仕組みのせいでなく,「一極集中」の賜(たまもの)です.
これには驚きました。
・・・これは書くべきじゃなかったと思います。
言うに事欠いて、“大阪は努力せず諦めろ”ってことでしょう?
誰も、行政組織が「都」に再編されたからって、いきなりバラ色になるなんて思ってませんよ。
今までより少しでもマシな仕組みにして、ちょっとでも大阪の停滞を打破しようよって、ささやかな希望だけです。
それなのに藤井聡氏は、
「そもそもの経済規模が全く違うのからなのです」
「人口についても経済規模(GDP)についても,大阪市と東京23区との間には,実に4倍前後のもの巨大な格差があるのです」
「首都東京に,あらゆるモノが一極集中している」
「これが,東京23区の豊かさの秘密です」
などと、一生懸命に東京の凄さを説き、
“大阪には無理だから” 、 “努力しても無理だから” と教えてくださってるようです。
要するに、大阪はどんなに頑張っても無理なんだから、改善する努力すら無意味だから諦めろよ、と。
・・・これはいただけない。
以上、最後のほうは(大阪で政治に携わってる者として)ちょっと腹立たしくなるのが自然だと思います。
万が一、この「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」なる主張に賛同する大阪の政治家がいたら、それは辞めていただいたほうが大阪のためになります。
・・・特に「事実7」の記載はクリティカル。
さて、現在、藤井聡氏は、大阪維新の会からの公開討論の申し入れに対して、
「私の議論のどこが間違っているのか何の指摘もありません。
これでは討論を始めることすらできない。」
と書いています。
正直言って、橋下市長ほか大阪の政治家が、指摘する気すら失せているだろうことは、上記のとおりよくわかります。
・・・それでも誰か書いといたほうがいいかなと思ったので、(僕は大阪維新の会じゃありませんが)大阪都構想に賛同する身として、マジメにコメントしておきました。
是非の議論は大歓迎です。
反論いただけるならどうぞ。
(なお、僕は仕事柄、公開討論などもお受けできますので。)
いずれにせよ、5月17日に向けて、議論が熟す一助となれば幸いです。
posted by 倉田哲郎 at 01:29 | 活動日誌
サルメラ(ツイッターより)
2015年2月01日
@t_ishin 藤井教授のブログ見ました。
1から4は当たり前の話を悪意的に解説してるだけ。
名前なんか、都でもなんでもいいし、
後は否定も肯定もできない話ばかり。
@t_ishin 5については、大阪都構想は東京を反面教師としてマイナーチェンジも施されてる。
そして、それがダメなら、またさらに改善すればいい話。
@t_ishin 6は、認識自体が間違ってる
羽振りが良くなるなんてハナから言ってない
公選区長がワケのわからない金の使い方をしなくなる、と言ってるんだ。
フェスティバルゲートの責任は誰がとった?
UFJは民営化して、大繁盛してるぞ。
これが現実。
@t_ishin そして7は、現状維持派の後ろ向きな、座して死を待つ典型。
↧
武田鉄矢/エロスよりタナトスに向かった
女性殺害:19歳女子名大生逮捕「人を殺してみたかった」
毎日新聞 2015年01月27日<初報> 行方不明の77歳、遺体で発見 住人の女子大生聴取
名古屋市昭和区のアパートの一室で27日午前、女性の遺体が見つかった事件で、愛知県警捜査1課と千種署は同日、このアパートに住む名古屋大学の女子学生(19)が殺害を認めたため、殺人の疑いで緊急逮捕した。遺体は同市千種区春里町2の無職、森外茂子(ともこ)さん(77)と確認された。森さんが女子学生を宗教団体に勧誘し、知り合ったばかりだった。容疑を認め「人を殺してみたかった」と供述しているという。逮捕容疑は昨年12月7日昼ごろ、アパートの1階の自室で、森さんの頭を手おので殴るなどして殺害したとしている。森さんの首にはマフラーが巻き付けられており、県警は女子学生がおので殴った後、首を絞めた可能性があるとみて、28日に司法解剖をして詳しい死因を調べる。県警によると、森さんが帰宅しないことを心配した夫(81)が事件当日夜に千種署に届け出た。捜査員が行方を捜したところ、森さんと最後に会っていた人物として女子学生が浮上。2人は事件当日に近くの宗教施設で会い、その後、2人で女子学生の部屋に向かったとみられる。女子学生は翌日から東北地方の実家に帰省していたが、今月26日夜に名古屋に戻ってきたため、27日朝から同署で事情聴取。その際、部屋を見せることを拒んだため、署員らがアパートまで同行し、森さんの遺体を発見した。部屋は1Kで、森さんは浴室の洗い場に衣服を着たまま倒れていた。頭には殴られたような痕が複数あった。凶器とみられる手おのが室内から見つかり、部屋には複数の血痕が残っていた。女子学生は取り調べに淡々とした様子で応じているといい、県警は詳しい動機を追及する。殺害容疑の女子学生か「ついにやった」ツイート
朝日新聞 1月28日「人を殺してみたかった」――。名古屋市内のアパートで女性(77)を殺害した疑いで逮捕された名古屋大学の19歳の女子大学生は、そう話したという。同級生らは「明るい子」と口をそろえるが、大学生とみられる人物は、ツイッターに「『殺してみたい』人は沢山(たくさん)いる」と投稿。事件があったとされる当日は、「ついにやった。」とつぶやいていた。一方、亡くなった女性の知人らは「優しい人だったのに」「信じられない」と悲しみにくれた。19歳学生を殺人容疑で逮捕 「人を殺してみたかった」
大学生とみられる人物は昨年4月にツイッターを開設。5月12日には「『死にたい』とは思わないけど『死んでみたい』とは考える。『殺したい』人はいないけど『殺してみたい』人は沢山(たくさん)いる。」とつぶやいていた。また、1997年に神戸連続児童殺傷事件を起こした少年(当時)など過去の凶悪事件の犯罪者について取り上げ、「大好き」などと書いた。さらに児童8人が亡くなった2001年6月の大阪教育大付属池田小学校事件の元死刑囚=執行=の誕生日を祝っていたほか、長崎県佐世保市で04年に同級生を殺害したとされる女児に関するメッセージを投稿。また、事件があったとされる昨年12月7日には、「ついにやった。」とツイートしていた。大学生を知る大学の同級生らは「見た目がボーイッシュで、明るい女の子」と口をそろえる。体育会系の部活動に所属し、精力的に活動していたという。「親が破綻(はたん)した。家計が苦しい」。昨年9月ごろ、大学生は、部活の先輩の男子学生(19)に悩みを打ち明けていた。大学生について「明るい性格」とする一方、「変わった言動があった。凶悪犯罪の犯人に興味があると冗談交じりに話し掛けられた」と振り返った。大学生は昨年12月、この男子学生に「大家と(家賃について)交渉しないといけないので、(7日は)部活は休みます」と告げた。その後、「休学が決定しました」「(実家の)東北にいます。次の週には帰れるようにします」とメールで伝えてきた。学生は心配になって何度か電話したが、つながらずに音信不通になっていたという。被害者、熱心に布教活動
亡くなった森外茂子さんはキリスト教系の宗教団体の信者で、熱心に布教活動に取り組んでいたという。近所に住む男性(68)は「穏やかで優しい人。犬を散歩させていると、よく犬をなでてくれた。殺されたなんて信じられない。震えるほど怖い」。男性は森さんに「聖書を読んでみませんか」と誘われたが、「『仏教徒だから』と断るのも心苦しかった」と話していた。森さんと約20年の付き合いがあるという女性信者(60)は「親切で、聖書についてわからないことがあると熱心に教えてくれた」。昨年12月7日の集会に参加した後、行方がわからなくなり、心配していたという。「森さんは集会に20歳くらいの若い女性を連れてきた。皆さんで歓迎して、女性は『来週も来ます』と話していた。森さんは『素直でいいお嬢さん』と言っていた」と話していた。「人を殺してみたかった」 その心理を考える
ノンフィクションライター・藤井誠二
2015.02.09
“少年は先天的な発達障害の一種で、
それゆえに「人の死」へのこだわりがとれず、
一般的に他者が感じる「痛み」に対して共感力が著しく欠落しているという特性や家族環境も手伝い”
またも「人を殺してみたかった」という動機を加害者が口にする事件が愛知県名古屋市で起きた。
加害者は名古屋大学理系学部に通う女子大学生で、被害者は宗教の勧誘に加害者のアパートを訪問した70代の女性だった。
被害者の女性の行方がわからなったという届けを受け、警察が捜査をはじめたところ、被害者が行方不明になる直前にふたりが一緒にいるところが目撃されていたところから、捜査線上に女子大学生が浮かんだ。
女子大学生は自宅アパートで女性を手斧とマフラーを使って殺害し、浴室の洗い場に遺体を放置したまま宮城県の実家に帰省していた。
警察は女子大学生に電話をかけ、任意で名古屋へ戻るように求め、アパートへ同行、殺害から1ヶ月以上経った遺体を発見する。女子大学生は緊急逮捕された。
警察からの電話に対して女子大学生は「名古屋に戻る予定はない」と告げたというから、いったい遺体をどうするつもりだったのか。
私は事件の翌日、取材を続ける朝日新聞記者から情報をもらいながらインタビューを受け、女性のツイッターに書き残した言葉の数々も読んだ。
犯行当日とされる12月7日には「ついにやった。」と書き込んでおり、前々日には「名大出身死刑囚ってまだいないんだよな。」ともある。
女子大学生徒の書き込みには、1997年に神戸で起きた児童連続殺傷事件の加害者(当時14歳)への憧れを示す書き込みも多いが、思えば神戸事件の加害者も「人の死を理解するためには人を殺さなければならない」と供述していた。
名古屋大学の女子大学生は子どもの頃から毒物の研究をおこない、高校時代に男子高校生に毒物を盛り、視力をほとんど失わせたという。「人を殺してみたかった」という動機と精神鑑定
2000年には愛知県豊川市で男子高校生が学校近くの老女を殺した。
2008年には奈良県大和郡山市で17歳の長男が斧とサバイバルナイフで就寝中の父親を襲い、殺害している。
両方の事件とも加害者は「人が死ぬところが見たかった」「人を殺す経験がしてみたかった」と供述している。
さらに、昨年(2014年)3月に長崎県佐世保市で起きた同級生を殺害した女子高校生も同様の動機を語ったとされるのは記憶に新しい。
少女は被害者を「解剖」するように損壊した。少女はかつて農薬を給食に入れたことや、事件直前には父親をバットで襲い、撲殺しようとした。
父親殴打は事件化されなかったが、娘が殺人を犯したあと父親は自殺した。
すべての加害者に共通するのは、罪悪感を持つことができず、淡々と事情聴取に対しては動機めいたことを話し、「反省」を求められても、どう反省をしていいのかわからないことだろう。
私が取材をして単行本『人を殺してみたかった』(双葉文庫)にまとめたのは、2000年の豊川市で起きた事件である。
家裁が採用したのは弁護側がおこなった精神鑑定だ。
少年は先天的な発達障害の一種で、それゆえに「人の死」へのこだわりがとれず、一般的に他者が感じる「痛み」に対して共感力が著しく欠落しているという特性や家族環境も手伝い、「経験殺人(人を殺してみたいという衝動)」を制御することができなくなってしまったというものだ。発達障害は事件の直接的原因ではないが、そのパーソナリティが何らか影響しているのでないかと指摘をしたのだ。家裁は加害少年を医療少年院へ送致した。
その事件以降、同種の10代や20代の若者が引き起こす事件の精神鑑定にはこの先天的な発達障害や行為障害が必ずといっていいほど持ち出されるようになった。
しかし、何らかの発達障害であると精神鑑定をされても、それは殺人を犯したことの説明にはならないとも言える。
たとえば豊川事件は専門家の中でも意見が分かれ、「発達障害」の専門家が発達障害とした精神鑑定を否定することも起きた。
さらに、少年法等でプライバシーを理由に事件の詳細が把握できないことは、こうした事件の議論を深められない原因にもなっている。では、どのように向きあえばいいのか
「人を殺してみたかった」という動機については、精神鑑定に基づく、医学的な解明が進んでいる、とは言い難い。
私は、1昨年亡くなった、犯罪心理学者の小田晋氏が書いた、豊川事件についての「精神鑑定書」を読み直している。
事件は家裁で保護処分が確定したため、この資料は公開はされていない。
私が独自取材で入手したものだ。
その鑑定主文には次のように書かれている。
少し長いが引用する。
《被疑者は知的には優秀で、犯行当時意識障害、幻覚、妄想、思考の障害、痴呆などを呈する精神病の状態は存在せず、抗拒不能の衝動を生むような精神障害も存在しなかった。
被疑者は分裂病質人格傷害または高度の分裂気質者であるとは考えられるが、行為障害、反社会性人格障害には属していない。
いわゆる境界例というのとも異なる。
犯行は、殺人および殺人犯になることを体験したいという願望に基づく「殺人のための殺人」あるいは「退屈からの殺人」が動機というほかはない。
背後には分裂性性格の病的な合理主義、無感動が、思春期における分裂気質特性の前景化と意識下の衝動の亢進が存在したがそれらは精神分裂病気質によって生み出されたものとは言えない。
従って犯行当時被疑者は精神の障害によって、事理を弁識に従って行為する能力を失っていたわけではなく、これが著しく障害された状態にあったということもできない。》
小田氏の見立ては、「被疑者には、特定の病理を認めることはできず、殺人を体験したいという純粋な願望に基づくものと言わざるを得ない」ということだろう。
この視点から学べることは何だろうか。「人を殺してみたい」という言い方はたしかに「病理」的だし、「サイコパス」であろう。
そして、私たちは、「障害」を持ち出してその衝動を、説明されることにより、彼らの理解しがたい動機を「社会と切り離して」理解しようとする。
精神鑑定はもちろん大切である。
しかし、同時に、こう考えることもできるだろう。
少年や少女たちは、普段は鬼畜で野獣のような人間ではなかった。
その、「人を殺してみたかった」という「冷酷な合理性」は、ある意味で、人間がそもそも備えている不条理な部分なのではないか、と。
彼らの言葉を病理の範疇に入れて社会から切り離さないこと。
彼らの悪びれない姿を、心や感情を制御できない様を、真正面から受け止めること。そこから出発し、我々の社会に何ができるかを考えていく。
こうした視点から見えてくるものも、きっとあるはずである。
大切なのは、我々の社会が「人間とはいったいどのような生き物なのか」という問いかけを止めないことであろう。19歳の名古屋大学生 「殺してみたかった」
ワイドナショー 2015年2月3日 より武田鉄矢:病気としてはサイコパスっていう病があるんですけども、アメリカなんかで連続犯罪を起こす人の病なんですけど…この子は、酒鬼薔薇の「誕生日、おめでとう」等などと書いておりますが、私ね、酒鬼薔薇のこと、一時期ね、めちゃくちゃ調べたことあるんですよ。この少年は、性的な目覚めがすごく遅いんですよ。心理学の用語で言うと、エロスの登場がすごく遅いんですよ。エロスとの遭遇が遅い子は『タナトス』(ギリシャ神話の登場する『死そのものを神格化した神)に惹かれるんですよ。エロスが訪れないと、タナトスに魅了されて、死の方によっていく、これが人間の命の一つのあり方です。もう、猥雑たる少年の環境というのがあって、少年はその中で学んでいく。清潔の中では少年は成長できないんです。泥の田んぼの中で稲が育つのと同じで、泥でないと根が張れないのよ。少年の心理っていうのはそういうもんなの。で、酒鬼薔薇っていうのは、ワサビ田のような清流で育った少年で、エロスに遭遇しないまま、タナトスに惹かれていっちゃった。で、人を殺し始めた。順番にであっていかないといけないんです。エロスにもタナトスにも。少年はまずエロスと出会うことで、死を嫌う。死と目を合わせたくなくなるんです。思春期がまさにそうなんですよ。死を遠ざけたがるんです。ところが、思春期にタナトスに惹かれたヤツは、死の方に飲み込まれていくんですよ。男の子がエロ本とか、アイドルを追っかけまわすとか、そういうのをしだすと、お母さん方は安心していいんですよ。順調に危ない橋を渡り始めてるということですから。女の子の場合、この子の場合にも、やっぱり異性への目覚めが非常に遅かったんじゃないのか。だから、逆に勉強に打ち込めて、優秀な成績を収めれてたんじゃないか。ずっと勉強に集中できるわけですから。成績の悪いやつは頭が悪いんじゃないんですよ。松本人志:エロスにいっちゃうんですね。これ何回も言ってるんですけど、「ペヤング」の異物混入じゃないですけど、大量生産でいっぱいつくると、中には異物混入みたいな、そんな子供が出てきても…武田:もちろん、そら当然。まっちゃんも、それを認めちゃおうよ。それ込みでの社会ですから。異物の入ってるやつの気持ちもわかるってヤツがいれば、もう異物じゃなくなるんだよ。東野幸治:その異物の入った人も、世の中で違った道で成功するかもしれないし、武田:これからこの女子大生、ショッキングなことまだまだ喋ると思うけど、たじろぐのはよしましょうよ。。19歳のガキにたじろいで、「怖い世の中になった」なんて怯えるのはよしましょう。我らの特典は悪を恐れず、たじろがない、それが大人の作法だと思うんで。「苦しむ姿に、性的興奮」 自殺サイトで獲物探し
2005/08/06自殺サイトで誘い殺害、36歳男逮捕
大阪府河内長野市の河原で今年2月、豊中市の無職長元美智子さん(当時25歳)が 遺体で発見され、府警捜査1課の河内長野署捜査本部は5日、長元さんとインターネットでメールのやり取りをしていた堺市鴨谷台、人材派遣会社契約社員・前上博容疑者(36)を殺人、死体遺棄容疑で逮捕した。
前上容疑者は昨年12月、自殺サイトに接続してきた長元さんに「一緒に練炭自殺しませんか」とメールを送信。
その後、約20回にわたり、メールで自殺予定場所の写真を送ったり、練炭の購入を依頼したりし、「志願者」を装っていた。
昨年10月以降、別の複数のサイトでも前上容疑者とみられる人物による書き込みが確認されており、府警は他にも殺害対象を探していたとみている。
前上容疑者は計3回、傷害容疑などで逮捕されていた。
調べでは、前上容疑者は自殺するつもりがないのに、サイトで知り合った長元さんを「練炭で自殺しよう」と誘い、2月19日午後10時ごろ、レンタカーの車内で手足を縛ったうえ、両手で口をふさいで窒息死させた疑い。
遺体はスコップで穴を掘って遺棄したという。
前上容疑者は昨年12月から今年2月にかけ、身分証明書不要のインターネットカフェから少なくとも19回、長元さんとメールでやり取りをしていた。
事件直前には長元さんに「メールは消去して」と指示するなど、隠ぺい工作していた。
前上容疑者は「口をふさいだ相手が苦しむ様子に性的興奮を覚えた」と供述。
02年には通行中の中学生ら6人の口を次々とふさいでけがをさせた傷害罪などで懲役10月の判決も受けていた。自殺サイト殺人・前上博が中学3年(14歳)を殺したときに録音した内容
1分12秒 「やめて、やめて、やめて、やめて。なんでこんなことするの!
なんでこんなことするんよ!やめて、やめて、やめて、こんなことやめて!
もう、やめてって!約束が違うじゃない!」
1分30秒 「お願い、だからやめて、やめて、やめて!お願いやから、やめて!
聞いて!だから、信じて!」
2分21秒 「人殺し!」
2分25秒 「人殺し!やめて!人殺しはやめて!」
3分16秒 「すー、ひー、ひゅるるるるるるるるる」
3分50秒 「お願い!ちょっとだけ話聞いて!お願い!」
4分06秒 「なんでこんなことすんの!」
4分56秒 「お願いします!このままの格好でいいから!なんですか!なんですか!
なんでこんなことするんですか!」
6分48秒 「ウー、ウー、わかったから!ちょっと待って!」
8分06秒 「アー、ウー、ウーン・・・・・・」
8分15秒 「もっとしっかり声を出さんかい」
8分20秒 「殺さないで・・・・・・」
11分34秒 「ウォーッ、ウォーッ、ウォーッ」
12分19秒 「南無妙法蓮・・・・・・南無妙法蓮」
13分46秒 「南無妙法蓮・・・・・・ウーウー」
16分49秒 「ブリブリブー」 (脱糞に伴う放屁)
17分24秒 「ハァ、ハァ、ハァ」
22分03秒 「アッ!」
22分27秒 「ハァハァハァハァハァハァ」
23分01秒 「ウッ・・・・・・・ザーーーーーーーーーーーーーーーーーー」自殺サイト連続殺人事件
転載元 オワリナキアクム ~又ハ、捻ジ曲ゲラレタ怒リ~【事件概要】
2005年8月、大阪府堺市の派遣社員・前上博(当時36歳)が、3人の男女を殺害していたことが発覚。
被害者とはいずれも自殺サイトで知り合い、「ネット心中をしよう」ともちかけて落ち合った。
前上は人が窒息する表情を見て興奮するという特殊な性癖の持ち主で、自殺をする気などはなく、自身が満足するためだけに被害者を襲っていた。【自殺志願者殺し】
2005年2月23日、若い女性の遺体が大阪府河内長野市加賀田川の砂防ダム付近で見つかった。
遺体は下着姿で、豊中市の無職・M子さん(25歳)と判明。
M子さんは2月19日から行方がわからなくなっていた。
同年8月5日、同府堺市の人材派遣会社員の前上博(当時36歳)が殺人・死体遺棄の容疑で逮捕された。
M子さんとはある自殺サイトで知り合い、2004年12月から20回近くメールのやりとりをしていたのだという。
そして「練炭で自殺しよう」とM子さんを誘い、2月19日夜に合流。
その際、証拠隠滅のためM子さんにやりとりしていたメールを削除するように求めていた。
レンタカーのライトバンの後部座席でM子さんの手足を縛ったうえで、シンナーを嗅がせたり、鼻と口を手で押さえて数回にわたって苦しませた末、殺害した。
「男でも女でも、口をふさいで苦しむ姿に性的興奮を覚えた。
苦しむ顔が見たかった。
自分は自殺するつもりはなかった」
自宅からは、女性を縛った上で口や鼻を圧迫して窒息させる映像が映った市販のわいせつビデオが多数押収された。
前上はさらに「自殺サイトで知り合い、5月中旬に中学生、6月上旬に若い男性も殺した」と供述。
「大阪府南部の和歌山県境付近の2ヶ所で崖から落とした」と話した。
6日夕、和歌山県との境に近い和泉市の山中で捜索が行われ、神戸市北区の中学3年・X君(14歳)の遺体が発見された。
X君は5月21日に家出、行方がわからなくなっていた。
同月4日にも置手紙を残して家出をしており、岡山県内で保護されていた。
2度目の家出の直前には、「自殺サイトで知り合った大阪の男性と会うことになっている」と携帯メールを友人に送信している。
7日午前には河内長野市加賀田の林道斜面で、近畿大3年の男子学生・Yさん(21歳)の白骨化した遺体が発見される。
Yさんは三重県出身で、東大阪市で1人暮らしをしていたが、6月初め頃にアパートから姿を消して、家族から捜索願が出されていた。
X君とYさんとはやはり同じ自殺サイトで知り合ったのだという。
X君は手足を縛られながらも抵抗し、命乞いをしたが、失神と覚醒を繰り返させて殺害した。
すべての犯行を自供し終えると、前上はこう語った。
「もう、すべて終わらせたい。自分で自分の欲望を止められないのなら、死刑になって、幕引きしたかった」【あの小説の挿絵のように】
前上は1968年生まれ。
4人家族の長男で、父親は元警察官。
大阪府堺市の高校から石川県の金沢工業大学に進んだ(1年で中退)。
性格はおとなしく、近所の人は「目立たなかった」と口をそろえる。
大学生のころ「眠れない」と病院に通ったことがあるという。
地元に戻った前上はタクシー運転手などの職を転々とし、人材派遣会社に就職。
04年5月からはカメラ製造会社に派遣されていた。
ここでの評価も「おとなしい」「真面目」といったものだった。
前上が異常な性癖に目覚めたのは幼稚園の頃である。
郵便局員のかぶった白いヘルメットに性的興奮を覚えた。
(このことは法廷では話さず、面会した東海女子大教授・長谷川博一氏に語った)
前上は中学生の頃、推理小説の挿絵に子供が口を押さえられる様子が描かれているのを見て興奮した。
やがてそうした絵を見て自慰するようになった。
以後、高校を卒業するまでに、薬品を染み込ませたガーゼで近所の児童らの口を押さえ、窒息させるという犯行を何度も繰り返した。
さらに2001年3月から6月にかけて、堺市の路上で通りがかりの女性ら2人にベンジンを染み込ませたタオルを押し当てるという事件を起こし、懲役1年執行猶予3年の有罪判決を受ける。
翌年の4月にも男子中学生の口をふさぐなどして、傷害・暴行罪で懲役10か月の実刑判決を受けた。
警察官だった父親は退職金を慰謝料に充てた。
前上は窒息の表情だけでなく、白いソックスにも異常な執着を示した。
中学生の時、教育実習生がはいていた白いスクールソックスに興奮したのが目覚めだという。
郵便局で働いていた頃(1995年)、白ソックスを履いていた同僚男性に劣情を催し、スタンガンで襲って逮捕された。
この事件では起訴猶予となる。
元警官の父親が一千万円近い示談金を払っていた。
白ソックスについては後に殺害した3人の男女にも履かせていた。
性の対象は高齢者でなければ、男女どちらでも良かったという。
前上は2001年頃から自身のホームページを開設。
主人公が人を窒息死させるという内容の自作の小説を掲載する。
それは偽装工作をして迷宮入りにするものだった。自身をブログで「窒息王」と名乗っていた。
「直美はうめき声を上げながら、必死に首を左右にふろうとして抵抗する。その苦しんでいる姿を眼に焼き付けながら、俺は満足感に浸っていた」
(小説より)
前上は任意聴取の時は否定していたが、復元されたこのサイトをつきつけられると他の2人の殺害を認めたという。
前上は自宅向かいの白いプレハブ小屋で生活をしていた。
ここには大量のビデオテープを保管されており、「観賞部屋」にしていた。
事件発覚直後、
「遺体をカメラなどで撮影し、観賞するため画像を保存していた」
との供述通り、パソコンには被害者が苦しむ様子を記録した画像や音声が「実行記録」として保存されていた。
なお、Yさんを殺害した後もネットカフェで4人目の標的を探して、自殺サイトで知り合った数人とメール交換していた。
【私の分析を】
2006年3月、精神鑑定開始。
同年12月22日、大阪地裁・水島和男裁判長は、事件当時の前上の責任能力について認めた慶応大医学部の作田勉専任講師(司法精神医学)作成の精神鑑定書を証拠採用した。
鑑定書では「性的サディズムや(特定の物にこだわる)フェティシズム、人格障害の混合状態での犯行だった」と指摘、
出廷した作田講師は、「性的衝動による犯行で、行動制御能力はあった」と述べた。
2007年2月20日、検察側は「犯罪史上例をみない凶悪非道な犯行で、極刑がやむを得ないのは火を見るより明らか」と死刑を求刑。
同年3月28日、大阪地裁・水島和男裁判長は「犯行は冷酷で残虐非道。わずか4か月間に3人を殺害するなど結果はあまりに重大。特異な性癖は根深く、改善の可能性は乏しい」として、求刑通り死刑を言い渡した。
同年7月5日、前上は控訴を取り下げ。
死刑が確定した。
同日、前上と接見を続けていた東海学院大教授(臨床心理学)・長谷川博一氏が記者会見し、
「被告から『私を分析して社会に役立てて』と言われた。
犯罪を防ぐため、経験を世に伝えるべきだとも考えているようだ」
と話した。
また長谷川教授に託された手紙は
「私の犯した罪は死をもって償うしかない」
などと書き、年内の執行を求めていた。
そして2009年7月28日、大阪拘置所において、前上の死刑が執行された。
享年40。
≪参考文献≫
文藝春秋 「週刊文春 05年8月25日号」
新人物往来社 「別冊歴史読本 新・殺人百科データファイル」
新潮社 「週刊新潮 05年12月22日号」
ミリオン出版 「別冊ナックルズ 昭和三大事件」
ミリオン出版 「死刑囚のすべて」
ミリオン出版 「殺人現場を歩く2」 蜂巣敦・著 山本真人・写真
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直感的 「健康に生きる方法」
イグ・ノーベル・ドクター新見正則の日常
直感的「健康に生きる方法」
読売新聞 2月13日(1)ともかくリラックスが大切。
(2)ストレスをなるべく減らす。またストレスに強い体と心をつくる。
(3)内臓脂肪面積は100平方センチ未満に。
(4)じとーっと汗をかくような散歩を毎日。
(5)1階上には階段で行こう。
(6)こまめに動く。同じ姿勢は長く続けない。
(7)1日1回はお 腹 なか が鳴るように。
(8)炭水化物は少なめに。
(9)ともかくバランス良く、いろいろなものを食べよう。
(10)冷たいものはあまり食べない。
(11)起きる時間はだいたい一定に。あまり寝坊はしない。
(12)サプリメントは不要、または良いと体感できるものをひとつだけ。
(13)西洋薬はできる限り少なく。でも必要なものはしっかり使う。
(14)たばこはできることなら控える。やめる。
(15)お酒は飲み過ぎない。眠るための飲酒は厳禁。
(16)睡眠薬は使用しない。少なくとも連日は飲まない。
(17)採血や検査の数値に一喜一憂しない。
(18)健康に老化することを心がける。ある程度の老いは受け入れる。
(19)自分は運が良いと、思い込む。
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バレンタインデーを怯れるな
週に1枚アレを食べると、糖尿病リスクが減少する可能性があることが判明
マイナビニュースGoo 2015年2月12日DeNAライフサイエンスはこのほど、バレンタインデーに向けてチョコレートと糖尿病の関係性について明らかにした。東京医科大学とハーバード大学の研究チームによると、チョコレートには糖尿病になるリスクを低減させる効果があるとのことで、栄養学の国際誌であるアメリカン・ジャーナル・オブ・クリニカル・ニュートリション誌のオンライン版にも同研究内容が報告されている。同研究グループは、米国の健康な男性1万8,000人以上のデータを分析し、チョコレートと糖尿病発症についての関係を調査した。その結果、チョコレートを多く食べている人は、全く食べない人と比べて糖尿病のリスクが低くなっていることが判明した。糖尿病リスクを板チョコに換算すると、月に半分~1枚半摂取で7%減、週に半分で14%減、週に1枚で17%減となった。週に板チョコを1枚食べると、糖尿病のリスクが最大で17%も減少できる可能性がある計算になる。ただ、このような効果が見られたのは、65歳以下でBMIが25以下の健康な標準体重の男性だけであったため、注意が必要とのこと。そのほかにも、チョコレートに含まれるカカオ・ポリフェノールは、糖尿病の危険因子となるインスリン抵抗性や酸化ストレス、炎症に対して予防効果があることも報告されているという。同社のアドバイザーの高橋陽子管理栄養士によると、チョコレートはカロリーや脂質が高いため、継続的な食べすぎは肥満のほか脂質異常症や糖尿病などの生活習慣病を引き起こしかねない、としている。「健康効果を期待するのであれば、カカオ含有量の多いものをあくまでも『適量』食べるようにしましょう」とコメントしている。
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『肥満』を知る
体重が増え続ける7つの理由
LiveScience 2011年2月27日肥満は病気である。専門家に言わせると、「肥満」はガンや心臓病と同じように治さなければならない病気だという。もし本当に肥満が病気であるならば、体重が増え続けることを「自分の意志の弱さ」のせいにするのではなく、どうしてそんな病気になったのか専門家に尋ねるべきではないだろうか?なぜ、私たちはそんなに太ってしまったのか?その答えはさまざまだが、専門家の答えを7つご紹介するので、今後のダイエットの参考にしてもらいたい。その1:衛生習慣の向上
摂取するカロリーは一昔前に比べて増加しているが、日常の運動量は年々減少している。これは誰のせいでもなく、現代人のライフスタイルがそうさせている。つまり、誰もが今の社会生活に原因の一端があると思っている。しかし、近い将来、手洗いの励行や過度に殺菌された水や食品こそが、肥満の原因と知らされる可能性がある。なぜなら、ネズミを使った実験から、腸内細菌と食品衛生の新たな関係が発見され、肥満との関連が注目されているからだ。殺菌処理された飲み物や薬などの抗生物質は、カロリー吸収を助け、食欲を増進する腸内細菌を増殖させている。つまり、その腸内細菌の繁殖は、最近の衛生習慣の向上で天敵となる細菌の減少に起因することが濃厚である。つまり、食べる量は一定でも、腸内細菌の力でカロリーの吸収量が以前よりも増加する、素直に喜べない現象が衛生習慣の向上で引き起こされている。その2:あなたの両親
すべての人が現代社会のライフスタイルの犠牲になっているわけではない。痩せている人は存在する。その人たちは、「遺伝子サイコロ投げゲーム」の勝者である。そう説明するのは、コロンビア大学のスーザン・カーネル博士。幸運な遺伝子の持ち主は、他の人が物足りないと感じる量でも満腹感が得られるため、太るまで食べ過ぎるという心配はない。つまり、太っている人は、遺伝子サイコロ投げゲームに敗れた人である。その3:特に母親
新しい研究では、生まれる前の赤ちゃんは、胎内いる時に体重をどう規制するかエピジェネティクス(後成的遺伝)メッセージを受け取ることが判明した。エピジェネティクスとは、遺伝子そのものは変わらないが、遺伝子が生後どのように機能するかについての答えを提供する。ネズミを使った実験では、遺伝子的に同一のネズミ2匹を、太った母ネズミと、そうでないネズミの胎内に入れ、生後も、同じ量の食べものを与えて育てた。すると、太ったネズミの胎内から生まれたネズミは、太ったネズミに成長した。しかし、痩せたネズミの胎内から生まれたネズミは、太らずに成長するという結果となった。どちらのネズミも遺伝的には同一で、高脂肪の餌を同じだけ食べたにも関わらず、肥満度の違いが現れたことは、母親の胎内にいる間に何らかの遺伝子的情報がやり取りされたと考えられている。その4:友達
人は他人と比較して自分自身の体重を評価する。そして太っている人の世界では、より太っていることが優越感に繋がる。肥満の研究者によれば、太っている人は太っている人と仲良くなり、たとえその人が遠くに住んでいても友達関係を維持しようとする。そのような友達を持つことは、体重や食事量に関する基準値を大幅に上昇させ、肥満は個人の問題ではなく社会的かつ生理的現象と思い込み、ますます肥満をエスカレートさせる。その5:車、椅子、ソファ
現代社会は何をするにも便利になった。昔の人は、何をするにも相当量の体力を必要としたが、現代人は様々な場所でエネルギーの節約に成功している。適度な運動は現状の体重維持と適度な食欲をもたらすことには有益だが、食べる量がそのままでは体重を減らすことには繋がらない。現代人が減量に成功するためには、昔の人の運動量とそれを長い期間だけ持続する根気が必要である。その6:ファストフード天国
もしマクドナルドがなければ、私たちはもっと痩せていただろう。これはマクドナルドだけの話ではなく、すべてのファストフードに当てはまる。ファストフードには、脂肪、砂糖、塩がいっぱい入っている。そして手軽で食べやすい食事は、大した満腹感を得ることもなく、いつまでも食べ続けられる。さらに、アルコール、ドラッグと同じように、脳内に恍惚感とも言える刺激を生み出す効果がある。町の至る処にあるファストフード店は、まるで祭りの出店のようである。退屈していたり、ストレスで疲れている現代人を、麻薬のように引きつける。そして、私たち現代人の体は、糖分の消化を滞らせるインスリン抵抗性を発達させてまでも、食べ物天国に迎合している。しかしインスリン抵抗性は、肥満をはじめとして糖尿病や高脂血症などの生活習慣病の原因となっている。その7:食文化の欠如
肥満の原因の三分の二は、遺伝子と環境に原因がある。残りの三分の一は、心理的要因と言われている。ギューギュー詰めのライフスタイルが、私たちを食べ物に向かわせるだけでなく、ストレスや睡眠不足も代謝作用の大きな足かせとなっている。これは米国の食文化、もしくは食文化そのものが存在しないことに原因がある。米国は、他の先進国と比べて、食べる楽しみや食事のマナーを気にかけない。昼食を仕事机で食べたり、通勤中に朝食を済ませたりすることが日常茶飯事である。そんな、食べることを軽視する姿勢が絶え間ない不満足状態を作り出し、肥満の問題を増幅させている。早く食べることは太ることに繋がるが、家族みんなでテーブルを囲んでする食事は肥満のリスクを減少させる。
(文=アダム)
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