高層ビルのレストランで、アメリカから来た老夫妻との食事を終えて、廊下に出ると、雨が降り出していた。
廊下から外を見下ろすと、そこはハチ公広場前の大きなスクランブル交差点で、信号が青になると色とりどりの雨傘がひしめいていた。
老夫妻は足をとめ、じっと窓から見下ろした。
「私たち、こうするのが大好きなの。
日本のことが一番よくわかるから。
雨の日、そしてことに渋谷のような大きな交差点。ほら、あちこちの方向へ動く傘をよく見てごらんなさい。
ぶつかったり、押し合ったりしないでしょ?
バレエの舞台の群舞みたいに、規則正しくゆずり合って滑って行く。
演出家がいるかのように。
これだけの数の傘が集まれば、こんな光景はよそでは決して見られない」
この言葉に、海外に合計15年も住んでいた文筆家の加藤恭子氏は次のような感想を持った。
[内なる「外の眼」(海外生活体験を持つ日本人の眼)を意識している私も、ここまでは気づかなかった。
いつもせかせかと急いでいる私は、「傘の群舞」に眼をとめたことすらなかった。
真の「外の眼」のみが指摘できる特徴だったのだろう。]
日本人には「せかせかとした雑踏」としか見えないスクランブル交差点で入り乱れる傘の群れを、この老夫妻は「規則正しくゆずり合って滑って行く」日本人の姿として捉えていたのである。
加藤氏が編集した『私は日本のここが好き! 外国人54人が語る』には、こうした「外の眼」から見た日本人の様々な姿が描かれている。
そこには我々自身も気づかない自分自身の姿がある。
「スクランブル交差点での傘の群舞」とは、一人ひとりの行きたい方向はそれぞれだが、互いに他の人のことを思いやって、全体として一つの秩序を生み出している日本社会の見事な象徴である。
そこには一人ひとりの自由と、共同体としての秩序が共存している。
我が国ははるか太古の時代に「大和の国」、すなわち「大いなる和の国」と自称した。
アメリカから来た老夫妻が見た「スクランブル交差点での傘の群舞」は、まさにこの国柄が現代にも息づいていることを窺わせる。
「大いなる和の国」が成り立つのは、一人ひとりがすれ違う相手のことを思いやる心を持っているからである。
この思いやりは、日本に来た多くの外国人が感じとっている。
中国から来て日本滞在20年、今では帰化して大学で中国語を教えている姚南(ようなん)さんはこう語っている。
[これは民族性の違いだと思いますが、日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。
例えば、自転車同士がぶつかったときなど、中国ならすぐ相手の責任を求めますが、日本ではどちらが悪いという事実関係より、まず、お互いに「すみません」と謝ります。
その光景は見ていてとても勉強になります。
日本人は他人の生活に干渉しません。
ですから、うわべの付き合いのように見える関係は、多くの中国人が偽善と感じるものです。
でもそれは、「自分の主張を人に強制して受け入れてもらう必要はなく、干渉せず、お互いに好意を持って付き合い、人が困ったときに助けてあげれば良い」という考え方からきているんだなと、わかってきました。]
お互いの自由な生活を尊重しつつ、困った時には助けてあげるのが、「大いなる和の国」の流儀である。
北アフリカのチュニジアから来た学生のアシュラフ・ヘンタティさんは、まだ滞在1年未満だが、こんな体験をしている。
[僕はまだ日本に慣れていなくて、日常生活でも、日本語でも、悪戦苦闘の日々なのですが、いろんな場面で、皆さんが「がんばって」「がんばってください」「がんばってね」と声を掛けて下さいます。
実は初め驚いたのです。
よその国では、そういう経験があまりないからです。
日本では乗り物などでマゴマゴとまどっていたりすると、周りの方の「がんばれー」光線を感じます。
身も知らぬ僕のためにハラハラと心配してくれているのですよね。
例えば、これがフランスなどですと、むしろ冷たい視線を受けてしまいます。
自分の権利やふるまいには自信や主張を強く持っていますが、他人にはかなり冷たいところのある国ですから。
逆に日本は、僕のようにあまり深いつきあいのない外国人であっても、そんな風に誰もが励ましのエールをくれます。
温かいなあと感じます。
「がんばって」と身近な皆さんに言われて、それがプレッシャーだった時もあるのです。
こんなにがんばっているのに、自分はそんなにがんばっていないように見えるのだろうか、と。
今は、その言葉が励ましの意味だけでなく、むしろ「見守っていますよ」という温かい気持ちの代わりの言葉なのだと解って来ました。]
こうした流儀で、「大いなる和の国」には平和が保たれている。
それは争いの続く国から来た人々にとっては、望んでも得られないものだ。
インドから来て在日経験通算5年のモハマド・ラフィさんは、こう語っている。
[日本の人たちは、自分たちの国をとても大切にしていると思います。
自分の国を汚くすることがない。
私はそれを尊敬しています。
公共の場所や道路を散らかさない、という意味だけではなく、政治的な問題や社会的な問題が起こったときなどにも暴動を起こして建物を壊したり火を放ったりしないし、ストライキで国中が混乱状態になってしまうような事態も起こりません。
それは大変珍しいことです。]
「大いなる和の国」に存在する「恩や義理人情」の「美徳」を、日系ペルー人のカトリック神父で、戦後の日本で貧民救済事業にあたっていた加藤マヌエルさんは指摘する。
[日本人が持っている「美徳」の一つは、「恩や義理人情」です。
通算13年ほどの滞在期間中、私は私にできる限りの援助をその当時困っていた方々にしていたのですが、今はその人たちに助けられています。
帰国後、私がペルーでストリート・チルドレンのためのホームや診療所、そして日系人専用の老人ホームを建設する事業に関わってからは、その支援を仰ぐために毎年2カ月ほど来日するようになりました。
・・・
昔、私が行ったほんの小さな好意に、今でも感謝の気持ちを持っていて下さる方々。
私が十年間ほど援助したことのある日本人は、その額とは比較にならない何千倍もの額を、今までに援助して下さいました。
・・・
他の国からも、慈善事業としての援助はいただきましたが、日本人から感じるような「恩や義理人情」は、少なくとも私が関わった西洋人にはあまりないように思いますね。
「人情」とは他者への思いやりの心、
「恩」とは他者から受けた思いやりに対する感謝の心、
そして「義理」とはその恩をお返ししなければ、という心。
こういう心を一人ひとりが豊かに持っているからこそ、お互いに助け合う「大いなる和の国」が維持されてきたのである。
「大いなる和の国」に住むのは、生者ばかりではない。
中国から来て、滞在17年にもなる作家・毛丹青はこんな美しい光景を見た。
[中国では人が亡くなると町の外に埋葬しに行きます。
北京で有名なのは八宝山ですが、市内からかなり離れていますね。
ところが日本では墓地が街の至る所にある。
もっと不思議なのは、お寺の裏に墓地があって、隣に幼稚園があったりするんです。
黄昏の夕日が墓地に射して、その美しい光の中で幼稚園の子どもたちが鬼ごっこをして夢中で遊んでいる。
死者と生者がむつみあうようなのどかさ。
亡くなった人たちは子どもたちの無邪気に遊ぶ姿を見て幸せだったんじゃないか、そこには死者と生者の会話があったんじゃないか、と思いましたね。
現代の中国ではありえない光景です。
子どもの時からそういう体験をすると、死生観や生命に対する考え方が違ってくるでしょうね。]
インドで生まれた仏教では、魂は他の人間か動物かに生まれ変わる「輪廻転生」を続けるか、解脱をして浄土に行ってしまう。
家としての血のつながりを重視する中国では、そんな個人主義的な死生観は受けつけられず、一族の長の家に宗廟という建物を建て、そこで先祖祭祀を行った。
それが日本に入ると、死者と生者の関係はさらに近いものとなり、各家に仏壇を置く、という日本独自の習慣となった。
日本のご先祖様は子孫を見捨てて、勝手に西方浄土に行ってしまったりしない。
いつも「草場の陰」で子孫を温かく見守ってくれているのだ。
だから、お寺の墓地の隣に幼稚園があるのも、ごく自然なのである。
死者を身近に感ずる所から、その気持ちを裏切っては「ご先祖様に申し訳ない」という感覚が出てくる。
我が国には創業百年以上の老舗企業が10万社以上あるという、世界でも群を抜く「老舗企業大国」であるのも、こういう死生観からであろう。
「大いなる和の国」では、死者と生者が睦み合って、幸せに繁栄しているのである。
冒頭に登場したアメリカからの老夫婦は、「少年の犯罪率が高くなった」などと語る加藤恭子氏に、こう答えた。
「率のことはわからないわ。
だけど私たちは日本にくると、全体が一つの大きな家族のような場所に来たと感じるの」
路上には、異様な風体の少年少女たとがすわりこんでいる。
加藤さんは眼で彼らを示しながら、「あの若者たちも、『家族』の一員なの?」と訊ねた。
「そう、ちょっと異分子かもしれないけれど、彼らも一員よ。
私は見守っていますよ、というような大きなジャスチャーは日本人はしない。
でも、それぞれがさり気なく見ているの。
家族って、そうでしょ。
その安心感があるから、彼らも地面にすわっているのよ」
確かに、地面に座っている子どもたちが、強盗に襲われたり、暴力を振るわれたりする社会なら、彼らもこんな真似はできまい。
「大いなる和の国」とは、一つの家族のように、互いの自由を尊重しながら、必要な時に支え合ったり、その恩返しをしたりする共同体である。
世界の多くの国民国家は、多かれ少なかれ、こうした家族的側面を持っている。
北欧諸国やタイなどはその模範的な存在である。
その中でも、我が国はもっとも理想に近い国民国家と言えよう。
スイスから来て滞在10年のビジネスマン、ウルフガング・アンベールドローさんは、こうアドバイスしている。
[今日のグローバル社会において、日本は、他の世界と共有するものをたくさん持っているという事実にもっと気がつくべきだと思います。]
ここで紹介した人々が共感した「大いなる和の国」の光景は、まさに「幸福な国民国家のあり方」として、他の世界と共有しうる理想であろう。
この理想は、聖徳太子が「和を以て貴しとなす」として、十七条憲法の冒頭に掲げられたものである。
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日本人は、こうだ。
システムは、邪魔するが(王を守ろうとするが)、
国民性は、そんなこだわりより、
新記録を目指す人間が誰であれ、『ガンバレ!』だ。
で…
2011 10 21.中国で起きた2歳の幼児ひき逃げ事件はご存じだろうか。バンが2歳の幼児をひいて更に後輪でも2度ひくという酷すぎる事件。このひかれた幼児は助かるまでに18人以上もの人に無視され続け、ようやく発見されたおばさんが路肩に移動させるというもの。女児が体から大量の血を流しているのに通行人は無視をし続けるというこの事件は一部始終が監視カメラに撮影されており映像が『YouTube』でも公開されている。その同映像はニュース番組でも放送され中国内で大きな波紋を呼んでいる。
この事件の犯人はひき逃げ犯として捕らえられたが、何故2回もひいたのだろうか?その真相をロイターが突き止めたところ驚くべき回答が帰ってきた。「ひき殺した場合は1500ドル払えば済む話だが、生きていたら最低でもその10倍の金額を支払わなければいけない(一部要約)」と答えている。つまり払う罰金が勿体なくて2回ひいたとしている。
この女児は瀕死の状態で病院に運び込まれたが、死亡してしまった。中国では両親が泣く場面も放送され多くの人が同情している。この車だけでなく後続からきたトラックも同様にひいていることも驚きだ。この19人目に目撃し女児を助けたおばさんは企業から120万円の報酬金が送られたという。国も報酬金を出したがそちらは断ったという。
しかし、この報酬金目当てで自作自演が横行するのではというネットユーザーの意見も飛び交っている。……
先日、中国広東省で2才児が車にひき逃げされたあと18人が見て見ぬふり、結果2度車にひかれることになったという痛ましい事件が起きた。19人目に現れた女性が道路でぐったりしている女の子を助け、女の子はやっと病院に運ばれた。彼女はその行為から有名人になったのだが、なんとその後「有名になりたかったから助けたんじゃないか」と心ない市民から非難されていることがわかった。ひどい中傷を受けたのは陳賢妹(ちん けんめい)さん(58才)。2度ひき逃げにあい血まみれになっていた女の子を救助した女性だ。事件が事件だけに彼女は一躍有名人に。連日報道されていることはもちろん中国版Wikipedia「百度百科」にもページができてしまうほどだ。だが、その状況が面白くなかったのか、一部の心無い市民から「売名行為だ」「有名になりたかったからやったんだろう」と激しく非難されていることがわかった。陳さんの家族も「正しいことをするのがそんなにいけないことなのか」と心を痛めている。陳さんによると、彼女は読み書きができず電話も一人ではかけられないそうだ。倒れていた女の子を道路の脇に寄せ、周囲に救急車を呼んでくれるようを願い出たが、誰も応じなかったとのこと。やっとの思いで女の子の両親を見つけ、救急車を呼んだとのことである。非難されるべきは陳さんでなく、ひき逃げ犯と素通りしていった18人、そして陳さんの要請を無視していた人々ではなかろうか。
ネットユーザーからは「人の善意をそんな風に言うなんてひどすぎる」
「中国の恥、彼女がいなかったら中国社会はもっと恥をさらしただけだ」
「やっかんでるんだろう。そんなに有名になりたければ人助けをすればいいじゃないか」
「私は陳さんを尊敬します」などとコメントしている。
また陳さんは「私が稼いだお金ではないから」と、政府からの感謝状と報奨金2万元を辞退。この行為にもネットユーザーたち「いい人はどこまでもいい人だ」と感心しているそうだ。「もしすぐに救急車を呼んでいれば……」「陳さんを非難するのは筋違いだ」と中国社会も改めて憤りをあらわにしている。