“浪花の視聴率男”やしきたかじんさん死去 食道がんで休養中
産経新聞
歯に衣着せぬ発言で関西を中心に活躍した人気タレントのやしきたかじんさんが死去した。食道がん治療から一時復帰したが、体調不良で再び休養していた。
歌手やテレビ司会者として人気のタレント、やしきたかじん(本名・家鋪隆仁=やしき・たかじん)さんが死去していたことが7日、わかった。64歳だった。昨年3月、食道がんの治療に伴う休養から1年2カ月ぶりに復帰したが、その後再び体調不良を理由に休養していた。やしきさんは、京都を拠点にシンガーソングライターとして活動を開始し、昭和51年に「ゆめいらんかね」などでデビュー。59年の「あんた」、61年の「やっぱ好きやねん」がヒット、脚光を浴びた。また、機転の速さと歯に衣きせぬ発言からテレビやラジオ番組で活躍。出演番組はいずれも注目が高くなることから“浪花の視聴率男“の異名をとった。現在も関西テレビ系「たかじん胸いっぱい」、読売テレビ系「たかじんのそこまで言って委員会」、テレビ大阪系「たかじんNOマネー」のレギュラー番組を持つ。一方で、一般社団法人「OSAKAあかるクラブ」の理事長として大阪復権へ向けた支援活動に携わったほか、橋下徹大阪市長の相談相手としても知られていた。やしきさんは、一昨年1月に食道がんの診断を受け、同月末からすべての芸能活動を休止。4月に内視鏡手術を受け、昨年3月に芸能活動を再開したが、5月に体調不良を訴え、再び休養に入っていた。北新地での“武勇伝”数知れず
一度は東京へ進出しながら挫折した経緯などから、「東京の番組には二度と出ない」と豪語。自身の出演番組は東京へネットさせない徹底ぶりで、東京への対抗意識をあからさまにする「大阪人」のキャラクターは際立っていた。一方で、民間団体「OSAKAあかるクラブ」の理事長として大阪復権へ向けた草の根活動にも尽力。橋下徹大阪市長の相談相手としても知られ、平成19年、橋下氏の大阪府知事選出馬に際しては「今しかない。行け」と背中を押した。私生活ではワイン好きで「3回生まれ変わるぐらい遊びました」。闘病前は大阪・北新地などへ連日繰り出し、豪快さを示すエピソードにも事欠かなかった。平成24年1月末、食道がんのため休養を発表。昨年3月には芸能活動を再開したが、体調を崩して5月から再び休養。その後復帰を目指して闘病を続け、秋には療養を支えた女性と自身3度目の結婚をしたが、願いはかなわなかった。
私の中では、松田優作が死んだことを知ったときくらい、衝撃だ。