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ニッポン・ブランドの真髄は、『ユルさ』/日下公人

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『日本と世界はこうなる』 

日本のインテリ層は、近代化の本家のイギリス人やフランス人が日本を褒めるのはうれしいから、それを紹介しているが、彼らが東洋礼賛をするときの深刻な心の中の亀裂についてまでは、想像力がおよばない。
 
それは、日本人がキリスト教を知らないことが大きい。
西洋人がキリスト教離れをするにあたって、どんなに苦しんでいるかが想像できない。
彼らがキリスト教離れすると、思想や社会や科学の根底に亀裂が走って、その結果は少しづつ日本に似てくる。
これはこちらから見れば当然で、べつに特筆すべきことではないが、彼らにとっては受け入れ難い変化である。
 
しかし、そうしたことが知らず知らずのうちに世界を動かし始めた。
世界は日本化を始めている。それがポスト・モダンの正体である。
 
「ニッポン」がそのままブランドになるのが、ポスト・モダンの時代である。
 
「邪魔くさい」という精神は尊い精神である。
「もっと邪魔くさがれ」ということになる。これは健全なる庶民の感覚であろう。
近代は進歩せよ、向上せよ、努力せよ、もっと頭をつかえ、もっと豊かになれ、という時代だが、その結果については何もいっていない。
不合理だった中世の時代からの脱出だけが願いの人たちが考えたことである。
あるいは、中世を不合理と感じた人たちが考えたことである。
 
それを日本人は心得ているから、植民地化を免れるための富国強兵はしたが、それ以上の努力はしない。
すぐに「柳は緑、花は紅」にもどってしまう。
いまも同じである。
日本人は伝統的に、このような精神を受け継いできている。
 
ということで、日本人の心は近代化の推進よりポスト近代化の時代にマッチしている。
 
アメリカには長らく奴隷制があった。
ギリシャ・ローマの文明は奴隷制のうえにたっていたからに違いない。
ヨーロッパ諸国は「脱ローマ」の過程で奴隷制を廃止して農奴制になり、また自営農民をつくったが、アメリカにはその歴史がない。
などなど、アメリカは古代のうえに突如近代を継ぎ足したような珍しい国で、その点は中国とよく似ている。

世界の国は大体が三階建てか四階建てで、古代・中世・近代と現代が積みあがっているが、なかにはどれかが欠落した国がある。
いや、ほとんどの国は欠落だらけで全部そろっている国は日本しかない。
それを書けば、面白くて大分な本になるが、そういう基礎知識を持ったうえでこれからの国際関係や同盟づくりを考えてもらいたいものである。
 
アメリカの強みは、何が残っているか。
ミリタリー、それが一番で、二番はマネー、
それから三番目はメディア、新聞、テレビ、通信社、アメリカが抑えてアメリカに都合のいいような報道ばかり流している。
こんなアホな報道を金出して買う国がある。
 
こういうミリタリーとマネーとメディアはいまも世界一である。
しかし、無いのはモラルで道徳がない。
モラルがなければ、あとは全部がやがて悪くなる。
現に悪くなった。
それは自助努力をしない、自己責任を取らない、国家に助けを求める、国家は票が欲しくて甘い顔をするから大赤字。何もかも大赤字の国になった。
 
その結果、社会としては中流・中産階級がどんどん没落した。
この人達が健全な道徳を持っていたのである。
例えば家族主義、例えば愛国心、例えば勤勉の精神、これが怪しくなってきた。
 
ケインズは景気刺激策として、通貨の増発と公共事業の拡大をいったが、昔は効いてもいまは効かない。
中流・通算階級がない社会では金をばら撒いてもだめなのである。

というような大きな250年間がいま終わったことを、政治家は全然分かっていない。
マスコミの人も全然分かっていない。
大学教授も分かっていない。
相変わらず景気刺激をせよなどといっている。

アメリカのモラル、礼儀が回復する方向に向かう。
つまり、莫大な赤字によってアメリカ人のモラルが回復する。
ある大阪商人の息子が礼儀知らずで、言葉使いをしらないというとき、その父親は、「大丈夫だ。赤字になって金策に歩くようになれば人間は自然に礼儀正しくなる」と答えたようなものである。
 
日本人は、金がなくても豊かに暮らす伝統を暗黙知として身に着けている。
だから、近代が終わって物質的な贅沢追求の時代が終わっても、動揺しないのである。
 
ところが、近代に毒された人たちは、これまでの250年間の延長でものごとを見るから、「どうすれば景気が良くなるか」「どうすればGDPがたかくなるか」と悩む。
 
経済を国家のレベルで論ずるのは古くからの流行である。
個人のレベルで考えることの必要性が高い時代が到来しているのに、それができない人がまだ紙面や画面を占領しているからマスコミは赤字になった。
 
私がいいたいのは、「ちゃんとした日本の庶民は、昔も今もいるから、アメリカかぶれの人はもう引っ込め」ということである。
「250年間ご苦労さまでした。でも、いい加減に引っ込みなさい」
「一般の二宮尊徳的な庶民のほうがよっぽど賢い。世界がそちらを尊敬する時代が、もう来ています。あと、2,3年ではっきりしますよ」
といいたい。
 
世界を二つに分けて考えるなら、「自分で働く国」と「他人を働かせて略奪する国」の二分類がよい。
前者に景気回復はあるが、後者に景気回復はない。
したがって景気刺激策もない。
 
キリスト教には、神の教えを広めるという布教活動があるので、欧米にはもともとそういう考えがあるが、日本人には、あまりディフュージョンという考え方がない。
日本人は単に宣伝とかおすすめだと思っているが、彼らはもっと押しつけがましことを考えている。
「神の教えをあなたに教えてあげます」
「あなたは救われます」を本気で思っていた時代をまだ続けているのだから、強敵と思ってお相手をしなくてはいけない。
 
中国では同じことを「解放」といっている。
解放のためには解放戦争をしてもよいと思っていて、すべてはその準備工作だから隣国は大変なのである。
 
徳川将軍は武士の荒っぽい気性を治して、「少し落ち着け」と囲碁・将棋を奨励した。
日本お大企業は労働組合運動鎮静化のために、会社の中に文化部をつくり、碁、将棋、お茶、生け花などの先生を呼んできた。
だから、組合がおとなしくなったら、お呼びがかからなくなったのです。
あながち不景気や経費削減のためばかりではない。
 
中国は、日本人のものさしでは測ることができないところがある。
「まさかそんなことを人間がするはずがないだろう」
と思うようなことが行われる。
 
文化大革命のとき殺した反革命分子の死体2千万人か3千万人かを、毛沢東が、「畑に埋めれば肥料になる」といったのでそうしたという話がある。
 
毛沢東が死んで華国鋒政権になったばかりのとき、中国を案内してくれた人に、「農村部を何百キロも自動車で走ったが、墓が全然ないのはなぜだ」と質問したことがある。
もちろん答えはなかったが、そのとき、深く沈んだ表情が忘れられない。
そんなこともあり得ると思わせる国民性や国情なのである。
 
「日本人の親切な心が少しは通じたのかな」と思っていたが、やがて5年、10年経ってみると、何も通じていないことが分かった。
「私はその問題について、勝手にやっているのだろうと思っていた」ありがたいから、それは受けたが、だからと言って感謝するという心は中国人にはない。
 
「いろいろ恵んでもらってありがたいから、明日もとことんもらってやれという気持ちで私は2年3年と暮らしました」
 
「だんだんと日本語もできるようになって、なぜこんなに私に親切にしてくれるのですかと聞いたとき、びっくり仰天しました。昔、日本は中国に悪いことをしたから、お返ししているんだといわれた。一人だけかと思ったら、みなそういう」。
 
こういう考えは中国人には全く分からない。
国家対国家の関係が、なぜ個人対個人の関係になるのか、中国人にとって国家と個人は全然別である。
「国家が悪いことをしたから、私があなた個人に晩飯をおごる」とは「それは一体なんだ、この人は気違いか」となる。
 
「こういうのが10年続きまして、やっと今頃わかりました」という。
「なんですか」、
「日本人は、何も考えていないということが分かりました」
「正しい、日本人は計算しない、何も考えず、気の毒な人を見たら何かしてあげる。その何も考えない親切というのを、これから、考えなさい」といいながら、
「あ、これでは一千年間ダメだ」と思った。
しかし、そうはいいながらも、「ま、10年くらいでぽつぽつうまくいくんじゃないか」とも思っている。
相当辛抱のいる話なのである。
 
この話の結論は、日本人だけは飛び抜けて道徳が高い、という話になる。
飛び抜けているから、外国人にはそれが分からない。
アメリカ人も分からない。
わずかにわかってくれるのは、フランス人、イギリス人、ドイツ人、半分わかるのはイタリア人ぐらいで、あとは絶望的である。
 
だから孤立する、元々孤立しているのである。
飛び抜けて我々は程度が高いのである。
 
彼らはだんだん分かってきて、「日本は素晴らし国だ」という人もいる。



『こんなにすごい日本人のちから』 


日本の文化がトップなのは、外国に侵略されることがなく、イデオロギーの強制を受けず、自ら好きな物を好きなだけ受け入れ咀嚼して、創造的に文化が発展してきたからである。
フランスの印象派の画家達は、日本の絵画に宗教のしばりがなく、自由に思うままに描かれていることに衝撃を受けた。

その(日露戦争~第2次大戦)結果、白人支配の世界が終わって、有色人種はそれぞれ自分の国が持てるようになった。
こんな大変化はない。
白人にとってもこんな大事件は他にない。
まずは「人種不平等」の常識を捨てさせられ、さらに「植民地搾取」の利益を失った。
日本が憎らしくて当然だが、それを口に出してはいえないほどの理想的な人種平等世界がいまは完成してしまった。
日本では常識の人種平等が世界の常識になってしまったからで、
これは日本の “完全勝利” である。
日露戦争のとき軍事力で勝ち、その後、精神でも勝って、世界を根本から変えたのである。
しかし、日本人はそれをいわない。
自存自衛のため当然のことをしただけと思っている。
そもそも人種差別意識がないから、人種平等に貢献したという自覚がない。
だから日露戦争の世界史的な意味が分からない。
白人達の心の中の悔しさを想像する力もない。
あってもそんな次元の低いことには深入りしない。

日本とイラクの関係について、
日本の “協働力” の精神が問われている。

日本は確かに「国内の相互協働力」では世界最高のものを完成したが、それをそのまま海外にも適用しようとするのは幼児的である。
相手をスポイルする恐れがある。
イラクの宗教家は、日本と交際するとその危険があると肌で感じて帰ったように思う。

「日本人は親切すぎる。幼児的である。それが今後イラク人に伝染するのではないか。

日本人はもっと崇高で偉大な精神を何か語らねばならない。
それが、いま必要な「国際的協働」である。




『独走する日本』 


「コンプライアンス」は、「法令遵守」という日本語になっているのだけれど、
ほんとうにアメリカ人がそんな意味でつかっているのかどうか。
コンプライアンスを字引で引くと「黙従」「従順」と書いてある。
「周りからの声に無気力に追従する」という意味である。
その次には「卑屈」と書いてある。
そこまで行ってしまう。
だからアメリカ人同士で「コンプライアンス」などとは、普通は言わない。
対等な相手に使う言葉ではない。
はっきり自分より下部にある組織か、札付きの悪い会社に向かって言う言葉である。
アメリカは日本に対してコンプライアンスと言うが、それは日本は生意気だという意味である。
「アメリカの言うことは聞け」というのを上品に言っているだけである。

靖国神社については中国側の思想を研究しなくてはならない。
中国は根本的に非常に現実的である。
だから中国に向かって「金ばかりだ、口ばかりだ。約束を守らない、信用できない」と日本人は思っているが、これを遠慮して言わない。
しかし、言っても中国人は怒らない(笑)。
日本人は理想主義者で、現実主義者より理想主義者のほうが上だと思い込んでいる。
ところが中国人は、現実主義のほうが上だと思っている。
理想主義者は謀略にかかった阿保だと思っている。
だから日本人が向こうに行って清らかなことや高尚なことを言うと、向こうは「おお、そうだ。よくぞ騙されてくれた。日本は阿呆だ。謀略は成功した」と思う。

知っておかなければならないことは、世界の多くの国は、実は国内に問題を抱えている。
国内政治が文明化している国は、外に対しても穏やかである。
それが日本である。
ほとんど日本しかないのではないか。
あとの国は国内が野蛮で、トラブルが絶えなくて、それを外へ輸出する。

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