「す・またん」(8月25日)辛坊治郎:一昨日の産経新聞なんですが、これはですね、福島第一原発で爆発が起きたあと、あそこで何が起きたのか、政府事故調というのがつくられたんです。実は事故調というのは、「政府」「国会」「民間」と3つあるんですが、「国会」「民間」は公開されてるんですが、「政府事故調」に関しては、結論に至る道筋は一切公開されてなかったんです。吉田さんに、実はですね、事故の起きた年の7月から11月にかけて13回、延べ27時間、延々と話を聞いた、A4判で約400ページの「吉田調書」というのがあるわけなんですが、これ公開されてなかったのを朝日新聞が5月20日にですね朝日新聞にバーンと「吉田調書入手 あの時、福島第一原発から吉田所長の指示に反し600人が逃げ出してた」という、そういう内容のものを書いたわけです。これが世界に伝わって、「なーんだ。あんだけカッコイイこと言ってたけど、福島第一で所長の意に反して600人も逃げ出してたんだ」「韓国のセウォル号と変わんねーな」ってなったんだけど、先週に産経新聞が吉田調書を別のルートから入手して読んでみたら、そんなこと書いてないと。吉田さんはそんなこと言ってないと。あれは私に指示で避難させたんだと。どっちが言ってるのがホントなんだという議論になってるんで、政府は、本来は事故調の調査書っていうのは出さないもんなんだけど、出しましょうと。でも、これ、もし朝日新聞がこの調書の名前を使って嘘の記事を書いたんだとしたら大問題なんだけど、実際に読むとですね、確かにニュアンスは、微妙って言えば微妙なんだけど、産経新聞の言ってるほうが正しいんだけど、一部だけを取り出せば、朝日の見出しもできなくはないっていうね、まあ、これ現物を見て皆さん判断したほうがいいんじゃないかっていう気はします。産経新聞吉田所長
東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏は政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)に対し「全面撤退」を否定するなど現場の状況を詳細に説明した。
「撤退なんて言葉、使うわけがない」
「アホみたいな国のアホみたいな政治家」聴取内容を10回に分けて詳報する。1回目は吉田氏の菅直人元首相に対する評価を中心にまとめた。質問者は事故調の調査委員。
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〈菅首相は事故発生翌日の平成23年3月12日午前7時11分に福島第1原発を視察に訪れた〉--いつごろ首相が来られるという話になったのか吉田氏「時間の記憶がほとんどないんです。(午前)6時前後とかには来るよ、という情報が入ってきたんだろうなという」--何のために来ると吉田氏「知りません」--首相は所長に対し何を話したのか吉田氏「かなり厳しい口調で、どういう状況だということを聞かれたので制御が効かない状況ですと。津波で電源が全部水没して効かないですという話をしたら、何でそんなことで原子炉がこんなことになるんだということを班目(まだらめ)(春樹原子力安全委員長)先生に質問したりとか」--いかに現場が厳しい状況か説明したのか吉田氏「十分説明できたとは思っていません。自由発言できる雰囲気じゃないですから」--現場に近い状況が壁一枚向こうにあるが、首相は激励に行かれてないか吉田氏「はい」--中を(視察・激励しに行かなかったのか)吉田氏「全く、こう来て、座って帰られましたから」〈菅氏は3月15日午前5時半ごろ東電本店の非常災害対策室に入った〉--何をしに来られていたんですか吉田氏「何か知らないですけれども、えらい怒ってらしたということです」〈菅氏は「撤退したら東電は百パーセント潰れる」と発言〉吉田氏「ほとんどわからないですけども、気分悪かったことだけ覚えていますから、そういうモードでしゃべっていらしたんでしょう。そのうちに、こんな大人数で話をするために来たんじゃない、場所変えろとか何か喚(わめ)いていらっしゃるうちに、この事象になってしまった」〈事象とは2号機の格納容器の圧力抑制室の圧力計が下がり、4号機の原子炉建屋が爆発したこと〉--テレビ会議の向こうでやっているうちに吉田氏「そうそう。ですから本店とのやりとりで退避させますよと。放射能が出てくる可能性が高いので一回、2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配させたんです」--細野(豪志首相補佐官)さんなりに、危険な状態で撤退ということも(伝えてあったのか)吉田氏「全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然操作する人間は残すけども、関係ない人間はさせますからといっただけです」--15日午前に2Fに退避した人たちが帰ってくる吉田氏「本当は私、2Fに行けとは言ってないんですよ。車を用意しておけという話をしたら、伝言した人間は運転手に福島第2に行けという指示をしたんです。私は福島第1の近辺で線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fにいってしまったというんでしようがないなと。2Fに着いたあと、まずGM(グループマネジャー)クラスは帰ってきてということになったわけです」--所長の頭の中では1F(第1原発)周辺でと吉田氏「線量が落ち着いたところで一回退避してくれというつもりでいったんですが、考えてみればみんな全面マスクしているわけです。何時間も退避していて死んでしまう。よく考えれば2Fに行ったほうがはるかに正しい」--退避をめぐっては報道でもごちゃごちゃと吉田氏「逃げていないではないか、逃げたんだったら言えと。本店だとか官邸でくだらない議論をしているか知らないですけども、現場は逃げていないだろう。それをくだらない、逃げたと言ったとか言わないとか菅首相が言っているんですけども、何だ馬鹿(ばか)野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろなんてちっとも言っていないではないか。注水とか最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした。場合によって事務の人間を退避させることは考えていると言った」--本店から逃げろというような話は吉田氏「全くない」--「撤退」という言葉は使ったか吉田氏「使いません、『撤退』なんて」--使わないですね吉田氏「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか誰がいったか知りませんけども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、馬鹿、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」--政治家ではそういう話になってしまっている吉田氏「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って」--ある時期、菅氏は自分が東電が逃げるのを止めたみたいな(発言をした)吉田氏「辞めた途端に。あのおっさん(菅氏)がそんなの発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。そんなおっさんが辞めて、自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。事故調としてクレームつけないといけないんではないか」〈政府事故調は菅政権が設置を決定。23年6月7日の初会合で菅氏は「私自身を含め被告といったら強い口調だが」と発言した〉--この事故調を自分(菅氏)が作っている吉田氏「私も被告ですなんて偉そうなことを言っていたけども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、馬鹿野郎と言いたいですけども。議事録に書いておいて」海水注入
「テレビ会議、音声切った」「うるさい、黙っていろ、と」東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。2回目は、原発への海水注入に関する吉田氏の証言をまとめた。〈全交流電源を喪失した福島第1原発では、東日本大震災翌日の平成23年3月12日午後、炉心の状態が分からなくなってきた〉--水位計がおかしかったと吉田氏「間違いなくおかしかった。そこを信用し過ぎていたという所については大反省です」--水位計が信用できないと思い始めたのはいつか吉田氏「水位計そのものよりも放射線量が上がっているのがおかしいと。普通に冷却が効いていれば、水位はあって線量が上がることはないわけですね。想像からすると、燃料損傷に至る可能性はあるなと」〈燃料を冷やす淡水が尽き始める。通常は水につかっている燃料が露出すれば炉心溶融(メルトダウン)に至り、放射性物質が拡散する。現場では、苦肉の策として海水を投入する準備が始められた〉--最初の海水注入の指示は3月12日午後2時54分か吉田氏「書いてあるものとしては最初になるが、この日の午後から海水注入をする準備をしておきなさいということは言っております。3号機の逆洗弁ピット(くぼ地)に津波の時の海水が残っている。かなりの量があるというのを聞いて、そこから取るしかない。注水しようと最終決定したのが午後2時54分で、もともとの検討はその前にやっている」--海水注入はテレビ会議を通じて東電本店の人と話し合ったのか吉田氏「誰かに聞いたと言うより、淡水をいつまでやっていても間に合わない。だから海水を入れるしかないと腹を決めていましたので、会議で言ったかどうかは別にして消防班に海水を入れるにはどうすればいいのかと検討させた」--本店は把握していたのか吉田氏「細かい状況については報告していなかったですね。(テレビ会議の)音声切っていますよ」--切れるんですか吉田氏「切れる。図面を持ってきて、ポンプ何台か、消防車何台あるんだと検討している。それなら別にいちいち言う必要はないわけで。本店に言ったって、逆洗弁ピットに海水がたまっているなんていう情報は100万年経ったって出てきませんから、現場で探すしかないわけですね」--炉の中に海水を入れる経験は聞いたことがあったか吉田氏「世界中でそんなことをしたことは1回もありません。ないけれども、淡水が有限で、冷やすのに無限大にあるのは海水しかないですから、もう入れるしかない」--海水を入れると機器が全部使えなくなるからお金がかかるとは思わなかったか吉田氏「全くなかったです。もう燃料が損傷している段階でこの炉はもうだめだと。再使用なんて一切考えていなかったですね」〈12日午後3時半に海水注入の準備が完了したが、その6分後、1号機が水素爆発したため中断。再び準備が整ったため、午後7時4分に海水注入を開始した〉--海水注入開始はこの時間でいいのか吉田氏「いろいろと取り沙汰されているが、注入した直後に官邸にいる武黒(一郎・東京電力フェロー)から電話がありまして、官邸では海水注入は了解していないと。だから海水注入は停止しろという指示でした。本店と話をして、やむを得ないというような判断で止めるかと。うちはそんなことは全く思っていなくて試験注入の開始という位置づけです」「ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでしたから、いつ再開できるか担保のないような指示には従えないので私の判断でやると。担当している防災班長には、中止命令はするけれども、絶対に中止してはだめだという指示をして、それで本店には中止したという報告をしたということです」--海水注入は所長に与えられた権限と考えるのか吉田氏「マニュアルもありませんから、極端なことを言えば、私の勘といったらおかしいんですけれども、判断でやる話だと考えておりました」--それを止めろというのは雑音だと考えるのか。本店との話し合いは吉田氏「何だかんだいうのは、全部雑音です。本店の問い合わせが多いんです。サポートではないんですよ。途中で頭にきて、うるさい、黙っていろと、何回も言った覚えがあります」津波襲来、全電源喪失
「はっきり言って、まいった」「絶望していた」東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。3回目は、原発に津波が襲来した時の吉田氏の証言をまとめた。〈東日本大震災が発生した平成23年3月11日、運転中の1~3号機が緊急停止した。地震の約50分後、約15メートルの津波が襲い、全交流電源喪失状態に陥った〉吉田氏「これははっきり言って、まいってしまっていたんですね。もう大変なことになったと」--大変さの程度だが、具体的にどういうことをされたのか吉田氏「具体的な運転操作は、運転員の方がプロだから任せているんです。箸の上げ下ろしでこうやれ、ああやれということではない。対外的な連絡だとか、状況把握をするということがメーンだったと思います。地震があってみんな気持ちがこうなっている(動揺している)んで、落ち着いてやれとそれは言いました。余震があるかもしれないから、その注意はちゃんとしておけと」--非常用電源が使えないことで、次にどういう対応を取ろうと考えたのか吉田氏「絶望していました。全部の炉心冷却が止まって、バッテリーが止まった後、どうやって冷却するのかというのは自分で考えても、これというのがないんですね」--緊急対策本部の雰囲気はどうだったか吉田氏「どちらかというと、みんな愕然(がくぜん)という感じで声が上がらないんですね。少なくとも技術屋の中では、大変なことになったという共通認識があったと思います」〈地震で外部電源は断たれたものの、原発の設備や機器に重要な損傷はあったのか、事故後大きな争点となった〉--津波が来るまでの50分間にどれだけ分かったのか知りたい吉田氏「スクラム(原発の自動停止)した後、いろんなパラメーター(数値)がとりあえず異常ないかと。各中央制御室に確認しています」--例えば、配管から水漏れが生じているとか、何か白煙が上がっているとか、平時と異なる事象がプラント内で生じているという情報は津波の前の段階であったのか吉田氏「基本的にはなかった。水漏れとか機器の損傷とか、私は全く聞いておりません」--地震後津波までに、人の生命、身体の安否の確認は吉田氏「グループ異常なしとか、全員いましたとかいう報告が随時上がってきています。プラント(原発)を運転している人たちは逃げられないから、各中央制御室で人員を把握して報告するというのが次々と入ってきました」--主要な機器を扱っている人は逃げてはいけないのか吉田氏「運転員は基本的には中央制御室から離れてはいけない。建物が壊れてもというのは極端な話なんですけれども、基本的には」--運転している原子炉について、冷温停止に向けて危機感はあったか吉田氏「すごく強く持っていました。非常用電源が動いたので、ほっとしたんですね。こんな大津波が来るとは思っていないんですけれども、当然地震によって津波が来る可能性はある。海水系ポンプが引き波で使えなくなるのが怖いんですけれども、とりあえずプラントは一定の安全は保たれているという安心感はあったんですが」--津波が来るということに対して、かなり時間的に切迫していると思うが、何か対策として講じたことは吉田氏「津波の対応というのは結局、事前に手が打てるかというと、この時間で手を打てるものが全くない。津波が来ることを想定して、これから操作をしないといけないぞということだけです」1号機爆発
「短時間のドンという振動」「どう生かすかが一番重要だ」東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。4回目は、1号機が爆発したときの吉田氏の証言をまとめた。〈1号機は平成23年3月12日午後3時36分、水素爆発を起こし、原子炉建屋上部が大きく損壊した〉--どのように爆発を把握したのか吉田氏「爆発については全然想定していなかった。免震重要棟にいたが、1号機は全然見えないんですね。線量が高いから外に出られないような状態で、誰も外に行って見ていない。その時に下から突き上げるような、非常に短時間のドンという振動がありましたから、また地震だという認識でおりました」「現場から帰ってきた人間から情報が入ってきて、原子炉建屋の一番上が柱だけになっているという情報が入ってきて、何だそれはと。その後、けがした人間も帰ってきて。最初は原因が分からないという状況でやっていました」--爆発する前、炉心の状態はどのようなものだったか吉田氏「格納容器の圧力が上がっていたわけだから、ベント(排気)しようということで操作したわけですよ。バルブを開けても圧力バランスでベントできない。もう1つは注水。この2本に絞って作業を傾注していた」--水素が発生しているという認識は持っていたのか吉田氏「持っていました。ただし、格納容器の中にとどまっているので、まずは容器の圧力を下げないといけない。加圧している原因が水素であり、これをベントで逃してやらないと」--周辺では放射線量が相当上昇して、格納容器の中からどんどん漏洩したという可能性が高かったのか吉田氏「高いですね」--水素爆発が意外だったというのは何か変ではないか吉田氏「格納容器の爆発をすごく気にしていたわけです。今から思えばアホなんですけど、水素が建屋にたまるという思いがいたっていない。今回の大反省だと思っているけれども、思い込みがあって、あそこが爆発すると思っていなかった。所長としては何とも言えないですけれども」--徹底的に考えないと吉田氏「今回のものを設計にどう生かすかという所が一番重要だと思っている。これからこの国が原子力を続けられるかどうか知りませんけれども、続けられるとすればそうですね」--爆発で損傷状況はどうなのか吉田氏「作業をしていた人間が上がってきて、破片やがれきなどいろんなものが飛び散ってきていますと。電源車が使えなくなったという話もきて、消防車も注水が一時できないような状態になっている」--作業員はいったん退避させているという状態か吉田氏「まずは安否確認です。とりあえず死んだ人がいないということでほっとしたが、一番近くにいたうちの保全担当が爆風で腕を折って帰ってきたんですね。そいつにどうなっているんだという話を聞いたら、もう大変ですよという話が入ってきた」「次のステップとして一番怖いのは格納容器が爆発するんじゃないかということになるが、データを見ていると容器の圧力は爆発前後で大きく変わっていないわけです。格納容器は健全だったということなので、要するに可燃源はもうなくなっている可能性が高いと判断して、水を入れに行かないとどうしようもないので、人をどうするかという判断が一番悩ましかった」--電源車も使えない状態だったのか吉田氏「新たな電源車をよそから注文して。これから先、山ほどいるでしょうから、手当たり次第送ってこいと注文はずっとしていた」ベント躊躇せず
「大臣命令で開くもんじゃない」東京電力福島第1原発事故で、当時の吉田昌郎所長への聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。5回目は、原子炉格納容器の圧力を下げるベント(排気)に関する証言をまとめた。
〈平成23年3月11日の東日本大震災の津波の影響で冷却機能を喪失した第1原発。格納容器の圧力が最初に高まったのが1号機で、早い段階からベントに着手していた〉--12日に日付が変わる頃に、1号機のドライウェル(格納容器上部)圧力が600キロパスカルということで、格納容器内の方に圧力容器から放射能が漏れているんではないかという懸念が考えられた吉田氏「600キロパスカルだとすると、漏れているとしか考えられない」--そういう認識に至り、その次の対応として格納容器ベントを実施する可能性があることから準備を進めるよう指示しているが、(圧力抑制室の水を通す)ウエットウェルベントということか吉田氏「この時点では手順に従ってということなので、まずウエットウェルベントをして、それで下がらなかったら、最後は(水を通さない)ドライウェルベントをしなければいけない。こういうことを全部指示している」--手順書では中央操作室のスイッチで弁が開けるが、今回はそれができない吉田氏「AO(空気駆動)弁のエアがない。もちろんMO(電動駆動)弁は駄目だと。手動でどうなんだというと、線量が高いから入れないというような状況が入ってきて、そんなに大変なのかという認識がやっとでき上がる。その辺が、また本店なり、東京に連絡しても伝わらない」--すごい階層がある吉田氏「一番遠いのは官邸ですね。大臣命令が出ればすぐに開くと思っているわけですから。そんなもんじゃない」--午前6時50分に(海江田万里)経済産業相が法令に基づくベントの実施命令を出した経緯は知っているか吉田氏「知りませんけれども、こちらでは頭に来て、こんなにはできないと言っているのに、何を言っているんだと。実施命令出してできるんだったらやってみろと。極端なことを言うと、そういう精神状態になっていますから。現場では何をやってもできない状態なのに、ぐずぐずしているということで東京電力に対する怒りがこの実施命令になったかどうかは知りませんけれども、それは本店と官邸の話ですから、私は知りませんということしかないんです」〈午前7時11分、ベント遅れにいらだつ菅直人首相が陸上自衛隊ヘリコプターで第1原発に到着。吉田氏らから説明を受けた後、午前8時4分には宮城県に向け飛び立った〉--菅首相が第1原発に来て帰っていく上空をベントで(放射性物質を含む気体を)どんどん吹かしていくのはどうなのかということから、操作を遅らせたという判断は吉田氏「全くないですね。早くできるものはかけてしまってもいいんじゃないですかくらいですから。総理大臣が飛んでいようが、何しようが、炉の安全を考えれば早くしたいというのが現場です」--機材とか十分準備できていないし、線量も高いし、できるか分からないが作業を余儀なくされた吉田氏「被曝しますけれども、最後は手動でやるしかないというふうに腹を決めて、午前9時に(現場へ)やってくれとお願いした」--何かやろうと思っても何もできない状態なのに、下げろと言うんだったら、お前らやってみろと言うしかない吉田氏「現場はできる限りのことをやって、後がスムーズに行くようにと思っているんですけれども、なかなかそれが通じない。躊躇していると思われているんです。何も躊躇などはしていないですよ」3号機爆発
「死者出たなら腹切り死のうと」東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。6回目は、3号機が爆発したときの証言をまとめた。〈ヒアリングは平成23年3月14日の行動に移っている。14日は午前6時半ごろに3号機で原子炉圧力が上昇し、爆発する可能性が高まっていた。危険と判断されたため約1時間、作業を中断、作業員は現場から退避していた〉吉田氏「退避かけても2号機のラインを作ったりとか、放っておけないんでものすごく迷ったんです。作業させるか、させないか、再開させるのかどうか。これは議事録には載ってませんけれど、このとき本店と『いつまで退避させるんだ』という話があり、『爆発する可能性があって現場に人間をやれない』と私は言ったんです。ただ2号機の注水とかあるんで、どこかでやる必要があるという話をしました」〈作業を進めたい本店と作業員の安全を考え、再開に迷う吉田氏。安全だけを考え作業が滞れば、状況はさらに悪化する。吉田氏はジレンマを抱えていた〉吉田氏「そろそろ現場をやってくれないかと話があり、『非常に危険だけれども現場でやらないと次のステップにいけないんでお願いします』と(作業員に)指示したと思います。圧力が落ち着いてきたから、急に爆発することはない、との判断で現場に出したら爆発した」--現場に行ってから爆発までどれぐらいの時間があったのか吉田氏「(再開の)『ゴー』かけて、よしじゃあという段取りにかかったぐらいで。自衛隊の方も行かれていて準備したらすぐ『バーン』という感じだったと聞いています。最初、現場から『四十何人行方不明』という話が入ってきた。私、そのとき死のうと思いました。四十何人亡くなっているんだとすると、そこで腹切ろうと思っていました」〈情報が錯綜する中、多数の死者を出した責任を取ることを考えていた吉田氏。だが、徐々に情報が入り行方不明者はいなくなっていった〉吉田氏「自衛隊は免震重要棟に寄らないで配備されたんで状況が入ってこなかったが、4人けがをされていて1人は結構深手だったと聞いています。皆さん命はとりとめ、不幸中の幸いです。がれきが吹っ飛んでくる中で現場にいて、1人も死んでいない。私は仏様のおかげとしか思えないんです」--すごい映像ですものね。あの爆発。1号機と違いますね吉田氏「1号機は板だけですから、ポーンで終わりなんですが、3号機はコンクリートが飛んでますからね」--爆発をしてからの対応ですが、作業は吉田氏「全部中止」--現場から引き揚げることになるわけですね。次に再開するのが、どこかの時点でありますね。それはどういう情報が入り、どう判断したのですか吉田氏「1号機の時と同じく爆発しているわけですから、注水ラインだとかいろんなラインが死んでしまっている可能性が高い。1号機、3号機の注水も止まっている。それ以外の機器も止まっている。みんな茫然としているのと、思考停止状態みたいになっているわけです」〈茫然自失の部下に指揮官は、どのように対応したのか〉吉田氏「そこで、全員集めて『こんな状態で作業を再開してこんな状態になって、私の判断が悪かった。申し訳ない』と話をして、現時点で注水が止まっている、放っておくともっとひどい状態になる。現場はがれきの山になっているはずだから、がれきの撤去、注水の準備に即応してくれと頭を下げて頼んだんです。そうしたら、本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」政府への不信
「腐った指示ばかりだった」平成23年3月11日の東京電力福島第1原発事故で、当時の吉田昌郎所長への聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。7回目は、吉田氏と政府側とのやり取りに関する証言をまとめた。〈第1原発で事故が発生した場合、経済産業省原子力安全・保安院が福島県大熊町の緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)に関係者を緊急招集し、陣頭指揮にあたることになっていた〉--保安院の保安検査官は(第1原発内の)保安院の事務所に通常詰めていますね吉田氏「はい」--その人たちは一旦退避か何かでどこかへ行かれたんですね吉田氏「はい」--それから、また戻ってくるんですね吉田氏「かなりたってからです」--また戻ってきたのは大体どれくらいか吉田氏「よく覚えていないが、事象が起こったときは保安院の方もみんな逃げてきて、免震重要棟に入られた。それからオフサイトセンターができたので、オフサイトセンターに出ていった。途中でオフサイトセンターから保安検査官をこちらに送り込むという話はあったんです。結局あれは14日だったんですけれども、来られなかった」--来なかったのか吉田氏「はい。私は記憶がないんだけれど、24時間駐在で来られるようになったのはもうちょっと後だと思います」--保安院から所長に直接、今どういう状況かみたいな電話はないのか吉田氏「ないです」〈13日には3号機の爆発を避けようと、建屋にたまった水素を抜くためのブローアウトパネルの開放が検討された〉--保安院からの指示として、パネルを具体的にどうしようかという話はしていたのか吉田氏「していました。パネルを開けないといけない。だけれども、(19年の)中越沖地震で(柏崎刈羽原発のパネルが)がたっと落ちて開いてしまったから、開きづらい方向に改造していたんです。どうしようもないわけですよ。だったら保安院来てやれ、馬鹿野郎と言いたくなるわけですよ。こんな腐った指示ばかりしやがってと。いまだにこのときのことはむかむか来ます」--保安院の出先の事務所は吉田氏「このころはもういません。1人もいないです」〈菅直人首相ら官邸からも吉田氏に電話が入った〉--菅首相との電話は吉田氏「菅さんとはどっちかというと質問です。水素爆発はどういうメカニズムで起こるんだということとか、それは水蒸気爆発と違うのかというようなご質問をなさっていたのが1点ですね」「それから、菅さんの脇に日比野靖さんという(内閣官房)参与がいた。ごく初歩的な質問を菅さんがして、私が説明をし始めたら、ちょっと待ってくれ、その質問は日比野さんがしているからということで、日比野さんに代わって、結構忙しいときだったんだと思うんだけれども、縷々ご説明をしたと」「もう1点は、警戒区域と避難区域、20キロ、30キロの話についてこう決めたけれども、所長はどう思うみたいな話をしてきたんです。知りませんと。本店なり、そちら側の解析しているところで評価してくれと。現場の判断ではないということは申し上げました」--現場はどうなっているんだというので、ちょっと電話してみればみたいな話になると、所長のところに電話をするのが、東電の武黒一郎フェロー、川俣晋原子力・品質安全部長だったり、場合によっては細野豪志首相補佐官だった。どちらかというと、みんなで勉強会というか、そんな感じだったらしい。官邸で首相以下の指示がぼーんと決まって、これで行けとか、そんな感じではなかった吉田氏「勉強会だったんですね」--いざ聞いてみると、みんなそういうふうに言う。別に司令塔ではないと吉田氏「しかし、何をもってこの国は動いていくんですかね。面白い国ですね」注水活動「申し訳ないがすべて意味なかった」
ヘリ放水「セミの小便」東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。8回目は、自衛隊や警察、消防の注水活動に関する証言をまとめた。〈平成23年3月16日以降、3、4号機の燃料貯蔵プールに燃料を冷却する水があるかが課題となっていた。プールの燃料は水位が下がればむき出しの状態となり被害は甚大となる。爆発で建屋上部が破壊されていたため、上部からの放水が検討されていた〉〈17日には陸上自衛隊のヘリを使って上空から4回、3号機燃料貯蔵プールへ約30トン放水され、警視庁機動隊と自衛隊の高圧放水車も地上から放水した。19日には東京消防庁の消防車も放水を始めた〉--ヘリによる放水は午前9時48分に開始とあります吉田氏「セミの小便みたいですね」--所長は自衛隊とか警視庁などの人たちが来たときは、そこの責任者と事前に話をするとか、ありましたか吉田氏「ないです」--彼らはどういう感じなんですか。吉田氏「各組織によって違うんです。自衛隊と消防庁、機動隊全部違うんです。指揮命令系統も各々違う。自衛隊さんは自衛隊さんの上の方といろいろ調整して、何時に出動するとか言うんですけども、出動するといってもなかなか出動しないし、途中で引き返すし、何やっているんだという感じでした」--何でそんな、あれだったのですか吉田氏「やはり線量の高い所に来るのは、はっきり言ってみんな嫌なんです」--自衛隊によるヘリ、警視庁の高圧放水車、消防庁の注水とあって、この中でこれは良かった、これは駄目だったというのはありますか吉田氏「機動隊さんのものは最初に来てもらったんだけれども、余り役に立たなかったんです。要するに効果がなかった」--効果がないというのは吉田氏「水が入らなかったということです」--自衛隊のものはどうでしたか吉田氏「はっきり言って今から申しますと、すべて意味がなかったです。注水量的に全部入ったとして10トンとか20トンの世界ですから。燃料プールの表面積から考えて全部入ったとしても意味がない」--消防庁のものは効いてないんですね吉田氏「全く効いていないです。だから、ヘリも効いてないし、自衛隊さんも申し訳ないけれども量的に効いていないし、消防庁も効いていないし、機動隊は全く効いていなかったと思います」〈自衛隊、警察、消防が懸命の思いで注水活動にあたったが、高圧放水車や消防車は用途が違うため難航した。22日には新たにコンクリートポンプ車(通称・キリン)が導入され4号機で注水開始。27日にはキリンを3号機にも導入した〉--(キリンなど)ああいうものはどうなんですか吉田氏「あれはいいです。あれが来て初めてちゃんと注水できたということです。筒先をプールの近くに持っていって入れますから、ロスがほとんどなくて全部水が入るというのがキリン以降の話です」--これは東電なり本店からそういう話があったのですか吉田氏「(自衛隊、警視庁、消防庁の)ピュッピュン作戦は、効いたとしてもずっと続けないといけない。連続注水できるということでコンクリート注入車が使えるのではないかというのが本店からあって、キリン部隊というのを本店で作ってくれたんです。その連中が動かし方などをマスターして、やってみたらそれなりに水が入るということで、自衛隊さん消防庁さんのお世話にならずに済んだということです」「これは誰が殺したんですか」
地震・津波対策への思い東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。9回目は、福島第1原発の地震・津波対策に関する吉田氏の証言をまとめた。吉田氏「これは声を大にして言いたいんだけれども、本当は原発の安全性だけでなくて、東日本大震災で今回2万3千人が死にましたね(実際は死者・行方不明者合わせて約1万8500人)。これは誰が殺したんですか。(地震の規模を示す)マグニチュード9が来て死んでいるわけです。あの人たちが死なないような対策をなぜそのときに打たなかったんだ」〈原発事故を防げなかったことに対し、吉田氏は聴取の中で何度も悔悟の念を吐露するとともに、地震・津波被害を少なくできなかったのか、問題を投げかけている。吉田氏は平成19年4月、東電に新しく設けられた原子力設備管理部の初代部長に就任し、地震・津波対策に傾注した経験があるからだ〉--自然災害から原子力施設をどう守るかという備えなど過去の状況についてうかがいたい吉田氏「19年当時、あまり地震・津波に対して関心が高いということはなかったんです。会社全体としてもそうですし、世間全体としてもそうだったんです。一番大きかったのは(19年7月の)中越沖地震があって、想定している地震動の何倍という地震がきた。これはまさに私どもの原子力設備管理部で対応しないといけなかった。その中でまず、福島第1原発について、近辺の断層をもう一度調査するということを一生懸命したということです」--それが19年7月ですね吉田氏「今まで考えていた地震動より大きい地震が来るとすると、例えば、建物や配管とか機器の補強をしなければいけないということになりますから、そちらの解析を重点的にやりましょうと。20年の途中から、随伴事象としての津波の話をきちっと評価していく必要があるという話が出てきたというのが私の記憶です」--東電の土木グループが土木学会の先生方に話を聞く中で、福島で10メートルを超える津波の想定値が出てきた吉田氏「私の考え方からいうと、津波自体は、国とか地方自治体がどうするんですかという話とも絡んでくるでしょう。東電だけがこれを対応してもしようがない。発電所を守るという意味では当然必要なんですけれども、オールジャパンで、今の対策ではまずいという話をした記憶があります」--初めて津波想定値を聞かれたときにどういう印象だったか吉田氏「それは、『うわあ』ですね。私が入社したときに、最大津波はチリ津波といわれていたわけですから。高くて3メートルぐらい。10メートルというのはやはり非常に奇異に感じるというか、そんなのって来るの?と」--会社の方針はどうだったのか吉田氏「社内では、地震対策の会議を社長会という形で月1回の頻度でやっていた。その中で当然のことながら一番重要なのはお金、対策費用が非常に大事なことだと。耐震補強工事にこのぐらいかかるとか、免震重要棟を福島にも造らないといけないとか」--最終的にどうやれるかという検討は吉田氏「今回の事故で津波は10メートルではなくて、15メートルも来てしまったわけですから、もともと10メートルの検討をしていても間に合わなかったと今は思っている。今回はあまりに津波が大きすぎて、ポンプ自体がすっ飛んでしまうようなことを考えますと、また全然別の対策になるわけです。どういう津波なんだというところがはっきりしないときに対策と言っても、議論は非常に難しいんです」「死んだと思った」
東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。
チャイナシンドロームと「東日本壊滅」最終回は吉田氏らの緊張がピークに達した2号機をめぐる証言をまとめた。〈平成23年3月14日午後、福島第1原発1、3号機に続いて2号機が緊急事態に陥った。原子炉の冷却機能が失われ、炉内圧力が上昇。炉内を冷却するために「原子炉主蒸気逃がし安全弁」(SR弁)を開いて、圧力を下げて注水しようとしたが作業は進まなかった〉--(14日の)16時30分くらいから減圧操作を開始したが、手間取った吉田氏「(現場からの報告では)バルブが開かないと」吉田氏「何せ焦っていたんで、早く減圧させろと。私自身、パニックになっていました」--SR弁がなかなか開かないというところから、夜に行くぐらいのころ、退避なども検討しなければいけないのではないかみたいな話というのは出ていた吉田氏「(略)廊下にも協力企業だとかがいて、完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで本当に死んだと思ったんです」吉田氏「これで2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出てしまう。その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくてチャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう」〈炉内から冷却水がなくなれば、核燃料が溶け落ちるメルトダウン状態に陥る。さらに溶融した炉心が格納容器の底に穴を開ける最悪の事態がメルトスルーだ。映画「チャイナシンドローム」は米国の原発事故でメルトスルーした核燃料が地球の内部を溶かしながら進み裏側の中国にまで達するという設定。現実には起こらないとされる〉吉田氏「そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。ここから退避しないといけない。放射能は、今の状況より現段階よりも広範囲、高濃度で、まき散らす部分もありますけれども、まず免震重要棟の近くにいる人間の命に関わると思っていました。(中略)みんなに恐怖感与えますから、電話で武藤(栄副社長)に言ったのかな。ここは私が一番思い出したくないところです、はっきり言って」--それは、SR弁がなかなか開かないからか吉田氏「開いたんです。(中略)SR弁が開いたにもかかわらず圧が落ちない。もう一つは(炉圧が下がったのに)消防車の燃料がなくなって水を入れるというタイミングのときに入らない。そこでもまたがくっときて、これでもう私はダメだと思ったんですよ。ここが一番死に時というかですね」--14日の夜中の話か吉田氏「19時ぐらいからですかね。実際はですね」--ようやく減圧した21時ごろにタイミング悪く消防車が燃料切れした吉田氏「そうです。(中略)水が入ったら逆に今度は水が加熱した燃料に触れますから、ふわっとフラッシュして、それで圧力がぐっと上がってしまったという現象だと思っているんですけど、また水が入らなくなる」--(深刻だったのは)3号機よりも2号機吉田氏「3号機は水を入れていましたでしょう。1号機も水を入れていましたでしょう。(2号機は)水が入らないんですもの。水が入らなければただ溶けていくだけですから燃料が。燃料が溶けて1200度になりますと、何も冷やさないと圧力容器の壁抜きますから、それから格納容器の壁もそのどろどろで抜きますから、チャイナシンドロームになってしまうわけです。(中略)燃料が全部外に出てしまう。プルトニウムであれ、何であれ、今のセシウムどころの話ではないわけですよ。放射性物質が全部出てしまうわけですからわれわれのイメージは東日本壊滅ですよ」--すぐに退避というふうになっていない吉田氏「水がやっと入ったんですよ。あとはずっと水を入れ続けるだけだということで、やっと助かったというタイミングがあるんです」
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産経新聞の『吉田調書抄録』
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