転載元 池田信夫のブログ■日本の間抜けな帝国主義
「日本は領土拡大のために中国を侵略したのではない」
アゴラで『帝国の慰安婦』について、
と批判したら著者から反論があったので、岡本隆司氏などの最近の研究をもとにして説明しておこう。
近代戦を戦うには、日本列島は資源に乏しく防衛線が長い。
来るべき世界戦争にそなえるには、朝鮮や満州の資源が必要だという認識が日本軍にはあった。
しかし明治維新で国内を統一したばかりの日本が大陸に進出することは物理的に不可能であり、国内の勢力均衡を崩す点でも好ましくなかった。
中国の側からみても、朝鮮は華夷秩序の中の属国であり、中国に反抗しないかぎり自治を認める属国自主だった。
この状態が続けば、アジアはそれなりに安定していたが、各国の勢力が交錯する朝鮮の王朝がきわめて弱体で、東アジアのバルカン半島になりかねなかった。
1882年の壬申変乱で朝鮮の閔氏政権が崩壊し、大院君が実権を掌握して日本公使館を襲撃するなど、日本との関係が険悪になった。
日本は陸海軍を派遣して制圧に乗り出し、これに対して清も3000人の軍勢を送り込んで朝鮮半島は緊張した。
明治憲法を起草した井上毅は、参事院議官として朝鮮にわたり、日朝交渉にあたった。
彼も当初は朝鮮は清の属国なので日本は干渉しないという立場だったが、壬申変乱に遭遇し、朝鮮の中立化をはかった。
彼は朝鮮を清から独立させようと各国と交渉したが、清は軍を送り込んで属国化を強めた。
これに対して朝鮮の中の改革派が起こしたクーデタが、1894年の甲申政変である。
これを起こした金玉均(福沢諭吉の弟子)や朴泳孝は「親日派」だったので、日本政府も支援したが、当時の朝鮮では清に従属する事大主義が強かったため、クーデタは3日で清の袁世凱に制圧され、挫折した。
これを機に朝鮮を完全な属国として支配しようとする清に対して、日本が軍を送り込んで開戦したのが日清戦争である。
それは古典的な帝国主義戦争とはまったく違い、日本が清の朝鮮に対する支配を断ち切った華夷秩序の崩壊だった。
そして朝鮮は自力で近代化する道を絶たれ、日本の支配下に置かれた。
伊藤博文はここまでが日本の国力の限界だと考えたが、山県有朋を初めとする陸軍は満州に兵を進め、日英同盟を結んで日露戦争で満州を支配下に収めた。
このときも日本は満州から掠奪するのではなく、鉄道などのインフラを建設して対露戦争の基地にしたのだ。
この結果、朝鮮も満州も大幅な赤字経営となり、日本は国力を消耗し、日中戦争の泥沼に陥った。
これは国際法的には侵略だが、領土も獲得できない莫大な浪費だった。
大英帝国が植民地からの掠奪と奴隷貿易で世界最大の富を築いたのとは逆で、
これを帝国主義と呼ぶとすれば、間抜けな帝国主義だったというしかない。
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池田信夫/これほど間抜けな『帝国主義』もない
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