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『従軍慰安婦』論争/ 吉見義明 VS 秦郁彦2R

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荻上
こういった豊かなケースもあったというお話があったんですが、
あの、論点として強制連行というようなところがちょっと残っているので、吉見さんから、ちょっと伺っていきたいと思うんですけど。
強制連行に、軍があるいは政府が関与したという証拠は見つけられなかったということがね、あの、河野談話などでこう言われたり、今でもそういったこと言われたりする訳ですけれども、
では、その強制連行、つまり吉見さんが
例えば甘言とか誘拐とか、色んな話ありましたけど、強制連行っていうのは、そもそも何で、そうした事例はあったのか、なかったのか、
その観点について、もう一度、吉見さん、いかがでしょうか?

吉見
強制の問題はですね、やっぱりあの、慰安所での強制があったのか、どうかがすべてだと思うのですが・・・

荻上
労働実態が。

吉見
そうですね、労働と言うか、労働ではないですね、使役されているわけですから。

荻上
労働というか、その場所の、ということですね。

吉見
それからもうひとつは、連れて行かれる過程で色々な問題が起こっているわけですが、それは、軍官憲が直接やるかどうかは、一応、はずしますと、先ほど言いましたように略取とか、誘拐とか、人身売買で連れていくのがほとんどだったわけですよね。
そうして、朝鮮半島で誘拐や人身売買があったということは、秦さんも認めておられるわけですよね。
そこは異論はないわけですよね。


当然ですよ。それが大部分ですよ。

吉見
それで、例え業者がそういうことをやったとしても、その業者は軍に選定された業者であると。
で、実際に被害が生じるのは慰安所ですけれども、その慰安所というのは軍の施設であると。
軍がつくった軍の施設であるわけですね。
で、そこで女性達が誘拐とか人身売買で拘束をされているわけですね。
当然、軍に責任があるということになると思うんです。

荻上
なるほど。

吉見
それからもうひとつは、軍官憲が暴行、脅迫を用いてですね、連行したケースがなかったかどうかということですけれども、これは現在ではもう色々出てきていると思うんです。
まあ一番典型的なのは、オランダ政府が1994年に、白人女性の被害についての報告書を出しましたけれども、それを見ますと、軍官憲が関わった暴行、脅迫による連行のケースは未遂を含めて8件か9件くらいあると思います。
スマラン事件とか・・・

荻上
インドネシアの。

吉見
マリアン事件とかフローレス事件とかですね。
で、それは多分否定出来ないんじゃないかと思いますね。


もちろん

荻上
秦さんも本の中でそれは書かれていますね。

吉見
それから中国ではですね、4件、元慰安婦の方が提訴されて裁判になっておりますけれども、まあ、裁判では敗訴しますけれども、裁判所は事実認定をしてるわけですね。
その事実認定の中で、いずれも日本軍が暴行脅迫を用いて連行したということを認定しているわけです。
それは、官憲や軍人が、行ったもので・・・

荻上
それは、官憲や軍人が、行ったもので・・・

吉見
ええ、そうです。
でも、その秦さんからすると、例えば、それは軍が命令したわけじゃないだろうというふうには・・・


これはね、非常に大きな錯覚があるんですよ。

荻上
錯覚?


裁判所が認定したと、ね、言われますけどね、10数件そういう訴訟を起しているんですね。
全部敗訴なんですよ。
というよりね、最初から訴訟を起こしてもね、勝つ見込みはゼロなんですよ。
ではなぜ起こすのかというと、そういうことで運動を盛り上げて、たくさんのお仲間を集めて、募金もしてと、いう一種の政治活動、経済活動なんですね。

荻上
う~ん。


で、裁判所ではですね、これ何故かって言うと、戦前は国家無答責、国家は責任を負わない、過失についてね。
それから一番大事なのはね、時効なんですよ。

荻上
時効。


ええ、一番長い時効でも20年なんですよ。

吉見
いや、今問題になっているのはそういう事実があったかどうかという事実認定の話・・・


いや、だから。
だから争わないんですよ裁判所は。
バカバカしいでしょ。
もう最初で時効でだめだとわかっているのにですね・・・

吉見
裁判所は争わないんじゃないんじゃないですか?


事実認定は争わないんですよ。

吉見
裁判所は事実認定をしてるわけですから・・・


してないんですよ。

吉見
裁判所の判決に書いてあるから・・・


だって調査に行ってないから。
こういうふうにね、陳述をしましたというだけで、それに対してですね、これは間違っているとかそういうことを言ってないんですよ。

吉見
いや、そういうことがあったという事実認定をしているわけですよね。


これ非常にね、だから法学界で論争になってるんですよね。
どうしてね、そういう時に、検事側がですね、それに対して論戦を挑まないのかと、いうことなんだけれども、実際問題として、今の中国の話のようにですね、じゃあ中国から証人を呼んで来てくれ、ったってですね、
中国が応じるはずないでしょう。
だからね、それはすり替えなんですよ。

吉見
なんか、筋をはずしていると思いますよ、それは詭弁ですよ。

荻上
あのですね、議論が非常に盛り上がっているんですけれども、残り時間が短くなって、というか、もう残り一分になってしまったので、本当はですね、今後、例えば、どういった議論をしていくべきなのかとか、あるいはアジア女性基金など色々な経緯をふまえて、どういったルートがあり得るのか、など伺いたかったんですけど、まあ色々激論がかさむ二人なので、最後一言ずつですね、この慰安婦問題について、若い世代含めてどういったところに注目してほしいか、一言お願いします。
秦さん、いかがでしょう。


元々ね、この慰安婦問題というのは、まあ、後に支援勢力ということになりますけれども、日本と韓国の支援勢力がですね、やったことなんです、始めたことなんですね。
ですから韓国大統領が来てですね、2、3年後に、それで言ったことはね、この問題は、お宅の国の運動家とマスコミが一緒になってね、我々を怒らせたと、ね。
そういった経緯を知れということが、まあメッセージですね。

荻上
はい、すいません、時間が、一言だったので、はい。
残り30秒、吉見さんお願いします。

吉見
え~と、慰安婦問題についてはもう色んな事実が発掘されてきていますので、そういう事実をですね、ぜひ知っていただきたい、ということだと思いますね。
それから、まあ国際的には、これは性奴隷制度であるという認識は定着をしています。
それは根拠がきちんとあるものだと思います。
日本政府としてはですね、この問題を解決するためには、戦時性的賠償法案というものが出来ていますので、補償法案というものが出来ていますので、それを通せばこの問題は解決すると思います。

荻上
そういった議論の経緯をもう一回、今だから学び直そうということですね。

〈了〉



(サルメラ 吉見教授はこの議論の中で最後まで『強制連行』が、あった話なのか、歪曲・捏造が生んだ産物だったのか、はっきり言及しなかった。
つまり、吉見教授は、日本軍による強制連行は、これまで自身が研究してきた資料内には、どう見つけようとひっくり返しても、その記録はなかったと、認めてるワケだ。

軍の関与はあったにせよ、世界で日本だけが、軍という組織あげての、軍官憲が率先しての、女性たちを次々にトラックに積み込んでいった、いわゆる〝慰安婦狩り〟は、なかったと、
クワラスワミ報告にある『強制連行』の記述は証明されたものでないということを、認めるワケだ?

何でそこが重要なのかは、
以下の転載記事にゆずるとして、

吉見教授は最後に、

『日本政府としてはですね、この問題を解決するためには、戦時性的賠償法案というものが出来ていますので、補償法案というものが出来ていますので、それを通せばこの問題は解決すると思います』

このように言って締めくくったが、
有り得ない。
かの国のタカリ体質というか、反日勢力のイチャモンつけにはキリも果てもないということを、いい加減、日本政府も学んだはずだ。

一歩譲る、というやり方はかの国には通用しない。
とことん議論し、どこまでもやり合って、その中で互いの言いたいことを相手に聞かせ続ければいい。
その結果としてわかり会える日がくるなら歓迎する。
だが、今日ここまで、これほどまで引っ張ってきた話だ。
今さら中途半端な妥協はすべきではない。
もはや、落としどころを探る時期など、とうに過ぎた)


【関連記事↓】


◆クマラスワミ報告書の記述撤回要請…
日本政府、ク氏に面会し直接要請
2014.10.16

菅義偉 官房長官は16日の記者会見で、慰安婦を強制連行された「性奴隷」と認定した1996(平成8)年の国連人権委員会(当時、現在は国連人権理事会)の「クマラスワミ報告書」を作成したスリランカの女性法律家、クマラスワミ元特別報告者に直接、日本政府として報告書の一部を撤回するよう求めたことを明らかにした。
クマラスワミ氏は拒否した。

朝日新聞が8月、韓国の済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏の証言が虚偽だったとして、関連記事を取り消したことに伴う対応で、政府は慰安婦に関する国際社会の事実誤認を是正するため、さらに広報活動を強化する。

外務省によると、同省の佐藤地(くに)・女性人権人道担当大使が14日、米ニューヨークでクマラスワミ氏に面会し、「吉田証言」が引用された報告書の一部撤回を申し入れた。
佐藤氏は元慰安婦へ「償い金」を支給したアジア女性基金など日本のこれまでの取り組みも合わせて伝えた。

菅氏は記者会見で
「朝日新聞が慰安婦問題に関する報道が誤報だったと取り消したのでクマラスワミ氏に説明し、報告書に示された見解を修正するよう求めた。先方は『修正に応じられない』ということだった」
と述べた。

さらに
「政府としては今後、国連人権理事会をはじめ国際社会で適切な機会をとらえて、わが国の考え方を粘り強く説明し理解を得たい」
と強調した。

クマラスワミ報告書をめぐっては、菅氏が9月5日の記者会見で
「報告書の一部が朝日新聞が取り消した記事内容に影響を受けているのは間違いない」
と指摘していた。

政府は、慰安婦を含む歴史認識に関する対外広報戦略の強化を進めており、今年度の政府国際広報予算を昨年度の2倍に引き上げた。
来年度はさらに2倍以上にする方針だ。

このほか、クマラスワミ報告書が提出された直後に当時の日本政府が作成した「反論文書」の公開も検討している。
反論文書は現在、非公開となっている。


◆クマラスワミ報告書

国連人権委員会の「女性に対する暴力」特別報告官に任命されたスリランカ出身の女性法律家、ラディカ・クマラスワミ氏が日本や韓国で聞き取り調査などを行い、まとめた報告書。
朝鮮半島で女性を強制連行したとする吉田清治氏の虚偽の証言を引用しながら慰安婦を「性奴隷」と定義し、日本政府に法的責任の受け入れや元慰安婦への補償などを勧告している。




■クマラスワミ報告書
転載元 脱・洗脳史講座

◆「性奴隷」と定義づけた報告書
慰安婦を指して、欧米のメディアや米政治家はしばしばsex slave と表現します。

国連の人権委員会は1994年、ラディカ・クマラスワミ(スリランカ人)を「特別報告官」に任命、
彼女は1995年7月18日から10日間、実地調査のため韓国、日本を訪れました。
米下院における決議案採択の12年も前 のことでした。

調査結果は「実行関与者を処罰せよ」などとした「戦時の軍事的性的奴隷制問題に関する北朝鮮、韓国、および日本への訪問調査報告書」(=クマラスワミ報告書)としてまとめられ、翌年4月、同委員会で採択されました。

この報告書こそが国連・人権委員会の慰安婦問題に関する事実認識となったものであり、米下院の対日非難決議案の土台になったものです。

お気づきのように、タイトルに「軍事的性的奴隷制」(military sexsual slavery) なる用語が使われており、また報告書の第1章(定義)で「慰安婦=性奴隷」とした認識を示していますから、欧米政治家やメディアが慰安婦を「性奴隷」と書くのは事実関係を別にすれば一応もっともといえるでしょう。
それにメディア好みのセンセイショナルな表現でもありますし。

さらに、国連人権委員会の下部組織である差別小委員会の「マクドゥーガル報告書 」 があります。
1998年8月、同人権委員会で採択されたこの報告書はクマラスワミ報告書を下敷きにしたものでしたから、日本政府に「責任者の処罰と元慰安婦への損害賠償」を求めている点で軌を一にして当然でしょう。
「マクドガル報告書」については後述します。

クマラスワミ報告は元慰安婦の証言、文献、それに大学教授などこの問題に関する“有識者”からの聞き取りによって成立していますので、順に見ていきましょう。

◆これが元慰安婦の “証 言”
調査団が面接した元慰安婦は平壌で4人、ソウルで11人、東京で1人(在日朝鮮人)の合計14人でした。
このうち、報告書に引用されているのは4人ですが、いずれも信じ難いというか馬鹿馬鹿しい話ばかりです。
一例をあげます。

「日本軍兵士による性的暴行と強姦に加えて、これらの女性が耐えなければならなかった残酷で苛酷な取り扱いを、とくに反映している」例として、聞き取り時、74歳であった元慰安婦、チョン・オクスンの証言を以下のごとく取り上げています。

(要約)
《私は1920年、朝鮮半島北部咸鏡南道に生れました。
13歳のときの6月、井戸に水汲みに行った帰り、一人の日本兵に襲われ連れて行かれました。
トラックで警察署につれこまれ、数人の警官に強姦されました。
私が叫ぶと彼らは私の口に靴下を押し込み、強姦しつづけました。
私が泣いたので署長に左眼をなぐられ失明してしまいました。
10日後にヘイサン市の日本軍兵舎につれて行かれました。そこには400人の若い朝鮮女性がいて、
性奴隷として毎日5000人以上の日本兵の相手をさせられました。1日に40人もです。
私は抗議すると殴られ、抵抗を止めるまで秘所にマッチ棒を押し込まれ血だらけになりました。
また、仲間の一人が1日40人もなぜサービスするのかと苦情を言うと、
ヤマモト中隊長の命令で兵は女の衣服をはぎとって手足を縛り、
釘のついた板の上を釘が血と肉で覆われるまで転がし、最後に首を斬り落しました。
別の日本人は食べ物がないからと泣いている少女に「この人肉を食わせてやれ」といいました。
あるとき私たち40人はトラックで遠くの水たまりに連れて行かれました。
水たまりは水と蛇でいっぱいでした。
兵隊たちは数人の少女を水のなかに突き落とし、生き埋めにしました。
兵舎にいた少女の半数以上が殺されました。
2度逃亡しましたが捕まり、いっそうひどい拷問を受けました。
胸、腹などに入れ墨をされ、気絶しました。気がつくと死体として捨てられ、山の陰にいました。
山に住む50歳くらいの男が見つけ、衣服と食べものをくれました。
私は性奴隷として5年間働かされ、18歳のとき子供を産めない体で帰国しました。》
(第54項)


こういった元慰安婦の「体験談」が、慰安婦制度の実態は「集団レイプ、強制堕胎、性的恥辱、性暴力」 だったとしたホンダ議員らの見解に大きな影響を与えたことは容易に読み取れるでしょう。
また、こうした「体験談」を朝鮮人、中国人はもとより、日本人でも信じる人が結構いますから、多くの欧米人が信じても不思議はありません。

《日本軍が残虐非道な軍隊であり、その過去が糾弾されることは、
人道に背く植民地運営、奴隷制度、原爆投下など、さまざまな過去を持つ欧米人にとって、
決してマイナスではなく、むしろ好ましいことなのですから》

この体験談が作り話である理由を秦 郁彦教授が次のように指摘しています。

1920年生まれの元慰安婦、チョン・オクスンが日本軍兵舎に連行されたのは1933(昭和8)年のことになります。
ですがこの当時、朝鮮半島は平時でしたから、遊郭はあったものの軍専用の慰安所はなかったのです。
また、朝鮮半島の日本軍は1万人余程度で、咸鏡南道には1個連隊(約2千人)しかいなかったし、5000人も入る兵舎はありませんでした。
にもかかわらず、
無理やり連行された「400人の若い朝鮮人女性が性奴隷として、毎日5000人以上の日本兵の相手をさせられた」といった体験談が国連・人権委員会の公式報告書に載り、慰安婦制度に関する認識に決定的といえるほどの影響を及ぼした一方、
これらに対して日本政府がこれといった抗議をせずに沈黙(静観)したことについて、毎度のこととはいえ、一日本人として実に腹立たしいかぎりです。

◆報告書は「落第点」
秦 郁彦教授
次に報告書に反映された資料について、実態を紹介します。

クマラスワミ報告書に2人の日本人学者が登場します。
彼女の聴取を受けたのは秦 郁彦・千葉大学教授(当時)と吉見 明・中央大学教授(同)です。

1995(平成7)年7月23日、クマラスワミ女史と白人の男女補佐官各1人と約1時間、説明と質疑に当たった秦教授は、
「歪められた私の論旨」とした一文を文藝春秋(1996年5月号)に掲載、
クマラスワミ報告書がいかに杜撰(ずさん)なものかを明らかにしています。

まず秦教授は、クマラスマミ報告書を、
「 結論から言えば、この報告書は欧米における一流大学の学生レポートなら落第点をつけざるをえないレベルのお粗末な作品である 」
と酷評します。

レポートを採点するときは、ます脚注を点検し、引用文献の数、参照した文献の質、必須文献で洩れたものがないか等の手順を踏むのが慣例とした上で、秦教授は、

「 この報告書では事実関係に関わる部分はすべてオーストラリア人ジャーナリストのG・ヒックス が1995年に刊行した『慰安婦』(The Comfort Women) という通俗書からの引用である。
利用した参考文献がたった1冊だけとなれば、丸写しと判定されても仕方がないところだが、そのヒックス書にも問題が多い」
と指摘。
落第点をつけた理由の一つと説明しています。

クワラスマミ特別報告官が事実関係を調べる上で、参考にした文献がたったの1冊となれば、報告書の信頼性に疑義がでて当然のことでしょう。
しかもヒックスの著作『慰安婦』について、秦教授は「非学術文献」 と断じ、この文献に「全面依存した不注意責任は、問わねばならない」としてクマラスワミ報告官を批判しています。

なお、ヒックスの本について、吉見 明教授も誤りが多いとしています。
秦教授が「非学術文献」とした理由を簡単に記しますと、同書は36の参考文献をあげているものの(秦論文ナシ)、
脚注がついていないため、どの文献に基づいて記述したのかが分からない仕組みになっていること、
また、ヒックスは日本語が読めないため、東京大学の高橋教授を通して在日韓国人のユミ・リー(女性)を紹介してもらい、彼女が日本の運動家たちから資料を集め(おそらく英訳もして)、ヒックスに送ったものだといい、
ヒックス自身が「資料の80%は彼女に依存した」と書いていることなどをあげています。

そしてこの書のについて、「初歩的な間違いと歪曲だらけで、救いようがないと感じた」 とし、初歩的な間違いを具体的に指摘しています。

◆正反対に書かれた報告書
クマラスワミ調査官に面談した秦教授は、「その9ヶ月前に彼女がまとめた『予備報告書』を読んで、大体の傾向は承知していたので、慎重に」次の諸点を聴取に際して強調したといいます。

① 慰安婦の「強制連行」について、日本側で唯一の証人とされる吉田 清治 は「職業的詐話師 」(professional liar)である。

② 暴力で連行されたと申し立てた慰安婦の証言で、客観的裏付けがとれたものは一例もない。

③ 慰安婦の雇用契約関係は日本軍との間にではなく、業者(慰安所の経営者)との間で 結ばれていた。

ところが、報告書は③について、
「歴史家で千葉大学の秦郁彦博士は・・・大多数の慰安婦は 日本陸軍と契約を交わしており、平均的な兵士の月給(15~20円)の110倍もの収入(1000~2000円)を得ていたと信じている、と述べた 」
と書いてありました。
これは③の説明と正反対の記述です。

また、吉田 清治についても、彼は「職業的詐話師」と説明したにもかかわらず、同報告書は吉田の著書『私の戦争 朝鮮人強制連行』(三一書房、1983年)をベースにして次のように記しました。

《元軍隊性的奴隷の証言は、募集の過程において広範に暴力及び強制手段が使われたことを語っている。
さらに、吉田清治は戦時中の経験を記録した彼の手記の中で、国家総動員法の労務報国会の下で、
1000人に及ぶ女性を慰安婦とするために行われた人狩り、
とりわけ朝鮮人に対するものに参加したことを認めた。》
(第29項。藤岡 信勝・元東大教授訳 )

みずから1000人強制連行(慰安婦狩り)に参加したとする吉田清治の証言が作り話で話であったことは、秦教授の現地調査(韓国・済州島)で証明され、後に吉田自身も認めていることです。
なお、吉田はクマラスマミ報告官の聴取を断っています。

この吉田清治を「良心的な証言者」とばかりに持ち上げた朝日新聞、無批判に追随したテレビ、また彼を英雄視した運動家などによって、慰安婦=強制連行説が日本、韓国はもちろん欧米においても大手を振るって歩きだしたのでした。
ですから、吉田の偽証が慰安婦強制連行説の原点とも言えるものなのです。

さらにつけ加えれば、偽証が判明したにもかかわらず、この事実を朝日新聞 はもちろん、慰安婦報道に入れ込んだNHK など、産経新聞を除くどの報道機関もニュースとして取り上げることはなかったのです。

◆マクドゥーガル報告書
慰安婦14万2千人が殺害された

クマラスワミ報告書が国連人権委員会で採択されたのが1996(平成8)年4月、そしてアフリカ系アメリカ人(女性)であるゲイ・マクドゥーガルの手になる報告書(マクドゥーガル報告書)が同委員会で採択されたのは1998年8月ですから、慰安婦問題に関する人権委員会の2番目の採択にあたります。

報告書の本文は旧ユーゴスラビアのコソボ問題、アフリカのルワンダ虐殺などで、慰安婦問題は付属文書(約50ページ)に記されました。
当然、クマラスワミ報告の影響を受けたでしょうから、日本政府に「責任者の処罰と元慰安婦への損害賠償」を求めたのは当然のことというべきでしょう。

報告書の冒頭、

《1932年から第2次世界大戦の終わりまでの間、
日本国政府および日本帝国軍隊は20万人を超える女性 を
アジア全体で存在した強姦所において性的奴隷とした》

と記してあり、慰安所を「レイプセンター」(rape center) と表現、
この言葉は15ヵ所もでてきます。
そして、「20万人以上の慰安婦のうち25%が生き延びた」 とも記されています。

となれば75%程度が死亡したことになりますから、実に15万人が殺害された計算になります。
1999(平成11)年6月2日、来日したマクドゥーガル女史の講演会が日弁連主催 で行われましたが、彼女は「14万2000人の慰安婦が殺害された」 と発言しています。

ですが、慰安婦20万人以上、殺害された慰安婦14万2000人とする根拠は実に怪しげなものなのです。

まず慰安婦数ですが、平凡社大百科事典が「8万~20万人」と記すなど、この数が定説なのかと思ってしまいます。
ところがこの数の出所となると、1969(昭和44)年のソウル新聞に載ったものなのだそうです。

千田 夏光 (元毎日新聞記者)がこのソウル新聞記事を読み、これが20万人説の広まるもとになったと思われます。
千田は日本人で誰よりもはやく慰安婦問題に焦点をあて、「従軍慰安婦」という造語を書名にした『従軍慰安婦』(双葉社⇒ 三一書房、1973年)を著しました。

千田 夏光は対談相手の秦 郁彦に「20万人以上」としたことを問われ、

「 ええ、出所は不明です。
ただ、私も新聞記者あがりなもんですから、ちゃんとした新聞が書いた数字ですから、ほぼ信用したわけです 」
(朝日新聞社発行の月刊誌「論 座」、1999年9月号 )

と発言しています。
つまり、平凡社の百科事典の記述もこの程度の根拠しかないのです。

(注)一流出版社の百科事典がそんな薄弱な根拠で書くはずがないと思う方も多いに違いありません。
ですが、この種の例ならたくさんあります。
一例をあげれば、本多勝一の「中国の旅」を引き合いにして、南京大虐殺30万人をはじめ、万人坑、三光作戦などを取り上げた百科事典(複数)を指摘することができます。

ですが、この百科事典を根拠にし、慰安婦数を「8万とも20万人ともいわれる」 と朝日新聞が報じると、この数が広く浸透するようになったのでした。

(注)なお、秦 郁彦教授の研究によれば、1942(昭和17)年9月頃の慰安所数は400ヵ所
(中国280、南方100、南海10、樺太10ヵ所。
金原 節三・陸軍省医事課長の日記)で、
1ヵ所当たりの慰安婦数が10~20人だったことなどから、総数を約6000人と推定、
この後、倍増したとしても1万人を超える程度だとしています。

次に14万2000人殺害についてですが、衆議院議員(自民党、運輸大臣歴任)であった荒船 清十郎 が、日韓条約交渉時の1965(昭和40)年1月、後援会で酒を飲みながら発言したことが元になっているようです。

発言の要点は、「韓国側では14万2000人の慰安婦が日本兵にやり殺されたとして、15億ドルよこせといっているけれども、だんだん要求を下げてきて、今は3億ドルぐりの話になっている」というものでした。

荒船議員といえば、よく言えば親分肌とでもいうのでしょうか、知性の点で疑問のある典型的自民党議員、しばしば雑な放言が批判の対象になったものです。
地元(埼玉県)の駅に特急列車を停車させようと国鉄に圧力をかけ、批判されるにおよんで、私の記憶ですが「一駅ぐらい停めたっていいじゃないか」と堂々と言って退けたものです。

荒船放言は単に韓国がこう言っているという話なのに、いつのまにか「日本の大臣の調査結果」となってしまいました。
そして、日本人のどこかの運動組織をとおして、国連筋に流されたという見方が、おそらく的を射ているのでしょう。

クマラスワミ報告書を好意的に取り上げたのは、例によって朝日、毎日であり、マクドゥーガル報告にいたっては日弁連もまた後押しをしたのでした。

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