Quantcast
Channel: SALUMERA
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2520

ルーツ・ファンタジー/古代日本とイスラエル 1

$
0
0
転載元 be with gods
『人類創成から始まる善と悪の闘いを検証する』

2章.古代日本とイスラエル


古代天皇とイスラエルのリーダとの関係を明らかにし、日本の出自がユダ族とエフライム族だということを検討する。
その中で、旧約聖書と古事記の関係を調査し、日本神話の改竄箇所の指摘を行おうと試みた。


2-1.歴代天皇と旧約聖書

イザナギ・イザナミから始まる歴代天皇と、旧約聖書との関係を調べてみました。
ノアを天御中主と想定すると、皇室の皇統と旧約の皇統がぴったり符合するのです。



ノア=天御中主だと仮定すれば、天御中主からイザナギ尊まで10代。
かたやノアからテラまで10代なのだから、テラ夫妻=イザナギ夫妻に相当します。
テラには3人の子(アブラハム、ナホル、ハラン)があり、イザナギにも3人の子(アマテラス、ツクヨミ、スサノオ)がある。
加えて、スサノオとアマテラスは兄弟で結婚、アブラハムとサラも兄弟で結婚しています。
このように、ノア=天御中主とした場合、古事記と旧約聖書の記述がピッタリ符合してしまうのです。

ただし、正確に一致しないのは、藤原氏による改竄があるゆえです(男神である天照大神を女神とするなど)。

以上の推論を元に、アブラハムの家系から、神武天皇までを推定しています。
更に、孝霊天皇,孝元天皇,開化天皇は、それぞれモーセ,ヨシュア,ユダに、対応することが推測されます。



テラ(イザナギ)

⇒ アブラハム(スサノオ)

⇒ イサク(オシホミミ)

⇒ ヤコブ(ニニギ,イギギの命=黒い頭の王、イスラエル)

⇒ ヨセフ(山幸彦、ホホデミ、エジプトの統治者)

⇒ エフライム(ウガヤフキアエズ)

⇒ ベリア(神武天皇、エフライムの4男)



⇒ ヨシュア(ベリアの7代後。モーセと一緒に出エジプト後、モーセの後継者としてカナンを征服。)



ヘブライ(戸来)の由来について、アブラハムの父テラは、シュメル・ウルの神官でした。
神託司祭の一族はイブリ(ヘブライ)と呼ばれていた。
『12番惑星ニビルからやってきた宇宙人』によれば、
この家系のルーツはエンリルの礼拝センター・ニップールをシュメル語では、ニ・イブルであり、美しい住居地を意味しているという。



2-2.桃太郎はモーセ

桃太郎は、鬼を退治し民を救う英雄です。
竹取物語には月よりの使者が現れますが、いったいその原型はどこにあるのでしょうか。
今回、桃太郎伝説を解読することで、日本とイスラエルの関係、異星人との関係に焦点を当てました。



桃太郎の物語についてですが、最初は大きな桃がUFOで、竹取物語のかぐや姫と同じ要領で解釈が可能ではないかと思いました。
しかし、行き詰まってしまうので、桃太郎が、百太郎であればとふと思い、これを漢字で解釈してみました。
例えば、大きな船は、舟に八つの口、即ち舟に八人が乗ったと解釈できます。
つまり、ノアの箱船です。

このようなことから、漢字はイスラエル人が考案したと述べている本もあります。

同じ要領で、天皇は、天の下に白装束の王、もしくは「白」=「輝き」と考えれば、
太陽神の下の王、即ち天に擁護された心の清い王という意味でしょう。
百太郎の百は、一画目の「一」は天を現します。
ですから、百は天皇と同じ意味です。
また、「太」は聖徳太子と同じで神が宿る事を意味します。
即ち、百太郎の物語は、天皇の中でも救世主として活躍された方の物語ではないかと、推測できるわけです。

「桃」=「籠」が川上から流れてきて、妻に拾われ、その中に男の子が居るのですから、まさにモーセ様です。

桃太郎の猿は、猿田ヒコと同じくヨセフで、エフライム族。
イヌは、ライオンでユダ族。
吉備団子は、カナンの地に向かうまでに与えられたマナで、
吉備団子の串はアロンの杖。
金棒を振り回す赤鬼と青鬼は、鉄と青銅の民の事で、カナンの地に住んで悪魔教を崇拝していたカナンやカインの子孫のことでしょう。

このように推測すると、キジはアロンに対応するはずです。
ここでキジについて逆推理すると、日本武尊が亡くなられたとき、その魂は白鳥となって飛び立ったとあるので、キジは神と人の仲介のような役割と考えれば、レビ族の比喩として考えられると思います。

つまり、桃太郎はモーセ様を表しており、猿・犬・鳥については、各部族に対応する、すなわち、エフライム族・ユダ族・レビ族に対応し、
且つ、シリウス・太陽神(プレアデス)・オリオンの支援を得ていることを意味しています。
まさにエジプトに神の民を失うのを惜しみ、救い出された天上界と同盟星の方々を表しています。

旧約聖書にある、神を賛美する詩編『ベン・シラ』のように偉人を讃えたり、
史実を伝えたマカベア書、天使との交流を描いたトビト書は、誰にでも理解できる物語です。
ところが、桃太郎、金太郎、浦島太郎、竹取物語、記紀神話は、何度読んでもアヌンナキの知識とイスラエルの歴史を知らなければ、まったくちんぷんかんぷん。
つまり、これまで説明したような史実を隠蔽しなければならない事情が、古代日本にあったのです。

漢字で記載された「記紀」を正式な日本史として読まされた唐の役人は、古代日本史を忘れてしまった現代の日本人同様、古代日本が正当なイスラエルの末裔だと分からなかったのではないでしょうか。
つまり、唐人も現在のシナ人も漢民族であり、周の民族とはまったく別民族なのです。
もし、古代日本がイスラエル族と分かっていたら、唐は日本を破壊していたことでしょう。

◆八百万の神とは天使の事!?
百太郎の「百」は、天の元の輝きを意味しています。
「八」は「ヤ」で、ヤハウエのことですから、「八百の神」とは「ヤハウエの輝き」を意味しているとすれば、それは天の天使達の事です。
大和民族と大和は、ヤハウ(天照大)の天使達(八百の神)に守護されていると言う事です。
尚、「万」は「たくさん」という意味でしょう。

◆エフライムはプレアデス、ユダはオリオン!?
エジプトでは、オリオン座の少し左上に大犬座があります。
猟師オリオンに従う犬に見たてられています。
シリウスは英語でDogStarで、アヌビス=犬。
次にオリオンと向かい合っている星座、牡牛座です。
黄道星座の一つです。
V字形のヒヤデス星団が牛の顔で、数個の星の集りに見えるプレアデス星団(M45)が牛の肩になります。
ギリシア神話では美男子の狩人オリオンで、神の放った大サソリにさされて死んだ。
ビラミッドの前にあるスフィンクスは、オリオンのシンボルだとすれば、ライオンと鳥の合体したものだと思います。

ユダ族のシンボルであるライオンは、オリオン。
エフライムのシンボルである牛は、プレアデスを意味しているのでしょう。

2-3.葬られた古代日本

中臣鎌足と藤原不比等による、大和民族の史実の隠蔽に関して、『葬られた古代日本』を参考にして、イスラエル族との関係を検討する。
加えて、白村江の戦いに敗れた大和朝廷は唐の支配を受けることになる。
唐とGHQの占領政策を比較してみた。



梅原猛著『葬られた王朝 新潮社』を頂き、出雲王国(スサノオ命、大国主命)が裏日本を統一し建国したこと、
しかも中臣鎌足と藤原不比等により、藤原氏が日本支配を独占する仕組みを大宝律令と記紀に組み込んだことが語られている。
これまで、不比等がどのように古代日本の歴史を改竄したのかが判らずにいました。
今回本書を読む中で、素人ではありますが、私なりに理解したことの概略を述べさせて頂きます。

1.日本古代史とGHQ
アブラハムの十二支族のうちユダヤ族とエフライム族が主流となり、古代日本に渡来する。
卑弥呼の時代、日本は百以上の国に分かれていた。
裏日本を統一したのがスサノオ命、その六代後の大国主命だった。
エフライムである神武天皇系が日本に渡来、記紀には欠落しているが続いてユダヤ系が渡来し、ユダヤ族から王を出雲王国から王妃を出すことで、大和朝廷が成立する。

おそらく不比等により聖徳太子として隠蔽された人物により、十七条憲法、冠位十二階が施行され、日本を大和朝廷の元に統一した。
それまでの日本は小国の族長制だったのだが、族長に領土を放棄させ、代わりに同じ領土の支配権として大和朝廷が官位を授けた。
族長の支配権の正当性については、大和の神々にどれだけ貢献したのかが重要となった。

ところが、日本は白江村の戦いに敗れ、唐の植民地支配を受け入れる。
唯一の独裁者を是とする中華思想からすれば、聖徳太子的なヤハウエを戴く天皇制は滅ぼされてしかるべきだった。
そこで、聖徳太子的な人物とユダヤ人の歴史が隠蔽された。
同時に、ヘブライ語から漢字へと強要され、仏教・景教(キリスト教)・儒教・道教が混合し、密教として日本に渡来した。
このような状況の下で、唐に献上する日本の歴史書として、古事記が編纂されようとした。おそらく、ヤハウエ=天照大神を日本限定の神としながらも、旧約聖書の内容をそのまま暗号化して残そうとしたのだと思います。
しかし、唐は没落の一途を辿り、日本支配まで手が回らなくなった。
このタイミングで、ヤハウエ信仰に戻っていれば、何の問題も無かった。
ところが、ヤハウエ信仰に戻らず、女神天照のまま、暗号化された古事記を更に、藤原氏の日本支配に都合の良いように改竄されてしまった。

これは丁度、米国統治から独立した直後に、GHQから強制された日本国憲法を廃止して、明治憲法の精神に戻っていれば、左翼思想の浸透と自虐史観などの禍根を残さなかった、
左翼は日本国憲法を盾に、日本を呪縛し続けている、
ということと似ている。

しかし、この改竄された古事記編纂を実質的に引き継ぎ、律令制度を完成したのが中臣鎌足と藤原不比等である(中臣鎌足が大化の改新の功労により天智天皇から賜った「藤原」の姓が、子の藤原不比等の代に認められた)。

その結果、古代日本の歴史を改竄し、皇室の祭儀進行を行っていた物部氏と忌部氏を廃止、中臣氏が実権を握るように仕組んだ。
加えて、律令制の完成により、実際の政治は藤原氏が行い、天皇が承認をするという国体が出来上がる。
政教分離の法治国家ではあるが、天照大神に最も貢献した唯一の子孫として、中臣氏が皇室を、藤原氏が政治を支配する仕組みを作り上げた。
正当な神の民の歴史が改竄されながらも、「記紀」が日本の正当な史書として残されており、これを日本人は改める事ができずにいる。

そこで大東亜戦争と比較すると、非常にわかり易いのです。

明治維新・・・ 聖徳太子の改革

明治憲法・・・ 冠位十二階、十七条憲法

大東亜戦争・・・ 白江村の戦い

GHQ・・・ 唐

日本国憲法・・・ 大宝律令による藤原氏の政権奪取

国体の解体・・・ 古事記日本書紀改竄

左翼支配と自虐史観・・・ 藤原氏の支配

また、稗田阿礼、柿本人麻呂が、古事記編纂に貢献したが、本書では稗田阿礼が藤原一族であり、古代日本の歴史を藤原氏に都合の良いように改竄し、柿本の人麻呂が立派な文章にしたとする。

関連して、高校時代の古典の授業の雑談で、竹取物語は藤原氏独裁への批判だと先生が話していましたが、本書でも同じ事を述べています。
竹取物語では、不比等が天智天皇の子であると言う噂を元に「くらもちの皇子」として登場し、かぐや姫との結婚の条件として、宝物を持ってくるように依頼される。
不比等は匠に依頼し偽物を作らせ、本物を取って来たのだと物語り、嘘を本当のように見せかけ信じさせてしまう。
ところが、この匠がかぐや姫の元に現れ、事実を暴露してしまう。
恥をかいた不比等は、匠を伏せ、血の出るまで打ち据えてしまう。
この匠は人麻呂だろうと思います。
柿本人麻呂は、いろは歌に“咎なくして死す”と残し、歴史改竄の事実を暴露しようとして殺された無念さを伝えたかったのかもしれません。

大和民族は十二支族の正当な末裔であることを基本に、以上のような視点を加味して記紀を再読することで、女神天照大神、国譲り、イザナギイザナミの国生み、ユダヤ民族渡来の欠如など、不可解な部分が解読できるのかもしれません。
また、天皇の長い長い名前を正しく解釈できれば、日本人=大和民族だということを示す事ができると思います。

2.二人の初代日本天皇
神社の二頭の狛犬は、
一角獣:エフライムと牛:ユダ族のシンボルであり、
日本人はイスラエルの正当な末裔である。
旧約聖書との関連で、
イザナギ=シュメルの神官で王:テラ、
スサノオはその子アブラハムである。
そして、アッシリアにより、北イスラエル王国が滅亡後、神武天皇はエフライムの正当な末裔として、
ヤコブ→エフライム→ヨセフ→ベリアの系統のベリアに相当する。
このエフライム一族が、インド経由で日本に渡来した。

不思議なことに、記紀には二人の初代日本の天皇がいらっしゃる。
一人はエフライム系の神武天皇、
一人はユダヤ系と推測される崇神天皇です。

『古代日本と七大天使』によれば、預言者イザヤの時代、ユダ族の王妃ヘフジバと子の月読・スサノオは、苦難を乗り越え日本に渡来した。
その結果、崇神天皇=「御肇国天皇」として、日本を開かれたのではないでしょうか。

ここでは、記紀に欠落しているユダヤ系の日本渡来の隠蔽の後を辿ってみましょう。

記紀によれば、スサノオと天照の「うけひ」により、スサノオに5名の皇子が誕生した。
この男子皇子を天照が養子とし、皇統を与えた。
つまり、皇統は「イザナギ→スサノオ→オシホミミ→ニニギ」という流れになり、男系である。
(別冊正論14 新田均より抜粋)

この養子縁組により、
スサノオ命→大国主命の出雲王朝系譜と、
ニニギから始まる大和王朝へと枝分かれしてしまう。
この枝分かれこそが、皇統を男系とする旧約とこれを引き継ぐ神道にとって明らかに間違いであり、不比等による隠蔽の第一歩です。

スサノオ=アブラハムであれば、神武天皇も大国主命も正当な皇統に属して当然です。
どちらもアブラハムの子孫であり、エフライムの末裔か、ユダの末裔かの違いだけで、遡ればアブラハムに至ります。

つまり、スサノオ、月読、ヘフジバが、ユダヤ系として日本に渡来したのだが、
ヘフジバを女神ヤハウエ=女神天照大神に、日本に先に渡来し出雲王国を建国していたエフライム族=神武天皇系=スサノオとして、史実を改竄した。

スサノオ・大国主命を悪役に仕立て、中臣の祖神を出雲の国譲りの立役者、
つまり天照擁護の最大の功労者に仕立ててしまった。

史実は出雲系から王妃を大和系から男子王を選出することで、平和裏に日本に大和朝廷として統一国家が出現したのであり、エフライムの杖にユダを束ねると言う、旧約の預言は日本にて成就している。

「神である主はこう仰せられる。
見よ。わたしは、エフライムの杖(王権)と、それにつくイスラエルの諸部族とを取り、
それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、私の手の中で一つとする」
(エゼキエル書 39章)

まとめると、ヤハウエを女神天照大神に暗号化することで、唐の迫害を免れようとした。
更に、不比等により、日本の祖神であるユダ族渡来の歴史が改竄され、神武天皇系のみが日本の祖神とされ、ユダ族が消滅させられた。
しかも、架空の天照大神の最大功労者として不比等の祖神が朝廷に君臨するように仕組んだのです。

従って本当の歴史の流れは、
イザナギ・イザナミ→アブラハム→エフライム→ヨセフ→ベリア・神武天皇・・・
→スサノオ/月読/ヘフジバ・崇神天皇
と一本に繋がっている。

記紀にあるスサノオと天照大神の物語は、イザナギ・イザナミの直後ではなく、崇神天皇の時代のものであり、不比等に都合の良いような架空であったり、脚色されている物語でしかない。

(注)「白村江の会戦」で日本は唐の植民地化政策を受け入れた。
「白村江の会戦」で、日本・百済軍が、唐・新羅軍に敗北した。
唐からの侵略を恐れ多くを築城した後、都を近江に移し、そこで天智天皇は即位された。
その間に、唐から全部で二百五四人が日本に到着し、約三ヶ月滞在したが、目的及び何を行ったか全く不明です。

例えば、神よりも仏教を信仰した慈悲のある天皇として紹介されている孝徳天皇の時、
『明神として天下の治める日本天皇は…』
(日本書記 下P169)とあり、
この記述の後段には古代中国の皇帝の功績の紹介とともに、彼らの徳政に習ったとの記述があります。
この「明神」という神は、日本古来の由緒正しき崇敬の神々という意味です。
また、「日本天皇」という響きには、天地を創造した皇祖神ではなく、日本固有の天皇であり、この天皇をまとめる大天皇が、別途存在しているように受けとれます。

おそらく、「白村江の会戦」で敗北した日本は、唐の植民地化政策を受け入れさせられた。
例えれば米軍のGHQに相当する者達が、天武天皇の時代に来日したのだと推測されます。
このため、
『明神として天下の治める日本天皇は…』
の下りは、日本の独立と、中国の植民地としてのバランスを勘案した記述のように思われます。

この唐の植民地化政策により、日本における、神代文字が廃れ漢字化へ、神道が廃れ仏教国化へと向かわざるを得なかった。

また、
『太古、日本の王は世界を治めた』によれば、古代神代文字のアヒルクサ文字やイヅモ文字で
「天照大神 藤原不比等」、
「日継尊 源頼朝」、
「天宇受売命 藤原忠文」、
「天津児屋根命」
が、伊勢神宮の神宮文庫に奉納されています。
神代文字の存在と、不比等が天照大神を詐称したことの証拠なのかもしれません。

(資料)
少し頭の整理が必要だと思います。
ここで、イスラエルの家系と皇室の家系を、まとめましたので参照下さい。

『創世記35章』イスラエルの十二支族は下記の通り。

ヤコブの姉レアの子は、
長子ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブル。

ヤコブの正妻ラケルの子は、
ヨセフベニアミン。

ヤコブの妻ビルハの子は、
ダン、ナフタリ。

ヤコブの妻ジルバの子は、
ガド、アセル。

皇室の系図は下記の通り。

ヤコブ=ニニギ尊

正妻ラケルの子ヨセフ=山幸彦、その妻は豊玉姫。

ヨセフの子エフライム=ウガヤフキアエズ。

エフライムの四兄弟は、
シュテラフ、エゼル(早死)、エルアデ(早死)、ベリア。

ベリア=神武天皇から、
レバ - レセフ - テラ - エリシュマ - ヌン と続き、
ヨシュア(カナン征服。モーセ様の後継者)につながる。

イスラエルの十部族はアッシリアにより、3回に分けて連れ去られた。

前771年、
ルベン、ガド、マナセの三部族が最初に捕らえられた。

前740年
次いでナフタリの部族が捕らえられた。

前730年
残る六部族が捕らえられた。

前660年(70年後)
神武天皇が即位。
(イスラエル十部族の捕囚期間は70年)

3.皇室は男系男子が正統な皇統
人類を創造したニビル星人から旧約聖書に引き継がれた伝統です。
男系男子の正当性について、
『皇位継承をめぐる危機:別冊正論14』より抜粋致します。

H13年皇太子妃ご懐妊と共に、女系天皇論が持ち上がった。
曰く、男尊女卑を廃止し、日本国憲法では男女同権、男女共同参画だからだと述べる識者が多い。
しかし、皇統は人権の問題ではない。

明治憲法でも、女系天皇を認める認めないで、二転三転している。
結局、皇統は伝統を重んじ男系男子とある。
記紀に登場する女帝はあくまでも男系の女帝であり、女系の女帝ではない。
また、幼い皇嗣が即位までの中継役であり、男系以外の夫からの意見に左右されないよう独身を通している。
男子が途絶えた場合、女系を優先するよりも、傍系を優先するとした。

明治の当時で、皇位継承を男子に限るのはプロシア、ベルギー、スウェーデンなどの王位継承にも合致し、一部ヨーロッパの女帝・女系論は模倣であり我国の伝統を優先させるべきとした。

また、男系の女系天皇を認めなかったのは、女性蔑視に基づくものではない。
なぜなら、天皇を除いては、国民全員が等しく臣民であるからだ。
結論として、新皇室典範が明治の皇室典範を引継ぎ、女性天皇を排している理由は、男子継承と言う「万世一系」の原理・原則を貫こうとする事にある。
それ以外に無い。

明治憲法「皇位は皇室典範の定める所に依り皇男子孫の継承とす」

明治皇室典範「大日本国皇位は祖宗の皇統にして男系の男子これを継承す」


2-4.葛城王朝9代(神武天皇から開化天皇)の謎


記紀と聖書を対比し、神武天皇~開化天皇までの皇統と、ヤハウエの皇統とを比較した。
その結果、モーセ、ヨシュア、ダビデ、ソロモン、サウルが、古事記の中に暗喩として綴られていた。
加えてアヌンナキの神々との関連についても述べる。



下記に、葛城王朝9代(神武天皇から開化天皇)までを『古事記』に従い書き出しました。

3代天皇以後総てに、「日子」の文字があり、太陽神(エル・ランティ様)の日継を表していると思われます。
また、ヨシュアは神武天皇から7代目ですから、孝元天皇に当たります。
孝元天皇は孝霊天皇の時に、吉備国を平定しており符合します。

しかも、この孝元天皇と孝霊天皇には、「根子日子」の文字が入っており、根の国=エジプトの御子であり、エジプトの太陽神ラーから太陽神の御子でもあることを象徴していると思われます。
血統の絶えない万世一系の皇室であれば、モーセを孝霊天皇として、婉曲に天皇記の中に記述したのではないでしょうか。
つまり、出エジプト時に、エジプトと関係のあるヤハウエの皇統については、天皇名の「根子日子」はエジプトから日子(約束の地カナン)への移動という意味なのだと思います。
しかも、モーセはアロンの弟で、孝霊天皇は次男であり、兄弟関係に対応があります。

従って、孝霊天皇,孝元天皇,開化天皇は、それぞれモーセ,ヨシュア,ユダに、吉備国はカナンの地に相当することを暗に述べているのだと思います。

さらに、崇神天皇と崇神天皇の子である垂仁天皇には、根子の代わりに、イリビコ(入日子)が入っており、カナンの地に入ったことを意味していると推測されます。

不思議なことに、神武天皇と崇神天皇が、両者共に建国者として記録されております。
おそらく、ヨシュア後、元々エサウ一族の領地内ではあるが、この地でイスラエル人の集団により神権的な王国が形成され、その初代が神武天皇だったのでしょう。
北イスラエル滅亡後、エジプト・インド・海経由で、日本に向け移住し、崇神天皇の時に日本国が形成されたのだと思います。

一方、ダビデ王は2代目の王ですが、イスラエル王国を実質的に建国したので、「御肇国天皇」に相当し、崇神天皇とダブって見えます。
さらに、ダビデの子ソロモンは、神の神殿を建築したので、伊勢神宮を建造した崇神天皇の子垂仁天皇とダブって見えます。

ところが、初代イスラエル王国のサウル王に当たる開化天皇については、『記紀』共に殆ど記述がありません。
サウル王は
「彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。
民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった」
(サムエル記9章2)
とあり、かつダビデを憎み神の意志に反してダビデを殺そうとした。

仲哀天皇に関しては、『古事記』では神託を無視したために神に殺されたとあり、『日本書紀』には
「天皇は容姿端正で、身丈は十尺(約3M)あった」
と記述されており、サウル王と非常に似ています。

このように天照大の皇統には、モーセから始まるヤハウエの皇統に関連した史実が、暗黙の内に反映されていると思われるのです。

1.神武天皇(カムイワレビコ:神倭伊波礼毘古命)
137才(4子の末子)

2.綏靖天皇(カムヌナカハミミ:神沼河耳命)
45才(3子の末子)

3.安寧天皇(シキツヒコタマデミ:師木津日子玉手見命)
49才(1子のみ)

4.懿徳天皇(オホヤマトヒコスキトモ:大倭日子スキ友命)
45才(4子の次男。末子が双子。)

5.孝昭天皇(ミマツヒコカエシネ:御真津日子訶恵志泥命)
93才(2子、長男)

6.孝安天皇(オホヤマトタラシヒコクニオシヒト:大倭帯日子国押人命)
123才(2子、長男)

7.孝霊天皇(オホヤマトネコヒコフトニ:大倭根子日子賦斗ニ命)
106才(2子、次男)孝霊天皇のカ所に、孝元天皇が、吉備国を平定。
⇒モーセを暗喩で表している。

8.孝元天皇(オホヤマトネコヒコクニクル:大倭根子日子国玖琉命)
52才(8子、長男)
⇒ヨシュアを暗喩で表している。

9.開化天皇(ワカヤマトネコヒコオホビビ:若倭根子日子大毘々命)
63才(5子、三男)

10.崇神天皇(ミマキイリビコ:御真木入日子命)
古事記に「初国知らしし御真木天皇」
書記の崇神紀十二年の条にも「御肇国天皇」と称えられた。
古事記に「神武天皇」は「神倭伊波礼毘古命」と記され、書記には「初馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と記述されている。
⇒ダビデ王を暗喩で表している。

11.垂仁天皇(イクメイリビコイサチ:伊久米伊理毘古伊佐知命)
垂仁紀には、倭姫命は天照大神の神霊を奉じて、鎮め祭るところを求めて大和の宇陀、近江、美濃をへて伊勢国に至ったと記している。
これは伊勢神宮の紀元として記されたものである。
伊勢神宮が皇室と関係の深い神として祭られるようになったのは六世紀頃からであり、伊勢神宮が皇室の氏の神を祭る神社となったのは、壬申の乱以後であろうと推定されている。
垂仁天皇は、皇后に
「すべての子の名は、かならず母親が名づけるものであるが、何とこの子の名前をつけたらよいであろうか」
と仰せになっています。
(この風習と同じことを、旧約聖書の風習としてシッチン氏が述べております)
⇒ソロモン王を暗喩で表している。

(注) 日本人はブル人(ユダ族)の子孫だということ、
仲哀天皇はナブー=ダビデに殺されたとありました。
つまり、仲哀天皇をサウルと仮定すれば、ぴったり符合します。


◆吉備国について
上述では、吉備国は、モーセとヨシュアが支配したカナンの地に相当するとしました。
ここでは、日本の吉備国の様子を『古代七大王国の謎』から抜粋して紹介します。

紀元4から6世紀、岡山県と広島東部を含めた一帯に、高度な製鉄技術で繁栄し、日本で四番目に大きな前方後円墳と巨石墳を造った吉備国がありました。
当時の鉄は、農業や開墾の土木器具、武器として使われ、支配層の富と権力の象徴でした。
また、土器づくりや製塩、ガラス生産が盛んでした。
隣の島根県にある出雲王国では、日本最大の銅剣が出土しています。
この大量の銅は中国からの輸入だったことが分かっています。

「真金吹く吉備の山中帯にせる細川谷のおとのさやけさ」
(古今和歌集)
とあり、
吉備の枕詞の「真金」は鉄、「吹く」は精錬のことで、吉備が製鉄の産地として知られていたことが分かります。

『日本書紀』によれば、崇神天皇は、孝霊天皇の子の五十狭芹彦を派遣し、吉備の温羅(ウラ)を討ち取り、武力征服したと述べている。
そして、日本武尊の名の由来と同じパターンですが、ウラを討ち取ると、ウラの恭順の印として、吉備の名を五十狭芹彦に与え、以後、吉備津彦と名乗る。
吉備臣の祖となった。

余談ですが、この吉備の子孫と阿倍仲麻呂が、日本最大の陰陽師安倍清明と深く関わっている。
さらに、記紀によれば、景行天皇、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、雄略天皇、舒明天皇がそれぞれ吉備出身の女を妃としたとある。
つまり、二つの王朝が平和裏に一つの統一王朝に融合したことを意味している。

以上のことから、出雲から王妃を神武朝から王を出し、統一王国として大和朝廷が成立したケースと同じだと考えられます。
更に、神社の伝承から、ニギハヤヒ命の子孫の物部氏は、神武天皇を即位させており、協力関係にあった。
また、先土器時代の遺跡があり、石器が出土している事から、吉備国はノアの大洪水以前からの鉱山地帯で、ニギハヤヒ命の飛来以前から金属精錬の技術者とその民(カナン、カイン、ハム一族)が定住していたと推測されます。
だとすれば、ニギハヤヒ命の出雲国が吉備国を従えていたように、皇室もまた、吉備国を武力ではなく、統一王朝の形式で平和裏に融合した。

つまり、
主系(地球の主=エンキ、ベル・マルドウク=主・マルドウク、アン・バル=天の金属=技術者集団)と、
天神系(アン、ヤハウエ=天照)との合体を意味する。

結局、出雲神話に封印された内容は、
兄エサウの弟ヤコブへの王位禅譲、
大国主命の神武天皇への王権禅譲、
出雲王国と神武系氏族との統一王朝の三重構造になっていたのと同様に、吉備神話もまた、ノアの大洪水以前に在った鉱山、ヨシュアのカナン入り、日本の岡山にある吉備王国と神武系氏族との統一王朝の三重構造になっています。
同じ天皇記なのに、『古事記』と『日本書紀』で異なった記述があたとしても不思議ではない。

従って、出雲国も吉備国も、神武王朝に恭順した形で大和国の建国を補佐したとすれば、大国主命が呪う必要はない。
つまり、大物主神の代わりに、大国主命を新たに設けた。
それは、ニギハヤヒ系一族と神武系一族を反目させ、大国主命をサタン・ダビデの化身=呪う神としたかったのだと思います。

他にも、『古事記』には、日本武尊は自分の刀を木刀に代え、出雲建と刀を交換し、出雲建を討ち取る物語があります。『日本書紀』では、出雲フルネは自分の刀を木刀に代え、兄弟で刀を交換し、兄が弟を討ち取る話とそっくりです。
ちなみに、出雲フルネの弟は、崇神天皇の命令に従い、兄が留守であったが、出雲神宮に奉納されている神宝を渡している。
この事に怒った兄は、弟を殺してしまう。
日本武尊の物語は、この兄弟の物語を取り込み、故意に出雲と神武氏族の反目を伝えたのかもしれません。
(中略)
伝説によると
「ウラは鬼だった。
崇神天皇の頃、異国から鬼神が空を飛び続け、吉備にやってきた。
この鬼神はウラといい、『吉備冠者』とも呼ばれた。
ウラの身長は、約4.2メートル。
両眼は虎や狼のように光り輝き、ぼうぼうと茂る顎髭、頭髪は赤い。」とある。
そしてウラは鬼の城を築いたという。
つまり、ウラはUFOで吉備に飛来し、製鉄技術を伝えた巨人=赤鬼だったのだろう。

「ウラ」に関連して、「浦島太郎」の本名は「浦(ウラ)の嶋子」で、
「ウラ」を鬼に変えると、「ウラの島子」は「鬼ヶ島の子」に成る。
おそらく、製鉄や精銅を行っていた「鬼ヶ島」の男子が、UFOで竜宮城へ行き、その技術を習得する物語なのかも知れません。
もしかしたら、浦島太郎はヤペテの子孫で、製錬技術の習得と外国暮らしもあり、髪の毛が赤く焼け、目の色が薄くなったのではないでしょうか。


2-5.“666”の正体はナブーだった!!

666の正体は、イルミナティの神であり、アヌンナキの神々の一人だった。
真実の神はゲマトリアでは999であるから、神の逆の悪魔は666なのだ。
6について更に検討した。
太陽系外から飛来した神々から見れば6は明らかだった。



少し蛇足になりますが、元七大天使様のカタカナ表記(ミカエル、ラファエル、ウリエル、サリエル、ラグエル、ガブリエル、パヌエル)において、一筆書きの部分を1画とし、濁点を画数としてカウントしなければ、すべての名前が10画になります。
つまり、10画は7画同様に「天の聖」なる数なのです。
更に「ヤハウエ」もまた、カタカナで10画であり、七大天使の方々同様に「天の聖」なる方であることを示しています。

同じ要領で、エル・ランティ様の3つのお名前なのですが、ヤハウエ(9)、エホバ(9)、ランティ(9)のいずれもが、すべて不思議なことに9画になります。
9画は数秘術(ゲマトリア)によれば、神に相当します。
つまり、天王であるヤハウエの暗喩は、
“999”なのだと推断します。
そして、9の反転文字6は双子の意味にも受け取れます。
従って、ヨハネの黙示録の“666”は、神(=999)の双子の悪魔のことを意味しているのです。
神を詐称する悪魔が、己の力を誇示するために聖書に666と記述させたのです。
同時に、1999年に降臨する悪魔の大王と関連づけさせ、悪魔が予告したヨハネの目次録の終末を実現させようとしたのでした。

関連して、イルミナティーの神は、
プター・マルドウク・エホバだと言う。
つまり、悪魔は自らのことを、
「プター=人類を創造したエンキ=ナブーの叔父」、
「マルドウク=第三代天王=ナブーの父」、
「エホバ=エル・ランティ様=第四代天王=義理の兄」だと述べ、
自らを偉大な全知全能の神と詐称し、一方で地獄の支配者としての悪魔の二役を演じていたのです。

二ビル星から見て、地球は第7番惑星、火星は第6番惑星でした。
火星の初代司令官はエンキで、6はエンキの暗喩です。
エンキの後を継いでイギギを支配したマルドウクが、暗喩6も引き継いだ。
そして、マルドウク様が地球司令官に昇格した時、その長男ナブーが火星司令官に就任しているので、
666は人類創造者のエンキ(エジプトの最高神プター)=地球司令官のマルドウク=ナブー(神命記ではヤハゥエと偽称した)を意味している。
つまり、双子の悪魔は、ナブーその人である。


2-6.怨霊信仰とサタンの陰謀

堕天神が人類に魔術を与えた。
シュメル当時、黒魔術、白魔術が盛んで、魔術を禁じる法律がありました。
また、不吉な言霊を無効にするなど言霊信仰も盛んでした。
これを引き継ぐモーセの時代には、死穢や罪を清めるのに犠牲を捧げました。
ところが、日本には犠牲の習慣が無く、死穢や言霊を封じるすべが無く、これが紆余曲折を経て怨霊信仰へと発展しました。



『逆説の日本史』の3巻目まで読んで、非常に面白く、
古事記・日本書紀に関しては事実を正直に反映していると同時に、特に藤原氏の権力基板を固定化するように改竄されていることが明らかになっていると思います。

最初はフムフムと思って読んでいましたが、何がなんでも怨霊の祟りとする説明に物足りなさを感じます。
というのは、本著者は怨霊信仰の原点として、中国では祖先を祀らないと祟りをなすという信仰を挙げていますが、原点とはいえないとふと思いました。
というのは、仇討や仕返しのために、一族郎党を全て滅ぼし、しかも墓を暴き、罰するというのは中国では当たり前。
しかも、村人全員を塩漬けにして食料とするのも多くあります。
孔子もそれを好んで食っていました。
ですから、秦王朝が周王朝の祖先を祀ることを命じたのは、祟りを恐れてのことではなく、徳を失った周王朝を丁重に扱うことで、周王家派の反乱を抑えることと、秦王朝の正当性と威厳を示しているのだと考えた方が妥当だと思います。
もし、周王家派が反乱すれば、墓は暴かれ民族は抹殺されたことでしょう。

そもそも、怨霊がそれほどの力を持つのでしょうか?
地縛霊などは場所に執着し、死んだ時の状況を際限なく繰り返す。
通常であれば、似たような地縛霊が集団になって、その場、もしくは対象人物に憑依する程度。
それは、サイコパスと同じで、瞬時も復讐を忘れない。

ところで、すでにシュメル時代に、白魔術と黒魔術が横行しており、法律で取り締まるほどだった。
人形に魔術をかけ、対象者を呪い殺すなど・・・
言霊信仰も当時からあり、インドでも顕著でした。
当然ですが、恨み骨津井で怨霊化した霊体は、西洋でも恐ろしいほどたくさんいます。
しかし、キリスト教の悪魔祓い、悪魔信仰などがあり、日本独特の怨霊への対応とは違っています。
それは、奉じる神の性質、伝統の違いもあるでしょう。

古代日本において、死者の祟りを防ぐ手法は何もなかった。祟りを封印するために、仏教(当時の仏教は儒教、道教、他がミックスジュース状態)を八百神の一つとして導入したとする説には、説得力があります。

しかし、ユダヤ教、原始キリスト教の古代日本において、宗教的には祟りは存在しない。
逆に敵に対しては、サタンに対しては、聖書にあるように、無慈悲に徹底して滅ぼすというのが信仰です。
この点では、中国の皇帝思想と同じで、無残に滅ぼされた者達に怨霊は存在しない。

怨霊だとしても、過大な復習の情念ゆえ地縛霊・憑依霊に化身したとしても、サタン・ナブーのような強力な悪霊がこれを利用して立ち回らない限り、強大な力は持ち得ない。
なぜなら、強大な力は科学的な知識無しには利用できないからです。

天上界からのメッセージに、仲哀天皇の死はナブーによるもので、服従か死を強要するものとあります。
日本においても旧約の民同様、呪う神・嫉妬する神・復讐する神であるナブーに脅され、命令に従わなければ無慈悲に殺されていた。

「怨霊信仰」に特有の呪いと祟りは、ナブーの性格そのものというか、聖書に現れている呪う神・嫉妬する神・復讐する神そのものです。
これを排除するために、
「偶像崇拝の仏教導入」=「ユダヤ教排除」という図式が見えてくるようにも思われます。

つまり、天照大神をいくら祭っても、
ブッダにいくらすがっても、
怨霊の祟りを防ぐことはできないと思い知らせることにより、
ユダヤ教が排除され、その後、神道の教義を廃れさせようとしたとも推測できます。
つまり、旧約の呪う神・復讐する神の日本版が、怨霊信仰だと推断します。
やはり大国主大神が逆手をして怨霊化するという、記紀の記述は怨霊信仰を日本に定着させるめに改竄され、ここを基点として聖徳太子を怨霊として封じ、仲哀天皇の暗殺の真相が、日本を怨霊の国へと加速させたように思います。

強力な怨霊どもに対して、天照大御神、仏教は役に立たず、それゆえ悪霊を恐れ宥なだめてきた日本に、全知全能の神・キリスト教を持ち込み、一挙に改宗させることで、日本をナブーの王国と化す謀略が読み取れます。
しかし、その謀略は皇室を大切にした信長・秀吉により打ち砕かれてしまいます。

もし、怨霊信仰からキリスト教=サタン教へと日本が移行していたら、西洋的な過剰な抑圧から身を守るための人権思想がないのですから、悪魔の王国と化していたのかもしれません。

◆穢れから怨霊思想へ発展!?
穢れを嫌うこと、それが怨霊思想へと発展する理由として、これを古代シュメルから眺めてみます。
古代シュメルには、黒魔術や白魔術が既にあり、古代インドのヒンズー文明には言霊信仰が見られます。
ですから、魔術や言霊信仰については、これらをヘブライ人やモーセの民もまた継承していました。

日本独特の穢れを異常に嫌う習性はどのようにして、発展してきたかというと、モーセは大司祭に対しては非常に厳しい戒律を設けました。
例えば、純粋な処女でないと結婚出来ない。
親が死んだ時にも葬儀に出られない程に、死を嫌いました。
又、日本で葬式から帰ったら塩をまいたりする風習は、清めの儀式としてイスラエル当時からありました。
大司祭及び司祭は、死を穢れたものとする戒律が、モーセ当時から既にあったのです。
しかし、全イスラエル人に対してではありませんでした。

一般人は司祭に10分の1税を収めます。
その時、自分の罪を贖あがなう子羊、貧しければハトなどを神殿に捧げます。
(イエス夫妻は鳩を捧げている)

そして、司祭がこれらを屠ほふり、仔羊血(死)を持って罪を贖い、清めたのです。

ところが、イユダ族・司祭部族・エフライム族が日本に渡来した時、羊や山羊を日本に持ち込みませんでした。
それは、旧約聖書のサタン・ナブーの霊言にあります。
概略「羊や山羊を持たせない。偶像崇拝を行うようになる」というものです。
怨霊や死穢対策として、羊や山羊を犠牲にすることができないので、偶像崇拝の日本式仏教を拝むことになり、この霊言は成就しています。

「あなたの牛が目の前でほふられても、
あなたはそれを食べることができず、
あなたのろばが目の前で奪われても、
返されないであろう。
あなたの羊が敵のものになっても、
それを救ってあなたに返す者はいないであろう。」

「主はあなたとあなたが立てた王を携えて、
あなたもあなたの祖先も知らない国に移されるであろう。
あなたはそこで木や石で造ったほかの神々に仕えるであろう。」

つまり、一般人には自己の罪を清めるために神に捧げる燔祭用の子羊が、日本にはいないのです。
呪う神・復讐する神であるサタン・ナブーは燔祭の習慣を日本に持ち込ませなかったがゆえに、死穢を清めることを禁じ、怨霊を操り、ユダヤ教を忘れさせ日本を他力信仰の偶像崇拝の仏教国へと先導しました。
この結果、桓武天皇以後、国軍を放棄。
穢れを言葉にせず、想定外として無視し、存在しないとする習慣が形成された。
その延長線上に、GHQ教育と相まって、自衛隊を蔑視し、第九条を宗教化してしまったのです。

つまりサタン・ナブーは、天国と地獄、極楽浄土と地獄の両者を支配し、人類を完全奴隷化しようとしたのだと思われます。

血を流す供物や燔祭の儀式は、人の理性を狂わせてしまい、非情な人格を作り出します。
しかし、これを完全に廃止し、特に死穢をぬぐい去る方法を明示しなかった為に、日本では国を上げての怨霊信仰が盛んになってしまったのではないでしょうか。

一方、神道の儀式のように、初穂とお酒と魚で清めるしきたりは、気持ちの安定した温和な民族を作り出してきたのだと思います。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2520

Trending Articles