転載元 be with gods
『人類創成から始まる善と悪の闘いを検証する』より抜粋
2章.古代日本とイスラエル
2-20.日本人の出自について
伊勢神宮の外宮の渡会氏の祖先は、ウルノフル命だという。
シュメル語で牛の都の意味だ。
天御中主=ノアだとすれば、テラ=イザナギに対応する。
テラの子・イスラエルの結婚式では、花嫁が立っている花婿のまわりを回る。
イザナギ夫婦とそっくりなのです。
また、伊勢神宮の「心の御柱」は、
「忌柱=穢れを清める聖霊」
「天御柱=天照」
「天の御量の柱=正義の裁き」
と呼ばれる。
だが、天照は再臨のイエスではない。
神道はユダヤ教・義人ヤコブの原始キリスト教の流れをくみ、イエスをメシアとは見なしていないからだ。
◇
伊勢神宮の外宮の渡会(わたらい)氏の祖先は、ウルノフル命だという。
この「ウルのフル」は、シュメル人の言葉で「牛の都」となる。
シッチン氏によれば、アブラハムに率いられて、ユダヤ人の祖先達は、シュメルの首都ウルを出発している。
また、『神皇正統記』の北畠親房は、
外宮の主神「豊受大神」を「天御中主」としているが、
他にも「籠神社」の『海部氏勘注系図』によれば、
「豊受大神のまたの名は、天御中主、クニトコタチで、その顕現の神をウカノミタマ(稲荷大神)という」
とある。
つまり、「豊受大神」=「天御中主」は、ウルクの王であるノアだと推測される。
「豊受大神」は天照大神のお食事を準備する係でもあるのだが、大洪水後の地上に降り立ったノアは、神々に供物を捧げている。
ノア=天御中主とした場合、天御中主からイザナギ尊まで10代、
かたやノアからテラまで10代なのだから、テラ夫妻=イザナギ夫妻に相当する。
テラには3人の子(アブラハム、ナホル、ハラン)があり、
イザナギにも3人の子(アマテラス、ツキヨミ、スサノオ)がある。
加えて、スサノオとアマテラスは兄弟で結婚しているが、
アブラハムとサラは
「彼女はほんとうに私の妹なのです。
わたしの父の娘ですが、母の娘ではありません。
そして、わたしの妻になったのです」
(創世記 20章12)
とあり、やはり兄弟(異母妹)で結婚している。
このように、ノア=天御中主とした場合、古事記と旧約聖書の記述がピッタリ符合してしまうのです。
ただし、正確に一致しないのは、藤原氏による改竄があり、男神である天照大神を女神とするなどをはじめとして別項で説明している。
テラはニプルの神官(つまりアヌンナキから統治権を与えられている)だったこと、
さらにアブラハムが王家の仕来りである異母妹と結婚していることから、
王家の家系だったのだったと推断される。
関連して、古事記では亡くなったイザナミを追ってイザナギが黄泉の国に旅立つ場面で
「その妹イザナミ命を相見むと欲して、黄泉の国に追ひ往きましき」
(古事記 上 全訳注 P60)
および
「本来はイザナギ・イザナミの二神は兄弟であって・・・」
(古事記 上 全訳注 P44)
との記述があり、
イザナギ夫妻もまた兄妹でした。
従って、聖書に記述はないのですが、テラもまた異母妹を妻としているはずだと推断され、間違いなく王家の家系なのです。
ここでテラの系図を見ると、聖書にはあたかも男のテラが、子を生んだかのように記述されています。
「テラはアブラム、ナホルおよびハランを生み、ハランはロトを生んだ」
(創世記 11章)。
このことは、イザナギが単独で3貴神を生んだことに対応しており、スサノオはアブラハムに対応していることが分かります。
加えて、アヌンナキの王家は異母娘との婚姻により男子が王家を継いでいる。
同じく、天と神の民の仲介者である大司祭は、古代シュメルのテラの時代から男子の直系なのです。
女系天皇を認めることは、神々から日本に引き継がれた伝統を乱すことになり、人類自らの手で神を捨てるにも等しい暴挙なのです。
一方、古代イスラエル人は、当時アヌンナキの神々が個別の都市国家を統治しており、契約により都市神の民となる事を知っていた。
従って、契約を破れば、契約主である神との関係は消えてしまう。
当然、神から与えられる庇護も、律法・軍事・医療他の文明も消えてしまい、
神との契約は民族の存亡に関わる一大事だったのです。
しかし、神と血縁関係にあるとする日本では、神との契約を律法学者のように意識する必要はなかった。
このため、教義・戒律よりも、神との人間関係を重視する傾向が大きくなったと云われています。
それは、神との血縁関係にあるギリシャ神話、ゲルマン神話の特徴でもあります。
以上の推論を元に、アブラハムの家系から、神武天皇を推定しています。
テラ(イザナギ)
→ アブラハム(スサノオ、妹と結婚)
→ イサク(オシホミミ)
→ ヤコブ(ニニギ、イギギの命=黒い頭の王、イスラエル)
→ ヨセフ(山幸彦、ホホデミ、スサダミコ、エジプトの統治者)
→ エフライム(ウガヤフキアエズ)
→ ベリア(神武天皇、エフライムの4男)
(中略)
→ ヨシュア(ベリアの7代後。モーセ様と一緒に出エジプト後、モーセ様の後継者としてカナンを征服)
関連して、「ヤオ族の神話」を読むと、ノアの洪水と遺伝子操作による人類創造の実話が、混在したものだということが分かります。
神話に出てくる人面蛇体は、人類の起源が遺伝子であることを意味しており、大木のまわりを回りながら結婚する二匹の蛇は、まさに二重螺旋構造です。
最初の遺伝子操作により誕生した生命体は失敗し、何度か遺伝子操作を繰り返すうちに人類が創造されたことを意味しているのだと思います。
このヤオ族の神話は、イザナギとイザナミが、「天御柱」(注)をまわりながら契りを結び、国生みを行う神話の原型であり、しかもこの人面蛇体がエンキとニンフルサグを表現しており、彼らが人類の創造主だということを伝えているのです。
◆『失われた王国』より「ヤオ族の神話」
中国ヤオ族の神話では、最高神を怒らせてしまったため、大洪水が起こり、フッキとジョカの二人だけが生き残った。
彼らは人面蛇体の体で、「大木」のまわりを回りながら結婚した。
最初の子はノッペラボウの肉塊だったので、不快に思ったフッキはバラバラにしてしまった。
するとそのかけらからの肉片から人間が化生したという。
◆『日本書紀と日本語のユダヤ起源』より抜粋
古代イスラエル、および現代イスラエルでもそうだが、結婚式では花嫁が、立っている花婿のまわりを回る習慣になっている。
花婿は「天的な柱」に見立てられているからである。
「天の柱」という言葉は聖書にも出てくる。
(「天の柱はゆらぎ…」『ヨブ記 26章11』)
イザナギとミザナミは、天の柱のまわりを回って[古事記]では「アナニヤシ」と言って夫婦となった。
この「アナニヤシ」は、ヘブル・アラム語の「アナ・ニーサ」が若干訛ったものであるとすれば、「私は結婚する」の意味なのである。
(注)「生命の木」と「心の御柱」について
《伊勢神宮の内宮でも外宮でも、正殿の中央の床の下にある「心の御柱」が神器と共にもっとも大切かつ神聖なものだとされています。
「心の御柱」は
「忌柱」「天御柱」「天の御量(みはかり)の柱」などとも呼ばれる5尺(約1.5メートル)ばかりの高さの檜の柱だ。》
(伊勢神宮の謎 P90)
とあり、「天御柱」は三位一体のように三種の意味を柱=神として表現しています。
「忌」は穢れを嫌うという意味なので「聖霊」。
「量」は測るという意味で「裁く」であれば、再臨のキリストにも思われます。
しかし、神道はイエスを救世主と認めていないユダヤ教・義人ヤコブの原始キリスト教の流れをくんでおり、
「天御柱」が中央の柱であれば、天照大だと推測されます。
一方、古代シュメルでの生命の木は、一本の「木の幹」に巻き付く二匹の蛇として、DNAの二重螺旋構造がシンボライズされています。
ところが、生まれたばかりのアダムを抱き上げるニンフルサグの後ろに、生命の木があります。
(人類を創成した宇宙人 P434 Fig151)
この生命の木には、DNAの塩基4種類と、3種類の塩基の一組で一種類の蛋白質を現すことから、左に4枝、右に3枝の7枝樹が表現されています。
そして、2神がこの7枝樹を挟んで対面しています。
この2神は、エンキとニンフルサグであり、人類創造の秘儀として遺伝子情報を後世に伝えたのだと思います。
この生命の木の「木の幹」と「二匹の蛇」の3本が、キリスト教の三位一体や、「心の御柱」の観念へと発展したのでしょう。
更に、カバラを3本の柱と見れば、DNA構造をカバラの中に伝承したと考えても間違いないと思います。
何も魔術的なことではなく、科学そのものだったのです。
2-21.ノアの呪いとセム族
大洪水の後、ノアは初めてのぶどう酒を飲み過ぎて裸のまま寝てしまい、ハムは父の裸を見てしまう。
ノアはハムの子・カナンの子孫に対して、兄弟の奴隷になるように呪うのだった。
(中略)
◇
日本においては、ヤコブの兄(エサウ)=ニギハヤヒ命の子孫の一族(後述しますが、ヨブ一族)は、アイヌ民族(白人種族)と共に飛来し、出雲王国(空港都市)を建国したのでしょう。
『天皇家とイスラエル十支族の真実』によれば、
織田信長の織田(otaはアイヌ語で砂金)一族は、その呼び名から金と関連があります。
さらに、家康の母、於大の方はアイヌ語で『黄金の所有者(ota-i)』を意味すると解され、
家康の側近 酒井雅楽頭も『金山の所有者の長』と解することができるので、この一族がアイヌと関係があったと考えられます。
家康が今の静岡市のあたりで砂金収集に従事していたサンカの女性の私生児で、酒井雅楽頭の一族に買い取られて三河の産金地帯で育ったと伝えられていることは、彼の出自を間接的に示しているように思われます。
この家康の物語は、エジプトを統治したヨセフの物語に酷似しており、ヨセフを意識しての伝承かもしれません。
サンカという言葉が、アイヌ語のサンケ=『砂金のある所』に由来すると見られることは、のちに世界最大の金貨を造らせた家康の幼名が『竹千代』(アイヌ語でアサケ、オタケは金山)であったこともアイヌとの関係を暗示しています。
日本の場合、セム族=皇室を土台にして、武家の政治が行われてきました。
つまり、徳川の祖先と都市の住民(=文明化したアイヌ民族)は、後の時代にセム族の皇室がもたらした幕屋型の家に住むようになりました。
このように政教分離による政治形態は、三権分立の前段階とみられ、当時の世界では非常に進歩した政治形態でした。
進歩した政治形態を創設し維持できたのは、当時の日本人が世界レベルでも理知的な民族だった証拠だと思います。
また、日本の縄文遺跡の周囲には必ずと言ってよいほど巨人伝説が残されています。
しかし、日本の巨人とみなされたアイヌの勇士たち(ダイダラボッチ,デイラボー,大トウボウシ,太郎坊)は、聖書の中の巨人同様、死に絶えてしまいました。
つまり、白人である彼らはアヌンナキとのハイブリッドだったのです。
宗教はといえば、聖徳太子の時代以降、神道と仏教には激しい対立があり、次に神仏習合し、江戸時代まで神道の神々にも仏教の救いが必要だと見なされていました。
明治に入って、神仏分離が実現しました。
つまり、唐の時代の皇帝により、景教が広められ、これが偶像崇拝の仏教として日本に入ってきました。
神仏習合では、偶像崇拝の仏教が、神社=幕屋に住んでいました。
ノアの呪いは成就しています。
日本人はノアの子セムですから、セムがプレアデス星人の子孫であれば、プレアデス星人は私達日本人に似ているはずです。
『プリズム・オブ・リラ』の著者リサ・ロイヤルにコンタクトした宇宙人は、日本人の少したれた目と、世界中、何処にも見られない和を大切にする性質は、
プレアデス星人の遺伝子であると述べているそうです。
2-22.カナンの呪い
ノアに呪われたカナン人は、カインとまじわり悪魔教を広める。
彼らは「黒い貴族」として金融を支配し、「カインの遺言」に忠実に、イルミナティー、300人委員会、共産主義を生みだしてきた。
それは人類とノアと神々への復讐だった。
◇
(中略)
エジプトで宰相の地位にあったヨセフだが、エジプト人からは「牡牛座」を代表する者と思われていました。
なぜエフライム族の長は、出エジプトの時に「金の子牛を作ろう」と言ったのでしょうか。
それは、エフライム族の祖ヨセフのシンボルが野牛だったからです。
日本各地の天神社には牛の像があります。
また、四国、紀伊半島、北陸、東北地方に牛人、牛鬼、牛女伝説、あるいは赤牛信仰が残っています。
これは、古代日本でも “天の牛” が崇拝されていたことを意味しています。
2-23.念仏革命とエフライム族への預言
エフライムへの預言を通じて、古代日本で、エフライムとユダが一つになり、偶像崇拝・密教・キリスト教がもたらされた事実に注目した。
そこには聖書だけでは読み取れないが、キリスト教革命と同質の念仏革命が、神道を滅ぼし、日本を悪の王国へと導こうとしていた事実が浮かび上がる。
◇
『申命記 28章』には、日本に特徴的な習慣の預言があります。
「あなたの牛が目の前でほふられても、あなたはそれを食べることができず、
あなたの ろばが目の前で奪われても、
返されないであろう。
あなたの羊が敵のものになっても、
それを救ってあなたに返す者はいないであろう」
徳川時代まで、日本人は牛を食べなかった。
牛を食べたのはもっぱら外国人だけだった。
また、徳川時代が終わるまで、誰もろばを持っていなかった。
日本の歴史で羊を飼っていた人たちがいたことはまったく知られていない。
ところが、中国には昔も今も羊はたくさんいる。
しかもその羊は、現在パレスチナにいる羊と同じ種類なのである。
日本人がこれまで、羊とロバを家畜として飼わなかったことはきわめて特徴的なことである。
(日本人とユダヤ人)
サタン・ナブーは、日本人を農民としたかったのだと思います。
なぜなら、カインは農民だった。
(ノアの呪いを受けたカナンは、カインの部族と混血し、悪魔教を引き継いでいる)
『申命記 28章』に、偶像崇拝について預言されており、日本において成就しています。
「主はあなたとあなたが立てた王を携えて、あなたもあなたの祖先も知らない国に移されるであろう。
あなたはそこで木や石で造ったほかの神々に仕えるであろう。」
日本のみではなく、ユダヤ人やイスラエルの十部族もまた偶像を崇拝していました。
ユダヤの多くの町で「天の女王」を崇拝した。
(エレミア書 7章18, 25章)
迫害を受けたイスラエルの十部族、ユダヤ人、原始キリスト教徒は、東に逃げ延びた。
その時、インド仏教やヘレニズム文化の影響を受けながらも、他の宗教に影響を与えた。
インド付近の仏教徒はキリスト教の神々と混交し、阿弥陀如来(ヤハウエ)、大日如来(大天使ミカエル)、薬師如来、観音菩薩、弥勒菩薩等の仏教を取り込み、偶像化したことで密教化の道をたどることになる。
その一方で、原始キリスト教は景教の秦氏一団として、秦帝国の迫害を避けてシルクロードを通じて、日本に渡来した。
日本仏教について、『仏教の中のユダヤ文化』から抜粋します。
《空海は、秦氏一族の僧侶から、仏教を学んでいた。
開祖釈迦は死者の葬儀をしなかった。
しかし、儒教の中国では祖先を大切にしない仏教に対して、批判的で人気が無かった。
そこで、仏教に無関係なソグド人の風習を取り込み、中国で不空金剛がお盆を始めた。
その孫弟子が空海である。
仏教の葬儀には、位牌や戒名(洗礼名)を伴うが、これは景教の形式を取り入れたものだった。
ただ、洗礼は無料だが、改名にはお金が掛かる。》
密教は、仏陀の説かれた仏教とは全く異なってしまい形骸化し、人気取りのために見境もなくキリスト教の形式を取り込んでいきます。
盆の起源についてですが、
「仮庵の祭」だったことが分かります。
仏教に取り入れられたときから、
「仮庵の祭」が隠蔽されてしまいました。
日本人が、正当なイスラエルの末裔であることが時間の流れの中で忘れ去られてしまったのです。
「七月の十五日は仮庵の祭である。
七日の間、主の前にそれを守らなければならない。
初めの日に聖会を開かねばならない。
どのような労働もしてはならない」
(レビ記 23章34-35)
その後、秦氏の母を持つ法然、その弟子親鸞は、他力信仰を打ち立てました。
即ち”南無阿弥陀仏”を唱えるだけで救われるというもので、これは仏陀の仏教とは全く無関係の代物です。
この他力信仰は
「主の名を呼び求めるものは、誰でも救われる」
(ローマ人への手紙)
が元になり、密教徒が景教をまねて仏教に取り入れたものです。
◆念仏踊り革命は失敗した
ローマでは下からのキリスト教革命が成功し、キリスト教以外の神々は徹底的に排除され、これを祀る祭祀は惨殺された。
古代日本で仏教が導入され、仏教が庶民に広まると、下からの念仏踊り革命が勃発した。
しかし、貞永式目による民主化により、念仏踊り革命、すなわちイエス革命は失敗したのです。
もし、日本で念仏踊り革命が成功していれば、そしてその開祖が厩戸皇子だと、西洋キリスト教徒に知らさせた場合、
西洋でのそのショックは甚大だったことでしょう。
つまり、イエスの再臨がここ日本だったのだと。
つまり、歴史を比べると、原始キリスト教が出現したローマ帝国下のイエスとヤハウエの関係が、日本密教では、唐帝国(第2代と第3代皇帝が、景経を中国に流布し広めた)下の聖徳太子(薬師如来)と阿弥陀如来(ヤハウエ)に対応してしまうのです。
つまり、密教というサタン・ダビデが打ち立てた、まったくとんちんかんなヴァーチャルの世界を、神仏混交した日本人は毎日拝んでいるのです。
インドや中国の仏教僧は、キリスト教の伝来により人気を奪われてしまいつつあったが故に、イエス・キリストの伝記(福音書)の表現を借りて、釈迦の伝記を創作してしまった。
同じように、日本で偶像化した密教を広め国教化するために、聖徳太子は利用された。
この為、密教は一時、日本の国教のような地位にまで登りつめてしまいました。
この影響を受け続けてきた現在の日本は、左翼教育の浸透もあり、現天上界の神々による正法流布に対して、正法が理解できない民族に変貌させられてしまいました。
なぜなら、イスラエルから始まる天皇制は、密教とは相いれないからです。
一方、織田信長をはじめ戦国武将たちは、日本仏教に対する根強い反発を持っていた。
彼らにとって、日本仏教は迷信的な邪説で民衆を惑わせ、国家統一を妨げる前時代的な宗教であった。
徳川家康が押し進めた政策は、日本仏教に代わって日本式儒教を国教とすることだった。
日本仏教は支配者の宗教としては相応しくない。
支配者は理性の教え、日本式儒教で心を武装しなければならないと、考えたのでした。
徳川時代に、儒学者・林羅山が、聖徳太子を厳しく批判しています。
聖徳太子は、天皇を殺害した蘇我馬子と連帯して政治を行い、彼とともに密教を日本に広めた。
この日本仏教は迷信であり、民を惑わせる邪教である。
それによって、日本の理性は曇ってしまった、と林羅山は批判しました。
聖徳太子批判はいわれのない濡れ衣だとしても、それ以外はまったくその通りだと思います。
(注)聖徳太子は
「篤く三法を敬え。三法とは儒・仏・神である」
と説いたのですが、
日本書紀の中で
「篤く三法を敬え。三法とは仏・法・僧である」
にすり替えられたと云われています。
藤原不比等が仏僧の道慈を登用し、道慈がすり替えたとのこと。
(仏教の中のユダヤ文化)
話を元に戻しましょう。
『申命記 32章』の
「彼らを遠く散らし、彼らのことを人々が記憶しないようにしよう」
及び、
『ホセア書 2章』の
「わたしは彼女のすべての楽しみ、すなわち祝、新月、安息日、すべての祭をやめさせる」
の預言は成就され、イスラエルの十部族は日本へ追いやられ、日本各地に散らされ、表面的にはイスラエルの習慣・言葉を失った。
そして、日本人は、2千5百年以上も世界から忘れ去られていた。
『列王紀下 17章』に、イスラエルの十部族が主を怒らせた理由が記述されています。
「これは主が、周囲の異邦人のようにおこなってはならないと、彼らに命じられたものである。
彼らはその神、主の全ての戒めを捨て、自分のために二つの子牛の像を鋳て造り、またアシラ像を造り、天の万象を拝み、かつバアルに仕え、またそのむすこ、娘を火に焼いてささげ物とし、占いおよびまじないをなし、主の目の前に悪をおこなうことに身をゆだねて、主を怒らせた。
それゆえ、主は大いにイスラエルを怒り、彼らをみ前から除かれたので、ユダの部族のほか残った者はなかった」
(エズラ書 12章)
によれば、イスラエルの十部族のうち、神に従う者達が、日本に向けて旅立つ決意について記述されています。
「そしてあなたも見たとおり、
”彼”は平和を好むもうひとつの民を集められました。
それはオセア王(イスラエル最後の王ホセア)の時代に自らの地よりとらわれ人として連れ去られた十部族です。
アッシリア王シャルマネサルはオセア王を捕らえ、王の民を海の向こうへ連れ去りました。
そこで彼らは別の地に来たのです。
しかし彼らは相談し合って次のように決めました。
『我らは異教の民から離れて、さらに遠い所へ行こう、これまで誰も住んだことがない彼方の国へ』と。
そこでなら、父祖の地で我らが守り通すことのできなかった掟を守ることができるかもしれれない」
この旅立ちは、時のエジプトのラーに奴隷として使役されていたイスラエル人達を連れ、カナンの地に向けて旅立ったモーセの出エジプトに似ています。
つまり、エジプト・イスラエル人・モーセ・カナン人の対比として、イスラエル十部族を捕囚したアッシリア・イスラエル十部族・エフライムのリーダ・大和国のように対応してしているように思われます。
歴史は繰り返されるとよく言われますが、不思議なことに聖書の中では、同じようなことが時代を変えて何度も繰り返されています。
◆失われた10部族の移動先
移動先については、東の海との記述が『イザヤ書』にありますが、海を越えた東の地に移住したことが分かります。
関連する記述を抜粋しました。
「それゆえ、東で主をあがめ、海沿いの国々でイスラエルの神、主の名をあがめよ。
われわれは地の果から、さんびの歌を聞いた」
(第二四章)
「だれが東から人を起こしたのか。
かれはその行く所で勝利をもって迎えられ、…その足のまだ踏んだことのない道を、安らかに過ぎゆく。…
海沿いの国々は見て恐れ、地の果ては、おののき、近づいて来た」
(第四一章)
「わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。
わたしはわが霊を彼に与えた。
…かれは真実をもって道をしめす。
彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。
海沿いの国々はその教えを待ち望む」
(第四二章)
「律法はわたしから出、わが道はもろもろの民の光となる。
わが義はすみやかに近づき、わが救は出ていった。
わが腕はもろもろの民を治める。
海沿いの国々はわたしを待ち望み、わが腕により頼む」
(第五〇章)
「神である主はこう仰せられる。
見よ。わたしは、エフライムの杖(王権)と、それにつくイスラエルの諸部族とを取り、
それらをユダの杖に合わせて一本の杖とし、
私の手の中で一つとする」
『秦氏が祀る神の国・その謎 P22-23』には、秦河勝を筆頭とする秦氏一族は、太秦公一族で、太秦公、酒公と呼ばれていた。
大秦はローマのことなので、秦氏一族は、ローマから来た、原始キリスト教徒、即ちユダヤ人とレビ人だった。
大が太になっているのは、秦一族に神が宿っていることを意味している。
つまり、秦氏一族は神と共に、日本に渡来した。
この神こそ天照大神と原始キリスト教の神々だったのだと思います。
天照大神とスサノオ命の高天原での神話の中に、機織りと馬が出てきます。
どちらも、秦氏の仕事であり、天照大神と秦氏との関連を残したのでしょう。
大和朝廷に、原始キリスト教徒の秦氏が渡来した。
秦氏は裏で科学技術・事業他を含め、皇室の祭祀をも牛耳った。
そして、偶像崇拝の密教が日本にて盛んになり、神道が廃れるのだが、戦国武将により一時的に阻止されました。
よく考えると、イスラエル十部族が出発し、エジプト・インド経由で日本に渡来した後、日本において、ヨセフと徳川家康、モーセと秦河勝,イエスと聖徳太子の物語が、それぞれよく似ており、聖書の内容が日本で繰り返されているように感じられます。
『人類創成から始まる善と悪の闘いを検証する』より抜粋
2章.古代日本とイスラエル
2-20.日本人の出自について
伊勢神宮の外宮の渡会氏の祖先は、ウルノフル命だという。
シュメル語で牛の都の意味だ。
天御中主=ノアだとすれば、テラ=イザナギに対応する。
テラの子・イスラエルの結婚式では、花嫁が立っている花婿のまわりを回る。
イザナギ夫婦とそっくりなのです。
また、伊勢神宮の「心の御柱」は、
「忌柱=穢れを清める聖霊」
「天御柱=天照」
「天の御量の柱=正義の裁き」
と呼ばれる。
だが、天照は再臨のイエスではない。
神道はユダヤ教・義人ヤコブの原始キリスト教の流れをくみ、イエスをメシアとは見なしていないからだ。
◇
伊勢神宮の外宮の渡会(わたらい)氏の祖先は、ウルノフル命だという。
この「ウルのフル」は、シュメル人の言葉で「牛の都」となる。
シッチン氏によれば、アブラハムに率いられて、ユダヤ人の祖先達は、シュメルの首都ウルを出発している。
また、『神皇正統記』の北畠親房は、
外宮の主神「豊受大神」を「天御中主」としているが、
他にも「籠神社」の『海部氏勘注系図』によれば、
「豊受大神のまたの名は、天御中主、クニトコタチで、その顕現の神をウカノミタマ(稲荷大神)という」
とある。
つまり、「豊受大神」=「天御中主」は、ウルクの王であるノアだと推測される。
「豊受大神」は天照大神のお食事を準備する係でもあるのだが、大洪水後の地上に降り立ったノアは、神々に供物を捧げている。
ノア=天御中主とした場合、天御中主からイザナギ尊まで10代、
かたやノアからテラまで10代なのだから、テラ夫妻=イザナギ夫妻に相当する。
テラには3人の子(アブラハム、ナホル、ハラン)があり、
イザナギにも3人の子(アマテラス、ツキヨミ、スサノオ)がある。
加えて、スサノオとアマテラスは兄弟で結婚しているが、
アブラハムとサラは
「彼女はほんとうに私の妹なのです。
わたしの父の娘ですが、母の娘ではありません。
そして、わたしの妻になったのです」
(創世記 20章12)
とあり、やはり兄弟(異母妹)で結婚している。
このように、ノア=天御中主とした場合、古事記と旧約聖書の記述がピッタリ符合してしまうのです。
ただし、正確に一致しないのは、藤原氏による改竄があり、男神である天照大神を女神とするなどをはじめとして別項で説明している。
テラはニプルの神官(つまりアヌンナキから統治権を与えられている)だったこと、
さらにアブラハムが王家の仕来りである異母妹と結婚していることから、
王家の家系だったのだったと推断される。
関連して、古事記では亡くなったイザナミを追ってイザナギが黄泉の国に旅立つ場面で
「その妹イザナミ命を相見むと欲して、黄泉の国に追ひ往きましき」
(古事記 上 全訳注 P60)
および
「本来はイザナギ・イザナミの二神は兄弟であって・・・」
(古事記 上 全訳注 P44)
との記述があり、
イザナギ夫妻もまた兄妹でした。
従って、聖書に記述はないのですが、テラもまた異母妹を妻としているはずだと推断され、間違いなく王家の家系なのです。
ここでテラの系図を見ると、聖書にはあたかも男のテラが、子を生んだかのように記述されています。
「テラはアブラム、ナホルおよびハランを生み、ハランはロトを生んだ」
(創世記 11章)。
このことは、イザナギが単独で3貴神を生んだことに対応しており、スサノオはアブラハムに対応していることが分かります。
加えて、アヌンナキの王家は異母娘との婚姻により男子が王家を継いでいる。
同じく、天と神の民の仲介者である大司祭は、古代シュメルのテラの時代から男子の直系なのです。
女系天皇を認めることは、神々から日本に引き継がれた伝統を乱すことになり、人類自らの手で神を捨てるにも等しい暴挙なのです。
一方、古代イスラエル人は、当時アヌンナキの神々が個別の都市国家を統治しており、契約により都市神の民となる事を知っていた。
従って、契約を破れば、契約主である神との関係は消えてしまう。
当然、神から与えられる庇護も、律法・軍事・医療他の文明も消えてしまい、
神との契約は民族の存亡に関わる一大事だったのです。
しかし、神と血縁関係にあるとする日本では、神との契約を律法学者のように意識する必要はなかった。
このため、教義・戒律よりも、神との人間関係を重視する傾向が大きくなったと云われています。
それは、神との血縁関係にあるギリシャ神話、ゲルマン神話の特徴でもあります。
以上の推論を元に、アブラハムの家系から、神武天皇を推定しています。
テラ(イザナギ)
→ アブラハム(スサノオ、妹と結婚)
→ イサク(オシホミミ)
→ ヤコブ(ニニギ、イギギの命=黒い頭の王、イスラエル)
→ ヨセフ(山幸彦、ホホデミ、スサダミコ、エジプトの統治者)
→ エフライム(ウガヤフキアエズ)
→ ベリア(神武天皇、エフライムの4男)
(中略)
→ ヨシュア(ベリアの7代後。モーセ様と一緒に出エジプト後、モーセ様の後継者としてカナンを征服)
関連して、「ヤオ族の神話」を読むと、ノアの洪水と遺伝子操作による人類創造の実話が、混在したものだということが分かります。
神話に出てくる人面蛇体は、人類の起源が遺伝子であることを意味しており、大木のまわりを回りながら結婚する二匹の蛇は、まさに二重螺旋構造です。
最初の遺伝子操作により誕生した生命体は失敗し、何度か遺伝子操作を繰り返すうちに人類が創造されたことを意味しているのだと思います。
このヤオ族の神話は、イザナギとイザナミが、「天御柱」(注)をまわりながら契りを結び、国生みを行う神話の原型であり、しかもこの人面蛇体がエンキとニンフルサグを表現しており、彼らが人類の創造主だということを伝えているのです。
◆『失われた王国』より「ヤオ族の神話」
中国ヤオ族の神話では、最高神を怒らせてしまったため、大洪水が起こり、フッキとジョカの二人だけが生き残った。
彼らは人面蛇体の体で、「大木」のまわりを回りながら結婚した。
最初の子はノッペラボウの肉塊だったので、不快に思ったフッキはバラバラにしてしまった。
するとそのかけらからの肉片から人間が化生したという。
◆『日本書紀と日本語のユダヤ起源』より抜粋
古代イスラエル、および現代イスラエルでもそうだが、結婚式では花嫁が、立っている花婿のまわりを回る習慣になっている。
花婿は「天的な柱」に見立てられているからである。
「天の柱」という言葉は聖書にも出てくる。
(「天の柱はゆらぎ…」『ヨブ記 26章11』)
イザナギとミザナミは、天の柱のまわりを回って[古事記]では「アナニヤシ」と言って夫婦となった。
この「アナニヤシ」は、ヘブル・アラム語の「アナ・ニーサ」が若干訛ったものであるとすれば、「私は結婚する」の意味なのである。
(注)「生命の木」と「心の御柱」について
《伊勢神宮の内宮でも外宮でも、正殿の中央の床の下にある「心の御柱」が神器と共にもっとも大切かつ神聖なものだとされています。
「心の御柱」は
「忌柱」「天御柱」「天の御量(みはかり)の柱」などとも呼ばれる5尺(約1.5メートル)ばかりの高さの檜の柱だ。》
(伊勢神宮の謎 P90)
とあり、「天御柱」は三位一体のように三種の意味を柱=神として表現しています。
「忌」は穢れを嫌うという意味なので「聖霊」。
「量」は測るという意味で「裁く」であれば、再臨のキリストにも思われます。
しかし、神道はイエスを救世主と認めていないユダヤ教・義人ヤコブの原始キリスト教の流れをくんでおり、
「天御柱」が中央の柱であれば、天照大だと推測されます。
一方、古代シュメルでの生命の木は、一本の「木の幹」に巻き付く二匹の蛇として、DNAの二重螺旋構造がシンボライズされています。
ところが、生まれたばかりのアダムを抱き上げるニンフルサグの後ろに、生命の木があります。
(人類を創成した宇宙人 P434 Fig151)
この生命の木には、DNAの塩基4種類と、3種類の塩基の一組で一種類の蛋白質を現すことから、左に4枝、右に3枝の7枝樹が表現されています。
そして、2神がこの7枝樹を挟んで対面しています。
この2神は、エンキとニンフルサグであり、人類創造の秘儀として遺伝子情報を後世に伝えたのだと思います。
この生命の木の「木の幹」と「二匹の蛇」の3本が、キリスト教の三位一体や、「心の御柱」の観念へと発展したのでしょう。
更に、カバラを3本の柱と見れば、DNA構造をカバラの中に伝承したと考えても間違いないと思います。
何も魔術的なことではなく、科学そのものだったのです。
2-21.ノアの呪いとセム族
大洪水の後、ノアは初めてのぶどう酒を飲み過ぎて裸のまま寝てしまい、ハムは父の裸を見てしまう。
ノアはハムの子・カナンの子孫に対して、兄弟の奴隷になるように呪うのだった。
(中略)
◇
日本においては、ヤコブの兄(エサウ)=ニギハヤヒ命の子孫の一族(後述しますが、ヨブ一族)は、アイヌ民族(白人種族)と共に飛来し、出雲王国(空港都市)を建国したのでしょう。
『天皇家とイスラエル十支族の真実』によれば、
織田信長の織田(otaはアイヌ語で砂金)一族は、その呼び名から金と関連があります。
さらに、家康の母、於大の方はアイヌ語で『黄金の所有者(ota-i)』を意味すると解され、
家康の側近 酒井雅楽頭も『金山の所有者の長』と解することができるので、この一族がアイヌと関係があったと考えられます。
家康が今の静岡市のあたりで砂金収集に従事していたサンカの女性の私生児で、酒井雅楽頭の一族に買い取られて三河の産金地帯で育ったと伝えられていることは、彼の出自を間接的に示しているように思われます。
この家康の物語は、エジプトを統治したヨセフの物語に酷似しており、ヨセフを意識しての伝承かもしれません。
サンカという言葉が、アイヌ語のサンケ=『砂金のある所』に由来すると見られることは、のちに世界最大の金貨を造らせた家康の幼名が『竹千代』(アイヌ語でアサケ、オタケは金山)であったこともアイヌとの関係を暗示しています。
日本の場合、セム族=皇室を土台にして、武家の政治が行われてきました。
つまり、徳川の祖先と都市の住民(=文明化したアイヌ民族)は、後の時代にセム族の皇室がもたらした幕屋型の家に住むようになりました。
このように政教分離による政治形態は、三権分立の前段階とみられ、当時の世界では非常に進歩した政治形態でした。
進歩した政治形態を創設し維持できたのは、当時の日本人が世界レベルでも理知的な民族だった証拠だと思います。
また、日本の縄文遺跡の周囲には必ずと言ってよいほど巨人伝説が残されています。
しかし、日本の巨人とみなされたアイヌの勇士たち(ダイダラボッチ,デイラボー,大トウボウシ,太郎坊)は、聖書の中の巨人同様、死に絶えてしまいました。
つまり、白人である彼らはアヌンナキとのハイブリッドだったのです。
宗教はといえば、聖徳太子の時代以降、神道と仏教には激しい対立があり、次に神仏習合し、江戸時代まで神道の神々にも仏教の救いが必要だと見なされていました。
明治に入って、神仏分離が実現しました。
つまり、唐の時代の皇帝により、景教が広められ、これが偶像崇拝の仏教として日本に入ってきました。
神仏習合では、偶像崇拝の仏教が、神社=幕屋に住んでいました。
ノアの呪いは成就しています。
日本人はノアの子セムですから、セムがプレアデス星人の子孫であれば、プレアデス星人は私達日本人に似ているはずです。
『プリズム・オブ・リラ』の著者リサ・ロイヤルにコンタクトした宇宙人は、日本人の少したれた目と、世界中、何処にも見られない和を大切にする性質は、
プレアデス星人の遺伝子であると述べているそうです。
2-22.カナンの呪い
ノアに呪われたカナン人は、カインとまじわり悪魔教を広める。
彼らは「黒い貴族」として金融を支配し、「カインの遺言」に忠実に、イルミナティー、300人委員会、共産主義を生みだしてきた。
それは人類とノアと神々への復讐だった。
◇
(中略)
エジプトで宰相の地位にあったヨセフだが、エジプト人からは「牡牛座」を代表する者と思われていました。
なぜエフライム族の長は、出エジプトの時に「金の子牛を作ろう」と言ったのでしょうか。
それは、エフライム族の祖ヨセフのシンボルが野牛だったからです。
日本各地の天神社には牛の像があります。
また、四国、紀伊半島、北陸、東北地方に牛人、牛鬼、牛女伝説、あるいは赤牛信仰が残っています。
これは、古代日本でも “天の牛” が崇拝されていたことを意味しています。
2-23.念仏革命とエフライム族への預言
エフライムへの預言を通じて、古代日本で、エフライムとユダが一つになり、偶像崇拝・密教・キリスト教がもたらされた事実に注目した。
そこには聖書だけでは読み取れないが、キリスト教革命と同質の念仏革命が、神道を滅ぼし、日本を悪の王国へと導こうとしていた事実が浮かび上がる。
◇
『申命記 28章』には、日本に特徴的な習慣の預言があります。
「あなたの牛が目の前でほふられても、あなたはそれを食べることができず、
あなたの ろばが目の前で奪われても、
返されないであろう。
あなたの羊が敵のものになっても、
それを救ってあなたに返す者はいないであろう」
徳川時代まで、日本人は牛を食べなかった。
牛を食べたのはもっぱら外国人だけだった。
また、徳川時代が終わるまで、誰もろばを持っていなかった。
日本の歴史で羊を飼っていた人たちがいたことはまったく知られていない。
ところが、中国には昔も今も羊はたくさんいる。
しかもその羊は、現在パレスチナにいる羊と同じ種類なのである。
日本人がこれまで、羊とロバを家畜として飼わなかったことはきわめて特徴的なことである。
(日本人とユダヤ人)
サタン・ナブーは、日本人を農民としたかったのだと思います。
なぜなら、カインは農民だった。
(ノアの呪いを受けたカナンは、カインの部族と混血し、悪魔教を引き継いでいる)
『申命記 28章』に、偶像崇拝について預言されており、日本において成就しています。
「主はあなたとあなたが立てた王を携えて、あなたもあなたの祖先も知らない国に移されるであろう。
あなたはそこで木や石で造ったほかの神々に仕えるであろう。」
日本のみではなく、ユダヤ人やイスラエルの十部族もまた偶像を崇拝していました。
ユダヤの多くの町で「天の女王」を崇拝した。
(エレミア書 7章18, 25章)
迫害を受けたイスラエルの十部族、ユダヤ人、原始キリスト教徒は、東に逃げ延びた。
その時、インド仏教やヘレニズム文化の影響を受けながらも、他の宗教に影響を与えた。
インド付近の仏教徒はキリスト教の神々と混交し、阿弥陀如来(ヤハウエ)、大日如来(大天使ミカエル)、薬師如来、観音菩薩、弥勒菩薩等の仏教を取り込み、偶像化したことで密教化の道をたどることになる。
その一方で、原始キリスト教は景教の秦氏一団として、秦帝国の迫害を避けてシルクロードを通じて、日本に渡来した。
日本仏教について、『仏教の中のユダヤ文化』から抜粋します。
《空海は、秦氏一族の僧侶から、仏教を学んでいた。
開祖釈迦は死者の葬儀をしなかった。
しかし、儒教の中国では祖先を大切にしない仏教に対して、批判的で人気が無かった。
そこで、仏教に無関係なソグド人の風習を取り込み、中国で不空金剛がお盆を始めた。
その孫弟子が空海である。
仏教の葬儀には、位牌や戒名(洗礼名)を伴うが、これは景教の形式を取り入れたものだった。
ただ、洗礼は無料だが、改名にはお金が掛かる。》
密教は、仏陀の説かれた仏教とは全く異なってしまい形骸化し、人気取りのために見境もなくキリスト教の形式を取り込んでいきます。
盆の起源についてですが、
「仮庵の祭」だったことが分かります。
仏教に取り入れられたときから、
「仮庵の祭」が隠蔽されてしまいました。
日本人が、正当なイスラエルの末裔であることが時間の流れの中で忘れ去られてしまったのです。
「七月の十五日は仮庵の祭である。
七日の間、主の前にそれを守らなければならない。
初めの日に聖会を開かねばならない。
どのような労働もしてはならない」
(レビ記 23章34-35)
その後、秦氏の母を持つ法然、その弟子親鸞は、他力信仰を打ち立てました。
即ち”南無阿弥陀仏”を唱えるだけで救われるというもので、これは仏陀の仏教とは全く無関係の代物です。
この他力信仰は
「主の名を呼び求めるものは、誰でも救われる」
(ローマ人への手紙)
が元になり、密教徒が景教をまねて仏教に取り入れたものです。
◆念仏踊り革命は失敗した
ローマでは下からのキリスト教革命が成功し、キリスト教以外の神々は徹底的に排除され、これを祀る祭祀は惨殺された。
古代日本で仏教が導入され、仏教が庶民に広まると、下からの念仏踊り革命が勃発した。
しかし、貞永式目による民主化により、念仏踊り革命、すなわちイエス革命は失敗したのです。
もし、日本で念仏踊り革命が成功していれば、そしてその開祖が厩戸皇子だと、西洋キリスト教徒に知らさせた場合、
西洋でのそのショックは甚大だったことでしょう。
つまり、イエスの再臨がここ日本だったのだと。
つまり、歴史を比べると、原始キリスト教が出現したローマ帝国下のイエスとヤハウエの関係が、日本密教では、唐帝国(第2代と第3代皇帝が、景経を中国に流布し広めた)下の聖徳太子(薬師如来)と阿弥陀如来(ヤハウエ)に対応してしまうのです。
つまり、密教というサタン・ダビデが打ち立てた、まったくとんちんかんなヴァーチャルの世界を、神仏混交した日本人は毎日拝んでいるのです。
インドや中国の仏教僧は、キリスト教の伝来により人気を奪われてしまいつつあったが故に、イエス・キリストの伝記(福音書)の表現を借りて、釈迦の伝記を創作してしまった。
同じように、日本で偶像化した密教を広め国教化するために、聖徳太子は利用された。
この為、密教は一時、日本の国教のような地位にまで登りつめてしまいました。
この影響を受け続けてきた現在の日本は、左翼教育の浸透もあり、現天上界の神々による正法流布に対して、正法が理解できない民族に変貌させられてしまいました。
なぜなら、イスラエルから始まる天皇制は、密教とは相いれないからです。
一方、織田信長をはじめ戦国武将たちは、日本仏教に対する根強い反発を持っていた。
彼らにとって、日本仏教は迷信的な邪説で民衆を惑わせ、国家統一を妨げる前時代的な宗教であった。
徳川家康が押し進めた政策は、日本仏教に代わって日本式儒教を国教とすることだった。
日本仏教は支配者の宗教としては相応しくない。
支配者は理性の教え、日本式儒教で心を武装しなければならないと、考えたのでした。
徳川時代に、儒学者・林羅山が、聖徳太子を厳しく批判しています。
聖徳太子は、天皇を殺害した蘇我馬子と連帯して政治を行い、彼とともに密教を日本に広めた。
この日本仏教は迷信であり、民を惑わせる邪教である。
それによって、日本の理性は曇ってしまった、と林羅山は批判しました。
聖徳太子批判はいわれのない濡れ衣だとしても、それ以外はまったくその通りだと思います。
(注)聖徳太子は
「篤く三法を敬え。三法とは儒・仏・神である」
と説いたのですが、
日本書紀の中で
「篤く三法を敬え。三法とは仏・法・僧である」
にすり替えられたと云われています。
藤原不比等が仏僧の道慈を登用し、道慈がすり替えたとのこと。
(仏教の中のユダヤ文化)
話を元に戻しましょう。
『申命記 32章』の
「彼らを遠く散らし、彼らのことを人々が記憶しないようにしよう」
及び、
『ホセア書 2章』の
「わたしは彼女のすべての楽しみ、すなわち祝、新月、安息日、すべての祭をやめさせる」
の預言は成就され、イスラエルの十部族は日本へ追いやられ、日本各地に散らされ、表面的にはイスラエルの習慣・言葉を失った。
そして、日本人は、2千5百年以上も世界から忘れ去られていた。
『列王紀下 17章』に、イスラエルの十部族が主を怒らせた理由が記述されています。
「これは主が、周囲の異邦人のようにおこなってはならないと、彼らに命じられたものである。
彼らはその神、主の全ての戒めを捨て、自分のために二つの子牛の像を鋳て造り、またアシラ像を造り、天の万象を拝み、かつバアルに仕え、またそのむすこ、娘を火に焼いてささげ物とし、占いおよびまじないをなし、主の目の前に悪をおこなうことに身をゆだねて、主を怒らせた。
それゆえ、主は大いにイスラエルを怒り、彼らをみ前から除かれたので、ユダの部族のほか残った者はなかった」
(エズラ書 12章)
によれば、イスラエルの十部族のうち、神に従う者達が、日本に向けて旅立つ決意について記述されています。
「そしてあなたも見たとおり、
”彼”は平和を好むもうひとつの民を集められました。
それはオセア王(イスラエル最後の王ホセア)の時代に自らの地よりとらわれ人として連れ去られた十部族です。
アッシリア王シャルマネサルはオセア王を捕らえ、王の民を海の向こうへ連れ去りました。
そこで彼らは別の地に来たのです。
しかし彼らは相談し合って次のように決めました。
『我らは異教の民から離れて、さらに遠い所へ行こう、これまで誰も住んだことがない彼方の国へ』と。
そこでなら、父祖の地で我らが守り通すことのできなかった掟を守ることができるかもしれれない」
この旅立ちは、時のエジプトのラーに奴隷として使役されていたイスラエル人達を連れ、カナンの地に向けて旅立ったモーセの出エジプトに似ています。
つまり、エジプト・イスラエル人・モーセ・カナン人の対比として、イスラエル十部族を捕囚したアッシリア・イスラエル十部族・エフライムのリーダ・大和国のように対応してしているように思われます。
歴史は繰り返されるとよく言われますが、不思議なことに聖書の中では、同じようなことが時代を変えて何度も繰り返されています。
◆失われた10部族の移動先
移動先については、東の海との記述が『イザヤ書』にありますが、海を越えた東の地に移住したことが分かります。
関連する記述を抜粋しました。
「それゆえ、東で主をあがめ、海沿いの国々でイスラエルの神、主の名をあがめよ。
われわれは地の果から、さんびの歌を聞いた」
(第二四章)
「だれが東から人を起こしたのか。
かれはその行く所で勝利をもって迎えられ、…その足のまだ踏んだことのない道を、安らかに過ぎゆく。…
海沿いの国々は見て恐れ、地の果ては、おののき、近づいて来た」
(第四一章)
「わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。
わたしはわが霊を彼に与えた。
…かれは真実をもって道をしめす。
彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。
海沿いの国々はその教えを待ち望む」
(第四二章)
「律法はわたしから出、わが道はもろもろの民の光となる。
わが義はすみやかに近づき、わが救は出ていった。
わが腕はもろもろの民を治める。
海沿いの国々はわたしを待ち望み、わが腕により頼む」
(第五〇章)
「神である主はこう仰せられる。
見よ。わたしは、エフライムの杖(王権)と、それにつくイスラエルの諸部族とを取り、
それらをユダの杖に合わせて一本の杖とし、
私の手の中で一つとする」
『秦氏が祀る神の国・その謎 P22-23』には、秦河勝を筆頭とする秦氏一族は、太秦公一族で、太秦公、酒公と呼ばれていた。
大秦はローマのことなので、秦氏一族は、ローマから来た、原始キリスト教徒、即ちユダヤ人とレビ人だった。
大が太になっているのは、秦一族に神が宿っていることを意味している。
つまり、秦氏一族は神と共に、日本に渡来した。
この神こそ天照大神と原始キリスト教の神々だったのだと思います。
天照大神とスサノオ命の高天原での神話の中に、機織りと馬が出てきます。
どちらも、秦氏の仕事であり、天照大神と秦氏との関連を残したのでしょう。
大和朝廷に、原始キリスト教徒の秦氏が渡来した。
秦氏は裏で科学技術・事業他を含め、皇室の祭祀をも牛耳った。
そして、偶像崇拝の密教が日本にて盛んになり、神道が廃れるのだが、戦国武将により一時的に阻止されました。
よく考えると、イスラエル十部族が出発し、エジプト・インド経由で日本に渡来した後、日本において、ヨセフと徳川家康、モーセと秦河勝,イエスと聖徳太子の物語が、それぞれよく似ており、聖書の内容が日本で繰り返されているように感じられます。