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日本の『リベラル』は死んだか

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「戦後リベラル」はどこで間違えたのか


転載元 池田信夫のブログ2014年12月13日

朝日新聞の失敗の原因は、終戦直後から彼らが受け継いできた絶対平和主義であり、その教祖が丸山眞男である。
1950年に丸山が中心となって書かれた平和問題談話会声明の「全面講和」の平和主義は、いま読むとナンセンスだが、社会党の運動方針となり、いまだに朝日新聞や日教組などの「戦後リベラル」の亜流に受け継がれている。
 
しかし丸山自身は、60年安保のスターになったあと、マスコミから姿を消した。
それは政治活動の「夜店」を畳んで日本政治思想史の「本店」に専念するためだ、と彼はいっているが、その後は過去の政治活動についてまったく語らなくなる。
 
『政治の世界』 他十篇 (岩波文庫)
 
本書の原型は1952年に出版された小冊子だが、丸山はこれを絶版にし、論文集にも収録しなかった。
その理由を彼は「デモクラシーを支える自発的結社のモデルとして労働組合を考えていた」と語り、
「これは完全に間違いだった」と率直に認めている。
 
本書に収録された「権力と道徳」という論文で、丸山は民主主義というクラートス(支配)を支えるエートス(倫理)が日本にあるのかという問題を追究している。
西洋では個人を救済するキリスト教のエートスを基礎にして、近代国家のクラートスが築かれた。ローマ教会は俗権と妥協して御用宗教となったが、プロテスタントはパウロ的な普遍主義を掲げて国家=教会と戦った。
この矛盾が集約的にあらわれたのがドイツだった。
ヘーゲルは国家理性が宗教の矛盾を統一すると考えたが、ニーチェは国家を「組織された非道徳性」と嘲笑した。
ウェーバーはニーチェの影響を受け、国家は暴力装置であると規定したが、こうしたニヒリズムを突き詰めると「戦争において重要なのは正義ではなく勝利である」というヒトラーの論理に行き着く。
 
しかし日本には、よくも悪くもキリスト教のような普遍主義は一度も根づかなかった。
その代用品として戦前には天皇が使われたが、それは福田恆存も指摘したように、個人を救済するエートスをもたなかったため、敗戦とともに簡単に捨てられた。
 
戦後は新たな代用品として絶対平和主義が使われたが、これは天皇よりリアリティのない空想だった。社会主義も人々を内面的に救済するエートスをもたないため、一度も多数派になることのないまま消えてしまった。
 
しかし、亜流リベラルはまだそれに気づかず、民主主義のクラートスを「動機の純粋性」のエートスで語る。
 
集団的自衛権を認める安倍首相は「戦争を求める汚れた政治家」であり、
それを阻止する朝日新聞は「平和を求める純粋な心」をもっている――
 
これは丸山も後年に批判した「プリミティブな心情倫理」だが、それを捨てると戦後リベラルには何も残らないのだ。
 
 
 ◇
 

日本のリベラルは「個別の問題に反対する」ことしかできない

橘玲の日々刻々 2014年10月20日
『週刊プレイボーイ』2014年10月14日発売号に掲載
 
しばらく海外にいて久しぶりに日本に戻ってきたら、駅前で「朝日新聞を廃刊にせよ」というのぼりを持ったひとが演説していて驚きました。
その後、たまっていた新聞や雑誌を読んでようやく事情がわかりました。
海外では、朝日新聞の誤報をめぐる日本社会の大騒動はなんの関心も持たれていなかったのです。
この問題についてはすでに膨大な論評がありますが、ここでは「戦後民主主義」という日本型リベラリズムの蹉跌について考えてみます。
 
戦後民主主義は、300万人の死者と広島・長崎への原爆投下という悲惨な結末を招いた日中戦争・太平洋戦争への反省から生まれました。
その根本理念は「二度と戦争をしてはならない」で、これに反対するひとはいないでしょう。
問題は、そのためにどうすればいいかという政治戦略です。
戦後日本のリベラルな知識人は次のような議論を展開しました。

1.反権力 日本をふたたび軍国主義にしないためにはあらゆる権力に反対しなければならない
 
2.反米 アメリカは帝国主義国家で、日米安保条約は日本を戦争に巻き込むだけだ
 
3.憲法護持 軍隊がなければ戦争はできないのだから、非武装中立こそが平和への道だ
 
このようにして日本のリベラルは「天皇制」に反対し、毛沢東の中国やスターリンのソ連、金日成の北朝鮮に親近感を抱き、社会党や共産党を「革新政党」として支持しました。

しかし、すぐにわかるように、この戦略は最初から破綻しています。
反権力ではいつまでたっても権力を持てないのですから、自らの理想の実現を放棄しているのと同じです。
 
この矛盾は、すでに1960年代の安保闘争の頃から指摘されていました。
当時の政治的な学生たちは、戦後民主主義を空理空論として批判し、革命によって権力を奪取することを求めていたのです――
 
もっともこちらも、さらなる空理空論だったわけですが。
 
1990年に冷戦が終焉すると、共産主義という社会実験が壮大な失敗だったことが誰の目にも明らかになりました。
中国・ソ連・北朝鮮の共産党独裁を批判し、アメリカのリベラルデモクラシー(自由な社会と民主政)を擁護した保守派が正しかったのです。
 
こうして日本のリベラルな知識人は、思想的な根拠を失って大混乱に陥りました。
本来であればここで新しい政治思想を構築すべきだったのでしょうが、プライドの高い彼らは保守派への敗北を嫌って過去の主張に固執しました。
 
朝日新聞は、従軍慰安婦問題で天皇の戦争責任を追求しようとする左翼活動家のような記者たちを排除できず、誤報を認めることができませんでした。
福島第一原発事故の誤報の原因は、「反原発」という結論が先にあり、吉田調書入手というスクープを東京電力や安倍政権への批判に利用しようとしたからでしょう。
特定秘密保護法や集団的自衛権でも同じですが、保守派に対抗する政治思想を持てないために、個別の問題を過剰に言い立てるほかなくなっているのです。
 
「保守対革新」という政治対立はすでに過去のものになりました。
いまの日本に必要とされているのは、まっとうな(グローバルスタンダードの)リベラリズムです。
そのことに気づかず、骨董品のような「戦後民主主義」にしがみついているかぎり、日本のリベラルに未来はないでしょう。
 
 
 

リベラルの再生はなるか

転載元 
2013.07.20放送 ON THE WAY ジャーナル WEEKEND
月刊 寺島実郎の世界

寺島> まず、リベラルとは一体何だろうということをもう一度考えてみたいと思います。
リベラルは「全体」、例えば、「国家」、或いは、かつては「宗教」等、人間の個を大きく取り巻いて規制してきたことに対して、個人として自分は自分で筋道の通ったものを考えていくという主体的にものを考え抜く力のようなことをリベラルと言って、それが近代人の思考の柱であって、それがフランス革命、アメリカの独立戦争等を支える大きな力になったわけです。

日本は敢えて言うならば戦後民主主義という形で国家に奉公するという時代から戦争が終わって与えられた民主主義という形で民主主義が入ってきたために、どうしてもリベラルが根付かず、いざという時に腰砕けになってしまうのです。
・・・
どんな時代に関する議論も、その時代を変えていく主体は誰なのかをしっかりと認識しなければ、「時代を変革する」と叫んでみても、誰が変革者になるのかとなります。

かつて、我々は戦後民主主義の60年安保や70年安保だという冷戦時代にはマルクス主義や社会主義等を信仰している人たちがたくさんいて、マルクス主義で
「世の中を変えていく主体は労働者で、労働者革命の時代が来る」
ということが盛んに言われて、本気で議論された時代が現実にありました。
階級闘争によって歴史が変わっていくというものです。

やがて、労働者が決起して資本主義社会は社会主義社会に移行していくのだという世界観が一定の支持を得ていた時代がありました。
しかし、世の中は変わってしまいました。
冷戦が終わって社会主義体制の総本山だと言われていたソ連が崩壊して東側が崩れて20年経ったのです。
いまや、社会主義という言葉さえも、封印されました。
そのような意味での労働者革命ということを夢見るという議論は、まったくの空論だと捉えられていると思います。

私は学生時代に1970年の大学全共闘運動の時代を生きたのですが、あの頃は、学生は社会的存在としてどのようなものからも自由であるが故に、そのような主体が世の中を変えていく力になるという期待感を込めた議論がなされている時代、つまり、大学生が主体になり、若きインテリゲンツィア=Intelligentsiaが世の中を変えていく主体になっていましたが、現在は主体が見えない時代になってしまったのです。

そこで、先ほど申し上げた現代における「リベラル再生の主体は誰か」についてお話しします。
先ず、民主党政権の挫折には「階層」と「世代」という2つのキーワードがあります。
「階層」には労働組合運動の一つの挫折でもあったのです。
どういう意味かというと、民主党政権は連合という労働組合運動がバックアップする形で成立した部分もあって3年半の民主党政権には14名が労働組合出身者で、大臣、副大臣等の政務三役として政権に参画していました。
したがって、皮肉な言い方をすると、民主党政権は労働組合政権だったともいえるということです。
しかし、労働組合なるものが天下を取って大臣、副大臣等になるような時代が来たけれども、「では、どうだったか」というと、民主党の挫折が象徴しているようにどうもうまくいかなかったのです。

労働組合のベースである、連合が組織化している労働組合の組織率は、昨年、わずか17.9%になってしまいました。
つまり、額に汗して働いている人の既に8割以上が労働組合に入っていないという時代がきたということです。
労働組合がもの凄く空洞化してきていると言われる理由は、わずかな組織しかしていなくて、しかも、かつて労働組合が変革の主体であったと期待された時代があったけれども、「金持ちけんかせず」という言葉があるように、日本の労働組合は、いま、連合の主力主体は自治労といって、公務員の労働組合の組織か、大企業の組織になってしまっているのです。

更に、推定値なのですが、昨年の連合が組織化している組合員の平均年収は39歳をベースにして約560万円です。
いまの日本の労働人口の34%は年収200万円以下だと統計で発表になったというように、働いている人の3人に一人は年収200万円以下の国になっていて、かつての一億総中流と呼ばれるように、「自分は金持ちじゃないかもしれないけれども中流です」と多くの人たちが答えていた状況からすると、日本はこの約10年間の間に考えられないほど貧困化していると何度もお話をしてきました。

したがって、労働組合の運動が浮いてしまい、いまや労働組合は働いている人の中で最も恵まれた人たちの組織集団で、例えば、労働組合に入っていない未組織の労働者からみたら羨ましい限りの存在なのです。
ここで問題になるのは、分配の問題、或いは、貧困、格差の問題等を進行していく中で、誰がそのような問題に深く共鳴し、このような方向で世の中を変えていかなければならないという立場に立って発言するのかという時に、いまの労働組合では期待できないのです。

そのような中で、私は労働組合をダメだと言っているのではありません。
10年前に連合の見直し委員会のようなものがあった時に弁護士の中坊公平さんが委員長で私は委員として参加していました。
その時にも指摘していたのですが、労働組合運動は自分たちの分配の問題、例えば、春闘という賃上げの問題だけに血道を上げて頑張る組織ではなくて、社会の不条理といった、分配、格差の問題、或いは、世界が抱えている貧困の問題、戦争と平和の問題等に怒りをもって向き合うくらいの気迫をもたなければ労働組合は変革の主体にはなり得ないということです。

そのような面において、いま日本の労働組合は非常に重大な正念場にきています。
つまり、果たして、いま自分たちの賃上げと自分たちの雇用を守る事だけに焦点を当てた運動体として細々と先細りながら生きていくのか、それとも、新しい変革の主体として目覚めて、より多くの人たちを巻き込んで新しい市民運動をするのか。

労働組合は別の言い方をすればノンプロフィット=Non-Profit、つまり、非営利の団体、NPO、NGOの走りのようなものだったわけです。

木村>  共助、共に支え合うというのが本来の思想だったのですね。

寺島>  したがって、私はこの論稿の中で新しい労働組合運動の地平をどのように開いていくのか、労働組合にいる人たち自身が考え抜いて自分たちの立ち位置を定めていかなければならないということが先ず一つ挙げられます。

もう一つは、階層の問題とは別に、「世代」という問題をこの論稿の中で提起しています。
それは何かというと、私自身の世代でもあり、木村さんの世代でもある戦後生まれの日本人としての先頭世代、つまり、「団塊の世代」とよく言われてきました。
これらの人たちが除々に高齢化社会に足を突っ込み始めていて、議論を戻すならば、今回の民主党政権の挫折で14人の団塊の世代が民主党政権で大臣、副大臣、政務三役として参画したのです。
ということは、民主党政権の失敗とは、労働組合の挫折であり、団塊の世代の挫折だったとも言えるのです。

私自身も団塊の世代ですが、この世代の脇の甘さと愚かさが日本という国の民主党の実験をも挫折させ、更に、これからの高齢化社会にとって、この世代がどうするのかがもの凄く重大だということを何度か連載でも書いています。

それはどういう意味かというと、団塊の世代、つまり、昭和20年代の前半に生まれた世代で人口が塊のようになっていると言われているのです。
戦後民主主義なるものを土壌に日本の右肩上がりの時代に青春期を送って1970年前後の大阪万博の頃に社会人として社会参画した世代が、いまや高齢化社会を迎えようとしています。
戦後日本のある面をたっぷり吸収して育ってきています。

それは何かというと、戦後日本はとにかく「物量の敗戦」だと敗戦を総括して経済だけは復活したいということで、一種の経済主義者で、つまり、アメリカに追いつけ追い越せの時代でアメリカの物量に憧れて戦後なるものを生きてきたために、経済に対してもの凄く価値を感じているという特色を持っているということです。

もう一つ、先ほどのリベラルではありませんが、本当の意味でのリベラルを身につけたのかというとそうでもなくて、個人主義者という表現は甚だ外れています。

木村>  たしか寺島さんは「ミーイズム」と指摘していらっしゃいますね。

寺島>  個人主義というのは思想、哲学の問題であって国家がどんなに強制してきても自分は自分の哲学、宗教を変えないという深いものがあるわけです。
ミーイズムは「私生活主義」と訳したほうがよいわけで、他人には干渉もしたくないし、自分の生活に干渉されたくもないというライフスタイルのことをいいます。
せいぜいライフスタイルのようなものを身につけてしまった世代の特色を一言でいうならば、「美しい言葉に納得して酔いしれる」ということです。

例えば、民主党政権が使った言葉の中に、「コンクリートからヒトへ」という言葉があって、この言葉はとても美しくて、なるほど、コンクリートよりも人間のほうが大事だと誰もが思います。
更に、私がよく言うことなのですが、長野オリンピックのキャッチフレーズに「故郷(ふるさと)は地球村」という言い方があります。
要するに、地球全体を一つの自分の故郷のようにするのですが、そこから社会科学や政策科学の問題が登場してくるわけで、民族や宗教の対立、憎しみ等超えて、どうやって故郷は地球村にするのかが問題なのです。
そして、「コンクリートからヒトへ」と言うけれども、言葉で納得してしまわずに、本当に人を大事にする社会を制度設計していくことがどれほど大事か、コンクリートだって人の命を守るためには大事だという部分もあります。
そこから深めていくのが社会科学であり、政策科学なのですが、美しいキャッチフレーズを謳っている私は良い人でしょう、という感じで納得してしまって、そこから踏み込まないのです。
実は、その甘さと弱さが戦後なる日本の壁になっているとうことです。

そこで、私が言いたいのは、団塊の世代はこのまま行くと自分だけ年金をもらって安定的な老後を送れるような社会をつくればよいとでも思っているのかということです。
後代に負担を押し付けて自分たちだけなんとか安定、安心の世の中ができればよいというわけにはいかないのです。
いま我々が直面している状況を敢えて言うならば、私が労働組合と団塊の世代=戦後世代の問題を提起している理由は自分自身をも含めて日本の戦後リベラルなるものを振り返るためにはどうしてもここを踏み固めざるを得ないのです。

このような文脈において、いま時代に流れている流れを真剣に自分のことに引きつけて考え直す必要があるというところにきているのです。
ここからでないと次の展開は見えないということなのです。

戦後世代の今後の生き方を考える上でも、今月書いている論稿の中で、「一人一つのNPO」という言い方をしていますが、これは何かというと、戦後の日本人のものの考え方の中に、「官主導から民主導へ」とよく言うと思いますが、民主党政権も官主導を否定して政治主導だと言ってみたわけです。
しかし、「官対民」というコンセプトの中に、真ん中のところに「公」という言葉が実は存在しているのです。

つまり、官でもなく民でもないけれども、自分たちが踏み込んで支えなければならないコンセプトとして「公」という部分があります。
しかし、戦後の日本人、特に私たちの世代がそうなのですが、かつて「滅私奉公」と言って、自分を押し殺してでも公に奉仕すべきだという時代があったために、「公」という言葉が大嫌いで、「公」という言葉から逃げ回っていたというのが、おそらく戦後のある心象風景だと思います。
しかし、ごまかしなく地域社会にしても、或いは、どんな社会にしても、公という部分に一歩踏み込んで誰かが額に汗して支えなかったら、「それは官がやってくれればよい」というわけにはいかない部分が必ずあるわけです。
そのようなところに様々な問題が凝縮して現実の日本において出てきています。

その「公」という部分を誰が支えるのか、どのように支えるのかという方法論が議論されなければならないのです。
それが、今後の日本において凄く大事で、これからの高齢化社会において恐ろしい事は、都会でサラリーマンをやっていた人が高齢者になった時にどうするのかといったら、やるべきことを自ら見つけ出さなければならないのです。
やるべき事というのは、誰かが教えてくれるものではなくて、自分たちが強い問題意識をもってえぐり出していくものであって、そこの中から同じく問題意識を持った人との連携や共存していくベースが次第に見えてくるのです。
日本にとって無いのはそのようなコミュニティなのです。
意思疎通を図る場、それが時にはクラブだったりします。
自分たちで仲間をしっかり同じ問題意識をしている人たちを引き寄せて自分たちがつくっていく時代、コミュニティ、アソシエーションと言ってもよいと思います。
そのようなものを日本人が問題意識の中に入れ始めた時に、世の中が変わってきます。
アソシエーションを通じて何をしなければならないかの問題意識が深まります。
そのようなことが凄く大事なのです。

私は高齢者のところに照準を当てて話をしていますが、実は、今回の放送の中で話したかったことが一つあって、それは先月末に文藝春秋の新書から新しい本、『何のために働くのか―自分を創る生き方』を出しまして、これは若い人たちに向けてのもので、私は大学の学長もやっているために若い人と向き合う機会も多いのですが、就職に苦しむというだけではなくて働くことそのものに悩んでいます。
どういう意味かというと、就職が決まったとしても3年で3割転職して自分のやりたい仕事、やるべきだと思う仕事が見えないままに仕事に就いていくために迷いに迷って、また次の青い鳥を追うかのように転職していきます。そうこうしているうちに、若い時代はあっという間に終わってしまうのです。



リベラルの再生はなるか
真の変革への道筋

転載元 寺島実郎の発言
「脳力のレッスン」世界 2013年4月号

ここで「リベラルの再生」とは民主党の復権を意味しない。
なぜならば、民主党のリーダーの多くの自己認識は「保守」であり、政権に就いていた三年余において、この政党は「消費税の増税」と「対米萎縮外交」を政策軸とする「第二保守党」と化し、変革への意思を霧消させてしまったからである。
原点に還り真の変革の基軸について再考せねばならない。

忘れ難い光景がある。
〇九年政権交替の一年半後、既に民主党政権の迷走が顕著であった。
西日本の労働組合運動の大会に呼ばれ話をした翌朝特急に乗ると、前夜熱い議論をした若者たちがおにぎりを届けにきてくれた。
動き出した汽車の窓の向こうで叫ぶ声が聞こえた。
「先生、政権交代って何だったんですか。
本当の変革って何ですか」
リベラルの担い手たるべき労働組合・市民運動も、組織維持のための建前と小成に安んじ、下支えする者の真剣な問いに答えてはいない。

そしてリベラルは消失した

二〇一二年末総選挙の結果をどうとらえるのか。
突き詰めれば民主党への深い失望と第三極なるものへのためらいが、相対的に自民党を浮上させた構図といえる。

民主党への失望とは何か。
それは、政策基軸の迷走に尽きる。
「マニフェスト」に掲げたことを放棄して、「政治的現実主義」の名の下に妥協と変節を繰り返し、自民党が主張していた政策に引き寄せられていった。
それは世界観の欠落と政策基軸への使命感の喪失による。

世界史の潮流が冷戦後二〇年を経て、各民族・国家が自己主張する「全員参加型秩序」に向かう中で、冷戦期の外交の枠組みを見直し、米軍基地や日米同盟を二一世紀にふさわしく再設計すべきだったにもかかわらず、「今までのままでいい」という惰性と思考停止に後退してしまった。

「消費税の増税」も、それまで財政秩序を強い問題意識としてきたのならばともかく、突如「最優先の政治課題」として、党内の仲間を切り捨て野党と手を組んでまで実現を図ろうとする豹変ぶりであった。

3・11を経て、重要課題となった原子力についても、「脱原発」を掲げる一方でその実現には避けられないはずの「日米原子力協定」の見直しに向かうわけでもなく、日米で共同して外国に原子炉を売り込む政策を推進するという矛盾から出ようとしなかった。

あらゆる意味で、民主党は変革の筋道を喪失したわけで、存在意義を自ら否定したのである。

一方、民主党迷走の中で一時は、「維新の会に日本の未来を託せ」といわんばかりの追い風を受けていた第三極も、国民意識に「ためらいと疑念」が生じて失速した。
本来「大阪都構想」を掲げて地方分権を目指す改革勢力だったはずが、「国権の下方」(中央集権を否定するリベラリズム)を志向する軸を失い、国家としての自己主張をことさらに強調する国家主義勢力との連携・統合を図ったことで方向感が見えなくなり、限られた国民の支持しか得られなくなったのである。

自民党への相対的支持をもたらしたのは「景気回復願望」であった。
各種の出口調査での「投票を決めた理由」をみると、「景気回復・経済再生」が国民の願望であったのが分る。
わずか一年前、「脱原発」といって、「戦後経済成長路線への反省」を語っていた空気は一変した。
安倍政権がスタートして調整インフレ論ともいえる「金融緩和と財政出動」に動き、株が上がり、為替が円安に動くと、「現代のええじゃないか運動」ともいえるほど、思考停止の「景気回復ええじゃないか」ムードに酔いしれる有様となった。
あっけないまでの経済主義への回帰である。

二〇年デフレの中で進行した資産家の没落と勤労者の苛立ちの中でインフレ願望が高まることも理解できる。
しかし、かくも日本人は軽薄だったのであろうか。

もうひとつの時代の空気は、近隣諸国との摩擦の中で燻りはじめた「プチ・ナショナリズム症候群」である。
大きな国益を視界に入れたナショナリズムではなく、高々「中国・韓国にはなめられたくない」という次元での小さなナショナリズムにすぎない。
安易な景気回復願望とプチ・ナショナリズムの狭間を迷走する心理、ここに日本の現実がある。

さらに、国民の覚めた心理の背景には、この二〇年間追い求めた改革幻想への疲れが存在する。
まず、細川内閣の一九九三年から九四年にかけて、「政治改革」といって興奮した。
結果は、選挙制度の「小選挙区比例併用制」への変更で、議員定数の削減など代議制の本質的見直しには手を付けず、比例復活の「ゾンビ議員」の輩出など、むしろ政治不信の増幅しかもたらさなかった。

次に、橋本内閣の一九九六年から九八年、「行政改革」といって興奮した。
結果は、中央省庁の再編に帰結し、公務員制度に手を付けない組織の再編統合が、何の行政効率の改善にもならないことを確認した。

さらに、「小泉構造改革」といって興奮したが、本丸とされた「郵政民営化」は実現されたものの、必要不可欠の改革であったのかは今日に至っても疑問である。
一方で、9・11により逆上した米ブッシュ政権のイラク戦争に引きずられ「自衛隊のイラク派遣」へと踏み込んだのもこの政権であった。

そして民主党への「政権交代」と言って興奮した結果が、前述の惨めな結末であった。
改革幻想とともにリベラルへの意思は混濁していった。

◆改めてリベラルとは何か
戦後日本の民主主義を再考する中で
リベラルの語源はラテン語のLIBERで「何ものかに制約されない」という意味だという。
つまり、何かにとらわれたり、こだわることなく、相対的に自由であることから、英語での名詞のLIBERTY(自由)や形容詞のLIBERAL(自由な)、そしてLIBERALISM(自由主義)が派生したという。

歴史的にも変容し、リベラリズムに厳密な定義などない。
欧州における「リベラル」の源流は一七世紀のオランダに辿ることができ、その後のフランス革命や市民革命の底流を支える理念となった「自由・平等・博愛」という志向は、中世的権力・権威からの「個人の解放」を意図し、全体による抑圧や制約に対する個の理性への自覚に依って立つものであった。

ところがその理念が米国に渡ると、建国の理念そのものがリベラリズムであり、皮肉にも「保守勢力」が米国の原点回帰で持ち出す理念がリベラリズムという奇妙な交錯現象が起こる。

佐々木毅は『アメリカの保守とリベラル』(1993年、講談社学術文庫)において、
「ヨーロッパ大陸流にいえば、アメリカの保守主義は自由主義であり、リベラリズムはやや社会民主主義に近いといってよい」
と述べる。

米国の共和党保守派が「ティーパーティー」などを形成し、「大きな政府批判、福祉政策批判」を繰り返すのも、個の自立と自己責任を探究するリベラリズムに立つからに他ならない。

この文脈で考えると、日本の政治思想はより一層複雑骨折していると言わざるをえない。
戦後日本の民主主義を再考する中で、安易な国権主義への即時的回帰が起こる理由を確認しておきたい。

デモクラシーという言葉が、古代ギリシアのポリス政治におけるデモス(民衆)の支配(クラティア)に由来することはよく知られる。
ただし、政治の在り方として必ずしも積極的評価を受けてきたとはいえないこの言葉が、世界の政治的価値の中心に置かれたのは第一次大戦末期に米国のW・ウィルソン大統領が「デモクラシー擁護」を強調して連合国の共通理念としてからであり、まだ一〇〇年も経っていない。

とりわけ日本にとっては「ポツダム民主主義」として与えられたものであり、市民が主体的に勝ち得たものではない。
明治近代化以降も、プロイセン憲法を規範として造られた明治憲法の中で国家至上主義の歴史に生きた日本は、民主主義の危さを常に内在させているといわねばならない。
民主主義が機能しないとなると、すぐに「行き過ぎた民主主義」「悪平等の弊害」が語られ、全体による規律と縛りを主張する上から目線の独善・独裁に拍手を送る誘惑に取り憑かれるのである。

それでも、戦後日本の民主主義に誠実に向き合った人達もいた。

加藤周一は『戦争と知識人』(1959年)で事実を「知ろうとしなかった知識人」を「道義的裏切り」とし、「星菫派」を切り捨てる行動する思想家であった。
本誌に書いた私の論稿「『不必要な戦争』を拒否する勇気と構想」(03年4月号)を読んだ同氏に訪ねていただき対談したことがある。
「不条理に対する直観に結び付いた怒り」が知識人に求められることを、当時八四歳の加藤氏は殺気をはらんで発言していた。
存命ならば、3・11を受けて「反核・反原発」の先頭に立っていたはずで、原子力に関する私の議論とは一線を画すことになったと思うが、ニヤリと鋭い眼光で話を聞いてくれたと思う。

また、敗戦をかみしめ、「平和憲法」を抱えることの意味を思索していた。
国権主義・全体主義的な決めつけを拒否して相対的な見方を探究していた。
民主主義の成熟に向けて忘れてはならない示唆である。

◆新しいリベラルの五つの基軸
価値基軸再建への試論
戦後の冷戦期、まだ「進歩」の思想として「社会主義」が存立していた頃、多くのリベラルを自認する人達は「歴史には必然的発展過程があり、資本主義社会の階級矛盾が深化して社会主義革命が起こる」という必然論を信じた。
しかし、社会主義圏の崩壊によって、こうした認識も霧消した。

歴史に進歩も必然もないのか。
冷戦後の二〇年の迷走の中で、人類は価値座標を見失っているともいえる。
だが、歴史は脈絡のない偶然の繰り返しにすぎないのかというと、決してそうではない。
歴史家トインビーは『歴史の教訓』(1957年)と題する論考で、興味深い「教訓」を抽出している。
英国人らしい総括だが、英国人が歴史で学んだのは
「君主制と共和制の血なまぐさい闘いを通じた節度を重んじる穏健な態度の重要性」と
「米国の独立戦争などを通じた植民地主義の限界についての認識と自治容認の大切さ」の二つであり、
全人類が歴史の教訓として学んだのは
「人間が他人を支配したり所有する奴隷制度はよくない」
ということだというのである。

思い出すのは哲学者市井三郎の『歴史の進歩とはなにか』(岩波新書、1971年)である。
市井は「進歩なるものは、必然的でも連続的でもない」という認識に立って、歴史の進歩とは
「不条理な苦痛 (自分の責任を問われる必要のないことで負わされる苦痛) を減らすこと」だという。
自らの運命を自分で決めることのできない不条理を制度的・システム的に減らすことこそ進歩だという示唆は今日においても重要である。
近代以後を生きる人間として、世界市民としての自覚と人間社会のあるべき姿を探求する意思は、基軸として見失われてはならない。
こうした思索を踏まえ、
「反米・反安保・護憲・社会主義」
がリベラルの柱だった時代が終わり、
二一世紀のリベラルが向き合うべき五つの課題を提示したい。
歴史は条理の側に動くのである。

◆課題一、対米関係の再設計
日米同盟の進化を求めて
独立国に外国の軍隊が駐留し続けているのは不自然だという常識に還ることが基軸である。
普天間基地の辺野古移設、オスプレイ配備、米兵の不祥事、原発事故でのGEの製造者責任、日米原子力協定の今後などこの数年を振り返っても、「米国のトラの尾を踏んではならない」という怯えと固定観念のなかで、なすべき議論をしてこなかった。
米中間で行われている閣僚級の「戦略経済対話」の日米間での実現が「同盟進化」のまず一歩である。

◆課題二、
グローバリズムの中での公正な分配の実現
グローバル化が国境を超えたヒト・モノ・カネの効率的移動を意味するならば、冷戦後の二〇年において「格差と貧困」が助長され、金融資本主義に立つマネーゲームが肥大化したことは否定できない。
健全な実体経済を重視する姿勢がリベラルの基軸にならなければならない。
国際的には「国際連帯税」(地球環境税)のような新しい政策論が求められる。

マネーゲーム抑制も狙いとして「すべての通貨取引に低率の課税をして、国際機関による地球環境対策の財源とする構想」で、欧州などでは先行導入の事例もでてきた。
IMF・世銀も「金融取引税」の検討に入っており、世界のルールになる可能性は高い。
国内でも「競争主義・市場主義の徹底」の潮流の中、格差と貧困の問題は深刻さを増している。
労働人口の三四%が年収二〇〇万円以下という時代となり、一億総中流幻想は吹き飛んだ。
「公正な分配」の基軸を再構築せねばならない。
ただし、丸抱えの福祉や弱者救済を主張する議論には慎重でありたい。
リベラルに立つ者は自立自尊を尊ばなければならない。
「自分の責任のないことで苦しむ不条理」に国や社会が手を差し伸べるのは正当だが、自己規律こそリベラルの原点なのである。
「税と社会福祉の一体改革」が議論されたが、「誰が負担して誰が享受するのか」、公正な分配を探求する構想力が問われている。

◆課題三、平和国家精神の再起動
憲法九条の実体化
大切なのは「平和憲法」の基軸を守り、実体化することだ。
「武力をもって紛争解決の手段としない国」という一九二八年の不戦条約に淵源を持つ基軸は、世界史的にもこれから真価が評価される局面である。
誇り高くこの基軸を守らねばならない。

「戦争のできる国、戦争を支援する国」に日本を変えていこうとするあらゆる動きを拒否するのがリベラルの神髄である。

「アジア非核条約」の提唱など、憲法精神の実体化に動くべき時代だ。
「給料さえ上がれば、戦争や安保のことなど関心の対象外」というのであれば、労組運動は正当性を失うであろう。
自分の頭で考えて不条理に立ち向かう意思、
それが戦後民主主義の基本精神だったはずだ。

◆課題四、原子力再考
リベラル必ずしも反原発でない視座の可能性
リベラルを自認する人たちが「脱原発、反原発」に引き寄せられる心情は理解できる。
「安全神話が崩壊した今、福島の現実を見よ」
「原子力を推進してきた原子力ムラは信頼できない」
「原子力は等身大の技術ではなく、原子核の制御は人間の思い上がりである」
という論点は説得力をもつ。

しかし、本来、リベラルとは人間の理性を重んじ、科学技術と合理性を重視し、人間の理性による制御困難なものへ挑戦する姿勢である。
私は3・11後の原子力を巡る論議で、日本が原子力の技術基盤を放棄することは誤りであると論じた。
IAEAなどの国際機関を舞台にした「世界の非核化」を志向するにせよ、平和利用に徹した原子力の技術基盤と専門人材を維持・蓄積する冷静さが必要だと考えるからである。

これまでの原子力推進体制が正しかったとも、
原子力で電源供給の五割を賄うことを目指した民主党政権下のエネルギー基本計画(2010年)が妥当だとも思わない。
使用済み核燃料という途方もない問題も存在する。

それでも、近隣アジアの原子力開発を見つめるならば、この分野での技術基盤の喪失は、日本の発言力も貢献も失うことを意味する。
日本の反原発運動の弱さは、文化人が旗を振る市民運動という性格が強く、国際政治や産業の置かれた現実を直視した政策科学の議論になっていないことである。

「脱原発」に向かうにせよ、
東芝・日立などが深く関与した「日米原子力共同体」が世界の原子力産業の中核となっているという現実を踏まえ、
「日米原子力協定」をどうするのか。
米国との関係がここでも重要になる。
 
安全保障において「米国の核抑止力」に依存しながら、他方で「脱原発」を実現することは容易ではない。
原爆と原発がコインの裏表だからこそ、しかもそれが現実に存在するという重圧を直視し、理性的に制御する道をとるのも選択である。
 
 
◆課題五、代議制民主主義の鍛え直し
議員定数の削減
政治改革の究極の目標は「政治の極小化」、政治でメシを食う人を可能な限り圧縮することである。
改革幻想を投げ続ける「政治好き」の人たちを跋扈させてはならない。

日本は「平成の市町村合併」によって、一九九八年からの一〇年間で市町村議会議員の数を二・五万人削減したが、国会議員数は米国の連邦議会議員に比べて人口比三倍以上のままである。
民主党はマニフェストで衆議院議員定数を一二〇人削減としていたが、結局「一票の格差」の違憲状態を回避する「〇増五減」だけを決めて総選挙に入った。
自民党も「議員定数の削減」を政策目標に掲げており、いかなる形での成案を示すのか注視しなければならない。

今後四〇年で、人口が二五%減少するとの現実を踏まえ、IT革命による国民意思を直接確認する技術基盤の確立など、代議制民主主義を鍛え直し、少数政党に配慮しながら選挙制度を改正し、政治を弄ぶ人を排除して代議者の削減を実現すべきだ。
練磨の中から真のリーダーが育つのである。

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