古事記の中に現れる秘数と神々
古事記にも良く出てくる数字100については、沢山と言う意味だと思われます。
旧約聖書にも沢山という意味で100が出てきます。
「穢れなく疵のない十匹の子羊をここに連れて来なさい。
主なる神に捧げます。
それから、十二匹のやわらかい子牛をつれて来なさい。
司祭と長老の分です。
それから百匹の雄羊は民すべての分になります」
(ヤコブの原福音書 第1章)
神に捧げる十匹の子羊は、ヘブライ語のユッドは数字の10であって、神の力の表現や永遠を意味し、多様性と統一性の象徴で、神を表す神聖な数です。
10や7は、天上界においても聖なる数です。
古事記の中に様々な数字が出てきます。例えば十拳剣、日本のことを大八島国と呼び、八俣の大蛇、ヤタ烏、ヤタの鏡、八幡神社などの八が多く出てきます。
八の意味は、生命の木(7枝樹2神の図柄)の意味で、7枝に幹を加えると8となります。
インドでは生命の木を8匹の蛇(ナーガ)として表わし、まさに八俣の大蛇そのものではないでしょうか。
古事記にも多くの聖なる数が記述されており、シュメル古文書、旧約聖書と同じ神々の文明を引き継いでいるのです。■古事記に出てくる秘数(数値)
イザナギがイザナミを追いかけて黄泉の国を探検する神話には、八種の雷神、千五百人の黄泉の軍勢、十拳剣、千引の岩、千五百の産屋など、8,15,10という数値が多用されています。
8は生命の木ですからヤハウエ、死者の千(10)は黄泉の国のドムジとその妻・冥界の女王、産屋による生命の創造は人類の創造者=人類の母=地母神=ニンフルサグの15を暗示しており、古代シュメルの神々が古事記に再現されています。
イザナギ・イザナミ夫妻は、聖書ではテラ夫妻に相当しますが、黄泉に下る物語は存在しません。
つまり、古代シュメル・エジプト・聖書でもエンキとニンフルサグが、人類の生と死を支配しているという物語に対して、この物語は、人の生と死を明確に分けることで、以後の大和民族が冥界や地獄や原罪にとらわれることなく、充実した人生を生きていくことが出来るように挿入されたのだと思われます。◆イザナギの冥界下り
黄泉の国で、イザナギ命が見たイザナミ命の身体には蛆がたかり、八種の雷神が成り出ていた。
これを見たイザナギ命は驚き恐れて逃げ帰るとき、イザナミ命は八種の雷神に、千五百人もの黄泉国の軍勢を従わせて追跡させた。
十拳剣を抜いて追い払われた。
尚、ギリシャ神話では琴の名手オルペウスが妻を救いに冥界に下る。
しかし、地上に着くまで後ろを振り返ってはいけないという命令を破ってしまい、妻を連れ戻すのに失敗する。
鶴の恩返しも同じで、女性の望む約束を男性が破ることの結末を教訓として教えている。◆八種の雷神について
イザナミから生まれた雷神は、大雷、火雷、黒雷、折雷、若雷、土雷、鳴雷、伏雷の八神。
それぞれ雷の力と再生を示している。
ヤハウエと七大天使だと思われる。
それにしても、
何故冥界から、何故天照の別神として…◆高天原の不死鳥伝説
最後にイザナミ命が追いかけてきて巨大な千引の岩を挟んで、夫婦離別の言葉を交わす。
イザナミ命が
「私はあなたの国の人々を、一日千人絞め殺しましょう」
と申した。
するとイザナギ命が
「私は一日に千五百の産屋を建てるだろう」
と仰せられた。
(関連して、高天原でスサノオに殺されたオオゲツヒメから、蚕、稲、粟、小豆、麦、大豆が生まれた。
そして、神産巣日(カムムスヒ)の母は、これを取らせて、五穀の種となさったとあります。
イザナミは死して蛆がたかり新たな生命を与え、オオゲツヒメは死して食料と衣服の基本である五穀と蚕が取れる。
両者に共通しているのは、不死鳥伝説と同じで、死して後、新しい生命に生まれ変わっている点です。
アヌンナキの神々が穀物や家畜を地上にもたらしたように、神々は高天原から生活に必要な食物などを日本にもたらしたということを述べています)◆母マリヤ様とイエスの秘数
下記のパウロの黙示録から、千は再臨のイエスを表している。
サタン・ダビデ夫妻が、イエス母子を殺害し、再臨のキリストに化身していた事が推論されるのです。
神々のランクでは、妻は夫神の半分の数値を与えられるので、五百は聖母マリヤに化身したサタン・ダビデの妻だと推測されます。
「君が宣べ伝えているキリストが来て支配をするようになると、神の力強い言葉によって今ある第一の地は解消し、この約束の地が現れる。
それはちょうど雲のように現れるだろう。
それから、永遠の王であるイエス・キリストが啓示される。
彼は自分の聖者すべてを従えて来て、そこに住み、千年の間そこを支配する。」
(パウロの黙示録 地獄 31)
「一人の乙女が遠くから来るのが見えた。
二百人の天使が彼女の前を賛美歌を歌いながら歩いていた。
わたしが、『こんなに見事な姿で歩いてくるあの女のは誰ですか』とたずねると、天使は、
『それは主のマリヤだ』と答えた」
(パウロの黙示録 パラダイス・第二 46)■古代日本の二人の農耕神
不思議なことに、天照大神の天の岩戸神話に出てくる六神の中には、農耕神が不在です。
農業の指揮官について
また、景行天皇の時に、屯家(朝廷の直轄領で、農地と耕作農民を含む)と田部(屯家の耕作に従った農民)を定めますが、やはり農耕の指揮官が見あたりません。
この農耕神、即ち豊饒をもたらす神は、常世国から訪れると考えられていた。
常世国は、海の彼方にある異郷で、生命の根元世界とされている。
つまり、海路で日本に渡来した農耕神、即ちはスクナビコナ神は、海路(海のシルクロード)でオホナモチ神の元へやってきたのです。◆スクナビコナ神は、神武天皇と同じ海路、エジプト→インド経由で日本に渡来した!?
スクナビコナ神
(カムムスヒ神の手の指の間から洩れた神)
この神様は小人の神で、常世国から訪れる農耕神です。
オホナモチ神とともに、国造りを行った。
垂仁天皇は、常世国から香りの良い橘を求めさせられた。
そして、縵橘八本、矛橘八本を、タジマモリは持ち帰った。
橘は生命力が強く、生命の木ともいうべき橘が、常世国からもたらされた。
※この常世国はエジプトのことだろうと推測する。
つまり、生命の木を描いた7枝樹2神の図版から、7本枝に1本の幹の8は、生命の木を意味していおり、八本の橘は生命の木の意味だろう。
(つまり、生命の木を現す八は常世国のシンボルだということが明らかになりました。
常世国のスクナビコナ神が、枕詞が八雲である出雲、大物主の神に協力したのは、スサノオもスクナビコナ神も出雲系の同族だったと推測されるのです。
関連して・・・)
アヌンナキにより与えられた穀類他は、例えば古都ニプルの農業試験場のような所に保管されていた。
農業神ニヌルタが管理していたのだろう。
そして、テラがティルムンに向かう時、穀物の種や稲を携帯して旅立ったのだろう。
◇
テラの跡を継いだアブラハムは一族と共にこれらを携えて移動した、定住後に農耕神を招いたのだと思います。
この推測が、イザナミ、オオゲツヒメから稲を含む様々な食物が誕生する神話へと形を変えていったのではないかと推測されないでしょうか。
つまり、出雲系のスクナビコ神以外にもう一人の農耕神が、稲作他を日本に伝えている。
それは、陸のシルクロードを通じて、稲族の風俗を取り入れ、イザヤの時代に日本に渡来したユダヤ人グループ(姉は太陽神の巫女、弟二人)、
つまり大和民族だということでしょう。■大国主命の神器
大国主命には合わせて五つの名(注)があり、「八千矛神」はその一つです。
矛には霊媒の意味があります。
大国主命は、スサノオの神殿で三種の神器を手に入れ、帰国後に国造りを行っています。
スサノオ=アブラハムであれば、その五代目=ベリア=神武天皇、六代目=大国主命と言うわけです。
つまり、ベリアの時にヨブ一族を引き連れカナンの地を旅立ち、六代目で到着して国造りを行ったという物語が、隠されているはずなのです。
◇
オオムナジの神がスサノオ命の所(根の国)に入り、スサノオが寝ている隙に、スサノオ命を垂木に結びつけ、スサノオの娘で妻のスセリビ姫を背負い、スサノオ命の宝物である「生太刀・生弓矢・天の詔琴」をたずさえて逃げた。
天の詔琴に関連して、旧約聖書のなかで楽器について
「その弟ユバルといい、竪琴や笛を奏でる者すべての祖先となった」
(創世記4章)
「太鼓や琴で喜び歌って、送り出してやったものを」
(創世記31章)
とある。
さらに、出エジプトの時に、主は、ユダ族のフルの孫を名指しで、すべての工芸についての智恵・英知・知識を与えています。
このように、工芸や音楽についても、イスラエル部族が引き継ぎ、日本神道の秘法として守られてきたのです。
◇
そこでスサノオ命は、黄泉比良坂まで追いかけて来て、
「お前が持っている生太刀・生弓矢で、お前の腹違いの兄弟を追い払って、貴様が大国主神となり、また現じ国魂の神となって、私のスセリビを正妻として、宇迦の山のふもとに、底つ岩根に太い宮柱を深く掘り立て、空高く千木をそびやかした宮殿に住め」
と仰せになった。
◇
この神器で兄の八十神を追い払って、スサノオ命の言うとおり、大国主命神となり国造りを始めた。
『記紀』には国造りの具体的な物語についての記載はないが、
733年成立の『出雲風土記』には
「かつて島根半島は、海に浮かぶ島だった。
それが長い年月を経るうちに、斐伊川から流れてくる土砂が堆積し、西側が陸続きになって、肥沃な出雲平野を作り出した。
出雲の国引き神話は、こうした自然の地形変化を、神話として語り継がれた…」
(古代七大王国の謎P141-142)
とあり、同書には国引き神話による4回の土木工事の様子が記載されています。
おそらく、ノアの大洪水後、南極と北極の氷山が形成されても、島根半島は、海に浮かぶ島だった。
ニギハヤヒ命の天孫降臨に伴い、大土木工事が行われ、肥沃な出雲平野を作り出したのだと思います。
また、「天橋立」は古くは「天椅立」と書き、梯子の意味だった。
つまり、ヤコブが見た神の梯子と同じ由来ではではないでしょうか。
ヤコブが見たのは梯子をつたって上り下りする様でしたから、この島根半島に港があったのでしょう。
この大国主とスサノオ神話には、アヌンナキにも似た物語が存在しています。
イナンナは、『メ』(アヌンナキ文明の記録装置)を持つエンキの宝石を散りばめた煌びやかな宮殿を訪問する。
イナンナがエンキを酔わせて、エンキが管理する『メ』(命盤)を奪って逃げ出す。
その結果として、「メ」に記録されている都市国家建国の為の科学技術・法学・農学・他の知識と技術を活用し、イナンナ女神の支配するインダス文明が勃興した物語と、オオムナジの神がスサノオ命から神器を奪う物語が、酷似しているのです。
おそらく、大国主命の物語は、このエンキとイナンナの物語をベースにしたのだと推測されます。
その証拠として、天鳥船=航空船で出雲に飛来したこと、
そして神殿=出雲大社に、ロケット(千木)の格納庫兼発射場を作ったことが、古事記に記録されています。
◇
天照大神は、天鳥船神をタケミカヅチの神に副えて、葦原中国に使わした。
そして、出雲の国に着いた。
◇
大国主命は国譲りの条件として、地底の盤石に宮柱を太く立て、大空に千木を高々とそびえさせた神殿をお造り下さるならば、私は百足らず八十クマ手に隠居しましょう。◆根の国はエジプト
大国主命が五つの名を持つことに関連して、
・・・
エジプトのファラオには5つの名がありました。
(出エジプト記の秘密P21)
このファラオの5つの名は、おそらく神々のランク50を真似たもので、エジプトでは中央を意味している。
つまり、エジプトの創造紳=プターであるエンキは、新たに自分が創造神(人類に息を吹き込んだ神)となる神々のランクとして5を考えだし、エンキの支配するエジプトが地球の中心であり司令室だという意味を持たせたのだと思われます。
また、イスラエル人はアヌンアキ宮殿の神官・テラや王族であるアブラハムの知るアヌンナキの知識を引き継ぎながら、ヨセフの時から出エジプトまで約430年もの間、エジプトに居留している。
つまり、大国主命の名が5つの名を持つのは、神々のランクが5なのではなく、おそらくファラオと同じ習慣を共有していたからだと推測されます。
更に5が世界の中心だという発想は、東洋占星術、「旧事本記」にも引き継がれています。
このように、イスラエルのみではなく、エジプトの習慣の多くが日本に取り込まれている。
他にも
「主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた赤い色を御覧になって、その入口を過ぎ越される。」
(出エジプト記12章)
と、ヘブライ語とアラム語の旧約聖書を元にした『出エジプトの秘密P46』に記述されています。
つまり、日本の神社に在る赤い鳥居は、「過ぎ越し」を意味しているのです。
このように、日本神道にも、イスラエルの秘法にも、エンキが多く関与していることがわかります。
そして、エンキのエジプトを「根の国=黄泉の国」と記録させることで、サタン・ナブーは人類を創造したエンキを悪役に仕立て上げようとした。◆箸墓はトート神が設計した
最古の前方後円墳の一つの箸墓古墳について、宮内庁では『日本書紀』に記述されている「倭トト日百襲姫」の墓としている。
『日本書紀』によれば、崇神天皇が災害が続くので神々を祀って占ったところ、三輪山の大物主神が、孝霊天皇の皇女で、崇神天皇の叔母の日百襲姫に「われを祀れ」と託宣した。
その神社が日本最古といわれる大神神社である。
その後、日百襲姫はこの神に仕え、妻(神妻=神の巫女)となったが、夫神の姿を見たいと願った。
ところが小さな蛇の神の姿を見て、驚いてしまった。
神は辱めを受けたとして、姫を箸に刺して殺してしまう。
その為に、日百襲姫の墓は、箸墓と名付けられているが、不思議なことに、昼は人が造り、夜は神が造ったと言われています。
この伝承はソロモン神殿の建立時にも同じような伝承が残されており、偶然とは思えません。
ノアの箱舟の建造も似たような事情にありました。◆八重垣について
スサノオ命は大蛇を退治し、その尾から草薙の剣があらわれ、天照大神に献上された。
その後、新居の宮の土地を出雲に探した。
須賀の地に来て「我が御心すがすがし」と歌を作られた。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
と歌われ、この宮の首長に名を与えて、稲田宮主須賀之八耳神と名づけられたとあります。
このように八重の垣を、しかも三回も繰り返している。
何重にも厳重に防備する必要があったのでしょう。◆大国主命は太陽神だった
三ノ輪山の大宮神社は、三ノ輪山を神として祀つっている。
古代には三ノ輪山山頂の高宮神社が太陽神の祭祀行う場所で会った。
のちに麓の神坐日向神社で、太陽神の祭祀が行われるようになった。
大物主神と大国主命は同一視されるが、日本神話では大物主神は大国主命を守る神で、大国主命より格の高い神であるとしている。
つまり、太陽神である天照大とその巫女・大日巫尊の関係と同じだろう。
■八咫烏の紋章について
神武天皇は大和に入り永く過ごされた。
ある時、尾のある人(樵夫は腰に動物の毛皮を付ける風俗があった)に道で遇い、八咫烏の導きで吉野に入られた。
忍坂では歌舞を合図に八十建を討ち、賊を従わしめられた。
また、尾の生えた人が井から出てきた。
その井の中は光っていたとあります。
尾のある人が樵(きこり)であれば、サンカでしょう。
サンカは金採掘に使役されていたとも云われ、「井の中は光っていた」という記述は、金採掘のトンネルもしくは、井戸のような縦穴のことだったのだと思います。
また、烏は古代中国では太陽の象徴。
八咫烏の三本足は三位一体。
つまりヤタガラスは、太陽神・天照大の象徴だと思います。
20世紀末に現れた八咫烏が蛇を踏んでいる紋章は、フランスに在る聖ミカエルがサタンを踏みつけている銅像とも重なり、聖ミカエルがダニエルの預言通り、最期の審判を執り行われていることを象徴しているのだと思います。◆ノアが放った八咫烏
ノアの大洪水が徐々に治まり、太陽が顔を出したときにノアが箱船から放ったのは、「鳩・燕・大烏」の三種類だった。
鳩も燕も神聖な鳥とされている。
この「大烏」は、日本では神武天皇を救った太陽神の使い「八咫烏」と云うのだが、英国でも神聖な鳥とされている。
「八咫烏」の三本足は古事記の基点である三柱のみ柱をイメージしており、その中心の「天の御中主」は「ノア」その人である。
だから、「八咫烏=大烏」は神聖な使いとされたのでしょう。
日本神話には、このように旧約聖書と大和民族の歴史とが重層的に重ね合わされており、表層的には歴史的事実ではなく、架空の神話と解釈されてしまいます。
しかし、記紀を残した当時の実情を知れば、大和民族の出自を隠蔽し、暗号化して封じ込める必要があったのです。
あたかも、聖書の暗号のように。■葛城王朝9代(神武天皇から開化天皇)の謎
下記に、葛城王朝9代(神武天皇から開化天皇)までを『古事記』に従い書き出しました。
3代天皇以後総てに、「日子」の文字があり、太陽神の日継を表していると思われます。
また、ヨシュアは神武天皇から7代目ですから、孝元天皇に当たります。
孝元天皇は孝霊天皇の時に、吉備国を平定しており符合します。
しかも、この孝元天皇と孝霊天皇には、「根子日子」の文字が入っており、根の国=エジプトの御子であり、エジプトの太陽神ラーから太陽神の御子でもあることを象徴していると思われます。
血統の絶えない万世一系の皇室であれば、モーセを孝霊天皇として、婉曲に天皇記の中に記述したのではないでしょうか。
つまり、出エジプト時に、エジプトと関係のあるヤハウエの皇統については、天皇名の「根子日子」はエジプトから日子(約束の地カナン)への移動という意味なのだと思います。
しかも、モーセはアロンの弟で、孝霊天皇は次男であり、兄弟関係に対応があります。
従って、孝霊天皇,孝元天皇,開化天皇は、それぞれモーセ、ヨシュア、ユダに、吉備国はカナンの地に相当することを暗に述べているのだと思います。
さらに、崇神天皇と崇神天皇の子である垂仁天皇には、根子の代わりに、イリビコ(入日子)が入っており、カナンの地に入ったことを意味していると推測されます。
不思議なことに、神武天皇と崇神天皇が、両者共に建国者として記録されております。
おそらく、ヨシュア後、元々エサウ一族の領地内ではあるが、この地でイスラエル人の集団により神権的な王国が形成され、その初代が神武天皇だったのでしょう。
北イスラエル滅亡後、エジプト・インド・海経由で、日本に向け移住し、崇神天皇の時に日本国が形成されたのだと思います。
一方、ダビデ王は2代目の王ですが、イスラエル王国を実質的に建国したので、「御肇国天皇」に相当し、崇神天皇とダブって見えます。
さらに、ダビデの子ソロモンは、神の神殿を建築したので、伊勢神宮を建造した崇神天皇の子垂仁天皇とダブって見えます。
ところが、初代イスラエル王国のサウル王に当たる開化天皇については、『記紀』共に殆ど記述がありません。
サウル王は
「彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった」
(サムエル記9章2)
とあり、
かつダビデを憎み神の意志に反してダビデを殺そうとした。
仲哀天皇に関しては、
『古事記』では神託を無視したために神に殺されたとあり、
『日本書紀』には「天皇は容姿端正で、身丈は十尺(約3M)あった」と記述されており、サウル王と非常に似ています。
このように天照大の皇統には、モーセから始まるヤハウエの皇統に関連した史実が、暗黙の内に反映されていると思われるのです。
1.神武天皇(カムイワレビコ:神倭伊波礼毘古命)
137才(4子の末子)
2.綏靖天皇(カムヌナカハミミ:神沼河耳命)
45才(3子の末子)
3.安寧天皇(シキツヒコタマデミ:師木津日子玉手見命)
49才(1子のみ)
4.懿徳天皇(オホヤマトヒコスキトモ:大倭日子スキ友命)
45才(4子の次男。末子が双子。)
5.孝昭天皇(ミマツヒコカエシネ:御真津日子訶恵志泥命)
93才(2子、長男)
6.孝安天皇(オホヤマトタラシヒコクニオシヒト:大倭帯日子国押人命)
123才(2子、長男)
7.孝霊天皇(オホヤマトネコヒコフトニ:大倭根子日子賦斗ニ命)
106才(2子、次男)孝霊天皇のカ所に、孝元天皇が、吉備国を平定。
⇒モーセを暗喩で表している。
8.孝元天皇(オホヤマトネコヒコクニクル:大倭根子日子国玖琉命)
52才(8子、長男)
⇒ヨシュアを暗喩で表している。
9.開化天皇(ワカヤマトネコヒコオホビビ:若倭根子日子大毘々命)
63才(5子、三男)
10.崇神天皇(ミマキイリビコ:御真木入日子命)
古事記に「初国知らしし御真木天皇」、書記の崇神紀十二年の条にも「御肇国天皇」よと称えられた。
古事記に「神武天皇」は「神倭伊波礼毘古命」と記され、
書記には「初馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と記述されている。
⇒ダビデ王を暗喩で表している。
11.垂仁天皇(イクメイリビコイサチ:伊久米伊理毘古伊佐知命)
垂仁紀には、倭姫命は天照大神の神霊を奉じて、鎮め祭るところを求めて大和の宇陀・近江・美濃をへて伊勢国に至ったと記している。
これは伊勢神宮の紀元として記されたものである。
伊勢神宮が皇室と関係の深い神として祭られるようになったのは六世紀頃からであり、伊勢神宮が皇室の氏の神を祭る神社となったのは、壬申の乱以後であろうと推定されている。
垂仁天皇は、皇后に「すべての子の名は、かならず母親が名づけるものであるが、何とこの子の名前をつけたらよいであろうか」と仰せになっています。
この風習と同じことを、旧約聖書の風習としてシッチン氏が述べております。
⇒ソロモン王を暗喩で表している。
日本人はブル人(ユダ族)の子孫だということ、
仲哀天皇はナブー=ダビデに殺されたとありました。
つまり、仲哀天皇をサウルト仮定すれば、ぴったり符合してしまいます。◆吉備国について
上述では、吉備国は、モーセとヨシュアが支配したカナンの地に相当するとしました。
ここでは、日本の吉備国の様子を『古代七大王国の謎』から抜粋して紹介します。
紀元4から6世紀、岡山県と広島東部を含めた一帯に、高度な製鉄技術で繁栄し、日本で四番目に大きな前方後円墳と巨石墳を造った吉備国がありました。
当時の鉄は、農業や開墾の土木器具、武器として使われ、支配層の富と権力の象徴でした。
また、土器づくりや製塩、ガラス生産が盛んでした。
隣の島根県にある出雲王国では、日本最大の銅剣が出土しています。
この大量の銅は中国からの輸入だったことが分かっています。
「真金吹く吉備の山中帯にせる細川谷のおとのさやけさ」
(古今和歌集)
とあり、
吉備の枕詞の「真金」は鉄、
「吹く」は精錬のことで、吉備が製鉄の産地として知られていたことが分かります。
『日本書紀』によれば、崇神天皇は、孝霊天皇の子の五十狭芹彦を派遣し、吉備の温羅(ウラ)を討ち取り、武力征服したと述べている。
そして、日本武尊の名の由来と同じパターンですが、ウラを討ち取ると、ウラの恭順の印として、吉備の名を五十狭芹彦に与え、以後吉備津彦と名乗る。
吉備臣の祖となった。
余談ですが、この吉備の子孫と阿倍仲麻呂が、日本最大の陰陽師 安倍清明と深く関わっている。
さらに、記紀によれば、景行天皇、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、雄略天皇、舒明天皇がそれぞれ吉備出身の女を妃としたとある。
つまり、二つの王朝が平和裏に一つの統一王朝に融合したことを意味している。
以上のことから、出雲から王妃を神武朝から王を出し、統一王国として大和朝廷が成立したケースと同じだと考えられます。
更に、神社の伝承から、ニギハヤヒ命の子孫の物部氏は、神武天皇を即位させており、協力関係にあった。
また、先土器時代の遺跡があり、石器が出土している事から、吉備国はノアの大洪水以前からの鉱山地帯で、ニギハヤヒ命の飛来以前から金属精錬の技術者とその民(カナン、カイン、ハム一族)が定住していたと推測されます。
だとすれば、ニギハヤヒ命の出雲国が吉備国を従えていたように、皇室もまた、吉備国を武力ではなく統一王朝の形式で平和裏に融合した。
結局、出雲神話に封印された内容は、
兄エサウの弟ヤコブへの王位禅譲、
大国主命の神武天皇への王権禅譲、
出雲王国と神武系氏族との統一王朝の三重構造になっていたのと同様に、
吉備神話もまた、
ノアの大洪水以前に在った鉱山、
ヨシュアのカナン入り、
日本の岡山にある吉備王国と神武系氏族との統一王朝の三重構造になっています。
同じ天皇記なのに、『古事記』と『日本書紀』で異なった記述があたとしても不思議ではない。
従って、出雲国も吉備国も、神武王朝に恭順した形で大和国の建国を補佐したとすれば、大国主命が呪う必要はない。
つまり、大物主神の代わりに、大国主命を新たに設けた。
それは、ニギハヤヒ系一族と神武系一族を反目させ、大国主命=呪う神としたかったのだと思います。
また、大国主命の国譲りでは、
「私は遠い遠い幽界に引退しておりましょう」とあり、
出雲国に「死者の行く世界(根の国)」の偽イメージを加筆させてもいます。
他にも、『古事記』には、日本武尊は自分の刀を木刀に代え、出雲建と刀を交換し、出雲建を討ち取る物語があります。
『日本書紀』では、出雲フルネは自分の刀を木刀に代え、兄弟で刀を交換し、兄が弟を討ち取る話とそっくりです。
ちなみに、出雲フルネの弟は、崇神天皇の命令に従い、兄が留守であったが、出雲神宮に奉納されている神宝を渡している。
この事に怒った兄は、弟を殺してしまう。
日本武尊の物語は、この兄弟の物語を取り込み、故意に出雲と神武氏族の反目を伝えたのかもしれません。
伝説によると
「ウラは鬼だった。崇神天皇の頃、異国から鬼神が空を飛び続け、吉備にやってきた。この鬼神はウラといい、『吉備冠者』とも呼ばれた。
ウラの身長は、約4.2メートル。
両眼は虎や狼のように光り輝き、ぼうぼうと茂る顎髭、頭髪は赤い」
とある。
そしてウラは鬼の城を築いたという。
つまり、ウラはUFOで吉備に飛来し、製鉄技術を伝えた巨人=赤鬼だったのだろう。
「ウラ」に関連して、「浦島太郎」の本名は「浦(ウラ)の嶋子」で、
「ウラ」を鬼に変えると、「ウラの島子」は「鬼ヶ島の子」に成る。
おそらく、製鉄や精銅を行っていた「鬼ヶ島」の男子が、竜宮城へ行き、その技術を習得する物語なのかも知れません。
もしかしたら、浦島太郎はヤペテの子孫で、製錬技術の習得と外国暮らしもあり、髪の毛が赤く焼け、目の色が薄くなったのではないでしょうか。◆古代日本とUFOの深い関係
浦島太郎伝説なのですが、亀に似たアダムスキー型UFOに浦島太郎が搭乗し、竜宮城に行った。
そして、契約の箱などアヌンナキ文明によく出てきますが、浦島太郎は玉手箱を持って、生まれ故郷に戻った。
ところが、300年後で知り合いが誰も居なかった。
一方、『記紀』によれば、物部一族の竹内スクネは、神功皇后(仲哀天皇の皇后)と常に行動を共にし、約360才の長寿だったと記述されています。
この二人、浦島太郎と武内スクネは、長寿という点だけではなく、海神という共通点もあります。
更に、浦島伝説の発祥は、近江にある丹後一の籠神社=元伊勢籠神社で、その栞によると、
「元浦嶋、元竜宮、常世信仰発祥の故郷」、
祭神は彦火明彦(ニギハヤヒ命)との事。
元々、籠神社は豊受大神を祭っており、後に伊勢神宮が建立され、豊受大神は天照大神の命令で伊勢神宮に移動したと云われている。
元伊勢とは、天照大神が伊勢へ鎮座するまでの仮宮だった。
同時に、籠神社は伊勢神宮と同じく、天照大神と豊受大神を祀るようになったとのこと。
(『「お伽草子」謎解き紀行』 P114-115より抜粋)
また、ニギハヤヒ命は天磐船で降臨していること、
ニギハヤヒ命の子に天香語山命が居り、
籠神社の「籠」はUFOの事で、更に「羽衣伝説」との深い関わりが、推測される。
「天の羽衣伝説」が残されている丹後で、天女の名前は「豊受大神」で、豊=エジプト=海神との関係が明白で、持統天皇は万葉集に
「春過ぎて、夏きたるらし白栲への、衣乾したり、天の香具山」
と、歌っている。
おそらく、この初夏にエジプトからの使者が、日本に飛来して宿泊していることを述べたのではないか。
更に、エジプトの神「豊受大神」は、伊勢神宮の御神体(ヤタの鏡)を祀る内宮に付き添うように、外宮に祀られています。
しかも、内宮から外宮への石灯籠には、十六菊花紋とダビデのマークが刻まれているのは、御存知のことだと思います。
日本書記は藤原氏の時代に完成し、天照大神が明示されました。
藤原氏はエジプトや金との関連が深く、藤原氏の始祖はエジプトの太陽神の神官だったとも伝えられていることから、イスラエルのエフライム族の始祖ヨセフと、その妻(ジプトの太陽神の巫女)に関連があるのだと思います。
青森県にある戸来村(現在は三戸郡新郷村)には、生まれた子の額に十字を書き、手編みの籠に入れて育てるヘブライの習慣が、今は廃れていますが、以前には残っており、イエス様の墓やイエス様の弟の墓が残っていると伝わっています。■呪う神の支配
崇神天皇の六年、「天照大神・倭大国魂の二神を、天皇の御殿の中にお祭りした。
ところがその神の勢いを畏れ、共に住むには不安があった。
そこで天照大神を豊鍬入姫命に託し、大和の笠縫邑に祀った。
堅固な石の神の降臨される場所を造った。
また日本大国魂神(大物主神)は、渟名城入姫命に預けて祀られた。
ところが渟名城入姫命は、髪が落ち体が痩せてお祭りすることができなかった。」とある。
(日本書紀 上P122)
その後、三輪の神(大物主神)と結婚した百襲姫に、大物主神が
「もし、私を敬い祭るなら平穏になる」
と神託を下した。
垂仁天皇の25年、
「天照大神を豊鍬入姫命からはなして、倭姫命に託された。
倭姫命は大神を鎮座申し上げるところを探して、宇陀の篠幡に行った。
さらに引き返して近江国に入り、美濃をめぐって伊勢国に至った。
その時、天照大神は、倭姫命に教えていわれるのに、
『伊勢国はしきりに波の打ち寄せる、中心ではないが美しい国である。
この国に居りたいと思う』と。
そこで大神の言葉のままに、その祠を伊勢国に立てられた。
そして齋宮(齋王のこもる宮)を五十鈴川のほとりに立てた。
これを磯宮という。
天照大神が始めて天より降りられたところである。」
(日本書紀 上P143)
「倭大国魂神がのりうつっていわれるのに、
『最初に約束して、天照大神はすべての天原を治めよ。
代々の天皇は葦原中国の緒神を治め、私には自ら地主の神を治めるように』
ということであった。
…渟名城入姫命は、すでに体がやせ弱っておりお祭りすることができなかった。
それで長尾市スクネに命じて祀らせたという。」
とある。
齋王は天照大神を祀る巫女の事とされています。
また、倭大国魂神について
『私には自ら地主の神を治めるように』
とあります。
つまり、天照大=ヤハウエと倭大国魂神=大物主神が、古代日本に一緒に渡来し、崇神天皇の時までは一緒に祀られていた。
ところが、ここに地上の覇権に対し、善と悪の闘いがあり、勝敗の決着が付かず、分かれて祀ることになったのだと推測されるのです。■善と悪の最終戦争と、神の秘宝
『記紀』には、神の系譜と皇子の系統について述べられていますが、神とは何か、神道とは何か、日本人とは何かについては、明確に述べられていません。
例えば、モーセの幕屋の構造、ソロモン神殿の建造であれば、神からの御指示が事細かに記述され、神の主旨も教義も明確でした。
ところが、『記紀』には、皇室から伊勢神宮への神器の移動についても、神道の教義についても、本当の理由については、直接に触れられていません。
つまり推測せよと言うことなのです。
他にも、皇極天皇の時、蘇我氏の没落を伊勢の大神の使いの者が知らせています。
「蘇我大臣蝦夷と子の入鹿は、家をウマカシノ岡に並べて建てた。
・・・
池を掘ってとりでとし、武器庫をたてて矢を貯えた。
常に五十人の兵士を率いて護衛させ家を出入りした。
・・・
四年春一月、岡の峰続き、あるいは河辺、あるいは宮寺の間に、遙かに見えるものがあり、猿のうめくような音を聞いた。
ある時、十ばかり、ある時は二十ばかり、行って見ると、物は見えなくて、
なお鳴きうそぶく声が聞こえた。
しかしその姿を見ることは出来なかった。
古い本に、この年、京を難波に移し、
板蓋宮が廃墟となる兆しであるとした。
人々は、“これは伊勢の大神のお使いである” といった。」
もし、これが聖書であれば、天使が預言者に現れ、ヤハウエの御言葉を伝えるので、天使の性格を知ることができます。しかし、『記紀』にはそのような場面は描かれていません。
一つには、唐による日本の属国化に関連して、あくまでも漢字で書かれた『記紀』は、外国から日本を守るための外向けのものだったことが、反映しているのだと思います。
そして最大の理由は、天照大が大和民族に天使を通じてあからさまに介入してしまえば、敵対する倭大国魂=呪う神が、新旧約聖書にあるような大混乱を再び、大和の地で繰り返すことを予想されたからでしょう。
であれば、本当の神道の姿を残した古文書、もしくはイスラエルの正当な末裔であることを明かす神器がどこかに、隠されているはずです。
『旧事本記』もその一つでしょうが、秦氏が握っています。
また天皇家と六家の秘法は、古史古伝として世に出ているものもありますが、
『記紀』同様、核心が失われてしまっているように思われます。■ユダヤ人と日本人
『列王紀下 17章』に記されているように、主に従ったユダヤ人は国を追われ、イエス様を殺害したと濡れ衣を着せられ、キリスト教会から迫害された流浪の民です。
一方、日本に渡来したイスラエル人は、安全と水はタダで、世界にも希な天皇制を基盤とした立憲君主国となり、西洋諸国(ヤペテ)の植民地支配を受けなかったのみならず、大東亜戦争に敗北はしましたが、植民地支配の帝国主義を終焉に導きました。
しかし、残念な事に、中国、ベトナム、カンボジアは共産主義国となり、今でも苦しみが続いています。
元は同じイスラエルの民であるにもかかわらず、歴史の変遷から神との関わり方が異なるグループが誕生し、いかに異なった民族性を持つに至ったのかを、
『日本人とユダヤ人』を概説することで説明します。
同時に日本人の神に対する民族的な欠点も浮き彫りになってしまいます。
一方で本著者は、日本人はキリスト教徒、ユダヤ教徒、仏教徒である前に、日本教徒であり、
正確に記すと日本教徒・キリスト派、日本教徒・ユダヤ教派、日本教徒・仏教派になると述べており、
日本人としてのアイデンティティを失うことは無いとのこと。
同じく、中国で誕生した孔子の儒教ですが、日本式儒教として武士が取り入れました。
この日本教こそが、
旧約聖書の預言、神道や武士道、日本独特の風土などを元に、神々の御方針から生まれた日本人の共通認識、
君臣一体の統治形態=天皇制なのです。◆ユダヤ人と日本人の差異
ユダヤ人は、
自分の生命の安全を第一に考え、他の支出を削るだけ削ったとしても当然。
19世紀、ロンドンからドーバー迄行くのは命がけで、女一人で行くのは気違い沙汰。
日本では、水と安全はタダ。
東海道五十三次を女一人で旅が出来た。
ユダヤ人は、
居住区(ゲット)があればそこで暮らすが、
なければ、ユダヤ人と分からないように、最も敬虔なカトリック教徒として振る舞う。
日本でそれは、
わずかに、隠れキリシタンに見られるくらい。
ユダヤでは、
戦争、ジェノサイド、差別、迫害から、安全を確保するため、城壁を作る。
また、地下道で水を確保し、伝染病対策に下水が絶対に必要。
ユダヤ人の人災は、何千年もじりじりと続いて、いつ果てるとも知れない。
この為、安全を確保し、子々孫々までなんとか粘り強く生き抜く必要がある。
日本では、
城壁都市がない。
周囲は海という浄化槽があり、流れの速い短い川が天然の清掃装置だった。
日本人の危険なものは、
「地震・雷・火事・おやじ」で、
人災は「天災への配慮不足」の意味程度。
ユダヤでは、
将来の不安対策と安全確保に軍隊は必須。
保険のために、金貨を床下に埋めたり、暴漢に襲われたときの対策として、貴金属を購入する。
日本の生命保険は、
安全が確保される事が前提の貯蓄の一形態で、保険の意味合いが希薄。
この為、自衛隊は通常疎まれている。
ユダヤでは、
話したために相手に非常な迷惑をかけることがある。
従って、相手を信用しているが、故意に秘密にしておくことは少しも不思議でない。
日本では、
気を許せば、腹を割って何でも話す。
口が軽く、秘密を守れない。
ユダヤ人は明日がどうなるか絶対に分からないので、明日の生き方はその都度発明しなければならない。
「古今未曾有」の事態に接した場合、
例えばアウシュビッツでいくら思い詰めても助からない。
誰も助けてくれない。
自らの手で高いコストを掛ける必要がある。
日本人は、
あまりに恵まれた民族なので、
「古今未曾有」の事態に接した場合、思い詰めて、思考が停止し「一億総玉砕」や、一家心中になりやすい。
また、日本人は同胞に親切だから、思い詰めていると、誰かが助けてくれることが多い。
ユダヤ人から日本人を見ると、
お坊ちゃんで、
どんなに優秀でバイタリティーに富んでいても、気の弱い甘えん坊で、依頼心の強い一面がある。
遊牧民にとって、羊の肉と乳とその加工品は欠かせぬ食料で、他にも衣料、装身具、家具、楽器、骨は書写板、皮は紙であった。
まさに「命の糧」であり、日本人にとっての米以上であった。
それゆえ、日本人が米を神聖視する以上に、羊を神聖視しても不思議ではない。だから、祭壇に仔羊を供えた。
家畜を大切にする習慣が、動物愛護につながった。
一方、奴隷(=言葉を喋る家畜)は、大切にされたが、家畜同様、利殖の対象であった。
また、伝染病が発生すると、家畜同様、全員屠殺されるのは当たり前だった。
アウシュビッツで屠殺されたユダヤ人は、家畜なのでその死体は、肥料などに利用された。
その上、家族には屠殺料が請求された。
農耕民族の日本人にとって、米は、神聖なもので、大切に扱い、神棚にも捧げる。
日本は遊牧民族ではないので、西洋的な動物保護の考えも、奴隷の概念もない。死が汚れたものとしてみられ、屠殺に関わる人々を、職業的に差別はしたが、穢多非人はあくまで人間であった。
同様に、宦官制度もなかった。
イエスは馬小屋(家畜小屋)で生まれた。
当時のユダヤ人のみならず他の民族では、一般人が家畜小屋で生まれることは普通のことであった。
家は大きな一間で、半分が一段高くなっていて、人はそこに寝て、低い方に家畜がいた。
人と家畜の同居は当然だった。
日本では家畜小屋と、人の家屋は離されていた。
「のみしらみ、馬が尿する枕もと」は、普通ではありえなかった。
この為、イエス・キリストの生誕に対して、特別の感情を持つ。
遊牧民は、家畜の意志に従って歩き回った。
こういった民に向かって統一行動をとらせようとすれば、コーランと剣、すなわち宗規と強権が絶対に必要であり、打ち勝たねばならない強大な敵か競争相手が必要であった。
すなわち最も穏和なスローガンが「追いつけ追いこせ」であり、それでもバラバラになりそうになれば、どうしても「宿敵 (イスラエル) 」が必要となる。
日本では、稲作が一度しかできないので、正確にスケジュールを決めて農業を行う必要があった。
また、隣の農家のやることを見て、同じ事をやり、一生懸命働けばそれだけ、実りがあった。
この為、日本人は全員一致して同一行動かとれる。
明治の大変革・大躍進の時代にも、ナポレオンも、毛沢東も、レーニンも必要なかった。
イスラエルでは、ユダヤ人はラビ法典に従い、イスラム教徒はシャリア法典に従い、ドルーズ教徒はドルーズ法典に、キリスト教徒はキリスト法典に従うので、民事的な争いに対しては、これらの宗教法典に従って裁定を下す宗教裁判所が必要。
日本での結婚式は、宗派を問わない。
日本には、ユダヤ教徒,キリスト教徒、イスラム教徒、神道、仏教徒がいるが、民事裁判所があるだけで、宗教裁判所は存在しない。
ユダヤ人であれ、初代キリスト教徒であれ、終末に生きていた。
すなわち生命は永遠だが、宇宙には終末がある(それも間近い)と信じたがゆえに、平然と殉教できた。
西郷隆盛は、ユダヤ人と逆で、
天すなわち宇宙は永遠であり、生命は、この永遠なる宇宙より出て宇宙に帰ると信じたが故に、平然と殉教できた。
ユダヤ人の神との関係は、血縁無き養子縁組みの関係だ。
つまり、神との契約により、神の養子となることを望んだ。
このため、戒律を正確に守った。
守らなければ契約違反となり、神に対する権利はなくなる。
例えば、家族が飢えていても、十分の一税を払う。
人間味よりも律法を重んじる。
日本では、養子ではなく、みな神の子で、神と人間的な関係にある。
この為、家族が飢えていても、十分の一税を払らわなければならないことに対して、
『ユダヤ人の神様って水くさいのね。
血がかよってないみたいだわ』
というように、日本人は感じる。
律法よりも人間味を重んじる。
ユダヤ人は、全員一致を間違いだと思っている。
それゆえ、議会での全員一致は無効とする。
人の考えることに完全は無い。
だから、比較するものが無い場合、それは全員が感情的になっているか、脅迫されているからだとみて、後日、議会を開催する。
日本人は、独裁政権での全員一致を驚異の目で見る。
議会では、あくまで全員一致を建前とする。
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