転載元 池田信夫のブログ
NYタイムズの敗北宣言
2014年12月03日
マーティン、
久しぶりに、君の記事を熟読したよ。
君は私のところに2度やって来て日本経済について話し、われわれの意見はほぼ一致した。
君の日本語は見事なので、この手紙も日本語で書く。
英語の手紙は前に書いたけど、読んでくれたかな。
もちろん読んだだろう。
君は私のブログの熱心な読者だし、田淵広子記者も私と何度も議論した。
事実にもとづいて論理的に議論する訓練ができている点は、朝日新聞よりずっと上だと思う。
今回の記事も、朝日の敗北宣言から4ヶ月たって、10月の曖昧な記事に比べると、事実関係を率直に認めている。
君が私のブログから学んだもっとも大事なポイントは、君と田淵記者の敬愛する大西元支局長の記事は擁護できないということだと思う。
君はこう書いている。
There is little evidence that the Japanese military abducted or was directly involved in entrapping women in Korea, which had been a Japanese colony for decades when the war began, although the women and activists who support them say the women were often deceived and forced to work against their will.
《日本の軍隊が誘拐したか、韓国で女性に罠にかけてそれに直接、積極的に関与していたか、それについてはほとんど証拠がありません。
そして、女性がしばしばだまされて、彼女らの意志に反することを強制されたと、彼女らを支える女性、活動家らは言うが、戦争が始まったとき、韓国はすでに何十年も日本の植民地でした。》
朝日が「軍などが連行した資料は見つかっていません」と認めたのに比べると、
little evidenceというのは往生際が悪いが、大西のようにインドネシアの強姦事件を持ち出さなくなったのは一歩前進だ。
これがすべてだ。
私的な売春を軍が管理しただけで、日本政府が「性奴隷」を使ったわけではない。
人身売買があったことは明らかだが、田淵記者のいうenslavementで罰せられるのは業者であって、政府ではない。
あとは植村隆のインタビューがスクープだが、日本のメディアから逃げている彼が(自分に好意的だと知っている)NYTの取材だけを受けるのは、ジャーナリストとして卑怯だとは思わなかったのだろうか。
一つだけマイナーバグを指摘しておくと、
"It has also emboldened revisionists calling for a reconsideration of the government’s 1993 apology"
《 (今回の朝日新聞の敗北宣言は、)
政府の1993年の謝罪の再考を要求している修正主義者たちを励ました》
というのは間違いだ。
安倍首相は(NYTが思っているほど)バカじゃないので、河野談話を修正するつもりはない。
朝日が強制連行の嘘を認めれば、もう事実関係に争いはないからだ。
いずれにしても、この記事からは君の迷いや悩みが伝わってくる。
本社からは「日本の右翼に反撃しろ」という指示が来たと思うが、調べれば調べるほど、朝日の記事もNYTの記事も擁護できないことがわかったのだろう。
それを無理やり「右翼の安倍首相が朝日をいじめている」という話に仕立てたわけだ。
だから内容的には、これはNYTの敗北宣言だ。
私(を含めて多くの人)が嘘つきと断定した大西の記事をまったく擁護せず、「人身売買はあった」などという弁解もしていない。
これはNYTとしてはぎりぎりの妥協点かもしれないが、彼の嘘は永遠に残る。
それでいいのだろうか。
君もわかったように、大西の記事は嘘だが、「日本軍の性奴隷」というデマが米議会をはじめ世界中に広がった最大の責任は、NYTにある。
その印象操作を反省して、朝日のように「大西の記事を撤回します」という訂正記事を出すのが世界の一流紙の矜持だと思うのだが、どうだろうか。
「強制連行」をでっち上げたのは植村隆ではない
2014年12月11日
きのう発売の『文藝春秋』に、
「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」
という朝日新聞の植村隆元記者の手記が掲載されている。
28ページにわたる記事のほとんどが「他社もやっていた」という言い訳と、彼が迫害されて職を失った話で、反省も謝罪もない。
特に大きな問題は「女子挺身隊」という日本政府による徴用を意味する言葉を、私的な慰安婦に使ったことだ。
問題の1991年8月11日の記事はこうなっている。
《日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が聞き取り作業を始めた。》
これについて植村は「意図的な捏造ではない」と主張し、「他社も挺身隊と書いていた」とか「朝日の記事でも過去にそうなっていた」などという。
この情報は当時のソウル支局長(小田川興)から教えてもらったと主張し、義母がその「挺身隊」を指弾する遺族会の幹部だったことは偶然だという。
慰安婦問題を取材しているうちに、同じ問題を調べている妻と出会って結婚し、あとから義母が遺族会の幹部であることを知ったという。
都合のいい偶然だ。
最大の疑惑は、金学順が「戦場に連行された」と言ったのかという点だ。
これについて1991年12月6日に提出された慰安婦訴訟の訴状では
「14歳からキーセン学校に3年間通ったが、1939年、17歳の春、『そこへ行けば金儲けができる』と説得され、養父に連れられて中国へ渡った」
と書いている。
ところが12月25日の植村の記事では、こうなっている。
《その後は子守をしたりして暮らしていました。
「そこへ行けば金もうけができる」。
こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました。
仕事の中身はいいませんでした。
近くの友人と2人、誘いに乗りました。
17歳(数え)の春(1939年)でした。》
訴状には「14歳からキーセン学校に通った」と書かれているのに、17歳でいきなり「連行」されたように書いている。
しかも訴状ではキーセンに仲介したのは養父(おそらく朝鮮人の女衒)だが、植村の記事では「地区の仕事をしている人」に連れて行かれたことになっている。
訴訟が起こされたのは記事が出る前であり、彼は訴状を読んだことを認めている。
それなのに14歳から17歳の部分を落としたのはなぜか。
彼は「弁護団の聞き取り要旨にはキーセンのくだりがなかった」などと言い訳をしているが、そのすぐ後で「キーセンだから慰安婦にされても仕方がないというわけではない」と書いている。
つまり植村は、キーセンに売られた経歴を知りながら落として「連行」の話にしたのだ。
これは単なる誤報ではなく、芸者になる訓練をしてから慰安所に売られたという金学順の話を「女子挺身隊の名で連行」されたという(本人が言っていない)話に仕立てた捏造である。
植村は「だまされて慰安婦にされた」と書いているが、だました主語は誰なのか。
「挺身隊の名で連行」したなら朝鮮総督府か日本軍だが、人身売買なら女衒である。
これはまったく違う話だが、肝心の点をぼかしている。
しかし彼は一つ重要な告白をしている。
《私は[8月11日の記事の]本文では、この女性が「だまされて慰安婦にされた」と書いた。
暴力的に拉致する類の強制連行ではないと認識していた。
[…]
私自身は<女子挺身隊の名で>は、
決して<女子挺身勤労令によっての連行>ということを意味したものではなかった。
植村は記事では<だまされて慰安婦にされた>とはっきり書いており、強制連行とは書いていない。》
なぜか最後の文だけ主語が「植村は」となっており、第三者が介入した形跡があるが、それはともかく、彼が金学順について書いた署名記事は2本だけで
「旧日本軍の慰安所設置などを示す資料が発見されたという92年1月の有名な記事は私が書いたものではない」
という。
つまり強制連行をでっち上げて政治問題にしたのは、植村ではないのだ。
それが誰であるのかを彼は書いていないが、当時の彼の上司で慰安婦問題に熱心だった北畠清泰(故人)ではないか。
つまり慰安婦デマは植村の個人的な犯罪ではなく、大阪社会部の組織ぐるみの犯罪なのだ。
★その部長だった渡辺雅隆社長が、問題を解明できるとは思えない。
植村は自分を言論弾圧や脅迫の被害者として描きたいようだが、その問題を解決するのは簡単だ。
逃げ回らないで記者会見を開いて、以上の疑問に答えることである。
それをしないで一方的に手記を載せても、誰も説得できない。
追記:1992年1月の「軍関与示す資料」の記事を書いたのは、辰濃哲郎記者(東京社会部)だと思われる。
本人がそう証言している。
ただし「挺身隊として強制連行」という囲み記事を書いたのは別人だろう。
NYタイムズの敗北宣言
2014年12月03日
マーティン、
久しぶりに、君の記事を熟読したよ。
君は私のところに2度やって来て日本経済について話し、われわれの意見はほぼ一致した。
君の日本語は見事なので、この手紙も日本語で書く。
英語の手紙は前に書いたけど、読んでくれたかな。
もちろん読んだだろう。
君は私のブログの熱心な読者だし、田淵広子記者も私と何度も議論した。
事実にもとづいて論理的に議論する訓練ができている点は、朝日新聞よりずっと上だと思う。
今回の記事も、朝日の敗北宣言から4ヶ月たって、10月の曖昧な記事に比べると、事実関係を率直に認めている。
君が私のブログから学んだもっとも大事なポイントは、君と田淵記者の敬愛する大西元支局長の記事は擁護できないということだと思う。
君はこう書いている。
There is little evidence that the Japanese military abducted or was directly involved in entrapping women in Korea, which had been a Japanese colony for decades when the war began, although the women and activists who support them say the women were often deceived and forced to work against their will.
《日本の軍隊が誘拐したか、韓国で女性に罠にかけてそれに直接、積極的に関与していたか、それについてはほとんど証拠がありません。
そして、女性がしばしばだまされて、彼女らの意志に反することを強制されたと、彼女らを支える女性、活動家らは言うが、戦争が始まったとき、韓国はすでに何十年も日本の植民地でした。》
朝日が「軍などが連行した資料は見つかっていません」と認めたのに比べると、
little evidenceというのは往生際が悪いが、大西のようにインドネシアの強姦事件を持ち出さなくなったのは一歩前進だ。
これがすべてだ。
私的な売春を軍が管理しただけで、日本政府が「性奴隷」を使ったわけではない。
人身売買があったことは明らかだが、田淵記者のいうenslavementで罰せられるのは業者であって、政府ではない。
あとは植村隆のインタビューがスクープだが、日本のメディアから逃げている彼が(自分に好意的だと知っている)NYTの取材だけを受けるのは、ジャーナリストとして卑怯だとは思わなかったのだろうか。
一つだけマイナーバグを指摘しておくと、
"It has also emboldened revisionists calling for a reconsideration of the government’s 1993 apology"
《 (今回の朝日新聞の敗北宣言は、)
政府の1993年の謝罪の再考を要求している修正主義者たちを励ました》
というのは間違いだ。
安倍首相は(NYTが思っているほど)バカじゃないので、河野談話を修正するつもりはない。
朝日が強制連行の嘘を認めれば、もう事実関係に争いはないからだ。
いずれにしても、この記事からは君の迷いや悩みが伝わってくる。
本社からは「日本の右翼に反撃しろ」という指示が来たと思うが、調べれば調べるほど、朝日の記事もNYTの記事も擁護できないことがわかったのだろう。
それを無理やり「右翼の安倍首相が朝日をいじめている」という話に仕立てたわけだ。
だから内容的には、これはNYTの敗北宣言だ。
私(を含めて多くの人)が嘘つきと断定した大西の記事をまったく擁護せず、「人身売買はあった」などという弁解もしていない。
これはNYTとしてはぎりぎりの妥協点かもしれないが、彼の嘘は永遠に残る。
それでいいのだろうか。
君もわかったように、大西の記事は嘘だが、「日本軍の性奴隷」というデマが米議会をはじめ世界中に広がった最大の責任は、NYTにある。
その印象操作を反省して、朝日のように「大西の記事を撤回します」という訂正記事を出すのが世界の一流紙の矜持だと思うのだが、どうだろうか。
「強制連行」をでっち上げたのは植村隆ではない
2014年12月11日
きのう発売の『文藝春秋』に、
「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」
という朝日新聞の植村隆元記者の手記が掲載されている。
28ページにわたる記事のほとんどが「他社もやっていた」という言い訳と、彼が迫害されて職を失った話で、反省も謝罪もない。
特に大きな問題は「女子挺身隊」という日本政府による徴用を意味する言葉を、私的な慰安婦に使ったことだ。
問題の1991年8月11日の記事はこうなっている。
《日中戦争や第2次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が聞き取り作業を始めた。》
これについて植村は「意図的な捏造ではない」と主張し、「他社も挺身隊と書いていた」とか「朝日の記事でも過去にそうなっていた」などという。
この情報は当時のソウル支局長(小田川興)から教えてもらったと主張し、義母がその「挺身隊」を指弾する遺族会の幹部だったことは偶然だという。
慰安婦問題を取材しているうちに、同じ問題を調べている妻と出会って結婚し、あとから義母が遺族会の幹部であることを知ったという。
都合のいい偶然だ。
最大の疑惑は、金学順が「戦場に連行された」と言ったのかという点だ。
これについて1991年12月6日に提出された慰安婦訴訟の訴状では
「14歳からキーセン学校に3年間通ったが、1939年、17歳の春、『そこへ行けば金儲けができる』と説得され、養父に連れられて中国へ渡った」
と書いている。
ところが12月25日の植村の記事では、こうなっている。
《その後は子守をしたりして暮らしていました。
「そこへ行けば金もうけができる」。
こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました。
仕事の中身はいいませんでした。
近くの友人と2人、誘いに乗りました。
17歳(数え)の春(1939年)でした。》
訴状には「14歳からキーセン学校に通った」と書かれているのに、17歳でいきなり「連行」されたように書いている。
しかも訴状ではキーセンに仲介したのは養父(おそらく朝鮮人の女衒)だが、植村の記事では「地区の仕事をしている人」に連れて行かれたことになっている。
訴訟が起こされたのは記事が出る前であり、彼は訴状を読んだことを認めている。
それなのに14歳から17歳の部分を落としたのはなぜか。
彼は「弁護団の聞き取り要旨にはキーセンのくだりがなかった」などと言い訳をしているが、そのすぐ後で「キーセンだから慰安婦にされても仕方がないというわけではない」と書いている。
つまり植村は、キーセンに売られた経歴を知りながら落として「連行」の話にしたのだ。
これは単なる誤報ではなく、芸者になる訓練をしてから慰安所に売られたという金学順の話を「女子挺身隊の名で連行」されたという(本人が言っていない)話に仕立てた捏造である。
植村は「だまされて慰安婦にされた」と書いているが、だました主語は誰なのか。
「挺身隊の名で連行」したなら朝鮮総督府か日本軍だが、人身売買なら女衒である。
これはまったく違う話だが、肝心の点をぼかしている。
しかし彼は一つ重要な告白をしている。
《私は[8月11日の記事の]本文では、この女性が「だまされて慰安婦にされた」と書いた。
暴力的に拉致する類の強制連行ではないと認識していた。
[…]
私自身は<女子挺身隊の名で>は、
決して<女子挺身勤労令によっての連行>ということを意味したものではなかった。
植村は記事では<だまされて慰安婦にされた>とはっきり書いており、強制連行とは書いていない。》
なぜか最後の文だけ主語が「植村は」となっており、第三者が介入した形跡があるが、それはともかく、彼が金学順について書いた署名記事は2本だけで
「旧日本軍の慰安所設置などを示す資料が発見されたという92年1月の有名な記事は私が書いたものではない」
という。
つまり強制連行をでっち上げて政治問題にしたのは、植村ではないのだ。
それが誰であるのかを彼は書いていないが、当時の彼の上司で慰安婦問題に熱心だった北畠清泰(故人)ではないか。
つまり慰安婦デマは植村の個人的な犯罪ではなく、大阪社会部の組織ぐるみの犯罪なのだ。
★その部長だった渡辺雅隆社長が、問題を解明できるとは思えない。
植村は自分を言論弾圧や脅迫の被害者として描きたいようだが、その問題を解決するのは簡単だ。
逃げ回らないで記者会見を開いて、以上の疑問に答えることである。
それをしないで一方的に手記を載せても、誰も説得できない。
追記:1992年1月の「軍関与示す資料」の記事を書いたのは、辰濃哲郎記者(東京社会部)だと思われる。
本人がそう証言している。
ただし「挺身隊として強制連行」という囲み記事を書いたのは別人だろう。