saku (山下智久) :先生、私は知能が高くなるにつれ、他人の感情も推し量れるようになりました。そして、以前の私は、バカにされ…見下されていたのではないかと、ひどく憤ったことがあります。一方で逆に、今度は自分より知能が劣ると感じた人間を見下し、軽蔑するような…負の感情がこみ上げてきたんです。危なく私は、超知能を持つ歪んだ人格に…(―― だが君はその黒い霧を払った。)ハルカのおかげです。先生…知能が低い人間が野蛮なのではなく、知能が高い人間が知性的なのでもなく、愛が…愛に満たされた人は人を傷つけない。心無い人に、時折見せられる悪意には戸惑うこともある。けれども、知能や、知識ではなく、本当に愛し愛された記憶のある人は、もしかしたら世界は、そんな単純なことで、穏やかになるのかもしれません。誰もが愛に包まれた世界なら…
信じる者は、救われてた。
信じる者が間違っていたなら、いま、とっくに滅びてたろう。
だけど、滅びてない。
信じる者は救われても、
救われたいから信じてます、って顔してる連中は、救われない。
なぜなら、そこにホントの『愛』がないから。
かつて…
占領されるまでの『ここ』では、
愛を『打算』にしなかった。
愛する方も愛される方も、純粋だった。
だから暴走に暴走を重ね、誰も止められなくなったとも言えるけど…
その格好は幕末の長州に似てる。
もし、長州があのまま滅びてたら、きっと後世、ボロクソ言われてたろう。
薩摩と愛を取り合い、京を火の海にしたんだから。
『外』に愛あると、愛あるゆえに燃え尽きようともし、周りに火の粉も飛ぶ。
愛に包まれたいなら、潔くありたいなら、
愛をむき出さず、『内』にこそ、それを鎮座していただくのが本スジだと思う。
そういう人が多く棲む世界なら、
きっと、『誰もが愛に包まれた世界』になるだろう。