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★厄介な隣国/韓国「世界遺産に協力」・・・って(笑) 

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日韓外相会談 韓国「世界遺産に協力」 今秋の首脳会談模索
産経新聞 6月22日(月)7時55分配信
 


岸田文雄外相は21日、韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相と東京都内の外務省飯倉公館で会談した。韓国側は、日本が進める「明治日本の産業革命遺産」(計23施設)の世界文化遺産登録について協力する方針を初めて示した。安倍晋三首相と朴槿恵(パク・クネ)大統領の間で実現していない日韓首脳会談の早期開催に向け努力することで一致した。
  韓国の外相の来日は約4年ぶりで、朴政権下では初めて。
  世界文化遺産の登録をめぐっては、韓国側が「戦時中に朝鮮人労働者が強制徴用された施設が含まれている」と反対していた。政府関係者によると、日本側は歴史的な事実関係の範囲内で明示すると説明し、一定の配慮をみせた。韓国も「百済(くだら)の歴史地区」の登録を目指しており、岸田氏は会談後、「ともに協力し、両案件が登録できるよう協力することで一致した」ことを明らかにした。
  懸案の慰安婦問題も議題となり、岸田氏は昭和40年の日韓基本条約で「完全かつ最終的に解決」したとの日本の立場を貫き、「引き続き、局長級協議などを通じて議論していく。粘り強く協議を続けていくことで一致した」と述べた。
  尹氏は、日本に「法的責任」を求める姿勢を崩さず、双方が原則論を繰り返した。
  韓国側は慰安婦問題で日本が譲歩しなければ日韓首脳会談に応じない構えをみせているが、会談では、日中韓首脳会談を年内のできる限り早期に開催することで一致した。
  日韓双方は今秋にもソウルでの開催が想定される日中韓首脳会談に合わせて日韓首脳会談を行う道筋を模索したとみられる。
  両外相は、相互訪問の実施で合意した。尹氏は岸田氏に年内の訪韓を要請し、岸田氏は適切な時期の訪韓を調整すると応じた。
  北朝鮮の核・ミサイル問題については、日米韓3カ国で連携していくことを確認し、日本人拉致問題でも協力を進めていくことで一致した。
  尹氏は、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案に関する日本政府の韓国側に対する説明について「透明性をもって説明努力をしていただいていることは評価する」と述べた。
  安倍首相は在日韓国大使館が22日に都内のホテルで開催する国交正常化50年の記念式典に出席し、朴大統領はソウルで22日に行われる在韓日本大使館主催の記念レセプションに参加する。



サルメラ
そこで働いてたの韓国人だけじゃないだろう、日本人も同様に働いてた。
別に韓国に協力してもらっても、もともと、横車押してきてるには向こうなのに何恩着せがましいこと言ってるんだ。
だいたい、明治維新の頃の話を、戦時下でこんなことがあったとか、理不尽な難癖つけて、それで世界遺産の話がホントに没になったら、
そんときはもう、「日韓友好」なんか完全に消し飛ぶぞ。
それが望みか?
刹那的に溜飲下げて、そのあとどうなるか計算できない。
それじゃあまりに愚か過ぎるだろう。

で、人に国のことにケチばかりつけてるくせに、自分の国では何やってるか、っていうと・・・





韓国の「日帝侵略館」 拷問シーン再現は歴史捏造の極みとの評
2014.03.29 07:00
 

 韓国の「反日」は今に始まったことではない。話題の新刊『日本人が知っておくべき嘘つき韓国の正体』(小学館)では、20年以上にわたって国際情報誌『SAPIO』が報じてきた韓国関連リポートを収録。2003年には、韓国人ノンフィクション作家・金完燮(キム・ワンソプ)氏がソウルから車で約1時間半のところにある天安市の「独立記念館」を訪れ、以下のようにリポートしている。
  * * *
  この記念館は、1982年に日韓の政治的懸案にまでなった第一次教科書問題が発端となって全斗煥大統領(当時)が韓国民からの募金で建設した博物館である。日本の侵略行為を永遠に記憶しようという意図による。
  韓国全土からやってくる子供たちが見学する独立記念館の展示内容は、端的に言えば「日帝蛮行博物館」である。これでもかこれでもかと日本が残虐行為を犯した様子を見せつける博物館である。しかし、その多くは史実ではなく捏造された物語である。
  独立記念館は全部で7館あるが、その一つに「日帝侵略館」という名の展示館がある。その中の蝋人形による拷問シーンの再現は歴史捏造の極みである。拷問場面は複数あるが、中でも性的拷問は筆舌に尽くしがたい内容となっている。日本の憲兵が女性の衣服を剥ぎ取り暴力的に陵辱しているシーンには思わず目を覆った。これらの拷問シーンは、『韓国独立運動の血史』というオカルトまがいの全く信憑性に欠ける資料を参考に再現されている。
  また従軍慰安婦の説明場面ではほとんどすべての朝鮮の若い女性が挺身隊という名目のもとに騙され、従軍慰安婦となり日本軍の性的奴隷となったと描写している。これを見学する子供たちにとって「日本=悪」という構図が刷り込まれていくのである。


朝鮮総督府による土地調査事業に関しても総督府が朝鮮全土の60%を収奪したというとんでもない数字をデッチ上げ、事実として紹介している(実際は数%にすぎない)。土地私有の概念自体が存在しなかった日韓併合前の朝鮮半島において、近代的な土地所有概念を定着させるために必要な事業だったということにも一切触れられていない。
  さらに日清戦争の発端となった東学党の乱(1894年)についての解説も明らかに歴史的事実を著しく歪曲したものだ。実際には李朝時代の圧制・搾取に対する反発から全国的な一揆へと広がったにもかかわらず、東学党蜂起の原因を義兵闘争と関連づけて抗日闘争へと巧妙にすり替えているのである。
  以上紹介したのは反日教育のごく一部だが、このような悪質な歴史的事実の捏造によって日本のイメージは著しく傷つけられている。また、苦難に耐えながら日本と共にあの戦争を戦った韓国人自身の先祖にも失礼である。
  幼少時から不必要な被害者意識を執拗に注入されれば、被害妄想に取りつかれ冷静かつ客観的に物事を判断できなくなっても不思議ではない。日本統治時代が全くの暗黒時代であり肯定的側面は皆無であったと子供たちに教え続ける韓国政府の意図的な反日洗脳教育は、すべての失敗や短所の責任を他者になすりつける無責任な国民を大量生産する結果となる。





転載元 保守への覚醒

【独立記念館】韓国の「日帝侵略館」…蝋人形の拷問シーン再現は歴史捏造の極み


韓国「独立記念館」の捏造の蝋人形館。これって韓国軍がベトナムでやって来た蛮行そのままだ!


ここを訪れる日本人は「日帝侵略館」では無く「バ韓国人ベトナムでの狂気の蛮行館」と理解するべきだろう。

















ベトナム戦争で韓国軍や韓国人軍属は、この蝋人形館の内容よりも残酷な、強姦や拷問やをやっていた事が広く知られるようになってきた。


ところが、実は、先の大戦でも日本軍に所属した朝鮮人兵や朝鮮人軍属が、日本軍の軍律に背き支那や東南アジアで強姦や虐殺、捕虜に対する拷問を繰り返していたのだ。


それらの朝鮮人兵や朝鮮人軍属は、日本軍の軍法会議できびしく処罰されたり処刑された。終戦後に連合軍による軍事裁判で、捕虜虐待の容疑で死刑を宣告された朝鮮人もいる。


朝鮮人のBC級戦犯は合計で148人。連合軍は朝鮮人を、「敵国に使用された臣民」と見なし日本人として裁いた。148人中23人の朝鮮人が死刑、125人の朝鮮人が無期及び有期刑を受けている。


支那と韓国が共闘して日本批判に用いるのが「南京事件」である。支那が主張する被害内容は荒唐無稽なものだが、日本軍の軍律に背き強姦や虐殺行為を行った「高麗棒子」と言われる朝鮮兵がいたのも事実であった。


日本軍は軍律に背いた朝鮮兵を多数処罰したのは当然だが、その事実こそが、支那人が朝鮮人を「高麗棒子」と馬鹿にする理由の一つとなっているのだ。


支那は反日政策を取っているので触れないが、支那での蛮行の張本人は日本人兵では無く、日本軍に所属した朝鮮兵の仕業である事を最も良く知っているのが支那人なのである。


「独立記念館」は韓国人ですら「捏造館」だと認定するいい加減な内容の反日館だ。民度の低い特亜の国々は、このような子供騙しのような捏造反日館をいつまでPRする気なのであろうか…。


自らを「馬鹿で、嘘つき」と言っているようなものなのだがね…。




【炭鉱物語】
強制でなく「職探しも」…戦後、朝鮮半島に戻るとき互いに「泣いて別れた」
 
 
伯父が筑豊炭田で働いていたという福岡県田川市在住の元飲食店経営、李大一さん(64)に、戦前の筑豊炭田の暮らしぶりについて話が聞けた。
 李さん自身は日本生まれの日本育ちだが、実父の李判福さん(故人)が朝鮮半島の大邱(現在の韓国)出身で、戦前、16~18歳のときに本土にやって来て、長野県内のダム建設に従事していた。先乗りした判福さんの実兄は筑豊地方の炭鉱で働いていたという。

必ずしも不遇ではなかった
 日本政府は昭和14年、戦争の長期化による労働力不足を補うため、半島出身者も含めた国民全体を対象に国民徴用令を制定した。
 判福さんも伯父も「強制連行」だったというのでその理由を問うと、「父や伯父は大邱の朝鮮人村長の命令で、自分たちの意に反して本土に連れて来られたからだ」と話す。一方で「自らの意思で仕事を求めて来た半島出身者がずいぶんいた」とも話し、強制連行ばかりを強調する韓国側の言い分が、事実と異なることが裏付けられた。
 李さんによると、徴用が始まったころは言葉の壁や生活習慣の違いから差別もあったが、移住が定着してくると徐々に改善されていき、「必ずしも不遇ではなかった」と話す。 

 5世帯が入居する長屋では、半島出身者と本土出身者の家族が仲良く生活していたという。危険と隣り合わせの生活だけに、連帯感は強く、法事のときはみな一緒に飲み食いした。

多くは帰還事業で北朝鮮へ
戦前の方城炭鉱を知る地元、方城町の元文化財専門委員の植田辰生さん(91)は「戦後、朝鮮人労働者が半島に戻るとき、お互いに泣いて別れた。多くは帰還事業で北朝鮮に行ってしまった」と語る。
 植田さん所有の資料によると、大正9年当時、炭鉱労働者の賃金は米一俵(60キログラム)が12円の時、平均月給は37円77銭。米一俵は成人男性が1年間に消費する量。単純計算で一人当たり平均米三表分に相当し、かなりの高額給与だったことが推し量れる。
 李さんは「半島出身者にも(本土出身者に媚びて同胞をいじめるような)嫌な人はいたし、いい人もいる。本土の人も一緒で、出身地に関係ない」と話す。
 世界遺産をめぐる韓国政府の対応について、李さんは「正直言って複雑だ。日本国内の施設について、他国がとやかく言うべき話ではないが、もっと時間をかけてほしい。苦い記憶が癒えないから」と語った。
 今月初め、長崎市沖の端島(通称・軍艦島)の炭鉱労働者とは直接関係のない韓国人市民団体が、近くの島で線香をたき、それを地元メディアが報じた。
 直接の関係者である李さんの話を聞いた後だと、こうした白々しい行為が、登録阻止をねらった美談仕立のパフォーマンスにしか見えなくなる。 (九州総局長 佐々木類)






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