猛虎復活は「鉄人」の思い切りに掛かっている
東洋経済オンライン 10月21日猛虎復活は「鉄人」の思い切りに掛かっている
今回、阪神が第33代監督に迎え入れたのは金本知憲氏。47歳。10月19日に大阪市内で行われた就任会見では「不安と希望が入り交じっている」と正直な心境を語った。「本当に結構悩んだんですけれど、球団をはじめフロントの方々から1回壊してでも立て直したいという熱意を受けた。それが意気に感じました」シーズン終盤の失速はいつもの光景
知名度か、指導者経験か――。チーム組織のトップに立つ監督を選任する際の永遠のテーマ。これまでの阪神は、現場でコーチなどの下積みを経験した生え抜きに固執してきた。球団史上、専任で指導者経験のないまま監督に就くのは、1975年(74年オフ就任)から指揮をとった吉田義男氏以来。40年ぶりのことになる。それを考えると超異例の人事だ。阪神は生え抜きOBでなく、しかもあえて指導者経験のない金本氏の招聘に踏み切ったのだから。振り返ると、今期の阪神は大方の野球評論家による開幕直前予想で1位か2位だった。しかし最終的には3位の大外れ。他球団と比べても見劣りしない戦力を抱えながら、2005年以来10年間優勝から見放された。4年目だった和田監督の今シーズンは、8月28日時点で2位ヤクルトに3ゲーム差をつけて首位に立っていたが、9月になって転落し、そのまま3位に急降下した。シーズン終盤の失速は毎度の悪例になった。試合前の練習中に4番のゴメスがドローン(小型飛行機)を飛ばしても、現場コーチが放置したのは緊張感の欠如というしかなかった。ここ数年、ペナントレースの競った展開にもろい体質と、若手の伸び悩みが目についた。「育てながら勝つ」というのは至難だ。本来は経験豊富な監督の手腕に任せるのが的確だろう。
「鉄人」という"劇薬"を投じる球団オーナーの坂井信也電鉄本社会長は「経験がないといわれるかもしれないが、われわれフロントが一層の支援態勢を敷いて、ともに戦っていくつもりだ」という。もっとも金本氏の現役時代の実績は申し分がない。91年ドラフト4位で東北福祉大から広島入り。3年目あたりから芽が出て、レギュラーになった後は看板選手にのし上がっていく。2000年には打率3割1分55厘、30本塁打、30盗塁の「トリプルスリー」を達成。走攻守3拍子そろったタイプだった。さらに脚光を浴びたのは、2002年オフ、FA(フリーエージェント)権を行使して阪神移籍を果たしてからだ。ルーキーだから思い切ってできる
当時監督だった星野仙一氏(楽天球団副会長)からのオファーによって実現した阪神入りは、強烈なインパクトがあった。星野監督は低迷したチームの現場、フロントなど総勢20人以上の血の入れ替えを断行。大補強の目玉が広島からの金本獲得だった。2003年は主に「3番」に座ってチームを18年ぶりのリーグ優勝に導いた。岡田彰布監督が率いて優勝した2005年には40本塁打、125打点をあげてMVPを獲得する。2006年には904試合連続フルイニング出場の世界記録を樹立、最終的に1492試合に伸ばした。骨折してでも試合出場を続けた金本は「鉄人」と称された。ユニホームを脱いだのは2012年オフ。その後は野球評論家としてネット裏で活動してきたが、2年間の充電期間を経て、再びグラウンドに立つことになった。
「答えをだすのに時間がかかった。指導者経験もない。でも指導者経験がないからやってやろうと。経験があると、手探り、腹探りを優先してしまう。1年生ですから、ルーキーですから。いろいろ迷ったが、逆に1年目だから思い切ってできるかもと思いました」金本氏との交渉役だった南信男球団社長は「これからが本当のスタート。心身ともタフなチームを作りたい」と語った。はたして阪神の決断が吉とでるか凶とでるか――。猛虎復活は未知数のタクトに託された。【金本監督アニトーク】口うるさく言うということは伝えた
サンスポ 2015.10.21
(甲子園のクラブハウス駐車場で)--選手は熱さが伝わってきたと言っている金本監督「それは分からないけど、とにかく厳しくするとは言いましたね。でも、会見で言ったように、明るくもすると。個別に選手を呼んだときもね。一番は鳥谷ね。『お前が変わらないとチームが変わらない』と。すべて、数字も。やっているトリの実績と年数と年齢を見たときに物足りなさ過ぎると言いました。彼もその気になってくれて、バッティングも実際にあの数字だから、僕も見るし、彼も『ぜひ』ということだったのでね。あとは、特にピッチャーもね。岩田もスタミナがあると言っとったし、どんどん行ってもらわないと。能見も」
--個別に呼んだ意図は「まだこれから会っていくよ。(宮崎の)フェニックス・リーグ行ってる子もいるし。主力どころだね、特に心配だったのは。能見もしっかりトレーニングするということだったので安心したし、長いイニングをチャレンジしたいし、と言っているし。藤浪もスタミナには自信満々だったから一安心した。そこらへんです。意識づけとしてとにかく厳しくいく。厳しく明るく、それだけ」--選手の表情はどうだった「そりゃ、一応真剣には聞くよ、今だけは。もうひとつは、どうしてもキャンプやシーズンに入ると中だるみになってくるからね。俺も経験あるけど。そういうときに、だれないようにね。俺自身、慣れてきたりすることもある。お互いを締める意味でも、口うるさく言うということは伝えたから」阪神金本新監督、鳥谷よ変われ!全て物足りなさすぎ
日刊スポーツ 10月21日阪神金本知憲新監督(47)が20日、就任後初めて選手たちと対面した。全体ミーティングで熱い気持ちを伝え、主力選手と「個別面談」も始めた。特にキャプテン鳥谷敬内野手(34)に「お前が変わらなければ、チームは変わらない」と告げたことを明かし、ともに打撃改造に乗り出す覚悟を示した。猛虎改革は鳥谷改革から始まる。金本新監督は初日から熱さ全開だったようだ。午前10時、甲子園クラブハウスに到着すると、トレーニング室に選手、スタッフ全員が集合した。「厳しく言うこともあると思うが…」
そんな内容で始まったという所信表明は選手たちの胸に突き刺さったようだ。クラブハウスを後にする選手たちはことごとく「熱かったです」と口にした。約5時間、個別面談あり、グループ面談ありで、選手たちと向き合った金本監督は狙いをこう明かした。「厳しくするとは言いました。でも、明るくもする。(選手)個別にも話しましたけど、一番は鳥谷。お前が変わらないとチームが変わらない。すべて、数字も、実績、年齢、年数にしても、もの足りなさすぎると言った」最大の狙いは鳥谷だった。キャプテンとして、不動の遊撃手としてチームの顔であり続けている男に「変革」を求めた。今季は打率2割8分1厘、6本塁打、42打点。主に1番を務めたが、金本監督にすれば、鳥谷の能力からは、満足にほど遠いという。「彼もその気になってくれて。打撃もあの数字だから、僕も見るし、彼もぜひということだった」今春のキャンプに評論家として訪れた金本監督は、鳥谷はもっと長打を打てるはずとアドバイスした。あくまで強要はせず、鳥谷も自分のスタイルでシーズンに入ったが、結果的に6本塁打。指揮官となった今、打撃改造にとことん付き合う決意のようだ。タイガースは鳥谷が2年目だった05年以来、10年間も優勝から遠ざかっている。改革を託された金本監督は、まず、鳥谷が変わることが第1歩だと言った。「個別での話? それは監督に聞いてください」。鳥谷は多くを語らずに球場を後にしたが、この日もミーティングに出席しただけでなく、トレーニングも行ったという。猛虎鉄人の系譜を継ぐ金本監督と鳥谷。2人が猛虎改革をけん引していく。阪神 ゴメス残留決定的!金本新監督が“復活”サポート
スポニチアネックス 10月21日
阪神のマウロ・ゴメス内野手(31)の来季残留が20日までに決定的となった。移籍2年目の今季は143試合に出場して主に4番として打率.271で17本塁打。昨季より成績を落とした一方、長打率.423を誇るなど数少ない長距離砲として球団側は契約を更新する方針を固めた。球団関係者が「現時点では、その(残留の)方向です。(契約など)具体的なことはこれからです」と明言した。移籍1年目の昨年は143試合に出場して打率.283で26本塁打。109打点で打点王にも輝いた。今季は打撃不振から4番を外れた時期があったとはいえ、既にマートンの退団が濃厚となっていて現状を踏まえ、戦力的に一定の計算が立つゴメスを必要戦力と判断した。現役時代に重圧のかかる4番打者として数々の実績を残してきた金本新監督も復活をサポートする考えだ。ゴメスは近日中の帰国を前に甲子園球場クラブハウスを訪れて渉外担当者、球団関係者とも会談。昨オフに球団が2年目の選択権をバイアウト契約を結んでいて、球団側は契約を更新する方針などを伝えた模様。正式な契約は今後代理人との間で進める予定で、残留が決定すれば来季も4番の最有力候補だ。金本監督には和製大砲の育成に期待が向けられる一方、「勝ちながら再建する」ためには助っ人の力も必要不可欠。在籍3年目で日本の環境や投手にもより慣れる来季はV奪回へのキーマンとなりそうだ。スタミナに自信あります!阪神・藤浪、鉄人監督に鉄腕宣言や
サンスポ阪神・藤浪晋太郎投手(21)が20日、甲子園クラブハウス内で金本知憲新監督(47)と初対面。直接面談でスタミナ面での自信をアピールした。今季、虎のエースといえるだけの好成績を残した若き右腕が自覚たっぷりに、金本政権の投手陣の柱を担う。熱い思いに熱く応えた。藤浪が金本新監督との初顔合わせで宣言した。本人は岩崎、岩田とともに臨んだ“四者面談”を振り返り「厳しく行くぞと言われました」とだけ語ったが、力強い決意表明をしていた。「藤浪もスタミナには自信満々だったから一安心した」受け取ったメッセージを胸に秘め、多くを語らなかった右腕に代わり、新指揮官が満足げな表情で明かした。体力面での自信こそ、エースの自覚だった。3年目の今季は28試合で自己最多の14勝(7敗)を挙げ、防御率2・40。221奪三振で初タイトルを獲得し、7完投はリーグトップの数字を残した。しかし、名実ともに虎の顔として階段を上り始めた21歳が特に納得できなかったのが投球回数。199イニングで終わり、大台にあと一歩、足りなかった。それだけにオフに入り「今年は最低180イニングと(目標を)言っていて、軽く超えることができた。来年は200イニングを軽く超えられるようにしたい」と新たな目標を掲げていた。その心意気を早速、金本監督に伝えた形だ。藤浪のフル回転はチームの命運を握っている。現状、来季の勝利の方程式は守護神・呉昇桓(オ・スンファン)の去就が不透明で40歳シーズンとなる福原、39歳を迎える安藤が軸。今年も目立った若手リリーバーの台頭がなかっただけに松田、歳内らが一皮むけない限り、厳しい台所事情は解決できない。そこで、背番号「19」が1イニングでも多く投げて、ブルペン陣の負担を減らすことができれば、大きな助けになるというわけだ。この日は、11月に開催される国際大会「プレミア12」の出場に備え、甲子園クラブハウス内で再始動した。4年目をさらなる飛躍の1年にするため。着実にステップアップを続ける若武者が金本タイガースの大黒柱として、大車輪の活躍を目指す。(小松真也)阪神・福留、金本新監督の叱咤激励に「いろんなことに応えたい」
サンスポ阪神・金本知憲新監督(47)が20日、西宮市内の甲子園クラブハウスでナインと初顔合わせした。甲子園クラブハウスに訪れた福留は金本新監督の叱咤激励に応える活躍を誓った。前日19日の就任会見で「まだまだ今年よりもできる」と名前を挙げられたことに感激した様子で「名前を出していただいて、やりがいもある。常にそういうつもりでいる。いろんなことに応えたい」と意気込んだ。今季は打率・281に加え、チームトップの20本塁打、76打点をマーク。40歳で打率3割、100打点を挙げた金本監督のように成績向上を目指す。阪神・福原&安藤、新監督からゲキ「体をしっかり鍛えて」
サンスポ
阪神・福原忍投手(38)と安藤優也投手(37)が20日、甲子園クラブハウス内で金本知憲新監督(47)から個別面談を受けた。意気に感じた両ベテラン右腕は奮起を誓った。来年40歳を迎える福原が「(金本監督と)少し話をして、『体をしっかり鍛えてやってくれ』と言われました。しっかり準備して来年も頑張ります」と言えば、39歳シーズンに臨む安藤も「『しっかりトレーニングしてくれ』というのは伝えられました。期待されていると思って頑張ります」と力を込めた。前日19日に指揮官が「期待しているからこそ、不安は安藤と福原の年齢(笑)。40歳でも60試合を目指して、プロ野球界に(存在感を)示してほしいです」などと期待を寄せていたが、頼もしいリリーバーコンビなら、きっと杞憂に終わらせてくれるはずだ。阪神・岩田、金本新監督からの訓示に「身が引き締まる感覚ある」
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阪神・金本知憲新監督(47)が20日、西宮市内の甲子園クラブハウスでナインと初顔合わせした。岩田は金本新監督からの訓示に「身が引き締まる感覚がある」と話した。藤浪、岩崎とともに行った面談では、スタミナを強調。「現役時代にいっしょにプレーしたし、監督になられても熱い気持ちが出てくると思う。ついていけるように頑張っていきたい」。今季は8勝だったが、2008年以来の2桁勝利に向け、早くも気合を入れた。阪神・上本、金本監督から「遠慮せずに何でも言ってほしい」
サンスポ
阪神・金本知憲新監督(47)が20日、西宮市内の甲子園クラブハウスでナインと初顔合わせした。甲子園クラブハウスで汗を流した上本は普段と変わらぬスタンスを示した。「まずは自分のことをしっかりやっていきたい」。金本監督との面談では「遠慮せずに何でも言ってほしい」と告げられたという。選手会長は新指揮官の広陵高の後輩。選手と首脳陣のパイプ役を担うこともありそうだ。関連記事 ↓ ↓ ↓転載元週刊プレイボーイ41号「鉄人・金本は阪神タイガースの何を変えたのか?」より阪神・金本知憲が「アニキ」と呼ばれる理由
2012年10月01日
鍛え抜かれた肉体に勝負師の眼差し、そして優しい笑顔。思わず誰もが「アニキ」と呼びたくなってしまう金本の人柄を表すエピソード
現役引退まで、あと3試合を残すのみとなった阪神・金本知憲。30日、11年間在籍した古巣・広島との今季最終戦では、超満員となったマツダスタジアムのファンから惜しみない拍手が送られた。チームメイトだけでなく、他球団の選手、さらには他球団のファンからも「アニキ」と呼ばれ、愛された金本。彼がそう呼ばれ尊敬される理由を、スポーツ紙のデスクが明かす。「金本が阪神入りした03年は2番・赤星、3番・金本という打順だったのですが、入団1年目で絶対に結果を残さないといけないプレッシャーがあるなかでも、金本は赤星の盗塁をサポートし続けた。『最初の何球かはおまえにやるから』と、初球に甘い球が来てもバットを出さなかったんです。その結果、赤星は3年連続の盗塁王に輝くことができた。ホームランやヒットを打たなくても、状況に応じて進塁打や投手の嫌なことをやる献身的なプレースタイルは、ほどなくチームに浸透していきました」仲間を信頼し、それでいて「自分のケツは自分で拭く」というするプレースタイルは、同じチームだけでなく、対戦チームの誰もが気づいていたはずだ。またプレーだけでなく、私生活でも細やかな気遣いを見せていた。若手選手を積極的に食事に連れていくのはもちろんのこと、その対象はチームの裏方や、果ては記者にまで及んだという。「金本は阪神に来た当初から『活躍できたのは裏方さんのおかげ』と、試合の副賞でもらった賞金や賞品をスタッフにプレゼントしていた。現在では選手全員がそれに倣(なら)い、チームの習わしのようになっています。また、ある記事がきっかけで普段は取材に応じなくなった某紙の記者がいたのですが、その記者が異動することになった際、深夜にサプライズでプチ送迎会を開いたこともありました。口もきいてもらえなかったのに、まさか……と、記者は感激しきりでした」(関西のテレビ局関係者)選手、裏方、関係者だけではない。ファンも金本を「アニキ」と呼び、他の選手とは一線を画する存在として見ていた。ファン歴30年の男性が語る。「“金本以前”の阪神は、いくら活躍した選手だろうが、ファンにとってはイジって楽しむ対象でした。吉本の芸人と一緒です。ところが加入当時の金本はチームバッティングはするし、誰よりも練習するし、いいところで打つし、文句のつけようがなかった。しかも優勝させてくれた大恩人。さすがの阪神ファンも、肩を故障するまでは“アンタッチャブル”でした。こんなことは初めてでしたね」引退試合は9日の甲子園、DeNA戦。最後にアニキはどんな姿を見せてくれるだろうか。(写真/益田佑一)「自分が投げるときは金本さんに守ってほしい」投手たちが語る阪神・金本知憲の真実
2012年09月26日チームの勝利よりも金本の連続出場記録が優先されていると批判されたこともある。だが、投手たちの声は違っていた。
9月16日の巨人戦で、日本プロ野球歴代10位となる475本目の本塁打を放った阪神タイガースの金本知憲(44歳)。1492試合連続フルイニング出場の世界記録を保持する“鉄人”は、これで通算安打数の歴代7位、打点の同8位(9月24日現在)続き、打撃三部門すべてで歴代トップ10入り。名実ともに記録と記憶に残る名打者となった。10月9日のDeNA戦(甲子園球場)で引退試合を予定している金本だが、けして順風満帆な21年間のプロ野球人生だったわけではない。1991年に東北福祉大学からドラフト4位で広島カープに入団したときには、まだ体の線も細く、一軍では通用するレベルではなかった。それから金本は、文字通り血のにじむような努力で打撃技術と鋼(はがね)の肉体を磨き、球界を代表するスラッガーに成長していったのだ。そして2003年にFAで阪神に移籍すると、中心打者として2度のリーグ優勝をもたらした。それまで低迷した阪神を変えたのは、彼の勝負強いバッティングだけでなく、なによりその野球に対する真摯な姿勢だったという。スポーツ紙の阪神番記者が明かす。「金本のおかげで阪神は戦う集団に生まれ変わりました。まず彼が、試合後も自主的に練習することに驚かされましたね。金本が活躍した試合はコメントが絶対に必要なので、遅くまで練習が終わるのを待たなければならなかった。今思えば、活躍した日に限って試合後の練習が長かったんです。いい感覚を忘れないようにするためだったんでしょう。するとそのうち、ほかの選手も金本に倣(なら)って試合後に練習するようになった。われわれ記者も毎日、選手の練習が終わるのを待つのが当たり前になりましたが、最初はかなり戸惑いましたね(苦笑)」ここ3年間は右肩の故障に悩まされ、その守備に対する批判の声も出るようになった。だが、チーム内での見方は違っていた。「『正直、まともにスローイングできない金本さんより、若手のほうが無難な守備をしてくれるかもしれない。だけどあの必死なリハビリ姿を見たら、少なくとも自分が投げるときは、マジメに練習しない若手より金本さんに守ってほしい』。ある主力投手の言葉です。もちろん金本の守備に不満を持つ投手もいたとは思いますが、成績でメシを食っているプロ野球選手にそこまで言わしめる存在だったんです」(前出・阪神番記者)似たような声は、ケガをするより何年も前、広島時代の投手陣からも上がっていたようだ。当時のチームメイトで野球解説者の高橋建氏はこう語る。「うまい、へたではなく、必死で守ってくれる姿に何度も勇気づけられましたね。外野の頭を越されるような打球を打たれたときも、オレがもう少しうまかったら捕れたのに悪いな、と言ってくれたり、常にチームメイトを思いやる気持ちを口にしてくれた。たった1歳上なのですが、チームでの存在感は絶大で、プレーはもちろんのこと、精神的支柱としてなくてはならない選手でした。広島を離れることが決まったあの日はすごく悲しかった。カープは今までに多くの選手をFAで失っていますが、球団にとって最大の損失は、間違いなく金本さんがいなくなったことでしょうね」金本が引退しても、その精神は日本プロ野球に受け継がれていくことだろう。(取材・文/コバタカヒト、日野和明、写真/益田佑一)
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新生・金本タイガース/猛虎復活は『鉄人の情熱』にかかっている
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