歴史清算は大統領の常套句…韓国で深化する「歴史の政治化」
『産経新聞』
渡辺利夫(拓殖大学総長)
◆明治日本にとっての朝鮮
明治維新が成ったのは帝国主義時代の真っただ中である。
弱者に安住の地が与えられることのない時代にあって日本が主権国家として生き延びるには、朝鮮の帰趨を巡って日清・日露の2つの戦争に勝ち抜かねばならなかった。
日清戦争とは、朝鮮が清国を宗主とし自らをその属領とする「清韓宗属関係」を切断し、朝鮮を清国の支配圏から引き剥がすための戦争であった。
日清講和条約によって日本は清国に、朝鮮が
「完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認」(第1条)
させたのである。
日露戦争とは、満州を南下して朝鮮を脅かすロシアに挑んだ戦争である。
ポーツマス講和会議に臨む小村寿太郎に対して首相桂太郎が与えた訓令の第一は
「韓国ヲ全然我(ワガ)自由処分ニ委(マカ)スルコトヲ露国ニ約諾セシムルコト」
であった。
明治日本にとって朝鮮は、いかなる犠牲を払ってでも第三国に優越的支配を許すことのできない生命線であり、幾多の経緯を辿って明治43年の韓国併合に至った。
併合は第二次大戦における日本の敗北までの36年間に及んだ。
現代の国際法の通念からすれば他国の「自由処分」など許されるはずもないが、骨肉相食む帝国主義の時代にあっては併合以外に選択肢はなかった。
韓国併合は清露はもとより、日英同盟下の英国、桂・タフト協定下の米国によって幾重もの国際的な承認を得ており、併合を妨げるものは何もなかった。
桂・タフト協定とは、米国のフィリピン領有と日本の韓国における優越的支配権とを相互に認め合った協定である。
併合によって韓国の経済社会の近代化の幕が開いた。
もっとも、このことは結果論であって併合の正当性を証すものではない。
重要なことは韓国人の誰もが語りたがらない次の事実にある。
◆常套句である「歴史清算」
併合により日本に頼るしか韓国の近代化はありえないと考える李容九(イ・ヨング)、宋秉●(ソン・ビョンジュン)などを指導者とする「一進会」の存在であり、韓国統監府の資料によれば参加者は14万人、実際には数十万人に及ぶ往時の韓国最大の社会集団であった。
(●=田へんに俊のつくり)
自立の気概なき李朝末期の朝鮮にあって近代化への唯一の道は、外国の影響圏に入るより他なしとみなす集団が一大勢力となったのである。
朝鮮近代史学の泰斗グレゴリー・ヘンダーソンは、一進会を「自民族に対して行われた反民族的大衆運動」だと皮肉な表現を用い、これを世界の政治史においては稀なる事例だとして高い評価を与えている。
今年は1965年の「日韓基本条約」から50年である。
51年に始まり条約締結に至る超長期の国交正常化交渉は難渋をきわめたが、最終的には朴正煕大統領の英断により、日本が韓国に3億ドルの無償資金と2億ドルの低利借款を供与することをもって韓国の日本に対する請求権の問題の一切が「完全かつ最終的に解決する」とされた。
当時の韓国の国家予算は3億5千万ドルであった。日本統治時代の物的・制度的・人的インフラにこの厖大な資金が加わって、「漢江の奇跡」が展開された。
韓国は重化学工業部門とハイテク部門を擁する新興産業国家として急進し、ついには先進国の一員として登場したのである。
その一方で、慰安婦問題を中心に猛烈な反日運動が始まり、元慰安婦の対日請求権を韓国政府が放棄することは違憲だとする憲法裁判所の判決までが出された。
その他にも、日本統治時代の対日協力者子孫の財産没収を求める法案の国会成立、日本企業の元徴用工への賠償金支払いを命じる最高裁判所判決などが相次いだ。
「歴史の政治化」というべきか。
韓国の反日は国家の制度の中に組み込まれようとしている。
「歴史清算」は大統領の常套句でもある。
◆反日は永続的なものなのか
韓国においては、時代が新しくなるほど遠い過去の記憶がより鮮明に甦りつつある。
日本統治時代に発展基盤を整え、日韓基本条約を経て近代化の資金を日本から手にし大いなる発展を遂げたという「過去」は、いかにも居心地が悪い。
「歴史清算」により日本の「悪」を糾弾し、もって今日を築いたのは韓国自身の手による以外の何ものでもないという国民意識を形成しなければ、自らの正統性を訴えることができないという深層心理なのであろう。
何より大韓民国の建国自体が、民族独立闘争とは無縁のものであった。
第二次大戦で日本が敗北したことにより、3年間の米軍による軍政期を経て転がり込んだ独立なのである。
誇るに足る建国の物語はここにはない。
一人前の国家になったればこそ、自国の胡乱(うろん)な成り立ちが耐え難いという感覚を噴出させているのである。
韓国の反日は永続的なものなのかと、私は慨嘆する。
『産経新聞』
渡辺利夫(拓殖大学総長)
◆明治日本にとっての朝鮮
明治維新が成ったのは帝国主義時代の真っただ中である。
弱者に安住の地が与えられることのない時代にあって日本が主権国家として生き延びるには、朝鮮の帰趨を巡って日清・日露の2つの戦争に勝ち抜かねばならなかった。
日清戦争とは、朝鮮が清国を宗主とし自らをその属領とする「清韓宗属関係」を切断し、朝鮮を清国の支配圏から引き剥がすための戦争であった。
日清講和条約によって日本は清国に、朝鮮が
「完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認」(第1条)
させたのである。
日露戦争とは、満州を南下して朝鮮を脅かすロシアに挑んだ戦争である。
ポーツマス講和会議に臨む小村寿太郎に対して首相桂太郎が与えた訓令の第一は
「韓国ヲ全然我(ワガ)自由処分ニ委(マカ)スルコトヲ露国ニ約諾セシムルコト」
であった。
明治日本にとって朝鮮は、いかなる犠牲を払ってでも第三国に優越的支配を許すことのできない生命線であり、幾多の経緯を辿って明治43年の韓国併合に至った。
併合は第二次大戦における日本の敗北までの36年間に及んだ。
現代の国際法の通念からすれば他国の「自由処分」など許されるはずもないが、骨肉相食む帝国主義の時代にあっては併合以外に選択肢はなかった。
韓国併合は清露はもとより、日英同盟下の英国、桂・タフト協定下の米国によって幾重もの国際的な承認を得ており、併合を妨げるものは何もなかった。
桂・タフト協定とは、米国のフィリピン領有と日本の韓国における優越的支配権とを相互に認め合った協定である。
併合によって韓国の経済社会の近代化の幕が開いた。
もっとも、このことは結果論であって併合の正当性を証すものではない。
重要なことは韓国人の誰もが語りたがらない次の事実にある。
◆常套句である「歴史清算」
併合により日本に頼るしか韓国の近代化はありえないと考える李容九(イ・ヨング)、宋秉●(ソン・ビョンジュン)などを指導者とする「一進会」の存在であり、韓国統監府の資料によれば参加者は14万人、実際には数十万人に及ぶ往時の韓国最大の社会集団であった。
(●=田へんに俊のつくり)
自立の気概なき李朝末期の朝鮮にあって近代化への唯一の道は、外国の影響圏に入るより他なしとみなす集団が一大勢力となったのである。
朝鮮近代史学の泰斗グレゴリー・ヘンダーソンは、一進会を「自民族に対して行われた反民族的大衆運動」だと皮肉な表現を用い、これを世界の政治史においては稀なる事例だとして高い評価を与えている。
今年は1965年の「日韓基本条約」から50年である。
51年に始まり条約締結に至る超長期の国交正常化交渉は難渋をきわめたが、最終的には朴正煕大統領の英断により、日本が韓国に3億ドルの無償資金と2億ドルの低利借款を供与することをもって韓国の日本に対する請求権の問題の一切が「完全かつ最終的に解決する」とされた。
当時の韓国の国家予算は3億5千万ドルであった。日本統治時代の物的・制度的・人的インフラにこの厖大な資金が加わって、「漢江の奇跡」が展開された。
韓国は重化学工業部門とハイテク部門を擁する新興産業国家として急進し、ついには先進国の一員として登場したのである。
その一方で、慰安婦問題を中心に猛烈な反日運動が始まり、元慰安婦の対日請求権を韓国政府が放棄することは違憲だとする憲法裁判所の判決までが出された。
その他にも、日本統治時代の対日協力者子孫の財産没収を求める法案の国会成立、日本企業の元徴用工への賠償金支払いを命じる最高裁判所判決などが相次いだ。
「歴史の政治化」というべきか。
韓国の反日は国家の制度の中に組み込まれようとしている。
「歴史清算」は大統領の常套句でもある。
◆反日は永続的なものなのか
韓国においては、時代が新しくなるほど遠い過去の記憶がより鮮明に甦りつつある。
日本統治時代に発展基盤を整え、日韓基本条約を経て近代化の資金を日本から手にし大いなる発展を遂げたという「過去」は、いかにも居心地が悪い。
「歴史清算」により日本の「悪」を糾弾し、もって今日を築いたのは韓国自身の手による以外の何ものでもないという国民意識を形成しなければ、自らの正統性を訴えることができないという深層心理なのであろう。
何より大韓民国の建国自体が、民族独立闘争とは無縁のものであった。
第二次大戦で日本が敗北したことにより、3年間の米軍による軍政期を経て転がり込んだ独立なのである。
誇るに足る建国の物語はここにはない。
一人前の国家になったればこそ、自国の胡乱(うろん)な成り立ちが耐え難いという感覚を噴出させているのである。
韓国の反日は永続的なものなのかと、私は慨嘆する。