Quantcast
Channel: SALUMERA
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2520

大阪都抗争(黎明編)/地方分権にもっとも近い近道

$
0
0

国政操る橋下市長
党首と兼務 新モデル

読売新聞9月7日
地域政党・大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長が、国政を地方から遠隔操作するという新しい政党像に挑む。
衆院選に向け、近く結成する維新新党の党首を橋下氏が兼務し、国政の舵を取る仕組みで、「大阪から日本を変える」(橋下氏)構想だ。
維新が国会内で一大勢力になった場合、維新国会議員らが大阪市長の指示を仰ぎ、地方の首長が国政に影響を与えるという前代未聞の〝院政〟となる.
「誰もやったことがないことだから、やっていくしかない」
6日、記者会見した橋下氏は、自治体トップが国政政党の党首を兼ねる是非を問われ、「地方の首長や地方議員は国会議員の部下ではない」と力を込めた。
 
維新が描く新党では、党首の橋下氏、幹事長の松井一郎大阪府知事がともに大阪にとどまり、本部は大阪に置く。
維新に合流国会議員は、維新の「国会議員団」所属し、国会のある東京に派遣されるカタチだ。
さらに、国と地方の上下関係を改め、地方分権型に政党をアピールする狙いから、維新内では国会議員団は大阪府議会や大阪市議団と同列と位置付ける。
国会内での党首討論や国会対策は国会議員団幹部が担うが、各党党首を集めたテレビ番組などには橋下氏が出演する方向だ。
重要局面では、橋下氏が市議会日程などを考慮しながら東京に滞在、陣頭指揮を執ることも想定している。
橋下氏は、次期衆院選に出馬しないと表明しており、国会議員から選ばれる首相にはなれない。
仮に維新の会が国政第1党になっても、国会議員団のトップが首相に指名され、国の最高権力者が維新内では大阪市長の指示を受けることになってしまう。
 
首長と国政政党の党首を兼職した例は、1977年~78年、社会党委員長と横浜市長を務めた飛鳥田一雄氏や、2005年~06年に長野県知事のまま新党日本の代表に就いた田中康夫氏(現衆院議員)らがいる。
ただ、飛鳥田氏の兼務期間は約3か月だけ。
社会党は当時、野党第1党で、ナンバー2の書記長は衆院議員が務めていた。
新党日本の所属国会議員は当時、5人だった。
次期衆院選で400人規模を擁立し、政権党を目指す維新新党の先行モデルにはならない。
 
橋下氏が大阪にとどまったまま国政の実権を握る体制には、他党から批判の声が上がる。
政党関係者は「橋下氏は形成の後白河法皇になるつもりか」と首をひねり、民主党国会議員も「大阪にいる橋下党首にお伺いを立てないといけないのなら、維新の国会議員は鵜飼いの鵜だ」と皮肉った。
 
橋下氏はこの日の会見で「寝る時間や遊びの時間を削ればいい。大きな方向性と枠組みを決めれば、あとは組織のマネジメント次第だ」と語った。
鳥取県知事を務めた片山善博・慶大教授は「首長の仕事は多忙で、党首との兼務は現実的には無理。『二兎を追うものは一兎も得ず』になりかねない」と否定的だ。
一方、元吉本興業常務でフリープロデューサーの木村政雄さんは「非常に難しいだろうが、橋下さんなら新しいやり方でやっていくのかなと期待が持てる。国会議員の『大阪詣で』が続けば、大阪のプレゼンス(存在感)も上がる」とエールを送りつつ、「日常的に橋下さんと意思疎通ができて、国会議員を束ねられる優秀なキーマンが絶対に必要になる」と注文をつけた。

 

橋下維新が操る「三つの魔術」

「郵政民営化選挙」「政権交代選挙」の失敗を再び繰り返すのか。
「橋下旋風」の危うさ。
総合情報誌[ザ・ファクタ] 2012年5月号 by 川上和久
「二度あることは三度ある」
物事は繰り返し起こる傾向があるから、「失敗」を重ねないようにという戒めだ。
英語では<One loss brings another>という諺がこれに該当するだろうか。
日本語でも英語でも、「悪いことは繰り返し起こる」というネガティブな意味合いで使っていることは共通している。
 
今の日本の政治状況から、この諺を連想する人は多い。
一度目は、いうまでもなく、2005年の「郵政民営化選挙」。郵政民営化の呪文にメディアも含めて「熱狂」し、小泉自民党が圧倒的勝利を収めた。
二度目は09年の「政権交代選挙」。
当時の民主党が掲げたマニフェストへの評価は、世論調査の結果を見てもさほど高いものではなかったが、歴史的な政権交代への期待をメディアが喧伝し、民主党が地滑り的大勝利を収めた。
 
当時、洪水のように報道された「郵政民営化」「政権交代」に乗せられ、無党派層と重複するテレビの高視聴者が、05年の衆院選では自民党、09年の衆院選では民主党に投票する傾向が強かったことが世論調査から明らかになっている。
しかし、二度とも政治の停滞は打破できなかった。
 
無党派に憲法改正派が急増
「二度あること」を三度目にしつつあるのが、橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」なのか。
橋下市長の衝撃の大きさを物語る一つの証左が、3月19日付の読売新聞1面、11面の世論調査記事だ。
この記事によれば、憲法改正賛成派が、昨年9月の調査から、わずか半年で11%も上昇している。
また、「ねじれ国
会」について、与野党が対立する法案が成立しなかったり、遅れたりするという否定的評価が56%に達し、国会の二院制のあり方についても、「衆院と参院を合併して一院制にする」が半年で11%上昇して37%にのぼっている。
 
特に、無党派層で憲法改正賛成の比率が半年前から15%も増えて55%に達しており、無党派層で一院制が望ましいと答えた比率も半年前から16%も増えて41%にのぼっている。
 
衆参ねじれ国会で、与野党の合意形成は円滑に進まず、「決められない政治」に対する根強い不満はあるだろう。
しかし、この半年での急激な数値の変動には、やはり、橋下市長が、維新の会による「船中八策」の叩き台を3月10日に公表し、「統治機構の作り直し」「財政・行政改革」「教育改革」「経済・雇用・税制」などと並び、八つ目の策として「憲法改正」を取り上げ、憲法改正に必要な衆参両院の賛同を3分の2以上から2分の1に緩和することや、首相公選制、将来的な参院廃止を視野に入れた抜本改革を謳い、「決める政治」「動く政治」のメディアへのアピールに成功したことも影響している。
橋下市長は、今後も「第一の魔術」である「動く政治への期待」を次々に繰り出すだろう。
 
橋下市長がメディアにアピールする「第二の魔術」は、「敵」を作り上げる小泉元首相ばりの巧みさだ。
市営バス運転手の高給を指弾したり、市役所に陣取っての市労組のこれまでの専横をアピールし、市と労組の馴れ合い体質への怒りを掻き立てた。
 
世代の代表として、若者世代にとって歓迎すべき政策を巧みに打ち出しているが、損得がつきまとう政治の常として、高齢世代を「潜在的な敵」にすることで若者世代を惹きつけている。
 
国民すべてに一定額の現金を給付する「ベーシックインカム」で行政コストを安くし、今後の世代の負担を減らす期待を持たせたり、「年金の積み立て方式と掛け捨て方式の併用」で、その世代の積み立てはその世代に支給するというような形を目指し、世代ごとの受益と負担の一致も視野に入れている。
 
さらに、最近では敬老パスの問題点も指摘して、「高齢者優遇」の政治にけじめをつけようとする姿勢をアピールしている。
他の都市では、半額負担や所得制限のあるケースが多く、所得の多寡にかかわらず無料を維持しているのは、全国の政令市で大阪市だけだということで、「高齢者優遇との決別」を謳って若い世代の支持を確固たるものにしようとしている。
 
国民に問われる「熟慮の判断」
「第三の魔術」は、メディアにアピールするだけでなく、たとえメディアに叩かれたとしても、新しい武器「ネットメディア」を駆使して、それに反撃する術を持っているということだ。
市長選挙の際、週刊誌に係累のことも含めてバッシングに遭いながらも、ツイッターで「週刊誌に書かれている通り。何が悪い!」と反撃し、「ネットで既存メディアに立ち向かう勇敢さ」をアピールした。
 
最近でも、読売新聞の渡邉恒雄主筆が月刊誌「文藝春秋」誌上で、橋下市長の2月12日付朝日新聞インタビューでの、「選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」という発言に、「私が想起するのは、アドルフ・ヒトラーである」と懸念を示した。
ヒトラーが「全権委任法」を成立させ、「ファシズムの元凶となった」として、「これは非常に危険な兆候だと思う」「この点、はっきりと彼に説明を請うべきだろう」と指摘したが、橋下市長はツイッターで反論、「渡邉VS橋下」の世代間戦争を演出し、大メディアに立ち向かう姿をまたまた演出してみせた。
 
谷垣禎一自民党総裁は60代、野田佳彦首相は50代だ。
40代の橋下市長は、昨年の大阪市長選挙で、特に20代、30代の根強い支持を得て当選した。
「三つの魔術」が賞味期限切れすることなく繰り出されれば、若い世代の支持を受け続け、次の国政選挙で大ブームを起こす可能性は大きいと私は見る。
 
悪いことが繰り返される戒めが「二度あることは三度ある」ならば、良いことは続かない戒めは「柳の下に二匹目の泥鰌はいない」だ。
50代の泥鰌宰相は消費税増税法案、ねじれ国会、抵抗する野党と八方塞がり。瀕死の泥鰌を駆逐して、40代の橋下市長が若い世代の新しい「水」を得て二匹目の泥鰌をゲットし、見事な包丁さばきで日本を国難から救えるのか。
政策に柔軟性を持たせてはいるものの、国際競争力を維持するために、失敗は許されない。国民の熟慮の判断が求められる。
 
院政で思い出すのは田中派(→竹下派)。
当時、その中心にいた小沢は「ミコシは軽くてパー(ルーピー)がいい」と言ってた。
院政に限らず、システムに問題があるのではなくて、マネジメントする人間に問題がある。
地方分権に最も近い道は、地方を知るものが院政を敷き、中央を操作すること。
これぞ究極のニア・イズ・ベター。
 
93年の政界再編では、民意は行政改革を求め、細川を〝勝たせた〟。
官僚べったりの小沢を勝たせたワケではない。
05年の郵政選挙では、民意は小泉を勝たせたワケで、
その後、毎年、首相が変わるなどとは想像もしなかった。
10年の政権交代では、民意は自民党的なものを嫌い民主党を勝たせたのに、
小沢は民主党を〝新たな自民党〟にしようとしやがった。
 
民意が踊らされたいうより、
民意は政治家にダマされた。
細川も鳩山も小沢に操られ、
小泉以降の自民党総理は、かつて小泉が抵抗勢力と呼んだ連中に操られた。
橋下の場合、「自らが院政を敷く」と今から宣言してるのだから、
民意はダマされようがない。
総理が誰になっても、行く道は橋下が決める。
橋下がイヤなら票を入れなければいい。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2520

Trending Articles