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大阪都抗争/Drama under the bridge 6 第二章

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大阪ダブル選の2日後、東京で、早くも政界のキーマンが動き始めた。
東京・紀尾井町のホテルニューオータニ6階に入る上海料理店「タイカイエン」。
……
民主党元代表の小沢一郎を支持するグループ「北辰会」の面々だった。
……
「大阪の選挙結果をどう思いますか」
出席者の一人が、維新完勝のダブル選に話題を向けると、小沢は言い切った。
「維新の会は、国政の場に一人も議員がいないことが弱みだな。大阪都構想は、国政でしか実現できないことだから、彼らは必ず国政進出を狙ってくるだろう」
維新に苦杯を喫した二大政党については、「民主がダメで、その代わりに自民がしっかりしていればいいが、自民は民主に輪をかけてダメだからなあ」と言い、そして「維新の買いには勢いがある。選挙は勢いのあるところが勝つんだ」と力を込めた。
……
11月30日、東京・永田町の自民党本部9階の会議室は、早朝から多くの議員でごった返していた。
60人を超える落選組を含め、全国から約190人の党員が出席し、全議員・選挙区支部長懇談会が開かれた。
09年8月の衆院選で民主党に敗れて下野した自民党にとって、この日の懇談会は、党の再生に向けて党本部と地方組織が結束を深める重要な場だった。
しかし、冒頭から相次いだのは、民主党対策ではなく、直前の大阪ダブル選を勝利した維新への対応だった。
口火を切ったのは、大阪府北部の大阪10区を地盤とする、比例近畿ブロック選出の衆院議員・松浪健太だ。
「大阪府連は、ダブル選で三度目の大きな誤りを犯した。
一度目は、自民党から維新の会に移ったメンバーに離党勧告をしたこと。
二度目は、統一選で維新と正面から戦えば負けると言ったのに、太平洋戦争のように突っ込んだこと。
今回は、統一選の失敗について総括することなく、二度目の太平洋戦争に突っ込んでいった。
もはや、府連のガバナンスは効いていない」。
……
12月19日午前8時55分、玄関に横付けした公用車から橋下が降り立った。
黒のスーツにストライブタイ。
身辺警護の警察官を伴って、市役所に足を踏み入れた。
「知事に就任した4年前は暗中模索。大海原に漕ぎ出したゴムボートの気分だった。今は誠実な市職員がおり、知事時代の経験もある。巨大タンカーの船長になった気分だ」。
登庁直後、報道陣に取り囲まれる橋下の表情には余裕があった。
……
就任会見となれば、まずは自らの信じるところを披露するものだろうが、橋下は所信を述べることもなく、「もう皆さんからどうぞ」と質問を促した。
最初に制度の歪みが目立つ生活保護行政について質問が出ると、すぐに橋下節が炸裂した。
 
「これは国の無策なんです。全く日本国政府の国会議員も霞ヶ関も、この無策にこういう状態になってますんでね。
この無策ぶりをやっぱりきちんと庶民の皆さんにアピールしながら、最終的には国の制度を動かすということになれば、政治闘争するしかない。
国に言われっぱなしで、こんなのね、アッタマきてしょうがないんでね」
 
断定調と、砕けた言葉遣いを織り交ぜ、用意した原稿では決して表現できない語り口で引きつける、橋下流のスピーチだ。
一方で橋下は、晴れ舞台のために練り上げてきたキーワードを初めて口にした。
 
「今の日本の政治や行政の仕組み、統治機構っていうのは、決定できない民主主義、決定できないから責任を取らない民主主義。
僕は『決定できる民主主義』、『責任を取る民主主義』、これを哲学として統治機構を組み替えていきたいと思ってます」
 
政治の停滞が目を覆うばかりの永田町、圧倒的支持で政権についた民主党は、小田原評定を繰り返して党内がまとまらない。
自民党は政権の足を引っ張るばかりで、大胆な一歩を踏み出せない。
二大政党は攻守を変えて対立し、衆参のねじれが混乱に拍車をかける。
橋下が、行き詰った政治に突きつけたのが「決定できる民主主義」である。
民主主義とは本来、物事を決めるためのシステムなのに、「決定できない政治」を繰り返す永田町政治に、橋下は皮肉を込めた。
1時間45分に及んだ就任会見で、橋下は多くの時間を国政への言及に費やした。
市長選期間中、集中的に打ち上げ続けた市役所批判は影を潜め、「仮想敵」は国へと移った。
……
就任翌日の11月20日、翌年度の予算編成が大詰めを迎えて慌ただしい永田町も、この日ばかりは、ダブル選を制した橋下と松井が主役だった。
就任あいさつに訪れた二人に、各党は党首や実力者が異例のVIP待遇で応対し、こぞってラブコールを競い合った。
 
民主党元代表の小沢は、衆院議員会館の自室で橋下を迎えた。
……
橋下と小沢の会談は09年8月、政権交代をもたらした衆院選直前、小沢側の呼びかけで実現して以来のことだった。
この時の会談にに同席した元総務相の原口一博は、「橋下さんから、『緊張していてどんなことになるかわからないから、クッション代わりに間にいて』と頼まれた」と振り返る。
小沢に「すごい迫力を感じた」というその日以来、橋下は他の国会議員には使わない「先生」という敬称を、小沢だけに使うようになった。
だが、今回は緊張した素振りも見せず、堂々と小沢と向かい合った。
都構想の実現に「自分たちも協力したい」と手を差し伸べる小沢に対し、橋下は「国が後押しすることに協力していただきたい」と頭を下げた。
「これだけの改革をするのは、非常に大変なことだ。古いものをぶっ壊さなきゃ」。
橋下を持ち上げる小沢に、今回も会談に同席した原口が、言葉を継いだ。
「壊し屋に『ぶっ壊してくれ』と言われるくらい、(橋下は)古いものに向かう力があ強いんですね」。
 
35分間の会談終了後、めったに人の評価をしない小沢が、原口につぶやいた。
「彼は、非常に明確で、ハッキリしたリーダーだ。大事なリーダーだよ」。
 
自民党本部では、総裁の谷垣、幹事長の石原ら7人が応対した。
……
公明党は、代表の山口、幹事長の井上義久、政調会長の石井啓一ら三役が会談予定の10分以上前から会場入りし、並んで待ち構えた。
この日のために用意した卓上の鮮やかな盛り花が、白いテーブルクロスに映えていた。
「党幹部がそろって首長を迎えるなんて聞いたことがない」と府本部幹部は言う。
公明は、橋下との連携がなければ、前回衆院選で失った大阪の4選挙区での議席脱退はままならない。
……
その光景が、党の立ち位置を雄弁に語っていた。
 
「あんたは革命児だ」と橋下を持ち上げた国民新党代表の亀井静香のアドバイスは、あけすけだった。
「中央の連中は呆然としていていて、みんなすり寄ってきている。自信喪失症にかかっとるから。それがチャンスなんだ」
……
「発言すれば、党も省庁もグッと寄ってくる。地方から日本を変えるチャンスなんだよ」。
 
11年春の統一選で維新候補の一部を推薦するなど協力関係を続けてきたみんなの党は、蜜月ぶりをアピールした。
 
各党に共通するのは、歓迎ムードの裏に見え隠れする橋下維新の国政進出への警戒感だった。
……
党首らとの会談を終えた橋下は、各党の手厚い応対にも慎重姿勢を解かず、語った。
「僕も3年9か月、知事をやって政治の世界を見させてもらって、本当に人間が悪くなりましたよ。疑ってかかる人間になってしまった。
やっぱり最後のところでダマされちゃいけないので、場合によってはキチンと擁立できる準備は整えておきます。ちょこっと風向きが変われば、パーっと様子が変わる。気を緩めてはいけない」
 
橋下の東京出張の最終日程は、東京都知事の石原慎太郎との会談だった。
それは、単ある東西のリーダー同士の顔合わせではなかった。
11月21日、会談場所の東京都庁に詰めかけた報道陣はどことなく緊張感を漂わせていた。
石原を中心とする新党結成の動きが水面下で進み、そのメンバーとして橋下の名前も浮上していたからだ。
……
大阪ダブル選の最終日、石原が橋下の応援のためにわざわざ東京から駆けつけ、「橋下さんに大阪の命運だけじゃない。日本の命運を託してもらいたい。日本の命、大阪の命、橋下に預けます」と演説したことも、新党結成に向けた布石だと憶測を読んでいた。
 
……
 
府と大阪市の一体化に向けた府市統合本部の初会合は、ダブル選の維新の勝利からちょうど1か月となった12月27日に開かれた。
統合本部での発足式で、府知事の松井とともにあいさつにたった橋下は、事務局入りした府職員15人、市職員10人を前に高揚感を隠さなかった。
「今日、こういう日を迎えられるなんて、もう、感無量です。大阪のカタチ、統治機構を変えることで国全体も変えていきたい。明治以来、初めての大挑戦、大事業。大阪の地から発信していきたい」。
……
府市統合本部が置かれた咲洲庁舎は、大阪都実現の前から「大阪都庁」の機能を果たし始めていた。
……
堺屋をはじめとする「脱藩官僚」らブレーンたち共通の思いは、「国でできなかったことを大阪でやる」。
大阪の改革を突破口にして、国に変革を迫ることだった。
……
「議長!」
第19代大阪市長の橋下の右手が挙がり、課長の指名を受けて登壇した。
「大阪市長として、市役所の解体に取り組む」ことを命題に掲げ、「最後の大阪市長になる」と公言してきた男が、どんな施政方針演説をするのか、議場の誰もが耳を傾けた。
……
「国のかたち」に踏み込んだ橋下は、「既得権を破壊することが私に与えられた使命だ」と力を込め、目指すべき改革のキーワードを口にした。
「古い制度やシステムを捨て去り、創造性やイノベーション(革新)で社会を立て直す。まさに今、大阪で、この『グレートリセット』が起きようとしています。是非とも、またとない、このチャンスをものにしなければなりません」
……
施政方針はそれだけではなかった。
演説が終盤に差し掛かったとき、橋下は突然、手にした原稿から視線を上げ,険しい表情で職員労働組合への批判をし始めた。
「大阪の統治機構を変えることにエネルギーをと執念を燃やすことは当然ですが、それに加え、大阪市役所の組合問題にも執念を燃やして取り組んでいきたいと思います。組合が、公の施設で政治的な発言を一言でもするようなことがあれば、断じて許しません」
……
労組批判は用意した原稿にはなく、アドリブで約5分間に及んだ。
さらに演説後の市の幹部会議でも批判は続き、橋下は「組合の言うことを聞かないと人事で冷遇される、という手紙やメールが中堅、若手職員からきている」と言い放った。
……
大阪維新の会の代表として「国」を、大阪市長の立場からは「労組」を、次なるターゲットに宣言した施政方針演説で、維新旋風が吹き荒れた2011年が暮れた。
 
 
 
 
(『橋下劇場』 読売新聞大阪本社社会部)
to be continues.
 
 

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