第3章 改革の実像
誰もが息を殺した。直立不動で市長の橋下と向き合っていた男が腰を折り曲げ、深々と頭を下げた。「今日は謝罪に参りました。あってはならないことで、私の監督責任を感じています」2012年1月4日、橋下の仕事始めは、大阪市職員約3万人が加盟する最大労組「市労働組合連合会」(市労連)の委員長・中村義男との面談から始まった。面接といっても、中村の謝罪の場だった。前年末に発覚した一部労組役員の勤務中の政治活動について、労組は謝罪文を用意したが、橋下は施政方針演説の中で、「紙一枚で済ますのは市民の感覚とかけ離れている」とかみついた。労組側は慌てて面会を求めたのだった。橋下は険しい表情を崩さず、目の前で頭を下げる中村をしばらく見据えた。「公の施設内で政治活動をするなら、まずは(市庁舎に入る労組事務所の)家賃減免を無しにしないといけない」冷たく言い放つ橋下に、中村は顔を歪めた。市役所地下1階の6つの労組事務所は、本来計約3600万円となる年間賃料を6割引きの約1400万円だけ市側に払い、入居している。家賃減免がなくなれば、大幅な負担増だ。中村は低姿勢のまま言葉を返した。「純粋な組合活動であれば、便宜供与はしていただけるんでしょうか」橋下は、あからさまに嫌悪感を漂わせ、手元に用意していた資料を取り出した。「この資料は、市長選にあたって、中村さんの名前で配布されたものです。僕のことをポピュリズムとか、大阪都構想は虚構だとか書いている。労使交渉の活動以外に、かなり政治的な主張をやっている」顔を引きつらせる中村はたたみかけるように言葉を継いだ。「政治というのはリスクがある。僕らは負ければ身分を失う。だから政治的に足を踏み込んで、選挙の結果が出ても自分たちの存在を主張し続けるのは、公務員の絶対的身分保障に甘えた考え方です。政治に足を踏み入れたからには、自己責任でしかるべきリスクを負うのは当然のことです」大阪市長選では長年、市労組と市幹部、政党などがすスクラムを組み、現職や助役出身の市長を押し上げる構図が続いてきた。「中之島選対」。市役所の所在地にちなみ、役所ぐるみの選挙態勢はそう呼ばれてきた。不適切な労使の蜜月関係は、ヤミ年金・ヤミ退職金などの常識はずれの福利厚生を生む温床となり、04年には問題点が次々に暴かれ、「職員厚遇問題」と厳しい批判を浴びた。市労連は今回、現職だった平松を全面支援した。選挙期間中、平松の演説会上には、多くの組合員が顔を見せていた。「中之島選対」の実働部隊を担った市労連のトップに対し、橋下は「けじめ」を求めた。少し間を置いて、中村は言った。「わかりました。次に時間をいただいて、できれば、マスコミ無しで…」報道陣の目に晒されながら面談に不慣れな中村の要望を、橋下は一蹴した。「それはできない」「緊張してできない…」「これだけ大阪都構想に激烈な批判を加えている。市民の皆さんは、組合に相当な疑問を持っている。オープンの場でしっかり話さないと、僕が見えないところで話をつけたんじゃないかと思われます」「…わかりました」苦り切った顔で、中村は了承した。退室の際、中村は握手を求めた。しかし、橋下は応じようとせず、念を押すように厳しい言葉を浴びせた。「事務所については、早期に退去してもらいたい。けじめをつけてもらって、公の施設からは出て活動してもらいたい。また、話し合いの場を持って、考えを聞かせてもらいたい。その時には握手させていただきたい」橋下の戦略はハッキリしている。国や地方の行政組織、労働組合、教育委員会といった「官」に狙いを定め、過激な言動で攻撃する。自らは「民」の代表として選ばれた政治家だと強調し、「官」との対決構図を印象づけ、あつれきをエネルギーに変えて高支持率を維持してきた。相手が反発すればするほど、「抵抗勢力と戦い、改革を進めるリーダー」の役回りである橋下の人気は高まる。だからこそ、橋下はさらに攻め込む、市役所に乗り込んだ橋下にとって、労組が平松の「知人・友人紹介カード」を庁舎で勤務時間内に配布したという「敵失」は、労組攻撃を本格化させる格好の「口実」になった。大阪市では、82年の現庁舎の完成時から、市労連や大阪市職員労働組合(市職)などが規定の2割の家賃で入居してきた。10年度から段階的に減免率を縮小し、12年度以降は50%に固定して入居を認めることで労使が「覚書」を交わしていた。同じ階にはコンビニ店や郵便局なども入居するが、減免措置はない。市は、民間企業では労働組合法で労組への事務所供与が認められているのを準用し、職員労組の事務所賃料を減免していたと説明する。読売新聞が東京都と19政令市に取材したところ、職員労組が自前でビルを構えている川崎市以外は市庁舎が、市が借り上げたビルの部屋が労組事務所として使用されていた(11年12月現在)。大阪、京都、千葉、相模原各市以外では無償提供だった。勤務時間外なら、職員労組の政治活動は禁じられているが、「庁舎内での政治活動なんて認められるワケがない。政治活動をやりたいなら庁舎から出ていけばいい」というのが橋下の主張だ。とりわけ選挙活動を問題視し、「(職員組合が支援して市長を当選させるのは)組織の従業員が社長の人事権を持つに等しい。そんな組織で改革なんてできるワケがない」と批判を強め、労組活動を待遇や職場環境の改善に限るべきだと訴えた。橋下の方針を受け、市当局は1月末、市労連側に3月末までの事務所明け渡しを迫った。「覚書」については「紳士協定的なもので、法的拘束力はない」と破棄を通告した。……抵抗する労組に対し、橋下は二重三重に攻撃を仕掛けた。まず、全職員を対象に組合・政治活動の実態を問うアンケートを実施した。……「無回答」や「わからない」といった選択肢はなく、全てイエスかノーかを迫った。組合活動の参加の有無では、活動内容や誘った人、誘われた場所、時間帯までを詳細に聞いた。無記名の情報提供も呼びかけ、「密告」も奨励した。アンケートと一緒に配布した、橋下の名前入りの説明文では、「市長の業務命令」として回答を義務づけ、拒否したり正確に答えなかったりした場合は「処分の対象になり得る」と揺さぶった。強制的に政治関与を問うアンケートに対し、市労連などは、「労働組合の弱体化を目指す動きで、団結権の侵害だ。到底容認できない」と撤回を求める声明分を発表した。……批判の声はすぐ、全国に広がった。日本弁護士連合会は「懲戒処分の威迫を持って回答を強制することは、職員に対する『踏み絵』であり、思想良心の自由を侵害する」と調査の中止を求める宇都宮健児会長の声明を発表した。……アンケート自体が使用者が労組の運営を支配したり、介入したりすることを禁じた労働組合法に違反すると判断した市労連は「不当労働行為に当たる」として、大阪府労働委員会(府労委)に救済を申し立てた。事務所の退去通告に対しても、市労連は強硬姿勢で臨んだ。大阪市から「不法占拠」で提訴されるのを避けるため、一旦は退去したがその後、、事務所使用の不許可処分の取り消しと賠償金の支払いを求め、大阪地裁に提訴した。自治労連系の大阪市労働組合連合(市労組連)などは庁舎内から立ち退きもせず、逆に大阪市から訴えられるなど労士対立が激化していった。「残念ですが、法的手続きが開始された以上、調査は凍結します」2月17日夕。職員アンケートの回答期限翌日、質問をつくった大阪市特別顧問で弁護士の野村修也が市役所で記者会見し、寄せられた回答の開封や集計の凍結を表明した。野村は中央大法科大学院教授。政府の郵政民営化委員や年金記録改ざん問題の調査委員長を歴任し、国家公務員や企業のコンプライアンスを監視する役割を担ってきた専門家だ。後に国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員にも任じられている。野村の手腕を買った橋下が、労組の徹底調査を担当する特別顧問に招いたのだった。会見に臨んだ野村は、市労連が府労委に救済を申し立てたことを踏まえ、「当面は推移を見守るのが妥当」との判断を示した。救済か棄却かを不労委がが最終的に決めるまでには通常1年以上かかるため、事実上、回答結果は集計、公表されない公算が大きくなった。ただ「組合の実態解明をあきらめたわけではない」と調査継続の旗は降ろさなかった。職員アンケートには実施前、市幹部からも「荒っぽ過ぎる」などと異論が噴出していた。しかし、最後は橋下が「違法でない限りはこれでいい」と押し切ったという。……橋下は野村の判断を尊重し、調査凍結を認めながらも強気の姿勢を崩さなかった。「僕は全く問題ないと思っている。今までの調査では実態解明に至らないところが多々あった。とにかく実態解明ができればいい。若い人はみんな組合に怯えている。あってはならないことがされていて、踏み込んで調査するのは当たり前のことだ。今まで、歪んだ市役所と組合の関係が長年あった。相当な力を込めないと正されない」その5日後、府労委が判断を下した。「(組合運営への)支配介入に該当する恐れのある(質問)項目があると言わざるを得ない」。不当労働行為の可能性を認め、最終決定が出るまでは、調査続行を差し控えるよう市側に勧告する内容だった。労働委員会は、第三者の立場で労使紛争を解決を援助するために設置された行政機関だ。……労働委員会が労働組合法違反の有無の審査前に、違法性を示唆する勧告を出すのは異例だ。……それでも、橋下は自説を曲げなかった。「僕は抵触しないと思ってる。何の問題もない組合にこういうことをやったら問題かもしれないが、正さなきゃいけないから」……結局、職員アンケートは後日、未開封のまま、全て破棄された。労組幹部が立ち会うなか、野村は、カナヅチで約2万4000人分の回答データが入ったDVDを破壊し、その後2時間以上かけて、約1万人分の回答用紙をシュレッダーにかけた。府労委の勧告を受け、橋下の「労組たたき」も収まるかに見えた。しかし、「ヘビのようにしつこい男」と自認する橋下は、攻撃の手を緩めなかった。職員の業務メールの通信内容について、橋下が極秘調査を進めていたことが発覚したのは、職員アンケートを凍結した直後だった。職員に事前通知はなく、橋下の意を受けた野村らでつくる第三者チームが、市側から職員150人分の送受信データを収集していた。手を替え品を替え、職員を締め付けようとする橋下に、庁内の動揺は大きかった。「市長は超えてはならない一線を越えてしまった」……第三者の弁護士が、職員が業務で使用するパソコンで送受信したメールを、職員に無断で閲覧することは許されるのか。……01年12月の東京地裁判決は「プライバシー保護の範囲は電話より相当程度低い」…が、「メールの監視の妥当性は必要性や手段の適切さなどを比較考慮すべきだ」と一定の歯止めをかけた。厚労省は、個人情報保護法に基づく指針で、企業の社内メールの監視は組合に通知し、協議することが望ましいとする。……報道陣から、事前通知なしのメール調査を問われた橋下は、「だって業務メールですから。私物のパソコンであれば大問題ですけど。事前通知なんかやったら、簡単に証拠隠滅される。ある意味、調査というのは死闘。だから法律の範囲内で実効性のある調査をする」と述べ、問題ないと強調した。事前通知を求める厚労省の指針には、「それは厚労省が間違っている。事前通知する理由を教えてくださいよ」と反論した。……強引とも言える手法に不安と反発が高まる一方、調査で浮かび上がった驚くべき内容は、労組関係者や職員に波紋を広げた。(『橋下劇場』 読売新聞大阪本社社会部)to be continues.
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大阪都抗争/Drama under the bridge 7 大阪都構想より、ホントはこれがしたかった(前)
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